「僕に、心とは何かを教えてください」〜 アトピーになってみて

ただ今木の花にヘルパー滞在中のともくん。16年前にアトピーを発症し、その苦しみを誰にも打ち明けられずにいました。
そんな中、ある日の大人ミーティングで、1ヶ月間の真学校受講生のあわちゃんが自分の想いを正直にみんなにシェアする姿に感銘を受け、「自分もやってみよう」と今の想いを綴り、翌日のミーティングでシェアをしてくれました。
以下に、ともくんのシェア全文と、それに対するいさどんのコメントを紹介します。
 
 
■    ■  ともくんのシェア  ■    ■
 
19歳の冬でした。今から16年前のことです。
突然、僕の肌に異変が起きました。
乾燥して、かゆくなってきたのです。
乾燥、かゆみの範囲は徐々に全身に広がっていきました。

大学卒業後、就職して社会人になりました。
忙しさとストレスで、症状はかなりひどくなりました。
病院へ行きました。ステロイド剤を処方されました。

その瞬間から、負の連鎖の始まりです。
症状の悪化が著しくなりました。
それは現在にまで至っています。

僕は過去、多くの民間療法を試しています。
病院にも3回入院しています。
それら全て大した効果はなく、一時的な対処療法に過ぎませんでした。
莫大な経済的負担を親にかけました。
仕事を失いました。
ステロイドの影響で、皮膚の状態を更に悪化させてしまいました。

引け目を感じていました。
劣等感を抱いて生きてきました。
日々の生活に、幸せを感じることなどありませんでした。
悩み苦しみを、ずっと心に抱え込んでいました。

3年前、長い間使用していたステロイドの塗布をやめました。
社会生活を営む上で、ステロイドは欠かせませんでした。
他者と接する仕事だったため、皮膚を取り繕う必要があったためです。
必要悪と割り切って使用を続けていました。

ステロイドの使用をやめた途端、リバウンドが襲ってきました。
全身から浸出液が溢れてきたのです。
激しいかゆみ、乾燥のため、眠れない日々が続きました。
体中から異臭が漂っていました。
仕事の継続が不可能になりました。
実家に戻らざるを得なくなりました。

本当に辛い時期でした。

それからは、自然治癒力での完治を目指しました。

食生活を変えました。
安静な生活を過ごしました。
そのおかげで、かなり身体は改善しました。

「肌の状態を完治させるには、本格的に食事を変える必要がある。
体内の自然治癒力を高めて完治させるしかない。」

これが病気に関する僕の考えでした。

食事を変え、生活習慣を変えたおかげで
社会復帰できるまで改善させることができました。
ステロイドを使用する必要がなくなりました。
日常生活を送る上で、ほとんど支障がなくなりました、

僕は、全体の70%くらいは治ったと感じています。

しかしながら・・・
残りの30%は、食事や生活習慣だけではどうにもならないのです。

「もしかして、心の状態が関係しているのではないだろうか?」

うすうすは感じていました。
木の花ファミリーでの滞在生活を通して、
この事実に間違いはない、と確信することができました。

こんなことを聞きました。

「病気は心に起因している。心が変われば、病気は消える。」
「本当の自分を知れば、病気はなくなる。」
「心で想っていることが、現実社会に現象として現れている。」
肌の状態を完治させるためにも、心を見つめ、健全な状態にしたいと本気で思っています。
しかし、漠然としすぎているため、どうすればよいのか皆目わかりません。

森羅万象に感謝するように心がけています。
不平不満、愚痴や悪口、泣き言などを口にしないように心がけています。
綺麗な言葉を口にするように心がけています。
何事も前向きに考えるようにしています。
他者と接する際、笑顔を心がけています。

でも、これだけでは足りないみたいなのです。

病気のおかげで気づけたこともあります。
そのおかげで出会えた人も、たくさんいます。
決して良くないことばかりではありませんでした。

「心を見つめ、本当の自分を知りたい。今、与えられている試練を終わらせたい」
現在の僕の正直な思いです。

困難に遭遇したとき、どのような心持ちでいればいいのでしょうか?

健全な心のあり方、持ち方、考え方など
どうすれば獲得できるのでしょうか?

「楽に生きる」とは
どのような生き方なのでしょうか?

僕は今まで、どんな状況も自分一人で解決してきました。
誰にも相談することなく、抱え込んでいました。

心の問題に関しては、僕の独力では解決できそうにありません。

僕に、心とは何かを教えてください。
僕には重すぎる問題です。力を貸してください。
よろしくお願いします。

ありがとうございました。
 
 

■    ■  いさどんのコメント  ■    ■
 
昔、えいこばあに初めて会った頃、えいこばあは「お金ないない病」にかかってました。お金があるのに、ない、ないと言っていて、いつも眉間にシワを寄せて暗い顔をしてました。家に行って玄関を開けると、突き当りの部屋からえいこばあが内職のミシンをする音が聞こえてくるんだけど、その「ダダダダッ」という音が「カネカネカネカネッ」て聞こえたくらいです(笑)。

えいこばあは在日韓国人で、戦後の日本で大変な差別を受けながら育ってきました。それで「私ほど不幸な人はいない」と言ってました。でもね、僕はその話を聞いて思ったんです。
「あなた、五体満足じゃない。子どももきちんと育って、成績も優秀で、いったい何に文句があるの。世の中には戦争に巻き込まれたり、もっと大変な目にあってる人がいっぱいいるんだよ」って。

人は、自分の考えというのを確立するものです。ただ、その考えの方向がどの方向を向いているかで、どんどん良くなる人もいれば、どんどん卑屈になっていく人もいます。エネルギーの向かう方向によって、まったく違ってくるんです。

ともくんという人の魂の形を見てみると、もともとはとても頑固で自分流にやりたがる傾向が強く、人の話に耳を傾けない人です。
それがなぜ、今これだけ謙虚になっているのかというと、そうならざるを得ないだけのものをもらってきたからです。もしもこのアトピーがなくて健康だったら、今ごろ人の話は聞いていないでしょう。

自分を不幸だと思えば、そこには不幸な解釈が生まれます。けれども、これを通して自分は聞く耳を与えられたんだ、と思えば、それは感謝になりませんか。そしてそれを通して人が生きることの意味を知るという、チャンスでもあるのです。

ここにケア滞在(自然療法プログラム)をしにたくさんの人が来ますが、うつ病や引きこもりになりたての人というのは、なかなか良くなりません。なぜなら、まだまだ自分の力で治せるとか、医療の力で治せると思っているからです。
ところが、10年も20年も病気をやってきていい加減打つ手がなくなって来た人は、改善が早い。それは、「自分でできる」という心がなくなり、他者の言葉に耳を傾けるからです。他者の視点を通して自分を客観的に観る力を身に付けた時に、病気を生み出していた自身の本当の姿を知り、治していくことができるのです。

もうひとつ。
ともくんのシェアには、「教えてください、それによって治りたい」という気持ちが表れています。それは、「治りたい」という想いの方が先にあるということです。
そこで大事なことは、これをもらったことによって自分は何を与えられたのか、ということです。実は、すでにいっぱい与えられているんですよ。

例えば、目が見えなくなるのと耳が聞こえなくなるのとアトピーになるのと、どれを取るかというような話なんです。
もしかすると、目が見えなくなったら「アトピーの方がよかった」と思うかもしれません。でも、目が見えない人というのは、目が見える人とは違うものが観えたりします。耳が聞こえない人は、聞こえる人と違うものが聴こえたりする。そういうことだと思うんです。
その病気も実は与えられているものであり、そこから学べることがたくさんある。

だけど、それを学んだからと言って、そのアトピーが改善される保証があるかと言ったら、ありません。今の症状は心から来ていますが、じゃあ心を治したらその症状が消えるんだ、と言ったら、医者の治療と一緒です。
「いただいたものに感謝する」という心があったら、そのアトピーはありがたいものになります。そういう心で進んでいったら、結果として、症状は良くなるかもしれません。でも、たとえ症状が良くならなくてもそれはありがたいものだから、そのまま付き合い続けてもありがたいのです。

ともくんのシェアの文章は、力強い。その力強さと、「僕がこうなれたのはアトピーがあったおかげです、アトピーさんありがとう」という心があったら、あなたは他の人を救えるようになると思いますよ。人はこういう心で生きていけるんですよ、ということを、示していくことができるのです。

ガンになって余命1か月半と言われた人が、ガンと楽しく付き合おうということを全国で講演してまわっていたら、ある時、「とうとうガンが消えてしまいました」と書かれた年賀状が届きました。そうなるには何年もかかったんですけどね。

今与えられているものが不幸なもので、だから心を治してこれを改善したい、その方法を教えてください、と言われたら、僕はこう答えます。
 
「ここは、アトピーの症状を治す方法は伝えられないかもしれませんが、
 アトピーをもらって『ありがたいな』と思える心は伝えてあげられます。」

 
それだけです。
 
 
 


さっちゃんの、私がガンになった理由・その2 〜 いさどん、いさどん、ありがとう

2年前に乳ガンになって以来、「心が変わればガンは治るのか」人体実験中のさっちゃんからのレポートです。

140927-143627

■     ■     ■

木の花塾「1ヶ月間の真学校」が始まった。

ひまわりの洗濯物が、受講生の14人分増えた。たったそれだけの事なのに、私の頭は混乱した。
その為のカゴや札を用意したり、間違えないようにいろいろと用意していたのに、いざ洗濯物を干し始めると訳がわからなくなる。
ちょっと自分がいなくなった間に他の所に違う洗濯物が干されていたり、考えているうちに5台の洗濯機が順々に止まって次の洗濯を始める。洗濯済みのカゴが5つ、6つと増えていく。早く干さなくちゃと思うほど、手が動かなくなり、頭を抱えてしまう。
それでも何とかみんなの協力でミーティング終了までには干し終わった。洗濯し始めてから終了までに約7時間。

そんな状態が2日続き、私はまた寝込んでしまった。

何度か起きようとして、シャツを着替えてまた寝て、ズボンをはいてまた寝ていたら頭まで痛くなり、昨日一緒に昼寝した6歳のなりがインフルエンザA型だったのを思い出し、インフルだったら大変だ、同室の陽子ちゃんにうつったら大変だ、このままじゃ気持ちがインフル菌に負けてしまう、気が病んでしまう、でもみんなと話せば何とかなる、とやっと起き上がり、ひまわりに向かった。
ホールでラブちゃんに洗濯物に心が捉われていたヨと笑い、熱を計ると35.4℃で、また笑った。これじゃあ、インフルにもなれないね。

私は超冷え症で、いさどんに「北極に行くのか?」と言われる程、室内なのにマフラー、帽子、マスクと厚いダウンジャケットを着こんでいる。寝起きに手足のしびれもあったので、最近食養生をやめたまゆちゃんに、「食養生をやった方がいいのかな?」と訊いた。
彼女は昔、過敏性腸症候群で苦しんで、当時は水を飲むだけでお腹に激痛が走ったそうだ。それからマクロビを学び、師範の免許を取り、砂糖と卵なしの生活を9年間続けた。
けれど最近、食に対するこだわりと恐怖があるのに気付き、食養生をやめた。
彼女は心が血液の流れにも関係があるらしいと言った。
そう言えば、以前『ためしてガッテン』で、ストレスのために一瞬にして血液の流れが悪くなる実験を観たことを思い出した。
私は失敗した時、何かを指摘された時、腹が立った時に、サーッと血が汚れる感じがする。焦った時にキューッと体がしまる感じもする。最近そういう感覚になる事が多かった。
それで私は冷えているんだと気付いた。心がやわらかくなればきっと体もあたたかくなる。

次の日の朝、湧泉閣のトイレ掃除をしていたら、いさどんに会った。
「どうした?調子が悪いのか?」と聞かれ、「胸が痛い」と言った。
そして昨日の気付きを話したら、いさどんは

「ガンとは血液の病気だからな。笑って感謝して泣いとるのが一番いい」
と言った。

胸にぽっと灯りがともった。
そして、昨日のミーティングみたいだと思った。

大人ミーティングより
大人ミーティングより

真学校の受講生が連日ミーティングで自己紹介をしている。
昨日はわたるくんが、「暗い話をします」と話し始めた。母親との確執、死のうと思った過去を話して、みんなで笑った。みんな同じようなところを通ってきた。

真学校が始まってから、泣いて笑って感謝のミーティングが続いている。

その後いさどんは、階段を下りて、真学校の教室に向かった。いさどんが、「おはよう」と言うと、受講生の歓声のような笑い声が聞こえてきた。
魂が喜んでいる。
このことを書きたいな、と思いながら湧泉閣の掃除していたら、気が付くと9時を過ぎていた。ヤバイ!いつも一緒にひまわりのお風呂の掃除をしているともちゃんが、一人でやっているんじゃないか?・・・とあわててひまわりに向かうと、交差点であやちゃんの車とすれ違う。あやちゃんは笑顔で手を振っていた。あやちゃんは泣いて笑って感謝の人だと思い、その時の私は眉間にしわを寄せてセカセカ歩いていた事に気付いて、笑った。

昼食の時、隣に座ったワケあり女さんに、いさどんとの話を話した。そして最後に、「それに気付いたのに胸にカイロ貼っている私なんだ」と笑ったら、「そこがさっちゃんの自分に厳しい所じゃないのかな?」とワケあり女さんが言った。

彼女も、自然療法プログラムを受けるためにここに来た最初のころは、自分の部屋から食堂まで歩く事ができなかった。
「いさどんとの面談でだんだん自分の心が原因になっていることに気付いて歩けるようになったのに、なぜまだ手足がしびれるのか?」といさどんに訊いたら、「それは余韻なんだよ」と教えてもらったそうだ。
余韻・・・。私の心に、またぽっと灯りがともった。

次の朝、また胸が痛くて寝坊した。
ゴミ集めしていたらいさどんがトイレにいた。
「どうだ?」と訊かれ、私は「昨日はパンチームが夜なべしてイベントのパンを作っていたのに、私は寝坊ばかりで情けない」と言った。
そしたらいさどんは、
「おれなんか今まで寝てたぞ。パンも全然作ってないし、ごはんも最近作らんしな~」
と言った。眼をまん丸にして立ち上がって、アンパンマンみたいに可愛かった。
私は泣き笑いした。
やっぱり私は自分で病気を作っているんだね。

いさどん、いさどん、ありがとう♡
  

さっちゃんの物語はまだまだ続きます!
さっちゃんの物語はまだまだ続きます!

  
 


さっちゃんの、乳ガンの3カ月定期検診に行って来ました

続・さっちゃんからのレポートです。

■     ■     ■

今日はガンセンターの定期検診の日。
3カ月前、予約日を決めた後に、1月20日は確か何か大事な日だったような気がして、ひまわりに帰ってからあっちゃんに聞いたら、何の日でもないよ、大丈夫だよと言われ、ホッとした。
そして昨日になり、日和の誕生日だったじゃん!と気付いた。

日和は自宅出産で産まれた子。そして出産の立会いメンバーに、何故か私も含まれていた。
16年前、その頃の私は出産経験は2回あったものの、赤ちゃんを産む時はたらいにお湯がいるんじゃないか、テレビでそんな場面を観たナ・・・という知識ぐらいしかなかった(今もたいして変わらないけど)。
日和はニュルッと出てきた。
大寒だというのにとても暖かい日だった。
今日もニュースで、大寒なのに暖かい日なので各地で雪解けに注意してくださいと言っていた。いつも冷たくて乾いたのかどうかわからない洗濯物があたたかくて、うれしかった。

そんな事を思いつつ、いつもの不器用さで、出かける1時間前になってから借りるつもりのIフォンが使用中なのに気付き、お昼御飯に集まっている人達に「誰かIフォン貸してください」とお願いし、みさちゃんが使う予定だったIフォンを貸してもらい、あわちゃんに食事中に使い方を聞き、ようやく出発したが、Iフォンのナビがしゃべってくれず、すぐに画面が消えてしまい、途中で路肩に止まって設定しなおしてもダメで、「高速代節約のため国道で行こう!」計画を中止し、いつも通り高速を使って早めに病院に着いた。
そしたら、予約時間のエコーの前に採血検査もあったので、あわてず、余裕を持ててちょうど良かった。ドキドキしたけど、これが流れというものかな。無理しなくていいんだね。
ちなみに帰ってからくにさんに設定ボタンを1こ押してもらったらIフォンはしゃべり始めたのでした。

採血室に入るとゴミ箱にきれいな薄手のゴム手袋がたくさん捨ててあった。うちで作業に使っているゴム手袋より立派なやつで、私の採血をした看護師さんのゴム手袋もはずされて、そこに入った。当たり前だけど針も1回1回捨てちゃうんだよナー。(使いまわしはもっと困るけど。)
いつも目にしていた光景だけど、うちではゴム手袋、穴が開いてボロボロになるまで使うナ・・・まりちゃんは、使い捨てのマスクの鼻の部分の針金を外して可愛い手作りマスクを作ろうとしてくれている。

エコー室に入り、ベッドに横になってから採血で使った絆創膏を技師さんに「捨ててください」とお願いしたら快く捨ててくれたけれど、技師さんはもう一度手を洗い直して、ペーパータオルで手をふいた。後で自分で捨てればよかったのにとても申し訳ない事をした、と思った。技師さんの手間はもちろんだけど、使わなくてもいいペーパータオルを使わせてしまった。この病院のためだけに年間何本の木が切られているんだろう・・・なんて思ったらキリがない。

検査はとても丁寧で、途中2度技師さんが画像の確認に席を外して、全部で1時間くらい、そこにお乳はないんじゃないかと思う所まで左右のお乳、お乳の間、わきの下、首と細部にわたり慎重に調べてくれた。そんな長い時間をかけてもきっとエコーの診療報酬は変わらないだろうに、有難い事だと思った。
検査が終わると分厚く折った高級そうな漂白していない茶色いペーパータオルを2束左右の胸に当ててくれ、その上ホットおしぼりまでいただき、胸に付いたゼリーをふかせていただいた。おしぼりのビニール袋とペーパータオルが分別のゴミ箱につまっていた。

高級な対応に、ありがと♡ありがと♡と心の中で唱えて診察室で久しぶりに先生に会った時も、ありがとうございますの気持ちだった。
「採血結果、腫瘍マーカーも異常なしでいいですね。腫瘍は横幅だとめちゃくちゃ大きいですが、厚さは1㎜大きくなったかどうか・・・なんでいいでしょう。」
「感じはどうですか?」と訊かれ、「やわらかくなった気がします」と言ったら、「そうでしょうね」「また変わりあったらモゴモゴモゴ」「受付、行ってね」と言われ、診察室を出ました。
3か月後の次回の予約をとるために座ったソファーのガラス越しの中庭がきれいに手入れしてあって『ご苦労様です』の気持ちになった。

先生に横で計るとめちゃくちゃ大きいと言われた私のガンさんですが、今も右胸の左側に鎮座されていまして、以前は硬くて当たると痛い思うくらい存在を主張されていた感じでしたが、今はチーズがとけたようなベタッとした感じで、あなたは私、私はあなた的に変化されております。
先生、めちゃくちゃ大きいなんて、使う言葉をまちがっちゃったんではなかろうか・・・

検診を終えて、患者さん1人が出すゴミの量は相当なものだと思った。
母は、週3回透析をしていたけれど、1回の透析に出るゴミの量は超すごかった。母よ、早く亡くなってくれてありがとね♡
と、思うと、病院に通う事もどうかな~と思うけど、ブログのネタなくなっちゃうしね・・・

待合室のテレビの画面の中では、魚をさばいていた。
木の花に来て、肉、魚を食べなくなっただけでも、この世の浄化にかなりの貢献をしているのではないか・・・と思った。私が暮らしていた清水は、しらすや桜エビがおいしくて、この1口でいくつの魂をたべているのかと思いながら、おいしくいただいていた。肉、魚なしでおいしい食事ができるなんて思えなかった。(今でも一人じゃできない。)

木の花では「石鹸を使わない生活」を目指しているが、この間お風呂で6歳のなおの頭を石鹸で洗おうとしたら(子どもは時々石鹸を使います)、「お魚さん、死んじゃってもいいの?」と目を大きく見開いて私に訴えたので、石鹸を使うのをやめた。いつも大人の言う事を聞かない問題児のなおが、立派なお方に思えた。

夕方に木の花へ帰って来て、日和はいなかったけれど、Iフォンで日和にハッピーバースディを歌った。
「おめでとう」とみんなで言ってから、まゆちゃんが日和に何か一言どうぞと言うと、日和は「ありがと」と言った。じゃあ二言と言うと「ありがと、ありがと」と茶化してから、「もっと人を大事にしていきたいです」と言った。恐るべしっ16歳!!
日和は勉強ができなくて、嫌いで、中卒で木の花に就職したが、毎日100人分近いおやつをケロッと作る。基本、うるさくてふざけているけれど、やる事はやる。やらない事はやらない。はっきりしていて気持ちいい。時々おやつも分けてくれる♡そして必ず「あげないヨ」と言ってから、くれる。

根暗な私は秘かに日和を目指したいと思っている。日和は日蓮大聖人様の生まれ変わりと言われたが、神様もおもしろい日蓮大聖人を連れて来たものだ。
日和は言う。「日和の前に生きていた人に感謝してるよ。そのお蔭で楽に生きられる。誰かが自転車で転んだという話を聞くと、自分はそれを学んで転ばない事ができる。」
人のふり見て自分も転び、忘れた頃にまた転ぶ私にとっては羨ましい限りだけど、そんな自分でも、「ま、面白いからいっか!」と日和を見ていると思える。
日和は「いつ死んでも悔いないヨ」と言う。

ちなみに、先日出産したやすこちゃんの赤ちゃんは、日和と同じ誕生日。どんな魂なんだろう。
30時間のお産のあと、やすこちゃんは「楽しかった」とコメントした。お産のたびにもう子どもはいらないと思った私にとっては、「ありえへん」。

なんと素晴らしい魂達がゴロゴロ転がっているんだろう。そういう魂が次々に生まれてくる。輝かしい未来が待っている気がします。戦争で大型ゴミ出して、人殺ししている場合じゃないヨ。

自然療法プログラム、もとい、天然療法プログラムが、世界に広がって、病院のいらない世界になることを願いつつ、次回は4月21日に受診予約をしてきました。ありがとうございます。
 
―追伸―
昨日ラブちゃんがビワ灸したら?とおっしゃるので、「そうだね」と実は私としては、めんどくさいとウッとしながら答えました。
なので、ガンは心だから・・・といっていた私でしたが、ビワの葉を患部に当てて、その上からアイロンを当てる温熱療法をさせていただこうと思っております。
ちなみにラブちゃんはこのブログの下書きを暖炉の前で読みながら、この紙(下書き)燃しちゃったら、さっちゃん泣くかな・・・?とうれしそうに笑っておりました。
そんな事しなくても私はすぐ泣くよ。
それでも笑っていられる私になったら、世界が変わるかな?
  

今は家事や子育てを担当しているさっちゃん。1歳のいさなと一緒に。
今は家事や子育てを担当しているさっちゃん。1歳のいさなと一緒に。

  
 


さっちゃんの、私がガンになった理由

一昨年の10月に乳ガンであることがわかって以来、「心でガンは治るのか」人体実験中のさっちゃんからのレポートです!

■     ■     ■

私が乳ガンになってからしばらくしてからのことだったと思う。
その頃同室だった民ちゃんが、自分も以前乳ガンだったという話をしてくれた。(民ちゃんのガンは小さく、治療で完治した。)そして自分の夫に対する卑屈な想いがガンを作ったとわかってから、もう私はガンにならないだろうと確信したと言った。いつか私も自分がガンになった理由がわかるといいナ・・・と思っていた。

最近の私の悩みは、(だいたい、全ての出来事を学びとして“いただく”心を大事にしている木の花で、悩みがあること自体、自分の我が強いということなのだが・・・)胸が痛くなったり、息が上がって足がふらついて思うように体が動かない、起きていることが辛いということでした。そんな時は休んだらと言われ、休むけれど、そんな自分を情けなく思い、孤独になってまたみんなの所に戻ると、好きにしたらと言われる。ガンセンターの先生は、胸が苦しくなったり、体力がなくなるのは、ガンの末期ならありえるが、今の私の状態ではそうならないと言った。だから、「こんなはずではない」という想いが湧いてくる。

今月末に開催される木の花祭りの練習で踊っている時や、大人ミーティングで宇宙意識になった時、何かに夢中になった時に胸の痛みがうそみたいになくなる時がある。この間、ミーティング前の木の花祭りの練習中に洗濯物を干すのをできるだけ終わらせようと頑張っていたら、胸が苦しくなり、体が思うように動かなくなった。またか~と思いながらもボチボチ干していると、みさちゃんが「踊ってきたら?」と言ってくれた。頑固な私だから、素直になろうと言われた通りに参加した。練習が終わって息を切らせながら、みさちゃんに「踊っていたら、気分がスッキリして胸が痛くなくなったヨ。天とつながるんだね♡」と言ったら、「洗濯してても何をしてても、天とつながることはできるんだヨ♡」と言われた。そうなんだねと言いながらも、胸が痛かった。

日々のミーティングでは、「ここは自分を捨てて他者のためにはたらく者達の場所」と話し合う。よく「自分の事ばかり考えてるね」と言われる私としては胸が痛い。そんな汚れた自分だから、ただ一生懸命はたらこうとやってきた。
それが、体が動かない。面倒くさいという心が湧く。
「これじゃあいかん!」と苦しみながらやっていると、ラブちゃんに、「さっちゃんのありえへん事は働かない事じゃない?」と言われる。(注:「ありえへん事」とは、自分の枠を超えるために日頃の自分にとってあり得ないことをやってみよう、という意味。)
素直に言うことを聞こうと休むけれど、それじゃあ私はここにいらないんじゃあないかと思えてきて辛くなる。
「さっちゃんは頑固だね。人の言う事を悪くとる。性格悪いねー」と言われ、へこむ。ラブちゃんはそんな事を言いながらも、お前もそうだという声が聞こえてくる、と笑った。さっちゃんにはさっちゃんの役割があるんだヨとも言ってくれた。

今朝起きた時、「そうか、私はガンだったんだ!」と気付いた。道理でみんな無理しないで休んだら?と言うはずだ。それを他の人はどうだから・・・と言って受け入れようとしない。まさしく私は頑固だった。
同じ事をあきらめずに伝え続けてくれて、ラブちゃん、みんな、ごめんね。そしてありがとう。

でも私のガンは、今、増殖が抑えられている。通常では、ありえへん状態。体の中で何かが起きている。悪い細胞と(悪い細胞と書いてガンさん、スミマセン(^^ゞ)良い細胞が体の中で戦っているのか?そちらに力が使われていると思えば、休む事も大事だね。
昨日から私はインフルエンザ疑惑で寝込んでいる。確かにインフルエンザのあすか(4歳)と一緒に休んだ時に、菌をもらったのかもしれない。微熱も吐き気も頭痛もあった。だけど私はインフルエンザにならないと思う。病気は気が病むと書く。今の私は気が病んでいない。ある人は「魔」というのはあちこちにあって、それを自分が取るか取らないかだけだと言った。そしていい「気」を自分が選べば良い。

昨日から絶食して(気持ち悪くて食べられなかっただけだけど)休養して体内のエネルギーがインフルエンザ退治に全力を尽くせるように環境を整えている。ガンも一緒だと思った。
食べ過ぎちゃ、いかん!!

本当に自分がガンになった理由が理解できた時、私の右胸のガンさんは、きっと役目を終えて潜象界(目に見える現象世界の奥にある、全ての源となる世界)にお帰りになられるだろう。

「ここは誰もが安心して暮らせる菩薩の里である。」

追伸:明日はガンセンターの3カ月検診の日です。
結果は神のみぞ知る、だね。(笑)
  

どんど焼きの日、みんなと手をつないで踊るさっちゃん
どんど焼きの日、みんなと手をつないで踊るさっちゃん。さて、検診の結果やいかに!

 


さっちゃんの、『乳がん』小さくなっていませんでた。。。ゴメンナサイ

昨年10月に乳ガンであることがわかって以来たびたびブログにて報告をしてきたさっちゃんより、遅ればせながら先日のガン検診のレポートをお届けします!

さっちゃんの人体実験はまだまだ続く!
落花生収穫中のさっちゃん

■    ■    ■
   
ガンセンタ―の3ヶ月健診の日。
台風の影響で朝から強い雨が降っていて1度はキャンセルした予約でしたが、昼近くになり空が晴れてきたので、みんなに相談し受診することにしました。

途中、東名が通行止めだったので、アイフォンでナビしてもらいながら、慎重に車を運転していきました。
右の乳房の右半分のふくらみ(腫瘍)がなくなっていると確信していたので、今回は余裕の心持ちで、エコーの時も「フフン」「どうだ」「エッヘン」という感じでニコニコと笑顔を振りまき、本人は空気良いつもりで、今思うと、ガンの病人だらけの場所で、かなり空気の読めない私でした。

待ち時間も少なく、スムーズに診察室に入り、嬉々として先生に最近の様子を伝えました。そして、先生も当然驚いて、私の腫瘍の変化を喜んでくれるだろう♡と思っていたら、

先生「横ばいだね」
私 「えっ?・・・」
先生「横ばい。」
私 「・・・・」

「でも、確かにここの部分がなくなったんです。」と私が言うと先生は、「リンパの下にあってわかりにくい場合もある」「触診はあてにならない」「でも手術は希望していないだろうから次回は3か月後。目をつぶって様子を見る」と言って診察は終わりました。
(㊟先生は無愛想なだけで怒っているわけではありません。)

半年前は「時々自分でさわってみて、自分の感覚を信じて・・・」なんて言っていたのにナ・・・。でも、3ヶ月前より大きくなっていないなんて初めてのこと。すごいことだよね。若い人のガンは大きくなるのが早いというし・・・(と、47歳の私は若いつもりでいるのでした)と、自分を納得させながら、帰路についたのでした。

帰り道。もちろん東名は開通しているだろうと思って、東名入口に向かって車を走らせていると『通行止め』の案内が・・・。アイフォンでナビしてもらおうとしたら、充電が残り18%。ヤバイ。何とかわかるところまで充電もってください、と願いながら山道を走って、やっとい人気のある道に出てきたら、アイフォンの声がしなくなった。

通りがかりのおじさんに、「富士宮まで行きたいんですけど・・・」と聞くと、「この道で行きゃあすぐなんだけどなあ。でも曲がる所がわかりにくいからなあ・・・」「わかりやすい道でお願いします」と教わって、途中で右に曲がるんだったか、左に曲がるんだったか忘れてしまい、交通整理の人に聞く。今度は忘れないようにメモして走る。テンジン屋の向かいにファミマがあるから、そこを右・・・テンジン屋はあるけど、ファミマがないぞ・・・。
ラーメン屋の駐車場に入り、店員さんに道を教わる。テンジン屋は、もう一つ先のだった。大きい道に出て安心したが、かなりの渋滞。カタカムナを唱えながら、やっぱ私の心の癖はなかなか治らないし、まだまだ人の顔色を見て、当たり障りのないように毎日を過ごしているナ・・・と思うと、ガンの大きさも変わらないのも当たり前だナ・・・。そしていつもの私のパターンとして、自信満々で行動すると転ぶんだよナ・・・。これって、調子に乗って道を踏み外さないようにという神様のメッセージなんだな、と思うと、今ガンが大きくなっていないのは、私の努力というより、(もちろん私の多少の努力もあるだろうが)みんなのおかげだな、と思えてくる。

日も暮れてきて、夕飯時、あーあ、病院の待ち時間にアイフォンいじっていなければ、今頃はひまわりでおいしいご飯を食べているはずなのに・・・と思いながら車を走らせていると、ファミレスの前で親子連れや若い人達が入店を待っていて、以前なら、「食べたいナ」とか「なつかしいナ」とかの思いが出てきて、淋しくて悲しい気持ちになっていたのに、今夜はお腹が空いているはずなのにそんな気持ちは湧かず(満たされているんだね)早くみんなに会いたい気持でついついスピードをあげてしまうので、「あわてない、あわてない」と自分に言い聞かせながら帰ってきました。

ひまわりに着くと、「どうだった?」「大きさ変わらないって」「良かったね」と、何度か同じ言葉を交わした。みんなに小さくなったって言いまくっていたのに、誰も「小さくなってなかったじゃん」という人はいなかった。ここはいいところだな、と思った。
そう言えば、半年ぐらい前だったか亡くなった母が夢に出てきて、その夢の中で、お風呂につかりながら「ここはいいところだよ」って言っていたのを思い出した。そうだね。

眠い目をこすりながらこの原稿を書いていたらヤスエさんが「もう寝なさい」と声を掛けてくれたので寝る。
 
今日、あっちゃんに、私が木の花に戻ってきた時のことを話した。(私は17年前に木の花に入り、3年過ごした後出ていって、今から2年前に戻ってきました。㊟現在の木の花メンバーの中で出戻りは4人。その中でこまねちは3日で帰ってきました。)
15年前にここに来た時、私には「人の為に・・・」という気持ちは全くなかったが、ここで学ぶために生まれてきたという確信はあった。私は今までの一見自由な生活に未練を残しながら、ずっと「寒い、眠い、おなかがすいた」という3重苦の中にいたんだとあっちゃんに話すと、「さっちゃん、夢がかなったね。」とあっちゃん。ん・・・?
よく考えてみると、今の私は食養生(玄米生食)をやめ、食から自由になり、疲れていると周りが気遣ってくれる。(なかなか自分で気づかず、がんばっちゃうこともあるけど。)寒ければ暖まればいい。「寒い、眠い、おなかがすいた」は全部、思うことを正直に言えない自分が作りあげていた世界だった。
心が自由になり軽くなる。いさどんも、そうすることで1つ1つの花が咲くって言ってた・・・・と思う。(笑)

私のブログを読んだ友達に、「車の後ろのドアをあけて走るなんてたいしたことないじゃないのに、いろいろ考えるのは細かすぎじゃない?」と言われた。小さな出来事から自分の癖を発見することが大事って言ったら、「よくわからない」って。ここに来るといいヨと言ったら、来始めた。
ホント、細かくてストイック。そりゃあ外の人達に「あやしい」と言われても仕方ない・・・・っていうか、あやしい。(笑)
 
真理を求めて・・・
どこに行くんだかわからないけれど、そんな仲間達と一緒に学んで、泣いて、笑って・・・

 
次回、3か月後の検査結果はどう出るか?!
大きくなっても小さくなっても楽しみに♡ 心の旅は続きます。

ただ今、『本当に心でガンは治るのか?』人体実験中のさちよでした。
  

さっちゃんの人体実験はまだまだ続く!
さっちゃんの人体実験はまだまだ続く!