木の花ファミリー通信2019年春分号 〜 目からウロコの自然療法プログラム

木の花ファミリー通信2019年春分号は、現代医療で回復が見込めなかった数々の精神疾患が短期間の滞在で回復する、自然療法プログラムについてご紹介します!


 

目からウロコの

自然療法プログラム

近代の文明は、自然との共生を忘れて発展してきました。
人々は自らの願望を叶える方向へと突き進み、欲が満たされることで快感を感じ、その快感が豊かさの証だと思ってきました。今、その矛盾があらゆる場所で問題となって吹き出し始めています。

これまで、地球上には様々な時代が刻まれてきました。そしてその時代の変遷は、太陽系の星々の動きと見事に連動しています。多くの人々は未だそのことに気付いていませんが、惑星たちの刻むサイクルによって地上に時代の節目がもたらされており、例えば今、AI(人工知能)が世界を席巻し、社会全体の動きや私たち一人ひとりの行動さえもAIによってコントロールされようとし始めていることも、今という時代を象徴しており、そこには天体の意思が表されているのです。

そのような時代の流れの中で、家庭の中にも様々な矛盾が問題となって現れています。
児童虐待やDV、孤立死から介護殺人までもが起きている今、本来希望を持って社会を築いていくはずの若い世代が希望を見失い、最も生産性のある20代から50代の人々が心の病を抱えています。今や日本は約400万人が精神疾患によって医療機関にかかり、心の不調を抱える予備軍はその10倍とも言われています。国民のおよそ3人に1人が、心を病んでいるのです。しかし現代の精神医療は、薬を用いて症状を抑えるといった対症療法が中心となっており、カウンセリングであっても人を根本的に健全にするだけの力はありません。それどころか、長く病気でいればいるほど医療費が発生して病院の利益となるため、実際のところ患者の根本的な治癒を望まない傾向さえ精神医療の現場にはあるのです。そしてその医療費がGDPに含まれ、豊かさの指標となっている現実があります。

「気が病む」と書いて病気と言うように、すべての病は心から発生しています。私たちの肉体が誰一人として同じではないように、私たち人間一人ひとりの心は、外見以上に個性的です。病気の症状としては同じように見えても、そこに至るまでの過程はそれぞれに異なり、「うつ病に対してはこうすればよい」というように一律のマニュアルで対応できるものではありません。その人がどのような環境で生まれ、どのような性質を持ち、どのように人生を歩んできたのか。更にはどのような魂の変遷を辿り、今、どのような社会環境のもとにあるのか。一人ひとりのオリジナルな人生に寄り添いながら、共に歩み、病に至った根源を読み解き、真の健康への道筋を見出していく ──── それがNPO法人ぐりーんぐらすが提供する自然療法プログラムです。

そこでは、現代医療で改善が見込めなかった人々が健康を取り戻す数々の奇跡が起きています。それは病気という問題ごとを逆転し、生きることの意味を悟っていく道を歩んでいくのです。そしてただ個人が健康を取り戻すだけでなく、その個人を生み出した社会に健全をもたらし、豊かにしていく道です。今世界は、視点の大転換が必要な時に来ています。太陽系の星々の刻むサイクルがそのことを私たちに教えてくれており、それは私たち人間の個々の思惑を超えた大いなる宇宙の意思の顕れです。同時に、地上を生きる私たちの心の変化が、宇宙に進化をもたらしていくのです。

この取り組みによって、多くの人が希望を持って未来を生きられますように ────

 


 

富士山麓の緑豊かな自然に囲まれた環境で

あなたも心身の健康を取り戻しませんか?

 
心と向き合い 心を改善するためのプログラム

NPO法人ぐりーんぐらすは、木の花ファミリーと連携し、心と向き合い、心を改善するためのプログラムを提供しています。それが「自然療法プログラム(通称:ケア滞在)」。木の花ファミリーに滞在しながら、心身の健康を取り戻していくプログラムです。

2014年度の厚生労働省のデータによると、日本には112万人のうつ病患者と77万人の統合失調症患者を含めた392万もの人が精神疾患により医療機関にかかっています。そして、現代医療の現場においては、精神疾患の慢性化・長期化や、投薬だけに頼らざるをえない医療の現状が社会的な問題になっているのです。

このような社会問題を受け、NPO法人ぐりーんぐらすでは、心の病気(うつ病、統合失調症)、依存症(薬物、アルコール、ニコチン)、引きこもりや不登校、生活習慣病といった問題を抱えた方の滞在を受け入れ、こうした症状を短期間で大きく改善し、社会復帰を遂げたケースを数多く経験しており、現代医療の現場からも注目されつつあります。

 

自然療法プログラムの3つの柱

1.生命力豊かで健全な食生活=体の免疫力をつける

薬食同源 木の花ファミリーでは、ほぼすべての食材を、自然に即した天然循環法(自然にもたらされる生命力の源の原理)で作っています。生命力あふれる食材は、まさに薬となって心身に働きます。玄米菜食を中心に西式甲田療法(断食・半断食療法・生食)など酵素食による食養健康法も取り入れています。こういった食生活は、アトピー等の病的体質の改善のみならず、情緒の安定をも促し、心の病にもたいへん有効性が高く、大きな改善の効果をもたらすものと考えています。

 
2.自然に沿った規則正しい生活リズム=月と太陽と地球のリズムで生きる

自然に即したリズムで生活することにより、体は自然の気を取り入れて「元の気」を取り戻し、体の奥にある自然治癒力が呼び覚まされて「元気」になっていきます。

農業を中心としたファミリーの生活の中で、昼間の明るい時間に活動し、決まった時間に食事をとり、一日の終わりにその日にあった出来事を振り返る規則正しい生活リズム(月と太陽と地球のリズム)を刻むことで、誰でも無理なく心身のリズムを整えることができます。

 
3.病の原因となる心を見つめる=心の免疫力をつける

ケアを受ける人が、病気の原因となった自らの心と向き合い、心の在り方を探るサポートをし、生活意識を改める環境を提供します。私たちは治療をするわけではありません。

大切なことは、その人自身が問題事から目をそらさずに向き合っていく「心の免疫力」を身につけることです。日々そのような取り組みをするファミリーの生活に触れた人たちは、元の職場や家庭に戻って何か問題事に遭遇しても、心をきちんと保ち、健康な日々につなげていくことができるようになります。

 

上記の3つの柱が、調和の精神性によって生まれる場の力によって支えられています。

優れた「精神性」は「場の力」を創り

美しい響きを広げていく

 

プログラムの内容

サポーター制
ファミリーメンバーからサポーターがつき、基本的には同室で寝起きしながらサポートしていきますので、常にメンバーからのサポートを受けることができます。安心の24時間サポートシステムが整っています。

面談(カウンセリング)
滞在前、プログラムスタート時、その後基本的には1週間毎に面談を行い、プログラムの進行を決定していきます。

メインサポーター・ジイジ

日記
滞在に慣れて日記を書くことが可能な状態になってから、日記を書いていただきます。メイン・サポーターが毎回コメントをつけていきます。

社会復帰トレーニング
職業訓練の一環として、ファミリー内の色々な作業現場での作業体験ができます。

生活
滞在中の日常生活については、メイン・サポーターがケアの状況に応じた助言を行います。多くの場合、最初の一週間は特に課題を設定せずに、自由に過ごします。その後、日中は農作業や家事等その都度できることをして過ごします。その他、日記を書いたり面談を振り返りながら過ごすことで、少しずつ自分自身を客観的に観る眼を養っていきます。

大人ミーティング
ファミリーでは、毎晩大人全員が集まる「大人ミーティング」を開催しています。ミーティングではコミュニティとしての運営事項を討議すると同時に、互いの内面を率直にシェアしあうことで調和的な場づくりを行うことを重視しており、ケア滞在者もその場に参加することができます。そういった場所に慣れてきたら、自分の考えを整理して正直に伝え、周囲からのコメントを受け入れる訓練を積んでいくこともできます。そこでは、バランスの取れたコミュニケーションや自己分析のスキルを向上させることができます。

家族との連携
ケア滞在中に家族と連絡を取ったり、可能な方には面談に同席していただく場合もあります。当事者のみのケアだけでなく、家族間の関係も含め改善を図っていくことで、より効果的にプログラムを進めることができます。

卒業
基本的には滞在中に100%の改善を目指すのではなく、70%くらいの改善(メインサポーターの判断)を持って終了とし、元の生活の現場で実践を通してさらなる改善を図っていきます。滞在の終了は「卒業」と呼ばれ、新たな人生への旅立ちを祝う「卒業コンサート(卒業式)」が行われます。

卒業後の進路
卒業後は、元の学校や職場に戻って社会復帰する方もいれば、木の花ファミリーに引き続き滞在する方もいらっしゃいます。その場合、長期滞在者としてさらに心身の安定を図っていくケースや、ヘルパー滞在をしながら将来の展望を模索していくケース、また今後の社会復帰トレーニングを兼ねて外勤しながら滞在費のための収入を確保し、ファミリーでの生活の中で学びを深めていくケースなどがあります。

アフターケア
卒業後は面談やメールでの相談に応じます。また、その後も滞在を続けたり、定期的にファミリーを訪問することで、学びをさらに深めていく方も数多くいます。一定期間、ファミリーと家族同然の暮らしを送ることでメンバーとの強い絆が結ばれ、再び訪問するときには皆から「お帰りなさい」と笑顔で迎えられます。「第二の実家ができたよう」「いつでも相談できる場所ができて心強い」といった感想が寄せられています。

費用
滞在にかかる実費(1日税込3,240円:宿泊費、食費、施設使用料、洗濯代等を含む)が必要です。その他、病院代等の特別な出費は自己負担となります。面談やサポーターなど、ケアに関連する活動はボランティアで提供しており、一切無償です。滞在期間の目安は1ヶ月~3ヶ月です。

 

一人の健全な心と体が健全な社会を創っていく

→ 医療のいらない世界の実現へ

 


 

「パティの自然療法プログラム体験記」

 ~人生を方向転換させるのに遅すぎることはない!~

今年1月から2月にかけて自然療法プログラムを受け、大きく変化したアメリカ人のパティ(仮名)の体験をご紹介します。

「私は70歳のアメリカ人です。私が子どもの頃、私の母は不幸せな結婚生活のためにうつになり、私が将来夫に頼らなくてすむように私の知性を使い、良い経歴を持つことを勧めました。私は一生懸命頑張って大学教授となりましたが、人生を通して私はずっと不幸せでした。私の人生における苦しみの主な原因は30年間の結婚に関するうつ病と不安神経症でした。私の健康上の問題もあり、15年前に私は退職し、私の精神的・物理的状況を改善するための長い探求が始まりました。その延長に今、私は木の花ファミリーに出会ったのです。」

パティが藁をも掴む想いで木の花ファミリーを訪れたのは2019年1月のこと。面談の際、“主治医”であるジイジから「あなたにとって必要なことは治療ではなく、世界観を広げることですね」と伝えられ、自然療法プログラムの取り組みが始まったのでした。

まず、「自分を正確に知るために日記を書く」という課題を与えられたパティは、持ち前の優秀さを活かして毎日熱心に取り組み、ジイジからも「あなたの自己分析は完璧です」と評価されていました。しかし同時に、ジイジには、「いくら自分を改善しようとする想いがあっても、それが自らの心の癖や欲から出ていると、そこに囚われてしまい、その想いに縛られていること自体に気付けない。それどころか、それを表現することが自由だと勘違いするカラクリに陥ってしまう。これは優秀な人が意外と陥る落とし穴だ」という想いがありました。そのような中、パティの滞在が2週間を過ぎたところで、ジイジはある画期的な提案をしたのでした!

それは、パティの中にある二人のパティを仕分け、パティの癖や感情のままにこれまで生きてきた「パティA」と、その自分を客観的にいましめる「パティB」とジイジの3人が話し合う時間を毎晩持つという提案でした。ジイジ曰く、「パティBはあなた自身を十分に健全にする知恵を持っています。しかし、今まで生きてきたあなたはその提案に対し、抵抗するあなたでもあるのです。ですから、どちらのあなたを優先させていくかがこのプロジェクトで最も重要なところです。あなたは思考回路を逆転させることによって、自分自身を救済するどころか、他者の救済にも役立つ能力を持っているのですよ。」

それから、朝起きるとネガティブな思考が湧いてくるパティに対し、ジイジは「パティAに出会った時こそ、改善のチャンスなのです。朝起きた時にネガティブだったらチャンスです!」とパティを励ましながら、夫からのメールに最初は感情的に反応しながらもすぐに冷静さを取り戻したパティに対しては、「今日の夫からのメールは良いテストでしたね!人生を生きるということは、自分の精神状態を知るためのテストを常に受けているようなものです。そこではすべてを情報として受け取ることが大切ですね」と伝えました。このような取り組みを通して、パティは自らを縛り客観的視点がなかった状態から抜け出し始め、自分自身の実態が観えてきたのです。そして、少しずつ世界観を広げていった結果、見事6週間で自然療法プログラムの卒業に至ったのでした。

「今、私の人生を振り返ってみると、私の人生における苦しみの原因は、私の子ども時代のトラウマとなっている出来事なのではなく、そうしたことを自らの心の成長へのチャンスというよりも、『不幸の元凶』とみなす私の選択が原因だったのだと気付かされました。事実、私の人生を方向転換するのに遅すぎることはなく、今まで私の苦しみに使われてきたエネルギーはその解釈の方向が変われば、良きことのためにたいへんパワフルなものになるとジイジは私に自信を与えてくれました。これは私にとっては計り知れないほどの励ましでした。

そして、ここでの滞在における私自身の変化は、単に知性で受け取ったから起きたというよりも、私が体験したことによるものです。それは、木の花ファミリーの皆さんを観察し、交流し、もしくは皆さんの中にただ漂っていた結果、得られたものです。皆さんはオープンで、喜んで人を助けようとし、すべてを分かち合おうとしてくれたのです。今、私はすべてを自分の力で知る必要はなく、天がふさわしくサポートしてくれることを知っています。皆さんが私に与えてくれたすべてに心から感謝しています。」

 


*パティ物語の詳細をお知りになりたい方は、こちらをご覧ください。
『パティの自然療法プログラム体験記』


 

自然療法プログラム問い合わせ先

特定非営利活動法人ぐりーんぐらす
〒419-0302 静岡県富士宮市猫沢238-1
電話:0544-67-0485
メール:green★npo-greengrass.org(★を@に替えてください)
担当:永山比登美 / 沖陽子

ぐりーんぐらすは、木の花ファミリーと同じビジョンを持つ仲間によって2001年に設立されました。人々が助け合って生きる社会づくりを目的として、木の花ファミリーとの連携のもと、様々な社会貢献事業を行っています。

 

 


パティの自然療法プログラム体験記 ~ 人生を方向転換させるのに遅すぎることはない!

アメリカ人のパティ(仮名)が長年のうつ病と不安神経症を克服するため、木の花ファミリーを初めて訪れたのは2017年9月のことでした。それから1年4ヶ月を経て2019年1月に再訪し、自然療法プログラムを6週間受けた後、見事卒業に至ったパティの卒業コンサートが2月16日に開かれました。その中で、パティは木の花ファミリーメンバーに次のような「自然療法プログラム体験記」をシェアしました。


 

パティの自然療法プログラム体験記

私が皆さんと共にここで生活している間経験出来たことをお伝えするこの機会をいただけたことをたいへん嬉しく思います。木の花ファミリーに来る前、私の世界はずっとずっと小さくなり、感情的にマヒ状態近くにまで至りました。これは真剣にスピリチュアルそしてセラピー的取り組みをしてきたにもかかわらずです。
私はアメリカに住んでいます。70歳で、結婚しており、20代の子どもがふたりいます。長年私には教授としての経歴があります。木の花ファミリーにたどりついたのは、北米で発刊されている「コミュニティ」という雑誌に掲載されていた記事を読んだからであり、ここには私にとって何か大切なものがあるとすぐに気付きました。
木の花ファミリーに到着したとき、私の人生における現在進行中の苦痛の主なる原因は、結婚に関するうつ病と不安神経症でした。私の夫はたいへん親切で、思いやりがあるにもかかわらず、彼と感情的につながることは難しいと思っています。ジイジが伝えてくれたように、夫は私にとって天からの素晴らしいメッセンジャーです。というのも、私たちの違いは私が子どもの頃、ずっと以前に培ってきた多くのネガティブな傾向に気付かせてくれたからです。
私の両親は愛情を持って私を育てようと最善を尽くしてきたにもかかわらず、彼らは若い頃、ふたりとも重大なトラウマに苦しみました。両親の結婚における深刻な困難は、私の子ども時代が安心感や幸せと共になかったことを意味します。事実、私は世界に対して極度に用心深い姿勢を培ってきました。私が8歳のとき、妹が医療的問題と共に生まれてからは、特に危険にさらされているように感じ、何年もの間経験してきたいくつもの病気の中で最初の病気に陥りました。病気のいくつかはかなり深刻なものであり、通常私がどう対応したらいいのかわからない状況に直面すると、病気が発生しました。
家庭内には私の人生にとってのスピリチュアルな側面がなかったので、私が助けやガイダンスを得るために頼ることが出来る天の力のような気付きは持っていませんでした。私は自分の知性を活かし、一生懸命働き、結婚しなくても経済的安心を得られるよう良い経歴を持つことを勧められました。事実、私自身や世界全体に対して多くのネガティブな思考をもたらす完璧主義の人格を形成しながら、人生を歩んできました。やがて私は大学の教授になりましたが、なお不安神経症やうつ病によって非常に苦しみました。その後、30年ぐらい前に結婚し、私自身の子ども時代の多くのテーマと似ている家族生活を始めたのです。
私の健康上の問題もあって、15年ぐらい前に私は退職し、私の精神的・物理的状況を改善するための努力が始まりました。幸運なことに、スピリチュアルヒーラーに出会う機会があり、物理的・精神的健康とスピリチュアルな健康の関係性について気付かされました。ここからスピリチュアルヒーリングの長い探求が始まり、今日私を木の花ファミリーまでいざなってきたのです。
ここに来る前、私の自我が経歴の中で成功を「得る」ことは私に幸せをもたらさないだろうことは長い間気付いていましたが、私はもがいていました。私はより広い世界の役に立ちたいという強いサービス精神望を持っていたのでしょうが、私の精神状態がたいへん不安定だったため、私を「崩壊」させるような感情的危機をずっと持ち続けてきました。私のエネルギーのほとんどは私自身を前に進め、家事をし、家族の面倒をみるために使われてきました。わたしはかろうじて生きていたという感覚を持っていました。
もちろん、私の残りの家族もまた、私の現在進行中のうつ病と不安神経症の結果として問題を経験してきました。
基本的に、私が子どもの頃両親からの注目を集めるために病気を利用してきたのと同じように、私が存在し続けるためには家族からの助けを必要とする愛情を求めている人として、自分自身を位置づけてきました。もちろん、私の家族が私の人生の多くの責任を引き受けてきた事実は、それぞれの意志に沿った彼ら自身の人生を生きることをたいへん難しくさせてきました。

私がここに滞在している間木の花ファミリーが私に提供してくれたものは、異なるビジョンです。どのように精神的に自立した存在として生きるかというビジョンです。私がそう出来るとき、私の家族もそれぞれの才能を表現するためのより良い機会を持つでしょうし、自立して生きていくだろうと私は信じています。
私自身の精神的自立に向けてのこの歩みによって、私は人生において初めて他者を一貫して、かつ真に大事にし始めることでしょう。というのも、私は私自身の人生を生きがいのあるものにするために他者を「必要」としないからです。もちろん、家族内のこうした変化は「世界を救う」ことにはなりませんが、私にとっては精神的成熟という方向への重要な一歩なのです。

70年間違う生き方をしてきた私は、どうしたらそのような巨大な変化をもたらすことを願うことが出来るのでしょうか?それは、人生における安全のもうひとつの源を見つけ、信じることを誓ってきたことによって決まるのだと思います。私はここ木の花にいる間、この方向へ巨大な歩みを進めてきました。この理由のひとつはジイジが私と共有してくれた教えのいくつかのおかげです。他の理由としては、このコミュニティがどのように機能するのかを私が感じることが出来たからです。
例えば、私の人生における困難の本当の原因は私の子ども時代のトラウマ的な出来事等なのではなく、そうしたことを霊的な成長への招待というよりも「不幸の元凶」とみなす私の傾向が原因だったのだと気付きました。ジイジが私にたいへんたくさんの「真実味がある」ことを伝えてきてくれたからこそ、そして木の花ファミリーの努力がいかに成功を収めてきているのかを観ることが出来たからこそ、私が必要なことをするときには天が作動し私の努力をサポートしてくれるというジイジが提案してくれた安心感を信じることを決めたのでした。言い換えれば、もし私がダンスに参加するのであれば、天は私と一緒にこの道でダンスをしてくれる善意あるパートナーであることを信じる勇気が必要なだけなのです。
こうした機会を掴むことが私にとって難しかったひとつの原因は、私が対処してきた問題が私には大きすぎて自分ひとりでは対処できないように思ってきたからです。私の心はそうしたことを解決するための方法を探すことが出来ませんでした。しかし、ジイジと陽子が私に繰り返し思い出させてくれたように、私ひとりで問題すべてを解決する必要はなく、私の現在の視点から解決のためのすべての道を知る必要はないのです。事実、これは不可能なことです。なぜなら、私には必要とされる能力や精神的視点を「まだ」持っていないからです。しかし、私のダンスパートナーが私と一緒になることを信じられるならば、私は最初のステップを踏み出す勇気を持つことが出来るのです。最初のステップの後、続くダンスは少しずつ明快になってくることでしょう。ジイジが伝えてくれたように、心の余裕があれば、今は見えない多くの可能性が見えてくるのです。私はこうした考え方にある言外の意味を深く心に刻みました。これは私にとって重要な驚くべき事実であり、私がここに滞在している間コミュニティの中で何度もこうしたことが展開されてきたことを観てきました。
「ステップアップ」し、私自身の人生の責任を持つために具体的な行動を取るというこうしたチャレンジに加え、ジイジは70歳という年齢の私にまだ開かれている可能性について多くの励ましを与えてくれました。それは私の古い人格を捨て最初からやり直す必要があるということではありません。過去に私にとって問題だった私の性分という側面でさえ(私の慎重さや敏感さのような)、私の家族だけではなくより広い世界に貢献するために有効活用することが出来るのです。
事実、私の人生においてこうした方向転換をするのに遅すぎることはなく、今まで私の苦しみに使われてきたエネルギーのすべてはその方向が変われば、良きことのためにたいへんパワフルなものになれるとジイジは私に自信を与えてくれました。これは私にとっては計り知れないほどの励ましです。
もちろん、アメリカに戻れば、ここで得ることが出来たものを持ち続けるというチャレンジに直面することでしょう。突然すべての物事が簡単になるとは思っていませんが、他者の目から見れば、私の存在価値や私自身の人生を探し求めるという中毒を捨てるために、基本的に必要なものを受け取ったように心から感じています。こうした変化の多くは、ジイジや陽子と話す機会を得てきたことすべてのおかげです。しかし、こうしたことの大部分は単に知性で受け取ったというよりも、私が「体験」してきたことによるのです。そして私のスピリチュアルな人生を振り返ると、これは私が読んできた多くの本よりもずっと、試金石として私と共にあり続ける思いがけない経験なのです。
私と共にあるであろう経験の多くは、木の花ファミリーメンバーを観察し、交流し、もしくはただ彼らの間で「浮かんでいる」結果、私にやってきました。個人のメンバー、そしてコミュニティ全体から発せられる穏やかさ、誠実さそして博愛のレベルを誇張することは不可能です。こうした環境で生活しながら、人は博愛を「期待」するようになることが出来ますし、こうした期待の中で生活することはたいへんパワフルな体験です。
こうしたことすべてのおかげで、ここでの生活のペースはティク・ナット・ハンの「決してあせらず」という歌にあるように、たいへん落ち着いていて、予測どおりで、安心させるようなのです。これは日常的に不安(良い場合)やパニック(悪い場合)を自分で発生させることに慣れている私のような人々にとって、心からの癒しです。
ここでの6週間という滞在の間、こうした「生命体」の一部として、「動揺」するまでもっと時間がかかるように、そして動揺がより急速に自然に収まるように、より容易いレベルで私の神経系を「リセット」させてもらえる特権を与えられてきたように感じています。また、おそらくゲストにとって愛と共に育てられ調理された非常に新鮮でオーガニックの食事にポジティブに反応しないことは生理的に不可能なことでしょう。こうしたことは私の「骨」の中で持ち帰ることを期待する自然療法プログラムの恩恵です。
私が何度も目にしてきた、もうひとつの素晴らしい体験の贈り物は、現状が何であれ、ここで目に見えて疲れている人たちの「ただ前進し続ける」意欲です。もちろん、「物事は起きる」のですが、ここでは一般的に、人生というものは、「ショーは続けないといけない」という原理に従っているようなのです。日常生活に潜在するこうした共有の安定性を持つことは、宇宙で孤立している感覚を持つ人々にとっては心から安心させるものです。メンバーにとってこうしたことに貢献していることを知ることはたいへんな喜びであるに違いありません。
私がアメリカに戻ってからどのような生活になるのかはわかりませんが、私は自分の生活を今までとは違う意識に持っていくだろうことは知っています。すでに私は自分の内なる会話が落ち着いてきていることに気付いています。未だ私の心の中には、恐れ、支配しようとする人格の側面が機能していることは知っていますが、彼女に対して以前より慈悲心を持ち、彼女のガイダンスに従わなければいけないという必要性は薄れてきています。私の感情的状態は未だ左右に揺れますが、揺れは以前より極端ではなく、より早く収まります。
今週、上海から英語を話すゲストが訪れ、私は自分のビフォー&アフターの変化を感じる良い機会を得ました。木の花ファミリーの英語の広報活動キャンペーンを行うひとりの地元の人として、私の自我がすぐに飛び上がり、その存在価値を築き上げることを求めました。何週もの間、私は木の花ファミリーメンバーからこのような自我に出会ってこなかったことに突然気付きました。誰も私に強い影響を与えようともコントロールしようとも、もしくは私から何かを受けようともしないようでした。その代わりに、彼らはただ私にオープンで、喜んで助けようとし、どのような形であれシェアしてくれるのです。突然、これは私のここでの滞在の間、私に開かれてきた世界の大事な生き方であることに気付きました。過去私が他者と関わってきた方法がいかに不安に満ちて自己中心的なものであったのかを知るこのショッキングな体験を持てたこと、そして私がここに滞在している間一貫して私にとってモデルとなってきた他の方法の本質に気付けたことに私は大変感謝しています。
ある日喜子さんとジャガイモの下準備をしていたときの、とても大切な会話に言及することでこの滞在記を締めたいと思います。私は彼女に、私にとって意思決定をすることは極端に難しいことを話したところ、彼女は自分の人生の方向を図に表すような形で彼女の急激な変化について私にシェアしてくれました。彼女が私に話してくれたのは、彼女はかつて自分のための目標を設定し、それを達成し、それから次の目標に移る傾向があったということです。しかし、木の花に来てからは、自分で設定した目標を達成するということは、「運命」としてそれほど大きなことではなかったと彼女は感じました。最近、彼女は自分がすることを積極的に「選ぶ」代わりに、自分にふさわしい状況がただ現れ、そうした状況の多くは彼女が誰かに助けを提供出来るものであり、彼女はそれが「自分のもの」であると認識することができる感覚を持っています。このようにして、彼女は「生かされている」のです。
私が自然療法プログラムを申し込んだとき、私のもっとも高い目標は喜子さんが私にたいへん素晴らしく説明してくれたような状態に至るための助けを受けることでした。これはまだまだ先の話のようですが、私のここでの滞在によって、やがてこうした状態がどのようにやってくるのかが観え始めています。皆さんの助けにたいへん感謝しています。

 


パティの「自然療法プログラム体験記」がシェアされた後、サポーターの陽子から、パティの6週間のケア滞在を振り返った「パティ物語」が読み上げられました。


 

パティ物語

~たくさんの学びの中で成長していくパティ物語のほんの一部をご紹介致します~

不安障害と診断されていた68歳のアメリカ人のパティが、初めて木の花ファミリーを訪れたのは2017年のことでした。ジイジとの面談の際、パティは「人生を通して私は不幸でしたが、特に結婚の不幸せをきっかけに特にここ最近は不安・パニック・うつ・気分変動という精神的問題を抱えています。木の花では皆さんが天のガイダンスを信じることを実践し、それを生涯のベースにしていることを私は知っています。この新たな生き方を学ぶ上で皆さんのサポートを受けるために、今、私は自然療法プログラムを受けるべきか、『1ヶ月間の真学校』を受けるべきか考えています」と語り、それに対してジイジは「あなたにとって必要なことは、治療を受けることではなく、世界観を広げることですね。そのためには、まず自然療法プログラムを受けることをお勧めします。そして、あなたが必要だと思うのであれば真学校を受講することも良いですね」と伝えました。

それから1年4ヶ月後、パティは自然療法プログラムを受けるために6週間というスケジュールを組み、再び木の花を訪れました。ケアスタート面談の際、パティは「前回木の花に来てから、私は自分自身が内面的にもっともっと小さくなり、もっともっと窮屈で、もっともっと恐れるようになりました。なぜなら、結婚生活を続けるかどうか、とても葛藤しているからです」と話しました。それに対して、ジイジは次のように伝えました。
「以前もお伝えしましたが、あなたはまず世界観を広げるべきだと思うのです。人はなぜ生きているのか。死は何であるのか。私たちは個人が生きているというよりもこの世界の中で生きているのですから、この世界はどのような場所なのか。一般の人たちは日常のスケジュールの中で生き、お金に追われて生きていますが、本当は私たちは宇宙の中にいて星や太陽や月、地球の仕組みの中で生かされているのです。あなたの話の中で、家族関係の問題のためにあなたの心が壊れていくという話がありましたね。しかし本来、生命は群れれば群れるほど豊かになるものなのです。ところが、人間の世界だけが人が多くなると利害関係が生まれ、派閥や対立が起き、収集がつかなくなるのです。ですから、あなたの問題は人類の問題でもあると思うのです。つまり、あなたは人類を代表して、今この状態にあると言えますね。
そこで、あなたがあなた自身を正確に知るということと、私があなたを知ってアドバイスをすることの両方が必要ですから、まずは日記を書いてください。あなたが書いた日記に対して私はコメントをしていきますが、私のことはもうひとりの客観的なあなたに出会ったと思って生かしていってください。新しいあなたが新しい思考をするようになることがこの取り組みの目的です。一般の医療機関で治らない人たちがここで改善するのは、自らに囚われた物事の捉え方から視点を変えていくからなのです。
自分の人格に飽きていない人や頑固な人は改善するのになかなか時間がかかります。ですから、まずは自分の人格に飽きないとダメなのです。そして、過去の自分に笑って話しかけられるようになることが大切です」と伝えると、パティは即座に「私は自分の人格にうんざりしています!」と答え、ジイジは次のように続けました。
「それは良くなる可能性があるということです。今、世界中で人間のあり方が狂っています。これは問題ではありますが、狂っているからこそ、問題を観て、どうしたらいいのかという知恵がその奥に隠れているのです。ですから、問題の背後にどのようなメッセージがあるのかを読み解く力が必要なのです。そのためには客観的視点と広い世界観が必要です。」

パティがケアスタート面談を終えた後の大人ミーティングでは、今日からみんなで木の花ファミリー憲章を深める時間を持つこととなり、世界観を広げることがテーマのパティにとっては最高のスタートを切ることが出来ました。翌日からも、ミーティングに熱心に参加しながら、日記に自分の正直を出しながら積極的に取り組み、ジイジはそうしたパティの姿勢を評価しつつ、「トータルして、あなたの考え方は人生をポジティブに学習していく姿勢に欠けているのだと思います。もっと自由にリラックスしてポジティブに日々を送ることは可能です。そういった精神の奥に神様のあなたに対する意志があるのではないでしょうか。あなたの人生にとって、今までの体験が不幸をもたらすものであったと終わってしまわないように、前向きに出会う出来事を分析し、今後のあなたの人生に活かしていけることが大切です」とコメントしていました。

そうして迎えた1週間面談でジイジは、パティがこれまで日記に書いてきた身近な内容に触れることなく、次のように伝えました。
「あなたは長い間大学教授として頑張ってきましたが、あなたのように社会的にも優秀で、高い地位を持っており自負心が強い人の特徴として、自分の納得の上でしか物事を受け取らない傾向があります。この場合に落とし穴があり、結局どんな提案も自分の理解出来る範囲内で受け入れるものですから、それがどんなに素晴らしい知恵であっても、結局自分流に受け取ってしまうのです。場合によっては、受け入れたくないことがあると、それを受け入れない理由として自分を主張するようになるのです。しかし、今までの人生の歩みの結果現状があることを認めるならば、私はそれに対する改善のための代替案を提案しているにしかすぎないのです。
なぜ私がそのようなことをするようになったのかというと、私のスピリチュアルな体験がきっかけとなりましたが、実際に問題を抱えている多くの人たちの相談に乗ってきたという実績があるからです。もうひとつは、人はいろいろな自我によって苦しんだり問題事に出会ったりしますが、この木の花という生活を現実化することによって、こうした共同体の中では自らの心と向き合うことによって問題が起きないような現実をモデルとしてつくっているのです。これをひとつの実績として皆さんに見ていただきながら、私の提案はあくまでも正しいとか間違いということではなく、情報として受け取ってもらえればと思います。それは、『こういう生き方をすると、今まで現代人がつくることが出来なかった社会が出来ますよ』という提案であり、これは人類に対する提案でもあるのです。
私は自分のライフスタイルの目的のひとつとして、確かに長い間行き詰まった人々の相談に乗り、支えになってきましたが、その行動の本当の目的は人類が自らの真の尊さに目覚め、ふさわしい尊い生き方を地球上で表現することを伝えるためなのです。さらに言えば、地球が喜ぶためです。この面談を聞きながら、地球は喜んでいますよ♪この情報は同時に銀河を運営している、銀河の中心のセントラルサンの司令室にも伝えているのです。つまり、私は地球を進化させるためのプロジェクトをしているのです。あなたに世界観を広げることの大切さを伝えるのも、今、人類は自分のことを心配している場合ではなく、自分たちがしてきたことが他の生命たちにどれだけ迷惑をかけ、この宇宙の法に反しているのかに気付くことのほうが先決だからです。
私のアドバイスは、ひとつではなくいくつかの視点に立ったときの情報として伝えています。あなたにも、パティというひとつだけの視点で物事を観るのではなく、上下も左右も広げた形で物事を捉えられるように、これからもいろいろな視点を提供していきますね。」

その後、さらに日記の中で自分を分析することに一生懸命になっていったパティに対して、ジイジはこうコメントしました。「私が伝えたいことは、あなたが解決策を考えることをやめることを提案しているのです。分析力が高くて一生懸命やっても、方向性が間違っていたら何にもなりませんからね。これは、優秀な人が意外と陥るところなのです。その一生懸命では自分の枠を壊したことにも、そして新たな考え方を得たことにもなりません。そろそろ、このプロジェクトの次の段階に行くときが来ていると思います。それは、こういった日記を通して改善方法を模索していくのではなく、具体的な日常の行動の中にどのように人格が反映しているのかを観るために作業に参加してみるとか、あなた自身の枠を超えた行動をとってみることを提案したいと思います。具体的には次回の面談で話し合いましょう。」

そうして迎えた2週間面談でジイジは、これまで15年間自然療法プログラムを提供してきた中で初めての試みをパティに提案しました。
「私があなたと2週間付き合ってきて、あなたに伝えたいことがあります。このプロジェクトはあなたの人生を健康で幸せな人生にするためのプロジェクトです。そのために何が一番大切なのかというと、あなたが健康で幸せな人にならないといけないのです。あなたも自分の書いている日記を見てわかっているだろうと私は判断するのですが、あなたの自己分析は完璧に出来ています。しかし、どれほど完璧な分析が出来ても、それに基づいて生きていくことが出来なければ健康で幸せな人生は現象化することはありません。
最初の2週間はお互いに知り合うための期間でしたが、ここでふたりのあなたがいることを説明します。あなたの中にはあなたらしい人生を生きてきたパティがいますね。それから、それを観てそれを分析し、『それではダメですよ』と言うあなたがいるのです。そのあなたはあなた自身を十分に改善する知恵を持っています。しかし、今まで生きてきたあなたはその提案に対し、抵抗するあなたでもあるのです。このプロジェクトには私も関わり、陽子もサポーターとして関わりますが、私たちはあくまでもサポートする側であって、そこの主人公はあなたの中のふたりなのです。今まで、あなたはどちらかを優先することをせず、あなたの中のふたりは勝負をつけてきませんでした。そこで、それを超えてどちらかを優先しないと、あなたは中途半端な形で人生を終わることになってしまいます。でも、少なくともどちらでもいいというわけではありませんね。どちらかわかっている一方を優先するために、今、この取り組みをしているからです。心配しなくてもいいのは、どちらを選んでもあなたであることは変わらないのです。ただ、明快なのはどちらを選ぶかによって、未来がポジティブかネガティブかは観えてきますね。
今回のプロジェクトは、今までの人生を客観的に観て自分を戒めるあなたを優先させることが一番大切だと考えています。この段階に至っては、選択肢は本当はあってはいけないのです。あなたが健康で幸せであるためには、選択肢はないはずなのです。私は今、地球人類にも同じことを言いたいのです。物理的に豊かな生活を求めるのか。それとも地球や他者と共同して真の豊かさを求めるのか。今、ここで滞在されている中国の大学の先生もあなたも先生ですから、考え方としてはとても賢明な考え方を持っておられるのですが、不思議なことに自分のこととなるとそこが十分に生かせていないのです。これは現代的に優れていると評価されていたり、そういった地位にいる人たちの特徴でもあります。
そこで、この2週間の取り組みを一区切りとし、次の段階としてあなたの中のふたりが話し合う時間を持ちましょう。ここでは、あなたを優れたほうへと導こうとするあなたが、今まで生きてきたあなた自身をどう説得していくのかがポイントです。自分で自分を説得するのですよ。そのために、日記は今まで通り書いていただいていいのですが、明日からの取り組みはたとえば30分といったそれほど長くない時間を使って、あなたの中にいるふたりの人物、特に戒められないといけないあなたを出してもらい、戒める側と私の3人で毎日話し合いましょう。そして、これをあなたの人生を通して自らを改善するための取り組みとしての仕上げとしたらいいと思います。」
この提案を閃いたジイジには、日記のやりとりではどうしても自分流に解釈してしまうパティに対し、直接話し合いの時間を持つことで客観的な視点を身につけてもらいたいという想いがあったのでした。

それから毎晩30分程度の時間をジイジと持ちながら、AパティとBパティの話し合いは進められていきました。「朝が来ると、『私の人生はめちゃくちゃで、私は人生で一度も改善したことがない!』と思考するネガティブなAパティが出てくるのです」と言うパティに対し、ジイジは「Aパティに出会ったときこそ、改善のチャンスなのですよ。朝起きたときにネガティブだったらチャンスです!そのトレーニングを自分で自分に与えましょう」と伝え、「目標としてAパティとBパティが0:100にならなくてもよいのです。40:60くらいでいいでしょう。Aパティが40あるのは多様性だから良いのです。そして人生を学ぶためには問題事を優先することも必要でしょう。明日また、新鮮なパティと会いましょう!」とパティを励ましながら、時に思考が夫の問題点に集中してしまい、Aパティに支配されてしまうときにジイジは、「人生を生きるということは、自分の精神状態がどうなっているのかのテストを常に受けているようなものです。そして、出てきた自分の精神状態がその答えなのです。どんなにネガティブなことでもポジティブなことでもすべて神様の愛であり、実はすべてポジティブなのです。ネガティブに考えることはあなたの自由ですが、それはネガティブに解釈する心があるからそうするだけで、この世界は常にポジティブの背景に現象が起きているのです。その一番の元には愛があるのです。それを、あなたが世界で出会う現象から受け取れる人になれるかどうかです」と伝え、そうした中でパティはジイジの「すべてを情報として受け取る」姿勢や、「自分にとって都合の良い喜びを持たない」といった難しい心の仕組みを学んでいったのでした。

そうして、少しずつ冷静で客観的な視点を身につけてきたパティに、ジイジは最近の日記と滞在当初の日記を読み比べることを勧め、パティ自身もネガティブな思考が少なくなってきた自分の変化に気付かされたのでした。そのような中、ある日夫からメールがあり、最初は感情的に反応したパティもすぐに冷静な精神状態に戻ることが出来、それを受けてジイジは「今日の夫からのメールは良いテストでしたね!この場合、彼は神のお使いです。解釈の仕方によっては、すべての現象が神様が示されたものなのです。そういった自分の人生に有益になるような捉え方は、まだ目覚めていない人にはなかなか難しいことです。その思考の鍵を見つけることが大切なのです。きっと、今まではあなたはその鍵を見つけて探究することよりも、身近なことに気をとられていたので矛盾が起きていたのです。そこまでわかってくると、彼はあなたの夫であると同時に神のメッセンジャーでもありますね。瞬間瞬間が神様との対話であり、私たちが未熟であるならば、ある意味テストでもあることをいつも頭の中に入れていてください」と伝えました。

少しずつ世界観を広げていったパティは、ジイジとの面談を1日おきにし、もっとコミュニティの中で時間を過ごそうと自分のパソコンをひまわりホールに持っていったり、1週間後に迫った花祭りの切り草を飾る手伝いをしたり、メンバーともっとコミュニケーションを取ろうと努めていました。そのようなパティに対しジイジは次のように伝えました。
「日記に書くことも面談で話し合うことも良いことですが、木の花の日常を感じることがこの取り組みに有効になるだろうと以前提案しました。それは、豆の選別でも、今日のよこちゃんの出発式に出ることも(注:入院中のメンバーが急に亡くなり、出発式を行った)、ミーティングに参加することもすべてそうです。私はあなたに異文化や新しい物事の捉え方といったあなたにはなかった代替的なことを提供したいのです。よこちゃんの出発式についても、あの出来事は意図的に誰もつくることの出来ない場所でした。木の花の人たちがそれぞれに自分の出来ることを役割分担し、あの場に持っていったのですが、そもそもよこちゃんがあのタイミングで亡くならないと出来ないことでした。だから、天が与えてくれたのだと思いました。このように、私たちはシナリオのないドラマの中に生きているのです。
現代人は頭が良く、いつも正解をやろうと努力します。それは重要なことでもありますし、人間の優秀さでもありますが、現代人が忘れている『人生をいただく』ことの価値はああいったところにあるのではないでしょうか。木の花の生活は、なかなかつくろうと思っても出来ない場所なのです。その出来事の奥を分析するのは難しく、つくろうと思っても出来ない、出会おうと思っても出会えないその場所に、神様のメッセージが隠れていると私は思っています。
今はここの環境によって導かれているあなたの心の安定が、将来アメリカの元の生活に戻っても継続するように、あなたの中に新しい精神分野が構築されることが大切です。それはあなたの中でつくられたものですから、どこへ行ってもそれが有効に働くようになります。そのための基本としては、木の花の日常の生活に参加していただき、そこで出会う人たちの精神性がどのようなものであるかを探ってみるのも面白いですよ。
よこちゃんの出発式の前日のこのはな八重の舞のときに、あなたも輪の中に入っていましたね。私は『そうならないかな』と思って、あなたを観ていました。私はあの場で自身エンジョイしながら、あなたのことやいろいろなことを観察していたのです。もう少しで祭りの本番が来ますから、あの参加する勇気を持ってまた挑戦してみてください。」

ジイジの提案通り、花祭りの当日には鬼の舞の後のまさかりディスコ(観客がまさかりを振って踊る)の際に自分から率先してみんなの前で舞ったパティ。その翌日に迎えた4週間面談で、ジイジは次のように伝えました。
「ケースによっていろいろですが、通常4週間というのは自然療法プログラムを進める上で見通しが立つ期間です。あなたにとっても、自分の現状を把握できた期間がこの4週間だったのではないかと思います。あと残り2週間ありますね。6週間という滞在期間は、今回あなたが滞在するのに可能な期間として決めてきたものですが、とても良い数字だと思います。
明日で花祭りの一連の神事は終了しますが、私たちは一般的宗教的信仰という意味で花祭りを行っているわけではありません。そして、あの祭りがあなたやアメリカの人にとって異文化であるとは思うのですが、地球や宇宙の仕組み、また私たちが自然生態系の中の一員であるという昔の人々が伝えてきたことを、今流に解釈し表現しているのです。ですから、これからの時代は世界中の人々が柔軟性を持って、異文化や馴染まないものをポジティブに認め合っていくことが必要なのではないでしょうか。そういう意味では、今まであなたが出会ったことのないものに出会う良い経験を提供出来たと思っています。そして、こうした活動は木の花の生き方を広めるためのものではなく、地球的・宇宙的視点に立った生き方を人類に広めていくためには非常に重要なことだと思うのです。ですから、これから共に連携しながら活動していけたらいいですね。」

ジイジの言葉を受けて、花祭りの神事が終了した翌日には初めての試みとして畑作業に参加しようとしていたパティでしたが、高熱が出て体調を崩し、その後5日間部屋で休んでいました。

そして熱が下がり自室での隔離が解禁されたときには、ちょうど前回の面談から7日が経っていました。それを受けて、ジイジは次のように語りました。
「今日はちょうど前回の面談から7日目ですね。7という数字を西洋の人たちはラッキー7と呼びますが、カタカムナでは『質的転換』を意味します。つまり、古い体質を脱ぎ捨て新しくなり、次に向かうための方向転換をするということです。ですから、7という数字は単に都合が良いことが起きるというよりも、変化をもたらす大きなサイクルのひとつなのです。あなたが休んでいる間、物理的には辛かったかもしれませんが、私にはひとつ楽しみなことがありました。
これまでも、ケアで滞在している人に私がアドバイスをしていくと、今まで使ったことのない脳を使うことによって熱が出ることがあるのです。それは子どもが成長する段階で知恵がつくと熱を出すのと同じことです。それは、おそらくその人の思考容量や回路を増やしているのです。それで、今回あなたの取り組みの中では、世界観を広げ、客観的な視点で物事を捉えることがテーマとなっていました。あなたはこの短期間で新たな視点に出会ってきましたが、それを自分に落とす時間はなかなか持てないこともあるのです。そこでは今までの心の癖も邪魔します。そのタイミングで熱が出たり、体調を崩すこともあるのです。そこでは、その間に今までにない気付きを得たり、自らの思考を巡らすチャンスをもらっているのです。
通常、面談をするときに1週間毎に行うのも、7という数字を意識しているからです。ですから、前回の面談から7日間空いたのも、良い数字だと思っています。」
そして、この1週間の状態について聞かれたパティは、休んでいる間奇妙な夢をたくさん見ていて自分から何か暗いものが出ているように感じたこと、でも熱が下がってからは気分が良く穏やかで、ここでこれまで学んできたことを振り返り、ジイジのアドバイスが自分の心に刻まれていることを感じ、前に進んでいける自信を得たことを話し、「私は自分のことをまだバランスが取れていない赤ちゃんのように感じています」と伝えました。そんなパティに対し、ジイジはこう続けました。
「大丈夫です。赤ちゃんはこれから育っていきますから。物理的な赤ちゃんは成長に時間がかかりますが、霊的な赤ちゃんは急激に育ちますよ。人は病気をすると、『悪いことが起きた。結果辛い思いをして、やっとそこから開放された』と思いがちですが、確かにその人の精神状態によって病気は多く発生します。それはメッセージだからです。インフルエンザについても、同じ環境にいてもかかる人もいればかからない人もいたり、ネガティブな原因でかかる人もいれば、実はポジティブな原因でかかる人もいるのです。ですから、前回の面談から7日目の質的転換を意味する今日という日にこの時間を持てるということは、すべて天意だと思いました。
天意を感じるために大切なことは、私たちが天に自分の意識を向けているかどうかです。たとえば、太陽や月や星と対話しているのか。風と対話しているのか。土と対話しているのか。食べ物と対話して食べているのか。すべて、もともとは自分自身ですからね。すべてのものと対話し良い関係のもとで生きていくことが、天意で生きることだと思うのです。そこでは、『どうしたら天の意志を感じることが出来るのか?』『どうやったら直観を鋭く出来るのか?』という思考は不要です。たとえば、気分が悪いときには体も心地良くなく、外出もしたくないし、部屋で臥せっていますよね。そして気分が良いときには外に出て、胸をはって深呼吸する気分になりますね。それと同じように、生きるということは自然にメッセージを感じられるものなのです。大丈夫!そうなりますから。そこで、『そうなんだ!』と素直に信じて天と対話を続けていけば、必ずそうなります。私の人生には生きた師匠はいませんでしたが、昔と比べて私の直観ははるかに鋭くなっていますし、自分でもその精度に驚くことがあります。それは、そういったことを信じてやり続けてきた結果だと思うのです。
先程言われた、夢をたくさん見ることも、熱がたくさん出ることも、汗がたくさん出ることも、天のメッセージであり、解毒です。『ああ、毒が出ているのだ!』とその作業をやっていただいているという意識になったとき、『私たちが命であるということから、自分がやらなくてもこのようにしてもらえるのだ』と解釈出来るようになるのです。」
その話を聞いて、パティは「今まで私は一生懸命やりすぎて自分をコントロールすることが出来ませんでした」と話し、ジイジは次のように伝えました。
「それは現代流に言う、頭の良い人です。あなたは賢いので自分を客観的に観る目線も持っていますが、そうするとまた余計に落とし穴に陥るのです。それは、それだけの分析が出来るということで能力が高いという自負心も持つからです。そうすると、生かされていることに気付くことが遅れますね。
そういった分析からすると、人類はこれから初めて健全になっていく道を歩み始めるとも言えるのです。今、地球上には25800年ぶりの新たなサイクルが始まりました。しかし、私たち現代人につながる25800年前の歴史はありません。ですから、まったく新しい時代の始まりです。これは、現代人には楽しみであるだけのことなのですが、現代の混乱は自分たちが起こしたことであるにもかかわらず、人々はその原因を追求出来ず不安になっています。何よりも、一番大切な自分自身の使い方を人類はまだ会得していないのです。これからの混乱はますます矛盾を明らかにしていきます。しかし、それは時代の光が差してきたことにより、表に見えてきただけのことなのです。ですから、私たちはそこから現代の矛盾を学べば、それはおのずと消えていくことなのです。世界にはもうじき大きな災害が至るところに発生しますが、これはこの時代だからこそ起きるべきであり、その奥にある真のメッセージを人々が受け取ることが出来れば本当は待ち遠しい話でもあるのです。なぜそのような災害が起きるのかというと、人々がその種を蒔いていることに気付いていないからです。もしかしたら、起きる前に私たち人類がそのことに気付き、社会の仕組みが変わっていけば、出来事も起きなくなることでしょう。それは病気と同じように、悟ったものに与える必要がないからです。
今回、あなたの体調が崩れたことを聞いたとき、『私が提案しなくても、天がこうやってパティさんに仕上げを与えてくれたのだ』と思っていました。そういう意味で、あなたはBパティを運用することに手ごたえを持ち始めたのだと思います。あなたとの出会いはとても大事な出会いでした。難しいケースのように当初感じていましたが、それほど後戻りすることなく確実に目的は達成されてきました。ですから、そのようなわかりやすい事例をあなたの感覚でよいのでまとめていただき、それを私たちに残していただけたら、まだ目覚めていない人たちの役に立つことでしょう。」

そうして自分をコントロール出来るだけの考え方を身につけ、見事6週間で卒業を迎えたパティ。「あなたは思考回路を逆転させることによって、自分自身を救済するどころか、他者の救済にも役立つ能力を持っていますね」とジイジから伝え続けられてきたパティは今、以前と比べてはるかに安定し、「その安定はこの木の花というコミュニティが与えてくれました。それは私の中にあるものですから、アメリカに持ち帰ることが出来ます。今、私はすべてを自分の力で知る必要はないと感じていますし、新しい能力や方法が少しずつやってくることを知っていますので、とてもリラックスしています。それは私にとって大きな大きな学びでした。そしてこれから新しい生き方を実践していくことをとても楽しみにしています」と語ります。あなたが健康で生きることは私たちの喜びであり、なによりも天があなたと共にあるということです。これからも、地球コミュニティの一員として人類の目覚めを促す生き方をしていきましょう。まずは卒業おめでとうございます。

 


自然療法プログラムの卒業をお祝いするコンサートでは、プログラムの責任者であるジイジから、新たな人生の旅立ちにあたり卒業生に向けてメッセージが贈られます。今回は、「パティ自然療法プログラム体験記」と「パティ物語」が読み上げられるのに1時間以上かかり、その後ジイジは次のようなメッセージをパティと人類に向けて贈りました。


 

ジイジからパティへのメッセージ

長い時間をお付き合いいただいてありがとうございます。ここで私が同じぐらいの時間お話ししたら、皆さんに拷問を与えることになってしまいます(みんな:笑)。でもせっかくですから、少しだけお話しさせていただきたいと思います。

今日は2019年2月16日ですね。パティさんの卒業コンサートの日です。しかし、私にとってはこのような日々の積み重ねの結果、2月24日から始まる今年の「1ヶ月間の真学校」に向けての心を調整している最中です。今、パティさんの自然療法プログラムの取り組みを振り返っていただいたのですが、そこでも私は目の前にいる人にだけ語っているわけではないのです。それは、目の前にいる人がひとり幸せになるということは、その人の分だけ地球が健康になるということだからです。

人間はいつから心を病むようになったのでしょうか。間違いないのは、それは人間たちが複雑な自我を持ち、自己願望を叶えるようになる高い能力を得てからです。そういった能力は人間にとって、とても魅力的なものでした。しかし、そういった能力を持った私たちは結果として地球の仲間たちに大きな試練を与え、迷惑をかけてきました。それどころか、自分たちが行ってきたことによって、その矛盾を今、自らが受け取らないといけない状況にあります。なによりも、現代人は宇宙の法から完全に外れてしまい、宇宙を生きるという意識で日々を生きている人はほとんどいません。そして、現状のような人間にとっては辛い世相や自然現象に出会うことになったのです。これは長い間、人類が幸せを得て豊かになろうと願って築き上げてきた結果です。

私はいつも同じことをお話ししていますが、それは人々に本当の意味での価値を思い出してもらいたいからです。そして、パティさんと6週間という期間のプロジェクトを取り組んできましたが、題材はパティさんの人生でした。それは、ちょうど6週間をかけて真学校のプログラムを修了したような感じですね。2月24日から始まる真学校では1ヶ月間をかけて受講生の皆さんに本当の人間の在り方について伝える時間を持ちます。それは、パティさんの人生が健康で豊かになると、まわりの人たちの人生も幸せになる仕組みです。人類は今、そういったとても単純な、連動して共に創り上げていく宇宙や自然の法則を忘れてしまっているのです。

今、人類は地球上にたくさんの問題事をもたらしている存在です。それどころか、人類自身が地球の癌細胞のようです。そして、これから進むべき未来の方向性を見つけられないでいます。私はいつも同じことを伝えていると思いながら、これが、私の人生なのです。そして、ここにいる共に暮らす仲間たちはそれがいかに大切なのか、そして人類にとってそれがいかに有効なことなのかを立証してくれる仲間です。

今日、パティさんが卒業を迎えて、またひとり、その仲間が世界に増えました。その結果、個人のエゴをくすぐる喜びではなく、みんなで喜び合える豊かな世界を創りたいと思います。私たち人類は他の生命と同じようにそういった目的のもとに地上に降ろされたのです。これからも人々がこの真実に目覚めていきますよう、私たちはこの活動を続けていきますし、そしてこういったことの大切に出会った人たちは共にその活動をしていただき、地球を美しい場所にしていけたらと思います。

パティさんはとても優秀な方で、分析力がとても高く、私の提案が多方面に渡った結果、私にとってもとても良い刺激になりました。それから、ケア物語を作ってくれた陽子ちゃん、その難題を見事成し遂げ、よくやってくれたと思います。そういう意味でも、天はお互いにとても縁の深い大切な関係を与えてくれたと感謝しています。

これからも、私たちはこういった大切を地球上で表現するために生きていくのです。その自覚を持って、これからも歩んでいきたいと思います。パティさん、卒業おめでとうございます。そしてこの出会いに感謝します。

 


組織宗教の時代から一人ひとりが仏陀となる時代へ 〜 きたじゅんの気付き・第二弾

きたじゅんの心の気付き・第二弾!今年の5月3日、長年患ってきた眼精疲労が消え、新な道を歩み始めたきたじゅんが、改めて自身の半生を振り返りました。


組織宗教の時代から
一人ひとりが仏陀となる時代へ

創価学会の家に生まれる

僕は創価学会3世の家に生まれました。母方の祖母の頃から学会に入会しており両親も同じように入会し学会活動していました。創価学会は約800年前に日蓮大聖人が法華経の教えに基づいて開いた日蓮正宗を本家とした宗教団体です。物心つく前から学会の中で育てられたので、会合や祈りなど宗教的な活動に何の疑問も持たず自然と受け入れていました。祈りというのは日蓮大聖人の生命が現された御本尊(ごほんぞん)様に向かって「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」とただ唱えるだけです。御本尊様に向かって祈ることで日蓮大聖人の生命と一体になり自らの内にある仏性を引き出し、宿命を乗り越え幸福になれると聞いていました。

孤独な高校時代

初めて自ら祈ってみようと思ったのは高校生の時でした。当時は、中学時代に受けたいじめから人間不信になっており、友人を一人も作ることができず孤立していました。あまりにも孤独で時間を持て余していたので、それを逆手にとってある実験を思い付きました。それは学校で1日中一言も話さない日が何日続くか。結果、約40日続きましたが最後は挨拶されたときつい挨拶を返してしまい実験は終わってしまいました。もう少し記録を伸ばしたかったなと思う反面、それほど深い孤独な時間を過ごしてきました。自分の気持ちをずっと抑え続けてきたので、いつしか喜怒哀楽の感情がなくなりそのストレスで慢性的な腹痛に悩まされました。とても苦しくて将来に全く希望が持てない状況でしたが、そのとき僕の心を支えてくれたのが創価学会第三代会長の池田先生でした。池田先生が書いた高校生向けの本には仏法の生命観・死生観・宇宙観などが分かりやすく書かれており、人間の無限の可能性が説かれていました。そのおかげでどんなに絶望的な状況に置かれても、自らの命を粗末にするような行為は絶対にしてはいけないと思っていたことを覚えています。その後、僕は池田先生の創立した創価大学に入学し、自らの人間性を変えることを目標として高校生活を送りました。慢性的な腹痛のため試験で100%実力を発揮できないことに悩みましたが、真剣な努力と祈りで試験本番までに腹痛が治まり、無事創価大学に合格できました。これが初めて祈りが叶った体験でした。

人間関係に恵まれた大学時代

創価大学では、良き先輩・同期・後輩に恵まれ多くの友人ができました。周りの人はほぼ全員が創価学会員であり、学会活動は日常的に活発に行われていました。大学生になると祈りの他に、日蓮大聖人が弟子に対して書き残したお手紙「=御書(ごしょ)」を学ぶこと、友人に仏法を語り広める折伏(しゃくぶく)を行うなど仏法者として欠かせない活動に本格的に取り組み始めました。学会活動の目的は、一人ひとりが自身の宿命(カルマ)を乗り越えて幸福になり、その輪を社会全体に広げ世界平和を実現することです。それを理解した上で、僕は自他共の幸福を目指して真剣に活動に取り組んできました。でも、僕の本心はまず自分が救われたいという思いが強く、他者の幸福を願うということからはかけ離れていました。それでも、学生時代は池田先生の度重なる激励や多くの先輩たちのサポートによって大学院の進学や就職を勝ち取ることができました。自分の本当の実力が試されたのは社会に出てからでした。

社会からの脱落

就職後に、僕が創価学会との関係を見直すきっかけとなった出来事が起こりました。それは2011年2月から2012年2月までの1年間の期間に学会の中の人材育成大学校に入っていた時のことです。当時は、職場で人間関係がうまく築けずいつしか孤立するようになり、ストレスからよく体調を崩すようになっていました。ある時、あの孤立した高校時代と同じ状態に戻っていることに気付いた僕は自身の根深い宿命を感じました。このままではまた自分を駄目にしてしまうのではないかと危機感を覚えました。今こそ宿命を乗り越え根本的に自分を変えるときだと決意し学会活動に真剣に取り組みました。時間があれば出来る限り友人の幸せを祈り、休みの日には毎週のように友人に仏法を語りました。しかし、当時の僕は相変わらず自分が救われたいという思いが先行していることに気付いていなかったため、すべて失敗に終わり結果は散々でした。反対に、友人に思いは伝わらない、自身の願いも叶わない状態が続き頑張れば頑張るほど苦しくなっていきました。最後まであきらめず友人に仏法を語りましたが、結局結果を出すことができず、大学校の卒業式を迎えました。自分の生命を根本的に変えたいと思い、本気で学会活動に取り組んできたのに結果が出せなかった。そんな自分に対して情けなく悔しい思いが込み上げてきて、卒業式の間ずっと涙が止まりませんでした。どれくらい泣いたか覚えていませんが涙をすべて出し切った後、なぜかすっきりした気持ちになっていました。これだけ頑張って結果が出なかったのだから仕方がないという何か吹っ切れた気持ちになり、それ以降学会活動から遠ざかっていきました。その後、眼精疲労で休職に追い込まれ、それがきっかけで2015年2月に木の花ファミリーと出会いました。

木の花ファミリーとの出会い

木の花ファミリーでは今まで聞いたことのない話がたくさんありました。特に驚いたのは話のスケールの大きさと深さです。例えば、太陽の一螺旋の25800年というサイクルがあり、12900年ごとに精神的な光のピークと闇のピークを交互に迎えるという話です。そして、2012年12月21日に闇のピーク(銀河の冬至)を迎えたことで宗教の時代が終わり、これからは自らが自らを救い尊き者となる時代、それは一人ひとりがイエスとなり仏陀となる時代に入ったということが説明されていました。その他にも、時代の流れに沿って天体と人間の活動は常に連動して長い歴史を作ってきたことを知りました。しかし、当時は木の花で話されていることの方が、スケールが大きくて道理が通っていると感じても、創価学会への執着があり簡単には受け入れられませんでした。その執着というのは今までの池田先生に対する恩です。木の花で語られている道理を受け入れてこのまま創価学会を辞めることは池田先生を裏切ることになるのではないかと深く悩みました。その後、宗教のことを否定される度に早く木の花から出て行きたいと思いましたが、眼精疲労でまともに仕事ができない状態だったため、木の花に残る以外に僕の選択肢はありませんでした。

変化した宗教観

それから時間はかかりましたが、僕の宗教観は大きく変わりました。創価学会に対する執着がどのようにして無くなっていったのか。そのポイントは2つあります。
1つ目は、事実を客観的に観て受け入れたことです。学会活動に一生懸命に取り組んだのに完全に行き詰まったという事実。そして宇宙的スケールで銀河の冬至を迎え、宗教の時代が終わったという事実。これらの事実を冷静に受け入れることで学会のことを客観的な視点で観ることができるようになりました。
2つ目は、自らの想いを手放していったことです。自分の宗教に対する捉え方や疑問などを他の人に話し、相手の意見を取り入れることで新しい視点が入り自身の宗教観の狭さや偏りが認識できるようになりました。
今、僕は次のように理解しています。中国の天盤の巡りによると、約6400年前に青陽期という一国の王が民衆を支配する王の時代が始まった。そして、約3000年前に紅陽期という聖人の時代が始まり、お釈迦様やイエス・キリストなどの一人の聖人がその他大勢の民衆を救うという形で宗教が生まれた。それから正法→像法→末法と時代の経過と共に人々は正しい法を忘れ、一部の人間にとって都合の良いように解釈が歪められ様々な宗派に分かれていった。その後、1927年から白陽期という民衆が主役となる庶民の時代が始まった。しかし、未だに心が濁り深い迷いの中にいた人々は闇のピークに向かって2度の世界大戦を起こすなど最も愚かしい時代を経験してきた。2012年12月21日の闇のピーク(銀河の冬至)を迎え、末法が終わりを告げ宗教の役割が終わった。そして、いよいよ庶民の目覚めの時代が本格的に始まった。大まかですが、このように振り返るとその時代ごとにふさわしい人々の心があり、その必要性に応じて様々な教えが広まっていったことが分かります。その時代の流れの中で宗教はある一定の役割を果たしてきたのだと思います。

宗教の弊害

一方で、世の中の混沌とした現状を見ると、今までの宗教が世界にもたらしてきた弊害が見えてきました。それは主に3つあります。
1つ目は、自分が所属する宗教を唯一正しいと解釈していることです。皆が自分の所属している宗教が絶対正しいと主張し合えば、それは争いにつながります。実際に、過去から現在にかけて世界中で起きている戦争や争いごとの背景には必ずと言っていいほど宗教対立があります。自分が正しい側にいるという意識では客観的な視点で物事の本質を観ることはできません。
2つ目は、ご利益をうたって人々を集め組織化したことです。ご利益をうたうことで人々の欲望を刺激し、願いを叶えることで自我をより拡大させてきました。そのことが現状の世の中の混乱につながっていると感じます。
3つ目は、経典を持つことで宗教の精神性を固定してしまったことです。紙で教えを固定化し、経典を唯一の指針とすることはいつまでも古い時代の教えに執着し、その経典の精神性を超えることはありません。それは、みんなで同じ指針に従っていけば救われるという画一的な道を示しており、民衆一人ひとりがオリジナルに悟りを開き個性を存分に発揮していく道を奪ってきたといえます。宇宙は常に変化変容し続けており、その宇宙の法を説く法華経の精神性の表現も新しい時代にふさわしく変化していくことが本来の姿だと思います。

人生の本当の目的

このように自分の人生にとって縁の深かった宗教の本質が見えてくると、今まで出会ったすべての出来事の意味が見えてきました。いじめ、孤独、病気、宗教、社会からの脱落・・・様々な問題にぶつかり悩みながら人生の本当の目的を探し求め続けてきたこと。それは、小さな自我から解放され大いなる天の意志に寄り添って生きることに目覚めることであり、そのためにこの地球に肉体を持って生まれあらゆる経験を通して魂を磨きに来たのだと今は理解しています。また、その経験はすべて他者に生かすために自ら望んで学習してきたのだと実感しています。

5月3日を原点として歩む

2018年5月3日。この日は僕の人生にとって大きなターニングポイントとなりました。木の花ファミリーにとっては創設者のいさどんの誕生日であり、今年は生前葬から質的転換の7年を迎え「いさどん」から「ジイジ」へと生まれ変わった日でした。その日ジイジは、時代はいよいよ大質的転換を迎え、これからは今まで語ってきたことが本格的に現象化されていく段階に入ったということを話してくれました。また、創価学会の本家である日蓮正宗を開いた日蓮大聖人が一人立ったのは32歳であり、創価学会第三代会長の池田先生が会長として一人立ったのは32歳の5月3日でした。そして自身も32歳で迎えた5月3日。とても不思議な縁を感じつつ僕は心の中で次のように決意しました。

「5月3日を原点として自分も先人たちに続いて一人立つ時が来たんだ。それは日蓮正宗でも創価学会の後継でもなく、一人ひとりが仏陀となる時代の先駆けとしてまず自らが実践する。先人たちと現状の未熟な自分を比べると、とてもおこがましい話かもしれないが、この道を生涯歩み続ける意志と覚悟はある。それにふさわしい者として歩み続けよう」

このように決意してから約1ヶ月が過ぎました。時代は常に休むことなく先へ先へ進み、今という時はすぐ過去になり未知なる世界へと向かっていきます。5月3日の決意を常に新鮮なものとして心に留め、僕は今日も自我から湧いてくる想いを手放し、いつどんな時も天の意志を「いただきます」の精神で歩んでいきます。

 

 


病気が導いてくれた八番目の聖者への道 〜 きたじゅんの気付き

きたじゅんは、1年半前にメンバーになり、現在は長野県の大町ビレッジに滞在しています。日ごろ、あまりみんなの前で話すことのないきたじゅんが、ある日の大人ミーティングでこんなシェアをしました。以下、全文をご紹介します。

きたじゅん

病気が導いてくれた八番目の聖者への道

2013年5月、僕はカーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中に閉じ込もっていました。当時は、水力発電所の設計をしていましたが、長時間残業と人間関係のストレスから眼精疲労になり休職を余儀なくされてしまいました。今まで無理に無理を重ねてきたため、パソコンやテレビのようなデジタル機器から照明や太陽の光までまぶしく感じ、強い痛みを伴うため、日常生活を送ることが困難な状態になっていました。このときから僕は常に帽子とサングラスが手放せなくなり、出口の見えない長くて暗いトンネルの中にいるような日々が始まりました。その後、一度は職場復帰できたものの、2015年1月、再びパソコンを見ることができなくなり2度目の休職を余儀なくされ完全に行き詰まってしまったのです。

そんな中、出会ったのが木の花ファミリーでした。そこで参加した1ヶ月間の真学校で本当の自己を知り、自身の30年間の歩みを振り返りました。真学校では、自分の癖・性分が病気を作り出していること、そしてその癖・性分を手放すことで自ら発している病気の響きが変わり元の気が入ってくる、つまり健康体を取り戻すことができると学びました。しかし、それは頭だけの理解に留まり、実践を伴った本物の理解に至るまでには、さらに長い時間が必要でした。なぜなら、自身の根深いカルマをなかなか超えることができなかったからです。

僕のカルマの性質を挙げてみると、常に他人の評価が気になる、被害妄想が激しい、思い込みが強い、人の意見や出来事を素直に受け止めないなどネガティブな思考ばかりです。このネガティブを安定してやり続けるのが純一というカルマの特徴です。自分でも本当に面倒臭いなと思うし、これと向き合って変えていくのは大変な作業でした。例えば日々の作業の中で、体調を崩しているのに人の評価を気にして本音が言えず、つい無理をして頑張ってしまうことがよくありました。そしてまた体調が悪くなる。でも他人に自分の弱さを見せることができない。さらに苦しくなる。余計なプライドが邪魔をしてこの悪循環からずっと抜け出せずにいました。それでも、木の花のみんなのサポートのおかげで、曲がりなりにも1年間ヘルパーを続けることができました。体力に自信がついたのと木の花ファミリーの生き方がこれからの時代にとって本当に大切だと実感できるようになったため、2016年11月、正式にメンバーとなりました。

帽子とサングラスが手放せなかった頃

その後、2017年4月から4人で大町ビレッジでの生活が始まりました。一人ひとりが個性の花を開きみんなで調和した桃源郷の世界を大町でも目指そうと最初は意気込んでいたものの、また自身のカルマに飲まれていってしまいました。自分の未熟さや生活態度、不調和な空気など立て続けに指摘されるようになり、あまのじゃくで幼稚な僕の心は次第にみんなから遠ざかっていって、いつしか自力で抜け出せないほど深みにはまってしまいました。そんな中、人身事故という大きな出来事をもらい、ますます現実を受け入れられなくなって底の底まで心は落ちていきました。

「こんなに苦しむくらいなら、自分と向き合うことから今すぐ逃げ出してしまいたい」

自分でも愚かな選択だと分かっていながら、何度も逃げたい気持ちがわいてきました。ただ、その度に僕を木の花に引き止めてくれたのは眼精疲労でした。
今の目の状態で一般社会に戻ってもまともに働くことができないのは分かっていました。確かに苦しくて逃げ出したい気持ちはある。でも逃げ出せない現実がある。僕は何のために病気で行き詰まって木の花と出会い、今こうしてみんなと桃源郷を目指して日々真剣に過ごしているのか。何度も何度も自分に問いかけました。

「一度完全に行き詰まったのだから、自分のカルマと向き合わずここから逃げ出すのは生きることを放棄するのと同じだ。僕は必ずこのカルマを乗り越えて世のため人のために役立つ者に生まれ変わるんだ」

こうして自分の本当の気持ちを確認し、それを現実化するために行動し始めました。

女郎囃子を舞うきたじゅん(左)

その後、大町から富士宮に戻り転機が訪れました。2018年1月、木の花ファミリーにとって最も重要な「富士浅間木の花祭り」が開催されました。僕の役割は女郎囃子のおかめ役でした。今回、舞うこと自体が初めてで、さらに女役になりきってアドリブで舞うというのは自分にとってかなり苦手意識が強くハードルが高いと感じていました。人前で目立つことをしたり、笑わせるようなことをするのは自分の性に合ってないし、中途半端な舞をすれば余計恥ずかしい思いをすることは分かっていました。でも必ずみんなの役に立つ者に生まれ変わると決めたのだから、どうせやるなら思いっきり悔いなく舞おうと思いました。そして当日、自分を捨てて思いっきり舞ったところ、お客様もメンバーもみんな喜んでくれてとても楽しい場を作ることができました。僕自身はなぜか心の中がとてもすっきりした感覚があり、今まで感じたことのない感情が湧き上がってきました。

「みんなと時間・空間を共有し、心を一つにして何かを成し遂げるということが真の喜びであり本物の豊かさなんだ」

舞い終わった後、女郎囃子の仲間たちと一緒に

そう思うようになってから僕の心はどんどん広がっていき、自然と新しい視点が心の中に入ってくるようになりました。

このように、心が変化し始めてからもう一つ転機がありました。それはケア滞在や長期滞在の人たちと一緒に作業をしていたときのことです。普段から彼らの言動を観察していると、彼らの癖・性分が自分を自らの内に閉じ込め病気を引き寄せていることに気付きました。これは真学校で学んだ心と病気の仕組みを彼らが見せてくれているのだと思いました。そしてその視点を自分自身に当てはめてみました。すると、僕は長い間体調不良が続いていてその状態が一番落ち着くというおかしな状態になっていることに気付きました。そのことに気付いた時、自らの思いを手放していけば元の気が入ってきて健康体に戻れるのではないかと思いました。それは、回復をあきらめていた目も例外ではないかもしれないと思いました。

そして、2018年4月から2度目の大町ビレッジの生活が始まりました。僕は常にわいてくる自らの思いを徹底的に手放すよう心がけました。自分の限界は決めない、体調は予測しない、自らの思惑をすべて手放して結果を頂くことに努めました。すると、体に変化が現れ始め、サングラスではなく普通のメガネや裸眼で過ごす時間が徐々に増えていきました。あるときふと気付くと、自分のことはどうでもよくなっていて、それよりもみんなともっと時間を共有したい・空間を共有したい・心を共有したい。その想いがより一層強くなり、自分と他者の区別が無くなっていくのを実感するようになりました。

そうして迎えた5月3日。この日は木の花ファミリーにとって重要な節目の日でした。それは創設者のいさどんが生前葬から質的転換の7年を迎え、ジイジという新しい名前を天から頂き再スタートする日だったので、1日だけ大町から富士宮に戻りました。僕は「富士宮のみんなとしばらくの間また会えなくなるから、せめて今日だけはサングラスをやめて笑顔でみんなと過ごそう」と思い、できる限り普通のメガネで過ごすことにしました。すると、普通のメガネにしても特にまぶしさは感じませんでした。試しにサングラスをかけてみるととても暗く感じました。もしかしてと思ってサングラスと帽子を両方とってみるとなんともありませんでした。今日はたまたま調子が良いだけなのかなと不思議な気持ちになりつつ、そのまま「誕生祭」を迎えました。そして、ジイジとして初めて語る中で、最後にこのように話してくれました。

誕生祭でのジイジときたじゅん

「あなたの人生をどうするかはあなたの責任です。これからこの時代をみんなで共に役割として作っていく集いの場に私たちはいますが、魂の歩みはそれぞれ別々です。そこはシビアに、私はみんなを救おうなどとは思いません。それは初めて人間が救われるという解釈から自らの価値を高め自らを救済する。やっと自分が尊き者になる手段が自分の手の中にある。それが人生の勝利者です。今までは木の花という役割の場所を維持するのが目的でしたからみんなに寄り添ってきましたが、これからはしません。私はどんどん先に進みます。そのうち、後ろを見たら誰もいないかもしれません。それでもいいのです。その生き方が大事です。今日のジイジの誕生祭は私の誕生祭ではありません。あなたたち一人ひとりのビジョンが始まったのです」

ここまで聞いた時、これからは一人ひとりがイエスとなり仏陀として生きる時代になるという八番目の聖者の話を思い出し、次のような想いが湧き上がってきました。

「今日まで本当にいろんなことがあったけれど、僕はこの道に出会うために今この場所にいるんだ。本当に愚かな自分ではあったけれど、個人の意志に関係なくもっと大いなる意志が僕を八番目の聖者の道へ導いてくれたんだ。その案内役が病気だったんだな」

そう思ったとき、僕の両目から痛みがすっと消え去っていきました。

「疫病神さん、今までこんな自分に付き合ってくれてありがとう。
 そしてお役目ご苦労さま」

と心の中でつぶやき、そっと天へとお返ししました。

 

 

八番目の聖者への道のりは続く!

 

 


「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~ きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語

去年の4月、子宮頸がんであることがわかったきょうこちゃん。その後がんが進行し、今年の10月26日、大量出血のため市立病院へ急遽入院することになりました。きょうこちゃんのパートナーのこうちゃんは、きょうこちゃんが入院中、病室で寝泊りしながらずっときょうこちゃんに付き添っていました。生死の境を何度もさまよいながら、入院してから48日後の12月12日、きょうこちゃんは市立病院を退院し、今後は沼津のがんセンターでの治療を視野に入れて体力の回復を図っています。以下は、きょうこちゃんの入院中、お見舞いに行ったときのいさどんとの会話をようこがまとめた「きょうこちゃん物語」です。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-12-25-1-24-24

――

10月26日。あっちゃんから連絡があり、お昼にいさどん、まりちゃん、ちなっぴと一緒に重篤状態のきょうこちゃんのところへ向かった。処置室にいたきょうこちゃんは「やりきっていないことがたくさんある」と言って涙を浮かべていた。でもいさどんに「あなたは正直なところ、自分でどう思うのか?」と聞かれたきょうこちゃんは「まだ死ぬ気はしない」と答え、いさどんは「そうだろう?それはあかんわ」と言った。また、きょうこちゃんは、「わたしの生き様を観て、皆のお手本になったらいいね。そういう役割をしていくね」とも言っていた。

その翌日の10月27日。いさどんとわたしは再びきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは、「わたしとしては、生きる方向に心を向けていくだけだなと思っている」と言い、いさどんは「それはそうだ。それにしても、わざわざ波が高いほうを選んだ」と伝えると、きょうこちゃんは「大分高いほうを選んだね。今は過去がどうだったかというよりも、ここまでいただいてきた道だから、ここから先をどう生きていくかだと思っている」と答えた。それに対しいさどんは、「あなたがいないところでいろいろ考えると、あまり希望が湧いてこないのだけど、あなたを観ると希望が湧く。本人が一番元気だ」と伝えた。また、「わたしたちは時代人です」の最新版メッセージを途中まで読んでいたきょうこちゃんは、「時代人・時代主義なんて、新しい言葉だね。これは世界初の言葉かもしれないね。今、わたしはこんなに狭い部屋にいるけど、そういう心で時代と共にあるのだと思っている」と言っていた。

その後、面会に来ていたきょうこちゃんの両親にいさどんは涙を流しながら次のように話した。
「彼女のことを思うと、前向きに考えられないのですが、そうかといって人に前向きに生きるように伝えてきた立場として、どのように言葉をかけたらいいのかと思うのです。意外と本人のほうが一番元気ですよ。まだ早いでしょう?と本人も言うのです。昨日、きよちゃん(きょうこちゃんの娘)と話したのですが、あの子はここのような環境で育ったこともあって、しっかりしている子です。『わたしはきょうこちゃんのことを思って、別に毎日泣いているわけではないけど、そういうことがあるかなと思うと、時々泣くこともある。でも小さい頃からね、生きるのは死ぬためにあるんじゃないのと思っていた。だから、死ぬことは嫌だけど、人はいつか死ぬことを知っているよ』と言うのです。『僕はきよが元気がなかったらいけないと思って、きよがどのように考えているのかなと思って呼んだんだよ』と伝えると、『大丈夫だよ』と言うのです。そのようにきよは育ったのだと思いました。きょうこちゃんには、『これから世界に向けてのプロジェクトがたくさんあるのだから、あなたもそれを一緒にやっていく仲間だよ。未来の答えはわからないのだから、精一杯やっていこう』と伝えました。まだ、触るとあたたかいですからね。未来はまだあるわけです。結論は出さずに付き合っていこうと思っています。木の花には外で緩和ケアの所長をしている看護師もいて、『やっぱり病院にいるのは変だと思う』という話をするものですから、今きょうこちゃんにも『もしあなたが望むのなら、木の花に戻って皆の顔を見ながら過ごすこともできるよ』と伝えたのですが、『それは先に考えるかもしれないけど、今はわたしはまだ先があることを考えているから』と言うのです。それで僕も、『そっちのほうがいいね』と伝えました。だから、本人が一番元気なのです。僕も、人を元気にさせるのが自分の役割なのに、ついつい望まないことを思ってしまうのです。」

いさどんの話を聞いていたきょうこちゃんのご両親は、「本人は意外と元気なもので、我々も安心しました。今日はひとまずこれで帰ろうと思っています」と話されていた。

そして10月30日の夕方。明日きょうこちゃんは沼津のがんセンターに移動になるかもしれないということで、いさどん・みかちゃん・ちなっぴと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いつも眠りから目覚めると、『まだ生きている』と思う。いつも死と隣り合わせなんだよね。いつもこういう気持ちで生きていられたらといいと思う」と言い、いさどんは「それを必死と言うんだよ。必死は必ず死ぬと書く」と伝えた。それに対しきょうこちゃんは「いさどんがインドへ行ったときのことを思い出しちゃった。いさどんがインドへ行く前に逆流性食道炎と胃潰瘍、十二指腸潰瘍になって、人生で初めてのステロイドも服薬したら結構顔もはれちゃって、でも『負けへんで!』という気概というか、いさどんの気合を思い出した。あれは気迫があったね。あの気迫をもって生きていくことだよね」と言った。

それからきょうこちゃんは、「この前は皆にも引き戻してもらったし、いさどんにも会いたいなと思っていたら、夢で会えた」と話し、いさどんは「この世界では愛が大事で、情が絡むと毒になる。しかし、旅立つ人を引き戻すには情が引き戻す。その執着が引き戻すんだよ。愛ではだめなんだよ。愛ではそのままを受け入れてしまうからね。だから、情が引き戻す。情が深い人ほど、引き戻す」と言い、わたしが「いさどんは情が深いからね(笑)」と言うと、いさどんは「愛と情を使い分けないといけないんだよ」と言い、みかちゃんは「すごいね!愛と愛情を使い分ける!」と言っていた。

きょうこちゃんはまた、「こんなにスリルにあふれる毎日を送れるなんて。昨日はさくやがつねちゃんたちと一緒に来てくれて、その後れいかから電話があって、それからせいたろうからも電話がかかってきてね。木の花で育った子どもたちはいい子たちだなと思った。家庭教師時代があったな、なつかしいなと思って、せいたろう物語があったなあと。それこそ、皆の力だね。」と言っていた。

その後、「花よ天まで」をみかちゃんが歌い、それを聞いたきょうこちゃんは「皆で桃源郷を創ろう!本当に役に立つ者に生まれ変わって生きる!今、歌を聞いていたら、皆で本当に桃源郷を創るんだ、と思って・・・生きるぞと思っても、わたしもどうなるのかなと思って、気持ちがつい弱気になったりもするけれど、皆と一緒にやるぞ。そうだ!」と泣きながら言い、わたしたちが来たときは顔色が黄色く、熱があったきょうこちゃんの顔色が変わってきて、熱も下がったようだった。そして、皆で笑いながらばか話をしているのを聞いていたきょうこちゃんは、「いつも笑いがあっていいねえ」と言っていた。

翌日の10月31日の朝、3年前にいさどんが夢の中で天に問われて、それに対して答えた文章のことを久しぶりに思い出した。「少しでも光のほうへ」という文章をきょうこちゃんと一緒に読みたいという想いが湧き、プリントアウトして持っていって、いさどん・きょうこちゃん・こうちゃんの前で読み上げた。

――

「闇からの卒業にあたって」

卒業式にあたって、自分の歩む道の方向性をつけるのに、どのような心構えをしたらいいでしょうか、という質問があったので答えます。まず、自分が歩む方向についてですが、自分が思う方向に進めばいいと思います。もし、思う方向が定まらなければ、自分に近い人が教えてくれる方向に進めばいいと思います。その自分が進む方向が決まったら、今度は、それがより健全で正しい道を選ぶことです。この世界にある物事はすべて、必ず善と悪に仕分けることができます。それを比べたときに、必ず片一方が少し劣っており、もう一方が少し優れているというように仕分けられます。それがあまりにも同じようでわからないときには、それを細かく捉えていって観れば、必ずそこでは優劣があるものです。そうしたら、ほんの少しでもいいから優れている方向へ進めばいいわけです。そして、選んでいった結果、最後に残ったところ、それが自分の進むべき道です。

これは「闇からの卒業」であり、「愚かからの卒業」であり、「神様へ進む道」です。

次に、この道を歩む縁をもらったものは、その道には道にふさわしい色々な困難があるものです。そして、それを歩む人には人にふさわしい迷いがあるものですが、この道を歩むものはまず、この道に縁があったことを歓びとして感じていくことが大切です。善いとか悪いとか、そういう判断をするのではなく、この道を歩めることを最大の歓びにすれば、どんなことがあっても、この道を歩むことから外れることはありません。そして、その選び方は、消去法でほんの少しでも光のほうへ、ほんの少しでも善意のほうへ、ほんの少しでも愛のほうへ、ほんの少しでも調和のほうへ、ほんの少しの違いがあってもより尊きほうへ道を歩めば、必ずその道は最後には人の行くべき最終到達地点につながっていることでしょう。

道は、人の目には観えないものですが、心の眼があるものには、その眼が愚かしいを避けて、正しいほうへ導いてくれるでしょう。心の眼を開けるためには、自らの内側にある本当の想いが天のほうへ眼を向けて、天のほうへ向かっていく。まっすぐに向かっていく道を意識したときに、眼はより良く観えるようになります。誰の中にもあるその眼は、全く揺るがないものであるのです。その眼が自らの中にあることを信じ、歩んでいけば、迷うことは全くなくなるのです。そして、過去に自らが迷ったことを思い出して、その迷いの愚かしさ、辛さを思えば、なおさらその真理への道を歩むエネルギーと追い風になってくれるはずです。

迷っているときは、あなたの我が自らをたったひとりにして、まわりのものから遠ざけてしまうものですが、真理への道は必ずまわりのものをしっかりと見出し、助け合い、調和し、歩むように眼を開いてくれます。それは、楽しく希望ある豊かなものになるでしょう。

――

この文章を聞いたきょうこちゃんは以下のように語った。

ようこちゃんたちが来るちょっと前に夢を見ていてね。そうしたらお釈迦様の手が上から現れてね。『さあ、立ちなさい』と言って、立たせてくれたの。顔は見えないのよ。『おまえはな、肉の眼は見えるかもしれないが、心の眼は盲目であったな』と言われて、『心の眼が見えるにはどうしたらいいのですか?』と聞いたときに眼が覚めたんだけど、すごいね。この話がすぐに出てくるとはね。ついさっきだよ。

昨日の(フェイスタイムで聞いていた)子どもミーティングでのいさどんの話もすごく良かったよ。うそつきは病気になるんだよって。わたしはうそつきだったな。本当にそうだったなって思うと、楽なんだよね。改めて楽になってさ。それにしても、ようこちゃんの文章はすごいタイミングだね。びっくりしちゃった。『どうしたらいいのですか?』と聞いて夢が終わっちゃったから、『ああ、続きが見たいなあ。もう一回見られないかなあ』と思っていた。それが現実となってすごいね。

そして、いさどんは次のように語った。

「僕の正直な気持ちは、早く行きたい。早く行きたいけど、率先して行くものでもない。物事の本質やことの成り行きがわかってしまうと、繰り返しの出来事に出会って毎日が退屈なんだよ。からくりがわかってしまうとね。やることがあればいなければいけないと思うけれど、生きることに囚われることはない。それこそ、長生きすることが良いことのように思われてきたけれど、世の中のものたちがそういうことをわかってしまえば、長生きすることだけが大切ということはなくなる。逆に、それならこの世界がむなしいわけではないから、別に長生きしてもいいわけだ。要はどちらでもいいんだよ。今は世の中がわずらわしいから、その矛盾のところと付き合っていることから早く離れたいと思う心もあり、そんなに早く行ってはいけないと思う心もあって、結局どうでもいいことになる。」

そこできょうこちゃんは「皆はわたしを見て、早く気が付いてほしい」と言い、いさどんは「そういう意味ではあなたがその学びを皆にもたらしてくれた。こんなことがなくても、皆が目覚めればいいのだけど、それは役割というものでもあるのかもしれない。でも、そこで気合が入りすぎてはいけない。気合が入りすぎると力が入りすぎるから、それはまた間違う。揺るぎのない自覚を持っていくだけだ」と伝えて、わたしたちは病院を後にした。

翌日の11月2日。白光のニコルやカタリナたちが来ていて昼にコンサートがあった。コンサートが終わり、ニコルたちと湧泉閣で話していたとき、いさどんから「今、僕たちは銀河のテーブルを真ん中に置いて、そこを囲んで銀河を眺めながら話をしているようだね。宇宙を旅する乗り物は「ユニバス」だ(チーン♪ みんな笑)!皆でいつか宇宙会議をしましょう」という話が出た。そこでジェニーが「そこには白光の五井先生や孟子たちもいるね」と言い、いさどんは「そうなのです!そのときにはトキを刻んでいる時代の枠を取り払いますから、トキを超えて高い魂が集まることになるのです」という話をしていた。

翌日の11月3日。朝、こうちゃんから電話があり、きょうこちゃんが結構出血しているということを聞き、いさどん、まりちゃん、みかちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、ひとみちゃん、まりねえ、あさちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。こうちゃんから電話があったとき、後ろできょうこちゃんが「ああ、ああ」とうめいている声が聞こえ、「まるでお産のようだ」とわたしが思っていたら、きょうこちゃんも、「出血すると、本当にお産のときのように子宮がぐわっと開いた感じになってね、思わず声を出しちゃうのよ。声を出すと楽なのよ」と言い、こうちゃんは「ああ、と言うんだよ。カタカムナでアは高次の響きだよね。人は苦しいときに、ああ、なんだと思ってすごいなあと思った。だいたい出血があると寒気と痛みが来るのだけど、その痛みはお産の痛みを10とすると6~7ぐらいなんだって」と言っていた。

それからきょうこちゃんは、「10月26日、29日、今日とあれから3回も大量出血をして、『もう1回大量出血したら』って言われていたけれど、まだ生きている。びっくりしたあ!もう3回だよ(笑)そのたびに覚悟はするけど、こうして生かしてもらっている」と言い、いさどんは「じゃあ、何回行けるか挑戦してみよう!どっちにいてもホームレスにはならへんぞ。居場所がある。今、ホームレスは病室のソファがベッド代わりのこうちゃんだと思ってさ(笑)」と言って、皆が笑った。

 病室にはいつも笑いがあった
dsc00541

dsc00538

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-12-25-1-22-01

 
その後みかちゃんとちなっぴが「太陽の導き」を歌い、いさどんはこう語った。

「昨日ジュラシックワールドという映画を皆で観たけれど、DNAというのは何を刻んでいるのかというと、過去の経験を刻んでいる。経験の情報がすべて図書館のようにして刻まれている。
我々は大きな世界の中の小さなものだけど、大きなものは小さなものによって成り立っていて、小さなものは大きなものを支えている。小さなものにはここからここまでという枠があって、ロックがかかっている。そのロックをはずすと、実は宇宙の物質は消えることはないことが観えてくる。はじまりから今まで消えることなく、ただ変化しながらそのサイクルを経験しているだけだ。そのサイクルの経験をDNAがすべて記憶している。そうすると、ロックをはずしてやれば、我々の中にある物質的DNAと霊的DNAは解放される。自らの枠を超えて、自分自身のルーツでも巨大な宇宙原理でも、自らの中から湧き出てくるようになる。
だから、『太陽の導き』の歌の中に出てくる『あなたという小宇宙がもっと大きな大宇宙の中で』というのは、これはまったくの真理だ。自分という自我のロックをはずしてやれば、大きなところへ行って自分が消えたように観えてもいいんだよ。そして自分にそれが返ってきて、自分の小さな枠の中に戻してやれば、また元の自分がそこにいる。だから、自由自在だということ。微細な宇宙も巨大な宇宙も、実は探究は同じで、それは大きく拡大するか小さく拡大するかというだけのこと。タガがはずれると、そのような発想が湧いてきて、それが真実になっていく。
だから、我々は現象界で生死に縛られているようで、死ぬことを恐れたりするけれど、行ったり来たりしているだけなのだ。タガがはずれればどうってことはない。昨日もニコルたちと三次元の話をしていたけれど、心は異次元だった。そして、トキを超越していた。」

きょうこちゃんは「やっぱり皆と話すと、世界が大きくなって、宇宙にまで意識が飛ぶね。生きているとか死んでいるとか、そこにこだわる必要もないし、だけど希望を失わないということなんだけどさ。そういうところにこだわる必要はない。いつも皆と一緒なんだと思っている」と言い、いさどんは「それはお互いさまだよ。電話が来るとそれはいかんわと思うけれど、こうやって話していれば、やはりロックをはずすべきだと思う」と伝えた。

最後に、きょうこちゃんが放射線治療の二択についてどうしたらいいか、いさどんに尋ねると、いさどんは、「どっちでもいいんだよ。だいたい変だと思ったのは、これがいいと思っている医者の案があるのに、二つも選択肢を提示すること自体間違っている。それでこちらが伝えたことに対してクレームをつけるくらいなら、最初から一つだけを言えばいい。さっきの話をまとめていくと、何でもいいんだよ。行ったところが道だから。とても複雑そうに観えても、実は当たり前にこっちだな、こっちだなと進んでいくだけのこと。最初からその道だけを言われると強制されて難しそうに感じるけれど、今を観て、こっちだな、こっちだなと進んでいけば、どんなに不可思議な道でもちゃんと行けるものだ」と言い、きょうこちゃんは「昨日の判断状況と今朝の判断する状況が違うからね」と言うと、いさどんは「そういう意味でいったら、『まだ自分で選ぶか?』ということだ。」と言った。
こうちゃんも、「僕もそう思った。結局選んだものの反対、反対の現象がずっと来る。だから、選ぶこと自体がいただいていないと思って、もうやめようと思った」と言い、きょうこちゃんが「ここまで来ても、常にいただく心がやりきれてないね。まだ自分の我が勝っている」と言うと、いさどんは「選択肢がないのなら、もしくは選択肢を捨てなさいというプログラムなら、最初から選択肢なんか与えなければいいのに、と天に言うと、天は『そういうものはあそこにおるぞ。植物や動物は選択肢がない状態でおるぞ』と言われる。だから、天は人間だけに選択肢を与えたんだよ。なぜなら、その意志を共有したいからだ」と言った。それできょうこちゃんは「どこまでもいただく精神だね」と言い、わたしたちは病院を後にした。

dsc00555

 

11月6日の朝9時過ぎ。3日ぶりにいさどん、みかちゃんと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いさどんが『人が変わると景色が変わってきた。きょうこちゃんからみほさんに担当が変わって、倉庫まわりが整理されてきた』と言っていた話をこうちゃんから聞いて、いろいろと振り返ることがある」と言うと、いさどんは「先にそういったことをすべて振り返って整理しておくと、もし向こうに行ってもやることがないから、来なくてもいいよ、ということになる(みんな、笑)。だいたい、ほとんどの人々はそういったことに気が付かずに向こうへ行って、向こうで振り返ることになるのだから。だから、生きている間に本当は振り返らないといけない」と言い、わたしは「それが心磨きだよね」と言った。
それからきょうこちゃんは、「昨日の夢にみかちゃんが出てきて、振り返りが足りないよねって言われたんだ。自分が過去にしてきたいろいろなことの映像が浮かんできたり、中神倉庫で作業をしている夢を見たりね。久しぶりに中神で作業をしちゃった。こうやって生きているうちにいろいろと振り返らないといけない。入院してからのこともそうだし、これ以前のこともそうだし、親に対しても生意気だったなって」と言い、いさどんが「それだけ振り返って復活したら、使い物になるぞ!僕はそれを楽しみにしている」と言うと、きょうこちゃんは「これだけのことがあったら多少使い物にならないとねえ」と言い、皆で笑った。それからいさどんは「今、世の中は面白くなってきたぞ!」と言い、それから30分くらい話をして病院を後にした。

しかしその後、午後2時前にこうちゃんから電話がかかってきて、きょうこちゃんの意識が遠のいているということを聞き、いさどんとわたしは再度病院へ向かった。わたしたちが到着したときはまだ意識が遠いところにいたきょうこちゃんだったが、意識が戻ってきたときに「皆、ありがとうね」と言い、「意識がある・・・ああ、自分はまだ生きているんだって。今度こそ行っちゃうのかなって・・・皆に出会えたことに、この生き方に出会えたことがありがたい。後悔は何もないし、ありがたいなあという想いだけ。皆に出会えて良かった。いろんなことに出会ってきたけれど、全部感謝だな。いろんな人に出会ってきたけれど、感謝だな。ありがたい」と言い、いさどんは「そういう気持ちになれるのが目標だからね。生きているということは、なんでもありがたい。不満を言っているうちは、まだ本当がわかっていない。また来てほしかったら、また緊急の状態になればすぐ来るから(笑)」と言い、皆で笑った。

翌日の11月7日。いさどんと楽団の皆と一緒にきょうこちゃんのところへ行った。午前中に輸血を行い、午後には初めての放射線治療を受けたきょうこちゃんは昨日とは打って変わり、生命力にあふれていた。いさどんは開口一番、「また会えたね。昨日は緊急事態にならないと来ないぞと言ったのに、今日は運転手として雇われてきた。日当なしで来たぞ(笑)」と言い、皆で笑った。みちよんが昨晩大人会議の冒頭に皆で輪になってカタカムナの63首を歌ったことを伝えると、きょうこちゃんは「いつもは結構しんどいのだけど、今日は珍しく一日落ち着いていた。夕方ゆみちゃんが来て、みかちゃんのメールを読んでくれてね。自分の中に奇跡を起こす力があることを信じることだね」と言った。

みかちゃんのメールには、昨晩のいさどんの言葉が書かれていた。「きょうこちゃんを復活させるのに奇跡があるとしたら、それは医者が『なぜ復活したのかわかりません』という奇跡だ。しかし、今の流れだと医者の力なんだよ。それは奇跡とは言わない。あれは医者が話している可能性と医者が話している奇跡の話だ。奇跡を見せないと、人間はその奇跡の方へ、天の方へ心を向けない。でも、今までそれをやってきたから間違いも起きた。昔はそういう奇跡があって、それを信じたものたちが天をあがめて、信者と化した。結局、根本的に人間の心を変えたわけではない。その見苦しい亡者の姿が再発して今ピークを迎えている。」そこでわたしは「その奇跡こそがカタカムナの現象化だものね。でも、それは奇跡というか道理であり、いのちの仕組みだから」と言い、いさどんは「それが神秘として隠されているんだよ。それをその通りだと思えば通っていくのだが、その通りを悪くしている思考回路がある」と言った。

そこからいさどんはチャイナブルーという中国のある社長のドキュメンタリーの話やフランスの人口学者の話、アメリカ大統領選、フィリピンのドゥテルテ大統領の話、パククネ大統領の話、福島原発の話など多岐に渡る話をして、「もう、世の中のどこを観ても世紀末だ。今、新たな世紀が始まり、新たな価値観が湧いてきている。人口学者のエマニュエル・トッドさんは現状を分析し近未来を予測して『価値観の大転換が必要です』と言っているが、どうしたら価値観が大転換できるのか、その回答はない。今までは分析する人はいなかったけれど、今、分析する人は現れるようになった。しかし、実際にどうしたらいいのだろう?というと、その回答はここにしかないんだよ。この間の『時代人』の話がその答えだ。(そしてきょうこちゃんに向かって)死んでいる場合じゃないぞ!(みんな、笑)」と言い、きょうこちゃんは「本当だねえ(笑)。復活しないとねえ。いろいろな意味で本当にここには回答がある。ここにしかない」と言った。さらにいさどんは、「死んでいる場合じゃないぞ!」と言い、きょうこちゃんは「本当に死ぬかと思ったわ(笑)」と言うと、いさどんは「昨日はだいぶ呪いの呪文を唱えたよ(笑)。行かせん、行かせん、おまえのいいようには行かせん♪」と言い、皆で笑った。
最後にいさどんが「今は世の中が混乱の極みだ。だから、死んでいる場合じゃないぞ!安定している時代ならば、まあ別にそう大して変わらないから、さよなら~って行ってもいいけど、これぐらい激動だったらちょっと眺めていたほうが面白いぞ」と言うと、きょうこちゃんは、「これからますます世の中が面白くなっていくね!今日は激動の世界を駆け巡ったわ。また元気になった!」と言い、わたしたちは病院を後にした。

その2日後の11月9日。夜中に大量出血があったということで、いさどん、みかちゃん、ちなっぴと一緒に午前中、病院へ向かった。実は昨日、「久しぶりに木の花ファミリーブログとして掲載されているきょうこちゃんの心のシェアを読んでみたい」と閃き、今日そのブログを2つプリントアウトして持っていった。そこには、「すべては善への旅である」も引用されていた。

病院へ着くと、いさどんは「今から勉強会をやるからね」と言い、まず、きょうこちゃんブログを読み上げた。その後いさどんは「短くても長くても充実していることが大事だ。あなたの人生は充実はしていたね」と言い、きょうこちゃんは「良い人生だったよ」と言うと、いさどんは「過去形にするな(笑)」と言って皆で笑った。きょうこちゃんは「今、わたしは医療の技術によって生かされているけれど、最終の最終地点では結局わたしの信じる力がすべてを左右するということを感じている。そこのみ」と言い、いさどんは「結論は出して出せないものだから。最終的には自らの寿命と出会うということと、その答えはいただくものだということ。それをいただく心になったときに、ふさわしく善意で物事が与えられていたことに気付く。企めば企むほど、裏が来るからね(笑)。想いは勝手にいくらでもまわるから」と言い、きょうこちゃんは「たとえいのちが短く終わっちゃったとしても、それでも善意だなと思う」と言った。

みかちゃんは「この前ね、ハワイのネイティブの人のマナカードを引いてみたの。とかく人間は白か黒かをはっきりさせたいものだけど、グレーというのが大切で、先を決めないで常に瞬間瞬間の白でもなく黒でもないところを感じていき、瞬間の波に乗っていくことの大切さというカードだったの。それはいつもいさどんが言っていることだと思った」と言うと、いさどんは「その立ち位置に立つからこそ、いただくことができる」と言い、わたしは「今回、奇跡って何だろう?と思ったときに、『奇跡』はその人の『軌跡』・その人の歩いた跡だから、奇跡をその人にとっての最高の境地だとするならば、奇跡とはそこに至るまでのその人の歩みにしかすぎないんだよね」と言い、いさどんは「それはDNAだからね。DNAは体験したことが記憶してある情報にしかすぎない。だから、自分がぶれなくてもいいんだよ。自分を観て、ぶれていたら、揺れている自分がいるなと思うだけだ。そしてそこをどうしていくかという歩みが一つの生きるエネルギー源になっていく。そのままでいいなら、皆あっさりと向こうに行っているはず。そこにもだえ、苦しみ、抵抗し、そこで何かを掴んで人は成長していく。世の中にはもだえ、苦しみ、抵抗しただけで終わり、学びが一切なく、転げ落ちていく者もいるから、いろいろだ。今日はもうひとつプロジェクトがあるけど、大丈夫か?」と言い、昨晩出発(たびだち)プロジェクトチームが仕上げた出発アンケートをきょうこちゃんにシェアした。

いさどんは、「我々がこの道を生きることにおいて、極めて重要なことの掘り起こしやそれを考えるきっかけをつくっているのは、あなただ。これも、あなたのような往生際の悪い者だからこそ、そうなれた。見本みたいな人がそうなったって、『あれは当たり前だよね』という話になるだけだ。それを超えるとき、人は見本になれる。それで、あなたもメンバーなのだから、こうやって語り合えるうちに出発アンケートを共有しておこうと思っているわけだ。まだ過去形にはなっていない(みんな、笑)。
こういったものがすべて共有できるようになると、奇跡の下地はできる。さっきのグレーの話ではないけれど、結論は出さなくてもいただく精神によって、我々が出したがる右か左というものではないものが出てくる可能性がそこにある。そこは無所有の境地。そこは何かの枠を取っ払って、死生観でいう生死を越えたところで観ないといけない。どこにも恐ろしいと思うことなしに、ただ現状を情報として観て、淡々とその流れに沿っていく」と言うと、きょうこちゃんは「つい結果を想像していろいろ考えちゃうけど、まっさらに、ただただいただくということを今は学ばせてもらっているなとすごく思う」と言った。
こうちゃんは「覚悟がないと、奇跡を起こそうという今までと同じ欲の延長になっちゃう。でも覚悟があって、いつでもいただきますという精神に至って初めて、奇跡を起こす側の立場になるのかなと昨日から思っていた。自分はどうかな?と思いながら」と言い、いさどんは「自分の想いを行動に移してみると、すべてつぶされていくでしょ(笑)。それでもう一回振り返ってみると、想っても仕方がなかったことがわかる」と言うと、こうちゃんは「輸血のことでも、輸血は1回だけだと言われて、僕としたら当然前回と同量くらい輸血するのだと思っていたら、前回の3分の1の500ccだけで、そこでひとつ外れたなと思ってさ。そうすると、自分の中に『あと1リットルくらい輸血してくれるだろうな』とか『なんでそんな話になったのだろうか』という想いが湧く。それで今日の夜中に500cc以上出血したものだから、どんどん手放していけということだと思った。自分では手放しているつもりでも、想いは湧いてくる。だから、一つ一つ現象が教えてくれている」と言い、わたしは「きょうこちゃんの魂が、きょうこちゃんが言葉では一時『すべてがありがたい』と言っても、『本当にあなたはすべてをありがたいと思っているのですか?』と問うてくれたのだと思った。だから昨日、『何かが違う』と伝えてきた。単に輸血して放射線治療を受けて、物理的に一時安定してそれでよかった、という浅いところではなく、魂の価値のことを教えてくれていた。ありがたいにしても、どんどん深みが増していく」と言った。
きょうこちゃんは「さらに自分の想いを本当になしにしていくというかね。いただいているつもりでも、まだいただいていなかったり、そういうことを日々学んでいると思う」と言い、こうちゃんは「本当に不思議だよな。だからといって、考えなくていいというわけではない」と言うと、いさどんは「それが生きているということだ。だから、生きているということは、あるものとコミュニケーションをとっているということ。この世界にはあるものというものがあるんだよ。秩序として、厳然たる不動のものがね」と言った。

さらにこうちゃんは「数日前から思っていたのは、どこまで行っても深くなる一方だから、どこまで行ったらということはとりあえず肉体を持っている限り、ない。感謝でもいただくでも、どんどん奥がある」と言うと、いさどんは「ということだ!わかったか(笑)。結論は何もわからん」と言い、わたしが「それがこの世界の実体だものね。人間にわかっちゃいけないんだよ」と言うと、こうちゃんは「生まれたときから死ぬときまでぜんぜんわからないことの連続だから」と言い、わたしが「生きているということはわからないことがわかるということ」と言うと、いさどんは「わかるを自分の側に置こうとするからいかんのだ。やはりいただいていく精神だ」と言った。
こうちゃんは「深いね。だって、探求してわかろうと思う想いがなかったら、ここには至らないしさ、けど・・・」と言うと、いさどんは「わかろうと思って、わかったら違うんだよ」と言い、もう言葉では表現できず、どうでもよくなる、という結論に至った。きょうこちゃんも「深いね!」と言い、いさどんは「生きていても死んでいてもいいんだよ。この間ここへ来たときは『死んでいる場合じゃないぞ!』と言ったけど、そんなことはどうでもいいんだよ」と言い、こうちゃんは「もしかしたら次の計画を先に練りだしているかもしれないし(笑)」と言い、いさどんは「『おまえ、こっちで手が足らんから早く来い!』と言われているかもしれない(笑)。それで行ってみたら、なんてことはない、こっちよりももっと親しい人たちがいたりしてな。『あっちに囚われている場合じゃなかった!これがわかっていたら早く来たかった!』ということになるかもしれない」と言い、皆で笑った。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-12-25-1-38-38

最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした♪

141121-084416-825x510

 

その翌日の11月10日。朝、きょうこちゃんが大量出血し、意識が遠のきそうだという連絡がこうちゃんから入り、いさどん、みかちゃん、まりちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。病院へ到着すると、きょうこちゃんは「いろいろあるねえ」と言い、いさどんは「それにしても、もうこれ以上血液が減ってはいけないと言われているのにさ」と言うと、こうちゃんは「落ち着いているでしょ(みんな、笑)。今までになくすごく穏やか。血色も良いし(笑)」と言い、わたしは「血液がなくても生きていける境地になった。新種が木の花に現れた(笑)」と言うと、いさどんは「マイナスだったりしてな(笑)」と言い、皆で笑った。

きょうこちゃんは「夢の中であうんの会があってね。今、やじーが毎日そばを打ってくれるのだけど、『このそばは命を蘇らせる本当のそばですよ』って皆で泣きながら食べているの・・・今、わたしは生きているなって。元気になったんだって・・・そう思いきや、朝になったらドバーッと(笑)」と言い、こうちゃんは「本当に面白いよ(笑)。今までは子宮がぐちゃぐちゃしている感じがあったんだって。だけど、放射線のせいかそういう感覚がなくなったんだって。良い感じかなときょうこちゃんが言っていたら、その直後に出血(笑)!面白いね。本当にどこまで行っても、いただきますだ」と言い、きょうこちゃんも「もうびっくりしたよ!今までで一番出血の量が多いよ。でも、意識が切れないじゃんって(笑)」と言い、こうちゃんも「意識が行きそうだと言うからいさどんに電話したけど、1回も意識が飛ばないね(笑)」と言った。わたしが「きょうこちゃんの中でそばが生きているから(笑)」と言い、いさどんは「つなぎが良かった(チーン♪笑)」と言って、皆で笑った。

それからいさどんは「今、アメリカで起きていることは、皆、今までを基準にしてものを考えるだろう?まさか、『こういうふうになるとは』とか『もうこれ以上は』と言うけれど、行けば行くほど、その次の世界がある。結局、所有しているだけなんだよ。自分の枠の中で限定しているから、『これ以上行ったら考えられない』というものが皆あるんだよ。次から次へとある。ただそれに自分の思考が追いつかないだけ。だから、思考しないでいただいていく姿勢になれば、自由自在になれる。限定する自分に囚われがあると、『いやだ!』とか『考えられない!』となるけれど、どちらにしても考えられるわけがないんだよ(みんな、笑)」と言った。

きょうこちゃんは「この生をいただいている。本当に皆に出会えてよかった」と言い、いさどんが「昨日の話で、もしここで別れて向こうへ行ったら、『なんだ!こちらのほうが近かった!』という話は面白いと思ってね。『向こうも近いと思ったけど、なんだ、こっちのほうがもっと近い!』と僕は思うんだよ。なぜここへ来てこのような生き方をしているのかと思うと、そこに出会うわけがある。それで戻っていったら、戻っていったで、『向こうのわけはこちらに元があったんだ!なんだ、ばかばかしい。あっちのほうが大本だった』ということになる。すべてあちらで操作している」と言うと、こうちゃんは「向こうで操作するのも面白そうだし、こっちでアップダウンしながら操られているのも結構面白い(笑)」と言った。

それからいさどんは窓から富士山を見ながら、「窓の外の景色を見ると、昨日の景色も今日の景色も天気が違うから多少違うように見えるけど、同じように見えるだろう?あれをじっと観ていると、ドーッと何かが流れている。移り変わっている。移り変わっているということは、今この部屋の中では毎日いろいろな出来事があって一喜一憂するわけだ。そこで気持ちは一喜一憂しながら、『まだ生きていたよ』などと言っているけれど、この世界全体がドーッと動いている。自分が意識したところはダイナミックで過激なように見えるけれど、実はそこら中ダイナミックで過激で、すべて同じなんだよ」と言い、こうちゃんも「本当に流れているだけだな。流れがそこにあるだけだなって思っていた」と言い、きょうこちゃんは「世界は面白くなるねえ。フリーな立場でいれば本当に面白いね」と言った。

その後、看護師さんが何度か部屋に来たときにいさどんは「あの人たちが入ってきてさ、僕を見て、『トランプさんがなぜここにいるのだろう?』となぜ聞かないのか(笑)。ヘアスタイルが違うからか(笑)」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

dsc00552-mini

 

11月14日。いさどんとわたしは4日ぶりにきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんの顔を見るやいさどんは、「えらい良い色になったな!この世のものとも思えんような(笑)。悪くならないものだから、見に来なかったぞ(笑)。毎日来てほしかったら、毎日危篤状態になればいいんだよ(笑)」と言い、皆で笑った。

その後わたしは、「せっかく久しぶりにきょうこちゃんのところへ行くのだから、何かプレゼントを持っていきたい」と思ってプリントアウトしていった「胸突き八丁」の話をきょうこちゃんにシェアした。

――

 「胸突き八丁」

いさどん:
富士登山では九合目を超えたところに、胸突き八丁(約872m)が来る。胸突き八丁は九合目の上にあるんだよ。気持ち的にはもう一息どころか、二息いかないと、頂上へは行けない。「もう九割来たのだから」といって、もう行けたと思ったら、それで断念することになる。ダンネンでした(チーン♪)。そこを行き切るのは、心で行ける。そのときに、心で行ける見本となれるし、物理性が伴わなくても、人間は精神というもので究めることができる。これは人間以外のものには与えられていない。心で生き切るということは、植物や動物には与えられていない。他のものは心は関係ないのだから。

ともこ:
胸突き八丁を超えることは、今までと質が違う感じがする。

いさどん:
そう。富士登山でいう胸突き八丁というのは、物理的な辛さとの戦いだ。しかし、この胸突き八丁は目覚めるか、目覚めないか。真理を観るか、観ないかの差だから、だいぶ違う。

ともこ:
それまではわりとストイックな世界だったけれど、ある意味自分と向き合ってきた者がその延長線上だと、そこは登れないのだろうなと思う。

いさどん:
なぜかというと、それは「人智」だからだよ。胸突き八丁の向こうはすべてを捨ててしまって、すべてをお任せという境地。そういった精神状態になれば自分も何もありません、という心境だ。きょうこの言う、「わたしって囚われていた。いのちというものはもっと必死にならないといけない」ということだ。生きることに真剣になって、がむしゃらにあがくことが生きることの証だよ。だから、瞬間瞬間生きることは真剣だ。そのことに気が付くと、生命力が湧いてくる。胸突き八丁は、ただ生命力に任せて、ただ前に出る足に従って行く境地だ。

人には人智を超えた生命力に出会える可能性がある、と僕は考えている。

――

文章を聞き終えたいさどんは、「胸突き八丁の胸は胸板のことだからね。だから、心のことだ」と言い、きょうこちゃんは「人智を越えたところに湧き出してくる。富士山を登ると、本当にあとちょっとというその最後が苦しいんだよね。もう目の前に上が見えているのにさ。よく行ったもんだねえ」と言った。いさどんは「初めて登ったときは配分がわからなかったから、最後のところは死んでもいいから登ろうと思った。死んだら登れんというのに(みんな、笑)。ご来光登山だったから、上が渋滞して亡者のようになってしまった登山者たちが動けずにいて、その間を踏んでいくような感じだった。途中であいこさんとはぐれてしまい、必死になって上がったら、あいこさんは上にいた(みんな、笑)!あんなに必死になって来たのに(笑)。『ちょっと大変だったろう?』と言って迎えてあげようと思っていたら、あいこさんのほうが『来れたねえ』と言うんだよ。僕が120%の力を出しても、草取りではあいこさんに絶対負ける!」と言い、こうちゃんが「負けるよね(笑)。競争するのが馬鹿らしくなっちゃう」と言い、さらにいさどんが「まりこと蕎麦刈りしてみろ!腹が立ってくるに(笑)」と言い、皆で笑った。

それからいさどんは、「新しい宇宙の分析をしたから、それをフランス人の人口学者のエマニュエル・トッドとヨーロッパの最高頭脳と言われているジャック・アタリに送ってあげないといけないと思ってね。エマニュエル・トッドにはようこちゃんがすでにメールしたよ」と言い、わたしは「彼に時代人のメッセージを送りたいと思ってね。『日本であなたが特集されている番組を観て、あなたが気に入ると思いましたので、時代主義のメッセージを送ります。もっと知りたければ、ぜひ富士山麓の木の花ファミリーに来ていただき、前人未到のディスカッションを地球と全人類のために行いましょう♪』というメールを送った(笑)。本当に来たら、彼にプレゼンしてあげないとね」と言った。

また、いさどんは、「結構良い色になってきたな。血がないはずなのに(笑)」ときょうこちゃんに向かって言い、こうちゃんは「どこかでスイッチが入ったのか。何かが起きているのだろうか(笑)」と言い、きょうこちゃんが「これから先も本当わからないなと思って」と言うと、いさどんは「覚悟しすぎて損しただろう?」と言って、皆で笑った。さらにいさどんは「人間が想定できるうちは、奇跡ではない。人間がダメだと判断したところから奇跡が起きる」と言い、こうちゃんは「胸突き八丁の話と同じで、本当に一線があるんだなと思ったよ。手放すということはこういうことかなって」と言った。きょうこちゃんは「やろう、やろうとしているときはダメだけど、手放したときに何かが起こる」と言い、いさどんは「妥協しているうちはダメだ。こういうふうだから、今度はこうと妥協しているうちはね。妥協も何もなくなってしまわないといけない」と言った。

そしていさどんは、「また来るから。次は3年後(笑)!来てもらいたかったら、危篤になること(みんな、笑)!こうちゃんから連絡があってここに来るときには、これで終わりかと覚悟して来るのだから」と言い、こうちゃんは「帰るときは皆で笑っているもんな(笑)。もう7回くらいそういうことがあったよ」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

img_0023

 

――

その後、きょうこちゃんの状態が安定してきたため、いさどんは一週間に一度きょうこちゃんのところへ行って雑談をしては、きょうこちゃんがよく笑い、11月28日に15回の放射線治療の最終日を迎え、12月12日の退院に至ったのでした。きょうこちゃんの退院にあたり、「こんな日が来るとは思えませんでした」とこうちゃんは言っていました。

 退院して、みんなと再会。
dsc00687

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-12-24-3-04-37

 こうちゃんに付き添われ、2ヶ月ぶりに畑へ。
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-12-24-3-14-04

2016-12-24-3-32-03
 

木の花ファミリーに戻って2週間が経った今、きょうこちゃんは現在の想いを次のように語ります。

――

この48日間のことを思うと、ものすごく貴重な体験をさせてもらったと思います。生死を彷徨うような状態であったけれど、振り返れば面白い体験でした。もうあちらの世界に行ってしまうかも知れないというのに、病室にはいつも笑いがありました。生きていても、死んでも、どちらでもいい。もともと大本はあちらの世界にいたのだから。そんな、囚われのない心になれると、いつも笑っていられるのだと思うのです。

とにかく、どこまでいっても「いただく」ということを学ばせてもらいました。手放すことで、奇跡が起きることも見せてもらったのです。

自分の今までの心は間違っていたことにやっと気付き、自分の心の眼が見えていなかったことにも気づかされました。やっていきます、と宣言はたくさんしてきたけれど、本当のところは、自分の心を見ることから、逃げてばかりいました。けれど、間違っていた自分を認めてしまうと、すごく楽なのです。ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。当たり前のことだけれど、その当たり前が、自分が強いばっかりに、やれなかったのです。

血も入れ替わりました。通常私の体の大きさだと、約3200ccの血液が体にあるそうですが、今回2160ccも輸血したのにそれ以上の出血があったのです。体が緊急事態を察知して、普段とは違う方法で血を作ってくれたとしか思えません。放射線治療の副作用で、腸炎を起こして、10日間何も食べられず、胃も腸も空っぽになりました。下痢がひどく、オムツをし、液状のものから始めて、だんだんと柔らかい離乳食のようなものになり、徐々に普通に食べられるようになっていきました。そして、一カ月以上も寝ていると、歩くこともできないのです。まずは座ることから、次は立つこと、そして少しずつ歩けるようになりました。つまり、肉体的には死ななかったけれど、体は、まるで赤ちゃんからスタートして、一から始めているのです。

心も一からスタート。そんな気持ちでいます。

だから、今の私は、私であって、私でないもの。不思議な感覚です。もともと、自分が生きている要素なんてどこにもないのですが、頭で分かっていただけで、本当には分かっていませんでした。知れば知るほど、「分からない」ということが分かる。本当にこの世界は奥深い。

まだ、みんなには話していないけれど、放射線治療をするとき、汽車が走るような音がします。まるで、銀河鉄道に乗っているような感覚になるのです。そして、宇宙空間に、蓮の花の上に横たわる私の姿が見えるのです。最初は妄想かな、と思ったけれど、何度も何度もその映像は出てきて、出血で苦しいときも、熱が出てしんどい時も、うつらうつらと眠っているときも、やっぱりこの映像が出てくるのです。何か大きな存在が、私が生きるべく、体を癒し、いつも見守ってくれている・・・。けれど、それは、私に限らず、全てのものがそうやって生かされている存在なのです。

そう感じました。

img_2084-001

これから、次の治療が始まりますが、いつまで生きられるか、それこそ分かりません。だから、今、私がやれることを精一杯やっていこうと思っています。体はまだ思うように動かすことが出来ないけれど、私がやれること、私にしかできないことがあるはず。こんな私でも何か役に立ちたい。そんな風に思って日々過ごしています。

今は、ゆっくりと療養させてもらって、本当にありがたいです。神様の愛と、みんなの愛をいっぱい感じている毎日です。ありがとうございます。

そして、今日はクリスマス。イエス・キリスト様のお誕生日ですね。私たちはいつもいつも、神様からたくさんプレゼントを頂いているのだけれど、今回のことは本当に大きなプレゼントをいただきました。頂いてばっかりなのですが、私に何か出来るとしたら、「病気」は決して不幸なことではなく、「神様からのプレゼント」だということを多くの人に伝えられたらいいなと思っています。

そして、シリア、イエメンなど未だに内戦が続いています。破壊しつくされた町や栄養失調でやせ細った赤ちゃんの映像を見ると、本当に心が痛みます。彼らがこの日をどう過ごしているのか、想いを馳せてみるのです・・・。本当に世界が平和になる日が来るように祈るとともに、その暗闇の元が自分の中にもあることを見詰め続けていくことだと思っています。

2016-12-24-3-35-10

 

――

そして、きょうこちゃんをずっと見守ってきたいさどんは、次のように語りました。

――

「きょうこちゃんが市立病院に入院しているときは、『あなたの枠を取りなさい。いただきなさい』と伝えてきょうこちゃんはここまで来たのですが、きょうこちゃんがここに戻ってきたときには、『これから沼津のがんセンターに行く前に、健康な心になりなさい。そして体に残っている病気に対処しなさい』と伝えました。そうしたら、病気は格段に早く改善されることでしょう。

今はきょうこちゃんに会うたびに、『生きていたね』と改めて思うのです。何度か手放してきましたからね。そうすると、きょうこちゃんがただそこにいるだけで奇跡が起きていると思うのです。実は奇跡とは、当たり前のことなのです。奇跡が起きるのは、神秘が現れたのです。神秘とは、神の秘密です。それを秘密と捉えず、観えるようになってくれば、この世界は奇跡だらけなのです。そして、『奇跡』だらけで生きると、それがその人の生きた『軌跡』となるのです。

本当は、このような現象をもらわなくても、生きていることの意味を深く感じられたらいいのですが、人は滞りがない毎日を送っていると、日常に当たり前にあることがありがたく思えないものです。そう思えない人は当たり前にあることに対して意識しないので、想いが叶わないことに対して不満を言うようになります。きょうこちゃんからのメッセージにシリアやイエメンのことが書いてありましたが、昔のきょうこちゃんだったらそのようなことに想いを馳せることもなかったことでしょう。病気になることは歓迎することではありませんが、どこからでも学ぶ気になれば、良い体験になるのです。しかし、ならないほうがいいものはならないで学べることが一番良いですね。日々起きる出来事がわたしたち自身を教えてくれているのですから、いかに小さなことで気付けるか――、それが、日々どのような姿勢で生きているのかの証です。

しかし、小さな滞りで自らを振り返らなければ、出会う現象はどんどん大きくなっていきます。そして、最終的には命が懸かっている段階にまで至るのです。そこで、必死という境地に至るのですが、そのように必死になったときに、必ず死が訪れることを教えてもらうのです。わたしたちは必ず死ぬのです。ですから、丁寧に自らの心の在り様や出来事の意味を見つめ、常に理解する必死さがあれば、大きな現象をいただいて慌てなくてもいいのです。そして人に不満を言わなくてもいいのです。

最近きょうこちゃんの顔を観ると、顔つきには癌の相はなく、表情は健康体です。きょうこちゃんが癌になり、医者もダメだろうというところにまで行って、こうちゃんは7回もダメだとあきらめました。7というのは、カタカムナで質的転換を表しますから、良い数字ですね。体にはまだそれだけの現象の余韻が残っていますが、きょうこちゃんの心はもはや癌ではありません。昔は、きょうこちゃんの体は健康に見えましたが、心が癌をつくる響きを発していました。

木の花の自然療法プログラムを受けるために面談に来た人に、僕はこう伝えることがあります。『あなたは病気ではありません。あなたの心が病気を引き寄せる心をしているだけであって、実際は病気ではないのです。ですから、病気ではない心の姿勢を保っていけば、霊主体従といって健全な精神に健全な肉体が宿るのです。つまり、心が先にあって、それにならって現象が起きるのです。』そこで、そう思えるかどうかです。自分は運が悪いのだとか、自分は病気だから仕方がないのだと言っているようではダメですね。その心が自分の中に病気をつくり、病気を引き寄せるのですから。ある意味、病気になっている人はかわいそうでもあるのですが、冷静に客観的に観れば自業自得なのです。そこで、客観的に自分を観て、それを引き寄せた自分自身に気付けるかどうか。

きょうこちゃんは次のように書いています。

ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。 

そこで、何がバカだったのか。大切なことはそこなのです。人からそれを伝えられるときには、まだわからないものです。しかし、人と自分の区別がなくなると、人の言葉がそのまま自分の中に入ってきます。それが、我が小さくなるということです。そのようになってくると、人の言葉が直接入ってくるので、人からの目線が自らの目線となり、客観視点ができて、それを取り入れられるのです。そうすると、他者と共有し合う豊かな世界ができます。そしてそれが、イエス・キリストをはじめ、過去の聖人たちが説いてきた境地なのです。

あなたも別人になれますよ♪別人といっても、別の人になるわけではありません。あなたがあなたではなくなるということはないのですから。ただ、あなたを存分に活かすことはできます。その道は万人に与えられています。そのことに気付き歩み始めた人々は、人としての最高の喜びを知ることでしょう。そういったことを、わたしたちはこの世界からクリスマスプレゼントとして約束されているのです。

 
 12月24日 クリスマス会
img_7705-2

 木の花楽団に復帰し、新曲「花よ天まで」を弾くきょうこちゃん
img_7697-2

img_7719

 

きょうこちゃんの物語は、続く!

dsc00701