木の花ファミリー通信2021年夏至号「狂った現代経済〜お金がないと生きていけない」

現代を生きる人々が最も関心のあるもの ──── お金。
しかし、その最も関心を持ち、最も頼っているお金が、どれほど社会を狂わせているかを認識している人々が、どれだけいるでしょう。

現代を生きる人々は、「お金がないと生きていけない」という強烈なマインドコントロールにかかっています。文明の発祥以来、より良い暮らしを追い求めてきた人類は、何十億年という時をかけて育まれた豊かな地球生態系の大循環の中に、地球史上に類を見ない、「人工」という特殊な世界を展開するようになりました。その原点にあるのが、経済です。

人々が、より豊かで、より便利な暮らしを求め、経済活動という人間だけに特有の営みを発展させてきた結果、今やその人工の世界は生態系の循環から大きく外れ、生態系そのものを崩壊寸前に追いやるところまで来ています。ところが、生きることが純粋な生命活動ではなく、お金を稼ぐことが最優先になってしまった現代の人々は、お金を得るために更に経済を発展させることに没頭し、自らの営みが他の生命を傷付け、多種多様な生命を絶滅に追いやり深刻な被害をもたらしているという事実に、驚くほど鈍感です。

そのような破壊活動の上に築かれてきた人間社会は、今、大混乱の前夜を迎えています。それは、視点を変えてみれば、予定通りのことであるとも言えます。

私たちは、広大無辺な宇宙の中の奇跡と言える命あふれる星、地球の大生命生態系を母体とし、誕生しました。その中で、元々生態系に存在しなかったものを生み出し、そのなかったものを拡大して自らの母体である絶対的な存在を傷付ければ、いずれそこに問題が発生します。そして、その問題の発生源を淘汰する動きが起きるのは、当然のことなのです。

いよいよ世界中で大混乱の兆候が現れ始め、人々は「大変なことが起こる」と不安に駆られています。しかし、それは来るべき時が来たということであり、大局的に捉えれば、すべてがシナリオ通りに進んでいるとも言えるのです。そうだとしたら ────

 

そのシナリオを書いているのは

誰ですか?

 

 

 

私たちが生きているのは、地球があるからです。

地球があるのは、宇宙があるからです。

この当たり前の事実から、現代を生きる人々の日常は、遠く離れています。
 

私たちはなぜ、生きている?

私たちが生きるために、決して欠かすことのできないものを挙げてみましょう。土、水、光、風、空気 ──── その中に、ひとつとして人間が自らの力で創り出せるものがあるでしょうか。

私たちは、地水火風空という自然の五大要素が循環する地球の生態系の中で育まれたものを食べ、自らもその循環の一部となり、多種多様な生命と無限に連鎖しながら、命をつないでいます。その生態系の循環は、まるで約束されているかのように毎日朝が来て、夜が来て、春、夏、秋、冬と季節が巡り、決して留まることのない、地球のサイクルによってもたらされます。その地球のサイクルは、太陽を中心に、九つの惑星を始めとする数千個の星々が絶妙なバランスを保ちながら巡り続ける、太陽系のサイクルに基づいています。その太陽系のサイクルは、「セントラルサン」を中心に、太陽系を含む数千兆個もの星々が直径10万光年という巨大なスケールで巡り続ける、銀河系のサイクルに基づいています。その銀河系のサイクルは、更に大いなる何ものかを中心として無数の銀河が巡り続ける、大宇宙のサイクルに基づいています。

このように、私たちの生きる宇宙には数多のサイクルが幾重にも存在し、そのすべてが、大本の大宇宙の法に沿い、見事な秩序の下にあまねく連鎖し循環する、大調和の世界を築いています。この絶対の秩序の下に銀河があり、太陽系があり、地球があるからこそ、そこに豊かな生態系が生まれ、私たちもまた、命を与えられているのです。その多様なサイクルの連鎖に狂いが生じれば、絶妙なバランスによって保たれている繊細な生命秩序が崩れ、私たちはたちどころに存在できなくなるでしょう。今この瞬間も、人間の意志や思考など一切与り知らぬ壮大な力によって宇宙は維持されており、その秩序無くして、私たちはただひとつの命も存在させることはできないのです。

生態系を破壊する「お金がないと生きられない」

さて、視点を私たちの身近なところへ向けてみましょう。現代の多くの人々が「生きるために欠かせない」と思っているのは、お金です。

お金とは、中央銀行が発行する紙切れ、或いはコンピューター上の数字です。それは私たちの空腹を満たすことも、風雨から身を守ることもない、生命の維持とは本来何の関りもないものです。自然界の生命は、生きるための活動がすべて、自らの命を維持することに直結しています。そしてその活動は、自らの存在が他の生命を生かすことへとつながる生態系の大循環の中にあります。かつて人間も、大いなる宇宙の法のままに、その循環の中を生きていました。しかし、文明の発祥と共に社会を発展させてきた人類は、次第にその大いなる循環の中で生かされていることを忘れ、人間の都合ばかりを優先した人工の世界を拡大するようになりました。そしていつしか、生きることの最優先事項が、お金を稼ぐことへとすり替わっていったのです。

18世紀半ばの産業革命以降、その傾向は特に顕著となります。人々は、生きる糧を得るために大地を耕すよりも、工場で大量の工業製品を生産するようになり、更には、工業製品を作るよりも、コンピューター上の数字を操作して莫大な利益を得るようになりました。その結果、実際に物を生産するのではなく、お金そのものを商品として更にお金を増やしていくゲームのようなマネー経済が異常に膨らみ、実体経済からかけ離れてお金が独り歩きをするようになったのです。

地球が誕生してから現在までの46億年の歴史を1年に例えると、およそ250年前の産業革命は、12月31日の午後11時59分58秒、つまり、現在からたったの2秒前に起きたことになります。その僅か2秒の間に広まった経済最優先の価値観は、永い地球の歴史から見ればほんの一瞬のものでありながら、現代を生きる人々は、まるでそれが永遠に続く絶対の価値観であるかのように、そこから離れて物事を捉えることができなくなっています。経済が停滞して景気が落ちれば、その解決策として更に経済を成長させることを考え、医療や福祉、環境問題までもが新しいビジネスのネタとなり、平和の祭典と謳うオリンピックさえ、スポーツよりも経済効果が目的となり、利権まみれの状態です。

今、パンデミックによってこれまで通りの経済活動ができなくなったことで、多くの人々が自らの先行きに不安を感じています。それは、現代人が生きるための本当の手段を失っているからです。土から離れ、お金を求めて人工の世界を拡大してきた私たちは、自然の摂理から逸脱し、本来の生命活動とはかけ離れた暮らしを営むようになりました。その脆弱さを、新型コロナウィルスが突いたのです。

お金に縛られない大地との絆のもとに生きていく手段があり、衣食住が足りていると、世の中を冷静に観ることができます。しかし、生態系の循環から外れ、自らが生きるすべを持たない人々は、社会に少しの変動が起きただけでも動揺し、不安に駆られて更にお金をかき集めようとすることで、ますます生命としての本来の在り方から離れていくのです。その結果、「2030年問題」として前号でお伝えしたように、地球は今、危機的な状況を迎えています。

痛みの奥にあるやさしい投げかけ

私たちはこれまでも、そういった視点から繰り返し発信をしてきました。しかし、その意味を心から受け止め、自らを変化させようとする人々は、ごく少数です。それは、人間は痛みをもらうことでしか気付けない生き物だということなのかもしれません。

痛みとは、生物が生きていく上で最も重要なセンサーです。もしも体に不具合が生じた時に痛みがなければ、そのまま気付かずに突き進み、最終的には体を壊してしまうでしょう。痛みがあるからこそ、私たちはその原因を振り返り、修正し、健全に立ち還ることができるのであり、それは物理的にも霊的にも、生命を存続させる大切な働きなのです。ところが、文明の発展と共にテクノロジーを進化させてきた人類は、痛みから学習してその根源を正すよりも、テクノロジーによって痛みを表面的に解消して先へ進むようになり、問題を更に深刻化させてしまっていることに鈍感になっています。

パンデミックや異常気象など、人間がこれまで通りに暮らせなくなるような現象が世界中で起こり、人々はそれを「異常事態」と捉えています。しかし、それは異常なことが起きているのではなく、生命循環の秩序を乱す異常な人間の活動を排除し、生態系を健全に戻す、ごく正常な働きと言えるです。すべてが大いなる宇宙の法の下にある大調和の中にあって、不調和なものは排除されるのがこの世界の仕組みです。人間の営みは、その大調和の中に不要なものを作り過ぎてきました。不要どころか、あってはならないものまで作り、それによって経済を膨らませ、その状態に執着するようになりました。そうして社会全体が狂いながら、狂っていることすらわからなくなっているのです。

政治家も学者も起業家も、現在の社会で優秀とされる人々は、その優れたと評される能力を使い、今起きている問題に対処するための更に高度な技術や仕組みを考案し、人々もまた、それが問題を解決すると信じています。しかし、そのような人間の思考によって築かれてきたのが現代社会であり、その延長線上に世界が健全になることはないという事実に、私たちはもう、気付かなければならないのです。

今、そのような人間の営みの結果年々増大してきた「異常事態」による、地球規模の破壊が始まっています。目先の利益を追い求め、問題の根本的解決を先送りして矛盾を積み重ねてきた分、破壊に伴う痛みは大きなものとなるでしょう。そしてその流れに抗えば抗うほど、痛みは更に大きくなります。しかし、それを痛みと感じるのは、人々が産業革命以降のたった2秒間に築いた現在の暮らしを絶対のものとし、それを維持し続けることに囚われているからです。

痛みは生きていく上で最も重要なものでありながら、同時に、最も不要なものでもあります。痛みはなぜ起きるかというと、それを不要にするために起きています。なぜその痛みを受けることになったのかを振り返り、理解することで、それを受ける必要がなくなるための智恵が湧いてくるのです。痛みの通り道は神経、即ち「神の経路」と書きます。人知を超える大いなる存在が、痛みを通して私たちに何かを示しているとしたら、今世界にもたらされ始めた大きな痛みの背後にも、メッセージが観えてくるはずです。

私たちの中に、大いなる意思がある

もう一度、視野を宇宙へと広げてみましょう。

宇宙は、人知を遥かに凌駕する大いなる力によって運営され、悠久の時の中で時代を紡いできました。宇宙創世から銀河の誕生、太陽系と地球の誕生、そして地球に原始生命が生まれ、永い進化の旅の果てに誕生した人類が数多の文明史を刻んで現在へと至る、連綿たる時代の変遷を辿っていくと、そこにひとつの方向性が観えてきます。方向性があるということは、そこに意志(意思)があるということです。宇宙は、大いなる何ものかの意思(意志)によって運営されており、その宇宙の創造物であるということは、私たち一人ひとりの中にもまた、その見えない意思が反映され、宇宙と呼応しているのです。

この壮大なる進化の旅の中で、地球には数千万種とも言われる多種多様な生命が誕生しました。その一つひとつは、言わば地味な存在です。例えばメダカは田んぼの水の中に、ミミズは土の中にいるように、暑い所にいるもの、寒い所にいるもの、地上を歩くもの、空を飛ぶものなど、種としては多彩でありながら、一つひとつの個体は自らに適した特定の環境のみに生息し、生きるためにひたすら同じ活動をくり返しており、生命としての振れ幅はとても小さなものです。ところが、その無数の地味な存在が、それぞれの位置で独自の役割を果たしながら、互いに連鎖し、循環すると、とてもダイナミックな生態系の大循環を創るのです。そしてその一つひとつすべてが、宇宙を運営する大いなる意思と連動しています。

それに対し、現代の人間の生き方は非常に派手です。芸能人やスポーツ選手のように、特殊な能力を持つ人々が華々しく活躍して多額のお金を稼ぎ、多くの人々がそういった存在に憧れ、様々な分野ごとの頂点を目指して競い合っています。しかし、そのような特殊な存在は、生命としての人間の姿からはかけ離れた状態であるとも言えます。皆がオリンピックの金メダリストのように特殊な存在になっては、生態系は成り立たないということです。

生命の本質は、多様性です。とりわけ人間は、ひとつの種でありながら、一人ひとりがまったく違った独自の個性を持っています。その誰もが、それぞれの位置で、自らの個性にふさわしいオリジナルな役割を果たしながら全体に貢献し、他のすべての生命に歓迎される生き方をする。人間は本来、そういった尊さを持ち合わせているものであり、そこを目指すべきなのです。他の生命が宇宙の法のままに生態系の循環の中を生きるのに対し、自らの欲望を追求してその循環から外れ、生態系を破壊してきた人間は、言い換えれば、それだけの高い能力と、自らの意志によって全体を俯瞰できる力を持っているということです。だからこそ、人間には数多の生命の代表として、地球生態系の指揮者となる役割が託されています。それは、多様な存在のどれもが充実し、誇り高く在れるようなタクトの振り方をするということです。そしてその結果、地球が健全になっていくということです。金メダリストがどれだけタクトを振っても、地球は健全にはならないでしょう。

健全な地球上で表現されるのは、大循環を回すための大共有経済です。そして、そこに配置される一人ひとりの人間の意識は高く、それ故に地味です。なぜなら、自分だけを特別視することがないからです。人間は、もっと地味に生きる必要があります。それは、自らの欲望や思惑を表現するのではなく、宇宙の法のままに役割を果たし、大生命循環の一員として生きることです。既存の価値観や経験に縛られた思考を手放し、大いなる宇宙の流れに身を任せた時、人知を遥かに超えて大宇宙を運営する何ものかの意思が私たち自身の中から湧き出します。その時、私たちはその大いなる意思の表現者として、変化・変容・変態を繰り返し果てしなく進化し続ける、ダイナミックな宇宙物語を生きるものとなるのです。それこそが、人が目指すべき自由を謳歌(サトリ)する姿です。

宇宙が人間に託したものとは

宇宙は果てしなく広大で、時の流れは永遠であるかのようです。その宇宙の成り立ちを、より身近に、ダイナミックに表現する場として、宇宙は永い時をかけ、地球という命あふれる奇跡の星を誕生させました。そして多様な存在が連鎖し循環する宇宙の大調和のひな型として、地球に大生命生態系を創造し、その生命進化の最後に登場した人間に、自我という、絶対的な秩序の下にある自由を与えました。それは、その自由意志によって、人間が地球上で何を表現するのかを託したのです。

これは、言わば宇宙劇場地球物語です。宇宙は地球上に様々な現象を起こし、時代を刻み、その中で人間はそれぞれの時代にふさわしい役割を果たしてきました。そして今、時代が大きく転換する時を迎え、人間がこれから地球上で何を表現するのかに、全宇宙が注目しています。

そこには、シナリオがあります。そしてそのシナリオは、宇宙創世から変わることなくひとつの方向に向かってきた、大いなる意思の下に進んでいます。その意思は果たして、私たち人間が何を表現することを求めているのか。それは、自我の囚われを手放し、自らの奥深くに眠る大いなる意思を目覚めさせた時、きっと観えてくるでしょう。

人間には、それが可能なのです。

 

 

木の花ファミリーでは、メンバー一人ひとりが個性を活かし、「医」「農」「食」など様々な分野で役割を果たしながら、全体が連携して循環する、調和の暮らしを築いています。多彩な活動を通して得られた収入は「お財布ひとつの経済」として皆で共有し、全体のために使われます。

6500年の人類の歩みをひっくりかえす

私たちは、空気を共有しています。水を共有しています。太陽を共有しています。すべてが共有の下にあるこの世界の成り立ちが、木の花ファミリーの暮らしの原点です。

この共有の世界の中で、私たちの健康はつながることによって保たれています。すべてがつながり、循環しているからこそ、私たちのもとに食べ物がもたらされ、排せつされたものがまた次の生命の元となり、多様な存在がそれぞれの位置で役割を果たしながらバトンをつないで、全体の健康が保たれていくのです。そこに、ゴミが発生することはありません。
この無駄のない美しい循環の仕組みが、本来の経済の姿です。お金は、その循環をよりスムーズで便利にするために生まれた、言わば社会の血液です。私たちの体を巡る血液は、必要なものを隅々にまで運んで全身をつなぎ、健康を保ちます。現代の社会は、お金に人間の欲を乗せて運ぶようになったために、隅々まで行きわたるはずの循環に至る所で滞りが生じ、社会全体が病むこととなりました。

木の花ファミリーでは、すべてを共有し、分かち合います。そこで循環するのは、自分たちの欲ではなく、天の恵みです。天の恵みとは、雨が天から降ることも、食べ物が大地から採れることもそうですが、その大本は大宇宙の法であり、法の下にあるこの世界のサイクルです。私たちが存在する上で、絶対に欠かすことのできないもの。欠かすことができないものとは、決して欠けることのないもの。それが天の恵みです。
みんなでつながり、その大いなる天の恵みが地上に表現されると、物事は不思議なほどスムーズに進み、少しのエネルギーでとても豊かになる大循環の世界が実現します。すると、欲や不安から必要以上にかき集めることもなくなり、必要なものが必要な分だけ、必要な時に巡って来る好循環が生まれます。

そんな木の花ファミリーの暮らしの中心にあるのは、創立からずっと変わることなく続いてきた「菩薩の里」の精神です。菩薩とは、他者や世の中の喜びを自らの喜びとする存在を言います。人間は、自らの願いを叶えるためではなく、大いなる宇宙の意思を地上に表現するために生まれました。その目的は、多種多様な存在が無限に連鎖し、絶対的な調和のもとに美しく循環していく、宇宙の根本原理である愛を表現することです。

文明の発祥以来、自我の願望を叶えることに喜びを感じてきた人類が、自我を手放し、すべての存在と共に喜びあえる大調和の世界を築くため、自らの精神性を高めていくことに喜びを感じる時代が、これから始まります。それは、文明発祥から6500年間の歩みを根底から覆す生き方です。その先に、どんな世界が待っているのか ────────

それは、あなたの意思と決断に託されていることであり、未来に行って、あなた自身が確認することなのです。

 

 

 


木の花ファミリー通信2021年春分号「2030年、地球は限界へ」

 

この10年のあなたの行動が

未来を決める

 
新型ウィルスの拡散により、世界中で緊急事態宣言が出されることが当たり前の時代となりました。人々はこの事態が一日も早く収束することを願い、ウィルスの撲滅に向け様々な取り組みを行っています。しかし、そもそもウィルスがなくとも、世界は今、緊急事態の真っただ中にあります。

最新の科学は、地球の環境が既に飽和状態に達していることを明らかにしています。温暖化に環境汚染、食料難の深刻化や資源の枯渇、人口爆発と高齢化、さらには人知を凌駕するAIの台頭など、日本を始めとする一部の先進国が豊かな暮らしを享受する一方で、地球全土で環境の荒廃が確実に進み、このまま行けば2030年には限界に達し、歯止めの利かない破滅への道が始まることが、様々な研究データから予測されています。

 

今、地球生命の未来を左右する10年が始まりました。

私たちが直面しているのは、待ったなしの現実です。

 

 

今、地球上における人類の文明はピークを迎え、このままの状態でこれから先も発展し続けるかのような麻痺した考えを、やめなければならない時が来ています。

過去を振り返れば、人間の活動が自らを絶滅に追いやったことが、これまでの文明の歴史の中でたくさんありました。現代の大量生産・大量消費社会を築いた資本主義文明は、長い地球の歴史から見ればほんの一瞬とも言える、たった300年足らずのものです。内なるセンサーを研ぎ澄ませ、時代の潮流を感じ、この現代文明の先に大きな暗い影のあることに気付いたならば、その気付きを新たな時代の扉を開ける指針とし、自己変革へと向かわなければなりません。

人々の本音

2020年、世界の平均気温は過去最高水準を記録しました。気温の上昇によって降水量が増加し、各地で洪水や台風の巨大化が起き、その復旧に莫大な費用が必要となりました。充分な費用がない貧しい国では、復旧もままならない状態が続いています。その一方で、温暖化により大気の流れが変動し、北極圏の冷気が南へ押し出され、記録的な寒波となる地域もありました。

気候が不安定になったことで、世界各地でこれまでと同じように作物を育てることがどんどん難しくなっています。豊かな国は飽食にふけり、たくさんの肉を食べます。一方で、その肉となる家畜の餌として大量の穀物が消費され、貧しい国は充分な食糧を確保できず、現在地球上の9人に1人が飢餓状態にあります。私たちは土や水や太陽によって作物を育て、自然から食べ物をいただいて生きていますが、現代はそういった自然の恵みよりも、人工の世界が生み出すお金の力の方が、はるかに存在感が大きくなりました。

現在の地球上の人間の暮らしは、生きる上でのあらゆることに経済が絡んでいます。文明の発祥以来、人間は不自由なことがより便利になるように、食べられなかったものが食べられるようにと、それまで自然界になかったものを人工的に造り出すようになりました。それは確かに便利なことでしたが、その便利さ故に、今度はそれがないと居られないようになり、元々のもっとシンプルで良かったはずのものを失っていきました。そして、お金があることが豊かさであり幸せであると思い、お金がすべての問題を解決してくれると考え、どんどん経済の虜となっていったのです。

世界中で温暖化対策の必要性が叫ばれながら、何故なかなか進まないのかというと、人々の本音は、経済の方が大事だからです。温暖化は止めたい。排出物も減らしたい。でも経済は止めたくない。つまり、問題の原因は自分たちの生き方にあるけれど、その生き方を変えたくないということです。

お金で回る社会

現代は、お金がないと生きていけない社会になりました。人々はお金がないと不安になり、互いに競争し、お金を奪い合っています。しかし、お金は社会の血液です。体の中で血液が隅々にまで行きわたらず特定の場所で滞れば、全身が病気になるように、お金が社会の隅々まで循環せず一部に留まっている現代社会は、まさに病気の状態であると言えます。

経済とは本来、社会が円滑に営まれていくための手段であるべきものです。けれども現代の経済は、お金を得ることが最優先となり、社会をより豊かで円滑にするためのものとはなっていません。人々は、みんなが豊かで健康になるためのものよりも、お金になるためのものを作るようになりました。
食べ物は私たちの命をつなぐものですが、利益や効率を優先して生産される現代の食べ物は、食べることで体を蝕むようなものがたくさんあります。そして社会に病気が蔓延した結果、その病気を生んだ自らの生き方を見直すのではなく、医療で症状を治して解決するようになりました。こうして医療は一大産業となり、高度な技術が発展して人々の平均寿命は延びましたが、同時に人々は、命に対する覚悟を失っていきました。
医療が今日ほど発達していなかった時代には、人はいつでも自らの命に対する覚悟を持っていました。しかし現代は、自然界ではとうに寿命を全うしているような状態でも、医療に頼って命を永らえ、年を取れば介護が必要になることが当たり前の世の中となりました。すると今度は、介護施設が増え始めるのです。人が病むことや老いることさえもが、常にどこかでビジネスの餌になっているのです。

この経済の在り方を根底から覆し、本当に社会を健全にするためのものに変えなければなりません。それは、私たち自身の生き方を変えるということです。

自分は正しい?

生き方を変えるとは、どういうことでしょう。

最新の科学は、人間がこの10年間に生き方を転換しなければ、既に飽和状態にある地球の環境は2030年に臨界点に達し、破滅への暴走が始まり止められなくなることを予測しています。世界中の人々がその対策を協議し、刻一刻と迫りくる危機を感じながら、その危機の原因が自分自身にあるとは見ていません。それは、人々の考え方が大局的ではないからです。なぜ大局的でないかと言えば、生きることの目的が、個人の願望を叶えることばかりに向いてきたからです。

多くの人々が、この危機をどう乗り越えるべきかをそれぞれの立場から語り、誰もが一生懸命です。そういった人々は、優秀であるからこそ他を批判し、また他からも批判を受ける立場にあります。しかしそこで共通しているのは、どの人も自分を振り返らないということです。

人間はこれまで、問題ごとに出会う度に、その問題を生み出した自らの生き方を振り返るのではなく、新しい技術や社会の仕組みを変えることで解決を図ってきました。例えば交通事故に出会えば、事故に遭わないようにと交通システムを変え、車の性能が悪いと言って車を改善します。その事故を起こす人間の性能を改善するのではなく、仕組みや道具を改善することで解決してきたのです。
それが目覚ましい成果を上げてきたことで、そうすることが良いこととなり、自分を変えずに仕組みや道具を変える偏った癖がつき、自らの問題点はそのままで振り返らなくても良い社会となりました。その根底にあるのは、自分のしていることを正しいこととしたい心です。

しかし、そもそも私たちは、自分たちの考えの延長線上に、本当の正しさを導き出せるでしょうか。

歴史を振り返ってみてわかるのは、その時代にはその時代の正しさがあり、みんなが「これが正しい」と思って生きてきたということです。戦国時代には他人の領地を力ずくで奪うことが正しいことであり、大戦中にはお国のために命を捧げることが正しいことでした。しかし時代が進めば、その正しかったことが間違いとなり、その間違いを改善して次へ進むということを人類は繰り返してきました。そうして、より良くなるために、より良くなるためにと繰り返してきた結果、今究極の行き詰まりに到達しているとしたら、私たちは自分の考えでより良くしようとすること自体を手放す時に来ています。

今、するべきこと

この世界には、時代の潮流が常に流れています。

近代の人間社会は、地球の危機的状況をエネルギッシュに訴えつつも、その一方で、同じような手法やエネルギーを使い、経済の拡大を続けるという矛盾を表現してきました。そして、いよいよ自分たちの力ではどうにも解決できないところまで来て初めて、人々は現実に目を向け始めました。それは、これほどの現象をもらうところまで行かなければ、人間は生き方を変えないということであると同時に、何かそこに、人間の力を超えた大いなる時代の潮流が流れていることを感じることもできるのです。

地球上の歴史は、個々の人間の意志によるものではなく、宇宙の大いなる流れから生じる時代の潮流によって紡がれています。人間がどれほど現状に危機感を抱き、自分は正しいことをしているつもりで環境の改善を声高に訴えても、その動きが宇宙の流れと連動していなければ、それはただ自分の正しさを主張して思いを叶えようとする、これまでの人間がしてきたことと同じものになってしまうのです。

ならば、私たちは今、何をするべきでしょう。それはまず、自らを振り返ることです。

地球の現状を築いてきた自らの生き方を振り返り、その自らを正しいものとしていた心の奥を振り返る。そして自らの命が何によって支えられ、その存在が世界の中でどのように成り立っているのかを振り返る。それは、世界観を広げるということです。
世界観が広がると、自分は自分の力で生きているのではなく、この世界の仕組みの中で生かされていることが観えてきます。その時、人は謙虚になります。その謙虚な心で、自分たちはどう生きたら良いかということを、自らを生かす何ものかに問うようになった時、その大いなる何ものかは、私たちが進むべき道を常に示してくれていたことに気付くでしょう。それは、自分で正しい答えを導き出そうとしているうちは、わからないことです。

人間が最も理解できないこと

自分が思う正しさを手放し、宇宙の流れと連動して生きるようになると、物事は驚くほどスムーズに進むようになります。すると、人生を歩む上でのエネルギーは少なくて済むようになります。人々は今、電気自動車や代替エネルギーを開発し、何とか温室効果ガスを削減しようとしていますが、もっと人々の心が通い合い、物事が効率よく進むようになれば、そもそもエネルギーの消費量はずっと少なくて済むのです。

私たちは皆、地球というひとつの星に暮らしています。そこにある大地も、水も、空気も、風も、そして太陽も、みんなでひとつのものを共有しています。それがぐるぐるとどんな存在の元にも循環し、ひとつの生態系を築いています。アフリカで起きることも、アマゾンで起きることも、北極や南極で起きることも、みんな地球というひとつの体で起きていることであり、私たちみんなの責任なのです。

ですから、地球のどこかに問題が起きれば、みんなでどうしたら良いかを考え、力を合わせます。経済も、そのために使われるべきなのです。世界は問題ごとで溢れかえり、その一つひとつに対処しようとすれば途方に暮れてしまうかもしれませんが、その無数にある問題ごとの元はすべて、ひとつのことから始まっています。それは、国家も、人々も、自分のことしか考えていないということです。その根本の心を振り返り、ひとつの問題を地球規模のこととして捉え、みんなで力を合わせて取り組んだ時、そのひとつの問題の解決が、全体の解決へとつながっていくことでしょう。それが今、人間が最もできないことです。

本当に価値のある人生とは、他の生命や世の中の健康に貢献することです。自分が生きた結果、人が幸せになり、世の中がより豊かになる。これ以上現実から目を背けることは許されない地球の危機的状況をもって、私たちは今、自らの生き方を大転換させるチャンスとしての10年間を歩み始めたのです。

 

あなたはこれから、どちらの方向に進みますか?

 

 

 


 

  地球の現実を知ろう

以下は、現在の世界が抱えているたくさんの問題の中の一部です。

そのすべてが、私たちの日常と密接に関わっています。

 

  • 気温上昇により大気中の水蒸気が増し、世界各地で大雨洪水干ばつ巨大台風などによる甚大な被害が増加。
  • 乾燥が進み森林火災が多発。2020年の世界の森林火災面積は、日本の面積の1.7倍。
  • 2020年シベリアで38℃を観測。永久凍土の融解が急速に進み、未知のウィルスが大気中に放出される危険性が指摘されている。
  • 氷河が溶け、世界の海面は過去100年間で平均17㎝上昇。今世紀末には最大で1.1m上昇し、日本の砂浜の9割が消えると予測。
  • 2030年までに気温上昇が1.5℃を超えると、北極の氷河が溶けて海水温が上昇→シベリアの凍土が溶けてメタンガス(温室効果がCO2の25倍)を放出→アマゾンの熱帯雨林がサバンナと化し、森が蓄えていたCO2を放出→世界最大の南極の氷が溶け、更なる気温上昇へ、という負の連鎖に歯止めがかからなくなり、2100年にはプラス4℃に達して世界中が取り返しのつかない打撃を受けると科学者は警告している。

    生命の宝庫である熱帯雨林の消失などにより、100年前の4万倍(1日約100種)の速度で野生生物が絶滅している。

 

  • 年間推定3,000万トン(自動車2,500万台分)がゴミとして海に流出。
  • 2030年に海のプラスチックごみの量は現在の3倍に達し、2050年には海の魚の総重量を超えると言われる。
  • 年間10万匹以上の海に棲む哺乳類がプラスチックの誤飲等で命を落とす。
  • 魚などが飲み込んだプラスチックは食物連鎖により毒素が濃縮され、それを食べる人間の脳神経に影響すると懸念されている。
  • プラスチックごみの約半数が包装や容器であり、コロナ禍でさらに消費が増加。コストがかさむリサイクルは全体の1割にも満たないのが現実。
  • 「再利用」という名目で先進諸国は大量のプラスチックごみを途上国へ輸出し、現地に大きな環境被害をもたらしている。日本は世界第2のプラごみ輸出国。
  • もはや回収不可能と言われるマイクロプラスチックは、海だけではなく大気中を漂って全世界へ拡散し、将来深刻な健康被害を引き起こす危険性が指摘されている。

    日本のペットボトル出荷量は国民一人当たり年間190本。 世界の海岸に打ち上げられるプラスチックごみの中で最も多いのはペットボトルである。

 

  • 2019年の世界の飢餓人口は69000万人。温暖化や紛争、パンデミック等の影響により、その増加が加速している。
  • 先進国では日々莫大な量の食品を廃棄。日本は年間612万トン(世界の年間食糧援助量の1.5倍)の「食べられる食品」を廃棄しており、その焼却処分におよそ1兆円の税金が使われる。
  • 先進諸国へ輸出する食肉用の放牧地を作るため南米では熱帯林の伐採が続き、温暖化に追い打ちをかけている。
  • 食料の需要増加により、1960年以降世界各地で農業利用のための地下水の過剰な汲み上げがエスカレート。2030年以降世界中で地下水の枯渇が急増することが予測され、世界の食料市場は大打撃を受ける。
  • 一部の先進国が飽食を続けることで「飢餓のパンデミック」が拡大し、2030年までに改善されなければ各地で暴動紛争が起こると専門家が指摘する一方で、国連は2020年7月、SDGsの「2030年までに飢餓人口をゼロにする」という目標を達成することは困難であると発表する。

    日本の食料自給率は4割に満たない一方で、大量の「食べられる食品」を廃棄。このまま進めば2050年までに世界的なフードショックが起こると予測されている。

 

  • 国連の推計によると2030年に世界の人口は86億人、2055年には100億人を突破
  • 偏った世界経済システムにより貧富の差がさらに拡大し、紛争が多発すると予測。
  • 日本は2030年に国民の3人に1人が65歳以上となる。
  • 労働力不足が深刻化し、社会保障費が増大する一方で費用が捻出できなくなり、社会保障システムが機能しなくなる
  • 日本全国で896の自治体が少子高齢化により消滅する可能性が報告されている。

 

  • 2030年までに、AIの台頭によって社会の30%の仕事が失われると言われる。
  • 各国はAIの軍事利用を進め、既にドローン爆撃などが現実化されている。
  • 2045年、AIが人間の知能を超え自ら進化していくシンギュラリティ(技術的特異点)に達し、人間のコントロール下から離れていくことが警告されている。
  • AIを開発した現代の人類の人間性がプログラムに反映されているとしたら、制御不能となったAIが支配する未来に待ち受けるものは、何か?

 

 

2030年

あなたはどんな未来を迎えますか?

 

 

 

 


木の花ファミリー通信2020年冬至号『風が吹いてくる』

2019年5月1日、「令和」という新たな元号の時代が幕を開けました。
その名は、万葉集「梅花歌三十二首并序」の詩序にある「令月」と「風和」に由来し、当時の安倍首相は「厳しい寒さの後に、春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望と共に、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定した」と語っています。

奇しくも、冬至を越えた2020年12月22日より、宇宙的には「風の時代」が始まったと言われます。

壁に囲まれた部屋の中にいれば、そこは無風の状態です。しかしその無風の中にも、人生の風が吹いています。私たちは常に、時代の風を受けて生きているのです。
時代は、様々な風を吹かせます。これまで、数多の文明が地上に現れては消え、ダイナミックな変化の歴史が刻まれてきましたが、人々はそこに流れている風の存在に気付いてはいませんでした。流れに逆らえば、負荷の力が大きくなります。そしてやがて、壊れます。しかしそれは、次の新たな時代への扉を開くことへとつながってきたのです。
やわらかな風も、強い風も、風は私たちを未来へいざなうメッセンジャーとして、希望を乗せてやって来ます。その風を感じ、風に乗って生きる時代が始まりました。風は私たちに、こう呼びかけています。

「真に自由であれ。」

 


 

地上に吹く風を感じることのできる象徴的な存在が、物理的肉体を持つ私たち生命です。

私たちの命は、地水火風空という自然の五大要素から成り立っています。大地に育まれたものを食べ、水を飲み、太陽の光を浴び、空気を吸って呼吸する。では風はどんな役割をするのかというと、生命を逞しくする働きをします。
植物は無風の中で育つと、自らの体を維持するだけの強さしか持つことができません。すると、やがて子孫を残すための実を充実させる時に、その重みを支えることができなくなってしまいます。風を受けることで、その刺激に耐えられる逞しさが育まれるのです。
そういった物理的な作用と同時に、この世界には常に、見えない風が流れています。それは、次の時代へと向かう気配を運んでいます。それを感じられるのは、人間が時代を読み解くセンサーを持ち合わせているからです。

私たちの生きる世界には、様々な現象が起こります。その現象は、無秩序に起きているのではありません。もしも無秩序であったなら、過去から現在に至るまでの現象の羅列が、まるでひとつらなりの物語のように進化のプロセスを表現することはなく、世界は継続性を保つことができなかったでしょう。そこには確固たる秩序があり、現象世界を生きる私たちは、その制約のもとに生きる定めを与えられているとも言えるのです。
その制約の背後には、この世界を創造する大いなる存在の意図があります。しかしその意図が理解できない人々は、自らが出会う現象に対し「なぜこんなことが起こるのだろう」と疑問や不満を持ちます。そして自らを変えることなく、現象が変わることを願うのです。その奥にあるメッセージに目を向けぬまま、ただ現象だけを変えようとすれば、それは流れに逆らうこととなり、さらに負荷が膨らみ、負の現象の連鎖へとつながります。そういった場では、人々は目の前の出来事に右往左往しながら、周りと類似したものを求め、人と同じになることで安心を得ようとするのです。
しかし本来自分とは、過去にも未来にも、宇宙にたったひとつだけの、極めて個性的な存在です。
地球は宇宙の中でも類まれなる、無限の生命にあふれた星です。それは極めて多様で、それぞれが個性的でありながら、その全てがひとつの共通の秩序の下に存在しています。秩序に従い、この世界の大いなる流れに沿うことで、それぞれの存在はそこにあるべきものとしての役割を果たしながら、安定して存在し続けます。その安定の下に、大空へと羽ばたき、風に乗って舞うかのように、個性豊かに自らを表現する。それが、この星に生きるものに与えられた自由という姿です。

地球は、宇宙の中でも際立って自由が表現される場です。宇宙は本来自由な場ですが、他の天体たちのサイクルは非常に長く、例えば50年以上前に人類が月に降り立った時の足跡が今も残っていると言われるように、水も空気も風もない他の星々の変化の速度は、気が遠くなるほど緩やかなものです。ところが地球上に足跡を残せば、そこには風が吹き、雨が降り、草木も生えれば無数の生物たちの生命活動があり、生態系の循環の中で足跡はあっという間に消えてなくなるでしょう。宇宙は、自由であることの本質を学習する場として、地球に大循環生命生態系を創ったのです。
その数千万種とも言われるほどの生命の中でも、とりわけ人間は、一人ひとりが他とは違う際立った個性を与えられたオリジナルな存在です。しかしこれまで、多くの人々は「みんなと一緒」であることを良しとして、多様性を欠いた社会を作ってきました。或いは、自らが正しいと信じて過剰に自己主張をし、対立を生んできました。そのどちらも、既存の価値観の枠の中に自らを閉じ込めることで固定された状態にあり、本当の自由とは言えないのです。
地球は秒速30㎞で広大な宇宙空間を移動し続け、他の無数の星々と共に、常に未知なる場所へと進んでいます。その地球上で表現される時代の変遷は、星々の対話によってもたらされており、地球上に吹く時代の風とは、宇宙の風なのです。全ての地球生命は、この宇宙の風に乗り、時代と共に自在に変化しながら未来へ向かって進化し続けます。その中にあって、いかに現状を維持するかに腐心し、同じ場に留まり続けようとしているのが、私たち人間の作る人工の世界です。

しかしそもそも、私たち生命は、人工の力を遥かに超えるこの世界の大いなる仕組みによって生かされています。

一つの種の中でそれぞれが全く違う個性を持つ人間は、それだけ強い自我を与えられたということでもあります。それは、ただこの世界の創造物として仕組みのままに生きるのではなく、その世界から自らを切り離して捉え、全体を俯瞰し、この世界を創造したものと同じ視点に立つことのできる能力として与えられたものです。ところがその自我故に、私たち人間は世界のために生きるよりも、自分のために生きることとなりました。
しかし私たちは、自分である前に人間であり、人間である前に生命です。本来、生命の領域では、個々の生命は自分のために生きてはいません。多種多様な生命がそれぞれの個性を発揮して生きることで他の生命を支え、つないでいく、大生命循環の一員として、地球生命生態系を表現する役割を果たしているのです。

今、世界は大きく混乱し、大転換の時を迎えています。これからの人間は、個々の枠を超え、他者のため、世界のために生きることが求められています。それは生命の本来の姿に立ち返ることです。
さらに人間は、ただ生命としてこの世界の仕組みのままに生きる以上の役割を果たすために、地球上に降ろされました。それはこの世界を創造したものと同じ視点に立ち、共に世界を創造していくことです。この世界の創造主を神と呼ぶならば、それは自らを空にして、神の器となることです。私たちは神の領域に達するために、神から切り離されたのです。

この世界には常に、見えない風が吹いています。風は、私たちを生かす大いなる宇宙の意思を乗せてやって来ます。地球上に新たな命が次々と芽吹いていくように、そして地球や他の無数の星々が決して留まることなく宇宙の中を進み、果てしない旅を続けているように、宇宙とは無限の連鎖(フリーエネルギー)を続ける世界なのです。
その風を感じ、風に乗った時、物事は極めてスムーズに進むようになり、無駄が削がれて大いなる宇宙の好循環が地上に表現され、全ての生命たちが喜ぶ、地上天国が顕れることでしょう。そこでは、自分のための人生はなくなります。そしてそれが、真に自分のための人生となるのです。

そこに吹くのは、希望の風です。その流れに乗り、宇宙にただひとつの個性を羽ばたかせ、自分らしく自由に生きることが世界のためになっていく。そして誰もが、自らの存在を誇って生きられるようになる。

その時、世界に奇跡が起きるのです。

 

 


 

生命力の強い葉っぱを採取し、お茶やパウダー、酵素液など様々に加工して日々の生活に取り入れ、人の免疫力を高める新たな取り組み「プロジェクト64」が始動しました。

葉っぱは、風と共にあります。
自然は時と共に変化し続け、進化するものです。変化するのが、自然の掟です。人工のものが同じ形を保ち続けようとするのに対し、自然は流れに乗って変化しながら、逞しい生命力を育みます。それは天然(天の然るべき姿)に近いものであり、これからの時代の人々は、より天然のものをいただいて生きることが大切になってきます。そうすると、現代のように複雑で環境に負荷をかける多くのものが、不要になっていくのです。

折しも、新型ウィルスによって医療現場は混乱し、各国がワクチンの開発を競いながらも、その安全性には疑問の声が上がっています。そして人間が自然の摂理を無視し、抗生物質等の薬物を乱用してきた結果、それに対する耐性菌が広がり、近い将来に抗生物質が効かなくなる時代が訪れることが予測されています。
現代医療が限界を迎えつつある一方で、私たち人間の経済活動が引き起こした温暖化によって、100年に一度と言われる災害が毎年のように訪れるほど気候が不安定になり、これまでと同じように作物を育てることが難しくなってきました。
そのような中、気候変動にも負けない旺盛な生命力を持つのが、葉っぱです。
木の花ファミリーでは、自然界に自生する薬効成分の高い葉っぱを採取すると同時に、様々な効能を持つ樹木等を育て、その葉っぱを活用することで、薬に頼らずに人々の免疫力を高める新しい取り組みを始めました。その名を「8(は)×(っ)8(ぱ)=64」で「プロジェクト64」と言います。

自然は、天然の生命力に満ちています。牛や馬が草を食べて立派な体を作るように、植物には、私たちを健康にし、逞しくしてくれる力があります。その天然の力を暮らしの中に取り入れていくことで、私たちはもっとシンプルに、もっと健全に生きていくことが、きっとできる。
みんなが健康で幸せに生きる時代が訪れることを願い、これからもプロジェクト64を発展させてまいります!

 

 


プロジェクト64では、ローゼル、蓮、マコモ、イチジク、パパイヤ、ビワ、柿、桑、熊笹、ヨモギ、シモン他、多彩な葉っぱの加工を行っています。製品は、カフェ&ショップロータスランド等にて好評販売中です!


 


木の花ファミリー通信2020年秋分号『生命 〜 私たちはなぜ生きている?』

 

 

私たちはなぜ
生きている?

生きているとは、どういうことでしょう?
肉体があること、呼吸をしていること、心臓が動いていること ——— 目に見える世界を生きる私たちは、生きていることも、目に見える形を通して認識します。しかし生命は、見える世界の中だけで成り立っているのではありません。
私たちの肉体が生命として存在しているのは、魂と連動しているからです。見えない存在である魂は、肉体という器を得て見える世界へ生まれ、生き、寿命を迎えれば肉体を離れ、再び見えない世界へと還っていきます。魂の抜けた肉体は原子レベルに解体され、次の生命を構成する材料として自然の循環の中を巡ります。そしてどれだけかの時が経つと、魂はまた、自然界を循環していた物質の中から縁あるものを引き寄せて新たな肉体を構成し、見える世界へと生まれてくるのです。このように、生命は見える世界と見えない世界を行き来しながら、生まれては死に、死んでは生まれることを繰り返し、時の流れと共に変化し続けます。そして大小さまざまな生命が集まって命のかたまりとなり、全体がひとつの生き物として、未来へ向かい進化していくのです。
この見える世界と見えない世界を合わせた物質生命の世界を、「ある世界(現象界=現象の起こる世界)」と言います。それは、時空に乗ってすべてが変化し続ける世界です。ではこの「ある世界」だけで私たちの生命世界が成り立っているのかというと、そうではありません。

「ある」を支える「ない」世界

私たちの生きる宇宙は、陰と陽の相反するものが同時に発生して互いを成立させる「対向発生」という仕組みによって成り立っています。男と女が対となり、光と闇が対となるように、「ある世界」と対になるもの ——— それが「ない世界(潜象界=すべての現象の源の世界)」です。
「ない世界」には、時間も空間もありません。それは「ある世界」と互いに入り組んで同時に存在しながら、時空に囚われた「ある世界」を生きる現代の私たちの思考回路では、認識することのできない世界です。しかし宇宙の実体は、この「ない世界」によって「ある世界」が支えられ、そこからすべての現象の源が供給され続け、世界が維持されているのです。
現代を生きる人々は、形を優先することで命の本質を忘れ、生きることをとても窮屈に捉えるようになりました。そして今、新型ウィルスや相次ぐ自然災害、経済の崩壊など、人間の営みを否定するかのような現象が世界中で噴出し、生きることが現実に厳しくなる時代を迎え、人々は混乱し、どこにも突破口を見出せずにいます。しかし突破口は今ここ、即ち、あなた自身の視点の転換にあります。
あなたを現在の囚われから解き放ち、自身の中に眠る生命としての無限の可能性に目覚めるために ——— どうぞ次の項へお進みください。

 

 

私たちはどこへ
向かうのか?

生命は循環する

「ある世界」は、時空に乗って進む世界です。そこには、過去から未来へ向かい決して留まることなく進み続ける、時という絶対の軸があります。時が進むから空間が生まれ、現象が起こり、世界が変化していくのです。
この時の軸に沿い、魂は見える世界と見えない世界を行き来しながら変化し続け、時が進んだ分だけ古くなっていきます。魂だけではなく、水や空気さえも、この世界に現象として現れたものにはすべて、その存在の寿命があります。寿命を迎えたものは、原子よりも素粒子よりもさらに微細な、現代の科学では感知することのできない宇宙の最極小微粒子「カ」となり、「ない世界」へ還っていくのです。
「ない世界」は時空の存在しない世界です。時がないから、空間も生まれず、現象も起こりません。そこにあるのは、響きです。それは音として耳に聞こえる響きではなく、この世界のあらゆる現象の源となる、宇宙根源の響きだけの世界です。この一切の動きのない世界から、何かのはずみで、現象化の種が「ある世界」へと転がり出ると、それは時空に乗って様々な現象を起こし、世界に動きをもたらします。生命を構成する物質の中で一番初めに現象化するのは、水です。そして生命は、最も小さなもの、即ち微生物から現象化します。その小さなものから、より大きなものへと多種多様な変化が生まれ、数千万種とも言われるほどの生命が無限に連鎖し、ひとつの星の上で共に生きる、地球生命生態系というとても豊かな生命世界が生まれたのです。
この生命世界には、「ない世界」から絶えず命の源が供給されています。それは限りなく「ない」に等しいものでありながら、それによって豊かでダイナミックな「ある」が表現されていくのです。この「ある世界」の中で、私たちの肉体は食べることや排せつ、呼吸などを通して、他のあらゆる生命や自然の要素と共に、見える世界の中を循環しています。そして魂は、生死を通して見える世界と見えない世界を循環します。その大本には、現代を生きる私たちの意識を超越する「ない世界」と「ある世界」の循環があり、その大いなる仕組みの中で私たちは生かされているのです。

生命は螺旋を描いて進む

この多重構造の循環の中で、私たちが生まれては死に、死んでは生まれることを繰り返すように、すべての生命はサイクルを刻んでいます。そのサイクルは何と連動しているのかというと、地球の自転であり、公転であり、さらに大きな銀河のサイクルと連動しています。そしてそのサイクルは、同じ場所を延々と回り続ける円運動ではなく、絶えず新たな場所へ進み続ける螺旋運動によって刻まれていきます。地球は太陽の周りを、太陽は銀河の中心であるセントラルサンの周りを、そして銀河はさらに大いなるものの周りを回りながら、螺旋軌道を描いてサイクルを刻み、広大な宇宙空間を未知なる場所へと進み続けているのです。
人間は朝に目を覚まし、昼に活動し、夜に眠ります。それは地球と月と太陽のリズムが刻む、陰陽のサイクルです。太陽が姿を現す朝は、活動の始まりの時です。夜の間に眠っていた体を目覚めさせ、自然のリズムに沿って思考を働かせ、一日を通して、その時々に必要な生きるための活動を行います。そしてまた夜が来れば、眠りにつきます。眠っている間に必要な思考と不要な思考が整理され、次の活動のための充電をし、新たな日の出を新鮮な状態で迎えるのです。
このように、生命は常に、充電と放電、発生と消滅といった陰陽のサイクルを刻んでいます。そのサイクルとは、私たちの一日、一年、一生といったものだけでなく、細胞の一つひとつが刻む微細なものから、時代や宇宙の星々が紡ぐ壮大なものまで、大小様々なサイクルが無数に折り重なり、全体が常に新陳代謝しながら未来へ向かって進み続けているのです。それは、無数の天体たちがそれぞれに螺旋を描きながら、見事に連携し、広大な宇宙空間を未知なる場所へと旅し続けるのと同じ仕組みです。
宇宙は成住壊空と言い、私たち人間の感覚では及びもつかない果てしないスケールで、誕生、維持、破壊、空(無=ない世界)、そしてまた誕生というサイクルを無限に繰り返しています。その宇宙創造の根本原理を明快に顕しているのが、私たちが住む地球です。宇宙の中の奇跡と言えるほど多種多様な生命で溢れるこの星は、無数の生命たちが生まれては消え、消えては生まれ無限に連鎖していく生態系の姿を通し、気が遠くなるほど巨大な宇宙の実体を、身近なスケールで見事に表現しています。生命が時の流れと共にサイクルを刻んでいるからこそ、あるものが途絶えたとしても、それはまた形を変えて新たなものへと受け継がれ、世界が維持されていくのです。
この、すべてが宇宙の創造原理のままに、時空に乗って自在に進化していく世界の中で、たったひとつ、変化していくことを恐れ、移り行く世界の流れに逆らってでも今あるものを維持しようとする、特殊な存在が現れました。それが人間です。

宇宙の創造と自我の誕生

遠い昔、地球も、宇宙すらも存在しなかった遥か昔、世界には何もありませんでした。そこへある時、その世界を認識する存在が発生しました。宇宙自我の誕生です。それを、神と呼びましょう。
神様は、退屈でした。なぜならそこは、神様ただ一人の世界だったからです。すべてがぴたりとかみ合い、一切の動きのない、永遠なる完全の世界。光だけの中にいては光が何であるかを見ることができないように、完全である神様は、完全であるがゆえに、自らを理解することができなかったのです。
そこで神様は、その完全なる体を二つに分けられました。光とは何かを知るために闇を、天とは何かを知るために地を創られたのです。そして、その創られた世界を、自らと対面する遠いところへ置かれました。その時、そこに距離が生まれ、元のひとつへ還ろうとする流れが生まれ、その流れが時となったのです。そして世界は、時に沿って動き始めたのです。
神様は、世界に多種多様な存在を生み出しました。そしてそのどれもが、ひとつでは成立せず、必ず相反するものと対になり存在が成り立つようにしたことで、宇宙に対向発生の原理が生まれました。太陽と月、雄と雌といった陰陽の対向発生の無限の連鎖が世界に動きをもたらし、新たな命が次々と誕生しました。こうして、神の意思のままにすべてが循環していく美しい生命世界が生まれたのです。それは、多様な存在がそれぞれにふさわしい位置を与えられ、大いなる流れのままに役割を全うし、決してそこから外れることのない、完璧な秩序の下にある世界です。
「ない世界」から「ある世界」を生み出した神様は、そこに自らの姿を表現しました。しかし、それでもまだ不十分でした。「すべてが私の意思のままに存在するだけでは、私自身の体であるこの世界を理解することはできない。」
私たちの肉体が、様々な役割を持つ器官が連携することで構成されながら、その構成物の一つひとつが全体を理解しているわけではないように、この世界を理解するためには、ただその一部としての機能を果たすだけではなく、そこから独立した意識を持ち、全体を客観的に眺めて捉えることのできる存在が必要でした。そこで神様は、自らの代理としての目を持ち、対向発生する存在として、人間を地上に降ろしたのです。そして、神の意思から独立した自己を認識する能力、即ち、自我を与え、神の体である宇宙全体を俯瞰し、理解できる位置に立つ自由を与えました。人間がこの世界の実体を認識することで、神様はその認識を自らの映し鏡とし、この世界を理解できるようにしたのです。
他の生命にはない特殊な能力を与えられた人間は、神様の意思から独立し、独自に思考するようになりました。それは本来、宇宙に遍満する神の実体と対向し、その成り立ちを解明することのできる優れた能力です。ところが人間はその能力故に、物理的には神様の仕組みの中に在りながら、意識だけがそこから離れ、世界の流れを無視した自我の願望を優先するようになりました。そしてその優れた能力を、自らの願望を満たすために使い始めたのです。

流れはひとつの方向へ向かう

生命とは、どれもひとつでは不完全です。だからこそ他とつながり、協同することで、多種多様な生命の大循環を引き起こすことができる。そのようにして、神様は自らの実体をこの世界に顕しました。
しかし人間は、その生命の大循環を無視して自我から湧き出す願望を一方的に満たし、満たせば満たすほどその快感の虜となってさらに欲望を膨らませ、協同するどころか争い、傷つけ合い、生態系を破壊していくものとなりました。これは、調和を前提とする生命としては極めて異常な状態であり、今や人間は、地球にとってのガン細胞のような存在となっています。
これに対し、正常に戻るための働きとして、世界はその存在を淘汰しにかかりました。新型ウィルスの登場も相次ぐ自然災害も経済の崩壊も、人々は異常事態が発生していると捉え、これまで築いてきたものを必死に維持しようとしています。しかし、それを築き上げてきた人間の営みこそが、世界の側から見れば異常なのであり、その異常な存在を取り除くことは、世界にとって正常な働きと言えます。今あるものに執着し、変化していく世界の流れに抵抗すればするほど、人間はさらに異物となり、世界は淘汰の動きを加速させることでしょう。
この世界は、変化・変容・変態を繰り返しながら、未来へ向かって進み続けます。その大いなる流れの中で今、天体たちが刻むいくつものサイクルが、宇宙のひな型である星、地球に、大転換の時が訪れていることを告げています。そしてその流れは、遥か昔、神様がその完全なる体を分けられて世界を創造し、時空が発生した瞬間から、決して止まることなく向かい続けてきたひとつの方向 ——— 即ち、もとのひとつに還ることへと向かっています。
では、神と対向発生するものとしてこの世界に生み出された私たち人間は、その流れに逆らい、淘汰されていくのでしょうか。そうでなければ、私たちはここから何を学び、未来に向けてどのように進化していくべきなのでしょうか。

 

 

魂のふるさとへ

現代人は、脳の10%しか使っていないと言われます。その10%によって人類は様々なテクノロジーを生み出し、今日の文明を築きました。人類史上最高の頭脳の持ち主の一人と称されるアインシュタインは、そこから未だ使われていない90%の領域へと踏み込み、脳全体の15%を使用したと言われます。そして通常の人が考えないことを考え、私たち生命の根源である太陽の仕組みを解明する公式を発見しました。

90%の可能性

氷山は、海面上に姿を現しているのは全体の1割であり、海面下に潜む見えない9割が、表に現れている1割を支えています。同じように、私たちの認識する目に見える世界の奥には、見えない世界、更には「ない世界」が広がっています。しかし自我に囚われた現代の人々は、脳の10%だけを使って見える世界を全てとし、善か悪か、損か得かといった二元的発想で、目先の利益ばかりを追い求めるようになりました。
その現代人の思考範囲から5%を踏み出したアインシュタインは、特殊相対性理論に基づき、太陽のメカニズムを解明する公式、即ち、私たちの命の根本となる原理を発見しました。それは、時代の流れの中で人類が新たなステージへ進むための役割として、90%の領域へ踏み込み、宇宙の叡智を引き出したのです。ところが10%の枠の中で思考する人々は、その命の原理を用いて原子爆弾を開発し、戦争に利用しました。今もなお、地上に降ろされた太陽のメカニズムから生まれるテクノロジーは、コントロール不能のまま放射性廃棄物となって山積し、核兵器となって世界の平和バランスを保つという、異常な状態を生み出しています。
この現状を突破するには、二元思考の囚われを超え、海面下に潜む氷山のようなこの世界の全容を捉える、立体的な発想が必要です。そこに通ずる可能性を秘めているのが、私たち人間に備わっている、今は眠れる90%の脳です。

変わらないひとつの道

ガン細胞は元々、正常細胞です。それがガン細胞となるには、そこにそうなるべき理由があるからです。つまり視野を広げてみれば、ガン細胞も宇宙の仕組みのままに働いていると言えるのです。
現在、人間は生命として極めて異常な存在となっています。しかしそれは、大いなる多様性の中での、可能性の表現とも言えます。異常が起きれば、そこに苦痛が発生します。だからこそ、正常に進むだけでは出会わなかったものを発見することもあれば、苦痛を乗り越えることで新たな進化を遂げることもある。その変化の連続の結果、人間は今日の文明を築いたのです。人間が生を尊び死を忌み嫌うのは、より大きなサイクルの視点を失っているからであるのと同じように、視野を広げれば、正常と見えることも異常と見えることも、すべてが大いなる流れの中に在ることがわかります。
神様は、自らと対向発生する存在として人間を地上に降ろし、自我を与えました。自我故に異常な状態を表現してきたことに対し、今、世界は人間を正常に戻すために動き始めました。そこに抗えば抗うほど、苦痛を与えてまでも元のひとつの方向へ向かうように導くこの大いなる流れは、私たちが生命として地球に降り立った真の目的に立ち返ることを促しています。
自我は取り除くのではなく、拡大していくものです。どんなに自分を大切にし、思い通りに生きようとしても、私たちは自身の体すら思い通りにはできません。心臓を思い通りにはできない。呼吸も思い通りにできない。生きることで自らの思い通りになるものは何ひとつない。そのようにひとつずつ自分という囚われを外し、視野を広げていくと、自分は空気によって生かされていることがみえてきます。大地によって、水によって、光によって生かされていることがみえてきます。地球と共に宇宙を旅し、何億光年という果てしないスケールで広がる無数の星々と共に、時空に乗り未来へ進んでいることがみえてきます。そして、「ある世界」の源である「ない世界」から溢れ出し、この世界にあらゆる現象を起こして再び「ない世界」へと還っていく、神の響きの循環の中で、自らが生かされていることがみえてきます。
その境地に至った時、あなた自身の中から、その源の響きが湧き出してくることでしょう。そしてその響きは、矛盾に溢れ、どこにも突破口の見えない世界の現状を、正常な状態へと還していくことでしょう。それは、元のひとつから散りばめられ、それぞれの位置に配置されることで生命の大循環を起こし、この世界を成り立たせている私たちが、その始まりの時より変わることなく続くひとつの道を、今も歩み続けている証です。大いなる宇宙生命として無限の可能性を託されながら、そのことを忘れてきた私たち人間は、今も自らがその道の上に在ることの自覚を持ち、この世界に降ろされた真の目的に目覚めるべきなのです。

 

 

 


木の花ファミリー通信2020年夏至号『コロナウィルス はメッセージ 〜 世界は人間の思い通りになるか』

 

世界は人間の思い通りになるか

新型コロナウィルスの登場によって世界は大きな転換の時を迎え、「新しい生活様式」が求められるようになりました。けれども、人との距離を保ち、会話や接触を避け、マスクや消毒を欠かさずに暮らすことが、本当に人のあるべき「新しい生活様式」なのでしょうか。

このウィルスの登場は、私たちにあることを教えてくれました。それは、人間はいつの間にか、お金がないと生きていけなくなっていた、ということです。

今、人々の最大の関心事は、経済です。人々は経済が回らなくなることで自分たちの生活が成り立たなくなることを心配し、政府はその心配を一時的にしのぐため、赤字財政に更なる借金を重ねて莫大な補正予算を組み、様々な給付金を打ち出しました。ほんの数か月経済が停滞しただけでこれほどの給付金が必要になるということは、コロナウィルスが発生しなくとも、もともと日常をギリギリの状態で生活している人々が今の時代にいかに多いかを物語っています。

すべての生命は、生きている限り生命活動の中にあり続けます。例えば小鳥は生きるために、体の大きさに対してたくさんのエネルギーを必要としますから、常に食物を探し、食べることに追われています。他の動物も、種によって必要とするエネルギー量に違いはあるものの、生きるために食べ続け、植物なら養分や水分を求めて根を伸ばし、葉を広げて光を求めます。何より、常に呼吸を続けています。生命とは、命ある限り自らの存在を維持する活動に追われるものであり、その活動はすべて、生きることに直結しています。

ところがコロナウィルスが教えてくれたのは、人間だけはお金に追われているということです。お金とは、原価二十数円の紙切れ、或いはコンピューター上の数字です。それは本来、自らの命を維持する生命活動とは何の関係もないものですが、現代の人々は、お金の有無によって生きることが大きく左右されているのです。

生命とは、太陽や土、水、空気、風の織りなす大いなる自然の循環の中でそれぞれにふさわしい位置を与えられ、瞬間瞬間を精一杯生き、命をつないでいくものです。その中で唯一人間だけが、その類い稀なる高い能力を使い、楽をして生きることを求めるようになりました。そして自然の中で生かされていながら、自然を無視し、生命の原理原則から大きく外れた経済システムを創り出したのです。人々は豊かさを求めて地位や財産を築き、築いたら今度はそれを維持することに囚われ、太陽や土と共にではなく、預金通帳の残高に追われて生きるようになりました。楽になりたいと願いながら、自ら築いたものに縛られ、結果としてまったく楽ではない、窮屈な世界を生きることとなってしまったのです。

これは生命としては異常な状態と言えるでしょう。ところがそれが当たり前になってしまった現代の人々は、その異常な状態を正常だと思っています。そこへ今、地球生命史の大転換の時を迎え、時代は新型コロナウィルスという刺客を人間社会へ送り込みました。肉眼では見えないほど小さな存在でありながら世界を大きく揺り動かすこの刺客は、果たして世界の何を浮き彫りにし、私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。

 

 


「経済で生きている」という幻想

 

他の生命にはない世界

私たち生命が生きているのは、お金があるからではなく、命が生きているからです。しかし、生命の原理原則から外れ、生きることがお金を稼ぐことになってしまった現代の人々は、常にお金に追われるようになりました。それは他の生命にはない異常な世界ですから、生きていく上でたくさんのストレスが発生します。そのストレスを解消するためにお酒を飲み、レジャーに出かけ、物を買い次々と消費しては大量のゴミを出し、生きるために必要のないことをたくさんやることで、経済はさらに大きくなりました。まるで子どもがゲーム中毒になるように、世界中の人々がお金の魔力に取りつかれ、そこから抜け出せなくなっているのです。

その手を休めて立ち止まり、空を見上げ、風を感じ、土に触れ、木々の囁きに耳を澄ませば、自然はなんと大らかで、動物も植物も、豊かな命の循環の中に生きていることが感じられるでしょう。生命とはとても大らかなものでありながら、いつから人間だけが、これほど窮屈な生き方に自らを追い込んでしまったのでしょうか。

新型コロナウィルスの感染拡大によって経済活動が停滞している間、地球上の二酸化炭素排出量が一時的に下がりました。世界各地で空気や川の水がきれいになったという報告もあります。IPCCは、2030年に地球の気温が産業革命前に比べて1.5度上昇することを予測し、多くの科学者たちが、気温上昇に伴う巨大台風の増加や豪雨、干ばつ、海面上昇、生態系の崩壊や食料難などを最小限に食い止めるためには、今後10年間に人類がどれだけライフスタイルを転換できるかが勝負であると警告しています()。新型コロナウィルスによって人間の経済活動に歯止めがかかったことは、見方を変えれば、地球の自浄作用とも言えるでしょう。ところが今なお人々は経済のV字回復を願い、必死になって世界を元の異常な状態へ戻そうとしています。それは、生命の原理原則から外れて自然の中に取り返しのつかないツケを蓄積していくことよりも、自らが築いた経済という人工のシステムが崩壊することの方が恐ろしいからです。現代は、本来命とは何の関係もない経済が止まることで、自らの命をつなぐことができなくなる、大いなる矛盾の世界となってしまったのです。

 


※IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)は気温上昇を1.5度に留めるには、世界のCO2排出量を2030年までに45%削減し、2050年までに実質ゼロにする必要があると警告。科学者たちは、気温上昇が1.5度を上回れば、北極の氷の融解による海水温の上昇、シベリアの永久凍土融解による地中のメタンガス(温室効果がCO2の25倍)の放出、アマゾンの森林火災増加による更なるCO2の排出等の悪循環に陥り、気温上昇が自動的に進む「灼熱地球」へのスイッチが入り、止めることができなくなると訴えています。


 

給付金は問題を解決する?

こうした状況の中、日本政府は1人一律10万円の特別定額給付金を始め、様々な給付金を打ち出しました。しかしそれで現状の問題が解決されるでしょうか。

新型コロナウィルスの影響で外出を控えた結果、家庭の不仲や虐待が増加したと言われています。多くの人はそれを「コロナウィルスのせいでそうなった」と捉えていますが、それは元々そうなる種があったということであり、コロナウィルスはそれが浮き出るきっかけとなったに過ぎません。問題ごとが起きた時、人はとかく自分の中に原因があるとは見ずに、外からその問題がやってきたとして、自らを改めることなく他を悪者にします。それが大きくなって国家間の争いとなり、戦争となっていくのです。そのような盲目の人々に支持された政府が指揮を執り、現代の社会は創られています。

問題の根本原因と向き合うことなく、ただ表面的に解決しようと一律な対策を練ったとしても、例えば、家庭によって給付金は一時的にストレスを発散するためのお酒や道楽に消え、場合によっては家族の分まで使い込んで争いの種となる等、元々あった問題をさらに難しくすることでしょう。数か月の経済停滞で生活が立ち行かなくなるなら元々が不安定であったということですが、それを一時的な給付金で賄えば、次に何か起きた時にまたもらえばいいという発想になり、自らの裁量で生活を成り立たせることを忘れていくのです。そのように生命力を失った人々も皆等しく1票を持っており、支持を集めたい政治家たちは、与党も野党もこぞってお金をばらまき、国民のご機嫌取りをしています。それはコロナ禍の問題を解決するためではなく、自らの政権を維持するための施策です。そして1000兆円という世界でも突出した債務残高を抱え、個人であればとうに自己破産しているほどの赤字財政に、更なる借金を重ねています。そのツケは確実に将来にのしかかりながら、目先の利益ばかりを考える国民によってその意識にふさわしい政治家が選ばれ、それにふさわしい政治が行われるのが、民主主義という仕組みを選んだ私たちに与えられた結果なのです。

どんなに良い国を創ろうと思っても、その手段がお金である限り、良い国にはなりません。それは生命としての根本から外れているからです。人々は何とかコロナウィルスを封じ込め、問題の解決を図ろうとしていますが、その中で忘れられている事実があります。それは、コロナウィルスに出会わなくとも、人は必ずその生き方にふさわしい死を迎えるということです。

 

「ほんの瞬間」への執着

この世界には、時という万物に共通する絶対の軸があります。それは決して止まらず、後戻りせず、宇宙の創成から消滅までを貫いています。時とは、言わば柱です。この柱を中心としてエネルギーの回転が起こり、宇宙の響きが現象化します。そこから生み出されるのが生命です。生命は、時という絶対の柱に沿って誕生と消滅を繰り返し、過去から未来へと旅を続けます。生まれ、生き、死に、また生まれてくることを繰り返しながら、地球上のあらゆる生命たちと共に、太陽や月や、無数の天体たちと共に、大いなる命の循環の中で、果てしない宇宙生命物語を紡いでいるのです。

それは、人間の一生をはるかに超えたスケールの物語です。私たちはこの壮大な生命物語の一部分を担う存在であり、「今回生まれてから死ぬまでが自分である」という認識を超え、視野を拡大してみれば、自らの存在は人類の歴史であり、生命の歴史であり、肉体を持った一人の人間としての存在など、ほんの瞬間のものであることがわかるでしょう。ところが、その無限の可能性を秘めた魂が一たび肉体に封じ込められると、自らが大いなる生命の一部であることを忘れ、自らに執着するようになったのです。

肉体を持ち、命として生きることは、自意識があるということです。例えば、植物にも自意識はあります。雨が降らなければ水を求め、根を伸ばし、まだ実を付ける前の花の状態の時には、動物に食べられないよう強い薬効成分を出し、自らの命をつなごうとします。しかしそれは、食べられそうになったら走って逃げるほどの強いものではありません。動物の自意識は植物より強く、シマウマはライオンに捕まりそうになれば逃げますが、捕まって食べられればそこに未練を残すことはなく、シマウマの命はライオンに受け継がれていきます。動物も植物も、個としての命を維持しながら、より大きな生命の一部として、生態系の大いなる循環の役割を果たしているのです。

かつて人間も、大いなるものの一部として自然の中を生きていました。ところが時代が進むにつれ、文明が発祥し、モノや権力を持つようになると、人間はその魅力に囚われ、生きることに執着するようになりました。

ことに産業革命以降、それは顕著になります。科学技術を発展させた人間は、自らの力によって次々と願望が叶うことの虜となり、自我を肥大させ、自然に沿って生きるよりも、自然を自らの思い通りに支配しようとするようになりました。

 

医療が進んだ「豊かな国」

私たち生命は、決して止まらぬ時の流れの中で生と死を繰り返し、永遠の物語を紡いでいます。生まれるとは言わば入学であり、死は卒業です。生まれれば必ず元の世界へ還るのが定めであり、それが多少早いか遅いかということも、それぞれにふさわしい定めとして与えられます。大切なのはどれだけ長く生きるかではなく、その生を通して自らが何を学び、どのような精神状態で卒業を迎えるかということです。生きることの真の意味を知るには、死ぬことの真の意味を知ることが不可欠であり、生と死のどちらの側にも囚われない視点に立った時、私たちは初めて、この世界を生きることの真実に出会うのです。

欲望の虜となり、生きることばかりが重要になった現代社会では、医療が極度に発達し、人間の高い能力の証である複雑で高度な技術を駆使し、ただ命を引き延ばすことが最優先となりました。人工透析や臓器移植など、自然界には絶対にない形で延命を図り、莫大な医療費とエネルギーをかけ、必死に生にしがみついているのです。

新型コロナウィルスは、喫煙者や糖尿病などの基礎疾患を持つ人が重症化しやすいと言われます。人々は感染を恐れ、コロナウィルスを問題視していますが、ではそもそも何故そのようなリスクの高い状態になっているのかを振り返ることはありません。本来ならば、そういった疾患に至る自らの生活習慣を見直し、その元となる心を改めるべきなのです。しかし現代医療は、物理的な症状だけを一律に治療する姿勢を前提とし、ただ症状が治まれば良しとするため、いつまで経っても人間が生き方を改めることには繋がらないのです。そしてその莫大な医療費によって膨らんだ経済が、皮肉にも「豊かな国」を支えているのです。

病気を治せば治すほど、高度な技術が発達すればするほど、何でも自分たちの思い通りになるかの如く生きてきた人間たちは今、新型コロナウィルスの登場によって思い通りにならない事態に直面し、大きく困惑しています。そして自分たちのこれまでの生き方を阻害するコロナウィルスを悪としています。しかしそもそも、この世界は私たちの思い通りになるのでしょうか。

 

宇宙から人類へのメッセージ

私たちは、地上に光を注いだり、雨を降らせることができるでしょうか。毎日朝が来ることを、四季が巡ることを、地球が回ることをコントロールすることができるでしょうか。

産業革命以降、人間はまるで自分たちの力で世界を動かしているかのように振舞ってきました。しかしよく見てみれば、世界は人間の力で動いてはいません。毎日が来るのは私たちがカレンダーをめくりスケジュールをこなしていくからではなく、地球が回っているからです。地球も月も太陽も、他のあらゆる星々も、私たちの日常をはるかに超越したスケールで宇宙を巡り、それによって世界が動き、その中で私たちは生かされています。

その巨大な世界に秩序をもたらしているのが、時です。宇宙の万物はこの絶対の柱に沿い、過去から未来へと進み続けます。もしも時をさかのぼって地球が逆回りをしたり、死者が生き返るようなことがあれば、世界は秩序を失うでしょう。決して例外なく万物が絶対の約束のもとにあるからこそ、秩序が保たれているのです。

そもそも、この世界を生きることに、自由などないのです。誰も地球をコントロールできない。では自分のものだからと心臓をコントロールできるかと言えば、それもできない。眠ることを、呼吸することを、歳を取ることを、誰が思い通りにできるでしょう。私たちは決して抗うことのできない絶対の法則の中で命を与えられ、生かされているのであり、生きることで自らの手の内にあるものは何もないのです。それなのに、人間はすべてを自らの思い通りにしようとし、他者の思い通りになることは否定するのです。その結果、他者との共通点を見出すことのできない人々は、自らの創り出したものに支配されていくことになるです。

生命とは、生態系の循環の中でそれぞれの個性にふさわしい位置を与えられ役割を果たすものであり、本来自由でもなければ、平等でもありません。しかし人間社会は、民主主義という見せかけの自由・平等の世界を創り、自我から生まれる願望を一人ひとりが際限なく自己主張することが権利であり、進歩した世界であると思い込み、それが麻薬のように広まって、生命の本質からどんどん外れていきました。本来、生きることには優先順位があり、第一優先事項を第一番目として、二番目や三番目を一番に持ってきてはいけないのです。現代の人々は、自我の欲望から生まれる五番目や六番目を第一として生きています。だから世の中が狂うのです。新型コロナウィルスは、その狂った世の中の実態を暴き出し始めたのです。

そのメッセージに気付かず、人間がこのまま進み続ければ、世界はより過激な第二、第三の刺客を送り込んでくることでしょう。人々はコロナウィルスを、抑えても抑えても増殖して自分たちの生活を脅かす脅威と捉えています。しかし地球の側の視点から見れば、人間こそ、抑えても抑えても増殖し、地球の資源を貪り、他の生命を傷付け、生態系を破壊していく極めて有害な存在であると言えるのです。その人間の在り方に対し時代がNOを出し始めた今、私たち人間は、欲望のままに生きる自我の側から、その自我をはるかに超越し、私たちを生かし続ける世界の側へと視点を転換させ、自らの生き方を根底からひっくり返す必要があるのです。

 

 


*この世界の生と死の仕組みについては、木の花ファミリー通信第93号〜96号「21世紀の死生観第一部・死ぬってどういうこと?」「21世紀の死生観第四部・性 ー すべての始まり」をご覧ください。


 

私たち地球生命は、生きていく上で必要なものをすべて、この世界から与えられています。そしてそれは、共有することが前提となっています。太陽に然り、空気に然り、水に然り、そして大地に然り。生命とは、世界に動きを起こすものです。太陽は太陽のように、空気は空気のように存在していたこの世界へ、生命が現れることでダイナミックな命の循環が起こり、太陽や空気から草へ、花へ、虫へ、鳥へ、獣へと無限に連鎖し、すべてがひとつの命として循環していく、絶対共有の自然世界が生まれてきたのです。

その共有の世界にあって、文明の発祥以来人間が表現してきたものは、貪り、奪い合い、他の生命に害を及ぼすどころか同じ種の中でさえ傷つけ合う、この世界の実体とはかけ離れたものでした。世界中が待ち望む新型コロナウィルスのワクチンですら、各国が情報を共有して協力し合うのではなく、他国に先駆け新薬を開発しビジネスチャンスにしようと競い合っているのです。

しかし、人間が新たな薬を開発すればするほど、ウィルスや細菌もまた、進化します。今、人間が自然の摂理を無視し、抗生物質等の薬を医療や畜産にまで乱用してきた結果、様々な所で耐性菌が広がり、近い将来、抗生物質が効かなくなる時代が来ると言われています。抗生物質が使えなくなるということは、現代医療の大部分が機能しなくなることを意味します。だからこそ今、私たちは、ただ生き永らえることばかりを求めるのではなく、生きるとは何であるかを見つめ直し、命の原点に立ち返る時が来ているのです。

 
あなたの尺度を手放しなさい

人間がどれだけこの世界の本質から外れようと、世界は決してぶれることなく未来へ進み続けます。

私たちの生きる天の川銀河は、広大な宇宙空間に直径10万光年という果てしないスケールで広がり、セントラルサンを中心として無数の天体たちがそれぞれのサイクルを刻みながら、全体が秒速約200㎞という速度で回り続けています。それは人間の尺度などはるかに及ばないスケールです。これほど巨大なものが100億年以上にわたりぶれることなく、秩序を保ち続けてきたということは、そこに決して揺るぎのない、人智を超越する絶対的な軸があるということです。その絶対的な安定の中を太陽系が巡り、太陽系の秩序の下に地球が巡り、その中に私たちの毎日の秩序があるべきなのです。それは言い換えれば、人間がどれほど外れようとも、決してぶれることのないこの世界の本質へ、戻ろうと思えばいつでも戻れる世界に私たちはいる、ということです。

秒速200㎞は、地球上の尺度からすれば驚くべき速さです。しかし、直径10万光年の銀河からしたら、動いているかいないかわからないほどゆっくりなものです。この世界には、人智を超えた絶対の秩序の下に無数の尺度が存在し、それを現代人の思考回路で解釈することは到底できないのです。その解釈不能な世界の中で、自らの尺度だけを基準として生きているから、自分が外れていても、それを正常だと思ってしまうのです。自らの尺度だけで生きているから、本来はすべてが共有され循環していく大調和の世界の中で、貪り、奪い合い、獲得したものを手放すことを恐れ、自らの心が生み出した不安や恐怖でがんじがらめになっているのです。

その小さな囚われを手放しなさい。

そして、自身から自由になりなさい。

手放せば、私たちはいつでも、多様な存在がひとつらなりの命として大調和の下に永遠に循環し続ける、大いなる宇宙の尺度で生きることができるのです。

その精神の位置に立つ時、人は不安や恐怖から解放され、貪り争う必要がなくなり、穏やかな響きの世界を創ることでしょう。そして自らにも、地球にも、健全な生き方をするでしょう。
人間は本来、群れて生きるものです。それが今、いかに分断して生き延びるかという、生命の原理原則とは真逆の方向へ向かっています。世界中が混迷を極める中、新たな時代のリーダーシップは政治にあるのではありません。学問の中にもありません。それはこの絶対不変の宇宙法則の中にあり、自らの尺度を手放し、大いなる仕組みの中に存在していることに目覚めた時、あなた自身の中に湧き出してくるものが次の時代の指針となるのです。

その時に大切なのは、土に近く生きること。なぜなら私たちは皆、大地の子どもだからです。大地は私たちの命の源であり、土と共に生きることは、私たちを生かすこの世界の大いなる存在 ——— 太陽や月や、宇宙の天体たちのサイクルで生きることなのです。それが地上を生きる生命の本来の姿であり、私たちの中に眠る真の生命力を呼び覚ますのです。

人間は、自我から生まれる欲望のまま破滅へと向かう愚かな存在にもなれば、その体験から学び、宇宙の仕組みを地上に顕し、天地一体の世界を表現する尊い存在ともなれるのです。今、このメッセージに出会ったあなた自身が、その意識に目覚め、この大いなるターニングポイントを機に歩み出すならば、文明の発祥以来追い求められながら実現されずにきた、人類の命題である理想郷への道が、開かれることでしょう。