木の花ファミリー通信2020年春分号 〜 マツリとは

 

あなたはこの視点に

どこまでついてこられますか?

 

大いなる軌道修正へ突入した世界

今、もはや人間が思い通りにできない状況が、地球規模で起きています。

新型ウィルスの拡散によって世界中が混乱に陥りながら、未だ有効な手立ては見出せず、これまで当たり前であったことが当たり前ではなくなる時代が始まりました。人々は経済の停滞を憂い、社会には、これからどう生きていけば良いのかという不安が蔓延しています。しかし、どう生きたら良いかわからないのは、自らの存在の本質を見失っているからです。

文明の発祥以来、人類はその高い能力を発揮し、地球的には短期間でありながら、劇的な進歩を遂げました。不足があればそれらを超えるものを次々と生み出し、世界を都合の良いように創り変え、その歩みは今や、地球に接近する隕石を打ち砕くための核ミサイルまでも開発するほどです。けれども、本来宇宙が人間の行いについて否定しようとしていることに対し、人工の力でそれを回避すればするほど、人間は自信過剰となり、自らの行いを正しいものとして傲慢になっていくのです。その傲慢な振る舞いの結果が、問題ごとで溢れかえった今の世の中であり、宇宙はいよいよ、人間の傲慢を打ち砕くために動き始めました。なぜなら私たちはこの世界の創造主ではなく、創造主の意思によって生み出された創造物であり、創造物は創造主の意思を反映し、それを実現していくことが、唯一宇宙で生きる道だからです。

太古の昔、人間は、自然の枠組みの中で命を頂いて生きていました。厳しい自然の中で天がもたらす実りによって命をつなぎ、この世界の大いなる意思の元に自らが生かされていることへ感謝し、自ずと自然や宇宙への信仰が生まれました。人々は天が恵みをもたらしてくれますように、荒ぶる自然が鎮まりますようにと祈り、儀式を行うようになりました。自然に敬意を払い、心からの祈りを捧げ、神々と対話し、天の意向の元に地上を生きることを確認していたのです。これが祭りの始まりです。

「政」と書いて、「まつりごと」と読みます。政治とは本来、地上を生きる人間が天にお伺いを立て、その意向を受け取り、天の意思を地上に表現することです。ところが現代は、政治を司る者も、それを評価する者も、それぞれの立場を主張し、互いを打ち消し合い、際限なく膨らんでいく欲望を叶えることが目的となっています。その人々の意識には、天の存在はありません。そして今、世の中がこれほどの事態に陥っても、人々は未だ自らに都合の良いように問題の解決を図ろうとしており、その結果どこにも解決策を見出せない迷路に入り込んでいるのです。

そのような世の中にあって、富士の麓で、ある祭りが始まりました。文明の発祥から連綿とつながる6500年の人類の歩みが大いなる軌道修正の時を迎えた今、時代の意思のもと、行き先を見失った世界へ魂を吹き込むこの祭りは、名を「富士浅間木の花祭り」と言います。それでは、この祭りの誕生の背後にある時代の流れをみてみましょう。

 

富士浅間木の花祭り

愛知県の奥三河地方の山村にて

700年間受け継がれてきたと云われる

国の重要無形民俗文化財「花祭り」を

秘められた予言の通り富士の地で継承し

発展させた祭りです

 

 

光から闇へ向かう時代

私たちの生きる太陽系の中心である太陽は、銀河の中心であるセントラルサンの周りを、螺旋を描きながら周り続けています。その1螺旋のサイクルは25800年です。地球が太陽の周りを1周する間に夏至と冬至を迎えるように、太陽系もまた、1螺旋の間に夏至と冬至を迎え、最も光が強まる光のピークを「銀河の夏至」、最も光が弱まる闇のピークを「銀河の冬至」と言います。その光とは、セントラルサンから発せられる霊的な光のことです。

太陽系生命である私たちの肉体は、太陽から発せられる物理的な光が元となり、成立しています。宇宙の万物は全て、相反する性質を持つものが互いを成り立たせ合う陰陽の対向発生によって存在しており、私たち生命の物理性を陽とするならば、それに対向する陰は、霊性です。それは目には見えないセントラルサンから発せられる霊的な光のことです。セントラルサンは天の川銀河の年老いた恒星たち、即ち宇宙の叡智の集合体であり、そこから発せられる光は叡智の光なのです。

12900年前、太陽系はこの霊的な光のピークを迎え、そこから銀河の冬至へ向かうに従い光が徐々に失われ、闇が深くなっていきました。叡智の光を失うとは、宇宙の本質を感じ取る直感力が失われ、物事が観えなくなっていくということです。光から闇のピークへ向かう中間点にあたるおよそ6450年前より、地球上に現代文明の元となる文明が発祥し、人間は天の意思に沿うよりも、自らに都合の良いように世界を創り変え、天智ではなく人知によって地上を治めるようになりました。そして宇宙の本質から大きく外れていった結果、日本では、封建時代から戦国時代へと向かう流れの始まりにあたるおよそ800年前より、人々が真実を見失い混乱の中に生きる「末法の世」が始まったのです。

 

真の男性性と女性性の封印

神とは、この世界の仕組みである物理性を顕す存在を言います。太陽は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の顕れです。天の道理の柱を降ろし、太陽系の全ての存在の基軸となる太陽は、男性性のはたらきを顕します。これに対向発生する女性性のはたらきが、天照大御神の妻神、瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)です。水の女神である瀬織津姫命は、天照大御神の示す天の道理を柱として横に広がる回転を起こし、世界に現象化(生命活動)を起こします。この陰陽の対向発生により、世界が創造されていくのです。

ところが時代が光から闇へと向かう中で、いつの頃からか天照大御神は女性神として祀られるようになり、天の道理で地上を治める真の男性性が封印され、力で支配する間違った男性性が世に横行することとなりました。同時に、妻神である瀬織津姫命も封印されることで真の女性性も失われ、逆さまとなった世の中では間違いが正しいこととなり、曲事(まがごと)が蔓延するようになったのです。

 

国を守護する花祭り

時代がいよいよ闇のピークへと近付いたおよそ700年前のこと。曲事が蔓延し天の道理が忘れられていく末法の世の始まりにおいて、地上世界の乱れを諫め国を守護するために、熊野の修験道たちは、熊野の艮(うしとら=北東)の方角にあたる天龍水系を鬼門とし、その地にある奥三河で、地上を生きる人々のあるべき姿を示す祭りを始めました。これが花祭りの始まりとなったのです。この世の災いは人間の犯した罪や穢れによるものであるとし、自らを正し新たな自己へと再生することの大切さを歌や踊りで表現したこの祭りは、一年で最も暗く寒い時期に行われました。大地を踏んで舞い踊り、地中に眠る生命力を呼び覚まし、穢れを祓い清め空の器となった人々へ神々が降臨し、共に舞い踊る。その奥には、自我にまみれ自らの本質を忘れた人間たちへ目覚めを促す、深いメッセージが込められていました。

地球神・国之常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀る熊野権現の奥の院にあたる玉置神社、太陽神・天照大御神を祀る伊勢皇大神宮、そして太陽に対して月を表す瀬織津姫命を祀る奥三河の槻(つき)神社は、坤(ひつじさる=南西)から艮へ向けて見事に一直線を描き、その延長線上には富士山があります。世の中が闇のピークへと突き進む中、国の象徴である伊勢皇大神宮をはさみ、奥三河の山村で受け継がれてきたこの祭りは、いつの日か富士の地にその真の精神が受け継がれ、花開くことが予言されていたのです。

 

 

榊鬼と翁の問答


花祭りには多くの鬼が登場します。鬼は天の仕組みを地上に顕す、神の化身です。中でも最も重要な存在である榊鬼 (さかきおに) は、祭りの中で、人間の代表である翁 (おきな) と問答を行います。



やいやい、伊勢天照皇大神、熊野権現、富士浅間。ところは当所の氏大神。神の稚児の舞遊ばし給う木の花の御庭を、事どもしき姿をして舞荒らすは、何たら何者にてさむらう。

榊鬼
吾が身が事にてさむらう。


なかなか、汝が事にてさむらう。

榊鬼
此れさかきと申するは、比叡の山の大天狗、愛宕山の小天狗、山々嶽だけを渡る荒みさき荒天狗とは吾等がことにてさむらう。


事にてさむらうは何万歳をへたるとや。

榊鬼
八万歳をへたるとや。そう云う者は何万歳をへたるとや。


法は九善、神は十善、神の位をもって十二万歳をへたるとや。神行の為には榊を引いて帰れ。為でなくば引かれまい。

榊鬼
まことか。


まことに。

〈榊鬼と翁は榊の枝を引き合う。〉

榊鬼
この榊と申するは、山の神は三千宮、一本は千本、千本は万本と、千枝百枝までも惜しみ給うこの榊を、だれが許しを得て切り迎えとったとや。


伊勢天照皇大神、熊野権現、富士浅間、所は当所の稚児のさくやの御為として切り迎え取ったとや。神行の為には榊を引いて帰れ。この榊、引き取ったならば、是より艮、木の花の富士の山が立ってまします、それを汝の褒美にとらす。

榊鬼
まことか。


まことに。

〈両者 榊の枝を引きながら共に歌う〉

榊鬼 翁
ありがたや まことの神行か 扱いても扱かれぬ 引いても引かれぬこの榊

〈引き合っていた榊の枝を翁が勝ち取り、祭場中央の湯釜へ投げ入れる。榊を手放した榊鬼は、艮の方位(方角)へと退く。〉


榊鬼と翁の問答

人間に地上の政を託した榊鬼

榊鬼は、遥か昔に封印された地球神・国之常立尊(くにのとこたちのみこと)の化身です。地上に天の道理の柱を立て、曲事を許さない大変厳しい存在であったこの神様は、勝手気ままな八百万の神々に疎まれ、遥か昔に艮の方角へ封印されました。それ以来、地上は荒れ放題となったのです。それでも年に一度、最も闇の深い時に、地球神は鬼の姿をして顕れては、人々に自らの心の闇と向き合い、光へ向かうことの大切さを説いてきました。しかし自らの闇と向き合うことを避ける人々は、鬼こそが災いの元であるとし、艮の方角を鬼門として恐れ「鬼は外」と豆をまいて追い払う、逆さまの世が続いてきたのでした。

榊鬼は大地に命を芽吹かせ、生命の多様性を生み出し、天の道理を降ろすことで地上に秩序をもたらします。秩序とは調和です。多種多様な生命が調和のもとに循環する豊かな命の世界を地球上に築いた榊鬼は、祭りの中で、榊の枝を手にした翁と問答を行います。翁は榊鬼に対し、自身がいかに優れたものであるかを語り、「神行のためには榊を引いて帰れ」、つまり本当に神の道を行くならばこの榊の枝を引き取ってみろ、と仕掛けるのです。

「神の木」と書く榊は、地上の支配権(政=まつりごと)の象徴です。翁は、榊の枝を引き取ることができたなら、艮の方角にある富士の山を褒美にやろうと言います。そして榊の枝を引き合った結果、翁が榊を勝ち取ります。つまり、人間が地上の支配権を手に入れたのです。

しかし榊鬼は、負けたわけではありませんでした。自らが天の創造物であることを忘れ、宇宙の法を無視し、まるで自身が創造主であるかのように都合良く世界を創り変えながら、自らを振り返る意志のない人間たちに、「ならばやってみるが良い」と地上の政を託したのです。その結果更なる曲事が横行し、闇のピークに向かって地上は混乱を極めていきました。艮の方角へ退いた榊鬼は、そんな地上の様子をずっと見守っていたのでした。

花祭りの問答には「伊勢天照皇大神、熊野権現、富士浅間」という文言が繰り返し出てきます。2012年12月21日、太陽系は銀河の冬至を越え、闇が増していく時代から光が増していく時代へと舵を切りました。セントラルサンの霊的な光が差し始める中、「もはや曲事はならぬ」と封印を解かれた地球神が、問答の中で予言されていた富士浅間の地で復活し、新たな時代の幕開けを宣言するのです。

 


※奥三河では十以上の地区でそれぞれ独自の花祭りが行われており、問答も地区ごとに多少の違いがあります。上記は、奥三河の榊鬼と翁の問答を元にした富士浅間木の花祭り独自のものです。


 

大 和 の 御 魂 を 呼 び 覚 ま し

真 の 世 が  開 く

銀河の冬至が開けた2013年より、奥三河の花祭りの流れを受け継ぎ、富士のふもとにて富士浅間木の花祭りが始まりました。

闇のピークを越え、光が差し始めた新たな時代の幕開けを祝うこの祭りは、「ヒフミヨイムナヤコト」という数理によって顕される、「ヒ」から始まり「ト」で統合する宇宙創成の物語を、全体を通して表現しています。

祭場となる木の花ファミリーの「おひさまハウスひまわり」は、坤(南西)の方角に小高い丘があり、艮(北東)の方角に松の木があります。それは偶然にも、祭り第一日目に執り行われる神事の「高根祭り」と「辻固め」を行うのにふさわしい場所であることが、祭りを継承した後に明らかになりました。

 高根祭り 
祭場の坤の方角の小高い場所に結界を張り、上空から来る低級霊の侵入を防ぐ神事。富士浅間木の花祭りでは、国之常立尊(くにのとこたちのみこと)の妻神である豊雲野大神(とよくものおおかみ=坤の金神)を召喚する。

 辻固め 
元来は祭場の艮の方角に結界を張る神事だが、富士浅間木の花祭りでは結界を張ると同時に国之常立尊(艮の金神)を召喚する。「木」に「公」と書く松は公の心、即ち全体性を示しており、艮の金神の復活により花開く弥勒の世は、別名「松の世」とも称される。

 

四本の柱に囲まれた舞庭(まいど)と呼ばれる祭場の中央には釜戸があります。

  天照大御神のはたらき
釜戸に入れる火は、祭り第一日目の始まりに行われる「採火式」にて、太陽の光から起こされます。太陽とは、天照大御神の霊性の顕れです。封印されていた妻神・瀬織津姫命の復活と共に、天照大御神もまた封印を解かれ本来の男性神としてよみがえり、陰陽が正しく統合し、逆さまであった世の中へ真の男性性と女性性が復活します。火は祭りの間中絶えることなく燃焼し続け、祭りに天地を貫く揺るぎのない霊的な柱を通します。

  瀬織津姫命のはたらき
富士浅間木の花祭りでは、祭りの趣旨に共鳴する日本全国及び世界中から届く各地の川や滝、寺院・寺社等で汲み上げられたご清水を、舞庭の中央にある釜へ注ぎ、ひとつに融合します。そして祭りの中で、封印されていた水の女神・瀬織津姫命が復活します。水は太陽から降ろされた火(天照大御神)に焚かれることで制御され、火がもたらす縦の霊性のエネルギー(陰)を柱として、横に回転する現象化のエネルギー(陽)を起こします。

(カ)(ミ)が合わさり(カミ)となる
水は、響きを転写します。世界中の水が集まるということは、世界中の波動や、穢れも集まることになります。水は生命の発生と存続に欠かせないものであり、生命を清める存在でもありますが、その水が今、人間によって酷く汚されているのです。
祭りの中で、様々な響きを持つ世界の水はひとつに溶け合い、天から降ろされた聖なる火で焚かれます。水という現象世界の象徴(陽)に、天から降りた火の揺るぎない霊性の柱(陰)を通すことで、水は秩序ある働きを取り戻し、清められます。それは、昼の太陽である天照大御神と、夜の月を表す瀬織津姫命の統合を表し、二神が正しく対向発生することで地上に豊かな恵みがもたらされるのです。その聖なる火と水の周りを神々の依り代となった舞手と共に人々が繰り返し舞い踊ることで、柱はさらに太く力強くなり、神人和合の喜びと調和の響きが水へ転写されます。調和の響きに満たされた水は、祭事の後の「お水送り」の儀式にて川へと還され、再び地球を巡っていくのです。

 

祭事の流れ

祭り第一日目の神事にて場が整えられた後、第二日目の祭事では、朝から晩まで様々な舞手が観客と混然一体となり舞い踊ります。舞手は神々の降臨する依り代です。繰り返し繰り返し舞うことで、人々は自我から解放(マツリ)され、囚われのない天地一体の境地となるのです。

 

楽の舞(撥の舞)

祭事が宇宙創成の現象化の物語(陽)を表しているのに対し、その現象化を起こす「思い」の段階(陰)における神事の総仕上げとなる舞。神事を司る花太夫(はなだゆう)が、祭事の柱となる太鼓の撥(ばち)を手にして舞い踊り、撥に魂入れをする。


全ての始まりに響き(言葉)あり
神座の中央に位置する太鼓は、全ての舞の進行の基軸となる祭事の要。その太鼓の中心を、神の宿る撥が打つことで魂が吹き込まれ、高次の響きが発生し、宇宙創造の始まりを宣言する。この物理性により、宇宙の創造の意味を示す。


 

一の舞

万物が現象化していく始まりの「ヒ」にあたる、一人の舞。ヒとは火であり、日でもある。地球の創成では大地が生まれる以前の火の海である超原始地球の段階であり、静から動、無から有への出発点となる。

 

地固め

始まりの「ヒ」から相反する二物へと分かれた、二人の舞。海から地が生み出され、その地を踏み固め、固定する。男女が舞う「地固め・扇」は伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)を表し、相反する二物が互いを成り立たせ引き合う対向発生により、地上世界が創造されていく。

 

山見鬼

固められた平坦な大地にしわを寄せて山を創り、割り開いて谷を創り、気候の変動をもたらし、自然のダイナミズムを生み出す、力強いエネルギーの象徴。その化身は須佐之男命(すさのおのみこと)と云われ、地上に生命誕生の土台を築く。

 

花の舞

稚児の舞とも呼ばれる、幼い子ども達による舞。花とは生まれ変わった新しい命のこと。幼子は穢れのない清い存在であり、土を踏んで穢れないよう大人に抱きかかえられ舞庭に入場する。

 

榊鬼

榊鬼は、遥か昔に封印された地球神・国之常立尊(くにのとこたちのみこと)。大地に眠る生命力を呼び覚まし、地上に命を芽吹かせて、生命の多様性(地球生命生態系の元)をもたらす。反閇(へんべ)という大地を踏む所作では、五芒星を描き中心に魂を入れることで天の道理を地に降ろし、多様性の表現された生命世界へ魂を吹き込む。人間の代表である翁と問答を行った榊鬼は、地上の支配権(榊)を人間に明け渡し、艮の方角へと引き下がる。これより人間の支配する地上世界が始まる。

 

三つ舞

少年少女による三人の舞で、三神の舞とも云われる。神幽顕、天地人等、物事を構成する基本要素は三位一体で表され、ヒで秘かに始まりフで震えていたエネルギーがミに至ると安定する。目には見えないが心で感じられる霊的エネルギー(電気・磁気・力)が満ちている状態。

 

四つ舞

三つ舞より熟練した舞手による、四人の舞。満ちたエネルギーが横方向へと広がり、四方が現れ、拡張と収縮の正反四相の働きにより、調和した現象(地球生命生態系の循環)が地上に顕れる。

 

岩戸開き

すりこ木やしゃもじを手にしたひょっとことおかめが、面白おかしく舞い踊り、観客の顔に味噌や米を塗り回る。味噌と米は生態系の循環がもたらす豊かな恵みの象徴であり、地上の人々が食べることに困らぬようにとの意味が込められている。こうして地上が陽気に賑わうことで、天の岩戸開きとなる。

 

天地 (あめつち) の舞

岩戸が開き、封印されていた水の神・瀬織津姫命が現れ、雨(天のしずく)を地に落とす。女神である瀬織津姫命の復活は、同じく封印されていた天照大御神の男性性の復活をも表しており、失われし真の女性性と真の男性性が世に再び現れる、新たな時代の幕開けにつながる。

 

金神の舞

人間に地上の支配権を明け渡した後も、山に籠り地上の様子を見守っていた地球神(榊鬼)は、新たな時代の幕開けを宣言するため、鬼から神へと姿を変え、光り輝く艮の金神(うしとらのこんじん)として地上に現れる。金神は再び翁と問答を行い、人間は地上を生きることが天と共にあることに目覚め、地上の支配権の象徴である榊を天へと返す。この神人和合の精神により、地上に「弥勒の世」が花開く。

 

このはな八重の舞

世界の五色人を表す五色の衣をまとった男女八人が舞い、世界の平和と調和を表す。金神の復活により真実に目覚めた人々が、命の喜びを八方宇宙へ響かせ、うれしたのしと舞い踊り、一人ひとりの「個の花」を咲かせ、飽和と安定(ヤ)を超え(コ)て転がり(コ)出ることで、弥勒の世(統合=ト)となる地上世界をダイナミックに表現する。

 

茂吉鬼

破壊と豊穣を司る大黒天の化身の茂吉鬼が、天井の湯葢(ゆぶた)に吊るされた「蜂巣(はちす)」というお宝の入った袋を払い落とす。蜂巣とは蓮の花托(かたく)、即ち天上世界を表し、地上の古い仕組みを壊すことで天の恵みが地へ降ろされ、地上天国の創造へとつながっていく。地に降り注いだ豊かな恵みを、人々は拾い集め、皆で分かち合う。

 

湯ばやし

天の仕組みが顕れた地上で、聖なる火と世界の清水が統合する釜の周りを、四人の若者が舞手となって観客と共に舞い踊る。釜の周りを繰り返し回り続けることで人々の心も融合し、水はさらに清められ、最後に舞手がその水を勢いよく場内に振りまき、清らかな響きが世界へと放たれる。人々もまた清水を浴び、新たな自らへと生まれ変わる。

 

獅子舞

清まった場内を祝いの獅子が練り歩き、場や人々を重ねて祓い清め、舞い踊ることで祭事は締めくくられ、「お仕舞い」となる。これより以降、神返しの神事となる。

 

 

艮の金神と翁の問答


岩戸開きによって現れた瀬織津姫命が、男性性を取り戻した天照大御神と正しい陰陽の統合を果たすと、地上にあるべき男女の姿が示され、豊かな実りがもたらされます。そこに、封印を解かれ鬼から神へと姿を変えた地球神・国之常立尊が、光り輝く艮の金神として現れ、人間の代表である翁と再び問答を行います。



伊勢天照皇大神、熊野権現、富士浅間。ところは当所の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神
この方(ほう)は、艮の金神と申す。時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ逆巻く魔釣り(まつり)の世。


艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう。

金神
この方は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ混じること、適わぬ世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出ると申されるか。

金神
いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみひと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹に真(まこと)を据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。


引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神
一度は渡したその榊。天の元に供えられい。

〈翁が榊の枝を金神の腰に差し、根付きの榊を金神に渡す。金神、反閇(へんべ)を踏む。〉

金神
皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、うれしうれし、たのしたのしの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。

〈金神、カタカムナ第五首、第六首を奏上しながら、舞う。〉

ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ
ソラニモロケセ ユヱヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ

金神
真(まこと)の神が現れる。神人(かみひと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。

 

最も寒さの厳しい時に

生きとし生けるものはすべて、大地と共にあります。春に芽吹いた命は、夏に大きく成長し、秋に実り、冬は静かに次のサイクルへ向けての準備をする。太陽と月、そして星々の対話が地上に命のサイクルを刻み、私たち人間も、他のあらゆる生命も、その大いなる循環の中で生かされています。私たちは大地によって育まれた、地球(国之常立尊)の化身なのです。

現代を生きる人々の日々の意識は、土から遠く離れています。実体のないマネーゲームやテクノロジーの中に生き、自分たちの思い通りに地上を支配しようとした結果、今や人間は、自らの創り出したものに支配されようとしています。そのような中、富士の麓で土を耕し、星々の紡ぐサイクルに沿い、大地と共に生きることを何よりも大切にしながら日々の暮らしを送る人々のもとへ、この祭りは受け継がれました。祭りは、一年で最も寒く生命力の衰える時に開催されます。人々は命への感謝を捧げ、自然の成り立ちの背後に存在する神々と意識を共振させ、皆で歌い舞い踊り、自らの穢れを祓い清め魂を再生させることで、新たな命のサイクルの始まりである立春を迎えるのです。

 

時、いよいよ来たれり

2012年12月21日、太陽系は銀河の冬至を迎え、それまでの闇に向かうサイクルから光へ向かうサイクルへと舵が切られました。闇に向かう時代には、人々は真実が何であるのかが観えず、正しいと思ってやることが間違いを生み、地球上にたくさんの矛盾を積み重ねてきました。しかし、闇のピークを越え、かすかに光が差し始めた今、これまで行ってきたことの実態が徐々に照らし出され、現象として示される時が来たのです。この時代の大いなる転換の時、封印されていた地球神が「時、いよいよ来たれり」と艮の金神として再び世に現れたのです。

艮の金神は「地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)の始まりを宣言します。文明の発祥から6000年以上に渡り、人間たちがより豊かな国創りを目指し人知を尽くしてきた結果、自分さえよければいい「我よし」、力あるものが他をねじ伏せる「力よし」が世に逆巻き、自らを賢いと思う者が間違いを生む「あやま知」が地上を支配するようになりました。金神は、そのような人間の有様を天の意思に転換する、六千歳(6000年)のたてなおしが始まったことを宣言するのです。

「こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事」とは、このたてなおしは始まりの時から決まっていたということです。かつて榊鬼は地上の政(まつりごと)を人間に託し、艮の方角へと退きました。それは、人間が自分たちの力を過信し酔いしれている間は真実がわからないため、そのまま進むとどうなるかを身をもって体験することで、納得させる必要があったからです。その結果、地上は問題ごとで溢れかえることになりましたが、人間たちは「鬼は外、福は内」と豆をまき、問題ごとの根本原因である自らの心の闇を観ることを促す鬼を悪者として追い払い、都合の良い福だけを招き入れてきました。そのような福を招き入れてきた結果、人間は世界に何をもたらしてきたのでしょう。すべてが天意と逆さまの世となった今、その原因でありながら自らを振り返らない人間たちへ、金神は「どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくり返すぞよ」と告げるのです。

 

神の使える器となる

「マツリ」をカタカムナで紐解くと、球の中(マ)に高次限定空間の集い(ツ)が発生し、それが分離(リ)していると読み解くことができます。即ち、自我に囚われている人間が、その自我から分離して器が空となり、高次の空間で「どうぞこの器をお使いください」と天の受け皿となっている状態です。自らの中が自我の思いでいっぱいの時には天の入る余地はありませんが、空の器となった時、その中心に天が魂を入れます。魂が入るとは、自らの中に天の道理の柱が立つ、つまり、宇宙の法(神の心)を柱として地上を生きることです。

「汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ」とは、日は火(カ)、即ち男性性を表し、月は水(ミ)、即ち女性性を表しており、この正しい陰陽の統合の先にある命(神が現象化した姿)が生まれ出ることを示しています。私たちはこの神聖なる宇宙の仕組みに基づき、肉体という空の器を穢れのない状態で与えられ、そこに宇宙の法の柱を降ろし生きていくのが本来の姿なのです。宇宙にある無数の星々が遍く連鎖し世界が成り立っているように、私たちの体が多種多様な機能の集積によって命として存在しているように、宇宙はつながることによって成立しており、その大本にあるのは善意と愛、そして調和です。私たち人間がその宇宙の法を柱として地上を生きた時、天の仕組みが地に降ろされ、地上天国が実現するのです。政(まつりごと)とは本来、人間の歪んだ自我を表現し欲望を満たすことではなく、汚れのない無垢な器となった人間が天の仕組みで地上を生きることなのです。

 

魔釣りから真釣りへ

今の世の中は、天の存在を忘れ自我にまみれた人間たちが魔を釣り上げる「魔釣りの世となりました。富士浅間木の花祭りでは世界中の水を集めて清め、清まった水をまた地球へと還します。この大事を行ずるには、美しく清らかな心で臨むことが大切であり、祭りを執り行う者は常日頃からの精進が求められるのです。

金神は、宇宙の創世から消滅までの物語を48音で表したカタカムナのウタヒ第五首、第六首を奏上し、舞い踊ります。そのウタヒには、宇宙発生の大本の響きが込められています。「始めに言葉(響き)あり」と言うように、この世界は大本の言葉(思念)から発生しています。その大本の言葉を元として広がった現代の言葉は、今、とても汚れています。言葉が汚れているのは、それを発する人間の心が汚れているからです。自我の思惑や嘘で汚れた言葉が世界を創り、その汚れた世界が生命の源である水を汚し、命を汚していきます。汚れた言葉を発することは、汚れた響きを宇宙に発信することであり、その蓄積が今の世の中の矛盾の源泉となっているのです。

金神は宇宙の大本である48音の音霊(おとだま)を響かせ、現代の汚れた言葉を清めます。それは、行き過ぎた物理性を霊性をもって制御し、物理性と霊性の統合した調和の時代となることを求めているのです。その大本の心は「光に穢れ混じること、適わぬ世となるべきなり」。人がこの世界に生み出された真の目的に目覚め、自我から生まれる汚れを取り去り、天と共に世界を創造していく意志を持った時、魔に代わって真(まこと)が入る「真釣り」の世が始まります。それは、人間が地上で真を生きることにより、宇宙の求める真の姿に地球を返すこととなるのです。

 

天教山より 弥勒の世が花開く

新たな時代の到来を宣言した金神は、人間の代表である翁にこう告げます。「この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ」。天教山とは天の教えが降りる山、富士山のことです。日の本とは日の当たるところ、つまり地球全体のことです。天から富士山へ降りた教えは地中に潜り、マグマ(火)を通って地球の魂の意向を乗せ、地教山(地球上の生命のあるべき姿を示す山)であるヒマラヤから地上へ噴き出します。その教えは命の水の響きとなり、ガンジスの河を下り、全世界へと広がっていくのです。末法の世の始まりに奥三河の山中で始まったこの祭りには、いつの日か富士の地へ祭りの精神が受け継がれ、その教えが世界に向けて花開いていくことが予言として込められていたのです。

金神の心を受け取った翁は、かつて榊鬼から引き取った榊の枝と共に、大きな根付きの榊を金神へ返します。それは、心の底から地上の支配権を天へ返すことを表しています。そしてそれは、天と共に地上を生きる意志に揺るぎがないことの誓いの証でもあるのです。「真(まこと)の神が現れる」とは、宇宙創造の根本原理が人間の行いに顕現すること。「神人(かみひと)共に現れる」とは、腹に真を据えた人々が神の顕れとして地上を生きることを意味し、これこそが天地一体の精神を有する人々の姿であり、真の意味での生まれ変わりなのです。花祭りは魂の再生の祭りであり、「花」とは、新たに生まれ変わった清らかで美しい命が花開くことを示しているのです。

もしも本当に人間たちが花開いたならば、人間だけでなく、そのことを待っていた動物や植物、微生物、水や土や空気や風や、太陽や宇宙の星々までも、この世界の全ての生命たちが喜び、うれしうれし、たのしたのしと舞い踊ることでしょう。そのように皆が共に喜び、笑い、愛し合う時代が到来したことを、復活した地球神・艮の金神は告げているのです。

 

 

 

命あふれる奇跡の星 地球の上で

これは地球史の、クライマックスと言える物語です。

現代は、地球の誕生から46億年、生命の発生からおよそ38億年と言われます。その間、地球上には幾度となく環境の大変化による生命の大量絶滅が起こり、その度に次の環境に適応した新たな生命が誕生してきました。破壊と再生を繰り返しながら進化し続けた生命は、長い時を経て、ある時サルに至りました。

「神」という字は、旧字体で「神」、即ち、「申(さる)に示す」と書きます。生命がサルにまで進化した時、神はそれを器として自らの魂を降ろし、天からの示しとしました。それが人間の始まりとなったのです。果てしない生命進化の物語を経て、神は人間に、自らの代理として地上を生きる役割を託しました。それまで多種多様な生命がそれぞれに相応しい位置で役割を果たし、自然の仕組みのままに循環していた生命世界へ、その仕組みの背後にある意思を理解し、その意思と共に世界を創造していく可能性を秘めた存在(人間)が降ろされたことで、世界という器に魂が吹き込まれたのです。

 

地上に降りた神の魂 ────人間

類まれなる可能性を与えられた人間は、それまで自然界には存在しなかったものを次々と生み出しました。その歩みは留まることを知らず、今や人間の判断力を超えて進化し続けるAIや生命の根幹を揺るがすゲノム編集、世界を破壊する威力を秘めた核技術など、一たびその方向性を間違えば自らを破滅へと追いやる可能性のあるものを創り出すところまで、私たち人間は到達したのです。では、その人工の世界の急速な発展は、人間だけの力によるものかと言うと、その背後には常に、天の意思が存在していました。

現代に至る人間の営みは、地球環境を悪化させ、人間のみならず他の生命にまでも害を及ぼし、世界に深刻な現実をもたらしています。ならば、その害の元となる人間の高い能力を否定するべきでしょうか。そうではありません。なぜなら天は人間に、可能性を託したのです。神の代理として地上に降りた人間が、その智恵を使い、自然に任せているだけではできなかったことを表現するために、天はあらゆる材料を与えました。ところが人間は天の存在を忘れ、それを自らの力で獲得したと思い込み、自分たちの都合の良いように使い始めたのです。自我に囚われた人々が魔を釣り上げる魔釣りの世では、どれほど優れた能力も、結果として世界に害をもたらすものとなりました。その行為を行う者の内にある精神性が、現象の性質となって顕れるのです。

富士浅間木の花祭りでは、行き詰った世を立て直すために艮の金神が「世の中ひっくり返すぞよ」と現れます。それは、天が人間に与えたものの使い方を根本的に変えるということです。使い方を変えるとは、その元となる人間の心を変えることなのです。

 

マツリとは、生きることそのもの

私たちは、地球生命です。地球生命である私たちの肉体は、太陽から届く物理的な光が元となり、命を存続させています。つまり、私たちは太陽系生命なのです。そしてその物理的生命と対向する私たちの霊的生命は、天の川銀河の中心であるセントラルサンから届く、目には見えない霊的な光によって成り立っています。つまり私たちは地球生命であり、太陽系生命であり、天の川銀河生命であり、宇宙に存在する宇宙人としての認識を持つべきなのです。

ひとつの体の中で、意思の伝達は瞬時に起こります。太陽系からセントラルサンまでの距離は2万6100光年、即ち、光の速さで2万6100年かかるということであり、その中で星々は瞬時に自らの肉体である銀河の意思を共有しています。つまり、私たちは既に、物理性をはるかに超える霊的な共時性の中に生きていることになるのです。その大いなる万物の共通点の中に、自らを一方的に優先する心が発生すれば、そこに分断が起こり、意思は共有されず、大いなるものとしての意識は失われていくことでしょう。しかし一たびその大本の存在へと意識を向け、宇宙根源の響きと共振した時、私たちは奇跡の星・地球に生命として降り立ったことの意味に目覚め、そこに存在する数多の生命の代表である人間の真の役割を果たすものとなるのです。

そのような意識レベルに到達した時、私たちの内から発せられる宇宙根源の響きは瞬時に世界を駆け巡り、地上に顕れる現象が変化していくことでしょう。他の生命にはない高い能力を与えられた人間は、自然だけでは成し得ない、世界をより豊かに創造する可能性を秘めているのです。そして人間が自らの真の役割に目覚めた時、世界という器へ真が入る、真釣りの世が始まるのです。

冬至の後、最も寒さの厳しい時期が訪れるように、宇宙的には銀河の冬至を越えた今、これまで積み上げてきた間違いの結果がいよいよ現象となって現れ出す、厳しい時代が始まります。その中で、自らに積み重ねてきた穢れを祓い清め、その奥に眠る真の生命力を呼び覚まし、この世界の大いなる意思と自らを呼応させ、共に新たな世界を創造していく。そして生まれ変わった新たな魂で、その厳しい寒さの先にある春を迎える。そのひな形として、富士浅間木の花祭りは毎年立春前の寒さ厳しい時に、新たな世の始まりを迎えるけじめの祭りとして行われます。人間は地球に生きる全ての生命の代表として、命であることの感謝を、祭りを通して天に捧げる役割を与えられているのです。

その意識に目覚めた人々は、自らが人が生きるべき姿勢のひな型となり、毎日を生きることになるでしょう。日々の積み重ねが一年となり、一年の積み重ねが一生につながり、その人生の価値として積み重ねられたものの結果が、美しい世界を創る。人生を通して真の価値を見出し、人が生きることで世界がより豊かになっていく ──── その大いなる生命の営みがマツリであり、それは生きることそのものなのです。

 

その意識にあなた達が目覚めた時

あなた達は再び

私と出会うことになるでしょう

 

 


富士浅間木の花祭りでは年間を通して各地のご清水を募集しております。ぜひ皆様のお住いの地よりご清水をお寄せください。また、祭りの開催や「花宿(はなやど)」と呼ばれる専用の祭場の建設をご支援頂く花見舞い(寄付金)も受け付けております。詳しくは下記ホームページをご覧ください。

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木の花ファミリー通信2019年冬至号 〜 21世紀を生きる人類一人ひとりの皆さんへ

 

 

現代を生きる人々が陥っている

「自己中心」思考

あなたはその呪縛から

自らを解き放てますか?

 

宇宙の総意によって創られた星 地球

私たちは、宇宙を生きています。

宇宙では、すべてが連鎖し、循環し、調和しています。広大な宇宙空間を漂う無数の星々は、一つひとつどれもが他にはないオリジナルな個性を持っています。その多様性あふれる星々が互いに対話し、壮大なスケールで絶妙なバランスを保ちながら、まるで全体が一つの交響曲を奏でるかのように連鎖し、美しいハーモニーを響かせているのです。

この宇宙の総意によって、私たちの生きる地球は誕生しました。

地球は、宇宙のひな形です。火、水、土、風、空気、鉱物、微生物、植物、動物。様々な働きを持つ多彩な自然の要素が、他に代わることのできない独自の役割をそれぞれに果たしながら、互いにつながり、連鎖し、無限に循環し続ける、地球生態系という豊かな命の世界を築きました。私たちの存在する銀河の誕生から138億年、地球の誕生から46億年という進化の時を経て、地球は宇宙の中でも類いまれなる命あふれる星となったのです。

その悠久の進化の果てに、数百万種とも言われる生命の中のたった一つの種として、人類は誕生しました。

太古の昔、人間たちは、星々の命を受け、自然と対話し、他のたくさんの生命たちと共に生態系の循環の中を生きていました。当時の人々は、自らがこの大いなる宇宙の一部であり、その循環の中で命を与えられ、生かされていることを知っていたのです。ところが、長い進化の物語の最後に登場したこの生命は、それまでの歴史上に類を見ないほど、急速な勢いで進化し始めました。そして宇宙の仕組みのままに美しく循環し続けるこの星の生態系へ、多大な影響をもたらすようになったのです。

 

天変地異は私達に目覚めを促すメッセージ

人間には、他の生命と大きく違う点があります。それは、際立った自我を持っていることです。

多様性の星、地球には、実に個性豊かな数多の生命が存在しています。人間以外の生命は、同じ種の中で個体ごとの違いはそれほど大きくありません。個々の生命は、個としての目的に沿って生きているようでありながら、その前提に種としての役割を果たしており、自らの命が他の命を生かすことへつながる地球生命生態系の循環から逸脱することなく、生を全うします。ところが人間は、同じ種の中でも一人ひとりが違った個性を与えられ、違うことで自らを他と切り離して捉えるようになりました。そして「自分」という存在を特別に意識するようになり、自らが大いなる世界の一部であることを忘れ、種としての役割を果たすよりも、個の目的を叶えることを優先するようになったのです。

他の生命にはない高い創造力を持った人間は、自らの中から湧き出す願望を、その能力を使い、実現するようになりました。願いが叶うことで欲望はさらに膨らみ、自我が肥大し、いつしか人間たちは星々の存在を忘れ、自然と対話することを忘れ、他のたくさんの生命の存在を無視し、自らに都合のいい人工の世界を広げていくこととなったのです。

現代の人間たちの築いている世界は、とてもネガティブです。すべての前提として自らを中心に置き、そこから見て気に入らないもの、合わないものを異物と捉え、否定したり、差別したり、敵と見なし攻撃し、環境保護や平和を求める運動ですら、他を否定し対立することで成り立っています。自らの基準にそぐわなければ、個人であろうが国家であろうが、自然でさえも否定の対象となり、最終的には破壊の対象とさえなるのです。

それに対して、その人間たちを包むこの世界は、多様な存在が何ひとつ否定されることなく世界の中に配置され、それぞれがふさわしい役割を与えられ存在する仕組みになっています。もしも人間に地球外からの視点があれば、地球はすべてを共有する場所であり、どんなものもその共有の仕組みの中で互いに支え合う相互扶助の世界に存在していることがわかります。そしてその中で、自分の主張ばかりを押し通し周りのことを考えず、数ある生命の中で最も高い能力を与えられながら、その高い能力で環境を汚し、他の生命を傷付け、果ては同じ種の中で殺し合っている人間たちの営みが、どれほど奇妙で、どれほど滑稽であるかがわかるでしょう。それはこの世界の成り立ちにはまったくそぐわない、生態系全体へ害をもたらすものであり、本来そのような生命は淘汰されるべきなのです。

今、世界は既に、その淘汰に向けて動き始めています。地球の歴史を振り返れば、過去6億年の間に6回の生命大量絶滅があったように、地球は次のステージへ向けて、様々な天変地異を起こし始めました。絶滅と聞くと、自らに執着している人間たちは、今あるものが壊れて無くなるという恐怖を感じることでしょう。しかしそれは地球が健全になるための新陳代謝に過ぎず、宇宙的には極めて正常な働きです。そのような動きが始まっている今もなお、人間はその能力の高さゆえ、危機を表面的に修復し、地球にさらなる矛盾を積み重ね事態を悪化させ続けているのです。

 

豊かさをもたらすはずの資本主義が与えたもの

地球が宇宙の総意によって創られたとしたら、そこには地球を生み出す宇宙の意思があったはずです。ならば、宇宙はなぜこの星の上に、このような愚かで不可思議な生命を誕生させたのでしょう。

現在のように人間がネガティブになる大きな要因となったのが、資本主義です。かつて豊かさとは自然が与えてくれるものであり、人間はそれを頂き、自然と共に謳歌する立場にいました。ところが資本主義の発展と共に、豊かさとは他者と競争し、自ら勝ち取っていくものとなったのです。
勝ち取り、満たされれば幸せになるのかというと、そうではありませんでした。満たされればその満たしたものを所有し守ろうとするものです。そして「もっと満たされたい」と自我をさらに膨らませ、膨らんだ自我を常に満たしていなければ幸せだと感じられないようになりました。競争によって落ちこぼれが生まれる一方で、勝ち取った側はつかの間の優越感を味わい、その優越感にも慣れてしまえば、今度は「常に勝たなければならない」という恐怖を抱えるようになりました。

そのような社会の最先端に立ち、自然を無視し人工の世界を拡大していく人々が優秀とされ、まるで社会全体が麻薬中毒のような状態に陥りながら、一律な価値観で人工の世界を拡大し、さらに見通しの立たない方向へ突き進んでいるのです。そして優秀な人ほど自らの人工的優秀さに溺れ、それが見えないのです。
そこでは、人々は自らの願いを叶えることが自由であり、豊かさであるという、大きな勘違いに陥っています。そしてそのような、ルールを与えられないと調和できない、欲望にまみれた人々を統制するために、政府は法律を作り、それを一律に人々に当てはめるようになりました。人々は自由をはき違え、法律の枠の中で認められさえすれば何をしてもいいことになり、そういった人間たちの行いが積み重なった結果、今、地球は問題事で溢れかえっています。
しかし、現代の科学に染まった人々は、物事を細分化し、一つひとつを精度高く分析することはしても、それらをつなげて統合的に捉え、その背後を読み解く力がないため、問題事の根本的原因がわからず、本質的に解決する道筋を掴むことができないのです。マスコミは問題事の表面だけを見て騒ぎ立て、政治を司るものも民衆も他者を批判することは熱心にしても、皆で力を合わせて賢明な世界を創ろうという発想は、どこからも生まれません。

これは、自らが自然の中に組み込まれた生命であるということを、人間が忘れてしまった結果です。天体や自然によって生かされていることを忘れ、自我の主張を通すことが当たり前となり、それが対立を生み、環境を破壊し、世界を貧しくしていることが見えない。これは現代人すべてが陥っている「自己中心」思考の呪縛です。この呪縛から人類を解き放たない限り、世界が良くなることはないのです。

 

自我の暴走は、人類のもたらした地球規模のテーマ

人類はもう一度、生命としての原点に立ち返る時が来ています。

視野を再び宇宙へと広げてみましょう。今、私たちはまぎれもなく、宇宙に生きています。宇宙ではすべてが連鎖し、循環し、調和しています。この大宇宙の法のもとに銀河があり、銀河の中に太陽系があり、太陽系の中に地球があり、その地球上に表現された緻密で美しい大生命生態系の中に、私たち人類は存在しています。もしもこの宇宙の法に狂いが生じ、現在のバランスが保たれなくなれば、私たちはたちどころに存在できなくなるでしょう。人間を含めたすべての生命は、この大いなる宇宙の法のもとに生かされているのであり、その大本の法に沿って生きることは、生命として当然のことなのです。

現代人はお金や物など、目の前の形あるものに心を奪われ、物理的な意識がとても強くなっています。ですから環境が汚れればそれを浄化しようと新しい技術を開発し、争いが起きれば互いの利害を調整するために交渉するなど、物理的現象に対し物理的結果を目的とする対処で解決しようとするのです。しかし、宇宙の本質は物理性ではなく、霊性にあります。すべての現象の奥にスピリチュアリティがあり、それが元となってこの物理的世界の秩序が顕れているのです。
そのことに気付いた時、現代の人間たちの営みの奥にある姿勢は、物理性に偏りすぎていることがわかるでしょう。そして今、その偏りが矛盾を生み、現象となって現れてきているのです。それを物理的な行動によって解消しようとする前に、自らの霊的な過ちに気付き、それを正し、宇宙の本質を取り戻した時に、物理的な現象は極めてスムーズなものとなり、矛盾は自ずと解消されていくのです。なぜならば宇宙の本質とは、善意と愛と調和で成っているからです。

現代人は、世界は自分たち地上を生きる人間によって運営され、自分たちの意志が世界を動かしていると思っています。しかし真実は、地球は人類の誕生よりはるか以前に、宇宙の総意によって創られたのであり、長い進化の時を経た今も、宇宙の霊的なはたらきによって導かれ続けているのです。自分を中心にして世界を見ている現代人にとって、それは理解できないことかもしれません。しかしながら、時代が21世紀に入った今、私たち人類は、20世紀までの自己中心的な生き方を続けて淘汰されるのか、それとも30世紀に向けて、宇宙人としての認識のもとに、次の時代への進化のための新たな千年紀を歩み出すかの、大いなる岐路に立っているのです。

産業革命以降、人類の暮らしは飛躍的な発展を遂げましたが、それは人間の能力がどこまで伸びるのかという可能性を試された時代でもありました。自然はその人間の行いを受け入れてきましたが、それは他者の迷惑を顧みず自らの欲望を追求し、全体の秩序を乱すことを許可したのではなく、それをするとどうなるかを、人間が自らの行いから学びとする期間でもあったのです。もしも人間の活動が現在の地球の状況をつくっているということにメスを入れるのなら、私たちは、その人間の代表が自分自身であるということに気付かねばなりません。これは環境問題ではなく、自我の暴走という、全人類に共通のテーマなのです。

それを解決するのは、制度や仕組みを作ることではありません。過去にも、資本主義の問題点を克服しようと、人間は共産主義という新たな仕組みを作りました。ところが共産主義を理想として掲げた人々は、自らの作り出した仕組みに溺れ、資本主義の問題点を克服するどころか、人々を管理する体制によって無個性な社会を創り、その理想は有名無実なものとなっていったのです。そのように、どれだけ新たな仕組みを考え、世界を良くしようと思っても、その問題を生み出す根本にある精神にメスを入れなければ、それは良くしようとするもどきに過ぎないのです。

ではその根本原因、即ち自らの心を振り返り改善する時に、私たちは視点をどこに置くべきなのでしょうか。
それは、私たちが存在する前にまず生態系があり、地球があり、太陽系があり、銀河があり、宇宙があり、その大いなる序列のもとに私たちが存在しているという、この世界の命の仕組みに心を向けるべきなのです。その時に、現代を生きる人々にとって最も難しいのが、自らを基準とし自分の側から世界を見る視点を離れ、自らを生かす世界の側に立って物事を観ることです。自我から湧き出す思考のままに主観で生きてきた人間たちが、自我を超え、大いなる宇宙の意思と共に世界を創造していく側へと舵を切る。それは、人類史上最も大きな方向転換、即ち軌道修正です。そしてその視点は、私たち人間が地球に降ろされた真の意味を知ることにつながっていくのです。

 

 

時代は21世紀に入り、私たちは地球上に表現される長い物語の、大きな節目の時を迎えています。これから始まる3000年に向けての千年紀は、20世紀までの科学の延長線上を進化していくのではありません。そういった進化をもたらした横暴な振る舞いを改め、自然に対する認識を変える時が今、来ているのです。

地球は、人間がこの星の上に積み上げてきた矛盾を破壊しにかかりました。人間がこれまでの生き方を改め、方向転換するには、大きなエネルギーが必要です。それを天変地異で与えられれば、とてつもない痛みが発生します。しかし、地球上の生命の中で最も高い能力を与えられた私たち人間は、本当にそのような痛みを持って修正されるべきなのでしょうか。
 

生きることへの意識革命

どれほど人間がこの世界を破壊しようと、大いなる宇宙の循環のもとにある自然界は、いずれその破壊を修復し、元の健全な世界へと還していく力を持っています。しかしそれには、とても長い時間がかかります。だからこそ、その時間の代わりに、人間の叡智を使わなければならないのです。

叡智とは学習して得るものではなく、生命の本質としての私たち一人ひとりのDNAの中に眠り、本来湧き出してくるものです。大いなる宇宙生命の一部である私たちの霊的DNAには、宇宙の始まりから終わりまでの情報が眠っており、その中のどの部分が表現されるのかは、その人が生きている時代により、ふさわしい情報が現れてくるのです。現代が愚かしいのであれば、その愚かしさを乗り越える叡智も私たちの中には組み込まれており、私たちがそこに意識を向けることで、眠っていた叡智は湧き出してきます。なぜなら、時代(天)は既に新たなステージへと舵を切ったからです。

時代の波に翻弄されるのではなく、地上を生きる私たち人間が時代の意思に沿い、共に世界を創造していく時、そこは天の意思が地上に表現される、地上天国となるでしょう。それは資本主義や共産主義のように、人間のみに与えられる豊かさや仕組みによってもたらされるものではなく、人間の思考を根底から覆す、生きることへの意識革命なのです。
 

世界中の権力や富の上に立つ人々へ

皆さんどうか、その高い地位と優れた能力を、この世界を真の健全へと導くために使ってください。人間の真の価値とは、霊性にあります。現代のように歪んだ社会でどれだけ評価されても、それはいずれ肉体を離れ、霊的存在となり宇宙へ還るあなたの真の価値とはなりません。真に価値ある者となるためには、世界の霊性と物理性の関係を正常に戻す精神のもとに、社会を正しい方向へ導く勇気を持ってください。本来、責任ある立場に立つ者ほど全体(人間を含めた地球生命生態系)のことを真剣に考え、決断し、誇りある国(地球)創りをするべきなのです。そうすれば皆さんは、優秀な者としての存在から、尊い者としての存在になることでしょう。
 

宇宙生命交響曲の指揮者としての目覚め

地球は宇宙の奇跡です。そもそも宇宙が現象化を起こしたことも、奇跡なのです。それは人間の思考などはるかに及ばぬ、偉大なる意思からのメッセージです。ですから、この星の存在が宇宙的には奇跡であることは当然であり、それは宇宙の神秘と言えるものです。そしてその神秘は、私たちの日常の隅々にまで配置されています。しかし物理的思考に汚染された現代人は、そのことが信じられないのです。そして目の前に既に奇跡があるのに、それを奇跡と理解できないほどの愚かしさに陥っているのです。その愚かしさに気付き、そこにある神秘(神の秘密)を、秘密としてではなく、私たちの日々の生活の中に当然のものとして表現していくことが、この星から矛盾を取り除き、美しくしていく第一歩なのです。

現在地球上で最も繁栄している生命は、人間です。生命とは本来、増えれば増えるほど豊かさを表現できるものです。宇宙の本質が善意と愛と調和であるならば、より多くの存在と共有の世界に生きることで、より多くの存在とつながり支え合う多様で豊かな世界が表現できるのです。しかし、現代の人間たちがつくる世界は、増えれば増えるほど、限りない矛盾を生んでいるのはなぜなのでしょうか。私たちはそのことに気付かねばなりません。

地上天国と聞くと、人は絵に描いた世界のように感じ、不可能だと思うかもしれません。しかし今、視点を変えて観れば、地上に人間が積み上げてきた矛盾への破壊が始まり、既存の社会システムが崩壊し始めたことにより、逆に地上天国が近付いていることが観えてきています。様々な現象を通して地球が発しているメッセージの背後にある意思を感じ取れば、その意思は、人類の誕生以来ずっと夢に描かれてきた理想郷を、私たちにもたらそうとしていることが観えてくるでしょう。そしてその実現は、私たち一人ひとりの目覚めに託されているのです。

近代の人類が陥ってきた自分本位もしくは人間本位の世界観は、私たち自身に大きな矛盾をもたらすだけでなく、私たちの生命としての種がこれから地球上で栄えていくことに、大きな影を落としています。この現実から来るメッセージを私たち人類は今、受け取り、自分本位の生き方から、この宇宙の奇跡である多種多様な生命の兄弟と共に、美しい地球生命生態系を表現していくことが求められています。それは、地球生命の頂点に立つ私たち人類の使命であると言えます。今、2000年を越え、3000年に向けての新たな宇宙時代を迎え、私たちは宇宙視点の元に、宇宙の奇跡であるこの星の生命たちの奏でる宇宙交響曲の指揮者にふさわしい位置に立つ時が来ているのです。
 

人類の一人ひとりの皆さんへ

もしもあなたの中に、このメッセージに共鳴する心があるならば、どうかこのメッセージをあなたの心の通じる人々へ、国境や言語を越え、自由に広めていってください。人類がこの世界に誕生した本来の目的に目覚め、人であることの尊さを悟り、あなた自身の意思によって地上に宇宙の総意を表現してください。そして、地球を新たな星としてよみがえらせる、そのネットワークを広げていく主役に、あなた自身がなってください。このメッセージは、誰もが主役となる時代を迎えた今、地球上に生きる人類一人ひとりの皆さんへ、その目覚めを促すものです。

そして、美しくなった地球で、美しい皆さんと出会えることを、私は願っています。

 

 


時間の旅人として宇宙を生きている ~ 自然療法プログラム・よしてるくん物語

41歳のよしてるくんが自然療法プログラムを受け始めたのは、先日自然療法プログラムを卒業したエニーがプログラムをスタートさせたのと同日である、6月6日のことでした。今回は、それから1ヶ月後に卒業を迎えたよしてるくんが卒業コンサートで発表した「ケア滞在記」と、ケアコーディネーターのようこがまとめた「よしてるくんのケア物語」、そして「ジイジからよしてるくんに贈られたメッセージ」をご紹介します。


 

よしてるくんのケア滞在記

私が初めて木の花ファミリーを訪れたのは、今から13年前のことでした。その後、何度かここを訪れ、4年前には1回目の自然療法プログラムを受けました。1ヶ月後、ケアは終了し、そのままここの仮メンバーになり、ここで1年弱を過ごしました。しかし、自分と向き合うことにやる気を無くし、メンバーを辞め、ここを去りました。

ここを去った後の最初の1年間、私は知的障碍者の社会生活や就業支援の指導員として働きました。心も体も不安定だった私は、この1年で自分は指導する側の人間ではなくて、指導される側の人間だと気付きました。

そして私はその事業所を辞め、発達障害(ASD)の認定を受け、それから1年間、専門のカウンセラーの元、その改善に取り組みました。そこでの取り組みは、脳機能を含めた肉体改善が主体の取り組みでした。その取り組みの中で、穏やかに安定して生きていくには、やはり考え方をどうにかしないとダメだと気付きました。

そして私は仏教に出会い、それまでの肉体改善主体の取り組みを辞め、仏教組織に通い、経典を読み、瞑想を習うようになりました。可能性を感じ、それなりに心の落ち着きは得たものの、経典通りには進められず、根本的なところの改善には届きませんでした。

根本的なところというのは、自己中心的な心、傲慢な心、慢心し怠ける心、そして思考ですべてを処理していくこと。

その取り組みは、一人だけの取り組みでもあり、一人だけではしっかりと取り組めず、根本的なところの問題を残したままでした。

そんな中、これからは自分の人生とそこにある責任は全部自分のものだから、自分で背負って生きていこうと決意することがあり、親からの金銭的な支援をすべて断りました。

ですが、この先、そのように生きていくためには、根本的なところの問題を残したままでは難しいという感覚があり、不安になっていました。そこのところの改善がどうしても必要で、そのためには、しっかりと取り組めるだけの環境と改善に向かうことができる指針のある所が必要でした。

私の知る限り、そういう所は木の花ファミリーしかありませんでした。自分自身のために、プライドを捨て、再びここへ救いを求めることを決心しました。それはちょうど時代の切り替わり、令和元年5月のことでした。

翌月の6月6日、ケア滞在がスタートしました。同じ日に中国人のエニーも、ケア滞在のスタートでした。彼女は私より3日早く卒業しました。そのおかげで自分以外のケア滞在の一連、スタートから卒業までを生で見ることができ、それはとても良い刺激になりました。エニー、ありがとう!

私のケア滞在はちょうど丸1ヶ月で終わりました。今回の2回目のケア滞在の目的は、けじめのつかない自分を卒業すること、道理が分かる人になり、そして分かっているだけの状態からやっている、成っている状態へ進化していくことでした。

滞在中には毎日、起きた出来事とその時々に湧いてきた思いを日記に綴り、主治医のジイジにコメントをもらいました。そのコメントを受け、次の日の取り組む姿勢を決めていきました。

サポーターのヒロッチには、ノートのコメントの解説や日々の取り組み方、その時々の悩みなどの相談に乗ってもらいました。同じ部屋で寝起きし、過ごしてもらえることで、取り組む姿勢を保てたり、気持ちをほぐしてもらえたり、とても助かりました。

この取り組みに必要な環境を作ってくれているメンバー達には、色々と話を聞かせてもらうことも多く、その話から、または一緒に作業をさせてもらうことから、あるいは彼らの日常の様子から、改善のヒントを色々と得ることができました。

ケアスタート時、私はたくさんの思考を回していて、そしてそれをうまく処理できない状態でした。そこでまずは、自分で自分の思考をうまく処理できるように思考を仕分けていくことが最初の課題となりました。

このような自分自身の問題点や課題が、日々起きてくる出来事とそれを読み取るジイジのコメントから次々に現れてきて、そのことに一つ一つ取り組んでいきました。

思いを仕分けることの他には、思考と行動のバランスを取ること、主観的に物事を捉えずに客観的に捉えていくこと、慢心しないこと、意欲を持って日々過ごすこと、自分を超えた者の視点に立ち、世界観を広げていくこと、評価を狙うことを辞めること、上げ底にならずに本音を元に進めていくことがありました。

メンバーや滞在者や子供達、色々な人達と関わることの中で起きてくる出来事を課題に取り組むチャンスにしたり、今の自分の状態を確かめるキッカケにしながら一つ一つ進めていきました。

そのように進めていくうちに、自分自身の主観的な思いやネガティブな響き、周りとの繋がりを無視したあり方が自分にも周りにも負の影響を与えていくことの実感と、客観的に捉え、響き良く、繋がりを意識したあり方が、穏やかで心地良い日常を作り出す実感とが、自然と感じられていきました。

社会情勢や社会問題をテーマにメンバー達が話し合う時間も多くあり、そういった中でも人間の心のあり方やそれぞれが持つ世界観が個人の人生や世の中にどのような影響を与えるかということを学ぶことができました。

不登校がテーマの時は、自分が得しようとするあまり、評価ばかりを気にして不正直に過ごし、家族にも誰にも心を開かず、繋がりを感じられない孤独な世界観の中で生きてきたことを振り返ることができました。そして、自分自身がそうであったからこそ、つまらない苦しみの多いうまくいかない人生が私にもたらされていたことを確認することもできました。

このような話し合いの時には、必ずジイジからの広く高い視点からのコメントがあり、その話を聴くことが私の世界観を広げてくれる助けとなりました。ここで発行されているニューズレターやホームページのブログを読むことも取り組みのひとつとしてありましたが、それも同じように私の世界観を広げてくれる働きをしてくれました。

そのような広い世界観を借り、思いの働きを日常の中で探っていくと、自分自身に起きる問題はすべて自分自身の影響があることが理解されていきました。

本当はすべて繋がっていて、その流れの中に自分もいて、不満も不安も感じようのない優しい世界がここにもある。それを歪めているのは自分自身、人間自身。人間の歪んだ世界観と繋がりを無視した自己中心的な思い。

この場所でたくさんの人達に助けられながら色々な体験をする中で多くのことを学びましたが、私は自分自身の人間性にふさわしく出来事が起こり、自分自身の人間性が自分自身の人生を創っていくことは、ケアに来る前から分かっていました。他を無視して自分本位で生きていくことがどのような結果を生むか分かっていました。

それなのに、それを辞めることができず、ずっと同じことを繰り返していました。

そんな私を見て、ジイジは、もうええかげんにせえよ、と。いつまでも自分だけの世界に囚われていないで、天と共に美しく流れる人生を歩んでいきなさいよと、そうできるように天と私をつなぐ柱をプレゼントしてくれました。

ジイジは私に日の丸のようにさわやかに生きていくことを提案してくれました。自分が存在することで、自分も周りも迷惑しない、物事がうまく運んでみんなに喜んでもらえる。そういうふうに誇りが持てる。そんな人生を生きていく。

私の名前は「慶(よろこ)」ぶに「日の光」と書いて、慶晃(よしてる)です。今まではその意味を日の光を慶ぶ人だと思っていた。でも、これからは、日の光のように存在し、みんなに慶んでもらえる人になっていく。

道理を理解し、今の響きを感じながら、これからどういう響きがやってくるのかを感じながら、そこにある流れを受け、この世界の仕組みと共に、この世界の一部として、そこにある思いを共有しながら、そうやって生きていく。

今日は卒業式だけど、日の丸のように生きていくNEW慶晃に成っていくためのスタート式でもあります。

この卒業式とスタート式を創りあげてくれたみなさま。ジイジ、サポーターのヒロッチ、メンバーのみなさん、関わってくれたみなさん、どうもありがとうございました。

みんなと共にあったこと、みんなと共にあることがとても嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いします。

 


 

よしてるくんのケア物語

41歳のよしてるくんが初めて木の花ファミリーを訪れたのは、今から13年前のことでした。大学生の頃から社会生活に馴染めず、うつ的で引きこもりがちだったよしてるくんは木の花ファミリーに長期滞在をしたり、いろいろな形で関わってきました。そしてうつ的な状態が悪化してきた2015年1月には1回目の自然療法プログラムを受けました。当時は順調にプログラムが進み、1ヶ月で卒業を迎え、その後よしてるくんは「第1回1ヶ月間の真学校」の受講を経て、木の花ファミリーメンバーとなったのでした。

しかし、自分と向き合う気持ちがなくなったよしてるくんは、その後木の花ファミリーを離れる決断をし、それから連絡が途絶えていたのですが、今年の5月に突然、連絡が入りました。よしてるくんは木の花を離れている間に発達障害や化学物質過敏症と診断されたそうですが、「今後安定して生活し続けられるように精神面を改善したい。ひとりでも向き合えるように、ウソのないように生きることが必要だと思っています。できましたらお力をお貸しいただけないでしょうか」というメールを木の花宛てに送り、再度自然療法プログラムを受けることを決意しました。そして6月6日、木の花ファミリーを再訪し、ケア滞在がスタートしたのです。

ケアスタート面談の際、ジイジからよしてるくんに次のように伝えられました。「今、時代は大きく変わりつつあります。それは、大きく変わりつつあるから時代に置いていかれるということではなく、時代が変わるときには今までなかなかきっかけを掴めなかった人にはチャンスだということです。平穏な時代には一発逆転を狙おうと思ってもなかなかきっかけが掴めないものですが、この世界的大変革の波に乗れば、スイングバイできるチャンスでもあるのです。ですから、まずは健全な社会生活を営むことができる精神状態になるために取り組んでいきましょう。あなたは私から観れば、病気でもなければ、発達障害でもありません。これはあなたの人間性の問題です。前回、あなたは背のびしすぎて、模範生として立派なことを語り、内にある癖が取りきれていなかったのですが、これからそれを個性として活かし有効活用すればいいのです。あなたの問題の発信源は理屈っぽく自らの問題と向き合うことから逃げていることです。それを物事の道理を正していく能力として今後は活かしていきましょう。」それを聞いたよしてるくんは「自分を誤魔化して逃げる癖が自分でもわかりつつやめられないのです」と答えると、ジイジからは「あなたの自浄能力はそこが限界です。そこで現状を突破するために私たちを信頼し、他者の力を借りて、ある意味自らの道理の通らない理屈を打ち負かすことが大切です」と伝えられ、ケア滞在がスタートしたのでした。

まず、ジイジからよしてるくんに与えられた課題は、今までの自分について思うことや日々の心の動きを日記に綴りながら、自らの奥に秘められている悪想念を日記に出していくことでした。ジイジ曰く、「悪想念を浄化するために日記に出していくことを意識し、前向きに取り組めたらいいですね。」そうして、よしてるくんは日中は畑や倉庫、キッチンでの作業に参加しながら、自分と向き合う旅を始めたのでした。

1週間面談の際、ジイジはよしてるくんに次のように伝えました。「今回の取り組みを成功させるためには、この取り組みを成し遂げるという決意が大切です。日記のところどころであなたの理屈先行型の癖が出ていて、それはあなたの個性でもあるのですが、余計な思考でもあるのです。ここ1週間の日記を読んでいたとき、前回の取り組みのときのあなたの日記のことを思い出し、あなたは筆記テストでは良い点を取るのですが、いざ実力となるとからっきしダメなところがあり、そこが一番の問題点なのです。今回のあなたの日記を読んでいると、あなたはいつも自分に負けています。自分に負けるということは、自分の癖・性分が出たときにコントロールできていないということです。しかし、私たちにとって人生の一番大切なテーマは自分に打ち勝ち、優れた人格となることなのです。優れた人格となると、自分の行動以上に事がうまく進むようになります。それは天が味方しているということです。さらに優れた宇宙意識レベルに到達すると、フリーエネルギーで無駄がなく、エネルギーを足さなくても事がなっていくようになるのです。」

それからも、作業に出ながら自分と向き合おうとしていたよしてるくんですが、用事を済ませるために一度東京に戻ったときには、「ひとりになるといろいろと自分の都合でやりたいことが湧いてくる。木の花にいるとまわりのサポートがあって自制しやすいから、今の自分にはここの環境が必要だ」と感じたようでした。

そうして迎えた2週間面談の際、ジイジから、「あなたは一生懸命取り組んでいるようですが、あなたにはまわりに受けることを期待して取り組んでいるところがあるので、意外と変化の手ごたえが少ない印象があります。本当は受けることではなく、自分の変化のために取り組まないといけないのです」と伝えられると、「自分でも良く思われようとして日記を書いていて、その癖が染み付いているのがわかります」と苦笑いしていたよしてるくん。そんなよしてるくんにジイジは、「かっこ悪くても正直にすべてを出したほうが改善は早いのです。良いも悪いもない自分のそのままを書いていくことを癖にしたらいいのです。今のあなたの癖を続けていくと、ある意味自分の人生に問題ごとの種を蒔いていることにもなりますからね。何回もこの取り組みを繰り返すわけにはいかないのですから、今回を最後の取り組みとするだけの決意を持つことが大切です。
この面談の前にエニーと面談したのですが、彼女には『いかに私たちは宇宙人として生きるのかがこれからのあなたのテーマですね』と伝えましたが、あなたの場合は『いかに健全なよしてるとして生きていくのか』がテーマです。しかし、これは紙一重の話なのです。この瞬間に目覚めたら、いきなり宇宙人になれるのですから。つまり、今あなたの意識がどこにあるのかというだけのことなのです。そしてすべてのキーポイントは悟りなのです。たとえば、引きこもりの人が外に出るようになれば『外に出ることはいいことだ』と悟っているのですし、現代人が地球の癌細胞のようなものだと気付き、『一般の生き方ではない、もう少し優れた生き方をしよう』と気付くことも、悟りです。そこから、『自我に囚われていてはいけないから、自我を超越しよう』と決意して生きたならば、それこそそれは菩薩から仏への歩みなのですから、本当の悟りになるのです。いきなり仏の境地に至ることはできないかもしれませんが、いきなり菩薩にはなれるのですよ。
そして、自分にふさわしい至れり尽くせりのことを日々与えられ、そのゆりかごの中で育てられているくらい私たちが配慮されて生かされていることに気付けば、私たちはなんとありがたい世界で生きているのかがわかるのです。そうすると、今まで自分に人から注文をつけられていたと思うことすら、ありがたいことになるのですよ。そして仕舞いにはそういうこともどうでもよくなるのです。それはそういうことが必要な段階にあるからありがたいのであって、実際にこの世界にはありがたいも何もないのです。あるからあるだけのことです。それが、周りの環境や自らの精神に振り回されない安定した状態となり、人間の目指す最終到達地点となるのです。」

この面談以降、この先の生き方に対する目標を明確にし、自分と向き合いコントロールする意欲を継続するために、作業にも参加しながら、ジイジブログやニューズレターを読む時間も意識的に取るようにしていったよしてるくん。よしてるくん曰く、「自分がここに来てどれだけ根本が変わったのかはわからないが、日々自分の思考に飲み込まれて深みにはまるようなことがずいぶんなくなってきたところを観ると、何かしらの変化はあったということなのかと思う。」

そして3週間面談の際、ジイジはよしてるくんに次のように伝えました。「この取り組みは長く続けるものではないので、1ヶ月を区切りにして卒業してもらいたいと思います。あなたは自分の問題点を語ることはできるのですが、あなたの問題はそれを日々語りながら捨てようとしないことです。それを捨てればよいだけのことです。そこに取り組んで、このプロジェクトを終了しましょう。次回までのテーマは区切りをつけることです。不要な思考が出たらそれをさっとその場で消せる人、できれば不要な思考が出ない人になることが最終目標です。」

こうして迎えた4週間面談の際、ジイジからは、「あなたは今まで物事の流れを無視し、自らの理屈で生きてきたことを理解する必要があります。流れは宇宙が創っているのですから、いただきますという精神が必要です。簡単に言うと、人生は神様からいただいて神様にお返しする。生きるということは自分が生きているのではなく、神様にいただいたものなのですから、『あなたの命に従って生きています』という謙虚な心を持つことが大切です。それは自我を捨てることですから高い意識の人となります。そのことを理解し卒業してください。先日卒業したエニーが中国代表だとしたら、あなたは日本代表として日の丸のようにさわやかに卒業し、これからさわやかに生きていってください」と伝えられ、ちょうど1ヶ月でよしてるくんは卒業を迎えたのでした。

卒業する前々日の日記にはこう書かれていました。「蓮池の葉と水面の間の世界を覗いた。地球上にいてもその背景に宇宙が広がり、日常の風景の裏には潜象世界が広がっている。裏と表、上と下、縦と横、手前と奥。意識を広げられた分だけ、繋がりを感じられ、繋がりを感じられた分だけ囚われから離れ、穏やかに過ごせる。」それに対しジイジは、「哲学者になったやないか、お前!有効活用しましょう」とコメントしたのでした。卒業後も木の花ファミリーに滞在しながら、社会復帰に向けて取り組んでいくよしてるくん。これからは「人生学哲学者」として健全で充実した人生を歩んでいってください。まずは卒業おめでとうございます。

 

ー 時間の旅人として宇宙を生きている byジイジ ー

私はいつも意識があなたのほうを向いていることに気付きます。それは、私がこの世界に存在することの原点を感じるからであります。そのあなたを感ずる私の力は微妙なものであります。私が肉体的意識をセンサーにして生きれば、あなたの存在を感じることは難しいものですが、たびたび意識の隙間からあなたの存在する世界にセンサーがアクセスすることがありますので、存在を感じるのです。私はあなたの存在を感じたとき、不思議な気持ちになります。それは私の存在する世界で、どのように喜びを発掘しようと思っても得られないものです。そのあなたのおいでになるほうに意識を向け、あなたの存在の息吹を感じたとき、なにかしら言いようのないすべてのふるさとのように感じられる響きの世界があることを感じ、私が存在するこの現象世界で得られるであろう喜びのすべてを超越した満足が、そこにあることに気付くのであります。

ですから、私は時々この世界にいることを空しく思い、そしてあなたのほうに旅立つことを望むのであります。どちらにしても、あなたのもとから来た私にとっては、いずれまたあなたのもとへ還るのですから、私は十分に満足なのです。

毎日、瞬間瞬間の時の旅を留まることなく永遠に歩んでいますが、この永遠は私個人の体感する枠の中では有限なのです。私はそのことがわかっているので、永遠に続くように思われるこの現象世界の中にいても、至福の心を持ち続けることを可能にするのです。

私は赤子のように物理的なすべてを取り去って裸になり、霊的にすべてのこだわりを取り去り魂だけになったとき、この境地に浸ることの喜びに至るのです。

 


よしてるくんのケア滞在記とケア物語が読まれた後、ジイジからよしてるくんにメッセージが贈られました。


 

地球を健全にするプロジェクト・自然療法プログラム

最近の傾向として、うつ病や社会生活不適応など、心の病気を抱えている人たちは、木の花ファミリーに自然療法プログラムの問い合わせはするのですが、実際に自然療法プログラムを受ける決断をする人は少ないのです。今年の2月にPさんが自然療法プログラムを卒業して以来、しばらくこのプログラムを受ける人はいませんでした。私は長年このプログラムを提供してきていますから、プログラムの申し込みに波があることを知っています。時代が令和になる前からそういった傾向はありましたが、今、何か流れが変わってきているように感じています。

そのような中、中国人のエニーと日本人のよしてるくんが今回同時期に自然療法プログラムを受けたのです。しかし、私の見解からすると、ふたりとも心の病気ではありませんでした。特に、今日卒業を迎えたよしてるくんは、障碍者認定を国から受けているのです。これは、国の制度が間違っているのか、本人が障碍であることに逃げたのでしょうか。長年、このような人たちの改善に関わってきた私からすると、彼が病気ではないと言えるのです。こういった現象は今、世界中でそうなのでしょう。精神的な病というのは、物理的なものと違って、本人の心の問題なのです。ですから、改善は結局本人の意志にかかっているのです。ところが、現代の医療機関は精神病と言えないような人たちに対しても治療し、お金儲けをしているのです。特に日本の精神医療を観ていると、その傾向が感じられ、それは間違っていると私は思います。お医者さんになった優秀な人たちや、医療システムを提供する国のあり方が間違っている、と私は考えています。

今、世界は資本主義の仕組みの中で、人々は自らの欲に溺れている状態です。それは、自らの欲望を追求する心に振り回されているのです。このように誰もが欲望を満たそうと競争する状態になっていると、同時にそこから落ちこぼれる人たちもたくさん出てくるのです。日本にもこういった問題はたくさんあり、今現在、日本には390万人の精神病患者がいると言われています。それに予備軍も加えると、4000万人に達するとも言われ、現代社会に暗い影を落としています。それは、日本人の3分の1が何らかの精神的問題を抱えていることになるのです。さらに、中国ではこれからこのような傾向がもっと激しくなるのでしょう。それは、現代の人間のあり方が間違っているからです。

そのように考えると、地球を健全にするプロジェクトとは、一人ひとりの人間が本来の生命としての尊い役割に目覚めることです。それを進めることが私の生きる目的であるという意味では、自然療法プログラムを提供することにこれまでエネルギーを使ってきましたし、これからもその志は変わりません。

そのような中、よしてるくんの問題もエニーの問題も、単に個人の問題ではなく、現代の社会の背景から観ると社会問題と言えるのです。こういった現象は、現代社会のひずみや矛盾がもたらしたものだと観ています。物事を広く大きく捉え、そこで社会の問題としてそういった現状を表現しているとしたならば、こういった現代の一人ひとりの問題を解決することは世直しにつながるのです。ですから、よしてるくん一人が健全に人生を生きるということは、それだけ地球が喜ぶのです。

今日、ゲストのAさんが来ていましたね。彼女はとても健康で能力が高く、四ヶ国語を話します。中国語は中国人のペイペイより上手でしたね(みんな、笑。「彼女の日本語は上手」と言うペイペイに対して)それはそうでしょう(みんな、笑)。しかし、私は彼女の華々しい優れた能力の背景に、いつも悩んでいる姿を感じ取りました。それで、通常はしないことなのですが、今日は彼女と話すことを提案し、午後その時間を持ちました。「あなたはこれから何をするのですか?」と質問すると、「今までとても忙しく、今、少し時間ができましたので、これから南フランスの田舎に行って、チーズとお酒を楽しんでこようと思います」と彼女は答えました。そこで私は、「そのことに対してはあなたが求めることですから、何も言いませんが」と言って、注文をつけたのです(みんな、笑)。「あなたはなぜそうするのかわかりますか?」と質問すると、彼女は自分のスケジュールの流れを説明し始めたのです。しかし、なぜフランスまで行ってチーズとお酒を楽しむのかというと、それはストレスが溜まっているからなのです。だから、それを解消したいのですよ、と伝えると、彼女は納得していました。そのように、誰もが無意識に選択する行動の原因を吟味せず、ただ湧いてくる感情やストレスのままに行動しているのです。彼女がフランスへ行って、チーズを食べお酒を飲むことに、地球は喜ばない。それは、私たちが生命であるということから問われる、生命力という意味では、逆の道を進んでいることになるのです。

人間たちは能力が高く、自然のままに生きているといろいろと不便を感じるでしょう?だから、それを改善していくのです。その結果、とても豊かな社会を創りました。これから、さらに究極の豊かさが訪れ、人間が考えるべきことを考えなくてもよくなる時代が来ます。それはAIが考えてくれるような時代が来ると言われているのです。そこで反対に、不便なことをいつも自らの行動に取り込んで生きていけば、人間は常に生命力が強くなります。そうすると、生きることを自分で考え、超えていける力を持つことができます。ところが、それを問題ごとだからといって、人間の高い能力で技術は人間が学習しなければいけない機会を奪い、より便利さを求め、楽な生活(現代はこういった状態を提供することをビジネスチャンスにしている)を実現するための改善を行っていくと、私たちから問題ごとを超えていく能力(生命力)を奪っていくことになるのです。

そのように、近代において、人間の技術革新・進歩は、人間の生命力を奪ってきました。先程のAさんは、どこかで高い意識を求めるために生きている人なのですが、ストレスから来る行動が自分の生命力を奪っていることに気付かず、ストレスに翻弄されている状態です。私は彼女に、「私は縁あってあなたに出会ったのですから、その縁にふさわしくあなたに親切で伝えています」と伝えました。彼女は、そのような物事の捉え方の切り口を初めて知ったのです。彼女は、両親やいろいろな人たちから彼女の生き方について、今までも言われてきたのでしょう。しかし、彼女は能力が高いので、すべて言葉でクリアし、自分の好きなように生きてこられたのです。しかし、そのように生きれば生きるほど、他者の話を聞かないのですから、孤独になっていきます。ストレスを何かで解消すればするほど、ストレスは蓄積していくのです。そして、何かで解消しなければ次に進むことができなくなるのです。これは、多くの人が陥る落とし穴ですね。

エニーはどこか神秘的で優秀な人ですし、よしてるくんは日記を見ると難しい字をさらっと書いていました。「あなた、すごいね!」と伝えると、「携帯で調べながら書いていました(笑)」と言っていました(みんな、笑)。でも、日記の内容はとてもしっかりとしているのです。前回のケアのときでもそうでした。よしてるくんは前回ケアを受けた後、よしてるくんの日記と私のコメントのやりとりが心の問答集としてホームページに掲載されたのです。しかし、結果挫折しました。つまり、良いことを書いて点数は得られても、それが実力にはならない。表面的に言葉で良いことばかりを語り、それに溺れ、自らの実力にしないのですから、先程から皆さんに伝えている要領の悪い人間の代表のようなものです。

よしてるくんは今回2度目の挑戦ですが、そういった不要なことはできたら一度もやらないでいたいものです。一度もやらなくても、物事をスムーズに行うためには、自分に向き合って逃げないことです。そして堂々と歩んでいく姿勢があったときに、不要なことをやらず、効率の良い人生を歩むことが可能になります。

今日はよしてるくんの卒業ですから、私は彼に伝えているようですが、実は彼をひとつの視点にして、その後ろにいる現代社会を生きる人々に伝えているのです。現代医療は彼のような人たちを食い物にしてきました。社会はそのような問題をこの世界にたくさん出しておきながら、解決するどころか、それをビジネスチャンスとしているのです。そういった現代社会の矛盾をひも解き、行き詰っている人たちが本当の原因を悟ることができれば、自ずとその行き詰まりは解決できるのです。ですから、ここで一番伝えたいことは、こういった医療機関では不可能な改善が、ここでは可能なのです。こういった現象のことを、一般社会では奇跡と呼びます。お医者さんでは不可能なことが可能となるのです。しかし、これは奇跡ではありません。物事の道理です。当たり前に人のあるべき方向性を考え、そのように進んだら、問題ごとには出会いません。ですから、何かに突き当たっても、逃げないで自分と向き合ってください。そういったとき、人はみんな、インチキをしている自分を知っているのです。自然の生き物は、生きることが真剣ですから絶対に誤魔化しません。しかし、人間は誤魔化して、たとえば学校に行きたくないとなったら、頭が痛くなったりして、器用に症状我発症するのです。

現代の人々が考えている豊かさや善意は、私たちに問題ごとの原因を与えていることになるのです。ですから、私たちも含め世の中の人すべてが、心を入れ替えないといけない時代が来たのです。先日卒業したエニーには、「今までのケア卒業生の中でもっとも高い意識で卒業する人です」と伝えましたが、よしてるくんには面談の中で悟りの話に触れていました。私たちは人間ですが、目覚めれば菩薩になれるのです。仏になるのは簡単にはなれません。菩薩の精神を継続し、その高い精神状態の延長に死を迎えることで、仏への道が開かれるのです。

そして、ようこちゃんがまとめたよしてるくんのケア物語の最後にある「時間の旅人として宇宙を生きている」というメッセージは、今朝私に湧いてきたものをようこちゃんがこのケア物語の最後に付け足したのです。そうしたら、タイトルといい、よしてるくんのケア物語にぴったりの内容でした。すごいなと思います。何がすごいのかというと、何も考えないで、思いのままに生きていたら、物事はすべて物語となりつながって、「なるほど」と納得できるのだと思いました。そのためには、言葉巧みに語り、評価を求めるのではなく、正直に素直に日々を物事から逃げないで生きることです。

よしてるくんは、三度目の正直とならないように。今後はしばらく木の花ファミリーで長期滞在をしながら、将来の方向性を探っていく予定です。ですから、以前とは違うよしてるくんになったと思います。彼には「人生学・哲学者」という称号を与えました。それは、生きることの意味を学習し論じる人のことです。よしてるくんは言葉を並べるのは得意なのですから(よしてるくん、苦笑)、健全な人生学を語れる人になってもらいたいと思います。

 

ー 生きることは私たちに託された「宇宙実験」 ー

これまで、私たち人間は欲望を満たすために獲得することによって幸せを得ようとしてきました。しかし、過去にも現在にも、地球上にそのような生命はいません。現代の物理的偏重の歴史は有史以来6500年と言われています。たった6500年のここまでの歴史は人間に託された、言わば「宇宙実験」のようなものだったのです。人間が獲得し何を得るのかというと、自我満足、つまり自我の欠乏を満たしているだけのことなのです。ところが、自我を満たせば満たすほど、自我は膨らんでいきます。その実態がようやく観えてきたとき――、人間の高い能力を美しい法則のままに生きている他の生命のように活かして、地球を生きなさい。そのように人々が地球上で生きたとき、私たち人間は、天が生命の中でももっとも高い存在として地球に降ろした目的を達成するのです。これが、地上に理想郷を創ること、つまり地上天国の実現なのです。そして、私たちのささやかな日常の中に、そのことが託されているのです。

それが人間として生きることの最上の喜びなのです。

 

 


エニーの28日間の心の旅 〜 卒業コンサート編

2019年6月6日から自然療法プログラムを受けていた25歳の中国人、エニーのために、7月2日の夜、卒業コンサートが開かれました。まず、木の花楽団からエニーに歌のプレゼントが贈られた後、エニーは28日間の滞在を振り返るケア滞在記をみんなに読み上げました。この滞在記はエニーがまず英語で書いたものをメンバーが日本語に訳し、以下の日本語版をエニーがみんなに読み上げたのでした。


 

エニーのケア滞在記

「エネルギーを正しい方法で使うこと」

 

以前の状態

  • 2年前、私が自分自身と私の内なる世界を探究し始めたとき、
  • 私の問題のひとつは考えすぎることだと気付き、それは本当に私のほとんどのエネルギーを奪っていると感じていました。
  • 私はその問題点に気付きましたが、この問題をどのように解決すべきなのか、本当にわかりませんでした。
  • また、過去2年間、私は感情の浮き沈みをとても頻繁に経験してきました。
  • 2018年の後半に、私の心がとても感情的になったときがありました。
  • たとえば、シャワーを浴びながらハミングをしていた次の瞬間には、私はとてもとても気分が落ち込み、泣きたくなったものです。
  • 私は瞑想やヨガを試し、それは本当に私の助けになりましたが、時々「感情的な私」が戻ってきました。
  • 2019年2月に私は木の花ファミリーの1ヶ月間の真学校に参加し、ジイジはそれが私の人間性であり、ジイジのような他者からの助けを私が必要としていることを伝えてくれました。
  • 私はそのことを真剣に受け取らず、自分でそれを解決できると思っていました。
  • 4月のある日まで、あることが原因で、私の心は周りに強く影響され、つらく感じていました。
  • その瞬間、ただ私が望むものは平安であり、外の世界によって乱されない平静を保ちたいと思いました。
  • そういった状況の中で、私にはたまたま時間があったので、木の花ファミリーで自然療法プログラムを受けてみることを決めました。
  • 通常、私は午前中に畑や他の場所へ作業をしに行き、午後は日記を書きました。
  • 毎日私は日記を書き、ジイジはコメントしてくれました。毎週私はジイジの面談を受け、ジイジは私にその週のフィードバックをくれました。

 
最初の1週間 – 私の過去から卒業する

  • 私は子ども時代の記憶から日記を書き始めました。
  • 1週間、記憶について書いた後、私の子ども時代のほとんどの記憶がネガティブであることに驚きました。
  • なぜならそれは、私は常に自分自身を被害者だと思ってきたからです。
  • 他者が私のことを良く扱わないときはいつでも、私は被害者のように感じ、傷つけられたように感じました。
  • また、私は良い結果を求め、ネガティブな自らの今までの方法で考えてきました。
  • たとえば、私が小学生のとき、私たちはたくさんのテストを受けました。テストの結果が良いだろうと思ったときに、結果は良くないことが何度もありました。結果が悪いだろうと思ったときには、結果は良いものでした。そこでテストを受けた後、私は物事を悪く考える傾向がありました。なぜなら、そうすることで、良い結果を呼ぶことになると私は信じていたからです。
  • ですから最初の面談で、ジイジはそのことを指摘し、何が起ころうと、私には少なくともその半分は責任があり、私は決して被害者ではないと伝えました。
  • さらに、私のネガティブな思考はまったく客観的ではない私自身の論理に過ぎないことに気付くべきであり、その古い癖から飛び出すべきだとジイジは伝えました。
  • いずれにしても、過去は過去なのですから、私に過去から卒業するべきときが来たのであり、「困難はチャンスでもある」ということわざにあるように、ポジティブに客観的に物事を観るべきときが来たのです。

 
次の2週間 – 自分自身の問題を見つける

  • 「あなたがどのように一日を過ごすのかは、あなたが一生をどのように生きるのかを示すでしょう」ということわざがあります。
  • 2週間の間、いろいろな形で私に私の問題を示す異なる現象がありました。
  • もちろん大きな問題のひとつは、不要なことを考えすぎることでした。
  • さらに悪いことに、不要なことのほとんどは個人的なことであり、その場合私はとても小さな器の中でぐるぐると回り続けていました。
  • もし私がとても広い世界観を持つことができていたならば、実際に私の思考エネルギーをまさに正しい方法で使うことができたのです。
  • 同時に、自らの器から飛び出し、客観的かつポジティブに物事を観ることができたことでしょう。

 
最終週 – 自らの柱を見つけ、種と蓮のように生きようとする

  • 3週目の終わりに、ジイジは私の将来のイメージについて私に質問しました。
  • それで私は、何をしていようと、私がしたいことはただメッセージを届けることであり、自分にはその才能があると信じていると答えました。
  • そしてジイジは、それが私の柱であり、常にそのことを覚えておくようにと伝えました。
  • ですから最終週で、種と蓮のように、私の心の中にあるその柱と共に生きようとしました。
  • 種は芽吹くために、土の中にあるいろいろな石や砂利、その他の困難を通り抜けるものです。そして、蓮は汚い泥からでも、清らかな花を咲かせるのです。

 
将来 – 実践の人生

  • この滞在記を書き始めたとき、目から涙があふれ続け、私はそれがなぜだかわかりませんでした。
  • 私は1ヶ月間木の花ファミリーで暮らし、自分自身を探究するこの機会を得たことをとても感謝しています。これは宝物です。
  • 私のプログラムが順調に進められるよう、私はこれまで木の花ファミリーのすべてのメンバーからお世話になりました。
  • 誰ひとり欠けても、私のプログラムはこれほどスムーズには行かなかったと思います。
  • これは宇宙からの素晴らしい贈り物であり、宇宙からの愛を私は感じました。
  • 私にはこれからの人生において、この愛を人々に手渡す責任があると感じました。
  • 柱を維持しながら、私は前に進み、自らのエネルギーを世界に捧げます。
  • 「継続は力なり」という古い中国のことわざにあるように、私はそれを行動に移し、より良い世界を創るために毎日実践していきます。

 


その後、メンバーからエニーにメッセージが贈られ、最後に自然療法プログラムの主治医であるジイジからエニーに次のメッセージが贈られました。


 

ジイジからエニーへ

「より良い社会づくりのための自然療法プログラム」

今、エニーとの出会いを振り返ってみますと、長い付き合いでしたね。彼女と初めて出会ったのは、昨年の11月のことでした。私はいつもその人から感じる響きを判断の材料にします。彼女を初めて見たとき、彼女の響きは明快ではなく、暗いものでした。ただ、そういった自分の状態を改善したいという心はエニーにありましたし、一番はそういう自分に苦しんでいました。

一般的に自然療法プログラムで改善を引き受ける場合、心の病気の人を引き受けます。そういう意味では、彼女は心の病気の状態とは言えませんでした。人生の中でいろいろな問題があったとして病気を発症した人は、自らの中にある何らかの原因で行き詰まっています。ところが、未だ病気に至っていない状態の人は、その状態を自らに問題を感じないようにうまく処理し、自らにもうまく言い聞かせている状態なのです。そのような人は、この自然療法プログラムを受けても、なかなか改善しにくいのです。ですから、積極的に彼女に改善を提案したわけでありません。当初、彼女も自分で何とかできると思っていたようでした。しかし、それが人生の行き詰まりの原因なのです。何か問題があるときに、誰がその問題をつくっているのかを考えた場合、自らの外に原因を求めている人はその原因を掴むことも、自らを振り返ることもできません。そこで、自分でもいろいろなことを試し、他者からもアドバイスをもらい、それでも問題を解決することができなければ、自らに原因があると気付くものですが、自分の内に問題の原因を見つけ出せない人は、自らの内に原因があることを認めず、そういった状態から抜け出し改善することが難しいのです。私たちがこのような人の状態に気付いてからは、そういった人たちに対してあえて改善プログラムを引き受けてきませんでした。

しかし今回、なぜだか私も提案の理由がよくわからないままに、私から投げかけをしました。そして、彼女はこのプログラムを受けることを決めたのです。実際にこのプログラムがスタートしたとき、私の印象としてはさらに手ごたえのない、難しい状態だと感じていました。ところが、彼女の日記を読んでも、今日のケア滞在記を読んでも、とても理論的で、素直に落とし、とてもスムーズにこの改善が進んでいったのです。これは、私の予想も外れましたし、今までたくさんのケアを引き受けてきた中で初めてのケースです。

そして、ケアの最終段階に入ったとき、エニーは自分自身の心の問題に興味を示さなくなり、これから自分が行う活動、つまり人々が目覚めることの大切を発信するメッセンジャーとして生きていくことに意識を向けるようになったのです。彼女は、この世界は愛によって運営されていることを人々に伝える、と言い出したのです。

こういった一連の流れを分析してみると、エニーのケースは、心の具合が悪く問題ある人生を生きてきた人がそれを改善するために来たのではないことが観えてきます。まだ25歳で年齢的には若いので、人生を悟るには少し早いと思うのです。それにもかかわらず、エニーはこれから自分が何をするべきかについて、具体的ではないかもしれませんが、心が向いている方向は明快になってきました。これは、今の時代が産み出したことだと思います。

今年、日本では令和の時代を迎えました。そして宇宙的には今、冥王星の248年のサイクルが終わり、私たちは新しい宇宙時代を迎えているのです。そこで、ひとつの物語を考えました。エニーは新しい時代に貢献するために生まれ、その新たな時代の大切を理解するために、今までのあまり良くない人生を経験したのだと。もし、そうだとしたならば、ここでそこまでの人生に漂っていた雲が晴れることになります。そのように考えると、エニーが子どもの頃からずっと体験してきた不愉快な問題は、エニーが目覚めるためにあったのです。それはとても必要なことだったのです。エニーの滞在記の中に書かれていた、「種と蓮」の話が浮かんできます。

「自然療法プログラム」の「自然」とは、「自ずと然るべき」状態であるということです。自らの内にある自ずと然るべき状態になる。これが私たちの本当の健康の状態であり、この世界において正しい状態です。この自然療法プログラムを卒業する人に、私はいつも伝えることがあります。「私はあなたをサポートしただけであって、あなたが自らの内にある本当に気付いて、あなたが自らの闇から抜け出てきただけですよ。」つまり、自らの闇の中にい続けるのをやめ、内にある闇の存在を知り、光のほうへ向かって出てくることは、自分自身の力で行うべきなのです。

今、この話をここにいる皆さんにしながら、今の中国の人々に何か気付いてもらいたい、という想いが湧いてきました。私たちは人生においてこの世界から自分というものを託され、自らの一人分健康な人生を生きることは、一人分世の中を健全にする役割が託されているのです。今までの時代は、人生においていろいろな問題ごとがあっても、社会はそれが存在する意味を吟味することなく多様性として認めてきました。しかし現代において、このように人々が好きなように生き、調和することを怠ってきた結果、社会には問題ごとが山積してきました。そうすると、自然はそれを気付かせるために問題ごとを人々に与え、それを受けて人々は改善する知恵を発揮してきたわけです。そうすると、人の内から自然に正しいところへ立つ力が湧いてきます。そのケースでは、それまでの問題ごとを引き起こし、闇の中で生きてきたこと自体が、その力にもなるのです。しかし、現状の自分に囚われている状態では、その方向へ向かうことに気付くことはできません。エニーの日記には、そういった自らの内にあったことに気付いたことが書かれてありました。この気付きがすばらしいのです。そして、誰もがそういった自分自身の立ち位置に気付き、そしてどこへ行くべきなのかがわかれば、自ずと自らの力で改善できるようになります。そうしたら、今の世の中にあるたくさんの問題ごとは自ずと解決されていきます。そういった意識レベルに人々が達すれば、社会には医者も弁護士も警察もいらない世界が実現し、今必要とされているものが不要になってくるのです。

ですから、私は自然療法プログラムの主治医として、本当のことを言います。(いつも本当のことを言っています(笑))。「私がこれを提供する目的は、病気の人を治すことではありません。その人が健康になり、健全に人生を生き、社会が健康になることを目的としているのです。」ですから、自然療法プログラムの目的は、より良い社会づくりとなるのです。それは、私たち一人ひとりが生きる、本当に果たすべき役割に立つということです。まさしく、これからの時代にこの物語はとてもふさわしいものです。

エニーの改善物語は、多くの人の参考になります。そして、あなたらしく、そういった経験を21世紀のメッセンジャーとして、人々に伝えてあげられる人になってください。

卒業式にはいつも、「卒業おめでとうございます。そしてひとつの事例を見せていただき、勉強になりましたのでありがとうございます」と伝えるのですが、エニーとはそれで終わるのではなく、これから私たちは共に活動していく仲間となりました。この事例はとても良い事例でしたし、とても良い卒業式でした。ありがとうございます。

 


 

エニーの物語は、7月15日にロータスランドで開催されるジイジのお話会「奇跡が起こる 目からウロコの自然療法」でも紹介される予定です。ちなみに、7月15日はエニーの26歳の誕生日でもあるのです。

エニー物語はこれからも つ・づ・く

 

 


 

自然療法プログラムの根本となる世界観を

さらに深く学んでみませんか

 

2020年2月23日〜3月21日

「1ヶ月間の真学校」開催 !!

1ヶ月間の真学校とは

1ヶ月間の真学校は、毎年2月から3月にかけての1ヶ月間、木の花ファミリーにて開催される、21世紀の人類の生き方を学ぶプログラムです。

「学校」とは本来、それまで知らずにいた、もしくは確信を持てずにいたことについての、新たな学びに出会う場所です。子ども達は学校に入学すると、それまで知らなかったたくさんのことに出会い、一つひとつを新鮮に受け取りながら生きる世界を大きく広げ、どんどん成長していきます。ところが大人になるにつれ、「自分はこういうことを学びたい」と価値観が固まっていき、自分の価値観に沿うものだけを受け取るようになるものです。

1ヶ月間の真学校は、あなたが今のあなたの価値観を元に学びたいと思っていることだけを提供する場ではありません。なぜなら、時代が大きく変わろうとしている今、これまでの価値観ではもはや、新たな時代を生き抜くことはできないからです。そしてその価値観が今の社会を作ってきた結果、世界はどこにも突破口を見出せない大きな行き詰まりを迎えているのです。今、私たち人類は、これまでの価値観のまま生き続け破滅の道へと向かうのか、それとも宇宙の流れに乗って自らのあり方を根底からひっくり返し、古い価値観では想像もできなかった新たな世界へと足を踏み入れるかの、重大な岐路に立っています。

1ヶ月間の真学校は、それまで出会ったことのない、新たな世界に出会う場です。それは今のあなたが思うよりも、はるかに異次元の学びです。古い価値観への囚われを捨て、未知の学びへと踏み出した時、あなたはそれまでのあなたの枠を突破し、新たな自分自身に出会うこととなるでしょう。その学びは、あなたの人生に突破口を開き、現代社会が抱える問題を解決する糸口となり、地球の未来へと貢献する道を開くのです。

1ヶ月間の真学校では、現代社会の固定概念を超え、新たな世界へと踏み出す意志をお持ちの方をお迎えします。そしてその学びを現実の生活として実践する木の花ファミリーを舞台に、プログラムを提供します。

 

あなたは あなたの知らない世界へ

行く意志がありますか?

 

スライドショーには JavaScript が必要です。

*スイングバイ・・・宇宙探査機等が目的地へ向かう時、天体の運動や重力を利用して、軌道修正したり推進力を上げること。

 

開催概要

日 程
2020年2月23日(日)〜3月21日(土) 28日間

会 場
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1

対 象
■ 今の自分に枠があることを知り、その枠を超えることで新たな自分と出会う意志のある人
■ 今この時代に人間として地球に生まれてきた真の意味を知りたい人、または興味のある人
■ 現代社会の行き詰まりへの突破口を探している人
■ 人生に行き詰まった、或いは人生の転機にあり、その突破口を求める人
■ 失われてしまった、すべての生命が共に豊かに生きる美しい世界を、地球上に実現したい人

メイン講師 ジイジ

内 容
講座は「世界観」「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」と多岐にわたりますが、全講座に共通する最も重要な学びは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。
1ヶ月間の前半の2週間では、固定概念を外して世界観を広げると同時に、『人格を学ぶ講座』を通して受講生一人ひとりの人格や天命を紐解きながら、人それぞれに異なるオリジナルな心の性質を客観的に捉え、分析する術を学びます。なぜなら、多くの人は自分でも気付かないまま、この世界を主観で捉えているからです。それぞれが独自のフィルターを通して世界を眺めていながら、フィルターがかかっていることに無自覚なため、実際には自分の色が付いているにもかかわらず自らの視点が絶対であると思い込み、その結果、世界にたくさんの矛盾や対立をもたらしてきました。
そこで1ヶ月間の真学校では、まず自分がどのようなフィルターを持っているのかを正確に捉え、人生で最も身近な存在である「自分自身」とは何者なのかを知ることから始めます。自らを正確に知ることは、自分と他者との違いを知ることです。違いを知ることで他者を理解し、円滑なコミュニケーションが取れる人へと成長していきます。そして、自分と他者とを正確に捉えることによって初めて、自他の関係を活かすことができるようになるのです。

こうして自らの性質を理解したところで、後半の2週間では、多様な題材を通し、物事を冷静かつ客観的に捉える視点を育み、さらに世界観を広げていきます。そして現代社会を生きる意味を理解し、様々な問題を根本的な解決へと導く、広く高い精神性への学びを深めます。
この学びは、机上の空論ではありません。毎晩行われるコミュニティ・ミーティングのほか、誕生日会や季節の催事などへの参加を通して、講座で語られる世界観を日々の生活の中で実践するファミリーの暮らしを実際に体験していただきます。

講座の様子

〈 講座例 〉
人格を学ぶ講座(カルマ読み・地球暦・カタカムナ)/世界観を広げる/カタカムナ/天然循環法(食・農業革命・医療革命)/食と食養生/自然療法プログラム/性と宇宙/21世紀の死生観/菩薩の里の経済/心のシェア/有用微生物群の培養/自然災害と防災/心豊かに生きる
* 講座は座学が中心です。どのような学びも、大切なのはその根本にある精神性です。1ヶ月間の真学校では、受講生が卒業後にそれぞれの現場で学びを実践していく際の根本となる、精神性を育むことに最も重点を置いています。
* 上記講座はあくまでも一例であり、プログラムは状況に応じてその都度変更されます。
* その他、フリータイムがあり、受講生同士で相談をして独自の講座を創ることも可能です。
* 海外からの参加お申し込みがあった場合は、日本語と他言語(英語・中国語)でのプログラム提供となります。
* より詳しい内容を知りたい方は、以下の専用ブログにて、これまでの講座の様子などが紹介されています。どうぞご覧ください。
1ヶ月間の真学校ブログ

「心のシェア」の座談会

1日の流れ
7:30  朝食
8:30  午前の講座(途中休憩あり)
12:00 昼食・昼休み
14:00 午後の講座(途中おやつ休憩あり)
17:30 入浴
18:30 夕食
20:30 大人ミーティング(自由参加)
* 時間は日によって変更があります。
* 毎週日曜日(または土曜日)は休講日です。
* 畑やキッチン、子育てなどを体験する「生活体験」の時間もあります。

サポーター制
受講生には、ファミリーメンバーの中から基本的に同性のサポーターが1名付きます。多彩なメンバーたちが受講生の学びを全力でバックアップします。

定 員
15名
* 定員になり次第締め切りとさせて頂きます。お申込みはお早めにどうぞ!

参加費
収入に応じたスライド制になっています。(自己申告制)
① 年収200万円未満・・・18万円
② 年収200万円以上400万円未満・・・20万円
③ 年収400万円以上・・・22万円
* 参加費には、受講料、宿泊費、食費、保険料、消費税等一切を含みます。
* 分割払いをご希望の方はご相談ください。

お申込み
下記リンク先の専用お申し込みフォームへご入力の上、送信してください。
「1ヶ月間の真学校」へのお申し込み

お申し込みは、参加費のご入金をもちまして正式に受け付けとさせていただきます。ご入金のあった方から順に受け付け、定員に達し次第受け付けを締め切りとさせていただきますので、どうぞご了承ください。お申し込みフォームをお送りいただきましたら、折り返し担当者より詳細のご案内をさせていただきます。
* 参加費は、講座開始日30日前までにご入金ください。
* お申し込み後のキャンセルは、主催者への負担となるだけでなく、他の方の学びの機会の損失にもつながります。特に海外から参加される場合、事前に数ヶ月間の準備期間を要するケースが多いため、講座開始間日間近にキャンセルが発生しても準備期間が足りず、受講を希望される他の方が参加できない場合がございます。そういったことのないよう、どうぞお申し込みになる前に、受講のご都合とご意志を今一度ご確認くださいますようお願い申し上げます。
* 講座開始日90日前以降のキャンセルに関しましては、キャンセル料を申し受けます。

主 催
NPO法人ぐりーんぐらす

共 催
木の花ファミリー

お問合せ
NPO法人ぐりーんぐらす
電話:0544-67-0485(担当:池谷・古橋)
メール:truthschool★npo-greengrass.org(★を@に置き換えてください。)
ご不明な点は、どうぞお気軽にお問い合わせください。

ご参加お待ちしています!

 


エニーの28日間の心の旅 〜 日記編

中国人の25歳のエニーは、2019年6月6日から自然療法プログラムを受け、28日間でプログラムを卒業することとなりました。(詳細については、木の花ファミリーブログ「時間の旅人として宇宙を生きている~自然療法プログラム・エニー物語」をご参照ください。)プログラムの主治医であるジイジ曰く、「エニーは今まで自然療法プログラムを受けた人の中で、もっとも意識の高い状態で卒業する人だと感じています。」
ジイジはケアスタート時の面談の際、彼女に子どもの頃からの記憶と毎日の心の動きを日記に書くことを課題として与えました。エニーの元々の性質である複雑に考えすぎる傾向に、子どもの頃からの日常に対する悪い印象によって不要なことをネガティブに考える傾向が加わり、思考が整理されないままに今まで人生の滞りを生んできたエニー。そんなエニーにジイジは、「あなたの中に湧いてくるたくさんの思考を、必要な思考と不要な思考とに仕分け、深く広くポジティブに物事を捉えられる人になることが、今回のプログラムにおけるあなたの最終目標です」と伝えました。
今回は、そんなエニーがプログラム中に綴っていた膨大な日記のダイジェスト版をご紹介します。28日間のエニーの心の変化が、みなさんの心に伝わることになれば幸いです。

*日記には、毎日ジイジが客観的な視点からのコメントを返しました。以下、ジイジからのコメントは青字で記載されています


 

6月 6日

〈 記憶 〉

  • 子どもの頃、私はあまり多くを話さないタイプの人でした。祖父母を含む私の親戚は、私のことを自閉症だと思い、私の母に私を心理学者のところへ連れて行くことを勧めましたが、母はそれは単に私の性格だと言っていました。そうは言っても、母は常に社交的な人々は良い性格で、内向的な人々は良い性格ではないと考えていました。母は社交的で、私は内向的であり、母は私の性格に満足しておらず、常に私に社交的になることを求めていました。

〈 日記 〉

1 –

  • ジイジとの面談の時、ジイジは、私の顔の吹き出物の状態が悪くなっている、それは意識の低下から来ているのではないかと言いました。
  • その時、私の心の中の声はこう言いました。「いいえ、そうではありません。なぜなら、私は明らかに以前より意識的で穏やかになったと感じています。」
  • でも、私はそれを言いませんでした。ジイジの言葉を受け取り、それでどうなるかを見たいと思ったからです。議論をしても意味はありません。

コメント:主観と客観の違いを理解するチャンスでもありますね。

  • もしも過去の私が同じ状況に出会っていたら、きっと私はそれを口に出して議論していたでしょう。(特に、誰かが私を評価し、その評価を私が受け入れられない時に、私はすぐに言い返す傾向があります。)

コメント:その性質が、今まであなたが出会ってきたことの大きな要因でもあります。そして、今現在もその心はまだあなたの中に潜在しています。わかりますか?

2 – 泣きたくなった

  • 面談の時にジイジが「あなたを改善し、世界の平和に貢献してください。それはあなたの望みでもあるでしょう?」と言った時、どういうわけか心に響いて、泣きたくなりました。

コメント:あなたの中にそういった優れた人生を生きる望みがあることが理由なのでしょう。そして、そういった生き方が今現在できていないからでもあるのでしょう。いろいろな意味で次のステージに行く時が来ているのです。今回のあなたの改善プロジェクトは、あなたの人生にとって最も重要なものであり、今後のあなたの人生の価値を決定するものでもありますから、確実にものにしていきましょう。そのために、自分自身に対する執着を取り去っていくことが大切ですね。

 

6月 7日

〈 日記 〉

1 – 後悔

  • 今朝、私は早朝の5時ごろに目が覚めました。時間を見て、何もすることがないからまだ起きるには早すぎると思いました。
  • そこでもう一度寝て、6時に目が覚めました。多く眠ったけれど、気分は良くありませんでした。
  • 最初に目が覚めた時に、すぐに起きられれば良かったと思いました。

2 – 後悔

  • 朝食に、ご飯を小さなお茶碗に2杯食べました。
  • 1杯目を食べ終わった時に、もう少し食べられると感じたので、おかわりをしました。
  • 午前中、私のお腹は少々満腹な感じで、あまりいい感じではありませんでした。
  • ご飯を1杯だけにしておけたらよかったと思いました。

3 – 玉ねぎのヒゲを切る

  • 玉ねぎのヒゲを切る作業は、簡単だし、他の人たちの会話を聞いて日本語を聞く練習にもなるので、楽しかったです。
  • 同時に、私は頭の中で、自分自身の問題について考え、それをどのように解決したらよいかを見出そうとしていました。
  • 私はいつも、より物事を効率的に進められるように、自分を穏やかにしようとしているのだと思います。
  • 穏やかになることは、その境地に至ることが目的というよりも、物事を終わらせるための手法のようなものです。
  • 他の事例として、瞑想をしていた時に、私は時々、瞑想は頭をクリアにしてより良く働けるようになるための素晴らしい手段だと思いました。
  • 瞑想をしている間も、たくさんのことが私の頭の中に浮かび、私はそれを頭の中で解決しようとしていました。

コメント:ムリなコメントかもしれませんが、自分に特化した話題限定で思考が回っているため、そのようなつもりはないのでしょうが、言わば損得勘定の思考の連続ということになります。損得で考えるのではなく、正しく冷静に物事を情報として掴む思考にしないと、そういった堂々巡りの思考回路から抜け出すことは難しいです。それはこれからの課題ですが、理解できますか?
大切なことは、新しい自分に出会うことですが、それはまったくあなたが別の人になることではありません。新たなバージョンのあなたに出会うということです。新たなあなたもあなただということを理解して、次のステージに進みましょう。

 

6月 8日

〈 記憶 〉

  • まだ小学校にも入学していない子どもの頃、私の行儀が不十分だと、両親はお尻を叩くなどの乱暴なやり方で私を罰したり叱ったりしました。また、彼らは時々私を外に締め出して、私が自分を振り返ることを求めました。大きくなると状況は良くなり、両親は私が何か間違ったことをすると、私に教訓を教えました。私は両親に、どうして小さな頃に乱暴なやり方で私を罰したのかを聞きました。彼らが言うには、私は自分の考えが正しいと思い、とてもとても頑固だったそうです。例えば、両親が週末に公園かどこかへ連れていってくれることを私に約束しながら、計画が変わって私をそこへ連れて行けなくなった時、私はとても不愉快になり、どうして両親は約束を守らないのかと文句を言っていました。その時から私は、人は一度約束をしたら必ずそれを守らなければならないという考えを強く持っています。

コメント:相手の自分に対する対応が良くなく、それが内に強く残っているときは、自分のことに意識が偏っているときが多いのです。そして、それはトラウマのようになります。思考回路ではなく、ただ悪い印象ということがベースにあって出てくる思考ですから、良い思い出にはなりません。そういった場合、客観的な物事の捉え方をし、なぜそれが起きたのかをいろいろな角度から分析し、観てみる必要があります。そうすると、その経験は学びとなり、あなたの人生の延長に良い結果をもたらすことになるでしょう。

〈 日記 〉

1 – 少し急ぐ

  • ねぎを収穫している時、畑には私を含めておよそ4人の人がいました。
  • 私にとって、ねぎを収穫するのは初めてでした。しばらく収穫をしてから、他の人はどのように収穫しているのかと周りを見渡してみました。
  • 彼らは、とても良い速さで収穫していました。彼らと比べると、私は少しゆっくりでした。
  • その時、私は彼らと同じ速さでやりたいと思い、もう少し速く収穫しようとしました。
  • スピードを上げたら、別の考えが浮かびました。なぜ彼らと同じ速さでやらなければいけないのか。自分に合った速さに戻した方がいい。
  • それで、スピードを落として自分のペースで収穫をしました。

コメント:いろいろなことで思考が振り回されています。結論を先に出すのではなく、やってみてその結果、何が得られたかをいただく精神が大切なのです。そうしないと、人はいつも自分の思考に振り回されることになります。それでは悟りからは遠くなる一方です。今、あなたが心がけることは自分自身に対して、心地良い結果が毎日訪れるように努力するべきなのです。それを得るためには、まずやってみてから答えをいただくという姿勢でないと、そこには到達しません。ちょっと難しい表現ですが、次回の面談において、詳しく説明します。

 

6月 9日

〈 記憶 〉

1 –

  • とてもとても鮮明な記憶があります。まだとても小さな頃、私が地面の上で転んだ時に、母は私に自分で立つようにと言いました。

2 –

  • 5歳か6歳の頃、私は泳ぎを習っていました。プールの中で、私は浮き輪を付けていて、それを外すことを拒んでいました。
  • 父が私と一緒にいて、父は私に浮き輪を外すようにと言うことについてだんだん忍耐を失っていきました。
  • 父は力ずくで私を水の中に入れ、私はもがきました。
  • それは数分間続きました。
  • その時初めて、私は水の中で目を開け、水の中の世界をはっきりと見たのだと思います。青い青い水と、父の体が私のすぐ横に立っていました。
  • そして、私は泳ぎ方を学びました。

コメント:幼い頃の記憶が残っていて、それもネガティブな記憶だとしたら、それは過ぎ去ったこととして、そろそろ記憶から消していくことが大切なことです。そのためには、ネガティブな思い出を持ち続けることを超えていかなければなりません。

〈 日記 〉

1 – ほっとする

  • 最近あったことについて、話したいと思っていました。その中で、私はいくつかの違った感情を認識していました。その物語は長く複雑で、どのように話し始めたらいいのかがわかりませんでした。
  • しかし、私の日記に対するジイジからの、「損得勘定で思考していることに原因がある」というコメントを読んで、突然、それが私が書こうとしていたことの根源だと思いました。
  • 私はほっとして、その話を書くことをやめました。

コメント:知らない間に、人はそういった損得勘定に陥るものです。それは、自分を守ろうとする心でもありますが、結果として人生の中で良いものをもたらすものとは言えません。

2 – 飛ばして進みたい

  • 最近、仏陀の物語を伝えるシリーズもののインドのテレビ番組を観ていました。
  • 多くのシリーズもののように、番組には主人公の仏陀を妨害する存在として、悪者が登場しました。
  • そういったシーンを観ると、私は時々そのシーンを飛ばしたくなります。

コメント:人が悟りに至るまでの進化の道には、様々な妨害があるものです。しかし、それは外からの妨害というよりも、自分の内にある性質が産み出したものです。そこを取り違えたら、根本的な解決には至りません。

3 – 矛盾

  • 私は友人に電話で、最近ネット上で出会い私を不快にさせたある人に対する不満を言っていました。
  • 私は一方で、ネガティブな感情を表に出す必要があり、そのためには友人に話すのがいいと考えていました。
  • またもう一方では、他人の陰口を言うのは良くないとも思っていました。なぜなら、外にあるすべてのものは自分の内なる世界の現れであることを、私は知っているからです。それで、仏陀のような他の人が、私と同じ状況にあったらどうするだろうかと考えることを止めることができず、彼らのように振る舞おうとしました。
  • 私はこの2つの考えを友人と交換し、友人は、私は時々自分に厳しすぎるのではないかと言いました。

コメント:自分に厳しくする目的として、自他を区別しない精神を会得するためには、まず自分自身の内にある問題点を克服しなければならないものです。こういった経験は、信念ある自分を鍛えてくれるチャンスでもあります。それを理解して行動するなら、とても有効なことでしょう。

 

6月 11日

〈 記憶 〉

  • 「あなたの子どもの頃の記憶はほとんどネガティブですね」というジイジのコメントを読んだ後、私は突然それが真実だと気付きました。だから、私は良い記憶を思い出そうとしましたが、ほとんど出てきませんでした。私がかつて困難なことに出会ったとき、次の孟子の言葉を唱えていたことがただ思い出されました。「天の将(まさ) に大任を是の人に降 (くだ) さんとするや。必ず先ず 其の心志(精神) を苦しめ 其の筋骨を労(疲労) せしめ 其の体膚を窮餓 (餓え苦しむ)せしめ」。。。。
  • この文章は、私が多くの困難を経験することを助けてくれました。またそれは、物事がスムーズに行くとき、私は物事がスムーズに行くことを信じず、他に問題がないのか何度も確認していた事実の原因にもなっています。たとえば、私はドアを閉めるとき、時々本当にドアが閉まっているのかを確認するためにドアまで戻っていって、ドアを強く引くことによってそれを確かめることがあります。

コメント:自分自身に対するいろいろな良いイメージの結論を求めているようですが、どんな試練も、その結果が答えを出すことであり、もしあなたにその試練に対する答えがまだ来ていないとしたならば、今までの出来事をポジティブに捉えるチャンスになります。既に答えが出ていると考えれば、あなたは今までの自分の姿勢を都合よく解釈しようとしていたのですから、そこで自分自身を改めるチャンスに使うべきです。都合のいい理屈ばかりを並べていると、自分にとって歓迎すべき答えは出てこないものです。

 

6月 12日

〈 記憶 〉

  • ない

〈 日記 〉

1 – 鼻歌を歌うこと

  • 倉庫で玉ねぎのヒゲを切っていたとき、なぜだか鼻歌を歌い始めたことに気付きました。
  • 私はこの種の無意識的に歌うことが大好きです。それは少し「ワンネス」の感覚です。

2 – 恥ずかしい

  • 私は政治的なニュースにほとんど注目することがなく、それは私と関係がないと思っています。
  • お昼に、香港の抗議活動を報道するニュースがあり、木の花の人々はそれを真剣に観ていることに私は気付きました。
  • 突然私は、木の花の人々でさえ、私よりも中国の状況についてもっと気にしていることに気付きました。
  • 私は極めて恥ずかしく感じ、自分の狭い世界観がここで示されていると思いました。

コメント:人の人生は、その人の世界観によって、どんなものに興味を持ち、反応し、そしてその人生が展開されていくかが決定されます。あなたに過去の思い出を日記に書いてくださいと提案したのは、それが遠い昔の、今はすでに終わってしまった子どもの頃のことであっても、あなたの中にその記憶が残っている限り、あなたの意識はそこのレベルから発せられるからです。それをあなたは理解し、自らの意志でそこを卒業していくことが必要なのです。子どもの頃の不完全燃焼をそのままにしていくと、その傾向はずっと大人になってからも持ち続けます。そしてすでに過ぎ去ったことであったり、大人として自立して生きていくような立場に立ったとしても、その不完全燃焼はいつもその人の人生に影響を与え続けるものです。それを克服するためには、その状態を客観的に理解する必要があり、客観的目線を持たない者には、そこから抜け出すことは難しいのです。
私たちがここで生活しているのは、私たちがコミュニティとして望む生活をし、生きているだけではありません。もちろんそういった要素は大いにありますが、それも結果として、優れた生き方として社会のモデルになるためであり、そのようなモデルが必要な現代社会において、問題を発生させている地球規模の出来事は、私たちにとってとても大きな興味なのです。ですからこの暮らしは、何のためにそういった生き方をしていくのかという意志に対して魂を入れるものなのです。
あなたも「1ヶ月間の真学校」でたくさんの情報を得ましたが、器が小さいとどんなスケールの大きなことも、小さなこととして解釈してしまうか、もしくは、入ったものがこぼれてしまい、その結果、現状があるということに気付き出したのでしょうね。今回あなたがこのプログラムを受ける目的は、今までのあなたを卒業して新しいあなたの世界観と人生を獲得するところにあるわけですから、これを伝えるのに、日記の返答だけでは伝えられないと思っていました。ですから、1週間目の面談において、詳しく伝えようと思っていましたが、今のところ、その1週間目に伝えるにふさわしい精神状態になってきたということですね。プロジェクトは順調良く進んでいるという証でもあります。

 

6月 13日

〈 日記 〉

1 – 痛み

  • 私はよく椅子やテーブルやベッドの足にぶつかり、いつも足に黒や青のあざを作っていました。
  • 私はなぜだろうと思っていましたが、今はその答えがわかります。
  • 今日、私はベッドと椅子の足に、合わせて2回ぶつかりました。
  • これはいつも、私がどこかへ急いでいこうとした時に起こりました。
  • 私は急いでいる時、その目的地だけに意識が向いてその他のものを無視する傾向がありました。
  • それも、世界観が狭いことのサインだったのかもしれません。

コメント:世界観が狭い意識の結果、ひとつのことを考えると、他に注意を払うことを怠ってしまうようなパターンでしょうね。ただ、それは世界観が狭いだけではなく、興味のあることに集中し過ぎて、周りに配慮ができていない、余裕や落ち着きのなさとも言えます。一つひとつの物事に、客観性や、それから物事を冷静に捉えていく心の余裕を持つことが大切なことです。

2 – 穏やか

  • 今日のジイジとの面談は、私にとってターニングポイントに思えます。
  • 私の心の中で何かが変化し、何でも穏やかにできるような気がしました。
  • 夜中に蚊に起こされてさえ、私は穏やかに彼らと過ごすことができました。
  • 過去の私なら、よく眠れなかったとイライラして、不満を言ったことでしょう。

コメント:とても良い日記の内容です。あなたがそういった落ち着いた精神状態になることは、私の喜びでもあります。ぜひこのプログラムを完成させて、世の中に貢献できる人になってください。

 

6月 15日

〈 日記 〉

1 – 天気に影響されない

  • 今日は雨が降っていました。
  • 驚いたことに、私の気分は以前のように天気に影響されませんでした。
  • 過去には、雨の日にはだるくなって少し気分が落ちたものでした。
  • 今日はすべてがいつも通りでした。

コメント:素晴らしい!僕は天気に影響されてどんよりしながら、でも口数は多く、作業は予定通りやりました。

2 – 強さの不足

  • 朝、ビニールハウスへ草取りに行きました。
  • 時々私は草を抜くために膝を曲げなければならず、また時々立ち上がらなければなりませんでした。
  • それを2時間続けた後、私には十分な強さがないことを感じ、疲れを感じました。
  • 疲れた時、私は良い心の状態を保つことが難しくなることに気付き、いくつかの考えが浮かんできました。
  • 何かをしている時に一番良い状態とはどういうものだろうと考えることを、止めることができませんでした。
  • 何も考えない状態がいいのでしょうか?それとも、今やっていることを考えるのがいいのでしょうか?

コメント:作業を効率良く行い、疲れない方法を考えることが一番良いことです。

3 – 自分をどう活かすか

  • 面談の時にジイジが私に伝えてくれた、「もしもあなたがもっと物事を深く、広く考えられる人だとしたら、あなたはまだ自分の活かし方がわかっていない」というコメントについて考えていました。
  • そこで、視野を広げて考えるようにしています。例えば、食べ物を食べる時、その食べ物を作った人々の労力や、その食べ物の背後のつながりについて考えてみようとしています。合理的には真実を知っているのですが、とても強いつながりを本当に感じることは私には難しいです。
  • 強いつながりをすぐに感じられる他の方法はありますか?

コメント:そういった付け足しのような考えではなく、深い考えとは自然に湧き出してくるものです。それは、人の心が穏やかになり、余計なことを考えていない時間を多く過ごしているとそのような状態になるものです。

4 – 恐れ

  • 中国人メンバーのペイペイと話していた時、彼女は、様々なところから得た情報によると、中国は将来大きく深刻な問題に向き合うことになると言いました。
  • それを聞いた後、少し不安になりました。そのような悪いことは起こらないでほしいと願い、どうしたらそれを避けられるかを考えました。
  • しかしもう一方で、世界観を広げてみると、そのような悪いことが起きるのは中国あるいは世界がより良くなるためのターニングポイントなのかもしれないと思いました。
  • 私の例を見ても、自分の人生が問題ごとに出会った時だけ、その問題を解決しようとして振り返り、自分を変えようとして良くなったのでした。

コメント:そこがポイントです。問題ごとが起きるとは、それまでに問題ごとが起きるような原因があったからです。そして、問題ごとが起きて、それを振り返るチャンスをもらっているということです。この法則は、宇宙の法則であり、あなたにも中国にも地球にも同じように現れます。心を広く、客観的な眼を持ちましょう。

 

6月 16日

〈 日記 〉

1 – 宇宙の法に沿っていればいつでも幸せ?

  • 午前中、作業をするために畑に行きました。
  • おやつ後、とうもろこしの良い茎を選び、育ちの悪いものをカットしに行きました。この作業はいくらか体力が必要で、私は良い気分を維持するのが難しいことに気付きました。
  • 今のように茎を切っている時でさえ、私は宇宙の法のもとにいるけれど、そのことをあまり感じられない、と考えるのを止められませんでした。
  • 宇宙の法に沿うことは、私たちに常に幸せをもたらし、物事は確実にうまくいく、と私は考えていました。
  • でも時々私は、宇宙の法に沿うことは常に簡単なわけではないことを感じ、私たちは今も時々悪い感情を持ったりします。
  • では、宇宙の法に沿えばいつも幸せなのでしょうか。

コメント:みんながいつでも、人のことを思って生きれば、この世界は美しい世界になります。それが宇宙の法の根本の原理です。とても簡単なことです。

2 – やすらぎ

  • 午後は、かのこのギターのコンサートを見に行きました。
  • コンサートは素晴らしく、私はとても楽しみました。
  • まだいろいろな考えが浮かんでくるので、完全に音楽に没頭できたわけではありません。
  • 良かったことは、私はその浮かんでくる考えに執着することなく、ただそれがやって来ては去っていくのを眺めていられたことです。
  • むしろ私は、コンサートの間中穏やかでした。

コメント:そういった精神状態をあなたが今回の改善プロジェクトの後も維持できていくことが最終目的です。その精神状態のイメージをしっかりと掴んでおくことです。

 

6月 17日

〈 日記 〉

1 – どうして私たちは、他者の態度や自分に対する評価が気になるのでしょう?

  • 私たちは、何か美しい写真などを他の人に共有する時、相手が良いフィードバックを返してくれることを時々期待します。
  • 相手から、特に家族や友達から悪いフィードバックを受けると、私たちは動揺し、ただ喜びを共有したいだけなのに、もっと相手を励ましたり、もしくはフィードバックをするならもっとやさしい言い方はできないのだろうか?と考えたりします。
  • 私は、それは相手の問題ではなく、相手は常に私たち自身の鏡であることを知っています。
  • 私は、私たちはなぜ他人の態度や自分たちへの評価を気にするのか、そして、なぜ人が同じことを言っていても言い方が違うと違ったように感じるのか、不思議に思います。

コメント:それは他者に対する愛よりも、自らに対する愛のほうが常に強い状態の人が陥る現象で、主観的思考の結果、物事を解決しようとする傾向の人に多く見られます。

2 – 私たちは問題に出会った時にどう解決するのか?

  • 他の環境と比べると、木の花ファミリーでは穏やかにいることがより簡単にできます。
  • この状態を、家に戻ってからもどうしたら維持できるだろうかと考えることを、止めることができません。
  • 日記に自分の問題点について書いてきましたが、将来も私は同様の問題に出会って立ち往生する可能性があります。
  • 問題に出会った時に良い状態を保つための、何かアドバイスはありますか?
  • 私は、まず最初にするべきことは、ただそれを受け入れ、そしてそれを解決するべきだということを知っています。
  • しかし、時には感情が強すぎて、問題をすぐに受け入れることはとても難しいです。
  • まず始めに深呼吸をして、落ち着くのがよいでしょうか?

コメント:もちろんそれは必要ですが、問題ごとの内容の正しい分析と、問題ごと自体が最終的に自分自身の成長につながるというポジティブな受け入れ方をベースにし、出来事の解決に向かうことです。どちらにしても、問題ごとが起きているということは、自分自身が当事者であり、自分の人間性の映し鏡(反映)であるということをベースにして、一方的に相手が持ってきたと考えないことが大切です。そういった客観的視点や広い物事の捉え方をすることが大切ですが、そのためには自分自身の心のあり方に常に向き合い、自己コントロールできる精神的余裕を持っていることが必要です。

 

6月 18日

〈 日記 〉

1 – 新しい人々との出会い

  • 今日、中国から2人のゲストが木の花に来ました。
  • 私は彼らに昼食の時に会いました。彼らは食事をするために席についていました。
  • 私はそのテーブルへ行って一緒に座り、少しお話ししたいと思いました。
  • しかしなぜか私はぎこちなさを感じ、恥ずかしくなって、どう会話を始めたらいいのかがわかりませんでした。
  • (もう一つの声:彼らは中国人だよ。彼らと話をするのは自然なことでしょう。)
  • しばらくして、ペイペイが来て会話を始め、私も話をする勇気が出ました。
  • 初めての人に会うと、時々こういうことが起こります。会話したいのに、少し怖いのです。
  • この捉えどころのない恐れがどこから来ているのか、わかりません。
  • 私は何て奇妙な人でしょう。

コメント:それはおそらく、今まであなたがいろいろな出来事に出会ったときに、分析しすぎてきたからだと思います。それは簡単に言えば、考えすぎる傾向があるということです。もっとシンプルに考え方を整理していけば、気楽に初めて出会った人とも付き合えるようになるでしょう。あなたの心の癖のひとつだと観えますが、いかがですか?

 

6月 20日

〈 日記 〉

1 –

  • なぜ人はいつも、物事がうまくいくようにと願うのでしょう?
  • 私たちは何かをする時にいつも、良い結果を得られることを望みます。
  • なぜでしょう?

コメント:それは自己中心的な自我が強いからですが、その自我から解釈される良い結果というものは、決して良い結果につながるとは限りません。なぜならば、そういった心は欲の心から生まれてきているからです。大切なことは、目の前に訪れるであろうことを、情報として常に捉える心の姿勢を持つことです。

 

6月 21日

〈 日記 〉

1 –

  • 最近、おもしろい現象を見付けました。
  • 何かが少しうまくできると、私は良い心の状態をより保つことができるようになるのです。
  • 例えば、私は既に玉ねぎのヒゲの切り方を知っています。それで、玉ねぎのヒゲを切る時には、無意識にハミングをしてしまうのです。

コメント:あなたの特徴として、物事を理論的に捉えて、効率良く物事を進めようとする傾向があり、それがポジティブに働くと、そのような精神状態になります。

2 –

  • その他の興味深いこととしては、人々が、例えば氷の上を歩くような、とても注意深さを要することにチャレンジする時のことです。人々は転ばないように、注意深く呼吸を止めます。そしてどんな考えが心に浮かぼうと、それを無視して目の前のことに集中することができます。この時、人は完全にその瞬間を生きることができます。ところが、私たちの日常では、私たちはほとんどそれができません。それはなぜでしょう?

コメント:日常にそのような集中しないといけない出来事が少ないため、人は気持ちをリラックスさせて物事に向き合っているからです。ですが、どんなところにも落とし穴がある可能性がありますから、気をつけて行動することが大切なのですが、そういった危険を察知する感覚的な能力が身についている人は、思考しなくても直観でその問題点を回避することができます。そういった人は心に雑念がなく、自我に囚われていない、心の美しい状態にあります。その状態が、ポジティブな直観を働かせてくれます。

3 – なぜ人々は恐れを持つのでしょう ?

コメント:自分の考えが優先し、結果を先にネガティブに考えてしまう傾向にある人は、物事が起きる前に結果を予測し、恐れを持つ傾向にあるものです。ですから、物事を冷静に受け取り、今目の前にあることに対し行うべきことをやり、結果をいただく姿勢になれば、恐れは出てこないものです。「人事を尽くして天命を待つ。」

 

6月 23日

〈 日記 〉

1 – 汗をかく

  • 今日の午後5時ごろ、とてもお腹がすきました。以前のように、私は空腹になると、汗をかいてしまうのです。私は不思議に思い、身体的な問題の背後にある精神的な問題を考えました。

コメント:あなたにとって汗をかくことは良くないイメージなのですか?驚いたり、戸惑ったりする時にかく汗は良くないイメージですが、心地良い汗をかく時は、体の代謝を良くし、解毒をしてくれるものです。だから、汗をかく時にどんな心の状態でかいているかを振り返ってみることも大切です。

2 – 夢を見るのは自然なことですか ?

  • 今日、シャオラーとディエンと夢について話をしました。
  • 彼女たちは時々夢を見ると言いました。
  • 私は、ほとんど毎日夢を見ます。
  • 夢を見るのは自然なことでしょうか?

コメント:夢を見るのは人間だけの特徴ではありません。広い意味ではわかりませんが、例えば犬や猫は夢を見るようです。
夢で見る内容については、3種類の夢を見ると言われます。一つは、自分の意識レベル、すなわち顕在意識、そして潜在意識から来る夢です。
もう一つは、私たちはこの大いなる世界の中に生きていますから、私たちの意識を超えたところからのメッセージとしての夢を見ることがあるのです。それは、人が生きていく上で、とても成長に貢献してくれる夢です。
そしてもう一つは、何も意味のない夢です。ただ走馬灯のように意味なく見る夢があります。
僕が夢を見た場合、どのタイプの夢かということを後で振り返ります。最近はメッセージとしての夢がほとんどです。ですから、それを人に語って、みんなに伝えてもらうようにしています。あなたの夢がどんな夢なのか、あなたの得意な思考を使って分析してみましょう。
また、大切なメッセージを夢で見るということは、あなたの目覚めが足りないことも意味します。あなたがすでに目覚めていれば、夢ではなく、直接メッセージとして日常で受け取ることができるのです。つまり、メッセージの発信者(宇宙の法則)からは、何かを伝えるときに、あなたが日常を不要な思考で回しすぎていると、夢の中に出てくるのです。それは、宇宙法則に置き換えると、効率の悪いことになります。

 

6月 24日

〈 記憶 〉

1 –

  • 子どもの頃、家族の集まりに行くと、親せきが私に質問をしてきました。
  • その時に、私が話そうとすると、母が私のために先に話し始めました。
  • その時に、私は本当に苛立ちました。なぜなら、彼女が話すことはいつも事実とは少しずれていたからです。しかしほとんどいつも彼女は私より先に話すため、私は言いたいことが言えませんでした。
  • 今でも、私が人から評価されると言い返す傾向があるのは、それが理由なのかもしれないと考えています。

コメント:あなたにとって、幼い頃の母親の姿勢は不愉快なものだったのかもしれません。しかし、それがあなたのもっとも身近な存在である母親だったということは、あなたがそういった人生を体験するために、ふさわしいこととしてその人のもとに生まれてきたことが考えられます。そのときに起きた出来事と、その結果あなたの中にできた人間性は、あなたの人生においてあなたが成長するために大切なプログラムのひとつであると考えてみたら、そのことに対する見解は変わってくるのではないでしょうか。

〈 日記 〉

1 – 興奮と考え過ぎ

  • どこか刺激的な場所に行って重要な会議に出るなどの大事な予定が翌日にある時、私はいつも、すぐに眠りにつくことができません。
  • ベッドに横になりながら、たくさんの考えが心に浮かびます。
  • その感情が興奮なのか他の何かなのか、私は説明することができません。

コメント:あなたの人格的特徴がよく表れています。ひとつの出来事に対して現在の事実と、これから訪れる未来の出来事に対してつなげてこの先どうなるのかということを考える癖です。これは精度が高ければ、能力の高さにもなりますが、一方で考えすぎる傾向に陥り、結果には遠い結論を先に出してしまうようなことになると、エネルギーの無駄遣いになります。ですから、自分が考えすぎていることの判断を適切にし、適度なところで思考を整理し、結果をいただいていく姿勢を常に保ちたいものです。

2 – 自分への疑い

  • 今日、私たちは木の花ファミリーの暮らしを(インターネットで中国に向けて)中継しました。
  • 私たちは視聴者の数を見ることができ、時には1000人以上になり、時には少なくなりました。
  • 私は常に視聴者の数を見続け、もっと増えることを願っていましたが、それがなぜなのかわかりません。中国はとても大きな国であり、1000人はむしろ少ないくらいです。
  • また、その映像へのコメントを見ることもできました。時にはいくつかの不要なコメントもあり、また、この映像に注目している人々からの本物のコメントもありました。私は、必要なコメントがもっと増えることを願いました。
  • 私は、自分がそれを続けられるように、フィードバックや反応を求めていたようです。もしも誰も私をサポートしてくれなかったとしても、私は自分の信念を保ち続けられるだろうか、と考えずにはいられませんでした。信念とは何で、何を信じるのでしょう?

コメント:あなたが何よりも大切と思うことがあれば、それに他者からの評価が少ないとしても、それをやり遂げることが大切なのではないでしょうか。

  • 木の花ファミリーは25年間成長を続けてきて、その成長はゼロから始まりました。創設時、多くの他の人々の視点からすれば木の花は奇妙な存在で、何が今日まで木の花を支えてきたのだろうと不思議に思います。ジイジが宇宙から受け取った使命の他に、何か信念があったのでしょうか?

コメント:互いの信頼関係ができていたからです。

  • 木の花は、マスコミなど外部から、多くの悪いコメントを受けていた時期があったと聞きました。(私の記憶が正しいか定かではありません。)もしそうであるなら、その時にその問題にどのように対処してきたのですか?

コメント:真実はそういった歪んだ評価をする側の人々にないことは、明白なことです。私たちはどのような評価を受けようと、これが大切であると信じているのですから、このまま進んでいきましょうという確認をし合いました。そのときにみんなの考えも同じでした。なぜならば、私たちは本当のことを知っているからです。

 

6月 25日

〈 日記 〉

1 –

  • 今日、私はディエンちゃんと道路で座りながら、山と花の美しい景色を見て、そよ風を楽しみました。
  • ディエンちゃんは、それは本当にリラックスできる時間だったので、2、3年、時が現実にその瞬間で止まればいいのに、と言いました。
  • そして、なぜ私たちはリラックスしているときのように働くことができないのかと私は考えました。私はリラックスしていようが働いていようが、同じ心の状態を持ちたいのです。
  • しかし、それは少し難しいように感じます。なぜでしょうか?

コメント:リラックスしているときは何かを成し遂げようと集中しているときではありません。だからリラックスできるのです。それに対して、何かを成し遂げようとするときには、思考を集中して行うものです。ですから、そもそもその時間を使う目的が違うのですから、同じ状態でいることは難しいでしょう。ただ、何かを集中して行ったときに、その成果の内容によっては、あとからとても満足が得られ、リラックスしているときと同じような気分になることがあります。それは、物事が流れに沿ってスムーズに進んだときに起こるものです。

 

6月 26日

〈 日記 〉

1 – 天安門事件のドキュメンタリーについての感想

  • 始めに、残酷な場面や人々が身近な人を失った姿を見た時には、涙ぐみました。
  • リーダーはいつも、彼らの行動のために、人に感銘を与えるような言い訳を見付けます。
  • 番組を観た後、実際に私は穏やかでした。このような出来事は世界中で毎日起きており、それは宇宙の流れの一部に過ぎないのかもしれません。
  • そして私は、このような出来事にどう反応したら良いのかわかりません。なぜなら、それを解決するために私たちにできることは何も無いように思えるからです。

コメント:未来を考えたときに、過去の経験を学び、積み重ねていくものです。そして、その志を確かなものにするために、今自分が何を考え、どう行動していくかが観えてくるものです。それは、物事の良い悪いを決めるものではありません。どんなことも、事実として起きたことであり、必要だったことです。では、その起きたことを学び、どう歩んでいくのか。そこに私たちの役割や成長があるのです。高い志を持ち、誇りを持って生きることにつなげたいものです。

 

6月 27日

〈 日記 〉

1 – 変化することを忘れる?

  • 中国の経済についてのテレビ番組を観ました。番組では、若い人々にインタビューをしていました。
  • 若い人々は、何かを言えない現実には慣れており、それでも情報にはアクセスできると答えていました。
  • ジャーナリストの女性は、10年前と比べて人々はより自由に発言できなくなっていることを感じたと言っていました。
  • その時私は、自由が少なくなっているとは思わず、それは現状を受け入れて私たちなりのやり方で対処している誇るべき状態であると考えました。

コメント:なるほど。立場によって捉え方が違うものですね。

  • しかし、私たちは檻の中で生きることに慣れ過ぎているというジイジのコメントの後、私は突然、私たちは檻の中で生きることに慣れ、檻の隙間から外の草を取る方法は見付けたかもしれないけれど、檻そのものから解放されることは考えてもみなかったことに気付きました。

コメント:あなたがそういった優れたイメージを描ける人であることが、そこからわかりますね。だから、これからあなたしかできない役割をしていくのではないでしょうか。

2 – 食べるのは体のためか、欲のためか

  • 木の花ファミリーではいつも美味しい料理がいろいろと並び、私たちは好きなものを選べて素晴らしいです。
  • 私が体の声を聴く時、私は体に与えたいと思うものを選び、食事はすべてとても喜びに満ちたものになります。
  • しかし、何かとても魅力的な食べ物を見付けて欲を満たすためだけに食べる時、食事は快適なものではなくなることに気付きます。
  • ある程度まで、それはセックスのようなものです。欲にかられ、宇宙の原理によって、まったく違った結果をもたらすのです。

コメント:なるほど。その読みは深い意味を含んでいます。それについて語るととても長い話になるので、ここでは語りませんが、何かしらあなたの内にあるモンスターのような存在がちらちらと観えてきたような気もします(笑)。

 

6月 29日

〈 日記 〉

1 – 思考の雲

  • もしも私たちの心を空、思考を雲に例えるなら、私は興味深い問いを見付けることができます。
  • 玉ねぎのヒゲを切るような単純な作業をしている時、不要な思考の雲はとても少なくなります。
  • これはとても興味深いことです。なぜなのでしょう?

コメント:それは当然のことですね。単純な作業をするときには思考を回さなくても機械的に作業が進むことになり、心の空に雲が発生することは少ないでしょう。複雑な作業をしたときには、どのようにそれを進めていいのか思考が回れば、当然雲は発生するものですが、爽やかな雲が出るのか重い雲が出るのかは、その作業に向いているその人の姿勢や心の性質が影響します。また、複雑な作業であっても、熟練していれば機械的な動きとなって、思考の雲は単純な出方であったりします。そういったことを気付くのは、あなたの思考の良い傾向でもあります。これからは有効活用してくださいね。

2 – 自由について

    • 昨日、自由についての素晴らしい解説を読みました。
    • 自由とは、他の人があなたに良くしてくれたから幸せを感じたり、他の人があなたに良くしてくれなかったから痛みを感じるというように、幸せが他人がしてくれることに依存しているものではないということです。
    • 自由とは、あなたが必要とすることを他者が満たしてくれることを期待するものではありません。何かを必要とすることはいいのですが、それを満たす義務や責任を感じるものではありません。もしもそうであるなら、あなたは苦しむことになり、自由ではなくなります。
    • 自由とは、自分自身、そして他者の自我の意識の影響から自由になり、中心へ帰ることです。もしも誰かの”自我”が現れると、あなたは自分が犠牲者のように感じ、体に痛みが起きて、自由ではなくなります。
    • 人生における究極の自由とは、富、感情、心、自我、生死、人々の集合意識を超え、神の意識の中心へとつながって平静であり続けることにより、この世界に属するのではなく、この世界の中に存在することです。すべてからの自由 ― それは魂の最も高い目的であり、究極の喜びなのです。
  • 私たちはどのように、神の意識の中心へとつながり、平静であり続けることができるのでしょう?最初の一歩は、冷静かつ客観的になることでしょうか?

コメント:そうですね。常に私たちは自らを刺激する環境の中にいます。その環境から来る刺激がどのようなものであっても、それが感情的かつ自身の癖に影響されることなく、情報として受け取れるよう心がけることが重要です。しかしながら、それが完全に情報になってしまうことは、私たちが個人として人格を有する状態で到達することは難しいことです。それが肉体人間としての私たちの存在であり、生命の中でも人間であることはユニークです。

 

「ジイジからエニーに贈るメッセージ」

人はある目的を持って皆、この世界に生まれてきています。そこで、個人の欲望を叶えることは極めて低いレベルの目的です。それでは高い目的とは、人や社会や時代のために生きることです。過去の聖人・聖者も最終的には宇宙と対話し、人々が自我に囚われることを戒めました。中国の歴史的な哲学者たちも皆そうです。

今、宇宙的には新しい時代が幕を開けています。ひとりの聖人の力で社会が動く時代は終焉を迎えました。時代は、人間一人ひとりに目覚めを求めています。そして、私たち一人ひとりが優れた者であることに気付き、聖人となると、過去の優れた人々が残したものよりはるかにレベルの高い精神、すなわち宇宙意識に則った社会が創られるのです。これが21世紀からの人類のビジョンです。

今や、個人的な問題で悩んだり自らの癖・性分に翻弄されているようでは、本当の役割を果たすことはできません。あなたは今までの人生で、ネガティブに不要な思考をたくさん回し、それはエネルギーの無駄遣いになっていたどころか、自分にもまわりにも矛盾をもたらしてきました。今回あなたは、その自分を卒業するためにここへ来たのです。そのビジョンが観えてきたのですから、あなたの未来は明るいです。これからは、自らの能力を時代と共に、社会にいかに有効に還元していくのかをあなたの考えの柱として、人々や社会のために生きていってください。通常、自然療法プログラムを卒業する人たちには一般社会で自立していくレベルを期待するのですが、あなたには地球の未来に貢献することを期待します。