みんなでこの星を良い星にしていきましょう 〜 中国からのゲストとの座談会

2023年5月から6月にかけて、ある中国人のグループが木の花ファミリーを訪れました。
中国のコミュニティで共に活動している彼らは、人が心を磨いて真我に目覚めることを活動の基盤としており、「木の花ファミリーの世界観を学びたい」と、滞在中に繰り返しジイジと話し合う場が持たれました。
以下は、滞在最終日に行われた座談会の記録です。座談会には、自然療法プログラム卒業生のワンホーも通訳として参加しました。

 


 

Eさん:
昨夜の大人ミーティング(木の花ファミリーでは毎晩、大人メンバー全員が参加する「大人ミーティング」があります)で話し合われていたことにも関連しますが、人々が地球にとって良いことをするために、どうしたら心をひとつにすることが出来るのだろう、と思いました。どうしたら、同じ目的に向かって意思をひとつにすることが出来るのでしょう?

ジイジ:
それは、手法を考えても難しいですね。例えばアメリカ発祥の自己啓発セミナーのように、人の意識を高めるためのトレーニング方法というものが現代社会には色々とありますが、そういったものは、人々の「このようになりたい」という思惑をくすぐるようになっています。それは自らの欲を満たすためのものであり、欲を満たすことでさらに自我が増幅されますから、その延長線上でいくら「心をひとつにしよう」と思っても、結局そのようにはなりません。
あなた方はこういった考え方をよく理解できるだろうと思うのですが、人間の「ああしたい」「こうなりたい」という欲の心をくすぐるのではなく、もうひとつ別の視点からこの世界を観て、現代につながる地球上の歴史が、いったい何によって動かされているのかに気付くことだと思うのです。

例えば、人の中には、自らの自我を超越した精神状態を発揮できるスイッチがあります。
それは全ての人にありますが、そのスイッチを入れる段階というのは、人間の思惑によってあるのではなく、何ものかが推進する大いなる時代の物語のプロセスの中にある、と僕は観ています。そういったプロセスは、地球に起きる歴史が創る地球物語であり、それがあることの証として、今人類は、未来に向かってより良い社会を築いていくための方向性を見失っています。その状況は、より強く欲に翻弄される方向へシフトしています。それは何を意味しているのかと言うと、欲のままに進み続ける人類にはまだその方向は観えていませんが、その歴史を動かしている物語にとっては、諸刃の剣である人間の能力がもたらすネガティブな状況がピークを迎えることによって、未だ目覚めない多くの人間たちのスイッチを入れようとしているのです。
僕の年代(70代)の人たちが引き受けている役割と、その中でも僕が引き受けている役割は、その扉を開くための土台を築くことです。そして皆さんは、その土台の上で次の時代を担い、さらにその先の世代へ繋げていく役割です。つまり、年代によって物語が紡がれていくのであり、それは今この時代だけで完結するのではなく、過去から未来まですべて繋がって、地球の歴史として表現されていくのです。その中で今、僕たちの年代が役割としてすることと、あなた方が役割としてすること、そしてそのさらに先の世代が役割としてすることを、繋げて捉える視点が人類には必要です。過去から受け取り、それを未来へ繋ぐのだという意識の下に、今現在の位置を確認し、それを認識して生きるのです。

Iさん:
人間は、本当に自らの中にある真実に目覚めたら、自ずと全体とつながってくると思います。先ほどジイジがおっしゃったように、自らのスイッチを入れることが、その鍵となるでしょう。

ジイジ:
そのスイッチが、個人のためだけのスイッチなのか、或いは、本来の生命としての意識が伴っているのか。生命というのは、単独で完結していません。地球で言えば、地球生態系は多種多様な生命の連鎖によって成り立っており、その中のひとつの個体にスイッチが入るということは、全体の中のその部分にスイッチが入るということです。つまり、それは全体を運営するためのスイッチであって、単独のためのものではないのです。それは視野を広げれば、自分と地球、さらに広げると自分と宇宙との関係のスイッチとも言えます。
しかし現代の人々は、ほとんどが自我のスイッチを入れている状態です。ですから、自分と地球の関係どころか、個人個人ですら繋がらない状態になっています。簡単に言えば、宇宙にいながらにして宇宙の迷い人になっているとも言えます。そこで求められることは、視野を広げ、自らの視点のスケールを大きくしていくスイッチを入れることです。そうすると、現状の様々な矛盾が自動的に改善され、物理性だけの世界ではなく、それを超越した世界ができるはずなのです。

Iさん:
人々が繋がっていくための目覚めのスイッチを入れるには、たくさんのプロセスがあるということですか?

ジイジ:
それは、プロセスとは違うものです。例えば10段階の意識レベルがあるとして、その人の意識がどの段階にいるかによって、その人の霊的な位置が決まります。それを気軽に上の段階に引き上げられるかというと、そう簡単にはいきません。なぜなら、そこにいるということは、意味があってそこにいるからです。
そこから次の段階へ行こうとする者であれば、何かのきっかけを与えれば次のレベルへ行くことができます。しかし、その段階にいる必要がある者については、そこから引き揚げようといくら働きかけても、働きかけた成果は上がらないのです。誰に対しても引き上げればよいかというと、そうとは限りません。それを闇雲に引き上げようとすればエネルギーが無駄になる可能性もありますから、そこを見極めることが必要です。そこには、旬があるということです。
ただし、今の人間社会の状態を観ると、様々なことで悪化が進んでいます。それは、今のままの価値観で進むと世の中全体が壊れる方向に向かっているのですから、私たちは今こそ、その問題が解決されるための次の段階のことを考える必要があります。僕はそのように思っていますし、それは皆さんも同じだろうと思います。

Oさん:
どうやったらスイッチをいれることが出来るのですか?

ジイジ:
まず、自分にスイッチがあるということを認識する必要があります。まったく認識していなかったら、そこに自らの意識がアクセスすることはないわけですから、まずはそれがあるということを認識することから始まります。

Oさん:
木の花ファミリーのメンバーは皆、それを認識しているということですか?

ジイジ:
認識はしていますが、日々の最優先事項がどこを優先しているかは、個々の意識の段階によって異なります。皆さんは、人間が真我に目覚めることを最優先事項にしていますね。ただそこで、真我に依存してはダメなのです。
「真我」と「自我」は対向発生の関係ですから、常に互いに刺激し合っている状態でなければなりません。そこで自我だけが優先しているのが現代の人々の状態です。真我のスイッチが入るということは、それと対向発生している自我も引き上げられるということですから、真我のレベルが自我に反映され、その人の日常は真我のレベルになるのです。
木の花ファミリーのメンバーが、皆一律にその状態になっているかというと、歩みは人それぞれです。全体の歩みを形で表すと、細長い楕円形のような形で進んでいます。先端を行く者もいれば、後ろの方を付いて来る者もいて、その間が一番多く真ん中が膨らんでいる。後ろの者が遅れ過ぎて外れそうになればぐっと引っ張って全体の中に入れ、先端の者が行き過ぎればやはり戻って全体の中に入る。そのように、それぞれの歩みは違って楕円のようになりながら、全体がひとつのものとして進んでいる絵を浮かべてください。

Iさん:
今、中国に、目覚めようとする人々がたくさん現れてきています。自分は何者で、どこから来たのか、ということを問う段階にいる人々が出てきて、そういった人達はスイッチをオンにする段階にあると観ています。

ジイジ:
そのスイッチの入れ方が、ゲームであってはいけません。もっと物理的かつ現実的な意味で、自分はどこにいるのかを探求していく必要があります。瞑想のように非日常的な取り組みで目覚めたかのように感じるのは、ゲーム的手法になります。結局、その延長には、現実にある人格に変化をもたらすことは難しいでしょう。服装を変えたり、化粧をしたりして、変わったかのように見せているようなものです。

Iさん:
確かに、私が知っている人々の中にも、瞑想やヨガなどに傾倒する人たちがいます。歪んだ気付きを得て、それに傾倒し、日常にそれが何も活かされていないというケースもあります。同時に、その取り組みを日常の中で実践し、日々起きる出来事の背後を感じ取って、それを日常に活かそうとする人々もいます。

ジイジ:
それらの現代的事象、人々の意識をすべてトータルして、ひとつの物語だということです。木の花ファミリーも、メンバー一人ひとりの歩みは違いますが、その異なるもの同士が一緒になって動いている。つまり、全体がひとつの生き物のように動いているのです。
そのひとつの生き物の体の中で、それぞれに異なるポジションをみんなが認め合って、全体が進んでいく。それが、時代が表現していることです。その中のどれかを否定するということではなく、それぞれに相応しい位置があるのだから、そのすべての立ち位置を認める。そして視点をぐっと引いて全体を俯瞰して観た時に、それがひとつの生き物として生きていることがわかるのです。私たち人間一人ひとりも、それと同じ構造であることがわかりますか?
これは、言わば船です。前方の乗組員もいれば、後方の乗組員もいる。ポジションは様々ですが、全体は時代と共に進んでいるのです。

Eさん:
まず、ジイジがこうして船の土台を築いてくれたことに感謝します。
木の花ファミリーのメンバーは皆、ある一定の精神レベルに達していると思いますが、目覚めへの動きを加速化するにはどうしたら良いのかを知りたいです。

ジイジ:
加速化は、してはいけません。なぜなら、それは人間の手の内にはないからです。そして、それを思った時点で、自我は増幅します。我々人類は、この世界の時空を創っている宇宙と対向発生する存在であり、宇宙から頂く側にいます。そして主役は、我々の背後にいて、すべてを動かしている大いなる存在です。
この世界のすべては、善きことのためにあります。そこで、いかに自らの自我を挟まずに、宇宙が我々にもたらすものを常に頂いて生きていけるかどうかが、豊かな世界を表現するための鍵なのです。豊かな世界とは、自我の思惑で「ああしよう」「こうしよう」と目論んで築かれるものではなく、そういった思惑をすべて手放した「頂く精神」の上に表現されるものなのです。

Eさん:
加速化しようという意志はないのですが、思ったのは、人間の中には誰しも真我があり、真我はすべてがひとつであり、私たちは宇宙そのものであるということを知っているということです。ですから、「頂く精神」で宇宙の流れに沿っていくと、然るべき方向に自ずと進化していくのだろうと、話を聞いていて思いました。

ジイジ:
みなさん、素晴らしいですね。このような対話が出来る段階にいるのですから。この話し合いは、自分のためのものではないですね。

Iさん:
ジイジに感謝します。中国にも道教や仏教やキリスト教など様々な宗教がありますが、ジイジが話してくれたことは真理です。すべての人は、目に見える世界の奥にある真理に目覚める可能性を秘めており、私たちも、自分たちの中に真我に目覚めるスイッチがあることを自覚しています。それを認識することで、スイッチを入れることができる。
ジイジは、真理の種をこの世界に蒔いているようです。その種がこれから芽吹いていくのでしょう。

ワンホー:
僕もその種を受けた一人です。ジイジがここで種を蒔き、それを受けた文ちゃんが台湾でその種を蒔いて、僕はそれを受けてここに来ました。(みんな拍手!)

ジイジ:
人間は気が短いのだよね。人間の時間に対する感覚は、例えば1年でもとても長いものと感じるけれど、宇宙から言えばほんの一瞬です。だから、ちょっと視点を引いて、過去も現在も未来も含めて全体像を俯瞰できるようになるといいですね。
国境を意識して生きている生き物は、人間だけです。現実の世界では、人々がまだ自我の延長線上でどれほど対立していたとしても、スイッチが入った人々は、その先にある高い意識を目指す時代がやって来ました。これは個人の悟りではなく、地球レベルの悟りに至る道です。いずれこの精神は、何千年かの後に、人類を宇宙に貢献するものとして成長させるでしょう。
皆さんにお会いできてよかった。この出会いは、まだほんの始まりだけどね。

Iさん:
私たちも、人々が真我に気付くための取り組みをしていますが、私が木の花ファミリーで見たのは、人々が他者を思いやり、日常生活の中で自らを美しくすることに取り組んでいるということでした。中国でも、自分を磨くために様々な手法を行っている人々がいますが、やり方は様々でも目覚めの道に共通しているのは、心です。

ジイジ:
真我は、カルマに影響される心と多層構造になっています。そこで、未だ真我に目覚め切っていない人々にとっては、どちらが優勢になり影響を与えているかが重要になります。

ともこ:
心と真我は別のものなのですか?

ワンホー:
僕も同じ質問をしようと思っていました。

ジイジ:
真我というのは、人間を創る時の設計図のようなもので、それは光のペンで描かれています。その設計図に問題はありません。ところがその設計図に基づいて現象化する時には、様々な不具合が発生するものです。家を建てる時に、設計図は完璧でも、例えば予算が足りなくて何かを削ったり、建てる人の腕が悪かったり、手抜き工事があったりして、設計図通りではないものが出来上がったりするでしょう?もしも本当に設計図の通りに心があれば、物理性もとても美しくなるはずです。
心は、真我の設計図を基にして、その人の履歴によって創られるものです。その履歴とは、例えば前世やその前の人生をどう生きたかというように、今に至るまでに魂がどのような歩みをしてきたかということです。私たちを創っている無数の細胞にはDNAが配置されていますが、そこには宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が入っています。同じように、心の中にも、魂の成立からこれまでの履歴、そして未来への履歴が同じようにあるはずです。なぜなら、ここは宇宙だから。すべての行為は宇宙で発生しており、そのすべての履歴が私たちの中に刻まれているのです。
その過程の中の今の段階で成立しているのが、私たちの今の心です。それは、真我である設計図の意識レベルと対向発生しながら、自らの履歴から来るカルマにまみれています。その心が真我を意識し、真我に則った精神状態を心がけていればいいのですが、真我の存在を忘れてカルマの方を優先していると、現代人のような状態になるのです。
現代人は、非常に高度に発展した物理性が飛躍してしまい、アンバランスな状態になっています。テクノロジーが進化した分だけ、心がより真我を意識して精神性を高め、バランスを取ることができれば、この人間によって発展したテクノロジーは、人間だけでなく、他の生命や地球、宇宙にまで貢献するものになるのです。

Iさん:
完全に同意します。ありのままで存在することが、心を開くことに繋がります。そこには、正しいとか正しくないということはありません。ありのままに存在することは創造であり、輪廻やその履歴も、創造の現象なのです。そういったことに人類が気付くことが重要です。それそのものとして存在することができたなら、違いや葛藤、アンバランスさを意識して注目する必要もなくなるでしょう。そのようになったら素晴らしいです。

ジイジ:
そのためには、思考を回してはいけません。思考を回すと、そのものとして生きられないのです。思考を回したら、必ず自我がそこにカルマを反映させます。そうではなく、本来言葉とは、湧き出てくるものなのです。泉のように。
例えば瞑想をする時でも、多くの人は「もっと良くなりたい」というカルマ的な目的をもって瞑想するでしょう。それが問題なのです。その瞑想が、自らの思考回路のスイッチを切り、宇宙の受け皿となってそのメッセージのスピーカーとなるトレーニングであれば有効かもしれませんが、まぁ我々は生命ですから、そんな暇があるなら生きるための作業をした方が良いですね(笑)。自らが生きることが他の命を生かすことに繋がるのがこの世界の命の仕組みだとしたら、瞑想はある意味自己満足の世界ですから、何ら他の生命に貢献するものではありません。木の花ファミリーでは、作業そのものが瞑想です。それは無心でやるからです。

国が違うから仕方ありませんが、僕には少し不満があります。それは、なぜ我々はみんなで一緒に暮らしていないのだろう、ということです。でも今そう思ったら、上からメッセージが下りてきました。「同じ地球の上に暮らしているではないですか」と。同じ時間を生きて、一緒に宇宙を旅している。そうですね。だからこの場があるんですね。

Iさん:
みんながジイジのように、宇宙からのメッセージを受け取って生きられるようになったらいいですね。

ジイジ:
そういった世界は、木の花楽団の歌の中にも表現されています。

Iさん:
大切なのは、誰もが自分自身の中にその大いなる可能性を秘めていることに、気付くことです。ジイジは皆がその能力を開花させるのをサポートしてくれるのであり、誰もが宇宙に直接アクセスできる力を持っています。

ジイジ:
そうですね。私たちは、現代人として、そこに向かうプロセスにいるのです。皆さんは、僕の後を継ぐのではなく、この大いなる物語の中で、僕のポジションはここ、皆さんのポジションはここ、さらにその次の世代の人たちはここ、というように、それぞれの役割を果たしながら、全体がひとつの宇宙物語として繋がっているのですから、同じ船に乗っているのですね。あとはよろしくお願いします。

宇宙は生命です。時代も生命です。私たちも生命です。
常に変化しながら進化し続けていくのが生命であり、それがこの世界の実態です。ですから、今現在の状態を正しいものとして、そこに留まっていてはいけないのです。

(ワンホーに対して)僕は先ほどから、あなたが通訳をしているのを見ながら、知的な顔をしているなと思っていました。ここに来た時には病んでいたけれど、今は知的でいい男になりましたね。

ワンホー:
(日本語で)ちょっと。(みんな:笑)
ちょっとだけ知的になりました。

ジイジ:
ちょっとではなく、たくさんです。この会話も、すべて通訳であるあなたを経由しています。僕は彼らの表情から、こちらが話したことが彼らに伝わっていることを感じています。つまり、あなたはケーブルとしてのレベルがとても高くなっているということです。

ワンホー:
(日本語で)ありがとうございます。(みんな:笑)

ジイジ:
あなたの中にその素質があったからこうなったのであり、僕はそのきっかけをつくっただけです。その目覚めの旬が来ていたから、あなたはここへ来たのでしょう。その縁は、この世界によってもたらされたものです。「ありがとうございます」はそちらへ言うべきですね。

人間は、物事をすべて地上の考えだけで行おうとします。しかし、大切なのは、常に天に心を向け、天と繋がった上で地上の結論を出すことです。地上だけで結論を出せばそれは平面上の二元思考ですが、天と繋がることで三次元の立体思考になり、地上に柱が立つのです。柱が立たないまま人間の思考だけを回せば、思考は邪に流れ、どこへ行くかわかりません。天との繋がりを忘れ、人間の解釈だけで答えを出そうとするから、間違いが起きるのです。

我々は、この星を良い星にする役割を託されています。それは、誰もが本当に良い世界に生きていると実感できる場所です。

(皆が顔を見合わせ、笑顔で拍手しました。)

Iさん:
また会いましょう。宇宙の中で。

ジイジ:
我々が会いたいと思っていれば、天がその時を用意します。時代の扉は、既に開いています。

みんなで、この星を良い星にしていきましょう。

 

 

 


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