木の花ファミリー通信2020年夏至号『コロナウィルス はメッセージ 〜 世界は人間の思い通りになるか』

 

世界は人間の思い通りになるか

新型コロナウィルスの登場によって世界は大きな転換の時を迎え、「新しい生活様式」が求められるようになりました。けれども、人との距離を保ち、会話や接触を避け、マスクや消毒を欠かさずに暮らすことが、本当に人のあるべき「新しい生活様式」なのでしょうか。

このウィルスの登場は、私たちにあることを教えてくれました。それは、人間はいつの間にか、お金がないと生きていけなくなっていた、ということです。

今、人々の最大の関心事は、経済です。人々は経済が回らなくなることで自分たちの生活が成り立たなくなることを心配し、政府はその心配を一時的にしのぐため、赤字財政に更なる借金を重ねて莫大な補正予算を組み、様々な給付金を打ち出しました。ほんの数か月経済が停滞しただけでこれほどの給付金が必要になるということは、コロナウィルスが発生しなくとも、もともと日常をギリギリの状態で生活している人々が今の時代にいかに多いかを物語っています。

すべての生命は、生きている限り生命活動の中にあり続けます。例えば小鳥は生きるために、体の大きさに対してたくさんのエネルギーを必要としますから、常に食物を探し、食べることに追われています。他の動物も、種によって必要とするエネルギー量に違いはあるものの、生きるために食べ続け、植物なら養分や水分を求めて根を伸ばし、葉を広げて光を求めます。何より、常に呼吸を続けています。生命とは、命ある限り自らの存在を維持する活動に追われるものであり、その活動はすべて、生きることに直結しています。

ところがコロナウィルスが教えてくれたのは、人間だけはお金に追われているということです。お金とは、原価二十数円の紙切れ、或いはコンピューター上の数字です。それは本来、自らの命を維持する生命活動とは何の関係もないものですが、現代の人々は、お金の有無によって生きることが大きく左右されているのです。

生命とは、太陽や土、水、空気、風の織りなす大いなる自然の循環の中でそれぞれにふさわしい位置を与えられ、瞬間瞬間を精一杯生き、命をつないでいくものです。その中で唯一人間だけが、その類い稀なる高い能力を使い、楽をして生きることを求めるようになりました。そして自然の中で生かされていながら、自然を無視し、生命の原理原則から大きく外れた経済システムを創り出したのです。人々は豊かさを求めて地位や財産を築き、築いたら今度はそれを維持することに囚われ、太陽や土と共にではなく、預金通帳の残高に追われて生きるようになりました。楽になりたいと願いながら、自ら築いたものに縛られ、結果としてまったく楽ではない、窮屈な世界を生きることとなってしまったのです。

これは生命としては異常な状態と言えるでしょう。ところがそれが当たり前になってしまった現代の人々は、その異常な状態を正常だと思っています。そこへ今、地球生命史の大転換の時を迎え、時代は新型コロナウィルスという刺客を人間社会へ送り込みました。肉眼では見えないほど小さな存在でありながら世界を大きく揺り動かすこの刺客は、果たして世界の何を浮き彫りにし、私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。

 

 


「経済で生きている」という幻想

 

他の生命にはない世界

私たち生命が生きているのは、お金があるからではなく、命が生きているからです。しかし、生命の原理原則から外れ、生きることがお金を稼ぐことになってしまった現代の人々は、常にお金に追われるようになりました。それは他の生命にはない異常な世界ですから、生きていく上でたくさんのストレスが発生します。そのストレスを解消するためにお酒を飲み、レジャーに出かけ、物を買い次々と消費しては大量のゴミを出し、生きるために必要のないことをたくさんやることで、経済はさらに大きくなりました。まるで子どもがゲーム中毒になるように、世界中の人々がお金の魔力に取りつかれ、そこから抜け出せなくなっているのです。

その手を休めて立ち止まり、空を見上げ、風を感じ、土に触れ、木々の囁きに耳を澄ませば、自然はなんと大らかで、動物も植物も、豊かな命の循環の中に生きていることが感じられるでしょう。生命とはとても大らかなものでありながら、いつから人間だけが、これほど窮屈な生き方に自らを追い込んでしまったのでしょうか。

新型コロナウィルスの感染拡大によって経済活動が停滞している間、地球上の二酸化炭素排出量が一時的に下がりました。世界各地で空気や川の水がきれいになったという報告もあります。IPCCは、2030年に地球の気温が産業革命前に比べて1.5度上昇することを予測し、多くの科学者たちが、気温上昇に伴う巨大台風の増加や豪雨、干ばつ、海面上昇、生態系の崩壊や食料難などを最小限に食い止めるためには、今後10年間に人類がどれだけライフスタイルを転換できるかが勝負であると警告しています()。新型コロナウィルスによって人間の経済活動に歯止めがかかったことは、見方を変えれば、地球の自浄作用とも言えるでしょう。ところが今なお人々は経済のV字回復を願い、必死になって世界を元の異常な状態へ戻そうとしています。それは、生命の原理原則から外れて自然の中に取り返しのつかないツケを蓄積していくことよりも、自らが築いた経済という人工のシステムが崩壊することの方が恐ろしいからです。現代は、本来命とは何の関係もない経済が止まることで、自らの命をつなぐことができなくなる、大いなる矛盾の世界となってしまったのです。

 


※IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)は気温上昇を1.5度に留めるには、世界のCO2排出量を2030年までに45%削減し、2050年までに実質ゼロにする必要があると警告。科学者たちは、気温上昇が1.5度を上回れば、北極の氷の融解による海水温の上昇、シベリアの永久凍土融解による地中のメタンガス(温室効果がCO2の25倍)の放出、アマゾンの森林火災増加による更なるCO2の排出等の悪循環に陥り、気温上昇が自動的に進む「灼熱地球」へのスイッチが入り、止めることができなくなると訴えています。


 

給付金は問題を解決する?

こうした状況の中、日本政府は1人一律10万円の特別定額給付金を始め、様々な給付金を打ち出しました。しかしそれで現状の問題が解決されるでしょうか。

新型コロナウィルスの影響で外出を控えた結果、家庭の不仲や虐待が増加したと言われています。多くの人はそれを「コロナウィルスのせいでそうなった」と捉えていますが、それは元々そうなる種があったということであり、コロナウィルスはそれが浮き出るきっかけとなったに過ぎません。問題ごとが起きた時、人はとかく自分の中に原因があるとは見ずに、外からその問題がやってきたとして、自らを改めることなく他を悪者にします。それが大きくなって国家間の争いとなり、戦争となっていくのです。そのような盲目の人々に支持された政府が指揮を執り、現代の社会は創られています。

問題の根本原因と向き合うことなく、ただ表面的に解決しようと一律な対策を練ったとしても、例えば、家庭によって給付金は一時的にストレスを発散するためのお酒や道楽に消え、場合によっては家族の分まで使い込んで争いの種となる等、元々あった問題をさらに難しくすることでしょう。数か月の経済停滞で生活が立ち行かなくなるなら元々が不安定であったということですが、それを一時的な給付金で賄えば、次に何か起きた時にまたもらえばいいという発想になり、自らの裁量で生活を成り立たせることを忘れていくのです。そのように生命力を失った人々も皆等しく1票を持っており、支持を集めたい政治家たちは、与党も野党もこぞってお金をばらまき、国民のご機嫌取りをしています。それはコロナ禍の問題を解決するためではなく、自らの政権を維持するための施策です。そして1000兆円という世界でも突出した債務残高を抱え、個人であればとうに自己破産しているほどの赤字財政に、更なる借金を重ねています。そのツケは確実に将来にのしかかりながら、目先の利益ばかりを考える国民によってその意識にふさわしい政治家が選ばれ、それにふさわしい政治が行われるのが、民主主義という仕組みを選んだ私たちに与えられた結果なのです。

どんなに良い国を創ろうと思っても、その手段がお金である限り、良い国にはなりません。それは生命としての根本から外れているからです。人々は何とかコロナウィルスを封じ込め、問題の解決を図ろうとしていますが、その中で忘れられている事実があります。それは、コロナウィルスに出会わなくとも、人は必ずその生き方にふさわしい死を迎えるということです。

 

「ほんの瞬間」への執着

この世界には、時という万物に共通する絶対の軸があります。それは決して止まらず、後戻りせず、宇宙の創成から消滅までを貫いています。時とは、言わば柱です。この柱を中心としてエネルギーの回転が起こり、宇宙の響きが現象化します。そこから生み出されるのが生命です。生命は、時という絶対の柱に沿って誕生と消滅を繰り返し、過去から未来へと旅を続けます。生まれ、生き、死に、また生まれてくることを繰り返しながら、地球上のあらゆる生命たちと共に、太陽や月や、無数の天体たちと共に、大いなる命の循環の中で、果てしない宇宙生命物語を紡いでいるのです。

それは、人間の一生をはるかに超えたスケールの物語です。私たちはこの壮大な生命物語の一部分を担う存在であり、「今回生まれてから死ぬまでが自分である」という認識を超え、視野を拡大してみれば、自らの存在は人類の歴史であり、生命の歴史であり、肉体を持った一人の人間としての存在など、ほんの瞬間のものであることがわかるでしょう。ところが、その無限の可能性を秘めた魂が一たび肉体に封じ込められると、自らが大いなる生命の一部であることを忘れ、自らに執着するようになったのです。

肉体を持ち、命として生きることは、自意識があるということです。例えば、植物にも自意識はあります。雨が降らなければ水を求め、根を伸ばし、まだ実を付ける前の花の状態の時には、動物に食べられないよう強い薬効成分を出し、自らの命をつなごうとします。しかしそれは、食べられそうになったら走って逃げるほどの強いものではありません。動物の自意識は植物より強く、シマウマはライオンに捕まりそうになれば逃げますが、捕まって食べられればそこに未練を残すことはなく、シマウマの命はライオンに受け継がれていきます。動物も植物も、個としての命を維持しながら、より大きな生命の一部として、生態系の大いなる循環の役割を果たしているのです。

かつて人間も、大いなるものの一部として自然の中を生きていました。ところが時代が進むにつれ、文明が発祥し、モノや権力を持つようになると、人間はその魅力に囚われ、生きることに執着するようになりました。

ことに産業革命以降、それは顕著になります。科学技術を発展させた人間は、自らの力によって次々と願望が叶うことの虜となり、自我を肥大させ、自然に沿って生きるよりも、自然を自らの思い通りに支配しようとするようになりました。

 

医療が進んだ「豊かな国」

私たち生命は、決して止まらぬ時の流れの中で生と死を繰り返し、永遠の物語を紡いでいます。生まれるとは言わば入学であり、死は卒業です。生まれれば必ず元の世界へ還るのが定めであり、それが多少早いか遅いかということも、それぞれにふさわしい定めとして与えられます。大切なのはどれだけ長く生きるかではなく、その生を通して自らが何を学び、どのような精神状態で卒業を迎えるかということです。生きることの真の意味を知るには、死ぬことの真の意味を知ることが不可欠であり、生と死のどちらの側にも囚われない視点に立った時、私たちは初めて、この世界を生きることの真実に出会うのです。

欲望の虜となり、生きることばかりが重要になった現代社会では、医療が極度に発達し、人間の高い能力の証である複雑で高度な技術を駆使し、ただ命を引き延ばすことが最優先となりました。人工透析や臓器移植など、自然界には絶対にない形で延命を図り、莫大な医療費とエネルギーをかけ、必死に生にしがみついているのです。

新型コロナウィルスは、喫煙者や糖尿病などの基礎疾患を持つ人が重症化しやすいと言われます。人々は感染を恐れ、コロナウィルスを問題視していますが、ではそもそも何故そのようなリスクの高い状態になっているのかを振り返ることはありません。本来ならば、そういった疾患に至る自らの生活習慣を見直し、その元となる心を改めるべきなのです。しかし現代医療は、物理的な症状だけを一律に治療する姿勢を前提とし、ただ症状が治まれば良しとするため、いつまで経っても人間が生き方を改めることには繋がらないのです。そしてその莫大な医療費によって膨らんだ経済が、皮肉にも「豊かな国」を支えているのです。

病気を治せば治すほど、高度な技術が発達すればするほど、何でも自分たちの思い通りになるかの如く生きてきた人間たちは今、新型コロナウィルスの登場によって思い通りにならない事態に直面し、大きく困惑しています。そして自分たちのこれまでの生き方を阻害するコロナウィルスを悪としています。しかしそもそも、この世界は私たちの思い通りになるのでしょうか。

 

宇宙から人類へのメッセージ

私たちは、地上に光を注いだり、雨を降らせることができるでしょうか。毎日朝が来ることを、四季が巡ることを、地球が回ることをコントロールすることができるでしょうか。

産業革命以降、人間はまるで自分たちの力で世界を動かしているかのように振舞ってきました。しかしよく見てみれば、世界は人間の力で動いてはいません。毎日が来るのは私たちがカレンダーをめくりスケジュールをこなしていくからではなく、地球が回っているからです。地球も月も太陽も、他のあらゆる星々も、私たちの日常をはるかに超越したスケールで宇宙を巡り、それによって世界が動き、その中で私たちは生かされています。

その巨大な世界に秩序をもたらしているのが、時です。宇宙の万物はこの絶対の柱に沿い、過去から未来へと進み続けます。もしも時をさかのぼって地球が逆回りをしたり、死者が生き返るようなことがあれば、世界は秩序を失うでしょう。決して例外なく万物が絶対の約束のもとにあるからこそ、秩序が保たれているのです。

そもそも、この世界を生きることに、自由などないのです。誰も地球をコントロールできない。では自分のものだからと心臓をコントロールできるかと言えば、それもできない。眠ることを、呼吸することを、歳を取ることを、誰が思い通りにできるでしょう。私たちは決して抗うことのできない絶対の法則の中で命を与えられ、生かされているのであり、生きることで自らの手の内にあるものは何もないのです。それなのに、人間はすべてを自らの思い通りにしようとし、他者の思い通りになることは否定するのです。その結果、他者との共通点を見出すことのできない人々は、自らの創り出したものに支配されていくことになるです。

生命とは、生態系の循環の中でそれぞれの個性にふさわしい位置を与えられ役割を果たすものであり、本来自由でもなければ、平等でもありません。しかし人間社会は、民主主義という見せかけの自由・平等の世界を創り、自我から生まれる願望を一人ひとりが際限なく自己主張することが権利であり、進歩した世界であると思い込み、それが麻薬のように広まって、生命の本質からどんどん外れていきました。本来、生きることには優先順位があり、第一優先事項を第一番目として、二番目や三番目を一番に持ってきてはいけないのです。現代の人々は、自我の欲望から生まれる五番目や六番目を第一として生きています。だから世の中が狂うのです。新型コロナウィルスは、その狂った世の中の実態を暴き出し始めたのです。

そのメッセージに気付かず、人間がこのまま進み続ければ、世界はより過激な第二、第三の刺客を送り込んでくることでしょう。人々はコロナウィルスを、抑えても抑えても増殖して自分たちの生活を脅かす脅威と捉えています。しかし地球の側の視点から見れば、人間こそ、抑えても抑えても増殖し、地球の資源を貪り、他の生命を傷付け、生態系を破壊していく極めて有害な存在であると言えるのです。その人間の在り方に対し時代がNOを出し始めた今、私たち人間は、欲望のままに生きる自我の側から、その自我をはるかに超越し、私たちを生かし続ける世界の側へと視点を転換させ、自らの生き方を根底からひっくり返す必要があるのです。

 

 


*この世界の生と死の仕組みについては、木の花ファミリー通信第93号〜96号「21世紀の死生観第一部・死ぬってどういうこと?」「21世紀の死生観第四部・性 ー すべての始まり」をご覧ください。


 

私たち地球生命は、生きていく上で必要なものをすべて、この世界から与えられています。そしてそれは、共有することが前提となっています。太陽に然り、空気に然り、水に然り、そして大地に然り。生命とは、世界に動きを起こすものです。太陽は太陽のように、空気は空気のように存在していたこの世界へ、生命が現れることでダイナミックな命の循環が起こり、太陽や空気から草へ、花へ、虫へ、鳥へ、獣へと無限に連鎖し、すべてがひとつの命として循環していく、絶対共有の自然世界が生まれてきたのです。

その共有の世界にあって、文明の発祥以来人間が表現してきたものは、貪り、奪い合い、他の生命に害を及ぼすどころか同じ種の中でさえ傷つけ合う、この世界の実体とはかけ離れたものでした。世界中が待ち望む新型コロナウィルスのワクチンですら、各国が情報を共有して協力し合うのではなく、他国に先駆け新薬を開発しビジネスチャンスにしようと競い合っているのです。

しかし、人間が新たな薬を開発すればするほど、ウィルスや細菌もまた、進化します。今、人間が自然の摂理を無視し、抗生物質等の薬を医療や畜産にまで乱用してきた結果、様々な所で耐性菌が広がり、近い将来、抗生物質が効かなくなる時代が来ると言われています。抗生物質が使えなくなるということは、現代医療の大部分が機能しなくなることを意味します。だからこそ今、私たちは、ただ生き永らえることばかりを求めるのではなく、生きるとは何であるかを見つめ直し、命の原点に立ち返る時が来ているのです。

 
あなたの尺度を手放しなさい

人間がどれだけこの世界の本質から外れようと、世界は決してぶれることなく未来へ進み続けます。

私たちの生きる天の川銀河は、広大な宇宙空間に直径10万光年という果てしないスケールで広がり、セントラルサンを中心として無数の天体たちがそれぞれのサイクルを刻みながら、全体が秒速約200㎞という速度で回り続けています。それは人間の尺度などはるかに及ばないスケールです。これほど巨大なものが100億年以上にわたりぶれることなく、秩序を保ち続けてきたということは、そこに決して揺るぎのない、人智を超越する絶対的な軸があるということです。その絶対的な安定の中を太陽系が巡り、太陽系の秩序の下に地球が巡り、その中に私たちの毎日の秩序があるべきなのです。それは言い換えれば、人間がどれほど外れようとも、決してぶれることのないこの世界の本質へ、戻ろうと思えばいつでも戻れる世界に私たちはいる、ということです。

秒速200㎞は、地球上の尺度からすれば驚くべき速さです。しかし、直径10万光年の銀河からしたら、動いているかいないかわからないほどゆっくりなものです。この世界には、人智を超えた絶対の秩序の下に無数の尺度が存在し、それを現代人の思考回路で解釈することは到底できないのです。その解釈不能な世界の中で、自らの尺度だけを基準として生きているから、自分が外れていても、それを正常だと思ってしまうのです。自らの尺度だけで生きているから、本来はすべてが共有され循環していく大調和の世界の中で、貪り、奪い合い、獲得したものを手放すことを恐れ、自らの心が生み出した不安や恐怖でがんじがらめになっているのです。

その小さな囚われを手放しなさい。

そして、自身から自由になりなさい。

手放せば、私たちはいつでも、多様な存在がひとつらなりの命として大調和の下に永遠に循環し続ける、大いなる宇宙の尺度で生きることができるのです。

その精神の位置に立つ時、人は不安や恐怖から解放され、貪り争う必要がなくなり、穏やかな響きの世界を創ることでしょう。そして自らにも、地球にも、健全な生き方をするでしょう。
人間は本来、群れて生きるものです。それが今、いかに分断して生き延びるかという、生命の原理原則とは真逆の方向へ向かっています。世界中が混迷を極める中、新たな時代のリーダーシップは政治にあるのではありません。学問の中にもありません。それはこの絶対不変の宇宙法則の中にあり、自らの尺度を手放し、大いなる仕組みの中に存在していることに目覚めた時、あなた自身の中に湧き出してくるものが次の時代の指針となるのです。

その時に大切なのは、土に近く生きること。なぜなら私たちは皆、大地の子どもだからです。大地は私たちの命の源であり、土と共に生きることは、私たちを生かすこの世界の大いなる存在 ——— 太陽や月や、宇宙の天体たちのサイクルで生きることなのです。それが地上を生きる生命の本来の姿であり、私たちの中に眠る真の生命力を呼び覚ますのです。

人間は、自我から生まれる欲望のまま破滅へと向かう愚かな存在にもなれば、その体験から学び、宇宙の仕組みを地上に顕し、天地一体の世界を表現する尊い存在ともなれるのです。今、このメッセージに出会ったあなた自身が、その意識に目覚め、この大いなるターニングポイントを機に歩み出すならば、文明の発祥以来追い求められながら実現されずにきた、人類の命題である理想郷への道が、開かれることでしょう。

 

 

 

 

 


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