いつもいっしょ

創設メンバーでファミリー最年長のえいこばあちゃんの、ある日の気付きを紹介します。

9月27日に行われた月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」は、200人を超えるお客様に来ていただき、大盛況でした。
当日えいこばあちゃんは買い物客にサービスの塩わかめを配ったり、釜戸の薪の火の管理をしたりで大忙し。終了後はとても疲れてしまって、いつもは夕飯を車で7分ほど離れた別宅で食べるのですが、その日は別宅に行かず、キッチンの外で気持ち良い風に当たってクールダウンしていました。
木の花ファミリーでは毎日夕食後子どもたちによる子どもミーティングが行われていて、大人たちも一緒に参加します。えいこばあちゃんは疲れていたのでミーティングに参加するかしないか迷いましたが、目の前に未処理の菊芋を見つけたので、その処理をすることにしました。

ゆいき
ゆいき

作業を始めてしばらく経った後、えいこばあちゃんのところに1歳のゆいきが無邪気な笑顔で現われました。
それを見たえいこばあちゃんは、「そうか。これはミーティングに参加しなさいということだな。」と思い直し、作業を止め、ゆいきを抱いて、ミーティングが行われている大ホールへ向かいました。ゆいきを膝の上に乗せて前方の子ども用の椅子に座ろうとしましたが、ゆいきが嫌がったので、ゆいきだけを椅子に残して自分は最後部の席に座りました。
普段えいこばあちゃんは別宅に行く為ミーティングには参加できないのですが、その日は子ども達の運動会の報告を楽しく聞くことができました。その時後ろから、メンバーのみきちゃんが肩を揉んでくれたそうです。

「私は疲れていたのに休まないで、余計な作業をしていたの。それを神様は見ていて、ゆいきにメッセージを託して、肩もみ付きの(笑)楽しい子どもミーティングに参加するようにしてくれた。胸がいっぱいになって、神様に感謝したよ。いつもいっしょにいるんだよ。」

慈愛に満ちた神様(天)からのメッセージは、いつでも誰にでも平等に届いています。それを受け取れるか受け取れないかは、各人の日々の姿勢次第。もう一度日常の自分の在り方を見直し、メッセージを受け取れる人でありたいですね。
  

元祖釜戸の番人、えいこばあちゃんと一緒に
元祖釜戸の番人、えいこばあちゃんと一緒に

  


毎日が天国

今日は、オフィスチームのまりねえがブログに初投稿です!

先月の「恵みいただきます」でサリーを纏い、皆と記念撮影するまり姉(右端)
先月の「恵みいただきます」でサリーを纏い、皆と記念撮影するまり姉(右端)

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昨日の朝、メンバーのともちゃんから、「伝える側に立っている」とか、「自意識が強い」「自己アピールしている」「自分目線」という私の癖を伝えられました。それらの言葉はその時の私にはとても応え、落ち込みました。それまでも自分の傲慢さが全く観えていなかった自分の実体を知り、立て直しをしていたつもりだったので、まだそんな自分であることにショックを受けたのです。ともちゃんの私を想って伝えてくれた善意を信じて受け取ろうとしましたが、「受け取らなければ・・・」という気持ちには無理がありました。

その後いろいろなメンバーとそのことについて話しているうちに、「あ~、そういうことなんだ!」と突然腑に落ち、すっきりしたのです。
要は、私は相手の都合より自分がしてほしいことを優先していたのだ。人の為に、はたをらくにするために、「傍楽(はたらく)」を意識していたはずなのに実際は逆のことをしている。そして、相手が自分の思うようにしてくれないことを不満に思っていたのにその自覚さえなかった。また、教師を長年していた私だから身についたのか、それとも元来の性質によるのか、「教えてあげよう」という気持ちが強く、それがたとえ善意であっても言われた人には押しつけや上から目線に感じるのだということに改めて気付いたのです。

これらのことは今までいろんな人が何度も伝えてくれていたことでした。それを思うと感謝があふれ、とても幸せな気持ちになりました。そして伝えてくれたメンバーやともちゃんに「ありがとう」という言葉を伝えハグしました。それまでともちゃんとの関係がぎくしゃくしていたのはこの喜びを神様が与えてくれる為だったのかもしれないと思うと、涙が出そうでした。(ほとんど、たぶん一度も?木の花で泣いたことのない私なので、「泣きそう」というところで止まっちゃいました・・)
それと同時に自分の課題が明確になって、「これで、また変われる!」と確信でき、光の方向が見えたようで嬉しかったのです。自分一人の変化であっても、全体を変化させることができるのだから、それを思うとますます楽しくなりました。課題なのだからそんなに簡単には乗り越えられないかもしれないけど、一歩一歩積み重ねていこうと思います。

ある日私が書いた「今日はとても実りの多い一日だった。そしてとても気持ちよく送れました。」という文章に対していさどんは、「本当は、毎日我々はそんな世界で暮らしているのです。」とコメントしてくれたのですが、それを最近よく実感します。不満を感じたり不幸だと感じるのは自分がそうしているだけで、本来は愛あふれる世界に私たちは暮らしているのです。それを思うと、感謝しかありません。
全ての人たちがそんな想いを持つことができれば、地球の問題事である戦争、飢餓を始め、異常気象でさえも全て解決するのだと思うのです。そして全ての人が生き生きと輝いて暮らすことができるのです。

最近何度も私が繰り返して読んでいる「いさどんブログ(全ては善への旅である)」をここで改めて紹介したいと思います。
「全ては善への旅である」

どんなに真理を得ようと思っても、どんなに真理を生み出そうと思っても、それを受ける器がなければ真理は降りてこない。真理への道は無限にあるが、そこに行く意思がなければ意味がない。道を語ろうと思っても、聞く者がいなければ語れない。信じる者は救われる。求める者に道は開かれる。歩む者に目的は現れる。
世界に痛みの伴う秩序があるのは、まっすぐ立つことへの指針である。道があっても目的地のない道は無意味である。曖昧な道を歩んでは目的地には到達しない。

世界に秩序があるのは目的地に人をいざなう為にある。秩序に溺れて漂う為に秩序があるのではない。世界の秩序を感じなさい。それはあなたを目的に導く道である。秩序が観えない者は目的地に行くことができない。秩序は世界の法である。秩序は世界のすべてに喜びを与える。世界は秩序の海である。秩序の中にあって内から自我を発する者は、法に反する者である。

内なる自我に捉われず、外の秩序に従うこと。内なる自我を取り去ることで内なる鏡が磨かれて、外の秩序が映し出される時、外の秩序が内の秩序になる。自我を捨てることではない。それは、自我を描くこと。そして自我の鏡に外なる秩序を映しなさい。そうすれば自我は消え、内なる秩序は無限の秩序となる。
世界には秩序が蔓延している。道があることを知らぬ者に道はない。道を歩まぬ者に道はない。道を求めぬ者に道はない。道を待つ者に道はない。道を観る者に道は観える。道を歩む者に道は開かれる。道を歩む者に目的は観える。この世界には秩序がある。

この秩序が観えるか?すべてを繋ぐ秩序。織物のように紡がれ、無限に連鎖する。連鎖とは繋がり。目的はひとつ。すべてはひとつであること。ひとつであることは区別がないこと。その元には善意、愛、調和。その姿は真、善、美。世界を紡いでいるのは善意。愛に基づいた善意。美に基づいた善意。それが真理。
世界に善を見いだせない者は内に濁りがある者。世界に悪を見る者は内に悪を持つ。世界の実相は善意。世界のすべてに善を観なさい。出来事は世界の真理、善を見るための情報。すべてに善を観ぬ者は内に悪を持つもの。すべてに善を観なさい。世界のどこにでも善を観なさい。

世界に善を観ない者は内なる悪を持つもの。汚れを取り去り、美しくしなさい。それを鏡としなさい。そして真理、善を内に映しなさい。その者は世界を照らす者。内なるものも外なるものも善を創るもの。この世界に悪などありはしない。悪があるとするならば、それは善への道しるべ、善を顕す為にある。すべては善の為にある。善という美であり、真理である。すべてに善を観なさい。

計る心に悪が生まれ、計る心に善が生まれ、計る心にすべてが生まれ、計らなければすべてが消える。

愚か者に悪が生まれ、光への旅に善が生まれ、光への旅に喜びが生まれ、光への旅に愛が生まれ、光への旅に調和が生まれ、光ヘの旅に真理が生まれる。

見えぬ者は内なる鏡の汚れに気づき、自らの盲目に気づきなさい。

真理を観る目を育てなさい。真理を観ようと努力しなさい。そして信じなさい。世界が善意で創られていることに目覚めなさい。愚かしいと思えることのすべては善の為にある。

すべては善への旅である。すべては善への旅である。すべては善への旅である。
すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。
すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。

その心が世界を美しくするのです。有難いことです。有難いほどの真理の元に、この世界の秩序がある。それに気づいたならば、どうして世界に不足など生まれましょうか。ただ有難いと思って生きるのみ。有難いことに気づいたならば、有難い神秘が世界に紐解かれ、有難いが現れる。
有難宇御在益。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 


61歳になったあいちゃんから、みんなへ

昨日、61歳の誕生日を迎えたあいちゃん。
木の花ファミリー創立以来、キッチンの要としていつもみんなにとびきり美味しいごはんを作ってきてくれたあいちゃんは、現在、くにちゃん、りょうちんと3人で、長野県の大町ビレッジを切り盛りしています。

そのあいちゃんから、昨日、みんなにメッセージが届きました。

あいちゃん

誕生日を迎えたあいちゃんから、みんなへ

木の花創立間もない頃
木の花創立間もない頃

ふる里にいる15年間は田舎生活で何も考えないで
ただ日々を送っている地味な少女でした。

15歳で名古屋に出て社会人として出発しましたが、
私はちなっぴーと違って自分の想いの方に行かない事が多かったと思います。

・まず、15歳でバレーボールをやるためカネボウに入社が決まっていたのに、親に反対され、うっとする方に就職。

合鴨の世話をするあいちゃん
合鴨の世話をするあいちゃん

・17歳でいさどんと初めて出会った時も、美しくてひかれる心と、あんなプレイボーイやだー!と思っていた矢先に出会いがあってうっとしたり。

・洋裁学校終了後はブティックをやりたいと想いがあったのに、いさどんと出会った事で愛する人の為に協力することになったインテリアショップ。

・幸せな結婚生活と思っていたのが、ゆきちゃんが現れ夫婦の危機が訪れ、もうこんなの嫌だと思って飛び出したら交通事故を起こしてしまったりと、色々な人生でした。

昨年から大町へ
昨年から大町へ

でも、いつも自分の想いとは違う方(うっとする方)に流れていた結果、今、私は最高のプラチナチケットを戴いています。

役割があるからこそ、こんな業の深い人間でも美しくなっていける見本になってゆくのだと思います。

60歳からは大町という場所を戴いて、あいこ、くにさん、りょうちん、一人一人の癖がよく見えてきました。自分の癖を観るいいチャンスを下さった事に感謝です。

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いさどんと一緒に

信じてとことんやり切る。
その時、肝心なのが謙虚さ。

何に対して謙虚なのかと言ったら、
天に対して謙虚でなくてはいけない。
自分が勝っていてはいけない。

色々な事を通して現象がおきて、
それを受けて天と共に生きていく。
天との共同作業なのですから、
外にある秩序を戴いていく者へと目覚め、
今はただフリーな状態にして役割に専念していきます。

そして、今、みんなと共に歩める事。幸せです。
これからもよろしく♡
 
あいこ♡
  

大町に、大輪の花を咲かせましょう ー
大町に、大輪の花を咲かせましょう ー

 


「これからも更に幸せになります」〜 ゆっこちゃんのケア滞在記

統合失調症の克服のために、木の花ファミリーの自然療法プログラム(通称ケア滞在)を受けにやって来たゆっこちゃん。わずか3週間の滞在で大きく変化し、30年にわたる心の病から開放されて、今月初めに卒業を果たした彼女が、自身の体験を振り返ったケア滞在記を書いてくれました。

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木の花ファミリー ケア滞在記(2014.7/1~8/3)

私は16歳の時に、母の突然の入院により生まれて初めて人生に不安を抱くこととなりました。これを機に自分の心を見つめるということができなくなり、心を健全に保つことができなくなりました。また、非社会的な経験を受けたことにより社会的な不安も重なり精神的な病である「統合失調症」となりました。

過去3回の入院による治療効果はなく、2014年4月24日に四たび入院することとなりました。投薬による治療でしたが、やはりこれも根本的な心の治療とはならず、以前訪問した「木の花ファミリー」の自然療法プログラムを受けることとなりました。

そして、治療開始から卒業まで約3週間という結果が出る体験をしました。

ここには生命が本来の好循環となるものがバランスよく揃っていました。そして今回ここに生活ごと身を置くことにより、30年にわたる心の病から健全な心へと変わることができた。正直、素直、信じるというここでの基本をもとに、人から学び頂くという心構えを実行することにより、願いがかなうこととなりました。

一番結果をもたらしたこととしては、過去の体験による心の悪習慣を日記に書くことより、自分を客観視し、いさどんのコメントや週一度の面談を通して、ものの見方、また自分の考え方が変化することとなり、そして、自らの手では得かねる、今までにない健全な良き好循環をもたらす習慣をいただくことにより、一瞬のうちに大きな変化をもたらすこととなりました。

私にここまで変化をもたらした、木の花ファミリーに揃っている、ケア滞在及び心磨きの環境を下記に示します。
1. 富士山の麓の大自然によりパワーをもらう。
2. 澄んだ空気を吸うことにより、爽快な気分になる。
3. 天然循環農法による野菜などの食事により健康を取り戻す。
4. 木造住居での生活による心の落ち着きを得る。
5. 心の触れ合いによる人間関係の充実。
6. サポート体制(ケアサポーターの力)の充実により心の安定を得る。
7. 大家族による多面的なアプローチ。
8. 子供たちの成長過程を見ながら学ぶ。
9. 大人ミーティングによる心磨きの実体験。
10. この世界の流れを知る木の花塾。

心を健全にするためには、更に以上の環境にプラスアルファー、私には以下のことが必要でした。
1. 執着してしまうことを手離し、次へと進む。
2. 周りからいただくの気持ちをよく理解し、そのまま実行する。
3. 人の気、横のつながりの中のみの世界から、天の気とのつながりをイメージし時の流れに流される感覚を得る。

自分自身の時の流れとタイミングが合い、あきらめない。目指しているところから目を離さない。意志を固く持つことが持続できたことが加わり、結果とつながりました。

プログラムを終えて、今現在、大きく変わった感覚は、やること成すこと、前とは観える範囲が広がったことと、人へ向ける心が変わって穏やかになったこと、毎日気持ちが楽になったことです。

心のゆがみとなるカルマの特徴をよく自覚し、これからの人生を共に歩む夫との心地よい調和を成す学びを得るために、夫とともにこれからも木の花ファミリーと関わっていきたいと思います。

いさどん始め、ケアサポーターのみほちゃん、そしてファミリーの皆さん
それぞれの心ある温かい愛に包まれ、最後まで同じ気持ちで同じ方向をめざして支えてくれた夫に、この場を借りて深く感謝の気持ちをお伝えします。

本当にありがとうございました。

この経験を大事に、これからも更に幸せになります。
  
  


さっちゃんのガンが小さくなりました!

昨年秋に乳ガンであることがわかり、ブログにもたびたび登場しているさっちゃんより、みなさんにご報告です!

先日植えたトマトの初収穫の実を手にするさっちゃん
自分で植えたトマトの初収穫の実を手にするさっちゃん

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カタカムナ勉強会の夜、トイレに入った時に胸のしこりを触ってみたら・・・・・ん?
あれ?!しこりがいつもより左に寄っているような・・・。ガンは右胸の乳首の両側に広がっていたはずなのに、乳首の右側のガンがなくなっている!

次の朝、またトイレでさわってみたら、やっぱり右側がない。夢ではなかった。
さっそく会う人会う人に報告しまくる。お風呂でも触ってもらって、片側がなくなってしまったことを確認してもらう。疑心暗鬼なもんだから、トイレにいくたびに確認。もしかしてもとに戻っていたりして・・・と確認するが、ない!大きさは以前の3分の2かな?

なんで小さくなったのかな。食養生はしっかりやっていないから、心かな。
ありがとうございます。ガンばらずに、やっていきますネ。

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トマトをガブリ!

ちなみにこのトマト、「アナスタシア」に教えてもらった方法でさっちゃんが播種をし、裸足で定植した病を癒やす力のあるトマトです。収穫に行ったら、こんなに立派な一番果(最初になった実)が根元に落ちていたのだとか。木が、自ら実を落としてくれたんですね。

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このトマトを、みんなもガブリ!

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おいしかった♪