2015年の「船出の年」を迎えて

皆様、明けましておめでとうございます。
木の花ファミリーのまりねえです。新年を迎え、今の想いをブログにしました。

2015年を私達は「船出の年」として、新たな年を迎えました。
そう私達はもう船出したのです。
それは私達が決めたことではなく天意であることを、この2日間の日常の生活でさえ感じるようになりました。年が明けただけで時間の流れは何も変わっていないはずなのに、明らかに何か新しい動きが始まっています。自分の意識の変化、周りの人達の変化、そして全体の変化を同時に感じます。それは一つにつながり、真円の曼荼羅の形となり世の中に示していく為のプロセスです。

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みっちゃんの想い 〜 老人ホームで働いて

新年明けましておめでとうございます!

今年最初の木の花ファミリーブログは、現在介護ヘルパーとして老人ホームで働いているみっちゃんが、新年を迎えるにあたって綴った今の想いをご紹介します。

爽やか笑顔のみっちゃん。同じく老人ホームで働くあっちゃんと一緒に。
爽やか笑顔のみっちゃん。同じく老人ホームで働くあっちゃんと一緒に。

 
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私は、木の花に来る前の今から12年前、実家の横浜で介護老人保健施設のデイサービスで働いていました。もともとお年寄りが好きだったことや、これから先、長く続けていく仕事として、福祉関係は自分に合っている気がして選んだ仕事でした。

デイサービスは、通所サービスともよばれ、それぞれの自宅に利用者さんを送り届けるのですが、その際に、家族の様子がよく分かりました。核家族が増え、家族の中だけでお年寄りを看るということは、難しくなっていることを実感しました。
また、仕事を続けていくうちに、いろいろな葛藤が生まれてきました。例えば、トイレの時間が決まっていて、トイレの前に並ばせることやお風呂場に並ばせること。リハビリと称して、機械を使って、もくもくと体を動かしていることなどです。

施設の中に温かさを求めていた私にとって、何か違う、物足りなさ、さびしさのようなものを感じていました。特に、リハビリについては、もっと、お年寄りに馴染みのあること、普段の生活の延長にあること、例えば、畑に出て、土をいじったり、作物を育てたりなど、結果としてリハビリになることがいいなと思っていました。
私自身、畑をやってみたい、作物を育ててみたいという思いがあったこともあって、一度仕事を辞めて、農家さんに1年でも研修させてもらおうと思い立ちました。そこで、全国の有機栽培で農業をしている農家さんを紹介している本から、その当時、研修先を募集していた“木の花農園”と出会ったのです。

12年前、当時創立メンバープラス3、4名の20名ぐらいだったと思います。血縁を超えて子供からお年寄りまで共に暮らす生活がすでにそこにありました。この生き方がとても大事だと直感しました。1泊でどんな所か見学に来た時、食事の時でも、畑でも、どこででも、皆が心の話し、この世のしくみの話をしてくれました。

“人は学ぶために生まれてきた。”
“土も水も空気も自分もみんなつながっていて一つなんだよ。”

“何のために人は、生きているのか。”
いつも不安や悩みを抱えていた私でしたが、“そうかー、やっぱり生きる目的があったんだ”と、自分のこれからの人生においてやるべきことが分かって、本当にうれしくなりました。

収穫隊として働くみっちゃん
収穫隊として働くみっちゃん

移住当初、私は、野菜の収穫を担当していましたが、ファミリーの知り合いの福祉関係の人材派遣をしている方の勧めで、福祉の仕事の経験を生かすことになり、ファミリーで暮らしながら、老人ホームで働く機会を頂きました。

その施設は、職員が一度に20人近く辞めてしまい、人手がなく、困っているということでした。
そこでの状況は、常に職員が足りない状態で、正職員の人達は当たり前に毎日の労働時間が3時間から5時間の残業をしていました。共に働く職員の様子をみると、ちょっとのことでいらいらしたり、集中力が切れてしまったりしていて、精神的ストレスを抱えていることを感じました。職員のストレスが、虐待にまで及んでしまっていても、人手が不足しているために、その職員を辞めさせられない現状もあるようでした。実際、お年寄りへの事故が多く起こっていました。
こういった状況を立て直そうと試みる人たちがいましたが、結局、経営者側が現場を知ろうとせず、状況が変わっていかないため、あきらめて、辞めていってしまうケースが多かったです。

人材が増えない理由は、上の立場の人が職員を大事にしないこと。人材を育てていくことより、利用者を増やすことばかりに意識がいっていることに問題があったと思います。結局は、お金儲けが優先されているように感じました。これから、高齢者は増え続け、施設も比例して増え続けるでしょう。でも、その中に暮らす人々や関わる人々の心の状態は、とても豊かで、幸せなものとは、言えません。今の施設が抱えている問題の現状をみせてもらっているなと感じました。  

現在私は、自宅から近くにある老人施設で働いています。
私が、最初に入った時の一番の驚きは、全室(部屋にもトイレにも)に鍵がかかっていて、さらにY字帯といって、車いすにしばりつけて拘束をされている人が5、6人はいたことです。夜間に、ベットに体を縛られている人も2人いました。
拘束をしていなくても、転びやすい人が椅子から立ち上がると、その度に座らせています。お年寄りがなぜそういった行動をするのか、その原因をみていません。ただ業務として相手と接すると、その人の心を分かることはできません。どういう心で接しているのか、お年寄りも敏感に感じているものです。
本当にその人にとって必要なことが何なのかを思う心が足りないのだから、ただ、もっと心を感じることを大切にしていけばいいのだと思います。それはお互いを思いあえる心です。皆の気持ちが同じ方向にむいていれば、いつでもベストな対処法が、どこからでも浮かんできます。

本来、施設はレクリエーションやリハビリなどを通して、お年寄りを活性化させる場でなければならないけれど、この施設では、職員の人員も少なく、意識も低く、そこまでのことが出来ていない現状です。食事の提供、入浴や排泄の介助といった生活において最低限のことだけで終わっています。1日の大半の時間は、テレビをボーっと見ているだけで、何もすることがなく時間をもてあましたまま過ぎていきます。 “こんな施設、すぐにでも出ていきたい”という言葉を何人もの人に聞きました。

でも、そんな場所に入れられてしまった自分がいる。今の自分の状況は、今まで自分が生きてきた結果です。だれのせいでもありません。

今、この施設で日々どんなことを感じながら生きているのか。その人に接してみると、その人の今までの生き様がみえてきます。
どんなにお金持ちで、苦労なく、ぜい沢に生きてきた人でも、人生を締めくくる最後の時に、自分がどんな状況を与えられているかをみると、自分の意思に反して施設に入れられ、孤独を感じている人も少なくないのです。
同じ場所に暮らしていても、その人の心次第で、有難い場所にもなれば、地獄の場所にもなってしまいます。全ては、自分の心が作り出している世界なのです。
だからこそ、年齢など関係なく、だれしもが、今を大事に生きることが大切なんだと感じています。今の自分の心のあり方が、確実に未来の自分を作っています。そのことさえ分かれば、だれでも、今からすぐに変わっていくことができると思います。

今ある老人施設は、当然、介護する側、される側という関係がありますが、その意識がそこにいい場をつくらない気がします。常に与える側、与えられる側ではなく、一人一人が、お互いに楽しい生活の場を作っていこうと思えば、豊かな場所になっていくのではないでしょうか。一方が与え続けることは、結局、対処療法になってしまうと思います。

“人生の最後をどんな風に生きたいのか。”
 お年寄りそれぞれに、思いがあり、話しをしてくれます。心の触れ合いと充実した価値ある生活を送ることを望んでいるのを強く感じます。
お年寄りの年の功で、周りに提供できることはたくさんあります。たとえ体が不自由でも、それを個性として、周りにお世話をする機会を与えてくれています。それは役割の違いだけだともいえます。
もっともっと生かしたいのです。外で働く機会をもらい、人が生かされていない現場を目の当たりにして、そのことを、より強く感じています。

“人の幸せって何だろう”と思います。
本来、人は働くこと、“はたを楽にすること”が生きることなのです。自分のためではなく、世の中のため、人のために貢献することで、心が満たされ、生きがいにつながります。

私自身、木の花に出会って、それを実践できる場所を頂いているからこそ、本当に心からそうだと思うのです。自分が、自分が、と自分の損得ばかり考えていたころは、本当に苦しかったです。何かを手に入れても、いつも空虚感がありました。
今は、自分のことを考えなくてもいい、楽な気持ち、自由を感じます。
これから先、いつまで生きるかも分からないけれど、老後に起きるかもしれない病気や災難などに対して、人は不安や心配に思うわけです。家族なのか、施設なのか分からないけれど、人に看てもらう、世話になることが前提にあっても、やはりお金の問題があります。お金が全てではないけれど、それを頼りにして、そのために仕事をしている人が多いと思います。
ストレス社会の中で、ストレスがあることが当たり前というけれど、実際に何にストレスを感じているのか、その原因は何なのか、自分の心のどこから来ているのか、そこまで考えが及んでいなかったり、その実態を分かっていても、それを解決しようというところに至っていないだけです。客観的に自分の心が見えれば、案外、何だそんなことだったのかと思うぐらいなことでもあると思います。

私は同じ職場で働いていても、ストレスなく、充実した毎日を過ごしています。
自分の感じた思いを正直に相手に伝え、問題事から自分の心を振り返る。そこから学ぶ意識を持つと、自分では、悪いことと思っていたことも、実は、いいことに変わっていく。本当に有難いことになっていく。
私がやっていくことは、日常の中で、そういった心の姿勢を表現していくことなんだと思っています。

血縁を超えた大家族の暮らし
老いも若きも共に暮らす大家族

私は、お年寄りだけで暮らす生活ではなく、いろんな世代の人が、調和の中で助け合って、共に生活することが自然なことと思っています。小さい子供がいて、青年がいて、おじいちゃんやおばあちゃんがいて、それは、血縁に限らず、血縁を超えても、実現できる家族なんです。不安や心配などいらない、安心の世界です。
「私の家族は、80人の血縁を超えた大家族だよ。皆で共に助け合いながら、たくさんのことを共有して、調和の中で暮らしているんだよ。喜びも100倍なんだよ。」とお年寄りに話をすると、興味深そうに、いろんな質問をされます。
「そんな天国のような所が、本当にあるのかね。信じられないよ。」とも言われました。
自分を忘れて、みんなの事を思い、みんなの為に生きること。誰の心の中にでもある真実に目覚めれば、だれもがつくれる場所なのです。
実際に、私が暮らしている木の花ファミリーは、それを実現している“菩薩の里”です。

高齢者の施設は、どんどん増えていっています。実際に高齢化が進むのですから、当然の流れでしょう。
ただ、私は、形をどうするのかではなく、もっと、そこに暮らす人々同士の心が豊かで、通じ合うような、そんな場所が広がっていったら、と思っています。
 
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今年もよろしくお願いします!
元旦のおせち料理を食べながら、血縁を超えた家族たちと一緒に

 


さっちゃんの、『乳がん』小さくなっていませんでた。。。ゴメンナサイ

昨年10月に乳ガンであることがわかって以来たびたびブログにて報告をしてきたさっちゃんより、遅ればせながら先日のガン検診のレポートをお届けします!

さっちゃんの人体実験はまだまだ続く!
落花生収穫中のさっちゃん

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ガンセンタ―の3ヶ月健診の日。
台風の影響で朝から強い雨が降っていて1度はキャンセルした予約でしたが、昼近くになり空が晴れてきたので、みんなに相談し受診することにしました。

途中、東名が通行止めだったので、アイフォンでナビしてもらいながら、慎重に車を運転していきました。
右の乳房の右半分のふくらみ(腫瘍)がなくなっていると確信していたので、今回は余裕の心持ちで、エコーの時も「フフン」「どうだ」「エッヘン」という感じでニコニコと笑顔を振りまき、本人は空気良いつもりで、今思うと、ガンの病人だらけの場所で、かなり空気の読めない私でした。

待ち時間も少なく、スムーズに診察室に入り、嬉々として先生に最近の様子を伝えました。そして、先生も当然驚いて、私の腫瘍の変化を喜んでくれるだろう♡と思っていたら、

先生「横ばいだね」
私 「えっ?・・・」
先生「横ばい。」
私 「・・・・」

「でも、確かにここの部分がなくなったんです。」と私が言うと先生は、「リンパの下にあってわかりにくい場合もある」「触診はあてにならない」「でも手術は希望していないだろうから次回は3か月後。目をつぶって様子を見る」と言って診察は終わりました。
(㊟先生は無愛想なだけで怒っているわけではありません。)

半年前は「時々自分でさわってみて、自分の感覚を信じて・・・」なんて言っていたのにナ・・・。でも、3ヶ月前より大きくなっていないなんて初めてのこと。すごいことだよね。若い人のガンは大きくなるのが早いというし・・・(と、47歳の私は若いつもりでいるのでした)と、自分を納得させながら、帰路についたのでした。

帰り道。もちろん東名は開通しているだろうと思って、東名入口に向かって車を走らせていると『通行止め』の案内が・・・。アイフォンでナビしてもらおうとしたら、充電が残り18%。ヤバイ。何とかわかるところまで充電もってください、と願いながら山道を走って、やっとい人気のある道に出てきたら、アイフォンの声がしなくなった。

通りがかりのおじさんに、「富士宮まで行きたいんですけど・・・」と聞くと、「この道で行きゃあすぐなんだけどなあ。でも曲がる所がわかりにくいからなあ・・・」「わかりやすい道でお願いします」と教わって、途中で右に曲がるんだったか、左に曲がるんだったか忘れてしまい、交通整理の人に聞く。今度は忘れないようにメモして走る。テンジン屋の向かいにファミマがあるから、そこを右・・・テンジン屋はあるけど、ファミマがないぞ・・・。
ラーメン屋の駐車場に入り、店員さんに道を教わる。テンジン屋は、もう一つ先のだった。大きい道に出て安心したが、かなりの渋滞。カタカムナを唱えながら、やっぱ私の心の癖はなかなか治らないし、まだまだ人の顔色を見て、当たり障りのないように毎日を過ごしているナ・・・と思うと、ガンの大きさも変わらないのも当たり前だナ・・・。そしていつもの私のパターンとして、自信満々で行動すると転ぶんだよナ・・・。これって、調子に乗って道を踏み外さないようにという神様のメッセージなんだな、と思うと、今ガンが大きくなっていないのは、私の努力というより、(もちろん私の多少の努力もあるだろうが)みんなのおかげだな、と思えてくる。

日も暮れてきて、夕飯時、あーあ、病院の待ち時間にアイフォンいじっていなければ、今頃はひまわりでおいしいご飯を食べているはずなのに・・・と思いながら車を走らせていると、ファミレスの前で親子連れや若い人達が入店を待っていて、以前なら、「食べたいナ」とか「なつかしいナ」とかの思いが出てきて、淋しくて悲しい気持ちになっていたのに、今夜はお腹が空いているはずなのにそんな気持ちは湧かず(満たされているんだね)早くみんなに会いたい気持でついついスピードをあげてしまうので、「あわてない、あわてない」と自分に言い聞かせながら帰ってきました。

ひまわりに着くと、「どうだった?」「大きさ変わらないって」「良かったね」と、何度か同じ言葉を交わした。みんなに小さくなったって言いまくっていたのに、誰も「小さくなってなかったじゃん」という人はいなかった。ここはいいところだな、と思った。
そう言えば、半年ぐらい前だったか亡くなった母が夢に出てきて、その夢の中で、お風呂につかりながら「ここはいいところだよ」って言っていたのを思い出した。そうだね。

眠い目をこすりながらこの原稿を書いていたらヤスエさんが「もう寝なさい」と声を掛けてくれたので寝る。
 
今日、あっちゃんに、私が木の花に戻ってきた時のことを話した。(私は17年前に木の花に入り、3年過ごした後出ていって、今から2年前に戻ってきました。㊟現在の木の花メンバーの中で出戻りは4人。その中でこまねちは3日で帰ってきました。)
15年前にここに来た時、私には「人の為に・・・」という気持ちは全くなかったが、ここで学ぶために生まれてきたという確信はあった。私は今までの一見自由な生活に未練を残しながら、ずっと「寒い、眠い、おなかがすいた」という3重苦の中にいたんだとあっちゃんに話すと、「さっちゃん、夢がかなったね。」とあっちゃん。ん・・・?
よく考えてみると、今の私は食養生(玄米生食)をやめ、食から自由になり、疲れていると周りが気遣ってくれる。(なかなか自分で気づかず、がんばっちゃうこともあるけど。)寒ければ暖まればいい。「寒い、眠い、おなかがすいた」は全部、思うことを正直に言えない自分が作りあげていた世界だった。
心が自由になり軽くなる。いさどんも、そうすることで1つ1つの花が咲くって言ってた・・・・と思う。(笑)

私のブログを読んだ友達に、「車の後ろのドアをあけて走るなんてたいしたことないじゃないのに、いろいろ考えるのは細かすぎじゃない?」と言われた。小さな出来事から自分の癖を発見することが大事って言ったら、「よくわからない」って。ここに来るといいヨと言ったら、来始めた。
ホント、細かくてストイック。そりゃあ外の人達に「あやしい」と言われても仕方ない・・・・っていうか、あやしい。(笑)
 
真理を求めて・・・
どこに行くんだかわからないけれど、そんな仲間達と一緒に学んで、泣いて、笑って・・・

 
次回、3か月後の検査結果はどう出るか?!
大きくなっても小さくなっても楽しみに♡ 心の旅は続きます。

ただ今、『本当に心でガンは治るのか?』人体実験中のさちよでした。
  

さっちゃんの人体実験はまだまだ続く!
さっちゃんの人体実験はまだまだ続く!

 
 


にんじんの畑から

今朝、にんじんの間引き作業に行ってきた。

にんじんが12㎝間隔になるように抜いていって、通路にも生えていたので抜こうとしたら、土が固くて抜けない。葉っぱをつかんで引っ張っるとそのまま葉っぱがブチッと切れそうだったので、隣りにいたこうちゃんに「抜けない」と言った。それでこうちゃんがやったら、するりと抜けた。
「コツがあるんだよ」とこうちゃん。「根っこの先まで自分の手になったみたいな感じで引っ張ると、抜ける。」
言われた通りにやってみたら、固い通路に生えているにんじんでも本当にするりするりと抜けた。
それから後は、抜けなくて困ることは一度もなかった。

にんじんとこうちゃん
にんじんとこうちゃん

先日ひとみちゃんがにんじん間引きに行った時に、畑のエネルギーがすごく気持ちいいのを感じて、畑隊の人たちがいかに愛を注いで育てているかが伝わってきて、こんな畑で作業をさせてもらってありがたいなと思った、と言っていた。

間引きを待つにんじんたち
間引きを待つにんじんたち

ひとみちゃんは、間引きされるにんじんを見ながら、「全体のために抜かれるなんて本望だろうな。自分も全体のために、例えば死んでも、ありがたいな」と思ったのだそうだ。それまで、心のどこかに死に対する恐怖の影のようなものがあるのを感じていたけれど、その時はさわやかに自然に「本望だな」と思えて、自分でも驚いたのだそうだ。
「やさしい心で育てられたやさしいにんじんの波動が、そんなふうにわたしをさせたのだと思って、さらにありがたく思った」と。

木の花ファミリーは今年から、「天然循環法」で作物を育て始めた。私は畑隊ではないけれど、時々畑へ手伝いに来ると、畑が変わったことを感じる。ほんとうに心地よくて、ずっといたくなる。
物理的な手法は、これまでの自然農法とそれほど変わらないのかもしれない。でも確実に、人の心が変わった。いや正確に言うと、変わっている最中、ということかな。

先日、紀伊半島に出掛けて外食が続いた後に、木の花から届いたお米と野菜を食べたらすごくおいしかった。何かすごくインパクトがあるわけじゃないけど、一つひとつの味がやさしくて、体にじわーんとしみわたる感じ。野菜サラダが残ったので翌日に食べたら、切り刻まれて1日経った野菜だというのに、やっぱりおいしかった。

こうちゃんは畑を“清楚”と表現した
こうちゃんはこの畑を“清楚”と表現した

天然循環法を一言で表すとしたら「いのち」だと、こうちゃんは言う。人が余分な想いをかけることなく、自然界の奥にある生命のみなもとの「響き」へと還すことで、美しく生命力あふれる作物が育っていく。「自然=自我の然るべき状態」から「天然=天の然るべき状態」へと還る。
当初私たちはこれを「天然循環農法」と呼んでいたのだけれど、これは「農」の世界だけのことではなく、人間の生き方、この世界の在り方そのものを表しているね、ということで、「農」をとって「天然循環法」と呼ぶようになった。数か月後には、また変わっているかもしれない(笑)。
 
まったく肥料をあげていなくても、ほんとうにすくすくと伸びやかな、美しいにんじんが育っている。毎日いろいろと忙しいけれど、やっぱり畑に行きたくなっちゃうのです。

間引きされたにんじん。すごくいいにおい。
間引きされたにんじん。すごくいいにおい。

  


さっちゃんの「またグルグルしていました」

ただ今乳がんとのお付き合い人体実験中のさっちゃんより、久々の近況報告です!
 
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夜の大人ミーティングで、誰かが何か失敗をしてみんなが反省モードになり、シーンとしてしまうことが続いていた。いさどんもお小言を言っているようでいやになると言ってミーティングに出ないという状態。情けない。なのに相変わらず寝ている人がいる。(以前は私も寝ていましたが・・・)
自分が変わらないと!と思い、「ありえへんこと」をやろう!と、ウェルカムコンサートの司会をかって出ました。

夜中にしこしことあんちょこを書いてドキドキでした。

コンサートの前にともちゃんから、「緊張しないでいつも通りでいいんだよ」と言われ、「うん」と言いながらも緊張しまくりで、ゲストの方に二回も自己紹介をお願いしてしまったりと、私のバタバタ感がにじみ出たコンサートとなり、楽団や子ども達が一生懸命歌の練習をしていた苦労も水の泡でした。
「最初からうまくできる人はいないよ」と慰められ、「くじけないぞ」と思っていたけど、夜のミーティングで「お客様にとっては一度きりのコンサートかもしれないのに台無しにした。司会には向き不向きがある」と言われ、私の「ありえへんこと」はあえなく自爆となりました。

それでも「みんなのためにやっていくぞ!」と切り替えたつもりで朝早くから畑に出て、夜はご飯も食べずに、ミーティングにも出ずに寝てしまう日々。そしてとうとう車のトランク(と言っても軽自動車だからそのまま荷物も落ちかねない)を開けたまま、気付かずに道路を走行。私ってやっぱダメ人間。
ともちゃんに「さっちゃんはカタカムナを唱えてゴキゲンでいればいいって言われて『そんなカンタンなことでいいんだ』って喜んでいたけど、本当はそれじゃあいやなんじゃない?」と言われ、ズキッ。「うばすて山になっちゃうよ~(泣)」(㊟もっと大活躍したいのに必要ないと捨てられちゃうという被害妄想です。)ババ達に「また泣いてるヨ」とあきれられ、私は風邪でダウン。「帰っていいヨ」と言われても、みんなと一緒にいたいとウロウロ。みんなのご機嫌取りしていたらとしちゃんに「まだいるヨ」と言われ、後ろ髪を引かれつつ帰っていきました。

体中の痛みと鼻水と咳で一晩中苦しんで、朝、でこちゃんが「ぐるぐるしてる?」って部屋を覗いてくれたらまた涙・・・「そんなのはキライだよ」ってでこちゃんは出ていったけど、また部屋に来て「何か食べる?」と聞いてくれた。「いらない」と私。「そんなんじゃ元気にならないヨ」と言われ、「やっぱ食べる」と私。「おにぎり玄米と酵素玄米、どっちがいい?」「両方」(笑)お昼に届けられたおにぎりのおいしかったこと。

こんなことしてちゃいけないぞ!と思い、何か気持ちを切り替えられるものはないかと探したら、みかちゃんの癌の話(そこにはできの悪いみかちゃんに対するいさどんの大きな愛が書いてあった)と私の「乳がんをいただいて」の記事のプリントがあった。
読んでみたら、「そうか、そうか。私はいいかっこしいだったから人生負け続きだったんだ!」ということを思い出した。木の花でみんなの中で守られてきたから、がんも小さくなって物事が良い方向に進んでいたけど、まだまだプライドが高くて失敗するのが怖かった。がんは小さくなってもなかなか性格は治らないんだね。

そして、ようこちゃんの「ありえない出来事から自分を知り学ぶ」という話を最後に読んだ。
私は私以上に私の癖を知っている人達の中で「無理しないでいいヨ」って守られているんだナと気付いた。こうちゃんも私がトランクを開けっ放しで走った日の私の後ろ姿を見て、「疲れてるナと感じた」と言っていたと、としちゃんが教えてくれた。

私も、木の花の船の乗組員として、必要とされている。

もう「私なんて」って言わない?ようこちゃんのように瞬時に切り替えできるだろうか・・・また不安になった。
そしたらこの間頭の中がグルグルしていた時、ようこちゃんに「さっちゃん、よろしくネ!」と言われ、「こんな私に何をよろしくなの?」と訊いたら、「一人分をよろしくネ!」と言われ、ほっとしたことを思い出した。

それから重い体を押して、シャワーを浴びてひまわりへ戻ると
「さっちゃん、お帰り~」「グルグルしてたって?」
「うん」
私のことをよくわかっている人達。そして無邪気な子ども達。

夜のミーティングでは、いさどんの「天然循環療法プログラム」(自然療法プログラムがさらに進化したもの)のプレゼンを聞いた。「病は気から」・・・
そう言えば風邪で胸があんなに苦しくて鼻水がダラダラだったのに、治ってる。
ここは心の湯治場だね!!

次はカタカムナ勉強会。そしてがんセンターでエコー検査の日。乳がんと診断されてまる1年になります。
はてさて、本当に心でがんが治るのか?ただ今人体実験中のさちよでした。
 

さっちゃんの人体実験はまだまだ続きます!
さっちゃんの人体実験はまだまだ続きます!