みのるん物語1 〜 チャンスのヒビキ♪

木の花ファミリーの自然療法プログラム(通称ケア滞在)では、滞在者は定期的にケアのメインサポーターであるいさどんと面談をします。今月ケアを卒業したみのるんといさどんとのやり取りは、その都度「いさどんのいただきます人生ブログ」にて公開されていましたが、改めてその全容をお伝えします。日に日にアトピーが良くなっていったみのるんの歩みを、どうぞご覧ください!
 
■     ■     ■
 

昨日から、
自然療法プログラムをスタートしたみのるん。

面談の際、いさどんから、
「アトピーになるあなたの中には、
アトピーになる細胞のヒビキがあるのです。
そのヒビキをアトピーではないものにしていくことが大切ですね」と
伝えられたみのるんだが、
「そうですね。
ただ、自分ではどうしたらいいのかわからないのですが・・・。」

そこで、
いさどんはこう語った。
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

たとえば、
うつ病の人はうつ病のヒビキを持っています。

がんの人はがんのヒビキを持っています。

最近、きょうこちゃんが子宮頸がんを持っていることがわかったのですが、
僕は前から
「あの人はあやしいな~」と思っていました。

それで、
「お医者さんへ行ってきたらいいよ」と伝えていたのですが、
そのときはまだ、
「今はグレーですね」と言われていたらしいのです。

そして最近になってから、
きょうこちゃんがまた具合が良くないと言っていたので、
「お医者さんに行っておいで」と伝えたら、
早速お医者さんのところに行ったきょうこちゃんは、
ステージの3か4だと伝えられたのです。

でも、
きょうこちゃんの心には覚悟がないから、
きっと自分ががんだと聞いたら、
それこそ、が~ん!!!となって、
「わたしは死ぬのかしら?」と思うだろうと
僕は思ったのです。

僕ならば、
「これはチャンス!!」と思って、
「よーーし!!切らずにこのまま行ってみよう!!!」となったら、
がんのほうが、
「そんな人のところにいたくないよ!!」となって、
いなくなったりしてね♪

それで僕は、
「きょうこちゃん、あなたは覚悟がないから、
切ってしまいなよ」と伝えました。

最初、
きょうこちゃんは臆病になっていたので、
「切ってしまおう」と思っていたようでした。

だから僕は、
「それでいいんじゃない?
別に気にすることはないよ。
あなたらしいのだから、いいと思うよ」と伝えたのです。

でも、
そこからきょうこちゃんはいろいろと考えたようで、
「やっぱりそんなことではいけない」と思ったようでした。

それは何かというと、
自分ががんを増殖させる性質を持っているのに、
そのままにして
ただ切ってしまったら、
それでは意味がない、と。

それで、
本人の決断としては、
「わたしは切らないでいきます。
なぜ自分ががんをいただいたのかと自分を振り返ってみたら、
それはがんになるだろう、と思う」と言うのです。

僕は前から、
「あなたはへそ曲がりだね~」と伝えていたし、
がんになってからは、
「あなたはがんになってふさわしいね~
だから、自分を変えなよ」と伝えてきたのですが、
最近まできょうこちゃんはなかなか自分を変えませんでした。

もし、
自分のこころががんを作る性質だとしたら、
人生にとって最大のチャンスなのですよ!

お医者さんに切ってもらったら、
がんを作る性質を持って
死んでいくのです。

僕が笑ってしまったのは、
きょうこちゃんはがんになった途端に、
「わたしは死ぬかもしれないと思った」と言うのです!

それって、
すごくおかしな話じゃないですか??

「あなたはがんにならなければ、
死なないと思っていたの??
そこがすごいね!!!」と伝えたのですが、
人は必ず死ぬのです。

僕は、
いつでも死を意識しながら、
今を真剣に生きていますし、
死ぬために日々を生きているのです。

ところがきょうこちゃんは、
「がんになって初めて、死ぬかもしれないと思った」と言うのです!

本当のことを言うと、
ここが少しまぬけなところなんですよね。

でも、
物事にはこういった捉え方があるのです。

あなたのアトピーは、
あなたのこれまでの経緯や今のあなたの表情からすると、
心因性のものです。

ストレス性と言ってもいいですね。

ストレスは、
会社に行って会社の業務がどうだとか、
ブラック企業だからどうだとか、
とかく人は環境のことをいろいろ言いますが、
そういった環境に縁があったのも、
そこに居続けるのも、
そこでそういう人間関係を作り出すのも、
すべて自分が原因になっているのです。

そこで、
あなたが本当に、
自分がアトピー体質を持っていることを納得したときに、
アトピー体質は消えていくのです。

でも、
今のあなたは「どうしたらいいのかわからない」と言っていますね。

わからないということは、
自分の中にまだその性質があって、
アトピーのヒビキを作り続けているということなのです。

だから、
その性質がある限り、
外で仕事をガンガンやっていてもそれがストレスになりますし、
仕事をしないで家でブラブラしてもストレスになりますし、
良いお嫁さんがいて一生懸命世話をしてくれても、
それがストレスになるのです。

口では「ありがたい」とは言うものの、
「俺ってこんなことでいいのだろうか?」ということになるわけです。

それはすべて、
自らの性質が作っているのです。

これは、
生まれもっての性質であり、
いつもサングラスをかけているようなものですから、
サングラスをはずさないことには、
そのサングラスの色から離れて
ものを観ることはできないのです。
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

そこで、
みのるんはすかさず、
「それをするためには、
どうしたらいいのでしょうか?
こころ磨きですか??」
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

こころ磨きというのは、
木の花用語ですが、
それしかないですね。

それはなにも、
木の花のためにあるのではなく、
生きているということは、
いわば、自らを知る旅をしているのです。

そうすると、
生きていると何が起きるのかというと、
生きるということは、
自分自身の性質がこの世界に放たれるのです。

いろいろな出会いによって、
あなたの人間性が
外へ放たれるのです。

そうすると、
この世界は鏡ですから、
それが返ってくるわけです。

そして、
それに対してあなたが反応し、
また返ってくるのです。

そのやりとりによって、
この世界はできています。

そうすると、
返ってくるということは、
アトピーであっても、
あなたの中にその性質があるのです。

出会う人も、
あなたが出会うべきして出会っているのです。

それをよく理解するということは、
自らを知るということです。

自分が先に何を発しているかによって、
何が返ってくるのかが決まるのですから。

こころ磨きとは、
そういったことを言うのです。

たとえば今、
あなたはアトピーというテーマをいただいているのだとしたら、
「アトピーはまさしく自分から発していた!」と気付き、
発していたアトピー的性質は、
どういうところで、
どんなふうに微妙に巧妙に発していたのかを知ることが大切です。

そして、
同じ場面が毎日いろいろなところで来るのです。

そのときに、
それをやらないようにしていくのです。

それが、
こころ磨きです。

そうすれば、
おのずと種は蒔かないので、
ある程度の期間のうちに
アトピー的体質は消えていきます。

アトピーであっても、
これはある意味精神病なのです。

それがうつになるのか、
もっと複雑な統合失調症のようなものになるのか、
精神的な病はいろいろありますが、
それがアトピーとして体に出ただけのことで、
これは同じことなのです。

最後にひとつお伝えしたいことがあります。

あなたは、
自分に対して興味が強いので、
狭い世界を生きています。

そういう意味では、
今回アトピーをいただくことによって、
自分の世界を広げるチャンスでもあるのです!

考えてみたら、
良いチャンスですよね。

今のあなたはお尻に火がついて、
このままほっておけない状態になっているのですから、
これはある意味追い風なのですよ♪
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

いさどんが発するチャンスのヒビキを感受し、
自然療法プログラムをスタートさせたみのるん。

これから、
みのるんの中に
みのるん本来のヒビキが目覚めていくことを願って。
 
 
 


みのるんのケア滞在記

今月21日に、木の花の自然療法プログラム(通称ケア)を卒業したみのるん。25日の木の花夏祭りに参加するため、奥さんと一緒に再び木の花を訪れ、その夜の大人ミーティングでファミリー宛に書いた手紙を読んでくれました。以下に、その手紙をご紹介します!

■     ■     ■

6月2日より、7月21日まで、アトピー性皮膚炎の治療のため、50日間木の花ファミリーに滞在させていただきました。
私は今、県立図書館でこの滞在記を書いています。家にクーラーがないので避難しています(汗)。本当に皆さんのおかげで、病気になる前にも通っていたこの図書館に戻ってくることもできるようになりました。

朝どりグリーンピースを使った恵みいただきますの料理
朝どりグリーンピースを使った恵みいただきますの料理

私が、初めて木の花を訪れた日は、「恵みいただきます」の日でした。グリーンピースをその日の早朝に採ってきたという皆さんに出会い、その味と雰囲気に驚かされ、想像以上のもてなしと空間に圧倒されたのを思い出します。

木の花に来る前は、ブログや、宇宙おじさんの動画など、インターネットを通して木の花のことを色々知るにつれ、不思議と惹かれていく自分がいました。あわちゃん、よしてる君、マコトさんを見た時は、ネットでみた人!とちょっと興奮していました。いさどんと初めてお会いした時は、伝説の偉人に会うような気持ちでした。

面談では、「あなたの病気の原因は心因性のもの」と伝えられ、物理的な要因が原因と思っていた私はちょっと戸惑いました、しかし、なんとか身体を治したいと思い、木の花でのケア滞在をお願いしました。

妻の介護なくしては生活がままならなかった最初。木の花にきても、自分の最低限のことをするのにとても気力を要しました。体温調整や食欲調整、睡眠リズムなど、人としては当たりまえの調整機構が破綻していました。服をタンスから出すことも、しまうことも、動く度に、身体中に痛みと痒みが伴い、それに耐えるのに、毎日が大変でした。
しかし、そうやって動くことで自分の回復度合いが把握できると共に、生活のリズムを取り戻していったように思います。ストレスの調整もできず、暴食している自分もいましたが、メンバーの皆さんの計らいもあってコントロール出来るようになりました。

毎日出させてもらった大人会議。こんなに真剣に話し合い、自分を出し合って議論する世界があるのだと驚かされました。真剣さの底には、優しさも感じられ、それが木の花全体を癒しの空間にしているように感じました。その空間が私を癒してくれたようにも思います。
そんな会議に、私の日記をシェアさせてもらう機会が与えられ、恐々としながら発表させていただきました。「正直、素直、信じる」をテーマに書き始めた日記。しかし、いつしか聞く人を意識した内容になっていたり、何が正直なのかがわからなくなっていたり、人の言っている言葉と自分の言葉が混同していたりなど、自分一人では気づけなかった、自分だと思っていた「自分なり」の世界を見つけることができました。
今でも卒業の合格点をもらえたようには思いません。毎日が真剣勝負で、これからも心を磨く必要性を感じることができました。

ケア滞在を始めたばかりのみのるん
ケア滞在を始めたばかりの頃

有難いことに私の身体は日を追うごとにどんどん回復していきました。それは、皆さんから何気なく、いつも声をかけて下さったことや、真剣に心を話し合える瞬間瞬間のエネルギー、また、面談で自分の姿を教えて頂いたお蔭だと思います。
木の花の皆さんが朝から晩まで働いて作った、汗と努力の本物の作物や料理のお蔭です。木の花ファミリーの皆さんがケア滞在という形で作ってくださった受け皿のお蔭で、私は回復することが出来ました。

卒業式のみのるん ー 奥さんも泣いています
卒業式のみのるん ー 奥さんも泣いています

私は、傲慢ですが、なんとか自分の思いで自分の力で生きようとしました。でも壊れていく自分の身体と精神に、何もできませんでした。徹底的に打ちのめされました。仕事も、夢も、努力したと思っていたことも、全部手放さざるを得ませんでした。
木の花ファミリーの皆さんが教えて下さったことは、言葉で表せないこともあります。

自分達は生かされている
助け合って生きる精神的、物理的豊かさ
競争を手放した生き方
誰かの為、大切な思いのために働くということ
客観的に自分を見て、自らと向き合う生き方
他者の喜びを、自らの喜びとする生き方

朝早くから夜遅くまで、疲れた様子も見せず、田んぼ隊で働くサポーターのまことさん
嫌な顔一つせず、夜遅くまで相談に乗っていただきありがとうございました。

炎天下の中、もくもくと働いて食べ物を作って下さった収穫隊、田んぼ隊、畑隊の皆さん
朝早くから夜遅くまで心を込めて日々の食事を作って下さったキッチンの皆さん
木の花の住まいと身辺のお世話をして下さったひまわりの皆さん
木の花の運営、事務、管理、情報提供をして下さった事務の皆さん
音の波動で心も体も癒して下さった、木の花楽団の皆さん
いつも明るい雰囲気を作ってくれた木の花の子供達
心のケア、木の花の柱と精神を作って下さった、いさどん、陽子さん

皆さんが本当にいつも温かく接して下さり、ありがたかったです。
皆さんとの出会い、この恵みに、心から感謝いたします。
ありがとうございました。
身体にこたえる猛暑が続きますが、どうぞ夏バテなどされませんように。
また皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

みのるん

 

6月の恵みいただきます終了後、みんなで記念撮影
6月の恵みいただきます終了後、ファミリーみんなといっしょに

 

 


ミノナライ

日本には、「見習い」という言葉がある。
これはとても意味が深い言葉だ。

この言葉は、カタカムナで言う「ミノナライ」から来ている。
くり返し、くり返し、行を重ねて、細胞にしみこむまで
身につけていくことを言う。
その中から、正しい方向性をつかむ「直観」が磨かれていく。

熟練した職人についた弟子は
見習い期間のうちに、師匠の一挙手一投足を真剣に観察し、
師匠の技を学び取っていく。

日本には「一を聞いて十を知る」
という言葉がある。

それは
師匠に説明してもらって分かるのではなく
相手の心や、言わんとすることを読み取り
これからすることの気配を感じ取ったり
技をみて盗んでいくということ。

瞬間、瞬間が真剣勝負なのだ。

いさどんが畑に出ていた頃
畑作業の現場は、まさにこういう「ミノナライ」の日々だった。

いさどんは、
少なくともメンバーと一緒に仕事をするときには
多くの説明をしなかった。

いさどんの手元をするものは
いさどんが、これからしようとすることを
全神経を傾けて読み取る必要があるし
次に自分で出来るよう
真剣に学び取って、身につけていく必要がある。

その動きを真剣に見なければ
適切な行動を取ることは出来ない。

余りにも勘が鈍いものは
仕事拒否をされることもあった。
私も仕事拒否をされたことがある。

ある日のこと、畑でいさどんと作業をしているときに、
いさどんがして欲しいことが分からずに
「もうだめだ」と投げだそうとしたことがあった。

そのときにいさどんから
「そこでそうなるからダメなんだ」と言われ、
それもそうだと思い、気を取り直して作業を続けたということがある。

人は勝手に自分で限界を設定し
それを超えられないものにしているが
自ら設定した限界は、超えることが出来るのだ。

又こういうこともある。
いさどんのために配慮として取った行動に対して
後で「無駄なことだ」とか「嬉しくない」言われることがある。

ある日の畑で、私が取った行動は
不安をベースに考えた結果だったので、直感が働いておらず
的外れの行動になってしまったのだ。
そのためにぐるぐる回した思考も、取った行動も無駄なことだった。

「先を読む」「言われてからやるのでは価値がない。」
ということも、いさどんはよく言う。
自ら先を読むことが求められるのだが、
自分の思考にはまりこんだ状態では
相手の心や物事の流れを感じ取ることは出来ない。

心に曇りがある人間は、知らず知らず、日々的外れなことをしている。
その的外れを、作業の現場で教えられる日々だった。

今でも、いさどんと会話すると「何故そう思うのか?」と、
何気ない会話の中で問われ、答えられなくなることがある。
安易な思考と、安易な言葉遣い、そして安易な行動というように
物事はどんどん安易な方向へ流れていく。
そういう安易さをいさどんは見逃さない。

こんなふうに、心を細かく見られたらたまらない
と思う人もいるだろう。
世間だったら、人によっては、いさどんのことを「なんて横暴な人」
という判断を下す人もいるかもしれない。

けれども、安易な思考をし、言葉を発し、行動をとり続けてきた結果
人は、自分の人生を行き詰まらせる。
そして、そういった人がたくさんいることの延長に
地球上には山積みの問題が展開されている。
殆どの人が、それが自分たちの安易な思考と言葉と行動の結果とは思っていない。

もともと日本には
師匠に弟子入りしてそのそばにいて、聞いておぼえるのではなく
自ら読み取って身につけていくという鍛錬の方法がある。

ある雑誌の記事に、カナダ人の落語家「桂三輝」のことが載っていた。
彼は、桂三枝の創作落語を見てそれに惚れ、弟子入りしたという。

「三年の修行期間中、師匠の部屋やトイレを掃除しながら
朝から晩までべったりついて芸を盗みます。

落語の修行は非常に大事。人間が変わると思う。
師匠が言わなくても、「今コーヒーがのみたいのかな」と気付かないといけない。
「コーヒー入れて」という言葉を待っていたらアウトで、
言葉のないところを探さなくてはなりません。

そうして修行が終わって、師匠の空気を読めるようになったら、
落語をやるときにお客様の空気も読むことができるという考えかたなんです。」

この記事を読んだときに、
「いさどんのそばにいる人たちがしていることは、まさにこういうことだ。」
と思った。

「自分というものをわきに置いて、まず相手のために行動する。」
いさどんが、私たちにいつも言う言葉。

いさどんはそうやって、周りにいる人の心をつくっている。
細胞一つ一つに染み渡るように、
そしてエゴが削ぎ落とされるように
身をもって示し、良心に語り続け
根気強く私たちを導いてきた。

かつて私は、世界の平和を思って世界平和の祈りをしていた。
けれども、木の花へ来て、みんなで暮らしてみると、
実際の生活の中で、自分の事ばかり考えていることが徐々に見えていった。
こんなに自分優先で生きていたのかと思い知る日々だった。

自分優先で物事を進めようとすると必ず滞りが起こる。
自分をおいて他者の為に動く、それを働く(ハタラク)というが
こういったことを、実践するよう「ミノナライ」の手法で
全細胞に染み渡るよう、日々育まれていたのだ。

その先に何があるのかというと、
一人一人が直観で物事を受け取る様になると
議論したり、細かい段取りをしなくても
物事がスムーズに運んでいく世界が展開する。
それが木の花の合い言葉「阿吽」なのだ。

スポーツの世界を見ても
日本では「柔道」「剣道」というように「道」がつく
こうした「道」と名がつくものは、「練習」ではなく「稽古」を積むという。
6月のカタカムナ研究会で、はが兄がこのことについて語った。
稽古(ケイコ)とは、練習とは違い、一瞬一瞬が真剣勝負なのだという。

「ミチ」をカタカムナの短音で解くと
身(ミ)にカムミ(ミ)が持続(チ)すること。

カタカムナ人は、
「ヒ」から始まり、
「フ」で震え、陰陽「フタツ」に別れたものが、
「ミ」で満(ミ)つってエネルギーとして中身(ミ)が充満し
「ミ」から始まり「ミヨイムナヤコト」と発展していく経緯をミチと言った。
これを学んだ中国人は「ミチ」という言葉に
「道」という字を当てたのである。

また、「ケイコ」を短音の思念でひもとくと
相手の位置(イ)の気配(ケ)を心で感じ取るまで、
くり返し(コ)そして超えて(コ)ゆく事。

「ミノナライ」とはまさにそのことで
日々の一瞬一瞬が真剣勝負なのだ。
その積み重ねの中で、自分というものを超えていって
ついには、
神業を会得するところまで人は行くことが出来る。

いさどんのいただきます人生ブログ「疫病神も逃げていくヒビキ」には
次のようなことが書かれている。
 
   ◇ー◇ー◇ー◇ー◇

あなたの癖は、「自分なりに」ということ。
でも、その「自分なり」を超えないと、新たな自分は生まれてこない。

人というものは、
自分なり以上のものを求められると、苦痛に思うものなんだよ。

しかし、自分なりに生きてきた結果、
たとえばそれが良いことならそのまま進めばいいのだけど、
そこに何か問題事があるとしたならば、
それは自分なりに生きてきたからなんだよ。

ということは、
その「自分なり」を変えることが、次のステージに進むことになる。

地球は、
変化・変容・変態を繰り返しているのだから、
「自分なり」なんて、
そんな固定された状態はないんだよ。

しかし、
そういったことを客観的に捉えられていないから、
自分なりに、
自分にとって心地の良い状態を常に保とうとするんだよ。

    ◇ー◇ー◇ー◇ー◇
 
「自分なり」という言葉を人はよく使う。

「自分なりにやってみます」
「自分なりに頑張ります」

日々身に起こる「自分なり」に対する答えである現象が
多くの場合、問題となって発生し、人は悩み、苦しんでいる。

いさどんが生活の中で「ミノナライ」として私たちに伝え続けているのが
この独りよがりの「自分なり」を超える術なのだ。

カタカムナでは、「ミノナライ」の結果、心の波動量が上がっていく。
それが、天の心、つまり「カムミ」を感受できるよう、
直観を鍛錬するという道なのだ。

直観を鍛錬する方法として、
木の花では日々の生活の中で、
まず自分をおいてみんなのために「ハタラク」
というケイコを積んでいる。

先に神技を会得している師匠について
いずれは自らがその域に達するのが
かつての日本の職人の世界だった。

今は、そういった師匠について
ミノナライの体験を積むのではなく
誰もがインスタントに出来るように、
均一なマニュアルに沿って仕事をするという風潮がある。

マニュアル主義は、現場で起こる様々な出来事に
臨機応変に対応できないという現象を産んでいる。
それは、直観が働いていないということだ。
そんなことが、今、いろんな現場で起こっている。

医療の現場、教育の現場、様々な生産の現場 ・・・ 等々

「自分なり」というひとりよがりや
考えずに済む「マニュアル主義」を超えるには
一人一人が真剣に天に語りかけ
真剣にその場に向かうことが始まりだと思う。

その事をやり続ければ
それは細胞に染み渡っていく。
細胞に染み渡った学びは
いつか時が満ちて、その人の個性となって花開く。
そうして、必ずその場にふさわしい答えを出せるものになる。

だから、日常の一コマ一コマを宝石のように大切に、
自分のためではなく、周りのために生きる。

いさどんが、みんなに伝えてきた大切なことが
カタカムナの学びと共に
ああ、あの時のあれがそうだったのかと、
一つ一つ甦ってくるのです。
 
 
 


7月カタカムナ研究会レポート

今月も大盛り上がりのカタカムナ研究会
毎度おなじみオブザーバーのあわちゃんからのリポートをお届けします!
 
■    ■    ■
 
昨日今日と、カタカムナ研究会に参加させていただきました♪
お陰様で、とても楽しいワクワクした時間を過ごすことができました。

それにしてもカタカムナは深い。そして、ここ木の花ファミリーでの研究会には無限の可能性を感じて、これからどうなっていくのか更に楽しみになりました^^

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木の花ファミリーでは、先週末に「宇宙おじさんの人生講座2:人生地図を読む」という、宇宙規模の壮大なスケールから今の時代や個人の人生や性格を紐解く講座が開催され、その流れを汲むようにこの2日間のカタカムナ研究会も進み、話題も多岐に渡りました。
 
いさどんの開会の挨拶では、自分自身を知るツールとして木の花にある「カルマ読み」、数年前にやってきた「地球暦」、そして「カタカムナ」との出会いに大きな意味の流れがあること。また、木の花ではこのツール類を使い社会で病んでいる人達を健全にしている活動を行っている話も出てきて、単なる机上の空論で終わるのではなく「生活に落とす」ことの大切さが話されました。

研究会の中では現代社会の異常さへの投げかけやギリシャの現状や国立競技場等の問題、更に広い視点から見た時代の流れ、そして「カタカムナ」の奥深さについて話は広がっていきました。
 
2日目の今日は、カタカムナの「単音の思念」の紐解き方や、単音を組み合わせて出来る「図象文字」についても解説があり、以下はその話題について盛り上がった場面のワンシーンです。

(「閃き(ヒラメキ)という文字を読み解きながらカタカムナの深さを語っている一場面)

 
いや〜、ここからがとても面白かった。

「ヒラメキ」という言葉には4つの単音が含まれているけど、その単音の思念にはそれぞれに意味があるだけではなくて、その4つの単音を組み合わせると「図象符」というものになり、その図象符は「ヒラメキ」という元々の単音の組み合わせ以外にも、「カ」や「コ」や「ミ」等複数の単音も奥に秘められていることが読み取れ、そうすると「ヒラメキ」の奥に「カミ」があるということまで読むことができます。

(「ヒラメキ」の単音(音声符)と図象符)
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(「ヒラメキ」のそれ以外の単音(声音符)を書いた図)
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また、「図象符」についての説明がカタカムナ単音辞典に載っていたので紹介します。

「図象符にするということは、大円(ワ)の中に入れてみることであり、例えば「ヒ」を大円に入れてみるということは、「ヒ」が現象界に於いて、どういう状態になるかが示されているので、それを感受してみるわけである。ところが、実際に行ってみると、大円に入れるよりもサトリの図象(上写真の○に十字の図)に入れる方が、より明瞭になる」

とのことです。
 
ちなみに僕の名前(さだき)を図象符で見てみると以下のようになります。
(「だ」は濁点がありますが、カタカムナには濁点はないので濁点をとって「タ」でみます)

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な、なんと僕は、3つの単音を組み合わせても元の図象符のまま。普通は円の上に小丸があり、最大以下のように8つの小丸があるのですが、僕のは、一つも、ない^^;
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みかちゃんが僕の名前について芳賀兄(講師の先生)に質問してくれ、そこからカタカムナと地球暦との融合の話にもなったので、その時の動画も載せます。

 
ということで、地球暦からカタカムナまでないない尽くしな僕ですが、小丸がないからと言って生きることに困る必要は、ないのかな^^v
 
また、この単音の思念や図象符は「2次元」の平面ではなく「3次元」の立体で表現されるものなんですよね〜。

しかもカタカムナ人はこれを全部「直感」でぱっぱっぱっとやっていたのか。

いや〜、カタカムナ、面白いですね。

 

カタカムナがどれだけ凄いかってことを現代科学とも対比して話されていましたが、カタカムナ5首の始まり部分「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト」は、太陽系の惑星が自転・公転し、更に連携しあって螺旋を描きながら宇宙空間を進んでいることも解き明かしているそうです。いさどんもそれを受けて、恐るべしカタカムナということで、人間の直感は今の科学よりも進んでおりそれは人間の可能性を更に広げていくことだと言っていました。

そして古代カタカムナ人は無数の単音から物事を表す言葉を創出していったけど、今はその出来上がった言葉から逆に単音を解き明かしていっています。これを「順序」の逆の「逆序」というようで、このことで古代カタカムナ人に寄り添い当時の人達の思考や直感の仕組みを感じ取れるようにもなるとのことです。いさどん曰くそれは、古代の生活に戻るということではなく、その思考や感受性を兼ね備えた上で現代社会のテクノロジー等を使いこなすことで更に進んだ何かを表現していくことができるという話も出ていました。
 
その他にも、カタカムナで子供向けお遊びカードを作ろうとなったり、一つの図象符から5・7・5調の歌等も作れるという話が出たり、「クスリユビ(薬指)」や「ムス(蒸す)」や「アソ(阿蘇)」の説明があったり、更に今回は潜象道シリーズⅢ「カタカムナ解読の軌跡」が10ページ以上進み研究会もどんどんいい感じになってきました♪

 

さぁ、この実践の場がある木の花ファミリーでのカタカムナ研究会はどうなっていくのでしょう。何かよく分かりませんが、ワクワクしますね。

今回も研究会に参加させていただきありがとうございました。地球暦も真っ白、カタカムナも小丸なしってことで「オブザーバー」ならぬ「オフ」サーバーということで、今後ともよろしくお願いします♪

 

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次回カタカムナ研究会は下記の日程で開催します!

8月 カタカムナ研究会
 
【日時】
集合:2015年8月24日(月)

11:05 JR身延線「西富士宮」駅 又は 10:51 富士急行「大石寺」バス停(送迎あり)
お車の方は11:30までに木の花ファミリーおひさまハウスひまわりへ直接お越し下さい
解散:2015年8月25日(火) 昼食後(送迎あり)
 
【定員】
15名
 
【参加費】
8,640円
(1泊2日、宿泊・お食事・送迎・保険料・税込み)

日帰り参加の場合:1日につき3,240円
(お食事別途)

*同性の方との相部屋をお願いする場合がございます。
*オプションにて、木の花ファミリーの施設見学やプレゼンテーションのご提供も可能です。
〈見学ツアー〉90〜120分
 お1人様540円
〈プレゼンテーション〉120分
 2,700円
 上記料金を参加される方の人数で割り、分担していただきます。(中学生以下無料)
 例)参加者2人の場合:1人あたり1,350円 / 3人の場合:1人あたり900円
 ただし、5人以上の場合は1人あたり一律540円となります。
 
【お申し込み】
下記サイトよりお申し込みください。
 → カタカムナ研究会へのお申し込み
 
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宇宙を意識すると何が見えますか?〜そして、トマトさんが教えてくれた

スコットランドのフィンドホーンへみちよちゃんが出張に向かう前日、またまた、和子ちゃんが思い浮かんだことを文章にしてくれました。

原稿についていた、和子ちゃんからのメモ
原稿に添えられていた、和子ちゃんからのメモ

 
■     ■     ■
 
“宇宙おじさん”こといさどんは、宇宙を意識しながら日常を生きている。

すると、最近かわいがっているメダカを見たり、みつばちのお世話をすると、宇宙がみえてくる。法則を意識すると、生きていることの意味、自分が自分であることの大切さに目覚め、真の価値ある生き方ができる。

そうなれば、人にはそれぞれの活かし方がみえてくる。だから、「誰々のように」ということはない。
それは、「自分らしく、宇宙につかっていただく」ということ。
そのためには、自分がつかっていただく対象、つまり宇宙という法をいつも意識していることが大切だね。ご飯を食べることも、呼吸をすることも、宇宙の法則だからね。

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という、大人ミーティングでシェアされたこの文章が、とても印象的だった。
次の日の朝、渡球ハウスに向かう途中、車の中で、さぁ、今日1日、宇宙を意識すると、何がみえてくるのかなぁ、と車を走らせながら思いを天にむけていたら、並木道、落葉がひらひら落ちてくる、その葉がはっきりと目に入ってくる。そして、木々のまわりの景色が鮮明にみえてくる。
ハウスについて、もっと近くによって、木々を観察して、じっとみたくなる。あぁ、こんな形で、こんな色していたんだぁ、と、とても新鮮だった。

いさどんは、いつもこうやってよーくみていく。一つ一つ丁寧にみていく。物をみるということは、しっかり目を見ひらいてみるということ。心の目を開けてみること。
そうやってとらえていけば、毎日のあり方、時の流れを感じとっていくことができる。

今日は、トマトハウスで初収穫をしました。

トマトハウス
トマトハウス

緑のトマトがだんだん赤色に変化し、もうとってもいいよ、と教えてくれます。畝には麦ワラが敷きつめてあり、ざくざくと音をたてながら歩いていきました。
並んでいるトマトさん達をみながら、何って美しい、きれいなんだろう、私がみてきた中でも一番いいなぁ、と思う。たいてい、この梅雨の時期には病気がまんえんしてきて葉が黒くなってきます。今が一番輝いているなぁ。それを感じながら、うれしくてうれしくて、涙があふれてきました。
このハウスは、本当に気持ちが良い。みんなの気が入っている。心が感じられる。
そして、流れを感じる。

5月のはじめに、みんなで定植
5月のはじめに、みんなで定植
定植した苗の株元に落ち葉をしいていく
定植した苗の株元に落ち葉をしいていく
苗が大きくなってきたら、倒れないように紐で誘引
苗が大きくなってきたら、倒れないように紐で誘引
色づいてきたトマト 本当にきれい
色づいてきたトマト 本当にきれい

ひろみちゃんが、トマトハウスに麦をしきたいね、と言った一言から、私も心にとまっていて、そろそろ麦刈りするころだなぁ、田んぼ隊に声をかけて、麦を刈る時、わらを残してもらおうと思ってました。
田んぼ隊のゆう君と、手がえしの和子のコンビでおもちつきをたのまれました。その時、実は、トマトに麦わらをしきたいから、コンバインで麦刈り後、粉さいしないでわらを残してほしいと声をかけたら、今日の午後から麦刈りをするから、まこっちゃんに言っておくよ、といってもらいました。何ってタイミング。午後の作業は麦わら集めをやりたいと畑隊に伝えたら、すぐだんどりしてくれ、ゆう君も車の手配をすぐしてくれました。

麦畑に行くと、刈りとられた後の麦わら達がきれいにならんでいます。みんなで一せいにわらを集め、軽トラ2台半集まりました。そして、トマトハウスへもっていき、今日の作業は終了です。とても流れのよい一日で、とても楽しかったです。

麦わら集め
きれいにならんだ麦わらを集め ー
軽トラに積みます
軽トラに積みます
トマトハウスに到着!
トマトハウスに到着!
うめられる和子ちゃん
うめられる和子ちゃん

そして次の日、そのわらをトマトハウス一面にしきつめてやりました。
麦わらには、トマトの病気を食べてくれる菌が住んでいます。麦わらの下に病気の葉をいれると、菌が働いておさえられます。今からしいておくといいなぁ。そして土の保湿にもなる。
みんなで心を配ったり、手をかけたりすると、作物達が本当に喜ぶ。トマトさんが教えてくれた、みんなの連けいプレイだね。
1つのところに心をむけていくと、やさしい場所になる。

トマトさんありがとう。そして、みんなにもありがとう。
これから、ここで出来たトマト達が、みんなのもとへ届いていく。

地球が宇宙空間を移動しているように、毎日、毎日、変化していく。
その一瞬一瞬、流れを感じて、日々ありたいものです。

和子

 
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