木の花ファミリー通信2020年秋分号『生命 〜 私たちはなぜ生きている?』

 

 

私たちはなぜ
生きている?

生きているとは、どういうことでしょう?
肉体があること、呼吸をしていること、心臓が動いていること ——— 目に見える世界を生きる私たちは、生きていることも、目に見える形を通して認識します。しかし生命は、見える世界の中だけで成り立っているのではありません。
私たちの肉体が生命として存在しているのは、魂と連動しているからです。見えない存在である魂は、肉体という器を得て見える世界へ生まれ、生き、寿命を迎えれば肉体を離れ、再び見えない世界へと還っていきます。魂の抜けた肉体は原子レベルに解体され、次の生命を構成する材料として自然の循環の中を巡ります。そしてどれだけかの時が経つと、魂はまた、自然界を循環していた物質の中から縁あるものを引き寄せて新たな肉体を構成し、見える世界へと生まれてくるのです。このように、生命は見える世界と見えない世界を行き来しながら、生まれては死に、死んでは生まれることを繰り返し、時の流れと共に変化し続けます。そして大小さまざまな生命が集まって命のかたまりとなり、全体がひとつの生き物として、未来へ向かい進化していくのです。
この見える世界と見えない世界を合わせた物質生命の世界を、「ある世界(現象界=現象の起こる世界)」と言います。それは、時空に乗ってすべてが変化し続ける世界です。ではこの「ある世界」だけで私たちの生命世界が成り立っているのかというと、そうではありません。

「ある」を支える「ない」世界

私たちの生きる宇宙は、陰と陽の相反するものが同時に発生して互いを成立させる「対向発生」という仕組みによって成り立っています。男と女が対となり、光と闇が対となるように、「ある世界」と対になるもの ——— それが「ない世界(潜象界=すべての現象の源の世界)」です。
「ない世界」には、時間も空間もありません。それは「ある世界」と互いに入り組んで同時に存在しながら、時空に囚われた「ある世界」を生きる現代の私たちの思考回路では、認識することのできない世界です。しかし宇宙の実体は、この「ない世界」によって「ある世界」が支えられ、そこからすべての現象の源が供給され続け、世界が維持されているのです。
現代を生きる人々は、形を優先することで命の本質を忘れ、生きることをとても窮屈に捉えるようになりました。そして今、新型ウィルスや相次ぐ自然災害、経済の崩壊など、人間の営みを否定するかのような現象が世界中で噴出し、生きることが現実に厳しくなる時代を迎え、人々は混乱し、どこにも突破口を見出せずにいます。しかし突破口は今ここ、即ち、あなた自身の視点の転換にあります。
あなたを現在の囚われから解き放ち、自身の中に眠る生命としての無限の可能性に目覚めるために ——— どうぞ次の項へお進みください。

 

 

私たちはどこへ
向かうのか?

生命は循環する

「ある世界」は、時空に乗って進む世界です。そこには、過去から未来へ向かい決して留まることなく進み続ける、時という絶対の軸があります。時が進むから空間が生まれ、現象が起こり、世界が変化していくのです。
この時の軸に沿い、魂は見える世界と見えない世界を行き来しながら変化し続け、時が進んだ分だけ古くなっていきます。魂だけではなく、水や空気さえも、この世界に現象として現れたものにはすべて、その存在の寿命があります。寿命を迎えたものは、原子よりも素粒子よりもさらに微細な、現代の科学では感知することのできない宇宙の最極小微粒子「カ」となり、「ない世界」へ還っていくのです。
「ない世界」は時空の存在しない世界です。時がないから、空間も生まれず、現象も起こりません。そこにあるのは、響きです。それは音として耳に聞こえる響きではなく、この世界のあらゆる現象の源となる、宇宙根源の響きだけの世界です。この一切の動きのない世界から、何かのはずみで、現象化の種が「ある世界」へと転がり出ると、それは時空に乗って様々な現象を起こし、世界に動きをもたらします。生命を構成する物質の中で一番初めに現象化するのは、水です。そして生命は、最も小さなもの、即ち微生物から現象化します。その小さなものから、より大きなものへと多種多様な変化が生まれ、数千万種とも言われるほどの生命が無限に連鎖し、ひとつの星の上で共に生きる、地球生命生態系というとても豊かな生命世界が生まれたのです。
この生命世界には、「ない世界」から絶えず命の源が供給されています。それは限りなく「ない」に等しいものでありながら、それによって豊かでダイナミックな「ある」が表現されていくのです。この「ある世界」の中で、私たちの肉体は食べることや排せつ、呼吸などを通して、他のあらゆる生命や自然の要素と共に、見える世界の中を循環しています。そして魂は、生死を通して見える世界と見えない世界を循環します。その大本には、現代を生きる私たちの意識を超越する「ない世界」と「ある世界」の循環があり、その大いなる仕組みの中で私たちは生かされているのです。

生命は螺旋を描いて進む

この多重構造の循環の中で、私たちが生まれては死に、死んでは生まれることを繰り返すように、すべての生命はサイクルを刻んでいます。そのサイクルは何と連動しているのかというと、地球の自転であり、公転であり、さらに大きな銀河のサイクルと連動しています。そしてそのサイクルは、同じ場所を延々と回り続ける円運動ではなく、絶えず新たな場所へ進み続ける螺旋運動によって刻まれていきます。地球は太陽の周りを、太陽は銀河の中心であるセントラルサンの周りを、そして銀河はさらに大いなるものの周りを回りながら、螺旋軌道を描いてサイクルを刻み、広大な宇宙空間を未知なる場所へと進み続けているのです。
人間は朝に目を覚まし、昼に活動し、夜に眠ります。それは地球と月と太陽のリズムが刻む、陰陽のサイクルです。太陽が姿を現す朝は、活動の始まりの時です。夜の間に眠っていた体を目覚めさせ、自然のリズムに沿って思考を働かせ、一日を通して、その時々に必要な生きるための活動を行います。そしてまた夜が来れば、眠りにつきます。眠っている間に必要な思考と不要な思考が整理され、次の活動のための充電をし、新たな日の出を新鮮な状態で迎えるのです。
このように、生命は常に、充電と放電、発生と消滅といった陰陽のサイクルを刻んでいます。そのサイクルとは、私たちの一日、一年、一生といったものだけでなく、細胞の一つひとつが刻む微細なものから、時代や宇宙の星々が紡ぐ壮大なものまで、大小様々なサイクルが無数に折り重なり、全体が常に新陳代謝しながら未来へ向かって進み続けているのです。それは、無数の天体たちがそれぞれに螺旋を描きながら、見事に連携し、広大な宇宙空間を未知なる場所へと旅し続けるのと同じ仕組みです。
宇宙は成住壊空と言い、私たち人間の感覚では及びもつかない果てしないスケールで、誕生、維持、破壊、空(無=ない世界)、そしてまた誕生というサイクルを無限に繰り返しています。その宇宙創造の根本原理を明快に顕しているのが、私たちが住む地球です。宇宙の中の奇跡と言えるほど多種多様な生命で溢れるこの星は、無数の生命たちが生まれては消え、消えては生まれ無限に連鎖していく生態系の姿を通し、気が遠くなるほど巨大な宇宙の実体を、身近なスケールで見事に表現しています。生命が時の流れと共にサイクルを刻んでいるからこそ、あるものが途絶えたとしても、それはまた形を変えて新たなものへと受け継がれ、世界が維持されていくのです。
この、すべてが宇宙の創造原理のままに、時空に乗って自在に進化していく世界の中で、たったひとつ、変化していくことを恐れ、移り行く世界の流れに逆らってでも今あるものを維持しようとする、特殊な存在が現れました。それが人間です。

宇宙の創造と自我の誕生

遠い昔、地球も、宇宙すらも存在しなかった遥か昔、世界には何もありませんでした。そこへある時、その世界を認識する存在が発生しました。宇宙自我の誕生です。それを、神と呼びましょう。
神様は、退屈でした。なぜならそこは、神様ただ一人の世界だったからです。すべてがぴたりとかみ合い、一切の動きのない、永遠なる完全の世界。光だけの中にいては光が何であるかを見ることができないように、完全である神様は、完全であるがゆえに、自らを理解することができなかったのです。
そこで神様は、その完全なる体を二つに分けられました。光とは何かを知るために闇を、天とは何かを知るために地を創られたのです。そして、その創られた世界を、自らと対面する遠いところへ置かれました。その時、そこに距離が生まれ、元のひとつへ還ろうとする流れが生まれ、その流れが時となったのです。そして世界は、時に沿って動き始めたのです。
神様は、世界に多種多様な存在を生み出しました。そしてそのどれもが、ひとつでは成立せず、必ず相反するものと対になり存在が成り立つようにしたことで、宇宙に対向発生の原理が生まれました。太陽と月、雄と雌といった陰陽の対向発生の無限の連鎖が世界に動きをもたらし、新たな命が次々と誕生しました。こうして、神の意思のままにすべてが循環していく美しい生命世界が生まれたのです。それは、多様な存在がそれぞれにふさわしい位置を与えられ、大いなる流れのままに役割を全うし、決してそこから外れることのない、完璧な秩序の下にある世界です。
「ない世界」から「ある世界」を生み出した神様は、そこに自らの姿を表現しました。しかし、それでもまだ不十分でした。「すべてが私の意思のままに存在するだけでは、私自身の体であるこの世界を理解することはできない。」
私たちの肉体が、様々な役割を持つ器官が連携することで構成されながら、その構成物の一つひとつが全体を理解しているわけではないように、この世界を理解するためには、ただその一部としての機能を果たすだけではなく、そこから独立した意識を持ち、全体を客観的に眺めて捉えることのできる存在が必要でした。そこで神様は、自らの代理としての目を持ち、対向発生する存在として、人間を地上に降ろしたのです。そして、神の意思から独立した自己を認識する能力、即ち、自我を与え、神の体である宇宙全体を俯瞰し、理解できる位置に立つ自由を与えました。人間がこの世界の実体を認識することで、神様はその認識を自らの映し鏡とし、この世界を理解できるようにしたのです。
他の生命にはない特殊な能力を与えられた人間は、神様の意思から独立し、独自に思考するようになりました。それは本来、宇宙に遍満する神の実体と対向し、その成り立ちを解明することのできる優れた能力です。ところが人間はその能力故に、物理的には神様の仕組みの中に在りながら、意識だけがそこから離れ、世界の流れを無視した自我の願望を優先するようになりました。そしてその優れた能力を、自らの願望を満たすために使い始めたのです。

流れはひとつの方向へ向かう

生命とは、どれもひとつでは不完全です。だからこそ他とつながり、協同することで、多種多様な生命の大循環を引き起こすことができる。そのようにして、神様は自らの実体をこの世界に顕しました。
しかし人間は、その生命の大循環を無視して自我から湧き出す願望を一方的に満たし、満たせば満たすほどその快感の虜となってさらに欲望を膨らませ、協同するどころか争い、傷つけ合い、生態系を破壊していくものとなりました。これは、調和を前提とする生命としては極めて異常な状態であり、今や人間は、地球にとってのガン細胞のような存在となっています。
これに対し、正常に戻るための働きとして、世界はその存在を淘汰しにかかりました。新型ウィルスの登場も相次ぐ自然災害も経済の崩壊も、人々は異常事態が発生していると捉え、これまで築いてきたものを必死に維持しようとしています。しかし、それを築き上げてきた人間の営みこそが、世界の側から見れば異常なのであり、その異常な存在を取り除くことは、世界にとって正常な働きと言えます。今あるものに執着し、変化していく世界の流れに抵抗すればするほど、人間はさらに異物となり、世界は淘汰の動きを加速させることでしょう。
この世界は、変化・変容・変態を繰り返しながら、未来へ向かって進み続けます。その大いなる流れの中で今、天体たちが刻むいくつものサイクルが、宇宙のひな型である星、地球に、大転換の時が訪れていることを告げています。そしてその流れは、遥か昔、神様がその完全なる体を分けられて世界を創造し、時空が発生した瞬間から、決して止まることなく向かい続けてきたひとつの方向 ——— 即ち、もとのひとつに還ることへと向かっています。
では、神と対向発生するものとしてこの世界に生み出された私たち人間は、その流れに逆らい、淘汰されていくのでしょうか。そうでなければ、私たちはここから何を学び、未来に向けてどのように進化していくべきなのでしょうか。

 

 

魂のふるさとへ

現代人は、脳の10%しか使っていないと言われます。その10%によって人類は様々なテクノロジーを生み出し、今日の文明を築きました。人類史上最高の頭脳の持ち主の一人と称されるアインシュタインは、そこから未だ使われていない90%の領域へと踏み込み、脳全体の15%を使用したと言われます。そして通常の人が考えないことを考え、私たち生命の根源である太陽の仕組みを解明する公式を発見しました。

90%の可能性

氷山は、海面上に姿を現しているのは全体の1割であり、海面下に潜む見えない9割が、表に現れている1割を支えています。同じように、私たちの認識する目に見える世界の奥には、見えない世界、更には「ない世界」が広がっています。しかし自我に囚われた現代の人々は、脳の10%だけを使って見える世界を全てとし、善か悪か、損か得かといった二元的発想で、目先の利益ばかりを追い求めるようになりました。
その現代人の思考範囲から5%を踏み出したアインシュタインは、特殊相対性理論に基づき、太陽のメカニズムを解明する公式、即ち、私たちの命の根本となる原理を発見しました。それは、時代の流れの中で人類が新たなステージへ進むための役割として、90%の領域へ踏み込み、宇宙の叡智を引き出したのです。ところが10%の枠の中で思考する人々は、その命の原理を用いて原子爆弾を開発し、戦争に利用しました。今もなお、地上に降ろされた太陽のメカニズムから生まれるテクノロジーは、コントロール不能のまま放射性廃棄物となって山積し、核兵器となって世界の平和バランスを保つという、異常な状態を生み出しています。
この現状を突破するには、二元思考の囚われを超え、海面下に潜む氷山のようなこの世界の全容を捉える、立体的な発想が必要です。そこに通ずる可能性を秘めているのが、私たち人間に備わっている、今は眠れる90%の脳です。

変わらないひとつの道

ガン細胞は元々、正常細胞です。それがガン細胞となるには、そこにそうなるべき理由があるからです。つまり視野を広げてみれば、ガン細胞も宇宙の仕組みのままに働いていると言えるのです。
現在、人間は生命として極めて異常な存在となっています。しかしそれは、大いなる多様性の中での、可能性の表現とも言えます。異常が起きれば、そこに苦痛が発生します。だからこそ、正常に進むだけでは出会わなかったものを発見することもあれば、苦痛を乗り越えることで新たな進化を遂げることもある。その変化の連続の結果、人間は今日の文明を築いたのです。人間が生を尊び死を忌み嫌うのは、より大きなサイクルの視点を失っているからであるのと同じように、視野を広げれば、正常と見えることも異常と見えることも、すべてが大いなる流れの中に在ることがわかります。
神様は、自らと対向発生する存在として人間を地上に降ろし、自我を与えました。自我故に異常な状態を表現してきたことに対し、今、世界は人間を正常に戻すために動き始めました。そこに抗えば抗うほど、苦痛を与えてまでも元のひとつの方向へ向かうように導くこの大いなる流れは、私たちが生命として地球に降り立った真の目的に立ち返ることを促しています。
自我は取り除くのではなく、拡大していくものです。どんなに自分を大切にし、思い通りに生きようとしても、私たちは自身の体すら思い通りにはできません。心臓を思い通りにはできない。呼吸も思い通りにできない。生きることで自らの思い通りになるものは何ひとつない。そのようにひとつずつ自分という囚われを外し、視野を広げていくと、自分は空気によって生かされていることがみえてきます。大地によって、水によって、光によって生かされていることがみえてきます。地球と共に宇宙を旅し、何億光年という果てしないスケールで広がる無数の星々と共に、時空に乗り未来へ進んでいることがみえてきます。そして、「ある世界」の源である「ない世界」から溢れ出し、この世界にあらゆる現象を起こして再び「ない世界」へと還っていく、神の響きの循環の中で、自らが生かされていることがみえてきます。
その境地に至った時、あなた自身の中から、その源の響きが湧き出してくることでしょう。そしてその響きは、矛盾に溢れ、どこにも突破口の見えない世界の現状を、正常な状態へと還していくことでしょう。それは、元のひとつから散りばめられ、それぞれの位置に配置されることで生命の大循環を起こし、この世界を成り立たせている私たちが、その始まりの時より変わることなく続くひとつの道を、今も歩み続けている証です。大いなる宇宙生命として無限の可能性を託されながら、そのことを忘れてきた私たち人間は、今も自らがその道の上に在ることの自覚を持ち、この世界に降ろされた真の目的に目覚めるべきなのです。

 

 

 


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