みのるん物語1 〜 チャンスのヒビキ♪

木の花ファミリーの自然療法プログラム(通称ケア滞在)では、滞在者は定期的にケアのメインサポーターであるいさどんと面談をします。今月ケアを卒業したみのるんといさどんとのやり取りは、その都度「いさどんのいただきます人生ブログ」にて公開されていましたが、改めてその全容をお伝えします。日に日にアトピーが良くなっていったみのるんの歩みを、どうぞご覧ください!
 
■     ■     ■
 

昨日から、
自然療法プログラムをスタートしたみのるん。

面談の際、いさどんから、
「アトピーになるあなたの中には、
アトピーになる細胞のヒビキがあるのです。
そのヒビキをアトピーではないものにしていくことが大切ですね」と
伝えられたみのるんだが、
「そうですね。
ただ、自分ではどうしたらいいのかわからないのですが・・・。」

そこで、
いさどんはこう語った。
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

たとえば、
うつ病の人はうつ病のヒビキを持っています。

がんの人はがんのヒビキを持っています。

最近、きょうこちゃんが子宮頸がんを持っていることがわかったのですが、
僕は前から
「あの人はあやしいな~」と思っていました。

それで、
「お医者さんへ行ってきたらいいよ」と伝えていたのですが、
そのときはまだ、
「今はグレーですね」と言われていたらしいのです。

そして最近になってから、
きょうこちゃんがまた具合が良くないと言っていたので、
「お医者さんに行っておいで」と伝えたら、
早速お医者さんのところに行ったきょうこちゃんは、
ステージの3か4だと伝えられたのです。

でも、
きょうこちゃんの心には覚悟がないから、
きっと自分ががんだと聞いたら、
それこそ、が~ん!!!となって、
「わたしは死ぬのかしら?」と思うだろうと
僕は思ったのです。

僕ならば、
「これはチャンス!!」と思って、
「よーーし!!切らずにこのまま行ってみよう!!!」となったら、
がんのほうが、
「そんな人のところにいたくないよ!!」となって、
いなくなったりしてね♪

それで僕は、
「きょうこちゃん、あなたは覚悟がないから、
切ってしまいなよ」と伝えました。

最初、
きょうこちゃんは臆病になっていたので、
「切ってしまおう」と思っていたようでした。

だから僕は、
「それでいいんじゃない?
別に気にすることはないよ。
あなたらしいのだから、いいと思うよ」と伝えたのです。

でも、
そこからきょうこちゃんはいろいろと考えたようで、
「やっぱりそんなことではいけない」と思ったようでした。

それは何かというと、
自分ががんを増殖させる性質を持っているのに、
そのままにして
ただ切ってしまったら、
それでは意味がない、と。

それで、
本人の決断としては、
「わたしは切らないでいきます。
なぜ自分ががんをいただいたのかと自分を振り返ってみたら、
それはがんになるだろう、と思う」と言うのです。

僕は前から、
「あなたはへそ曲がりだね~」と伝えていたし、
がんになってからは、
「あなたはがんになってふさわしいね~
だから、自分を変えなよ」と伝えてきたのですが、
最近まできょうこちゃんはなかなか自分を変えませんでした。

もし、
自分のこころががんを作る性質だとしたら、
人生にとって最大のチャンスなのですよ!

お医者さんに切ってもらったら、
がんを作る性質を持って
死んでいくのです。

僕が笑ってしまったのは、
きょうこちゃんはがんになった途端に、
「わたしは死ぬかもしれないと思った」と言うのです!

それって、
すごくおかしな話じゃないですか??

「あなたはがんにならなければ、
死なないと思っていたの??
そこがすごいね!!!」と伝えたのですが、
人は必ず死ぬのです。

僕は、
いつでも死を意識しながら、
今を真剣に生きていますし、
死ぬために日々を生きているのです。

ところがきょうこちゃんは、
「がんになって初めて、死ぬかもしれないと思った」と言うのです!

本当のことを言うと、
ここが少しまぬけなところなんですよね。

でも、
物事にはこういった捉え方があるのです。

あなたのアトピーは、
あなたのこれまでの経緯や今のあなたの表情からすると、
心因性のものです。

ストレス性と言ってもいいですね。

ストレスは、
会社に行って会社の業務がどうだとか、
ブラック企業だからどうだとか、
とかく人は環境のことをいろいろ言いますが、
そういった環境に縁があったのも、
そこに居続けるのも、
そこでそういう人間関係を作り出すのも、
すべて自分が原因になっているのです。

そこで、
あなたが本当に、
自分がアトピー体質を持っていることを納得したときに、
アトピー体質は消えていくのです。

でも、
今のあなたは「どうしたらいいのかわからない」と言っていますね。

わからないということは、
自分の中にまだその性質があって、
アトピーのヒビキを作り続けているということなのです。

だから、
その性質がある限り、
外で仕事をガンガンやっていてもそれがストレスになりますし、
仕事をしないで家でブラブラしてもストレスになりますし、
良いお嫁さんがいて一生懸命世話をしてくれても、
それがストレスになるのです。

口では「ありがたい」とは言うものの、
「俺ってこんなことでいいのだろうか?」ということになるわけです。

それはすべて、
自らの性質が作っているのです。

これは、
生まれもっての性質であり、
いつもサングラスをかけているようなものですから、
サングラスをはずさないことには、
そのサングラスの色から離れて
ものを観ることはできないのです。
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

そこで、
みのるんはすかさず、
「それをするためには、
どうしたらいいのでしょうか?
こころ磨きですか??」
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

こころ磨きというのは、
木の花用語ですが、
それしかないですね。

それはなにも、
木の花のためにあるのではなく、
生きているということは、
いわば、自らを知る旅をしているのです。

そうすると、
生きていると何が起きるのかというと、
生きるということは、
自分自身の性質がこの世界に放たれるのです。

いろいろな出会いによって、
あなたの人間性が
外へ放たれるのです。

そうすると、
この世界は鏡ですから、
それが返ってくるわけです。

そして、
それに対してあなたが反応し、
また返ってくるのです。

そのやりとりによって、
この世界はできています。

そうすると、
返ってくるということは、
アトピーであっても、
あなたの中にその性質があるのです。

出会う人も、
あなたが出会うべきして出会っているのです。

それをよく理解するということは、
自らを知るということです。

自分が先に何を発しているかによって、
何が返ってくるのかが決まるのですから。

こころ磨きとは、
そういったことを言うのです。

たとえば今、
あなたはアトピーというテーマをいただいているのだとしたら、
「アトピーはまさしく自分から発していた!」と気付き、
発していたアトピー的性質は、
どういうところで、
どんなふうに微妙に巧妙に発していたのかを知ることが大切です。

そして、
同じ場面が毎日いろいろなところで来るのです。

そのときに、
それをやらないようにしていくのです。

それが、
こころ磨きです。

そうすれば、
おのずと種は蒔かないので、
ある程度の期間のうちに
アトピー的体質は消えていきます。

アトピーであっても、
これはある意味精神病なのです。

それがうつになるのか、
もっと複雑な統合失調症のようなものになるのか、
精神的な病はいろいろありますが、
それがアトピーとして体に出ただけのことで、
これは同じことなのです。

最後にひとつお伝えしたいことがあります。

あなたは、
自分に対して興味が強いので、
狭い世界を生きています。

そういう意味では、
今回アトピーをいただくことによって、
自分の世界を広げるチャンスでもあるのです!

考えてみたら、
良いチャンスですよね。

今のあなたはお尻に火がついて、
このままほっておけない状態になっているのですから、
これはある意味追い風なのですよ♪
 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 

いさどんが発するチャンスのヒビキを感受し、
自然療法プログラムをスタートさせたみのるん。

これから、
みのるんの中に
みのるん本来のヒビキが目覚めていくことを願って。
 
 
 


みのるんのケア滞在記

今月21日に、木の花の自然療法プログラム(通称ケア)を卒業したみのるん。25日の木の花夏祭りに参加するため、奥さんと一緒に再び木の花を訪れ、その夜の大人ミーティングでファミリー宛に書いた手紙を読んでくれました。以下に、その手紙をご紹介します!

■     ■     ■

6月2日より、7月21日まで、アトピー性皮膚炎の治療のため、50日間木の花ファミリーに滞在させていただきました。
私は今、県立図書館でこの滞在記を書いています。家にクーラーがないので避難しています(汗)。本当に皆さんのおかげで、病気になる前にも通っていたこの図書館に戻ってくることもできるようになりました。

朝どりグリーンピースを使った恵みいただきますの料理
朝どりグリーンピースを使った恵みいただきますの料理

私が、初めて木の花を訪れた日は、「恵みいただきます」の日でした。グリーンピースをその日の早朝に採ってきたという皆さんに出会い、その味と雰囲気に驚かされ、想像以上のもてなしと空間に圧倒されたのを思い出します。

木の花に来る前は、ブログや、宇宙おじさんの動画など、インターネットを通して木の花のことを色々知るにつれ、不思議と惹かれていく自分がいました。あわちゃん、よしてる君、マコトさんを見た時は、ネットでみた人!とちょっと興奮していました。いさどんと初めてお会いした時は、伝説の偉人に会うような気持ちでした。

面談では、「あなたの病気の原因は心因性のもの」と伝えられ、物理的な要因が原因と思っていた私はちょっと戸惑いました、しかし、なんとか身体を治したいと思い、木の花でのケア滞在をお願いしました。

妻の介護なくしては生活がままならなかった最初。木の花にきても、自分の最低限のことをするのにとても気力を要しました。体温調整や食欲調整、睡眠リズムなど、人としては当たりまえの調整機構が破綻していました。服をタンスから出すことも、しまうことも、動く度に、身体中に痛みと痒みが伴い、それに耐えるのに、毎日が大変でした。
しかし、そうやって動くことで自分の回復度合いが把握できると共に、生活のリズムを取り戻していったように思います。ストレスの調整もできず、暴食している自分もいましたが、メンバーの皆さんの計らいもあってコントロール出来るようになりました。

毎日出させてもらった大人会議。こんなに真剣に話し合い、自分を出し合って議論する世界があるのだと驚かされました。真剣さの底には、優しさも感じられ、それが木の花全体を癒しの空間にしているように感じました。その空間が私を癒してくれたようにも思います。
そんな会議に、私の日記をシェアさせてもらう機会が与えられ、恐々としながら発表させていただきました。「正直、素直、信じる」をテーマに書き始めた日記。しかし、いつしか聞く人を意識した内容になっていたり、何が正直なのかがわからなくなっていたり、人の言っている言葉と自分の言葉が混同していたりなど、自分一人では気づけなかった、自分だと思っていた「自分なり」の世界を見つけることができました。
今でも卒業の合格点をもらえたようには思いません。毎日が真剣勝負で、これからも心を磨く必要性を感じることができました。

ケア滞在を始めたばかりのみのるん
ケア滞在を始めたばかりの頃

有難いことに私の身体は日を追うごとにどんどん回復していきました。それは、皆さんから何気なく、いつも声をかけて下さったことや、真剣に心を話し合える瞬間瞬間のエネルギー、また、面談で自分の姿を教えて頂いたお蔭だと思います。
木の花の皆さんが朝から晩まで働いて作った、汗と努力の本物の作物や料理のお蔭です。木の花ファミリーの皆さんがケア滞在という形で作ってくださった受け皿のお蔭で、私は回復することが出来ました。

卒業式のみのるん ー 奥さんも泣いています
卒業式のみのるん ー 奥さんも泣いています

私は、傲慢ですが、なんとか自分の思いで自分の力で生きようとしました。でも壊れていく自分の身体と精神に、何もできませんでした。徹底的に打ちのめされました。仕事も、夢も、努力したと思っていたことも、全部手放さざるを得ませんでした。
木の花ファミリーの皆さんが教えて下さったことは、言葉で表せないこともあります。

自分達は生かされている
助け合って生きる精神的、物理的豊かさ
競争を手放した生き方
誰かの為、大切な思いのために働くということ
客観的に自分を見て、自らと向き合う生き方
他者の喜びを、自らの喜びとする生き方

朝早くから夜遅くまで、疲れた様子も見せず、田んぼ隊で働くサポーターのまことさん
嫌な顔一つせず、夜遅くまで相談に乗っていただきありがとうございました。

炎天下の中、もくもくと働いて食べ物を作って下さった収穫隊、田んぼ隊、畑隊の皆さん
朝早くから夜遅くまで心を込めて日々の食事を作って下さったキッチンの皆さん
木の花の住まいと身辺のお世話をして下さったひまわりの皆さん
木の花の運営、事務、管理、情報提供をして下さった事務の皆さん
音の波動で心も体も癒して下さった、木の花楽団の皆さん
いつも明るい雰囲気を作ってくれた木の花の子供達
心のケア、木の花の柱と精神を作って下さった、いさどん、陽子さん

皆さんが本当にいつも温かく接して下さり、ありがたかったです。
皆さんとの出会い、この恵みに、心から感謝いたします。
ありがとうございました。
身体にこたえる猛暑が続きますが、どうぞ夏バテなどされませんように。
また皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

みのるん

 

6月の恵みいただきます終了後、みんなで記念撮影
6月の恵みいただきます終了後、ファミリーみんなといっしょに

 

 


「明日死ぬかもしれない」〜 きょうこちゃんの発見

きょうこちゃんの心のシェア・第2弾。

木の花には「きょうこ現象」という言葉があります。何か失敗をしては反省するけどすぐに忘れてまた同じことを繰り返す。そんなきょうこちゃんが、ガンをいただいたことで変化し始めています。
一昨日は自然療法をテーマとした出張木の花塾に参加し、昨日はパートナーのこうちゃんと一緒にガンセンターへ行ってきたきょうこちゃん。ガンを切らないことについて家族の了承が得られているかをお医者さんから確認され、そのことのリスクを説明された上で改めて、手術はしない意向を病院に伝えました。
そしてその夜の大人ミーティングで、以下の文章をシェアしました。

出張木の花塾で、自身の想いを語るきょうこちゃん
出張木の花塾で、自身の想いを語るきょうこちゃん

 
■    ■    ■
 
昨日は「出張木の花塾」だった。
最後に私の事例がとりあげられた。改めて自分の状況を皆の前で発表したのだが、こうして公に意思を表明していくことで、さらに覚悟をさせてもらったと感じている。

昨日の出会いでよかったのが、判事を退職されたIさんと話せたことだった。Iさんは、「もう私も死が近いといつも思っている。だから、人と会うといつも、もうこれが最後かも知れないと思って会うのだ」と言っていた。ある意味、私も余命宣告されたわけではないが、体にガンという爆弾を抱えているのは事実で、いつ死がやってきてもおかしくない。
ひまわりに帰って、ミーティングが終わって、ホールを出るとき、これがみんなに会う最後かな・・なんて思うと、なんとも言えない感謝の気持ちが湧いてきて、泣きそうになってしまった。これは、何か感傷的になるとういことではなく、すごく良いことだと思った。

明日死ぬかもしれないと思って、ことに接すると、いつもと違ったものが見えてくる。
あるのが「当たり前」、そして次の瞬間も明日も「当たり前」にあるのだと思っていたものが、「今」「この時」にしか出会えないものであることをすごく感じることが出来た。考えてみれば当然で、時空を移動している私たちなのだから、二度と同じトキ、トコロはありえないのだが、そうは思えていなかったということ。ミーティングでもいつも話されていることだが、頭で理解していただけで、やっと「そういうことか」と実感できたのでした。
出張木の花塾に来てくれた方から「また会えますよね」と言われたことに対して、何も考えずに「また会いましょう」と返した私でしたが、そんないい加減なことを言ってはいけないと反省したのでした。
「明日、死ぬかも知れない」と思って生きることって、実はとても新鮮な日々を送る秘訣なのかもしれないなと、新しい発見だった。

今日から、苗チームで新しい試みを始めた。朝一番に中神のハウス全体を皆で一緒に見て回る事。苗全体の様子を、チームの皆が把握で来るようにすることで、情報の共有と、苗を見る目を養う事、私がいなくても全体がスムーズに回っていくようにするために思いついたので、まずは始めてみた。私がいないと分らない、という状態はある意味私が作って来たもので、「人を育てる」という視点も欠けていた。一人で抱えこむ癖から、情報が全体に行き渡らず、滞りを生む原因にもなっているのだから。

これも「明日、死ぬかもしれない」ということから出てきたことで、いろいろなことを手放していくことは、人の為になったり、全体の為になったりするはずなのだ。「あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ」と段取りばかり頭の中を巡っているのでは、直観など入り込む余地がないはず。
人一倍失敗したくない私は、人に任せるのがすごく苦手。その割には、大きく外して「きょうこ現象」をもらって、またまた反省・・・。矛盾だらけで、しかも当然起こるべくして起こる結果。

負のスパイラルを断ち切ろう。何か新しいことやってみよう。失敗するかもしれないけれど、いただいて次に行けばよい。
良い流れを作っていくぞ~!

 

■    ■    ■

 

追記:
きょうこちゃんが手術しないことを知った娘のきよ(小学4年生)は、それ以来たびたびきょうこちゃんに「手術しないの?死んじゃうの?」と聞いていたのですが、昨日の夕食時、とことこときょうこちゃんのところにやって来て、こう言ったそうです。
「そっか。こころ磨き、するんだね。」

 

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出張木の花塾は、下記サイトにて動画を公開しています。
 → 出張木の花塾「人は変われる〜宇宙視点の自然療法」

*ファイルは全部で6つあります。
5月19日現在まだアップロード中ですが、2日以内に全動画をご覧いただけるようになります。

*次回出張木の花塾は、6月7日(日)、同じく船橋にて開催します。
単なる病気の話ではなく、人が生きることの本当の意味を探る、すべての人にとって大切なお話をします。どなたさまもどうぞお越しください。

 → お申し込みはこちら!
  event★konohana-family.org
  (★は@に置き換えてください)

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ガンをいただいて 〜きょうこちゃんの心のシェア

16年前にメンバーになったきょうこちゃんは、育苗(野菜の苗を育てる)担当。いつも明るい笑顔で、別名「スマイリー・きょうこ」と呼ばれる彼女が育てる苗は、毎年バスでツアーを組んで買いに来てくれるお客様がいるほど、元気でいい苗なのです。

そんなきょうこちゃんが、先月、子宮頸ガンであることがわかりました。

子どもの頃から親や先生に褒められることが自分の存在価値であると思い、いい子を演じて自分の正直な思いを隠しているうちに、いつの間にか自分の正直が何であるかもわからなくなってしまった。その溜め込んできた思いが、自分のガンをつくった。そう捉えた彼女は、ある決意をしました。
以下、大人ミーティングできょうこちゃんがみんなにシェアした文章をご紹介します。

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今までの私の人生の結果として、ガンをいただいた。

子宮頸癌で、2センチくらいの大きさだそうだ。子宮の入り口にできている。
5年前、妊娠したときにした検査で、ガンではないが、それに近い細胞があると診断された。
私の中では、まだ癌でないからと、真剣にそのことに向き合ってこなかった。
定期的に検診を受けてきたが、今年に入って精密検査をした方がよいといわれ、検査した結果、ガンだと分かった。

このことを通じて、私の正直な心と向き合うことをつきつけられた。
今まで、自分の正直と向き合ってこなかったので、最初は自分の気持ちさえも分からなかったし、気持ちを語ったところで上げ底だとコメントをもらったり・・本当の自分の気持ちは何なのか・・。

最初は、ガンを切ってしまえばよいと安易に考えていた。みかちゃんの例もあったからだ。みかちゃんは、非常に小さな段階で、円錐切除といって、少しの部分を切り取る手術でよかったのだ。でも、私の段階はもっと進んでいて、子宮とその周りの組織を全部摘出する必要があるというものだった。転移の可能性があるからだ。
切らない場合はなおさら、もっと転移の可能性が高くなる。膀胱や大腸、腎臓、リンパなどが隣接している。少し病状が進んだだけで、手術が有効でなくなる。つまり、手術が出来なくなるということも伝えられ、私には転移を恐れる心があった。
さっちゃんに「何で切りたいの」と聞かれた時、一度体をリセットしたらよいと思うからと答えた。その時、さっちゃんからは「きょうこちゃんは、すぐに忘れちゃうから、切って終わりになっちゃうのじゃないの」とも問いかけをもらった。
その問いかけを受けて、いろいろ考えてみて、やはり切らないでやっていこう、と心に決めたつもりで病院に行ったら、先生の話を聞くうちにグラグラと心が揺れて、不安や恐れに囚われる自分があり、やはり、手術する方向でいこうと決めた。
そのことをいさどんに伝えると、私なら当然そうなることぐらい分っていたと言われた。
私みたいな覚悟のない人間は、取ってしまえばいいのだと。

人は必ず死ぬ。・・・分っていたつもりで、全然分っていなかった。全然覚悟もできていなかった。すごく上げ底で、自分が見えていなかった。

その後、大人ミーティングで、死についての話題が何度かとりあげられた。人は死ぬ。全てのものは必ず死ぬ。死を恐れるなんて、バカな話だと。
けれど、このガンが与えられて、私は初めて死というものを意識した。今まで、意識しないで生きていたことに、やっと気が付いた。

今日、苗のお客さんから、野菜の栽培についての質問がメールで来ていた。「いつも上手に野菜ができないのだが、どのように肥料をやったらよいか」という質問。
私は昨年から取り組んでいる、「天然循環法」について簡単に説明した。
「天然循環法」とは、天と繋がって直感で感じ、作物と会話しながらやるもの。「ある世界(現象界)」の中だけの循環ではなく、「無い世界(潜象界)」から湧き出てくるエネルギーを含め全ての循環とともに行うものだ。
野菜ができない=肥料が必要、ではないこと。肥料がなければできないと思っていたが、天然循環法に切り替えてから、肥料無しでやってみたら、とてもいいものが出来たのだ。
そこから学んだことは、固定概念を捨てて、信じてそこに賭けきる心の大切さ。

天然循環法に取り組み始めたころ、疑いが全く無かったわけではなかった。もう駄目かな、大丈夫かなと黄色くなったキュウリに、畦で刈った青草を敷き続けた。それを信じてやるぞ、と気持ちを切り替えてやった結果、最初は苦しそうだったキュウリやナスが、ある瞬間、スイッチが切り替わった。あの見事なキュウリの葉の茂り方を見て、私はとても感動したことを思い出した。淡く美しい緑色のトンネル。左右バランスのとれた美しい葉の形。余分なものがなく、清楚な空気がそこにはあった。
ある年、ナスにアブラムシが大発生した。どうにも仕様が無かった。私たちは農薬など一切使わないので、そのままにしておいたら、いつのまにかテントウムシが大量に発生して、いつしかナスはきれいになっていたことも思い出した。

自然の中にお手本があった。もともとある力を信じて賭けきったとき、その答えが与えられる。不安や恐れから、手術を選ぶのではなく、自分の可能性にかけてみようと決めた。
どうせ死ぬのだから。
どうせ死ぬのなら、悔いの無い選択をする。不安や恐れの方ではなく、信じる方を選ぶ。

だからといって、ガンが小さくなったり、無くなってしまう保障はどこにもないが、もしガンが大きくなっていたら、まだ信じる心が足りなかったと、さらに前に行くだけだと思う。

全ては善への旅である。
ありがとうございます。

 

■    ■    ■
 
 
 

全ては善への旅である

 
どんなに真理を得ようと思っても、どんなに真理を生み出そうと思っても、それを受ける器がなければ真理は降りてこない。真理への道は無限にあるが、そこに行く意思がなければ意味がない。道を語ろうと思っても、聞く者がいなければ語れない。信じる者は救われる。求める者に道は開かれる。歩む者に目的は現れる。
世界に痛みの伴う秩序があるのは、まっすぐ立つことへの指針である。道があっても目的地のない道は無意味である。曖昧な道を歩んでは目的地には到達しない。

世界に秩序があるのは目的地に人をいざなう為にある。秩序に溺れて漂う為に秩序があるのではない。世界の秩序を感じなさい。それはあなたを目的に導く道である。秩序が観えない者は目的地に行くことができない。秩序は世界の法である。秩序は世界のすべてに喜びを与える。世界は秩序の海である。秩序の中にあって内から自我を発する者は、法に反する者である。

内なる自我に捉われず、外の秩序に従うこと。内なる自我を取り去ることで内なる鏡が磨かれて、外の秩序が映し出される時、外の秩序が内の秩序になる。自我を捨てることではない。それは、自我を描くこと。そして自我の鏡に外なる秩序を映しなさい。そうすれば自我は消え、内なる秩序は無限の秩序となる。
世界には秩序が蔓延している。道があることを知らぬ者に道はない。道を歩まぬ者に道はない。道を求めぬ者に道はない。道を待つ者に道はない。道を観る者に道は観える。道を歩む者に道は開かれる。道を歩む者に目的は観える。この世界には秩序がある。

この秩序が観えるか?すべてを繋ぐ秩序。織物のように紡がれ、無限に連鎖する。連鎖とは繋がり。目的はひとつ。すべてはひとつであること。ひとつであることは区別がないこと。その元には善意、愛、調和。その姿は真、善、美。世界を紡いでいるのは善意。愛に基づいた善意。美に基づいた善意。それが真理。
世界に善を見いだせない者は内に濁りがある者。世界に悪を見る者は内に悪を持つ。世界の実相は善意。世界のすべてに善を観なさい。出来事は世界の真理、善を見るための情報。すべてに善を観ぬ者は内に悪を持つもの。すべてに善を観なさい。世界のどこにでも善を観なさい。

世界に善を観ない者は内なる悪を持つもの。汚れを取り去り、美しくしなさい。それを鏡としなさい。そして真理、善を内に映しなさい。その者は世界を照らす者。内なるものも外なるものも善を創るもの。この世界に悪などありはしない。悪があるとするならば、それは善への道しるべ、善を顕す為にある。すべては善の為にある。善という美であり、真理である。すべてに善を観なさい。

計る心に悪が生まれ、計る心に善が生まれ、計る心にすべてが生まれ、計らなければすべてが消える。

愚か者に悪が生まれ、光への旅に善が生まれ、光への旅に喜びが生まれ、光への旅に愛が生まれ、光への旅に調和が生まれ、光ヘの旅に真理が生まれる。

見えぬ者は内なる鏡の汚れに気づき、自らの盲目に気づきなさい。

真理を観る目を育てなさい。真理を観ようと努力しなさい。そして信じなさい。世界が善意で創られていることに目覚めなさい。愚かしいと思えることのすべては善の為にある。

すべては善への旅である。すべては善への旅である。すべては善への旅である。
すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。
すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。

その心が世界を美しくするのです。有難いことです。有難いほどの真理の元に、この世界の秩序がある。それに気づいたならば、どうして世界に不足など生まれましょうか。ただ有難いと思って生きるのみ。有難いことに気づいたならば、有難い神秘が世界に紐解かれ、有難いが現れる。有難宇御在益。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

 

 

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病気とは何か。生きるとは何か。

そんなことをテーマに、
5月17日(日)、出張木の花塾@船橋を開催します。

きょうこちゃんも参加して、自身の体験を語ります。

140729-083407
     皆さんのお越しをお待ちしています!

→詳細はこちら

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実録・心の問答集 〜 いさどん vs よしてる〈後編〉 

前編からの続き 〉

 

2015年1月20日 ケア滞在16日目

昨日たかちゃんと話した具体的な内容ですが、整理できそうにないのでそのまま書きます。

た「卒業後とか、この先どうするの?」

私「考えていない。」

た「不安じゃない?僕は不安だ。色々考える。不安はないの?」

私「不安は出る。でも、不安が出る人は、先のことを考えていてもいなくても、不安は出ると思う。だから、考えていなくても同じ。だから、考えなくてもいい。それに、ケアに来ている立場だから、ケアが終わってから考えることにしている。今の自分が考えることと終了後の自分が考えることは違うといさどんから伝えられているし、自分もそう思う。だから、考えても無駄だから考えない。考えるべき時が来るから、その時考える。」

~いさどんからのコメント~

名回答です。

た「委ねるということができない。自分で決めるという気持ちがある。」

私「自分もそう思う。人の意見を素直に聞くとか、委ねるとか、そういうこともそうするぞと自分で決めること。たかちゃんの言うように、結局は全部自分で決めることだと思う。」

た「人と話している時に、自分も話さないといけないとか、話していない自分を悪く思う気持ちがある。カトケンに、別に話さなくてもいいんじゃない?と言われたのだけど、そう言われても、そういう気持ちが出る。」

私「カトケンが言っているのはその通りだと思うよ。でも、僕やたかちゃんのようなタイプだと、そういう言われ方をしても抜けられなかったり、逆にはまってしまうかもね。良い悪いで判断する癖が強いと、話さなくても良いと言われたら、逆の悪いを作ったりするし、そう言われて話さないでおこうとしても、心の中ではこれで良いのだろうか?とか、また別の良い悪いにはまったりして、そういう状態から抜けられなかったりするかもね。僕もそういうところがあって、普段どうしているかというと、おやつの時間を例にしたら、話さないといけないという『自分が』という意識を集まりの円に広げてみる。それからもっと広くしていく。そうしたら見えてくるものがあるから、その時に見えてきたもの、例えばみかんが見えてみかんが食べたいと思ったら、もうその時今までのとらわれから外れている。この時、正直になることも大事。みかんを食べたいをそのまま行動してみるとか。そんな感じでとらわれから離れることを試してみたりしている。人によって理解しやすいやり方とか、受け入れやすいやり方があると思うから、たかちゃんもたかちゃんなりの抜け方を作っていけたらいいね。それから、そう思う元の心があるはずだから、それを見つけることができたら、なぜそう思うかがわかって、問題事が起きなくなるかもしれない。」

~いさどんからのコメント~

ナイスアドバイスです。

私「この先、社会に出て、仕事をしたりする場合でも、行動や考えの元になっている心を見るということは、とてもプラスになると思う。全部とはいかないまでも、一割でも取り入れていければ、今までうまく行かなかったこともうまく行くかもしれないし、問題事も減らせると思うし、やりたいこともスムーズにやれるようになるかもしれないよ。」

昨日のたかちゃんとの会話は大体このようなものです。たかちゃんは真っ直ぐこちらを向いて、しっかり聞いてくれていたと思います。それでその後、日記を一生懸命書いていました。

~いさどんからのコメント~

たかちゃんのサポーター役をしてくれてありがとう。

昨日のコメントで、「もっとしっかり振り返って下さい」とありました。体力的な問題、疲れが溜まっている、回復がうまくいかないというのは、今までの生活が体を使うものではなく、リズムの悪い不健康なものだったということが一つあると思います。それから、まだまだ余計な思考にエネルギーを使いすぎていることもあると思います。エネルギーを取ろうと思い、食事はしっかりと食べようと思っていたのですが、消化吸収がもたついていて、それがエネルギーの負担や循環の悪さにつながっていたと思います。時間の使い方も、もう少しメリハリがあったり仕分けができたら、もっとうまく行けたと思います。新しい所への切り替えが潔くできていない。まだ今までの自分を所有している。取り組む姿勢や意識の低さ、向かう意志の弱さがあると思います。甘えたい気持ちや依存していることの楽さに気持ちを取られている所があります。大人へと向かう方向へしか道は切り開けないとは思っています。いや、大人になって気持ちよく生きていけるようやっていきます。

~いさどんからのコメント~

良く自分を振り返ることができています。その振り返りをしっかりと身につけて、これからは他者の為に生かしてください。

お風呂で長期滞在中のあわちゃんと話した。「この先依存せずに甘えずに生きていたいのだけど、どうしたらいいか・・・」と言っていた。大人サミットで言えば、どんな柱でもいいから柱を一本通したら、人の影響に引きずられたり依存しようとしなくなると思う。まずは柱を通して大人になることだと思う、と伝えた。自分も思うだけでなく、そうなるように積み重ねていく。

~いさどんからのコメント~

ナイス姿勢です。

昨日のたかちゃんとの会話で、たかちゃんはああしたい、こうしたいがあると言っていた。それで、僕はそういうのが少なくなってきているという話をした時に、なぜ?と聞かれたので、「ああしたい、こうしたいがある時は不満があるからで、ここの価値観が入ってきたり、こういった生活の中にいると自然に満たされていくので、不満が減っていってやりたいことが少なくなっていく」と話した。思い出したので追加しておきます。

~いさどんからのコメント~

これからも正直に自分を出して、自分の為に、そして同時に人の為に取り組んでいって下さい。そうすれば、新しい人生は自然にあなたの前に現れてきます。自らの変化によって喜びが生まれてくるような、希望ある生き方をして下さい。

 

2015年1月21日 ケア滞在17日目

午前はキッチンでの作業だった。作業にも集中できたし、気分良く過ごせた。途中で被害妄想にとらわれることはあった。キッチンの人達とはあまり接する機会がないので、入れて良かった。

午後は畑で玉ねぎの補植をした。おやつの時間にひろみちゃんは、「私の心の形は陽性なので、物理的なほうばかりに気が向く」と話していた。そのことを気にしている様子だった。そして、「あきちゃんにガンガン言われることにうっときて、どうしても身構えてしまう」と言っていた。その時はメンバーの人達で、メンバー同士でどう場を創っていくかということを話し合っていたので、色々思ったけど口に出さなかった。作業後、ひろみちゃんに送ってもらうことになった。その時、今だと思い、おやつの時間に思ったことをひろみちゃんに伝えた。「ここで過ごしてきて、個性に悪いものはないのだと感じてきている。ひろみちゃんの個性もそのまま出せばいいと思うし、あきちゃんもそうだと思う。我にとらわれると悪い癖として表現される。あきちゃんはデリカシーのなさを自覚していて、それを気にしている。でも、正直に伝えるという面で個性が良いように出ている。ただ、伝え方にデリカシーのなさがある。それで、相手が嫌な気持ちになるときがあるかもしれない。ひろみちゃんはあきちゃんに対してうっとすると言っていたけど、それはひろみちゃんだけの問題ではないかもしれない。うっとさせる人のほうにも探っていけば、何か問題があるかもしれない。よく調べてみるとわかってくるかも。お互いの信頼関係の問題であるとも思う。あきちゃんもデリカシーのなさを気にしているのだから、ひろみちゃんが思ったことを伝えてあげたら嬉しいかもしれない。」そう伝えると、ひろみちゃんは「そうかもね。機会があったら思ったことを伝えてみる。でも、多分私の問題だと思うけどね」と笑っていました。

~いさどんからのコメント~

以上のところをミーティングでシェアして下さい。メンバーでもそこまで自らをしっかりと振り返れている人ばかりではありませんので、皆にとって良い見本となっています。

お風呂であわちゃんとカトケンが話をしていた。あわちゃんは、いさどんとの面談音源を何度も何度も聞いて、浸透させようとしていると言っていた。二人は理屈のことを話していて、要するにこうでああでとずっとそんな感じだった。お風呂であわちゃんは色々な人とそのような話をしていることが多い。そういうあわちゃんを見て、わかろうとしているのだと思った。特にあわちゃんが私に話しかけてくるわけでもないし、押し付けがましく思ったことを言うのもどうかと思ったので、話しかけはしたが、関係のない話を少しだけした。でも、あわちゃんに何かを言いたい気持ちはあった。ちょうどその時なかのんが入ってきたので、なかのんの隣に行き、話しかけた。「色々とプラスになるような知識があっても、それにとらわれることがある。とらわれようと思えば、何にでもとらわれるね」となかのんに言った。そうしたらなかのんは、「そうだね。知識だけではなく、直感や経験を通して感じることが大切だね」と期待通りの返事をしてくれた。「その上で得た知識と比べていって、自分なりのものを創っていくことなのかな」と二人で話した。あわちゃんはこの会話を聞いていたと思う。聞いていなくてもいいけれど。

~いさどんからのコメント~

ハイレベルの会話ができています。

 

2015年1月22日 ケア滞在18日目

午前中はキッチンでの作業。昨日の被害妄想にとらわれず、気持ちを新たにして取り組む。自分を守る姿勢を崩す。どう思われているか、気になる時はある。今までに比べたらとても少ない。基本的に楽しく集中して過ごせた。まわりの人たちとのコミュニケーションも良かったと思う。不安や恐怖、寂しさはまわりとの分離感から来ていると思う。今日は至れり尽くせりでとても居心地が良かった。分離感を減らしていくために、もう一度今まで取り組んできたことを復習して定着させていく。それがこの前の面談でいさどんから与えられた課題でもある。昨日のあわちゃんの姿勢を見習う。昨日のひろみちゃんについても自分の鏡だと思うので反省する。全員が何らかの先生であり、反面教師でもあると思った。自分にとらわれなければ、ただ個性を表すだけの、先生でも何でもないような世界になるのかもと思った。

疑問に思ったことがあったので・・・。自分をコントロールすることについてですが、今の自分にとっては正直・素直・信じるところへ自分を促す意味として捉えています。ただ、そうしていくことで、むしろ自分でないものにコントロールされるような気がしています。そして、コントロールされるということは、個性を発揮していくことにつながるとも思います。コントロールされていくためにコントロールしていくという妙な感じになりますが、実際にはどういうことなのでしょうか?それとも、その人の目指す所によって、自分をコントロールする意味合いは変わっていくものなのでしょうか?

~いさどんからのコメント~

そうですね。自我の力が強く働いていると、まわりに流れている流れに乗れません。リラックスするには、感情的な思考(強い自我)から離れることが必要です。その為に心を磨き、正直・素直・信じるの状態が思考の元にあることが大切です。自分でないものとは、自我から解放された新たなものとなることです。自我から離れて、この世界(宇宙)の法則のままに自由にあることです。ただ、人それぞれの意識レベルによって段階はありますから、今目の前にあることに正直・素直・信じるという姿勢で向き合うことが常に大切なのです。

 

2015年1月23日 ケア滞在19日目

今日一日、色々な人と色々な話をした。自分なりに思ったことを話した。10人以上と話したけど、今日は全員ここのメンバーの人だった。常日頃から自分自身と向き合い正確に心を見ていくこと、一つ一つ行動していくことが大切だという話が多かった。どんな所にも心が表れていて、見ようと思えば心を見ることができるという話もあった。夕食中、あっちゃんと話した。大人サミット以降、あっちゃんがあわちゃんにどういう心で接していたかを聞いてみた。あっちゃんは「自分自身の行動や接し方が的を射ていたかどうかはわからない」と言っていたが、その元にある心は僕の心よりも深いものだと思った。自分の未熟さを感じた。勉強になった。

~いさどんからのコメント~

心の探求は、生きている限り続いていくものだと思います。その求める心が常にあれば、人は常に学び、成長していけるものです。その中では希望があふれ、喜びに満ちているものです。

 

2015年1月24日 ケア滞在20日目

食事中、子供ミーティングを子供の側から見る。大人に心を開いていないと堂々と発言できる状況ではないと感じた。食事中や食後の皿洗い中に子供達と触れ合う。自分との心の開き具合の差を感じる。癒されると同時に、良い見本を見せてもらう。

~いさどんからのコメント~

子供の側から見る物事の捉え方は、子供の側からの捉え方であって、大人の捉え方をすると別の考えも出てくるのではないですか。

食後にあわちゃんと話す。ここは子供が育っていくにはとても良い環境。自分の育て直しにとっても良い環境。そう二人で話し合う。その後、あわちゃんは「ではどうすればいいのか?というところで悩む」と言っていた。まわりがバタバタとしていてそこで話が途切れた。僕は、それは正直・素直・信じることをしたらいいのではないか?と思った。

~いさどんからのコメント~

そうですね。

そう言いたくもあったけど、タイミングを逃して言えなかった。あわちゃんの雰囲気は悪くなかったので、まあいいかと思った。僕もまだまだの所にいて、そして共に学んでいるのだと思える人がいる。そういう仲間がいることがここでは当たり前のことだけど、ここに来る前はとても孤独だった。それを思うと、今のこの環境はとてもあたたかい。

~いさどんからのコメント~

僕も本当にそう思います。

ふっと思ったこと。正直・素直・信じるということは、誰に、何をという所が大きく関わってくるという説明がありました。自分で自分の心を見る場合、緻密に見たとしても自分の枠の中で見てしまい、自己完結して本当を捉えきれないかもしれません。正直でありさえすれば、緻密に見ることは必要のないことなのかとも思いました。そういうことを考えていたら、昨日のいさどんのコメントを思い出しました。「求める心。」それがキーワードのような気がしました。求める心があれば、信じて間違いないものに出会うのかなと思いました。そうであれば、先程の私の考えるようなことは考える必要のないことなのかもと思いました。そもそも信じる心があれば、そのようなことは考える必要はないですね。

~いさどんからのコメント~

とても良い投げかけです。ミーティングで質問して下さい。あなた一人に答えるのは、もったいないからです。

【ミーティングでのいさどんの説明】

「正直・素直・信じる」の正直は、まず自分のありのままを表現することです。正直は一つしかありません。ですから、正直を言うのであればいつも簡単なことです。正直が複雑にある時には「複雑にあります」と言えばいいだけですし、正直がいくつかある場合には「いくつかあって、これとこれとこれです」と言えばいいので、結局正直は一つだけなのです。ところが、ウソをつくとその中身は沢山あるのです。まず一つウソをつくと、それがバレそうになったら次のウソをつき、また次のウソをつく・・・とずっとウソをついて生涯ウソをついていくことになります。その場合は頭をすごく使うことになるので大変です。ウソつきほど頭を沢山使っていますし、詐欺師はある意味大変能力が高い人たちです。その能力をまっとうなことに使えばよっぽど世の中の為にも自分の為にも良いのです。それにひきかえ正直はただありのままを言えばいいのですから、全く頭を使わなくてもいいのです。

そこで、正直を言う時に、もう一つセットで必要なものがあります。それは素直な心がないと、正直は出てこないのです。素直は素に直る。素は元という意味です。その元はどこにあるのかというと、この世界の元です。この世界の元は宇宙原理ということにもなりますが、自分の中にある良心のことでもあるのです。それは自分を創っている一番元の心です。それに直るということが素直ということで、素直に合ったこと、つまり内にある駆け引きや思惑のない言葉を伝えることは、仏様の心を持っていることになります。人は、このような心を表現する人を憎みませんし、攻撃もしません。仮にその人が間違っていても、代わりにまわりの人がかばってくれるのです。こういう人を徳のある人と呼びます。

ところが、普通の人が正直に素直に生きようと思っても、それはなかなかできません。「この人はこういう人だ」と思っても、「そんなことを言ったら、逆に叱られてしまうのではないか、自分が損をするのではないか」と余分なことを考えてしまうのです。そうやって自分の損得を考え、相手の想いを勝手に膨らませて、正直を伝えずウソをつくのです。そうすると、本当に正直になるには勇気がいるのです。勇気がいるということは、やはり信じていなくてはいけません。その信じる時に、ほとんどの人は条件付きで信じようとするのです。「これをしたら自分が良い思いをする」とか、神社に行って「ご利益をもらえるのなら信じる」と思っているのです。しかし、信じるということは、わかったらやるとか、約束をしてくれたらやるということではないのです。わからないけれどやる、というのが信じることなのです。木の花のメンバーも、一体全体自分たちがどこへ向かっていくのかわからなくても、大事だと思うからこれまで歩んできたというのは、信じる心があるからです。つまり、信じることは、素に戻る、常に変わらない自分の大元に自分が直ることです。そうすると、正解がどうなのか、行く先が良いのか悪いのかはわからなくても、ただ正直に素直に生きていくことが、信じる心のベースにあるのです。信じる心ができると、勇気が湧いてきます。そうすると、とてもたくましく生きていくことができます。それは覚悟ができていることでもあるのです。

そうすると、知意行の元の心である決意ができて、それで人は道が開かれていくのです。カタカムナでは「知意行一体」といって、知は知ること、意は決意すること、そして行は行うことです。その三つが一体でないといけないのです。そうすると、最初に知ることが必要になり、その知る内容によって決意するレベルも変わってきます。そこで、まずは何を知るか、次に知ったことに対してこれは大切なのだから行じていこうと決意し、行いになるのです。そうすると、人は言行一致の人になります。言行一致の人は言ったことを行うのですから、これを正直な人生というのです。言ったことをやらなかったり、思ってもいても出さないというのは不正直であり、知意行一体にならないのです。この知意行全てをマスターした段階に至った人は、ものをグルグルと考えなくても、直観で物事を判断できるのです。ですから、知意行一体の後に初めて直観が湧いてきて、考えるよりも鋭い真理が湧き出してくる人になるのです。

同じように、正直・素直・信じるは三位一体なのです。一つずつではダメなのです。正直と素直と信じるがセットになって初めて意味があるのです。

 

2015年1月25日 ケア滞在21日目

朝、かずこちゃんに中神倉庫まで送ってもらった。かずこちゃんが、昨晩いさどんと僕のノートのことで話をした、と言っていた。かずこちゃんは「メンバーでも慶晃くんほど心を振り返ることができていない人もいる」と言った。僕は「メンバーの人達と僕とでは日常の作業量が違いすぎる。僕は心を見る余裕がいっぱいある。それにちょっと作業をしただけでも、心を見る精度も頻度もガクッと落ちる。いさどんはメンバーの人達に、それでもやればできるはずなんだよ、それほどあなたたちは素晴らしい人達なんだよ、と伝えて期待しているのだと思う」と言った。この話を終えて、一人中神倉庫で車から下りた。この時、自分に違和感を覚えた。自分の言いたいことに気を取られ過ぎて、かずこちゃんの話を丁寧には受け取っていなかった。こういうコミュニケーションではダメだと思った。自分が強い。

~いさどんからのコメント~

素晴らしい振り返りです。日常の生活(行動)に生かしていきましょう。

午後の作業が終わり、家に着く。外でたかちゃんと話す。たかちゃんはこう言った。「今日カトケンに違和感を感じた。いつもよりとても作業が雑で荒かった。あまり良い感じではなかった。でも言えなかった。正直に出せない。言ったら悪いのではないかと思ったり、出さないほうがいいのではないかと考えたりしてしまう。おやつの時カトケンに、道の真ん中ではなくもっと端でしたほうが良いと思ったけど、言えなかった。結局ひろみちゃんが、もっと端じゃないと邪魔だからと言って、端に移った。その時、正直に出してもいいのではないかと思った。でも、正直に出せない自分がいる」とたかちゃんが伝えてきた。それを聞いて僕は「たかちゃんが出さないほうが良いか悪いか考えても、それはたかちゃんの枠の中で考えているから、結局わからない。出せば、結果が見られるから、それでわかるかもしれない。わかりたかったら、考えないでそうしたほうが良い。カトケンも自分を振り返るきっかけになったのかもしれない。たかちゃんは僕に違和感を感じたかを聞いたけど、僕はカトケンを見ていなかった。あの時あの場でそのカトケンを見ていたのは、たかちゃんだけだったのかも。そのたかちゃんだけの視点が集団に加わると、その視点がプラスされて新しい何かが生まれるきっかけになることもあると思う。おやつの時の話もたかちゃんが正直に出していたら、正直に出したリターンを感じられたと思う。前にたかちゃんが、自分を好きになれないと言っていた時にアドバイスしたことは、そういうこと。正直に出してその反応を受け取ることで、自分を認めて自分を好きになれることにつながる。(今日は良いチャンスだったというニュアンスで。)

それから、たかちゃんの話の中でひっかかることがある。それは正直に出せないという言葉。出せないのではなく、出さないが正しいと思う。以前いさどんが、人は毎日3000回の選択をしていると言っていた。その言葉をそのまま受け取るとしたら、みんな常にやる、やらないの選択をし続けているということ。だから、やるかやらないかしかなくて、できないということは現実にはありえないこと。できないことは他の何かにそうさせられているというニュアンスがある。でも、本当はできなくなる元の心があって、その心は自分が持っている心。その心があって、やらないことを選んでいることが事実だと思う。」

僕がそう言うと、たかちゃんは「確かに僕の中に人にどうにかしてもらおうとか、甘える心がある。何かのせいにしている心もある」と言った。僕が「それは本当に自分の中を見て言っている?」と聞くと、たかちゃんは「うん、自分の中にある」と言った。それから、「やらないという言葉を使うとスッキリする。やらないという言葉を使っていけば、できないではなくやらないと思えるようになる?」と聞いてきた。そこで僕は「自分の心を見ていけたら、できないではなくやらないことがわかってくるかも。やらないという言葉を使っていくと、そう思えるようになるかもしれないし、それは僕にはわからない。たかちゃんが色々やってみたらいいと思うよ。それから、僕の話だけではなく、色々な人の意見を聞いてみてね。僕は僕の経験と僕に合うやり方を持っているだけかもしれないから、それがたかちゃんに合うかどうかわからない」と答えた。

その時、長期滞在中のまもるくんが話に入ってきて、「何を話しているかわからないけど、結果は結果でブツブツ・・・続けていけばブツブツ・・・」と言ってきた。たかちゃんはその時イラッとしたらしい。まもるくんはそういうことをよくしてきて、そのたびにたかちゃんはイライラすると言っていた。でも、そういう時正直に出さないことが多いと言った。イライラを相手に出すと悪い気がするし、相手の顔色を見て卑屈になって言えなくなったりすると言っていた。そういうイライラしている時も言っても良いのか?と聞かれ、それも出してみないとわからないと答えた。

「いさどんは『自我がないと、行為は自分のためにも相手のためにもなる』と言っていたけど、自我があっても結局お互いのためになっている気がするし、それはわからない。僕もまるるくんにちょっと違和感を感じたけど、まもるくんの顔に変な空気はあまり感じなかったから、何を伝えたいのか聞いてみた。それで、結果は気にしないで続けていくことが大事だと言いたいの?と聞くと、まもるくんはうんと言って、スッと消えていった。そういう感じで僕は今自分が思ったことを行動してみた。たかちゃんもそんな感じで色々やってみたらいいよ。客観的にといさどんも言っていたでしょ?外にもう一人の親のような自分がいる感じで、こういった会話を聞いていて、『いいぞ、たかちゃん、いいやり取りをしているね』とか、『こういう時どう選ぶの?』とたかちゃんを想って見守っているような感じ。そういう視点をつくって自分の今を見るといいよ。客観的に見るということはそういうことだと思う。それから、今日のおやつの時のやり取りでもあったけど、この世界はまわりで全部うまくいくようになっているから、力を抜いて気楽にやっていったらいいと思うよ。僕もすぐ固くなるし、そういう時は特に力を意識している。」

・・・というような話をしました。たかちゃんはちゃんと聞いてくれました。

~いさどんからのコメント~

良い役割をありがとう。ミーティングでシェアして下さい。

今日は課題の部分はできたと思います。一日良い感じだったと思います。書かなくても良いような日常のやり取りも書いてみました。こんな感じで過ごしましたということを伝えたくて・・・以上です。

~いさどんからのコメント~

一日を何の滞りもなく過ごせることを目標にしましょう、とよくケアの人に伝えます。その余裕の状態には沢山の学びがありますね。

 

2015年1月26日 ケア滞在22日目

昨晩、いさどんにノートを返してもらって部屋に戻った後、「しまった!」と思った。昨日のノートのコメントについても書こうと思っていたのに、書き忘れてしまった。自分の書きたいこと、伝えたいことに気が行き過ぎていて、もらったコメントに対して書くことを後回しにし、ついには忘れてしまっていた。少し落ち込んだ。今はまだそういう自分。そう思って寝る。

一昨日のコメントで、「大人の捉え方をすると、別の考えも出てくるのではないですか」とありました。大人達は子供の成長をあたたかい心で見つめ、共に日々の出来事を楽しんでいると思いました。その中で成長に邪魔なものをチェックし、子供のためにそれを伝えるという大人としての態度も持っています。子供達が正直で素直にその場にいられるような大人のあり方も問われていると思いました。客観的に見てみると、良い関係性でスムーズな人間の循環が表れていると見えました。

~いさどんからのコメント~

そうですね。木の花の子育てもだんだん成長しているのでしょう。

午前中、話し込み過ぎてまわりを忘れる時があった。その度にひろみちゃんが作業に引き戻してくれた。まわりを忘れるのは、分析すること、人に意見を聞いてもらうことに悦を感じているからだと思う。自分勝手な思い込みとウソがストレスや不満の元。それらを減らして意識を広げて色々なことができるようにしていく。

~いさどんからのコメント~

自分の中にある本当とウソは自分が一番良く知っています。コントロールすることも自らの力です。コントロールする力を身につけましょう。

~慶晃くんからのコメント~

はい。

中神倉庫へカトケンと向かう。カトケンに「お願いがある。声が小さくて聞こえにくいことがよくある。もっと聞こえるように声を出して欲しい」と伝えた。「言ってくれてありがとう」とカトケンは言ってくれた。思っていたことは伝えたが、うまく伝わるように、気分を害さないようにという思惑がある。それが言う時、言い方に表れている。正直を出したとは言えない。

~いさどんからのコメント~

正直に素直を足して考えていくことですね。

~慶晃くんからのコメント~

そうですね。正直ばかりに意識が行っていました。

食後、あわちゃんに声をかけられる。昨日いさどんと面談をしたこと。僕の話が出たこと。僕の言葉に反発していたこと。共に学ぶ仲間として思っていること。ここはあたたかい場所だということ。そして、これからもヨロシクと伝えてくれた。僕もヨロシクと伝えた。

~いさどんからのコメント~

良い役割をしてくれていますね。

最近、私の意見を聞いてくる人、ノートを見せて欲しいと言われる機会が増えている。いさどんの話の影響が大きいのだろうけど、そういうことがあるということは謙虚な心を忘れずにいるということだと思った。こういう状況にとまどいはある。行動が伴っていないところが多いから。行動を伴わせていくきっかけとして捉えることと、これまでの行動があるからこそ今の状況があると理解しておこうと思う。

~いさどんからのコメント~

それで良いですね。

お風呂場でこうちゃんと隣になった。こうちゃんが話しかけてきた。「このあいだ言われたこと。僕がなかなか自分を捨てられない、捨てたと思っても次々と湧いてくる、捨てるということがどういうことがわからない、いつまでたってもそうである自分が嫌だと言ったことに対し、慶晃くんは自分が嫌だという自分を所有していると思った、それを所有していると次に同じような現象が必要になってくると思ったと言っていたよね。あれはその通り。捨てていくことと方向性を持つことだね」と言っていた。僕が「方向性と聞くと先のことを考えて不安と恐怖が出る」とこうちゃんに伝えると、「方向性というのは時間軸のことではなく、視点のことだよ」と教えてくれた。自分意識か地球意識か宇宙意識かということを説明してくれた。なるほど!と思った。とても良い話を聞いた。先への恐怖は、はっきりとは見えない。ただ、先を考えると自分にとらわれる。今に向き合い、意識を広げると、とらわれなくなる。とりあえず意識を広げるツールとして、先への恐怖を扱っておく。

~いさどんからのコメント~

その時その時、今を生きることです。先案じはエネルギーの無駄使いです。

~慶晃くんからのコメント~

はい、気をつけます。

色々書きましたが、心を見ることをしていないと思う。書いている内容が薄いような気がしている。そういう気がして、いさどんのコメントを読み返してみた。ケアとしては上出来かなと思った。

~いさどんからのコメント~

そうですね。他の人の見本にもなっています。しかし、心を磨いていくことは一生のことですから、いつも心掛けていきましょう。

 

2015年1月27日 ケア滞在23日目

今日はケアがスタートしてから三週間が経ったので、面談があった。いさどんからは、あと一週間でケアを卒業することを視野に入れて、今後の方針を決めていくことが次の課題として与えられた。今の状況に執着がある。今、結構楽しいというか、楽しくなってきたばかりだから、次のステップに行くのに後ろ髪を引かれる思いだ。先をどうするかは考えるし、アンテナをはっておこうとは思っている。でも、そういう心があるのは事実・・・と今日のミーティングでもみんなに伝えました。知意行一体の話を聞いて、決意ができないのは正直・素直・信じるが少なくて、たくましくなっていないからかなと思いました。とにかくアンテナをはっていれば、何かしらひっかかると思うので、ひっかかったものを元にして考えていきます。

~いさどんからのコメント~

そうです。特に正直・素直・信じるの信じる心です。「感情を抜きにして物事を観る」ことですね。

 

2015年1月28日 ケア滞在24日目

朝、ちょっと鬱っぽくなる。やる気が出ない。嫌だ嫌だとなっている。正直・素直・信じるから逃げたい。自分自身の妄想に負けている。今日だけのことを考えると気持ちが晴れるが、温泉につかっている状態から出たくないという感じ。それでも31日の富士浅間木の花祭りのことを考えると、ワクワクする。自分が変化するポイントになる気がするから。花祭りはポイントにならないかもしれないけど、先の自分の変化を楽しみにしている自分もいる。枠にとらわれたり、開放されたり、そういうことが面白い。

~いさどんからのコメント~

そうですね。自分の中にある色々な所も楽しんでいける余裕を持てるといいですね。

~慶晃くんからのコメント~

そういうスタンスを崩さないようにやっていきます。

午前中、中神倉庫で作業。作業しながら話をした。色々話したが、くわっちに「覚悟を決めるだけだね」と言われた。たかちゃんも覚悟を決めて、2月15日から開催される1ヶ月間の真学校に臨んでいると言っていた。覚悟を決めること、それが課題。

~いさどんからのコメント~

ワッハッハー!まだそんなことが課題になっているの――!!

~慶晃くんからのコメント~

なっています。一番の課題です。勇気を出します。

今日は大人サミットに参加していたけんくんがここに来ていた。大人サミットの時、僕があっくんのことを日記でシェアした後、けんくんも子供のことで色々考えていると教えてくれた。悩んでいるようだったので、僕もここに元パートナーと子供と来た経緯やその時の思いを話したことがあった。今日の昼食中けんくんと話し、色々と心の見方の話をした。その話の中で、どうしてその状況を選ぶのかという元の心を見ることも大切だねという話が出た。僕は自分を育て直すためにここに来た。ここには人を育て直す秘訣があるから、ここに来たはず。それを取り入れないでここにいることは、意味がない。大人サミットに始まって、大人になって終わる。そういう道筋にしていく。

~いさどんからのコメント~

それは良い心構えですね。

~慶晃くんからのコメント~

ありがとうございます。みんなのおかげです。

自分で考えて先のことを決める一週間。いさどんのコメントを読み返してきっかけを探る。「その時その時、今を生きることです。先案じはエネルギーの無駄使いです」とあった。その通りと思い、とりあえず今日は今日のことをする。ひょっとしたら決意さえあれば、考えることなく目の前に現れることなのかもしれないと思った。

~いさどんからのコメント~

その通りです。

作業の帰りにかずこちゃんと話す。かずこちゃんに滞りが起きて、自分を見ようとしていると話をしていた。かずこちゃんの話をいさどんの言葉を元に解説してみた。お互い色々あるね、と言って別れた。今までよりもっと心を見ようとしている人が増えていると思った。そういうことを促す役割を僕はしているのだろうか。知意行の知はある程度は入ってきていると感じる。次は意です。

~いさどんからのコメント~

みんな、お互いのことに刺激を受けているのだと思います。

~慶晃くんからのコメント~

そうなのですね。僕もそうです。お互いにお互いが価値のあるものなのです。

食事中、まり姉が声を掛けてきた。僕に色々見てもらいたいと思ったけど、自分自身で天意を降ろすように気持ちを持っていったと話してくれた。まり姉は改めて天意を自分で降ろすことを決意したのだと思った。そして、上を見過ぎずに今あることを見て、階段を一つ一つ昇っていくことが一番スムーズだよと教えてくれた。まり姉の姿勢とアドバイスに感謝。

~いさどんからのコメント~

道理には、天の理と地の理とがあります。いずれその両方が得られると良いですね。

ミーティング前にあわちゃんと話した。あわちゃんの前向きな気持ちに背中が押される思いがした。

~いさどんからのコメント~

それは良い関係に育ってきましたね。

 

2015年1月29日 ケア滞在25日目

午前中、ひろみちゃん達と落ち葉かきをした。少しだけど桜の花が咲いていた。ひろみちゃんが「若い咲きだ」と言った。それから、「今の時期は地上のほうが冷たく、地下のほうがあたたかい。植物はこの時期、地面の下で大きく根を広げていく」と話してくれた。この話を聞いて、自分自身もまだ今は地に足をしっかりとつけていられるように、根を広げていく時期なのだろうか?早く咲き過ぎないように見極める必要があるのだろうか?何を決意したらいいのだろうか?と色々考える。くにさんに「なるようになるよ」と言われ、そうだと思い、考えるのをやめる。

~いさどんからのコメント~

それは良いことに気付きましたね。シンプルなことが一番楽です。

午後は味噌作り。作業も淡々とこなし、コミュニケーションも表面上は問題なくやり取りするが、気分は優れない。自分にとらわれていると思いながらも、ずっととらわれたまま。ここに来る前での社会にいた時の感覚を思い出す。今、社会に出てもまだうまくやっていけないかもと思った。焦らずに様子を見ることにする。

~いさどんからのコメント~

今までの経験を元にして、未来に不安を持つのはやめましょう。未来はこれから創っていくのですから、あなた次第です。

~慶晃くんからのコメント~

はい、わかりました。

 

2015年1月30日 ケア滞在26日目

ぼーっとしている時が多い。作業は淡々とこなす。話をして楽しかったりそうでなかったり。今まで習った世界観があまり感じられなくなっているような感じ。あわちゃんに「社会に出たら何の仕事をしたい?」と聞かれ、「仕事はしたくない」と答えた。付け加えて「ただ、ゴミを拾いたいとは思う。落ち葉かきに行っても、ゴミのほうが気になる。空き家でもみんなつぶす時はぐちゃぐちゃにして埋めたりするけど、僕は分別して片づけた。そういうようなことだったらしたい」と答えた。あわちゃんは「面白い考えだね。人の為につながることだしね」と言った。僕は「人の為という気持ちは全くない。ただそうしたいと思うだけ」と言った。自然の中に人工的なゴミが落ちていると、それがすごく気になる。そういう教育を受けてきて頭にこびりついているのだろうか?自分の心が投影されているのだろうか?よっぽどキレイにしないといけない心なのかな?と思った。あまり深くは考えないけど、それをお金にはしたくないとは思う。

~いさどんからのコメント~

面白い!人は生きる為といって、この世界を汚します。そして美しくすることを良いことにするのです。

この人はちょっと嫌だなとか苦手だと思っていると、その人と一緒になって話す機会が与えられることが多い。そして、苦手意識が無くなったり、少なくなったりすることが多い。面白いと思う。

~いさどんからのコメント~

それが天に通じている人の現象ですね。

一昨日のコメントで、「道理には天の理と地の理とがあります」とありました。大人サミットで少し話があったように思いますが、覚えていません。簡単に説明してください。

~いさどんからのコメント~

天の理=宇宙の理・法則=地球の外から来る上から降りてくる理

知の理=地球の法則=地球引力の範囲=地上から上へ昇っていく理

簡単に説明すると、このような感じです。

 

2015年1月31日 ケア滞在27日目

今日は富士浅間木の花祭り。鬼の舞では、元々、鬼の役割ではないメンバーやゲストも一人ずつ前に出て、鬼の舞を体験する機会があった。祭り終了後、お風呂でこうちゃんが「自分にこんなエネルギーがあるとは思わなかった。ストッパーがかかっていたのだな」と言っていた。それを聞いて、僕も自分にこんなにエネルギーがあるとは思わなかったと思った。感情にとらわれたり、保身を考えなくてもいい場では、こんなにも力が発揮できるのだと思った。逆に、どれだけ日常でとらわれや保身にエネルギーを使っているのかと思った。

~いさどんからのコメント~

そこがポイントでしたね。

それからこうちゃんは、「みんなの前で踊った時、最初は慶晃くんの眼鏡が曇っていたけど、踊っているうちに曇りが取れたね。目の曇りも取れたかね」と冗談っぽく言ってきた。眼鏡の曇りが取れた時、目の前には自分を見守り応援しているみんなの姿があった。この世界の本来の姿はこうなのだと教えてくれたような気がした。こうちゃんの話を聞くまでは、とらわれていて祭りを振り返ることができていなかった。何にとらわれていたかというと、トランス状態なる人がいたり、それに自分も乗れることを期待していて、それができなかったことにすごくがっかりしていたこと。こうちゃんの話がなかったら、自分自身では振り返ることができなかったかもと思った。未熟すぎると思った。

~いさどんからのコメント~

道は自分で開いていくものです。その時にまわりの人やこの世界が応援してくれていることに気付けば、なお豊かに感じるものです。

祭りの最中、人に変に思われるのではないかとか、優れていると思われたいということにとらわれた。とらわれるとまわりから切り離されて一体になれない感じがした。それを手放すと、また一体に戻れる。祭りは自我にとらわれることと手放すことを簡単に体験できる場でもあると思った。

~いさどんからのコメント~

そうですね。毎日マツリの精神で生きていきたいものですね。

~慶晃くんからのコメント~

そう思います。

昨日のコメントで、「人は生きる為といって、この世界を汚します。そして美しくすることを良いことにするのです」とありました。これは美しくすることは良いことではないのに、良いこととして勘違いしているという意味ですか?

~いさどんからのコメント~

そうですね。本当のことがわからず勘違いしているということです。

昨日のコメントでの天の理と地の理には順序がありますか?

~いさどんからのコメント~

同時に成立しているものですが、どちら側に強く意識しているかで順序が生まれてきます。

今日の日記は面白い興味ある内容です。ミーティングでシェアして下さい!

 

2015年2月1日 ケア滞在28日目

午前中、あやちゃんと直売所の大富士に言った。あやちゃんに「慶晃くんの話は聞いた人のプラスになっている」と言われた時に、僕は「そういう時期はもう終わったと思う」と答えた。ここ数日で自分の言葉と心の差の大きさを意識することが多かったから。昨日のミーティングでも、みんなが大事にしていることを僕がどれほど大事にできているかと言えば、ほんの微々たるものだと感じた。それに身につけていないものを語るのは、とても後味が悪い。これからしばらくは身につけていくことがメインの日々が来るのだろうという思いがあった。

~いさどんからのコメント~

これからが本当の勝負ということですね。

 

それから、午後に畑でこうちゃんとひろみちゃんと話をした。その時、僕の話でこうちゃん達にも気付くことがあったみたいで、先に、そういう時期はもう終わったとか、これからは・・・と思うのも自分なりの思い込みで、僕がどう思おうか関係ないのだと思った。いさどんが言っていたように、お互いのことに刺激を受けていくものなのだと思った。

~いさどんからのコメント~

人は完全ではないので、互いに補い合っていくことが喜びにつながりますね。

~慶晃くんからのコメント~

僕も補えるのですね。その通りだと思います。

こうちゃんとひろみちゃんに昨日のミーティングでシェアしたノートの内容を聞かれて、話をした。その後に作業中に感じたことを話した。集中して作業をしていても楽しくなく、つまらない感じがしていた。その時、昨日の祭りのことが頭に浮かんだ。まわりのもの(マルチ、黒マルくん、作物、山等々)はどのようなものを奏でているのだろうか?それぞれ何かのパートを持っていて、自分も何かのパートを持っている。そう考えて、何かを奏でるようにまわりの響きに合わせる気持ちで作業をしてみる。そうすると、作業が楽しいものになった。この話をこうちゃんにした時に、こうちゃんは「虫も微生物もみんな喜びたいと思っているんだよ」と話していた。こうちゃんの世界観は広くて深いと思った。そういうコメントをもらえるのも、自分の世界観を広げることにつながって、他の人の意見というものは良いものだと思った。

~いさどんからのコメント~

人は自らの意識と近いものと話が合い、通じたいと思うものです(類は友を呼ぶ)。高い意識でありたいと思います。

今日は流れであやちゃんと直売所に行くことになり、一般社会を色々と目にした。お風呂であわちゃんに1ヶ月間の真学校の前身の昨年の講座の経験について聞いた。何やかんやと情報が入ってきたり、今までと違った事柄が起きてきて、新しいステージが迫っていると感じている。

~いさどんからのコメント~

希望を持って未来を生きたいと思います。正直でいれば、その為の人や出来事に出会うものです。

~慶晃くんからのコメント~

意識して行います。

 

2015年2月2日 ケア滞在29日目

朝は中神倉庫で収穫隊の手伝い。その後こうちゃんと宮ノ下へ行く。腐葉土の移動をする。午後はこうちゃん達と竹を取りに行った。竹を取る作業が終わって長靴を見ると、両足とも切れたり破けたりしていた。荒れた竹藪を強引に進んだせいだと思った。ひび割れもあったので、こうちゃんは「寿命だろう」と言った。そうかもしれないと思いつつ、心の現れだろうとも思っていた。破けた長靴を見ながら、作業中のことを振り返った。ヤッケや長靴を破かないようにとは何度も思った。そう思っていても、成果を上げて満足したいとか、良いように思われたいという思いから丁寧に配慮して作業を進められなかった。子供ミーティングで物をすぐに捨てたり大切にしないという話が出た。身のまわりの物があるから、毎日の行いを行うことができている。そういう気持ちが僕にもなかったと、子供ミーティングを見ながら改めて反省した。

今日一日作業はこなしたが、心が遠くに行っている感じがした。正直に出して素直に受け取ることをしていないせいだと思う。正直を出さなければ出さないほど、この世界から切り離されてしまう。ふと思ったこと、自然を見て感じたこと。出さずに心の中で一人思っておくことが当たり前になり過ぎている。出さなかった、出さなければ、取るに足らないことだからまあいいか・・・と色々思考がまわるうちに、場面は変わり、時を逃す。不満と自己否定感が残る。ものすごく小さなストレスだが、気付かないうちに溜まっていって、それがいつのまにか心の重荷になっている。余裕が出てきていて、ストレスがありつつも日々の作業はこなせているし、気持ちの切り替えもできてきている。そういう過ごし方をしていることが、全般的な気持ちの停滞を生んでいるような気がしている。このままこういう状態や感情に流されていくと、同じことを繰り返すことになりそうだと思った。客観的に見ながら、流れを見て、次の波に乗っていくことだと思う。お風呂でやじおさんやりょうちんに話を聞いてもらって、今の自分の状態を確認できた。決して悪い状態ではない、良いと思うと伝えてくれた。少し安心した。

~いさどんからのコメント~

小さなことのようで、意味深いことです。毎日その精神でありたいものです。

~慶晃くんからのコメント~

そうなのですね。意識して行動につなげていきます。

いさどんからノートにコメントをもらうことで、ものすごく背中を押してもらっています。いさどんからもらった言葉を他の人に伝えるだけで、その人は元気になることが多いです。とにかく、私の目的は大人になること。逃げたい気持ちもありますが、そうなるまでは取り組みを続けます。その後はその時に決めますが、その後はいさどんがいなくても自分で背中を押せるように、押すような背中がないようになることを目標にしたいと思っています。

~いさどんからのコメント~

それは楽しみなことです。これからもっとあなたらしいあなたを生かしていって下さい。

 

2015年2月3日 ケア滞在30日目

昨日のミーティングでは、木の花ファミリーブログとして掲載されたのんちゃんの「ありがとう」の物語がシェアされた。ミーティング後、のんちゃんに「僕ものんちゃんみたいに感謝できるようになりたい」と言った。のんちゃんは「一緒に感謝しようね」と言った。それを聞いてハッとした。そうか、そうすればいいだけか、と思った。

~いさどんからのコメント~

そうですね。

お風呂でカトケンと話をした。カトケンが、畝立て機が左右にぶれないように気を付けることを通じて、感情に左右されないで物事を捉えていくにはどうすればいいかに気付いた、と言っていた。それができると正確にありのままを人に伝えることもできて、それで人の為にもなれると言っていた。どうしたらいいかというと、感情が出る前に察知して、左右される前に用意しておくということだった。僕が「客観的に自分を見ていて感情が出ても、すぐに修正する感じ?」と聞くと、「出る前に察知するんだ」と言っていた。それはすごいと思ったが、自分にはすぐに取り組めそうにないので、感情が出てから早いうちに修正ができるようにしようと思った。感情というものがもっとはっきりとわかってコントロールできるようになったら、カトケンの言うようなこともできるようになるのかなと思った。

~いさどんからのコメント~

物事が起きる前に予感がするということですね。

 

~慶晃くんからのコメント~

なるほど、そういうことですか。その予感を信じて行動できる人になることも大切だと思いました。

今日はいつもより少し早目に作業が終わった。僕は個人のパソコンを持っている。部屋に戻った時、漫画のサイトを見たり、遊びのサイトを見たりしたくなった。時間を無駄にするとか、不要な価値観に触れるとか、今の取り組みのスタンスからずれると思ったけど、20分ぐらい見続けていた。そうしているうちにゆうくんが部屋に戻ってきた。知られたくなかったのでこそっとパソコンを閉じた。隠していて出さないことで軽くうなだれていたら、ゆうくんが「どうかした?」と聞いてきた。僕は「何でもない」とウソをついた。ゆうくんが入ってきてくれて良かった。その出来事があったおかげで、自分を取り戻せた。今晩は1ヶ月面談があるけれど、まだまだ他人の力を必要としている。

~いさどんからのコメント~

たまには世間の情報として、そして自分の一面を観る為にも良いのではないですか。

~慶晃くんからのコメント~

そうですか。もっと柔軟に物事を捉えられるようになるといいですね。正直でいさえすれば良いことなのかなとも思いました。

夕食中にみっちゃんと話をした。みっちゃんは気管支炎を患っている。もっと早くに気付いて対処していれば、こんなことにならなかった。そうできなかったから、こうして現象をもらっていると言っていた。さっきの部屋のことを思い出した。いさどんの話にもあったけど、客観的に自分を捉えて一人でも自己をコントロールしていくことと、そのことにつながる広い世界観を受け入れることがもっともっと必要だと思った。これまでもそれが課題だったけど、まだまだできていない。今日はそのことに関する話が多かったと思った。自己コントロールの精度を上げていくことを今後一週間の課題にする。

~いさどんからのコメント~

そうですね。世界観(宇宙観)は無限の探求の旅ですね。そして、それが深まり世界が広がっていくと、心に余裕が出てきて、物事が良く観えるようになってきます。

~慶晃くんからのコメント~

そういう気がします。それを元に行動できると、今と違ったものを現せそうな気がします。そうできるようになることが今の僕の課題です。

 

2015年2月4日 ケア滞在31日目

昨日の面談で卒業が決まり、今日の夜に卒業コンサートをしてもらうことになった。今日の午前中はカトケンと作業。ケア滞在中の作業は、カトケンに始まりカトケンに終わった。こういうのも縁だと思う。カトケンと作業中に学ぶってどういうこと?真実を知っていくことかな?自分以外もみんな自分だよね。そう考えると、結局存在するのは自分一人だけ。一人で何をやっているのだろうね。人生はそういうゲームなのかな。カタカムナや地球暦などのアイテムを手に入れながら、色々な人に情報をもらって進む冒険ゲーム。あえて真実を知らない状態にしたり、間違いを覚えている状態にして、真実を知る遊びをしている。一人妄想の中で。本当に僕達は何をやっているのだろうね、と笑いながら作業をした。

~いさどんからのコメント~

そうですね。僕は神様から「あまり真剣になるな、ゲームじゃからな」と言われました。本当だとつくづく思いました。

 
 

≪卒業式で読み上げた慶晃くんのケア滞在記≫

ケアを決める時も、またケア滞在中も、僕の前にケアを卒業した人たちのケア滞在記を読み直しました。それに何度も背中を押してもらいました。だから、僕の滞在記がこの先ケアを受ける人が出てきた時に何らかの足しになるように、そういう思いで書いてみました。

感謝
主治医のいさどん、ケア担当者のようこちゃん、サポーターのゆうくん、そしてメンバーとそれ以外の皆々様、どうもありがとうございました。おかげさまで、本日を持ってケアを卒業することになりました。

ここに来た経緯
そもそも今回僕がケアを受けることになったのは、社会の中にうまく馴染めずにいて、うつ状態のようになり、どうにもならなくなったからです。病院での治療や数々のセラピスト、ケアサポートグループ等も頼ることがありましたが、思ったような成果は上がりませんでした。人を信じられなくて、人と繋がることができなくて、一人、世界と切り離されて暗闇の中を生きていました。そういう経緯があり、以前訪れたことのある木の花ファミリーに救いを求めてやってきました。

ここに来た当初
ここに来た当初は、ここに来る直前よりも状態が悪化して、被害妄想や先取り不安、自己否定にとらわれ続けていました。嫌われている、変に思われている、自分は受け入れられていない、ダメな人間だ、人と関わるのが恐い、そう思いながらずっと布団の中に閉じこもっていました。当初はとても苦しかったけど、今思うと、そうであって良かったと思います。自分の心の闇がそこで大きく出たからこそ、そのことに対して取り組むことができて、先へと進めた気がします。

回復への取り組み
そんな僕に与えられた取り組みは、いさどんとノートのやり取りをすること。日々思ったことやどう過ごしたかということを日記形式でノートに綴り、それに対していさどんからコメントをもらう。そのノートを通して、自分自身を知ること。自分が持っている考え方や繰り返し続けている行動を知ること。その考え方や行動のきっかけになっている心を知ること。頭の中にあることと事実とのズレを知り、正していくこと。ズレが正されていくことで、どういう現実が現れるか、現れた現実をどのように感じるかということを体感すること。

この取り組みを毎日続けることで、知らず知らずのうちに状態は改善されていき、1ヶ月でケア終了となりました。

自分自身の状態に合わせて過ごし方や取り組み内容を柔軟に設定してもらえたので、スムーズに順調に進むことができました。不思議といつも丁度良いタイミングで丁度良い人や出来事が現れて、トントン拍子にケアが進みましたが、それはここの人々の多様で柔軟な人間性と活動がケアの基盤となっているからだと思います。

ケアを受けるにあたって、主治医のいさどんとサポーターのゆうくんだけでなく、メンバーの皆さんや大勢の滞在者、来訪者の皆さん、ここの子供達すべてがケアを進めるサポーターとしての存在になってくれていたと思います。

1ヶ月というケア期間でしたが、この1ヶ月はとにかく自分自身と向き合う1ヶ月。出会う人達と出来事を通して、いかに己を見るかという1ヶ月でありました。その中で、僕が社会の中で人間不信になり、世界から切り離され暗闇の中を生きていたのは、自分自身にその元があるからだということを知りました。

ケア期間中にケアを受ける立場としてはとても良い評価をもらえることもありました。でも、僕は他のケアの人より優れていたとは思えません。僕が木の花に出会ったのは27歳の時。今年で10年目を迎えます。

何となくここを訪れて、ちなっぴーに声をかけられて、いさどんとまりちゃんに面談してもらって・・・。「何かをする前に心を正したほうがいいね」と言われて、その日からここに住み込むことになって・・・。それから木の花との縁が始まりました。当時はいさどんも毎日畑に出ていて、一緒に作業することも度々ありました。一緒に作業しながら神様の話をしてもらったり、「まわりの影響を受けないように過ごせるようになることだね」とアドバイスをもらったり、「繊細かつ大胆に」とレイキやQホーの扱いを教えてもらいながら心の在り様を教えてもらったりしました。

そういうところから始まって、逃げ出したり、またここに来たりしながら、10年目にしてようやく自分と向き合う気になり、卒業を迎えることができました。それほどに出来が悪く歩みが遅い自分ですが、だからこそ培われたものがあると思っています。そういった経験がこれから先、何かに生かされていったら嬉しいです。

いさどんといると妙なことばかりが起きますが、それがだんだん面白くなってきました。いさどんがなぜこれほどまでに人に愛されるか、僕なりに感じることがあります。

多くの事実を知っている。みんなを率いていく力がある。みんなを誰よりも深く愛している。いろいろあると思うけれど、1番はそういう全部をひっくるめて、この人といると面白いからなんじゃないだろうかと思っています。

この先、定められたシナリオをなぞっていくだけの人生なのかもしれないけど、そうやって生きていく中で真実を知っていく。もしくは思い出していく毎日を、肉体が尽きるまでは続いていくのだろうと思います。そういう毎日を楽しんで歩んでいこうかと思います。

 

≪いさどんからのコメント≫

今まで色々な人達のケア担当をしてきましたが、今回の慶晃くんのケアは途中経過だと思っています。通常ケア滞在というのは、その人やその家族の健全を図って進んでいくものですが、今の慶晃くんの全身からは道の探求ということが漂ってきています。そういう意味で、心の探求の同志が一人現れたようにも思っています。ここまで理屈っぽくネガティブな人がそのエネルギーの方向を変えると、そのネガティブなエネルギーは道を探求するポジティブなエネルギーにそのまま変わるのです。

心の方向が低く重く沈んでいけば底なし沼にはまってしまうことになるのですが、逆に、高く軽く広くなっていけば希望が湧いてくるのです。ですから、ただ心の向く方向を変えればいいだけであり、そのことに気付けば簡単なことなのです。面白いもので、人間は気持ちが落ちていくとどんどん卑屈になっていき、自分でのめりこんでいくのです。そのようなことを喜ぶ人はいませんが、それはその人の卑屈なエネルギーがそれをさせるのです。ところが、今度はそれが高くなっていくと、それが希望になって、喜びが自らを引き上げてくれるのです。ということは、エネルギーを向ける方向を間違えたらいけないと思います。この途中経過の卒業式の次に慶晃くんは2月15日から始まる1ヶ月間の真学校を受講することになっています。

そして、そのプログラムを通して真の人間力を身につけ、自らの意志をしっかりと確立し生きていく喜びに目覚めてもらうことが次のステージとなります。今回1ヶ月間の真学校は第1回目の開催となりますが、慶晃くんたちのようにケアを卒業した人が参加することは、とても大きな一歩になると思っています。そこに参加する十数名の人達と共に場を創っていこうと思っているのですが、特にこの真学校前にこうやってケア滞在をして大事をマスターし臨む人たちは、この大切な歩みのパートナーだと思っています。慶晃くんにも、そういった心構えで次に臨んでもらいたいと期待しています。卒業おめでとうございます。そして次があるのですから、共にしっかりとやっていきましょう。

自らの身近なことに興味があるのは人間の常ですが、やはりどのレベルに意識があって、どこに意識が向いているかによって、その人の未来が創られていくのです。そして、その意識の方向によってはその人の未来どころか、まわりの環境にも影響を与えて世の中を創っていくのです。ですから、自分は何も悪いことをしていないと思い、テロリストでもない私たちでも自らのことばかり考えて生きていたら、そしてそういった人たちがいっぱいになって、自分のことや自国の都合ばかり考えるようになったら、さらにそのような政治家が国を治めれば、世の中は自分が正しく他人が間違っているという風潮の今の世界を創るのです。個人から観ればそれは小さなことだと思うかもしれません。そして、一人では何もしていないように思えるのです。ですから今、あなたがどこを観て何をしているかが、今の世界の状態につながっているのです。それは単なる地球上の私たちの社会のことですが、私たちの姿勢がそういった迷いの世界を創ってしまうのだとしたら、世の中を本当に良い方向に導くのはやはり一人一人の目覚めが大切なのです。これからは一人一人の力が時代を創る時代になるのです。

この慶晃くんのようなビフォー・アフターの事例を生かして、僕はこの世直しを進めていこうと思っています。それに関わる真学校受講生やメンバーの皆さん、改めてよろしくお願いします。
 
 
 
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