えいこばあちゃん物語 〜 お迎えが来たら逝くだけのこと

一つ前の記事『僕に、心とは何かを教えてください』の中で紹介されたように、昔は「お金ないない病」にかかっていたというえいこばあちゃん。しかし、ここ富士山麓での暮らしを始めた時に、それまで貯めてきたお金を「早く使ってください」といって当時家計を預かっていたあいちゃんに全て渡し、全部を使い切った時に「あーすっきりした!」と本当に楽になったのだそうです。
「子どものころは生活のために、結婚してからは子どものために、そして子育てが終わったら今度は自分の老後のために、必至でお金を貯めてた。だけど、そういうふうに何かを所有していることが、自分を苦しくするんだってことに気がついたの。」

今日は、3年前に出版された本『血縁を超える自給自足の大家族』に掲載された、えいこばあちゃんの物語をご紹介します。いつも眉間にシワを寄せて暗い顔をして「私ほど不幸な人はいない」と言っていたえいこばあちゃんは、今、みんなのアイドルです。そんなえいこばあちゃんの、今の心をお届けします。

みんなのアイドル、えいこばあちゃん
みんなのアイドル、えいこばあちゃん

私は4歳の時に両親に死に別れて、おじいさんとおばあさんのもとで育ったの。
韓国人ということで、学校でいじめられる事もあったけど、先生がいい先生で、すごくよくしてくれたよ。生活は苦しかったね。おじいさんに給食代をちょうだいって言えなくて、給食の時間になると外に遊びに行ったり、家に帰ったりしてた。おばあちゃんはそれをわかってて、ご飯をとっておいてくれてね。たいしたものはできないから、それこそ芋とかすいとんみたいなものだけど、精一杯をやってくれてたんだなあと思うの。

5年生の時におじいちゃんが入院して、家の手伝いが忙しくなって、それから学校にはほとんど行かなかった。知り合いの所で子守をやったり、お百姓をしたりしてね。そしたら、その家の人が服を作ってくれたりもしたよ。

22歳の時に、お見合いで結婚したの。長男とお酒飲みだけはいやだと思っていたら、相手は長男でお酒飲みだった。
家にお金を入れてくれなくて、結婚3ヶ月目の時にはご飯を炊きたくてもお米がなくてね。近所のお米屋さんの前を何度も行ったりきたりして、思い切ってお店に飛び込んで、「必ず返しますからお米を貸して下さい」ってお願いしたんだ。そしたら「嫁いできたばかりのお嫁さんが気の毒に」と言って、貸してくれたの。
すぐ隣の八百屋さんも同じようにしてくれてね。ありがたいことに、みんながすごくよくしてくれた。

なんかね、小さい時から、家でも近所でも、いろんな人がかわいがってくれたの。それは本当に感謝してる。苦労してるように見えるけど、あちこちから、愛がすごかったんだよ。
子どもにね、言ったことがあるの。「私が小さかった頃、生活は苦しくて、おじいちゃんもおばあちゃんも大変だったけど、大変なりに精一杯してくれた。私もあなたたちに、人並みにはしてあげられないけど、愛はいっぱいあげたいと思う」って。
私がひねくれなくて済んだのは、愛に包まれてたからなんだよ。

3番目の万里子が生まれた頃には、旦那の仕事もうまくいって、生活も安定するようになったの。でも私は必死でお金を貯めてた。子どもの世話にはなりたくないって、老後の心配をして、お金のことばかり考えてたよ。

子どもが大きくなって家の改築をした時に、内装の仕事でうちに来たいさどんと初めて会ったの。おもしろい人だなあと思ったよ。「人間は学ぶ為に生まれてきた」だなんて、聞いたこともなかった。

それまではね、学歴がないことで、ずっと控えめになってたの。小学校までしか行っていないことが恥ずかしくて、人に言えなかったの。だけど今はもう、なーんにもない。堂々と言える。

そういえば、私は手が大きいでしょ。若い時から、握手の時には顔が真っ赤になるくらい、手を出すのが恥ずかしかったの。でも今は、この大きい手が、働くためにすごく役立ってる。みんなに大きいねって言われて、そうでしょ、と堂々と言える。
何で変わったのかなあ。ここで暮らして、そういう心をいただいたんだね。毎日仕事してて、みんなに力があるねって言われるでしょ。それって、やっぱりこの手のおかげだと思うんだ。この体も、この手も、すごい感謝だし、ありがたいよね。

ここに来たばかりの時は、我が強くてね。いさどんにそう言われても、その意味がわからなかった。どうやったらわかるだろうって泣きながら神様に聞いても、やっぱりわからない。何かあるとすぐ言い訳したり、人のせいにしたり。
でも今は違うよ。人の言うことも素直に聞けるし、自分の言ったことも、それでよかったのかって考えるしね。

始めのうちはね、誰かにこれやって、って仕事を頼まれると、またやらなきゃ、どうしよう、って思ってたの。今みたいにみんなで分かち合うということがわからなくて、断っちゃいけないと思ってたんだね。それで、疲れちゃった。
今は、できなきゃ誰かに頼めばいいと思えるからね。みんながいるから大丈夫、って。だからやれるんだと思う。

今思うのはね、いつまで元気でいるかわからないけど、もし病気でオムツになっても、赤ちゃんみたいな心になって、パーッと手を広げて、はい、お願いしまーす!というふうになれたらいいなって。それが今の私の目標というか、学びなんだ。本当に、心の底からありがたくって、もうみんなにお任せ、どうにでもして、って。ただただ、そういう心になれたらいいな。

みんながこんな風に、心を学んでいけたらいいよね。ここにいる人は、日本の中でも、ほんとの、ほんとの、一握りもないくらいでしょ。それがめぐりあってこうして学んでる。心をどしっとかまえれば、こんなに幸せになれるんだよ。

やっぱりね、年寄りもこうして若い人と一緒に作業すると、もっと若返るんじゃないかな。
よく、おばあちゃんは臭いとかいやだとか言うことがあるでしょ。だから、ここの子供たちが「えいこばあちゃんかわいい!」とか言ってくれるのが、余計に嬉しいの。本当に嬉しいの。肩揉んでって言ったら、いいよってやってくれるし、みんなに大事にされて、ただただ毎日、感謝しかないよ。

だから、なんか、余分に仕事したくなるの。年寄りだからやめなさいではなくて、若い人とでも同じようにやらせてもらえて、あてにされるのはありがたいよね。みんなで分かち合っていく。
この心を、まずは日本中に知らせたいな。大事なことだもんね。みんながこういう心になったらいいなって本当に思うよ。

私ね、好きな人がいたの。結婚したかったの。でもその人は日本の人でね、おばあさんがすごく悲しむんだ。昔だからね。叔父さんが日本の人と結婚した時におばあさんはすごく悲しい思いをして、あんな辛いおばあさんをみるのは二度と嫌だと思って、それでお見合い結婚をしたんだ。
だけど、それでよかったんだね。これが私の人生。今ふと思ったけど、もしもその人と結婚してたり、学歴があったりしたら、こんな人生なかったでしょ。やっぱり、ここまでこれたのは、今までのことがあったからだと思うんだ。
だから、私にはこれが100%。私にとって一番の人生なの。
今はただ毎日を一生懸命過ごして、お迎えが来たら逝くだけのこと。何も残すものはないんだ。

みんなに愛されて、ありがたいよ。私ももっと愛していきたいです。

 

 


 

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『 血縁を超える自給自足の大家族
〜 富士山麓からのメッセージ 』

木の花ファミリーメンバーたちが、この生き方にたどり着くまでのそれぞれの歩みや、日々の生活の中で大切にしていることなどをそれぞれの切り口から語ります。
出版から3年が経過し、現在の木の花はだいぶ変化していますが、それでも、創立からずっと大切にしている“心”は変わっていません。ご興味のある方はぜひご覧ください。

木の花ファミリーネットショップ

 


「僕に、心とは何かを教えてください」〜 アトピーになってみて

ただ今木の花にヘルパー滞在中のともくん。16年前にアトピーを発症し、その苦しみを誰にも打ち明けられずにいました。
そんな中、ある日の大人ミーティングで、1ヶ月間の真学校受講生のあわちゃんが自分の想いを正直にみんなにシェアする姿に感銘を受け、「自分もやってみよう」と今の想いを綴り、翌日のミーティングでシェアをしてくれました。
以下に、ともくんのシェア全文と、それに対するいさどんのコメントを紹介します。
 
 
■    ■  ともくんのシェア  ■    ■
 
19歳の冬でした。今から16年前のことです。
突然、僕の肌に異変が起きました。
乾燥して、かゆくなってきたのです。
乾燥、かゆみの範囲は徐々に全身に広がっていきました。

大学卒業後、就職して社会人になりました。
忙しさとストレスで、症状はかなりひどくなりました。
病院へ行きました。ステロイド剤を処方されました。

その瞬間から、負の連鎖の始まりです。
症状の悪化が著しくなりました。
それは現在にまで至っています。

僕は過去、多くの民間療法を試しています。
病院にも3回入院しています。
それら全て大した効果はなく、一時的な対処療法に過ぎませんでした。
莫大な経済的負担を親にかけました。
仕事を失いました。
ステロイドの影響で、皮膚の状態を更に悪化させてしまいました。

引け目を感じていました。
劣等感を抱いて生きてきました。
日々の生活に、幸せを感じることなどありませんでした。
悩み苦しみを、ずっと心に抱え込んでいました。

3年前、長い間使用していたステロイドの塗布をやめました。
社会生活を営む上で、ステロイドは欠かせませんでした。
他者と接する仕事だったため、皮膚を取り繕う必要があったためです。
必要悪と割り切って使用を続けていました。

ステロイドの使用をやめた途端、リバウンドが襲ってきました。
全身から浸出液が溢れてきたのです。
激しいかゆみ、乾燥のため、眠れない日々が続きました。
体中から異臭が漂っていました。
仕事の継続が不可能になりました。
実家に戻らざるを得なくなりました。

本当に辛い時期でした。

それからは、自然治癒力での完治を目指しました。

食生活を変えました。
安静な生活を過ごしました。
そのおかげで、かなり身体は改善しました。

「肌の状態を完治させるには、本格的に食事を変える必要がある。
体内の自然治癒力を高めて完治させるしかない。」

これが病気に関する僕の考えでした。

食事を変え、生活習慣を変えたおかげで
社会復帰できるまで改善させることができました。
ステロイドを使用する必要がなくなりました。
日常生活を送る上で、ほとんど支障がなくなりました、

僕は、全体の70%くらいは治ったと感じています。

しかしながら・・・
残りの30%は、食事や生活習慣だけではどうにもならないのです。

「もしかして、心の状態が関係しているのではないだろうか?」

うすうすは感じていました。
木の花ファミリーでの滞在生活を通して、
この事実に間違いはない、と確信することができました。

こんなことを聞きました。

「病気は心に起因している。心が変われば、病気は消える。」
「本当の自分を知れば、病気はなくなる。」
「心で想っていることが、現実社会に現象として現れている。」
肌の状態を完治させるためにも、心を見つめ、健全な状態にしたいと本気で思っています。
しかし、漠然としすぎているため、どうすればよいのか皆目わかりません。

森羅万象に感謝するように心がけています。
不平不満、愚痴や悪口、泣き言などを口にしないように心がけています。
綺麗な言葉を口にするように心がけています。
何事も前向きに考えるようにしています。
他者と接する際、笑顔を心がけています。

でも、これだけでは足りないみたいなのです。

病気のおかげで気づけたこともあります。
そのおかげで出会えた人も、たくさんいます。
決して良くないことばかりではありませんでした。

「心を見つめ、本当の自分を知りたい。今、与えられている試練を終わらせたい」
現在の僕の正直な思いです。

困難に遭遇したとき、どのような心持ちでいればいいのでしょうか?

健全な心のあり方、持ち方、考え方など
どうすれば獲得できるのでしょうか?

「楽に生きる」とは
どのような生き方なのでしょうか?

僕は今まで、どんな状況も自分一人で解決してきました。
誰にも相談することなく、抱え込んでいました。

心の問題に関しては、僕の独力では解決できそうにありません。

僕に、心とは何かを教えてください。
僕には重すぎる問題です。力を貸してください。
よろしくお願いします。

ありがとうございました。
 
 

■    ■  いさどんのコメント  ■    ■
 
昔、えいこばあに初めて会った頃、えいこばあは「お金ないない病」にかかってました。お金があるのに、ない、ないと言っていて、いつも眉間にシワを寄せて暗い顔をしてました。家に行って玄関を開けると、突き当りの部屋からえいこばあが内職のミシンをする音が聞こえてくるんだけど、その「ダダダダッ」という音が「カネカネカネカネッ」て聞こえたくらいです(笑)。

えいこばあは在日韓国人で、戦後の日本で大変な差別を受けながら育ってきました。それで「私ほど不幸な人はいない」と言ってました。でもね、僕はその話を聞いて思ったんです。
「あなた、五体満足じゃない。子どももきちんと育って、成績も優秀で、いったい何に文句があるの。世の中には戦争に巻き込まれたり、もっと大変な目にあってる人がいっぱいいるんだよ」って。

人は、自分の考えというのを確立するものです。ただ、その考えの方向がどの方向を向いているかで、どんどん良くなる人もいれば、どんどん卑屈になっていく人もいます。エネルギーの向かう方向によって、まったく違ってくるんです。

ともくんという人の魂の形を見てみると、もともとはとても頑固で自分流にやりたがる傾向が強く、人の話に耳を傾けない人です。
それがなぜ、今これだけ謙虚になっているのかというと、そうならざるを得ないだけのものをもらってきたからです。もしもこのアトピーがなくて健康だったら、今ごろ人の話は聞いていないでしょう。

自分を不幸だと思えば、そこには不幸な解釈が生まれます。けれども、これを通して自分は聞く耳を与えられたんだ、と思えば、それは感謝になりませんか。そしてそれを通して人が生きることの意味を知るという、チャンスでもあるのです。

ここにケア滞在(自然療法プログラム)をしにたくさんの人が来ますが、うつ病や引きこもりになりたての人というのは、なかなか良くなりません。なぜなら、まだまだ自分の力で治せるとか、医療の力で治せると思っているからです。
ところが、10年も20年も病気をやってきていい加減打つ手がなくなって来た人は、改善が早い。それは、「自分でできる」という心がなくなり、他者の言葉に耳を傾けるからです。他者の視点を通して自分を客観的に観る力を身に付けた時に、病気を生み出していた自身の本当の姿を知り、治していくことができるのです。

もうひとつ。
ともくんのシェアには、「教えてください、それによって治りたい」という気持ちが表れています。それは、「治りたい」という想いの方が先にあるということです。
そこで大事なことは、これをもらったことによって自分は何を与えられたのか、ということです。実は、すでにいっぱい与えられているんですよ。

例えば、目が見えなくなるのと耳が聞こえなくなるのとアトピーになるのと、どれを取るかというような話なんです。
もしかすると、目が見えなくなったら「アトピーの方がよかった」と思うかもしれません。でも、目が見えない人というのは、目が見える人とは違うものが観えたりします。耳が聞こえない人は、聞こえる人と違うものが聴こえたりする。そういうことだと思うんです。
その病気も実は与えられているものであり、そこから学べることがたくさんある。

だけど、それを学んだからと言って、そのアトピーが改善される保証があるかと言ったら、ありません。今の症状は心から来ていますが、じゃあ心を治したらその症状が消えるんだ、と言ったら、医者の治療と一緒です。
「いただいたものに感謝する」という心があったら、そのアトピーはありがたいものになります。そういう心で進んでいったら、結果として、症状は良くなるかもしれません。でも、たとえ症状が良くならなくてもそれはありがたいものだから、そのまま付き合い続けてもありがたいのです。

ともくんのシェアの文章は、力強い。その力強さと、「僕がこうなれたのはアトピーがあったおかげです、アトピーさんありがとう」という心があったら、あなたは他の人を救えるようになると思いますよ。人はこういう心で生きていけるんですよ、ということを、示していくことができるのです。

ガンになって余命1か月半と言われた人が、ガンと楽しく付き合おうということを全国で講演してまわっていたら、ある時、「とうとうガンが消えてしまいました」と書かれた年賀状が届きました。そうなるには何年もかかったんですけどね。

今与えられているものが不幸なもので、だから心を治してこれを改善したい、その方法を教えてください、と言われたら、僕はこう答えます。
 
「ここは、アトピーの症状を治す方法は伝えられないかもしれませんが、
 アトピーをもらって『ありがたいな』と思える心は伝えてあげられます。」

 
それだけです。
 
 
 


さっちゃんの、私がガンになった理由・その2 〜 いさどん、いさどん、ありがとう

2年前に乳ガンになって以来、「心が変わればガンは治るのか」人体実験中のさっちゃんからのレポートです。

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■     ■     ■

木の花塾「1ヶ月間の真学校」が始まった。

ひまわりの洗濯物が、受講生の14人分増えた。たったそれだけの事なのに、私の頭は混乱した。
その為のカゴや札を用意したり、間違えないようにいろいろと用意していたのに、いざ洗濯物を干し始めると訳がわからなくなる。
ちょっと自分がいなくなった間に他の所に違う洗濯物が干されていたり、考えているうちに5台の洗濯機が順々に止まって次の洗濯を始める。洗濯済みのカゴが5つ、6つと増えていく。早く干さなくちゃと思うほど、手が動かなくなり、頭を抱えてしまう。
それでも何とかみんなの協力でミーティング終了までには干し終わった。洗濯し始めてから終了までに約7時間。

そんな状態が2日続き、私はまた寝込んでしまった。

何度か起きようとして、シャツを着替えてまた寝て、ズボンをはいてまた寝ていたら頭まで痛くなり、昨日一緒に昼寝した6歳のなりがインフルエンザA型だったのを思い出し、インフルだったら大変だ、同室の陽子ちゃんにうつったら大変だ、このままじゃ気持ちがインフル菌に負けてしまう、気が病んでしまう、でもみんなと話せば何とかなる、とやっと起き上がり、ひまわりに向かった。
ホールでラブちゃんに洗濯物に心が捉われていたヨと笑い、熱を計ると35.4℃で、また笑った。これじゃあ、インフルにもなれないね。

私は超冷え症で、いさどんに「北極に行くのか?」と言われる程、室内なのにマフラー、帽子、マスクと厚いダウンジャケットを着こんでいる。寝起きに手足のしびれもあったので、最近食養生をやめたまゆちゃんに、「食養生をやった方がいいのかな?」と訊いた。
彼女は昔、過敏性腸症候群で苦しんで、当時は水を飲むだけでお腹に激痛が走ったそうだ。それからマクロビを学び、師範の免許を取り、砂糖と卵なしの生活を9年間続けた。
けれど最近、食に対するこだわりと恐怖があるのに気付き、食養生をやめた。
彼女は心が血液の流れにも関係があるらしいと言った。
そう言えば、以前『ためしてガッテン』で、ストレスのために一瞬にして血液の流れが悪くなる実験を観たことを思い出した。
私は失敗した時、何かを指摘された時、腹が立った時に、サーッと血が汚れる感じがする。焦った時にキューッと体がしまる感じもする。最近そういう感覚になる事が多かった。
それで私は冷えているんだと気付いた。心がやわらかくなればきっと体もあたたかくなる。

次の日の朝、湧泉閣のトイレ掃除をしていたら、いさどんに会った。
「どうした?調子が悪いのか?」と聞かれ、「胸が痛い」と言った。
そして昨日の気付きを話したら、いさどんは

「ガンとは血液の病気だからな。笑って感謝して泣いとるのが一番いい」
と言った。

胸にぽっと灯りがともった。
そして、昨日のミーティングみたいだと思った。

大人ミーティングより
大人ミーティングより

真学校の受講生が連日ミーティングで自己紹介をしている。
昨日はわたるくんが、「暗い話をします」と話し始めた。母親との確執、死のうと思った過去を話して、みんなで笑った。みんな同じようなところを通ってきた。

真学校が始まってから、泣いて笑って感謝のミーティングが続いている。

その後いさどんは、階段を下りて、真学校の教室に向かった。いさどんが、「おはよう」と言うと、受講生の歓声のような笑い声が聞こえてきた。
魂が喜んでいる。
このことを書きたいな、と思いながら湧泉閣の掃除していたら、気が付くと9時を過ぎていた。ヤバイ!いつも一緒にひまわりのお風呂の掃除をしているともちゃんが、一人でやっているんじゃないか?・・・とあわててひまわりに向かうと、交差点であやちゃんの車とすれ違う。あやちゃんは笑顔で手を振っていた。あやちゃんは泣いて笑って感謝の人だと思い、その時の私は眉間にしわを寄せてセカセカ歩いていた事に気付いて、笑った。

昼食の時、隣に座ったワケあり女さんに、いさどんとの話を話した。そして最後に、「それに気付いたのに胸にカイロ貼っている私なんだ」と笑ったら、「そこがさっちゃんの自分に厳しい所じゃないのかな?」とワケあり女さんが言った。

彼女も、自然療法プログラムを受けるためにここに来た最初のころは、自分の部屋から食堂まで歩く事ができなかった。
「いさどんとの面談でだんだん自分の心が原因になっていることに気付いて歩けるようになったのに、なぜまだ手足がしびれるのか?」といさどんに訊いたら、「それは余韻なんだよ」と教えてもらったそうだ。
余韻・・・。私の心に、またぽっと灯りがともった。

次の朝、また胸が痛くて寝坊した。
ゴミ集めしていたらいさどんがトイレにいた。
「どうだ?」と訊かれ、私は「昨日はパンチームが夜なべしてイベントのパンを作っていたのに、私は寝坊ばかりで情けない」と言った。
そしたらいさどんは、
「おれなんか今まで寝てたぞ。パンも全然作ってないし、ごはんも最近作らんしな~」
と言った。眼をまん丸にして立ち上がって、アンパンマンみたいに可愛かった。
私は泣き笑いした。
やっぱり私は自分で病気を作っているんだね。

いさどん、いさどん、ありがとう♡
  

さっちゃんの物語はまだまだ続きます!
さっちゃんの物語はまだまだ続きます!

  
 


【木の花菜食レシピ】金ゴマたっぷり!豆乳ドレッシング

今日のレシピは、これさえあれば野菜がもりもり食べられちゃう、大人気のドレッシングです♪

金ゴマたっぷり!豆乳ドレッシング

IMG_0291
 
作り方はこちら!
 
菜食レシピ-ごまドレッシング
 
どうぞお試しください(^^)
 
 


【やじおの本気レシピ・特別編】美味しいごはんの炊き方

目の前に炎で焼けて煤けた真っ黒な大釜が在る。威風堂々。使おうとして向き合う時いつも圧倒される。心が怖気付く。
「できればこのまま触らずにおきたい。」

すくみそうになる想いを気合と覚悟でねじ伏せる。
こんな時は何でも可能にする魔法の言葉を唱える。あなたにも教えてあげよう。

「よし、やるぞ!」
 

威風堂々の釜戸
威風堂々の釜戸

今、左手の中に小さな木屑を握っている。これからスタート。
全ての始まりは小さな事から。急いては事を仕損じる。以前、100円ライターで太い木に直接火を点けようとしている人が居たが、それでは焦げるだけで絶対火は点かない。

慎重に釜戸の火を育てる
火との対話

小枝、細木、中太木、太い木とバトンタッチしながら火を大きく育てていく。
はじめの小さな火。時には火力が上がる様、風を送り勇気付けてやる。また時には強風で消えてしまわぬ様、風を防いで守ってやる。空気を送る。空気の通り道を作る。向こうから欲しいもの、要らないものを伝えてくる。必要なのは目の前の火に耳を傾けるだけ。ただそれだけ。

薪が太くなるにつけて火は安定していく。それに伴い僕の心も安定していく。やっと一息。
今回も何とか上手くできた様だ。「上出来。よくやった。」独りごちる。炎が釜底を舐めるように這い回り、焚口からも溢れ出してくる。「ああ、何て美しいのだろう。」ほんの一瞬たりとも同じ形、状態をとどめない炎。その場、その時の条件により常に変化し続ける様子は、何時間見ていても飽きる事を知らない。

至福のひととき
至福のひととき

その特別な調理器具で、様々な調味料、料理を作る。味噌。醤油。干し芋。もち米を蒸して、おこわやお餅。お味噌汁。麺類を茹でる。スープ、芋煮、カレーをコトコト煮る。饅頭を蒸かす。その他色々。
何を作ってみても一味どころか全然違う。先月の「恵みいただきます」のうどん出し汁。味が今一つ決まらず行き詰まってしまい、もう打つ手なしというところで釜戸に御登場願いました。
「よろしくお願いします。」
数時間後、甘みとコクのあるまろやかな出し汁が完成しました。

釜戸調理は「火」と「水」の共同作業。カミの働き。
天に全ておまかせで僕はただ手伝わせて頂くだけ。
美味しくできるのも失敗するのも、神の采配だもの。とても気が楽です。

時代に逆行している様で、その実、今できる最高の贅沢。おこげが香ばしいつやつやふっくらごはん。基本月1回行われる防災デーに炊きます。

炊きたての玄米。ぽつぽつ空いている“カニの穴”は美味しいごはんが炊けた証。
炊きたての玄米  ー  ぽつぽつ空いている“カニの穴”は美味しいごはんが炊けた証
ごはんを食べるみんなの笑顔
ごはんを食べるみんなの笑顔

なぜこんなに美味しいのだろう。
おかずが要りません。
遠赤外線効果?それなら高級炊飯器にも機能が有ります。
何か科学的にどうだからこの味になりました、というのは当てはまらない味の違い。

そうです。
やはりそこに神が宿っているとしか言い様の無い味なのです。
子どもたちもいつもよりおかわりの回数が増えます。みんなの笑顔。煙が目に沁みたのかなあ。鼻がぐしゅっとするよ。至福の時間。
「ごちそうさまでした。」ああ、心の奥の方が満足したと言っているよ。良かったね。
 

元祖釜戸の番人・えいこばあちゃんと一緒に
元祖釜戸の番人・えいこばあちゃんと一緒に