さっちゃんの、バァズの皆さまありがとう♡ 〜 ヤーちゃんの巻

さっちゃんのバァズレポート、第2弾!

第2弾は、ヤーちゃんの登場です!
第2弾は、ヤーちゃんの登場です!

 
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ヤスエさんは、今年の誕生日を境にヤーちゃんと改名して可愛く生まれ変わりました。
 
先日、木の花庵のお風呂掃除を終えて廊下に出ると、大人に叱られた子どものように涙を両手で拭いながら歩いてくるヤーちゃんと出会った。
「どうした?」と聞くと、昨日赤ちゃんにごはんをあげていた時の出来事をヤーちゃんなりに振り返ってまりねぇに話したら、「それは心磨きではない」と言われた、と言って泣いた。

ヤーちゃんは以前から子どものごはんの用意が苦手で、それでも最近はメモを取りながらも自らチャレンジしてくれていた。
昨日はヤーちゃんが、ゆうひ(2歳)のごはんのお代わりに、細かく刻んだおかずをのせて持ってきたら、ゆうひは既に私の持って来たお代わりのごはんを食べていて、それを見たヤーちゃんは激怒した。自分がお代わりを作っていたのに誰も気付かない、自分が座っていた席に他の人が座っている、という理由だった。

次の日にヤーちゃんは私に、昨日はびっくりさせてごめんなさい、と謝った。そんなヤーちゃんに何の事か忘れてしまっていた私の方がごめんなさいだった。人から注意された時に、「言われなくてもわかっている」と言いたくなるヤーちゃんの我が出てくるそうだ。
まりねぇの真意もわかっている。このままの心でいれば自分はここにいられなくなる。だから、自分をコントロールしていくんだと涙ながらに語ってくれた。

ヤーちゃんは、耳が悪いからみんなが何を話しているのかよくわからないとよく言うが、(私は耳が良くてもみんなの話がわからない時もある)人の観察は素晴らしいと思う。
あの人はごはんの量が多いからストレスがたまっているとか、人の癖もおもしろいと解説をしてくれる。ヤーちゃんは昔テレビでやっていた「家政婦は見た」というドラマの家政婦さんみたいだと思う。
そんなおもしろおかしい、時にはやくざのように怒るヤーちゃんが、お茶席の時に作務衣を着て、凛と座っている姿を見た。かっこいいと思った。話し方もどこかの奥様のようで、「だよねー」なんて話している人と同一人物のようには思えない。

お茶席のヤーちゃん
お茶席のヤーちゃん

 
昨日ヤーちゃんに「調子が悪いの?」と訊かれ、「胸が痛いんだ」と言ったら、「それは心に何か詰まっているんだよ」と言われた。
バァズと一緒にお茶をしながら、「私はあさちゃんやヤーちゃんやでこちゃんやあっちゃんやラブちゃんの事が気になるんだ」「みんな仲良く、楽しく過ごせばいいのに…」と言ったら、ヤーちゃんは「さっちゃんはそうやって気を病んで病気になるんだヨ」と言った。

その時私は、人の心を自分の思うようにしたいと思っていたんだ、と気付いた。
大事なのは自分の心。自分が変われば世界が変わる。
 

ヤーちゃん、ナイスなアドバイスをありがとう。
そして、私の事も日々観察して見守ってくれてありがとうございます。
 

ヤーちゃんとあさちゃん。子どもたちと一緒に。
ヤーちゃんとあさちゃん。子どもたちと一緒に。

 
 


さっちゃんの、バァズの皆さまありがとう♡ 〜 あさちゃんの巻

2年前に乳ガンになって以来「心が変わればガンは治るのか」人体実験中のさっちゃんからの日々のレポート、今回のテーマは “バァズ” です!

バァズシリーズ第1弾は、福島出身のあさちゃんです!
バァズシリーズ第1弾は、福島出身のあさちゃんです!

 
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私はガンになって、寒い倉庫で作業する収穫隊から、ひまわりの家事・子育てをするセンターチームに移った。

センターチームでは、60歳以上のお年寄り(バァズ)と30~40代の若者(バカ者?)が作業している。以前からバァズはおもしろい♡と思っていて、誰かブログにあげてほしいと思っていたが、誰もあげてくれないので自分であげる事にした。

バァズ:左からとしちゃん、あさちゃん、デコちゃん、ヤーちゃん
みんなの暮らしを支える縁の下の力持ち、バァズ

ガンセンターを受診する度に、あさちゃんは「どうだったかぁ?」と訊いてくる。そして必ず、先生に「切れ」と言われたら自分なら「ハイ」と答えてすぐ切るよ、何でガンなのに切らねえんだかわかんね~、と首をかしげる。

そんなあさちゃんが、前回の受診の翌日、初めてほめてくれた。
あんたはえらい!!そうやって自分で考えて、やっているのが素晴らしい!!パチパチパチ。(パチパチパチは口で言いました。)

いやいや、あさこさん、そんなあなたの方が素晴らしい!
あさちゃんは、けっこういつも怒っている。
「まったく、また塩の入れもんにスプーンが入っているよ。プンプン(チーン)」
木の花の塩と醤油はあさちゃんが守っている。
うちの醤油は生きているので、夏場は食卓に出しっぱなしはご法度。塩はシママースなので湿気ですぐ固まる。あさちゃんはまめにチェックしてフライパンで塩を炒る。そして醤油の出しっぱなし、台拭きの出しっぱなしに怒る。けれど出しっぱなしに怒るだけで出しっぱなしの人に怒るわけではない。

― 出来事を憎んで人は憎まず ―

私が失敗すると「あちゃー」と言って笑う。
子ども達にもガミガミ怒るが、子ども達は聞いていない。そんな子ども達にもせっせと自分がとっておいたデザートを配る。腰が痛くていさなをだっこできなくてもおんぶする。
   
そのあさちゃんのへそくりが見つかり、そのお金でバァズ専用のipadを購入した。

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真剣に使い方を勉強するバァズたち。
子どもそっちのけです。
子どもそっちのけです。
盛り上がってます。
盛り上がってます。

勉強熱心なあさちゃんは、それでミーティングを録音したり、みかちゃんがホワイトボードに書いたものの写真を撮ったりしているが、他の人が使ったり、充電していたり・・・と時々見当たらなくなる。
その度にミーティングで「知りませんか」と聞いたりしていたが、この間ホワイトボードの連絡事項の欄に「バーバーズアイコンを使用する人はバーバーズに声をかけてください」と書いてあった。
 
「バーバーズ」って・・・床屋さん達?
「アイコン」って?・・・(笑)
 

日々一生懸命さが伝わります。
そして可愛くておもしろい♡
 

時々私にもおやつをくれるあさちゃん。
今日もありがとうございます。礼。
 

誕生日会で『セーラー服を脱がさないで』を歌う、おちゃめなあさちゃんです♪
誕生日会で『セーラー服を脱がさないで』を歌うあさちゃん♪

 
 


16年間苦しんできたアトピーへ、ありがとう

19歳でアトピーを発症し、以来16年間その症状に苦しみ、ずっと引け目を感じて生きてきたというともくん。先日大人ミーティングで、これまで誰にも打ち明けられずに来た想いをシェアしました。(こちらの記事にてその内容をご紹介しています。)
16年間の体験を通し、自分のアトピーの原因は心にあるのではないかと感じて「僕に、心とは何かを教えてください」というともくんに、いさどんは「アトピーの症状を治す方法は伝えられないかもしれませんが、アトピーをもらって『ありがたいな』と思える心は伝えてあげられます」と答え、面談の場を持ちました。

面談後、「あまりにも言われることがひとつひとつ図星なので、頭の中が真っ白になりました」と言っていたともくんですが、この面談を経ての今の想いを、再び大人ミーティングでシェアしてくれました。
以下、その全文をご紹介します。
  
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いさどんの面談を受けました。
家族のこと、家系のこと、自分の進む道標など、
多岐に渡る話を聞くことができました。
多くのことに気づかされました。

僕の両親は12年前に離婚しています。
「両親の離婚の理由はなんですか?」
いさどんから問われました。

僕はその問いに答えることができませんでした。
両親のことを何も知らなかったという事実に気づきました。
両親だけではありません。よく考えてみると、
兄弟のことも深くは理解していないのです。

最も身近な存在であるはずの家族、
そのことに関心がない。
僕は他者に対して無関心であることに気づかされました。
それはつまり、
「自分自身に対しても無関心である」ということだったのです。

僕は自分のことが、全く分かっていなかったのです。
僕にとっては驚愕の事実でした。
「目から鱗」とは、まさにこのような心境を意味しているのだと思います。

「君の心から、エネルギーや声は流れているはず」
いさどんは僕に言いました。

しかし僕は、それらを受け取ることはおろか、感じることすらできていませんでした。

当然です。僕の意識は、常に表面上の肌のことや外面に集中していたからです。

「健常な肌ではないからこそ、辛い苦しい状態だからこそ
感じられる気持ち、見える世界があるはずです。
それは、君にしか感知できません。君だから理解できる真実です。
君が感じたその世界や真実を発信してみてください。
それが君の役割なのかもしれません」

いさどんは、僕に方向性を示してくれました。

誰かを救うことができるのではないか。
社会を良い方向へと変えていくことができるのではないか。
いさどんとの面談を経て、こんな感情を抱くことができました。

19歳の時から悩み苦しんできた体験が、誰かを助けることができる。
僕だから感じることができる世界や真実がある。
僕が感じた思いや考えを発信することで、世の中を変えていくことができる。

このように考えた時、僕の中で意識の変革が起きました。

今まで味わってきた体験は
僕にとって大切な財産であり、宝物だったのかもしれないと・・・
それは神がくれた贈り物だったのかもしれないと・・・

僕は今まで、自分の内面を見つめることを怠ってきました。
自分らしく生きることができていませんでした。
魂の成長や向上を意識することなどありませんでした。
自分を好きになることができずに、下を向いて生きてきました。

これからは、自らの役割を果たしていきたいと考えています。
自分自身を見つめ直します。
体内の内なる声に耳を傾けます。
湧き上がってくるエネルギーを全身で感じます。

そのためにも、
意識のベクトルを外面ではなく内面に方向転換します。
心の奥にある、神の意思を感じていきたいと思っています。

いさどんとの面談は、僕に重要な気づきを与えてくれました。
全てのことに意味があったのです。
そう思うと、感謝の気持ちを抱くことができました。
心が楽になりました。

意識が変わることによって、
やるべきことがはっきりと見えてきた気がします。
僕だからこそできる役割を、
果たしていきたいと考えています。
楽しい人生を歩むことができそうです。
楽に生きていくことができそうです。

ありがとうございました。
  
  
 


えいこばあちゃん物語 〜 お迎えが来たら逝くだけのこと

一つ前の記事『僕に、心とは何かを教えてください』の中で紹介されたように、昔は「お金ないない病」にかかっていたというえいこばあちゃん。しかし、ここ富士山麓での暮らしを始めた時に、それまで貯めてきたお金を「早く使ってください」といって当時家計を預かっていたあいちゃんに全て渡し、全部を使い切った時に「あーすっきりした!」と本当に楽になったのだそうです。
「子どものころは生活のために、結婚してからは子どものために、そして子育てが終わったら今度は自分の老後のために、必至でお金を貯めてた。だけど、そういうふうに何かを所有していることが、自分を苦しくするんだってことに気がついたの。」

今日は、3年前に出版された本『血縁を超える自給自足の大家族』に掲載された、えいこばあちゃんの物語をご紹介します。いつも眉間にシワを寄せて暗い顔をして「私ほど不幸な人はいない」と言っていたえいこばあちゃんは、今、みんなのアイドルです。そんなえいこばあちゃんの、今の心をお届けします。

みんなのアイドル、えいこばあちゃん
みんなのアイドル、えいこばあちゃん

私は4歳の時に両親に死に別れて、おじいさんとおばあさんのもとで育ったの。
韓国人ということで、学校でいじめられる事もあったけど、先生がいい先生で、すごくよくしてくれたよ。生活は苦しかったね。おじいさんに給食代をちょうだいって言えなくて、給食の時間になると外に遊びに行ったり、家に帰ったりしてた。おばあちゃんはそれをわかってて、ご飯をとっておいてくれてね。たいしたものはできないから、それこそ芋とかすいとんみたいなものだけど、精一杯をやってくれてたんだなあと思うの。

5年生の時におじいちゃんが入院して、家の手伝いが忙しくなって、それから学校にはほとんど行かなかった。知り合いの所で子守をやったり、お百姓をしたりしてね。そしたら、その家の人が服を作ってくれたりもしたよ。

22歳の時に、お見合いで結婚したの。長男とお酒飲みだけはいやだと思っていたら、相手は長男でお酒飲みだった。
家にお金を入れてくれなくて、結婚3ヶ月目の時にはご飯を炊きたくてもお米がなくてね。近所のお米屋さんの前を何度も行ったりきたりして、思い切ってお店に飛び込んで、「必ず返しますからお米を貸して下さい」ってお願いしたんだ。そしたら「嫁いできたばかりのお嫁さんが気の毒に」と言って、貸してくれたの。
すぐ隣の八百屋さんも同じようにしてくれてね。ありがたいことに、みんながすごくよくしてくれた。

なんかね、小さい時から、家でも近所でも、いろんな人がかわいがってくれたの。それは本当に感謝してる。苦労してるように見えるけど、あちこちから、愛がすごかったんだよ。
子どもにね、言ったことがあるの。「私が小さかった頃、生活は苦しくて、おじいちゃんもおばあちゃんも大変だったけど、大変なりに精一杯してくれた。私もあなたたちに、人並みにはしてあげられないけど、愛はいっぱいあげたいと思う」って。
私がひねくれなくて済んだのは、愛に包まれてたからなんだよ。

3番目の万里子が生まれた頃には、旦那の仕事もうまくいって、生活も安定するようになったの。でも私は必死でお金を貯めてた。子どもの世話にはなりたくないって、老後の心配をして、お金のことばかり考えてたよ。

子どもが大きくなって家の改築をした時に、内装の仕事でうちに来たいさどんと初めて会ったの。おもしろい人だなあと思ったよ。「人間は学ぶ為に生まれてきた」だなんて、聞いたこともなかった。

それまではね、学歴がないことで、ずっと控えめになってたの。小学校までしか行っていないことが恥ずかしくて、人に言えなかったの。だけど今はもう、なーんにもない。堂々と言える。

そういえば、私は手が大きいでしょ。若い時から、握手の時には顔が真っ赤になるくらい、手を出すのが恥ずかしかったの。でも今は、この大きい手が、働くためにすごく役立ってる。みんなに大きいねって言われて、そうでしょ、と堂々と言える。
何で変わったのかなあ。ここで暮らして、そういう心をいただいたんだね。毎日仕事してて、みんなに力があるねって言われるでしょ。それって、やっぱりこの手のおかげだと思うんだ。この体も、この手も、すごい感謝だし、ありがたいよね。

ここに来たばかりの時は、我が強くてね。いさどんにそう言われても、その意味がわからなかった。どうやったらわかるだろうって泣きながら神様に聞いても、やっぱりわからない。何かあるとすぐ言い訳したり、人のせいにしたり。
でも今は違うよ。人の言うことも素直に聞けるし、自分の言ったことも、それでよかったのかって考えるしね。

始めのうちはね、誰かにこれやって、って仕事を頼まれると、またやらなきゃ、どうしよう、って思ってたの。今みたいにみんなで分かち合うということがわからなくて、断っちゃいけないと思ってたんだね。それで、疲れちゃった。
今は、できなきゃ誰かに頼めばいいと思えるからね。みんながいるから大丈夫、って。だからやれるんだと思う。

今思うのはね、いつまで元気でいるかわからないけど、もし病気でオムツになっても、赤ちゃんみたいな心になって、パーッと手を広げて、はい、お願いしまーす!というふうになれたらいいなって。それが今の私の目標というか、学びなんだ。本当に、心の底からありがたくって、もうみんなにお任せ、どうにでもして、って。ただただ、そういう心になれたらいいな。

みんながこんな風に、心を学んでいけたらいいよね。ここにいる人は、日本の中でも、ほんとの、ほんとの、一握りもないくらいでしょ。それがめぐりあってこうして学んでる。心をどしっとかまえれば、こんなに幸せになれるんだよ。

やっぱりね、年寄りもこうして若い人と一緒に作業すると、もっと若返るんじゃないかな。
よく、おばあちゃんは臭いとかいやだとか言うことがあるでしょ。だから、ここの子供たちが「えいこばあちゃんかわいい!」とか言ってくれるのが、余計に嬉しいの。本当に嬉しいの。肩揉んでって言ったら、いいよってやってくれるし、みんなに大事にされて、ただただ毎日、感謝しかないよ。

だから、なんか、余分に仕事したくなるの。年寄りだからやめなさいではなくて、若い人とでも同じようにやらせてもらえて、あてにされるのはありがたいよね。みんなで分かち合っていく。
この心を、まずは日本中に知らせたいな。大事なことだもんね。みんながこういう心になったらいいなって本当に思うよ。

私ね、好きな人がいたの。結婚したかったの。でもその人は日本の人でね、おばあさんがすごく悲しむんだ。昔だからね。叔父さんが日本の人と結婚した時におばあさんはすごく悲しい思いをして、あんな辛いおばあさんをみるのは二度と嫌だと思って、それでお見合い結婚をしたんだ。
だけど、それでよかったんだね。これが私の人生。今ふと思ったけど、もしもその人と結婚してたり、学歴があったりしたら、こんな人生なかったでしょ。やっぱり、ここまでこれたのは、今までのことがあったからだと思うんだ。
だから、私にはこれが100%。私にとって一番の人生なの。
今はただ毎日を一生懸命過ごして、お迎えが来たら逝くだけのこと。何も残すものはないんだ。

みんなに愛されて、ありがたいよ。私ももっと愛していきたいです。

 

 


 

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『 血縁を超える自給自足の大家族
〜 富士山麓からのメッセージ 』

木の花ファミリーメンバーたちが、この生き方にたどり着くまでのそれぞれの歩みや、日々の生活の中で大切にしていることなどをそれぞれの切り口から語ります。
出版から3年が経過し、現在の木の花はだいぶ変化していますが、それでも、創立からずっと大切にしている“心”は変わっていません。ご興味のある方はぜひご覧ください。

木の花ファミリーネットショップ

 


「僕に、心とは何かを教えてください」〜 アトピーになってみて

ただ今木の花にヘルパー滞在中のともくん。16年前にアトピーを発症し、その苦しみを誰にも打ち明けられずにいました。
そんな中、ある日の大人ミーティングで、1ヶ月間の真学校受講生のあわちゃんが自分の想いを正直にみんなにシェアする姿に感銘を受け、「自分もやってみよう」と今の想いを綴り、翌日のミーティングでシェアをしてくれました。
以下に、ともくんのシェア全文と、それに対するいさどんのコメントを紹介します。
 
 
■    ■  ともくんのシェア  ■    ■
 
19歳の冬でした。今から16年前のことです。
突然、僕の肌に異変が起きました。
乾燥して、かゆくなってきたのです。
乾燥、かゆみの範囲は徐々に全身に広がっていきました。

大学卒業後、就職して社会人になりました。
忙しさとストレスで、症状はかなりひどくなりました。
病院へ行きました。ステロイド剤を処方されました。

その瞬間から、負の連鎖の始まりです。
症状の悪化が著しくなりました。
それは現在にまで至っています。

僕は過去、多くの民間療法を試しています。
病院にも3回入院しています。
それら全て大した効果はなく、一時的な対処療法に過ぎませんでした。
莫大な経済的負担を親にかけました。
仕事を失いました。
ステロイドの影響で、皮膚の状態を更に悪化させてしまいました。

引け目を感じていました。
劣等感を抱いて生きてきました。
日々の生活に、幸せを感じることなどありませんでした。
悩み苦しみを、ずっと心に抱え込んでいました。

3年前、長い間使用していたステロイドの塗布をやめました。
社会生活を営む上で、ステロイドは欠かせませんでした。
他者と接する仕事だったため、皮膚を取り繕う必要があったためです。
必要悪と割り切って使用を続けていました。

ステロイドの使用をやめた途端、リバウンドが襲ってきました。
全身から浸出液が溢れてきたのです。
激しいかゆみ、乾燥のため、眠れない日々が続きました。
体中から異臭が漂っていました。
仕事の継続が不可能になりました。
実家に戻らざるを得なくなりました。

本当に辛い時期でした。

それからは、自然治癒力での完治を目指しました。

食生活を変えました。
安静な生活を過ごしました。
そのおかげで、かなり身体は改善しました。

「肌の状態を完治させるには、本格的に食事を変える必要がある。
体内の自然治癒力を高めて完治させるしかない。」

これが病気に関する僕の考えでした。

食事を変え、生活習慣を変えたおかげで
社会復帰できるまで改善させることができました。
ステロイドを使用する必要がなくなりました。
日常生活を送る上で、ほとんど支障がなくなりました、

僕は、全体の70%くらいは治ったと感じています。

しかしながら・・・
残りの30%は、食事や生活習慣だけではどうにもならないのです。

「もしかして、心の状態が関係しているのではないだろうか?」

うすうすは感じていました。
木の花ファミリーでの滞在生活を通して、
この事実に間違いはない、と確信することができました。

こんなことを聞きました。

「病気は心に起因している。心が変われば、病気は消える。」
「本当の自分を知れば、病気はなくなる。」
「心で想っていることが、現実社会に現象として現れている。」
肌の状態を完治させるためにも、心を見つめ、健全な状態にしたいと本気で思っています。
しかし、漠然としすぎているため、どうすればよいのか皆目わかりません。

森羅万象に感謝するように心がけています。
不平不満、愚痴や悪口、泣き言などを口にしないように心がけています。
綺麗な言葉を口にするように心がけています。
何事も前向きに考えるようにしています。
他者と接する際、笑顔を心がけています。

でも、これだけでは足りないみたいなのです。

病気のおかげで気づけたこともあります。
そのおかげで出会えた人も、たくさんいます。
決して良くないことばかりではありませんでした。

「心を見つめ、本当の自分を知りたい。今、与えられている試練を終わらせたい」
現在の僕の正直な思いです。

困難に遭遇したとき、どのような心持ちでいればいいのでしょうか?

健全な心のあり方、持ち方、考え方など
どうすれば獲得できるのでしょうか?

「楽に生きる」とは
どのような生き方なのでしょうか?

僕は今まで、どんな状況も自分一人で解決してきました。
誰にも相談することなく、抱え込んでいました。

心の問題に関しては、僕の独力では解決できそうにありません。

僕に、心とは何かを教えてください。
僕には重すぎる問題です。力を貸してください。
よろしくお願いします。

ありがとうございました。
 
 

■    ■  いさどんのコメント  ■    ■
 
昔、えいこばあに初めて会った頃、えいこばあは「お金ないない病」にかかってました。お金があるのに、ない、ないと言っていて、いつも眉間にシワを寄せて暗い顔をしてました。家に行って玄関を開けると、突き当りの部屋からえいこばあが内職のミシンをする音が聞こえてくるんだけど、その「ダダダダッ」という音が「カネカネカネカネッ」て聞こえたくらいです(笑)。

えいこばあは在日韓国人で、戦後の日本で大変な差別を受けながら育ってきました。それで「私ほど不幸な人はいない」と言ってました。でもね、僕はその話を聞いて思ったんです。
「あなた、五体満足じゃない。子どももきちんと育って、成績も優秀で、いったい何に文句があるの。世の中には戦争に巻き込まれたり、もっと大変な目にあってる人がいっぱいいるんだよ」って。

人は、自分の考えというのを確立するものです。ただ、その考えの方向がどの方向を向いているかで、どんどん良くなる人もいれば、どんどん卑屈になっていく人もいます。エネルギーの向かう方向によって、まったく違ってくるんです。

ともくんという人の魂の形を見てみると、もともとはとても頑固で自分流にやりたがる傾向が強く、人の話に耳を傾けない人です。
それがなぜ、今これだけ謙虚になっているのかというと、そうならざるを得ないだけのものをもらってきたからです。もしもこのアトピーがなくて健康だったら、今ごろ人の話は聞いていないでしょう。

自分を不幸だと思えば、そこには不幸な解釈が生まれます。けれども、これを通して自分は聞く耳を与えられたんだ、と思えば、それは感謝になりませんか。そしてそれを通して人が生きることの意味を知るという、チャンスでもあるのです。

ここにケア滞在(自然療法プログラム)をしにたくさんの人が来ますが、うつ病や引きこもりになりたての人というのは、なかなか良くなりません。なぜなら、まだまだ自分の力で治せるとか、医療の力で治せると思っているからです。
ところが、10年も20年も病気をやってきていい加減打つ手がなくなって来た人は、改善が早い。それは、「自分でできる」という心がなくなり、他者の言葉に耳を傾けるからです。他者の視点を通して自分を客観的に観る力を身に付けた時に、病気を生み出していた自身の本当の姿を知り、治していくことができるのです。

もうひとつ。
ともくんのシェアには、「教えてください、それによって治りたい」という気持ちが表れています。それは、「治りたい」という想いの方が先にあるということです。
そこで大事なことは、これをもらったことによって自分は何を与えられたのか、ということです。実は、すでにいっぱい与えられているんですよ。

例えば、目が見えなくなるのと耳が聞こえなくなるのとアトピーになるのと、どれを取るかというような話なんです。
もしかすると、目が見えなくなったら「アトピーの方がよかった」と思うかもしれません。でも、目が見えない人というのは、目が見える人とは違うものが観えたりします。耳が聞こえない人は、聞こえる人と違うものが聴こえたりする。そういうことだと思うんです。
その病気も実は与えられているものであり、そこから学べることがたくさんある。

だけど、それを学んだからと言って、そのアトピーが改善される保証があるかと言ったら、ありません。今の症状は心から来ていますが、じゃあ心を治したらその症状が消えるんだ、と言ったら、医者の治療と一緒です。
「いただいたものに感謝する」という心があったら、そのアトピーはありがたいものになります。そういう心で進んでいったら、結果として、症状は良くなるかもしれません。でも、たとえ症状が良くならなくてもそれはありがたいものだから、そのまま付き合い続けてもありがたいのです。

ともくんのシェアの文章は、力強い。その力強さと、「僕がこうなれたのはアトピーがあったおかげです、アトピーさんありがとう」という心があったら、あなたは他の人を救えるようになると思いますよ。人はこういう心で生きていけるんですよ、ということを、示していくことができるのです。

ガンになって余命1か月半と言われた人が、ガンと楽しく付き合おうということを全国で講演してまわっていたら、ある時、「とうとうガンが消えてしまいました」と書かれた年賀状が届きました。そうなるには何年もかかったんですけどね。

今与えられているものが不幸なもので、だから心を治してこれを改善したい、その方法を教えてください、と言われたら、僕はこう答えます。
 
「ここは、アトピーの症状を治す方法は伝えられないかもしれませんが、
 アトピーをもらって『ありがたいな』と思える心は伝えてあげられます。」

 
それだけです。