実録・心の問答集 〜 いさどん vs よしてる〈前編〉 

今年1月から2月にかけて、木の花で自然療法プログラム(通称ケア滞在)を受けていたよしてるくん。ここに来た当初は、自分は嫌われている、変に思われている、受け入れられていない、ダメな人間だ、と思い、人と関わるのが怖くて布団の中にこもっていました。
そんなよしてるくんに与えられた取り組みは、いさどんとノートのやり取りをすること。日々思ったことやどう過ごしたかということを日記形式でノートに綴り、それに対していさどんがコメントを返していくのです。このノートを通して、自分自身を客観的に捉え出したよしてるくんは、大きく変化し始めます。

今回は、この二人のやりとりをご紹介します。題して『実録・心の問答集』―――

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心の問答集
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「心の問答集」とは?

37歳の佐竹慶晃(よしてる)くんが初めて木の花ファミリーを訪れたのは、今から9年前のことでした。大学生の頃から鬱的だった慶晃くんは木の花ファミリーに長期滞在をしたり、その後パートナーと子供と一緒に訪問しながら木の花ファミリーと関わってきました。4年前、パートナーのあやちゃんとその子供であるあっくんは木の花ファミリーのメンバーとなりましたが、自分の心と向き合うことから逃げていた慶晃くんは、その後ファミリーとは距離を置くようになりました。

そのような中、鬱的な状態が悪化してきた慶晃くんは2014年12月に再び木の花ファミリーを訪れ、いさどんとの面談を受けた後、2015年 1月5日にケア滞在をスタートさせました。ケアの取り組みの一環として、毎日日記を書き、いさどんに提出することが課題として与えられました。ようやく自分の心と向き合わざるを得なくなっていた慶晃くんは、時には一日の日記の量が7~8ページにわたるほど、熱心に心を見つめ振り返っていきました。そして、ケア滞在をスタートしてからちょうど1ヶ月後の2月4日、ケアの卒業を迎えた慶晃くんの日記の量は、ノート丸二冊分になっていたのです。

この心の問答集は、そんな慶晃くんがケア滞在中に綴っていた日記とそれに対するいさどんのコメントの抜粋です。

自分の心を観るとはどういうことなのか?
どのように自分の心を改善していけばいいのか?
学んだことを日々の中で実践するためにはどうしたらいいのか?

この心の問答集には、人が本来の目的に目覚め生きていく為のヒントが沢山詰まっています。いつでも、どこでも、誰でもできる心磨きの扉は、今あなたの目の前で開かれるのを待っています。

 

================== 以下 本文 ==================

 

2015年1月5日 ケア滞在1日目

いさどんと面談をした。座っていさどんを見たら涙が出てきた。涙が出てくるのでまともに見ることを避けた。涙の出るわけを探ってみたけど、わからなかった。自分では自分の感情がわからない。ただ、今は感じたり、考えたりしたことを書いて、いさどんとやり取りしたい。いさどんという人をとても信用している。今まで色々な人に頼ろうとしてきたけど、みんな信用できない何かを持っている気がして頼れなかった。いさどんにプライドが高いと言われたけど、プライドが高いことが人を信じないことにつながっているのかも??とも思う。自分にはプライドが高いことがどういうことなのか、まだピンと来ていない。

今日、来てすぐに本宅の居間で待っているように言われた。みさこさんがひまわりに連れて行ってくれるからということで。待っている時に女性からコーヒーをもらった。目の前にコーヒーをドンと置かれて、どうぞと言って去っていった。その女性の態度を見た時に、自分は嫌われていると感じた。そう感じる前に相手をどういう人か・・・主には自分に害があるかないかを観察していた。その時にコーヒーをもらったことには思いが行っていなかった。欲しいと思っていなかったということもあるかもしれないけど、相手からの行動に対する思いやりはなかった。この出来事を自分なりに評価してみようと思ったけど・・・でも良くわからなかった。

このノートをもらいに事務所のような所へ行った時、5、6人が座っていた。軽く挨拶をされたりされなかったりだったけど、その時に自分の中にうつうつしている感じと、笑顔で対応したい気持ち、みんなからどう思われているのだろうと気になる気持ちとあった。自分に正直であるようにしたいと思うけど、まだ自分の本心がはっきりとわからないから、その時どうしたら良いか迷った。まり姉さんにドアを閉めてと言われた時、その表情と言い方に自分のことを嫌っていると思った。僕は今までずっと人に気に入られるように、嫌われないように振舞ってきた。だから、自分の笑顔もウソか本当か自分にもわからなくなっていて、そんなことを考えると全てどうでもよくなってくる。

ヒロッチに挨拶をされる。女の子に話しかけられる。少し笑顔になる。感情が動く。一人になると気持ちが沈む。人に話しかけられると不安が襲う。頭が混乱する。自分が自分でわからなくなる。だから、人に話しかけられたくない。不安と混乱が後で来るのが怖いから。その時少し笑顔になっても後が怖い。だから、部屋にいる。みんながいるから食堂にいるのが嫌だった。人の目を気にしている自分。部屋に帰って泣きそうになる。自分を情けなく感じたのだろうか?辛い気持ちだった。人と関わるのが怖い。大勢の中はもっと怖い。目線が気になる。自分を罰する。人を疑う。そういう心配が多い。

テーブルの一番端で食事をする。負のオーラを出しているからなのか、まわりには誰も座ってこない。色々と話しかけられてもしんどいかもしれないので、今日はこれで良かったと思っていたら、目の前にさっちゃんが座った。「今日の面談はどうだった?」と聞かれて、なかなか答えられずしばらく沈黙。「いさどんはちゃんと聞いてくれて、ちゃんと答えてくれる。今まではそういうコミュニケーションがなかった。初めてそういったやり取りをしたように思う」と答えた。さっちゃんが目の前に座った時、かなり動揺した。自分の中に話しかけられたい気持ちと話しかけられたくない気持ちと両方あって、不安になっていたから。途中でしんどくなっても、しんどいと言う度胸もないし、嫌だったりしても嫌だと言わずに我慢するから、人と関わるのを避けたくなる。早めに食事を済ませて部屋に戻る。笑顔でお帰りと挨拶してくれる人もいて嬉しくもあるけど、その度に動揺してしんどくなるので、その場から逃げたくなる。

今までケアを受けた人の話の中で、症状を必要としているという話があった。部屋で寝っころがってぐるぐると考えているうちに、自分も今の状態を必要としているのか?ということに考えがまわった。浮かんできたのが・・・人に良い顔をしないですむこと。人に良い顔をしないですむ状態を自ら作り出しているのかな・・・??わからないけどそうかもしれない。そうだとしたら、普段よっぽど人に良い顔をしていて自分を偽って、それにストレスを感じていることになる。色々考えるけど、こうやって考えることが先につながっていく気がしない。先につながるということ自体が怖い。先が怖い。

人に優しくされると一瞬嬉しいけど、その後辛くなる。辛くなって、それ以降優しくされることが怖くなる。なぜだろう?と考えてみた。優しくされた後、正直な自分でいられなくて、相手に合わせた自分でいることが辛いのかもしれないと思った。今はどのようなのが正直な自分で、どのようなのが相手に合わせた作った自分なのかがはっきりとわからない。優しくされることに罪悪感を感じているのかもしれない。わからなくなる。

~いさどんからのコメント~

これからも正直に素直に日記に自らの内側を書いていって下さい。そして、それを振り返って、自らを観る機会にして下さい。そのためのサポートはさせてもらいます。信じて正直を出して下さい。そうすれば、あなたに良い智慧が湧き出して来て、豊かで幸せな人生が待っているのです。

 

2015年1月6日 ケア滞在2日目

朝6時過ぎに目が覚める。しんどい・・・。頭が痛い。昨日のミーティングでの話がずっと頭をグルグルしている。頭がいっぱいいっぱいで、とにかくしんどい。ずっと横になっていたい。横になっていると廊下で人の声や足音がする。こっちに来ないかと不安になる。人と接触して、その時心が不安定になることが怖い。

~いさどんからのコメント~

ここですでに不安定になっています。

昨日のミーティングで、いさどんはこう生きれば豊かになるという説明をしていた。私は豊かな人間関係と聞くとゾッとする。人と関わることが増えてくることに恐怖があるかだと思う。自分自身は何を望んでいるのか、自分で良くわかっていないと思う。何かを望んでいるフリとか、つもりになっているのかもしれない。本当に何を望んでいるのかをはっきりさせる必要があると思った。どうしたい?どうなりたい?という質問には何も出てこない。何もしたくないと思う。

~いさどんからのコメント~

いつからそのようになったか考えると良いですね。

自分は何でも悪く取ると言われた。傷ついたり、嫌な思いをするのが怖いのでそうなのか・・・。自分が受け入れられる気がしない。自分自身もまわりの人に対して敵意を持っている。正直でいると嫌われると思っている。正直でいることを恐れている。

~いさどんからのコメント~

それは、ウソつきで生きていくということです。

いさどんから「わからない」というストッパーが働いていると言われた。それはわからないほうが良いからなのか・・・。わからない状態を必要としているというようなことも言われて、なぜなのだろうと思った。今この状態が必要な理由は何なのか・・・。

~いさどんからのコメント~

わからないとしておいたほうが、何も取り組まなくて良いからです。

いさどんから愛の話を聞いたときに、愛と愛情の違いについて知った。愛は無条件のものであり、愛情はそれに情がついている執着の状態。私が求めているものは愛情だと思った。ずっと小さい頃から愛情が欲しくてたまらなかった。でももらえないから、そうじゃないフリをしていたと思う。大人になるまでそのことに気付かなかった。愛の話を聞いても、私には愛の良さがわからなかった。やっぱり愛情を求めていて、愛情に価値を置いているのだと思う。

~いさどんからのコメント~

それはないものねだりの心です。愛は、与えて成立するものです。

いさどんに、日記には不平不満ばかりだと言われた。そう思っていなかったので驚いた。不平不満が当たり前になっていて、自分で気付かずにいる。食堂にいる時やまわりに人がいる時、常におびえていて体が固くなっている。びくびくしている。何かが怖い。

~いさどんからのコメント~

それはまわりの人が原因なのではなく、あなたの心が創っているのでは?

部屋にいる時に昨日のミーティングの話を思い出していると、また不満な気持ちが出てきた。神様に対する不満。こんな宇宙の法則の中で、こんな性格に生まれ育ったらしんどいだけの罰ゲームみたいなものなのではないかと・・・。それに僕は学びたいとも成長したいとも思っていないし、無理矢理そんな所に突き落とされている気がして、どうしても神様を良く思えていない。

~いさどんからのコメント~

それはあなたの勝手ですが、その結果が今の人生に現れているのでしょう。

僕は理屈っぽいのだけど、理屈をうまく扱えないというか、むしろ理屈に振り回されてマイナスなことになっている気がする。いさどんの話を聞いても、うまく生かせないばかりか、悪くするものとして働かせている気がする。何か違った方向で、理屈ではない何かを見つけていかないとどうしようもないかも・・・と思った。

~いさどんからのコメント~

その通りですが、それをどうするかはあなたの意志です。

お風呂でこうちゃんとすれ違う。何も気にしていないようで、実はすごく気にしてくれていると感じる。部屋に帰って泣く。涙の理由はわからない。泣いた後に、ありがとうと思った。

~いさどんからのコメント~

自分に対する愛情を求めているのですね。

食事中、ヒロッチと話をした。話の中で「生きていて良かったね」と言われた。生きるということを否定的に捉えている自分にとって、その言葉を聞いてすごく複雑な気持ちになった。今晩は食事があまりおいしく感じられなかった。今の自分の状態では、食事をとる必要はないのかもと思った。

~いさどんからのコメント~

何度も自分の日記を読み返して下さい。客観的に自らを観て判断することが大切です。

 

2015年1月7日 ケア滞在3日目

今朝は昨日ほどしんどくなかった。不愉快の感じも少なかった。昨晩のミーティングの途中で無理せずに早めに部屋に戻り、いっぱいいっぱいから抜けて余裕をつくることを自分で良しとしたこともつながっているのかなと思った。正直にするとはこういうことなのでしょうか?

~いさどんからのコメント~

それは自分に素直になってきたということですね。

ノートのいさどんのコメントで、少しずつ自分の正直な気持ちとか、これからの指針が見えつつあるのも自分を落ち着かせていると思う。こういうやりとりをさせてもらっているのも、自分には心の安定にすごく良いような気がしている。今までこういうやり取りを求めていた気がする。今の状態の自分をとがめたり、変な心配をする人がまわりにいないこと、受け入れられていることを少しずつ感じてきていて、そのことも自分を落ち着かせてくれていると思う。

~いさどんからのコメント~

客観的な目線が育ってきています。この姿勢を忘れないようにしましょう。

11時頃起きて、ノートを書く。今朝から少しだけ作業をしたい気持ちが出てくる。12時になり、昼ごはんを食べるかどうか迷う。ノートを書いたりするだけの力はつけておきたかったので食べることにする。まわりの人に色々思われるのが怖かった。何もしていないのに食べるだけは食べるのだと思われるイメージが出てきた。でも悪く取らない、と心に思って、それを消そうとした。それから、もしそう思われても、自分はちゃんと目的があってそうしているのだから堂々としていようと思って、食事に行った。それでも食堂に行くと、人との接触を避けて人目を気にする自分がいた。部屋に帰ると、午前中とは違い、すごくストレスを感じるようになっていた。そういえば、以前にも似たような経験があると思った。それは、精神病院に入院していた頃の話。入院したては、とにかく人が怖くて部屋から出られなかった。食堂に行くのも必死で、とにかくものすごいストレスでしんどかった。それからストレスなく食堂に行けるようになったのだけど、なぜそうなれたかは思い出せない。ただ、この先こうならないようにするには、どういう心がそれを創っているのかを知らないといけないような気がする。

ノートのいさどんのコメントにあったように、まわりのせいではなく自分の心が創っていると思うのだけど、どういう心が創っているかはまだはっきりとはわからない。人から受け入れられないとか、嫌われていることを恐れる心がある。そういう心が創っているのですか?

~いさどんからのコメント~

それはあなたの潜在意識の中にあることですから、癖のように出てきます。これからゆっくり観ていきましょう。

昨日のノートのコメントで、「ここでもうすでに不安定になっています」という意図がわかりません。人と接触して不安定になることを恐れ、現実に接触する前にもう不安定になっているから、すでに不安定になっていることについて考えてみなさいということですか?

~いさどんからのコメント~

現象に出会う前に不安の心の種(癖)がすでに発生しているということです。

「ないものねだりの心」というのは、汚れた心なのですか?今まで私は愛情が足りないので必要だと思っていました。そして愛情・・・。ノートでも、いさどんに指摘された自分に対する愛情を求めています。自分に対する愛情は私には必要のないものなのですか?

~いさどんからのコメント~

愛は一方的に与えるものです。それに情がからむと執着になります。もっとさわやかに心を表現したいものです。

「愛を与える」とはどういうことですか?自分なりの解釈だと不安なので、説明が欲しいです。愛は宇宙の法則ということが頭にあって、わけがわからなくなっています。単純に思いやりということでいいですか?

~いさどんからのコメント~

愛には、高い精神から湧いてくる無情の愛もあれば、個人的な執着の愛もあります。

いさどんからのコメントで、豊かな人間関係と聞くとゾッとするのを「いつからそのようになったのか考えてみたら良いですね」とありました。いつからかははっきり覚えていませんが、5歳ぐらいの時にはもうみんなから嫌われているイメージができていて、姉の友人のお誕生日会に行くのも怖かったし、近所の子供達と遊ぶのも向こうから誘ってくれないと遊べなかったし、一緒に遊んでいても嫌われるのを怖がっていました。でも、そういえば20歳ぐらいまでは豊かな人間関係にまだあこがれは持っていたような気がします・・・。大人になって社会に出て色々な人達と接していく中で、少しずつあこがれが消えていって、人間関係というものが苦しく辛いだけのものと思うようになっていった気がします。

~いさどんからのコメント~

次回の面談の時に詳しく聞かせて下さい。

神様を良く思えないということに対し、「その結果が今の人生に現れているのでしょう」という指摘については、そうかもしれないと思いました。はっきりとはわかりませんが、今までの考え方や性格が自分の人生を創っているのは事実だと思うので、どうにかして変えていくことが人生を変えることにつながると思います。だから、勝手な考えにもっと気付いていく必要があると思いました。

~いさどんからのコメント~

良いところに気付いています。そこの気持ちを大切にしていきましょう。

理屈ではない何かを見つけることに対して、「その通りですが、それをどうするかはあなたの意志です」とおっしゃいましたが、このノートを続けていれば見つかっていきますか?今、思いつくのはこのノートを通じてということと、作業をメンバーの人と一緒にさせてもらったら何か見つかるのかもと思っています。どう思いますか?

~いさどんからのコメント~

ノートの交換もそうですが、色々な物事の捉え方を色々な人に聞いて、自らの考え方やものの観方を広げていくことが大切です。その為に今、この取り組みをしています。あせらずやっていきましょう。

正直でいることを怖れて、ずっとウソつきで生きてきました。自分が正直でいる感覚もわかりません。今、自分は正直なのか?そうでないのか?と自分で自分を疑ってしまい、混乱します。でも、ウソつきで生きていくのはもうしんどいので、やめていく方向で正直のトレーニングをしようと思います。・・・というのはやっぱり人と関わる必要がありますね。少しずつですが努力します。

~いさどんからのコメント~

そうですね。この日記は全体に正直に書けています。

素直とはどういうことですか?たとえば、言われたことをそうですね、とそのまま受け取ることですか?それから、誰に対しても素直でいたほうがいいですか?

~いさどんからのコメント~

それは相手にもよりますが、まず正直と素直はセットで考えなければ意味がありません。そして、気持ちを楽にして望むべきです。

「わからないとしておいたほうが、何も取り組まなくても良いからです」という解説がありました。確かにその時は何もしたくないという思いがありました。ノートを書きたいとかミーティングで話を聞きたいということはありましたが、その上でそれを生かして取り組むところまでは、しんどくてしたくなかったです。今は、ちょっと取り組みたいと思っています。ただ、何をどのようにということについては、慎重に決めたいと思っています。またもう嫌だ、やめたいということになりたくないので。

~いさどんからのコメント~

本当は、自分で決めるのではなく、流れに任せられると良いですね。

一通りいさどんのコメントについてノートに書く。書き終えたら気が楽になった。そして、心に余裕を感じる。そこで、ここに来た経緯を振り返ることにした。今まで人生のほとんどにおいてうまくいかなかったこと。苦しんで自分ではどうしようもなくなったこと。自分の中にうまくいかない元があって、それをどうにかしないと何をやってもダメだと思ったこと。今の自分の性格だとやればやるだけ問題を大きく広げると思ったこと。それをどうにかしないと生きていても仕方がないと思って、ここに来ようと思った。

食事中にひろみちゃんに「ノートに沢山書いているね」と言われた。その後に「浅い所でいっぱい考えても仕方がない。深い所で考えないと・・・」と言われた。そう言われるということは、僕は浅い所でいっぱい考えているのだろう・・・。でも、考えや内容が浅い・深いが僕には全くわからない。今まで深いとか浅いと思ったことが一度もない。今、自分のやっていることを不安に思った。深い考えとは一体どのようなものなのでしょうか?

~いさどんからのコメント~

物事を観る時に主観で観ることと客観で観ることの違いがあります。さらに、その奥に客観背後の視点もあります。

 

2015年1月8日 ケア滞在4日目

朝6時半頃、目が覚める。睡眠中ずっと夢を見ていた。体が重い。胸が苦しくて少し呼吸がしづらい。何を考えるのも、何をするのも嫌だった。隣にいるサポーターのゆうくんの気配を感じ、何も話しかけてこないでくれと願っていた。

~いさどんからのコメント~

それではゆうくんに失礼ですよ。もし、人が隣にいることが嫌なら一人部屋でもいいですよ。それではケアが進みませんが。

私は緊張して相手と接する時や自分で自分のことがわからない時が多いので、やり取りが成立するように適当なことを言ったり、ウソをついたりしてしまう。会話でのコミュニケーションだと、心の動揺と自分の気持ちの確認で余裕がなくなる。

~いさどんからのコメント~

良いやり取りをしようとしないで、浮かんできたことを素直に語れば良いのです。カッコつける心があると難しいです。

食堂にいる時、自分の動きを一つ一つ見られている気がする。そして、こう動いたら変なのではないか?と気にして変にならないように気をつけて行動する。特に気にするのが今まで暗くしていたのを明るく振舞うとか、じっとしていたのに急に何かやってみようと動き出したりすること。

~いさどんからのコメント~

誰があなたを見ているのか、本当のところを確認する必要があります。

そのことを考えていたら、昔のことを思い出した。昔、僕は何かあるとすぐ泣く子だった。泣いていて、何かの拍子に機嫌が良くなってパッと笑ったりすることもよくあった。その時にまわりから、泣いたカラスがもう笑ったとバカにされ、笑われた。そのことがすごく嫌だった。ひょっとしたら、そういうことが自分の中にトラウマのようなものとして引きずっているのかもしれないと思った。

~いさどんからのコメント~

それは昔のことであり、今と区切りをつけて観る必要があります。皆はそれを過去のこととして忘れていくのです。

横になっていると、胸が苦しくなってきた。心臓の音がすごく大きく聞こえた。しんどいと思いながら横になっていたら、外からいさどんの声が聞こえてきた。ランニングシューズの話だったけど、その話の最後に「余裕がないとダメだよ」と言っていた。それを聞いて、自分も余裕がないのかなと思った。少し余裕が出てきても、またすぐいっぱいいっぱいになる。それでしんどくなって布団にこもって、何もしたくないと思うのだけど、それを客観的に見てみた。客観的に見ると・・・無理しないでいいから見守ってあげようと思った。

~いさどんからのコメント~

これも主観ですよ。

私は主観が強くて主観を大事にしていることが良くわかってきた。いさどんのコメントの意味や意図がよくわからないので、サポーターのゆうくんに解説してもらった。とてもわかりやすく解説してもらった。そして最後にゆうくんが、「僕の話は僕の主観も入っているから、色々な人の話も聞いたらいいよ」と言われた。いさどんのコメントにもそういうことが書いてあったと思い、機会があったらそうしようと思った。夕食の時、誰かに聞かなければと思い、ノートを持っていった。勇気が要ったが、りゅうしろうくんに声をかけた。忙しいということでヒロッチを勧めてくれた。ヒロッチに聞いたら、丁寧に細かくわかりやすく説明してくれた。質問した以上に沢山説明してくれたのだけど、その部分がよくわからなくて頭に入らなかった。そのことを不満に思った。教えてもらってありがとうとは言ったけど、感謝の気持ちが少なかった。自分は性格が悪いと思った。ゆうくんに、客観的にものを観られるようになると感謝の気持ちが出てくると言われたのですが、自分もそうなりますか?

~いさどんからのコメント~

そうなりますか?と聞いて、どうしたいのですか?大切なのは、自分がそうなりたいかどうかなのです。相手に自分の意志を聞くことではありません。

今もノートを書いていて、「ああ、もう嫌だ。何もしたくない」と思い、また横になる。

~いさどんからのコメント~

そうして時間が経ち、年を取っていくのです。

昨日のノートのコメントについてですが、これからの取り組みについて、「流れに任せられると良いですね」とありましたが、それは自分でああしようと思わずに、向こうからやってくるのを待つということですか?

~いさどんからのコメント~

向こうというのは、どこをイメージしているのですか?この世界の動きには全て流れがあり、それは法則に則って動いているのです。それが読み取れる人になりたいものです。

一昨日のノートのコメントで、「何度も自分の日記を読み返してみて下さい。客観的に自らを観て判断することが大切です」とあったので、ノートを読み返す。つい感情移入して、主観的になる。客観的にと思いながら読もうとしたけれど、客観的に読むことができなかった。なぜ?と自分に聞いてみた。「つまらない。」そう思った。それはなぜ?と思った。なんて情けないことなのだと思った。そういう自分を端から眺めてみて、「何をしにここに来たの?」「何のためにここにいるの?」と思った。情けないけど、見捨てないであげようと思った。気を取り直してまたノートを読む。

~いさどんからのコメント~

本当の自分を知ることは、人によっては勇気の要ることです。しかし、自分を知らずして、人生に何を積み上げていくかということです。有意義な人生は、自らを知り、成長(変化)することを楽しむことです。そう想いませんか。

 

2015年1月9日 ケア滞在5日目

9時頃まで横になる。起きて顔を洗い、談話室に行く。途中ヤスエさんに挨拶をする。ここに来て初めて、自分からきちんと挨拶をした気がする。少しずつここの生活に慣れてきて、生活のリズムが良くなっている気がする。ケア卒業生の滞在記は、自分の気持ちを支えてくれる。自分もそうなれると思わせてくれる。

昼食の時、長期滞在中のあわちゃんの前に座った。ちょっと話してみたいと思っていたが、自分からは話しかけられなかった。そうしたら、あわちゃんから話しかけてくれた。お互いのことを少し話した。うまく話をしようとか、カッコつける心や失敗して傷つくことを怖れることが、自分から話しかけられなかった原因だと思う。まだいさどんのアドバイスを聞き入れられていない。

~いさどんからのコメント~

結果を先に考えずに行動しましょう。

あわちゃんと話した後に、隣に座っていたともちゃんにノートでわからないことを聞いた。わかりやすく説明してくれた。このノートは色々な人の話を聞くことにも、すごく役立っている。ともちゃんのおかげで、なぜトラブルが起きるかとか、自分の本当に望んでいることを知ることができた。私はあらゆることに感謝できる人になりたいし、みんなと仲良くできるようになりたいです。

~いさどんからのコメント~

その為にはどのような姿勢になったら良いのでしょうか。

昨日のコメントで「ゆうくんに失礼ですよ」とありました。そう言われて、失礼なことなのだと頭では思うのですが、実際に失礼だとは感じません。失礼だということ自体が良くわからないのかもしれません。人に対する思いやりや感謝の心がないのだと思います。でも、ケアは進めたいので一人にしないでください。ゆうくんがいてくれたから、ノートをきっかけに色々な人と話をすることができるようになっています。ゆうくんのおかげです。それを思い出すとゆうくんのありがたみが出てきました。ゆうくん、ごめんなさい。質問ですが、この「ゆうくん、ごめんなさい」という気持ちと「ゆうくん、失礼しました」は同じ意味ですか?そもそも失礼の意味がわからないです。

~いさどんからのコメント~

相手の内にある真実とあなたが感じていることに違いがあり、それがわかったら失礼しましたと伝えるべきではないですか。

昨日のコメントで、「誰があなたを見ているのか、本当のところを確認する必要があります」とありましたが、とりあえず自分自身は見ていると思います。それからまわりの人については聞いていないのでわかりません。でも、まわりの人は見守っているだけなので、見られていたとしても変には思っていないですね。変に思っているのは自分自身だけです。

~いさどんからのコメント~

そうですね。そこの仕分けには注意しましょう。

昨日のコメントで、「それは昔のことであり、今と区切りをつけて観る必要があります。皆はそれを過去のこととして忘れていくのです」とありましたが、忘れるということも意識的にできるのですか?忘れたいので、というか、とらわれたくないので、忘れようと思います。

~いさどんからのコメント~

今に注目して生きる人や未来に希望のある人は、過去にとらわれることが少ないです。

昨日のコメントで、「これも主観ですよ」とありました。しんどいと思っている時に客観的に見ようとすることは、今取り組むことがある状況だったら、しんどいと思っていたとしてもそれは無視して、取り組んでいくということですか?

~いさどんからのコメント~

客観的に物事を捉えると、心は苦しくなくなるものです。

昨日のコメントで流れの話があり、「向こうというのはどこをイメージしているのですか?」とありました。向こうというのはどこということはないのですが、受け身でいて渡されることをやると思ったのです。誰かが頼んできたことをやるとか、自分からは動かないと思ったのです。違っていますか?

~いさどんからのコメント~

その通りです。ただし、流れは自分の意志とは関係なく流れているのです。それを逃さないようにしたいものです。

昨日のコメントで、「有意義な人生は自らを知り、成長(変化)することを楽しむことです。そう想いませんか」とありましたが、私には心から楽しいと思うことがなくて、多分成長したと思ったこともないので、今は取り組んでみてそれが楽しいかどうかやってみます。

~いさどんからのコメント~

楽しいと思う心がないのは、何か心にゆがみがある状態です。その状態は正したいですね。

少しずつ色々な人が声をかけてくれるようになり、コミュニケーションが増えてきたが、まだ自分の枠を超えているわけではない。そうさせてもらっているのがほとんど。夜8時、明日から開催される大人サミットの会議が始まった。僕自身、いさどんに勧められて大人サミットに参加するし、この会議に参加してみたら?と言われたので、参加してみた。でも、集まってきたみんなを見て、自分だけ場違いな感じがして焦った。いさどんが入ってきた時に、「なぜ場違いな人がいるの?」と言われそうな気がしてそわそわしていた。実際はそんなことを言われなくて、結局自分が自分でそう思っているだけだった。

~いさどんからのコメント~

自分で勝手に思っていることが多くなると、ストレスが多くなります。

大人サミットの内容を聞いていくたびに、「大丈夫かな、大丈夫かな」と不安になった。普段は横になったり、ノートを書いているだけだし、今日やっとおやつの時間に出られるようになったぐらいだし、何かしんどいことが起きたらどうしようと会議中に何度も何度も不安になった。でも、ケア卒業生の滞在記に、何かあったとしてもまわりが助けてくれるし、安心してやってみたらいいと書いてあったし、妄想は妄想だし、とにかくやってみようと不安になるたびにそれを振り払って自分を落ち着かせていた。みんなの配慮も感じられて嬉かった。難しそうな内容だけど、大人になりたい、自立したいと思っていたので、良いきっかけにしたい。

~いさどんからのコメント~

それはとても良い判断です。あなたの成長の為にも、自分の知らない世界の価値に出会うことが大切ですね。前向きに、リラックスして参加しましょう。

 

2015年1月10日 ケア滞在6日目

昨日のミーティング中に、私のことが少し話題に出された。いさどんの話では、私は自分のことを緻密に観ることはできている、今とらわれの中にいる、この先うまくいけば使いものになる、ということだった。その話の中で、とらわれの中にいるということは自分でもわかった。緻密に観ることができているとか、使いものになるという話はピンと来なかった。そういう自覚がない。昼にともちゃんから、いさどんのコメントをそのまま受け取ればいいんだよ、と言われたのを思い出した。そうなんだと受け取ることにする。自分には何もできない・・・この先もできないかもと思っていたけど、このまま続けていけば何かできるようになるのだと思い、少し希望が持てた。

~いさどんからのコメント~

信じる者は救われると言います。信じて先に向かっていきましょう。

そうしていたら、隣の部屋で声がした。まっちゃんだった。まっちゃんはケア滞在をしているゆっくんのサポーターなので、ゆっくんを起こしに来たようだった。「そうやって怠けてどうするの。生活のリズムを直しに来ているのに」とはっきりと厳しく伝えていた。それを隣の部屋の布団の中で聞いていて、自分も同じように怠けていると思い、起きてノートを書きに談話室へ行った。そうしている間にずっとまっちゃんの声は聞こえていた。まっちゃんはゆっくんのためを思ってわざと厳しくしている、それはまっちゃんの愛だと思ったり、まっちゃんとゆっくんを端から見ていて客観視を意識できたり、自分も客観的に見るとゆっくんと同じようだと思ったり、ゆっくんがこういう役をやってくれるから自分や色々なことのためになっているのかも、と多くのことを思わせてくれた。色々教わった気がした。

~いさどんからのコメント~

学ぶ気になれば、どのようなことからも学べますね。

妄想が出てきてすぐに体が緊張する。余計な心が多い。多い時は数分に一回ぐらいのペースで妄想と不安にとらわれる。トイレでこのことを考えていると、いさどんの「自分は無力だ。だから天意を表せる」と言っていたのを思い出した。自分も無力だと思ってみようと思った。自分で自分を守ろうとして緊張が起きているような気がしたから。自分には自分を守る力はないと思ってみた。イメージすると怖かった。しばらく考えていて、ああ、そうか、すでに守られていると思えばいいのだと思った。いさどんも安心して色々やれる世界なのだと言っていたし、今の環境はみんなに見守られている環境なのだ。本気でそう思えていないから、まだまだ緊張が直らないのだけど。守られている、自分で守る必要はないということをこれから意識することにする。

~いさどんからのコメント~

素晴らしい気付きです。ミーティングでみんなにシェアして下さい。

昼食は大人サミットのメンバーが並んでの食事だった。まわりの人たちが話しかけてくれて、少しずつ人と関わることがしんどく感じなくなってきている。昼食から帰ってきたら、ゆうくんが部屋にいた。僕が今までゆうくんに思っていた不満や不安を話した。それで、今までゆうくんがどういう思いでサポートしてくれていたかを聞いた。僕が勝手に思っていたこととは違っていて、僕の状態にふさわしくケアがきちんと進むように丁寧に見てくれていたことを知った。それを聞いて自分が間違っていたと知り、失礼しましたと伝えた。でも、まだ相手に悪かったという気持ちが少なかった。少しはあった。そのことも伝えた。少しずつでいいよと言ってもらえた。ありがたい。優しいと思った。

~いさどんからのコメント~

この箇所もミーティングでシェアして下さい。

昼食後、子供達の自己紹介の後で僕の子供であるあっくんとある女の子がマイクを取り合っていた。それを見ていて、あっくんが勝つように応援していた。結局女の子が勝ったのだけど、ものすごく感情移入して胸が痛んで、悲しい、かわいそうだという気持ちになった。こういった気持ちをあっくんに向けないように気をつけようと思った。もう無くなったと思っていた子供への執着の強さを知った。私が育てなくて良かった。

~いさどんからのコメント~

この部分もミーティングでシェアして下さい。

大人サミット参加者に対するウエルカムコンサートでは、途中から自分の心が軽くなり、自分が自分でなくなる感じがして、頭がポーッとした。その場の力にものすごく感化された気がした。ケア中だということ、まだまだ進み始めたばかりだということを忘れないようにしたい。

~いさどんからのコメント~

とても良い流れで進んでいます。この姿勢を忘れないように取り組んで下さい。

 

2015年1月11日 ケア滞在7日目

日記の内容をミーティングでシェアしてみないかといさどんに言われた。去り際に「あなたの人生だから強制はしないけどね」と言われた。その時に突き放されたような感じがし、寂しさが襲ってきた。でも、これは今の自分に丁度良いように伝えてくれているのだということと、自分の甘えた心がそう見せていることなのかもと思った。そう思えたのは、ゆうくんが僕に対するサポートの姿勢を教えてくれていたから。僕にかまって欲しいという心がある時、ゆうくんはそういう僕の波動を感じてそれにふさわしく関わっていると教えてくれた。いさどんが去った後にけいご君が「今日の大人ミーティングではまわりにマイクを渡されて受け身で発言したけれど、次は自分の枠を壊すために自分から発言する良いチャンスだね」と言ってくれた。この出来事をわかりやすく解説してくれた。僕が何もしなくても、次から次へと事が運ばれていく、というようなことを思った。また、いさどんの「僕は無力だから天意を表せる」という言葉が浮かんだ。ひょっとしたら、無力というところに立てば、全自動で事が運ばれていくようになると思った。無力の無は無限の無。全ての力を持っているということなのかもと思った。

~いさどんからのコメント~

そうですね。

自分が人の話を聞いていてしんどくなる理由に、こういうやり取りにしたい、こう返して欲しいという思惑があり、そのことで思い通りでない時のストレスがある。それから、そのストレスの中で次々と進んでいく話を処理しないといけない脳の負荷の大きさ。自分の思惑がストレスを生んでいる。いさどんの指摘の通りです。

大人サミットの中で昨日の日記をシェアしようと思っていた。サミットのどこかで、サミット中に思ったことがあればそれも一緒に自分から発言するつもりだった。タイミングを見計らっていたら、いさどんが途中で自分の話を止めて僕の発言の場をつくってくれた。自分のタイミングでと思っていて、急にその場が与えられたので、「ええっ!」となり、どうしていいかわからず固まってしまった。それでいさどんにフォローしてもらってシェアした。自分のタイミングでと思っていたけど、促してもらえて助かったという反面、自分で場をつくろうと思っていたのに~という不満があった。最後に参加者で輪になって座談会をした。そこで聞きたいことや言いたいことがあったのだけど、みんなの流れについていけなくて、なかなか発言できなかった。最後にいさどんが僕に話を振ってくれたので、一つだけ言いたかったことが言えた。この時、まわりの目はほとんど気になっていなかった。後でこの出来事を振り返った時に、あの時いさどんがシェアの場をつくってくれて良かったと思った。サミットの空気を壊さず、しかも僕の話をみんなに受け取ってもらいやすいように場をつくってもらえたおかげで、全体としても僕個人としても、とても良い感じにできたと思った。不満に思うことは一つもなかったのだと思った。

~いさどんからのコメント~

(後でいさどんに聞く)

 

2015年1月12日 ケア滞在8日目

朝、大人サミット主催者のじゅんぞう君と話す。昨日一緒にいて思ったことを伝える。じゅんぞう君の意見を聞き、自分の中に支配したい心があると気付く。

~いさどんからのコメント~

どのような場面でそう思うのですか。

今日は大人サミット最終日。サミット中、自意識にとらわれる。そのたびに意識をサミット全体まで広げてみる。そうすると、今、全体が良い感じだと捉えられたり、思い通りにしたい気持ちが少なくなったりする。自意識とサミット全体の意識を行ったり来たり。そうしている中で、正直に出すことも取り組んでみる。できるだけ思ったことを言う、やる。前よりは良くなってきている。

~いさどんからのコメント~

大きな進歩です。

~慶晃くんのコメント~

言われた通りにやってみた結果です。一歩一歩みんなの話を参考にして進めていきます。

いさどんに言葉に力が出てきたと言われた。内容は無いとも言われた。言葉に力が出てきたのは、不安の心が少なくなってきたからだと思う。言葉を形として表していくことがこれからの課題。

~いさどんからのコメント~

そうですね。

正直を意識する。ウソをつかないということを意識する。一つの行動の中に沢山のウソを言う、言わない、言い方、言う時の態度、表情、時。正直を意識すると、自分のウソが何重にも出てくる。色々考える。思考で収めることを卒業しよう。

~いさどんからのコメント~

やっていって下さい。

 

2015年1月13日 ケア滞在9日目

大人サミットも終わり、昨晩のいさどんとの一週間面談の結果、今日から作業に出て学んだことを日々の中で定着させていくことになった。今日の畑作業はカトケンと一緒だった。カトケンが僕のことを嫌だと思っているように見えた。そう思っている?とカトケンに聞いた。心の癖が出たのだとわかった。おやつの時、カトケンがみんなにこの話をした。不思議と僕自身の個性に興味を持つ人が多い。自分の個性も悪くないのだと思うようになってきた。

~いさどんからのコメント~

どのようなことでも、まずは正直から始めれば、最後は好感を持たれるものです。

~慶晃くんからのコメント~

信じるしかないですね。努めます。

カトケンと作業をする。カトケンの動きがゆっくりではっきりしていなくて、どんよりという感じに思えた。何も言わずに姿が見えなくなったり、説明がよくわからなかったりで、そのことを不満に思った。不満が出るのはケアの意識が低いからだと思った。

~いさどんからのコメント~

そんなことはありません。いつでも正直を出して下さい。

午後の作業は伝えてもらっていなかったから、どうするかはみんなの作業の割り振りをするひろみちゃんに任せようと思った。それでカトケン以外の人と作業になったらいいなと思った。食堂で座っていると、正面でともちゃんが話をしていた。「いただくものだよ」「流れに任せて」という言葉が聞こえた。カトケンから学ぼうとする気持ち、主体的に続ける意志と、流れに任せることの両方を大切にしたかったので、カトケンと作業を続けるという思いを持って、ひろみちゃんに「作業はこの後どうなっていますか?」と聞いた。気持ちは晴れていた。「カトケンとの作業だよ」と言われた。その時カトケンが前に来た。「午後も一緒なのでよろしくお願いします」と伝えた。作業中、自分が自分が・・・という心になる。そうなると、心が嫌な感じになり、意識をみんなでとか、相手も自分というふうにすると楽しく、楽な感じになる経験をした。ゆがみが少しずつ正されてきつつあるのかなと思った。

~いさどんからのコメント~

良い振り返りと捉え方ができています。

昨日のノートのコメントで、私の支配したい心があるという話に対して、「どのような場面でそう思うのですか」とありました。人と話をする時も都合の良いように思われるようにとか、都合の良いように話や出来事が流れるようにと思います。何もしていない時も何かしている時も、自分の都合の良いような出来事を空想し、都合の悪いようなことが起きたら嫌だと空想します。現実では無理なので、空想の中で処理しているのだと思います。自分の理想の扱われ方があり、そうなるようにコントロールしたい心がウソをつき、自他を責めるという行動につながっていると思います。昨日の大人サミットで「明日もみんな、一緒に頑張りましょう」と言って場を良くしようとか、参加者の気持ちを上げようと思ったことも、自分の思う「良い」というものにコントロールしようとしていると思います。

~いさどんからのコメント~

どちらにしても、この世界に存在していることは思うようになりません。それは全てについてです。特に自分自身の思惑については手放すことが大切です。

 

2015年1月14日 ケア滞在10日目

午前中は大勢で落ち葉集めに行った。何を大切にして作業にあたるか色々迷った。生活のリズム、けじめをつける、エネルギーを行動へ向ける、正直に出す、意識を広げる。落ち葉を集めながらゴミが気になればゴミを拾い、小道をきれいにしておきたかったらそれをして、自分の思考が気になればチェックしたり、立ち止まって全体をチェックしたり、意識を広げようとしてみたり、思ったことを口に出して手を止めてしばらく話をしたり、その時その時で色々やってみた。くにさんと心のシェアもできたし、人目を気にせずに色々やれたし、楽しくそこそこ懸命に作業ができた。

~いさどんからのコメント~

良い時間を過ごしていますね。

午後も落ち葉集めだった。午前中より早く丁寧に集中して作業をすることを心がけた。行動としてはそうできたけど、頑張っていると思われているのではないかとか、あの人に話しかけられたらこんなことを言おうとか、午前中よりもいっぱい余計な思考・心の癖が出た。持続的に作業ができたのは良かったけど、心の癖をコントロールできなかった。これをどうするかは次の課題です。

~いさどんからのコメント~

心をコントロールする方向は色々あります。それをつなげて流れを創っていくことも面白いと思います。

詳しくは書きませんが、被害妄想、人を悪く思う心、正直を出さない、自分だけのことを考える、無駄に思考をまわす、思い上がる、ケアを取り組む姿勢が崩れる、まだまだいっぱいしょっちゅう出ています。

~いさどんからのコメント~

内にあるものは出てきます。それを早く正直に出して、新しい自分にリニューアルしていく楽しみを味わっていくことも有意義な人生になります。

~慶晃くんからのコメント~

体験してみます。

 

2015年1月15日 ケア滞在11日目

自分と他人、自分とまわり、全てにはギャップがあり、そのギャップを無くす作業をしている。そして、そのギャップが豊かさを生んでいる。いさどんが説明していたことに少しずつ納得し始めてきた。

~いさどんからのコメント~

難しいところに気付きましたね。

ケアを卒業し、今ヘルパー滞在中のたかちゃんから自分を好きになれないという話を聞いた。僕は少しずつ自分が好きになってきている。それは正直を出してまわりからフィードバックをもらえた結果だと思っている、と伝えた。でも、まだまだそれほどはできていない。

~いさどんからのコメント~

良い役割を果たしてくれています。

こういった出来事も一つの情報なのだと思った。今までは経験を情報として意識的に積み上げる人生を送って来なかった。これからは・・・と言いたい所だけど、先を思うと不安が襲う。意識を自分からまわりや今に向ける。怖くなくなる。今のことだけ考えられたら・・・。良くそう思う。

~いさどんからのコメント~

そこがポイントです。

昨日のコメントで、「心をコントロールする方向は色々あります。それをつなげて流れを創っていくことも面白いと思います」とありました。意味が全くわかりません。

~いさどんからのコメント~

それは大人サミットで僕が話した、一止(いっし)の話ではないですか。

 

2015年1月16日 ケア滞在12日目

今日はひろみちゃんと作業だった。一日、全体的に楽しく作業ができた。しかし、スムーズに楽しく作業を続けたい気持ちがあり、相手の顔色を伺うことが度々あった。嫌われたくない気持ちも出る。表面上はうまくいっているようで、深い所ではうまく関われていない。信頼できていない。正直でないことも度々。まだまだ浅い所にいる。この壁は自分にとっては今まで越えたことがないので、大きな課題。

~いさどんからのコメント~

今までの自分を所有していなければ、難しいことではありませんね。

毎日少しずつ精神的にも体力的にも余裕が出てきている。その余裕の使い道に気をつける。昨日のノートで僕が「今のことだけ考えられたら・・・」と書いたら、コメントで「そこがポイントです」とありました。今の取り組みと今のことだけ考えるということに大きなズレを感じます。そう感じた後で、今のこと=自分の今のことではなく、今=自分+まわり全部のことなのか?と思いました。それでも、今の取り組みとのズレを感じます。

~いさどんからのコメント~

それをつかむには、その奥にある流れをつかむ(感じ取る)ことですね。

一止の話をもう一度してもらえませんか?自分の進んできた道を止まって振り返ってみる。それで、間違った方向に進んでいたら、正しい道へ向き直す、ということで合っていますか?

~いさどんからのコメント~

人は未来(前)に向かっている時は、可能性(選択肢)は沢山あるものです。しかし、後を振り返って観ると、一本道を歩んできているものです。そこで前ばかりを観ていないで、時々ポイントの時に後を振り返り、一本道に歩んできた今までを振り返って、未来に向かっていく道の指針にしていくと良いのです。それを一度止まって振り返る「一止」と言って、正しい道を行くために生かしていくということです。

 

2015年1月17日 ケア滞在13日目

毎日少しずつこなすこと、考えることが増えていっている。そのことにとまどいながらも、こなせていっていると思う。お誕生日会の出し物があり、一つの山だったけど、無事にこなせた。良かった。自分壊しというものは、できないことをできるようにするというより、私はあなた、あなたは私ということに少しずつ近づけていくことだと思うようになった。そう思うようになって取り組むことがずいぶんと楽になった。今の環境だからこそ、ということはあるけれど。ここは人間の再生にはとても良い所だと思う。

~いさどんからのコメント~

良い意味でそれを利用して、あなたの人生に生かして下さい。

今日のお誕生日会、そして1月31日に行われる富士浅間木の花祭り、今まではこういう豊かさを受け入れる余裕は無かったけど、受け入れる余裕が出てきた。ただ、感謝の心がとても少ないことがとても心配です。

~いさどんからのコメント~

これから、少しずつ身につけていけば良いのです。それには世界観を広げていくことが大切です。

 

2015年1月18日 ケア滞在14日目

お風呂でカトケンに今まで思っていたことを話した。カトケンは「自分にはない考えを聞けて良かった。言ってもらえて良かった」と言った。その後、まこっちゃんも加わって3人で話をした。自分もカトケンと同じような所があると思った。カトケンは自分にない心を持っていて、自分にもある心の癖も持っている。先生でもあるし、鏡でもある。

~いさどんからのコメント~

そのような人間関係は一つのモデルのようなものですね。

昨日のお誕生日会の出し物のことを子供達がまねしたり、色々聞いてきたりした。大人のメンバー達も良かったと言ってくれた。ああいう機会を与えてもらえてよかった。客観的に見たり、自分を手放したり、まわりを信じたり、色々と取り組めた。

~いさどんからのコメント~

積極的な姿勢が評価できます。

昨日のコメントで、「世界観を広げていくことが大切です」とありましたが、世界観を広げていくとは自分の枠を広げていくということですか?それとも世界や宇宙がどういうものか、それがどのように創られているのかという事実を知っていくことですか?どういうことなのでしょうか?

~いさどんからのコメント~

正確に言うとその両方ですが、どちらか理解しやすいほうから進めていくことです。

一昨日のコメントで、「それをつかむにはその奥の流れをつかむ(感じ取る)ことですね」とありましたが、それは客観背後や時代の流れを感じ取るということですか?

~いさどんからのコメント~

客観背後までは行かなくても、客観的視点や時代の流れをつかむことです。

以前に、子供達に怖さを感じると伝えましたが、子供達に対する怖さは自己否定、子供に対してこう接しないといけないという勝手な考え方、自分自身が子供の時に同年代とうまく関われなかったことのトラウマから来ていると思います。一昨日のコメントで、「今までの自分を所有していなければ、難しいことではありませんね」とありましたが、勝手な考え方やトラウマにとらわれていることから離れることが、今までの自分を所有しないということなのかと思ったのですが、そうですか?

~いさどんからのコメント~

その通りです。それも世界観を広げる出発点になります。そして、子供の頃のトラウマを卒業して大人になっていく近道です。

 

2015年1月19日 ケア滞在15日目

作業中とおやつの時間に日和ちゃんと一緒だった。日和ちゃんは中学校を卒業してからそのまま木の花に就職した、16歳の大人最年少メンバーだ。主体性があって自分にとらわれていない感じにとても刺激を受けた。正直な態度の見本を見せてもらえた。受け入れられない、嫌われたくない等々、色々な思いが出てきたけど、自分を所有しないことを意識して、できるだけ正直に関わってみた。そのおかけで、日和ちゃんの年代に対する怖さはだいぶ少なくなったと思う。

~いさどんからのコメント~

この感情は、あなたの一人よがりのものです。それを持つこと自体、空想なのです。

~慶晃くんからのコメント~

そうなのですね。わかりました。

この一週間、前回の面談で課題として与えられたリズム良く一日を送ることはできたと思う。でも、作業への集中度はいまいちだと思う。思考を無駄に使うことも少なくなった。体力的な問題と疲れが溜まってきていて、動きが悪くなっている。回復のサイクルがもっとできてきたらと思う。次々と出来事がある中で、基本的なことや一度つかんだことを忘れがちになっている気がする。不安が出る。焦りすぎだと思った。客観的に見れば、何でもないことだと思える。

~いさどんからのコメント~

アンダーラインの所は、もっとしっかり振り返って下さい。細かな振り返りはできています。

夕食後にたかちゃんと話した。たかちゃんと話をすることで、自分自身がこれまで何を経験したか、その経験を通して今どのように考えているのか、何をしているのかを振り返る良い機会になった。それから、作業中のたかちゃんの集中力と集中することへの意識は、僕には足りていないと思うので良い刺激になった。

~いさどんからのコメント~

具体的にどのような内容だったのですか。

 

後編に続く!〉

 


今というトキ 木の花ファミリーというトコロ

みなさん、こんにちは、まりねえです。久しぶりのブログ投稿となります。

今、あわちゃんやしゅうくんなど、木の花ファミリーの自然療法プログラムの卒業生で精神的な病を克服した後、メンバーとなったり、長期滞在してファミリー同様の生活をしている人達が中心となって、こんなイベントを企画してくれています。

題して,『ニート・引きこもりも鬱も希望の光』~初めの一歩が未来を創る~https://www.npo-greengrass.org/?p=49

ということで、様々な行き詰まりを乗り越えてきた企画者達の経験を交えながら、「こんな考え方があるんだ!?こんな生き方もあるんだ!?」というような、今まで知らなかったような視点や生き方を提示していくことで生き生きできる生き方を探っていくという趣旨のイベントです。

これは、木の花ファミリーが母体となり14年前から活動しているNPO法人「ぐりーんぐらす」(旧「青草の会」)で企画運営されるものですが、企画の中心となる彼らは、実際に精神的な病と診断されましたが、自分の内面と向き合うことで、自らの進むべき道を自らの意志で切り開いていこうとするエネルギーに変え、企画者の先頭に立って活動しています。

さぁ、飛ぶぞ~

さぁ、飛ぶぞ~
あれれ~?
あれれ~?

また他のイベントとして、【鬱も統合失調症もプレゼント】ということで、ファミリー同様の親しい関係にあるけいご君が主催している「出張木の花塾」が、5月17日に千葉県の船橋で開催されます。これも今回のテーマは「自然療法プログラム」で、現在生きづらさを抱えている人達が生き生きと暮らせるための仕組みについて語り合うものです。(詳細はhttp://khfm.us/ib150420や、フェイスブックのhttps://www.facebook.com/events/882502535120641/をご覧ください。)

 

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先日いさどんが、「世の中に行き詰っている人達のニーズを知るには、ここに来た経緯を各自が探っていくことにヒントがある」と言っていたので、私の場合はどうだったかを振り返ってみようと思いました。そして、メンバーとなった私のような事例も見知らぬ誰かの参考になるかもしれないと考え、ブログとして書くことにしました。

私は教育大学を卒業してすぐに公立中学校の教諭となりました。教師になって1年目の冬に、風邪をきっかけに原因不明の病気(診断書に記載された病名は、「不明熱」)を発病し、意識不明の危篤状態にまで至りました。その時両親は医者から、「死ぬか頭が狂うかです」と伝えられ、父は、意識を失った私の枕元で大泣きし、当時信仰していた宗教団体の人から、禍の元になっているから燃やすようにと言われたものを全て燃やしたそうです。ICUに移され、40度を超えていた熱も数日後には突然下がり、その後転院し、1か月の検査入院をして、原因不明のまま退院しました。主治医に「何が原因かを教えてほしい」と尋ねたところ、「逆にこちらが教えてほしい」と言われたことが今も記憶に残っています。

これが勤めて1年目の24歳の時で、以来同じ症状で病院はいろいろ変わりましたが、4、5回の入退院を繰り返し、全て病名は「不明熱」でした。こんな病名があること自体驚きで笑ってしまいますが、どの医者もお手上げということだったのでしょう。

これはストレスから来ているのではないかというのが全ての人に共通の認識でしたが、今から考えると、概ね生徒たちとは信頼関係で結ばれ、学級経営も良好であったので、大人(同僚教師や保護者)との人間関係に違和感を感じたことと、元来持っていた性格とものの捉え方の癖により起こった現象だったと思っています。

このように捉えられるようになったのは、ここ木の花ファミリーというところで、ありのままの自分というものがどんなものかを知っていったからです。そして、全てが善意であり、どんな出来事も、学び成長していく為に与えられた愛によるものだということを、ここでの偽りのない生活を通して確信していったことによります。

そのことを具体的な事例として以下のように整理してみました。

 

私がメンバーになる前、木の花ファミリーに惹かれたのは・・・

1)幼少期からずっと「明朗活発」「明るくておもしろい」と言われていた自分が、「森の中の洞窟」といわれるほど実は暗い性質であると言われ、それをそのまま受け取って考えてみると、なるほど思考の方向性が全てネガティブで暗いということに気付いたこと。
(これはメンバーになる前だったので、帰ってしばらく経ってから腑に落ちたことです。)

このようなことは名前から読み取れると知り、質問して、メモをして帰ったくらい興味を持った。そして、自分は変わり者だから理解されないのだと知ってとても納得し、安心した。
(これは今では名前講座として体系化され、誰でも学ぶことができます。因みに近々では、全3回シリーズ『宇宙おじさんの人生講座1』(こころのかたちを知る)が、5月2日から4日まで開催されます。定員に達したためキャンセル待ちになりましたが、第2回目以降も開催されますので、詳細については、http://khfm.us/nw150426 をご覧ください。)

宇宙おじさん

2)ここの人達は正直で100%信じられる人達だと確信したこと。社会の『本音と建前』という常識に疲れていたので、メンバーから言われる言葉一つ一つが新鮮であり、何の利害関係もないのだから、言われていることは全部その人が実際に思っていることだろうと信じられた。そしてこれは、メンバーになる前に大阪から通っていた10年以上の間、どんな光景を見ても、聞いても、揺るがず信じ続けられた。

3)ミーティングが終わってからいさどんに個人的に聞いた宇宙の話や目に見えない波動の話などにより、今までにない感覚を覚え、何かが目覚めた気がする。例えば、帰りの電車で、なぜか人の足に目が行き、突然個々の魂とその背後の想いを感じたことがあった。

4)自分の思考パターンの分析を、いさどんに手伝ってもらいながら進めていった。加えて、言語の背後にあるいさどんの真意を探ったり、感じたりすることもおもしろかった。特にいつも自宅に帰る間際に伝えられた「お土産の言葉」がピンポイントの的を射たもので、帰ってからの自分の指針となった。今から考えると、それが自分の寄る辺の「柱」になっていた気がする。

5)全てが善意と愛からなる神様ゲームであるということを信じることで楽になっていった。

6)いろいろ不思議な事が起こった。そして、それはその時の自分の状態に相応しい形で体現され、今も今の段階に相応しく不思議な事は起こり続けている。けれど、これは宇宙原理であり、誰にでも相応しく起こるべくして起こる必然の出来事であり、奇跡などではないことを知った。

7)自分の日常では出会うことはないであろう人達とも出会えた。また、いろいろな人達の真の姿を見られたことで、「人って実体はこんな風なんだ!」ということを知れるのはおもしろかった。

8)「カルマ」という存在を知れたことや、人との深いかかわりや現象を通して、自分が変化していくことを実感していくことができた。もともと自分は成長欲が強く、変化できないことが不安であったことにも気付いていった。

9)「正直、素直、信じる」ことさえできればいいと言われて自分の目指す方向が明確になったことで、ファミリーメンバーのような気持ちになり、より居心地よくなった。

・・・・・・・う~ん、他にも伝えたいことは山ほどあって、とても書ききれません。
私はそんな欲深な人間なので、直接会ってお話ししましょう。

う~ん
う~ん

 

私は、ここで自然療法プログラムを受けた訳ではないけれど、このように自分の心の癖や思考の傾向を知っていくことによって、どうして自分が原因不明の病気になっていったのかの構造がほぼ解明できました。逆に言えば、思考の進め方次第で以前の病気になることもできるということです。

24歳という年齢で危篤になったことで、人はストレスというような漠然としたもので、命を落とすこともあるのだということを知りました。死はそれ以後私にとって身近なものとなり、いつ死んでもおかしくないという実感が持てたこと、だからこそいつ死んでも悔いのない生き方をしたいと思えたことは、今でも大きな財産となっています。

このような経験をさせてもらったことの意味はまだわかりきれていません。けれども、今の自分があることの意味を、自分の為だけでなく、誰かの為に役立てたいと思っています。私は6年前に教師を早期退職し、ファミリーメンバーとなったのですが、退職前から、よく知る教師が鬱やストレスによって死亡するケースを少なからず見てきました。それには現代の社会背景が大きな起因としてあるでしょうが、全ての出来事は個人に与えられた人生のテーマなのです。一人でも多くの人達がその意味を知り、人生を生き生きと生ききれることを願っています。

また、そんな心の学びや成長は、誰しもが感動したことの一番に挙げる「美味しい食事」(「1ケ月間の真学校」にある、台湾から受講したぶんちゃんのコメント「木の花ファミリーの問題点」http://konohana.sixcore.jp/shingakko/?p=571も参考にご覧ください)と、個性的でかわいい子供達の存在によっても支えられています。

美味しい食事と子供達とともに
美味しい食事と子供達とともに

けれども、何より私がファミリーメンバーになったのは、心を徹底的に観て、人と関わり繋がりあうことを私自身子どもの頃からずっと望んでおり、おそらくそれは生まれる前からそうだったからだと思っているからです。それは、誰しもが心の奥底に真の目的として持っているものなのではないでしょうか。そこに気付いた者達が、自分の癖や汚れを、他のものに向けるのではなく、自らの内側に観て、それと正面から向き合っていくことで調和が生まれ、世の為人の為になっていくのだということを感じられることは、魂が震えるような喜びであり、それは、おそらく木の花を知らなければ、感じられなかった幸福感だと確信しています。

この社会に矛盾を感じているのがむしろ正常だと私は思っていて、その矛盾がなくなる時代がもうそこまで来ていることを実感しています。少数派が一気に多数派になり、価値観も変わり、逆転現象が起こるのだ!! そんなふうに考えると、先が楽しみで仕方がありません。

誰が理解してくれなくても、この生き方を誇れる気持ちに揺るぎはありません。死は必ずやってきて、その時に後悔しない美しい生き方や心を、これからも自己責任で選択して進んでいきます。瞬間瞬間が選択の連続です。「今を生きる」というのはそういうことだと思うのです。
謙虚さをすぐに忘れてしまう自分ですが、一歩一歩自己と向き合っていきます。

私達はいろんな意味で自分達のことを「変態集団」と称しているのですが、それがいよいよ時代の潮流になるのです。

嬉し嬉し、楽し楽しの幕開けじゃ~
嬉し嬉し、楽し楽しの時代の幕開けじゃ~

 


「凶悪」と介護施設

先日、大人ミーティングにて、実際に起きた事件を元につくられた映画「凶悪」を観ました。
その後、介護老人保健施設で働くみっちゃんが、想いを綴りました。

大人ミーティング終了後、同じ施設で働くゆうこちゃんと翌日の打ち合わせをするみっちゃん
大人ミーティング終了後、同じ施設で働くゆうこちゃんと翌日の打ち合わせをするみっちゃん

 
■    ■    ■
 
「凶悪」という映画を見た。

私は、今、老人ホームで働いている。日々の業務をしている中で、気にかかることが私の心に、湧いてくる。
例えば、お年寄りのオムツを変える時。ふと気が付くと、まるで、物を転がすように、自分の都合のいいように動かしている。目の前にしている人を、人として感じられていないのではないかと思うことがある。そこに、相手に対する心があるだろうか。
入浴をするために、洋服を脱がせるとき、こちらの都合で早く入れたいがために、相手の体を気遣うことなく、服をひっぱって、まるではぎとっているようにみえることがある。
お風呂場で、便がでてしまった人に対して、「何でこんなところでするの。駄目じゃないの」って、しかりつけるようにその言葉を発しているのを目にする。
トイレに行きたいという人に対して、「さっき行ったばかりでしょ。出ないよ」と決めつけて、連れていかない人がいる。

これは、私の日常の業務の中で垣間見る出来事の、ほんの一部。
どの場面でも共通して、人を人として感じられていないような気がする。
人の首を絞めて殺し、なたで体を切り刻み、焼却炉で焼く。まるで人を人と思わない、恐ろしい行為。今日見た映画に登場する人物たちの、それこそ目を覆いたくなるような犯罪の数々を起こす心に共通する 、凶悪の種を感じた。
多分、老人ホームに限らず、福祉の施設は、弱者が集まった場所であるだけに、一歩間違えれば虐待にもなりかねないケースが起こりやすい環境なのだと思う。湧いてくる思いに対して、それを選択するかしないかの違い。人間には、それだけの可能性があることを教えてもらった。
 
先日、新聞に「介護・保育士資格を統合」という記事が出ていた。
(下記のあわちゃんのブログも参考にしてね。)

*介護・保育士資格統合について書かれたあわちゃんブログ
 「木の花ファミリーでリアルに起こっていること」

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これは、厚生労働省が、少子高齢化と人口減の影響で人手不足が懸念されている福祉人材の確保に向けて、介護福祉士や保育士等の資格を一本化する動きだそうだ。そして、これから団塊の世代が全員75歳以上になる2025年以降を見据えて、介護施設と保育施設等を一つにまとめて運営できるようにすることも考えているらしい。
また、今後特に不足されると予測されている介護職を、場合によっては将来過剰となる保育士で補おうという思惑も背景にあるようだ。

これからの社会の新しい動きに対する希望と、その一方で、福祉の現場って本当は、資格なんてなくてもいいのになって思った。実際の介護の現場にいると、大事なのは、「その人の人としての質」「心の質」だと感じる。
いくら知識があっても、資格があっても、相手とのコミュニケーションが取れない人が本当に多い。
本来、当たり前に生まれるだろう、人に対する思いやりとかやさしさ、信頼がないケアをしている。心がない。
だからこそ、日々、どんなことでも、一つ一つのことを丁寧に行い、自分の心も緻密にみて、振り返り、心を磨いていくことが大事なんだ。そうやって、心の質を高めていくことができるから。

これから先、介護施設と保育施設が一緒になった施設が建てられていくとしたら、また、形ばかりが増えていくのかもしれない。今、介護施設がどんどん建っているように。
でも、もう、形はいらないと思う。
大事なのは、やっぱり、そこに暮らす人々。その人たちの生き方にある。どの世代も、そこに集う人々が生き生きと生かされる場所。
あらためて、木の花は、それが、表現されている場所だ。

 
 


ワケあり女さんからの「一年のお礼」

以前このブログにも登場した自然療法プログラム卒業生のHちゃん、別名“ワケあり女”さん。
木の花に来た当初は、自分の部屋から食堂まで歩くこともままならなかった彼女は、今や塾講師として職場でも頼りにされている存在です。
そんなワケあり女さんが、滞在1年を迎え、木の花のみんなへの手紙を大人ミーティングで読み上げてくれました。
 
■    ■    ■
 
一年のお礼
 
私は去年の3月26日にここ木の花に来ました。この不思議の国に来てえぐいほどマジなやつらに囲まれ生活し一年がたちました。ここに来る前は近所の精神障害者向けのデイサービスにさえ行けない具合の悪さでした。私はここに到着した時、道中の疲れでつっぷし、しばらく動けませんでした。あの頃、状態が悪い時は字も書けなかったので日記も書けるか不安でした。そんな私が、今みなさんのサポートを受け、働いています。授業中二人の生徒を教えるのですが、片方では英語を教え、もう片方では数学を教えたりしています。ここに来る前は訪問担当の永山さんとの会話もままならなかった私がここにまで回復したのは、みなさんのおかげです。っていうか同時にふたつの教科を教えるなんて以前元気だった時もできたかどうかあやしいです。それから来たばかりの時はいさどんより500g体重が重く、大人ミーティングでみなさんの間を抜ける時、よく腹が誰かの後頭部にあたってしまっていました。なぜか特になかのんの後頭部をよくすっていました。今では、なかのんの後頭部に当たることもなくなり、このとおりのスレンダーボティを手に入れました。まだまだいろんなことに敏感な私ですが、実はここに来て不整脈と乳腺症と電磁波過敏症も治りました。本当にみなさんのおかげです。
 
ここまで回復できた要因は何と言ってもいさどんの的確な面談ですが、それだけではなくやはりこの場もたいへん大きいです。倒れても大丈夫という安心感を与えてくれるサポート体制と同時に、自分を生かしてくれるこの場があってこそ私のようなケアの人たちがスムーズに社会復帰できるのだと思います。実はこれはさらっと流せることじゃありません。病院に通う病人ではなくなったけど、社会復帰できるほどじゃない期間を見守られスムーズに成長させてもらえる環境というのは本当に得難いものだと思います!
 
それから、この前東京を歩いていて思ったことがありました。何度となく血の気がひく感じと共に足元がふらふらしながら歩いた場所を、私は安定感を持って歩いていました。そしてあの時はあんなに具合悪かったなーとセンチメンタルな気持ちで思い出すこともありませんでした。それは「全ては善きことのため」ということを教わっているからだと思います。新宿駅で奇声をあげて駅員に取り押さえられている人を見ても、テレビや街中で雨のように降る悪いニュースを目にしても心も体もふらふらしないのは、「全ては善きことのため」ということ学んでいるからであり、またそのことを信じ、その学びを実践している人たちに囲まれて生活しているからなんだと感じました。極度の疲労感という幻覚が治っただけではない、それ以上の安定感を、確かなものをここでいただいているのだと実感しました。
 
このすじの通った本来の人と人とが支えあい学びあって生活する場をつくってくださっているみなさんに心からお礼を言いたいです。日本語にありがとうという意味の言葉がたくさんあるならそれらを花束のように集めてみなさんに言いたいけど、ありがとうしか思い浮かびません。なのでただ腹のそこからありがとうと言いたいと思います!
 
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そう言ったかと思うと、突如自分の服をまくり上げ、みごと手に入れたスレンダーボディを披露して「ありがと〜〜」とハラ踊りを踊りながらみんなの間を練り歩きだしたワケあり女さん。
メンバー一同度肝を抜かれ、拍手喝采!!
 

このスレンダーボディを見よ!!
このスレンダーボディを見よ!!

 
もうなかのんの頭もすらない!!!
もうなかのんの頭もすらない!!!

 
ワケあり女さん、ありがとう♪
 

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ワケあり女さんが、なぜ自分は回復したのか、その軌跡を軽妙な語り口で克明に綴ったブログはこちら!
『ワケあり女 in 木の花ファミリー』

そして5月17日、木の花ではなぜ病院で「治らない」と言われた人々が治るのか、そのナゾを解き明かす出張木の花塾が千葉県の船橋にて開催されます!自然療法プログラム卒業生も参加します。現代医療の限界を突破するヒント、ここにあり。病気を持つ人も持たない人も、どうぞお越しください!
『出張木の花塾@船橋
  欝も統合失調症もプレゼント 〜 奇跡の自然療法プログラム〜』

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第一回カタカムナ研究会レポート

2015年4月より、木の花ファミリーでは
「カタカムナ勉強会」を改め

「カタカムナ研究会」を発足しました

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ー 古代の叡智を現代に生かし、生活に表現する ー
 
カタカムナとは

カタカムナは、今から約13000年前の上古代の日本で高度に発達したといわれる、言霊を元にした宇宙物理学のことです。
現代の最先端の物理化学とそれを元に発達した現代社会は、今あらゆる方面で行き詰まりを見せています。それは、私たちが生きているこの三次元物理世界の背後にあって、この世界を生み出す元になっている「潜象界」(多次元世界)があるという発想がないからです。
この世界を生み出す根源の世界の存在を忘れているので、視野が狭く、物事を思考する発想が物理性に重きを置いているので、世界が行き詰まるのは至極当たり前のことと言えます。ですから、この行き詰まりに行き当たったことは予定通りのことと言えるのです。

予定通りということは、この状態は約束されていたということであり、当然その先があるのです。
その先の時代へ人類は今、進もうとしています。このような流れの中で、13000年前の宇宙物理学が封印をほどかれて、今、私たちに呈示されています。

カタカムナでみる宇宙の仕組み
カタカムナでみる宇宙の仕組み

カタカムナでは潜象界のことを「カムの世界」、そして三次元物理世界(現象界)のことを「カタの世界」と言い、全ての命や物質は「カムの世界」から生まれて、質的に転換(ナ)した結果、命や物質が存在する「カタの世界」ができていくと示しています。その事を「カタ・カム・ナ」と言います。
この二つの世界は質的転換を伴いながら常に循環しており、その循環のことを「天然循環」と言います。

「カムの世界」は、意識レベルが低いと感受することが出来ない緻密で微細な世界です。上古代のカタカムナ人は、そういった世界があることを認識していました。そして、宇宙が発する響きの中から48音を聞き分け、なおかつ一音一音に深い意味が秘められていることを感受し体系化し、残してくれました。この48音が世界中の言語の元になっていると言われています。
その後、時代と共に人々の感受性は鈍っていき、カムの世界の存在を見失っていきました。そして、世界中の言語は歴史と共に分裂して発達し、変化していきましたが、日本の大和言葉ではカタカムナの時代から殆ど変化することなく純粋に48音が現代に引き継がれてきたのです。

大和のクニは「コトダマノサキアフクニ」といい、多くを語らなくても、以心伝心で想いが伝わる民の住むクニでした。人々の心は調和的であり、言葉は言霊であるということを熟知していたので、言挙げしない民、つまり議論しない民だったといいます。それは、言葉には人を殺す事が出来るほどの力があることを知っていたからなのです。

しかし、時代の流れと共に、人々の心は汚れてゆき「カムの響き」を感受出来なくなり、そんな状況と共に、カタカムナはレベルダウンし、封印されていきました。
現代人の感受性は鈍くて荒くなり、それはまるで目の粗いザルのようなものです。「カムの世界」という微細な世界は目の粗い網ではすくうことは出来ません。
「カムの世界」は三次元の理論や平面的思考では捉えられず、記憶するものでもありません。心や全身の細胞で感受するような微細な波動の世界なので、きめの粗い心や脳では感受出来ないのです。
現代の科学は、3次元の物理的物差しで測れるものしかその存在を認めません。ですから、直観や心で感受するカムの世界を認識することは出来ないのです。しかし、人は誰でもカムの世界から生まれてきているのですから、DNAには必ずその記憶は刻まれており、時が来れば封印された記憶がほどかれ理解出来るようになるものでもあります。
これからの時代はカタカムナ的世界観と、カムの世界という多次元世界を感受する能力が必要とされています。そのためには、一人一人の波動量を上げ、直感力を磨くための心磨きが必須となってくるのです。

カタカムナの八鏡文字
カタカムナの八鏡文字

カタカムナが世に出たのは、1949年楢崎皐月が兵庫県六甲山系の金鳥山で地質調査中に平十字という謎の人物に出会って、見る機会を得た古文書「カタカムナ」(八鏡文字)を、5年かけて読解したのが始まりです。しかしそれは一般人にはなかなか理解出来ない難解なものでした。
楢崎皐月に続き宇野多美恵、関川次郎そして芳賀俊一に引き継がれてきた「カタカムナ」が何故今私たち木の花ファミリーに出会ったのかを考察すると、知識として引き継がれてきたカタカムナがいよいよ生活に表現される時代になったからなのでしょう。
 
カタカムナ勉強会からカタカムナ研究会へ

3月30日、31日の2日間、春分が開けて新しい季節のサイクルが始まり、カタカムナ勉強会が木の花ファミリーの湧泉閣を会場として行われました。昨年一年間の勉強会を経て、いったん白紙に戻して新たに出直そうということになったカタカムナ勉強会を、教えを請うものの集まりとしてではなく、自ら探求してゆくものの集まりとして「カタカムナ研究会」を新たに発足し、活動していくことになりました。

一年の中で春分の日は特別な意味を持ちます。太陽と、地球が作りだすサイクルの中でも、最も意味深い節目の日が春分であり、太陽系を俯瞰してみることが出来る地球暦ではこの日が1年の始まりである「お正月」になります。そして、この日に木の花ファミリーは発足しました。
私たちは、星々が刻む悠久の時代の流れに乗って生き続けています。
カタカムナでは、宇宙の創生・発展・消滅を「ヒフミヨイムナヤコト」の数理で現しますが、その始まりは「ヒ」であり、「ヒ」を現すカタカムナの図象文字は、地球暦で見る春分の日の太陽と地球の配置図と同じなのです。

講師の芳賀俊一さん
講師の芳賀俊一さん

このように意味深い「春分」という大きな節目を過ぎて初めてのカタカムナ勉強会ということで、木の花ファミリーから講師の芳賀俊一氏(芳賀兄)にカタカムナ研究会発足という投げかけをしました。

いさどんは芳賀兄に以下のように伝えました。
「芳賀兄以外にカタカムナの勉強会をしている人をネット上で探しましたが、勉強会らしきものは殆どありません。カタカムナを純粋に研究し王道を行っているのは芳賀兄だということがわかりました。
今までの先人達が作って来たカタカムナの流れは、カタカムナを分析し資料として現してはくれましたけれども、カタカムナの本義を生きてきたわけではありません。そして、いよいよ時代が訪れ、カタカムナ的古代の叡智が進化したものとして生きる時代が来ているのです。そういうことからすると、今まで長年芳賀兄がカタカムナ勉強会として蓄積し伝えてきたものは、先人達が作り上げてきてくれたものなのですが、先人達がやってきたことすら途上なのです。カタカムナを知識的、御利益的に学ぶというだけでは、今までの勉強会と同じになってしまいます。
これからは、如何にカタカムナを生活に落とし生かしていくかが求められる時代が来ています。それが時代に貢献するということであり、木の花ファミリーはそれにふさわしい場であるからこそ、今この時にカタカムナと縁があったと考えています。今後カタカムナをより発展させていくために、勉強会という『与えられる場』ではなく、共にカタカムナを探求していく場という意味で、この会を『研究会』とすることを考えています。」

芳賀兄はそれに対して全く同感ですと語り、カタカムナ研究会が発足し、今回がその記念すべき第一回カタカムナ研究会となりました。参加者10名という小さな会でしたが、その意義は大きいと感じています。

第一回は、カタカムナの概論と、参加者との活発なやり取りの中で「魂のメカニズム」や「カムの世界の感受の方法」について深めるなど、脱線を交えながら有意義な会が進められました。
今後の会の進め方として、研究会に毎回同じ人が来るわけではないので、常にそのときそのとき出会った人達を感じて直観で進めていくとを確認しあいました。

また、最近木の花ファミリーメンバーになったばかりの12歳のかのこちゃんも会の初日に参加してくれました。

カタカムナを学ぶかのこちゃん
カタカムナを学ぶかのこちゃん

ファミリーメンバー最年少のかのこちゃんは、時代の申し子的な子です。彼女の意志はとてもはっきりしていて、小学校6年生の1学期で学校へ行くのを止めました。
その理由は「授業中ずっと椅子に座って先生が言うどうでも良いことを、ノートに写すという勉強が嫌だなと思った。これが自分の人生に本当に役に立つとは思えなかった。でも先生は、国の方針に従っているだけなので、先生は悪くないと思う。」と明快な意見を持っています。

かのこちゃんは、今までのような登校拒否とは違って、自分の人生の役に立つことを学びたいという意志がはっきりしているので、学校の勉強が合わないのです。今まで大人の解釈で子ども達に教育を進めてきたのですが、こうった子ども達に生まれて来た本当の意味に目覚めてもらうためには、きっと変な教育はしない方がいいのでしょう。そのために、こういった生き方や学びを提供する場を創ることが、これからの時代にカタカムナの探求の場としての役割があるのでしょう。

芳賀兄によると、最近30代のお母さんがカタカムナ勉強会に参加することが多くなっているそうです。お母さん達が何故勉強会に参加するのかというと、子どもが学校に行くのをいやがったり、親の価値観では解釈しきれない子どもをもち、その扱いに困っているというのです。その方向性を見つけるために、カタカムナの勉強会に来ているという現象が起きているそうです。そのようなお母さん達にも子ども達にも、本来の生き方を見つけてもらう場にするということ、本当に道を求める人たちの受け皿になるための勉強会をやるということを、芳賀兄は講義の中で語っていました。

いさどんから宇宙の話を聞く子ども達
いさどんから宇宙の話を聞く子ども達

子ども達は、大人より進化した魂であると言いますが、かのこちゃんの言葉は明快で力があります。
3月21日の木の花創立21周年の日、いさどんは宇宙の話をしました。その時、子ども達、特に小学校3、4年生の子達はいさどんの話に目を輝かせ、「うんうん」とうなずいたり、たくさんの質問をしながら、いさどんのそばに貼り付いて話を聞いていました。子ども達は、難しい所は解らなくても、魂で大切な事を感じているのです。子ども達を見ると未来は明るいと思えてきます。

時代は連綿と続いて今現在に至っています。新しく生まれてくる子ども達は常に大人より進化した時代を生きる未来の魂です。大人達が創っている社会の中で、時代が生んだ「進化した魂」である子ども達の個性をつぶさないよう大人達は自らのエゴの殻を超えて時代に合わせて、学んでいかなければならないのです。

私たちが生きている今は、過去の何万年・何億年の積み重ねの上にあり、星の運行(天盤の巡り)により、いよいよ一般大衆が真理に目覚めるサイクルが巡ってきているのです。そして、その奥にある大いなる意志を感じるマクロの視点と、日々の細かなことの中で己の心を緻密に振り返りながらこの世界の奥にある微細な世界を観じるミクロの視点、その二つを両輪とした学びはこれから真理を求める人には欠かせないものです。

古代のカタカムナ人は、群れで生きることで一人一人の個性的な直観を集結し、自然環境の厳しい時代を乗り切っていったといわれています。
現在、人々の価値観が多様になり、欲望の渦に巻き込まれて真実を見失っている現代は長い歴史の中でも時代の大きなターニングポイントです。人間の経済活動のために自然環境は悪化の一途をたどり、これから自然災害はさらに厳しくなります。社会情勢を見ても人の心は荒れ果て心の病が蔓延し、犯罪も増えています。民族紛争も絶えることがなく世界情勢も悪化している状況の中で、私たち人間が目指すべき事はまだまだ多くあります。
宇宙の星々の運行も、みんなでつながって生きて行く調和の時代が始まることを告げています。
そんな時代の流れの中、カタカムナの深い叡智をみんなで探求し深め、一人一人が直観を磨き、それを生活に落としてゆく事が大切です。集い語り合うところから、新たな時代の真実が生まれてくるのです。

カタカムナの学びは、知意行一体といって、宇宙の道理を知り(知)、意欲を持ち(意)、生活に表現する(行)ということを元にしています。それは木の花ファミリーが創立以来実践してきたことでもあります。この新たな時代に向けての大切な叡智の学びを、皆さんの参加と共に広めていきたいと思っています。
本物に出会い、人生を変え、この世界を探求したいと願う人々の元へ届くように、今後はカタカムナ研究会のレポートも発信していきますのでよろしくお願いします。