木の花ファミリー通信2020年秋分号『生命 〜 私たちはなぜ生きている?』

 

 

私たちはなぜ
生きている?

生きているとは、どういうことでしょう?
肉体があること、呼吸をしていること、心臓が動いていること ——— 目に見える世界を生きる私たちは、生きていることも、目に見える形を通して認識します。しかし生命は、見える世界の中だけで成り立っているのではありません。
私たちの肉体が生命として存在しているのは、魂と連動しているからです。見えない存在である魂は、肉体という器を得て見える世界へ生まれ、生き、寿命を迎えれば肉体を離れ、再び見えない世界へと還っていきます。魂の抜けた肉体は原子レベルに解体され、次の生命を構成する材料として自然の循環の中を巡ります。そしてどれだけかの時が経つと、魂はまた、自然界を循環していた物質の中から縁あるものを引き寄せて新たな肉体を構成し、見える世界へと生まれてくるのです。このように、生命は見える世界と見えない世界を行き来しながら、生まれては死に、死んでは生まれることを繰り返し、時の流れと共に変化し続けます。そして大小さまざまな生命が集まって命のかたまりとなり、全体がひとつの生き物として、未来へ向かい進化していくのです。
この見える世界と見えない世界を合わせた物質生命の世界を、「ある世界(現象界=現象の起こる世界)」と言います。それは、時空に乗ってすべてが変化し続ける世界です。ではこの「ある世界」だけで私たちの生命世界が成り立っているのかというと、そうではありません。

「ある」を支える「ない」世界

私たちの生きる宇宙は、陰と陽の相反するものが同時に発生して互いを成立させる「対向発生」という仕組みによって成り立っています。男と女が対となり、光と闇が対となるように、「ある世界」と対になるもの ——— それが「ない世界(潜象界=すべての現象の源の世界)」です。
「ない世界」には、時間も空間もありません。それは「ある世界」と互いに入り組んで同時に存在しながら、時空に囚われた「ある世界」を生きる現代の私たちの思考回路では、認識することのできない世界です。しかし宇宙の実体は、この「ない世界」によって「ある世界」が支えられ、そこからすべての現象の源が供給され続け、世界が維持されているのです。
現代を生きる人々は、形を優先することで命の本質を忘れ、生きることをとても窮屈に捉えるようになりました。そして今、新型ウィルスや相次ぐ自然災害、経済の崩壊など、人間の営みを否定するかのような現象が世界中で噴出し、生きることが現実に厳しくなる時代を迎え、人々は混乱し、どこにも突破口を見出せずにいます。しかし突破口は今ここ、即ち、あなた自身の視点の転換にあります。
あなたを現在の囚われから解き放ち、自身の中に眠る生命としての無限の可能性に目覚めるために ——— どうぞ次の項へお進みください。

 

 

私たちはどこへ
向かうのか?

生命は循環する

「ある世界」は、時空に乗って進む世界です。そこには、過去から未来へ向かい決して留まることなく進み続ける、時という絶対の軸があります。時が進むから空間が生まれ、現象が起こり、世界が変化していくのです。
この時の軸に沿い、魂は見える世界と見えない世界を行き来しながら変化し続け、時が進んだ分だけ古くなっていきます。魂だけではなく、水や空気さえも、この世界に現象として現れたものにはすべて、その存在の寿命があります。寿命を迎えたものは、原子よりも素粒子よりもさらに微細な、現代の科学では感知することのできない宇宙の最極小微粒子「カ」となり、「ない世界」へ還っていくのです。
「ない世界」は時空の存在しない世界です。時がないから、空間も生まれず、現象も起こりません。そこにあるのは、響きです。それは音として耳に聞こえる響きではなく、この世界のあらゆる現象の源となる、宇宙根源の響きだけの世界です。この一切の動きのない世界から、何かのはずみで、現象化の種が「ある世界」へと転がり出ると、それは時空に乗って様々な現象を起こし、世界に動きをもたらします。生命を構成する物質の中で一番初めに現象化するのは、水です。そして生命は、最も小さなもの、即ち微生物から現象化します。その小さなものから、より大きなものへと多種多様な変化が生まれ、数千万種とも言われるほどの生命が無限に連鎖し、ひとつの星の上で共に生きる、地球生命生態系というとても豊かな生命世界が生まれたのです。
この生命世界には、「ない世界」から絶えず命の源が供給されています。それは限りなく「ない」に等しいものでありながら、それによって豊かでダイナミックな「ある」が表現されていくのです。この「ある世界」の中で、私たちの肉体は食べることや排せつ、呼吸などを通して、他のあらゆる生命や自然の要素と共に、見える世界の中を循環しています。そして魂は、生死を通して見える世界と見えない世界を循環します。その大本には、現代を生きる私たちの意識を超越する「ない世界」と「ある世界」の循環があり、その大いなる仕組みの中で私たちは生かされているのです。

生命は螺旋を描いて進む

この多重構造の循環の中で、私たちが生まれては死に、死んでは生まれることを繰り返すように、すべての生命はサイクルを刻んでいます。そのサイクルは何と連動しているのかというと、地球の自転であり、公転であり、さらに大きな銀河のサイクルと連動しています。そしてそのサイクルは、同じ場所を延々と回り続ける円運動ではなく、絶えず新たな場所へ進み続ける螺旋運動によって刻まれていきます。地球は太陽の周りを、太陽は銀河の中心であるセントラルサンの周りを、そして銀河はさらに大いなるものの周りを回りながら、螺旋軌道を描いてサイクルを刻み、広大な宇宙空間を未知なる場所へと進み続けているのです。
人間は朝に目を覚まし、昼に活動し、夜に眠ります。それは地球と月と太陽のリズムが刻む、陰陽のサイクルです。太陽が姿を現す朝は、活動の始まりの時です。夜の間に眠っていた体を目覚めさせ、自然のリズムに沿って思考を働かせ、一日を通して、その時々に必要な生きるための活動を行います。そしてまた夜が来れば、眠りにつきます。眠っている間に必要な思考と不要な思考が整理され、次の活動のための充電をし、新たな日の出を新鮮な状態で迎えるのです。
このように、生命は常に、充電と放電、発生と消滅といった陰陽のサイクルを刻んでいます。そのサイクルとは、私たちの一日、一年、一生といったものだけでなく、細胞の一つひとつが刻む微細なものから、時代や宇宙の星々が紡ぐ壮大なものまで、大小様々なサイクルが無数に折り重なり、全体が常に新陳代謝しながら未来へ向かって進み続けているのです。それは、無数の天体たちがそれぞれに螺旋を描きながら、見事に連携し、広大な宇宙空間を未知なる場所へと旅し続けるのと同じ仕組みです。
宇宙は成住壊空と言い、私たち人間の感覚では及びもつかない果てしないスケールで、誕生、維持、破壊、空(無=ない世界)、そしてまた誕生というサイクルを無限に繰り返しています。その宇宙創造の根本原理を明快に顕しているのが、私たちが住む地球です。宇宙の中の奇跡と言えるほど多種多様な生命で溢れるこの星は、無数の生命たちが生まれては消え、消えては生まれ無限に連鎖していく生態系の姿を通し、気が遠くなるほど巨大な宇宙の実体を、身近なスケールで見事に表現しています。生命が時の流れと共にサイクルを刻んでいるからこそ、あるものが途絶えたとしても、それはまた形を変えて新たなものへと受け継がれ、世界が維持されていくのです。
この、すべてが宇宙の創造原理のままに、時空に乗って自在に進化していく世界の中で、たったひとつ、変化していくことを恐れ、移り行く世界の流れに逆らってでも今あるものを維持しようとする、特殊な存在が現れました。それが人間です。

宇宙の創造と自我の誕生

遠い昔、地球も、宇宙すらも存在しなかった遥か昔、世界には何もありませんでした。そこへある時、その世界を認識する存在が発生しました。宇宙自我の誕生です。それを、神と呼びましょう。
神様は、退屈でした。なぜならそこは、神様ただ一人の世界だったからです。すべてがぴたりとかみ合い、一切の動きのない、永遠なる完全の世界。光だけの中にいては光が何であるかを見ることができないように、完全である神様は、完全であるがゆえに、自らを理解することができなかったのです。
そこで神様は、その完全なる体を二つに分けられました。光とは何かを知るために闇を、天とは何かを知るために地を創られたのです。そして、その創られた世界を、自らと対面する遠いところへ置かれました。その時、そこに距離が生まれ、元のひとつへ還ろうとする流れが生まれ、その流れが時となったのです。そして世界は、時に沿って動き始めたのです。
神様は、世界に多種多様な存在を生み出しました。そしてそのどれもが、ひとつでは成立せず、必ず相反するものと対になり存在が成り立つようにしたことで、宇宙に対向発生の原理が生まれました。太陽と月、雄と雌といった陰陽の対向発生の無限の連鎖が世界に動きをもたらし、新たな命が次々と誕生しました。こうして、神の意思のままにすべてが循環していく美しい生命世界が生まれたのです。それは、多様な存在がそれぞれにふさわしい位置を与えられ、大いなる流れのままに役割を全うし、決してそこから外れることのない、完璧な秩序の下にある世界です。
「ない世界」から「ある世界」を生み出した神様は、そこに自らの姿を表現しました。しかし、それでもまだ不十分でした。「すべてが私の意思のままに存在するだけでは、私自身の体であるこの世界を理解することはできない。」
私たちの肉体が、様々な役割を持つ器官が連携することで構成されながら、その構成物の一つひとつが全体を理解しているわけではないように、この世界を理解するためには、ただその一部としての機能を果たすだけではなく、そこから独立した意識を持ち、全体を客観的に眺めて捉えることのできる存在が必要でした。そこで神様は、自らの代理としての目を持ち、対向発生する存在として、人間を地上に降ろしたのです。そして、神の意思から独立した自己を認識する能力、即ち、自我を与え、神の体である宇宙全体を俯瞰し、理解できる位置に立つ自由を与えました。人間がこの世界の実体を認識することで、神様はその認識を自らの映し鏡とし、この世界を理解できるようにしたのです。
他の生命にはない特殊な能力を与えられた人間は、神様の意思から独立し、独自に思考するようになりました。それは本来、宇宙に遍満する神の実体と対向し、その成り立ちを解明することのできる優れた能力です。ところが人間はその能力故に、物理的には神様の仕組みの中に在りながら、意識だけがそこから離れ、世界の流れを無視した自我の願望を優先するようになりました。そしてその優れた能力を、自らの願望を満たすために使い始めたのです。

流れはひとつの方向へ向かう

生命とは、どれもひとつでは不完全です。だからこそ他とつながり、協同することで、多種多様な生命の大循環を引き起こすことができる。そのようにして、神様は自らの実体をこの世界に顕しました。
しかし人間は、その生命の大循環を無視して自我から湧き出す願望を一方的に満たし、満たせば満たすほどその快感の虜となってさらに欲望を膨らませ、協同するどころか争い、傷つけ合い、生態系を破壊していくものとなりました。これは、調和を前提とする生命としては極めて異常な状態であり、今や人間は、地球にとってのガン細胞のような存在となっています。
これに対し、正常に戻るための働きとして、世界はその存在を淘汰しにかかりました。新型ウィルスの登場も相次ぐ自然災害も経済の崩壊も、人々は異常事態が発生していると捉え、これまで築いてきたものを必死に維持しようとしています。しかし、それを築き上げてきた人間の営みこそが、世界の側から見れば異常なのであり、その異常な存在を取り除くことは、世界にとって正常な働きと言えます。今あるものに執着し、変化していく世界の流れに抵抗すればするほど、人間はさらに異物となり、世界は淘汰の動きを加速させることでしょう。
この世界は、変化・変容・変態を繰り返しながら、未来へ向かって進み続けます。その大いなる流れの中で今、天体たちが刻むいくつものサイクルが、宇宙のひな型である星、地球に、大転換の時が訪れていることを告げています。そしてその流れは、遥か昔、神様がその完全なる体を分けられて世界を創造し、時空が発生した瞬間から、決して止まることなく向かい続けてきたひとつの方向 ——— 即ち、もとのひとつに還ることへと向かっています。
では、神と対向発生するものとしてこの世界に生み出された私たち人間は、その流れに逆らい、淘汰されていくのでしょうか。そうでなければ、私たちはここから何を学び、未来に向けてどのように進化していくべきなのでしょうか。

 

 

魂のふるさとへ

現代人は、脳の10%しか使っていないと言われます。その10%によって人類は様々なテクノロジーを生み出し、今日の文明を築きました。人類史上最高の頭脳の持ち主の一人と称されるアインシュタインは、そこから未だ使われていない90%の領域へと踏み込み、脳全体の15%を使用したと言われます。そして通常の人が考えないことを考え、私たち生命の根源である太陽の仕組みを解明する公式を発見しました。

90%の可能性

氷山は、海面上に姿を現しているのは全体の1割であり、海面下に潜む見えない9割が、表に現れている1割を支えています。同じように、私たちの認識する目に見える世界の奥には、見えない世界、更には「ない世界」が広がっています。しかし自我に囚われた現代の人々は、脳の10%だけを使って見える世界を全てとし、善か悪か、損か得かといった二元的発想で、目先の利益ばかりを追い求めるようになりました。
その現代人の思考範囲から5%を踏み出したアインシュタインは、特殊相対性理論に基づき、太陽のメカニズムを解明する公式、即ち、私たちの命の根本となる原理を発見しました。それは、時代の流れの中で人類が新たなステージへ進むための役割として、90%の領域へ踏み込み、宇宙の叡智を引き出したのです。ところが10%の枠の中で思考する人々は、その命の原理を用いて原子爆弾を開発し、戦争に利用しました。今もなお、地上に降ろされた太陽のメカニズムから生まれるテクノロジーは、コントロール不能のまま放射性廃棄物となって山積し、核兵器となって世界の平和バランスを保つという、異常な状態を生み出しています。
この現状を突破するには、二元思考の囚われを超え、海面下に潜む氷山のようなこの世界の全容を捉える、立体的な発想が必要です。そこに通ずる可能性を秘めているのが、私たち人間に備わっている、今は眠れる90%の脳です。

変わらないひとつの道

ガン細胞は元々、正常細胞です。それがガン細胞となるには、そこにそうなるべき理由があるからです。つまり視野を広げてみれば、ガン細胞も宇宙の仕組みのままに働いていると言えるのです。
現在、人間は生命として極めて異常な存在となっています。しかしそれは、大いなる多様性の中での、可能性の表現とも言えます。異常が起きれば、そこに苦痛が発生します。だからこそ、正常に進むだけでは出会わなかったものを発見することもあれば、苦痛を乗り越えることで新たな進化を遂げることもある。その変化の連続の結果、人間は今日の文明を築いたのです。人間が生を尊び死を忌み嫌うのは、より大きなサイクルの視点を失っているからであるのと同じように、視野を広げれば、正常と見えることも異常と見えることも、すべてが大いなる流れの中に在ることがわかります。
神様は、自らと対向発生する存在として人間を地上に降ろし、自我を与えました。自我故に異常な状態を表現してきたことに対し、今、世界は人間を正常に戻すために動き始めました。そこに抗えば抗うほど、苦痛を与えてまでも元のひとつの方向へ向かうように導くこの大いなる流れは、私たちが生命として地球に降り立った真の目的に立ち返ることを促しています。
自我は取り除くのではなく、拡大していくものです。どんなに自分を大切にし、思い通りに生きようとしても、私たちは自身の体すら思い通りにはできません。心臓を思い通りにはできない。呼吸も思い通りにできない。生きることで自らの思い通りになるものは何ひとつない。そのようにひとつずつ自分という囚われを外し、視野を広げていくと、自分は空気によって生かされていることがみえてきます。大地によって、水によって、光によって生かされていることがみえてきます。地球と共に宇宙を旅し、何億光年という果てしないスケールで広がる無数の星々と共に、時空に乗り未来へ進んでいることがみえてきます。そして、「ある世界」の源である「ない世界」から溢れ出し、この世界にあらゆる現象を起こして再び「ない世界」へと還っていく、神の響きの循環の中で、自らが生かされていることがみえてきます。
その境地に至った時、あなた自身の中から、その源の響きが湧き出してくることでしょう。そしてその響きは、矛盾に溢れ、どこにも突破口の見えない世界の現状を、正常な状態へと還していくことでしょう。それは、元のひとつから散りばめられ、それぞれの位置に配置されることで生命の大循環を起こし、この世界を成り立たせている私たちが、その始まりの時より変わることなく続くひとつの道を、今も歩み続けている証です。大いなる宇宙生命として無限の可能性を託されながら、そのことを忘れてきた私たち人間は、今も自らがその道の上に在ることの自覚を持ち、この世界に降ろされた真の目的に目覚めるべきなのです。

 

 

 


【木の花菜食レシピ】栄養たっぷり! ローゼルスープ

美と健康のパワーフード、ローゼル。
今回は、このローゼルの葉っぱを使ったスープのレシピをご紹介します。

やさしい酸味と独特の旨味があり、味わい深いスープができるローゼルの葉

ローゼルのスープ

【材料A】
・茎から外したローゼルの葉(5mm幅でざく切り) 50g
・にんにく(みじん切り) 15g
・植物油 10cc
・塩 小さじ半分

【材料B】
・水 750cc
・中華だし 5g
・砂糖 20g
・醤油 30cc

【材料C】
・ラー油 大さじ半分
・白こしょう 少々
・お好みで、刻みネギ、白ごま

作り方

① 鍋に材料Aを入れ、均一に色が変わるまで炒める。

② ①に材料Bを入れ、沸騰したら中火で5分程度加熱する。

③ 火を止めて材料Cを入れる。お好みで刻みネギや白ごまをトッピングし、できあがり!

ローゼルの葉は、クエン酸やリンゴ酸、カリウム、カルシウムなどを豊富に含み、栄養たっぷりで旨味のあるスープができます。どこか梅干しにも似ているような、やさしい酸味が食欲をそそり、ファミリーの運営するカフェ&ショップ・ロータスランドでは、このローゼルスープをアレンジして自家製小麦の中華麺を使った「ローゼル美葉(びよう)ラーメン」が秋の新メニューに登場!

美味しくてヘルシーと大好評のローゼル美葉ラーメン

スープにご飯を入れて「ローゼル雑炊」にしても美味しいです。
どうぞお試しくださいね!

 


【木の花のたより 】自然の恵みを「いただきます」

みなさん、こんにちは!
記録的な長雨が続いたかと思えば、一転して連日の猛暑☀︎ 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。この例年にないお天気のせいでしょうか。なんと今年は通常より1ヶ月半も早く「マコモダケ」の収穫が始まりました ヾ(๑ʘ∆ʘ๑)ノ

根元が膨らみ収穫適期になったマコモダケ

例年ならば9月下旬に収穫となるのに、自然の摂理は不思議なもので、どういうわけか今やマコモ田全体が収穫真っ盛りなのです。

収穫するは毎度おなじみ、田んぼ三兄弟🍡



収穫されたマコモダケ

季節外れの収穫なので味はどうかな〜と思ったら・・・美味しい!
異常気象が続き、作物を育てることがどんどん厳しくなっていく中で、こんなふうに豊かな恵みを頂けることは本当にありがたいことです。

もうひとつ、こんな天候の中でもグングン育っているのがこちら。

今年から育て始めた西アフリカ原産の植物、ローゼルです。

ローゼルは、秋にオクラに似た白い可愛らしい花を咲かせ、花が咲いた後の鮮やかな赤色のガクを収穫し、お茶(一般的に「ハイビスカスティー」と呼ばれます)にしたり食用にしたりします。

5月初旬にはこんな大きさだったのにー

長雨にも日照りにも負けることなく、今や葉っぱがわんさか。

見事な生命力です。
この葉っぱにも、クエン酸やリンゴ酸、カリウム、鉄分、カルシウム等の栄養素が豊富に含まれ、ファミリーではただ今、和え物、ギョウザ、スープなどなど、このローゼルの葉っぱを使った様々なメニューを開発しています。どこか梅干しにも似た、独特の味わいのある酸味が食欲をそそり、夏にもってこいのお野菜なのです。

地球温暖化で今後さらなる異常気象が予測され、人間が自然の声に耳を澄ませ、自然から「いただく」ことがますます大切になっていく時代の中で、ファミリーでは変動していく環境に対応する新たな作物の栽培に取り組み始めています。
まずは、今の異常気象の原因であるこれまでの私たち自身の生き方を振り返ること。そして、変わりゆく自然の奥にあるメッセージをいただいていくこと。新しい作物の栽培は、そんな取り組みのひとつです。

こんな時代だからこそ、皆さんに生命力いっぱいの食べ物をお届けしてまいります!( ≧▽≦ )ノ

 


メンバー日記🗒

えいこばあちゃんの巻


今年81歳のえいこばあちゃんは、ファミリー最年長!

えいこばあちゃんは、メンバー歴26年の木の花ファミリー創立メンバーでもあります。いつも人のためを思い、ただただ自分にできる精一杯のことをやり続けるえいこばあちゃんの姿は、「こんなふうに年を取りたいな」とみんなのお手本なのです。

えいこばあちゃんは、毎朝6時ごろに起きると、まずファミリー100人分の味噌汁の具材の仕込みをします。その後は、その時々に取れる作物を保存するための加工をしたり、梅干しを漬けたり、こんにゃくを作ったり、とにかくいろんなことをしています。

たとえば、サトイモの親芋。

サトイモは、種芋から最初に芽を出しふくらんだものを親芋、親芋から出てきたものを子芋、子芋から出てきたものを孫芋と言い、親芋は子芋や孫芋に比べて固く食用には適さなかったりするのですが、この親芋をなんとか活かしたい!と考えたえいこばあちゃん。

そこで親芋をスライスし、乾燥させて、ミルにかけ ー

パウダーにしてみました♪

これがサトイモのポタージュになったりして、しっかり親芋が活かされるのです。

えいこばあちゃんはいつも「活かす」ことを考えています。形が悪くて使いにくい野菜も、たくさん収穫できて使い切れずに傷んでしまいそうなものも、なんとか活かそうといつも頭を働かせ、テレビひとつ見る時間も無駄にしないで番組から新しい調理法や健康法などの情報を得たら早速それを日常の中で試し、次々と新しい料理や加工品を生み出して、しっかり活かしていくのです。そして何より、それを楽しんでいます。サトイモパウダーができた時も、「こんなのができたよ〜」と嬉しそうに見せてくれました(^v^)

そんなえいこばあちゃんが木の花ファミリーの暮らしを始めた理由は、「人間は学ぶために生まれてきた、ということを知ったから」。

戦後の混乱期に家庭の事情で小学校までしか通うことができず、「自分は学がない」と引け目を感じながら生きてきたというえいこばあちゃんは、ある時、建築内装業者として自宅にやってきたジイジと出会いました。
「ジイジから、人間は学ぶために生まれてきたんだよ、ということを聞いて、そうなんだ!って思ったの。それまではそんなふうに考えたこともなかった。」
そうしてジイジと接していくうちに、裏表がなく決して偉ぶらない人柄に触れて「この人の言っていることは嘘じゃない」と感じるようになったえいこばあちゃんは、「何かわからないけど、とても大事な生き方がある。そこにかけてみよう」と思い、26年前に富士のふもとへ移住し、ジイジたちと一緒に木の花ファミリーを立ち上げたのでした。

26年の歩みの中で、どんなことからも学ぶ姿勢を身に付けてきたえいこばあちゃん。釜戸でお赤飯を炊きながら、先日キャベツのスープを作った時のことを話してくれました。今年は天候不順で畑の作物には厳しい環境が続き、傷みかけたキャベツがたくさんあった時のことです。

「傷みかけのキャベツがたくさんあってね。これを活かすにはどうしたらいいだろうって考えて、そうだ!ミキサーにかけてトウモロコシと合わせてスープにしたらいいって思ったの。」

それで試しに少しだけ作ってみたら、味見をした人たちから「すごく美味しい!」と大好評。そこでみんなの夕食に出そうという話になり、えいこばあちゃんは「みんなに美味しいスープを食べさせてあげたい」と張り切って100人分のスープを作ったのでした。

ところがその日、急きょメニューが変更となり、スープは翌日に出すことに。そうか、と思いえいこばあちゃんは出来上がったスープを冷蔵庫に保存しておいたのですが、翌日、みんなの食事に出そうとしたら、なんとスープは腐っていて食べられない状態になっていたのでした。

「すごくショックでね」とえいこばあちゃん。

自分が落ち込んでいることについてえいこばあちゃんは多くを語ることはありませんが、実際はとても気持ちが沈んでしまったのだそうです。
「キャベツを活かそうとして、結果的に全部ムダにしちゃった。キャベツは何も文句を言わないけど、申し訳なくてね。」

日頃から今の生き方に出会って自分の人生が大きく変わったことに感謝し、だからこそ人一倍みんなのために何かしてあげたいと働き続けているえいこばあちゃんですが、「自分の思いが強すぎてずれているから、こういう結果をもらうのかもしれない。もうやらない方がいいのかもしれない」とまで思ったそうです。

でもね ─── と、えいこばあちゃんは続けました。

「私からこれを取ったら何が残るだろう、って思ったの。これが私なんだ。失敗したからもうやらない、ということではなくて、そこから学んで、先につなげることが大事なんだ、って。
だから、もう1回作ります。もしも私がここでやめたら、キャベツは本当にムダになる。でもここから学んで次につなげたら、それがキャベツを活かすことになる。」

起こる出来事は、すべて自分にふさわしくある。それを「何でこんなことが起きるんだろう」と不満に思うのではなく、「いただきます」と素直に受け取っていくことが、学びにつながっていく。26年前には、学ぶということの意味が全然わからなかったというえいこばあちゃんは今、学ぶってこういうことなんだね、と語ります。

そう語る間も、手を休めることなく動き回るえいこばあちゃん。お米の品種に合わせて釜戸の火加減を調整しつつ、途中でセイロを火からおろしました。

蓋を開けると、中には炊きかけのお赤飯が。

このお赤飯をいったんボールにあけて、小豆を煮た時の煮汁を混ぜ入れました。

これは、おこわを炊いている途中で水を混ぜ込むとご飯がよりふっくら仕上がるということを聞いたえいこばあちゃんが、「それなら小豆の煮汁を使ったらいい」と思いついたもの。
「うちのお赤飯は着色料を使わない自然の色だから、少しでも色がついたらいいかと思ってね。」
こうして小豆の煮汁も活かされていくのです。

煮汁を混ぜたお赤飯を再びセイロに戻し、もう一度炊きます。赤飯が炊けるまでの間、えいこばあちゃんは同時進行でこんにゃくも作っていました。

こんにゃく芋はとてもアクが強く、素手で触ると手が痒くなるので普通は手袋をするのですが、えいこばあちゃんは「素手の方が感触がよくわかるから」と手袋をしません。こんにゃく芋を流水にさらしながら皮を剥くなどの工夫をし、「30分もすれば痒みはおさまるからね」と言って、大きな手を活かして美味しいこんにゃくを作ってくれるのです。

*若い頃は大きな手が恥ずかしかったけど、今はこの手に感謝!というえいこばあちゃんの物語はこちらをどうぞ →「えいこばあちゃん物語」

常に頭を働かせながら、時間をムダにしないでテキパキと動き回るえいこばあちゃんですが、「私はついついやり過ぎて、後でどっと体に負担が来たりして、それで倒れると結局みんなに迷惑かけちゃうからね。だから、今は無理をしないようにしてるよ。雨続きで体も重い時には無理せず休んで、カラッと晴れて体もカラッとしている時に動くの。」

そしてついに、お赤飯のできあがり!

炊き上がったお赤飯はふっくらとして、とってもいい香り。

えいこばあちゃんは料理を作る時にはいつも、こう思っているそうです。
「いつも “美味しくなるように” って思ってます。
みんなが喜んでくれることが、一番だから。」

こうして出来上がったお赤飯は、車に乗ってみんなのもとへ。車内は美味しい香りでいっぱいになりました。

そんなえいこばあちゃんの心を
美味しいご飯と一緒に「いただきます」!

 



次回のメンバー日記は、税理士としてファミリーの会計を担当するゆうちゃんです。会計のプロとしてのキャリアを活かして木の花ファミリーの経済の大改革を行い、今も改革は進行中です!


 

おなかの中から元気になろう!
その6
ベジブロス

何でも活かす、ということで、今日のオススメはベジブロスです。

ベジブロスとは
ベジブロスは、言わば「野菜だし」です。でも使うのは、ヘタや皮、白菜などの芯やカボチャやピーマンのワタ、ネギの硬い部分などなど、普通なら食べずに捨ててしまっている部分です。これらをじっくり煮出すことで、そこに含まれる “ファイトケミカル” を抽出します。

ファイトケミカルって?
自分では移動することのできない植物が、強い紫外線や雨風、害虫や動物から身を守るために自ら作り出した、植物性の化学物質です。ポリフェノールやリコピン、イヌリン、β-カロテンなどが有名ですが、その数はなんと約1500種類もあり、免疫力向上や老化抑制、肥満予防など様々な効果が注目されています。野菜の皮などを弱火でじっくり煮出すことで、このファイトケミカルの細胞壁が壊れ、人が食べた時に体内に吸収できるようになるのです。

\ 作り方 /
両手いっぱいの5種類以上の野菜くずを、水1300cc、酒大さじ1と一緒に火にかけて、沸騰してから20分、弱火でコトコト煮出したら出来上がり。

野菜くずを取り除いた後の、旨味とファイトケミカルがいっぱいのだし汁は、お味噌汁やスープはもちろんのこと、木の花ではカレーや焼きそばのソースなどにも活用しています。

美味しく、かつ効果的に作るポイント

  • 5種類以上の野菜くずをバランスよく入れるのが美味しさのコツ。野菜くずは冷凍保存しておいたものでもOK!
  • キャベツやブロッコリーなどのアブラナ科の野菜は、入れすぎると匂いがきつくなったり苦味が出るので注意。
  • ファイトケミカルには水溶性と脂溶性があり、両方をバランスよく摂取することで効力が発揮されます。
    例えば、水溶性ポリフェノールを含む玉ねぎの皮を入れたら、脂溶性カロテノイドを含む人参のヘタも一緒に煮込むと良いです。お酒を加えるのは、水だけでは溶け出さない脂溶性のファイトケミカルを抽出するためでもあるのです。

自然の中には本当に、私たちが健康に生きるためのヒントがたくさん隠されています。高価な薬やサプリがなくとも、私たちはきっと豊かに、元気に生きられるのです。

ベジブロス、どうぞお試しください (^v^)ノ

 

 


【木の花のたより 】酵素があるから生きている

おなかの中から元気になろう!

その5
酵 素

カフェ&ショップ ロータスランドのブルーベリー酵素ジュース

さてさて、1ヶ月ぶりのお便りです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
こんな時代だからこそ、お腹の中から元気になって本物の免疫力を高めよう!と始まったこのシリーズ、今回のテーマは酵素です。

酵素って なに?

詳しいことは知らずとも、多くの人が「酵素は体に良い」というイメージをお持ちなのではないでしょうか。

では酵素とは何かと申しますと、ズバリ、私たちの生命活動を維持する物質です。動物も植物も微生物も、すべての生命は体内で酵素を作り出しており、人間の体内には実に5000種もの酵素が存在すると言われます。そのひとつひとつがそれぞれに独自の役割を持ち、私たちの体内で起こる様々な化学反応をスムーズにする働きをしています。例えば食べたものを分解する、分解された養分を吸収する、有害なものを排出するといった消化や代謝機能の他、見る、聞く、味わう、歩く、話す、呼吸する、さらには笑う、泣く、怒るなどの感情表現や思考に至るまで、私たちの生命活動は、体内で起こる様々な化学反応によって成り立っており、そのすべてに酵素が関わっているのです。

つまり酵素とは、太陽や土や水や空気と同じように、私たちが生きるために無くてはならない存在なのです。

現代人は酵素が不足

人間が一生の間に作り出す酵素の量は、人それぞれに決まっていると言われ、私たちは体内で酵素を作る他にも、日々食べ物から酵素を取り込んでいます。
酵素は、あらゆる野菜や果物、そして味噌や醤油、納豆などの発酵食品に多く含まれています。食べ物から取り込まれた酵素は、体内の酵素に代わって、私たちの様々な生命活動を助けてくれるのです。
ところが現代を生きる人々は、化学物質の添加された加工食品やジャンクフード、アルコールや薬品などの過剰な摂取、そして自然の摂理から離れたストレスの多い生活などにより、酵素が不足するようになったと言われます。
酵素が不足すると、消化や代謝の機能が弱まり、免疫力が落ちて、病気にかかりやすくなります。また、冷え性やむくみ、頭痛、肩こり、便秘、倦怠感、不眠などの症状につながる他、イライラしたり精神的に不安定になることも。

どんなに「体にいい」食べ物を食べたとしても、その栄養素を体内でしっかり分解し、吸収できなければ意味がない。酵素不足はまさに万病の元と言えるのです。

酵素をつくろう!

さて、ここからは木の花ファミリーのお話です。

養蜂で活用している木の花菌と酵素

木の花のたより第3号にてご紹介した通り、木の花ファミリーでは創立後間もない頃から、微生物の働きを暮らしの中で活用することを大切にし、地元の植物を利用して「木の花菌」という独自の微生物群を培養してきました。
それはとても有効なものですが、木の花菌を仕込むには「種菌(EM菌)」が必要であり、それは現在も外部から購入しています。木の花ファミリーには世界中からゲストが訪れ、「ぜひ自分の国でも木の花菌を広めたい」と仕込み方を学んで帰る人も少なくないのですが、では実際に帰ってから種菌が手に入るかと言うと、なかなか難しい現実がありました。

そこで、「その土地にあるもので作ることのできる、有効なものはないだろうか?」と模索していた中で出会ったのが、酵素なのです。

大量に収穫できたレンコンを皮や節ごと漬け込んで作ったレンコン酵素

すべての植物は、酵素を持っています。しかし酵素は熱に弱く、42℃以上に加熱をすると壊れてしまいます。そこで植物を、1.1倍の分量の砂糖に漬け込むと、砂糖の浸透圧によって植物内の酵素を壊すことなく抽出できるのです。

この酵素液がすごいのは、普通なら使えないようなものでも、余すことなく活かせること。例えば夏の終わりには、秋冬の作付けに向けて畑を整理するため、シーズンを終えたトマトの木を片付けるのですが、この時に熟しきらない青いトマトの実がたくさん取れます。

そこでこの実にお砂糖を混ぜ ───

毎日かき混ぜていると、微生物の力で発酵が進み、やがてブクブクと泡が出てきます。

お砂糖は微生物のエサとなってエネルギーへ変換され、夏場なら1〜2週間、冬場なら2週間〜1ヶ月ほどで、酵素液が出来上がります。

そして液体を絞った後の固形物は、ボカシ(有機物を発酵させた肥料)にして畑の循環の中へと還し、また次の作物の栄養となっていくのです。

ボカシ

これならば、それぞれの土地にあるものを活かして、その土地ならではのものを作ることができる。
そこで数年前から木の花ファミリーでは、酵素液作りの探求が始まりました。以前から、酵素玄米や生食などを取り入れた酵素食は実践していたのですが、酵素液はうまく発酵すれば腐ることなく長期間保存でき、人間のみならず農業や養鶏、養蜂などにも活用できるのです。

現在は100種類以上の野菜や果物、穀物、野草などを使い、数十種類の酵素液を仕込んでいます。

ただ今熟成中の様々な酵素たち。絞ったものは冷蔵庫へ保管します。

この酵素液の仕込みを一手に引き受けているのが、メンバー歴21年目のきょうこちゃんです。

野菜苗作りのスペシャリスト、きょうこちゃん

大学卒業後、有機農法を学んでお百姓になる道を選んだきょうこちゃんは、メンバーになって以来、主に野菜の育苗を担当していました。きょうこちゃんが育てる苗はとてもしっかりした良い苗だと評判で、県外からわざわざ買いに来るお客さんもいるほどでした。

そんなきょうこちゃんですから、酵素仕込みも常に素材を観察し、作物ごとにそれぞれ異なる特徴を掴んで、より良いものができるよう工夫を重ねながら進めています。
「基本は素材1に対して砂糖が1.1だけど、素材によってはもっとお砂糖を減らした方が素材そのものの風味が生きてくるので、味を見ながら調節してるよ」ときょうこちゃん。
そして酵素液を絞るタイミングは、仕込んでから何日と決まっているわけではなく「今だ」と感じた時。中にはいくつもの酵素をミキサーにかけて混ぜ合わせ、2年越しで仕込んでいるものもあります。

2年越しで熟成中の酵素への櫂入れ(かき混ぜること)
熟成したやさしい香りがします

その他にも、個性的な酵素がいろいろあります。
例えば、昨年12月に行った新穀感謝祭と、今年の2月4日に行った立春正月祭のお供え物は ───

昨年12月の新穀感謝祭の祭壇

「新穀感謝・立春正月酵素」というなんともありがたい酵素に変身。

野菜だけでなくお米や豆類も入った「新穀感謝・立春正月酵素」

とにかく何でも活用できるのが、酵素仕込みのいいトコロ(^^)
多少形が不恰好だったりしても、すべての植物の中に健康の元が詰まっているのです。

健康とは、元気であること。元気とは「元の気」──── 即ち、自然そのものです。自然は、私たちをおなかの底から元気にしてくれる宝物に満ちています。
その豊かな恵みに感謝しながら、これからも作物や、酵素や、その他のたくさんのものを通して、皆さんに「元気」をお届けしていきますね!

(ともこ)

 

 


メンバー日記🗒

きょうこちゃんの巻


ファミリーメンバーたちが日々の暮らしを綴る「メンバー日記」始めました!

木の花ファミリーでは、メンバーたちは田んぼや畑、キッチン、建築、子育てなどなど、それぞれの個性に応じた役割を担っています。

上で紹介している役割は全体の一部。他にもいろーんな役割があるのです。そしてその全てが、自分よりも他者や全体を大切にする心 ─── 即ち「菩薩の里の精神性」でつながることにより、コミュニティの暮らしが成り立っています。

毎日の食事と大人ミーティング(毎晩大人メンバー全員が集まって開催するミーティング)の場ではメンバーたちは必ず顔を合わせますが、その他の1日の過ごし方は役割によって様々です。そこでこのメンバー日記では、メンバーたちがそれぞれの立場からファミリーの暮らしを紹介し、次のメンバーへと繋いでいきます!

トップバッターは、ハイ、先ほどご紹介しましたきょうこちゃんです。

きょうこちゃんは酵素仕込みの他、午前中は毎日カフェ&ショップ ロータスランドで、モーニングセットの調理を担当しています。他にもロータスランドの鯉や花のお世話をしたり、育苗の後継者を育てたり、木の花楽団でギターを弾いたりと、いろいろな役割をしています。

そんなきょうこちゃんが今から21年前にメンバーになった理由は、「木の花ファミリーに出会って初めて、“人が生まれてきた目的は心を綺麗にしていくこと” だと知り、この大切な生き方をしていこうと決めたから」。

「小学校3年生の時に広島原爆展を見に行った時から、人間はどうして戦争をするのか、どうして戦争が終わらないのかをずっとどこかで思っていました。また、現代の物質的に豊かになった社会が、そしてその中で生きている自分自身の暮らし自体が、自然を破壊していることを知り、自然に近い暮らしをしようと思い、有機農業を始めました。でも、どこか違う・・・と思っていたところ、木の花ファミリーと出会ったのです。」

どんなに良いと思われることをしても、心の中に対立や嘘の心があったら本当の平和は訪れない。自分一人分美しくなることが、この世界を美しくする。小さな頃からずっと探し求めていたものがこの生き方にある、と思ったきょうこちゃんは、メンバーになり、心磨きの道を歩むことを決意しました。

ところが2015年4月、きょうこちゃんは子宮頸ガンとの診断を受けます。そして翌年10月には意識不明の危篤状態に陥り、何度も生死の境をさまようこととなりました。

入院中のきょうこちゃん

心磨きの道を歩もうと決意してメンバーになったものの、「自分はいいものだとどこかで思う心があり、根本的に人間性を変えることができていなかった」と振り返るきょうこちゃん。
そうして心の中に嘘が積み重なり、それがガンを引き起こしたのだと気付いた時、きょうこちゃんに奇跡が起こりました。危篤状態から劇的な復活を遂げ、いつの間にかガンが消えて無くなっていたのです。

まさかの退院

今きょうこちゃんは、「ガンという病気をもらったことで、やっと自分の心にメスを入れることができた」と言います。

「何度も死にそうになりましたが、ファミリーみんなの応援もあり、今こうして生かされています。健全な心で生きることが、健全な世界を創ることを思いながら、日々を過ごしています。」

*きょうこちゃんの物語を、木の花劇団がお芝居にして紹介しています。芝居後には実際の闘病中の映像も流れます。どうぞご覧ください。
木の花劇団「いただきます物語2019」

そんなきょうこちゃんが、酵素液を仕込むための野草を摘みに、長野県大町市にある「木の花ファミリー大町ビレッジ」へ出かけました。以下、きょうこちゃんの日記をご紹介します!

木の花ファミリー大町ビレッジは、長野県の木崎湖畔にあります

大町ビレッジでの1日

早朝4時30分、日の出前に大町ビレッジメンバーと一緒にヨモギを摘みに出発。まだ朝露に濡れたヨモギがキラキラ光っています。

野草摘みは日の出前から始まります

お日様が出て光合成を始める前の、エネルギーをたっぷり蓄え生命力に満ちたヨモギを黒糖で漬け込み「天恵緑汁(てんけいりょくじゅう)」を作ります。

とてもエネルギーが高い大町の野草
天恵緑汁

「天恵緑汁」とは、植物や動物を健康に育てるための農業資材で、ヨモギと黒糖と天然微生物によって抽出される黒褐色の液体で、有用な菌が生きている植物活性剤(酵素液)です。土着微生物の採取方法のひとつでもあります。

これを野菜の苗を育てるときや畑の野菜に薄めて葉面散布します。ヨモギは薬効成分も高く、お灸のモグサの原料にもなっています。一面に生えている生命力のあるこのヨモギのエネルギーをいただく。まさに天の恵みの汁ですね。

こんなにたくさんのヨモギが採れました〜!

また、日中はたくさんの野草を採取し、野草酵素も仕込みました。
今年は44種類もの野草を採ることが出来ました。大町は野草の宝庫で、見渡す限りの野草!本当に宝物だらけ。






でも畑だと「雑草」とされているものもたくさんあります。

畑の作物という視点だけから見ると邪魔ものになってしまいますが、視点を変えると「宝物」なんです。

車で走っていても、歩いていても、あれも、これもと道端の草が今までと違った見え方をするのには自分でもびっくりです。

酵素作りの良いところは、捨てるものが一つもないこと。普通捨ててしまう皮や種も全部丸ごと漬け込みます。じつは皮こそ酵素がたくさん含まれているのです。

収穫した野草をまるごと刻んで ー
次々と桶に仕込んでいきます

そして普通は食事として食べないような、ビワの葉や桑の葉、その他たくさんの植物の酵素が、こうして酵素ジュースにすることにより摂取できるようになるというのは素晴らしいことだと改めて思います。

作業の合間にみんなでひと休み

こうして自然からの贈り物を採取し、砂糖に漬け込んで、毎日手でかき混ぜ、もともと植物がもっている酵素を抽出します。発酵が進むにつれ、色も香りも変化していき、酵素液が生きているのを感じます。
微生物たちはとても小さく微細な存在。だからこそ、それに接する自分は、いつも良い波動を持つ者であるように心掛けています。

全ての命は、他の命によって支えられ、生かされている。
この野草摘みに来ると、そのことを強く思い起こさせてくれます。

ガンで一度は死んだかもしれないのに、生かされている今。
酵素作りという役割をいただいて、まだまだ手探りであり、もっと進化させていく途上ではありますが、人も野菜も元気になるような酵素を作っていきますよ!!

(きょうこ)

自然の宝物に囲まれて

 



次回のメンバー日記は、ファミリー最年長のみんなのアイドル、えいこばあちゃんです。
きょうこちゃん曰く、「こんな年のとり方をしたいな」。


 

 

7月1日(水)より

ロータスランドのカフェ(店内飲食)部門を

営業再開します

蓮の花(ロータス)もいよいよ咲き始めました

お待たせしました!
新型コロナウィルスの影響等により、しばらくの間お休みを頂いておりましたロータスランドのカフェ部門を、7月1日よりいよいよ営業再開いたします。

再開に伴い、営業形態が以下の通り三部制となります(^v^)

🔹 モーニングタイム 8:00〜10:30(ラストオーダー)

🔹 ランチタイム 11:00〜14:00(ラストオーダー)

🔹 カフェタイム 14:00〜17:00(ラストオーダー)

従来は、11時以降は同じメニューをご用意しておりましたが、その時々の旬の食材を、より良いかたちで皆さんに楽しんでいただきたい!ということで、モーニングタイムにはモーニングメニュー、ランチタイムにはランチメニュー、カフェタイムにはカフェメニューと、それぞれ独自のメニューをご用意することとなりました。そして、試作に試作を重ねた新メニューも登場しますよ〜〜✨✨ どうぞお楽しみに!

きょうこちゃんが仕込んだ酵素は、ジュース、スカッシュ、豆乳ドリンクの3つの味でお楽しみいただけます
大好評の酵素シロップも引き続き販売します♪

📍 カフェ部門再開につき、7月1日以降はお弁当の販売はお休みとさせていただきます🙇‍♂️

📍 営業時間が従来の19時閉店から18時閉店へ変更となりますので、ご注意ください。

📍 定休日は毎週月曜日のままで変更はありません。

 

皆さまのお越しをお待ちしております

 

 


木の花ファミリー通信2020年夏至号『コロナウィルス はメッセージ 〜 世界は人間の思い通りになるか』

 

世界は人間の思い通りになるか

新型コロナウィルスの登場によって世界は大きな転換の時を迎え、「新しい生活様式」が求められるようになりました。けれども、人との距離を保ち、会話や接触を避け、マスクや消毒を欠かさずに暮らすことが、本当に人のあるべき「新しい生活様式」なのでしょうか。

このウィルスの登場は、私たちにあることを教えてくれました。それは、人間はいつの間にか、お金がないと生きていけなくなっていた、ということです。

今、人々の最大の関心事は、経済です。人々は経済が回らなくなることで自分たちの生活が成り立たなくなることを心配し、政府はその心配を一時的にしのぐため、赤字財政に更なる借金を重ねて莫大な補正予算を組み、様々な給付金を打ち出しました。ほんの数か月経済が停滞しただけでこれほどの給付金が必要になるということは、コロナウィルスが発生しなくとも、もともと日常をギリギリの状態で生活している人々が今の時代にいかに多いかを物語っています。

すべての生命は、生きている限り生命活動の中にあり続けます。例えば小鳥は生きるために、体の大きさに対してたくさんのエネルギーを必要としますから、常に食物を探し、食べることに追われています。他の動物も、種によって必要とするエネルギー量に違いはあるものの、生きるために食べ続け、植物なら養分や水分を求めて根を伸ばし、葉を広げて光を求めます。何より、常に呼吸を続けています。生命とは、命ある限り自らの存在を維持する活動に追われるものであり、その活動はすべて、生きることに直結しています。

ところがコロナウィルスが教えてくれたのは、人間だけはお金に追われているということです。お金とは、原価二十数円の紙切れ、或いはコンピューター上の数字です。それは本来、自らの命を維持する生命活動とは何の関係もないものですが、現代の人々は、お金の有無によって生きることが大きく左右されているのです。

生命とは、太陽や土、水、空気、風の織りなす大いなる自然の循環の中でそれぞれにふさわしい位置を与えられ、瞬間瞬間を精一杯生き、命をつないでいくものです。その中で唯一人間だけが、その類い稀なる高い能力を使い、楽をして生きることを求めるようになりました。そして自然の中で生かされていながら、自然を無視し、生命の原理原則から大きく外れた経済システムを創り出したのです。人々は豊かさを求めて地位や財産を築き、築いたら今度はそれを維持することに囚われ、太陽や土と共にではなく、預金通帳の残高に追われて生きるようになりました。楽になりたいと願いながら、自ら築いたものに縛られ、結果としてまったく楽ではない、窮屈な世界を生きることとなってしまったのです。

これは生命としては異常な状態と言えるでしょう。ところがそれが当たり前になってしまった現代の人々は、その異常な状態を正常だと思っています。そこへ今、地球生命史の大転換の時を迎え、時代は新型コロナウィルスという刺客を人間社会へ送り込みました。肉眼では見えないほど小さな存在でありながら世界を大きく揺り動かすこの刺客は、果たして世界の何を浮き彫りにし、私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。

 

 


「経済で生きている」という幻想

 

他の生命にはない世界

私たち生命が生きているのは、お金があるからではなく、命が生きているからです。しかし、生命の原理原則から外れ、生きることがお金を稼ぐことになってしまった現代の人々は、常にお金に追われるようになりました。それは他の生命にはない異常な世界ですから、生きていく上でたくさんのストレスが発生します。そのストレスを解消するためにお酒を飲み、レジャーに出かけ、物を買い次々と消費しては大量のゴミを出し、生きるために必要のないことをたくさんやることで、経済はさらに大きくなりました。まるで子どもがゲーム中毒になるように、世界中の人々がお金の魔力に取りつかれ、そこから抜け出せなくなっているのです。

その手を休めて立ち止まり、空を見上げ、風を感じ、土に触れ、木々の囁きに耳を澄ませば、自然はなんと大らかで、動物も植物も、豊かな命の循環の中に生きていることが感じられるでしょう。生命とはとても大らかなものでありながら、いつから人間だけが、これほど窮屈な生き方に自らを追い込んでしまったのでしょうか。

新型コロナウィルスの感染拡大によって経済活動が停滞している間、地球上の二酸化炭素排出量が一時的に下がりました。世界各地で空気や川の水がきれいになったという報告もあります。IPCCは、2030年に地球の気温が産業革命前に比べて1.5度上昇することを予測し、多くの科学者たちが、気温上昇に伴う巨大台風の増加や豪雨、干ばつ、海面上昇、生態系の崩壊や食料難などを最小限に食い止めるためには、今後10年間に人類がどれだけライフスタイルを転換できるかが勝負であると警告しています()。新型コロナウィルスによって人間の経済活動に歯止めがかかったことは、見方を変えれば、地球の自浄作用とも言えるでしょう。ところが今なお人々は経済のV字回復を願い、必死になって世界を元の異常な状態へ戻そうとしています。それは、生命の原理原則から外れて自然の中に取り返しのつかないツケを蓄積していくことよりも、自らが築いた経済という人工のシステムが崩壊することの方が恐ろしいからです。現代は、本来命とは何の関係もない経済が止まることで、自らの命をつなぐことができなくなる、大いなる矛盾の世界となってしまったのです。

 


※IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)は気温上昇を1.5度に留めるには、世界のCO2排出量を2030年までに45%削減し、2050年までに実質ゼロにする必要があると警告。科学者たちは、気温上昇が1.5度を上回れば、北極の氷の融解による海水温の上昇、シベリアの永久凍土融解による地中のメタンガス(温室効果がCO2の25倍)の放出、アマゾンの森林火災増加による更なるCO2の排出等の悪循環に陥り、気温上昇が自動的に進む「灼熱地球」へのスイッチが入り、止めることができなくなると訴えています。


 

給付金は問題を解決する?

こうした状況の中、日本政府は1人一律10万円の特別定額給付金を始め、様々な給付金を打ち出しました。しかしそれで現状の問題が解決されるでしょうか。

新型コロナウィルスの影響で外出を控えた結果、家庭の不仲や虐待が増加したと言われています。多くの人はそれを「コロナウィルスのせいでそうなった」と捉えていますが、それは元々そうなる種があったということであり、コロナウィルスはそれが浮き出るきっかけとなったに過ぎません。問題ごとが起きた時、人はとかく自分の中に原因があるとは見ずに、外からその問題がやってきたとして、自らを改めることなく他を悪者にします。それが大きくなって国家間の争いとなり、戦争となっていくのです。そのような盲目の人々に支持された政府が指揮を執り、現代の社会は創られています。

問題の根本原因と向き合うことなく、ただ表面的に解決しようと一律な対策を練ったとしても、例えば、家庭によって給付金は一時的にストレスを発散するためのお酒や道楽に消え、場合によっては家族の分まで使い込んで争いの種となる等、元々あった問題をさらに難しくすることでしょう。数か月の経済停滞で生活が立ち行かなくなるなら元々が不安定であったということですが、それを一時的な給付金で賄えば、次に何か起きた時にまたもらえばいいという発想になり、自らの裁量で生活を成り立たせることを忘れていくのです。そのように生命力を失った人々も皆等しく1票を持っており、支持を集めたい政治家たちは、与党も野党もこぞってお金をばらまき、国民のご機嫌取りをしています。それはコロナ禍の問題を解決するためではなく、自らの政権を維持するための施策です。そして1000兆円という世界でも突出した債務残高を抱え、個人であればとうに自己破産しているほどの赤字財政に、更なる借金を重ねています。そのツケは確実に将来にのしかかりながら、目先の利益ばかりを考える国民によってその意識にふさわしい政治家が選ばれ、それにふさわしい政治が行われるのが、民主主義という仕組みを選んだ私たちに与えられた結果なのです。

どんなに良い国を創ろうと思っても、その手段がお金である限り、良い国にはなりません。それは生命としての根本から外れているからです。人々は何とかコロナウィルスを封じ込め、問題の解決を図ろうとしていますが、その中で忘れられている事実があります。それは、コロナウィルスに出会わなくとも、人は必ずその生き方にふさわしい死を迎えるということです。

 

「ほんの瞬間」への執着

この世界には、時という万物に共通する絶対の軸があります。それは決して止まらず、後戻りせず、宇宙の創成から消滅までを貫いています。時とは、言わば柱です。この柱を中心としてエネルギーの回転が起こり、宇宙の響きが現象化します。そこから生み出されるのが生命です。生命は、時という絶対の柱に沿って誕生と消滅を繰り返し、過去から未来へと旅を続けます。生まれ、生き、死に、また生まれてくることを繰り返しながら、地球上のあらゆる生命たちと共に、太陽や月や、無数の天体たちと共に、大いなる命の循環の中で、果てしない宇宙生命物語を紡いでいるのです。

それは、人間の一生をはるかに超えたスケールの物語です。私たちはこの壮大な生命物語の一部分を担う存在であり、「今回生まれてから死ぬまでが自分である」という認識を超え、視野を拡大してみれば、自らの存在は人類の歴史であり、生命の歴史であり、肉体を持った一人の人間としての存在など、ほんの瞬間のものであることがわかるでしょう。ところが、その無限の可能性を秘めた魂が一たび肉体に封じ込められると、自らが大いなる生命の一部であることを忘れ、自らに執着するようになったのです。

肉体を持ち、命として生きることは、自意識があるということです。例えば、植物にも自意識はあります。雨が降らなければ水を求め、根を伸ばし、まだ実を付ける前の花の状態の時には、動物に食べられないよう強い薬効成分を出し、自らの命をつなごうとします。しかしそれは、食べられそうになったら走って逃げるほどの強いものではありません。動物の自意識は植物より強く、シマウマはライオンに捕まりそうになれば逃げますが、捕まって食べられればそこに未練を残すことはなく、シマウマの命はライオンに受け継がれていきます。動物も植物も、個としての命を維持しながら、より大きな生命の一部として、生態系の大いなる循環の役割を果たしているのです。

かつて人間も、大いなるものの一部として自然の中を生きていました。ところが時代が進むにつれ、文明が発祥し、モノや権力を持つようになると、人間はその魅力に囚われ、生きることに執着するようになりました。

ことに産業革命以降、それは顕著になります。科学技術を発展させた人間は、自らの力によって次々と願望が叶うことの虜となり、自我を肥大させ、自然に沿って生きるよりも、自然を自らの思い通りに支配しようとするようになりました。

 

医療が進んだ「豊かな国」

私たち生命は、決して止まらぬ時の流れの中で生と死を繰り返し、永遠の物語を紡いでいます。生まれるとは言わば入学であり、死は卒業です。生まれれば必ず元の世界へ還るのが定めであり、それが多少早いか遅いかということも、それぞれにふさわしい定めとして与えられます。大切なのはどれだけ長く生きるかではなく、その生を通して自らが何を学び、どのような精神状態で卒業を迎えるかということです。生きることの真の意味を知るには、死ぬことの真の意味を知ることが不可欠であり、生と死のどちらの側にも囚われない視点に立った時、私たちは初めて、この世界を生きることの真実に出会うのです。

欲望の虜となり、生きることばかりが重要になった現代社会では、医療が極度に発達し、人間の高い能力の証である複雑で高度な技術を駆使し、ただ命を引き延ばすことが最優先となりました。人工透析や臓器移植など、自然界には絶対にない形で延命を図り、莫大な医療費とエネルギーをかけ、必死に生にしがみついているのです。

新型コロナウィルスは、喫煙者や糖尿病などの基礎疾患を持つ人が重症化しやすいと言われます。人々は感染を恐れ、コロナウィルスを問題視していますが、ではそもそも何故そのようなリスクの高い状態になっているのかを振り返ることはありません。本来ならば、そういった疾患に至る自らの生活習慣を見直し、その元となる心を改めるべきなのです。しかし現代医療は、物理的な症状だけを一律に治療する姿勢を前提とし、ただ症状が治まれば良しとするため、いつまで経っても人間が生き方を改めることには繋がらないのです。そしてその莫大な医療費によって膨らんだ経済が、皮肉にも「豊かな国」を支えているのです。

病気を治せば治すほど、高度な技術が発達すればするほど、何でも自分たちの思い通りになるかの如く生きてきた人間たちは今、新型コロナウィルスの登場によって思い通りにならない事態に直面し、大きく困惑しています。そして自分たちのこれまでの生き方を阻害するコロナウィルスを悪としています。しかしそもそも、この世界は私たちの思い通りになるのでしょうか。

 

宇宙から人類へのメッセージ

私たちは、地上に光を注いだり、雨を降らせることができるでしょうか。毎日朝が来ることを、四季が巡ることを、地球が回ることをコントロールすることができるでしょうか。

産業革命以降、人間はまるで自分たちの力で世界を動かしているかのように振舞ってきました。しかしよく見てみれば、世界は人間の力で動いてはいません。毎日が来るのは私たちがカレンダーをめくりスケジュールをこなしていくからではなく、地球が回っているからです。地球も月も太陽も、他のあらゆる星々も、私たちの日常をはるかに超越したスケールで宇宙を巡り、それによって世界が動き、その中で私たちは生かされています。

その巨大な世界に秩序をもたらしているのが、時です。宇宙の万物はこの絶対の柱に沿い、過去から未来へと進み続けます。もしも時をさかのぼって地球が逆回りをしたり、死者が生き返るようなことがあれば、世界は秩序を失うでしょう。決して例外なく万物が絶対の約束のもとにあるからこそ、秩序が保たれているのです。

そもそも、この世界を生きることに、自由などないのです。誰も地球をコントロールできない。では自分のものだからと心臓をコントロールできるかと言えば、それもできない。眠ることを、呼吸することを、歳を取ることを、誰が思い通りにできるでしょう。私たちは決して抗うことのできない絶対の法則の中で命を与えられ、生かされているのであり、生きることで自らの手の内にあるものは何もないのです。それなのに、人間はすべてを自らの思い通りにしようとし、他者の思い通りになることは否定するのです。その結果、他者との共通点を見出すことのできない人々は、自らの創り出したものに支配されていくことになるです。

生命とは、生態系の循環の中でそれぞれの個性にふさわしい位置を与えられ役割を果たすものであり、本来自由でもなければ、平等でもありません。しかし人間社会は、民主主義という見せかけの自由・平等の世界を創り、自我から生まれる願望を一人ひとりが際限なく自己主張することが権利であり、進歩した世界であると思い込み、それが麻薬のように広まって、生命の本質からどんどん外れていきました。本来、生きることには優先順位があり、第一優先事項を第一番目として、二番目や三番目を一番に持ってきてはいけないのです。現代の人々は、自我の欲望から生まれる五番目や六番目を第一として生きています。だから世の中が狂うのです。新型コロナウィルスは、その狂った世の中の実態を暴き出し始めたのです。

そのメッセージに気付かず、人間がこのまま進み続ければ、世界はより過激な第二、第三の刺客を送り込んでくることでしょう。人々はコロナウィルスを、抑えても抑えても増殖して自分たちの生活を脅かす脅威と捉えています。しかし地球の側の視点から見れば、人間こそ、抑えても抑えても増殖し、地球の資源を貪り、他の生命を傷付け、生態系を破壊していく極めて有害な存在であると言えるのです。その人間の在り方に対し時代がNOを出し始めた今、私たち人間は、欲望のままに生きる自我の側から、その自我をはるかに超越し、私たちを生かし続ける世界の側へと視点を転換させ、自らの生き方を根底からひっくり返す必要があるのです。

 

 


*この世界の生と死の仕組みについては、木の花ファミリー通信第93号〜96号「21世紀の死生観第一部・死ぬってどういうこと?」「21世紀の死生観第四部・性 ー すべての始まり」をご覧ください。


 

私たち地球生命は、生きていく上で必要なものをすべて、この世界から与えられています。そしてそれは、共有することが前提となっています。太陽に然り、空気に然り、水に然り、そして大地に然り。生命とは、世界に動きを起こすものです。太陽は太陽のように、空気は空気のように存在していたこの世界へ、生命が現れることでダイナミックな命の循環が起こり、太陽や空気から草へ、花へ、虫へ、鳥へ、獣へと無限に連鎖し、すべてがひとつの命として循環していく、絶対共有の自然世界が生まれてきたのです。

その共有の世界にあって、文明の発祥以来人間が表現してきたものは、貪り、奪い合い、他の生命に害を及ぼすどころか同じ種の中でさえ傷つけ合う、この世界の実体とはかけ離れたものでした。世界中が待ち望む新型コロナウィルスのワクチンですら、各国が情報を共有して協力し合うのではなく、他国に先駆け新薬を開発しビジネスチャンスにしようと競い合っているのです。

しかし、人間が新たな薬を開発すればするほど、ウィルスや細菌もまた、進化します。今、人間が自然の摂理を無視し、抗生物質等の薬を医療や畜産にまで乱用してきた結果、様々な所で耐性菌が広がり、近い将来、抗生物質が効かなくなる時代が来ると言われています。抗生物質が使えなくなるということは、現代医療の大部分が機能しなくなることを意味します。だからこそ今、私たちは、ただ生き永らえることばかりを求めるのではなく、生きるとは何であるかを見つめ直し、命の原点に立ち返る時が来ているのです。

 
あなたの尺度を手放しなさい

人間がどれだけこの世界の本質から外れようと、世界は決してぶれることなく未来へ進み続けます。

私たちの生きる天の川銀河は、広大な宇宙空間に直径10万光年という果てしないスケールで広がり、セントラルサンを中心として無数の天体たちがそれぞれのサイクルを刻みながら、全体が秒速約200㎞という速度で回り続けています。それは人間の尺度などはるかに及ばないスケールです。これほど巨大なものが100億年以上にわたりぶれることなく、秩序を保ち続けてきたということは、そこに決して揺るぎのない、人智を超越する絶対的な軸があるということです。その絶対的な安定の中を太陽系が巡り、太陽系の秩序の下に地球が巡り、その中に私たちの毎日の秩序があるべきなのです。それは言い換えれば、人間がどれほど外れようとも、決してぶれることのないこの世界の本質へ、戻ろうと思えばいつでも戻れる世界に私たちはいる、ということです。

秒速200㎞は、地球上の尺度からすれば驚くべき速さです。しかし、直径10万光年の銀河からしたら、動いているかいないかわからないほどゆっくりなものです。この世界には、人智を超えた絶対の秩序の下に無数の尺度が存在し、それを現代人の思考回路で解釈することは到底できないのです。その解釈不能な世界の中で、自らの尺度だけを基準として生きているから、自分が外れていても、それを正常だと思ってしまうのです。自らの尺度だけで生きているから、本来はすべてが共有され循環していく大調和の世界の中で、貪り、奪い合い、獲得したものを手放すことを恐れ、自らの心が生み出した不安や恐怖でがんじがらめになっているのです。

その小さな囚われを手放しなさい。

そして、自身から自由になりなさい。

手放せば、私たちはいつでも、多様な存在がひとつらなりの命として大調和の下に永遠に循環し続ける、大いなる宇宙の尺度で生きることができるのです。

その精神の位置に立つ時、人は不安や恐怖から解放され、貪り争う必要がなくなり、穏やかな響きの世界を創ることでしょう。そして自らにも、地球にも、健全な生き方をするでしょう。
人間は本来、群れて生きるものです。それが今、いかに分断して生き延びるかという、生命の原理原則とは真逆の方向へ向かっています。世界中が混迷を極める中、新たな時代のリーダーシップは政治にあるのではありません。学問の中にもありません。それはこの絶対不変の宇宙法則の中にあり、自らの尺度を手放し、大いなる仕組みの中に存在していることに目覚めた時、あなた自身の中に湧き出してくるものが次の時代の指針となるのです。

その時に大切なのは、土に近く生きること。なぜなら私たちは皆、大地の子どもだからです。大地は私たちの命の源であり、土と共に生きることは、私たちを生かすこの世界の大いなる存在 ——— 太陽や月や、宇宙の天体たちのサイクルで生きることなのです。それが地上を生きる生命の本来の姿であり、私たちの中に眠る真の生命力を呼び覚ますのです。

人間は、自我から生まれる欲望のまま破滅へと向かう愚かな存在にもなれば、その体験から学び、宇宙の仕組みを地上に顕し、天地一体の世界を表現する尊い存在ともなれるのです。今、このメッセージに出会ったあなた自身が、その意識に目覚め、この大いなるターニングポイントを機に歩み出すならば、文明の発祥以来追い求められながら実現されずにきた、人類の命題である理想郷への道が、開かれることでしょう。