人類史上初の「リョウ」の集いにようこそ! ~PART3:リョウタくんの目覚め~

「リョウ・リョウ・リョウ」の集いから約1ヶ月が過ぎたある日のこと。リョウタくんの日記には、リョウタロウくんの姿を通して自分自身を振り返ったことや、リョウくんに対して今まで自分がしてこなかったことにチャレンジしてみたことが書かれていました。いさどんからは「この日記を大人会議で皆にもシェアしてください」とコメントされていました。


《9月15日の日記》
昨夜のようこちゃんの心のシェアはとても参考になった。しょうもない自分を捨てた先に、ようこちゃんの笑顔や幸せ、そして大切な役割があると知り、今まで口で伝えられて心に落ちていなかったことが、実態としてストンと体の中に入ってきた。心が軽くなったし、少し開いた。

いさどんのコメント:
少しですか。

腹をくくろうと思った。

いさどんのコメント:
そうではなくて、自然に任せることです。

ようこちゃんの地球暦には水星にスイッチが入っていないから、いさどんとパートナーシップを組むことでその部分を補っていくということだったが、自分の地球暦で言ったら、スイッチが入っていない天王星・海王星・冥王星はいさどんの力を信じて埋めていこう。良いきっかけになった。二人共ありがとう。

いさどんのコメント:
心地の良い響きを感じました。あなたの心の状態が皆の気持ちを明るくします。

昼食をリョウタロウくんと食べていたら、彼がカトケンともめた話を聞いた。「病気になってからひねくれた」というリョウタロウくんの考えと、「そういう性格だから病気になったんだ」というカトケンの意見が対立し、リョウタロウくんがムカッと感情的になって言い返してしまったらしい。

それを聞いて、まるで自分のようだなと思った。

いさどんのコメント:
今まではそうでしたね。

自分のことだと感情的になるが、客観的な眼で冷静に問題を観ていると、真実はどうであれ(でも僕もカトケンの考えに同感だったが)、

いさどんのコメント:
なるほど。視点が変わりましたね。

カトケンは別にリョウタロウくんを怒らせるために言ったのではなく、むしろその逆で、彼の改善のために助言したことがわかる。

いさどんのコメント:
その受け取り方はポジティブです。

また、「自分を守るために言い返した」というリョウタロウくんが、全然自分を守れていないことにも気付いた。

いさどんのコメント:
ポイントです。

本当に自分を守るなら、しょうもない浅い理解を相手に求めるのではなく、「自立」という木の花での目標を達成するためにはどうしたら良いかよく考え、大きな視点で人の意見を自分のプラスに変えていかなければならない。

いさどんのコメント:
そうです。

リョウタロウくんを見ていたら、なんだか滑稽だし、可哀想に思えた。「何のためにここに来たの?」と思わず彼に訊いてしまったが、上記の考えもすべて含めて自分に言い聞かせていた。これまでの自分を変えたくて木の花に来たはずなのに、まだ外の世界で生きてきた時と同じことをしている。同じ考えを頑なにするくらいなら、ここにいる意味はないから、お金も無駄だし出て行ったほうがいい。

いさどんのコメント:
まったくその通りです。

神様は僕に客観的な目線を持たせるために、昼食時リョウタロウくんの前の席を空けてくれたのだと思った。

いさどんのコメント:
その受け取りは深いですね。

他人と話すとよく肩が凝る。自分では緊張していないし、良く思われようとはしていないつもりなのに、現象は無理をしていて自然ではないことを教えてくれている。体に染み込んだ自動反射だから捉えるのは難しいが、その都度自分の心の状態をチェックしていかなければならない。

いさどんのコメント:
その地道な努力が明るい未来に繋がります。

何か思考が巡ったら、その度に「これは過去の自分の思考か、新しい自分の思考か」を常にチェックしている。そして過去の自分の思考だったら、すぐに手放すようにした。そうしたら雑念が止まり、気分が良くなった。スッキリ感がある。

いさどんのコメント:
素晴らしい!

浮かぶのはまだ99%過去の自分の思考だが、それを地道に1%ずつでいいから新しい自分の思考に変えていく。今までと逆をやる姿勢を常に持つ。

曜日ごとに何の作業をやるか決め、一日も休まず連続作業日数にこだわっていた過去の自分、アホやなあ~!何を大切にしているのか?自分の体より、他人の評価です。曜日ごとに作業を決めたのは、作業場までの送迎などメンバーの負担にならないようにで(他人のことを考えているようで、実際はメンバーの負担になって嫌われないため。評価のため。つまり自分のため)、連続作業日数も意志が弱いとか根性がないとか、周りに思われたくないから。休みたくても休んだら、リョウチンとかに怠けていると思われるのが嫌だったから。体が異常な状態なのに、健康な人と比較して、少しくらい辛くても休んでいたら社会では通用しないと思ったから。一生懸命の方向が間違っていたことに、最近ようやく気付いてきた。

いさどんのコメント:
すごい!

同じことをこれまで外の世界でもやってきて、全く同じ現象をもらってきたのに学習できていない自分はやっぱりアホやなあ~!確かに少しくらい辛くても作業に出るくらいではないと、何かと理由をつけて怠け癖が身についてしまう可能性もあるが、常に自分と向き合っていれば休みたいのが怠け心か、本当に体が悲鳴をあげているのかくらいわかる。今回に関しては完璧に後者だったのに、それでも休まないことが自分にとっての一生懸命だと勘違いして、さらに自分を追い込んでしまった。

いさどんのコメント:
良く分析できています。

全然自分に優しくない。体が怒るのは当然のことで、当たり前のことで当たり前なことが起こった、何も難しくない簡単な話だった。

いさどんのコメント:
そうですよ!

でもそんな簡単な問題を今まで解けずにいたことが、いかに僕が自分が観えていないかを物語っている。だからこそ、他人の第三者の客観的目線は大切だ。もっと素直に受け取ろう。上に立つ人から何かコントロールされることは征服されるみたいで苦しいが、ようこちゃんみたいに自分の欠点を埋めてくれる存在としてうまく利用する気持ちでいれば、服従の上下関係にはならず、自尊心も保てると思う。今は心を変えることで、社会に出ると危ないから生じたこの病気の存在意義がなくなると信じている。

いさどんのコメント:
素晴らしい悟りです。

昨夜初めて気付いたが、過去僕が楽しかったり幸せを感じるときは、すべて「自分が主役」だったときだ。東京でのシェアハウス生活も自分のエゴを剥き出しにして、主役になるために変わったことやバカなことをして皆の注目を集めた。だから人と同じことはやらず、競争が激しい所も避け、自分しかやらないだろうという選択をしてきた結果、現在のような自分独特なねじれが出来上がってきた。注目を浴びようと思考を巡らせているときからワクワクして楽しいし、実際注目を浴びると2~3日余韻に浸るぐらいの快感を覚える。デートもそうだし、海外での一人旅も、自分が物語の主人公になったみたいで言い知れぬ高揚感に包まれる。地球暦で地球にポイントが多い訳だ。

いさどんのコメント:
なるほど。

最近、楽しさや幸せを感じられないのは、いさどんにも指摘されたことがあったように、そうした注目(ポイント)が得られなくなってきたからだ。そうした不満を晴らすため、現実逃避するために、今はポイントの代わりに食べることで空いた穴を埋めようとしている。これからは、さらにその食べることに代わる快感を探し求める必要がある。

いさどんのコメント:
それが何かですね。

自分を深く見つめていれば、流れを感じることができるということに今日気付いた。人の意見を素直に受け取れない自分がいて、今日リョウタロウくんを通してそれを客観的に観せてもらい、入浴時にそれが理解できたか試すように感情的になりそうな場面があった。確かに一時は感情的になってしまったが、すぐその後に自分の考えを通したところで自分に何のメリットがあるのか冷静に考え(変わらない自分がいるだけ)、そんなことより自分と違う意見を今の自分に取り入れたほうが良い方向に向かえると思考を改めることができた。でも、まだまだ感情が強く出てくるから、明日からもそれを試すかのように同じ場面はやってくると思うけど、一回一回の積み重ねで問題を卒業していこう。

いさどんのコメント:
そうすれば、その方向には卒業の文字が待っています。

正直、いさどんにも指摘されたが、僕は自分だけ得したいという気持ちが強い。分け与えるより、独り占めしたい人間だ。自分だけ得をすると人より優位に立てるから優越感を感じて気持ちいいし、それで評価が上がって人望もモテ度も上がる。人に置いていかれるという不安や焦りも軽減する。だからやめられない。いいことづくしだから。でも、そうしてきた結果が今現象化として現れているという事実を忘れてはならない。確かに独り占めしてきたことで一時の恩恵は受けてきたと思う。人望もモテ度も確実に。だけど、それはやはり上辺だけの浅くて短いハリボテのような得だと気付いた。実際、恩恵に関わった人間は、ほとんど今僕の周りにいない。それが現実だ。一時の得にしがみつくから、一時の関係しかつくれない。逆に自分・自分で生きてきたせいで、いさどんにも指摘されたように、他人に対して優しさや愛がなくなり、結果的に人に対してムカつき、わずらわしくなり、嫌いになり、終わりには憎むようになってしまった。もっと長く、大きな目で観なければならない。今の状況を改善させるには何度も言うが、常に自己チェックを欠かさないことだ。「これは自分だけ得しているな」と思ったら、それを人に分け与える。

今日はそれを意識して、昨日の素晴らしいようこちゃんのシェアの内容をリョウくんに丁寧に説明してあげた。

いさどんのコメント:
他者のために生きることは徳(人徳)になります。

本当は独り占めしたいし、なんだか気持ちは良くないし、面倒だなとも思ったけど、今までと同じことをしていたら何も変わらないから、逆のことをする。まだ気持ちは追いついていないけど、形から入ろうと思った。

いさどんのコメント:
人間は形をいただいてから、心の学びをいただく者です(カタチサキ)。

別にリョウくんからは特に感謝はされなかったけど、自分が所有したかったものを一つでも手放させるようになった新しい自分に出会えたことを評価しよう。

追伸:一時の得に走ったら、一瞬の恩恵しか与えられないけど、長く大きな目で見たら、長く大きな恩恵が降りてくる。

いさどんのコメント:
人格者になります。

これが宇宙の法則か。

いさどんのコメント:
そうです。

他人に何かを分けることで、自他との境界線が薄れて、他人も自分のように愛せるようになっていく。

いさどんのコメント:
神様の愛です。

エゴを手放す練習から始めよう。

いさどんのコメント:
素晴らしい!

追伸2:自分だけ得したいという気持ちがあると、人がそうなることが許せない。ムカついて体にも悪いことを自分はやっている。アホやなあ~!

いさどんのコメント:
過去の自分にありがとうです。いよいよ、スタート地点に立ったようですね。これからです。この日記をミーティングでシェアしてください。

 

 


人類史上初の「リョウ」の集いにようこそ! ~PART2:リョウ・リョウタ・リョウタロウ大集合!~

2017年の夏、自然療法プログラムを受けている30歳のリョウタくんの提案により、同じくケア滞在中の19歳のリョウくん、20歳のリョウタロウくんと一緒に、いさどんと集う場がもたれました。題して、「リョウ・リョウ・リョウの集い」!その場にはリョウタくんのサポーターであるリョウチンや、メンバーのリョウコちゃん、そしてこの集いに関心があるその他のメンバーも集まりました。

いさどん:
本日の会の発起人は、リョウタくんです。本題に入る前に、リョウタくんに「なぜこの会を提案したのか」という話をしてもらおうと思うのですが、この話には僕の中に前段があるのでそれをまず、お話ししたいと思います。

そもそも、このような探究がなぜ可能なのかというと、僕は今66歳ですが、30歳と半年ぐらいの時に出会った霊的な体験から、「カルマ読み」と名づけた分析方法を発展させてきました。それにより、人の魂の性質を観る手法が体系化されてきたのです。これは世界中探してもどこにも資料がない手法であり、僕個人に霊的に降ろされたもの、もしくは僕の思考の中で成立してきたものと言えるでしょう。

その霊的な出会いから、僕の人生は常に人の問題事と共にあったのです。つまり、30歳過ぎから僕は人の悩み事相談を受けるようになり、まだ人生経験の不確かなものがそれを受けてきた結果、言わば人間のカルマの法則性のようなものが観えてきたのです。それが現在の「カルマ読み」になりました。

それを体系化していく段階で、単純に数値で表した陰陽度による人の性質だけではなく、音の意味にも非常に重要な性質があることに気が付きました。そして、文字には濁点による濁りと小文字による歪みがあることに行き着いたのです。これは降りてきたものではなく、これまで1万件以上の面談を行うことによって、ある意味統計的に築いてきた結果、現在の法則性に至りました。それをもって、人々の問題事や悩み事の相談に乗ってきたのですが、それによって人々が人生の中で出会ういろいろな出来事の奥に、その人の本質である性質が関わっていることが観えてきたのです。その形が観えてきた時に、濁点による濁りと小文字による歪みの特徴も同時に観えてきたのです。もしかしたら過去の時代には、それが生きる上での力になっていたのかもしれません。しかし現代では、それが生きる上でのハンディキャップを背負うことにもなりうることがわかってきたのです。

ですから、ここではよく、「子どもの名には濁りである濁点をつけるな。歪みである小文字をつけるな」と言うのです。それは単に、その法則を知っているからつけないということではありません。そういったことをわかっているからこそ、そういった魂に縁がないということも言えるのです。しかしそうかといって、ここを訪れる人々はどちらかというと、濁りや歪みのある人のほうが多いのです(笑)。それはなぜかというと、どちらかというと人生に行き詰まった結果、ここに来る人が多いからです。特に、僕に個人的に支援を求めてくる人にはそのような傾向の人が多く見られますね。

このように、人が人生においてなぜいろいろなトラブルや迷いに陥っているのかをひも解き、その法則性を解き明かしてきた結果、この「カルマ読み」があるのです。

カルマ読みで人々の人間性をひも解き、相談に乗っていく中で、さらに人の人生を解き明かすのに重要な出会いとして、2011年、「地球暦」に出会いました。太陽系の惑星地図による内惑星から個人の精神性をひも解き、そして外惑星から社会性を観るという手法に出会った結果、カルマ読みがさらに充実しました。カルマ読みと地球暦の己読みはある意味相関関係のようであり、それは人の性質をこちら側(その人の人間性)とあちら側(宇宙から託されている使命)から観る確かめ算のようになっていることがわかったのです。

さらに2013年、「カタカムナ」に出会いました。カタカムナとは、今から約13000年前、東アジアに発展していた宇宙物理学のことですが、カタカムナには法則性というよりも、音の響きに意味があることが重要なのです。「この世界のすべては響きである」ということで、私たちは人柄という霊的な響きも持っていれば、実際に音を発し言葉を話しますので物理的な響きも発します。その言葉は言魂と言い、その人の人柄を発するのです。それがこの世界に放たれ、その放たれたものが対象のものに伝わり、その返ってくる響きで私たちは己を知るのです。すべての音は固有の意味を持ち、その発せられた響きの組み合わせによって、この世界の現象化が進んでいきます。

カタカムナでいうと、カタカムナのふるさとは潜象界と呼ばれます。私たちが存在する現象界には見える世界と見えない世界があり、これは体と心、もしくはこの世とあの世のような関係です。その現象界は「ある世界」とも言うのですが、その奥にある「ない世界(潜象界)」というものを解き明かしたのが、カタカムナ理論です。

これは、たいへん奥の深い話なのですが、私たちの現代文明は有史以来の文明です。有史というのは約6500年前のメソポタミア文明に始まる文明であり、紙の文明です。つまり、それは学問の文明なのです。学問ですから、何でも二元的に平面上で捉えようとするのです。紙の上に描かれている丸を見ると、私たちはそれを単なる円だと思うかもしれませんが、宇宙で丸は球体のことです。そのくらい二元的に捉えることと立体的に捉えることは違うのです。ですから、この概念は新しいものに出会ったというよりも、カタカムナに出会うことにより、当たり前のこの世界にある物理性を改めて再認識するということなのです。

そして、6500年前の有史よりもさらに6500年前向こうの約13000年前、そのカタカムナの文明が日本列島に存在していたのです。正確に言うと、13000年以前大陸は地続きでしたから、東アジアに存在していたのです。それが日本列島の大和文明となって、今、ここに残っています。後に、その文明が西の中国、インドに渡り、有史以来の世界の宗教や哲学の元となっていたことがわかってきました。またヨーロッパへ渡ってキリスト教となり、そういった流れが外国を通して日本に再輸入されたのです。このような構造も今、わかってきました。

そこで、カタカムナによると単音には意味があるのですが、カタカムナで表される潜象界の音には小文字も濁点もないのです。つまり、単音が極めて純粋な音であり、歪みや濁りがない美しいものなのです。それが宇宙の奥にある潜象界に秘められているのです。元々はそのように美しい存在だった響きが現象世界に発生し、物理性を伴うと、現象世界では個性という物と物との差ができ、その個性的なものの連鎖によるネットワークが現象化として広がっていくのです。それが、宇宙の星々の仕組みであったり、地球の自然生態系の姿なのです。逆に、現象世界から潜象界へ還っていくと、すべてのものは極最小微粒子に還り、その世界には差がないので悟り(差取り)の世界になります。ですから、私たちがこちらへ生まれ出ると、差がある世界で生きることになり、個性を伴うのです。そこで真理への道を目指すものは、すべてを捨てて悟りの境地に至る、つまり向こうの世界(潜象世界)へ行くことを目指すのです。逆に、人間たちは自然界から人工という世界を創り、差がある世界を創っていく存在なのです。本来、人の目指すべき道は、この世界の仕組みの元(命のふるさと)へ還っていくこと、すなわち、すべての存在と自らの差を取ることであり、その差を取ることが、地球はひとつ、宇宙はひとつ、そしてその境地の至るところは、「すべては私自身」となるのです。

カタカムナを学術的に定義づけた楢崎皐月の流れを受けて、関川二郎がまとめた「潜象道シリーズ特集号・カタカムナ単音豆辞典」によると、単音の意味の最後に「濁音」についての記述があるのです!そこには、「濁音、半濁音は、濁っている、あるいは半分濁っているような状態の存在であり、濁点の付かないものは、そういう状態がないからである」と記述されているだけで、小文字については触れていないどころか、それ以上のことは書いてありません。つまり、彼はそこまでは探究したのでしょうが、彼の段階ではこれ以上手をつけることなく探究は終わっているのです。そこから察するに、カタカムナ文明の13000年前と時を同じくして存在していた日本最古の大鹿窪遺跡の上で今、私たちが暮らし、これを語り、その精神を生きているということは、私たちにその次を探究することが託されているということなのでしょう。

有史以来の人類には、地球上でカタカムナをベースにして生きているものはいませんでした。学問的にはその文明を少しひも解き始めましたが、ほとんどの人々は有史以来の記録することに基づく学習レベルになっているので、日常生活にその叡智を取り入れ、実践に落とすことはありませんでした。ところが、そういったことにまったく縁がなかった私たちのところにその叡智が訪れたのです。そして、カルマ読みが自らの精神構造の理解につながり、地球暦によって人生をひも解かれ、カタカムナを通して自らの精神が発している響きの素性を現象化として学ぶことになりました。ですから、ここはその霊的・地球的・宇宙的叡智を実践をもって学べるところなのです。それは、カルマに翻弄され、人としての本来の道を歩めない現代の人間たちを正しく導く道です。

今、世界中で人間のカルマが暴走していますからね。それこそ、カルマが暴走すると、事実無根のことまで真実になっていくのです。そして人間たちは過激に奪い合い、殺人を犯し、戦うのです。このようなおかしな世の中になってしまったのは、6500年前以降のことです。その前は上古代の時代であり、日本で言えば縄文前期ですから、人々は自然と共に調和して(群れて)生きていたのではないかと思われます。それは想像の世界ですけどね。

そういった意味で、リョウタくんがふと、「リョウ・リョウ・リョウ面談をしたい」と提案したことは、深いことを考えずにふと思いついたのでしょうが、僕はそれを受けて、「これはたいへん意味深いことで、地球の歴史上、このような探究がかつてあっただろうか」と想いを馳せたのです。「今までこのような解釈で人々が集ったことがあったのだろうか」と。

ようこ:
ないない!「リョウ」の集いなんてね(みんな、笑)。前人未到だよ♪

リョウチン:
楢崎皐月もこのような場は設けなかった(笑)。

いさどん:
彼は今頃、「やっとそこまで到達してくれたか!それは私のたどり着けなかった領域だ」と言っているかもしれません(笑)。そしてもうひとつ、楢崎皐月が行き切れなかったのは、性の探究なのです。それは、これから次の世代に伝えていくとして、少なくともここに「リョウ」が大量にこれだけ集ったのですからね(チーン♪)。

ですから、リョウタくんがなぜこの場を持つことを考えたのかを聞く前に、実は僕にとってはとても意義深いことを語れる場所なのだということを皆に伝えようと思ったのです。

ようこ:
今の話ですごく満足しちゃった(みんな、笑)!もう胸がいっぱいで(笑)、良い時間でした♪

いさどん:
いつものことながら事前にこういったことを話そうと思っていたわけではなく、まずは発起人のリョウタくんに話してもらわないといけないけれど、「それだけではいけない。なぜこの探究が可能なのかを伝えるべきだ」と思ったのです。僕は、ただ降りてくるものを皆さんに翻訳するように伝えるスピーカーですからね。そこには一切の駆け引きはありません。

ということで、リョウの代表である発起人のリョウタくんは、なぜこの場を持とうと思ったのですか?

リョウタくん:
そんなに深く考えてはいなかったんですけど・・・。

いさどん:
それはわかっていますよ(みんな、笑)。これから浅いところから深いところへ行くのですからね(笑)。

リョウタくん:
僕がケア滞在を始めた時、まず僕のサポーターがリョウチンということで、リョウ・リョウということで、何か縁があると思ったのが最初です。それで僕がケア滞在を始めた翌日にリョウくんが来て、そこにも何か縁を感じると思っていたら、その1ヶ月後にリョウタロウくんがケア滞在を始めることになり、やはり何かあるなと(みんな、笑)。

いさどん:
ここの自然療法プログラムの歴史は長いですが、こんなパターンは初めてですよ(笑)!今まで同時に9人の人がケア滞在していたこともありましたが、このケースは初めてです。

まっちゃん:
ケア滞在者同士でこのような場を持つこと自体、ないよね(笑)。

いさどん:
そうですね(笑)。これは、探究という意味では自然療法プログラムのレベルが一ランク進んだということですよ。

リョウタくん:
僕は、天のことはわからないですけれど、なにか縁があるのだから、この機会を逃すのはもったいないと思いました。僕もいつも個別には話すのですが、いさどんとリョウくん、いさどんとリョウタロウくんとの面談内容にすごく興味があって、いつか聞いてみたいと思っていたのですが、ケア滞在者にはそれぞれ機密事項のようなものがあるので、他のケア滞在者の面談を傍聴することはできないと聞いたので・・・。

いさどん:
個人情報というのは、あなたたちが世間一般の人だからですよ。木の花の中にいると個人情報という位置づけはないのです。あなたたちは世間の人なので、とりあえず世間並みに個人情報を守るということと、ケア滞在者はいろいろな意味でハンディを持っているわけです。そうすると、どちらかというと僕はプレッシャーをかける立場にいます。強いプレッシャーを与えると人はやる気を失いますが、ある程度プレッシャーをかけないと改善はされないのです。ですから、僕は軽いプレッシャーをかけ、その人が自分で動いていくように投げかけはするのですが、その時にケア滞在者がお互いに情報を交換すると、傷口をなめあって改善に向けて取り組まなくなることもあるのです。ですから、ケア滞在者同士にお互いの情報は行かないことになっています。これは、ケアの取り組みを進めていく上で重要なことです。

例えば、それぞれのケア滞在者には家族がいますよね。外の家族とやたらと連絡を取り合うようになると、この取り組みのガス抜きになってしまい、そこで外の家族が同情したりすると、ケアの取り組みが進まないことがあるのです。それは自業自得で、結果として自分で足を引っ張ることにもなるのです。ですから、ここでは軽いプレッシャーに対して自分と向き合い、超えていくことが必要だということです。ここでのケア滞在の説明になりましたね(みんな、笑)。

ですから、そのような情報交換はしないことになっています。

リョウタくん:
それで、この場はいさどんと他のケア滞在者とのやりとりを生で見られるチャンスだと思ったのと、小文字の特徴としては性格がひねくれていることが挙げられると聞きました。そこで、それぞれのひねくれ度を客観的に分析できてそれを伝えてくれるいさどんという存在がいるので、自分だけで解釈したら正直、「リョウくんやリョウタロウくんはひねくれているな」とは思うのですが、そこまでの分析はできていないのでそこを知りたいと思いました。

いさどん:
それについては、カルマ読みの定義と地球暦の定義、それからカタカムナの定義をマスターすると、「なるほど!」ということなのですが、今、僕はその話を聞きながら、今回集っているのはリョウ・リョウタ・リョウタロウですよね。そうすると、カルマ読みでいう一文字陰性・二文字陰性・三文字陽性の魂です。ですから、まるきり今回のために魂の見本として選んできたような組み合わせです!ある意味、今回は「リョウ」という魂の展示会のような場ですね(みんな、笑)♪

ようこ:
一文字・二文字・三文字と全種類揃えました!というような(笑)。

いさどん:
そうです(みんな、笑)。ただ、二文字には二文字陽性、二文字中性もいれば、三文字にも三文字陰性、三文字中性もいます。ですから、すべてとは言いませんが、代表的な事例であることは確かです。ですから、天はいたずらっぽいのか、私たちに世紀の探究をするように伝えているのでしょうか(笑)。

そして、それぞれの中に自らの情報を取り入れる準備が整ってきたので、今日の場があるのだと思います。

リョウタくんの中にはそれ以上の意図はないですか?

リョウタくん:
あとは、リョウチンがここでメンバーとして自分のひねくれを活かしているので、良い例として聞きたいと思っています。

いさどん:
活かさない頃は結構たいへんでしたよ(笑)。

リョウタくん:
そういう話も聞きたいです(笑)!

いさどん:
今日は、「リョウ」という音がひとつのテーマです。「リョウ」は「リョ」と「ウ」の音に分かれます。そうすると、「リョ」はひとつの音です。ところが、本来「リョ」は「リ」と「ヨ」の組み合わせですが、「ヨ」が小文字になることによってそれがひとつになってしまったのです。ここがポイントなのです!

カタカムナでいうと、「リ」という音には本体からの分離という意味があり、リという音を名前に持つ人は自意識が強い傾向があります。次に、「ヨ」という音には邪で横回転の動きという意味があり、ヨという音を名前に持つ人は頭の中でグルグルとたくさん考える傾向にあります。たくさん考えそれが横に回るということは、生産性や発展性という意味では悪い意味ではありません。地球で言えば、地軸の縦軸に対する横回転の動きを意味します。横回転することによって地球上で生命は発生するのですから、ヨは非常に重要なものではあるのですが、結局使い方を間違え軸がなければ、邪にあちらに行ったりこちらに行ったりと方向性が定まらないことになってしまいます。今回、そのヨが小文字になり「リョ」になっているということは、自意識過剰で根拠のないことに頭を回し、無駄な時間を過ごすという意味になりますね。

続いて、「ウ」という音は宇宙のウですから、高次の渦です。つまり、宇宙が整って高次元になると、渦になるのです。宇宙の原理はすべて渦ですからね。私たちの体のつむじや指紋などを見ても渦でできていますし、細胞も渦ですし、惑星が宇宙を旅するのもすべて渦なのです。すべて、螺旋を描きながら動いていきますからね。そうすると、宇宙が発展するという意味では、ウは非常に重要なことなのです。ウはすべての現象が生まれるところですからね。

つまり、「リョウ」の意味を紐解くと、分離して自意識が強く(リ)、邪な心(ヨ)が生まれ続ける(ウ)という状態なのです。この人格は、相当たちが悪いですよ(みんな、笑)!それで方向性が定まらないのですからね。

リョウというのはそれだけです。それが「リョウタ」になると、「タ」という音も分離・独立を意味するのです!ですから、「僕が・僕が」と主張する心になるのです。ただでさえ、リョウで自意識過剰になり、さらに「僕が・僕が」となるのですからね(笑)。もともと、リョウという定まらない心を持っていますから、そこにタという響きを持つと余計に自意識が刺激され、やっかいですね。

それが「リョウタロウ」になると、「ロ」という音は中空状のものを意味します。中空状のものというのは、簡単に言えばそれが何だかわからないもののことなのです。つまり、リョウタロウは分離・独立し自意識過剰になって(リ・タ)、邪(ヨ)に回り続けながら(ウ)、なんだかわからない状態で(ロ)、さらに渦(ウ)を発生させるのですから、ウズウズと奇妙な思考を常に回すという状態です。ですから、ある意味使い方を間違えると、化け物ということです(みんな、笑)。不可思議なものを連想するということですね。ただ、リョウという響きは使い方を変えると、今までにないもの・正攻法とは違うユニークな可能性を探求するものにもなれるのです。

リョウタロウくん:
はい(笑)。

いさどん:
例えばリョウくんの日記の中には、「僕は環境に影響される」とよく書かれていますが、それは経験からの判断ですね。実際、そうなのですよ!あなたは環境によってコロコロ変わるタイプなのです。ですから、どのようにして自分に縦軸を立てるかということが、あなたにとっては大切なことですね。特に、あなたは一文字陰性ですから、他者に依存しやすいタイプです。ただ、他者に依存するわりには、自己主張する傾向もあり、扱いにくい人ですね。

リョウタくんの場合は、自分がいかに自分流であるのか、つまり自負心が強い人ですね。しかし、客観的視点がなく、常に主観的に物事を判断していることを知ることがポイントです。自意識過剰で二文字陰性だと、常に受け身で被害妄想のような精神状態にありながら、自己主張の強い人になります。このような分析をすれば、本人の人生経験を聞かなくても、音だけでその人の人格はわかるのです。

それがリョウタロウくんになると、あなたは陽性ですね。それに三文字ですから、思考が複雑になります。複雑に巧みに考え、自分の考えも伝えながら、相手の発想も聞いて、それを自分にとってどのように有利にし、相手を負かすためにはどうしたらいいだろう?と企んでいきます。その内容が中空状の意味不明なものがベースとなって展開されることになります。

このように分析していくと、人の人格は面白いと思いませんか(笑)?

リョウタくん:
面白いですね!

いさどん:
カルマ読みと地球暦とカタカムナをもって、ここでは「三種の神器」と呼んでいますが、この三つの手法があれば、人間の分析は可能になります。

さらに、今日はリョウタくんのサポーターであるリョウチンも来ています!リョウくんもリョウタくんもリョウタロウくんの名前も、漢字は素直に読めます。ところが、リョウチンの本名はリョウスケというのですが、嶺佐という漢字を使うものですから、フリガナをふらないと誰も読めないですよ。読む人もいるかもしれませんが、その人はよっぽどへそ曲がりですよ♪

リョウチン:
いないです。0ですね(笑)。

いさどん:
嶺佐でリョウスケと読むのですからね。漢字の研究家なら読むかもしれませんがね。そうすると、彼には独特の世界観があり、もしかしてたちが悪いところもあるのかもしれませんよ(リョウチン、苦笑)。

そこで今日、リョウタくんからの「リョウ・リョウ・リョウ面談をしたい」という極めて控えめな発想からこの場ができたのですが、ここではなぜこのような分析が可能なのかという話から、その体系化の立役者である僕が皆のことを今、軽く分析しました。

さて、ここで皆さんに質問があります。まず、リョウくん。あなたは19年「リョウ」を生きてきて、今、ここで自然療法プログラムを受け、リョウのツケを修正しながら、今後正しい「リョウ道」を生きるという段階に至っています。それは、ポジティブにリョウを生きるということです。そこで、今までのリョウ人生を振り返ってみるとどうだったですか?

リョウくん:
いさどんに言われた通り、本当に意味不明のことをぐるぐる頭で回して、軸がなく生きてきたと思います。

いさどん:
そうすると、今までの経験がよみがえってきませんか(笑)?「あそこでもこうだった、ここでもこうだった」と(笑)。

リョウくん:
はい(笑)。だから、冷静な意見がずっと欲しいと思っていました。

いさどん:
冷静というのは、自分からちょっと外に出てみて、いろいろな出来事も合わせながら全体像を理解することです。それはカルマ読みで言うと、全体の陰陽度の中で己の位置を知り、「だから今、自分はこのような状態になっているのだ」と気付くと、それは冷静な分析の基本になります。しかも、それはここでしかない分析なのですよ!そうすると、これからの方針としてはどうですか?

リョウくん:
リョウの自意識過剰に(リ)邪に(ヨ)回る(ウ)ものをどう活かそうかなということを今、思っています。

いさどん:
それは活かせるのですよ。ただ、今までの経験の延長線上では同じことの繰り返しになりますから、新たな発想をいかに積み重ねていくかがポイントです。振り返ってみると、結構ダイナミックなリョウ人生だったということですね(笑)。

リョウくん:
はい(笑)。

いさどん:
今までは、自分の人生に対して印象が悪かったですよね?

リョウくん:
悪かったです。

いさどん:
それが方向性を変えると、「いいじゃん!これは悪くない!」と思えるようになるのですよ(リョウくん、ピースサイン)!

次に、リョウタくん。一文字・二文字・三文字の真ん中がこの場を提案するというのは、バランスが取れていていいですね。

ようこ:
リョウタくんは、30年リョウと付き合ってきているしね(笑)!

リョウタくん:
やっぱり、すごく苦しかったです(みんな、笑)!!同じことをもう一回やれと言われても、絶対やりたくないです!

いさどん:
でも、ほっておくと、後の30年もまた同じことをやりそうですよ(笑)。

リョウタくん:
そうです!だから、ここで食い止めないと、ということは考えています。今日も、なぜ自分がここにたどり着いたのかを考えていました。一番は、僕が被害妄想で、何でも相手のせいにしてきて、自分にメスを入れずにきたからだと思いました。何かあると他人のせいにすることが一番楽な方法だと思って、そうしてきたのです。自分にメスを入れるということは、30年間ほぼしてこなかったので・・・。

いさどん:
その目線がなかったのです。

リョウタくん:
そうですね。

いさどん:
やろうとしても、その発想自体がなかったので、どうしようもなかったということでしょうね。

リョウタくん:
そうです。正直、あと10年早く木の花と出会えていたら・・・。

いさどん:
実はそうなんですよ!20歳というのはある意味、ビフォー&アフターでいうビフォーなのです。子どもから大人になる段階ですから、いよいよ実践へと移るビフォーなのです。しかし、その関係では30歳というのはアフターですからね。

リョウタくん:
今までは自分を出すことが大切だと思ってきたのですが、その出すことでどんどん行き詰まっていきました。他人のことを考えて行動したほうが労力はかかると思っていたのですが、結局そちらのほうが楽で・・・このカラクリが全く見えていませんでした。おそらく、ここに出会っていなければ、ずっと・・・。

いさどん:
これから30歳を超えていくと、次に40歳、50歳の節目はありますが、たいてい60歳までそのままで行ってしまうものですよ。

リョウタくん:
・・・もっと前にここに出会えなかったことは、惜しいと言えば惜しいですが、今はここで出会ったことをポジティブにどう活かすかが大事だと思っています。

いさどん:
今までのことを、「辛かったなあ!」とか「大変だったなあ!」と思えば思うほど、それは逆のエネルギーとして使えるのです。それを「くそ!こんちくしょう!」と思えば、それもエネルギーの消費としては同じですが、「そうか!あれは学習期間だったのだ!」と気付き、エネルギーを逆の方向へもっていけば、そのエネルギーはポジティブに使えるようになるのです。世の中にはあなたと同じように、自分自身の活かし方を間違えている人はたくさんいます。ですから、あなたが過去の経験をポジティブに活かしていければ、将来同じような境遇の人に出会った時、「わかる!実は僕も同じような状況にいたんだよ。でもね、こんな発想も反対側に潜んでいるんだよ!」と奥にあることを伝えられる人にもなれるのです。それは、自分のために生きていた人が人のために生きる価値ある人生のスタートです。それから、独りよがりだった人が、人と共有できるようになります。そうすると、人生はさらに広がり、豊かになっていきます。これは大きなスケールの話ですけれどね。

リョウタくん:
そうなれるように精進いたします!

いさどん:
今回のリョウ・リョウ・リョウの人たちの中で、例えばリョウタロウくんはパワーがあります。逆に、リョウくんのようにパワーがない人というのは、ある意味おぼれているような状態です。ですから、何か縄でも投げて引き上げてあげればいいのですし、リョウタくんのように自意識が強ければ、その自意識が自分をどれほど傷つけているのかを客観的に伝えてあげればいいのです。それは、冷静になればわかることですからね。しかし、リョウタロウくんのようにパワーがあると、「俺がやってやるぞ!!」という心になり、まずはそのパワーを消さないといけないので、水をかけないといけないのです。ある意味、それは火がついている状態ですからね。

3人がそれぞれケア滞在をスタートさせた時には、リョウタロウくんのケースが一番難しいと思っていました。しかし実は、パワーがあると方向が変われば、自分で自分を改善させるエネルギーも持ち合わせているのです。ですから、当初の印象としては一番難しいと思ったのですが、意外とひとりで立ち直ってきているリョウタロウくんはどうですか(笑)?

リョウタロウくん:
はあ・・・ありがとうございます(みんな、笑)。

いさどん:
あなたは20歳なのに、ここで一番ふけていますよ(みんな、笑)。リョウくん、リョウタくん、リョウタロウくんと20歳、30歳、40歳という感じですよ(みんな、笑)。ところで、あなたは霊的には魔界の破壊魔のようなところがありますね(笑)。

リョウタロウくん:
ええ、まあ(みんな、笑)。

いさどん:
どちらかというと、自分はそういう存在というような自負心がありませんか(笑)?

リョウタロウくん:
自負心というか、まあ、自意識はありますね(笑)。

いさどん:
ありますよね(笑)。それで心地が良ければ、それはそれでやっていけばいいのですよ。

リョウタロウくん:
ええ(笑)。

いさどん:
ただし、いずれそのようなものは奈落の底に落ちるのですよ(笑)。

リョウタロウくん:
まあ、中毒ですね(笑)。

いさどん:
ハッハッハ。中毒!客観的に自分のことを捉えていますね(笑)。

リョウタロウくん:
麻薬中毒のような感じです。

いさどん:
ですから、ゲームに熱中している人がそろそろゲームを卒業して、その情熱を他のことに活かすという意味では、あなたのその情熱を別のところに活かす段階には来ていると思うのです。

リョウタロウくん:
・・・そうなんでしょうね。

いさどん:
それで、今まで魔界の景色をずっと見てきたものとして、人生を振り返ってみて感想はどうですか?

リョウタロウくん:
魔界って中毒性があるなと思います。

いさどん:
いつ頃から魔界に入っていたのですか(笑)?

リョウタロウくん:
そうですね・・・いつ頃からかな・・・中学生の頃ですね。中学生の時、僕はこういうことを考えていたのです。自分の意識と無意識とを分離させて、無意識では徹底的に利己的になり、他人を殺してでも、不幸に追い込んででも、自分の利益を求める。そして表層意識の自分の表面の心のほうではそうではない。徹底的に善良である。徹底的に善良であって、誰も自分のことを責められない。

いさどん:
責められないのに、内面的には極めて悪質なものであるということですね(笑)。

リョウタロウくん:
そして、表層意識と無意識とに分離させることによって、何が可能になるのかというと、一人二役が可能になるんですよ(みんな、苦笑)。無意識の自分で気付かない意識のほうでは、それは徹底的に利己的に地球や宇宙を大魔界に変えていく(みんな、爆笑)!

いさどん:
ハッハッハ!このパワーはすごいでしょう(笑)?

リョウタロウくん:
それでも自分の利益を求める。しかし、表層意識は表層意識である。無意識とは違う。表層意識では心の底から善良であり、他人のために気遣い、想い入れがある。

ようこ:
リョウくんにはまったく別世界の思考だから理解できないでしょう(みんな、笑)?

リョウくん:
これはどこの次元なんだ(笑)!

リョウタロウくん:
そうすることによって、他人が誰も僕のことを責めることはできない。決して悪者にはできない。むしろ、善良である。加害者には決してなりえないし、常に被害者である。正義の側である。しかしながら、実際の行動は・・・

いさどん:
邪悪なもので、悪人である(みんな、笑)!

リョウタロウくん:
実際の行動は、自分の利益を徹底的に求める(みんな、爆笑)。

数名の人たち:
すごい(笑)!

いさどん:
本当にすごいですよ(笑)!リョウタロウくんの最初の日記には、今話したようなことがずっと綴ってありましたからね。それは、物語を綴って本にでもしたら、売れるかもしれませんよ(笑)。そして、共鳴する人がたくさん出てくる可能性もあります。

これは人間の可能性なのですよ。ですから、リョウ・リョウタ・リョウタロウと、リョウという音で始まった人間の可能性がこれほどあるということです。

リョウチン:
今のリョウタロウくんの思考はすごいなあ!本当に幅広い(笑)。

いさどん:
リョウタロウくんに話しをさせると、いくらでも話しますよ(みんな、笑)。彼は陽性ですから、うつろなもの(ロ)がどんどん拡大していって、それこそ地球を支配するまでいくのです。彼から宇宙の話まで出てきますからね(笑)。ですから、彼はある意味極めて素直に育ったということです。例えば、彼が子どもの頃にこの状態をもっていたとしたら、簡単に言うとこの状態は統合失調症です。思考が分離しているのですからね。お医者さんへ行けば、完全に統合失調症として診断され、薬を処方されて、それこそ親が押さえつけようと思って彼が暴れたら、措置入院させられる形になるわけです。

ですから、あなたの場合、内にある秘められた部分をそのまま暴発させると、今のような世界へ行くのです。ある意味、とても独創的で、素直に自分を表現しています。しかし、あなたは生身の人間であって、現実には魔界にいるわけではないのですから、そこを正しく認識することが必要です。それともうひとつ、その部分を今のような雰囲気で語ったら、皆にウケましたね(笑)。

リョウタロウくん:
ウケましたね(みんな、笑)。

いさどん:
ですから、それは使い方によっては、社会にも還元できるということです。これからはその道を考えたらどうですか(みんな、笑)?今、あなたがはまっているインターネットの2ちゃんねるサイトのように、バーチャルな世界で似たもの同士が傷をなめあったり、攻撃し合っていても発展的ではありませんね。そこで、正常な人にこれを発想の転換として提供したら、とても面白い活かし方になります。今はトランプさんがアメリカの大統領になる時代ですからね。これからはユニークな人たちが活躍する時代です。

ようこ:
主観が強いリョウタくんにとっても、「とても僕の主観だけでは、この世界は図れない!」ということがわかってよかったんじゃない(みんな、笑)?

リョウタくん:
この世界は広い、広い(笑)!

いさどん:
世界は広いのと、彼にはパワーがあります。

リョウタくんに:
僕にはパワーがないですね(笑)。

いさどん:
ハッハッハ。今、裏付けとして皆に本音を語ってもらいましたが、それをすべて分析できるツールを確立した人がこの世界にいるのですよ(笑)!それは誰ですか(みんな、笑)??

だからこそ、僕はこの探究の道を真面目に生きています。このように、まったく別の視点から人のあり方や生きる方向性を示し、行き詰まった人たちの人生をひも解き、豊かにすることは可能なのです。それは、エネルギーの方向を変えるだけですからね。それが、本来、人が生まれてきた目的のあり方だと思うのです。自分の自我や癖・性分に翻弄されるのではなく、それを理解し、存分に使いきってエンジョイすることができるのですよ♪皆さんは今までの人生を振り返ってみれば悪い印象だったかもしれませんが、方向性を正していけば、良い印象で人生の終わりを迎えることもできるのです。

僕がよく人に伝えることですが、人は誰でもいずれ死ぬのです。一番肝心なことは、生きたことに対して生が終わる最期の時に過去を振り返り、「自分の人生は良い人生だった!」という位置に立てるかどうか。それが最も重要なのです。そのためには自らを活かすことが必要です。活かしていなければ、悪い印象のままで人生が終わってしまいますからね。そうすると、次の人生のテーマも魔界地獄へ行かないといけません(みんな、笑)。

ここで、リョウタくんのサポーターであるリョウチンに質問します。極めて解読不能なリョウチンがトリですが(笑)、今まで35年生きてきてどうですか?リョウチンの地球暦を観ると、何も対策を打たなければ、この人の人生は豊かではありませんね(笑)。

リョウちん:
そうですね(笑)。25歳でここに来たので、そういう意味では行き詰まるのが早かったですね。

いさどん:
そうですね。ですから、重症にならずにここに来たので、今、役に立つ人になっていますね。まず、地球暦にはいろいろなパターンがありますが、リョウチンの地球暦は貧弱です。リョウチンは無意識にこれをどこかで感じていたのでしょう。そして、「社会人として少しの経験を経て痛い思いをしたら、即、木の花に行きなさい」という天からの指令があったのだろうと思います。

リョウちん:
探し始めるのは早かったですね。自分が変わりものであることはそれほど自分で分析できているわけではないのですが、ただ、小文字に関しては誰もが思うように、面倒くさいは面倒くさいですし、いろいろと手間がかかるとは思います。

いさどん:
今、その言葉を言えるということは、自分自身を調整しながら生きているということです。

リョウちん:
その面倒くささを超えた時には、緻密さや幅の広さとして良い形で活かされているので、あきらめずに粘り強く、面倒くささを超えていくことが希望だと思っています。それは濁点・小文字のどちらに限らず言えることだと思うのですが、そういう濁りやねじれは可能性として活かせるものでもあり、問題点でもあると思っています。

いさどん:
例えば暗がりで物音がしたら「泥棒だろうか?」と思ったり、物事の実体がわからなければ恐怖を感じることもありますね。ところがそこで、「ニャーオ」と鳴けば、「なんだ、タマじゃないか!」と安心します。このように、不明なものは恐怖にもなるのですが、それを冷静に観て、その正体が明らかになってくると、見えないものを見る希望につながるのです。

それがリョウタロウくんのように、見えないものを想像して拡大していくという希望になると、魔界が広がっていくからダメですよ(みんな、笑)!しゅうくん、ウケすぎですよ(笑)。

しゅうくん:
リョウタロウくんがなんだか嬉しそうだから(笑)。

いさどん:
ですから、何でも使い方次第なのです。誰でも、最初は自分を観ることが嫌だったり、恐怖だったり、人からケチをつけられているように感じることがあるものです。しかし、自分で自分を冷静に観ると、その癖や性分の実体は馬鹿馬鹿しくて滑稽なことがわかってきますからね(笑)。自分のことを笑えるようになると、希望につながります。それはなぜかというと、改善される自分がイメージできてくるからです。

リョウチンにはリョウチン独特のワールドがあり、例えばリョウチンは面を彫ります。富士浅間木の花祭りの榊鬼の面は、0からリョウチンがつくったのです。確かに、世の中には面を彫る人はたくさんいますが、ここ独特の祭りに対する精神性を反映させるという意味では、外の人に頼んだら、我々の注文どおりには絶対になりませんからね。リョウチンが面を彫り、ポイントのところでは「ここはこうだぞ」「あそこはこうだぞ」と僕の直観を伝え、面に魂を入れながら、パートナーシップで出来上がったものなのですよ。でも、途中でリョウチンは、「僕はそうはやりたくない!」という心が出てきたものですから、「これはあなたがつくりたいものをつくるということではなく、ここの榊鬼はこういうものなのです」と伝えながら、このように仕上がっていったのです。

ようこ:
面づくりのプロセスにもリョウチンのねじれの癖が現れて、修行の日々だったね(笑)。

リョウちん:
これは一年半かけてつくりましたが、自分でもよくやったと思います。

いさどん:
リョウチン、次が待っていますからね(みんな、笑)。

ようこ:
これは「リョウ」が活かされた例だね。

いさどん:
そうですね。この榊鬼は魔界の主ですが、魔に落ちてくるものを清浄にして、人間界に送り返す存在なのです。

リョウちん:
裁く閻魔ですね。

いさどん:
そうです。

リョウちん:
自分で言うのも何ですが、僕はなにかしらの素質は持っていると自分では思うのです。ただ、それを発揮しきれない部分も自分にはあって、あの面ができたのは結局ここのバックアップがあって、皆のエネルギーによって支えられたから出来たのです。ひとりでは、あれだけの時間をかけてあれだけのものは絶対つくれません。

いさどん:
もっとあなたにしか理解できないものをつくったりしていたかもしれませんよ(笑)。

リョウちん:
おそらく、そのように行くでしょうね(笑)。だから、自分ひとりでは表現しきれないものを出していくことが、僕にとってのひとつの課題だとは思っています。僕は陰性で受け身なところがありますしね。

いさどん:
今、ここに皆の地球暦がありますが、これはその人の精神性と社会性を示すものです。例えば、リョウタくんの地球暦は全体に惑星が配置されていますね。それに比べてリョウチンの地球暦は、全体の4分の1のところにほとんどの惑星が配置されていて、それ以外のところにある水星は破線になっています。そうすると、リョウチンの場合、この特定のところでだけしか生きられないという捉え方も出来ますが、逆に「この分野なら任してください!」ということでもあるのです。

例えば、「妄想するなら僕に任せてください」とか(みんな、笑)。リョウタロウくんの地球暦を観ると、正常の思考ラインと妄想ラインが分かれているのです。ですから、先程のリョウタロウくんの話がそのままこの地球暦に現れていますね。

そこで、それぞれの個性を活かすためには――、(いさどんはすべての地球暦を重ねて)このようにすべてを合わせると、すべてに惑星が配置されるのです!これが「群れる」ということです。そういった意味では、昔、生きることが厳しかった時代には、人々は群れて暮らしていましたから、「危険を察知するのは私に任せて!」とか、「獲物を捕るのは僕に任せて!」と生きていました。ところが、現代の人々は自我が強くなってしまい、「俺が、俺が」と個がバラバラになってしまった結果、それぞれがその人のエリアに囚われて生きるようになってしまいました。現代社会はものは豊かで、人間関係は複雑ですが、一人ひとりはとても孤独で生きています。

そういった意味で、これからの時代は群れの中で生きると、リョウチンのような個性が活かされるということです。リョウタくんの地球暦を観ると、全体に惑星が配置されていますので、それは全体にアンテナを張っていてバランスが良いように見えます。しかし、実はその精度は低いのです。そのことがわからなければ、興味本位で関心があちらこちらに移ってしまい、定まらない人生の意味がわからないで終わってしまうことにもなります。

そこで、21世紀は、「いかに群れるのか」ということが人類のテーマです。1760年のヨーロッパ産業革命からイギリスが台頭し、その流れを受けて今はアメリカが世界のリーダーになっていますが、それは結局個人主義の台頭でもありました。ですから、ひとりでは使いきれないような富を持っている人もいれば、その結果今日一日ご飯を食べることができない人々がいたり、中には餓死するような人たちも地球上に現れてきたのです。それを解決するためには、個人主義という価値観から全体主義という生き方に人類は転換する時を迎えているのです。なぜなら、我々は全体主義の中で生かされているのですからね。

皆さん、良いところに来ましたね(みんな、拍手)!

ようこ:
カタカムナ人が群れて生きていた時、天気を感じる人、食べ物がどこにあるのかを感知する人、危険が来たら察知する人とそれぞれ別のセンサーを持って役割を果たし、全体の群れを維持していたという話をいさどんはよくするけれど、その人それぞれの得意分野があって群れて生きれば、一人ひとりが自己完結して皆がオールマイティになる必要はないね。

いさどん:
例えば動物の世界では、トドでもシマウマでも群れて生きていますよね。その中で皆で危険を察知し、交代で見張りをしながら、安心してエサを食べています。しかし、そのような勘が鈍ったものは群れの中では不要となり、廃棄するために他の獣がいて、それを捕って食べてくれる結果、群れの中に足手まといのものがない状態になるのです。つまり、群れ自体が常に健康な状態で維持されることになるのです。

ところが、人間は動物のように廃棄されなくても、智慧を使っていつまでもピンピンと元気に役に立ち、寿命を迎えたらコロリと潔く逝くことができるのですよ!その「ピンピンコロリ」の精神が、木の花ファミリーが設立された本来の目的なのです。世界に新たな秩序をもたらし、本物の豊かさを提案する――。

その時に、魔界の話はぜひ講座でやってもらいたいですね(みんな、笑)。もしくは木の花劇団でやってもらいたい(笑)。

ようこ:
この「リョウ・リョウ・リョウ物語」を劇団のシナリオにしたら、結構面白いよ(みんな、笑)。

いさどん:
ということで、それぞれが今までの人生を振り返ってみて、今まで自分自身が自分を混乱させ、傷つけてきたり、被害的な意識に立ちながら、実は自分が加害者であったことが観えてきたかと思います。ちょうど今、縁あって名前に「リョウ」がつく人が集い、改めて人生を振り返ってみて、今後の方向性が漠然とながら観えてきたことかと思います。あくまでも、今日は「リョウ」にこだわってこの場を終わりたいと思いますがいかがでしょうか(皆、大拍手!!)

リョウタくん:
面白かったです!

いさどん:
面白いということも言えますが、僕がいつも思うのは人間というのは本当に奇妙な生き物だということです。それは不可思議だということも言えますが、本当に傑作であるとも言えるのです。「リョウ」だけでも、これだけの量のバラエティに富んだ話題になるのですから(チーン♪)、人類すべてを合わせてみたらどうなるのか想像してみて下さい!ブッダかキリストかムハンマドかというものがいたり、中にはヒトラーやキム・ジョンウンのようなものもいるのです。トランプもいますよ!さらに、その一角にいさどんのような人もいるのですよ(みんな、笑)!!本当に奇妙な生き物です。このぐらい多様性ある生き物は他にいません。

ですから、その人の存在の仕組みを知れば、我々はどんな境地にも立てるのです。しかし、無限なる可能性を持つ人類が自我に囚われ、自分が見えている世界を絶対視しているようなことでは、新たな世界は生まれてきません。人類の内側には、まだ無限なる可能性が眠っているのです。

ですから、魔界の発想を凡人にも理解できるように解読して楽しませてくれたら、ウケると思いますよ(みんな、笑)♪こんなにおどろおどろしい人が皆の笑いを取っているのですからね。リョウタロウくんが初めてここに来た時には完全に統合失調症でしたが、最初の面談の最中に既に彼の奥に正常さが観えてきましたからね。通常であれば、当初の彼の状態は「ここでの滞在は無理ですね」とお断りする段階でしたが、今はこうやって自分自身と向き合い改めることに取り組めています。ということで、これにて本日の「リョウ・リョウ・リョウの集い」を終了します。これがあまりにも良かったからまたやりたい!ということでリクエストをいただければ、検討いたします♪

皆:
ありがとうございました!!

 

 


人類史上初の「リョウ」の集いにようこそ! ~PART1:星のサイクルに則って始まったケア物語~

30歳のリョウタくんが初めて木の花ファミリーを訪れたのは、2017年初夏のことでした。15年以上、慢性疲労や倦怠感、うつ病、不眠症、対人恐怖症に苦しんできたリョウタくんは、一日の大半をベッドで寝て過ごすような日々を送ってきました。どこの病院で検査しても「異常なし」という結果をもらい、抗うつ剤も効かず、人生に絶望していたリョウタくんは、心身の健全を取り戻したいということでいさどんの面談を受けました。その際いさどんはこう伝えました。

「今のあなたは行き着くところまで行っています。つまり、予定通りのコースを歩んでいるということです。たとえば、癌の人がいるとしますね。それは西洋医学的に言えば、癌の症状が出ているということですが、そのような症状が出る前にそこに至るまでの未病の段階を経て、病気の段階に来ているのです。未病の段階から病気の状態になったときに、即座に気付けば、これは軽症のうちに改善され、また病気ではない段階に戻れるのですが、未病の段階から病気の段階になっても、そのことがなかなか理解できない人が多いのです。しかし、それは自分の中で起きたことですから、本来、医者が治すことではありません。自分の中で起きたことですから、そのプロセスを逆に踏んでいけば、元の状態に戻れるのです。それをやらない限り、どんなにお医者さんに治療してもらったところで、その改善を遅らせるか、もしくは治らないようにしてしまうのです。しかし、本人は病気の状態ではいたくないので、口では『治りたい』と言うのです。その場合、その人はお医者さんが治していく過程を台無しにしていることもあるのです。

そこで、客観的視点で自分の健康状態を観えている人は、未病の状態になるとすでにそこで不自然を感じます。客観的視点があれば、常に自らの姿勢を振り返ることができ、その異常を改めれば未病で終わるのです。それで健康な状態が維持できるのです。ところが、未病の状態のときに不自然だと感じない人は、その未病の状態がある意味その人らしいということになるのです。たとえば、被害妄想的であったり、自己中心的であることはその人らしい人格となるのです。そういった場合、そのような人は人間関係も上手く行かなければ、ある意味病気にもなります。

たとえば、あなたの両親が僕と知り合いだったとして、あなたが生まれたときに『赤ちゃんが生まれましたので、このような名前をつけようと思うのです』と言ってきたとします。そのときでも、僕はあなたの親がつけようとしている名前を観て、今あなたに伝えている心の分析と同じ話をするでしょう。つまり、あなたがここにいなくても、僕は同じことを伝えることになります。それであなたは30年間生きてきて今、その状態に至っています。ですから、これは約束どおり行き着くところに来たということです。僕のように物事を情報として冷静に観る人間からすれば、皮肉なことに、今のあなたの人生は順調に進んでいるということになるのです。

誰にでも人生には節目があります。宇宙的には30歳は節目のひとつです。あなたは今年の1月で30歳になりましたね。地球は一年に一回太陽のまわりをまわります。土星は30年で太陽のまわりを一周します。つまり、あなたが生まれたときに土星からもらっていた使命は、30年で一回リセットするのです。これはどのようなリセットなのかというと、あなたが何者であるのかをわかるための経験として、30年間の人生が与えられたのです。今、僕はあなたに、あなたが何者であるのかを分析し、あなたは行き着くところに来ていますと伝えましたね。しかし、今のあなたは30歳になって半年が経った今も、30年間の体験を次につなげないでいるのです。人の人生の節目は、30年間で自分が何者であるのかを知り、それに基づいて次の30年間を生き、60歳からは人生を振り返り終末の段階に入るのです。

あなたは30歳になってから半年を経て、今までの経験が印象の悪いものであったことから、その状況から脱することを願っていました。そこから危機的な状況に陥り、ここへ救いを求めて来ました。病気は気が病むと書きますから、ある意味心のボタンの掛け違いのようなものです。ですから、交通事故でも、人間関係のトラブルでも、わたしたちが出会う様々なトラブルはすべて自らが招いているとも言えるのです。そこで、視点を変え、自らの性質が発する響きを健全に変えさえすれば、自ずと人は健康になるのです。その場合、目から鱗が落ち、目線が変わったときに、人は目が覚める、つまり目覚めるのです。」

そして、この面談を受けた日からケア滞在をスタートさせたリョウタくん。早速いさどんから日記を書くことが課題として与えられ、その日の日記には次のように書かれていました。

「いさどんとの初対話。ズバズバ的確なことを言われて、『あっ、この人自分のことわかってる!』と嬉しくなった。『行き着くところに行っている』『予定通りの人生を歩んでいる』と言われて驚いたが、妙な安心感も覚えた。被害妄想のへそ曲がりとはまさにその通りだと思って笑ってしまった。自分にメスを入れることへの恐怖や、本当に変われるのかという不安も強いが、せっかくこのように只者ではないいさどんと出会ったので、この幸運を喜び、ラストチャンスのつもりで挑戦していきたい。」

そして1週間面談の際には、いさどんから次のように伝えられました。「1週間あなたの日記を読ませてもらいましたが、あなたはとても正直ですね!実は、僕は今日のこの面談をとても楽しみにしていたのですよ。」それを聞いたリョウタくんは、「僕もです!いろいろと指摘してくれて、毎回客観的な視点で正しいことを強制してくれるので(笑)」と答えました。いさどんは次のように続けました。

「僕にとって非常に楽なのは、あなたは常にワンパターンだからです。ひねって物事を観るところがとても安定しています。だから、正直に書いてあるので、とても信用できるのです。それがネガティブであろうと何であろうと、人が成長していくときに必要なことは正直であることです。印象が悪いことでも正直に出せば、まわりからクレームが来ますよね。そうすると、自分に選択肢が求められ、人との関係を築いていこうと思ったならばどうしたらいいのか。もしくは自分を主張したければその結果どうなるのか、という選択肢を迫られるのです。

しかし本来、人間は群れて生きる生き物です。そうすると、他者を無視しては生きていけないようになっているのです。この世界では、自己中心的に生きたら問題事が発生するようになっています。それを正しく順を追って、自分の前に起きた出来事をずっとさかのぼっていくと、必ず自己中心的な心がそこにはあるのです。ところが、たいていの人は不調和が起きたら『自分は運が悪いのだ』と思ったり、人のせいにするのです。しかし、その不調和に出会った自分がいるということは、そこで出会うプロセスを踏んできたのです。ひとつひとつの出来事の原因を確実に自らの内側に求めていけば、必ず自己中心的な心があります。それは自分の考えだけで進み、他者を無視する心です。人間は賢いので、自分に対して言い訳しながら生きているのですが、そんなわたしたちにこの世界や宇宙は本質に何があるのかを出来事を通して教えてくれているのです。

『自分の未熟さや身勝手を教えてくれているためにこのことが起きている。ありがたい』という心が芽生えれば、この世界はすべて愛であることに気が付くことでしょう。

あなたが今の社会に馴染めないことも、その行き詰まりからここの生き方に出会い、自分自身の中に問題の種があると気付いたならば、そこから自分自身を探究していく道が開かれていくのです。問題があったことによって、一般社会の価値観に馴染めず、もっと大事なものを探究するという道が与えられたのです。それを究めた暁に人生を振り返ったときに、挫折したことのありがたみが感じられるのです。問題事は人生を生きて行く上での応援歌ですからね。それをいかに有効に学習するかどうかが、人生の勝利者になるかのポイントです。

あなたがケア滞在を始めた3日後にケア滞在をスタートさせたリョウくんは、あなたととても心の性質が似ています。彼もあなたもひねくれ者です。皆でひねくれ面談をしたら面白いですよ♪あなたも彼もとても自己主張が強いのですが、あなたは30歳で、リョウくんはもうじき20歳になるところです。先日彼に、『あなたは宇宙の星のメッセージに則ってここに来ましたね』と伝えました。

以前もあなたに話しましたが、30年というのは土星の周期です。太陽系の中でもっともエネルギーの強い星は土星と木星であり、土星は30年で太陽のまわりを1周し、木星は12年で太陽のまわりを1周します。そして、土星の30年の周期が2周しても、木星の12年の周期が5周しても60年になるのです。12×5、30×2のどちらも60になりますから、あなたが生まれたときの土星と木星の位置は60年後にまた同じ位置に戻るのです。面白いことに、木星と土星は約10年ごとに結び(惑星同士が太陽の片側で同一線上にあること)と開き(惑星同士が太陽をはさんで同一線上に並び対話すること)の関係を繰り返していきます。そうして下向きの三角形と上向きの三角形をつくり、60年で六芒星を完成させるのです。生まれてきたことが人生最大の節目で、その間に10年ごとの節目があるとしたならば、20歳のときにこういったことに取り組むということは、星周りからしたらとても良いタイミングなのです。

それで彼には、あなたのことをこう伝えました。『あなたがここに来た前日に30歳の人が来てケア滞在を始めました。あなたからすると10年先を行っていますね。30歳になると、一通りの人生経験をした結果これからどうするのかという話になるのですが、20歳ではまだ自分自身を十分に経験していない段階です。それはこれから大人の領域に入り、これから人生を経験していくということですからね。』それで彼の人格を僕が分析していくと、特にお母さんがとても感動され、『わたしの面談もお願いします!』と言われるものですから、『また後日その時間を持ちましょう』と伝えたのですが、『あなたの息子さんは20歳のタイミングで取り組まなければ、次の取り組みのタイミングは10年先になりますね』と彼のお母さんに伝えたのです。それで自分流にあと10年生き、こりごりすれば、30歳のときに彼はここにやってくることでしょう。

このように、彼とあなたはちょうどビフォー&アフターのようなものなのです。そして、あなたたちの日記を読んでいると、まさにそうなのです。彼は自分を出しながら行き詰まってはいるのですが、こちらに助け舟を求めています。ところが、あなたは完全にあなたの癖が染み付いてしまっているので、年を重ねた分だけ人格を改善することが難しくなっています。彼には、『10年経つとあの人のようになってしまうから、今この取り組みを始めて良かったですね』と伝えようと思うのですが、今のあなたでも自らの人格を知り、そこに囚われがなければ、人格を改めることができるのですよ。

あなたは賢く、一貫性がありワンパターンな人です。それはある意味信用できます。ただ、その信用は歓迎できない信用であるということも言えますね。ですから、これからあなたが人生の改善のために取り組んでいくというのならば、あなたの頑なに持ち続けてきたものをひっくり返すだけの意志が必要です。人にひっくり返されたら不愉快ですよね。僕があなたの日記にコメントするとき、僕はあなたに反対意見を言っているのではなく、違う捉え方をするとこうなりますよ、と言うことを伝えています。ですから、あなた自身が僕のような捉え方をすれば、あなたに別世界が訪れるということを提案しているだけなのです。そして、今までの自分をよく振り返り、そこを整理し、新たな自分を構築していくことができるかどうかです。

今、僕があなたに伝えていることは、あなたに対するプレゼントです。しかし、今までのあなたであれば、今の僕の話を前向きに受け取ることはできませんでしたね。それを不満に取り、僕の話を疑っていたことでしょう。それで良い人生があるのかというと、僕はこれまで30年以上に渡りたくさんの人に対して面談を行ってきましたが、そのような心で良い人生を生きてきた人に出会ったことはありません。良い人生は良い人格のもとにあるのです。いくらお金があろうが、社会的地位が高かろうが、人格が悪ければ必ず落とし穴があるものなのです。

あなたは良い大学を卒業し、小説家を目指していたこともあるのですから、自分を題材にして小説を書いたら面白いですよ♪そして、この心のカラクリを世に説いたら、救世主だと言われるようになることでしょう。人から脚光を浴びようという心で書けば疲れるでしょうが、あなたが改善された暁に、素直に出会ったことをそのまま表現したら、共感を持つ人がたくさん出てくると僕は思うのです。そのときには『ぜんたがわ賞』を僕があげましょう♪『あくたがわ(芥川)』は悪だから良くないですからね(チーン♪)。」

こうして、リョウタくんの心を見つめる取り組みが始まっていったのでした。それから約1ヶ月が過ぎたある日、リョウタくんの心の中にはある想いが湧いていました。

(続く)

 

 


濃密なストーリーを歩んでいる

34歳のMさんが木の花ファミリーを初めて訪れたのは、2016年12月15日のことでした。10歳の頃、自律神経失調症と診断され、アダルトチルドレンやADHDの傾向があると感じていたMさんは、「人といると怖く息苦しくなる状態から、自然体でいるだけで大丈夫と腹の底から感じたい。幸せ・安心・安全・自由は自分がいつも作り出せると信じたい」と想い、いさどんの面談を受けました。面談の際、いさどんはMさんに次のように伝えました。

――

僕は今のあなたを観て、良かったと思うのです。つまり、家族にもしがらみがなく、お金もなく、執着するものもなく、今までの人生にも良いことがありませんでしたね。そうしたら、後はきっかけを掴んだら良いことだらけです。ですから、きっかけを掴む何ものかに出会えばいいのです。それが僕かもしれませんよ♪

あなたの今までの人生を振り返ってみると、人格的に欠落しているとは思えません。ただ、あなたは物事はよく観えて非常に繊細なのですが、少しネガティブに受け身で物事を観て、そのことに対して明快に解答を出して行動することがなかなかできない人なのです。ですから、人から観たら、何を考えているのかよくわからないということにもなります。だからといって、社会生活不適応ということではなく、人間関係を築くのが下手ということでもありません。そういった社会性はそれなりにあるのですが、あなたはまだ自分の生き方を見つけていませんね。ですからあなたは、「何のために生きているのだろう?」という感覚なのでしょう。

それは良いことだと思いませんか?僕は単に、これからすばらしい人生が待っているということを伝えているのではありません。それは、方向を変えて何かを見つけたら、今までのような低空飛行の人生ではない人生があるということです。そうすると、今までのようなどんよりと曇っている人生は、仕込みの期間だったことになるのです。

通常、ここでケア滞在をする人は重い人の場合薬を飲んでいるので、まず薬の量を減らしていきます。それから、病気を引き起こした原因である性格がありますよね。それを改善していき、薬がなくなったら卒業です。もうお医者さんに行かなくてもいい状態になれば卒業ですが、そこから次は、その人の人格がその病気を引き起こしたことを見つめていき、そこを自分でコントロールできるようになれば完全に改善プログラムは終了です。そうすると、今のあなたには病的状態がありませんので、その次の自分自身と向き合う段階にいます。ケアの最初の3分の2はもうクリアしている状況ですから、あなたの滞在は2週間ぐらいでいいと思います。素直に取り入れれば早いですよ。ただ、症状が軽いと危機感がないため逆に時間がかかる人もいるのです。あなたは人から提案されると受け入れるところがあるので、自分を前向きに活かしていけるといいですね。

――

いさどんの面談を受けた結果、Mさんはその日からケア滞在をスタートすることにしました。最初の1週間は日記を書くことを課題として与えられ、Mさんは「思い切り寝て、食っちゃ寝したい」ということで自由に過ごしながら、時々作業にも参加し、1週間が過ぎていきました。

1週間面談の際、いさどんとMさんは次のような会話をしました。

――

いさどん:
1週間が経ちましたがどうでしたか?

Mさん:
贅沢だなあということと、1週間が経ったなあと思っています(笑)。

いさどん:
僕が想像するところによると、あなたはいつも思考をぐるぐるまわして、どこかに緊張や不足感がある暮らしをしてきたので、思考の万年筋肉痛のようなところがあったと思うのです。「緊張しなくても過ごせる場所があったのだ」というイメージだと思うのですが、どうですか?

Mさん:
そうですね。ここは何も考えなくてもいい場所です。でも、それが逆に不安になるというか・・・

いさどん:
「こんなことでいいのだろうか?」と思うのですね。

Mさん:
そうです!「こんなにやさしくしてもらっていいのだろうか?」と・・・

いさどん:
それは悪い癖ですね。余計なことではないですか?とりあえず1週間は好きなように過ごしてみようということで、1週間が経ちました。ここが目指しているのは、その人がその人らしく、個性を最も活かした状態で生活することです。そうすると、実はストレスもたまらないので、休みもいらない世界なのです。そこにあるのは、お金のことや人間関係など余計なことを考えなくても暮らしていけることの安心感です。今あなたが言ったように、その安心感は贅沢のように思えますが、実は安心で楽な分だけ、その余ったエネルギーを自分を振り返るために使えば、意識の高い人になるのです。

先日、あなたはここのプレゼンテーションを聞きましたね。あれはどこかの話を持ってきたのではなく、長年ここが社会のモデルとしてどうあるべきかを模索し、それを実践してきた結果、蓄積されたものなのです。ですからそこには、ここの生活そのものが表現されています。生活の中にも宇宙観があるということなのですから、広い世界観を持てば誰でもここで体験したような人生を歩むことができます。

1週間前の面談では、あなたは2週間ぐらいで卒業できそうですねと伝えましたが、早く終わってもいいと思いますし、「贅沢だなあ」と言ってそこにぼーっと浸っていたら意外と長くかかることもあるのです。

Mさん:
自分はこの環境に甘んじてないかとか思ってしまうのです・・・

いさどん:
それはネガティブな発想ですね。「自分は怠けているのではないか」とあなたは自分を叱咤するのです。しかしそうではなく、「このような良い環境に乗って、自分を活かす方法はないだろうか」ともっと前向きな発想を持てたらいいですね。

それで、一体あなたは今まで何に対して生き辛さを感じていたのですか?

Mさん:
ネガティブな考えもそうですが、自分で自分を苦しめていたり、視野を狭くしたりしていました。

いさどん:
原因が自分であるということは気付き始めましたか?

Mさん:
はい。

いさどん:
今までも、どこかで原因は自分にあると気付きながら、どうしてもまわりに矛先を向けてきましたね。

Mさん:
はい。

いさどん:
それは余裕がなかったということです。今、せっかく贅沢をしているのであれば、贅沢な場所を活かして、自分のどのような癖がそういった思考をもたらしてきたのかを掴めるといいですね。その余裕の分だけ、自分を振り返ることに使いましょうという提案です。そして、それを掴めるようになったら卒業です。たとえば、今を贅沢だと感じるのであれば、贅沢という基準がどこにあるのかと考えると、今までの自分がどのような人生を歩んできたのかが観えてきますね。そこをもう一段階掘り下げていきましょう。

――

そして2週間目も引き続き日記を書くことが課題として与えられたMさん。ところが、熱が出て風邪を引いてしまい、自分を振り返る作業も進まぬまま、2週間面談の日がやってきました。さらに、滞在して2週間が経ったということで、Mさんは明日にはいったん家に帰り、荷物を引き上げてまた木の花に戻ってくることを考えていました。

その話を受けていさどんは、次のようにMさんに伝えました。
「最初の面談では2週間くらいを目途にケリをつけましょうという話をしました。ところが、これが流れなのか天の采配なのか、今回あなたが体調を崩したのも、あなたに心のたくましさがないことが原因していると考えられます。つまり、今まで晴れない人生を生きてきて、あなたの中にそういった自分とケリをつけることに対して躊躇しているところもあるのです。晴れてしまうことを精神的に恐れると、熱を出したり風邪を引きやすいものなのです。これは無意識でなることですが、あなたにはそういった傾向が見られると思うと、勇気を持って一線を越えなければ次の段階には行けません。今までの自分の感情や癖をすべて抜きにしていけばさっと行けるのですが、人はなかなかそういうわけにはいきません。しかし、どこかでそれはクリアしたいものだとは思うのです。ですから、だらだらと滞在するということではありませんが、スタンスを伸ばして再度挑戦ということで取り組んでみたらどうでしょうか?」

それを聞いたMさんは、「そうなんですか??わたしは風邪を引いてすっきりしたし、風邪を引いたのも自分の体が無意識に逃げようとしてそれが癖になっていると感じました。それに今までのぐるぐる思考も止まって、振り返りが少しできるようになったので、やったあ!と思っていたんです。それでもう、卒業する気満々だったんです!」と答えました。

そこでいさどんは、「それは残念ながら違うのですよ(笑)。それは環境がそうさせているのであって、まだあなたの実力ではないのです。それがあなたの実力になることが大切です。あなたはまだ何も取り組んでいませんよ(笑)。それに、自分の言葉に対してそれがどこから出てきているのか、しっかりと吟味する必要があるのです。僕の話は深層心理まで分析していて、そこを改善することが大事なのです。風邪を引いて寝込んだことは無駄なことでも悪いことでもありません。熱が出ることは知恵熱ということもありますし、内省するチャンスでもあるのです。しかし、本来リセットするのに熱を出したり風邪を引くのではなく、日々の中で冷静に自らを振り返りリセットしていくことが大切です。完全に自己コントロールができていなくても、自分自身を常にチェックできる状態になればいいのです。誰でも良い状態になろうと思って、自我が出るものなのです。それは自分にとって都合が良い状態にしようとするからです」と伝えると、Mさんは明日家に戻ることをやめ、引き続き滞在することを決めました。

そこからMさんは、いさどんからの提案通り、これまでの面談音源を聞いてみたり、作業中のいさどんのところに度々話に行っては自分自身を見つめようとしてきました。そんなMさんに一線を越えるきっかけをもたらしたのは、1月2日から4日まで木の花ファミリーの生活を体験するためにアメリカからやってきた20名の大学生たちでした。座談会やミーティングの場で真剣にいさどんに質問している彼らの姿を目の当たりにしたMさんは、「とてもわくわくして、今までで一番面白かったです!今までいさどんは普通のおじさんだと思っていたけれど、実はすごい人で、自分はすごいところに来たのだと初めて思いました!」とかなり大きな刺激を受けたようでした。1月3日のミーティングでいさどんに促され、自分の気付きを涙を流しながら皆に報告したMさんに対し、いさどんや他のメンバーももらい泣きしていました。

そして、彼らが木の花ファミリーを出発した1月4日の夜に3週間面談が行われました。いさどんから、「あなたは病気ではないのですから、どこかでこの滞在に区切りをつける必要がありますね。あなたはこれからどう生きていくのかを考えたほうがいいと思うのです」と伝えられたMさんは、「2月19日から始まる1ヶ月間の真学校に参加したいので、その前に一度福岡に戻ろうと思っています。荷物を整理して、それからここに戻ってきて真学校を受けた後は、東京で自立して暮らしたいです」と答えました。このようにして今後の見通しが立ったMさんに対し、いさどんはケアの卒業を伝えたのでした。また、Mさんが「いつも皆さんには与えてもらってばかりで・・・何か恩返しをしたいのです」と言うと、いさどんは「これからあなたが健全な人生を生きることがわたしたちに対する一番の恩返しです。あなた一人分だけ、世の中を健全にするのです。それが一番大切なことですからね」と伝え、Mさんは、「本当にそうですね!」と納得していました。

Mさんの心を見つめる旅はまだまだ始まったばかり。今、Mさんは「本当に濃密なストーリーを歩ませてもらっているのだと改めて気付きました」と語ります。MさんがMさんらしく生き生きと充実した人生をこれから花開かせることを皆で応援しています。1ヶ月間の真学校でまたお会いしましょう♪

 


 

囚われを外したら

そこは宇宙だった

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2017年2月19日~3月18日
「1ヶ月間の真学校」開催!

何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

→ 1ヶ月間の真学校ブログ

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「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~ きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語

去年の4月、子宮頸がんであることがわかったきょうこちゃん。その後がんが進行し、今年の10月26日、大量出血のため市立病院へ急遽入院することになりました。きょうこちゃんのパートナーのこうちゃんは、きょうこちゃんが入院中、病室で寝泊りしながらずっときょうこちゃんに付き添っていました。生死の境を何度もさまよいながら、入院してから48日後の12月12日、きょうこちゃんは市立病院を退院し、今後は沼津のがんセンターでの治療を視野に入れて体力の回復を図っています。以下は、きょうこちゃんの入院中、お見舞いに行ったときのいさどんとの会話をようこがまとめた「きょうこちゃん物語」です。

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10月26日。あっちゃんから連絡があり、お昼にいさどん、まりちゃん、ちなっぴと一緒に重篤状態のきょうこちゃんのところへ向かった。処置室にいたきょうこちゃんは「やりきっていないことがたくさんある」と言って涙を浮かべていた。でもいさどんに「あなたは正直なところ、自分でどう思うのか?」と聞かれたきょうこちゃんは「まだ死ぬ気はしない」と答え、いさどんは「そうだろう?それはあかんわ」と言った。また、きょうこちゃんは、「わたしの生き様を観て、皆のお手本になったらいいね。そういう役割をしていくね」とも言っていた。

その翌日の10月27日。いさどんとわたしは再びきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは、「わたしとしては、生きる方向に心を向けていくだけだなと思っている」と言い、いさどんは「それはそうだ。それにしても、わざわざ波が高いほうを選んだ」と伝えると、きょうこちゃんは「大分高いほうを選んだね。今は過去がどうだったかというよりも、ここまでいただいてきた道だから、ここから先をどう生きていくかだと思っている」と答えた。それに対しいさどんは、「あなたがいないところでいろいろ考えると、あまり希望が湧いてこないのだけど、あなたを観ると希望が湧く。本人が一番元気だ」と伝えた。また、「わたしたちは時代人です」の最新版メッセージを途中まで読んでいたきょうこちゃんは、「時代人・時代主義なんて、新しい言葉だね。これは世界初の言葉かもしれないね。今、わたしはこんなに狭い部屋にいるけど、そういう心で時代と共にあるのだと思っている」と言っていた。

その後、面会に来ていたきょうこちゃんの両親にいさどんは涙を流しながら次のように話した。
「彼女のことを思うと、前向きに考えられないのですが、そうかといって人に前向きに生きるように伝えてきた立場として、どのように言葉をかけたらいいのかと思うのです。意外と本人のほうが一番元気ですよ。まだ早いでしょう?と本人も言うのです。昨日、きよちゃん(きょうこちゃんの娘)と話したのですが、あの子はここのような環境で育ったこともあって、しっかりしている子です。『わたしはきょうこちゃんのことを思って、別に毎日泣いているわけではないけど、そういうことがあるかなと思うと、時々泣くこともある。でも小さい頃からね、生きるのは死ぬためにあるんじゃないのと思っていた。だから、死ぬことは嫌だけど、人はいつか死ぬことを知っているよ』と言うのです。『僕はきよが元気がなかったらいけないと思って、きよがどのように考えているのかなと思って呼んだんだよ』と伝えると、『大丈夫だよ』と言うのです。そのようにきよは育ったのだと思いました。きょうこちゃんには、『これから世界に向けてのプロジェクトがたくさんあるのだから、あなたもそれを一緒にやっていく仲間だよ。未来の答えはわからないのだから、精一杯やっていこう』と伝えました。まだ、触るとあたたかいですからね。未来はまだあるわけです。結論は出さずに付き合っていこうと思っています。木の花には外で緩和ケアの所長をしている看護師もいて、『やっぱり病院にいるのは変だと思う』という話をするものですから、今きょうこちゃんにも『もしあなたが望むのなら、木の花に戻って皆の顔を見ながら過ごすこともできるよ』と伝えたのですが、『それは先に考えるかもしれないけど、今はわたしはまだ先があることを考えているから』と言うのです。それで僕も、『そっちのほうがいいね』と伝えました。だから、本人が一番元気なのです。僕も、人を元気にさせるのが自分の役割なのに、ついつい望まないことを思ってしまうのです。」

いさどんの話を聞いていたきょうこちゃんのご両親は、「本人は意外と元気なもので、我々も安心しました。今日はひとまずこれで帰ろうと思っています」と話されていた。

そして10月30日の夕方。明日きょうこちゃんは沼津のがんセンターに移動になるかもしれないということで、いさどん・みかちゃん・ちなっぴと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いつも眠りから目覚めると、『まだ生きている』と思う。いつも死と隣り合わせなんだよね。いつもこういう気持ちで生きていられたらといいと思う」と言い、いさどんは「それを必死と言うんだよ。必死は必ず死ぬと書く」と伝えた。それに対しきょうこちゃんは「いさどんがインドへ行ったときのことを思い出しちゃった。いさどんがインドへ行く前に逆流性食道炎と胃潰瘍、十二指腸潰瘍になって、人生で初めてのステロイドも服薬したら結構顔もはれちゃって、でも『負けへんで!』という気概というか、いさどんの気合を思い出した。あれは気迫があったね。あの気迫をもって生きていくことだよね」と言った。

それからきょうこちゃんは、「この前は皆にも引き戻してもらったし、いさどんにも会いたいなと思っていたら、夢で会えた」と話し、いさどんは「この世界では愛が大事で、情が絡むと毒になる。しかし、旅立つ人を引き戻すには情が引き戻す。その執着が引き戻すんだよ。愛ではだめなんだよ。愛ではそのままを受け入れてしまうからね。だから、情が引き戻す。情が深い人ほど、引き戻す」と言い、わたしが「いさどんは情が深いからね(笑)」と言うと、いさどんは「愛と情を使い分けないといけないんだよ」と言い、みかちゃんは「すごいね!愛と愛情を使い分ける!」と言っていた。

きょうこちゃんはまた、「こんなにスリルにあふれる毎日を送れるなんて。昨日はさくやがつねちゃんたちと一緒に来てくれて、その後れいかから電話があって、それからせいたろうからも電話がかかってきてね。木の花で育った子どもたちはいい子たちだなと思った。家庭教師時代があったな、なつかしいなと思って、せいたろう物語があったなあと。それこそ、皆の力だね。」と言っていた。

その後、「花よ天まで」をみかちゃんが歌い、それを聞いたきょうこちゃんは「皆で桃源郷を創ろう!本当に役に立つ者に生まれ変わって生きる!今、歌を聞いていたら、皆で本当に桃源郷を創るんだ、と思って・・・生きるぞと思っても、わたしもどうなるのかなと思って、気持ちがつい弱気になったりもするけれど、皆と一緒にやるぞ。そうだ!」と泣きながら言い、わたしたちが来たときは顔色が黄色く、熱があったきょうこちゃんの顔色が変わってきて、熱も下がったようだった。そして、皆で笑いながらばか話をしているのを聞いていたきょうこちゃんは、「いつも笑いがあっていいねえ」と言っていた。

翌日の10月31日の朝、3年前にいさどんが夢の中で天に問われて、それに対して答えた文章のことを久しぶりに思い出した。「少しでも光のほうへ」という文章をきょうこちゃんと一緒に読みたいという想いが湧き、プリントアウトして持っていって、いさどん・きょうこちゃん・こうちゃんの前で読み上げた。

――

「闇からの卒業にあたって」

卒業式にあたって、自分の歩む道の方向性をつけるのに、どのような心構えをしたらいいでしょうか、という質問があったので答えます。まず、自分が歩む方向についてですが、自分が思う方向に進めばいいと思います。もし、思う方向が定まらなければ、自分に近い人が教えてくれる方向に進めばいいと思います。その自分が進む方向が決まったら、今度は、それがより健全で正しい道を選ぶことです。この世界にある物事はすべて、必ず善と悪に仕分けることができます。それを比べたときに、必ず片一方が少し劣っており、もう一方が少し優れているというように仕分けられます。それがあまりにも同じようでわからないときには、それを細かく捉えていって観れば、必ずそこでは優劣があるものです。そうしたら、ほんの少しでもいいから優れている方向へ進めばいいわけです。そして、選んでいった結果、最後に残ったところ、それが自分の進むべき道です。

これは「闇からの卒業」であり、「愚かからの卒業」であり、「神様へ進む道」です。

次に、この道を歩む縁をもらったものは、その道には道にふさわしい色々な困難があるものです。そして、それを歩む人には人にふさわしい迷いがあるものですが、この道を歩むものはまず、この道に縁があったことを歓びとして感じていくことが大切です。善いとか悪いとか、そういう判断をするのではなく、この道を歩めることを最大の歓びにすれば、どんなことがあっても、この道を歩むことから外れることはありません。そして、その選び方は、消去法でほんの少しでも光のほうへ、ほんの少しでも善意のほうへ、ほんの少しでも愛のほうへ、ほんの少しでも調和のほうへ、ほんの少しの違いがあってもより尊きほうへ道を歩めば、必ずその道は最後には人の行くべき最終到達地点につながっていることでしょう。

道は、人の目には観えないものですが、心の眼があるものには、その眼が愚かしいを避けて、正しいほうへ導いてくれるでしょう。心の眼を開けるためには、自らの内側にある本当の想いが天のほうへ眼を向けて、天のほうへ向かっていく。まっすぐに向かっていく道を意識したときに、眼はより良く観えるようになります。誰の中にもあるその眼は、全く揺るがないものであるのです。その眼が自らの中にあることを信じ、歩んでいけば、迷うことは全くなくなるのです。そして、過去に自らが迷ったことを思い出して、その迷いの愚かしさ、辛さを思えば、なおさらその真理への道を歩むエネルギーと追い風になってくれるはずです。

迷っているときは、あなたの我が自らをたったひとりにして、まわりのものから遠ざけてしまうものですが、真理への道は必ずまわりのものをしっかりと見出し、助け合い、調和し、歩むように眼を開いてくれます。それは、楽しく希望ある豊かなものになるでしょう。

――

この文章を聞いたきょうこちゃんは以下のように語った。

ようこちゃんたちが来るちょっと前に夢を見ていてね。そうしたらお釈迦様の手が上から現れてね。『さあ、立ちなさい』と言って、立たせてくれたの。顔は見えないのよ。『おまえはな、肉の眼は見えるかもしれないが、心の眼は盲目であったな』と言われて、『心の眼が見えるにはどうしたらいいのですか?』と聞いたときに眼が覚めたんだけど、すごいね。この話がすぐに出てくるとはね。ついさっきだよ。

昨日の(フェイスタイムで聞いていた)子どもミーティングでのいさどんの話もすごく良かったよ。うそつきは病気になるんだよって。わたしはうそつきだったな。本当にそうだったなって思うと、楽なんだよね。改めて楽になってさ。それにしても、ようこちゃんの文章はすごいタイミングだね。びっくりしちゃった。『どうしたらいいのですか?』と聞いて夢が終わっちゃったから、『ああ、続きが見たいなあ。もう一回見られないかなあ』と思っていた。それが現実となってすごいね。

そして、いさどんは次のように語った。

「僕の正直な気持ちは、早く行きたい。早く行きたいけど、率先して行くものでもない。物事の本質やことの成り行きがわかってしまうと、繰り返しの出来事に出会って毎日が退屈なんだよ。からくりがわかってしまうとね。やることがあればいなければいけないと思うけれど、生きることに囚われることはない。それこそ、長生きすることが良いことのように思われてきたけれど、世の中のものたちがそういうことをわかってしまえば、長生きすることだけが大切ということはなくなる。逆に、それならこの世界がむなしいわけではないから、別に長生きしてもいいわけだ。要はどちらでもいいんだよ。今は世の中がわずらわしいから、その矛盾のところと付き合っていることから早く離れたいと思う心もあり、そんなに早く行ってはいけないと思う心もあって、結局どうでもいいことになる。」

そこできょうこちゃんは「皆はわたしを見て、早く気が付いてほしい」と言い、いさどんは「そういう意味ではあなたがその学びを皆にもたらしてくれた。こんなことがなくても、皆が目覚めればいいのだけど、それは役割というものでもあるのかもしれない。でも、そこで気合が入りすぎてはいけない。気合が入りすぎると力が入りすぎるから、それはまた間違う。揺るぎのない自覚を持っていくだけだ」と伝えて、わたしたちは病院を後にした。

翌日の11月2日。白光のニコルやカタリナたちが来ていて昼にコンサートがあった。コンサートが終わり、ニコルたちと湧泉閣で話していたとき、いさどんから「今、僕たちは銀河のテーブルを真ん中に置いて、そこを囲んで銀河を眺めながら話をしているようだね。宇宙を旅する乗り物は「ユニバス」だ(チーン♪ みんな笑)!皆でいつか宇宙会議をしましょう」という話が出た。そこでジェニーが「そこには白光の五井先生や孟子たちもいるね」と言い、いさどんは「そうなのです!そのときにはトキを刻んでいる時代の枠を取り払いますから、トキを超えて高い魂が集まることになるのです」という話をしていた。

翌日の11月3日。朝、こうちゃんから電話があり、きょうこちゃんが結構出血しているということを聞き、いさどん、まりちゃん、みかちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、ひとみちゃん、まりねえ、あさちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。こうちゃんから電話があったとき、後ろできょうこちゃんが「ああ、ああ」とうめいている声が聞こえ、「まるでお産のようだ」とわたしが思っていたら、きょうこちゃんも、「出血すると、本当にお産のときのように子宮がぐわっと開いた感じになってね、思わず声を出しちゃうのよ。声を出すと楽なのよ」と言い、こうちゃんは「ああ、と言うんだよ。カタカムナでアは高次の響きだよね。人は苦しいときに、ああ、なんだと思ってすごいなあと思った。だいたい出血があると寒気と痛みが来るのだけど、その痛みはお産の痛みを10とすると6~7ぐらいなんだって」と言っていた。

それからきょうこちゃんは、「10月26日、29日、今日とあれから3回も大量出血をして、『もう1回大量出血したら』って言われていたけれど、まだ生きている。びっくりしたあ!もう3回だよ(笑)そのたびに覚悟はするけど、こうして生かしてもらっている」と言い、いさどんは「じゃあ、何回行けるか挑戦してみよう!どっちにいてもホームレスにはならへんぞ。居場所がある。今、ホームレスは病室のソファがベッド代わりのこうちゃんだと思ってさ(笑)」と言って、皆が笑った。

 病室にはいつも笑いがあった
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その後みかちゃんとちなっぴが「太陽の導き」を歌い、いさどんはこう語った。

「昨日ジュラシックワールドという映画を皆で観たけれど、DNAというのは何を刻んでいるのかというと、過去の経験を刻んでいる。経験の情報がすべて図書館のようにして刻まれている。
我々は大きな世界の中の小さなものだけど、大きなものは小さなものによって成り立っていて、小さなものは大きなものを支えている。小さなものにはここからここまでという枠があって、ロックがかかっている。そのロックをはずすと、実は宇宙の物質は消えることはないことが観えてくる。はじまりから今まで消えることなく、ただ変化しながらそのサイクルを経験しているだけだ。そのサイクルの経験をDNAがすべて記憶している。そうすると、ロックをはずしてやれば、我々の中にある物質的DNAと霊的DNAは解放される。自らの枠を超えて、自分自身のルーツでも巨大な宇宙原理でも、自らの中から湧き出てくるようになる。
だから、『太陽の導き』の歌の中に出てくる『あなたという小宇宙がもっと大きな大宇宙の中で』というのは、これはまったくの真理だ。自分という自我のロックをはずしてやれば、大きなところへ行って自分が消えたように観えてもいいんだよ。そして自分にそれが返ってきて、自分の小さな枠の中に戻してやれば、また元の自分がそこにいる。だから、自由自在だということ。微細な宇宙も巨大な宇宙も、実は探究は同じで、それは大きく拡大するか小さく拡大するかというだけのこと。タガがはずれると、そのような発想が湧いてきて、それが真実になっていく。
だから、我々は現象界で生死に縛られているようで、死ぬことを恐れたりするけれど、行ったり来たりしているだけなのだ。タガがはずれればどうってことはない。昨日もニコルたちと三次元の話をしていたけれど、心は異次元だった。そして、トキを超越していた。」

きょうこちゃんは「やっぱり皆と話すと、世界が大きくなって、宇宙にまで意識が飛ぶね。生きているとか死んでいるとか、そこにこだわる必要もないし、だけど希望を失わないということなんだけどさ。そういうところにこだわる必要はない。いつも皆と一緒なんだと思っている」と言い、いさどんは「それはお互いさまだよ。電話が来るとそれはいかんわと思うけれど、こうやって話していれば、やはりロックをはずすべきだと思う」と伝えた。

最後に、きょうこちゃんが放射線治療の二択についてどうしたらいいか、いさどんに尋ねると、いさどんは、「どっちでもいいんだよ。だいたい変だと思ったのは、これがいいと思っている医者の案があるのに、二つも選択肢を提示すること自体間違っている。それでこちらが伝えたことに対してクレームをつけるくらいなら、最初から一つだけを言えばいい。さっきの話をまとめていくと、何でもいいんだよ。行ったところが道だから。とても複雑そうに観えても、実は当たり前にこっちだな、こっちだなと進んでいくだけのこと。最初からその道だけを言われると強制されて難しそうに感じるけれど、今を観て、こっちだな、こっちだなと進んでいけば、どんなに不可思議な道でもちゃんと行けるものだ」と言い、きょうこちゃんは「昨日の判断状況と今朝の判断する状況が違うからね」と言うと、いさどんは「そういう意味でいったら、『まだ自分で選ぶか?』ということだ。」と言った。
こうちゃんも、「僕もそう思った。結局選んだものの反対、反対の現象がずっと来る。だから、選ぶこと自体がいただいていないと思って、もうやめようと思った」と言い、きょうこちゃんが「ここまで来ても、常にいただく心がやりきれてないね。まだ自分の我が勝っている」と言うと、いさどんは「選択肢がないのなら、もしくは選択肢を捨てなさいというプログラムなら、最初から選択肢なんか与えなければいいのに、と天に言うと、天は『そういうものはあそこにおるぞ。植物や動物は選択肢がない状態でおるぞ』と言われる。だから、天は人間だけに選択肢を与えたんだよ。なぜなら、その意志を共有したいからだ」と言った。それできょうこちゃんは「どこまでもいただく精神だね」と言い、わたしたちは病院を後にした。

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11月6日の朝9時過ぎ。3日ぶりにいさどん、みかちゃんと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いさどんが『人が変わると景色が変わってきた。きょうこちゃんからみほさんに担当が変わって、倉庫まわりが整理されてきた』と言っていた話をこうちゃんから聞いて、いろいろと振り返ることがある」と言うと、いさどんは「先にそういったことをすべて振り返って整理しておくと、もし向こうに行ってもやることがないから、来なくてもいいよ、ということになる(みんな、笑)。だいたい、ほとんどの人々はそういったことに気が付かずに向こうへ行って、向こうで振り返ることになるのだから。だから、生きている間に本当は振り返らないといけない」と言い、わたしは「それが心磨きだよね」と言った。
それからきょうこちゃんは、「昨日の夢にみかちゃんが出てきて、振り返りが足りないよねって言われたんだ。自分が過去にしてきたいろいろなことの映像が浮かんできたり、中神倉庫で作業をしている夢を見たりね。久しぶりに中神で作業をしちゃった。こうやって生きているうちにいろいろと振り返らないといけない。入院してからのこともそうだし、これ以前のこともそうだし、親に対しても生意気だったなって」と言い、いさどんが「それだけ振り返って復活したら、使い物になるぞ!僕はそれを楽しみにしている」と言うと、きょうこちゃんは「これだけのことがあったら多少使い物にならないとねえ」と言い、皆で笑った。それからいさどんは「今、世の中は面白くなってきたぞ!」と言い、それから30分くらい話をして病院を後にした。

しかしその後、午後2時前にこうちゃんから電話がかかってきて、きょうこちゃんの意識が遠のいているということを聞き、いさどんとわたしは再度病院へ向かった。わたしたちが到着したときはまだ意識が遠いところにいたきょうこちゃんだったが、意識が戻ってきたときに「皆、ありがとうね」と言い、「意識がある・・・ああ、自分はまだ生きているんだって。今度こそ行っちゃうのかなって・・・皆に出会えたことに、この生き方に出会えたことがありがたい。後悔は何もないし、ありがたいなあという想いだけ。皆に出会えて良かった。いろんなことに出会ってきたけれど、全部感謝だな。いろんな人に出会ってきたけれど、感謝だな。ありがたい」と言い、いさどんは「そういう気持ちになれるのが目標だからね。生きているということは、なんでもありがたい。不満を言っているうちは、まだ本当がわかっていない。また来てほしかったら、また緊急の状態になればすぐ来るから(笑)」と言い、皆で笑った。

翌日の11月7日。いさどんと楽団の皆と一緒にきょうこちゃんのところへ行った。午前中に輸血を行い、午後には初めての放射線治療を受けたきょうこちゃんは昨日とは打って変わり、生命力にあふれていた。いさどんは開口一番、「また会えたね。昨日は緊急事態にならないと来ないぞと言ったのに、今日は運転手として雇われてきた。日当なしで来たぞ(笑)」と言い、皆で笑った。みちよんが昨晩大人会議の冒頭に皆で輪になってカタカムナの63首を歌ったことを伝えると、きょうこちゃんは「いつもは結構しんどいのだけど、今日は珍しく一日落ち着いていた。夕方ゆみちゃんが来て、みかちゃんのメールを読んでくれてね。自分の中に奇跡を起こす力があることを信じることだね」と言った。

みかちゃんのメールには、昨晩のいさどんの言葉が書かれていた。「きょうこちゃんを復活させるのに奇跡があるとしたら、それは医者が『なぜ復活したのかわかりません』という奇跡だ。しかし、今の流れだと医者の力なんだよ。それは奇跡とは言わない。あれは医者が話している可能性と医者が話している奇跡の話だ。奇跡を見せないと、人間はその奇跡の方へ、天の方へ心を向けない。でも、今までそれをやってきたから間違いも起きた。昔はそういう奇跡があって、それを信じたものたちが天をあがめて、信者と化した。結局、根本的に人間の心を変えたわけではない。その見苦しい亡者の姿が再発して今ピークを迎えている。」そこでわたしは「その奇跡こそがカタカムナの現象化だものね。でも、それは奇跡というか道理であり、いのちの仕組みだから」と言い、いさどんは「それが神秘として隠されているんだよ。それをその通りだと思えば通っていくのだが、その通りを悪くしている思考回路がある」と言った。

そこからいさどんはチャイナブルーという中国のある社長のドキュメンタリーの話やフランスの人口学者の話、アメリカ大統領選、フィリピンのドゥテルテ大統領の話、パククネ大統領の話、福島原発の話など多岐に渡る話をして、「もう、世の中のどこを観ても世紀末だ。今、新たな世紀が始まり、新たな価値観が湧いてきている。人口学者のエマニュエル・トッドさんは現状を分析し近未来を予測して『価値観の大転換が必要です』と言っているが、どうしたら価値観が大転換できるのか、その回答はない。今までは分析する人はいなかったけれど、今、分析する人は現れるようになった。しかし、実際にどうしたらいいのだろう?というと、その回答はここにしかないんだよ。この間の『時代人』の話がその答えだ。(そしてきょうこちゃんに向かって)死んでいる場合じゃないぞ!(みんな、笑)」と言い、きょうこちゃんは「本当だねえ(笑)。復活しないとねえ。いろいろな意味で本当にここには回答がある。ここにしかない」と言った。さらにいさどんは、「死んでいる場合じゃないぞ!」と言い、きょうこちゃんは「本当に死ぬかと思ったわ(笑)」と言うと、いさどんは「昨日はだいぶ呪いの呪文を唱えたよ(笑)。行かせん、行かせん、おまえのいいようには行かせん♪」と言い、皆で笑った。
最後にいさどんが「今は世の中が混乱の極みだ。だから、死んでいる場合じゃないぞ!安定している時代ならば、まあ別にそう大して変わらないから、さよなら~って行ってもいいけど、これぐらい激動だったらちょっと眺めていたほうが面白いぞ」と言うと、きょうこちゃんは、「これからますます世の中が面白くなっていくね!今日は激動の世界を駆け巡ったわ。また元気になった!」と言い、わたしたちは病院を後にした。

その2日後の11月9日。夜中に大量出血があったということで、いさどん、みかちゃん、ちなっぴと一緒に午前中、病院へ向かった。実は昨日、「久しぶりに木の花ファミリーブログとして掲載されているきょうこちゃんの心のシェアを読んでみたい」と閃き、今日そのブログを2つプリントアウトして持っていった。そこには、「すべては善への旅である」も引用されていた。

病院へ着くと、いさどんは「今から勉強会をやるからね」と言い、まず、きょうこちゃんブログを読み上げた。その後いさどんは「短くても長くても充実していることが大事だ。あなたの人生は充実はしていたね」と言い、きょうこちゃんは「良い人生だったよ」と言うと、いさどんは「過去形にするな(笑)」と言って皆で笑った。きょうこちゃんは「今、わたしは医療の技術によって生かされているけれど、最終の最終地点では結局わたしの信じる力がすべてを左右するということを感じている。そこのみ」と言い、いさどんは「結論は出して出せないものだから。最終的には自らの寿命と出会うということと、その答えはいただくものだということ。それをいただく心になったときに、ふさわしく善意で物事が与えられていたことに気付く。企めば企むほど、裏が来るからね(笑)。想いは勝手にいくらでもまわるから」と言い、きょうこちゃんは「たとえいのちが短く終わっちゃったとしても、それでも善意だなと思う」と言った。

みかちゃんは「この前ね、ハワイのネイティブの人のマナカードを引いてみたの。とかく人間は白か黒かをはっきりさせたいものだけど、グレーというのが大切で、先を決めないで常に瞬間瞬間の白でもなく黒でもないところを感じていき、瞬間の波に乗っていくことの大切さというカードだったの。それはいつもいさどんが言っていることだと思った」と言うと、いさどんは「その立ち位置に立つからこそ、いただくことができる」と言い、わたしは「今回、奇跡って何だろう?と思ったときに、『奇跡』はその人の『軌跡』・その人の歩いた跡だから、奇跡をその人にとっての最高の境地だとするならば、奇跡とはそこに至るまでのその人の歩みにしかすぎないんだよね」と言い、いさどんは「それはDNAだからね。DNAは体験したことが記憶してある情報にしかすぎない。だから、自分がぶれなくてもいいんだよ。自分を観て、ぶれていたら、揺れている自分がいるなと思うだけだ。そしてそこをどうしていくかという歩みが一つの生きるエネルギー源になっていく。そのままでいいなら、皆あっさりと向こうに行っているはず。そこにもだえ、苦しみ、抵抗し、そこで何かを掴んで人は成長していく。世の中にはもだえ、苦しみ、抵抗しただけで終わり、学びが一切なく、転げ落ちていく者もいるから、いろいろだ。今日はもうひとつプロジェクトがあるけど、大丈夫か?」と言い、昨晩出発(たびだち)プロジェクトチームが仕上げた出発アンケートをきょうこちゃんにシェアした。

いさどんは、「我々がこの道を生きることにおいて、極めて重要なことの掘り起こしやそれを考えるきっかけをつくっているのは、あなただ。これも、あなたのような往生際の悪い者だからこそ、そうなれた。見本みたいな人がそうなったって、『あれは当たり前だよね』という話になるだけだ。それを超えるとき、人は見本になれる。それで、あなたもメンバーなのだから、こうやって語り合えるうちに出発アンケートを共有しておこうと思っているわけだ。まだ過去形にはなっていない(みんな、笑)。
こういったものがすべて共有できるようになると、奇跡の下地はできる。さっきのグレーの話ではないけれど、結論は出さなくてもいただく精神によって、我々が出したがる右か左というものではないものが出てくる可能性がそこにある。そこは無所有の境地。そこは何かの枠を取っ払って、死生観でいう生死を越えたところで観ないといけない。どこにも恐ろしいと思うことなしに、ただ現状を情報として観て、淡々とその流れに沿っていく」と言うと、きょうこちゃんは「つい結果を想像していろいろ考えちゃうけど、まっさらに、ただただいただくということを今は学ばせてもらっているなとすごく思う」と言った。
こうちゃんは「覚悟がないと、奇跡を起こそうという今までと同じ欲の延長になっちゃう。でも覚悟があって、いつでもいただきますという精神に至って初めて、奇跡を起こす側の立場になるのかなと昨日から思っていた。自分はどうかな?と思いながら」と言い、いさどんは「自分の想いを行動に移してみると、すべてつぶされていくでしょ(笑)。それでもう一回振り返ってみると、想っても仕方がなかったことがわかる」と言うと、こうちゃんは「輸血のことでも、輸血は1回だけだと言われて、僕としたら当然前回と同量くらい輸血するのだと思っていたら、前回の3分の1の500ccだけで、そこでひとつ外れたなと思ってさ。そうすると、自分の中に『あと1リットルくらい輸血してくれるだろうな』とか『なんでそんな話になったのだろうか』という想いが湧く。それで今日の夜中に500cc以上出血したものだから、どんどん手放していけということだと思った。自分では手放しているつもりでも、想いは湧いてくる。だから、一つ一つ現象が教えてくれている」と言い、わたしは「きょうこちゃんの魂が、きょうこちゃんが言葉では一時『すべてがありがたい』と言っても、『本当にあなたはすべてをありがたいと思っているのですか?』と問うてくれたのだと思った。だから昨日、『何かが違う』と伝えてきた。単に輸血して放射線治療を受けて、物理的に一時安定してそれでよかった、という浅いところではなく、魂の価値のことを教えてくれていた。ありがたいにしても、どんどん深みが増していく」と言った。
きょうこちゃんは「さらに自分の想いを本当になしにしていくというかね。いただいているつもりでも、まだいただいていなかったり、そういうことを日々学んでいると思う」と言い、こうちゃんは「本当に不思議だよな。だからといって、考えなくていいというわけではない」と言うと、いさどんは「それが生きているということだ。だから、生きているということは、あるものとコミュニケーションをとっているということ。この世界にはあるものというものがあるんだよ。秩序として、厳然たる不動のものがね」と言った。

さらにこうちゃんは「数日前から思っていたのは、どこまで行っても深くなる一方だから、どこまで行ったらということはとりあえず肉体を持っている限り、ない。感謝でもいただくでも、どんどん奥がある」と言うと、いさどんは「ということだ!わかったか(笑)。結論は何もわからん」と言い、わたしが「それがこの世界の実体だものね。人間にわかっちゃいけないんだよ」と言うと、こうちゃんは「生まれたときから死ぬときまでぜんぜんわからないことの連続だから」と言い、わたしが「生きているということはわからないことがわかるということ」と言うと、いさどんは「わかるを自分の側に置こうとするからいかんのだ。やはりいただいていく精神だ」と言った。
こうちゃんは「深いね。だって、探求してわかろうと思う想いがなかったら、ここには至らないしさ、けど・・・」と言うと、いさどんは「わかろうと思って、わかったら違うんだよ」と言い、もう言葉では表現できず、どうでもよくなる、という結論に至った。きょうこちゃんも「深いね!」と言い、いさどんは「生きていても死んでいてもいいんだよ。この間ここへ来たときは『死んでいる場合じゃないぞ!』と言ったけど、そんなことはどうでもいいんだよ」と言い、こうちゃんは「もしかしたら次の計画を先に練りだしているかもしれないし(笑)」と言い、いさどんは「『おまえ、こっちで手が足らんから早く来い!』と言われているかもしれない(笑)。それで行ってみたら、なんてことはない、こっちよりももっと親しい人たちがいたりしてな。『あっちに囚われている場合じゃなかった!これがわかっていたら早く来たかった!』ということになるかもしれない」と言い、皆で笑った。

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最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした♪

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その翌日の11月10日。朝、きょうこちゃんが大量出血し、意識が遠のきそうだという連絡がこうちゃんから入り、いさどん、みかちゃん、まりちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。病院へ到着すると、きょうこちゃんは「いろいろあるねえ」と言い、いさどんは「それにしても、もうこれ以上血液が減ってはいけないと言われているのにさ」と言うと、こうちゃんは「落ち着いているでしょ(みんな、笑)。今までになくすごく穏やか。血色も良いし(笑)」と言い、わたしは「血液がなくても生きていける境地になった。新種が木の花に現れた(笑)」と言うと、いさどんは「マイナスだったりしてな(笑)」と言い、皆で笑った。

きょうこちゃんは「夢の中であうんの会があってね。今、やじーが毎日そばを打ってくれるのだけど、『このそばは命を蘇らせる本当のそばですよ』って皆で泣きながら食べているの・・・今、わたしは生きているなって。元気になったんだって・・・そう思いきや、朝になったらドバーッと(笑)」と言い、こうちゃんは「本当に面白いよ(笑)。今までは子宮がぐちゃぐちゃしている感じがあったんだって。だけど、放射線のせいかそういう感覚がなくなったんだって。良い感じかなときょうこちゃんが言っていたら、その直後に出血(笑)!面白いね。本当にどこまで行っても、いただきますだ」と言い、きょうこちゃんも「もうびっくりしたよ!今までで一番出血の量が多いよ。でも、意識が切れないじゃんって(笑)」と言い、こうちゃんも「意識が行きそうだと言うからいさどんに電話したけど、1回も意識が飛ばないね(笑)」と言った。わたしが「きょうこちゃんの中でそばが生きているから(笑)」と言い、いさどんは「つなぎが良かった(チーン♪笑)」と言って、皆で笑った。

それからいさどんは「今、アメリカで起きていることは、皆、今までを基準にしてものを考えるだろう?まさか、『こういうふうになるとは』とか『もうこれ以上は』と言うけれど、行けば行くほど、その次の世界がある。結局、所有しているだけなんだよ。自分の枠の中で限定しているから、『これ以上行ったら考えられない』というものが皆あるんだよ。次から次へとある。ただそれに自分の思考が追いつかないだけ。だから、思考しないでいただいていく姿勢になれば、自由自在になれる。限定する自分に囚われがあると、『いやだ!』とか『考えられない!』となるけれど、どちらにしても考えられるわけがないんだよ(みんな、笑)」と言った。

きょうこちゃんは「この生をいただいている。本当に皆に出会えてよかった」と言い、いさどんが「昨日の話で、もしここで別れて向こうへ行ったら、『なんだ!こちらのほうが近かった!』という話は面白いと思ってね。『向こうも近いと思ったけど、なんだ、こっちのほうがもっと近い!』と僕は思うんだよ。なぜここへ来てこのような生き方をしているのかと思うと、そこに出会うわけがある。それで戻っていったら、戻っていったで、『向こうのわけはこちらに元があったんだ!なんだ、ばかばかしい。あっちのほうが大本だった』ということになる。すべてあちらで操作している」と言うと、こうちゃんは「向こうで操作するのも面白そうだし、こっちでアップダウンしながら操られているのも結構面白い(笑)」と言った。

それからいさどんは窓から富士山を見ながら、「窓の外の景色を見ると、昨日の景色も今日の景色も天気が違うから多少違うように見えるけど、同じように見えるだろう?あれをじっと観ていると、ドーッと何かが流れている。移り変わっている。移り変わっているということは、今この部屋の中では毎日いろいろな出来事があって一喜一憂するわけだ。そこで気持ちは一喜一憂しながら、『まだ生きていたよ』などと言っているけれど、この世界全体がドーッと動いている。自分が意識したところはダイナミックで過激なように見えるけれど、実はそこら中ダイナミックで過激で、すべて同じなんだよ」と言い、こうちゃんも「本当に流れているだけだな。流れがそこにあるだけだなって思っていた」と言い、きょうこちゃんは「世界は面白くなるねえ。フリーな立場でいれば本当に面白いね」と言った。

その後、看護師さんが何度か部屋に来たときにいさどんは「あの人たちが入ってきてさ、僕を見て、『トランプさんがなぜここにいるのだろう?』となぜ聞かないのか(笑)。ヘアスタイルが違うからか(笑)」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

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11月14日。いさどんとわたしは4日ぶりにきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんの顔を見るやいさどんは、「えらい良い色になったな!この世のものとも思えんような(笑)。悪くならないものだから、見に来なかったぞ(笑)。毎日来てほしかったら、毎日危篤状態になればいいんだよ(笑)」と言い、皆で笑った。

その後わたしは、「せっかく久しぶりにきょうこちゃんのところへ行くのだから、何かプレゼントを持っていきたい」と思ってプリントアウトしていった「胸突き八丁」の話をきょうこちゃんにシェアした。

――

 「胸突き八丁」

いさどん:
富士登山では九合目を超えたところに、胸突き八丁(約872m)が来る。胸突き八丁は九合目の上にあるんだよ。気持ち的にはもう一息どころか、二息いかないと、頂上へは行けない。「もう九割来たのだから」といって、もう行けたと思ったら、それで断念することになる。ダンネンでした(チーン♪)。そこを行き切るのは、心で行ける。そのときに、心で行ける見本となれるし、物理性が伴わなくても、人間は精神というもので究めることができる。これは人間以外のものには与えられていない。心で生き切るということは、植物や動物には与えられていない。他のものは心は関係ないのだから。

ともこ:
胸突き八丁を超えることは、今までと質が違う感じがする。

いさどん:
そう。富士登山でいう胸突き八丁というのは、物理的な辛さとの戦いだ。しかし、この胸突き八丁は目覚めるか、目覚めないか。真理を観るか、観ないかの差だから、だいぶ違う。

ともこ:
それまではわりとストイックな世界だったけれど、ある意味自分と向き合ってきた者がその延長線上だと、そこは登れないのだろうなと思う。

いさどん:
なぜかというと、それは「人智」だからだよ。胸突き八丁の向こうはすべてを捨ててしまって、すべてをお任せという境地。そういった精神状態になれば自分も何もありません、という心境だ。きょうこの言う、「わたしって囚われていた。いのちというものはもっと必死にならないといけない」ということだ。生きることに真剣になって、がむしゃらにあがくことが生きることの証だよ。だから、瞬間瞬間生きることは真剣だ。そのことに気が付くと、生命力が湧いてくる。胸突き八丁は、ただ生命力に任せて、ただ前に出る足に従って行く境地だ。

人には人智を超えた生命力に出会える可能性がある、と僕は考えている。

――

文章を聞き終えたいさどんは、「胸突き八丁の胸は胸板のことだからね。だから、心のことだ」と言い、きょうこちゃんは「人智を越えたところに湧き出してくる。富士山を登ると、本当にあとちょっとというその最後が苦しいんだよね。もう目の前に上が見えているのにさ。よく行ったもんだねえ」と言った。いさどんは「初めて登ったときは配分がわからなかったから、最後のところは死んでもいいから登ろうと思った。死んだら登れんというのに(みんな、笑)。ご来光登山だったから、上が渋滞して亡者のようになってしまった登山者たちが動けずにいて、その間を踏んでいくような感じだった。途中であいこさんとはぐれてしまい、必死になって上がったら、あいこさんは上にいた(みんな、笑)!あんなに必死になって来たのに(笑)。『ちょっと大変だったろう?』と言って迎えてあげようと思っていたら、あいこさんのほうが『来れたねえ』と言うんだよ。僕が120%の力を出しても、草取りではあいこさんに絶対負ける!」と言い、こうちゃんが「負けるよね(笑)。競争するのが馬鹿らしくなっちゃう」と言い、さらにいさどんが「まりこと蕎麦刈りしてみろ!腹が立ってくるに(笑)」と言い、皆で笑った。

それからいさどんは、「新しい宇宙の分析をしたから、それをフランス人の人口学者のエマニュエル・トッドとヨーロッパの最高頭脳と言われているジャック・アタリに送ってあげないといけないと思ってね。エマニュエル・トッドにはようこちゃんがすでにメールしたよ」と言い、わたしは「彼に時代人のメッセージを送りたいと思ってね。『日本であなたが特集されている番組を観て、あなたが気に入ると思いましたので、時代主義のメッセージを送ります。もっと知りたければ、ぜひ富士山麓の木の花ファミリーに来ていただき、前人未到のディスカッションを地球と全人類のために行いましょう♪』というメールを送った(笑)。本当に来たら、彼にプレゼンしてあげないとね」と言った。

また、いさどんは、「結構良い色になってきたな。血がないはずなのに(笑)」ときょうこちゃんに向かって言い、こうちゃんは「どこかでスイッチが入ったのか。何かが起きているのだろうか(笑)」と言い、きょうこちゃんが「これから先も本当わからないなと思って」と言うと、いさどんは「覚悟しすぎて損しただろう?」と言って、皆で笑った。さらにいさどんは「人間が想定できるうちは、奇跡ではない。人間がダメだと判断したところから奇跡が起きる」と言い、こうちゃんは「胸突き八丁の話と同じで、本当に一線があるんだなと思ったよ。手放すということはこういうことかなって」と言った。きょうこちゃんは「やろう、やろうとしているときはダメだけど、手放したときに何かが起こる」と言い、いさどんは「妥協しているうちはダメだ。こういうふうだから、今度はこうと妥協しているうちはね。妥協も何もなくなってしまわないといけない」と言った。

そしていさどんは、「また来るから。次は3年後(笑)!来てもらいたかったら、危篤になること(みんな、笑)!こうちゃんから連絡があってここに来るときには、これで終わりかと覚悟して来るのだから」と言い、こうちゃんは「帰るときは皆で笑っているもんな(笑)。もう7回くらいそういうことがあったよ」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

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――

その後、きょうこちゃんの状態が安定してきたため、いさどんは一週間に一度きょうこちゃんのところへ行って雑談をしては、きょうこちゃんがよく笑い、11月28日に15回の放射線治療の最終日を迎え、12月12日の退院に至ったのでした。きょうこちゃんの退院にあたり、「こんな日が来るとは思えませんでした」とこうちゃんは言っていました。

 退院して、みんなと再会。
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 こうちゃんに付き添われ、2ヶ月ぶりに畑へ。
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木の花ファミリーに戻って2週間が経った今、きょうこちゃんは現在の想いを次のように語ります。

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この48日間のことを思うと、ものすごく貴重な体験をさせてもらったと思います。生死を彷徨うような状態であったけれど、振り返れば面白い体験でした。もうあちらの世界に行ってしまうかも知れないというのに、病室にはいつも笑いがありました。生きていても、死んでも、どちらでもいい。もともと大本はあちらの世界にいたのだから。そんな、囚われのない心になれると、いつも笑っていられるのだと思うのです。

とにかく、どこまでいっても「いただく」ということを学ばせてもらいました。手放すことで、奇跡が起きることも見せてもらったのです。

自分の今までの心は間違っていたことにやっと気付き、自分の心の眼が見えていなかったことにも気づかされました。やっていきます、と宣言はたくさんしてきたけれど、本当のところは、自分の心を見ることから、逃げてばかりいました。けれど、間違っていた自分を認めてしまうと、すごく楽なのです。ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。当たり前のことだけれど、その当たり前が、自分が強いばっかりに、やれなかったのです。

血も入れ替わりました。通常私の体の大きさだと、約3200ccの血液が体にあるそうですが、今回2160ccも輸血したのにそれ以上の出血があったのです。体が緊急事態を察知して、普段とは違う方法で血を作ってくれたとしか思えません。放射線治療の副作用で、腸炎を起こして、10日間何も食べられず、胃も腸も空っぽになりました。下痢がひどく、オムツをし、液状のものから始めて、だんだんと柔らかい離乳食のようなものになり、徐々に普通に食べられるようになっていきました。そして、一カ月以上も寝ていると、歩くこともできないのです。まずは座ることから、次は立つこと、そして少しずつ歩けるようになりました。つまり、肉体的には死ななかったけれど、体は、まるで赤ちゃんからスタートして、一から始めているのです。

心も一からスタート。そんな気持ちでいます。

だから、今の私は、私であって、私でないもの。不思議な感覚です。もともと、自分が生きている要素なんてどこにもないのですが、頭で分かっていただけで、本当には分かっていませんでした。知れば知るほど、「分からない」ということが分かる。本当にこの世界は奥深い。

まだ、みんなには話していないけれど、放射線治療をするとき、汽車が走るような音がします。まるで、銀河鉄道に乗っているような感覚になるのです。そして、宇宙空間に、蓮の花の上に横たわる私の姿が見えるのです。最初は妄想かな、と思ったけれど、何度も何度もその映像は出てきて、出血で苦しいときも、熱が出てしんどい時も、うつらうつらと眠っているときも、やっぱりこの映像が出てくるのです。何か大きな存在が、私が生きるべく、体を癒し、いつも見守ってくれている・・・。けれど、それは、私に限らず、全てのものがそうやって生かされている存在なのです。

そう感じました。

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これから、次の治療が始まりますが、いつまで生きられるか、それこそ分かりません。だから、今、私がやれることを精一杯やっていこうと思っています。体はまだ思うように動かすことが出来ないけれど、私がやれること、私にしかできないことがあるはず。こんな私でも何か役に立ちたい。そんな風に思って日々過ごしています。

今は、ゆっくりと療養させてもらって、本当にありがたいです。神様の愛と、みんなの愛をいっぱい感じている毎日です。ありがとうございます。

そして、今日はクリスマス。イエス・キリスト様のお誕生日ですね。私たちはいつもいつも、神様からたくさんプレゼントを頂いているのだけれど、今回のことは本当に大きなプレゼントをいただきました。頂いてばっかりなのですが、私に何か出来るとしたら、「病気」は決して不幸なことではなく、「神様からのプレゼント」だということを多くの人に伝えられたらいいなと思っています。

そして、シリア、イエメンなど未だに内戦が続いています。破壊しつくされた町や栄養失調でやせ細った赤ちゃんの映像を見ると、本当に心が痛みます。彼らがこの日をどう過ごしているのか、想いを馳せてみるのです・・・。本当に世界が平和になる日が来るように祈るとともに、その暗闇の元が自分の中にもあることを見詰め続けていくことだと思っています。

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――

そして、きょうこちゃんをずっと見守ってきたいさどんは、次のように語りました。

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「きょうこちゃんが市立病院に入院しているときは、『あなたの枠を取りなさい。いただきなさい』と伝えてきょうこちゃんはここまで来たのですが、きょうこちゃんがここに戻ってきたときには、『これから沼津のがんセンターに行く前に、健康な心になりなさい。そして体に残っている病気に対処しなさい』と伝えました。そうしたら、病気は格段に早く改善されることでしょう。

今はきょうこちゃんに会うたびに、『生きていたね』と改めて思うのです。何度か手放してきましたからね。そうすると、きょうこちゃんがただそこにいるだけで奇跡が起きていると思うのです。実は奇跡とは、当たり前のことなのです。奇跡が起きるのは、神秘が現れたのです。神秘とは、神の秘密です。それを秘密と捉えず、観えるようになってくれば、この世界は奇跡だらけなのです。そして、『奇跡』だらけで生きると、それがその人の生きた『軌跡』となるのです。

本当は、このような現象をもらわなくても、生きていることの意味を深く感じられたらいいのですが、人は滞りがない毎日を送っていると、日常に当たり前にあることがありがたく思えないものです。そう思えない人は当たり前にあることに対して意識しないので、想いが叶わないことに対して不満を言うようになります。きょうこちゃんからのメッセージにシリアやイエメンのことが書いてありましたが、昔のきょうこちゃんだったらそのようなことに想いを馳せることもなかったことでしょう。病気になることは歓迎することではありませんが、どこからでも学ぶ気になれば、良い体験になるのです。しかし、ならないほうがいいものはならないで学べることが一番良いですね。日々起きる出来事がわたしたち自身を教えてくれているのですから、いかに小さなことで気付けるか――、それが、日々どのような姿勢で生きているのかの証です。

しかし、小さな滞りで自らを振り返らなければ、出会う現象はどんどん大きくなっていきます。そして、最終的には命が懸かっている段階にまで至るのです。そこで、必死という境地に至るのですが、そのように必死になったときに、必ず死が訪れることを教えてもらうのです。わたしたちは必ず死ぬのです。ですから、丁寧に自らの心の在り様や出来事の意味を見つめ、常に理解する必死さがあれば、大きな現象をいただいて慌てなくてもいいのです。そして人に不満を言わなくてもいいのです。

最近きょうこちゃんの顔を観ると、顔つきには癌の相はなく、表情は健康体です。きょうこちゃんが癌になり、医者もダメだろうというところにまで行って、こうちゃんは7回もダメだとあきらめました。7というのは、カタカムナで質的転換を表しますから、良い数字ですね。体にはまだそれだけの現象の余韻が残っていますが、きょうこちゃんの心はもはや癌ではありません。昔は、きょうこちゃんの体は健康に見えましたが、心が癌をつくる響きを発していました。

木の花の自然療法プログラムを受けるために面談に来た人に、僕はこう伝えることがあります。『あなたは病気ではありません。あなたの心が病気を引き寄せる心をしているだけであって、実際は病気ではないのです。ですから、病気ではない心の姿勢を保っていけば、霊主体従といって健全な精神に健全な肉体が宿るのです。つまり、心が先にあって、それにならって現象が起きるのです。』そこで、そう思えるかどうかです。自分は運が悪いのだとか、自分は病気だから仕方がないのだと言っているようではダメですね。その心が自分の中に病気をつくり、病気を引き寄せるのですから。ある意味、病気になっている人はかわいそうでもあるのですが、冷静に客観的に観れば自業自得なのです。そこで、客観的に自分を観て、それを引き寄せた自分自身に気付けるかどうか。

きょうこちゃんは次のように書いています。

ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。 

そこで、何がバカだったのか。大切なことはそこなのです。人からそれを伝えられるときには、まだわからないものです。しかし、人と自分の区別がなくなると、人の言葉がそのまま自分の中に入ってきます。それが、我が小さくなるということです。そのようになってくると、人の言葉が直接入ってくるので、人からの目線が自らの目線となり、客観視点ができて、それを取り入れられるのです。そうすると、他者と共有し合う豊かな世界ができます。そしてそれが、イエス・キリストをはじめ、過去の聖人たちが説いてきた境地なのです。

あなたも別人になれますよ♪別人といっても、別の人になるわけではありません。あなたがあなたではなくなるということはないのですから。ただ、あなたを存分に活かすことはできます。その道は万人に与えられています。そのことに気付き歩み始めた人々は、人としての最高の喜びを知ることでしょう。そういったことを、わたしたちはこの世界からクリスマスプレゼントとして約束されているのです。

 
 12月24日 クリスマス会
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 木の花楽団に復帰し、新曲「花よ天まで」を弾くきょうこちゃん
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きょうこちゃんの物語は、続く!

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