暖かな陽だまりの中で

ぽかぽか暖かい陽だまりの午前。いつもは田んぼや畑で作業をしているまこっちゃんが、本宅の敷地内のいすに座りながら、隣にはのりちゃんがいます。何をしているのかな?と2人に近づいてみると、まこっちゃんの左人差し指には血が。それをのりちゃんがテルミー(編注:温熱療法の一種)していたのです。

何があったの?とまこっちゃんに聞いてみると。。。

「畑で芋蔓を切っていたら、一瞬にして、指をカマで切ってしまった。その時はやるぞ!という感じでやっていたから、切った瞬間はわけがわからなかった。

今日も一日、神様、存分に自分を使って下さい。御心のままに働かせて下さいと思っていたから、えっ、まさか?!と思ったよ。」と淡々とその時の気持ちを話してくれました。

切った後すぐ、こうちゃんに「のりちゃんにテルミーしてもらったらいいよ」と言われ、よしどんが本宅まで連れてきてくれたそうです。

心を磨くことを最も大切にしている木の花では、「現象を持って真実とすべし」という言葉があるように、すべて自分に起こる出来事は、自分の心の表われだと捉えています。そう考えると、カマで自分の指を切ってしまったまこっちゃんは、心の滞りからそういう現象をいただいたとも考えられるのですが、まこっちゃんとのりちゃんの醸し出している空気は、とても穏やかで、まさに今日の暖かい陽だまりのように、思わず近づきたくなるようないい空気です。

のりちゃんに、どんな話をしているのか聞いてみると、

「以前、自分があられを切っていた時に自分の指を切った話を、ちょうどまこっちゃんにしていてね。一瞬ですべてが変わるし、一瞬の積み重ねでいろいろなことが起こる。一瞬の怖さを伝えていたの。一瞬のおかげで自分はいろいろなことに気づいたから、私は指を切ってよかったなって。」

それを聞いていたまこっちゃんは、

「ああ、そうだなって。一瞬は怖いし、大切。だから、生きてるってすごい。何も起こっていないように見えても、一瞬の積み重ねで生きているわけだから、どれだけ守られているのかなって。本当にありがたい。」

こんなことでもなければ、まこっちゃんとこの話をすることもなかったよね、と微笑むのりちゃんは、今のりちゃんが読んでいる、ネイティブアメリカンの本の中の智慧のある女性を連想させます。智慧のあるものが若者にその智慧を伝える。

まこっちゃんが指を切ったことで、今2人がこうやって良い話ができて、良い空気を外に醸し出しているのなら、果たして指を切ったことは悪いことだったのでしょうか。良いも悪いもなく、そういったものを越えたもの。それがこの世界の仕組みであり、木の花が皆さんに伝えたい心です。

何でもありがたい、ありがたいと言って感謝しながら、ともに喜び、助け合って暮らしていく。神様に心を向け、お互いを想う気持ちが幸せな世の中を創っていく。

まこっちゃんとのりちゃんの今朝の空気から、そんなことを感じました。でもいつも、ミーティングが終わってからも、夜遅くまで、まるで受験生のように農業の勉強をしているまこっちゃん。体もたまにはゆっくり休めてね!

普通なら痛いはずなのに、こうやって微笑んでいられるのは、やはり神様がいつも見守ってくださるからですね。
普通なら痛いはずなのに、こうやって微笑んでいられるのは、やはり神様がいつも見守ってくださるからですね。

2 thoughts on “暖かな陽だまりの中で”

  1. そっか…まこっちゃん…

    これと言って気の利いたセリフもないけれど言わせてな。「まこっちゃん、忘れてないぞ!俺もここでこの世の人生精一杯やってるよ。まこっちゃんのツラ見れて嬉しいぞ!」

  2. @大ちゃんだよ
    大ちゃん コメントありがと!
    今、ひろっちが木の花に滞在していて、大ちゃんのことを想う機会が増えています。
    大ちゃん、神様に正直・素直に心を向けていますか?信じていますか?
    結果を考えずに、心を向けることが大切だよ!
    そうすると、自然に事が進んでいきます。
    今回、僕は心を向けた状態でケガをいただいたと感じました。
    すると、のりちゃんと良い時間もいただきました。
    大ちゃんからのコメントもいただけました。
    何事にも感謝!感謝!だね。

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