「絶え間なく不幸」な人生から、愛することを学びたい ~ ビビアンの自然療法体験記

ビビアンは、カナダで企業会計士として働くコロンビア人女性です。ファミリーメンバーのゆうちゃんが8年前にカナダへ留学した時からの友人で、ゆうちゃんを通じて木の花ファミリーを知ったビビアンは、「絶え間なく不幸で、自分の中に怒りがある」という自らの人生を変えるために、木の花ファミリーへ自然療法プログラム(通称ケア滞在)を受けにやって来ました。
滞在予定は2ヶ月弱でしたが、1ヶ月でプログラムの卒業に至ったビビアン。以下、ケアサポーターとしてプログラムのサポートを担当したゆうちゃん(以下ゆうこ)がまとめた、ビビアンのケア滞在記をご紹介します。

 

ビビアンのケア滞在記

【出会い】
ビビアンの自然療法プログラムの振り返りを始める前に少し、私たちの出会いについて紹介します。
私は2014年1月にカナダのカルガリーに行き、語学学校でビビアンと友人になりました。ビビアンはその前年に旦那さんの転勤のため、カルガリーで暮らし始め、カナダに知り合いもおらず、旦那さんは仕事で忙しかったので、寂しく落ち込むことが多かったようです。

留学中のビビアン(左)とゆうこ(中央)

私達は違うクラスでしたが、同じ学校の共通の友人であるブラジル人の女性を通じて知り合いました。私達3人は同い年で、みな結婚しており、すぐに仲良くなりました。ビビアンは私と同じ職業だったので、私はとても親しみを感じており、何度か家に遊びに行きました。その後私はカナダの違う場所に旅に出るのですが、出発当日はバスターミナルまで、ビビアンと、ビビアンの旦那さんが車で送ってくれました。

ジイジと愛ちゃんと蓮池にて

昨年の8月、ビビアンから久しぶりに連絡がありました。その際に私は、ジイジと愛ちゃんと3人で蓮池で撮った写真を送り、私がコミュニティに住んでいること、離婚したが今は精神的な家族がいて幸せであることを伝えたところ、ビビアンからは、是非その蓮池を見たいということと、木の花ファミリーのホームページを見て、自然療法プログラムを受けたいというメッセージがありました。
コロナ禍のため、日本の国境はしばらく閉鎖されていましたが、4月に待ちに待った国境の閉鎖が解かれ、ビビアンはこちらに来る手続きを開始しました。日本に6月20日に到着し、2か月弱の木の花ファミリーでの滞在が始まりました。

【ケア滞在の目的】
ビビアンがケア滞在の目的として申込書に書いていたのは次の通りでした。

私は絶え間なく不幸で、一日の中で感情の起伏があります。私は、自分の家族や私自身を含む人生の中で、様々な経験をしました。そしていまだに悪い経験を持ち続けており、怒りが自分の中にあります。私は過去にあった不公平な経験やすべての悲しみに恨みを持っています。私は自分自身から離れて、受入れ、許し、そして誰を愛し助けるべきかを自身で選択することなく愛するということを学びたいです。
私はこの世界、私の夫、私の家族との関係、そしてもっと大事な自分自身との関係性を改善したいと思っています。

 

ケア前面談 6月21日

日本に到着し、木の花ファミリーへやって来たビビアンは、まずジイジと面談し、以下のことを伝えられました。
「あなたは自分の個性をうまく使えていません。あなたのことを詳しく知るために、出来るだけ毎日日記を書き、過去について振り返り、子供のころからの良いことと悪いことを両方、思い出深いものを書いてください。
時差ぼけ(時差15時間)があるので、まずはリラックスしてこの生活に慣れましょう。今後は一週間に一度面談を行う予定です。滞在中は、出来るだけ木の花ファミリーの文化に触れるようにしましょう。」

 

ケア初日 6月22日

  • 養蜂場にて
    ビビアンは木の花ファミリーに来る前には、小麦粉やとうもろこしなどを食べると消化が悪くお腹が張ってしまうので、食べることを避けていました。しかし、木の花ファミリーで自家栽培した無農薬の小麦粉を使ったお菓子やとうもろこしを食べても、まったくお腹が張らず、次の日になっても何も症状が現れずに美味しく食べられたとのこと。施設見学で養蜂場を訪れた際に、そのことをジイジに伝えると、ジイジは「それはあなたが新しい環境になって心が前向きになっているからです」と言いました。「農産物は、それを作っている人の心や響きがとても影響します。例えば、お金が目的になるとその響きが農産物に乗るので、私達は心を綺麗にすることを一番にしています。畑を耕す前に、心を耕すことをずっと伝えてきました。」
    ビビアンが「どうやったら心を綺麗にすることが出来るのですか?」と質問すると、ジイジは「まずは正直になり、良いことも悪いことも正直に表現して、結果を受け取ることです」と伝えました。
    「全てのものは、響きを持っています。例えばある人が部屋に入るとそこが明るくなったり、ある人が入ると暗くなったりするのも、その人が持つ響きなのです。ですから、良い響きを発する人になることが大事で、そのために正直であることが大切なのです。」
  • 夜の面談にて
    カタカムナ、冥王星の周期が示す世代、地球暦などの観点から、ジイジによるビビアンの人格の読み解きが行われました。
  • カタカムナ
    ビビアンという名前を、「ビビ」と「アン」という、性質が異なる2つのものに大きく分けます。「ビビ」という響きは、ネガティブに他者と比べたり、恐怖を感じやすい性質があります。2つ「ビ」が重なっているので、それは強調されます。そして同時に、「アン」という高次の意識が混在しています。そこで、ネガティブな考えを認識し、自己コントロールして、高次の響きの方へ意識を向けていく必要があります。その2つの性質の間にはギャップがあって、対立しているので、生きるのが辛くなるのです。
    自分からネガティブを発することで、物事に困ることになります。出会う人や出来事は、あなたが発しているものの鏡としての役割を果たしており、あなたの人間性を表現することに協力しているのです。あなたは、人生のプログラムとしては難しいものを持ってきています。しかし、もしそれを克服したら、それはやりがいがあるものになります。「ア」という音に意識を向けていきましょう。
  • 世代
    冥王星の周期が示す世代の特徴

    あなたはさそり座世代という、新しい価値をもたらそうとする世代です。古い価値観に囚われず自分らしく生きようとするのですが、そこで迷う世代でもあります。意思は強いが明快なビジョンが湧かず、自分らしく生きたいがどうやってよいか分からない世代です。あなたの現在の状態はそれが当てはまるので、宇宙からすると、順調に進んでいるということです。

  • 地球暦
    あなたが生まれた時の太陽系の惑星配置を観ると、水星と金星が関連して一緒に働いています。水星は直観の星、金星は愛やデリカシーの星です。これは、あなたは考えるよりも直観で好き嫌いを感じる人であることを示しています。あなたの地球暦の中で一番柱になるのは、木星と海王星の絡みです。あなたには、沢山の人と関わりたい、そして精神性を高めたいという目的があります。

以上のような読み解きの後、ジイジは「リラックスしてリニューアルしたあなたになることが観えるので、そのためにも、今までのことを日記に書いてください」とビビアンに伝えました。

 

1週間目 6月22日~28日

ゆうこと市内見学に出かけるビビアン

ファミリーでの滞在をスタートしたビビアンは、表面的には穏やかに振る舞っていても、心の中では周りの人々がどう思うかを気にかけ、周囲の状況に過剰に反応していました。日記には、このままの自分で良いのか、良くなるにはどうしたらよいのかと、たくさんジイジに質問をしていました。

〈日記より〉*赤字は、日記に対するジイジからのコメントです。
お気付きかどうかわかりませんが、私は過度に謝るところがあります。ご覧になりましたか?これで大丈夫でしょうか?私の食べ物のことさえも、あなた方は受け入れてくれます(食べられないものが多くあるビビアンのために特別なメニューを用意すること)が、時々、こんなことをあなた方にお願いしてはいけないのではないかと思うことがあります。私は世話をしてもらうだけの価値があるのでしょうか?

その様に自分の考え方で結論を出さず、まずは正直に自分の内にある想いを出してみて下さい。それで良い場合もあれば、その考えを改める必要があることもあります。そのようにして、人は新たな自分へと変化することが出来ます。


私はとても繊細な人で、他の人の行動や動きに簡単に影響されます。ですから、むしろ自分の欲求を隠して誰かの邪魔をしないようにします。


そのように隠していることによって、よりその状態を継続させることになっていますから、自分の考えの中に結論を閉じ込めないで、出していきましょう。この挑戦は、これからのあなたにとても大切なものとなります。


まずは自分自身の物事の捉え方、考え方をシンプルにする必要があります。つまり、自分自身について振り返ること。それは、あなた自身の捉え方、考え方にどんな特徴や癖があるのか、それを客観的に捉え、知ることです。そうでないと、あなたはいつもどんな問題に対しても、今までの考え方、捉え方で判断していくことになりますから、それでは同じような結論に至り、あなた自身の成長にはなりません。それは、あなたにとって難しい事かもしれませんが、あなたの人間性の枠を広げるためにも、避けてはいけないことです。

まず、今回の取り組みの目的は、あなたが今まで体験してきた色々なネガティブな出来事が、あなたを成長させるために重要なものであるという気づきを得ることです。そういった気づきがあなたに生まれ、今まであなたに起きてきたことに対して、感謝の心が湧き出してくるようであれば、症状は自ずと軽減され、そして消えていくことでしょう。要は、こういった症状はメンタル的な症状だという事です。私は、今までの取り組みの中で、このような事例には沢山出会っています。そこであなたの事例について特徴的なことは、あなたはこのハードルを超えることによって、大きな人生の転機を迎えるだろうということです。そういったことが、私に感じられるから、私もこの取り組みの結果が楽しみです。時間は少しかかりますが、大切なことですから、丁寧に進めていきましょう。

また、ウェルカムコンサートの開催と総合プレゼンテーションを受けたビビアンには、新たな気づきがありました。

日記より〉
昨日、木の花ファミリーのプレゼンテーションを受けました。コミュニティ自体の解説と、人間が生きるべきあらゆる分野(精神的、社会的、経済的など)においてコミュニティがどのように持続可能であるかということに加え、私が毎日目にする調和的な生活の中で人々が互いをどのように気遣い、それぞれの能力がどのように評価され、コミュニティがどれほど柔軟で互いを理解し合っているかということに驚き、感銘を受けました。

私もあなたとの出会いに、単なる縁があった短期間のものではなく、未来を見通してこれからの繋がりが始まることを感じています。


私のこのコミュニティへのつながりと価値観はゆうこが伝えてくれていたよりもさらに深くなり、私の奥深くにいる自分が、木の花ファミリーを探していたことがわかりました。

過去5年間の浮き沈みを振り返ると、直感が私をここに導いてくれたことがはっきりとわかります。どうしたら、物質性だけに焦点を当てノートパソコンの奴隷となる生活を生きられるのか。どうしたら、他者のことを気遣ったり振り返ったりする時間のない生活に専念できるのか。なぜこの世界は、私たちが人間として真に何者であるかを気にすることなく、職業人として機械のように貢献することで評価され、常に競争し続ける場所であるのか。
このコミュニティの価値観を見た今、私は、真の人間が存在すること、私たちは私たち自身になれるということを理解できます。

あなたのこの記述を読んで、あなたの今までの人生の出来事(どちらかというとネガティブなものをあなたにもたらしていた)があなたに目覚め(真実)を促していることが感じられます。おめでとう!


今、自分の過去を振り返り、私には癒しが必要な傷があり、それは人として成長するために必要なこととして私に起きたのだと認識し、過去の経験を振り返るほど、自分がなぜ今ここにいるのかをより理解できるようになりました。出来事がなぜ自分に起きたのかを振り返ることで、私はそこから学ぶ必要があることを見付け始めました。


私もそのことをあなたに気づいてもらうことが、あなたに提供するべきことだと考えていました。

ジイジからは、まずはどちらかというとネガティブな過去を振り返ろうというアドバイスがありました。
 

  • 6月28日 1週間面談 
    ビビアンは自身の過去のトラウマを日記に綴り、その内容が面談でシェアされました。それに対してのジイジのアドバイスは下記の通りです。
〈ジイジからのコメント〉
そういったことは誰に限らず、その出来事にどこかの時点で区切りをつけて、何らかの結論につなげることにより、超えられるものです。その何らかの結論は、実は何でもよいのです。あなたの心が、その過去の出来事をいつまで引きずっていくのかということに対して、けじめをつける時が来れば、今現在そのネガティブな経験が継続しているわけではないということと、そのことにより、あなた自身が汚れたわけではないということが、事実であることがわかります。

今までのようなあなたの過去に対する解釈が続く限り、あなたは一生、その精神性を維持していくことになります。賢明な判断をしてください。簡単に言えば、スケールの大きな人になることです。

また、面談の冒頭では「徳」の話がされました。徳がある人は物事の流れが良く、ルールを守らなくても大目に見てもらえたりする一方で、徳がない人はいくらきっちりやっても何かクレームがついたりして良い流れにならない、ということが伝えられ、徳を積むことの重要性が確認されました。
そして次の週からの目標として、「客観的な視点を持つ」「感情的にならない」「世界観を広げる」「道理が通った考え方をする」ということが提示されました。

〈面談翌日の日記より〉
私は、思考と昨夜の面談の後に思ったことで目が覚めました。

その思ったこととは、毎日私に起こることを認識し、意識することから、この旅を始めようということです。私の経験を引き起こすのは私自身であるならば、私は具体的に自分が何をしているのかを見たいです。
私は近ごろ、そのことに焦点を当てることを目指しており、判断せずに注意深く物事を読み取る方法を学ぶ必要があります。気を散らすと集中力が失われる可能性があるため、このプロセスには時間がかかるであろうことを私は知っています。このアプローチから始めることで、少しずつ変化を実現することが可能になると信じています。私はこのプロセスを急いで行いたいとは思いません。

昨日の面談で伝えましたが、客観的視点を持つこと、感情的にならないこと、世界観を広げること、物事の道理に沿った理に適った考え方、行動をすることを優先して心がけていくことをお勧めします。

この面談を受けて、第2週目からのビビアンは客観的に自分自身を見ることを始めました。

 

2週間目 6月29日~7月5日

ファミリーの農作業などにも徐々に参加し始めます

ある日の夕食時、ファミリーメンバーで名前に濁点を持つ潤三君、敬悟君と話をしていたビビアンは、濁点を持つ人々は、新しいものに直面したときや、誰かに自分の心を公開するときなどに恐怖心があるという共通点を発見しました。
同時に、潤三君が色々な役割(鶏・醤油・ロータス・癒し処など)が出来るのは、色々なことに興味を持つ濁点の特徴を良い方向に活かしているということも理解しました。

〈この日の日記へのジイジのコメント〉
同じような共通点を持つ人と出逢うことによって、よい出来事に出会うより、どちらかというと思考がネガティブな発想や行動に繋がることが発見できることがあります。それは逆に、その特徴をポジティブに活かしていくための知恵を得るチャンスでもあります。互いに慰め合うのではなく、励まし合い成長していくことに繋げると、良い人間関係に発展していきます。
  • 7月1日 ターニングポイント 日本語学校の件
    ビビアンがゆうこに、時間があるのでオンラインの日本語の教室を受けたいと話したところ、ゆうこから、木の花にいるならここに来ないとできないこと、例えばどこか興味があるところへ手伝いに行く等したらどうか、日本語を習うよりも、前回ジイジからも話があったように、ケア期間中なので心に向き合うことを最優先にしたらどうかということが伝えられました。
    午後になり、そのことを振り返ったビビアンは、自分の空気が悪かったと思ったので、それについて話したいとゆうこに申し出ました。ビビアンは当初、日本語を学びたいのに出来ないなんて不公平だと思っていたのですが、他の視点から観てみると、ゆうこに伝えられたことはその通りだと思い、日本語のレッスンを受けずに、日常の中で日本語を習えばいいと思った、と言いました。そして作業も、通訳がいないと出来ないと躊躇していたのですが、身振り手振りでなんとか自分で意思疎通をしていけばいいと思った、と話しました。
    ゆうこはジイジの話として、優先順位一番を一番にすること、そうすれば良い流れが生まれること、また、優先順位が低いものをやるのは欲であることを伝えました。するとビビアンはとてもスッキリした表情になり、爽やかにありがとう!と言いました。この件から、ビビアンの表情が明るくなっていきました。
〈日記より この件についての振り返り〉
これは私にとって重要な気付きを意味しました。今、私は過去に同じことをしてきたことがわかります。物理的な必要性と欲求が私の最優先事項であったために、自らの精神的な道と成長の重要性を無視しました。

過去にあったそういった事例(無意識に発生するあなたの癖)について、冷静に振り返ってみることは、あなた自身のこれからの成長にとても役立ちます。

この経験を生かして、自分のニーズや欲求を満たすことなく、日々の流れに沿って進んでいきたいと思います。たとえば、自分に集中できなくなるくらい作業で忙しくするということです。

「忙しくする」という事の意味を、常にチェックする必要があります。「忙しい」というのは、するべきことの優先順位を忘れ、複数のことを同時に抱え込む心のことです。そういった時こそ、冷静に、今一番必要なことは何かという優先順位をつけて、やるべきことを粛々とこなしていけば、「忙しい」というプレッシャーを感じずに突破できるものです。そうすることで結果的に流れも良くなります。沢山あることをいっぺんに抱え込んで考えると、確実に流れは悪くなります。

その2日後、お弁当を詰める作業を手伝ったビビアンは、その時のことを以下のように日記に綴りました。

〈日記より〉
今朝、お弁当を詰めていた時、私は自分に割り当てられた仕事に集中しました。その時、私は自分がそこに何も感情を入れていないことに気づきました。私はただ、私がするように頼まれたことをやり、何か他に手伝えそうなものを見付けた時には、それを手伝うことができました。私は、他の人は何を考えているのか、何か批判するだろうかと、自らに問いかけることをしませんでした。私は、結果を予測するのを止めることを学んでいます。

考えすぎたり、自分にはできないと感じることで、自分の心が自分自身を裏切ってしまいたくなる瞬間が何度かありましたが、そういう時には辛抱強く自分の思考をやり過ごし、やるべき作業に集中しました。この取り組みによって私の気分は良くなり、自身のエネルギーと意識をそこに注ぐことでスムーズに進むことを実感できました。

難しい言葉で表現することも、それから決まった仕組みの様に何かを解決していこうとすることも、自らの考えを先に結果に載せてしまうことになるので、結果すら所有することになります。その場合、まだ何も起きていないのに、何が起きるのかについて前もって悩まなければならないことにもなります。これは人間だけの特徴ですが、そういった感情や精神状態を持っている人間はスマートに生きることは出来ません。現代社会もそういった落とし穴にはまっている状態です。多くの人がそこから抜け出ることは、日常のものごとを少ないエネルギーで進め、感情も穏やかで豊かな日々を送ることに繋がります。

それは一人の為のことのようですが、そういった爽やかな日々を送る人々が増えれば、社会が良くなっていくことにつながります。私はそれをとても大切に思い、この活動をしていますが、あなたも自分一人分の日々を健康にすることにより、世の中をよくする運動に参加してください。今日の日記を読んで、この先が更に楽しみになりました。
  • 7月5日 2週間面談 
    ジイジより次の事が語られました。
    「あなたはこのプログラムの取り組みに熱心で、よい成果が出ていますので、人格を理解するという今回のプログラムの取り組みは4週間で終わり、その後は精神性を高めるようなプレゼンを行います。今日はちょうど折り返し地点です。今までは、自身が発していたネガティブを題材として学んできましたが、それを超えて、毎日の日記や人や出来事、ニュース、世情について、どのようにポジティブにそれを学んでいくかということに、これから取り組んでいきます。その後、プレゼンを通して世界観を広げ、大事なことを伝えられる人になります。
    その後カナダに帰って遠く離れても、それは遠くにいる意味があるということです。近くにいるには近くにいる意味があり、それはどちらも大事な役割なのです。」

 

3週間目 7月6日~12日 変化

カナダ土産のメイプルシロップで皆んなにスイーツを作りました

この週は活動的で、キッチンでスイーツや卵料理の試作を行ったり、ちらし寿司の盛り付けを手伝ったり、醤油のかい入れを体験したり、商品の出荷のお手伝いなどを行いました。日々色々なことに、ありがとう、という気持ちが湧き始めます。

  • 7月10日 ターニングポイント キッチン事件
    キッチンで、とうもろこしを洗う作業を手伝いましたが、洗うことしか指示されていなかったので、虫食いの部分が取り除かれていませんでした。作業の指示をした三保さんはバーズ体操をするためにいなくなり、ビビアンが一人でとうもろこしを洗っていました。みさちゃんが、そのことに対して無責任であると三保さんに伝えましたが、三保さんはまったく受け取らずにいたので、みさちゃんが頭にきてしまい、言い争いになりました。ビビアンは言葉が分からず、唯一分かったのは、自分の名前がその言い争いの中に出てくることでした。
    夕食時にビビアンはとても暗い顔をしていて、いつもよりトーンが落ちていました。ビビアンはゆうこに、今日の午後の出来事について時間があるときに話したい、と伝えました。
    翌日は養蜂隊と朝霧高原の養蜂場へ行き、ジイジと話したり、自然の中でリフレッシュして、すっかりキッチンでの出来事を忘れて楽しみました。その日の日記には、前日のキッチンでの出来事から自分の至らない点(わからないことをすぐに聞かない癖)を把握し、それを変えていく決意と出来事への感謝が書かれていました。サポーターのゆうこが大人ミーティングで一連の出来事をシェアし、そのことはビビアンにとても大きな学びになりました。起きた出来事をみんなで振り返り、次に活かしていく学びの場があることにビビアンは驚き、とても感銘を受けていました。
〈日記より〉
山に登り、頂上に到達しようとする過程で、私にとって最も重要なことの一つは、その歩みの一歩一歩が励ましであり、調和的で、他の人に刺激をもたらすものだということです。ここ(この山)での旅の間、私は日々の生活の中でのこれらの経験を通じて、あなた方みんなから気付きや事例を得ています。そしていつか私自身が、外にいる多くの人々の気付きになるであろうことを知っています。

素晴らしい!この大いなる喜びへの道は、より多くの人と共にあることにより、さらに喜びが深まり、そして私たちに真の豊かさをもたらすことでしょう。いつでもどこでも一緒にやっていきましょう。
  • 7月12日 3週間面談 
    ジイジからは、カタカムナの観点から以下のことが伝えられました。
    「物事が観える目(芽)が出始めています。それを明快にするためにこの旅があること、そしてその可能性を目覚めさせることが大事です。今までのあなたは、“ビビ”という濁りが強くネガティブな性質でしたが、自分自身の濁りを理解することで、“ビビ”は本来の音である“ヒヒ”となります。“ヒ”は始まりの音ですから、それは再スタートを意味します。」
    また、カタカムナの観点から“アイ”についての紐解きもありました。この世界のあらゆる現象は全て“アイ”から生まれており、今までの全ての良くない経験も、ここに繋がったことも、全てが神様の愛であるということを確認しました。
    第4週目の課題として、日記には全てを素直にそのまま書くが、捉え方をポジティブにするというテーマが与えられました。4週間が終わったら、日本語の勉強も解禁(日本語の勉強はカタカムナの理解にも繋がるので)とし、色々な精神的な世界を探求していくことも出来ると伝えられました。

 

4週間目 7月13日~19日 変容

皆んなと一緒に落花生を収穫

新型コロナウィルスの感染が拡大する中、ビビアンは片頭痛や喉の痛みなどがあったため、念のため簡易的に隔離されることになりました。この週はほとんど部屋で過ごすか一人で散歩に行き、片頭痛や頭痛が続きました。この期間はサポーターともあまり話すことがありませんでしたが、サポーターから見たビビアンの印象は良く、さなぎから蝶になる前のぐっと内に籠る期間のように感じられました。

〈日記より〉
おそらく、今日はあまり表現することがありません。私は、浮かんでくる思いに囚われることなく、ただそれを浮かび上がらせ、手放していくことで、何ら努力することなく心を静かに保とうとしています。
私は、穏やかで目覚めた状態であることを選び、何の期待もしません。今言えることは、この状態でいることは、私に平和とやすらぎをもたらすということです。鳥の歌声やコオロギの鳴き声、人々の笑い声や話し声、車の行き交う音が聞こえ、私は自分自身の体を感じ、呼吸によって上下するお腹や、キーボードに触れている指を感じることができます。私は、今現在の全てに集中しています。
今この瞬間を生きることは、人生がもたらす如何なる状況にも対処できる道具を、私に与えてくれました。そしてそれこそが、私の求めていたものです。
私はまた、自分がやりたいと思う経験から離れることを選びました。私は宇宙と繋がり、宇宙が私にもたらしてくれる愛、平和、幸せ、思いやり、健康に従います。

その安定した精神状態にいつもいられるとは限りません。しかし、一度その世界に入ってしまえば、例えどんな状態が訪れようとも、またその安定した精神の場所に戻って来れます。だから、生きること(今を楽しむ)をエンジョイしてください。OK?

  • 7月19日 4週間面談 自然療法プログラム終了
    この最後の一週間の隔離は、自分の内に集中する一週間として良いタイミングでもたらされ、とても喜ばしいものだと思っている、ということがジイジから伝えられました。不要な考えがなく、今存在していることに集中できていることで、感じ方が以前と異なっています。プログラム終了後の残りの滞在期間は、精神的な学びをさらに深めるためのプレゼンを行うことになりました。
〈プログラム最終日の日記〉
今朝、私は起きて、ここで過ごした4週間のことを思い出していました。
私は、今の自分と日本に来た日のビビアンの違いについて見て取ることが出来ます。私は、日記を書くことを通じて、あなたが教えてくれたことをどのように学んできたかが分かります。私は今までに見たことのない異なる性格の自分自身を発見することが出来ています。そして、愛と共感する能力を捨てることなく、感情をコントロールするためのキャパシティがあります。それは人類、動物、自然、そして宇宙の全てに対するものです。

それは、あなたが今まで歩んできた、あなたにとってネガティブだったものも含めた歩みが、あなたにその目覚めを促していたのです。

私は、どんな苦労の背後にも、そこには学ぶ機会があるということを認識する能力に取り組んでいます。それは最終的に、私の過去からのこれらすべての学びを受け入れ、許すことを選び、私を今現在のような人にするものでした。
さらに、ここでの私の経験は、幸せになるために物理的なものは必要がないということを認識して浸り、そのことを本当に尊敬することを可能にしました。私は、ここの誰も競争したり、自分をより良く見せようとはしていないことがわかりました。私は本当の人々を見ることができます。そして大変な仕事やメンバーからの献身を通じて、このコミュニティに所属していることを感じています。あなた方みんなとの暮らしは、私に、正直でいるということを見せてくれました。そして、自らの心を開くことが、常に私が私自身であることを許し、振り返り、変化し、宇宙からさらに多くの祝福を受けることを可能にするということを示してくれました。
私は、ここでの経験が、私に心を開く鍵を与えてくれたことを書き留めておきます。そして、ここで過ごした数週間に感謝しています。私は私が求めたことよりももっと多くの事をいただき、本当に感謝しています!
私は、現在進行中のビビアンです。私は、あなた方全員から受け取ったものによって、そしてもちろん、私の全存在を通して人生が私に与えてくれたすべての経験によって、より力強いものとなった私の旅を続けます。どうもありがとうございます。

そのように、天は地上に降ろした人間の魂に目覚めてほしいのだと思います。それは、天が人々と共に地上を創るビジョンを持っているからです。それは、すべての始まりからあったビジョンです。今、人類の歩みは、その道からして極めて途上の様ですが、あなたがこことの出会いで得た学び方を人々が会得すれば、今現在山のように、そして溢れるようにある地球規模の問題ごとは、いともたやすく解決されることでしょう。そのことに目覚めた人々は、夜明けが近いことを知っています。何はともあれ、あなたの今回の取り組みがとても良い答えを得たことを大変喜ばしいことと思います。ありがとうございます。感謝。

 

その後もビビアンは滞在を続け、世界観を広げるためのプレゼンテーションを受けながら、日々様々な経験をしました。

夏休み中の子ども達と一緒に、長野県の大町ビレッジにも行きました

そして8月1日、ビビアンの自然療法プログラム卒業コンサートが開かれました。

ビビアンの卒業コンサート
お祝いのデザートのプレゼント

コンサートでは、木の花楽団から歌のプレゼントがあり、ビビアンはみんなの前で以下の手紙を読み上げました。

卒業に寄せて

木の花ファミリーでの55日間の滞在を経て、私は新しい人になったと言えることを誇りに思います。過去の傷は癒され、私の人生は変化しました。私がここで過ごした時間は、気付きと愛は今までも、そしてこれからも、永遠に私のパートナーであるという新たな視点から世界を観ることを助ける、完全なる経験を意味しました。私はジイジからの賢明で本質的な導きを受け、それはメンバー一人ひとりからのサポートや気遣い、愛、そして寛大さによって、さらに力強いものとなりました。

毎日、あなた方一人一人からの予想外の驚きがあり、それが私の日々を特別なものにしてくれました。一人一人からの英語での言葉がけや挨拶、ハグ、美味しくて栄養豊富な食べ物、とても珍しい酵素ジュース、キッチンの知恵、本や写真のシェア、畑での時間、ロータスランドで私のために作ってくれたご飯、清潔な服、温かいお風呂、必要な時に与えられる自然の薬、会話、鍼治療、英語教室、正確で的確な通訳、笑顔、猫、ウェルカムコンサートやパフォーマンス、私が食べたそれぞれのフルーツ、居心地の良い日本の伝統的な風呂、一人一人の気遣いや、あなた方の仕事に対する貢献から、私は多くのことを学びました。

多くの思い出がありますが、それを書くにはスペースや時間が足りません。それでもなお、私は木の花ファミリーのみなさんに、ここはまるで不思議の国で、世界にインスピレーションをもたらす場所であることを知ってもらいたいです。私が体験した様に、全ての人に桃源郷に住む機会があることを願います。このファミリーは、私がこれまでの全人生の中で受け取ったよりもさらに多くの愛と思いやりを与えてくれました。そして私は、そのことを永遠に感謝します。

私のここでの時間は終わりを迎えますが、私の心の中には、私が愛し、そして永遠に覚えている100人のメンバーからなる新しい家族がいます。私の魂を輝かせ、そして私の日々を幸せにしてくれて、ありがとう!

ビビアンの魂の旅はこれからも続きます

 


木の花ファミリー通信2019年秋分号 〜 カタカムナ

現代によみがえる宇宙の叡智
混沌とした現代を生きる人々に新たな視点を贈る

カ タ カ ム ナ

 

あなたが見ている世界は 氷山の一角

近代社会は、科学の進歩によって目覚ましい発展を遂げました。より豊かに、より快適に。人間の願いは新たなテクノロジーを次々と生み出し、世界を自分たちの都合の良いように創り変え、その暮らしはとても便利で快適なものとなりました。しかし、願いを叶えれば叶えるほど、人間は自然を無視した一方的な欲望をさらに膨らませ、その欲望を満たすための営みは地球上にたくさんの矛盾をもたらすこととなりました。
莫大なエネルギー消費による地球温暖化は各地で異常気象を引き起こし、冬には豪雪、夏には巨大台風や大水害が起こることが今や当然のようになり、快適な暮らしの影で排出される様々な汚染物質が環境中に蔓延し、放射性廃棄物やマイクロプラスチックなどはもはや浄化不可能と言われています。物質的な豊かさを追い求める中で人々の絆は失われ、人と人、国と国が争い、格差や少子高齢化が進み、社会全体の不安や苛立ちを表すかのような犯罪が頻発するようになりました。これらの現象はすべて、私たち人間がこれまで行ってきたことの結果として現れてきたものなのです。そして今、そういった現象を生み出しながらその根本から目を背けてきた人類が、いよいよそれと向き合わざるを得ない時代が始まったのです。

この、生きることがとても厳しくなるこれからの時代に、もはや科学ではどうすることもできない行き詰まりへの突破口を開く視点を、私たちにもたらしてくれるものがあります。それがカタカムナです。

海に漂う氷山は、海面上に姿を現しているのは全体の1割にすぎず、残る9割は海面下に潜んでいます。私たちの生きる世界も同じことが言えます。現代人が五感で感知する「見える世界」はこの世界全体の氷山の一角に過ぎず、その奥には、「見える世界」の存在を支える「見えない世界」が広がっています。この「見える世界」と「見えない世界」を合わせて、「現象界」と言います。そしてさらに、その現象界の奥に、この世界のすべての存在の源となる根源的な世界があるのです。これを「潜象界」と言います。
氷山は、海上に吹く風の向きとは別の方向へ流れていくことがあります。それは、陸で感じられる風の向きと、海中で氷山を動かす海流の向かう方向が違っているからです。この世界は、現代の科学では解明できない、目には見えない巨大な流れによって動いています。その流れに意識を向けた時、そこに世界を動かす大いなる意思が存在することが観えてきます。長い間封印されてきたカタカムナが現代によみがえり始めたことも、その壮大な流れの中にあるのです。

それでは、この世界の全容をひも解くカタカムナの世界へご案内しましょう!

 

1万3千年前の宇宙物理文明

カタカムナは、太陽系が光のピークにあったおよそ1万3千年前に東アジアに栄えていたと云われる、高度な宇宙物理文明です。太陽系が光から闇のピークへと向かう時代の流れと共に衰退し、代わって形あるものを追い求める物質文明が台頭していく中で、長い間歴史の表舞台から姿を消していましたが、1949年、兵庫県の六甲山系にて物理学者の楢崎皐月氏が大地の電位測定調査中に出会った老人より「カタカムナ文献」を見せられたことから、その叡智が現代にひも解かれることとなりました。

カタカムを質的転換しながら無限に循環する仕組み
私たちの生きる世界は、「見える世界」と「見えない世界」から成る現象界と、現象界の奥にあって現象界を支える潜象界によって成り立っています。カタカムナの時代を生きた人々は、この潜象界の存在を直観によって感知していました。
潜象界とは、現象界に発生するあらゆる現象、生命、物質の源となる、響きの世界です。その響きは物理的な音として耳に聞こえるものではなく、すべての存在の根源として全宇宙空間に満ち満ちているものであり、そこには一切の歪みも濁りも存在しません。カタカムナの時代の人々は、この宇宙創成の響きの波動を直観によって感じ分け、その時代の人間の可能な発声に合わせて48音に分類し、後にそれを八鏡文字と呼ばれる独自の図象に表しました。そしてこの48音が、現在の日本語の元となったと云われています。

八鏡文字で表されたカタカムナのウタヒ 第5首・第6首

この48音は、1音1音が宇宙を構成する要素としての独自の意味(思念)を持っています。人々はその純粋な音の組み合わせによって80首(一説によると120首)のウタヒを創り、この世界の成り立ちを表現しました。特に「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト」で始まる第5首・第6首は、宇宙の創生、発展、消滅の物理性を表し、ものごとが現象化していく過程が数理によって示されています。また、ウタヒの多くは性の本義に関するものであり、その時代の人々は、生命発生の根源的な仕組みであり、男女の対向発生によって大宇宙生命の響きを直接感受する性の営みを本能のままに行い、宇宙根源の響きに共振することで自らの直観力を向上させ、生きることが大変厳しい環境にあった時代を、正しい生命カンを働かせることで生き抜いたのです。当時の人々は、脳で思考するのではなく全身の細胞で源の響きを感受(全身全霊)し、星々の命を受け、自然と対話し、大いなる宇宙の循環の中を生命の原理のままに生きていたのです。
この源の響きの世界、即ち潜象界を、「カム(=神)」の世界と言います。すべてがかみ合い一切の歪みのないこの純粋な響きの世界に、思い(思念)が満つり、溢れ出ると、それは美しい歪みとなって現象界に現れ、命となります。多様な命のネットワークが表現される現象界は、「カタ(=型・形)」の世界です。すべての存在はカムの世界からカタの世界へと現れ、役割を終えれば再びカムの世界へと還り、二つの世界を質的転換「ナ(=成る)」しながら無限に循環し続けています。この、カタとカムの大いなる循環の仕組みが「カタカムナ」なのです。

 

汚染の極みにある現代社会

この世界の現象は響きから成り、すべての存在はそれぞれに固有の響きを持っています。カタカムナを生きていた時代の人々は、その響きを感受して48音に分類し、一音一音を組み合わせて言葉にすることで、その存在の奥に秘められた意味を本能的に認識していました。ドレミファソラシドの7つの音階から無限のハーモニーが生まれるように、48の純粋な音の組み合わせによって多種多様な生命の個性がふさわしく表現(名付け)され、自然世界における美しいネットワークに発展していったのです。しかし現代を生きる人々は、そのものの持つ固有の響きを無視し、他の生命には見られない高い自己実現能力を使って欲望のおもむくままに行動することにより、その行いにふさわしい出来事を現象化するようになりました。そして、宇宙を創っている根本の響きとは異質な世界を生み出すこととなったのです。
近代の科学的思考に染まった現代人は、三次元の現象として捉えられるもの以外の存在を認めず、多重構造の世界の中で「見える世界」だけに意識があります。作物に虫が付けば農薬を使って殺し、病気になればただ症状を抑えるための薬を処方するように、その問題の根本と向き合わず表面的な対処を繰り返すことで、世界に矛盾を積み重ねてきたのです。その結果、現代の「見える世界」には人工の歪んだ響きがあふれ、様々な問題ごとが表面化して大きな行き詰まりを迎えているのです。
「見える世界」は、主観の世界です。人々の意識は常に「自分が」中心であり、その自分の行いが世界に何をもたらしているのかを客観的に捉えることをせず、平和や環境保護を訴える活動であってもそれぞれが自らの正しさを主張し、結果的に世界に対立をもたらしています。それに対し、その奥にある「見えない世界」は客観の世界です。自然界では水が汚れればバクテリアが浄化してくれるように、「見える世界」で歪み汚れたものは「見えない世界」までを含めた自然循環の中で浄化され、健全になっていくのが本来の仕組みです。ところが現代の人間の営みは、自然の浄化能力を超えるほどの汚染を生み出し、もはや現象界の中の循環だけでは浄化不可能なところまで来ています。この、現代人の意識では解決できないほど歪み汚れた世界を元の健全な状態へと還していく無限なる循環の仕組みが、天然循環です。

 

全身全霊で宇宙を生きる

現象界は、原因と結果の無限の連鎖から成っています。その無限の連鎖をひとつの物語として捉えた時、その奥に、物語を表現する大いなる意思の存在が観えてきます。これを客観背後と言います。それは人智をはるかに超えた、世界を存在させ、動かしている仕組みの大本です。
世界は、決して止まらぬ時の流れの中で変化・変容・変態を繰り返し、未知なる未来へと進み続けています。カタカムナの時代の人々は、その瞬間、その瞬間を全身全霊で感じ取り、刻一刻と変化していく環境の中で生きるために必要なことを瞬時に判断し、命を紡いでいました。そこに固定概念はなく、ただ世界の変化と共に自らも変化しながら、その瞬間、瞬間を生きていたのです。この変化の連続が進化であり、美しい生命の姿であり、本来の生命力なのです。
全身全霊とは、全身を構成する数十兆の細胞がパラボラアンテナとなり、脳の思考ではなく全身で響きを感受し、その響きを自らの命に染みわたらせ、言葉や姿勢を通して表現することを言います。私たち生命は、この世界を単独で生きているのではありません。まず大宇宙があり、その中に銀河があり、太陽系があり、地球生態系があり、人類がいて、私たち一人ひとりが存在しているという生命の序列のもとに生きているのであり、すべての生命は一番の大本である宇宙の根本原理に基づいて存在しているのです。自然界の動物や植物は自我による汚染がないため、細胞のDNAが純粋に宇宙と呼応しています。ですからその生命活動は、教わらずとも宇宙の仕組みを反映し、美しい表現となるのです。それに対し人間は、進化の過程において唯一、思考を持つ生きものとなりました。そしてその思考を自我によって実現する能力を与えられたことで、自らの欲望を満たす快感の虜となり、自我を肥大させ、自らが宇宙と呼応する存在であることを忘れてしまったのです。そして宇宙の根本原理から外れることで、現代人は今、生命世界を汚染し、破壊する存在にまでなっているのです。
人間が再び宇宙と呼応する存在となるために、私たちはもう一度、思考を自我から取り戻す必要があります。自我に翻弄されるのではなく自我をコントロールする立場に立つことで、思考を宇宙と呼応させるのです。その時に宇宙と対話するアンテナの役割となるのが、全身の細胞の中にあるDNAです。私たちが生命として生きる時、全身の細胞は既にその生命原理を持ち合わせ、女は女のように、男は男のように命を表現し、人生を全うします。それと同じように、宇宙生命の一部である私たちのDNAには、宇宙の始まりから終わりまでの情報が眠っているのです。そこには未来への設計図があり、私たちは生命として生きることで、それを体験という形で、次の時代への英知としてさらにDNAに刻んでいくのです。
その自らを自我の囚われから解放した時、私たちは本当の自由を生きることになります。「クニ」という思念をカタカムナでひも解くと、それは国境で区切られた領土のことではなく、自由「ク」が定着した場「ニ」を示しています。それが、クニを生きることの真の意味です。自らを解放し、全身全霊をもって宇宙に語りかけ、全身全霊をもって宇宙からのメッセージを受け取るのです。
その時に、宇宙根源の純粋で美しい響きがあなた自身から発せられ、この世界に響き渡ることでしょう。その響きは、世界の歪みを解き、生命に活力を与え、壊れたものは自ずと修復され、正常に戻っていくことでしょう。それが天然循環の世界であり、カタカムナを生きるということなのです。

 

 

現代を生きるカタカムナ人

私たちの存在する天の川銀河の直径は、およそ10万光年と言われています。それは、現在観測できる中で最も速く、現代物理学の基準となる光の速さで端から端まで進むのに、10万年かかるということです。つまり、科学的観測によって宇宙を解明することには限界があるのです。
しかし実際には、この世界には光の速さをはるかに超えて、宇宙を一瞬で捉えられるものがあります。それが私たちに備わっている、思念です。思念とは、魂を持っているものが発するものであり、アマハヤミ(光の速度の10の64乗倍)で瞬時に宇宙を駆け巡ります。宇宙もまた魂を持つ存在であり、科学では到底捉えることのできない広大な宇宙空間を、アマハヤミによって秩序を保っているのです。カタカムナ人は、高度な観測機器やデータを持っていたわけではありませんが、宇宙の実相を感受して生きていました。もしも宇宙と同じように思念を持つ私たち人間が、宇宙の秩序を保つ大本の意識に目覚め、その意識レベルで共振したならば、人間はその大本の意識と共に宇宙を運営する存在にもなれるのです。

宇宙とは、無限なる情報の連鎖です。そこでは必ず相反するものが同時に存在(対向発生)し、大きいが小さく、小さいが大きいのです。そこに正しいも間違いもなく、ただどの位置に立つとどうなるかという、因果応報の原理に基づく情報があるだけです。しかし人間は、文明の発祥と共に紙や文字を発明し、本来多次元であるこの世界を二次元の平面上で解釈し、良いか悪いか、正しいか間違いかという二元思考で捉えるようになりました。そして「これが正しい」と特定のものを固定し、自分は正解を知っている、という立場に立つようになったのです。
科学は、物事を細分化し、その切り取った部分をとても鋭く探求します。ですからそれを繋げていくことで、全体像を捉えることもできるのです。そこで特定のものを絶対とすれば、その中だけで答えを出すこととなり、固定概念を生むことになります。それは、変化・変容・変態していく世界の中で必ず矛盾を発生させることになるのです。特定のものを正解として固定するのは、自らが正解を知っている者でありたいという人間の性質があるからです。「自分は知っている」という立場に立つことで、人間は傲慢になり、自らがこの世界に生かされていることを忘れ、宇宙に存在する本来の意味から外れていったのです。
どんなにわかったつもりになったとしても、私たちは銀河の果てまで行くこともできなければ、たったひとつの生命すら、生み出すことはできません。この世界の存在は、すべて宇宙の叡智によって生み出されているのであり、人間が自分の力で創り出せるものは何ひとつないのです。

その昔、宇宙には、叡智が漂っていました。その叡智が時代の要請を受け、現象を引き起こす思念となりました。それがこの世界の現象化の始まりです。そして始まりが叡智であったように、私たち人間も、他のあらゆる存在も、すべての現象界の設定は、いずれまた叡智へと還っていくのです。その時に、現象のすべては空となるのです。
このことを理解するためには、人間は「自分はこの世界のことを知っている」という側に立つことをやめ、「自分はこの世界によって生かされている」という側に立たなければなりません。その時に、宇宙の叡智は自ずと自らの中に入ってくることでしょう。宇宙は変化・変容・変態し続け、時代と共に真実も移り変わります。ですから現在のカタカムナの解釈をもって、これがすべて正しいとする必要もないのです。それは知識として固定されるものではなく、それを会得することで大宇宙生命の根本の響きと共振し、この世界を動かす、目には見えない大いなる流れを感じ取るのです。これからの時代は、生きることがますます厳しくなってくることでしょう。その時代の変化の中で、瞬間瞬間を感じ取り、そこを生き抜いていく力を身に付ける、そのための情報に今、あなたは出会っているのです。
宇宙は情報です。生きるとは、こうするとこうなるという因果応報の情報の連鎖に出会うことであり、カタカムナはその根本原理を私たちに教えてくれているのです。しかし、その原理が通用しない世界が宇宙にはあります。私たちは、因果応報の原理に基づくトキとトコロの対向発生によって存在する、天の川銀河の法則のもとにあり、他の銀河へ行けば、そこにはまた別の法則があるのです。
このように宇宙を捉えていくと、これまでに使ったことのない脳の部分が働き始めます。すると、視点が変わります。視点が変わることで、人は自我から解放され、自由になるのです。

今、時代は大きく変わろうとしています。時代が変わろうとしているのに、人間が変わらないから、社会も変わらず、そのギャップがふさわしい現象となって現れているのが現代の社会です。今社会で起きている様々な現象は、私たち人間が意識を変えて生まれ変わる、即ち質的転換をする大いなる機会を与えられていることを、教えてくれています。無限の可能性を秘めた私たち人間は、どこまで到達することができるのか。その本領を試される時が今、来ています。
カタカムナ人とは、遠い昔を生きた自分とは別の人々ではありません。カタカムナは、私たちの生きる世界の原理原則であり、今この瞬間も、その仕組みによって世界が動いています。その事を理解し、それを生きた時、私たちは現代を生きるカタカムナ(宇宙)人となるのです。

 

 

 


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木の花ファミリー通信2018年夏至号 〜 ある世界とない世界

シリーズでお届けしている「21世紀の死生観」、第一部『死ぬってどういうこと?』に続く第二部のテーマは、『ある世界とない世界』。
私たちは宇宙を生きています。しかしまだまだ、宇宙を生きているという認識を持っていません。第二部では、この宇宙の構造をひも解き、私たち生命に必ず訪れる死について深めます。


 

 

陰と陽

私たちは日々、目に見える世界を生きています。自分自身の体を始め、あらゆるものの姿かたちを目で捉えることによって、その存在を認識します。科学に代表される現代人の思考回路は、この「見える世界」だけをすべてと捉えています。目に見える現象が起きて初めてその存在を認識し、そこに問題を感じれば、また目に見える形で解決しようとするのです。
しかし目に見えるものの奥には必ず、目には見えない存在があります。心、思い、魂 ──── それらは目で見ることはできませんが、その見えないものが、表面に現れた見えるものの本質を成しています。形のある「見える世界」を陽とするなら、形のない「見えない世界」は陰です。この「見える世界」と「見えない世界」を合わせて、ある世界(現象界=現象の起きる世界)」と言います。目に見える私たちの体も、その奥にある目には見えない魂も、どちらも「ある世界」を形成しているのです。

 
宇宙は呼吸をしている

宇宙は対向発生と言い、常に相反する二つのものによって成り立っています。天があれば地があるように、男がいれば女がいるように、必ず対となる陰陽の存在があり、互いを成り立たせ合っています。では、「ある世界」を陽とするならば、必ずそれと対になる陰の存在があるはずです。それを「ない世界(潜象界=すべての現象の源の世界)」と言います。「ある」ことが前提となっている現代の私たちの思考で、この「ない」世界を捉えることはできません。それは、あるとかないという概念すら存在しない、響きだけの世界なのです。

〈図1: 発生と消滅を繰り返す宇宙の仕組み〉 

この世界(宇宙)はもともと、何も「ない世界」でした。ところがある時、「無」から「有」が発生しました。何もなかった世界に時空が生まれ、それがどんどん膨らんで多様性が広がり、現在のような現象世界となったのです。やがてその膨らみがピークに達すると、今度は徐々に収縮していき、いずれ無へと収束します。即ち、「ない世界」へ還るのです。
この発生から消滅までのプロセスを、宇宙は無限にくり返しています。それは宇宙の大いなる呼吸です。気の遠くなるような壮大なスケールで、宇宙は悠々と呼吸をし、すべての生命はその中を生きています。そして私たち自身の命もまた、宇宙と同じ仕組みによって成り立っているのです。

私たちのDNAの中に、宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が眠っています。そこに、これから人類が宇宙的進化を遂げる大いなるヒントが秘められているのです。

 


 
宇 宙 の の 物 語  

もしも私たちが、目に見える世界だけをこの世界のすべてと捉えたら、誕生は始まりであり、死は終わりであると思うことでしょう。しかし事実、この世界はそのような単純な仕組みにはなっていません。「見える世界」と「見えない世界」を合わせた「ある世界」、そしてそれらの源である「ない世界」が立体的に折り重なる多重構造の世界を、私たちは時の流れと共に、ある時は肉体を持ち、ある時は魂だけの存在として、そしてまたある時には宇宙の最極小微粒子へと姿を変えながら、永遠の旅を続けています。それは、大いなる宇宙の呼吸の中で紡がれていく、命の物語です。

 
ある魂の変遷を見てみよう

ある魂が、肉体を持ち、人間として地球に生まれました。そこは「見える世界」です。魂は、魂だけの状態では自分がどのようなものであるかを認識することはできませんが、ひとたび肉体を持って地球に降り立つと、様々な現象に出会います。そこでは、姿かたちや生まれる環境の設定から、日常の中で出会う出来事の一つひとつまでが自分自身にふさわしく起こり、魂はそれらの現象を通して、自身がどのようなものであるのかを知っていきます。人生とは、まるで鏡のように自身の姿を正確に映し出してくれる「見える世界」の中で自らを知り、その自らを進化させていくことなのです。

やがて人生のサイクルが終わりを迎えると、魂は肉体を離れます。これが死です。それまで魂によって束ねられていた肉体の構成物質は原子レベルに解体し、地球生態系の循環の中で次なるものの原料となっていきます。一方魂は、自らの精神レベルにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。そこは、「見えない世界」です。地上を生きている間にどれだけ成長したかによって、「見えない世界」の高次の位置に還るものもいれば、地獄のような低次の位置に陥るものもいます。そしてどれだけかの期間が過ぎると、また肉体を持って地上に降り立ち、「見える世界」で次の人生をスタートさせるのです。

過去から未来へと一方通行に向かう時の流れに沿い、魂は「見える」「見えない」「見える」「見えない」と二つの世界の中をらせんを描いて進みながら、輪廻転生をくり返します。それは例えるなら、食べ物が体の中に入るようなものです。食べ物は、目に見えます。それを私たちが食べ、体の中に入れば見えなくなります。しかしその見えなくなった食べ物は、エネルギーとして目に見える私たちの体を動かします。やがて体から排せつされれば、形を変えて再び目に見えるようになります。見えても見えなくても、それは確実に存在し続け、「ある世界」の中を循環しているのです。

〈図2: 魂の輪廻転生の仕組み〉
宇宙(図1)の中に、無数の魂(図2)が発生と消滅をくり返しながら存在している
魂が「ある世界」の中を循環している間も、命の源のエネルギーは常に「ある世界」と「ない世界」を循環し、新鮮な生命力を与え続けている。*詳しくは「21世紀の死生観・第一部」をご覧ください。

 
巨大な生命の中のひとつの軌跡

肉体を持った一つひとつの人生に寿命があるように、魂にもまた寿命があります。それは言わば、魂の賞味期限です。たくさんの人生を通して進化し、十分に学んだ魂は、賞味期限が来て寿命を迎えると、宇宙最極小微粒子となり、「ある世界」の源である「ない世界」へと還っていきます。宇宙最極小微粒子とは、原子よりも素粒子よりもはるかに微細な、現代の科学では感知することのできない宇宙の最小単位であり、この世界のあらゆる存在の原料となるものです。
宇宙の最小単位となって「ない世界」へ還ることで、その魂の物語は終焉を迎えます。しかし、宇宙が発生、消滅、また発生というプロセスを無限にくり返しているように、ある魂の物語の終焉は、次の物語の始まりでもあるのです。この終わりと始まりの重なる地点は時の流れの上のほんの一点でもあり、「ない世界」ですから永遠であるとも言えます。そして、それら一つひとつの魂の物語の軌跡が、宇宙という巨大な生命に刻まれていくのです。

           

 
「思い」は「重い」

では、魂はどのように進化の道をたどるのでしょう。
魂が進化できるのは、肉体を持って「見える世界」を生きる、人生の間だけです。しかしそこで目に見えるものばかりに囚われていると、地上に降りてきた真の目的に目覚めることはできません。一生懸命勉強をして優秀な成績を取り、社会的地位のある職に就いてたくさんお金を稼ぎ立派な家や車を買い、欲しいものは何でも手に入れて大満足の人生だと思ったとします。それが現代の多くの人間にとってのステータスです。ところがそれを霊的な目で観れば、自我が膨らんだだけなのです。
魂は、肉体を持って生きている間は肉体の重みによって地上につなぎとめられています。しかし肉体を離れれば質量を失い、何も地上に執着がなければスーッと上へ昇り、本住の地である異次元宇宙、即ち天へと還るのです。ところが、これは自分のもの、あれも自分のものと自我を膨らませてたくさんのものを抱えていると、その囚われの思いが重りとなり、肉体を離れても上へ上がることができません。極端になると輪廻もできなくなり、思いがどんどん重くなって地中のマグマまで堕ちていき、火に焼かれて宇宙の最極小微粒子へと解体され、存在そのものをリセットされる場合もあるのです。

 
あなたを裁くのはあなた自身

生きている間にどれだけ自分自身を磨いたか。人間として地上にいる間は様々なレベルの魂たちが一堂に会していますが、肉体を離れるとそれぞれにふさわしい異次元宇宙に分類され、異なるレベルの魂同士が交流することはありません。逆に言うと、地球はそれだけ多様性に富んだ場所だということです。
地上での学びを終え、ふさわしい位置へ還った魂たちは、前世での結果を元に次の人生のプログラムを組みます。例えば前世で戦争をしたとしたら、次の人生では相手の国に生まれることもあります。今自分が敵として憎み戦っている相手は、実は前世の自分の子孫だということもあり得るのです。
プログラムにはそれぞれに固有の寿命も組み込まれますが、地上に生まれる時にはその記憶の一切を消されます。なぜなら、先に答えを知ってしまっては時を越えて思考するようになり、生きる意味を悟る機会がなくなるからです。現象界を生きるとは、時と共に旅をしているということです。過去に囚われるでも未来を決めつけるでもなく、瞬間、瞬間の「今」を生き、その時々に出会う出来事を頂きながら、自らがどのような響きを発しているかを知り、変化していく。それが生きる意味です。
そして、たとえ過去の記憶が消されても、その履歴はすべて魂に刻まれています。肉体の解体と共に物理的DNAは消滅しますが、その瞬間、瞬間、自分が何をしたかということはすべて霊的DNAに刻まれ、その集積が今現在のあなたを創っているのです。生きている間にどれほど美しく着飾り、高い地位を得て世の中から評価されたとしても、死んで肉体から抜け出したとたん、あなたの魂の真の実態が明らかになります。その時にあなたを裁くのは、他でもない、あなた自身です。なぜならあなたは、あなたの人生に寄り添いすべてを確認してきた存在であり、だからこそごまかすことができないからです。そしてそこに汚れが刻まれていれば、来世のプログラムは、その汚れを反映してスタートするのです。

 
宇宙の総意に沿う、大樹の   

地上に生まれる時、魂は単独でプログラムを組むのではありません。魂たちは常に、この世界と協議をしています。
長い長い時の流れの中で、無数の魂たちが地上に降り立ち、その時代、その時代にふさわしい役割を果たしては旅立っていきました。魂たちは輪廻転生をくり返して自らの歩みを刻みながら、同時に世界の側から、時代を表現することを託されているのです。無数の魂たちの一つひとつに、後にも先にも二つとない、オリジナルな役割が託されています。魂たちは時代という巨大な生命の一部として、今この瞬間も、はるか昔からずっと続いてきた宇宙物語を紡ぎ続けているのです。
時の流れをさかのぼっていけば、宇宙の始まり(=終わり)に行きつきます。反対に、先へ進んでいけば宇宙の終わり(=始まり)に行きつきます。この、宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が、私たちの魂の霊的DNAの中に眠っているのです。
それを目覚めさせるのに、思考する必要はありません。ただ「自分」という囚われ、即ち自我を手放せば、その気付きは自ずと湧き出してくるのです。なぜなら私たちはもともと、宇宙の一部だからです。人間の体の細胞一つひとつに全身の情報がインプットされているように、私たちの魂にも全宇宙の情報が刻まれています。そして、私たちが自らの歩みを魂に刻んでいくことは、宇宙に刻んでいくことであり、私たちの魂が進化することは、宇宙そのものを進化させることなのです。
魂が進化した時、そこには美しい生命の花が咲くことでしょう。それは、ただ一輪の花ではありません。それは無数のつぼみを持つ、巨大な生命の大樹の花です。あなたがその中の一つであることを感じながら、あなただけのオリジナルな花を存分に咲かせ、他のたくさんの花々とネットワークした時、それは巨大で美しい、宇宙の総意に沿った満開の大樹となるでしょう。

 

 


 

死んだらまっすぐに

の方へ向かいなさい

今、地球上にはたくさんの問題が起きています。その原因は、人々の心の汚れにあります。輪廻を通して魂を磨くことを忘れ、汚れを積み重ねてきた結果、人間は様々な問題を地上にもたらすようになりました。そこで今回は皆さんへ、死ぬ時の心構えについてお伝えします。

 
地球のカルマ

魂は、肉体が死を迎えると昇天します。昇天とは、天に昇ることです。死を迎え、魂と肉体が離れると、肉体という質量がなくなり、魂は自ずと天へ昇っていきます。この時、汚れた魂はたくさんの執着を抱えており、それが重りとなって上へ昇ることができません。そして霧のように地上に漂うことになるのです。
それでも実際には肉体がありませんから、徐々に上へ上がっていきます。ところが上へ上がったとしても、執着の多い魂は物質世界に留まり続けることになり、天へ還れないまま大気圏の外側を漂い続けるのです。地球は物理的には青くて白い雲が漂う美しい星ですが、霊的に現在の地球を観ると、肉体を失いながらも三次元世界を離れられない魂たちに覆われ、灰色になっています。そしてその囚われた魂たちの響きが、地球に降りてくるのです。それが今の地球上の人間たちの目覚めを遅らせています。

では、私たちは死を迎えた時に、どうしたらいいのでしょう。

死を迎え肉体から抜け出した魂は、少し上からその肉体を見ます。そこで自らの命に執着があると、肉体を見続けることになります。つまり下を見ているということです。あるいは、あれが欲しい、これがしたい、と物や予定をたくさん抱えていても、そちらに気を取られて地上を見ることになります。現代は、あれもこれもと自我の欲望をふくらませ、魂を汚していくことが魅力的に思われている時代なのです。
けれども、自らが死んだことを悟ったら、まず上を見てください。すると必ず、光が見えます。そこがあなたの向かうべき方向です。その時に、残していくものについては一切考えず、ただ真っ直ぐに、光へ向かうのです。そうすれば必ず昇天します。そこではお葬式も、お坊さんのお経も必要がありません。囚われを捨て、ただ真っ直ぐに光へ向かう。それだけで本住の地へと還ることができるのです。
これは、地球を霊的に汚さないという意味でも、とても大切なことです。私たち人間は今、地球を目に見える形で汚染しているだけでなく、見えないところでも汚し続けています。そしてそれが、地球のカルマとなっていくのです。ですからどうぞ、このことをいつも心に留めていてください。なぜなら死は、誰もに必ず訪れるものであり、それは明日かもしれないのです。

 
暗闇の中のひとすじの

地球の周りを覆っているのは、人間たちの魂だけではありません。人間によって命を奪われた動物たちの魂もまた、灰色の霊的なもやとなり地球を覆っています。私たち人間が食べるための肉として、日々おびただしい数の動物たちが殺されています。殺される瞬間の動物たちの恐怖は、大変なものです。動物たちは悲鳴を上げ、恐怖の響きを響かせながら命を奪われ、その響きの入った肉を私たちは日々食べています。

自然界でライオンがシマウマを食べるのは、命の循環です。シマウマの命はライオンに受け継がれ、その魂は何の未練もなく昇天します。しかし人間が欲望のまま貪り食うために殺された動物たちの魂は、昇天できずに地球を覆い、今も恐怖の響きを響かせています。その響きは地上の霊的汚染に大きな影響をもたらし、現代は人間が目覚めることがとても難しい時代になりました。だからこそ、そのような迷える魂を出さない生き方を日々心がけていくことが大切です。その積み重ねの結果、いつか自らが死を迎えた時にも、地上に囚われることなく潔く旅立てるのです。

今の地球は、霊的には闇の時代です。人々はまだ、目を覚ましていません。しかしその中で、ほんの一握りでも目覚め始める人たちがいれば、それは暗闇の一筋の光となるのです。闇の中では、ほんの少しの光でも、とてもよく見えます。それはどこか遠くにいる人々にとっても、きっと道しるべとなるでしょう。

目覚めた人から、自分一人分この世界をきれいにする。その動きが広がり、地球がその美しいハーモニーに包まれたなら、世界はたちどころに美しくなり、地球も本来の輝きを取り戻すのです。

 

 

 


人生は、魂を美しくするためにある ──────
では、「美しい」とはどういうことなのでしょう? 21世紀の死生観・第三部(2018年秋分発行)では、生命の真の美しさとは何かをひも解きます!


 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、1ヶ月間の真学校ブログをご覧ください。→ 1ヶ月間の真学校ブログ『21世紀の死生観』

 *1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在しながら、「自分」という囚われを外し、既存の価値観を超えて世界観を大きく広げ、様々な切り口から21世紀の人類の生き方を実践的に学ぶプログラムです。ただ今、2019年受講生を募集しています。詳しくはちら

 

 


木の花ファミリー通信2018年春分号 〜 死ぬってどういうこと?

一年で、光(昼)と闇(夜)がちょうど等分となる春分の今日、木の花ファミリー通信最新号が発行されました。今号より、「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします。どうぞご覧ください!


 

21世紀の死生観 第一部

 
「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします

「21世紀の死生観」と言いますが、21世紀でなくとも、人は生き死にを繰り返しています。生まれて生きて死んで終わりではなく、悠久の時の中で、生まれて生きて死に、また生まれて生きて死ぬことをくり返しているのです。

ところが、現代の多くの人は死を恐怖に感じています。ある調査によると、日本人の半数以上が死を「怖い」と感じています。また別の調査では、20代から70代までの全世代を通じて、9割以上が死を「悲しい」と捉え、6割以上が「どことなく不安」と答えています。

*朝日新聞全国世論調査より

しかし、どんなに怖いと思っても、悲しいと思っても、確実に死はやって来ます。なぜなら明日が来るからです。「死にたくない」と思って今日一日を生きると、今日一日分、確実に死が近付いてくるのです。

 
時は生き物

この時の流れを止めたいと思っても、止めることはできません。それは、時が生き物だからです。時は、決して留まることなく変化変容し続ける宇宙の基盤であり、常に循環し続けています。私たちはこの時という生命の一部であり、それに乗って宇宙を旅し続けているのです。
この時という乗り物に乗らない存在に、この世界で出会うことはできません。すべてのものは固有のサイクルを持ち、時の上でそれぞれのサイクルを刻みながら、互いに連動し、ひとつらなりの壮大な生命を構成しているのです。
その大きな生命の中の一つのサイクルが終わりを迎えた時、私たちはそれを「死」と呼びます。命あるものは皆、必ず死を迎えます。けれども、私たちは死を恐れ、目を背け、死とは一体何であるかを曖昧にしたまま毎日を生きています。死が曖昧であるということは、生きることの意味もまた曖昧だということです。私たちが出会う問題ごとのすべては、私たちが生きていることから生まれます。私たちは生きることの意味を曖昧にしたまま、ずっとその問題を抱え続けているのです。

人はなぜ生まれ、なぜ生き、なぜ死ぬのか。死生観は人類の根源的なテーマです。一人ひとりにサイクルがあり、一人ひとりに存在する理由があります。その壮大なる生命の仕組みを理解した時、私たちは初めて、真に充実した人生を生き、喜びを持って死の向こうへと旅立てるのです。

 
シリーズでお届けする「21世紀の死生観」。
第一部は、この世界の命の仕組みをひも解きます!

 


 

肉体は循環の中で変化し続ける
それをつなぎとめるものが  

宇宙はすべて、陰陽から成り立っています。私たちの肉体を目に見える陽とすると、その奥には目に見えない陰の存在があります。それが魂です。

「陰陽」と言うように、この世界の元の仕組みは、まず最初に陰があり、そしてそれを元に陽が発生します。私たちの生命は、まず魂があり、その魂が宇宙に遍満する様々な物質を縁によって引き寄せ、肉体を形成します。この、魂と肉体がセットになった状態が「生きている」ということです。姿かたちや性質から、どのような家族を持ち、どのような場所に生まれるかまで、すべてその魂独自の縁によって紡がれていきます。そしてそれぞれの魂と肉体の縁は、独自のサイクルを持っています。これが寿命です。
寿命が来ると、魂は肉体を離れます。すると、それまで魂によってつなぎ止められていた肉体の構成要素は、その縁から解き放たれて、三次元生態系へと還る旅を始めます。そして、また次の生命を形成する材料となります。一方魂は、それぞれにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。

ふさわしい異次元宇宙とは、地獄から多次元構造の高次元宇宙まで幅広く存在します。その幅広い異次元宇宙の中で、様々な段階の魂がひとつの時間と空間のもとに一堂に会して存在しているのが、地球生命世界です。つまり、地球に生きるということは、多種多様な存在に同時に出会うことができる生態体験ツアーのようなものなのです。魂たちは、それぞれの段階のサイクルにふさわしい人生を生き、その人生にふさわしい死を迎え、宇宙へと還り、またふさわしい縁のもとに地上に降りて、新たなサイクルを刻んでいくのです。

 
命のリレー

何も増えず、何も減らない。ただ形を変えながら循環し、すべての存在が変化変容し続けているのが宇宙の実体です。この大いなる宇宙の循環の中で、私たちの肉体もまた、変化しながら生態系を巡っています。

地球生態系を構成する五大要素は、地水火風空です。人間は、地とも、水とも、火とも、風とも、空とも循環して生きています。地に育まれた作物を食べ、水を飲み、排せつしたものがまた次の生命を育む元となり、陽の光を取り込んではエネルギーに変え、そのエネルギーを放出し、風を受け、呼吸をし、吐き出された二酸化炭素もまた、植物の成長の糧となります。それは、常に他から自分へと生命が流れ、必要なものを取り込んでは、また形を変えて他へと受け継がれていく、命のリレーです。その流れはひとつではなく、幾重にも重なって連鎖しています。私たちはこの自然生態系の循環の中で、多種多様な存在から常に新鮮な命を与えられ、生かされながら、自らもまたその循環の一翼を担っています。逆に捉えると、この循環の中にいなければ私たちの生命は成り立たないのです。そしてこの循環を支えているのは、自らの存在が他を生かしていく「利他」の仕組みです。

この、絶えず変化変容し続ける肉体の様々な機能を束ね、ひとつの生命体として維持しているのが魂です。そして人間は、一瞬として同じ状態にはないこの生命体を、過去から未来まで継続して「自分」と認識するようになりました。そしてその自分という認識に囚われるようになりました。これが、自我です。

 
自我に囚われ
この世界の大きな仕組みを忘れた現代の人々

人間は、動物と大きな違いがあります。それは自我に目覚めることができるということです。動物にも自我はありますが、それは本能的なものであり、囚われるものではありません。ところが人間の自我は、自分というものの側に立ち、そこに執着するのです。
常に変化変容し続けるのが、私たちの生きる宇宙の実体です。しかし自我を持った人間は、宇宙の法のままに変化していくことよりも、自分というものを固定し、その状態を維持しようとするようになりました。枠の中に人が入ると「囚われ」という字になるように、まさに、自分という枠の中に自らを閉じ込めたのです。そして、この世界はすべてが連鎖し支え合うひとつらなりの命であり、自らもその一部であることを忘れてしまったのです。

この世界は、個々に独立したものが利他の仕組みによってつながる、命のネットワークです。私たち人間の魂は、一つひとつどれもがオリジナルな個性を持っています。そしてそれらがつながり、一つの集合体となることで、多様性あふれる豊かな世界を築いています。しかし個性とはまた、それ単独で見た時に「偏っている」ということでもあるのです。
偏ったものが、他と連携することを忘れ独りよがりに生きると、世界は必ずその偏りにふさわしい問題ごとを与え、行き詰まるようになっています。そして世界は、その行き詰まりを通して人間に自らの偏りを体験させ、つながることの大切さを学べるようにしているのです。ところが「自分」に意識が向けば向くほど、人間は自我が強くなり、この仕組みが見えなくなっていきました。目に見えるものだけの価値観に囚われ、全体が一つの集合体であることを忘れて個々の幸せを追い求め、その結果、多様であるからこそ互いに補い合い世界を豊かにするはずの個性が、多様であるがために対立し、世界に不調和を生むようになりました。そして世界にも、私たち自身にも、様々な問題をもたらすようになったのです。

 
あなたの奥に、永遠のあなたがいる

私たちは、生まれてすぐの赤ん坊の時から泣くことで意思表示をし、食べることや眠ることを求めます。それは生きるための本能的な行動ですが、ではそれが生きることの目的なのかというと、そうではありません。
この世界は、云わば生命の織物です。地水火風空の元に無数の生命たちが織り成す命の循環は、自然生態系(現象界)の広がりを表す、横糸です。そしてそこに、目には見えない縦の糸の働きがあります。それは、私たちすべての生命の源である、魂のふるさと(潜象界)との循環です。そこからやってくる命の源のエネルギー、即ち元の気(=元気)が、私たちに常に新鮮な生命力を与え続けてくれているのです。

この世界では、まず始めに陰があり、それを元に陽が発生します。この命の織物の、陰は縦糸、陽は横糸です。ところが現代の人々は目に見えるものばかりに囚われ、この縦糸の存在を忘れてしまいました。縦糸を見失った世界は秩序を失い、軸を失ったコマのように、ゆらゆらと不安定な状態であり続けることになってしまったのです。しかし、どんなにその存在を認識していなくとも、私たちは絶えずこの縦と横の循環の中で命を与えられ、生かされています。そして私たちがこの世界に生まれてくる真の目的は、肉体を持って現象界を生き、そこで出会う様々な現象を通して、目に見える肉体の奥にある、魂そのものを磨いていくことなのです。それが、私たちが生きていく上で根本的な軸となる役割を果たすのです。

私たちは絶えず呼吸をし、食べることや排せつすることをしなければ、生きることができません。生きるとは、肉体に縛られている状態であるとも言えます。水や土や空気に縛られているとも言えます。しかし本来、魂とは無限の存在なのです。
今あなたが「自分」だと思っているその姿の奥に、永遠の存在としてのあなたがいます。自分という囚われを外した時、そこには未だ出会わぬ、未知の世界が広がっています。人間には、無限の可能性が秘められているのです。

 

 


 

 
遥か昔、この世界は、光だけの世界でした。
光だけの中にいては、光は見えません。完全なる光そのものである神様は、退屈でした。「完全なる私は、完全であるがゆえに、私を知ることができない。」
そこで神様は、完全なるその体を分けられました。光とは何かを分かるために闇を創り、それを自身からもっとも遠いところへと投げたのです。そして、もとの光へと還っていく長い長い道を創られたのです。

 
地球という学校への入学

宇宙に漂う無数の魂たちは、どれもとてもユニークです。完全なるひとつから分かれてきたため、一つひとつは不完全で、偏っており、それぞれが他にはない個性を持っています。ところが魂たちは、魂のままでは自らの姿が見えないのです。「どうしたら自分のことがわかるだろう。」そこで、宇宙の総意によって、地球という星が創られました。魂たちはこぞって地球に降り立ち、それぞれの個性にぴったりの姿かたちや性質を持って、地球生態体験ツアーをスタートさせました。

地球では毎日、それはそれはたくさんのことが起こります。肉体を持った魂たちは、人生を通して様々な体験をし、その体験から自らがいったい何者であるかを知るようになりました。自分がどんな響きを発しているかによって、出会う出来事が変わっていくのです。「そうか、自分とはこういうものなのか。」

宇宙の時の流れは壮大で、変化もとてもゆっくりですが、ここ地球では、変化変容変態をくり返す仕組みの中で、次々と現象が起こります。そんな中、魂たちの歩みはそれぞれです。出会う出来事から次々と学び、どんどん進化していく者。目に見えるものに囚われて、地球に来た目的を忘れてしまい、何度も同じことをくり返す者。それは、地球という学校に入学したようなものでした。やがて、学びの期限が訪れると、魂たちは「死」という形で卒業を迎えます。そして、人生を通してどれだけ学んだかによって、それぞれの段階にふさわしい異次元宇宙へと還っていくのです。

魂たちにとって、地球は唯一、自分が何者であるかを知り、進化できる場所です。学びを終えた魂たちは地球学校の成績表と共に宇宙へ還り、またいくらかすると「よし、今度こそ!」と地球へ学びにやって来るのです。

 
宇宙全体が美しくなるために

この地球での魂たちの進化のようすを、宇宙の星々はとても興味深く観ています。肉体を持ち、人間として地球に降り立った魂が、自らを高め真理に目覚めると、星々が反応し、銀河の中心がザワザワと波打つのです。たった一つでも、優れた魂は、宇宙に対してそれほどの影響力を持っているのです。

今、地球上に人間として降り立った魂たちは、とても狭い世界観の中で生きています。自我に囚われ、生まれてきた目的を見失い、死ぬことへの恐怖を紛らわせるかのように、目の前の欲望を満たすことに一生懸命になっています。そして世界は問題ごとであふれかえるようになりました。

しかし時代は確実に、光の方向へと進んでいます。神様が自分からもっとも遠いところに闇を置かれてから、私たちは闇とは何であるかを体験し、何度も何度も生まれては死に、生まれては死ぬことをくり返しながら、もとの光の世界へと還っていく道を歩んでいるのです。

時代は21世紀を迎え、2000年から3000年への新たなサイクルに入りました。これは、地上を生きる人間たちが、生きることの真の意味を悟る時代を迎えたということです。それは今までの宗教のように、誰か一人の聖者が現れて教えを説き、救いを求める人々がその教えに群がることとは違います。一人ひとり誰もが、自分自身の中に眠っているものを目覚めさせる。そうすることによって、自らが尊きものとなり、生きる時代がやってきたのです。

私たち人間は、自我に囚われ世界に混乱をもたらす存在から、本当の人としての価値を地球上に表現し、すべての生命のために、この世界に正しい秩序をもたらす存在へと進化する時を迎えています。私たち一人ひとりの魂が美しくなることが、地球を、そして宇宙全体を美しくするのです。

そのためにはまず、「自分」という囚われを、外すことなのです。

 

 

 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、「1ヶ月間の真学校ブログ」をどうぞご覧ください。
 → 1ヶ月間の真学校ブログ『死生観~死と一体となって、生きる』

*1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、様々な切り口から21世紀の世界観を学ぶプログラムです。

 

 

21世紀の死生観第二部「ある世界とない世界」

 


人類史上初の「リョウ」の集いにようこそ! ~PART2:リョウ・リョウタ・リョウタロウ大集合!~

2017年の夏、自然療法プログラムを受けている30歳のリョウタくんの提案により、同じくケア滞在中の19歳のリョウくん、20歳のリョウタロウくんと一緒に、いさどんと集う場がもたれました。題して、「リョウ・リョウ・リョウの集い」!その場にはリョウタくんのサポーターであるリョウチンや、メンバーのリョウコちゃん、そしてこの集いに関心があるその他のメンバーも集まりました。

いさどん:
本日の会の発起人は、リョウタくんです。本題に入る前に、リョウタくんに「なぜこの会を提案したのか」という話をしてもらおうと思うのですが、この話には僕の中に前段があるのでそれをまず、お話ししたいと思います。

そもそも、このような探究がなぜ可能なのかというと、僕は今66歳ですが、30歳と半年ぐらいの時に出会った霊的な体験から、「カルマ読み」と名づけた分析方法を発展させてきました。それにより、人の魂の性質を観る手法が体系化されてきたのです。これは世界中探してもどこにも資料がない手法であり、僕個人に霊的に降ろされたもの、もしくは僕の思考の中で成立してきたものと言えるでしょう。

その霊的な出会いから、僕の人生は常に人の問題事と共にあったのです。つまり、30歳過ぎから僕は人の悩み事相談を受けるようになり、まだ人生経験の不確かなものがそれを受けてきた結果、言わば人間のカルマの法則性のようなものが観えてきたのです。それが現在の「カルマ読み」になりました。

それを体系化していく段階で、単純に数値で表した陰陽度による人の性質だけではなく、音の意味にも非常に重要な性質があることに気が付きました。そして、文字には濁点による濁りと小文字による歪みがあることに行き着いたのです。これは降りてきたものではなく、これまで1万件以上の面談を行うことによって、ある意味統計的に築いてきた結果、現在の法則性に至りました。それをもって、人々の問題事や悩み事の相談に乗ってきたのですが、それによって人々が人生の中で出会ういろいろな出来事の奥に、その人の本質である性質が関わっていることが観えてきたのです。その形が観えてきた時に、濁点による濁りと小文字による歪みの特徴も同時に観えてきたのです。もしかしたら過去の時代には、それが生きる上での力になっていたのかもしれません。しかし現代では、それが生きる上でのハンディキャップを背負うことにもなりうることがわかってきたのです。

ですから、ここではよく、「子どもの名には濁りである濁点をつけるな。歪みである小文字をつけるな」と言うのです。それは単に、その法則を知っているからつけないということではありません。そういったことをわかっているからこそ、そういった魂に縁がないということも言えるのです。しかしそうかといって、ここを訪れる人々はどちらかというと、濁りや歪みのある人のほうが多いのです(笑)。それはなぜかというと、どちらかというと人生に行き詰まった結果、ここに来る人が多いからです。特に、僕に個人的に支援を求めてくる人にはそのような傾向の人が多く見られますね。

このように、人が人生においてなぜいろいろなトラブルや迷いに陥っているのかをひも解き、その法則性を解き明かしてきた結果、この「カルマ読み」があるのです。

カルマ読みで人々の人間性をひも解き、相談に乗っていく中で、さらに人の人生を解き明かすのに重要な出会いとして、2011年、「地球暦」に出会いました。太陽系の惑星地図による内惑星から個人の精神性をひも解き、そして外惑星から社会性を観るという手法に出会った結果、カルマ読みがさらに充実しました。カルマ読みと地球暦の己読みはある意味相関関係のようであり、それは人の性質をこちら側(その人の人間性)とあちら側(宇宙から託されている使命)から観る確かめ算のようになっていることがわかったのです。

さらに2013年、「カタカムナ」に出会いました。カタカムナとは、今から約13000年前、東アジアに発展していた宇宙物理学のことですが、カタカムナには法則性というよりも、音の響きに意味があることが重要なのです。「この世界のすべては響きである」ということで、私たちは人柄という霊的な響きも持っていれば、実際に音を発し言葉を話しますので物理的な響きも発します。その言葉は言魂と言い、その人の人柄を発するのです。それがこの世界に放たれ、その放たれたものが対象のものに伝わり、その返ってくる響きで私たちは己を知るのです。すべての音は固有の意味を持ち、その発せられた響きの組み合わせによって、この世界の現象化が進んでいきます。

カタカムナでいうと、カタカムナのふるさとは潜象界と呼ばれます。私たちが存在する現象界には見える世界と見えない世界があり、これは体と心、もしくはこの世とあの世のような関係です。その現象界は「ある世界」とも言うのですが、その奥にある「ない世界(潜象界)」というものを解き明かしたのが、カタカムナ理論です。

これは、たいへん奥の深い話なのですが、私たちの現代文明は有史以来の文明です。有史というのは約6500年前のメソポタミア文明に始まる文明であり、紙の文明です。つまり、それは学問の文明なのです。学問ですから、何でも二元的に平面上で捉えようとするのです。紙の上に描かれている丸を見ると、私たちはそれを単なる円だと思うかもしれませんが、宇宙で丸は球体のことです。そのくらい二元的に捉えることと立体的に捉えることは違うのです。ですから、この概念は新しいものに出会ったというよりも、カタカムナに出会うことにより、当たり前のこの世界にある物理性を改めて再認識するということなのです。

そして、6500年前の有史よりもさらに6500年前向こうの約13000年前、そのカタカムナの文明が日本列島に存在していたのです。正確に言うと、13000年以前大陸は地続きでしたから、東アジアに存在していたのです。それが日本列島の大和文明となって、今、ここに残っています。後に、その文明が西の中国、インドに渡り、有史以来の世界の宗教や哲学の元となっていたことがわかってきました。またヨーロッパへ渡ってキリスト教となり、そういった流れが外国を通して日本に再輸入されたのです。このような構造も今、わかってきました。

そこで、カタカムナによると単音には意味があるのですが、カタカムナで表される潜象界の音には小文字も濁点もないのです。つまり、単音が極めて純粋な音であり、歪みや濁りがない美しいものなのです。それが宇宙の奥にある潜象界に秘められているのです。元々はそのように美しい存在だった響きが現象世界に発生し、物理性を伴うと、現象世界では個性という物と物との差ができ、その個性的なものの連鎖によるネットワークが現象化として広がっていくのです。それが、宇宙の星々の仕組みであったり、地球の自然生態系の姿なのです。逆に、現象世界から潜象界へ還っていくと、すべてのものは極最小微粒子に還り、その世界には差がないので悟り(差取り)の世界になります。ですから、私たちがこちらへ生まれ出ると、差がある世界で生きることになり、個性を伴うのです。そこで真理への道を目指すものは、すべてを捨てて悟りの境地に至る、つまり向こうの世界(潜象世界)へ行くことを目指すのです。逆に、人間たちは自然界から人工という世界を創り、差がある世界を創っていく存在なのです。本来、人の目指すべき道は、この世界の仕組みの元(命のふるさと)へ還っていくこと、すなわち、すべての存在と自らの差を取ることであり、その差を取ることが、地球はひとつ、宇宙はひとつ、そしてその境地の至るところは、「すべては私自身」となるのです。

カタカムナを学術的に定義づけた楢崎皐月の流れを受けて、関川二郎がまとめた「潜象道シリーズ特集号・カタカムナ単音豆辞典」によると、単音の意味の最後に「濁音」についての記述があるのです!そこには、「濁音、半濁音は、濁っている、あるいは半分濁っているような状態の存在であり、濁点の付かないものは、そういう状態がないからである」と記述されているだけで、小文字については触れていないどころか、それ以上のことは書いてありません。つまり、彼はそこまでは探究したのでしょうが、彼の段階ではこれ以上手をつけることなく探究は終わっているのです。そこから察するに、カタカムナ文明の13000年前と時を同じくして存在していた日本最古の大鹿窪遺跡の上で今、私たちが暮らし、これを語り、その精神を生きているということは、私たちにその次を探究することが託されているということなのでしょう。

有史以来の人類には、地球上でカタカムナをベースにして生きているものはいませんでした。学問的にはその文明を少しひも解き始めましたが、ほとんどの人々は有史以来の記録することに基づく学習レベルになっているので、日常生活にその叡智を取り入れ、実践に落とすことはありませんでした。ところが、そういったことにまったく縁がなかった私たちのところにその叡智が訪れたのです。そして、カルマ読みが自らの精神構造の理解につながり、地球暦によって人生をひも解かれ、カタカムナを通して自らの精神が発している響きの素性を現象化として学ぶことになりました。ですから、ここはその霊的・地球的・宇宙的叡智を実践をもって学べるところなのです。それは、カルマに翻弄され、人としての本来の道を歩めない現代の人間たちを正しく導く道です。

今、世界中で人間のカルマが暴走していますからね。それこそ、カルマが暴走すると、事実無根のことまで真実になっていくのです。そして人間たちは過激に奪い合い、殺人を犯し、戦うのです。このようなおかしな世の中になってしまったのは、6500年前以降のことです。その前は上古代の時代であり、日本で言えば縄文前期ですから、人々は自然と共に調和して(群れて)生きていたのではないかと思われます。それは想像の世界ですけどね。

そういった意味で、リョウタくんがふと、「リョウ・リョウ・リョウ面談をしたい」と提案したことは、深いことを考えずにふと思いついたのでしょうが、僕はそれを受けて、「これはたいへん意味深いことで、地球の歴史上、このような探究がかつてあっただろうか」と想いを馳せたのです。「今までこのような解釈で人々が集ったことがあったのだろうか」と。

ようこ:
ないない!「リョウ」の集いなんてね(みんな、笑)。前人未到だよ♪

リョウチン:
楢崎皐月もこのような場は設けなかった(笑)。

いさどん:
彼は今頃、「やっとそこまで到達してくれたか!それは私のたどり着けなかった領域だ」と言っているかもしれません(笑)。そしてもうひとつ、楢崎皐月が行き切れなかったのは、性の探究なのです。それは、これから次の世代に伝えていくとして、少なくともここに「リョウ」が大量にこれだけ集ったのですからね(チーン♪)。

ですから、リョウタくんがなぜこの場を持つことを考えたのかを聞く前に、実は僕にとってはとても意義深いことを語れる場所なのだということを皆に伝えようと思ったのです。

ようこ:
今の話ですごく満足しちゃった(みんな、笑)!もう胸がいっぱいで(笑)、良い時間でした♪

いさどん:
いつものことながら事前にこういったことを話そうと思っていたわけではなく、まずは発起人のリョウタくんに話してもらわないといけないけれど、「それだけではいけない。なぜこの探究が可能なのかを伝えるべきだ」と思ったのです。僕は、ただ降りてくるものを皆さんに翻訳するように伝えるスピーカーですからね。そこには一切の駆け引きはありません。

ということで、リョウの代表である発起人のリョウタくんは、なぜこの場を持とうと思ったのですか?

リョウタくん:
そんなに深く考えてはいなかったんですけど・・・。

いさどん:
それはわかっていますよ(みんな、笑)。これから浅いところから深いところへ行くのですからね(笑)。

リョウタくん:
僕がケア滞在を始めた時、まず僕のサポーターがリョウチンということで、リョウ・リョウということで、何か縁があると思ったのが最初です。それで僕がケア滞在を始めた翌日にリョウくんが来て、そこにも何か縁を感じると思っていたら、その1ヶ月後にリョウタロウくんがケア滞在を始めることになり、やはり何かあるなと(みんな、笑)。

いさどん:
ここの自然療法プログラムの歴史は長いですが、こんなパターンは初めてですよ(笑)!今まで同時に9人の人がケア滞在していたこともありましたが、このケースは初めてです。

まっちゃん:
ケア滞在者同士でこのような場を持つこと自体、ないよね(笑)。

いさどん:
そうですね(笑)。これは、探究という意味では自然療法プログラムのレベルが一ランク進んだということですよ。

リョウタくん:
僕は、天のことはわからないですけれど、なにか縁があるのだから、この機会を逃すのはもったいないと思いました。僕もいつも個別には話すのですが、いさどんとリョウくん、いさどんとリョウタロウくんとの面談内容にすごく興味があって、いつか聞いてみたいと思っていたのですが、ケア滞在者にはそれぞれ機密事項のようなものがあるので、他のケア滞在者の面談を傍聴することはできないと聞いたので・・・。

いさどん:
個人情報というのは、あなたたちが世間一般の人だからですよ。木の花の中にいると個人情報という位置づけはないのです。あなたたちは世間の人なので、とりあえず世間並みに個人情報を守るということと、ケア滞在者はいろいろな意味でハンディを持っているわけです。そうすると、どちらかというと僕はプレッシャーをかける立場にいます。強いプレッシャーを与えると人はやる気を失いますが、ある程度プレッシャーをかけないと改善はされないのです。ですから、僕は軽いプレッシャーをかけ、その人が自分で動いていくように投げかけはするのですが、その時にケア滞在者がお互いに情報を交換すると、傷口をなめあって改善に向けて取り組まなくなることもあるのです。ですから、ケア滞在者同士にお互いの情報は行かないことになっています。これは、ケアの取り組みを進めていく上で重要なことです。

例えば、それぞれのケア滞在者には家族がいますよね。外の家族とやたらと連絡を取り合うようになると、この取り組みのガス抜きになってしまい、そこで外の家族が同情したりすると、ケアの取り組みが進まないことがあるのです。それは自業自得で、結果として自分で足を引っ張ることにもなるのです。ですから、ここでは軽いプレッシャーに対して自分と向き合い、超えていくことが必要だということです。ここでのケア滞在の説明になりましたね(みんな、笑)。

ですから、そのような情報交換はしないことになっています。

リョウタくん:
それで、この場はいさどんと他のケア滞在者とのやりとりを生で見られるチャンスだと思ったのと、小文字の特徴としては性格がひねくれていることが挙げられると聞きました。そこで、それぞれのひねくれ度を客観的に分析できてそれを伝えてくれるいさどんという存在がいるので、自分だけで解釈したら正直、「リョウくんやリョウタロウくんはひねくれているな」とは思うのですが、そこまでの分析はできていないのでそこを知りたいと思いました。

いさどん:
それについては、カルマ読みの定義と地球暦の定義、それからカタカムナの定義をマスターすると、「なるほど!」ということなのですが、今、僕はその話を聞きながら、今回集っているのはリョウ・リョウタ・リョウタロウですよね。そうすると、カルマ読みでいう一文字陰性・二文字陰性・三文字陽性の魂です。ですから、まるきり今回のために魂の見本として選んできたような組み合わせです!ある意味、今回は「リョウ」という魂の展示会のような場ですね(みんな、笑)♪

ようこ:
一文字・二文字・三文字と全種類揃えました!というような(笑)。

いさどん:
そうです(みんな、笑)。ただ、二文字には二文字陽性、二文字中性もいれば、三文字にも三文字陰性、三文字中性もいます。ですから、すべてとは言いませんが、代表的な事例であることは確かです。ですから、天はいたずらっぽいのか、私たちに世紀の探究をするように伝えているのでしょうか(笑)。

そして、それぞれの中に自らの情報を取り入れる準備が整ってきたので、今日の場があるのだと思います。

リョウタくんの中にはそれ以上の意図はないですか?

リョウタくん:
あとは、リョウチンがここでメンバーとして自分のひねくれを活かしているので、良い例として聞きたいと思っています。

いさどん:
活かさない頃は結構たいへんでしたよ(笑)。

リョウタくん:
そういう話も聞きたいです(笑)!

いさどん:
今日は、「リョウ」という音がひとつのテーマです。「リョウ」は「リョ」と「ウ」の音に分かれます。そうすると、「リョ」はひとつの音です。ところが、本来「リョ」は「リ」と「ヨ」の組み合わせですが、「ヨ」が小文字になることによってそれがひとつになってしまったのです。ここがポイントなのです!

カタカムナでいうと、「リ」という音には本体からの分離という意味があり、リという音を名前に持つ人は自意識が強い傾向があります。次に、「ヨ」という音には邪で横回転の動きという意味があり、ヨという音を名前に持つ人は頭の中でグルグルとたくさん考える傾向にあります。たくさん考えそれが横に回るということは、生産性や発展性という意味では悪い意味ではありません。地球で言えば、地軸の縦軸に対する横回転の動きを意味します。横回転することによって地球上で生命は発生するのですから、ヨは非常に重要なものではあるのですが、結局使い方を間違え軸がなければ、邪にあちらに行ったりこちらに行ったりと方向性が定まらないことになってしまいます。今回、そのヨが小文字になり「リョ」になっているということは、自意識過剰で根拠のないことに頭を回し、無駄な時間を過ごすという意味になりますね。

続いて、「ウ」という音は宇宙のウですから、高次の渦です。つまり、宇宙が整って高次元になると、渦になるのです。宇宙の原理はすべて渦ですからね。私たちの体のつむじや指紋などを見ても渦でできていますし、細胞も渦ですし、惑星が宇宙を旅するのもすべて渦なのです。すべて、螺旋を描きながら動いていきますからね。そうすると、宇宙が発展するという意味では、ウは非常に重要なことなのです。ウはすべての現象が生まれるところですからね。

つまり、「リョウ」の意味を紐解くと、分離して自意識が強く(リ)、邪な心(ヨ)が生まれ続ける(ウ)という状態なのです。この人格は、相当たちが悪いですよ(みんな、笑)!それで方向性が定まらないのですからね。

リョウというのはそれだけです。それが「リョウタ」になると、「タ」という音も分離・独立を意味するのです!ですから、「僕が・僕が」と主張する心になるのです。ただでさえ、リョウで自意識過剰になり、さらに「僕が・僕が」となるのですからね(笑)。もともと、リョウという定まらない心を持っていますから、そこにタという響きを持つと余計に自意識が刺激され、やっかいですね。

それが「リョウタロウ」になると、「ロ」という音は中空状のものを意味します。中空状のものというのは、簡単に言えばそれが何だかわからないもののことなのです。つまり、リョウタロウは分離・独立し自意識過剰になって(リ・タ)、邪(ヨ)に回り続けながら(ウ)、なんだかわからない状態で(ロ)、さらに渦(ウ)を発生させるのですから、ウズウズと奇妙な思考を常に回すという状態です。ですから、ある意味使い方を間違えると、化け物ということです(みんな、笑)。不可思議なものを連想するということですね。ただ、リョウという響きは使い方を変えると、今までにないもの・正攻法とは違うユニークな可能性を探求するものにもなれるのです。

リョウタロウくん:
はい(笑)。

いさどん:
例えばリョウくんの日記の中には、「僕は環境に影響される」とよく書かれていますが、それは経験からの判断ですね。実際、そうなのですよ!あなたは環境によってコロコロ変わるタイプなのです。ですから、どのようにして自分に縦軸を立てるかということが、あなたにとっては大切なことですね。特に、あなたは一文字陰性ですから、他者に依存しやすいタイプです。ただ、他者に依存するわりには、自己主張する傾向もあり、扱いにくい人ですね。

リョウタくんの場合は、自分がいかに自分流であるのか、つまり自負心が強い人ですね。しかし、客観的視点がなく、常に主観的に物事を判断していることを知ることがポイントです。自意識過剰で二文字陰性だと、常に受け身で被害妄想のような精神状態にありながら、自己主張の強い人になります。このような分析をすれば、本人の人生経験を聞かなくても、音だけでその人の人格はわかるのです。

それがリョウタロウくんになると、あなたは陽性ですね。それに三文字ですから、思考が複雑になります。複雑に巧みに考え、自分の考えも伝えながら、相手の発想も聞いて、それを自分にとってどのように有利にし、相手を負かすためにはどうしたらいいだろう?と企んでいきます。その内容が中空状の意味不明なものがベースとなって展開されることになります。

このように分析していくと、人の人格は面白いと思いませんか(笑)?

リョウタくん:
面白いですね!

いさどん:
カルマ読みと地球暦とカタカムナをもって、ここでは「三種の神器」と呼んでいますが、この三つの手法があれば、人間の分析は可能になります。

さらに、今日はリョウタくんのサポーターであるリョウチンも来ています!リョウくんもリョウタくんもリョウタロウくんの名前も、漢字は素直に読めます。ところが、リョウチンの本名はリョウスケというのですが、嶺佐という漢字を使うものですから、フリガナをふらないと誰も読めないですよ。読む人もいるかもしれませんが、その人はよっぽどへそ曲がりですよ♪

リョウチン:
いないです。0ですね(笑)。

いさどん:
嶺佐でリョウスケと読むのですからね。漢字の研究家なら読むかもしれませんがね。そうすると、彼には独特の世界観があり、もしかしてたちが悪いところもあるのかもしれませんよ(リョウチン、苦笑)。

そこで今日、リョウタくんからの「リョウ・リョウ・リョウ面談をしたい」という極めて控えめな発想からこの場ができたのですが、ここではなぜこのような分析が可能なのかという話から、その体系化の立役者である僕が皆のことを今、軽く分析しました。

さて、ここで皆さんに質問があります。まず、リョウくん。あなたは19年「リョウ」を生きてきて、今、ここで自然療法プログラムを受け、リョウのツケを修正しながら、今後正しい「リョウ道」を生きるという段階に至っています。それは、ポジティブにリョウを生きるということです。そこで、今までのリョウ人生を振り返ってみるとどうだったですか?

リョウくん:
いさどんに言われた通り、本当に意味不明のことをぐるぐる頭で回して、軸がなく生きてきたと思います。

いさどん:
そうすると、今までの経験がよみがえってきませんか(笑)?「あそこでもこうだった、ここでもこうだった」と(笑)。

リョウくん:
はい(笑)。だから、冷静な意見がずっと欲しいと思っていました。

いさどん:
冷静というのは、自分からちょっと外に出てみて、いろいろな出来事も合わせながら全体像を理解することです。それはカルマ読みで言うと、全体の陰陽度の中で己の位置を知り、「だから今、自分はこのような状態になっているのだ」と気付くと、それは冷静な分析の基本になります。しかも、それはここでしかない分析なのですよ!そうすると、これからの方針としてはどうですか?

リョウくん:
リョウの自意識過剰に(リ)邪に(ヨ)回る(ウ)ものをどう活かそうかなということを今、思っています。

いさどん:
それは活かせるのですよ。ただ、今までの経験の延長線上では同じことの繰り返しになりますから、新たな発想をいかに積み重ねていくかがポイントです。振り返ってみると、結構ダイナミックなリョウ人生だったということですね(笑)。

リョウくん:
はい(笑)。

いさどん:
今までは、自分の人生に対して印象が悪かったですよね?

リョウくん:
悪かったです。

いさどん:
それが方向性を変えると、「いいじゃん!これは悪くない!」と思えるようになるのですよ(リョウくん、ピースサイン)!

次に、リョウタくん。一文字・二文字・三文字の真ん中がこの場を提案するというのは、バランスが取れていていいですね。

ようこ:
リョウタくんは、30年リョウと付き合ってきているしね(笑)!

リョウタくん:
やっぱり、すごく苦しかったです(みんな、笑)!!同じことをもう一回やれと言われても、絶対やりたくないです!

いさどん:
でも、ほっておくと、後の30年もまた同じことをやりそうですよ(笑)。

リョウタくん:
そうです!だから、ここで食い止めないと、ということは考えています。今日も、なぜ自分がここにたどり着いたのかを考えていました。一番は、僕が被害妄想で、何でも相手のせいにしてきて、自分にメスを入れずにきたからだと思いました。何かあると他人のせいにすることが一番楽な方法だと思って、そうしてきたのです。自分にメスを入れるということは、30年間ほぼしてこなかったので・・・。

いさどん:
その目線がなかったのです。

リョウタくん:
そうですね。

いさどん:
やろうとしても、その発想自体がなかったので、どうしようもなかったということでしょうね。

リョウタくん:
そうです。正直、あと10年早く木の花と出会えていたら・・・。

いさどん:
実はそうなんですよ!20歳というのはある意味、ビフォー&アフターでいうビフォーなのです。子どもから大人になる段階ですから、いよいよ実践へと移るビフォーなのです。しかし、その関係では30歳というのはアフターですからね。

リョウタくん:
今までは自分を出すことが大切だと思ってきたのですが、その出すことでどんどん行き詰まっていきました。他人のことを考えて行動したほうが労力はかかると思っていたのですが、結局そちらのほうが楽で・・・このカラクリが全く見えていませんでした。おそらく、ここに出会っていなければ、ずっと・・・。

いさどん:
これから30歳を超えていくと、次に40歳、50歳の節目はありますが、たいてい60歳までそのままで行ってしまうものですよ。

リョウタくん:
・・・もっと前にここに出会えなかったことは、惜しいと言えば惜しいですが、今はここで出会ったことをポジティブにどう活かすかが大事だと思っています。

いさどん:
今までのことを、「辛かったなあ!」とか「大変だったなあ!」と思えば思うほど、それは逆のエネルギーとして使えるのです。それを「くそ!こんちくしょう!」と思えば、それもエネルギーの消費としては同じですが、「そうか!あれは学習期間だったのだ!」と気付き、エネルギーを逆の方向へもっていけば、そのエネルギーはポジティブに使えるようになるのです。世の中にはあなたと同じように、自分自身の活かし方を間違えている人はたくさんいます。ですから、あなたが過去の経験をポジティブに活かしていければ、将来同じような境遇の人に出会った時、「わかる!実は僕も同じような状況にいたんだよ。でもね、こんな発想も反対側に潜んでいるんだよ!」と奥にあることを伝えられる人にもなれるのです。それは、自分のために生きていた人が人のために生きる価値ある人生のスタートです。それから、独りよがりだった人が、人と共有できるようになります。そうすると、人生はさらに広がり、豊かになっていきます。これは大きなスケールの話ですけれどね。

リョウタくん:
そうなれるように精進いたします!

いさどん:
今回のリョウ・リョウ・リョウの人たちの中で、例えばリョウタロウくんはパワーがあります。逆に、リョウくんのようにパワーがない人というのは、ある意味おぼれているような状態です。ですから、何か縄でも投げて引き上げてあげればいいのですし、リョウタくんのように自意識が強ければ、その自意識が自分をどれほど傷つけているのかを客観的に伝えてあげればいいのです。それは、冷静になればわかることですからね。しかし、リョウタロウくんのようにパワーがあると、「俺がやってやるぞ!!」という心になり、まずはそのパワーを消さないといけないので、水をかけないといけないのです。ある意味、それは火がついている状態ですからね。

3人がそれぞれケア滞在をスタートさせた時には、リョウタロウくんのケースが一番難しいと思っていました。しかし実は、パワーがあると方向が変われば、自分で自分を改善させるエネルギーも持ち合わせているのです。ですから、当初の印象としては一番難しいと思ったのですが、意外とひとりで立ち直ってきているリョウタロウくんはどうですか(笑)?

リョウタロウくん:
はあ・・・ありがとうございます(みんな、笑)。

いさどん:
あなたは20歳なのに、ここで一番ふけていますよ(みんな、笑)。リョウくん、リョウタくん、リョウタロウくんと20歳、30歳、40歳という感じですよ(みんな、笑)。ところで、あなたは霊的には魔界の破壊魔のようなところがありますね(笑)。

リョウタロウくん:
ええ、まあ(みんな、笑)。

いさどん:
どちらかというと、自分はそういう存在というような自負心がありませんか(笑)?

リョウタロウくん:
自負心というか、まあ、自意識はありますね(笑)。

いさどん:
ありますよね(笑)。それで心地が良ければ、それはそれでやっていけばいいのですよ。

リョウタロウくん:
ええ(笑)。

いさどん:
ただし、いずれそのようなものは奈落の底に落ちるのですよ(笑)。

リョウタロウくん:
まあ、中毒ですね(笑)。

いさどん:
ハッハッハ。中毒!客観的に自分のことを捉えていますね(笑)。

リョウタロウくん:
麻薬中毒のような感じです。

いさどん:
ですから、ゲームに熱中している人がそろそろゲームを卒業して、その情熱を他のことに活かすという意味では、あなたのその情熱を別のところに活かす段階には来ていると思うのです。

リョウタロウくん:
・・・そうなんでしょうね。

いさどん:
それで、今まで魔界の景色をずっと見てきたものとして、人生を振り返ってみて感想はどうですか?

リョウタロウくん:
魔界って中毒性があるなと思います。

いさどん:
いつ頃から魔界に入っていたのですか(笑)?

リョウタロウくん:
そうですね・・・いつ頃からかな・・・中学生の頃ですね。中学生の時、僕はこういうことを考えていたのです。自分の意識と無意識とを分離させて、無意識では徹底的に利己的になり、他人を殺してでも、不幸に追い込んででも、自分の利益を求める。そして表層意識の自分の表面の心のほうではそうではない。徹底的に善良である。徹底的に善良であって、誰も自分のことを責められない。

いさどん:
責められないのに、内面的には極めて悪質なものであるということですね(笑)。

リョウタロウくん:
そして、表層意識と無意識とに分離させることによって、何が可能になるのかというと、一人二役が可能になるんですよ(みんな、苦笑)。無意識の自分で気付かない意識のほうでは、それは徹底的に利己的に地球や宇宙を大魔界に変えていく(みんな、爆笑)!

いさどん:
ハッハッハ!このパワーはすごいでしょう(笑)?

リョウタロウくん:
それでも自分の利益を求める。しかし、表層意識は表層意識である。無意識とは違う。表層意識では心の底から善良であり、他人のために気遣い、想い入れがある。

ようこ:
リョウくんにはまったく別世界の思考だから理解できないでしょう(みんな、笑)?

リョウくん:
これはどこの次元なんだ(笑)!

リョウタロウくん:
そうすることによって、他人が誰も僕のことを責めることはできない。決して悪者にはできない。むしろ、善良である。加害者には決してなりえないし、常に被害者である。正義の側である。しかしながら、実際の行動は・・・

いさどん:
邪悪なもので、悪人である(みんな、笑)!

リョウタロウくん:
実際の行動は、自分の利益を徹底的に求める(みんな、爆笑)。

数名の人たち:
すごい(笑)!

いさどん:
本当にすごいですよ(笑)!リョウタロウくんの最初の日記には、今話したようなことがずっと綴ってありましたからね。それは、物語を綴って本にでもしたら、売れるかもしれませんよ(笑)。そして、共鳴する人がたくさん出てくる可能性もあります。

これは人間の可能性なのですよ。ですから、リョウ・リョウタ・リョウタロウと、リョウという音で始まった人間の可能性がこれほどあるということです。

リョウチン:
今のリョウタロウくんの思考はすごいなあ!本当に幅広い(笑)。

いさどん:
リョウタロウくんに話しをさせると、いくらでも話しますよ(みんな、笑)。彼は陽性ですから、うつろなもの(ロ)がどんどん拡大していって、それこそ地球を支配するまでいくのです。彼から宇宙の話まで出てきますからね(笑)。ですから、彼はある意味極めて素直に育ったということです。例えば、彼が子どもの頃にこの状態をもっていたとしたら、簡単に言うとこの状態は統合失調症です。思考が分離しているのですからね。お医者さんへ行けば、完全に統合失調症として診断され、薬を処方されて、それこそ親が押さえつけようと思って彼が暴れたら、措置入院させられる形になるわけです。

ですから、あなたの場合、内にある秘められた部分をそのまま暴発させると、今のような世界へ行くのです。ある意味、とても独創的で、素直に自分を表現しています。しかし、あなたは生身の人間であって、現実には魔界にいるわけではないのですから、そこを正しく認識することが必要です。それともうひとつ、その部分を今のような雰囲気で語ったら、皆にウケましたね(笑)。

リョウタロウくん:
ウケましたね(みんな、笑)。

いさどん:
ですから、それは使い方によっては、社会にも還元できるということです。これからはその道を考えたらどうですか(みんな、笑)?今、あなたがはまっているインターネットの2ちゃんねるサイトのように、バーチャルな世界で似たもの同士が傷をなめあったり、攻撃し合っていても発展的ではありませんね。そこで、正常な人にこれを発想の転換として提供したら、とても面白い活かし方になります。今はトランプさんがアメリカの大統領になる時代ですからね。これからはユニークな人たちが活躍する時代です。

ようこ:
主観が強いリョウタくんにとっても、「とても僕の主観だけでは、この世界は図れない!」ということがわかってよかったんじゃない(みんな、笑)?

リョウタくん:
この世界は広い、広い(笑)!

いさどん:
世界は広いのと、彼にはパワーがあります。

リョウタくんに:
僕にはパワーがないですね(笑)。

いさどん:
ハッハッハ。今、裏付けとして皆に本音を語ってもらいましたが、それをすべて分析できるツールを確立した人がこの世界にいるのですよ(笑)!それは誰ですか(みんな、笑)??

だからこそ、僕はこの探究の道を真面目に生きています。このように、まったく別の視点から人のあり方や生きる方向性を示し、行き詰まった人たちの人生をひも解き、豊かにすることは可能なのです。それは、エネルギーの方向を変えるだけですからね。それが、本来、人が生まれてきた目的のあり方だと思うのです。自分の自我や癖・性分に翻弄されるのではなく、それを理解し、存分に使いきってエンジョイすることができるのですよ♪皆さんは今までの人生を振り返ってみれば悪い印象だったかもしれませんが、方向性を正していけば、良い印象で人生の終わりを迎えることもできるのです。

僕がよく人に伝えることですが、人は誰でもいずれ死ぬのです。一番肝心なことは、生きたことに対して生が終わる最期の時に過去を振り返り、「自分の人生は良い人生だった!」という位置に立てるかどうか。それが最も重要なのです。そのためには自らを活かすことが必要です。活かしていなければ、悪い印象のままで人生が終わってしまいますからね。そうすると、次の人生のテーマも魔界地獄へ行かないといけません(みんな、笑)。

ここで、リョウタくんのサポーターであるリョウチンに質問します。極めて解読不能なリョウチンがトリですが(笑)、今まで35年生きてきてどうですか?リョウチンの地球暦を観ると、何も対策を打たなければ、この人の人生は豊かではありませんね(笑)。

リョウちん:
そうですね(笑)。25歳でここに来たので、そういう意味では行き詰まるのが早かったですね。

いさどん:
そうですね。ですから、重症にならずにここに来たので、今、役に立つ人になっていますね。まず、地球暦にはいろいろなパターンがありますが、リョウチンの地球暦は貧弱です。リョウチンは無意識にこれをどこかで感じていたのでしょう。そして、「社会人として少しの経験を経て痛い思いをしたら、即、木の花に行きなさい」という天からの指令があったのだろうと思います。

リョウちん:
探し始めるのは早かったですね。自分が変わりものであることはそれほど自分で分析できているわけではないのですが、ただ、小文字に関しては誰もが思うように、面倒くさいは面倒くさいですし、いろいろと手間がかかるとは思います。

いさどん:
今、その言葉を言えるということは、自分自身を調整しながら生きているということです。

リョウちん:
その面倒くささを超えた時には、緻密さや幅の広さとして良い形で活かされているので、あきらめずに粘り強く、面倒くささを超えていくことが希望だと思っています。それは濁点・小文字のどちらに限らず言えることだと思うのですが、そういう濁りやねじれは可能性として活かせるものでもあり、問題点でもあると思っています。

いさどん:
例えば暗がりで物音がしたら「泥棒だろうか?」と思ったり、物事の実体がわからなければ恐怖を感じることもありますね。ところがそこで、「ニャーオ」と鳴けば、「なんだ、タマじゃないか!」と安心します。このように、不明なものは恐怖にもなるのですが、それを冷静に観て、その正体が明らかになってくると、見えないものを見る希望につながるのです。

それがリョウタロウくんのように、見えないものを想像して拡大していくという希望になると、魔界が広がっていくからダメですよ(みんな、笑)!しゅうくん、ウケすぎですよ(笑)。

しゅうくん:
リョウタロウくんがなんだか嬉しそうだから(笑)。

いさどん:
ですから、何でも使い方次第なのです。誰でも、最初は自分を観ることが嫌だったり、恐怖だったり、人からケチをつけられているように感じることがあるものです。しかし、自分で自分を冷静に観ると、その癖や性分の実体は馬鹿馬鹿しくて滑稽なことがわかってきますからね(笑)。自分のことを笑えるようになると、希望につながります。それはなぜかというと、改善される自分がイメージできてくるからです。

リョウチンにはリョウチン独特のワールドがあり、例えばリョウチンは面を彫ります。富士浅間木の花祭りの榊鬼の面は、0からリョウチンがつくったのです。確かに、世の中には面を彫る人はたくさんいますが、ここ独特の祭りに対する精神性を反映させるという意味では、外の人に頼んだら、我々の注文どおりには絶対になりませんからね。リョウチンが面を彫り、ポイントのところでは「ここはこうだぞ」「あそこはこうだぞ」と僕の直観を伝え、面に魂を入れながら、パートナーシップで出来上がったものなのですよ。でも、途中でリョウチンは、「僕はそうはやりたくない!」という心が出てきたものですから、「これはあなたがつくりたいものをつくるということではなく、ここの榊鬼はこういうものなのです」と伝えながら、このように仕上がっていったのです。

ようこ:
面づくりのプロセスにもリョウチンのねじれの癖が現れて、修行の日々だったね(笑)。

リョウちん:
これは一年半かけてつくりましたが、自分でもよくやったと思います。

いさどん:
リョウチン、次が待っていますからね(みんな、笑)。

ようこ:
これは「リョウ」が活かされた例だね。

いさどん:
そうですね。この榊鬼は魔界の主ですが、魔に落ちてくるものを清浄にして、人間界に送り返す存在なのです。

リョウちん:
裁く閻魔ですね。

いさどん:
そうです。

リョウちん:
自分で言うのも何ですが、僕はなにかしらの素質は持っていると自分では思うのです。ただ、それを発揮しきれない部分も自分にはあって、あの面ができたのは結局ここのバックアップがあって、皆のエネルギーによって支えられたから出来たのです。ひとりでは、あれだけの時間をかけてあれだけのものは絶対つくれません。

いさどん:
もっとあなたにしか理解できないものをつくったりしていたかもしれませんよ(笑)。

リョウちん:
おそらく、そのように行くでしょうね(笑)。だから、自分ひとりでは表現しきれないものを出していくことが、僕にとってのひとつの課題だとは思っています。僕は陰性で受け身なところがありますしね。

いさどん:
今、ここに皆の地球暦がありますが、これはその人の精神性と社会性を示すものです。例えば、リョウタくんの地球暦は全体に惑星が配置されていますね。それに比べてリョウチンの地球暦は、全体の4分の1のところにほとんどの惑星が配置されていて、それ以外のところにある水星は破線になっています。そうすると、リョウチンの場合、この特定のところでだけしか生きられないという捉え方も出来ますが、逆に「この分野なら任してください!」ということでもあるのです。

例えば、「妄想するなら僕に任せてください」とか(みんな、笑)。リョウタロウくんの地球暦を観ると、正常の思考ラインと妄想ラインが分かれているのです。ですから、先程のリョウタロウくんの話がそのままこの地球暦に現れていますね。

そこで、それぞれの個性を活かすためには――、(いさどんはすべての地球暦を重ねて)このようにすべてを合わせると、すべてに惑星が配置されるのです!これが「群れる」ということです。そういった意味では、昔、生きることが厳しかった時代には、人々は群れて暮らしていましたから、「危険を察知するのは私に任せて!」とか、「獲物を捕るのは僕に任せて!」と生きていました。ところが、現代の人々は自我が強くなってしまい、「俺が、俺が」と個がバラバラになってしまった結果、それぞれがその人のエリアに囚われて生きるようになってしまいました。現代社会はものは豊かで、人間関係は複雑ですが、一人ひとりはとても孤独で生きています。

そういった意味で、これからの時代は群れの中で生きると、リョウチンのような個性が活かされるということです。リョウタくんの地球暦を観ると、全体に惑星が配置されていますので、それは全体にアンテナを張っていてバランスが良いように見えます。しかし、実はその精度は低いのです。そのことがわからなければ、興味本位で関心があちらこちらに移ってしまい、定まらない人生の意味がわからないで終わってしまうことにもなります。

そこで、21世紀は、「いかに群れるのか」ということが人類のテーマです。1760年のヨーロッパ産業革命からイギリスが台頭し、その流れを受けて今はアメリカが世界のリーダーになっていますが、それは結局個人主義の台頭でもありました。ですから、ひとりでは使いきれないような富を持っている人もいれば、その結果今日一日ご飯を食べることができない人々がいたり、中には餓死するような人たちも地球上に現れてきたのです。それを解決するためには、個人主義という価値観から全体主義という生き方に人類は転換する時を迎えているのです。なぜなら、我々は全体主義の中で生かされているのですからね。

皆さん、良いところに来ましたね(みんな、拍手)!

ようこ:
カタカムナ人が群れて生きていた時、天気を感じる人、食べ物がどこにあるのかを感知する人、危険が来たら察知する人とそれぞれ別のセンサーを持って役割を果たし、全体の群れを維持していたという話をいさどんはよくするけれど、その人それぞれの得意分野があって群れて生きれば、一人ひとりが自己完結して皆がオールマイティになる必要はないね。

いさどん:
例えば動物の世界では、トドでもシマウマでも群れて生きていますよね。その中で皆で危険を察知し、交代で見張りをしながら、安心してエサを食べています。しかし、そのような勘が鈍ったものは群れの中では不要となり、廃棄するために他の獣がいて、それを捕って食べてくれる結果、群れの中に足手まといのものがない状態になるのです。つまり、群れ自体が常に健康な状態で維持されることになるのです。

ところが、人間は動物のように廃棄されなくても、智慧を使っていつまでもピンピンと元気に役に立ち、寿命を迎えたらコロリと潔く逝くことができるのですよ!その「ピンピンコロリ」の精神が、木の花ファミリーが設立された本来の目的なのです。世界に新たな秩序をもたらし、本物の豊かさを提案する――。

その時に、魔界の話はぜひ講座でやってもらいたいですね(みんな、笑)。もしくは木の花劇団でやってもらいたい(笑)。

ようこ:
この「リョウ・リョウ・リョウ物語」を劇団のシナリオにしたら、結構面白いよ(みんな、笑)。

いさどん:
ということで、それぞれが今までの人生を振り返ってみて、今まで自分自身が自分を混乱させ、傷つけてきたり、被害的な意識に立ちながら、実は自分が加害者であったことが観えてきたかと思います。ちょうど今、縁あって名前に「リョウ」がつく人が集い、改めて人生を振り返ってみて、今後の方向性が漠然とながら観えてきたことかと思います。あくまでも、今日は「リョウ」にこだわってこの場を終わりたいと思いますがいかがでしょうか(皆、大拍手!!)

リョウタくん:
面白かったです!

いさどん:
面白いということも言えますが、僕がいつも思うのは人間というのは本当に奇妙な生き物だということです。それは不可思議だということも言えますが、本当に傑作であるとも言えるのです。「リョウ」だけでも、これだけの量のバラエティに富んだ話題になるのですから(チーン♪)、人類すべてを合わせてみたらどうなるのか想像してみて下さい!ブッダかキリストかムハンマドかというものがいたり、中にはヒトラーやキム・ジョンウンのようなものもいるのです。トランプもいますよ!さらに、その一角にいさどんのような人もいるのですよ(みんな、笑)!!本当に奇妙な生き物です。このぐらい多様性ある生き物は他にいません。

ですから、その人の存在の仕組みを知れば、我々はどんな境地にも立てるのです。しかし、無限なる可能性を持つ人類が自我に囚われ、自分が見えている世界を絶対視しているようなことでは、新たな世界は生まれてきません。人類の内側には、まだ無限なる可能性が眠っているのです。

ですから、魔界の発想を凡人にも理解できるように解読して楽しませてくれたら、ウケると思いますよ(みんな、笑)♪こんなにおどろおどろしい人が皆の笑いを取っているのですからね。リョウタロウくんが初めてここに来た時には完全に統合失調症でしたが、最初の面談の最中に既に彼の奥に正常さが観えてきましたからね。通常であれば、当初の彼の状態は「ここでの滞在は無理ですね」とお断りする段階でしたが、今はこうやって自分自身と向き合い改めることに取り組めています。ということで、これにて本日の「リョウ・リョウ・リョウの集い」を終了します。これがあまりにも良かったからまたやりたい!ということでリクエストをいただければ、検討いたします♪

皆:
ありがとうございました!!