木の花ファミリー通信2019年秋分号 〜 カタカムナ

現代によみがえる宇宙の叡智
混沌とした現代を生きる人々に新たな視点を贈る

カ タ カ ム ナ

 

あなたが見ている世界は 氷山の一角

近代社会は、科学の進歩によって目覚ましい発展を遂げました。より豊かに、より快適に。人間の願いは新たなテクノロジーを次々と生み出し、世界を自分たちの都合の良いように創り変え、その暮らしはとても便利で快適なものとなりました。しかし、願いを叶えれば叶えるほど、人間は自然を無視した一方的な欲望をさらに膨らませ、その欲望を満たすための営みは地球上にたくさんの矛盾をもたらすこととなりました。
莫大なエネルギー消費による地球温暖化は各地で異常気象を引き起こし、冬には豪雪、夏には巨大台風や大水害が起こることが今や当然のようになり、快適な暮らしの影で排出される様々な汚染物質が環境中に蔓延し、放射性廃棄物やマイクロプラスチックなどはもはや浄化不可能と言われています。物質的な豊かさを追い求める中で人々の絆は失われ、人と人、国と国が争い、格差や少子高齢化が進み、社会全体の不安や苛立ちを表すかのような犯罪が頻発するようになりました。これらの現象はすべて、私たち人間がこれまで行ってきたことの結果として現れてきたものなのです。そして今、そういった現象を生み出しながらその根本から目を背けてきた人類が、いよいよそれと向き合わざるを得ない時代が始まったのです。

この、生きることがとても厳しくなるこれからの時代に、もはや科学ではどうすることもできない行き詰まりへの突破口を開く視点を、私たちにもたらしてくれるものがあります。それがカタカムナです。

海に漂う氷山は、海面上に姿を現しているのは全体の1割にすぎず、残る9割は海面下に潜んでいます。私たちの生きる世界も同じことが言えます。現代人が五感で感知する「見える世界」はこの世界全体の氷山の一角に過ぎず、その奥には、「見える世界」の存在を支える「見えない世界」が広がっています。この「見える世界」と「見えない世界」を合わせて、「現象界」と言います。そしてさらに、その現象界の奥に、この世界のすべての存在の源となる根源的な世界があるのです。これを「潜象界」と言います。
氷山は、海上に吹く風の向きとは別の方向へ流れていくことがあります。それは、陸で感じられる風の向きと、海中で氷山を動かす海流の向かう方向が違っているからです。この世界は、現代の科学では解明できない、目には見えない巨大な流れによって動いています。その流れに意識を向けた時、そこに世界を動かす大いなる意思が存在することが観えてきます。長い間封印されてきたカタカムナが現代によみがえり始めたことも、その壮大な流れの中にあるのです。

それでは、この世界の全容をひも解くカタカムナの世界へご案内しましょう!

 

1万3千年前の宇宙物理文明

カタカムナは、太陽系が光のピークにあったおよそ1万3千年前に東アジアに栄えていたと云われる、高度な宇宙物理文明です。太陽系が光から闇のピークへと向かう時代の流れと共に衰退し、代わって形あるものを追い求める物質文明が台頭していく中で、長い間歴史の表舞台から姿を消していましたが、1949年、兵庫県の六甲山系にて物理学者の楢崎皐月氏が大地の電位測定調査中に出会った老人より「カタカムナ文献」を見せられたことから、その叡智が現代にひも解かれることとなりました。

カタカムを質的転換しながら無限に循環する仕組み
私たちの生きる世界は、「見える世界」と「見えない世界」から成る現象界と、現象界の奥にあって現象界を支える潜象界によって成り立っています。カタカムナの時代を生きた人々は、この潜象界の存在を直観によって感知していました。
潜象界とは、現象界に発生するあらゆる現象、生命、物質の源となる、響きの世界です。その響きは物理的な音として耳に聞こえるものではなく、すべての存在の根源として全宇宙空間に満ち満ちているものであり、そこには一切の歪みも濁りも存在しません。カタカムナの時代の人々は、この宇宙創成の響きの波動を直観によって感じ分け、その時代の人間の可能な発声に合わせて48音に分類し、後にそれを八鏡文字と呼ばれる独自の図象に表しました。そしてこの48音が、現在の日本語の元となったと云われています。

八鏡文字で表されたカタカムナのウタヒ 第5首・第6首

この48音は、1音1音が宇宙を構成する要素としての独自の意味(思念)を持っています。人々はその純粋な音の組み合わせによって80首(一説によると120首)のウタヒを創り、この世界の成り立ちを表現しました。特に「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト」で始まる第5首・第6首は、宇宙の創生、発展、消滅の物理性を表し、ものごとが現象化していく過程が数理によって示されています。また、ウタヒの多くは性の本義に関するものであり、その時代の人々は、生命発生の根源的な仕組みであり、男女の対向発生によって大宇宙生命の響きを直接感受する性の営みを本能のままに行い、宇宙根源の響きに共振することで自らの直観力を向上させ、生きることが大変厳しい環境にあった時代を、正しい生命カンを働かせることで生き抜いたのです。当時の人々は、脳で思考するのではなく全身の細胞で源の響きを感受(全身全霊)し、星々の命を受け、自然と対話し、大いなる宇宙の循環の中を生命の原理のままに生きていたのです。
この源の響きの世界、即ち潜象界を、「カム(=神)」の世界と言います。すべてがかみ合い一切の歪みのないこの純粋な響きの世界に、思い(思念)が満つり、溢れ出ると、それは美しい歪みとなって現象界に現れ、命となります。多様な命のネットワークが表現される現象界は、「カタ(=型・形)」の世界です。すべての存在はカムの世界からカタの世界へと現れ、役割を終えれば再びカムの世界へと還り、二つの世界を質的転換「ナ(=成る)」しながら無限に循環し続けています。この、カタとカムの大いなる循環の仕組みが「カタカムナ」なのです。

 

汚染の極みにある現代社会

この世界の現象は響きから成り、すべての存在はそれぞれに固有の響きを持っています。カタカムナを生きていた時代の人々は、その響きを感受して48音に分類し、一音一音を組み合わせて言葉にすることで、その存在の奥に秘められた意味を本能的に認識していました。ドレミファソラシドの7つの音階から無限のハーモニーが生まれるように、48の純粋な音の組み合わせによって多種多様な生命の個性がふさわしく表現(名付け)され、自然世界における美しいネットワークに発展していったのです。しかし現代を生きる人々は、そのものの持つ固有の響きを無視し、他の生命には見られない高い自己実現能力を使って欲望のおもむくままに行動することにより、その行いにふさわしい出来事を現象化するようになりました。そして、宇宙を創っている根本の響きとは異質な世界を生み出すこととなったのです。
近代の科学的思考に染まった現代人は、三次元の現象として捉えられるもの以外の存在を認めず、多重構造の世界の中で「見える世界」だけに意識があります。作物に虫が付けば農薬を使って殺し、病気になればただ症状を抑えるための薬を処方するように、その問題の根本と向き合わず表面的な対処を繰り返すことで、世界に矛盾を積み重ねてきたのです。その結果、現代の「見える世界」には人工の歪んだ響きがあふれ、様々な問題ごとが表面化して大きな行き詰まりを迎えているのです。
「見える世界」は、主観の世界です。人々の意識は常に「自分が」中心であり、その自分の行いが世界に何をもたらしているのかを客観的に捉えることをせず、平和や環境保護を訴える活動であってもそれぞれが自らの正しさを主張し、結果的に世界に対立をもたらしています。それに対し、その奥にある「見えない世界」は客観の世界です。自然界では水が汚れればバクテリアが浄化してくれるように、「見える世界」で歪み汚れたものは「見えない世界」までを含めた自然循環の中で浄化され、健全になっていくのが本来の仕組みです。ところが現代の人間の営みは、自然の浄化能力を超えるほどの汚染を生み出し、もはや現象界の中の循環だけでは浄化不可能なところまで来ています。この、現代人の意識では解決できないほど歪み汚れた世界を元の健全な状態へと還していく無限なる循環の仕組みが、天然循環です。

 

全身全霊で宇宙を生きる

現象界は、原因と結果の無限の連鎖から成っています。その無限の連鎖をひとつの物語として捉えた時、その奥に、物語を表現する大いなる意思の存在が観えてきます。これを客観背後と言います。それは人智をはるかに超えた、世界を存在させ、動かしている仕組みの大本です。
世界は、決して止まらぬ時の流れの中で変化・変容・変態を繰り返し、未知なる未来へと進み続けています。カタカムナの時代の人々は、その瞬間、その瞬間を全身全霊で感じ取り、刻一刻と変化していく環境の中で生きるために必要なことを瞬時に判断し、命を紡いでいました。そこに固定概念はなく、ただ世界の変化と共に自らも変化しながら、その瞬間、瞬間を生きていたのです。この変化の連続が進化であり、美しい生命の姿であり、本来の生命力なのです。
全身全霊とは、全身を構成する数十兆の細胞がパラボラアンテナとなり、脳の思考ではなく全身で響きを感受し、その響きを自らの命に染みわたらせ、言葉や姿勢を通して表現することを言います。私たち生命は、この世界を単独で生きているのではありません。まず大宇宙があり、その中に銀河があり、太陽系があり、地球生態系があり、人類がいて、私たち一人ひとりが存在しているという生命の序列のもとに生きているのであり、すべての生命は一番の大本である宇宙の根本原理に基づいて存在しているのです。自然界の動物や植物は自我による汚染がないため、細胞のDNAが純粋に宇宙と呼応しています。ですからその生命活動は、教わらずとも宇宙の仕組みを反映し、美しい表現となるのです。それに対し人間は、進化の過程において唯一、思考を持つ生きものとなりました。そしてその思考を自我によって実現する能力を与えられたことで、自らの欲望を満たす快感の虜となり、自我を肥大させ、自らが宇宙と呼応する存在であることを忘れてしまったのです。そして宇宙の根本原理から外れることで、現代人は今、生命世界を汚染し、破壊する存在にまでなっているのです。
人間が再び宇宙と呼応する存在となるために、私たちはもう一度、思考を自我から取り戻す必要があります。自我に翻弄されるのではなく自我をコントロールする立場に立つことで、思考を宇宙と呼応させるのです。その時に宇宙と対話するアンテナの役割となるのが、全身の細胞の中にあるDNAです。私たちが生命として生きる時、全身の細胞は既にその生命原理を持ち合わせ、女は女のように、男は男のように命を表現し、人生を全うします。それと同じように、宇宙生命の一部である私たちのDNAには、宇宙の始まりから終わりまでの情報が眠っているのです。そこには未来への設計図があり、私たちは生命として生きることで、それを体験という形で、次の時代への英知としてさらにDNAに刻んでいくのです。
その自らを自我の囚われから解放した時、私たちは本当の自由を生きることになります。「クニ」という思念をカタカムナでひも解くと、それは国境で区切られた領土のことではなく、自由「ク」が定着した場「ニ」を示しています。それが、クニを生きることの真の意味です。自らを解放し、全身全霊をもって宇宙に語りかけ、全身全霊をもって宇宙からのメッセージを受け取るのです。
その時に、宇宙根源の純粋で美しい響きがあなた自身から発せられ、この世界に響き渡ることでしょう。その響きは、世界の歪みを解き、生命に活力を与え、壊れたものは自ずと修復され、正常に戻っていくことでしょう。それが天然循環の世界であり、カタカムナを生きるということなのです。

 

 

現代を生きるカタカムナ人

私たちの存在する天の川銀河の直径は、およそ10万光年と言われています。それは、現在観測できる中で最も速く、現代物理学の基準となる光の速さで端から端まで進むのに、10万年かかるということです。つまり、科学的観測によって宇宙を解明することには限界があるのです。
しかし実際には、この世界には光の速さをはるかに超えて、宇宙を一瞬で捉えられるものがあります。それが私たちに備わっている、思念です。思念とは、魂を持っているものが発するものであり、アマハヤミ(光の速度の10の64乗倍)で瞬時に宇宙を駆け巡ります。宇宙もまた魂を持つ存在であり、科学では到底捉えることのできない広大な宇宙空間を、アマハヤミによって秩序を保っているのです。カタカムナ人は、高度な観測機器やデータを持っていたわけではありませんが、宇宙の実相を感受して生きていました。もしも宇宙と同じように思念を持つ私たち人間が、宇宙の秩序を保つ大本の意識に目覚め、その意識レベルで共振したならば、人間はその大本の意識と共に宇宙を運営する存在にもなれるのです。

宇宙とは、無限なる情報の連鎖です。そこでは必ず相反するものが同時に存在(対向発生)し、大きいが小さく、小さいが大きいのです。そこに正しいも間違いもなく、ただどの位置に立つとどうなるかという、因果応報の原理に基づく情報があるだけです。しかし人間は、文明の発祥と共に紙や文字を発明し、本来多次元であるこの世界を二次元の平面上で解釈し、良いか悪いか、正しいか間違いかという二元思考で捉えるようになりました。そして「これが正しい」と特定のものを固定し、自分は正解を知っている、という立場に立つようになったのです。
科学は、物事を細分化し、その切り取った部分をとても鋭く探求します。ですからそれを繋げていくことで、全体像を捉えることもできるのです。そこで特定のものを絶対とすれば、その中だけで答えを出すこととなり、固定概念を生むことになります。それは、変化・変容・変態していく世界の中で必ず矛盾を発生させることになるのです。特定のものを正解として固定するのは、自らが正解を知っている者でありたいという人間の性質があるからです。「自分は知っている」という立場に立つことで、人間は傲慢になり、自らがこの世界に生かされていることを忘れ、宇宙に存在する本来の意味から外れていったのです。
どんなにわかったつもりになったとしても、私たちは銀河の果てまで行くこともできなければ、たったひとつの生命すら、生み出すことはできません。この世界の存在は、すべて宇宙の叡智によって生み出されているのであり、人間が自分の力で創り出せるものは何ひとつないのです。

その昔、宇宙には、叡智が漂っていました。その叡智が時代の要請を受け、現象を引き起こす思念となりました。それがこの世界の現象化の始まりです。そして始まりが叡智であったように、私たち人間も、他のあらゆる存在も、すべての現象界の設定は、いずれまた叡智へと還っていくのです。その時に、現象のすべては空となるのです。
このことを理解するためには、人間は「自分はこの世界のことを知っている」という側に立つことをやめ、「自分はこの世界によって生かされている」という側に立たなければなりません。その時に、宇宙の叡智は自ずと自らの中に入ってくることでしょう。宇宙は変化・変容・変態し続け、時代と共に真実も移り変わります。ですから現在のカタカムナの解釈をもって、これがすべて正しいとする必要もないのです。それは知識として固定されるものではなく、それを会得することで大宇宙生命の根本の響きと共振し、この世界を動かす、目には見えない大いなる流れを感じ取るのです。これからの時代は、生きることがますます厳しくなってくることでしょう。その時代の変化の中で、瞬間瞬間を感じ取り、そこを生き抜いていく力を身に付ける、そのための情報に今、あなたは出会っているのです。
宇宙は情報です。生きるとは、こうするとこうなるという因果応報の情報の連鎖に出会うことであり、カタカムナはその根本原理を私たちに教えてくれているのです。しかし、その原理が通用しない世界が宇宙にはあります。私たちは、因果応報の原理に基づくトキとトコロの対向発生によって存在する、天の川銀河の法則のもとにあり、他の銀河へ行けば、そこにはまた別の法則があるのです。
このように宇宙を捉えていくと、これまでに使ったことのない脳の部分が働き始めます。すると、視点が変わります。視点が変わることで、人は自我から解放され、自由になるのです。

今、時代は大きく変わろうとしています。時代が変わろうとしているのに、人間が変わらないから、社会も変わらず、そのギャップがふさわしい現象となって現れているのが現代の社会です。今社会で起きている様々な現象は、私たち人間が意識を変えて生まれ変わる、即ち質的転換をする大いなる機会を与えられていることを、教えてくれています。無限の可能性を秘めた私たち人間は、どこまで到達することができるのか。その本領を試される時が今、来ています。
カタカムナ人とは、遠い昔を生きた自分とは別の人々ではありません。カタカムナは、私たちの生きる世界の原理原則であり、今この瞬間も、その仕組みによって世界が動いています。その事を理解し、それを生きた時、私たちは現代を生きるカタカムナ(宇宙)人となるのです。

 

 

 


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木の花ファミリー通信2018年夏至号 〜 ある世界とない世界

シリーズでお届けしている「21世紀の死生観」、第一部『死ぬってどういうこと?』に続く第二部のテーマは、『ある世界とない世界』。
私たちは宇宙を生きています。しかしまだまだ、宇宙を生きているという認識を持っていません。第二部では、この宇宙の構造をひも解き、私たち生命に必ず訪れる死について深めます。


 

 

陰と陽

私たちは日々、目に見える世界を生きています。自分自身の体を始め、あらゆるものの姿かたちを目で捉えることによって、その存在を認識します。科学に代表される現代人の思考回路は、この「見える世界」だけをすべてと捉えています。目に見える現象が起きて初めてその存在を認識し、そこに問題を感じれば、また目に見える形で解決しようとするのです。
しかし目に見えるものの奥には必ず、目には見えない存在があります。心、思い、魂 ──── それらは目で見ることはできませんが、その見えないものが、表面に現れた見えるものの本質を成しています。形のある「見える世界」を陽とするなら、形のない「見えない世界」は陰です。この「見える世界」と「見えない世界」を合わせて、ある世界(現象界=現象の起きる世界)」と言います。目に見える私たちの体も、その奥にある目には見えない魂も、どちらも「ある世界」を形成しているのです。

 
宇宙は呼吸をしている

宇宙は対向発生と言い、常に相反する二つのものによって成り立っています。天があれば地があるように、男がいれば女がいるように、必ず対となる陰陽の存在があり、互いを成り立たせ合っています。では、「ある世界」を陽とするならば、必ずそれと対になる陰の存在があるはずです。それを「ない世界(潜象界=すべての現象の源の世界)」と言います。「ある」ことが前提となっている現代の私たちの思考で、この「ない」世界を捉えることはできません。それは、あるとかないという概念すら存在しない、響きだけの世界なのです。

〈図1: 発生と消滅を繰り返す宇宙の仕組み〉 

この世界(宇宙)はもともと、何も「ない世界」でした。ところがある時、「無」から「有」が発生しました。何もなかった世界に時空が生まれ、それがどんどん膨らんで多様性が広がり、現在のような現象世界となったのです。やがてその膨らみがピークに達すると、今度は徐々に収縮していき、いずれ無へと収束します。即ち、「ない世界」へ還るのです。
この発生から消滅までのプロセスを、宇宙は無限にくり返しています。それは宇宙の大いなる呼吸です。気の遠くなるような壮大なスケールで、宇宙は悠々と呼吸をし、すべての生命はその中を生きています。そして私たち自身の命もまた、宇宙と同じ仕組みによって成り立っているのです。

私たちのDNAの中に、宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が眠っています。そこに、これから人類が宇宙的進化を遂げる大いなるヒントが秘められているのです。

 


 
宇 宙 の の 物 語  

もしも私たちが、目に見える世界だけをこの世界のすべてと捉えたら、誕生は始まりであり、死は終わりであると思うことでしょう。しかし事実、この世界はそのような単純な仕組みにはなっていません。「見える世界」と「見えない世界」を合わせた「ある世界」、そしてそれらの源である「ない世界」が立体的に折り重なる多重構造の世界を、私たちは時の流れと共に、ある時は肉体を持ち、ある時は魂だけの存在として、そしてまたある時には宇宙の最極小微粒子へと姿を変えながら、永遠の旅を続けています。それは、大いなる宇宙の呼吸の中で紡がれていく、命の物語です。

 
ある魂の変遷を見てみよう

ある魂が、肉体を持ち、人間として地球に生まれました。そこは「見える世界」です。魂は、魂だけの状態では自分がどのようなものであるかを認識することはできませんが、ひとたび肉体を持って地球に降り立つと、様々な現象に出会います。そこでは、姿かたちや生まれる環境の設定から、日常の中で出会う出来事の一つひとつまでが自分自身にふさわしく起こり、魂はそれらの現象を通して、自身がどのようなものであるのかを知っていきます。人生とは、まるで鏡のように自身の姿を正確に映し出してくれる「見える世界」の中で自らを知り、その自らを進化させていくことなのです。

やがて人生のサイクルが終わりを迎えると、魂は肉体を離れます。これが死です。それまで魂によって束ねられていた肉体の構成物質は原子レベルに解体し、地球生態系の循環の中で次なるものの原料となっていきます。一方魂は、自らの精神レベルにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。そこは、「見えない世界」です。地上を生きている間にどれだけ成長したかによって、「見えない世界」の高次の位置に還るものもいれば、地獄のような低次の位置に陥るものもいます。そしてどれだけかの期間が過ぎると、また肉体を持って地上に降り立ち、「見える世界」で次の人生をスタートさせるのです。

過去から未来へと一方通行に向かう時の流れに沿い、魂は「見える」「見えない」「見える」「見えない」と二つの世界の中をらせんを描いて進みながら、輪廻転生をくり返します。それは例えるなら、食べ物が体の中に入るようなものです。食べ物は、目に見えます。それを私たちが食べ、体の中に入れば見えなくなります。しかしその見えなくなった食べ物は、エネルギーとして目に見える私たちの体を動かします。やがて体から排せつされれば、形を変えて再び目に見えるようになります。見えても見えなくても、それは確実に存在し続け、「ある世界」の中を循環しているのです。

〈図2: 魂の輪廻転生の仕組み〉
宇宙(図1)の中に、無数の魂(図2)が発生と消滅をくり返しながら存在している
魂が「ある世界」の中を循環している間も、命の源のエネルギーは常に「ある世界」と「ない世界」を循環し、新鮮な生命力を与え続けている。*詳しくは「21世紀の死生観・第一部」をご覧ください。

 
巨大な生命の中のひとつの軌跡

肉体を持った一つひとつの人生に寿命があるように、魂にもまた寿命があります。それは言わば、魂の賞味期限です。たくさんの人生を通して進化し、十分に学んだ魂は、賞味期限が来て寿命を迎えると、宇宙最極小微粒子となり、「ある世界」の源である「ない世界」へと還っていきます。宇宙最極小微粒子とは、原子よりも素粒子よりもはるかに微細な、現代の科学では感知することのできない宇宙の最小単位であり、この世界のあらゆる存在の原料となるものです。
宇宙の最小単位となって「ない世界」へ還ることで、その魂の物語は終焉を迎えます。しかし、宇宙が発生、消滅、また発生というプロセスを無限にくり返しているように、ある魂の物語の終焉は、次の物語の始まりでもあるのです。この終わりと始まりの重なる地点は時の流れの上のほんの一点でもあり、「ない世界」ですから永遠であるとも言えます。そして、それら一つひとつの魂の物語の軌跡が、宇宙という巨大な生命に刻まれていくのです。

           

 
「思い」は「重い」

では、魂はどのように進化の道をたどるのでしょう。
魂が進化できるのは、肉体を持って「見える世界」を生きる、人生の間だけです。しかしそこで目に見えるものばかりに囚われていると、地上に降りてきた真の目的に目覚めることはできません。一生懸命勉強をして優秀な成績を取り、社会的地位のある職に就いてたくさんお金を稼ぎ立派な家や車を買い、欲しいものは何でも手に入れて大満足の人生だと思ったとします。それが現代の多くの人間にとってのステータスです。ところがそれを霊的な目で観れば、自我が膨らんだだけなのです。
魂は、肉体を持って生きている間は肉体の重みによって地上につなぎとめられています。しかし肉体を離れれば質量を失い、何も地上に執着がなければスーッと上へ昇り、本住の地である異次元宇宙、即ち天へと還るのです。ところが、これは自分のもの、あれも自分のものと自我を膨らませてたくさんのものを抱えていると、その囚われの思いが重りとなり、肉体を離れても上へ上がることができません。極端になると輪廻もできなくなり、思いがどんどん重くなって地中のマグマまで堕ちていき、火に焼かれて宇宙の最極小微粒子へと解体され、存在そのものをリセットされる場合もあるのです。

 
あなたを裁くのはあなた自身

生きている間にどれだけ自分自身を磨いたか。人間として地上にいる間は様々なレベルの魂たちが一堂に会していますが、肉体を離れるとそれぞれにふさわしい異次元宇宙に分類され、異なるレベルの魂同士が交流することはありません。逆に言うと、地球はそれだけ多様性に富んだ場所だということです。
地上での学びを終え、ふさわしい位置へ還った魂たちは、前世での結果を元に次の人生のプログラムを組みます。例えば前世で戦争をしたとしたら、次の人生では相手の国に生まれることもあります。今自分が敵として憎み戦っている相手は、実は前世の自分の子孫だということもあり得るのです。
プログラムにはそれぞれに固有の寿命も組み込まれますが、地上に生まれる時にはその記憶の一切を消されます。なぜなら、先に答えを知ってしまっては時を越えて思考するようになり、生きる意味を悟る機会がなくなるからです。現象界を生きるとは、時と共に旅をしているということです。過去に囚われるでも未来を決めつけるでもなく、瞬間、瞬間の「今」を生き、その時々に出会う出来事を頂きながら、自らがどのような響きを発しているかを知り、変化していく。それが生きる意味です。
そして、たとえ過去の記憶が消されても、その履歴はすべて魂に刻まれています。肉体の解体と共に物理的DNAは消滅しますが、その瞬間、瞬間、自分が何をしたかということはすべて霊的DNAに刻まれ、その集積が今現在のあなたを創っているのです。生きている間にどれほど美しく着飾り、高い地位を得て世の中から評価されたとしても、死んで肉体から抜け出したとたん、あなたの魂の真の実態が明らかになります。その時にあなたを裁くのは、他でもない、あなた自身です。なぜならあなたは、あなたの人生に寄り添いすべてを確認してきた存在であり、だからこそごまかすことができないからです。そしてそこに汚れが刻まれていれば、来世のプログラムは、その汚れを反映してスタートするのです。

 
宇宙の総意に沿う、大樹の   

地上に生まれる時、魂は単独でプログラムを組むのではありません。魂たちは常に、この世界と協議をしています。
長い長い時の流れの中で、無数の魂たちが地上に降り立ち、その時代、その時代にふさわしい役割を果たしては旅立っていきました。魂たちは輪廻転生をくり返して自らの歩みを刻みながら、同時に世界の側から、時代を表現することを託されているのです。無数の魂たちの一つひとつに、後にも先にも二つとない、オリジナルな役割が託されています。魂たちは時代という巨大な生命の一部として、今この瞬間も、はるか昔からずっと続いてきた宇宙物語を紡ぎ続けているのです。
時の流れをさかのぼっていけば、宇宙の始まり(=終わり)に行きつきます。反対に、先へ進んでいけば宇宙の終わり(=始まり)に行きつきます。この、宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が、私たちの魂の霊的DNAの中に眠っているのです。
それを目覚めさせるのに、思考する必要はありません。ただ「自分」という囚われ、即ち自我を手放せば、その気付きは自ずと湧き出してくるのです。なぜなら私たちはもともと、宇宙の一部だからです。人間の体の細胞一つひとつに全身の情報がインプットされているように、私たちの魂にも全宇宙の情報が刻まれています。そして、私たちが自らの歩みを魂に刻んでいくことは、宇宙に刻んでいくことであり、私たちの魂が進化することは、宇宙そのものを進化させることなのです。
魂が進化した時、そこには美しい生命の花が咲くことでしょう。それは、ただ一輪の花ではありません。それは無数のつぼみを持つ、巨大な生命の大樹の花です。あなたがその中の一つであることを感じながら、あなただけのオリジナルな花を存分に咲かせ、他のたくさんの花々とネットワークした時、それは巨大で美しい、宇宙の総意に沿った満開の大樹となるでしょう。

 

 


 

死んだらまっすぐに

の方へ向かいなさい

今、地球上にはたくさんの問題が起きています。その原因は、人々の心の汚れにあります。輪廻を通して魂を磨くことを忘れ、汚れを積み重ねてきた結果、人間は様々な問題を地上にもたらすようになりました。そこで今回は皆さんへ、死ぬ時の心構えについてお伝えします。

 
地球のカルマ

魂は、肉体が死を迎えると昇天します。昇天とは、天に昇ることです。死を迎え、魂と肉体が離れると、肉体という質量がなくなり、魂は自ずと天へ昇っていきます。この時、汚れた魂はたくさんの執着を抱えており、それが重りとなって上へ昇ることができません。そして霧のように地上に漂うことになるのです。
それでも実際には肉体がありませんから、徐々に上へ上がっていきます。ところが上へ上がったとしても、執着の多い魂は物質世界に留まり続けることになり、天へ還れないまま大気圏の外側を漂い続けるのです。地球は物理的には青くて白い雲が漂う美しい星ですが、霊的に現在の地球を観ると、肉体を失いながらも三次元世界を離れられない魂たちに覆われ、灰色になっています。そしてその囚われた魂たちの響きが、地球に降りてくるのです。それが今の地球上の人間たちの目覚めを遅らせています。

では、私たちは死を迎えた時に、どうしたらいいのでしょう。

死を迎え肉体から抜け出した魂は、少し上からその肉体を見ます。そこで自らの命に執着があると、肉体を見続けることになります。つまり下を見ているということです。あるいは、あれが欲しい、これがしたい、と物や予定をたくさん抱えていても、そちらに気を取られて地上を見ることになります。現代は、あれもこれもと自我の欲望をふくらませ、魂を汚していくことが魅力的に思われている時代なのです。
けれども、自らが死んだことを悟ったら、まず上を見てください。すると必ず、光が見えます。そこがあなたの向かうべき方向です。その時に、残していくものについては一切考えず、ただ真っ直ぐに、光へ向かうのです。そうすれば必ず昇天します。そこではお葬式も、お坊さんのお経も必要がありません。囚われを捨て、ただ真っ直ぐに光へ向かう。それだけで本住の地へと還ることができるのです。
これは、地球を霊的に汚さないという意味でも、とても大切なことです。私たち人間は今、地球を目に見える形で汚染しているだけでなく、見えないところでも汚し続けています。そしてそれが、地球のカルマとなっていくのです。ですからどうぞ、このことをいつも心に留めていてください。なぜなら死は、誰もに必ず訪れるものであり、それは明日かもしれないのです。

 
暗闇の中のひとすじの

地球の周りを覆っているのは、人間たちの魂だけではありません。人間によって命を奪われた動物たちの魂もまた、灰色の霊的なもやとなり地球を覆っています。私たち人間が食べるための肉として、日々おびただしい数の動物たちが殺されています。殺される瞬間の動物たちの恐怖は、大変なものです。動物たちは悲鳴を上げ、恐怖の響きを響かせながら命を奪われ、その響きの入った肉を私たちは日々食べています。

自然界でライオンがシマウマを食べるのは、命の循環です。シマウマの命はライオンに受け継がれ、その魂は何の未練もなく昇天します。しかし人間が欲望のまま貪り食うために殺された動物たちの魂は、昇天できずに地球を覆い、今も恐怖の響きを響かせています。その響きは地上の霊的汚染に大きな影響をもたらし、現代は人間が目覚めることがとても難しい時代になりました。だからこそ、そのような迷える魂を出さない生き方を日々心がけていくことが大切です。その積み重ねの結果、いつか自らが死を迎えた時にも、地上に囚われることなく潔く旅立てるのです。

今の地球は、霊的には闇の時代です。人々はまだ、目を覚ましていません。しかしその中で、ほんの一握りでも目覚め始める人たちがいれば、それは暗闇の一筋の光となるのです。闇の中では、ほんの少しの光でも、とてもよく見えます。それはどこか遠くにいる人々にとっても、きっと道しるべとなるでしょう。

目覚めた人から、自分一人分この世界をきれいにする。その動きが広がり、地球がその美しいハーモニーに包まれたなら、世界はたちどころに美しくなり、地球も本来の輝きを取り戻すのです。

 

 

 


人生は、魂を美しくするためにある ──────
では、「美しい」とはどういうことなのでしょう? 21世紀の死生観・第三部(2018年秋分発行)では、生命の真の美しさとは何かをひも解きます!


 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、1ヶ月間の真学校ブログをご覧ください。→ 1ヶ月間の真学校ブログ『21世紀の死生観』

 *1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在しながら、「自分」という囚われを外し、既存の価値観を超えて世界観を大きく広げ、様々な切り口から21世紀の人類の生き方を実践的に学ぶプログラムです。ただ今、2019年受講生を募集しています。詳しくはちら

 

 


木の花ファミリー通信2018年春分号 〜 死ぬってどういうこと?

一年で、光(昼)と闇(夜)がちょうど等分となる春分の今日、木の花ファミリー通信最新号が発行されました。今号より、「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします。どうぞご覧ください!


 

21世紀の死生観 第一部

 
「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします

「21世紀の死生観」と言いますが、21世紀でなくとも、人は生き死にを繰り返しています。生まれて生きて死んで終わりではなく、悠久の時の中で、生まれて生きて死に、また生まれて生きて死ぬことをくり返しているのです。

ところが、現代の多くの人は死を恐怖に感じています。ある調査によると、日本人の半数以上が死を「怖い」と感じています。また別の調査では、20代から70代までの全世代を通じて、9割以上が死を「悲しい」と捉え、6割以上が「どことなく不安」と答えています。

*朝日新聞全国世論調査より

しかし、どんなに怖いと思っても、悲しいと思っても、確実に死はやって来ます。なぜなら明日が来るからです。「死にたくない」と思って今日一日を生きると、今日一日分、確実に死が近付いてくるのです。

 
時は生き物

この時の流れを止めたいと思っても、止めることはできません。それは、時が生き物だからです。時は、決して留まることなく変化変容し続ける宇宙の基盤であり、常に循環し続けています。私たちはこの時という生命の一部であり、それに乗って宇宙を旅し続けているのです。
この時という乗り物に乗らない存在に、この世界で出会うことはできません。すべてのものは固有のサイクルを持ち、時の上でそれぞれのサイクルを刻みながら、互いに連動し、ひとつらなりの壮大な生命を構成しているのです。
その大きな生命の中の一つのサイクルが終わりを迎えた時、私たちはそれを「死」と呼びます。命あるものは皆、必ず死を迎えます。けれども、私たちは死を恐れ、目を背け、死とは一体何であるかを曖昧にしたまま毎日を生きています。死が曖昧であるということは、生きることの意味もまた曖昧だということです。私たちが出会う問題ごとのすべては、私たちが生きていることから生まれます。私たちは生きることの意味を曖昧にしたまま、ずっとその問題を抱え続けているのです。

人はなぜ生まれ、なぜ生き、なぜ死ぬのか。死生観は人類の根源的なテーマです。一人ひとりにサイクルがあり、一人ひとりに存在する理由があります。その壮大なる生命の仕組みを理解した時、私たちは初めて、真に充実した人生を生き、喜びを持って死の向こうへと旅立てるのです。

 
シリーズでお届けする「21世紀の死生観」。
第一部は、この世界の命の仕組みをひも解きます!

 


 

肉体は循環の中で変化し続ける
それをつなぎとめるものが  

宇宙はすべて、陰陽から成り立っています。私たちの肉体を目に見える陽とすると、その奥には目に見えない陰の存在があります。それが魂です。

「陰陽」と言うように、この世界の元の仕組みは、まず最初に陰があり、そしてそれを元に陽が発生します。私たちの生命は、まず魂があり、その魂が宇宙に遍満する様々な物質を縁によって引き寄せ、肉体を形成します。この、魂と肉体がセットになった状態が「生きている」ということです。姿かたちや性質から、どのような家族を持ち、どのような場所に生まれるかまで、すべてその魂独自の縁によって紡がれていきます。そしてそれぞれの魂と肉体の縁は、独自のサイクルを持っています。これが寿命です。
寿命が来ると、魂は肉体を離れます。すると、それまで魂によってつなぎ止められていた肉体の構成要素は、その縁から解き放たれて、三次元生態系へと還る旅を始めます。そして、また次の生命を形成する材料となります。一方魂は、それぞれにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。

ふさわしい異次元宇宙とは、地獄から多次元構造の高次元宇宙まで幅広く存在します。その幅広い異次元宇宙の中で、様々な段階の魂がひとつの時間と空間のもとに一堂に会して存在しているのが、地球生命世界です。つまり、地球に生きるということは、多種多様な存在に同時に出会うことができる生態体験ツアーのようなものなのです。魂たちは、それぞれの段階のサイクルにふさわしい人生を生き、その人生にふさわしい死を迎え、宇宙へと還り、またふさわしい縁のもとに地上に降りて、新たなサイクルを刻んでいくのです。

 
命のリレー

何も増えず、何も減らない。ただ形を変えながら循環し、すべての存在が変化変容し続けているのが宇宙の実体です。この大いなる宇宙の循環の中で、私たちの肉体もまた、変化しながら生態系を巡っています。

地球生態系を構成する五大要素は、地水火風空です。人間は、地とも、水とも、火とも、風とも、空とも循環して生きています。地に育まれた作物を食べ、水を飲み、排せつしたものがまた次の生命を育む元となり、陽の光を取り込んではエネルギーに変え、そのエネルギーを放出し、風を受け、呼吸をし、吐き出された二酸化炭素もまた、植物の成長の糧となります。それは、常に他から自分へと生命が流れ、必要なものを取り込んでは、また形を変えて他へと受け継がれていく、命のリレーです。その流れはひとつではなく、幾重にも重なって連鎖しています。私たちはこの自然生態系の循環の中で、多種多様な存在から常に新鮮な命を与えられ、生かされながら、自らもまたその循環の一翼を担っています。逆に捉えると、この循環の中にいなければ私たちの生命は成り立たないのです。そしてこの循環を支えているのは、自らの存在が他を生かしていく「利他」の仕組みです。

この、絶えず変化変容し続ける肉体の様々な機能を束ね、ひとつの生命体として維持しているのが魂です。そして人間は、一瞬として同じ状態にはないこの生命体を、過去から未来まで継続して「自分」と認識するようになりました。そしてその自分という認識に囚われるようになりました。これが、自我です。

 
自我に囚われ
この世界の大きな仕組みを忘れた現代の人々

人間は、動物と大きな違いがあります。それは自我に目覚めることができるということです。動物にも自我はありますが、それは本能的なものであり、囚われるものではありません。ところが人間の自我は、自分というものの側に立ち、そこに執着するのです。
常に変化変容し続けるのが、私たちの生きる宇宙の実体です。しかし自我を持った人間は、宇宙の法のままに変化していくことよりも、自分というものを固定し、その状態を維持しようとするようになりました。枠の中に人が入ると「囚われ」という字になるように、まさに、自分という枠の中に自らを閉じ込めたのです。そして、この世界はすべてが連鎖し支え合うひとつらなりの命であり、自らもその一部であることを忘れてしまったのです。

この世界は、個々に独立したものが利他の仕組みによってつながる、命のネットワークです。私たち人間の魂は、一つひとつどれもがオリジナルな個性を持っています。そしてそれらがつながり、一つの集合体となることで、多様性あふれる豊かな世界を築いています。しかし個性とはまた、それ単独で見た時に「偏っている」ということでもあるのです。
偏ったものが、他と連携することを忘れ独りよがりに生きると、世界は必ずその偏りにふさわしい問題ごとを与え、行き詰まるようになっています。そして世界は、その行き詰まりを通して人間に自らの偏りを体験させ、つながることの大切さを学べるようにしているのです。ところが「自分」に意識が向けば向くほど、人間は自我が強くなり、この仕組みが見えなくなっていきました。目に見えるものだけの価値観に囚われ、全体が一つの集合体であることを忘れて個々の幸せを追い求め、その結果、多様であるからこそ互いに補い合い世界を豊かにするはずの個性が、多様であるがために対立し、世界に不調和を生むようになりました。そして世界にも、私たち自身にも、様々な問題をもたらすようになったのです。

 
あなたの奥に、永遠のあなたがいる

私たちは、生まれてすぐの赤ん坊の時から泣くことで意思表示をし、食べることや眠ることを求めます。それは生きるための本能的な行動ですが、ではそれが生きることの目的なのかというと、そうではありません。
この世界は、云わば生命の織物です。地水火風空の元に無数の生命たちが織り成す命の循環は、自然生態系(現象界)の広がりを表す、横糸です。そしてそこに、目には見えない縦の糸の働きがあります。それは、私たちすべての生命の源である、魂のふるさと(潜象界)との循環です。そこからやってくる命の源のエネルギー、即ち元の気(=元気)が、私たちに常に新鮮な生命力を与え続けてくれているのです。

この世界では、まず始めに陰があり、それを元に陽が発生します。この命の織物の、陰は縦糸、陽は横糸です。ところが現代の人々は目に見えるものばかりに囚われ、この縦糸の存在を忘れてしまいました。縦糸を見失った世界は秩序を失い、軸を失ったコマのように、ゆらゆらと不安定な状態であり続けることになってしまったのです。しかし、どんなにその存在を認識していなくとも、私たちは絶えずこの縦と横の循環の中で命を与えられ、生かされています。そして私たちがこの世界に生まれてくる真の目的は、肉体を持って現象界を生き、そこで出会う様々な現象を通して、目に見える肉体の奥にある、魂そのものを磨いていくことなのです。それが、私たちが生きていく上で根本的な軸となる役割を果たすのです。

私たちは絶えず呼吸をし、食べることや排せつすることをしなければ、生きることができません。生きるとは、肉体に縛られている状態であるとも言えます。水や土や空気に縛られているとも言えます。しかし本来、魂とは無限の存在なのです。
今あなたが「自分」だと思っているその姿の奥に、永遠の存在としてのあなたがいます。自分という囚われを外した時、そこには未だ出会わぬ、未知の世界が広がっています。人間には、無限の可能性が秘められているのです。

 

 


 

 
遥か昔、この世界は、光だけの世界でした。
光だけの中にいては、光は見えません。完全なる光そのものである神様は、退屈でした。「完全なる私は、完全であるがゆえに、私を知ることができない。」
そこで神様は、完全なるその体を分けられました。光とは何かを分かるために闇を創り、それを自身からもっとも遠いところへと投げたのです。そして、もとの光へと還っていく長い長い道を創られたのです。

 
地球という学校への入学

宇宙に漂う無数の魂たちは、どれもとてもユニークです。完全なるひとつから分かれてきたため、一つひとつは不完全で、偏っており、それぞれが他にはない個性を持っています。ところが魂たちは、魂のままでは自らの姿が見えないのです。「どうしたら自分のことがわかるだろう。」そこで、宇宙の総意によって、地球という星が創られました。魂たちはこぞって地球に降り立ち、それぞれの個性にぴったりの姿かたちや性質を持って、地球生態体験ツアーをスタートさせました。

地球では毎日、それはそれはたくさんのことが起こります。肉体を持った魂たちは、人生を通して様々な体験をし、その体験から自らがいったい何者であるかを知るようになりました。自分がどんな響きを発しているかによって、出会う出来事が変わっていくのです。「そうか、自分とはこういうものなのか。」

宇宙の時の流れは壮大で、変化もとてもゆっくりですが、ここ地球では、変化変容変態をくり返す仕組みの中で、次々と現象が起こります。そんな中、魂たちの歩みはそれぞれです。出会う出来事から次々と学び、どんどん進化していく者。目に見えるものに囚われて、地球に来た目的を忘れてしまい、何度も同じことをくり返す者。それは、地球という学校に入学したようなものでした。やがて、学びの期限が訪れると、魂たちは「死」という形で卒業を迎えます。そして、人生を通してどれだけ学んだかによって、それぞれの段階にふさわしい異次元宇宙へと還っていくのです。

魂たちにとって、地球は唯一、自分が何者であるかを知り、進化できる場所です。学びを終えた魂たちは地球学校の成績表と共に宇宙へ還り、またいくらかすると「よし、今度こそ!」と地球へ学びにやって来るのです。

 
宇宙全体が美しくなるために

この地球での魂たちの進化のようすを、宇宙の星々はとても興味深く観ています。肉体を持ち、人間として地球に降り立った魂が、自らを高め真理に目覚めると、星々が反応し、銀河の中心がザワザワと波打つのです。たった一つでも、優れた魂は、宇宙に対してそれほどの影響力を持っているのです。

今、地球上に人間として降り立った魂たちは、とても狭い世界観の中で生きています。自我に囚われ、生まれてきた目的を見失い、死ぬことへの恐怖を紛らわせるかのように、目の前の欲望を満たすことに一生懸命になっています。そして世界は問題ごとであふれかえるようになりました。

しかし時代は確実に、光の方向へと進んでいます。神様が自分からもっとも遠いところに闇を置かれてから、私たちは闇とは何であるかを体験し、何度も何度も生まれては死に、生まれては死ぬことをくり返しながら、もとの光の世界へと還っていく道を歩んでいるのです。

時代は21世紀を迎え、2000年から3000年への新たなサイクルに入りました。これは、地上を生きる人間たちが、生きることの真の意味を悟る時代を迎えたということです。それは今までの宗教のように、誰か一人の聖者が現れて教えを説き、救いを求める人々がその教えに群がることとは違います。一人ひとり誰もが、自分自身の中に眠っているものを目覚めさせる。そうすることによって、自らが尊きものとなり、生きる時代がやってきたのです。

私たち人間は、自我に囚われ世界に混乱をもたらす存在から、本当の人としての価値を地球上に表現し、すべての生命のために、この世界に正しい秩序をもたらす存在へと進化する時を迎えています。私たち一人ひとりの魂が美しくなることが、地球を、そして宇宙全体を美しくするのです。

そのためにはまず、「自分」という囚われを、外すことなのです。

 

 

 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、「1ヶ月間の真学校ブログ」をどうぞご覧ください。
 → 1ヶ月間の真学校ブログ『死生観~死と一体となって、生きる』

*1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、様々な切り口から21世紀の世界観を学ぶプログラムです。

 

 

21世紀の死生観第二部「ある世界とない世界」

 


人類史上初の「リョウ」の集いにようこそ! ~PART2:リョウ・リョウタ・リョウタロウ大集合!~

2017年の夏、自然療法プログラムを受けている30歳のリョウタくんの提案により、同じくケア滞在中の19歳のリョウくん、20歳のリョウタロウくんと一緒に、いさどんと集う場がもたれました。題して、「リョウ・リョウ・リョウの集い」!その場にはリョウタくんのサポーターであるリョウチンや、メンバーのリョウコちゃん、そしてこの集いに関心があるその他のメンバーも集まりました。

いさどん:
本日の会の発起人は、リョウタくんです。本題に入る前に、リョウタくんに「なぜこの会を提案したのか」という話をしてもらおうと思うのですが、この話には僕の中に前段があるのでそれをまず、お話ししたいと思います。

そもそも、このような探究がなぜ可能なのかというと、僕は今66歳ですが、30歳と半年ぐらいの時に出会った霊的な体験から、「カルマ読み」と名づけた分析方法を発展させてきました。それにより、人の魂の性質を観る手法が体系化されてきたのです。これは世界中探してもどこにも資料がない手法であり、僕個人に霊的に降ろされたもの、もしくは僕の思考の中で成立してきたものと言えるでしょう。

その霊的な出会いから、僕の人生は常に人の問題事と共にあったのです。つまり、30歳過ぎから僕は人の悩み事相談を受けるようになり、まだ人生経験の不確かなものがそれを受けてきた結果、言わば人間のカルマの法則性のようなものが観えてきたのです。それが現在の「カルマ読み」になりました。

それを体系化していく段階で、単純に数値で表した陰陽度による人の性質だけではなく、音の意味にも非常に重要な性質があることに気が付きました。そして、文字には濁点による濁りと小文字による歪みがあることに行き着いたのです。これは降りてきたものではなく、これまで1万件以上の面談を行うことによって、ある意味統計的に築いてきた結果、現在の法則性に至りました。それをもって、人々の問題事や悩み事の相談に乗ってきたのですが、それによって人々が人生の中で出会ういろいろな出来事の奥に、その人の本質である性質が関わっていることが観えてきたのです。その形が観えてきた時に、濁点による濁りと小文字による歪みの特徴も同時に観えてきたのです。もしかしたら過去の時代には、それが生きる上での力になっていたのかもしれません。しかし現代では、それが生きる上でのハンディキャップを背負うことにもなりうることがわかってきたのです。

ですから、ここではよく、「子どもの名には濁りである濁点をつけるな。歪みである小文字をつけるな」と言うのです。それは単に、その法則を知っているからつけないということではありません。そういったことをわかっているからこそ、そういった魂に縁がないということも言えるのです。しかしそうかといって、ここを訪れる人々はどちらかというと、濁りや歪みのある人のほうが多いのです(笑)。それはなぜかというと、どちらかというと人生に行き詰まった結果、ここに来る人が多いからです。特に、僕に個人的に支援を求めてくる人にはそのような傾向の人が多く見られますね。

このように、人が人生においてなぜいろいろなトラブルや迷いに陥っているのかをひも解き、その法則性を解き明かしてきた結果、この「カルマ読み」があるのです。

カルマ読みで人々の人間性をひも解き、相談に乗っていく中で、さらに人の人生を解き明かすのに重要な出会いとして、2011年、「地球暦」に出会いました。太陽系の惑星地図による内惑星から個人の精神性をひも解き、そして外惑星から社会性を観るという手法に出会った結果、カルマ読みがさらに充実しました。カルマ読みと地球暦の己読みはある意味相関関係のようであり、それは人の性質をこちら側(その人の人間性)とあちら側(宇宙から託されている使命)から観る確かめ算のようになっていることがわかったのです。

さらに2013年、「カタカムナ」に出会いました。カタカムナとは、今から約13000年前、東アジアに発展していた宇宙物理学のことですが、カタカムナには法則性というよりも、音の響きに意味があることが重要なのです。「この世界のすべては響きである」ということで、私たちは人柄という霊的な響きも持っていれば、実際に音を発し言葉を話しますので物理的な響きも発します。その言葉は言魂と言い、その人の人柄を発するのです。それがこの世界に放たれ、その放たれたものが対象のものに伝わり、その返ってくる響きで私たちは己を知るのです。すべての音は固有の意味を持ち、その発せられた響きの組み合わせによって、この世界の現象化が進んでいきます。

カタカムナでいうと、カタカムナのふるさとは潜象界と呼ばれます。私たちが存在する現象界には見える世界と見えない世界があり、これは体と心、もしくはこの世とあの世のような関係です。その現象界は「ある世界」とも言うのですが、その奥にある「ない世界(潜象界)」というものを解き明かしたのが、カタカムナ理論です。

これは、たいへん奥の深い話なのですが、私たちの現代文明は有史以来の文明です。有史というのは約6500年前のメソポタミア文明に始まる文明であり、紙の文明です。つまり、それは学問の文明なのです。学問ですから、何でも二元的に平面上で捉えようとするのです。紙の上に描かれている丸を見ると、私たちはそれを単なる円だと思うかもしれませんが、宇宙で丸は球体のことです。そのくらい二元的に捉えることと立体的に捉えることは違うのです。ですから、この概念は新しいものに出会ったというよりも、カタカムナに出会うことにより、当たり前のこの世界にある物理性を改めて再認識するということなのです。

そして、6500年前の有史よりもさらに6500年前向こうの約13000年前、そのカタカムナの文明が日本列島に存在していたのです。正確に言うと、13000年以前大陸は地続きでしたから、東アジアに存在していたのです。それが日本列島の大和文明となって、今、ここに残っています。後に、その文明が西の中国、インドに渡り、有史以来の世界の宗教や哲学の元となっていたことがわかってきました。またヨーロッパへ渡ってキリスト教となり、そういった流れが外国を通して日本に再輸入されたのです。このような構造も今、わかってきました。

そこで、カタカムナによると単音には意味があるのですが、カタカムナで表される潜象界の音には小文字も濁点もないのです。つまり、単音が極めて純粋な音であり、歪みや濁りがない美しいものなのです。それが宇宙の奥にある潜象界に秘められているのです。元々はそのように美しい存在だった響きが現象世界に発生し、物理性を伴うと、現象世界では個性という物と物との差ができ、その個性的なものの連鎖によるネットワークが現象化として広がっていくのです。それが、宇宙の星々の仕組みであったり、地球の自然生態系の姿なのです。逆に、現象世界から潜象界へ還っていくと、すべてのものは極最小微粒子に還り、その世界には差がないので悟り(差取り)の世界になります。ですから、私たちがこちらへ生まれ出ると、差がある世界で生きることになり、個性を伴うのです。そこで真理への道を目指すものは、すべてを捨てて悟りの境地に至る、つまり向こうの世界(潜象世界)へ行くことを目指すのです。逆に、人間たちは自然界から人工という世界を創り、差がある世界を創っていく存在なのです。本来、人の目指すべき道は、この世界の仕組みの元(命のふるさと)へ還っていくこと、すなわち、すべての存在と自らの差を取ることであり、その差を取ることが、地球はひとつ、宇宙はひとつ、そしてその境地の至るところは、「すべては私自身」となるのです。

カタカムナを学術的に定義づけた楢崎皐月の流れを受けて、関川二郎がまとめた「潜象道シリーズ特集号・カタカムナ単音豆辞典」によると、単音の意味の最後に「濁音」についての記述があるのです!そこには、「濁音、半濁音は、濁っている、あるいは半分濁っているような状態の存在であり、濁点の付かないものは、そういう状態がないからである」と記述されているだけで、小文字については触れていないどころか、それ以上のことは書いてありません。つまり、彼はそこまでは探究したのでしょうが、彼の段階ではこれ以上手をつけることなく探究は終わっているのです。そこから察するに、カタカムナ文明の13000年前と時を同じくして存在していた日本最古の大鹿窪遺跡の上で今、私たちが暮らし、これを語り、その精神を生きているということは、私たちにその次を探究することが託されているということなのでしょう。

有史以来の人類には、地球上でカタカムナをベースにして生きているものはいませんでした。学問的にはその文明を少しひも解き始めましたが、ほとんどの人々は有史以来の記録することに基づく学習レベルになっているので、日常生活にその叡智を取り入れ、実践に落とすことはありませんでした。ところが、そういったことにまったく縁がなかった私たちのところにその叡智が訪れたのです。そして、カルマ読みが自らの精神構造の理解につながり、地球暦によって人生をひも解かれ、カタカムナを通して自らの精神が発している響きの素性を現象化として学ぶことになりました。ですから、ここはその霊的・地球的・宇宙的叡智を実践をもって学べるところなのです。それは、カルマに翻弄され、人としての本来の道を歩めない現代の人間たちを正しく導く道です。

今、世界中で人間のカルマが暴走していますからね。それこそ、カルマが暴走すると、事実無根のことまで真実になっていくのです。そして人間たちは過激に奪い合い、殺人を犯し、戦うのです。このようなおかしな世の中になってしまったのは、6500年前以降のことです。その前は上古代の時代であり、日本で言えば縄文前期ですから、人々は自然と共に調和して(群れて)生きていたのではないかと思われます。それは想像の世界ですけどね。

そういった意味で、リョウタくんがふと、「リョウ・リョウ・リョウ面談をしたい」と提案したことは、深いことを考えずにふと思いついたのでしょうが、僕はそれを受けて、「これはたいへん意味深いことで、地球の歴史上、このような探究がかつてあっただろうか」と想いを馳せたのです。「今までこのような解釈で人々が集ったことがあったのだろうか」と。

ようこ:
ないない!「リョウ」の集いなんてね(みんな、笑)。前人未到だよ♪

リョウチン:
楢崎皐月もこのような場は設けなかった(笑)。

いさどん:
彼は今頃、「やっとそこまで到達してくれたか!それは私のたどり着けなかった領域だ」と言っているかもしれません(笑)。そしてもうひとつ、楢崎皐月が行き切れなかったのは、性の探究なのです。それは、これから次の世代に伝えていくとして、少なくともここに「リョウ」が大量にこれだけ集ったのですからね(チーン♪)。

ですから、リョウタくんがなぜこの場を持つことを考えたのかを聞く前に、実は僕にとってはとても意義深いことを語れる場所なのだということを皆に伝えようと思ったのです。

ようこ:
今の話ですごく満足しちゃった(みんな、笑)!もう胸がいっぱいで(笑)、良い時間でした♪

いさどん:
いつものことながら事前にこういったことを話そうと思っていたわけではなく、まずは発起人のリョウタくんに話してもらわないといけないけれど、「それだけではいけない。なぜこの探究が可能なのかを伝えるべきだ」と思ったのです。僕は、ただ降りてくるものを皆さんに翻訳するように伝えるスピーカーですからね。そこには一切の駆け引きはありません。

ということで、リョウの代表である発起人のリョウタくんは、なぜこの場を持とうと思ったのですか?

リョウタくん:
そんなに深く考えてはいなかったんですけど・・・。

いさどん:
それはわかっていますよ(みんな、笑)。これから浅いところから深いところへ行くのですからね(笑)。

リョウタくん:
僕がケア滞在を始めた時、まず僕のサポーターがリョウチンということで、リョウ・リョウということで、何か縁があると思ったのが最初です。それで僕がケア滞在を始めた翌日にリョウくんが来て、そこにも何か縁を感じると思っていたら、その1ヶ月後にリョウタロウくんがケア滞在を始めることになり、やはり何かあるなと(みんな、笑)。

いさどん:
ここの自然療法プログラムの歴史は長いですが、こんなパターンは初めてですよ(笑)!今まで同時に9人の人がケア滞在していたこともありましたが、このケースは初めてです。

まっちゃん:
ケア滞在者同士でこのような場を持つこと自体、ないよね(笑)。

いさどん:
そうですね(笑)。これは、探究という意味では自然療法プログラムのレベルが一ランク進んだということですよ。

リョウタくん:
僕は、天のことはわからないですけれど、なにか縁があるのだから、この機会を逃すのはもったいないと思いました。僕もいつも個別には話すのですが、いさどんとリョウくん、いさどんとリョウタロウくんとの面談内容にすごく興味があって、いつか聞いてみたいと思っていたのですが、ケア滞在者にはそれぞれ機密事項のようなものがあるので、他のケア滞在者の面談を傍聴することはできないと聞いたので・・・。

いさどん:
個人情報というのは、あなたたちが世間一般の人だからですよ。木の花の中にいると個人情報という位置づけはないのです。あなたたちは世間の人なので、とりあえず世間並みに個人情報を守るということと、ケア滞在者はいろいろな意味でハンディを持っているわけです。そうすると、どちらかというと僕はプレッシャーをかける立場にいます。強いプレッシャーを与えると人はやる気を失いますが、ある程度プレッシャーをかけないと改善はされないのです。ですから、僕は軽いプレッシャーをかけ、その人が自分で動いていくように投げかけはするのですが、その時にケア滞在者がお互いに情報を交換すると、傷口をなめあって改善に向けて取り組まなくなることもあるのです。ですから、ケア滞在者同士にお互いの情報は行かないことになっています。これは、ケアの取り組みを進めていく上で重要なことです。

例えば、それぞれのケア滞在者には家族がいますよね。外の家族とやたらと連絡を取り合うようになると、この取り組みのガス抜きになってしまい、そこで外の家族が同情したりすると、ケアの取り組みが進まないことがあるのです。それは自業自得で、結果として自分で足を引っ張ることにもなるのです。ですから、ここでは軽いプレッシャーに対して自分と向き合い、超えていくことが必要だということです。ここでのケア滞在の説明になりましたね(みんな、笑)。

ですから、そのような情報交換はしないことになっています。

リョウタくん:
それで、この場はいさどんと他のケア滞在者とのやりとりを生で見られるチャンスだと思ったのと、小文字の特徴としては性格がひねくれていることが挙げられると聞きました。そこで、それぞれのひねくれ度を客観的に分析できてそれを伝えてくれるいさどんという存在がいるので、自分だけで解釈したら正直、「リョウくんやリョウタロウくんはひねくれているな」とは思うのですが、そこまでの分析はできていないのでそこを知りたいと思いました。

いさどん:
それについては、カルマ読みの定義と地球暦の定義、それからカタカムナの定義をマスターすると、「なるほど!」ということなのですが、今、僕はその話を聞きながら、今回集っているのはリョウ・リョウタ・リョウタロウですよね。そうすると、カルマ読みでいう一文字陰性・二文字陰性・三文字陽性の魂です。ですから、まるきり今回のために魂の見本として選んできたような組み合わせです!ある意味、今回は「リョウ」という魂の展示会のような場ですね(みんな、笑)♪

ようこ:
一文字・二文字・三文字と全種類揃えました!というような(笑)。

いさどん:
そうです(みんな、笑)。ただ、二文字には二文字陽性、二文字中性もいれば、三文字にも三文字陰性、三文字中性もいます。ですから、すべてとは言いませんが、代表的な事例であることは確かです。ですから、天はいたずらっぽいのか、私たちに世紀の探究をするように伝えているのでしょうか(笑)。

そして、それぞれの中に自らの情報を取り入れる準備が整ってきたので、今日の場があるのだと思います。

リョウタくんの中にはそれ以上の意図はないですか?

リョウタくん:
あとは、リョウチンがここでメンバーとして自分のひねくれを活かしているので、良い例として聞きたいと思っています。

いさどん:
活かさない頃は結構たいへんでしたよ(笑)。

リョウタくん:
そういう話も聞きたいです(笑)!

いさどん:
今日は、「リョウ」という音がひとつのテーマです。「リョウ」は「リョ」と「ウ」の音に分かれます。そうすると、「リョ」はひとつの音です。ところが、本来「リョ」は「リ」と「ヨ」の組み合わせですが、「ヨ」が小文字になることによってそれがひとつになってしまったのです。ここがポイントなのです!

カタカムナでいうと、「リ」という音には本体からの分離という意味があり、リという音を名前に持つ人は自意識が強い傾向があります。次に、「ヨ」という音には邪で横回転の動きという意味があり、ヨという音を名前に持つ人は頭の中でグルグルとたくさん考える傾向にあります。たくさん考えそれが横に回るということは、生産性や発展性という意味では悪い意味ではありません。地球で言えば、地軸の縦軸に対する横回転の動きを意味します。横回転することによって地球上で生命は発生するのですから、ヨは非常に重要なものではあるのですが、結局使い方を間違え軸がなければ、邪にあちらに行ったりこちらに行ったりと方向性が定まらないことになってしまいます。今回、そのヨが小文字になり「リョ」になっているということは、自意識過剰で根拠のないことに頭を回し、無駄な時間を過ごすという意味になりますね。

続いて、「ウ」という音は宇宙のウですから、高次の渦です。つまり、宇宙が整って高次元になると、渦になるのです。宇宙の原理はすべて渦ですからね。私たちの体のつむじや指紋などを見ても渦でできていますし、細胞も渦ですし、惑星が宇宙を旅するのもすべて渦なのです。すべて、螺旋を描きながら動いていきますからね。そうすると、宇宙が発展するという意味では、ウは非常に重要なことなのです。ウはすべての現象が生まれるところですからね。

つまり、「リョウ」の意味を紐解くと、分離して自意識が強く(リ)、邪な心(ヨ)が生まれ続ける(ウ)という状態なのです。この人格は、相当たちが悪いですよ(みんな、笑)!それで方向性が定まらないのですからね。

リョウというのはそれだけです。それが「リョウタ」になると、「タ」という音も分離・独立を意味するのです!ですから、「僕が・僕が」と主張する心になるのです。ただでさえ、リョウで自意識過剰になり、さらに「僕が・僕が」となるのですからね(笑)。もともと、リョウという定まらない心を持っていますから、そこにタという響きを持つと余計に自意識が刺激され、やっかいですね。

それが「リョウタロウ」になると、「ロ」という音は中空状のものを意味します。中空状のものというのは、簡単に言えばそれが何だかわからないもののことなのです。つまり、リョウタロウは分離・独立し自意識過剰になって(リ・タ)、邪(ヨ)に回り続けながら(ウ)、なんだかわからない状態で(ロ)、さらに渦(ウ)を発生させるのですから、ウズウズと奇妙な思考を常に回すという状態です。ですから、ある意味使い方を間違えると、化け物ということです(みんな、笑)。不可思議なものを連想するということですね。ただ、リョウという響きは使い方を変えると、今までにないもの・正攻法とは違うユニークな可能性を探求するものにもなれるのです。

リョウタロウくん:
はい(笑)。

いさどん:
例えばリョウくんの日記の中には、「僕は環境に影響される」とよく書かれていますが、それは経験からの判断ですね。実際、そうなのですよ!あなたは環境によってコロコロ変わるタイプなのです。ですから、どのようにして自分に縦軸を立てるかということが、あなたにとっては大切なことですね。特に、あなたは一文字陰性ですから、他者に依存しやすいタイプです。ただ、他者に依存するわりには、自己主張する傾向もあり、扱いにくい人ですね。

リョウタくんの場合は、自分がいかに自分流であるのか、つまり自負心が強い人ですね。しかし、客観的視点がなく、常に主観的に物事を判断していることを知ることがポイントです。自意識過剰で二文字陰性だと、常に受け身で被害妄想のような精神状態にありながら、自己主張の強い人になります。このような分析をすれば、本人の人生経験を聞かなくても、音だけでその人の人格はわかるのです。

それがリョウタロウくんになると、あなたは陽性ですね。それに三文字ですから、思考が複雑になります。複雑に巧みに考え、自分の考えも伝えながら、相手の発想も聞いて、それを自分にとってどのように有利にし、相手を負かすためにはどうしたらいいだろう?と企んでいきます。その内容が中空状の意味不明なものがベースとなって展開されることになります。

このように分析していくと、人の人格は面白いと思いませんか(笑)?

リョウタくん:
面白いですね!

いさどん:
カルマ読みと地球暦とカタカムナをもって、ここでは「三種の神器」と呼んでいますが、この三つの手法があれば、人間の分析は可能になります。

さらに、今日はリョウタくんのサポーターであるリョウチンも来ています!リョウくんもリョウタくんもリョウタロウくんの名前も、漢字は素直に読めます。ところが、リョウチンの本名はリョウスケというのですが、嶺佐という漢字を使うものですから、フリガナをふらないと誰も読めないですよ。読む人もいるかもしれませんが、その人はよっぽどへそ曲がりですよ♪

リョウチン:
いないです。0ですね(笑)。

いさどん:
嶺佐でリョウスケと読むのですからね。漢字の研究家なら読むかもしれませんがね。そうすると、彼には独特の世界観があり、もしかしてたちが悪いところもあるのかもしれませんよ(リョウチン、苦笑)。

そこで今日、リョウタくんからの「リョウ・リョウ・リョウ面談をしたい」という極めて控えめな発想からこの場ができたのですが、ここではなぜこのような分析が可能なのかという話から、その体系化の立役者である僕が皆のことを今、軽く分析しました。

さて、ここで皆さんに質問があります。まず、リョウくん。あなたは19年「リョウ」を生きてきて、今、ここで自然療法プログラムを受け、リョウのツケを修正しながら、今後正しい「リョウ道」を生きるという段階に至っています。それは、ポジティブにリョウを生きるということです。そこで、今までのリョウ人生を振り返ってみるとどうだったですか?

リョウくん:
いさどんに言われた通り、本当に意味不明のことをぐるぐる頭で回して、軸がなく生きてきたと思います。

いさどん:
そうすると、今までの経験がよみがえってきませんか(笑)?「あそこでもこうだった、ここでもこうだった」と(笑)。

リョウくん:
はい(笑)。だから、冷静な意見がずっと欲しいと思っていました。

いさどん:
冷静というのは、自分からちょっと外に出てみて、いろいろな出来事も合わせながら全体像を理解することです。それはカルマ読みで言うと、全体の陰陽度の中で己の位置を知り、「だから今、自分はこのような状態になっているのだ」と気付くと、それは冷静な分析の基本になります。しかも、それはここでしかない分析なのですよ!そうすると、これからの方針としてはどうですか?

リョウくん:
リョウの自意識過剰に(リ)邪に(ヨ)回る(ウ)ものをどう活かそうかなということを今、思っています。

いさどん:
それは活かせるのですよ。ただ、今までの経験の延長線上では同じことの繰り返しになりますから、新たな発想をいかに積み重ねていくかがポイントです。振り返ってみると、結構ダイナミックなリョウ人生だったということですね(笑)。

リョウくん:
はい(笑)。

いさどん:
今までは、自分の人生に対して印象が悪かったですよね?

リョウくん:
悪かったです。

いさどん:
それが方向性を変えると、「いいじゃん!これは悪くない!」と思えるようになるのですよ(リョウくん、ピースサイン)!

次に、リョウタくん。一文字・二文字・三文字の真ん中がこの場を提案するというのは、バランスが取れていていいですね。

ようこ:
リョウタくんは、30年リョウと付き合ってきているしね(笑)!

リョウタくん:
やっぱり、すごく苦しかったです(みんな、笑)!!同じことをもう一回やれと言われても、絶対やりたくないです!

いさどん:
でも、ほっておくと、後の30年もまた同じことをやりそうですよ(笑)。

リョウタくん:
そうです!だから、ここで食い止めないと、ということは考えています。今日も、なぜ自分がここにたどり着いたのかを考えていました。一番は、僕が被害妄想で、何でも相手のせいにしてきて、自分にメスを入れずにきたからだと思いました。何かあると他人のせいにすることが一番楽な方法だと思って、そうしてきたのです。自分にメスを入れるということは、30年間ほぼしてこなかったので・・・。

いさどん:
その目線がなかったのです。

リョウタくん:
そうですね。

いさどん:
やろうとしても、その発想自体がなかったので、どうしようもなかったということでしょうね。

リョウタくん:
そうです。正直、あと10年早く木の花と出会えていたら・・・。

いさどん:
実はそうなんですよ!20歳というのはある意味、ビフォー&アフターでいうビフォーなのです。子どもから大人になる段階ですから、いよいよ実践へと移るビフォーなのです。しかし、その関係では30歳というのはアフターですからね。

リョウタくん:
今までは自分を出すことが大切だと思ってきたのですが、その出すことでどんどん行き詰まっていきました。他人のことを考えて行動したほうが労力はかかると思っていたのですが、結局そちらのほうが楽で・・・このカラクリが全く見えていませんでした。おそらく、ここに出会っていなければ、ずっと・・・。

いさどん:
これから30歳を超えていくと、次に40歳、50歳の節目はありますが、たいてい60歳までそのままで行ってしまうものですよ。

リョウタくん:
・・・もっと前にここに出会えなかったことは、惜しいと言えば惜しいですが、今はここで出会ったことをポジティブにどう活かすかが大事だと思っています。

いさどん:
今までのことを、「辛かったなあ!」とか「大変だったなあ!」と思えば思うほど、それは逆のエネルギーとして使えるのです。それを「くそ!こんちくしょう!」と思えば、それもエネルギーの消費としては同じですが、「そうか!あれは学習期間だったのだ!」と気付き、エネルギーを逆の方向へもっていけば、そのエネルギーはポジティブに使えるようになるのです。世の中にはあなたと同じように、自分自身の活かし方を間違えている人はたくさんいます。ですから、あなたが過去の経験をポジティブに活かしていければ、将来同じような境遇の人に出会った時、「わかる!実は僕も同じような状況にいたんだよ。でもね、こんな発想も反対側に潜んでいるんだよ!」と奥にあることを伝えられる人にもなれるのです。それは、自分のために生きていた人が人のために生きる価値ある人生のスタートです。それから、独りよがりだった人が、人と共有できるようになります。そうすると、人生はさらに広がり、豊かになっていきます。これは大きなスケールの話ですけれどね。

リョウタくん:
そうなれるように精進いたします!

いさどん:
今回のリョウ・リョウ・リョウの人たちの中で、例えばリョウタロウくんはパワーがあります。逆に、リョウくんのようにパワーがない人というのは、ある意味おぼれているような状態です。ですから、何か縄でも投げて引き上げてあげればいいのですし、リョウタくんのように自意識が強ければ、その自意識が自分をどれほど傷つけているのかを客観的に伝えてあげればいいのです。それは、冷静になればわかることですからね。しかし、リョウタロウくんのようにパワーがあると、「俺がやってやるぞ!!」という心になり、まずはそのパワーを消さないといけないので、水をかけないといけないのです。ある意味、それは火がついている状態ですからね。

3人がそれぞれケア滞在をスタートさせた時には、リョウタロウくんのケースが一番難しいと思っていました。しかし実は、パワーがあると方向が変われば、自分で自分を改善させるエネルギーも持ち合わせているのです。ですから、当初の印象としては一番難しいと思ったのですが、意外とひとりで立ち直ってきているリョウタロウくんはどうですか(笑)?

リョウタロウくん:
はあ・・・ありがとうございます(みんな、笑)。

いさどん:
あなたは20歳なのに、ここで一番ふけていますよ(みんな、笑)。リョウくん、リョウタくん、リョウタロウくんと20歳、30歳、40歳という感じですよ(みんな、笑)。ところで、あなたは霊的には魔界の破壊魔のようなところがありますね(笑)。

リョウタロウくん:
ええ、まあ(みんな、笑)。

いさどん:
どちらかというと、自分はそういう存在というような自負心がありませんか(笑)?

リョウタロウくん:
自負心というか、まあ、自意識はありますね(笑)。

いさどん:
ありますよね(笑)。それで心地が良ければ、それはそれでやっていけばいいのですよ。

リョウタロウくん:
ええ(笑)。

いさどん:
ただし、いずれそのようなものは奈落の底に落ちるのですよ(笑)。

リョウタロウくん:
まあ、中毒ですね(笑)。

いさどん:
ハッハッハ。中毒!客観的に自分のことを捉えていますね(笑)。

リョウタロウくん:
麻薬中毒のような感じです。

いさどん:
ですから、ゲームに熱中している人がそろそろゲームを卒業して、その情熱を他のことに活かすという意味では、あなたのその情熱を別のところに活かす段階には来ていると思うのです。

リョウタロウくん:
・・・そうなんでしょうね。

いさどん:
それで、今まで魔界の景色をずっと見てきたものとして、人生を振り返ってみて感想はどうですか?

リョウタロウくん:
魔界って中毒性があるなと思います。

いさどん:
いつ頃から魔界に入っていたのですか(笑)?

リョウタロウくん:
そうですね・・・いつ頃からかな・・・中学生の頃ですね。中学生の時、僕はこういうことを考えていたのです。自分の意識と無意識とを分離させて、無意識では徹底的に利己的になり、他人を殺してでも、不幸に追い込んででも、自分の利益を求める。そして表層意識の自分の表面の心のほうではそうではない。徹底的に善良である。徹底的に善良であって、誰も自分のことを責められない。

いさどん:
責められないのに、内面的には極めて悪質なものであるということですね(笑)。

リョウタロウくん:
そして、表層意識と無意識とに分離させることによって、何が可能になるのかというと、一人二役が可能になるんですよ(みんな、苦笑)。無意識の自分で気付かない意識のほうでは、それは徹底的に利己的に地球や宇宙を大魔界に変えていく(みんな、爆笑)!

いさどん:
ハッハッハ!このパワーはすごいでしょう(笑)?

リョウタロウくん:
それでも自分の利益を求める。しかし、表層意識は表層意識である。無意識とは違う。表層意識では心の底から善良であり、他人のために気遣い、想い入れがある。

ようこ:
リョウくんにはまったく別世界の思考だから理解できないでしょう(みんな、笑)?

リョウくん:
これはどこの次元なんだ(笑)!

リョウタロウくん:
そうすることによって、他人が誰も僕のことを責めることはできない。決して悪者にはできない。むしろ、善良である。加害者には決してなりえないし、常に被害者である。正義の側である。しかしながら、実際の行動は・・・

いさどん:
邪悪なもので、悪人である(みんな、笑)!

リョウタロウくん:
実際の行動は、自分の利益を徹底的に求める(みんな、爆笑)。

数名の人たち:
すごい(笑)!

いさどん:
本当にすごいですよ(笑)!リョウタロウくんの最初の日記には、今話したようなことがずっと綴ってありましたからね。それは、物語を綴って本にでもしたら、売れるかもしれませんよ(笑)。そして、共鳴する人がたくさん出てくる可能性もあります。

これは人間の可能性なのですよ。ですから、リョウ・リョウタ・リョウタロウと、リョウという音で始まった人間の可能性がこれほどあるということです。

リョウチン:
今のリョウタロウくんの思考はすごいなあ!本当に幅広い(笑)。

いさどん:
リョウタロウくんに話しをさせると、いくらでも話しますよ(みんな、笑)。彼は陽性ですから、うつろなもの(ロ)がどんどん拡大していって、それこそ地球を支配するまでいくのです。彼から宇宙の話まで出てきますからね(笑)。ですから、彼はある意味極めて素直に育ったということです。例えば、彼が子どもの頃にこの状態をもっていたとしたら、簡単に言うとこの状態は統合失調症です。思考が分離しているのですからね。お医者さんへ行けば、完全に統合失調症として診断され、薬を処方されて、それこそ親が押さえつけようと思って彼が暴れたら、措置入院させられる形になるわけです。

ですから、あなたの場合、内にある秘められた部分をそのまま暴発させると、今のような世界へ行くのです。ある意味、とても独創的で、素直に自分を表現しています。しかし、あなたは生身の人間であって、現実には魔界にいるわけではないのですから、そこを正しく認識することが必要です。それともうひとつ、その部分を今のような雰囲気で語ったら、皆にウケましたね(笑)。

リョウタロウくん:
ウケましたね(みんな、笑)。

いさどん:
ですから、それは使い方によっては、社会にも還元できるということです。これからはその道を考えたらどうですか(みんな、笑)?今、あなたがはまっているインターネットの2ちゃんねるサイトのように、バーチャルな世界で似たもの同士が傷をなめあったり、攻撃し合っていても発展的ではありませんね。そこで、正常な人にこれを発想の転換として提供したら、とても面白い活かし方になります。今はトランプさんがアメリカの大統領になる時代ですからね。これからはユニークな人たちが活躍する時代です。

ようこ:
主観が強いリョウタくんにとっても、「とても僕の主観だけでは、この世界は図れない!」ということがわかってよかったんじゃない(みんな、笑)?

リョウタくん:
この世界は広い、広い(笑)!

いさどん:
世界は広いのと、彼にはパワーがあります。

リョウタくんに:
僕にはパワーがないですね(笑)。

いさどん:
ハッハッハ。今、裏付けとして皆に本音を語ってもらいましたが、それをすべて分析できるツールを確立した人がこの世界にいるのですよ(笑)!それは誰ですか(みんな、笑)??

だからこそ、僕はこの探究の道を真面目に生きています。このように、まったく別の視点から人のあり方や生きる方向性を示し、行き詰まった人たちの人生をひも解き、豊かにすることは可能なのです。それは、エネルギーの方向を変えるだけですからね。それが、本来、人が生まれてきた目的のあり方だと思うのです。自分の自我や癖・性分に翻弄されるのではなく、それを理解し、存分に使いきってエンジョイすることができるのですよ♪皆さんは今までの人生を振り返ってみれば悪い印象だったかもしれませんが、方向性を正していけば、良い印象で人生の終わりを迎えることもできるのです。

僕がよく人に伝えることですが、人は誰でもいずれ死ぬのです。一番肝心なことは、生きたことに対して生が終わる最期の時に過去を振り返り、「自分の人生は良い人生だった!」という位置に立てるかどうか。それが最も重要なのです。そのためには自らを活かすことが必要です。活かしていなければ、悪い印象のままで人生が終わってしまいますからね。そうすると、次の人生のテーマも魔界地獄へ行かないといけません(みんな、笑)。

ここで、リョウタくんのサポーターであるリョウチンに質問します。極めて解読不能なリョウチンがトリですが(笑)、今まで35年生きてきてどうですか?リョウチンの地球暦を観ると、何も対策を打たなければ、この人の人生は豊かではありませんね(笑)。

リョウちん:
そうですね(笑)。25歳でここに来たので、そういう意味では行き詰まるのが早かったですね。

いさどん:
そうですね。ですから、重症にならずにここに来たので、今、役に立つ人になっていますね。まず、地球暦にはいろいろなパターンがありますが、リョウチンの地球暦は貧弱です。リョウチンは無意識にこれをどこかで感じていたのでしょう。そして、「社会人として少しの経験を経て痛い思いをしたら、即、木の花に行きなさい」という天からの指令があったのだろうと思います。

リョウちん:
探し始めるのは早かったですね。自分が変わりものであることはそれほど自分で分析できているわけではないのですが、ただ、小文字に関しては誰もが思うように、面倒くさいは面倒くさいですし、いろいろと手間がかかるとは思います。

いさどん:
今、その言葉を言えるということは、自分自身を調整しながら生きているということです。

リョウちん:
その面倒くささを超えた時には、緻密さや幅の広さとして良い形で活かされているので、あきらめずに粘り強く、面倒くささを超えていくことが希望だと思っています。それは濁点・小文字のどちらに限らず言えることだと思うのですが、そういう濁りやねじれは可能性として活かせるものでもあり、問題点でもあると思っています。

いさどん:
例えば暗がりで物音がしたら「泥棒だろうか?」と思ったり、物事の実体がわからなければ恐怖を感じることもありますね。ところがそこで、「ニャーオ」と鳴けば、「なんだ、タマじゃないか!」と安心します。このように、不明なものは恐怖にもなるのですが、それを冷静に観て、その正体が明らかになってくると、見えないものを見る希望につながるのです。

それがリョウタロウくんのように、見えないものを想像して拡大していくという希望になると、魔界が広がっていくからダメですよ(みんな、笑)!しゅうくん、ウケすぎですよ(笑)。

しゅうくん:
リョウタロウくんがなんだか嬉しそうだから(笑)。

いさどん:
ですから、何でも使い方次第なのです。誰でも、最初は自分を観ることが嫌だったり、恐怖だったり、人からケチをつけられているように感じることがあるものです。しかし、自分で自分を冷静に観ると、その癖や性分の実体は馬鹿馬鹿しくて滑稽なことがわかってきますからね(笑)。自分のことを笑えるようになると、希望につながります。それはなぜかというと、改善される自分がイメージできてくるからです。

リョウチンにはリョウチン独特のワールドがあり、例えばリョウチンは面を彫ります。富士浅間木の花祭りの榊鬼の面は、0からリョウチンがつくったのです。確かに、世の中には面を彫る人はたくさんいますが、ここ独特の祭りに対する精神性を反映させるという意味では、外の人に頼んだら、我々の注文どおりには絶対になりませんからね。リョウチンが面を彫り、ポイントのところでは「ここはこうだぞ」「あそこはこうだぞ」と僕の直観を伝え、面に魂を入れながら、パートナーシップで出来上がったものなのですよ。でも、途中でリョウチンは、「僕はそうはやりたくない!」という心が出てきたものですから、「これはあなたがつくりたいものをつくるということではなく、ここの榊鬼はこういうものなのです」と伝えながら、このように仕上がっていったのです。

ようこ:
面づくりのプロセスにもリョウチンのねじれの癖が現れて、修行の日々だったね(笑)。

リョウちん:
これは一年半かけてつくりましたが、自分でもよくやったと思います。

いさどん:
リョウチン、次が待っていますからね(みんな、笑)。

ようこ:
これは「リョウ」が活かされた例だね。

いさどん:
そうですね。この榊鬼は魔界の主ですが、魔に落ちてくるものを清浄にして、人間界に送り返す存在なのです。

リョウちん:
裁く閻魔ですね。

いさどん:
そうです。

リョウちん:
自分で言うのも何ですが、僕はなにかしらの素質は持っていると自分では思うのです。ただ、それを発揮しきれない部分も自分にはあって、あの面ができたのは結局ここのバックアップがあって、皆のエネルギーによって支えられたから出来たのです。ひとりでは、あれだけの時間をかけてあれだけのものは絶対つくれません。

いさどん:
もっとあなたにしか理解できないものをつくったりしていたかもしれませんよ(笑)。

リョウちん:
おそらく、そのように行くでしょうね(笑)。だから、自分ひとりでは表現しきれないものを出していくことが、僕にとってのひとつの課題だとは思っています。僕は陰性で受け身なところがありますしね。

いさどん:
今、ここに皆の地球暦がありますが、これはその人の精神性と社会性を示すものです。例えば、リョウタくんの地球暦は全体に惑星が配置されていますね。それに比べてリョウチンの地球暦は、全体の4分の1のところにほとんどの惑星が配置されていて、それ以外のところにある水星は破線になっています。そうすると、リョウチンの場合、この特定のところでだけしか生きられないという捉え方も出来ますが、逆に「この分野なら任してください!」ということでもあるのです。

例えば、「妄想するなら僕に任せてください」とか(みんな、笑)。リョウタロウくんの地球暦を観ると、正常の思考ラインと妄想ラインが分かれているのです。ですから、先程のリョウタロウくんの話がそのままこの地球暦に現れていますね。

そこで、それぞれの個性を活かすためには――、(いさどんはすべての地球暦を重ねて)このようにすべてを合わせると、すべてに惑星が配置されるのです!これが「群れる」ということです。そういった意味では、昔、生きることが厳しかった時代には、人々は群れて暮らしていましたから、「危険を察知するのは私に任せて!」とか、「獲物を捕るのは僕に任せて!」と生きていました。ところが、現代の人々は自我が強くなってしまい、「俺が、俺が」と個がバラバラになってしまった結果、それぞれがその人のエリアに囚われて生きるようになってしまいました。現代社会はものは豊かで、人間関係は複雑ですが、一人ひとりはとても孤独で生きています。

そういった意味で、これからの時代は群れの中で生きると、リョウチンのような個性が活かされるということです。リョウタくんの地球暦を観ると、全体に惑星が配置されていますので、それは全体にアンテナを張っていてバランスが良いように見えます。しかし、実はその精度は低いのです。そのことがわからなければ、興味本位で関心があちらこちらに移ってしまい、定まらない人生の意味がわからないで終わってしまうことにもなります。

そこで、21世紀は、「いかに群れるのか」ということが人類のテーマです。1760年のヨーロッパ産業革命からイギリスが台頭し、その流れを受けて今はアメリカが世界のリーダーになっていますが、それは結局個人主義の台頭でもありました。ですから、ひとりでは使いきれないような富を持っている人もいれば、その結果今日一日ご飯を食べることができない人々がいたり、中には餓死するような人たちも地球上に現れてきたのです。それを解決するためには、個人主義という価値観から全体主義という生き方に人類は転換する時を迎えているのです。なぜなら、我々は全体主義の中で生かされているのですからね。

皆さん、良いところに来ましたね(みんな、拍手)!

ようこ:
カタカムナ人が群れて生きていた時、天気を感じる人、食べ物がどこにあるのかを感知する人、危険が来たら察知する人とそれぞれ別のセンサーを持って役割を果たし、全体の群れを維持していたという話をいさどんはよくするけれど、その人それぞれの得意分野があって群れて生きれば、一人ひとりが自己完結して皆がオールマイティになる必要はないね。

いさどん:
例えば動物の世界では、トドでもシマウマでも群れて生きていますよね。その中で皆で危険を察知し、交代で見張りをしながら、安心してエサを食べています。しかし、そのような勘が鈍ったものは群れの中では不要となり、廃棄するために他の獣がいて、それを捕って食べてくれる結果、群れの中に足手まといのものがない状態になるのです。つまり、群れ自体が常に健康な状態で維持されることになるのです。

ところが、人間は動物のように廃棄されなくても、智慧を使っていつまでもピンピンと元気に役に立ち、寿命を迎えたらコロリと潔く逝くことができるのですよ!その「ピンピンコロリ」の精神が、木の花ファミリーが設立された本来の目的なのです。世界に新たな秩序をもたらし、本物の豊かさを提案する――。

その時に、魔界の話はぜひ講座でやってもらいたいですね(みんな、笑)。もしくは木の花劇団でやってもらいたい(笑)。

ようこ:
この「リョウ・リョウ・リョウ物語」を劇団のシナリオにしたら、結構面白いよ(みんな、笑)。

いさどん:
ということで、それぞれが今までの人生を振り返ってみて、今まで自分自身が自分を混乱させ、傷つけてきたり、被害的な意識に立ちながら、実は自分が加害者であったことが観えてきたかと思います。ちょうど今、縁あって名前に「リョウ」がつく人が集い、改めて人生を振り返ってみて、今後の方向性が漠然とながら観えてきたことかと思います。あくまでも、今日は「リョウ」にこだわってこの場を終わりたいと思いますがいかがでしょうか(皆、大拍手!!)

リョウタくん:
面白かったです!

いさどん:
面白いということも言えますが、僕がいつも思うのは人間というのは本当に奇妙な生き物だということです。それは不可思議だということも言えますが、本当に傑作であるとも言えるのです。「リョウ」だけでも、これだけの量のバラエティに富んだ話題になるのですから(チーン♪)、人類すべてを合わせてみたらどうなるのか想像してみて下さい!ブッダかキリストかムハンマドかというものがいたり、中にはヒトラーやキム・ジョンウンのようなものもいるのです。トランプもいますよ!さらに、その一角にいさどんのような人もいるのですよ(みんな、笑)!!本当に奇妙な生き物です。このぐらい多様性ある生き物は他にいません。

ですから、その人の存在の仕組みを知れば、我々はどんな境地にも立てるのです。しかし、無限なる可能性を持つ人類が自我に囚われ、自分が見えている世界を絶対視しているようなことでは、新たな世界は生まれてきません。人類の内側には、まだ無限なる可能性が眠っているのです。

ですから、魔界の発想を凡人にも理解できるように解読して楽しませてくれたら、ウケると思いますよ(みんな、笑)♪こんなにおどろおどろしい人が皆の笑いを取っているのですからね。リョウタロウくんが初めてここに来た時には完全に統合失調症でしたが、最初の面談の最中に既に彼の奥に正常さが観えてきましたからね。通常であれば、当初の彼の状態は「ここでの滞在は無理ですね」とお断りする段階でしたが、今はこうやって自分自身と向き合い改めることに取り組めています。ということで、これにて本日の「リョウ・リョウ・リョウの集い」を終了します。これがあまりにも良かったからまたやりたい!ということでリクエストをいただければ、検討いたします♪

皆:
ありがとうございました!!

 

 


100人でお財布ひとつの暮らし~心でつながる「経済革命」

2月10日から12日にかけて、2016年「1ヶ月間の真学校」卒業生のトーマスが主催者の一人となる国際会議 “ The 3 Harmonies of Humanity: Living Transpersonal ” がアルゼンチンにて開催されます。
会議のテーマは、精神性と農、教育、そして経済。木の花ファミリーの取り組みを紹介したいというトーマスからの依頼により、いさどんが会議に先立ち農と経済のプレゼンテーションを行いました。(プレゼンテーションは、英語とスペイン語に翻訳されます。)今日はそのうちの、経済のプレゼンテーションをご紹介します。

EUの分断やトランプ米大統領の就任など、世界中で保守的な傾向が強まり人々の心が分離していく中で、100人の人がすべてを分かち合いつながって生きる暮らしがどのような世界観に基づいているのかをどうぞご覧ください。小さくても、ここ富士宮でそんな暮らしが実現されているということは、世界中で実現可能だということです。

 

意識が変わればすべてが変わるシリーズ ~ 経済革命
天の恵みの恩恵を世に広げる天然循環する経済

01

天然循環とは、農法だけを表しているのではありません。それは人間の生き方そのものを表しており、宇宙の原理です。私たちの社会は経済によって成り立っています。その経済が天然循環しているとはどういうことかを、これから見ていきましょう。

02

「わたしたちの住んでいる地球は宇宙雲の中ではちりのように微細な存在ですが、そこには生態系で表現される多様な命が無限の連鎖で存在しています」

宇宙は巨大なものです。そこには無数の星々があり多様性に満ちていますが、その中で生命が存在しているのは、地球が唯一の星でしょう。現代の人々は、生命は地球に偶然発生したという考え方を持っていますが、地球に偶然発生するのなら他の星にも偶然発生してもよいはずです。しかしおそらく、今後人類がどれほど宇宙を探査したとしても、地球ほど生命に満ちあふれた星に出会うことはないでしょう。ということは、宇宙の総意によって特別にこの星に奇跡が表現されていると考えた方が、私たち人類が地球上でどのような生き方をすることが大切なのかを理解する助けとなるのではないかと考えます。

03

「そんな地球を空から眺めていると、自然の中にできた異物『大都市』が見えます」

僕は昔、霊的に自分の体から抜け出し、宇宙空間に漂いながら月を背にして地球を眼下に眺めたことがあります。そこで目にした地球は、病んでいました。都市や焼き畑など、人間の行いの結果がまるで皮膚ガンのように地表を蝕んでいるのです。
スライドに写っているのは、東京の航空写真と、ニューヨークのマンハッタンです。地球を体とするなら、細胞が新陳代謝をせずに呼吸できていない部分です。ガン細胞が増殖しているかのようですね。
このような人間の活動は、歴史的にはそれほど古いものではありません。地球誕生からの46億年の歴史を1年に例えると、およそ250年前に起きたイギリス産業革命から現在までは、たったの2秒間なのです。産業革命以降、工業テクノロジーと資本主義は急速な発展を遂げました。その結果生み出された人工の世界が、今、地球上に何をもたらしているのかを、世界観を広げて客観的に観る必要があります。天然循環の天とは、宇宙のことです。つまり、宇宙視点で地球の現状や私たち人間の行いを観るということです。

04

地球の病巣である大都市で行われているのが、経済活動です。

「ニュースを見ていると、何か社会的な大きな出来事が起こったときインタビューを受ける人々の口から出てくる言葉は、お金のことばかりです。」
個人であってもマスコミであっても、何か出来事が起こるとすぐに「これによる経済的損失は」という話になります。頭の中が常にお金を中心に回っているのです。

「『このことが経済にどう影響を与えるのか』『お金がないと将来が不安』・・・など、人々の関心のほとんどがお金に関することになっています。その奥にあるのは『お金がないと生きていけない』といった思い込みです。」
「お金がないと生きていけない」というのは、まさに思い込みですね。山奥へ行って札束を与えられたとしても、それで生きていけるかといったらお尻を拭くぐらいのことしかできないでしょう(笑)。もしくは火をつけて燃やせば、暖かくはなるかもしれないですね。
生きていく上でお金が必須のものになったのは、歴史的にはそれほど古いことではないのです。

05new

経済活動とは、「人間の社会生活において、生産者や国家が財やサービスを生産し消費者がそれらを消費するといった、金銭や物資の交換にまつわる活動のこと。」
専門家にとっては当たり前の話かもしれませんが、簡単に言うと、経済活動とは財産を生み出すものです。そしてサービスを提供し、循環していくものです。右上の図が表しているように、経済活動には、生産、流通、消費という循環があります。ただし、これは人工の世界だけの話です。自然にはこういった仕組みはありません。
リーマンショックが起きた時、世界の経済活動が停滞した結果、地球温暖化の進行が一時的に緩やかになったという報告があります。しかしすぐに経済活動は復活し、相変わらず温暖化は進んでいます。世界の国々は、地球温暖化のもたらすリスクについて懸念しながら、一方で経済発展を追い求め続けています。世界各国が集い温暖化対策について話し合っても、結局はどの国も自国の経済的利益を守ろうとして、温暖化対策はおざなりになっていくのです。それは人間が欲望をコントロールするのではなく、欲望にコントロールされているからです。

「私たちは、暮らしを支える『衣・食・住』に必要なもののほとんどを、金銭と引き換えに手に入れています。その奥に見えてくるのは・・・」
現代社会でお金を介さずに行えることは、本当に限られています。山へ行って山菜を採るくらいでしょうか。しかしそれにしても、先日も山梨から野草を摘みに来ていた人たちがいましたが、それを売ってお金にするために摘んでいるのです。それはもう自然の恵みをいただくということではなく、お金儲けの世界になっています。人間がお金に支配されているのです。
現代の衣食住は、商業活動に基づいています。そしてその奥に、工業や農業といった生産の現場があります。そのさらに奥には、地球の天然資源を食い尽くしていくという実態があります。

06

衣食住の奥に、資源を食い尽くし、ゴミを発生させ、地球を汚染している人間の姿が観えてきます。
経済活動をなしにしようということではありません。しかし、地球の健全と人間の活動をどう両立させていくのか。そこにはもうひとつ必要な視点があります。それは、私たちは生態系の中にあるということです。この地球上に生きている生き物は、人間だけではありません。私たちは、他の様々な生命と共にあるのです。その視点が人間の経済活動に組み込まれた時、他の生命への配慮の心が、現在のような一方的な経済活動をコントロールする力になるのだろうと考えます。

07

「世界には衣食住を貪り食うものと貧困にあえぐ者が同時に存在し、誰のものでもない地球資源の利権をめぐって戦い続ける者たちがいます」
貧困もテロも、元々は誰のものでもない資源を人間が奪い合ったことから発生しています。それによって戦争まで起こしているのです。これは経済活動の問題というよりも、人間の欲望の本質を見直さなければ解決しないということを、世界の現状が示していると言えます。そこまで意識を広げることなく、ただ景気が悪いからと言って経済を活性化させようとしたり、トランプ氏が世界の企業に要求していることに対してどう対処するのかと物理的な討議をしているようなレベルでは、今の世界の問題が解決することはないでしょう。

08

「欲のままに生きる人間たちが経済活動とともに地球上にもたらした現実は破壊された環境とゴミの山」
日本は昔、ゴミを埋立地にして夢の島という所を作りました。その恐ろしいほどたくさんのゴミの中で、現代を象徴しているのが放射性廃棄物です。これは、どう処理をすればよいのかが決まっていません。フィンランドには今後10万年は持つと言われる処分場の建設が進んでいるそうですが、現代の技術では、放射性廃棄物は処理ができないのです。処理ができないものを、人間は一時的な貯蔵の処置をしながら、廃棄し続けています。
先進諸国では、物理的に目に見えやすい汚染というのは減りましたが、では陰で何が行われているのか。人類は地球にゴミを輩出しながら、それを見えないように処理しているのは事実です。そういったことを見逃してはいけません。本来経済活動とは、自然と調和しながら人々を幸せにし、社会を豊かに進化させていくものでなくてはなりません。では、「経済」の本来の意味を見てみましょう。

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「『経済』という語は中国の古典に登場する『経世済民』に発しこれを略したものといわれています。」
経世済民とは「世を治め民をたすける。民の苦しみを救うという意。英語の『Economy』の語訳として使われる今日の『経済』とは異なり 本来は、政治・統治・行政全般を指す言葉であった。」
簡単に言うと、まつりごとということです。世を健全に治め、民が健康で幸せに暮らすために経済がある。当たり前のことですね。

お金とは、社会を体に例えると、その中を循環している血液のようなものです。私たちの体を見てください。血液が体の末端までくまなく循環し、すべての細胞が活性化して常に新陳代謝している体は健康ですね。それは、地球の生態系が健全に循環する仕組みと同じです。私たちの体も、人間社会の経済も、地球生態系も、すべて同じ仕組みで成り立っています。ところが現代の人間社会は、お金、即ち血液が隅々まで循環せずに滞っている状態です。血液が循環しなければ体は病気になっていきます。本来、地球生態系が健全に循環しているのと同じように、社会全体にまんべんなくお金が循環していくのが経済のあるべき姿ですが、そこからすると現在の経済の在り様は、本来の姿から大きく外れています。

「現代の経済活動の実態からは、『経世済民』の意味を見出すことはできない。」
これはとても重要なことです。人々は「経済」の本来の意味を忘れているのです。

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「現代社会には『資本主義』と『共産主義』という、大きく二つの経済システムがあります。これらは本来は政治も含めた、理想の社会の表現であるはずですが、現代社会に様々な問題を生み出しています。科学する現代人は、あるモデルが出来ると一律同じでなければいけないと考え、それが人間の単一化を招き、多様性を欠いた社会をつくっています。」
資本主義も共産主義も、目標となる理想モデルがあり、そこを目指して人々が競争していくというピラミッド型の社会構造を作っています。

資本主義社会は、「私有財産を認め、自由な経済活動をすることが出来る社会。人間の欲を刺激し同じものをめざして競争させるため、優劣(貧富の差)ができる社会」ということです。もう一つ言えるのは、自然に配慮しないで人工の世界を優先するために、環境破壊が起きるということです。
共産主義社会は、「資本主義の矛盾を解消するために登場した仕組み」です。資本主義の方がずっと歴史が古いですね。資本主義社会が様々な矛盾を生み、それを解消しようとして登場したのが共産主義なのです。それは「私有財産を禁止し、平等な理想社会を目指したが、一律な平等を強制し、人を部品のように扱う社会になった」ということです。
多くの共産主義国はすでに崩壊しています。北朝鮮のような独裁国家や、中国のように共産主義といいながら実質は資本主義が横行している国があるだけで、実際に理想の共産世界を実現することなく終焉を迎えています。共産主義社会の中にも、元々、自然との調和という概念がありませんでした。
そして「資本主義も共産主義も、どちらも無個性な世界をつくる」のです。

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イスラム教は、利子を取ってはいけないと説いています。そこには利子を取らずにみんなで助け合う相互扶助の精神があります。イスラム教にはそういった優れた面があるのですが、今はキリスト教社会に対抗する悪のような存在だと捉えられているところがあります。

「利子で成り立つ資本主義社会では、借金をしたものは返済のために働き続けなければならない。『富めるものは富み、貧しきものはさらに貧しくなる』という弱肉強食の仕組みが、格差社会を生み出した。」
自然界は弱肉強食と言いますが、そうではありません。自然界とは命のバトンタッチであり、すべてが循環しているのです。その一部分だけを切り取って、例えばライオンがシマウマを食べることを人間の視点で見ると弱肉強食に見えるのですが、視野を広げて観れば、ライオンは数が増えすぎたシマウマを間引いて全体のバランスを保っているとも言えます。それはシマウマのためでもあるのです。
しかし、現代の人間社会には弱肉強食とも言えるような世界が存在しています。

「一般人の給料は安くなり、失業者は増え、若者の就職率は低迷し、多くの企業は倒産し自殺者の数は増え、人々の不安が広がり、社会は行き詰まりをみせている。」
これが現代の実態です。それを数字の上だけで改善しようとしているのが今の経済対策です。それをいくらやっても、そもそもなぜそうなるのかという根本原因は観えてきません。必要なのは、社会の在り方を根本から変え、見直すことです。

「政治家も国民も、経済の行き詰まりに対する解決策として、経済を成長させることしか考えられず、全ての思考がお金に縛られている。右肩上がりの思考。」
利子があるということは、経済が右肩上がりでなければ成り立ちません。それは常にプラスであることを求めている状態です。しかし、プラスマイナス0が宇宙の根本原理です。常にプラスを求め続ければ、宇宙的にも、地球の環境にも矛盾をもたらし、今世界はその限界を迎えています。アメリカ大統領のトランプ氏は、これまでアメリカが世界中に手を広げてきたやり方から方向転換し、これからは国内に集中して自国の利益を確保していくということを明言していますが、経済というのは相互の関係があって初めて成り立つものですから、自国のことだけを考えてうまくいくわけがありません。そういった意味でも、トランプ氏が大統領になったことは時代を後戻りしているかのように見えますが、実際に時代がその方向へ進むのではなく、このトランプ現象は、いよいよこれから世界が行き詰っていくことの前兆であると言えるのです。

「『お金がないと生きていけない』という刷り込みから、人々はお金に執着するようになり、将来に不安を抱えながらお金のために仕事をし、仕事に対する純粋な誇りは失われた。」
現代は、働くことがお金のためになっています。天然循環法の農業のプレゼンテーションで、命を天からいただくというお話をしました。私たちは自然の仕組みの中で命をいただいているのですが、農業の生産現場ですら、命を生産するのではなくお金のためにやっているという、歪んだ状態になっています。

「企業の生産活動の多くが、地球の資源を搾取しており、消費をあおってお金を儲けている。これ以上経済活動が活発になったら、地球は持たないという限界まで来ている。」
地球に限界が来る前に、人間社会は確実に崩壊するでしょう。今私たちが生きているのは、壮大な時代の流れの中の一篇にしかすぎません。地球は時代と共に人間を修正していくのです。今中国では、インターネットビジネスが恐ろしい勢いで成長しています。これは急速に発達してバブルを迎え、やがて崩壊する前兆だと言えるでしょう。そこに未来への希望は感じられません。

「欲のままに生きる多くの現代人は、経済活動が地球環境に多大な負荷をかけているという事実に鈍感である。」
なぜそうなのかというと、人々は人間の側から物事を捉え、その視点でしか思考しないからです。ですから今必要なことは、世界観を広げ、宇宙の側から地球を観ることです。

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これは格差社会の象徴とも言えます。

「世界中に数あるタックスヘイブン。その中の一つの法律事務所の機密文書が流出したことにより、世界の裏のお金の動きが見えてきた。文書には、企業のみならず、世界各国の名だたるリーダーが名を連ねている。」
今、世界中のマスコミ関係者がこれを暴こうとしています。ところがこれがとても難しいのです。様々な人々の名前が挙がっているのですが、実際にその人がやっているものもあれば、本人もあずかり知らぬところで名前だけが勝手に使われているものもあり、複雑で実態がどうなっているのかがなかなかわからないのです。
しかし、2012年12月21日の銀河の冬至を越えて世の中に光が差し始め、こういったことが明らかになり始めました。世界中でこれまで人々が行ってきた不正が、暴き出されようとしているのです。
世界の超富裕層がタックスヘイブンに持つ資産は21兆ドルを超えていると言いますが、あまりにも数字が大きすぎて、逆に人々はそのことに鈍感になっています。現代は、実体を伴った目に見える経済よりも、裏に隠れている悪意的な意識に基づく経済が大部分を占めているのです。

さて、これをどう解決すればよいのでしょう。あまりにもその実体が大きいからと諦めるのではなく、これは明らかに、人間一人ひとりの意識改革から始まるのです。今明るみになってきていることは全体からすればほんの一部ですが、暴かれ出したということは、そういった不正の動きが終末を迎えているということなのです。

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『モモ』や『はてしない物語』の作者であるドイツの児童文学者、ミヒャエル・エンデは、こう語ります。
「自然界のものはすべて腐っていくのに、なぜお金だけは永遠不滅で逆に価値が増えていくのか?」という問いに対して、「自然界のものは神が作ったものだが、お金は神ではなく人間が作り出したもの。人間の欲の心が、お金を貸して利子をつけて儲けようという仕組みを生み出した。借金で成り立つ経済システムの中で、人々は増えてゆく利子に追われ、経済活動をしている。」
現代人は、お金に追われるシステムの中で生きています。自然界のものは神が創ったと言うと無神論者は「怪しい話だ」と言いますが、神とは宗教が御利益的に崇める神ではなく、自然の法則であり、宇宙の物理的原理の実体です。そう捉えれば、現代の経済システムが自然を破壊し、矛盾を生み出すものだということが明快にわかります。

スライド14

利子とは不思議な仕組みです。ただお金を貸しているだけで、何もしなくてもお金が増えていくのですから。

「豊かなものをより豊かにし、貧しいものをより貧しくする仕組み~利子は格差が広がる社会をつくる。富裕層トップ8人の資産は、世界の最貧層36億人の合計と同じ」
スライドにある、2010年からの推移を見てください。だんだん格差が極端になっていっています。ひどい話です。

「利子は無限の経済成長を強いる」
経済が常に右肩上がりでなければ、利子は成り立たないということです。

「有限な地球環境をすり減らす。利子は時間と共に増え続けその分を稼がなければ、債務は増え続け、企業は破綻してしまう。しかし、企業が成長を続ければ、環境破壊が続いていく。」
つまり、こういった経済活動は、世界に矛盾を生み出す仕組みなのです。

「利子はみんなで払っている」ということは、「みんなでお金持ちを支えている」ということになります。私たちが購入する商品の価格には、企業が銀行に支払う利子の分の代金が上乗せされています。商品だけではなく、税金にも利子分が組み込まれています。日本の国債残高は現在1000兆円を超えています。そのツケが、国家予算を組む時に税金として国民に回ってくるのです。そうしてみんながお金に追われていくのです。
なお、2060年には日本の借金は8000兆円を超えると言われています。天文学的な数字ですね。

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Solar System 2.0 – djsadhu.com

「経済が時代のどんな流れの中で発生・発展してきたのかを見てみましょう。星と星の対話により時代は創られ、その時代の流れの中で、人類は発展してきました。いくつかの時のサイクルを見ながら、時代の流れの中でどのようにして経済が発展してきたのかを見ましょう。」

この視点を持つということは、今日の食べ物をどうするかとか、自分は1年間にどれだけお金を稼いだかとか、一生のうちにどれだけお金が必要になるかといった身近な世界も経済の中にはありますが、そのような小さなことではなく、遠い過去からずっと時代が紡がれてきた中で経済がどのような変遷をたどってきたのかを観るということです。その変遷を理解することで初めて、人間の性質によって経済の仕組みが歪められてきたことが観えてくるのです。

このスライドに描かれているらせんは、太陽の軌道を表しています。太陽は2億2600万年をかけて銀河を1周するのですが、それは単なる円運動ではなく、らせんを描きながら進んでいるのです。

ではここで、太陽のサイクルを見てみましょう!

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「太陽の一螺旋 25800年のサイクルが地球の歴史を創っている」
このことを理解しなければ、時代が地球上の出来事の源泉をリードしているということを理解することはできません。私たちは天体と共に時代を表現し、その意志のもとに生きているということがわかって初めて、個人の自我から離れ、時代を担っているという意識を持つことができるのです。

太陽は、2億2600万年かけて銀河を1周する間におよそ9000回のらせんを描き、らせんの1回転は25800年です。この図は、その太陽のらせん1回転のサイクルを表しています。太陽は進行方向に向かって反時計回りにらせんを描いていますので、この図も反時計回りに進んでいます。

現在私たちは、図の一番下にあたる「銀河の冬至」を越えたばかりのところにいます。地球が1年に1度冬至を迎えるように、太陽系もまた、1らせんごとに「銀河の冬至」を迎えるのですが、今から約4年前の2012年12月21日に、25800年ぶりの銀河の冬至があったのです。冬至とは、もっとも光の少ない闇のピークです。つまり、私たちは今、闇のピークを越えたばかりのところにいるということです。

今から半周前の12900年前には、「銀河の夏至」がありました。夏至とは光のピークです。この時代に、東アジアにカタカムナ文明という高度に発達した精神宇宙物理学が存在していたことが明らかになってきました。そこから銀河の冬至に向かって進むに従い、徐々に闇が増して、カタカムナ文明は衰退していきます。

そして夏至から4分の1周進んだ秋分のあたりで、現代に通じる物質文明が始まります。即ち、経済の始まりです。ここからを「有史」と言います。それはどういうことかと言うと、紙が発明され、文字で記すことが始まったということです。そこから人間は、ものごとを立体的にイメージするのではなく、紙の上で二元的に考えるようになりました。命を天からいただくという姿勢ではなく、自ら獲得していこうという損得二元勘定が生まれたのです。そしてものごとを直観で感じ取ることよりも、学習して知識を得ることが主となって、現在に至っています。

中国に「天盤の巡り」という言い伝えがあります。これは太陽のサイクルとも一致しています。物質文明の始まりである6450年前から3275年前までの太陽の8分の1周の期間を、天盤の巡りでは「青陽期」と言います。これは「王の時代」とも言われ、権力者が世を支配する時代でした。

その次の3275年前からの8分の1の期間を「紅陽期」と言います。これは「聖人の時代」と言って、宗教が世を支配する時代でした。銀河の冬至に向かって闇がいよいよ極まっていく中で、人々は聖人にすがって御利益を求め、どんどんものごとの本質がわからなくなっていく時代だったのです。そのような御利益的に人々を惹きつける宗教は、神の存在すら個人の損得の上に求めるようなものとなってしまいました。本来宗教とは、宇宙の本質を掴み取り、人間を高い意識に導くものでなくてはなりません。しかし、御利益的組織宗教は、時代に争いの種をまき散らした存在でもあったのです。そのような近代の宗教は、もう終わらなければなりません。

そして銀河の冬至の少し前(1927年)に「紅陽期」は終焉を迎え、「白陽期」が始まりました。これは「庶民の目覚めの時代」ということです。誰か特別な聖人に頼るのではなく、一人ひとり誰もが目覚めていく時代が始まったということです。銀河の冬至を越え、徐々に光が増していく中で、庶民一人ひとりが宇宙の法則や人間の本質に目覚め、自分たちは何者で、どう生きていくべきかを悟っていく。つまり、それまで聖人だけが有していた意識レベルに誰もが到達し、すべての人が仏陀として生きる時代が始まったということです。

光から闇のピークへと向かってきたこれまでの時代の人々は、経済を活性化し、物理的に豊かになることを追い求めてきました。しかしそれは、肉体を持って生きている間のほんの一瞬のことにしかすぎません。真の人間の価値とは精神性にあり、この世界の実体を悟って目覚めることにあります。それは生死を超えたものです。そしてその目覚めた状態でこの世界に貢献する役割を果たしていくことが、人間としての本来の価値ある生き方なのです。

これまでもそういったことは宗教の世界などで語られてきましたが、宗教はどれも皆組織を作り、信者からお金を吸い上げて、組織を大きくしてきただけでした。その時代が終わりを告げ、いよいよこれから一人ひとり誰もが仏陀として生きる時代が始まります。地上を生きる者が皆仏陀になるということは、天の法則が地上に表現されるということですから、人々がそのような意識に到達すれば、地上天国が実現するのです。

それでは、物質文明の始まりから現代までの、太陽の1らせんの4分の1を拡大して見てみましょう。

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太陽の1らせん25800年の4分の1を詳しく観ていくと、文明発祥と経済の発達が観えてきます。およそ6400年前に、世界最古の文明であるシュメール文明が発生しました。このシュメール人とはとても不思議な人たちで、現代に通用するような宇宙観を持っていました。

「世界最古の文明の発生 統治国家、高度な法体系、経済、科学、医学、建築、農業、文字の発明、天文学、数学、芸術の発達、宗教、暦の発明 = 現代文明の基礎が出来上がっていた ➡︎ 貨幣経済も始まっていた」
シュメール人は現代文明の基礎を築き、それを受けて様々な文明が発生していきました。シュメール人は宇宙から来たのではないかという説があるほど、突如として高度な文明を築きました。

この図は、円が連なっているように見えますが、実は東洋文明と西洋文明が交互に発展と衰退のサイクルをくり返し、800年ごとに入れ替わりながら共に進んでいる二重らせんを表しています。
およそ4000年前に、バビロニアで本格的な金融活動が始まりました。約3200年前にはバビロニア商人の流れを汲んだフェニキア商人が台頭し、それとほぼ時を同じくしてユダヤ教をはじめとする宗教の時代が始まります。そして国を持たないユダヤ人たちは、移動しながら商業や金融業を発達させていきました。現代の世界の経済はユダヤ人が握っていると言われるように、当時からユダヤの人々はそういった才に長けており、国家を持たなくともお金で世界を支配してきたのです。
その後、様々な宗教が成立し、現在に至っています。これは地球上の歴史の経緯ですが、宇宙的なターニングポイントである銀河の冬至とちょうど同じタイミングで、西洋文明と東洋文明の盛衰が入れ替わっています。そしてこの銀河の冬至を境に、私たちは光のピークへと向かっていく時代に入りました。光が増していくということは、ものがよく見えるようになっていくということです。これまでの闇の時代に積み上げられてきた矛盾が次々と明るみになり、それを改めていく時代が始まったのです。
改めていくためには、眠っていてはいけません。中国の天盤の巡りが示しているように、庶民一人ひとりが目覚めていく時代が始まったのです。

産業革命が起きたおよそ250年前は、この図で見ると現代のほんの少し前にすぎません。ところが産業革命から人類は劇的な変化を遂げました。人口が急激に増え、環境破壊が一気に進み、闇の時代の矛盾の仕上げが成されたのです。それは、矛盾を仕上げ、目覚めなさい、ということでもあるのです。

それではこの図をさらに拡大し、近年の800年を見てみましょう。

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文明は1600年ごとにらせん一つ分のサイクルを刻んでおり、800年はその半分です。この800年間は、西洋文明が開花期を迎えていました。それに対して東洋文明は準備期に入っていました。次の開花に向けて準備をする期間だったということです。

そして東西の文明が入れ替わる時には、必ずそれまでの価値観を壊すような世界的な大動乱が起きています。20世紀から21世紀へと切り替わり、東西文明の入れ替りの時を迎えている現代は、まさしく世界中で大動乱が起きています。世界的な動乱と同時に、個人の意識にも変革が起きています。そういった時代の壮大な流れを、個人個人が日々の生活の中で意識して生きることが、庶民の目覚めにつながっていくのです。

今、日本をはじめとする複数の国々で若い人たちが子どもを持とうとせず、様々な地域で少子高齢化が進んでいます。これまで経済は右肩上がりで成長してきましたが、これからは少子高齢化が進み、これまでのような形では成り立たないようになっていきます。ところが人間はこれまでの在り方に執着し、過去を復活させようとするのです。しかし、時代は常に先へ先へと進んでいるのですから、過去に留まろうとすれば必ずそこには矛盾が発生します。ですから、これまでのやり方では立ち行かなくなる時代が来たのだということを、悟らなければならないのです。

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「お金をたくさん持っている=価値ある人生ではない」
お金を持っている人が優秀であり、お金をたくさんかけて教育を受けて社会的に高い地位につくことがよいとされてきたのが、これまでの時代でした。今、韓国でも中国でも、教育を受ければお金を稼いで豊かになれるということで、人々は異常なほど教育に熱心になっています。ところが、いくら教育を受けても、役に立たないものは役に立たないのです。大切なのは、その人の本質に基づいて教育がなされることなのですが、今は欲望の上に教育が成り立っているのです。

「お金をたくさん得て社会的な成功者と呼ばれる人々が、必ずしも人間としての価値が高いというわけではない。努力して成功を勝ち取ったところで、それが他国の人々の苦しみや環境への多大なる負荷の上に成り立っているとしたならば、それを良い人生といえるだろうか。いずれ地上での役割を終え、全てをリセットして魂として旅立つ時、人としての価値が問われるのである。」
生きている間にどれほどお金を稼いでよい思いをしたとしても、いずれ生を終えて旅立つ時に、必ずその価値を問われます。こういった考え方を持つことが大切です。これはどちらかと言うと東洋的な考え方であり、これからの時代を生きる人類には必ず問われていくことです。

「物理的な豊かさや成功のみを追い求めなくても、人間はもっと豊かに暮らすことができる。それは生きることに不安のない状態であり、みんなで分かち合う生き方である。」

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「自然はバランスよくエネルギーを与える ~なぜ人類は、みんなで分かち合う暮らしが出来ないのか」
有史以前は、分かち合う暮らしをしていました。12900年前の銀河の夏至である光のピークの時代には、人々は群れで生き、互いの能力を活かしあいながら、助け合って暮らしていました。それが、自己の利益を優先するがために、今の人々にはできなくなっているのです。

「今まで分離と闘争の時代だった。本来自然は無駄なく、全ての生命に、そのものが必要としているエネルギーを与えてくれる。自然は生態系全体のバランスを取り、そのバランスの中でそれぞれの生命は役割分担を果たしながら、ふさわしいエネルギーを自然からもらい、連なって生きている。」

自然界は、ひとつらなりの命です。全体がひとつの命であり、一つひとつの存在が全体に抱かれています。自分の力で生きているのではなく、生かされているのがこの世界の仕組みです。ですから、新たな時代の経済は、「共有する経済」ということです。

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ここは、もっとも大切なポイントです。

「お金は社会をめぐる血液であり、純粋なエネルギー 与えられる量が多すぎず少なすぎず、それぞれに相応しく血液が巡り、常に流れていることが、健全な体(=社会)を作る。自然界がひとつの体であるように、社会もひとつの体として機能していけば、バランスの良い供給を可能にする経済システム=共有する経済が可能になる。現在の地球は人間社会も自然環境もアンバランスで病的な状態にある。」
その原因は、人類の意識にあるということです。

「人類の意識が高くなり、愛と善意に基づいたエネルギーを乗せてお金や物を循環させていけば、最終的には地球がひとつの経済システムとなり、調和する。」
私たちは、地球という同じ家に住み、同じ乗り物に乗って宇宙を旅している仲間なのです。それを生活を通して表現しているのが、木の花ファミリーの生き方です。

「コミュニティーのメンバーが調和的な精神を有することにより、全体が調和し、健全な循環を表現することになる。そこでは一人ひとりのエゴ的感情がなくなり、個人の利益を得ようとするのではなく、メンバーはコミュニティーが円滑に営まれるための役割を果たしていく。」
「コミュニティのメンバー」というのは、どこか特定の共同体に住んでいる人だけを指すのではありません。そもそも地球そのものがコミュニティなのですから、人類は皆、地球コミュニティのメンバーなのです。人類が調和的な精神を有することで、地球全体が健全に循環していくのです。それは経済成長一辺倒になってしまった今の時代からすると、画期的な大転換です。

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「本来の生きる目的は社会に貢献すること ~人が生きる目的は世界観を広げ、人間性を高めることによって、エゴに走らない優れた人間として人生を生き、コミュニティーや社会に貢献して、高い意識レベルに到達し、人生の終焉を迎えること。」
そういった高い意識レベルに到達すると、人々は「必要以上に獲得しようとしなくなる」のです。今の世界では、富が一部の場所に異常に偏っています。そのような状態を、私たちの体に例えると病気と言います。

「逆に獲得しようとして競争に負けたものは、敗北感や劣等感を持ち、社会の保護の元に暮らさなければならない。国によっては、貧困層どころか、スラム化したり、援助を頼りにした国家や生活が出来てしまう。」
援助によって生活が成り立っている場所では、人々は援助に依存して生活力を失い、人間本来の生命力が弱まっていくということが実際に起きています。

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「それでは木の花ファミリーの経済を見てみましょう」!

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「お財布はひとつ」と言うと、ゲストの人などから「そんなことは考えられない」と言われることがあります。「財産はすべて丸見え」と言うと、「やっぱり隠しておきたい」という反応を示す人もいます。しかし木の花ファミリーでは、こういったことが現実に成っているのです。

これは「みんなの富の山」です。日本語で富士山は「富の山」と書きますから、これは富士山です。みんなで富を集めて、みんなで使います。そんなにたくさんの富がなくても、みんなで使えば効率よく有効に使うことができます。もしもこの富の山を一人ひとりに分けてバラバラに使ったら、一人の持ち分は少なくなりますし、同じことをバラバラにやるわけですから無駄もたくさん発生するでしょう。しかし、それをみんなでやることによって、少ないお金でとても豊かな生活が実現するのです。

これは、これからの世界経済の見本となる経済システムです。それを「ビュッフェ経済」と名付けました。

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「コミュニティーはひとつの体・生活の中の役割分担・ユートピアを表現するファミリーの暮らし」
木の花ファミリーの暮らしの中には、「医」「芸術」「環境」「教育」「社会」「経済」「食」「農」という様々な分野があり、そのすべての中心にあるのが、天然循環をベースにした「菩薩の里」の精神性です。それは高い精神性を有した人々のネットワークによって営まれる世界です。

「精神性を柱として、各部門が有機的につながり運営される」
一人の働きは全体のためにあり、全体は一人ひとりの働きをつなげて循環しています。それは地球生態系と同じ仕組みです。そこに、お金のために働いている人はいません。

「傍(はた)楽(らく)精神」というのは、自らの損得を考えて労働するのではなく、「傍」、つまり他者を「楽」にするということであり、社会の循環を円滑にするための働きです。

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「社会と繋がり広がる事業」ということで、「恵みいただきます」という食事イベントを月に1度開催したり、「癒し処たんぽぽ」で整体やマッサージのサービスを提供したり、地域の便利屋をやったり、新しいプロジェクトとして「ロータスランド」というカフェ&ショップ(木の花ファミリーアンテナショップ)をオープンします。

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その他、心身の病を持つ人の回復をお手伝いする「自然療法プログラム」、個人の枠を超えて様々な人々が集い語り合う「大人サミット」、そして1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し心と宇宙の仕組みを学ぶ「1ヶ月間の真学校」などの活動も行っています。

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「天然循環法に基づいた調和の精神 コミュニティーは一つの生き物であり、全ての活動の母体です。その中では全ての個性が尊重されます。そして様々な個性がつながりあい、それぞれがふさわしい役割を果たしていけば コミュニティー全体が調和の流れの元に運営されていくのです。」
この構造は地球生態系と同じですね。さらに言えば、銀河、宇宙の構造と同じだということです。

「それぞれの生命が個性を発揮しながら地球生態系が調和を表現するように、人類それぞれが全体を担っているという自らの役割に目覚め、他者の喜びのために働けば、この世界は調和に満ちた世界になるのです。」

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「現代の『労働』と『ハタラク』の違い 現代の労働 金銭を得るためにするもの。現代人は便利さや欲の追求のために、多くのお金を必要とする。多くの産業は天然資源や、人々の過酷な労働、動物たちの犠牲の上に成り立っている。生活も、労働も苦痛の上に成り立っている。
働くという文字は『人が動く』と書きます。『人が動く』ということは自分の為に動くのではなく『他者の為に動き傍を楽にする』という、深い意味があります。」
「人が動く」とは生きるということです。生きるとは、生態系の循環を円滑にするためにあるということです。

「命あるものは全て、そのものの独特の働きがあり、その働きは生命ネットワークの中で個性的に生かされます。働く事は、命が生き生きとすることであり、喜びなのです。」
ですから、現在の労働のように苦痛の上に成り立つものではないということです。

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「『資本主義経済の時代』は時代が生み出した『たった2秒の物語』」
この2秒間のマインドコントロールを解くことが、今必要です。

「250年前に始まった産業革命以降、西洋社会で始まった工業化の波と人口の増加、ヨーロッパから入植して建国されたアメリカ合衆国から始まった資本主義経済が世界を動かしてきた。今時代は大きく舵を切ろうとし、人類は経済発展一辺倒の呪縛から目覚める時が来ている。しかし、現実には人類は未だに『資本主義経済』という強烈なマインドコントロールにかかっている。
地球の誕生から始まり、生命の誕生、人類の誕生、文明の発生と、歴史をつなげて物語としてみた時に、地球46億年の歴史を1年に例えると、その中でこの250年はたった2秒の出来事である。人類はその『2秒間の物語』のマインドコントロールにかかっている。
そのマインドコントロールは、今時代と共に終わる時が来ている。時代の切り替わり時を迎えているにもかかわらず、人々はこれからやってくる新たな発想に対して、今までの価値観でしか物事の本質を観ることが出来ず、次の時代が提示しているあり方が観えないのである。」
これまでの時代に優秀とされてきた人々は、特にそれが観えません。それは、人間が思考を回すことによって豊かさを得ようとしてきた人たちです。では、優秀でなかった人々が観えるのかと言ったら、やはり観えません(笑)。
観えるのは、何かが閃いた人です。「何かが変だ」と閃く人たちが、これから観えるようになっていきます。そういった人々は特に、新しい時代を生きる若い世代の人々の中に多く見られるようになってきています。

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「新しい時代の価値は『命の絆・真心』~ 社会が行き詰まりを迎えた今、多くの人が世界の動向に不安を抱えている。有識者は過去の歴史を顧みて、今世界が歴史的な大転換期を迎えていることを読み取っているが、その先にある次なる社会の在り方を語ることが出来るものはいない。
歴史をはるか遠く遡ってそれぞれの時代をつなげて見た時に、時代には流れがあり、そして意志があることが観えてくる。現在の世界的混乱を受けて、経済主体の物質主義文明に代わり、新たな精神文明が始まろうとしている。
そこで人類が大切にする価値は『いのちの絆』『真心』である。それらは、これから作るものではなく、宇宙の発生と共に、元々あったものである。」
それは宇宙の発生と共に元々あったものであり、今、人類はそれをよみがえらせる時に来ているのです。

今、時代は大きな切り替わりの時を迎えています。そのことを示す現象が、世界中のあらゆることに現れています。そこをひも解かなければ、現代の混乱の先は観えてきません。
そこで必要なのが、「時代主義」という捉え方です。これは資本主義や共産主義に代わる、21世紀の人類の新たな生き方です。資本主義も共産主義も、物質的な発展を求めるものでした。しかしこれからは精神的発展の時代であり、そのベースとして時代主義が必要とされてくることでしょう。

31

「世界観を広げ、意識が変われば、経済や時代の捉え方も変わります。それは、全ての好循環の始まり。あなた一人の行動から始まります。」
12900年前の光のピークの時代は、まだ人類が闇を知る前の光の時代でした。そこから、光とは何であるのかという本当の意味を知るために、人類は闇を体験する必要がありました。私たちは今、闇の時代を経て、再び光に向かおうとしています。今、闇の真っただ中を歩む私たちは、そこに希望があることを、時代主義を通して知ることになるでしょう。

「あなたはこれからどのような行動をしますか。」

32

「ご清聴ありがとうございました。」

 


 

分離と競争の社会から「分かち合い」の社会へ

2017年2月19日~3月18日
「1ヶ月間の真学校」開催!

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囚われを外したら

そこは宇宙だった

 
何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造糀仕込み&味噌作り/コンポストトイレの作り方/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/宇宙視点の死生観/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

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