ジイジ誕生!~ 共に生き、豊かな人生を歩んでいきましょう

5月3日はいさどんの誕生日!この日、67歳を迎えたいさどんのお祝いにたくさんの人々が集い、誕生祭が開かれました。誕生祭の場で、いさどんは創立以来みんなに呼ばれ親しまれてきた「いさどん」という名を手放し、新たな名前を発表しました。その名は、「ジイジ」

人の名には、とても深い意味が秘められています。「いさどん」が「ジイジ」に変わるということは、大きな転換を示しています。(「ジイジ」の名の意味については、ジイジブログ『「いさどん」から「ジイジ」へ〜2018年5月3日 67歳の誕生日を迎えて』をご覧ください。)

以下、笑いあり、涙ありの誕生祭のようすを、写真とともにお伝えします。ジイジの挨拶、メンバーたちの言葉、そしてメキシコの太陽マヤ族最高司祭・尊母ナーキンさんからのメッセージなどを、どうぞご覧ください。


 

ジイジの挨拶
時代は確実に、大質的転換をします

今日、67歳の誕生日を迎えました。私が生まれたのは午前3時、方位で言えば艮の方角の時刻です。
67年間、いろいろなことがありましたが、良い人生でした。ここに至るまでのたくさんの困難は、すべて肥やしとなり、ここまでの歩みを助けてくれました。さらにそれは、これからの人生の糧となっていくことを確信しています。

私は子どものころから、少し変わった子どもでした。自分でもそう思っていました。私の人生は、いつも何かが湧いてきます。湧いてきた時点で、それがどこから来たものなのかはわかりません。自分がこのような生き方をすることをまだわきまえていなかった時には、自分が理解できない出来事を与えられ、苦しんだこともありました。自分は精神分裂病なのではないかと思っていた時期もありました。しかしそれが病気ではない証として、理解できなくともその出来事をいただき、進んでいくと、必ずその先に答えがありました。
そして私は、自分の人生の答えを自分で決めることを、やめました。それは、先へ進んでみて、いただくものだからです。

人生を振り返ると、たくさんの物語があります。とてもここでは語り切れません。しかしこの不思議な人生を歩んできて、今ここで、その答えに出会っています。67歳の誕生日をもって、いよいよ人生の最終章が始まります。
私は人生の折り返し地点である40歳の時に、自分の欲で生きることをやめました。経営していた会社をたたみ、この生き方を始めました。その歩みの元は、天の意志です。天が私にメッセージを与え、いかに自らの自我を越えて、その天の意志に忠実に生きるかということをやり続けてきた結果、今があります。
たくさんの出会いをいただきながら進んでいく中で、私はいったい何のためにこの人生を生きているのかということが観えてきました。それは、この世界に「美しい」を表現するためです。それが私の人生の目的であることがわかってきました。今の、正しいことが間違いとなり、真実を見失ってしまった世の中で、いかにそれが必要であることか。私の人生は、世の中の様々な問題ごとをひも解くためにある。そして、人々に真実に目覚めてもらうためにある。そのような人生を歩んできましたが、今日、67歳の誕生日を機に、その人生を白紙に戻し、最終章となるこれからの人生を歩んでいきます。
これからは、なぜ今のような世の中があるのかということをひも解いていきます。同時に、このような意識が地球上に現れたということは、いよいよ質的転換を持って次の時代が地球上に現象化されることの証です。これからお伝えしていくことは、地球上だけではなく、宇宙にも霊的に発信されていくことを確信しています。

皆さん、見ていてください。時代は確実に、大質的転換をして、大きく変わります。その時に、今までのような地上的・人間的な意識では、新しい時代に付き合っていくことができません。私たちは、これから宇宙時代を生きる魂です。ここにいる皆さんだけではなく、人類すべてがそうです。それを人々に求める時代が来たのです。
いつの時代も、人間がこの世界を創っているということはありません。どんなに優れた人々も、その時代の要請により、役割を果たしているだけなのです。トキの流れの中で、現象化という宇宙創造の仕組みの中に、役割として現れ、一人ひとりがその時代に必要な役割を担っています。
これからの時代は、一人ひとりがしっかりと立ち、自らのオリジナルな個性を存分に活かし、役割を果たすことによって、地球生命生態系や太陽系、銀河、銀河群、大宇宙のように、すべてのものが連携した大調和のもとに、ひとつの世界を表現していく時代に入ります。その時に、小さな小さな存在である自らのクセは、個性としてこの世界に役立ちます。どのような人格であっても、使い方によって、有益にも、無効なものにもなるのです。
ですから自らの人格のひどさを見て、自信をなくしてはいけません。それは使い方が間違っているだけです。それを、今の地球人、現代社会の人々に、これから伝えていく必要があります。
私は今日から、「ジイジ」と名乗ります。「ジイジ」とは、それを示していくということです。

今日、この誕生祭の場が始まった時に、何か違和感がありました。これまでの人々は、このような場所を持って、個性的な道をつぶしてきたのです。「人はこのようにあるべきだ」という経典をつくり、その経典に倣って生きていくことが正しいのだという世界をつくってきました。
これからの時代は、そうではありません。私は今、ここにこうして立って話しています。しかし、皆さんのリーダーではありません。この節目の時に、私が到達した境地を、情報として皆さんに伝えているだけです。それを皆さん一人ひとりの意志として、独立したひとつの個性として、どう思うのか。
この世界に劣っている者は誰もいません。特別に尊い者もいません。すべて平等なのです。目に見えないバクテリアであろうと、野の獣たちであろうと、植物であろうと、みんなが平等に個性を発揮し、ネットワークを築き、この世界を創っているのです。ずっと昔、まだ人間が自然から命をいただいて生きていた頃には、人間もそのネットワークの一部として存在していました。天体の意志を受け取り、自然と対話し、生きていたのです。

新しい時代の扉を開くのは、ジイジだけではありません。一人ひとりが扉を開き、そのネットワークが次の時代を創ります。そこでは、みんなが平等です。
このことが今、この場から、霊的に発信されました。ここに今、たくさんの人々がいますが、霊的に発信されたということは、その意識レベルを持っている人々は、この場に居合わせなくても、気付いているはずです。そしてこれから、出会うことになるでしょう。その出会いのネットワークをこれから広げていくのです。
そのためには、今までの時代のように、「自分たちの考えを広げるのだ」と自己主張をする必要はありません。そういった主張を元に組織をつくる必要もありません。そう思えば、その心に共鳴するものと自然に出会い、自ずとことが成っていく。それが本来の時代の姿なのです。

木の花ファミリーは、世間の基準からしたらとてもマニアックで不可思議な場所です。この不思議なところが、新しい時代のひな型として、真実を示しているということを、この場に出会った皆さんは、どうぞ現していってください。私もその一員です。私は、自分が果たすべき役割を知っています。未来に、この役割を終えて旅立つ時、その時の精神の位置と、そこから向かうべき方向を知っています。それには確信があるのです。
今、この世界に生きる中で、ふっと湧いてくることが、現実として成っていきます。心が純粋になっていくと、人はそのように無駄のない思考をし、極めて的を射た日々を送ることができるようになります。見ていてください。これからますますそのように言葉を発し、ますます現象化をして生きていきます。
その時に、私は皆さんの師匠でもなければ教祖でもありません。これは、人の在り方のひとつの情報です。私の67年間と同じような人生を、皆さんは生きられないでしょう?それは私の個性なのですから。同じように、皆さん一人ひとりも個性的なのです。あなたの人生は、誰も生きられない。どうぞ皆さん、その人生を、有意義に活かしてください。絶対に役割があるから。それがこの世界で役に立つから、生まれてきているのです。

もしもあなたが自分の人生を見て否定的に思うならば、それはあなたがあなたの人生を活かしていないだけです。人生に迷っている人がいれば、ジイジは寄り添い、指針を与えてくれるかもしれません。しかし、最終的にあなたの人生をどうするのかは、あなたの責任です。
私たちは共に時代を築いていく役割をいただき、今、この場に集っていますが、魂の歩みはそれぞれ別々です。ジイジは、それを救おうなどとは思いません。人間が、他者によって「救われる」という発想から、自らの価値を高め、自らが自らを救済する時代が始まったのです。そこでは、自らが尊きものになる手段が、自らの手の内にあるのです。それが、人生の勝利者になるということです。

「尊き者を見つけ、そこに行き、救われるよりも、自らが尊き者となり、他を救える者となれ。これからは、一人びとりがイエスや仏陀であるぞ。」

これまでは、木の花という場所を維持することが目的でしたから、いさどんはみんな一人ひとりに寄り添ってきましたが、これからそのようなことはしません。ジイジはどんどんどんどん先へ進みます。後ろを見たら誰もいないかもしれません。それでもいいのです。その生き方、姿勢が大切なのです。
私は奇妙な話をしますが、これからますます奇妙な話をします。なぜなら、私たちは宇宙を司る大本の御霊の分身分霊であるということに、目覚める時代が来たからです。これを宗教と捉えてはいけません。当たり前のことに、当たり前の人々が目覚め、その精神の立ち位置に立つということです。しかしこれは、まだ人類が至っていない先端の意識です。そのことをよくわきまえ、自分は先頭を行く役割としてそれにふさわしい現象を起こし、指針となろう、という志で歩んでいただきたい。
もう、遅れてくる人には配慮しないからね。先に行っちゃいますよ!(笑)近ごろはみんなとの距離が離れてきて孤独を感じることもありますが、どうか皆さん、それに遅れることなく、いつもそばで、共に生き、物理的にも霊的にも豊かな人生を歩んでいきましょう。それを、心から願っています。

 

 


ジイジの挨拶の後、「はい!」と真っ先に手を挙げてマイクを取ったのは、創立メンバーのじゅんじいでした。


 

じゅんじいより

創立以来、縁の下の力持ちとして、“いさどん”と二人三脚で歩んできたじゅんじい

「いさどん」とは長い付き合いです。私が29歳の時に知り合いました。
えー・・・・・涙が出てきちゃうな。(目元をおさえながら)「ジイジ」って、すごくいい響きだと思います。私は「ジュンジイ」ですが(みんな:笑)、本名も「ジュンジ」です(みんな:爆笑)。ババジとか、ガンジーのように、尊い人を目指すということですね。
この間、いさどんのことをふと思っていたら、「大地球神」というのが浮かんできました。本当に、地球のために生きてるなあ、と。いさどんとは長い付き合いですが、だいぶ差ができました(笑)。それも私の人生だと思っています。でも私の心の中に、目指すものがひとつ、できました。やっぱり、そういう確実なものを目指して、これから生きていくということです。それは、自分に目覚めるということです。
今日は朝から、すごく楽しみにしていました。とても気持ちのいい日でした。いさどん、ありがとう。あ、違った、ジイジありがとう(笑)。みなさん、ありがとう。

 

あいちゃんより

“いさどん”とは一番長い付き合いのあいちゃん

私は、いさどんとは17歳の時からの付き合いです。最初は「古田さん」と呼んでいました。出会ってから、何年になるのかな?えーと・・・計算ができないくらい長い付き合いです(笑)。
長い間、いさどんの追い風ではなく、逆風になってきました。いさどんのやろうとしていることを、全然理解していませんでした。でも皆さんと一緒に暮らしてきて、今日、こういう場があって、これからジイジとはどういう付き合いになるんだろうと思いましたが、一人ひとりが立って、誇れる人生を生きていくことだと思いました。これからも皆さん、よろしくお願いします。
(ゲストの方が、「あいちゃんはすごい。私は何回生まれ変わっても、こういう人(ジイジ)とは結婚しない」と言うと)私は何回生まれ変わっても、こういう人と結婚します😊(みんな拍手!)

 

みかちゃんより

自身も大きな転換点を迎えているみかちゃん

私はここに来て14年です。7を質的転換とすると、2回質的転換をしてここにいます。なぜここに来たのかというと、それにはいろいろな次元の答えがありますが、物理的には人生が一度つぶれてしまい、ここへ転がり込んできました。
私は最初にここに出会った時、いさどんが怖くてここから逃げました。なぜなら、いさどんは心磨くことを説く人だからです。私は自分の中に汚れがたくさんあることを知っていて、心磨きを始めたらどんなことになるかが薄々わかっていたので、そこから逃げました。でも人生が行き詰り、ここへ帰ってきて、みんなと共に生きて、欠けたところを助けられながら、自分にしかできない役割をやらせていただいて、ここまで来ました。
今、自分自身を振り返り、艮の金神が「今の世は逆さまだ」と言っているように、私の心は真っ逆さまで、天ではなく地に向かっていたことを認識しました。この私という暴れ馬を、いさどんがどのような思いでここまで導いて来てくれたのかを、私は知りません。ここまで生きてきて、今ようやくそのことを知れるところまで来たのだと思っています。天に唾を吐くような人生であったことを正し、ジイジと肩を並べて歩んでいける位置に立たせていただきます。これからもよろしくお願い致します。

 

まりちゃんより

いさどんの“大修理”により、みんなの大きな力になってきたまりちゃん

私がいさどんと出会ったのは19歳の時です。縁が続いて、一緒に富士山麓へやって来ました。
ここへ来る前もいろいろな話をしていて、言葉で語るのは簡単ですから、さも自分が出来上がったかのようなつもりでここに来ましたが、来てみたら、あらびっくり!自我だらけの自分と向き合うことになりました。いさどんにはたくさんの手間をかけて、心のトレーニングを受けました。複雑な問答をくり返しながら、最終的にいつも教えられることは・・・(涙で言葉が詰まる)・・・己を忘れて、人のために生きる。どんな出来事をくり返しても、最終的にはそこを学ぶためにあるということを、教えられてきました。

めったに泣かないまりちゃんの涙
ジイジも思わず、もらい泣き

最近、自分の中に、言葉にはできない感覚があります。ああ、こういうことなのかな、という感覚が少しずつ湧いてきています。私も今日から、自分の立ち位置をしっかりと認識して生きていきます。おめでとうございます。

 

ちなっぴーより

天性の明るさで、まっすぐに歩んできたちなっぴー

もう、本当に、泣けちゃうというか、涙が出てきます。私がいさどんと出会ったのは、中学生の時です。その時は「おじさん」て呼んでました。短大を卒業して、これからどう生きていったらいいんだろうと思った時に、いさどんに相談に行きました。そうしたら、その時にいさどんが、こう言ったんです。
「これからおじさんはね、富士山のふもとへ行って、みんなで仲良く助け合って生きていく暮らしをしていこうと思うんだ。そこでは、本物の食べ物、本物の生き方を追求して生きていこうと思ってるんだよ。」
それを聞いて、それは素晴らしい!素晴らしい!!と思いました。さらにいさどんが「これから僕は、“お返しの人生”を生きていくよ」というのを聞いて、私もお返しの人生を生きていく!!!と思って、ついてきました。そうしたら、こんなに素晴らしい人生が待っていました。こんなに豊かで、こんな仲間たちに囲まれて、心を磨きながら生きていけるなんて、素晴らしい。これからは、私もジイジに負けないように、毎日筋トレしてます(笑)。これから、みんなの中で思いっきり質的転換して、人生悔いなし!と生きていきます!

拳を上げて、悔いのない人生を生きることを宣言!

 

その後も、メンバーたちが次々と思いを語りました。

いさどんと出会ったことで「人は学ぶために生まれてきた」ことを知ったえいこばあちゃん
子宮頸がんで死にかけて、奇跡の復活をとげたきょうこちゃん
生きている間に、人間が生きる本当の意味に出会えたと語るこうちゃん
涙、涙の連続で、次から次へと渡されていくハンカチ
自らが柱となっていくことに目覚め始めた男性陣
ゲストからもお花と手作りカードのプレゼント
みんなで一緒に、歌い踊ろう!

ずっと目の病気のためにサングラスを外せずにいたきたじゅんからは、「病気が治りました」というサプライズ報告もありました。「きっともう、病気が必要なくなったんだと思います」ときたじゅん。

 
そして最後に、偶然にもこの日届いたメキシコの太陽マヤ族最高司祭である尊母ナーキンさんからのメッセージがシェアされました。

太陽マヤ族最高司祭・尊母ナーキンさん

以下は、ナーキンさんがチャネリングをした言葉の一部です。2014年のマヤ新年を富士山麓で共に祝って以来、新たな時代を共に築いていく仲間として、木の花ファミリーと太陽マヤ族は交流を重ねてきましたが、この日がジイジの誕生日であることも、名前が変わることも知らないはずのナーキンさんから、こんなメッセージが届いたのでした。


 

ナーキンさんからのメッセージ

富士山は、銀河の中心から最も純粋な愛の周波数が降りてくる聖なる場です。富士山は、真の愛の純粋な振動を吸収する最大の力を持った地球におけるアンテナであり、それは富士山という体から地球という星全体に放たれます。
Mount Fuji is the holy space where the purest frequency of LOVE from the center of the galaxy descends. The Fuji is the planetary antenna of maximum power that assimilates the pure vibration of True Love, and from its body it is radiated to all the Planet Earth.

時の数学的収束において、わたしたちは天による愛の放射を活性化しています。その愛は、存在の豊かさを目覚めさせ、そして真の世界平和の経験を可能にする新たな形の人間の相互関係を誕生させるような最高位の意識を復活させます。
In the mathematical convergence of time we are activating the divine irradiation of Love that awakens the fullness of Being and restores the supreme consciousness that gives birth to new forms of human interrelation that allow the experience of a true WORLD OF PEACE.

私たちはいさどん師(後日、彼の名前は新しいものに変わります)から、本物の精神性の価値の中に生きることができるために、存在の能力を目覚めさせる知識や教えを受け取るでしょう。同様に、尊母ナーキンはマヤの太陽の叡智を通して、一人一人の存在の中に光の最大限の能力を目覚めさせるための美しい提案をシェアすることでしょう。
We are going to receive the teachings of Master Isadon (later this name is changed to the new one), a knowledge that awakens the capacities of the Being so that is able to live within the authentic spiritual values. Likewise, Venerable Grandmother Nah Kin, through mayan solar wisdom, will share beautiful proposals to awaken the maximum capacity of light in each Being.

 


 

驚いたことに、ナーキンさんはいさどんの名前が変わることを予言していたのでした。

 
この世界のすべては、宇宙の大いなる流れの中にあります。これからも未知なる未来への歩みは続き、「ジイジ」と共に、一人ひとりの新たなステージが始まります。

皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします!

 

5月6日に行われた田楽田植え祭りにて

 

 

 


木の花ファミリー通信2018年春分号 〜 死ぬってどういうこと?

一年で、光(昼)と闇(夜)がちょうど等分となる春分の今日、木の花ファミリー通信最新号が発行されました。今号より、「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします。どうぞご覧ください!


 

21世紀の死生観 第一部

 
「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします

「21世紀の死生観」と言いますが、21世紀でなくとも、人は生き死にを繰り返しています。生まれて生きて死んで終わりではなく、悠久の時の中で、生まれて生きて死に、また生まれて生きて死ぬことをくり返しているのです。

ところが、現代の多くの人は死を恐怖に感じています。ある調査によると、日本人の半数以上が死を「怖い」と感じています。また別の調査では、20代から70代までの全世代を通じて、9割以上が死を「悲しい」と捉え、6割以上が「どことなく不安」と答えています。

*朝日新聞全国世論調査より

しかし、どんなに怖いと思っても、悲しいと思っても、確実に死はやって来ます。なぜなら明日が来るからです。「死にたくない」と思って今日一日を生きると、今日一日分、確実に死が近付いてくるのです。

 
時は生き物

この時の流れを止めたいと思っても、止めることはできません。それは、時が生き物だからです。時は、決して留まることなく変化変容し続ける宇宙の基盤であり、常に循環し続けています。私たちはこの時という生命の一部であり、それに乗って宇宙を旅し続けているのです。
この時という乗り物に乗らない存在に、この世界で出会うことはできません。すべてのものは固有のサイクルを持ち、時の上でそれぞれのサイクルを刻みながら、互いに連動し、ひとつらなりの壮大な生命を構成しているのです。
その大きな生命の中の一つのサイクルが終わりを迎えた時、私たちはそれを「死」と呼びます。命あるものは皆、必ず死を迎えます。けれども、私たちは死を恐れ、目を背け、死とは一体何であるかを曖昧にしたまま毎日を生きています。死が曖昧であるということは、生きることの意味もまた曖昧だということです。私たちが出会う問題ごとのすべては、私たちが生きていることから生まれます。私たちは生きることの意味を曖昧にしたまま、ずっとその問題を抱え続けているのです。

人はなぜ生まれ、なぜ生き、なぜ死ぬのか。死生観は人類の根源的なテーマです。一人ひとりにサイクルがあり、一人ひとりに存在する理由があります。その壮大なる生命の仕組みを理解した時、私たちは初めて、真に充実した人生を生き、喜びを持って死の向こうへと旅立てるのです。

 
シリーズでお届けする「21世紀の死生観」。
第一部は、この世界の命の仕組みをひも解きます!

 


 

肉体は循環の中で変化し続ける
それをつなぎとめるものが  

宇宙はすべて、陰陽から成り立っています。私たちの肉体を目に見える陽とすると、その奥には目に見えない陰の存在があります。それが魂です。

「陰陽」と言うように、この世界の元の仕組みは、まず最初に陰があり、そしてそれを元に陽が発生します。私たちの生命は、まず魂があり、その魂が宇宙に遍満する様々な物質を縁によって引き寄せ、肉体を形成します。この、魂と肉体がセットになった状態が「生きている」ということです。姿かたちや性質から、どのような家族を持ち、どのような場所に生まれるかまで、すべてその魂独自の縁によって紡がれていきます。そしてそれぞれの魂と肉体の縁は、独自のサイクルを持っています。これが寿命です。
寿命が来ると、魂は肉体を離れます。すると、それまで魂によってつなぎ止められていた肉体の構成要素は、その縁から解き放たれて、三次元生態系へと還る旅を始めます。そして、また次の生命を形成する材料となります。一方魂は、それぞれにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。

ふさわしい異次元宇宙とは、地獄から多次元構造の高次元宇宙まで幅広く存在します。その幅広い異次元宇宙の中で、様々な段階の魂がひとつの時間と空間のもとに一堂に会して存在しているのが、地球生命世界です。つまり、地球に生きるということは、多種多様な存在に同時に出会うことができる生態体験ツアーのようなものなのです。魂たちは、それぞれの段階のサイクルにふさわしい人生を生き、その人生にふさわしい死を迎え、宇宙へと還り、またふさわしい縁のもとに地上に降りて、新たなサイクルを刻んでいくのです。

 
命のリレー

何も増えず、何も減らない。ただ形を変えながら循環し、すべての存在が変化変容し続けているのが宇宙の実体です。この大いなる宇宙の循環の中で、私たちの肉体もまた、変化しながら生態系を巡っています。

地球生態系を構成する五大要素は、地水火風空です。人間は、地とも、水とも、火とも、風とも、空とも循環して生きています。地に育まれた作物を食べ、水を飲み、排せつしたものがまた次の生命を育む元となり、陽の光を取り込んではエネルギーに変え、そのエネルギーを放出し、風を受け、呼吸をし、吐き出された二酸化炭素もまた、植物の成長の糧となります。それは、常に他から自分へと生命が流れ、必要なものを取り込んでは、また形を変えて他へと受け継がれていく、命のリレーです。その流れはひとつではなく、幾重にも重なって連鎖しています。私たちはこの自然生態系の循環の中で、多種多様な存在から常に新鮮な命を与えられ、生かされながら、自らもまたその循環の一翼を担っています。逆に捉えると、この循環の中にいなければ私たちの生命は成り立たないのです。そしてこの循環を支えているのは、自らの存在が他を生かしていく「利他」の仕組みです。

この、絶えず変化変容し続ける肉体の様々な機能を束ね、ひとつの生命体として維持しているのが魂です。そして人間は、一瞬として同じ状態にはないこの生命体を、過去から未来まで継続して「自分」と認識するようになりました。そしてその自分という認識に囚われるようになりました。これが、自我です。

 
自我に囚われ
この世界の大きな仕組みを忘れた現代の人々

人間は、動物と大きな違いがあります。それは自我に目覚めることができるということです。動物にも自我はありますが、それは本能的なものであり、囚われるものではありません。ところが人間の自我は、自分というものの側に立ち、そこに執着するのです。
常に変化変容し続けるのが、私たちの生きる宇宙の実体です。しかし自我を持った人間は、宇宙の法のままに変化していくことよりも、自分というものを固定し、その状態を維持しようとするようになりました。枠の中に人が入ると「囚われ」という字になるように、まさに、自分という枠の中に自らを閉じ込めたのです。そして、この世界はすべてが連鎖し支え合うひとつらなりの命であり、自らもその一部であることを忘れてしまったのです。

この世界は、個々に独立したものが利他の仕組みによってつながる、命のネットワークです。私たち人間の魂は、一つひとつどれもがオリジナルな個性を持っています。そしてそれらがつながり、一つの集合体となることで、多様性あふれる豊かな世界を築いています。しかし個性とはまた、それ単独で見た時に「偏っている」ということでもあるのです。
偏ったものが、他と連携することを忘れ独りよがりに生きると、世界は必ずその偏りにふさわしい問題ごとを与え、行き詰まるようになっています。そして世界は、その行き詰まりを通して人間に自らの偏りを体験させ、つながることの大切さを学べるようにしているのです。ところが「自分」に意識が向けば向くほど、人間は自我が強くなり、この仕組みが見えなくなっていきました。目に見えるものだけの価値観に囚われ、全体が一つの集合体であることを忘れて個々の幸せを追い求め、その結果、多様であるからこそ互いに補い合い世界を豊かにするはずの個性が、多様であるがために対立し、世界に不調和を生むようになりました。そして世界にも、私たち自身にも、様々な問題をもたらすようになったのです。

 
あなたの奥に、永遠のあなたがいる

私たちは、生まれてすぐの赤ん坊の時から泣くことで意思表示をし、食べることや眠ることを求めます。それは生きるための本能的な行動ですが、ではそれが生きることの目的なのかというと、そうではありません。
この世界は、云わば生命の織物です。地水火風空の元に無数の生命たちが織り成す命の循環は、自然生態系(現象界)の広がりを表す、横糸です。そしてそこに、目には見えない縦の糸の働きがあります。それは、私たちすべての生命の源である、魂のふるさと(潜象界)との循環です。そこからやってくる命の源のエネルギー、即ち元の気(=元気)が、私たちに常に新鮮な生命力を与え続けてくれているのです。

この世界では、まず始めに陰があり、それを元に陽が発生します。この命の織物の、陰は縦糸、陽は横糸です。ところが現代の人々は目に見えるものばかりに囚われ、この縦糸の存在を忘れてしまいました。縦糸を見失った世界は秩序を失い、軸を失ったコマのように、ゆらゆらと不安定な状態であり続けることになってしまったのです。しかし、どんなにその存在を認識していなくとも、私たちは絶えずこの縦と横の循環の中で命を与えられ、生かされています。そして私たちがこの世界に生まれてくる真の目的は、肉体を持って現象界を生き、そこで出会う様々な現象を通して、目に見える肉体の奥にある、魂そのものを磨いていくことなのです。それが、私たちが生きていく上で根本的な軸となる役割を果たすのです。

私たちは絶えず呼吸をし、食べることや排せつすることをしなければ、生きることができません。生きるとは、肉体に縛られている状態であるとも言えます。水や土や空気に縛られているとも言えます。しかし本来、魂とは無限の存在なのです。
今あなたが「自分」だと思っているその姿の奥に、永遠の存在としてのあなたがいます。自分という囚われを外した時、そこには未だ出会わぬ、未知の世界が広がっています。人間には、無限の可能性が秘められているのです。

 

 


 

 
遥か昔、この世界は、光だけの世界でした。
光だけの中にいては、光は見えません。完全なる光そのものである神様は、退屈でした。「完全なる私は、完全であるがゆえに、私を知ることができない。」
そこで神様は、完全なるその体を分けられました。光とは何かを分かるために闇を創り、それを自身からもっとも遠いところへと投げたのです。そして、もとの光へと還っていく長い長い道を創られたのです。

 
地球という学校への入学

宇宙に漂う無数の魂たちは、どれもとてもユニークです。完全なるひとつから分かれてきたため、一つひとつは不完全で、偏っており、それぞれが他にはない個性を持っています。ところが魂たちは、魂のままでは自らの姿が見えないのです。「どうしたら自分のことがわかるだろう。」そこで、宇宙の総意によって、地球という星が創られました。魂たちはこぞって地球に降り立ち、それぞれの個性にぴったりの姿かたちや性質を持って、地球生態体験ツアーをスタートさせました。

地球では毎日、それはそれはたくさんのことが起こります。肉体を持った魂たちは、人生を通して様々な体験をし、その体験から自らがいったい何者であるかを知るようになりました。自分がどんな響きを発しているかによって、出会う出来事が変わっていくのです。「そうか、自分とはこういうものなのか。」

宇宙の時の流れは壮大で、変化もとてもゆっくりですが、ここ地球では、変化変容変態をくり返す仕組みの中で、次々と現象が起こります。そんな中、魂たちの歩みはそれぞれです。出会う出来事から次々と学び、どんどん進化していく者。目に見えるものに囚われて、地球に来た目的を忘れてしまい、何度も同じことをくり返す者。それは、地球という学校に入学したようなものでした。やがて、学びの期限が訪れると、魂たちは「死」という形で卒業を迎えます。そして、人生を通してどれだけ学んだかによって、それぞれの段階にふさわしい異次元宇宙へと還っていくのです。

魂たちにとって、地球は唯一、自分が何者であるかを知り、進化できる場所です。学びを終えた魂たちは地球学校の成績表と共に宇宙へ還り、またいくらかすると「よし、今度こそ!」と地球へ学びにやって来るのです。

 
宇宙全体が美しくなるために

この地球での魂たちの進化のようすを、宇宙の星々はとても興味深く観ています。肉体を持ち、人間として地球に降り立った魂が、自らを高め真理に目覚めると、星々が反応し、銀河の中心がザワザワと波打つのです。たった一つでも、優れた魂は、宇宙に対してそれほどの影響力を持っているのです。

今、地球上に人間として降り立った魂たちは、とても狭い世界観の中で生きています。自我に囚われ、生まれてきた目的を見失い、死ぬことへの恐怖を紛らわせるかのように、目の前の欲望を満たすことに一生懸命になっています。そして世界は問題ごとであふれかえるようになりました。

しかし時代は確実に、光の方向へと進んでいます。神様が自分からもっとも遠いところに闇を置かれてから、私たちは闇とは何であるかを体験し、何度も何度も生まれては死に、生まれては死ぬことをくり返しながら、もとの光の世界へと還っていく道を歩んでいるのです。

時代は21世紀を迎え、2000年から3000年への新たなサイクルに入りました。これは、地上を生きる人間たちが、生きることの真の意味を悟る時代を迎えたということです。それは今までの宗教のように、誰か一人の聖者が現れて教えを説き、救いを求める人々がその教えに群がることとは違います。一人ひとり誰もが、自分自身の中に眠っているものを目覚めさせる。そうすることによって、自らが尊きものとなり、生きる時代がやってきたのです。

私たち人間は、自我に囚われ世界に混乱をもたらす存在から、本当の人としての価値を地球上に表現し、すべての生命のために、この世界に正しい秩序をもたらす存在へと進化する時を迎えています。私たち一人ひとりの魂が美しくなることが、地球を、そして宇宙全体を美しくするのです。

そのためにはまず、「自分」という囚われを、外すことなのです。

 

 

 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、「1ヶ月間の真学校ブログ」をどうぞご覧ください。
 → 1ヶ月間の真学校ブログ『死生観~死と一体となって、生きる』

*1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、様々な切り口から21世紀の世界観を学ぶプログラムです。

 

 

21世紀の死生観第二部「ある世界とない世界」

 


この研究は、新たな世界の扉を開けてくれた 〜 イスラエル人留学生・リリアの手紙

イスラエルからやって来て、京都の大学院で環境学を専攻しているリリア。昨年秋に農作業ヘルパーとして1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、今年1月から2月にかけては、大学院の卒業論文の研究のために滞在していました。そして昨夜、2ヶ月間の研究を終えて旅立つリリアのために「いってらっしゃいコンサート」が開かれました。
以下は、そのコンサートの場でリリアが読み上げた手紙です。日本語で書かれた手紙の全文をご紹介します。


お別れの挨拶

木の花ファミリーでのトータルして3ヶ月間の滞在に関して、伝えたいことがたくさんあります。

木の花ファミリーに来た当初の目的は、コミュニティについて研究することでした 。この研究は学問的なものです。ですから、それは学問のルールのもとにあり、大学の制度のもとにあります。この研究はコミュニティにおける具体的な詳細や個人的な物語を含みます。

この研究は学問的な用語で書かれます。つまり、それは事実、正確さ、数字と専門用語が大切だということです。もし私がこの挨拶を自分の言語であるヘブライ語で書くならば、誰も理解しないことでしょう。それが言語の重要さです。その理由のために、学問で理解できるような用語を使ってこの研究を書いています。学問的な人々にこの研究に対して敬意を払ってもらうためには、私はこの妥協を受け入れるしかありません。

卒業論文は白紙に書かれた黒い文字にしか過ぎません。さらに、研究者はこの研究のための単なる媒体にしか過ぎません。つまり、研究にとっては、誰が研究者であるかは重要ではないということです。研究は客観的である必要があります。しかし、私はリリアであり、主観的な存在です。それはとても難しいところです。

それにも関わらず、この研究は私が新たな世界に行くための扉を開けてくれました。人生が予期せぬ新たな方向へつながっていることは面白いことです。もし抵抗せず、道に来るものが何であれいただくのであれば、奇跡が起きる可能性はあります。皆さんと作業をし、語り、笑い、食事をし、インタビューをし、学び、聴き、体験する機会は、奇跡的なことでした。インタビューをしていた多くの機会において、私の目の前にいる人のことを美しいと感じていました。言葉やハグ、微笑むことを通して、何人かのメンバーとは私のこの感情を共有しました。すべてのメンバーとこの感情を共有しませんでしたが、皆さんはこうした私の気持ちを感じてくれていたと思っています。私はこれまで感謝の気持ちを表現してきたかどうかはわかりませんが、今この場で皆さんに感謝を伝えたいと思います。私にはたくさんの見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと、理解したこと、また理解しなかったことがありますが、そのすべてに感謝しています。この研究の重要さは存在していますが、3ヶ月間ここで学んだことはもっと大切なことです。

いさどんとの時間の最後に、何度か、私は「愚かであること、そして真実に向き合うよりも何も知らないことのほうがずっと簡単なことです」と伝えました。真実を探究することは疲れることであり、もどかしいことです。神社に鏡があることはその理由のひとつかもしれません。私たち自身を真に見つめることは全能の神様の存在よりもずっと恐ろしいことです。

木の花ファミリーの人々から多くのインスピレーションを受け取りました。妥協することなく真実を探究する勇気を高く評価しますし、それは私にエネルギーと意欲を与えてくれました。陽子のような物語を聞くことから、とても刺激を受けました。

木の花に来る前、私の目標は他者を理解することにより、他者とより良い関係を築くことでした。ですから、Eちゃん(木の花ファミリーにケア滞在をしていたゲスト)のことを上手く読めなかったことで私は自分自身に対してがっかりしました ──── それは、阿吽を実践することを何度も思い出させるものでした。それを忘れると、宇宙はそれを思い出させるものを送ってくれます。それは通るべきプロセスです。

明日、私はここから出て、もっと大きく、そしてもっと意義深い目標を持つことでしょう。それは、真実を明らかにするためです。真実はとらえどころのないものです。それは善悪や枠を超えたものであり、そして真実を掴むことは容易なことではありません。皆さんが自分の物語について語ったり、ミーティングで「シェア」を聞いたり、ブログや他の資料を読んだ時 ──── 、「自分自身について振り返ること」の大切さを認識しました。ここの子どもたちは生まれた時からそれを学んでいます。私が通ってきたすべてのことは、今いる所に私をいざないました。そこには意味が秘められているのです。

この研究を書くことによって、木の花ファミリーの種を蒔いていきます。これがこの研究の大事な部分です。

起きたこと、今起きていること、そしてこれから起きることすべてに対して、心の底から感謝します。

木の花ファミリーに2冊の本をプレゼントしたいと思います。本来、これらの本は子供向けの本ですが、その中にはたくさんの秘められた意味があります。これらの本は与えること、幸せ、広大な宇宙を旅することについて書かれていますので、きっと皆さんも興味があると思います。ぜひ読んでみてください。

最後になりましたが、もう一度皆さんに感謝の気持ちを述べて、この挨拶を締めくくりたいと思います。ありがとうございます。

 

今日の朝、リリアはみんなに見送られて旅立って行きました
いってらっしゃい!

 


人類史上初の「リョウ」の集いにようこそ! ~PART6:リョウタロウくんの卒業コンサート♪~

リョウくんリョウタくんの卒業コンサートが行われてから約4ヶ月を経て ──── 去る2月11日にリョウタロウくんの卒業コンサートが行われました。この日はなんと、14年間木の花ファミリーで自然療法プログラムを提供して以来初めての、ケア滞在者3人の卒業コンサートを同日に迎えることができたのでした。

以下、自然療法プログラムコーディネーターのようこがまとめたリョウタロウくんのケア物語と、卒業コンサートでのかっちゃん(養鶏担当でリョウタロウくんと作業をすることが多かったメンバー)・いさどんからのメッセージをご紹介します。

「リョウタロウくんのケア物語」

20歳のリョウタロウくんが初めて木の花ファミリーを訪れたのは、2017年7月22日のことでした。中学生の頃から生き辛さを感じ、高校生のときには統合失調症と診断されたリョウタロウくんは、「僕には不適切な感情が湧いたり、思考伝播があるので、そういった自分の今の症状をすべてなくしたい」ということでいさどんの面談を受けました。面談の際、いさどんからは、次のように伝えられました。

「今の症状をなくすためには、現実の環境と自分の考えを統合する作業を繰り返していくことが必要です。そこで、自分から見たものが正しいとして主張すると、まったく効果は現れません。一番大切なことは、自己主張せず、こちらを信頼し、こちらの客観的なアドバイスを取り入れていくことです。そうすれば、新しい考え方が生まれてきて、その結果統合失調症の症状を改善することは可能です。

あなたについて僕が感じるのは、あなたは20歳のわりにはとてもふけているということです。それは妙な理屈っぽさが先行しているからです。20歳の今のあなたが思考回路不全症だとして、『今、この混乱した世の中で思考回路不全症だということは、人間の世界では馴染めないけれど、もっと大事なものに自分のピントを合わせることはできるぞ!』と思えるならば、あなたは次の時代を創る人にもなれるのです!この自然療法プログラムの取り組みは、治療が目的ではないのです。これは、人間を目覚めさせるための活動なのですから、壮大なプロジェクトなのですよ♪」

面談が始まった時には、上手く意思疎通が取れなかったリョウタロウくんでしたが、面談が進むにつれて、リョウタロウくんの受け答えは少しずつ秩序だったものになっていき、いさどんはそこに改善の兆しを観たのでした。そして面談の最後にリョウタロウくんは、「ありがとうございます」といさどんに伝え、いさどんはそんなリョウタロウくんに対し、「今の『ありがとうございます』は、あなたが本当に大事なものに気付き始めたから出てきた言葉ですね。あなたに取り組む気があれば力は貸しますよ」と伝え、面談は終了しました。

そして、その1週間後の7月30日、リョウタロウくんはケア滞在をスタートさせたのです。ケアスタート面談時、お父さん曰く、「ケア滞在をすると決めてから状態が良いのです」というリョウタロウくんに、いさどんからは「前回の面談の時よりもさらに会話のやり取りがスムーズになりましたね」と伝えられました。そして、1週間目の課題として、まずはここの生活に慣れることと日記を書くことが与えられました。

そうして迎えた1週間面談。1週間が経ったことを受けて、「1週間過ごしてみてどうでしたか?」といさどんから質問されると、リョウタロウくんは「自分の思考が人に伝わっている感じがあって、その思考がいびつなんです。でもそれは自分の幻聴かもしれないし、そうではないかもしれません」と答えました。それに対しいさどんは次のように伝えました。

「あなたは暇なので、現実味のない話をただ頭で回しているだけなのです。これからやるべきことは、自分にメスを入れることです。それは自分の考えに囚われていてはできません。一番良いことは、働くことです。体を動かして良い汗をかき、健全な生活を送れば、無駄なことに思考は回さなくなるのです。」

そこで、いさどんからの提案としては、ひとまず1週間過ごせたので一歩進んだことを評価し、「次の1週間は不精をなおし、規則正しい毎日を送ることを心がけていきましょう」と伝えられ、面談は終了しました。

そこから、不精をなおす一環として、伸びっぱなしだった髪の毛をカットすることが提案されると、リョウタロウくんは素直に応じ、メンバーにヘアカットしてもらいました。生まれて初めて丸刈りされたリョウタロウくんからは爽やかな空気が漂っていました。さらに、ケア滞在当初は終日スマホでゲームをするか、2ちゃんねるを見ていたリョウタロウくんでしたが、滞在12日目に初めて鶏のお世話をする作業に参加し、「楽しかったので、またぜひやらせてほしいです」と心の面でも少しずつ変化が現れてきました。

そのような中、迎えた2週間面談でいさどんに今の心境を聞かれると、「なんとなく気分が健康になってきました」と答えたリョウタロウくん。そんなリョウタロウくんに、いさどんは次のように伝えました。

「あなたの日記を見ていると、自分の思考に翻弄されているのを感じます。当初の目的として、あなたには今の症状をすべてなくしたいという思いがありますので、それがなくなっていくように取り組む意欲は常に持っているべきだと思います。トータルしてこの2週間を観てみると、今まで書いたことのなかった日記は書けていますし、会話のキャッチボールはできるようになりましたし、成果は出ています。なにより、髪型を丸刈りにしたことで印象が変わったことは大きいですね。そこで、次の1週間のテーマとして、引き続き不精をなおすこと、そして規則正しい生活を送るという意味で、作業に出たり、体を動かしながら自分の変化を観ていきましょう。そして、あなたの幻聴が事実か事実でないかわからなければ判断を保留にし、今後は妄想ではなく事実に基づいて振り返っていきましょう。」

このようにトータルして良い状態でケア滞在を過ごしているリョウタロウくんに対し、いさどんから「夜の大人会議で現在のケアの進捗状況を皆にシェアしてください」と伝えられると、最初は「何を報告していいのかわからない」と抵抗していたリョウタロウくんでしたが、実際、鶏舎での作業のことなどを報告してみると、皆に笑いの渦をもたらし、ひとしきり場を盛り上げたのでした。

そうして養鶏作業にも少しずつ慣れ、作業の待ち合わせ時間も守るように心がけるなど、規則正しい生活が身につきつつあるリョウタロウくん曰く、「昔は遅刻魔で、高校の時は学校始まって以来の遅刻回数だと言われたこともあります」とのこと。また、「作業に出ると不精をなおしやすいです。作業に出るとなると、髭もそるし、歯を磨く気にもなります。作業後に湯船につかるのも気持ちいいし、お風呂に入ることが習慣になってきました」と話していました。さらに服薬についても、リョウタロウくんは今まで飲んでいた薬をケア滞在初日から飲んでいなかったことが判明したのです!「元々薬が効きにくい体質なので、飲んでも飲まなくても変わらないのです」と話すリョウタロウくんに、いさどんが「今回、薬を飲まなくなったきっかけは何ですか?」と質問すると、リョウタロウくんは「面倒くさかったからです」と答え、それに対しいさどんは「それは良い不精ですね♪」と伝えました。

その後、3週間目・4週間目も引き続き、不精をなおし規則正しい生活を送るという課題が与えられましたが、モチベーションが上がらず一日中スマホでゲームをしていたり、なかなかスマホ依存から抜けられないリョウタロウくんがいました。

そのような状況の中、ケア32日目、リョウタロウくんは農作業に行った際、畑でスマホを落として壊してしまったのです!「この機会に2ちゃんねるやゲームをやめて作業に出なさい、ということかな」と話すリョウタロウくんに、5週間面談の際、いさどんからは「これはまさしく天の意志ですね♪ここ1週間はケアの取り組みが少し中だるみしていましたから、気持ちを入れ替え、今後は将来仕事に就くための物理的・精神的体力を身につけていきましょう」と伝えられました。

そうして迎えた6週間面談。リョウタロウくんからは「病気を治すこと、自立して生きていけるようになるのが目的ですが、思考伝播や不適切な思考についてはどう取り組んでいけばいいのかわかりません。わからないので、今、出来ることとして、不精をなくし規則正しい毎日を送ることを心がけました」という話がなされ、それに対し、いさどんは次のように伝えました。

「こちらはせかすつもりはありませんが、目的をいつも心に置いておくことが大切です。主役はあなたなのですから、こちらのサポートとあなたの意欲とがコラボレーションすることによってケアが進んでいくのです。そして、規則正しい生活を繰り返すことが手ごたえとなり、症状の改善に至るのです。加えて言えば、不精をなおし規則正しい生活を送ることは健康の元であり、これはずっと続けていくことです。健康には肉体的健康と精神的健康の2つがあり、肉体的健康が精神的健康を生み出し、精神的健康が肉体的健康を生み出すのです。肉体的健康とは、太陽と月と地球のリズムに沿った生活をすることです。精神的健康とは、考え方に無駄がなく、理に適った思考をすることです。さらに、健康には霊的健康というものもあり、それは醸し出す空気や雰囲気が健全であるということです。

先日、養蜂の手伝いに来ていたおばあちゃんが初めてあなたに出会った後、僕に『あの人は怖いね。ああいう人を預かるのだから大変だね』と話していました。それは一般の人があなたを見てパッと感じる印象です。ですから、何もせずにただそこにいるだけで、あなたはそのような印象を人に与えるということです。これが霊的な健康に関するものです。霊的な健康のためには、日々どのような生活をしているかが重要となるのですよ。」

いさどんの話を受けてリョウタロウくんは、「出来たらその人と仲良くなって、自分のどういうところがそのような印象を与えるのかを知りたいですね」とコメントし、そこでさらにいさどんからは次のように伝えられました。

「あなたは理屈で突き詰める傾向がありますが、霊的なことは日々の生活が整えば自然と改善していくものなのです。霊的なこととは、その人の一番奥にある生命エネルギー、つまり人柄の元となるもののことです。それは、いくら理屈で語っても改善されません。1日1日を規則正しく穏やかな気持ちで暮らすことで改善していくものなのです。」

そして、引き続き規則正しい生活リズムを心がけることに加えて、最近書いていなかった日記を再び書きながら、正直に自分と向き合っていくことが課題として与えられました。

そうして迎えた7週間面談。面談直前にリョウタロウくんが大声をあげて自室の壁を叩き、壁を損傷させたことから、その引き金となった思考伝播についての話をリョウタロウくんが続ける場面がありました。そんなリョウタロウくんに対し、いさどんは「最終的には、自分の納得したことだけを受け取ろうとするのではなく、あなたの持論をそろそろ捨てる時が来ています。それは、人を信頼し、人の話を受け入れていくということです。まずは、怒り出す自分を振り返ることです。どのような理由であれ、大声を出したり壁にあたる必要はなく、冷静に自分を見つめていくことによって、自分が超えられないハードルを解決していくほうが賢いことなのです。大切なことは、自分が病気であると決め付けることをやめることです。なぜならそれは、『自分には今の自分をどうすることもできない』と放棄している状態になるからです。今はケアの取り組みの中で大事な時を迎えているのですから、引き続き自分と向き合っていき、これからは成果を挙げていく段階に入っていきましょう」と伝えました。

ところが、面談の翌日、リョウタロウくんはお父さんに電話をかけ、「いさどんは自分の病気の原因を誤解している。いさどんは理屈をこねくり返す前に人の言うことを受け入れることが大切というが、自分は心にもないことを『はい』ということは出来ない。木の花ファミリーには『心を変えたら問題事は変わる』という信仰がある。それがわからない。努力してもどうにもならないことがある。心を変えても、改善はするが、解決には至らないこともある」と漏らし、急遽面談の場が持たれました。

面談ではいさどんから、以下のことがリョウタロウくんに伝えられました。

「ここで絶対勘違いしてはいけないことは、僕はあなたのことをよくわかっていて、あなたのためにサポートしています。わかっているからこそ、今のあなたの姿勢を改善するための提案をしているのです。そして、結果を出すのはあくまでもあなたであって、こちらにはサポートしかできません。ここは強制する施設ではないのですから、あなたがこちらの提案に真摯に向き合いそれを取り入れた時に、新しい考え方のあなたがいるのです。その提案を受け入れる人には常に良い成果が出ています。しかし、その提案に乗らない人は時間がかかりますし、さらにこちらに対して抵抗したり不信感を持つ人は結果を出すことは不可能なのです。ですから、もしあなたがこちらを信頼できないとしたならば、私たちがあなたを受け入れても仕方がないことになります。」

そこで、このケアの取り組みを続ける意欲があるのか、こちらを信頼する意志はあるのかを問われたリョウタロウくんは、なかなかその質問にはストレートに答えず、「やる気がある部分とやる気の出ない部分がある」「やる気がある部分と少し不信感がある」と言うなどしばらくの間、持論を展開していきましたが、最終的には「やる気はあります」と答えました。それを受けて、「無条件にこちらを信頼することが大切であること」「自分を納得させるためにこの取り組みがあるのではなく、新しい自分に出会うためにあること」が確認され、ケアの取り組みを続行することになったのです。

そうしてある意味、このケアの取り組みのヤマを越えたリョウタロウくんでしたが、「死ね」「キモイ」という声が聞こえてくること、そしてそれは幻聴ではなく現実の声であるという思いがリョウタロウくんの中では相変わらず続いていました。また、いさどん曰く、「結局、ケアの取り組みが成功するかどうかは、最終的には本人の姿勢次第です。今の状況はあなたにとっても良くないはずなのに、こちらからの改善策には応えたくないという心があなたにはあり、簡単に言うとあなたの中に自己矛盾が発生しているのです。それがこの取り組みが長引いている原因です。当初、症状が重い時に改善が観られたのは、その重い症状からあなたの中に真理を求める心が観えてきたからであり、実際に今、滑舌は良くなってきていますし、こうしたやりとりも以前より明快になってきています。ただ、そうしたことが改善してきている一方で、明快に自己主張することによって相手の提案を受け取らない状態が続き、それは自己主張が強くなったということでもあるのです。

現状、この取り組みは滞り気味ですが、そう結論付けるのは時期尚早でもあるので、様子見をしています。ここに来て、あなたの正直な人間性が出てきて、それが社会生活不適応であるならば、その人間性を改める必要があります。僕はあなたを精神障がい者として観ているのではなく、あなたの正気な部分に常に語りかけていますが、あなたにはグレーな部分もあるのです。本当の精神障がい者からすると、そのグレーな部分が日常の思考なのですが、あなたの場合はグレーな部分もグレーな部分として自分で認識できているので微妙なところなのです。こちらは常に人が健常者になるような働きかけをしています。ですから、自分を病気だと思いたい人にはここでの効果は出ないので、あなたのやる気がなければ、滞在はやめてもらいます。愛は深いですが、そこはシビアなところなのです。」

そうして滞在開始から3ヶ月が過ぎた時、いさどんから新たな提案がなされました。いさどんからはリョウタロウくんに対し、「あなたの心の状態を分析すると、まず姿勢が前向きではありません。だから問題事から逃げたくなって、その逃げるときの言い訳のために幻聴が必要な状態なのです。あなたも薄々気付いているでしょうが、あなたは病気ではありません。統合失調症ならこんなコミュニケーションは成立しません。あなたには、無いものをあると思い込む心の癖があるだけです。そこで、3ヶ月を節目として心機一転し、ケア滞在を再スタートさせましょう。まずは、一週間を好きなように過ごしてください。ただし、まったく初めての滞在ではなく、3ヶ月+′(ダッシュ)なのですから、今まで取り組んできたことを踏まえて、自分としっかり向き合ってください」と伝えられたのです。そのような提案がなされたのは、木の花ファミリーで14年前にケアの取り組みが始まって以来、初めてのことでした。

ところが、その1週間後にリョウタロウくんは「自分は幻聴を本当に聞こえるとしか思えない。いさどんの言うことを信じられない状態でここにいることは、いさどんにとっても失礼だし、僕はここにいるべきでないと思うからケアをやめたい」と言い出し、急遽面談の場が持たれました。

いさどんからは、「まわりの人には聞こえていないのに、自分には実際に聞こえているとしか思えないその状況こそが、まさに幻聴の状態です。しかし、ここで大切なことは幻聴が聞こえるかどうかではなく、人の意見を受け入れるのか、それとも自己主張を続けるのかということです。僕は説得するつもりはありませんので、今のあなたの状態ではこちらがケア滞在を拒否します」と伝えられましたが、それを聞いたお父さんからは「その状態では家に受け入れられない」とリョウタロウくんに伝えられました。さらにリョウタロウくんが「それなら病院へ行く」と言うと、お父さんは「そうであれば経済的支援はしない」と伝えられ、リョウタロウくんは「僕はお父さんの支援なしでは生きていけない。ということは、僕の居場所はここしかないということか・・・」と、帰宅を拒否されショックを受けていました。しかし、いさどんから「それならご家族に喜んで受け入れてもらえるような自分になればいいのですよ」と伝えられたリョウタロウくんは、「最初、父に『自立できるまで帰ってくるな』と言われたのはショックでしたが、今は良かったと思っています。なぜなら強制的に腹をくくることができたからです」と話していました。

その後も、「親に『卒業するまで帰ってくるな』と突き放されてから、幻聴も少しずつ消えてきました」と話すリョウタロウくん。社会復帰のためのトレーニングとして毎日を過ごすこと、良い人間関係を心がけ、規則正しい生活を送るようになることがその後の課題として与えられ、そこからさらに3ヶ月が過ぎた今日、リョウタロウくんはとうとうケアを卒業することになったのです。そんなリョウタロウくんに対し、いさどんからは「少し長い付き合いでしたが、ゴールのテープを切りましたね。しかし、ゴールを切ったら、それは次のゴールに向かってスタートを切ったということです。そして、いつかは次の目標達成といきたいものですね」と伝えられました。

ケア滞在の途中で21歳の誕生日を迎えたリョウタロウくんは、大人としての自立への道のスタートを切ったばかりです。これからリョウタロウくんがリョウタロウくんらしく健全で充実した人生を歩まれますよう、今後も木の花ファミリーの皆でサポートさせていただきます。まずは卒業おめでとうございます。

 

「卒業コンサートでのかっちゃんからのメッセージ」

おめでとうございます。リョウタロウくんとは、鶏のお世話で長いこと一緒に仕事をさせてもらいました。そのような中で思ったことは、頼んだことはきっちりやってもらえて、根気があるということです。昨年は玉ねぎの出荷がとても多くて、毎日毎日長時間その作業があったのですが、はじめ、リョウタロウくんはハサミもあまり上手に使えなかったのが、今では上手に使えるようになりましたし、最後までペースが落ちることなく、毎日毎日続けてもらってずいぶん助かりました。

鶏のお世話でも、ちょうど若鶏の産卵のしつけの時だったので、私ひとりでやっていると、座っている若鶏を見つけてしつけをしようとしても、もうそこで産んでしまうことが何度もあるのです。でも、リョウタロウくんにお願いしたら、最初の頃は失敗して若鶏に逃げられることもあったのですが、しばらくするととても上手になって、100%の成功率でしつけをしてもらって、とても助かりました。また、リョウタロウくんがつれていくと、鶏が暴れないのです!今度また、若鶏の産卵のしつけをする時期になったらお願いしますね♪ありがとうございました。卒業おめでとうございます。

 

「卒業コンサートでのいさどんからのメッセージ」

今日は、木の花ファミリーの長い歴史の中で自然療法プログラムを提供してから初めてのトリプル卒業コンサートです。一日に3人の卒業式を迎えました。それが良かったことなのかと言うと、今の日本社会にこういったプログラムを必要とする人たちがたくさんいるということの現われでもあるのですから、それは悲しいことでもあります。ここでは、通常の医療機関ではなかなか治らない人たちが滞在し、健康を取り戻していきます。一般の医療機関で精神病として診断され、顕著な症状が現れている多くの人は、投薬治療などのわかりやすい治療を受けるのですが、そういった人の中には本来薬が必要なのかどうなのか微妙な人たちもたくさんいるのです。しかし、そういった人たちにも医者は薬を処方する一方で、長い人生を不遇にしてしまっている人たちが世の中にはたくさんいます。それは本人の問題でもあるのですが、医療機関もそのような対応しかできない状態にあるのです。

「そういった状況を何とかしたい」という想いから、木の花ファミリーの自然療法プログラムは14年前に始まりました。なぜ医療現場でそのような現状があるのかと言うと、自らの人生を大切にし、自分自身を活かすということを当事者である本人が見出せないことが、一番の原因です。それは社会の成り立ちの問題でもあります。リョウタロウくんのケースにおいても、ここでのケア滞在の受け入れは通常3ヶ月までとなっているのですが、彼は結局半年間ここでケア滞在をし、今日の卒業に至りました。初めて彼に会った時には、「これは難しいケースだ」と思ったのですが、彼と話していくうちに、彼の奥に真理を探究する光のようなものを感じたのです。ほんの瞬間、それがちらっと観えた時、「彼の中にあるものを引き出してあげないといけない」と思い、彼のケア滞在がスタートしたのですが、案の定、3ヶ月での卒業は難しいものでした。そして、彼の取り組みのピークを迎えた時にも、やはり同じように彼の奥にきらっと光るものを感じ、「ここで彼を見捨ててはいけない」と思いました。3ヶ月プラス3ヶ月の6ヶ月間ということで、今までのケア滞在者の中で一番長いケア期間となりましたが、今日、無事に卒業を迎えることができました。

先程、かっちゃんがリョウタロウくんのエピソードを紹介してくれましたが、彼は鶏にはよく合うのです(みんな、笑)!そういった人が今の社会には合わなくても、次の社会には合うとしたら、彼のような人たちが今の社会に合わないからダメということではなく、そういった人々の個性が活かされる場所が必ずあるのです。それを探してあげることが優しい社会ですし、それができるために私たちはこの歩みをしているのです。そういった意味で、今回の卒業コンサートを通し、この活動の意義を強く感じさせてもらいました。ありがとうございます。

皆さん一人ひとりが目覚め、自分の力で健康に生きていっていただくことを提供している木の花ファミリーは、社会的にも重要な役割を果たしていると思いますし、これからもこうした健康な社会を創っていく活動を続けていきます。時代は今、大きく転換しようとしています。それを受けて、一人ひとりの花が今、咲き出したのです。

今日卒業された皆さん、卒業おめでとうございます。人には、一人ひとりオリジナルな個性と物語があります。自分を大切にし幸せにするのは、あなたしかできないことです。これから皆さんがあなたらしく花を咲かせていくことを心から願っています。

 


「A clear sky − 澄んだ空の下で」〜 15歳のかのちゃんのスピーチ

ファミリーの中学三年生・かのちゃんは中学校を代表し、9月7日、「第55回富士宮市英語暗誦・弁論大会」に出場。「A Clear Sky (澄んだ空の下で)」というタイトルのもと、自分の人生を蓮の花にたとえ、不登校時の泥の中にいたような状況から、新たな地で様々な出会いを経て、美しい蓮の花を咲かせるために毎日成長している様子を詩的に英語で表現しました。その結果、「自作の部」で二位となり、「静岡県中学校東部英語弁論大会」へと進むことになりました。

それから約2週間後の9月21日に迎えた東部大会では、かのちゃんの心からの笑顔で聴衆を魅了し、参加者の中で一番大きな拍手をいただいたのでした。審査員曰く、「この弁論大会ではいかに心に訴えるのかが大切です」ということで、「なによりも内容が素晴らしい。そして内容と人柄が合っている」と審査員からも絶賛されたかのちゃんは、見事優勝に輝いたのでした。

そうして、県大会出場への切符を手にいれたかのちゃんでしたが、その2週間後の10月4日に行われた県大会では、「緊張はしなかったのだけど、あまり気持ちが乗らなくて少し後悔が残っています」とかのちゃんが言うように、自分らしさを発揮することができず、また参加者のレベルも高く、残念ながら全国大会へと進むことはなりませんでした。

しかし、今回の英語弁論大会への出場を通してたくさんの学びを得たかのちゃんの心は一回り大きくなり、弁論大会後、「この悔しさをバネにして、将来も頑張っていきます」と語りました。そうしたかのちゃんの一生懸命に取り組む姿は私たちに感動を与え、ファミリーの子どもたちも英語に興味を持つようになるなど、皆に大きな影響を与えたのでした。

そんなかのちゃんを精神的にサポートしてきたいさどんはこう語ります。

「この弁論大会を通して、僕はかのちゃんに『言葉に魂を込める』ことをアドバイスしてきました。そして東部大会の前日に彼女のスピーチを聞いた時、『やっと、かのちゃんの言葉に魂が響いてきた。今までで一番良い出来だ』と思いました。ですから、彼女の英語の実力以上の響きが弁論会場に鳴り響き、東部大会での優勝につながったのでしょう。

実は先日、僕にあるビジョンが湧いたのです。それは、彼女が大人になり、大勢の人たちの前で英語で話しているというビジョンです。ここには、世界に向けて新しい時代を切り開くために、その見本として伝える重要なデータがたくさんあります。僕はかのちゃんの英語を聞きながら、『次世代の適任者がここにいる』と思った時に、『今回の弁論大会はあなたの人生の中の階段の一段にしか過ぎない。階段はまだずっと続くんだよ。それを踏まえて、今後も精進してもらいたい』とかのちゃんに伝えました。

今、英語は世界の公用語ですから、将来、英語で木の花の精神性を伝えるかのちゃんの姿が観えたのです。最終的には、かのちゃんには聖なる者として聖なる人生を生きてもらいたいと思います。

僕は、彼女が全国大会へと進むだろうと思っていましたが、残念ながら全国大会への入賞はなりませんでした。彼女は少し残念そうでしたが、『私には次の道がある』ということを知っていました。もう次のスタートであることも確認し合いました。そして、『こういった挫折を経験することは、蓮の花が泥の中から咲いてくるのと同じことだね』ということも確認しました。

実は、『中学校の英語弁論大会が終わったら、今度は高校の英語弁論大会の準備だね』という話もしたのです(笑)。今回、彼女はとても良い経験をしたのですから、これを次のスタートに変えていくことがとても楽しみです。そして、たくさんの人たちが彼女の物語に付き合い、支えてくださって、どうもありがとうございました。」

小柄な体のかのちゃんの中には大きな魂が秘められているのを感じる今日この頃。近い将来、かのちゃんが世界中の人々に心の大切さを語っている姿が目に浮かぶようです。そして、かのちゃんはかのちゃんらしく人生の花を美しく咲かせることでしょう。

以下、かのちゃんのスピーチ全文をご紹介します!
(末尾に日本語訳を掲載しています。)

 

 

A clear sky

In early summer lotus flowers begin to bloom around my house. I’m always impressed with the beautiful flowers from the muddy pots. Looking at them reminds me of my past.

I was in the sixth grade when I stopped going to school. I didn’t like to study at all. I thought there was no need for me to attend my classes. I took care of my younger brother at home. I also spent my days doing things I liked to do. People around me often said “Go to school, or you’ll be in trouble.” I ignored all their advice. I was very selfish. I hate to admit it but I was stuck in the mud.

I came to a turning point in my life when I was thirteen. My family moved from Hokkaido to Fujinomiya to a community that consists of 100 members who received us warmly. I felt I was a part of this big family. For the first time I tried to be more open and talked with people of all ages.

One day an older man from the community said to me “Go to school, then you will be able to have experiences necessary for your age. His words echoed in my mind. I tried to check myself again and again. Finally, I admitted that I had been making excuses to avoid school. It was time for me to go. I felt brighter and I looked forward to having new friends.

I enrolled, but had some troubles at my new school. I had a conflict with one of my classmates because of some communication on LINE. He and his close friends began to bully me. I was sad. I wanted to change and build a better relationship with them. In the past I would just blame everybody else and escape from school. But this time I asked myself. “What have I done?” I discovered that I was also wrong. I tried to listen to their opinions. Little by little they became friendly to me. They helped me to see things from many angles. It was time for me to grow.

I didn’t like science and math before. Should I give up on these subjects again or try harder this time? I decided to spend more time studying them. I read my textbooks in advance. Every time I solve the problems by myself, I’m excited like a scientist who discovers something new. I realized that a little more effort on what seemed so difficult can be interesting.

I enjoy my school life now. The simple school routines like, the morning greetings, handing in my assignments on time, serving school lunch and so on, make me more responsible. Working with my juniors is very challenging. Taking all the tests is very nerve-wracking. Playing soccer with my team is exciting. Listening to the teachers can be interesting or sometimes boring. Everything has a meaning and I’m growing every day. I treasure all these experiences and the friendships.

I remember the passage I read before “Every child is a different kind of flower and all together makes this world a beautiful garden.” I will continue to open my heart and work harder. I’m determined to bloom like the lotus flower under the clear blue sky. What about you? What kind of flower are you? I’m excited to see you bloom too.

 

澄んだ空の下で

初夏、私の家の周りでは蓮の花が咲き始めます。私は泥の鉢植えから咲く美しい花にいつも感動しています。蓮の花を見ることで、私は過去を思いだしました。

私は6年生の時、学校に行くのを止めていました。勉強することが全く好きではありませんでした。私は授業に出席する必要が無いと思っていました。そのかわりに、私は家で、弟の面倒を見ていました。また、自分の好きなことをしながら、日々を過ごしていました。周りの人たちは、「学校に行かないと、困ったことになるよ」と言いました。私は全てのアドバイスを無視しました。私はとてもわがままでした。認めたくはありませんが、私は泥の中で行き詰っていたのです。

13歳になった時、私は人生の転機を迎えました。私の家族は北海道から富士宮へ引っ越し、100人で構成されているコミュニティーが私たちを温かく
受けいれてくれました。私はこの大家族の一員であると感じました。私は生まれて初めて、心を開こうとし、すべての年齢の人と話しました。

ある日、そのコミュニティーの老齢の男性が私に言いました。「学校に行ってごらん。そしたら、あなたの年にとって必要な経験をすることが出来ます。」
彼の言葉は私の心に響きました。私は自分自身を何度も何度も振り返りました。最終的に私は学校に行くことを避けるために言い訳をしていたことを、認めました。私が学校へ行く時が来たのです。私は心が晴れたように感じ、新しい友達を作ることを楽しみにしていました。

私は入学しましたが、新しい学校でも問題に出会いました。私はLINEで同級生の一人と喧嘩をしました。
彼と彼の親しい友達たちは私をいじめ始めました。私は悲しく思いました。私は自分が変わって、彼らと良い人間関係を築きたいと思いました。以前なら、私は皆を責め、学校から逃げましたが、今回は自分にたずねました。「私は何をしたのだろうか。」私は自分も悪いことをしたということが分かりました。私は彼らの意見を聞くようにしました。少しずつ、彼らは私に優しくなりました。彼らの存在は私が色々な視点から物事を見るのに役立ちました。それは、私が成長したトキでした。

以前私は数学と理科が嫌いでした。再びその科目を諦めるべきなのでしょうか?それとも、今回はもっと頑張るべきなのでしょうか?私はそれらの科目を勉強することにもっと時間を使うことを決めました。私は事前に教科書を読みました。自分で問題を解くときはいつも、新しいものを発見した科学者のようにワクワクします。私はとても難しいように思えることでもちょっと努力すれば、面白くなることに気付きました。

私は今、学校生活を楽しんでいます。シンプルな日課、例えば、朝の挨拶や、期限通りに宿題を出すこと、給食をくばることなどは、私をより責任のある人にします。後輩と活動することはとても難しいです。テストを受けることは、神経がすり減るようです。チームでサッカーをすることは、とてもワクワクします。先生の話を聞くことは、面白いですが、たまにたいくつです。全てのことには意味があり、私は毎日成長しています。こうした全ての経験と友情は私にとって宝です。

私は以前読んだ一節を覚えています。「全ての子供は違った花で、その全てが共にある時この世界を美しい庭にするのです。」私は心を開くことを続け、もっと一生懸命取り組んでいきます。私は澄んだ青空の下、蓮の花のように花開くことを決意しています。あなたはどうですか?あなたはどんな種類の花ですか?あなたも花を咲かせることに、私はワクワクしています。