ファミリーの節分祭 Part II

(ブログ管理人のいさおです。節分祭のPart Iを掲載したのですが、Part II以降がすっかり遅れてしまいました。動画を掲載したかったのですが、それが難航しているうちに時間が過ぎてしまいました。遅くなりましたが、写真でお楽しみいただければと思います)

鬼の舞い

節分祭のクライマックスがこの「鬼の舞」です。鬼は人の心を見透かして、今年一年の邪気を祓う大切な役割を担います。今年は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が舞うとされている「山見鬼」を須佐乃王、鬼の大将つまり閻魔様であり、国常立大神(くにのとこたちのかみ)である「榊鬼」をひろっちが、そしてを大和、翔太、龍音の3人が「赤鬼」を演じてくれました。

今年は初回の練習の時からいさどんが立ち会って舞いの流れを一緒に決め、ポイントを教え込みました。5人は毎日夕食後に集まり、そのアドバイスを元にもとに真剣に練習を重ねていきました。

山見鬼は「山割り」といって、舞い場の地面にまさかりを振り下ろす所作をします。このことによって大地がひび割れて耕され、「生まれ清まり」が起こる、ということを表しています。

榊鬼は国之常立神という地球を体とする神です。山見鬼によって山割りされた体からあらゆる生命が産み出されるという意味を持たせ、生命力あふれる躍動感を表現しました。

本番では、赤鬼の3人は重い鬼の面をかぶり、全員がいさどん手作りの重いまさかりを持って舞いました。客席の盛り上がりに応えて、練習よりも長く激しい舞いを汗びっしょりになってやり通したのでした。須佐乃王は部活で痛めた足をものともせず、練習でも本番でも力を出し切っていました。

鋭い目でにらみつける榊鬼(左、ひろっち)と山鬼(須佐乃王)

獅子舞、田子作

鬼が邪気祓いをして清められた舞い場におめでたい獅子舞が和やかな空気をもたらします。今年の獅子舞はまこっちゃんとまっちゃんの2頭立て。掛け合いで動きのある舞いを見事に表現し、最後は獅子の口から「愛」と「お米」の文字が出てきて、皆を楽しませてくれました。可愛い小学生と幼児の獅子舞も出てきて、皆の笑顔を誘っていました。

獅子舞との滑稽なやりとりで皆を笑わせる田吾作は、3年前から翔太が演じています。鬼の舞でも赤鬼を演じた翔太は、忙しい合間を縫って従来のストーリーに自分なりのアイディアを加えて、一生懸命に演じてくれました。

ユーモラスな獅子舞
獅子と田吾作

豊穣の舞

節分から一夜明ければ立春正月、農業暦では種まきの始まりです。鬼が邪気を祓い、生命力があふれた土壌に、神様が静かにやってきて、種をまきます。

天の恵みをもたらす「天の神」をようこちゃん、地から湧いてくる生命力を表す「地の神」をのんちゃんが踊ってくれました。天と地のふたつの神がそれぞれに躍動し、溶けあう姿は美しく、皆、しばし時間を忘れて舞いに見とれていました。

地の神(左、のんちゃん)と天の神(ようこちゃん)

りおちゃんの朗読

1月6日から心身の改善のためケア滞在している19歳のりおちゃんは、中学生の時に全国朗読コンクールで第3位に選ばれた経歴の持ち主です。

メンバーのさのっちが、そんなりおちゃんに自分のお気に入りの詩の朗読をリクエストしたところ、りおちゃんは早速、みんなの前でその朗読を披露してくれました。

ぜひ、皆さんもりおちゃんのプロ級の朗読を聞いてみてください!

[audio:http://blog-konohanafamily.org/wp-content/uploads/2010/02/20100228080047_rio_reading.mp3]

「聖フランシスコの平和の祈りより」

神よ 私をあなたの平和を実らせるために用いてください
私が憎しみのあるところに愛を
もたらすことができるように
また争いのあるところに和解を
分裂のあるところに一致を
疑いのあるところに真実を
絶望のあるところに希望を
悲しみのあるところに喜びを
暗闇のあるところに光を
もたらすことができるように
助け導いてください

神よ 私に慰められることよりも慰めることを
理解されることよりも理解することを
愛されることよりも愛することを望ませてください
私たちは自分を与えることによって与えられ
進んで許すことによって許され
人のために死ぬことによって
永遠に生きることができるからです

「マザー・テレサの言葉」

人生はひとつのチャンス 人生から何かをつかみなさい
人生はひとつの美 人生を大事にしなさい
人生はひとつの喜び 人生をうんと味わいなさい
人生はひとつの挑戦 人生を受けて立ちなさい
人生はひとつの責任 人生を全うしなさい
人生はひとつのゲーム 人生を楽しみなさい
人生は富 簡単に失わないように
人生は神秘 そのことを知りなさい
人生は悲しみ それを乗り越えなさい
人生は冒険 大胆に挑みなさい
人生は幸運 その幸運を本物にしなさい
人生はかけがいのないもの 壊してしまわないように
人生は人生 立ち向かいなさい


答えはここにありますよ

2月11日の夜に放映されたNHKスペシャル「ランドラッシュ」世界農地争奪戦を観終わった後、皆で感想をシェアする時間がもたれました。たっちゃんを皮切りに皆の想いがとめどなく言葉となってあふれてきた、シェアタイムの結末は。。。今回のブログではその時の様子を紹介します。

(番組概要)

穀物価格再上昇で新たな食糧危機が懸念される今、アフリカや東欧の農地を外国企業が囲い込む「ランドラッシュ」と呼ばれる争奪戦が激化している。多くは国の後押しを受けた進出である。「新植民地主義」との批判を受けながらも、進展するランドラッシュ。このままでは締め出されると焦る最大の輸入国・日本は、将来の食をどう確保するのか。慢性的な食糧不足の時代に備える国家の戦略に迫る。

○たっちゃん
「戦争」を思い浮かべた。旧日本軍の満州進出を想像した。この後の世界がどうなっていくのか?今は見えない。データがないので物理的には考察できないが、日本の自給率向上見込みと海外農地取得の必要性とのバランスはどうなっているのか、勉強が必要。

分離感を感じる。心が現象として現れている。最終的には世界中の人々の心が一つになるきっかけになるなら、良い傾向ともいえる。進出した国の土地荒廃を防いで食料を分かちあえるということができるなら。

○なかのん
不安な心から動いていて、それが現象に現れている。土地を確保しても全然嬉しそうではない。信頼でつながったらもっと違った景色が見えるだろう。

○こうちゃん
この番組は未来の提示に欠けている。今の生活を続けていくという前提に立った番組。分かち合うという考え方があれば、躍起になって土地を確保する必要が無い。またみんなが菜食にすればすぐに解決する。肉食のために大量の穀物が消費されている。

○みかちゃん
現状は現状として認識。地球上で生産されている食料は足りている。供給のバランスを欠いているだけ。おかしいのは、時間が来るとまだ食べられるのに処分されていく弁当やハンバーガー。全く需要と供給のバランスを欠いている。

一人ひとりの心のあり方が大切。システムというより一人ひとりの意識の改革が大切。

○まっちゃん
なんでNHKはこの番組を作ったのだろうか?という疑問が湧いてきた。この番組を見て、では何をしたらいいのか?

○えみちゃん(アメリカからのゲスト。日本とアメリカの国籍を持つ)
世界が一部に牛耳られている。パニックを引き起こしてコントロールしやすくする。人々の無意識にすりこむ・・・ただあせりを感じる。みんながここの場のように深く語り合う場があるわけではない。ちょっと聞きかじって不安のイメージをすりこまれ、それがある時、ちょっとしたきっかけで一斉に一方向に流される。そうやって世論とか流行が作られる。

○みかちゃん
まるで地球神=国常立尊(くにのとこたちのみこと)の体=我々の体を切り売りしているようなもの。人に影響されないために神とつながることが大切。

○えみちゃん
私は、やっぱり歌と踊りが大切だと思う。歌と踊りは国を越えてつながることが出来る。

○こうちゃん
ここはまさにそれがベースになっている。

○みかちゃん
そう。私は歌を歌うけれども、いつも我々はもともと一つであり、初めて会った人でも久しぶりに会った家族と思って迎えている。だから初めて来た人でも、おかえりなさい、なんだよね。

○いさどん
ランドラッシュに参加しようとするものの精神の貧困さに気付くべき。日本がちょうど景気が低迷していて商社も消極的で良かった。こんなことに加担していなくて本当に良かった。

本当に現地のためにも先進国のためにもなるのは、現地に移住して、個人的に農業をはじめて食料を自給すること。そうすれば荒廃農地を保全し、先進国の人たちも食糧危機の不安がなくなる。

すぐれた生き方とは、たくさんの情報を知って、かつ惑わされず、解決策をとっていくこと。もっとも簡単な解決方法は肉食をやめること。

○たっちゃん
世界中が肉食をやめたら800億人が養えるらしい。日本だけで肉食と廃棄物をやめたら、世界人口の60億人も養えるのではないか?と思えてくる。

○ともみ(心を見つめるためのケア滞在中)
木の花に来て、合掌いただきますをして、みんなと心を合わせると、食べすぎがなくなる。不思議だな~と思う。

○いさどん
みんながつながって、安全、安心で愛豊かに生きるとストレスがない。ストレスがあると、食べ過ぎたり、ギャンブルに走ったりする。今の社会はストレスを生み出すことで医療、福祉、保険、癒し産業、娯楽などの経済を成り立たせている。

ここの生活を世の中に提示しても、すぐには受け取ってもらえないだろうなという思いが湧いてくる。木の花は世の中の2歩先を行っていると思う。一歩ならまだ理解できるが、二歩先だとなかなか難しいだろう。でも、確実に後を継ぐものたちが現れ、育っている。

○さのっち
僕も大学で仕事していて思うけれど、まだまだ社会の中枢にある人たちは国益というところを抜けられていない。 先進的な意識を持った若い世代も増えているけど、まだ組織の中で意思決定できるポジションまで行ってないんだよね。

ここで、人間が試されている。利益確保のため競争を激化させるのか、みんなが幸せに生きるために智慧を出しあうのか。 大事なのは、これは単に食糧の問題ではなく、「幸せ」とは何かということ。贅沢をしたり、たくさんエネルギーを使わなくとも健やかで安らかで、満ち足りていられる というモデルを本当にみんなが探し出している。

○こうちゃん
まっちゃんのさっきの答え。ここがまさにその答えを生きている。土地を痩せさせずに食料を生産できる農法と、持続可能な生活を維持するための心がある。我々は惑わされることなくこの生き方を淡々とやっていけばいい。

皆で感想をシェアした結果、結局はここの生活が解決策になるね、という結論に至りました。最後には、私たちは世の中が必要とした時にいつでも、「もうここにありますよ」と提示できるように、この生活を続けていこうという意思を皆で確認する場となりました。

よろしかったら、皆さんのご感想も聞かせてくださいね。


日本の肝っ玉母さん!

もうすぐメンバーになって2年になるあっちゃんは、ここに来る前、「皆も楽しく自分も楽しく皆と共に暮らすこと」というイメージを持っていました。ここのテレビ放映を見て、「自然と共にあり、心を磨く生活が実践できる」と思い、10年続けていた看護師の道から皆と共に暮らす道を歩み始めました。

メンバーになった当初、力持ちで体力に自信があるあっちゃんは畑作業で重宝されていましたが、全体の流れから子育てを担当することになりました。「子供がそもそも苦手だったから、私にできるの?って拒否反応が出たの」と今では笑いながら話すあっちゃんですが、当時はただただ子供の様子を見張っては怒ってばかりでした。部屋を汚くしたら怒る、自分の思い通りにしないと怒る、そんなあっちゃんに「あっちゃんはいつもいばってる」と4歳のみこに言われたことをきっかけに、自分の姿勢を振り返るようになったそうです。

「その後もいろいろな現象をいただきながら、いつの間にか子供に対する苦手意識もなくなっていたの」と話すあっちゃんは、最近メンバーからも、「楽しみながら子育てしているね。心にゆとりがあって安定してきたね」と言われるようになりました。「信じてやり続けることが大事だなって。目の前にいろいろなことがあったとしても、相手を想い、相手の成長を信じて接することを心がけています。今は、子供に限らず皆が楽しく生きていけることを願っています。」

子育てをしながら、子供たちに育てられてきたあっちゃんは、「皆も楽しく自分も楽しく皆と共に暮らすこと」がいつの間にやら実現していたことに気づきました。今日もあっちゃんのまわりからは、楽しくにぎやかな子供たちの笑い声が聞こえてきます。

表情もやわらかく、やさしくなったあっちゃん

恋は求めるもの、愛は与えるもの

今回は、メンバーのひろっちが大人会議で皆とシェアした
最近の気づきについて紹介したいと思います。

ここ、富士の裾野に来て、3ヶ月ちょっとが経ちました。
今月1日には、京都の実家に残してきた奥さんと
生後間もない娘を、こっちに迎え入れることが出来
ようやく家族3人が揃って毎日を過ごせることが出来るようになりました
これは本当に有難いものです ^^

毎日、天使のようなあやなちゃんの笑顔を見て
まだまだ軽いあやなちゃんを抱っこするのが
どれだけの喜びに繋がっているか知れません

そして今回、3日ほど前から風邪で寝込んだことで
こっちへ迎え入れたものの、なかなか夫婦でゆっくり話をする機会がなかったのだけど
運よく、その機会を持つことが出来ました。
そしてその中で、大きな気付きがいくつかあったんだけど
その一つを今回はシェアさせて貰いたいと思います。

「恋はもとめるもの
 愛は与えるもの」です。

この言葉は、何も僕が言い出した言葉でないことは誰でも分かるかと思います。
きっと誰しも今までどこかしらで、耳にしたことはあるはずでしょう。
でも、僕自身、はっきりとその違いを認識するにはこれまで至っていませんでした。

ところが、今月頭に奥さんを静岡に迎え入れ、その後の急速な変化を見ることで
自分の中にあった感情や、想いの変化を見せて貰ったことで
これまで奥さんに向けていた意識というものを知ることが出来ました。

簡単に言うと、それは
愛ではなく、恋だったと思います。

もう少し分かりやすくいうと、奥さんに何かを求めていたことに気がついたのです。
求めていたものとは様々なのですが
それに対して、不満足な感情や物足らなさ
もっというと、そういうものからくる疑いの気持ちなんかがあったようで
それが、こはるちゃん(奥さんのこと)に対して、冷たい態度になったり
攻撃的な接し方になっていたりしたのです。

そういうような態度になって出るのは
無意識的に、見返りではないけれど
「求める気持ち」ってのがベースにあったからだと気がついたのでした。

そしてそれは
「見返りもなく、求める気持ちも無い、 無条件の愛」
では決してないということに同時に気がつきました。

「そうか!!  愛ではなかった!! 
 だったらなんだったんだろう・・・・・・・???

 ・・・・・・・・・・・・そうか・・・・・
 ・・・・・・・これは恋なんだ・・・・・・・・

相手から何かを得ようと思ったり
相手そのものを得たいと思う気持ちや
相手に、何かを要求する気持ちは
そのものの相手を100%認め信頼し
温かく見守るのとは違う!!

それは恋ってやつなんだ!!!」

って思ったんですね。

そうして初めて、これまでも幾度と無く耳にしてきた
「恋は求めるもの
 愛は与えるもの」
ってことの意味を少し分かったように思います。

『愛』とは、求めるのではなく
認めたうえで、さらに思いやりとして
さらなる成長を願ったりする
ただただ気持ちを向けるだけのもの
与えて与えて、どこまでも要求せずに与え続けるだけのものなんだ!!
って感じました。

これまでこはるちゃんに向けていた僕の気持ちは
『恋』のレベルだったと知りました。
これまではそれでよかったかもしれません。

でも、これからは、そこからさらに段階を上げて
『恋』を『愛』に成長させ、お互いに『愛』を向け合った
パートナーシップにしていきたいと感じたのでした。
そしてそれは、こはるちゃんだけに限ったことではなく

自分の周りにいてくれる全ての存在に対しても同じなのでしょう。
共に暮らす沢山の家族
これまで心通わせてきた沢山の仲間達
これまで出会ってきた全ての人たち
これから出会う全ての人たち
僕を生かしてくれるこの雄大な大自然
母なる大地 
無限なる宇宙

それら全てに対して
僕は「恋せず、愛を向けていきたい」
と感じました。

こんな気づきを得られたのも
ひとえに今回風邪をこじらして、寝込んだことで
ゆっくりと夫婦で語り合う時間が取れたからでした。
風邪に感謝です^^
おかげでとってもいい時間を過ごすことが出来ました。

ここ、世界一美しい富士山の裾野より
日々の全てに、心からの感謝を込めて
今日も一日最高に有り難うございました。

ひろっちに抱かれ嬉しそうなあやなちゃんと、二人を暖かく見守るこはるちゃん。