





















May the miracle of Christmas fill your heart with warmth and love.
Christmas is the time of loving, giving and sharing.
Merry Christmas to everyone! with Love, Catherine
(クリスマスの奇跡が皆さんの心を暖かさと愛で満たしますように。
クリスマスは、愛し、与え、分かち合うときです。
皆さん、メリークリスマス! 愛とともに キャサリン)
Hi ちなっぴです♪ 宇宙旅行から帰ってきたので、キャサリンと選手交代します!
(詳しくは木の花ブログをご覧くださいね)
今日は、イエス・キリストの誕生日です。皆さんは知っていますか?イエス・キリストは、神の御子として地球に降り立ったんです。愛の光をもたらすために。
実は、あなたも一緒なんですよ。魂は光でできていて、光は太陽から降り注いでいます。だから、皆ひとつなんです。
木の花ではよく、「毎日が誕生日」と言われています。私たちは、太陽が昇るたびに、新しい命をいただいています。だから、いつも新しく始められるんです。キャサリンは、「クリスマスは、愛し、与え、分かち合うときです」と言っていましたが、毎日、愛し合い、与え合い、分かち合える暮らしがここにはあります。
これからは、多くの人がこのことに気づき、世の中がもっともっと愛でいっぱいになります。今、世の中にある様々な対立は、愛の光で消え去っていくでしょう。皆、ひとつなのですから。
皆さん、こんにちは。よしどんです。
去る12月19日から20日にかけて、「いのちの村ネットワーク」主催の交流会が千葉県の鴨川エリアを舞台に行われました。
参加者は子どもを含めて総勢で35名。夜の交流会には、現地の方も20名近く参加してくださいました。
今回の2日間の交流会を現地でコーディネートしてくださったのが林良樹さんです。10年前に鴨川に移住して、地域通貨「安房マネー」の運営や、NPO法人「うず」の運営を通して、この地域で人と人のつなぎ役となり、コミュニティ作りに尽力されている方です。
今回の交流会は、ひとつの地域でゆるやかにつながり始めている様々な拠点を訪問して交流するスタイルで行われました。訪問させていただいた拠点は、以下の通りです。
二日間でこれだけのところを訪問させていただくということで、比較的タイトなスケジュールだったのですが、受け入れてくださった方々が皆さんとてもゆったりされていて、落ち着いた交流のひとときを楽しませていただきました。
ぜひ、皆さんも実際にご覧になったり、ホームページをのぞいたりしていただきたいのですが、どの訪問先も、家や室内がとてもお洒落だったのが印象的でした。空間全体が丁寧にデザインされていて、その営みをされている方の愛着とこだわりがよく伝わってきました。
取り組みはそれぞれ違えど、皆さんが生活自体をアートしていて、そこにこだわりを持ちつつもオープンな雰囲気を作り出していました。
今回訪問した地域では、それぞれの想いを持って暮らす方々によってゆるやかな、しかし確かなつながりが作り出され、成熟した地域コミュニティができつつあります。
地域通貨の「安房マネー」も、実際に使っている方々の話を伺ってみて、人と人の絆を強くするツールとしてネットワークづくりに役立っていることが実感できました。
最近では、この集落に移住をしたい若者が増えていると林さんはおっしゃっていました。実際に、「いのちの村ネットワーク」のメンバーからも子どもを含めて6名がつい最近移住しています。
田舎暮らしや農的生活、地域の活性化、そしてエコビレッジに興味を持つ方が、近頃ますます増えてきたことを実感しています。ただ、現実の行動に移している方は、まだ多くはないかもしれません。
自分の智恵と工夫で、まずは行動すること。そのことの大切さを、今回の訪問で改めて感じました。
エコビレッジに3年以上住んでいる僕でも新鮮な驚きがあり、新たなイメージや視野が開けましたし、現地の方々と新たなつながりを得ることもできました。
興味のある地域や、営み、団体があれば、まずは直接触れてみることから新しい展開が開けると思います。そのきっかけとして、「いのちの村ネットワーク」に参加するのもひとつの手かもしれませんよ!あなたも、この流れを一緒に作り上げていきませんか?
次回の交流会は来春に開催予定です。日時や場所は未定ですが、もうみんなで次を楽しみにしています。メーリングリストでのやりとりを通して、みんな企画を練り上げていきたいと思っています。








11月2日からESP参加のために、木の花に滞在しているひろっち。京都出身のひろっちは、みろくビレッジプロジェクトの現地リーダーでもあります。大本教の家で育ったものの、18歳で就職をきっかけにいったん家を離れたと時を同じくして、一度は自分の中で大本と距離を置き、「真理とは何だろう?」と自ら探究する道を歩み出しました。そうして真理を探究する10年の末、辿り着いたのは、自分がもともといた大本教だったそうです。そんなひろっちは、去年12月には死んでもおかしくなかった落下事故で無傷の経験をしました。自分が生きているのではなく、“生かされている”ということをまさに体感したひろっちの、最近の神様話を、今日は皆さんとシェアしたいと思います。
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ある日の昼食の席でのこと。「ひろっちは、お正月実家に帰ったら、肉や魚は食べるの?」とラブちゃんに聞かれた時に、「肉はもうずっと食べてないから、食べないよ。魚も養殖は食べないけど、天然ものに関しては、自分で買いに行きはせんけど、出てきたものに関しては食べるかもね」と答えた。みっちゃんときょうこちゃんがそこで、「えっ、食べるかもしれないの?」と言ったことから、この一連の流れが生まれた。でも、それはあくまでただのきっかけで、食生活で肉を食べるんだとか、魚を食べるんだとか、論点はそこではなかった。
次の日のお昼休みに、よしどん、いさおちゃん、りょうちんと話していた時に、この議論の論点は「何を食べる、食べないじゃないんだ。我々は何でこの世に存在するのか。なぜこの世は創られたのか。我々はこのいただいた人生に対してどういう姿勢で向かうのか、そこだね」という話になった。
僕がそこで言ったのは、「一人一人の個性があって、一人一人の肉体があって、一人一人違う人生があるということは、その人その人の歩みがある。一人一人生まれてきた意味が違うし、学ぶことも違う。じゃあ、我々は、何のために生まれてきたのかというと、一人一人が真理とは何であるか自分で考え、自分で出した真理に基づいて自分の足で歩む。喧々諤々己の中で気づきながら、真理を探すために、それぞれに違う個性があり、違う人生があると思う」と言った。
「だから、食生活についても、どういう食が自分にとって健全なんだろうか、大事なんだろうかということを人それぞれ自分で見つけて、自分で実行していく。学ぶことは学んで、気づくことは気づいて、また新たな考えが生まれたらそれに沿って。要は、誰かが大事にしていることを自分で考えることをせずに取り入れることが健全なのかと言えば、一概にそうとも言えない。僕としては、いつまでたっても自分で道を求める人―真理を探し求める人でありたい」と話した。
それに対してよしどんは、「すごくよくわかるけど、何か違和感があるんだよね」と言った。僕も、「皆が僕に対して違和感を感じているのはわかる。でも、僕も皆と同じように皆に対して違和感がある。お互い違和感があるね」という話をしていた。よしどんは、「僕も昔そうだった。ところがある時から、頭で考えるのではなく、まずは委ねるという道を歩み始めたんだよ」って言ったんだ。
その日の夜、この話題が大人会議でも出て、とりあえずいさどんの「なぜ、木の花では菜食主義なのか」という話をひろっちに伝え、ひろっちの考えも皆で聞いた上で、皆でどう思うかを考えていこうという話になった。僕もそれがいいと思うと言ったんだけれど、果たしてそれを聞いたところで僕の考えは変わるかなと思ったら、多分変わらないと思っていた。
というのも、これまでにも僕はいっぱい環境問題についても、食糧問題についても、健康についても、その他色々なことについて勉強してきた。多分、ここにいる誰よりベジタリアンについても幅広く勉強してきたと思う。その上で自分はこれがいいんじゃないかと思っていたから、今さら聞いたところで僕が知っていることしか出てこないだろうし、そんなん聞いても変わらないやろなと思っていた。
よしどんもそう感じていて、「これは理屈じゃなくて、視点の問題じゃないかな。ひろっちは、自分の視点からしか見えていないから、自分の世界でしか考えられていない。その状況である限り、何を聞いても変わらないと思う」と言っていて、僕もそう思っていた。
それをまこっちゃんが気がつかせてくれた。前の日の大人会議や、それまでの一連の流れをどう思うか、どうしてもまこっちゃんに聞きたくて、次の日まこっちゃんと一緒の作業になった時に、「昨日の大人ミーティングの時、まこっちゃんはどう感じたの?」って聞いたの。そうしたらまこっちゃんは、「ひろっち、それって神様に聞いてみたの?」って言った。それではっとした。「あっ、聞いてなかった!!」って。
そして、それを聞いた瞬間、神様に聞いたらきっと何かが変わると思った。自分が自分のいる場所からしか見てなかったことに何となく感覚としてわかり、神様に聞いてみれば、きっと何かが変わると思った。「これは聞かなあかん。聞いてなかったわ、俺。これはすぐに聞かな!!」ということで、その日の夜、早速夜ご飯を抜いて、皆が夜ご飯を食べている時間、車の中で一人で神様に聞いてみた。
聞いてみたら、ビジョンが二つと想いを一ついただいた。一つのビジョンは、枝にぶら下がる赤く染まった楓の葉が、風にゆらゆらと揺れている。そしてその葉っぱは風で舞い、ヒラヒラと舞いながら下を流れる川面に落ちる。今度は川の流れにのって、サラサラとあっちこっちへ身を揺られながら流されてゆく、一枚の楓の葉のビジョン。そこから感じた想いは、「流れ、流されろ。」
もう一つは、「この世の中は喧々諤々とまだまだ問題は沢山あるだろうけど、最後は愛と感謝と善意の世の中にしかならないんだ。それ以外にはならないんだ」という「想い」。そして、神様が腰を下ろし、こっちを見つめているビジョンと同時に、「おまえはどこを見ているんだ。ここの人たちが採用している食生活だとか、大本の祭典で使われている作法や様式、日本の地域の伝統食だとか、それも全部大事なんだけれども、もっと大事なものがあるんだ。おまえはどこを見ているんだ。わしを見てないな。わしを見んかい」という想念が入ってきた。
その三つではっとさせられて、「ああ、ほんまや。見るとこ違ってた。自分たちの一番のもとの生みの親を見ずに、そこから発生したここのスタイル、あそこのやり方というのを見ていたな。ほんま、見るとこ違ってた」って思った。
神様から、「最後は、愛と善意の世の中になる。それは人間がやっているようで、本当は神がやっとるんだ。要は、おまえがやっとるんじゃないぞ。わしがやっとるんだぞ」と言われ、「うわあ、ほんまや」って。神様の手となり足となり、駒となって御用をさせていただこうと思っていたのに、いつの間にか、知らず知らず自分がやっている感覚に陥っていた。「そうやった、俺がやってるんじゃなかった。神様がやっているんだった」ということを思い出させて頂いた。
僕達は、生きてるんじゃなくて、無限の愛を持った大いなる存在によって生かされている。自分がやっているようで、やらさせている、させて頂いている。「ああ、僕は天の取次ぎ役でしかないんだな」って思った。「取次ぎマンだ!!」ってことに気がついた(笑)
その日の夜から、「神様、ごめんなさい、ごめんなさい」モードで、2日間くらいしゅんとしていた。でも、その2日後くらいからは、「もうしゅんとしている場合じゃないし、与えられたことをやるだけやな」とちょっとずつ元気を取り戻してきた。
そこからさらに数日後、かずこちゃんと作業をしながらいろんな話をしていく中で、かずこちゃんに、「いさどんのネガティブスパイラルの件から、一人一人が自分の足で歩む時に来たね。ここが始まって16年目になって、本当に大きな転換期に来た。あれがきっかけになり、一人一人が自分の足で歩むプロセスに突入したとことで、大きな変化が皆の中に生まれた。皆の中に神様がいるから、何かわからないことがあった時や、大事なことを判断する時には自分の頭で考えることも大事かもしれないけれど、一番大事なのは自分の中の神様に問いかけをして、そこに耳を傾けて、意識を向けて歩んでいくことが大事だね」と話した。
それを聞いたかずこちゃんは「そうか、一人一人が歩むってのはそういうことなんだ!ありがとう。今の言葉でイメージが湧いたよ。こういうことに気づかせて頂けるのは、本当にありがたいね!」と言った。そして僕は、「皆がそうなっていったら、ここが本当に健全で、さらに素晴らしいところになるよね」って話した。
ご飯を食べるより、畑を耕すより、寝るより、いさどんの話を聞くより、本を読むより、しっかり自分の中の神様とか、神様はまわりにもいるけれど、そことしっかりつながっていくこと。これほど大事なことは他にないなと。極端なことを言ったら、食べれんでも、水飲めんでも、寝れんでも、神様とつながっておくことさえできれば間違いないなと思ったの。今回の出来事を通じて、その大事さを思い知らされたのでした。