神様の世界を創っていくということ

今月の「木の花ファミリー通信」の『メンバー紹介』に登場したまゆちゃんは、この夏から始まった“禊”(8月15日の記事「あなたがあなたのままで出来ることがあります」をご参照ください!)を経て、現在は子育てチームとして、日々子育てに奮闘しています。
今日は、今から少し前、まだまゆちゃんが禊のまっただ中で思うように体が動かなかった時に、まことの家の一室からみんなに送ったメールをご紹介します。これまであまり自分の体験を語ってこなかったまゆちゃんが、禊を機に、少しずつ自分の想いをシェアし始めたのでした。
  

まゆちゃん
まゆちゃん

  
==== 1通目 ============================
  
みんなへ

前回と前々回の禊で、
自分が思った以上に体力と
筋力が落ちているのに
驚いています。
(軽くショック。)

頭と気持ちは、以前(それ以上に)より
元気で、動ける気満々なのですが、
体がついて行かないという
アンバランス状態です。

本当の自分に戻って行く
過程でもある気がしますが、
座り作業をさせてもらいながら、
休み休みの状態でいます。

ただ、気持ちはスッキリしていて、
ここまで身体的に削ぎ落とされないと、
こびりついたアカ、自分一人で
何でもできるという錯覚、傲慢さを
捨てられなかったと思います。

昨日の午後のおやつの時に
倉庫でみほちゃんやきょうこちゃん
みっちー達と話をしていて、
まだ自分には隠していたいと
思っているという気持ちが
あることに気がつきました。

今こうして、霊的な事をみんなに
伝えるようになって、

「以前からもあったの?」

という質問に、どうしても
すっきり答えない自分がいます。

答えは

「はい。」

です。

3、4歳くらいの記憶に、
たくさんの光や、銀河や、
星々や、音や言葉やイメージを
たくさん観ていました。

物や動物や小さな草花、
多くの神々様達とお話を
普通にしていました。

でも、最初からではありませんが、
それを変なことだと思っていました。
そして両親もそれを望んでいないことを
観じていましたし、観た物や聞こえる物を
伝えても、嘘として、怒られたり、
子供の言うことと流されたり。

自分が変なのだと思い、
その映像や音やメッセージを
観じなくなるように、
4、5歳くらいの時には、
自分の頭を柱に打ち付け、
目覚まし時計やおもちゃで、
自分の頭を殴っていました。
(もちろん親や兄弟から隠れてですが。)

そうすると、痛みの方が強くなるので、
そういったメッセージや映像に
気や心を向けなくてすむようになるからです。

その後も、体が動かなくなったり、
音を聞いたり、人の想いが突然聞こえてきたり。

でも、その頃は、テレビや漫画のお陰で、
それはお化けや幽霊で怖いもの、良くない物。
とりつかれて変になる。観ない方が良い。
と解釈していました。

実際大きくなるに連れ、そういう観覚は
現代社会の中では邪魔でした。

親や先生に気に入られるように生きてきた私は、
勉強や競争に勝って、いわゆる資本主義社会に
適応した優秀な人を目指していました。

神様の意向や人の想いや自然の声などは、
切り捨てて行く方が、良いと。

能力、いわゆるお金を沢山生み出し、
競争に打ち勝ち、人より上になろうとし、
でも人格者で尊敬される人であり、
うわべだけは人や自然を想う人を
装うという汚れに汚れた人でした。

そちらにひた走って行く中でも、
神様はちゃんと事あるごとに
私に見えない世界があることを
観せられました。

映像として、音として、
光として、人や人でない姿で、
UFOとして。

たまにふざけ半分でそういうのを
観じるんだと打ち明けると、大抵、

恋愛相談
悩み相談
怪談話
心霊スポットor写真
オーラ見える?
当たるの?
今見える?
UFOよべるの?
除霊して

などという興味本位な話や反応に、
驚きと、ただ私は自分の観える景色を
共に共有したいだけなのだけど、
まあ、ほとんどはお酒の席のいっせきに
笑いや盛り上げ話で披露するという
とてもお粗末な物でした。

まれに多少そういうことに知識や
興味のある人に打ち明けると、
今度はそれを妬まれたり、
羨ましがられたり、否定されたり、
変に持ち上げられたり、憧れられたり。

大学まで出て、現代社会にどっぷりだった
私の心も頭も汚れで一杯でしたし
当然の事と言えば当然の事です。

ただやはり、時々頂くメッセージや体験は
とてもリアルで、見えない世界を完全に
否定しきる事は結局できず、
そういうことは隠しながら、
でも心の奥深く、
魂では渇望していたのだと
思います。

ここに来て、それをしていい、
神とつながり、心を磨き、生きていいと、
神様とのつながりをこんなにも自分が
求めていたのかと、自分でも驚き、
涙したことも多々ありました。

まだまだ神様とストレートにつながるには
汚れ、くせ、余計な思考、無駄な知識が
たくさんあります。

まだまだ道理を、この宇宙の仕組みを
深く理解出来ていません。

隠さず出すことで、綺麗にして行きます。
みんなとの調和の中で、共に学びながら、
少しでも役にたてるようにやっていきます。

こうして自分を出せる場、
受け止めてくれるみんなに感謝します。

ありがとうございます。

まゆこ
  
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このメールへともことあやが返信し、
それに対して再びまゆちゃんからメールが届きました。
 

==== 2通目 ============================
  
ともちゃん みんなへ

ともちゃん、あやちゃん、ありがとう。

実際は、観えるとか観えないとかいうのが
自分でも良くわからないのです。

自分には普通に観えたり聞こえたりする中で、
他の人にはどれが観えてなくて、
どれが聞こえていないのか。

そして、私には観えないもの、聞こえないものが、
みんな一人一人個性的に普通に観えて、
聞こえているはずなんです。

なぜなら、みんなそれぞれ役割や得意分野が違い、
それぞれ神様から頂いて(自分で選んで)きているからです。

それぞれが担当しているところで、
みんなの観えている景色や、受けているメッセージ、
聞こえるものを私も知りたいと思っているし
それが表現されることで神様はとても喜びます。
それが神様の世界を創っていくということだから。

「霊的」とかそういう表現を使わなくても、
本当はもっと自然にそういう観覚で、
普通に生活して表現して、そういう風に
みんなと暮らしたいと思っています。

いさどんや、ようこちゃんや、私とかが、
特別なのではなく、みんながそうなんです。

あ、いや、私やいさどんや、ようこちゃんが
特別なように、みんな一人一人特別なんです。

みんなにも観えていて聞こえているはずなんです。

観えない、聞こえないともし想うなら、
それはただの汚れです。

自分とは違うところに、それがあると、
もし思っているなら、それは錯覚です。

同じところにあるんです。
そこら中に、みんなと共に。

役割として必要なことはしていきます。

でも、一人一人が天とつながり、内なる神様を
一人一人が表現することが最も大切なことで、
今私たちはそのためにここにいます。
  

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まことの家のテラスにて。 まゆちゃんは今週末、2週間のインドの旅に出発します!
まことの家のテラスにて。
まゆちゃんは今週末、2週間のインドの旅に出発します!

  
  


富士山の麓での75日間 〜 ファンちゃんの木の花ファミリー滞在記

先日このブログでも紹介した中国の美術教師ファンちゃんが書いたブログを、現在木の花ファミリーに滞在中のはすみちゃんが日本語に訳してくれました。

ファンちゃん
ファンちゃん

以下、ブログの全文をご紹介します。
中国語の原文、または英訳をご覧になりたい方は、下記のファンちゃんのサイトをご覧ください。
ファンちゃんのサイト
  
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富士山の麓での75日間
  
幸運なことに、成都芸術学校校長と学生たちとその父兄のみなさんから休暇の許可、そして木の花ファミリーからビザの支援を含むさまざまなサポートをいただいて、こんな長い期間木の花ファミリーのみなさんと一緒に生活することができた。

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これは私が出発する前に描いた絵。その時はこれからいったい何を体験し何を学ぶのかわからなかったけど、心の中にひとつだけわかっていたことがあった。それは、天がこのチャンスをくれたということ。そしてこのことはいろんな方々のサポートがあって初めて実現したんだから、それを忘れてはいけない、そのご好意を無にすることがあってはならない、初心を忘れずにこの75日間をちゃんと大切にしなきゃいけないと思った。

この日々の中で、私はたくさんの経験をした。そしてまた心の中に確かな変化が起きた。
私はこの過程をシェアすることで、読んでいるみなさんにヒントや啓発を提供できたらいいなと思う。感じたことや心の変化の過程をできるだけ思い出し描写して、私がどんな日々を体験したのかゆっくりみなさんにお伝えしたい。ひとつの同じストーリを見ても、ひとりひとり見るところや得るところは違うかもしれない。
 

富士山の麓ではたらく
富士山の麓ではたらく

 
今年の初め、私はネット上でひとりの友人と知り合った。その人を通して私は富士山の麓で暮らす木の花ファミリーを知ることになった。
当初知っていたのは、木の花ファミリーは自然と調和し共生するという理念の元、持続可能なライフスタイルで暮らしているコミュニティーで、100人近い人たちが生活も仕事も共にして、収入もその他の物も分け合っているということ。さらに彼らは自然な農法で自給自足していて、自然療法プログラムというもので心身の疾患に悩む人たちを助けているということだった。
(以下の文章を書いた方にたいへん感謝しています。彼女のおかげで木の花ファミリーについての最初の印象をもつことができました。)
http://www.newsmarket.com.tw/blog/21444/

それから木の花ファミリーのホームページを見てみると、「菩薩の里」という文字に目がとまった。この言葉はここに暮らす人たちの精神性を表現しているんだなと思った。ホームページを読んで木の花ファミリーの理念の様々な面に共感したし、さきほど書いた友人の提案もあって、私はここに行って実際の生活を体験してみることにした。
木の花ファミリーのメンバーの方々は日本語が話せない私たちを受け入れるという前例にないことをしてくださり、ビザを取得する際にもたいへん大きな助けをしてくださった。心から感謝している。そうして、ついに5月19日の午後、東京からバスに乗って木の花ファミリーに到着した。
 
 
新たにつながる/ Reconnection

到着した当日からヘルパーとしての仕事を始めた。配送センターに行ってきょうこちゃんが落花生を植えたりトマトの苗を移植したりするのを手伝った。私は自然とふれあうのが好きで、登山などのアウトドアに参加したこともあった。でも都市で育った私にとって、本当に種や苗や土とふれあったのはこれが初めてだった。
初めの頃は現実感みたいなものは持てなかった。手の中の落花生が土から芽を出し葉を広げていく様子が、実は想像できなかった。それはとても遠いことのような気がした。私はとても慎重に落花生の成長をさまたげないようにひやひやしながら作業をした。

それからもしばらくは心細かった。その時は種を土に埋めただけで他のことは何もしなかったので、「これでホントに芽が出るの?」って感じた。畑で落花生の苗の移植をしている時、この前私が撒いた種が芽を出し、今は10cmくらいの高さまでになってつやつやした葉を広げているとメンバーの人が知らせてくれた。それを聞いた時、心の中に急に喜びと、地に足がつくような落ち着いた感じが湧いてきた。大地と太陽につながったような気持ちになった。
 

最初の数日間に書いたノート
最初の数日間に書いたノート

 
それからこんなことがあった。ある日畑へにんにくを収穫に行く時、私は靴を持っていくのを忘れた。考えた末、靴下だけで作業することにした。
その日は暑く、土は少し湿っていて柔らかく、少し粘土質で、足を入れるととても気持ちがよかった。ふだんの生活を考えてみると、こんなふうに直接自分の足で大地を感じる機会はめったにない。土を踏みしめていると、土は厚く暖かかった。小さい頃はだしで遊んだ時以来、もうずいぶん長いことこんなふうに直接大地の暖かさと豊かさを感じたことはなかった。
それから夏に向けて気温がだんだん上がってくると、みんなもはだしになり始めた。ジャガイモを掘り出す時、みんなはだしで作業した。とてもウキウキして楽しかった。(みんな、大地の中からエネルギーを感じると言う。)
 
靴下でにんにくの収穫
靴下でにんにくの収穫

  
こうちゃんは畑隊で仕事をしている農業歴20年のメンバーだ。こうちゃんは「いつどんな作物を収穫するべきか知ることができる」と言う。木の花のメンバーはいつもよく植物の成長や状況を観察していて、「この中にたくさんの情報が隠れている」と言う。経験ある農民は敏感にこれらの情報を感じとり、そして植物の状態に呼応して成長がさらに良くなるための適切な処置をできるそうだ。

こうちゃんは私にこう教えてくれた。
「植物たちと一緒に作業をする時、どんな技術を使うかはそんなに重要じゃない。いちばん大切なのは、一緒に成長するという信念なんだよ。」
農作物たちは、こうちゃんにとって子どものようなものだ。毎日彼らのことを想い、顔を見て、彼らのためになすべきことをする。こうちゃんは木の花ファミリーの中で、仕事を愛する人として有名だ。あだ名は「ぼろ雑巾」。つまり、テーブルを拭くあれのように疲れるまで仕事をするという意味。。^ ^。
 
こうちゃんはどうやって植物たちから見えない情報を受け取るんだろう。植物たちとの密接な関係をどうやって築いたんだろう。
私は小さい頃から聞きなれたことわざを思い出した。「天地人。天と地の間に人は立ち、大地に足を下ろし、頭は天空へ向く。」(*易の言葉。同じように植物も大地に根をはり、空へ向かって伸びる。こうして大地のエネルギーと天のエネルギーが流動する。天は陽で、地は陰。陰と陽の交わりである。人も同じ。)
これは世界の本来の運行方式だ。もちろん小さい頃から土から野菜や果物や穀類が生えることは知っていた。でもそれは私にとっては教科書の上から、他人の言葉や文字を通して私の大脳を経て吸収した「概念」だった。そう、私の脳はこの概念を知っていた。でも私の心や手足や体はいったいそれがどういうことなのか知っているわけではなかった。体が知る方法は、実際に一回一回見て触れて、ある程度の時間共に過ごすことによって感覚の経験を積み重ねていくものだ。
  

草取りについてのノート
草取りについてのノート

  
私は突然気づいてしまった。この長い人生の中でひとつの大切なつながりが断たれていたことを。自分が食べている食べ物がどんなふうにだんだんと成長するのかを知らなかった。大自然の偉大な創造がどのように現れてくるのかを知らなかった。このプロセスに参加したことがなかった。
現代人はスーパーや市場に行って、野菜や果物を買い、直接結果を得ることができる。このプロセスの中で、人が大地と日の光と雨露の一日一日の変化を感じる機会はない。そしてこの変化によって農作物たちの状態が変化することや、彼らが成長していくのにさまざまな困難を克服しなければならないことを、知ることはない。

直接買いものをするこのプロセスの中には、食べ物と金銭の関係しかない。人々の心が天地と農作物の関係につながることはない。だからありがたいと思ったりもったいないと思ったりする、食べ物を大切にする心を持ちにくい。
木の花ファミリーでは食事の前と後に感謝とお祈りをする。とても敬虔な時間だ。ある日畑に入り、ゴマのための除草をしたことがあった。その時ゴマはまだ低くて雑草もわりと多くて、しかも雑草はゴマに似ていた。慎重に見極めなければいけなかった。左側を見たら右、右側を見たらまた左と見ていたら、まもなく腰が痛くなった。それから私はいろんなふうに姿勢を変えつつあまり疲れないように気をつけた。心のなかで「楽じゃないな」と思った。その日のお昼ごはん、お茶碗の中の食べ物を見て、この背後にある数々の仕事と困難に思いが至り本当にありがたいと思った。

植物が大地に根を下ろさなかったら枯れてしまうのと同じように、大都市の人々は自然とのつながりを失い、程度はさまざまだけど心のバランスを失っている。人というのは、心地よい謳い文句やイメージで作られたいい雰囲気に心を奪われるもので、実際にやるべきことをおろそかにして、そこに酔いしれたりする。この心地よい物事も、植物と同じで大きくなる。このプロセスの背後には往々にしてたくさんの努力と苦労がある。都市の人々はたくさんの華やかな情報に囲まれ、仕事で疲労した感覚と心を絶えず刺激されている。つかの間に心を満たした後、さらに多くの欲望をかきたてられる。これら全てが大自然の豊かさと健康から人々を遠ざけていく。
 

ある日、茄子の苗の間引きの仕事をした。その時は30~40cmくらいで茎も細かった。二週間ほど経った頃、その畑の前を通りかかって、驚いた。茄子はもう人の半分くらいの高さにまで成長し、茎も太く強そうになっていた。植物の成長がこんなに早いなんて思ってもみなかった!私は自然の力に深く感動してしまった。どんなに驚いたかみんなに言いたいくらいだった。
驚いたと同時に喜びが湧きあがってきた。まるで自然の力が私にも移ってきて、素朴だけど力強い信念が注入されたみたいだった。いちばん純粋で直接的な生命力。天と地とつながった安心感。日に日に彼らが大きくなっていくのを見て、心の奥底から真実のポジティブなエネルギーを体感した。彼らはあんなに真剣に大きくなる努力をする。ひまわりが太陽の方を向くように純粋に、他のことは考えずに、投げ出さずに。

植物と一緒に仕事をしている時、彼らからたくさん教わった。「朴実」(朴は素朴の朴。実は真実の実。)植物と比べて人間はどんなに頭がいいだろう。思考することができ、発明し、たくさんの物を作り出せる。このため人間はよく自分の思考を過信する。その思考でたくさんの問題を解決できると思い込む。けれども実際は、現在の地球の各種の汚染、気候変動、各国間の資源の奪い合いという状況がある。人間が設計し製造したさまざま事物は、自然の創造物と比べるとかなり粗雑だ。

では、人間とその社会は、どうして自然のように美しく調和していないのだろうか。
カトケンは植物と一緒に仕事をしていると、彼らがとてもかわいく見えると言った。食事の時、彼は一本のとうもろこしのしわを指差して、これは美しい線だと言った。私はとうもろこしの角度を変えて見た。他の角度から見ても美しい。
私は以前子供たちに絵を教える時、とうもろこしをよく観察したのを思い出した。とうもろこしの列は少しずれがあって、それが大きい粒や小さい粒など形の違うものを生んでいた。もしも現代社会の人間がとうもろこしを作るなら、まず一粒作ってそれからその一粒の複製を作っていき、一本のとうもろこしを作るだろう。そしてどうしてこうやって作るの、とたずねれば「こうやると早いだろ。時間を節約できる。だからもっとたくさんのとうもろこしができる。」と答えるだろう。でも、もしとうもろこし君本人にたずねれば・・・彼は一言も話さず、ただ黙ってもくもくと自然の方法で成長を続けるだろう。だから美しい。
  

農作業中に見つけた花と実
農作業中に見つけた花と実

  
ある日きゅうりを収穫する際、よく観察してみたら、表面に白いものが生えている。包装している時、まゆちゃんが教えてくれた。「小さいトゲがあるからね。さわらないように気をつけてね。トゲを取らないでいたほうが新鮮さが保たれるんだよ。」
またある日、かずこちゃんとくわっちが冬瓜を見に連れていって教えてくれた。「冬瓜は小さい頃は若緑色で大きくなると表面に白いうぶ毛が生えるんだよ。」私は突然、どうして冬瓜と呼ぶのかがわかった。その白いうぶ毛はまるで雪のようだからだ。冬の趣だ。
時々植物たちに感動させられる。人が気づかないような細かいところにも、植物たちはベストを尽くし、真剣に成長する。誰に見せるわけでもなく、ただ純粋に成長する。

きょうこちゃんはこう言ったことがある。「人間はエゴがある。でも植物にはそれがない。彼らは素朴で、自分の天性に忠実。」
植物は思考しない。分析も計算もしない。彼らが自然の法則に従って成長することで、天と地のエネルギーが流動する。ひとつひとつの細胞が周りのわずかな環境の変化をも繊細に感じ取り、変化に呼応した適切な調整と選択をする。人間のような頭脳も欲もなく、純朴な成長の信念があるだけだ。いつどんな時もあやふやなところはなく、まじめに取り組む。本当に知恵のある者はまぬけに見える。(*老子の言葉)こういうことだけになれた時はじめて、天地の道に沿って、天地の優美さとハーモニーを現すことができるのだろう。
 

無私無境界/ No boundary, no ego

木の花ではお昼ごはんも晩ごはんも、ホールに集まってみんなで食べる。このホールではコンサートも開かれるし、誕生日会も開かれるし、大人や子供の会議も行われる。それから時々近所の人たちを招いて食事会も開かれる。ここはみんながいちばん長く時間を共有する場所だ。私がまだ木の花に着いたばかりの頃、みんなは私の顔を見ると“ Are you O.K.? ”と聞いてきた。はじめの頃はなんて答えたらいいかわからなくて、狼狽してただ頷きながら「大丈夫」と答えるだけだった。
私は小さい頃からずっと、あまり知らない人の前に出ると、恥ずかしくなってしまう。両親との交流も多くなかった。小さい頃から自分だけで生きてきた感覚がある。ほとんどひとりで事をなし、ひとりで問題を解決してきた。自分から人に話かけることは多くなく、人に何かお願いするなんてもってのほか、それは迷惑をかけることだと思っていた。

こんな私は木の花ファミリーに到着した第一日目、やってしまった。作業が終わってまことの家に帰ってお風呂に入った。そこは2階建ての住宅で、家庭の普通の浴室だった。私は地元の成都でひとりでシャワーを浴びるのに慣れていたので、浴室に入ると特に考えずに鍵をかけた。しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえた。作業を終えた人たちがお風呂に入るのにノックしたのだ。彼女たちはどうして私が鍵をかけたのかわからなかった。私はその時正直驚いた。一緒にはいらなきゃだめ~!? 。。。>——<。。。 みんなが私の以前の生活習慣を理解してくれたし、私もだんだんと新しい生活に慣れていった。それからお風呂が終わって、また私はひとつの問題に出合った。まことの家からひまわりに帰って、晩ごはんを食べなきゃいけない。どうやって帰ればいいんだろう?みかちゃんはコンピューターの前で仕事をしていた。私はその日着いたばかりで、彼女もひまわりで食事をしなければいけないとは知らなかった。この時人に迷惑をかけたくないという考えが頭をもたげた。 「帰ればいいだけでしょ、来た道はだいたい覚えている。」そこで私は歩いて帰った。帰り道まゆちゃんに出会った。彼女は私をすぐ車に乗せて、別のメンバーの車に乗り換えさせ、私をひまわりまで送りとどけた。その日食事が終わって、みかちゃんとまゆちゃんは私をおしゃべりに誘った。それでわかったのは、みかちゃんは私がお風呂に入り終わったら一緒にひまわりに帰ってくるつもりだったのだ。私が姿を消したので、みかちゃんはとても心配したそうだ。 その時、とても申しわけなく思った。ひとりの生活に慣れてしまって、みかちゃんが心配してくれるなんて思いもよらなかった。私は自分の育った環境とそれによってできた行動の習慣を説明し「すみません」と何回か謝った。まゆちゃんとみかちゃんはわかってくれた。その時から私はもうひとつのつながりが断たれていたことに気がついた。それは人とのつながり。 以前から友達は少ないわけではなかった。人間関係も悪くなかった。時々友達に相談されてアドバイスを求められた。私も喜んで相談にのった。でも自分から人に相談するということはほとんどなく、いつもひとりで問題に向かい、問題が起きても誰かに頼ろうという考えは起きなかった。でもこの件で、気にかけてもらっているという暖かさを感じると共に、心の奥の閉じられた殻がゆるみ始めた。それから私は、少しずつ変化していった。最初の変化はルームメイトのはすみちゃんから始まった。   [caption id="attachment_12018" align="alignnone" width="480"]小さな椅子の上に置かれた、温かい木 小さな椅子の上に置かれた、温かい木[/caption]
 
彼女が私の部屋に移ってきた時、私が描いた木の絵がとても暖かい感じがする、とても好きだから毎日見たいと言った。そこで私たちはそれをベッドの間の小さな椅子の上に置いた。こんな風に感じるのは彼女の心も暖かいからだと思う。
いつからだったか、私たちはほとんど毎晩寝る前におしゃべりをするようになった。おしゃべりの内容はだいたいみんなのちょっとしたうわさ話で、例えば犬のマコちゃんの目がご主人のやじおさんの目にそっくり、などなど。彼女がみんなと話した面白い話も教えてくれた。
彼女はユーモアがあり、私たちはよく冗談を言っては大笑いした。もちろんたまには宇宙の真理について語った。=。=。。。

だんだんと自分から話すことが多くなっていった。時々とても遅い時間にミーティングが終わって部屋に帰ると、はすみちゃんはベッドに横たわり微動だにしないのに、私の「ただいま」の声を聞くと、「お、超人帰ってきたか」と声をかけてくれた。私たちはしばらくおしゃべりをした。彼女はわからない中国語に出会うと、まじめに辞書を取り出して調べた。

ある時期ある事のために、大きなストレスがかかっていたことがあった。はすみちゃんは心配してこっそりみちよちゃんにメモを渡した。みちよちゃんは「誠実、信頼、そして正直に交流することがとても大切。みんながお互いにサポートし合うことが大事なの。どんな問題でもひとりでかかえこまないで。問題が起きたらみんなで解決するのよ。」と言った。
それから間もなくしてミーティグの時みんなの前で自分の心の声を正直に言うことになった。おそらくここの雰囲気が、承認と暖かさを感じさせてくれたせいだろう、もう長いことそんなことはしたことなかったのに、安心して心を打ち明けることができた。

木の花では自分の心を正直にシェアすることはたいへん重要で、ひとりひとりが遠まわしではなく、できるだけそのまま打ち明ける。今日の大多数の社会環境において、このことは想像しがたいだろう。人々は常にいいことだけを言って悪いことはふせておき、仮面をかぶって生活している。
ここのみんなが自分を見せることができるのは、承認と信頼とお互い助け合う雰囲気があるからだと思う。メンバーはよく言う。「誰にもいいところとそうでないところがあるのだから、自分と他人の不完全なところを認め、一緒に問題を克服していく努力をすること。それでよりよく変わっていくことがいちばん大事なんだ。」
 

毎朝、木の花案の玄関に陽の光が差し込む
毎朝、木の花案の玄関に陽の光が差し込む

 
これらのことを経て、ここの人たちがどんなに親密かを体験し、私はだんだんやっと本当に木の花ファミリーに来た感じがした。
朝から晩まで、私はほとんどみんなと過ごした。朝起きたらさっさっと身支度をしてちょっと朝食を食べ、それから一日の作業を始める。仕事の合間、10時と2時にお茶の時間がある。みんな一緒にお茶を飲みながらおしゃべりをするのが好きだ。午後4時のお茶の時間には、おいしいおやつも出る。だいたいはのりちゃんとにちわが作っている。
おしゃべりをしている時、内容は基本的に私はわからないけど、でもみんなの雰囲気を感じるのが好きだった。私の興味ありそうな表情を見ると、まゆちゃん、きょうこちゃん、こうちゃん、くわっち、みんなが訳してくれた。あきちゃんは英語を話さないけど、ジェスチャーと日本語の漢字を交えて「もっとみんなと交流して、思っていることを出して」と一所懸命伝えてくれた。彼女が収穫したとうもろこしを見て「おいしそう~」というたび、本当に思っていることを表現しているなと感じた。

それから大部分の時間は、かずこちゃんやくわっちと、スイカやトマトや空心菜を収穫した。その頃には少し簡単な日本語なら言えるようになっていた。おやつの時、私たちは日本語と英語とジャスチャーを混ぜてたくさんの話をした。くわっちと以前の恋愛の話になって、その経験から成長することを学んだこと、マチュピチュに興味があることを話したりした。彼女は以前マチュピチュに行ったことがあって、そこに住んだことがあるような、かつてそこの人間だったことがあるような感覚を覚えたそうだ。その日おしゃべりを終えた私たちは、自然にハグしあった。本当に心と心が親密になれた感じがした。
 

お茶の時間のおしゃべり
お茶の時間のおしゃべり

 
午後は6時頃まで仕事をして、まことの家に帰ってお風呂に入る。お風呂の時、ゆうこちゃんはよく私に話しかけてくれた。「今日は何したの?」ときいてくれたり、自分のことを話してくれたりした。例えば外の病院での仕事はここの仕事より疲れるとか、今日は晩ごはんにいろんな手作りパンが出るから楽しみだ、などなど。
彼女は楽器が好きで、自分でつくった陶器の笛を見せてくれた。私が興味をもつと、ネットで資料を調べてプリントアウトしてくれた。あと、ひまわりにご飯を食べに帰る道すがら、「歌ってあげるね」と言って故郷の歌を歌ってくれた。私は静かに耳を傾けた。車の窓から夕方の風が吹き込み、外では田んぼにきれいに並んだ稲穂が静かに揺れ過ぎて行った。この時はとても静かな安らかな時間だった。
それからかっちゃんは、私を一緒に車に乗せてくれる時、簡単な日本語の単語で話してくれて、辛抱強く「これは近道」「雨が降りました」「今雨が降っています」と教えてくれた。

ひまわりで食事をする時、みんな食べながらおしゃべりをするのが好きで、子供たちが先に食べ終わると、子供たちは集まって今日何があったかを大人たちに聞かせてくれる。大人たちも座って聴き、子供たちの話に答える。時には意見やアドバイスを与える。私があまり日本語がわからないので、みちよちゃんがよく隣に座って通訳してくれた。子供たちは自分で描いた絵や積み木でつくった作品を見せてくれた。たまに直接的に感情を表現するので、あんまりおもしろくてみんなでおなかを抱えて笑ったりした。
木の花ファミリーではみんなで子供を育てる。ひとりの男性がひとりの子供に歯磨きを手伝ってあげていても、ひとりの女性がひとりの子供の口にご飯をはこんであげていても、必ずしも父親と母親であるとは限らない。メンバーは、子供は父親と母親が「所有する」ものではなく、共同体全体のものだと考え、みんなが同じように愛し、心をかける。
 

左:「恵みいただきます」で昭和の衣装を着る 右:木の花の子供が描いてくれた、私の絵
左:ランチイベント「恵みいただきます」で昭和の衣装を着る
右:木の花の子供が描いてくれた、私の絵

 
晩ごはんの後少し休憩して、だいたい9時ごろに大人たちはまた一緒に集まり、豆や落花生や種を選別しながら、次の日の仕事のスケジュールやコミュニティーの各種事務などいろいろな議題について話し合う。
話し合う上で最も大事にされるのは、心の交流だ。ふだんの作業中に起きた問題を議題として取り上げたり、世界の自然環境とエネルギー問題について語り合ったり、木の花ファミリーの友達がメールで心の相談をしたり、農業の種の選別の問題や、その日の作業中に起きた小さな事など、事の大小を問わず、また、個人の事だからと隠すこともなく、話される。小さい出来事にも背景が反映されている。隠すことはしない。恋愛であってもみんなに知らせる。みんな、気にかけているから。

来て間もない頃、毎日疲れてしまって、ミーティングの時眠くてしょうがなかった。私が日本語がわからないから、みちよちゃん、ともちゃん、ようこちゃんが進んで私のところに来て「通訳必要ですか?」と聞いてくれた。時々疲れて集中して聴く力がないので、「その必要はないです」と言った。
みちよちゃんとそのことを話す機会があった。「集中力がある時は、みなさんに通訳をお願いします」と伝えた。その時彼女が言った言葉が心を打った。「ぜひそうしてくだい。短い滞在なのですから、何かを体験し学ぶのに全ての瞬間が貴重です。」

私の心を打ったのは、こんなふうに人のために尽くす精神、細部にまで細心の気づかいをする態度だ。実は彼女は毎日さまざまなことに気をつかわなければならない。夜になったら疲れているはずなのに、でも多くの人にどうやったらもっと良い生活になるか理解してもらうために、彼女は私がひとつひとつの体験からできるだけ多くのことを感じ取れるよう配慮してくれた。また、彼女はカタカムナのノートを貸してくれた。一行一行丁寧に説明してくれた。この過程で私たちはスピリットやエネルギーについてのたくさんのことを話した。それは本当に楽しい時間だった。
 

まだ木の花ファミリーに来て間もない頃、ひとりで自分の心を整理するため静かに座っていたいことがあった。・・・なんで毎晩ミーティングをしなきゃいけないほど、そんなにたくさんの事があるの?二日に一回じゃだめなのかな?みんな早くお部屋に帰って寝たほうがいいよ・・・と思っていた。
私はこのことについていさどんにたずねた。彼は「人はある状態に達すると疲れを感じないんだよ」と言った。頭ではわかっても心ではわからなかった。

木の花ファミリーに来て一カ月経った頃、晩御飯を食べて部屋に帰ると私ははすみちゃんに「今日は疲れちゃったからミーティング出るのやめておこうかな」と言っていた。でもそう言いながら、9時頃になるとホールまで下りて行った。みんなが何を話しているのか知りたかったから。
でもたくさんの情報を消化し吸収するほどの十分なエネルギーはなく、みちよちゃんに通訳をたのまないで豆やゴマの選別をしたり、落花生の殻を剥いたりしていた。そしてスクリーンに映し出される文字を見ながら、キーワードとなりそうな言葉を結びつけて、だいたいの意味を推測した。たまにみんなの表情が厳しくなることがあって、そんな時は次の日何が話し合われたのかみんなにたずねた。
それからまた半月が経った頃、自分がそんなに疲れを感じなくなってきていると気がついた。時々自分からみちよちゃんたちに通訳を頼んだ。

そしてその数カ月起きたことを思い出し、どうしてだんだんそんなに疲れなくなったんだろうと考えてみた。思い出すのは、どれも小さなことばかり。
毎朝なかのんが車で私たちを配送センターまで送ってくれた。だいたいオーディオつきの車だったので、彼は音楽をかけてくれた。早朝の日の光と音楽が一緒にゆっくりと流れていった。いつも新しい一日がこんなふうに始まった。
私はよくきょうこちゃんと一緒に仕事をした。毎回作業工程を説明する時、彼女は「私たちと一緒に」と言った。「一緒に落花生の種を蒔きます」「一緒に土を作ります」「一緒に花に日よけをかけます」こんなふうにきょうこちゃんが言うことが、私につながりとお互いサポートし合うことを感じさせてくれた。

えりちゃんは毎晩、晩ごはんを早く食べ終わるとすぐキッチンに行って、皿洗いを始めた。私はある時、皿洗い機のふたをそっと上げる彼女の自然に流れるような一連のしぐさを見かけた。私はこの時の彼女の流れるようなエネルギーが好きで、となりに行って一緒に皿洗いをした。何か特に話すわけじゃないけど、彼女の楽しい雰囲気を感じられた。
よく一緒に仕事をしたのはあと、みほちゃんだ。彼女も口数はあまり多くない人だけど、仕事の時の雰囲気はとても良くて、一緒にミントの葉を摘んでお茶にするため干したり、土をポットに入れたりした。それからりゅうしろうも口数が少ない人だった。話す言葉は簡潔で、仕事の時は静かに作業に没頭した。
としちゃんは午後になるとよく畑を手伝いに行き、一緒に玉ねぎを収穫した。彼女はとても力が強い。彼女は畑で仕事するのが好きだと言った。私も好き。植物と一緒にいるのが好きだ。

お風呂に入りおわってひまわりに向かっている時、よくひろみちゃんがその時間まで仕事をしていて、やっと片づけをしているのを見かけた。彼女はバナナが大好きだ。また、ひざにまだ癒えない故障をかかえている。
ある日ひまわりに帰る時、車が満員になってしまい、ひとりどうしても車の後ろに寝て乗らなければならなくなった。ひろみちゃんはわざわざふだん通らない道を通った。そこは竹が生い茂る場所で、車の後ろで寝ている人が観賞できる景色だった。
でこちゃんはパン作りを担っている。私たちはパンが大好きで、ある時キッチンでパン作りの本を見かけた時、でこちゃんは私にどんなパンが好きか聞いてくれた。お別れのお料理を作ってくれた時、アンパンマンのほっぺの小さいパンにも特別にあんこを入れてくれた。

収穫隊のみっちーはよく遅くまで仕事をしていた。たくさんの細かい事の割り振りをし、記録していた。私が彼女に何をしたらいいかたずねると、毎回輝くような笑顔ですぐに答えてくれた。ある時疲労がたまって、みっちーは体調をくずしてしまった。次の日彼女と出会った時、私は腕を広げて彼女を抱きしめた。その時初めて彼女が私の想像よりずっと痩せていることに気がついた。
あやちゃんは、ある日大富士への配送に一緒に連れていってくれた。帰ってきてレインコートを脱いだ時、私はうっかり一粒の真珠のネックレスをひっかけて切ってしまった。次の日彼女は自分のをひとつくれた。でも穴が小さくてネックレスに入れることができなくて残念だった。

毎朝、ひとみちゃんとみほさんとまり姉ちゃんが車で子供たちを保育園まで送る。途中配送センターでしばし停車し、仕事中の大人たちが子供たちに声をかけ、手をふって見送る。ひとみちゃんはある時私に浴衣を着せてくれた。私はその時初めて日本の伝統衣装を着た。忘れられない美しい思い出が出来た。

マヤの祭典の時は首が日焼けして痛くなった。ゆうこちゃんはアロエを持ってきて塗ってくれた。カトケンは首にタオルを巻くと首を保護できるよと教えてくれた。まっちゃんはビザの申請の書類を用意するのに骨を折ってくれた。
富士山に登る当日の早朝の空はとっても透き通っていた。富士山のシルエットがくっきり見えた。となりにひとつ明るく光る星が見え、まっちゃんはあれは金星だと教えてくれた。金星を見ることができてラッキーだった。
ちなっぴーは富士山を登っている間、カタカムナを歌ってくれた。私も歌うように誘ってくれて、一緒に一回一回自然に聞かせるように歌った。
 

みんなといっしょに、富士登山
みんなといっしょに、富士登山

 
木の花ファミリーのメンバーのみんなの毎日の仕事は、とても忙しいと思う。私は、みんなにおいしいご飯を食べさせたいって思った。時々中国料理のレシピを探して、はすみちゃんと一緒に日本語に訳して、のんちゃんとゆみちゃんに見せた。私も好きな日本料理があって、出発する数日前、キッチンに呼ばれて作り方を教えてもらった。
やすえどんは、創立当時どんなふうに木の花ファミリーに加わったのか話してくれた。古い方の家にもう十数年住んでいて、たくさんの思い出があるそうだ。みちよちゃんが見学ツアーの時にその古いおうちを見せに連れていってくれたことがあった。その時その場所を見て親しみを感じた。マヤの祭典が終わった後、何人かが古いおうちでご飯を食べなければいけないことがあって、私はそこで食事をしてみたかったので手を挙げて申し出た。

その日は、みほさんがご飯を用意してくれた。私はトマトを切るのを手伝った。ひまわりで食事をする時とちがって、みんなでたたみの上にテーブルを囲んで座って、ひとつのお皿から分け合って食べた。小さい頃家族が食卓を囲んで座って食べたことを思い出した。
茶の間は大きくなく、たたみの上には修繕した後があり、周囲の壁には富士山に登った時毎回撮った写真やいくつかの絵がかけられてあり、この世を去ったふたりのご老人の写真もあった。もっとよく感じてみると、木の床やドアの枠、窓のところどころに二十年という時間の中で人が残した痕跡や、あたたかいあじわいがあった。

思い浮かぶのはこのような小さなこと。真実の生活はひとつひとつのこと、いっときいっときに現れるものだ。
このように私と木の花ファミリーのみんなとが共に過ごしたいっときいっときが、人と人、人と自然がどうやって愛と心づかいでお互いに命を育み合うかを体験させてくれた。
木の花ファミリーの人たちは、自然の中の植物と同じように、人を感動させる。彼ら自身は多くを必要とせず、しかし多くのものを与える。できるだけ地球環境に負担をかけないように生活すると同時に、多くの美しいものを生みだす。素朴で真実ですじが通っていて、お互いに助け合い、みんなの心と心がつながって、大地に根をはっている。あの数カ月の中で、私はだんだんとこのコミュニティーに溶け込んでいった。まるで川に溶け込んで一緒に流れていく一滴の水のように。

私はみんなのことを気にかけるようになった。みんなが疲れているのを見ると、お願いだから眠ってくださいと言いたくなったし、みんなの楽しそうな表情を見ると、私もうれしくてあたたかい気持ちになった。コンサートの時はみんなと一緒に「にわとり小学校」に合わせて踊ったし、完全に歌詞を覚えたわけじゃなかったけどみんなと手をつなぎ「この星の上で」を歌った。
ある時あっちゃんとおしゃべりしていると「木の花にいていちばん楽しい時はいつ?」ときかれた。「みんなと手をつないで輪になって『この星の上で』を歌っている時です」と答えた。私が木の花を離れる前夜、台湾から来たウー・チュアンウエンがギターで「この星の上で」を弾いた。彼は「ここでいちばん学びになったのは他人のために尽くす喜びです」と言った。彼がギターを弾いた時、みんなも一緒に歌った。この時私の前に座っていたみきちゃんは私の手をとってくれた。私たちは一緒に音楽に合わせてゆれながら歌った。彼女が手を伸ばしたその瞬間、私の心の中に暖かいエネルギーの流れが入ってきたのをはっきり感じた。
 

はすみちゃんが私のために書いてくれた「この星の上で」の歌詞
はすみちゃんが私のために書いてくれた「この星の上で」の歌詞

 
私は一行法師が先立った奥さんについて話した言葉を思い出した。
「彼女は今でもある状態で私の心の中に存在します。その状態というのはこのようなものです。まずあなたの心の中を見てください。あなたの心の奥深くにある生命の河に入り、そして浸ってください。その河があなたに流れ入り、そして生かし支えてくれているのを感じてください。愛はずっとそこにあります。」
ケア滞在をしていたみきおくんが卒業する時、涙を流しながらみんなにお礼を言っていた。いさどんの目も赤くなっていた。それはとても感動的な場面だった。
 

ひとりの人間、ひとつの植物、一匹の動物、みんなひとつひとつの支流だ。小さい支流が集まってひとつの大きな流れになる。一層一層絶え間なく集まって宇宙の海を織りなす。もしもいくつかの境界線に執着しなくなったら、もうちょっと承認し合い融合しあったら、そして理解し支え合い一緒に流れることができたら、たくさんの美しいことが自然と現れるだろう。
ともちゃんとおしゃべりした時のことを思い出す。私たちは写真について、感動させる瞬間について話し合った。インスピレーションは追求している時に降りてくるものじゃない、目的や執着がなく純粋な心の状態でインスピレーションが降りてくる準備が整った時、それは自然とやって来る。
  
 
「最も深い真理は最もシンプルで、最も高い事柄は他人からは愚かに見える。
 最も豊かなことは何もないように見えて、実は無限の潜在性がある。」

(*老子の『道徳経』から)
 
 
 
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木の花のみんなからもらった寄せ書き
木の花のみんなからもらった寄せ書き

 

ありがとう:)
 
 
 
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*ファンちゃんが木の花での滞在をまとめたスライドショー
  「 In Konohana Family 」

  


防災の日の経験~子どもミーティングより

木の花では、月に一度「防災の日」というのがあります。

この日は災害を想定して、全員で節電節水に取り組みます。
電気は発電機を使って懐中電灯や補助灯で過ごし、入浴も洗面器1~2杯で洗うか入浴をしない。洗濯もなし。

そんな取り組みの一環として、食事時の食器洗いは、水を入れたボールを分けて、予洗いから最終のすすぎ、食器拭きまで一人一人が仕上げます。 そして、それは子ども達も同じです。

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その時の体験や感想を翌日の子どもミーティングで小学生たちが報告してくれたのですが、
「このような取り組みをすることは、地球に優しいと思った。」
という報告とともに、
「楽しかった!」
という声がたくさん上がりました。
「電気のついている所が気になって消して回った。」 と言うゆうゆを初め、 自分たちから進んで分業して幼児の食器まで洗ってくれた子どもたちは、
「これからも続けたい。」
という意欲的な意見を出してくれました。

「それじゃ、防災の日以外でも子どもたちの食器は子どもたちで責任を持って洗ってもらおう。」
「防災の担当者を子どもたちの中から募って、いろいろなアイデアを出してもらおう。」 と提案しました。

その提案を受けて、通常時の食器洗いでも子どもたちのコーナーを設けて、小学生の子どもたちが中心となって子どもたち全員の食器の点検をすることになりました。そこできちんとできていない人の報告をしたりしてみんなに注意するのですが、これを大人がするととても窮屈な場所になるのですが、子どもたちどうしならいい空気が流れるのです。このような時、私には、自分が伝える場合を想定して、思惑や押しつけや決めつけがないかを自らに問ういい機会となります。

食器の確認

また、みのりとみことは、週に一度行われる防災チームミーティングに参加すると積極的に名乗り出てくれました。下の写真は、その後10月5日に行われたミーティングでの様子です。子ども達が参加するのは毎月1回行われる防災の日についてのミーティングのみとなったのですが、この日は、4年生のみのりから、
「髪の毛はお風呂で洗ったらすぐにタオルを巻いておくと、湯船につかっている間に乾くから、ドライアーはいらないよ。」
といった意見が出たようです。

頭の固い大人たちに交じって、柔軟な子どもたちの発想が出るのはとても愉快で楽しみなことです。 それに何より,子どもたちの良い波動が、活性化したいい場を創ってくれるだろうと思うと、このように幅広い年齢層が集う生活が有難いと改めて感じさせられる出来事でした。

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地に足をつけるために宇宙の話を聞きにきました 〜 出張木の花塾@船橋

この週末、今年3度目の出張木の花塾が開催されました!

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今回も定員を上回る方々にお越しいただき、また、前回や前々回から続けて参加の方も多く、とにかく知りたい、学びたい、という意欲に満ちていました。おもしろいのは、長年勤めた会社を退職したり解雇されたり、あるいはつい最近離婚をした等、人生の転機を迎えている方がとても多かったことです。自分自身や世の中に対してどこか疑問を感じながら何かを探し求めている人たちが集い、真剣に耳を傾け、メモを取り、プレゼンのスライドを1枚1枚写真に撮ったり、講義の一部始終を録音している人もたくさんいて、終わってみればあっという間の7時間でした。
ある参加者の方はこう言いました。「地に足をつけるために、宇宙の話を聞きにきました。」
  
主催者はおなじみ、けーごくん。

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冒頭の挨拶で、なぜこの会を主催しようと思ったのかを、けーごくんは語りました。
「僕が初めて木の花を知ったのは今から8年前。すごい衝撃でした。何に衝撃を受けたかというと、環境にやさしい暮らしをしてることでも、自給率が高いことでもなくて、一人ひとりが、その奥にある“心”を大切にしていることでした。僕はそれまで、環境が大事だって思ってたけど、ここの人たちは何よりもまず心を大事にしていて、その結果として、環境にやさしい暮らしができている。すごく衝撃的で、これはめちゃめちゃ大事だって、その時に直感で感じたんです。」
  
そして木の花楽団の『星々の会合』で第一部がスタート。

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「何をするために生まれてきたのかを 思い出すために集まっている
 集い 語り合おう ―――― 」
パワフルな歌声に、場の空気が一気に引きつけられます。
  
そして宇宙おじさん登場。

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真剣に聞き入る参加者たち。

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前回からの参加者の方曰く、
「前回もすごく大切な話を聞いて、これだー!と思って家に帰ったけど、帰ってからそれを持続していくことの難しさを痛感しました。だから今日はまた、思いっきりその空気に浸りたいです。」
そんな皆さんの真剣さがその場の空気を作り、いさどんも5時間しゃべり通し!
   
そしてこちらが本日のお弁当。

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キッチンのみんなが、できるだけ出来立ての美味しさを届けられるように、と、朝(と言うより夜中)の3時半から作ってくれたのでした。4時半からは他チームのメンバーも参加。時々いびつなハートがあるのは、なれない手つきで一生懸命ごはんを詰めていた田んぼ隊のゆうくんの作品かもしれません(^^)
  
お弁当を食べながら、参加者の自己紹介。1人30秒のはずが、やっぱりみんな話しだすと想いが溢れて止まりません。

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なんと「自分は日・中・韓・英の4ヶ国語が話せるので、木の花の伝えていることを世界に向けて翻訳します」と名乗りを上げてくれる人まで登場!
  
講義後の座談会冒頭では、ひとみちゃんとようこちゃんが『みろくの世』を舞いました。

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参加者のあわちゃんが自身のブログに動画を載せてくれているので、ぜひご覧ください。
あわちゃんのブログ
  
そしてみんなで輪になり、座談会。

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以下、今回の参加者の皆さんの感想です。
   
「毎回気付きいっぱいの木の花塾、今日もたくさんの感動がありました!!!こんなに話が尽きないなんて、すごいです。次回も楽しみにしてます!!」
(30代女性/飲食業)

DSC_0145「お弁当を食べて鳥肌が立ち、体がポカポカと熱くなりました。感動です。食は神様からの愛の恵みだと実感させていただきました。木の花ファミリーのみなさまに感謝です。ありがとうございました。」
(30代男性/団体職員)

「1日があっという間でした。頭がパンクしそうです。家でゆっくり整理します。ありがとうございました。」
(40代女性/自営業)

「この講座を受けて、“食”に対する考え方が自分の中でしっかりと固まった。口に入れるモノの素性を良いものにするのはモチロンだが、“食”に対する心構えや姿勢の大切さが、“食”をいただくことの本質につながるのだ、ということ。また、人間を通して喜びや感謝を神が味わうのが直会(なおらい)であること。これは“食”だけでなくすべてに通じると思った次第。
カタカムナのこの世の構造を学ぶほど、何を思って神はこのような仕組みをつくったのか、新たなる興味が湧いてきた。ボクの探求の旅はこれからも続くのだ。」
(50代男性/会社員)

DSC_0104-001「15:00からの参加でしたが、本当にこれからの時代の在り方を、方向性を、論理的に歴史的にわかることができる。欠かさず来て、全てを吸収して帰りたいです!」
(20代男性/自営業)

「後半に進むにつれて話が深くなっていって、座談会の時がピークにすごかった!次も参加するんでよろしくです。」
(30代男性)

「今日はありがとうございました。参加しなければ知ることのできなかった、本当に大切なことを教えていただき、感謝です。でもいちばんは、心磨きですね。今の状態では死ねないですね、とても。」
(50代女性)

DSC_0241「木の花ファミリーがどんどん進化しているようで、すばらしいです。もっともっと、拡がるといいですね。」
(60代男性/無職)

「午後のプレゼンテーションが非常に印象的でした。スライドを1枚ずつ全部写真に撮って、家に戻って自分でもう1回見て、思い出すようにしたいと思います。また、大人ミーティングと似ていた座談会も参考になりました。ありがとうございました。次回も参加させていただきたいと思います。」
(30代男性/IT業)

「今日のお話、全く同感。実践しておられる姿、素晴らしいと思いました。現在も週1回会社へ行っていますが、現実の社会のあり様、考える余裕のある方は別として、生きることに精一杯の方に対してどのように話をするか、これも私にとっての問題集ですね。」
(80代男性/無職)

DSC_0147「食というテーマで情報盛り沢山で、お腹いっぱいです!流石に全部把握するってことは難しいけど、でも大事なことは本当に1つだなと思います。
内からの視点(自分のエゴ)じゃなく、外からの視点(宇宙の仕組み)を忘れないこと。そして、それを自分の中に入れていくこと。実践あるのみです。」
(20代男性/幼稚園教諭)

「響き、磨き・・・
今度は富士のふもとまで体験しに行かせていただきます!」
(30代女性/百姓見習い)
  
  
―――― ぜひ、富士のふもとへお越しください。
  
11月1〜3日には富士宮にて「宇宙おじさんの人生講座」、そして11月30日には、再び船橋にて出張木の花塾を開催します。
どなたさまも、どうぞ、お越しください。
  
 


夢はスポーツカーの台湾の少年が、農業を学びに木の花ファミリーへやって来た!

今年、台湾国営の客家テレビにて「Seeds from the Heart」というテレビ番組が放映されました。

これはオーディションで選考された台湾の若者が海外で様々な技術を学ぶというもので、昨年木の花ファミリーに、園芸高校に通う18歳のあーちゃんが4名の撮影スタッフとともにやって来たのでした。(その時の様子を、木の花ファミリー通信第74号にて紹介しています。)

えいこばあちゃんと記念写真を撮る撮影スタッフとあーちゃん(前列左から2人目)
えいこばあちゃんと記念写真を撮る撮影スタッフとあーちゃん(前列左から2人目)

そしてこの夏、そのテレビ番組を見たという国立台湾大学の学生さんたちが木の花ファミリーを訪れました。親からも、ぜひ一度木の花ファミリーに行ってくるように、と強く勧められたとのことで、はて台湾ではいったいどのように放映されたのだろう、と思い、あーちゃんに連絡を取ってみたところ、あーちゃんがプロデューサーに頼んでくれて、番組全編を見られるURLを教えいただいたのでした。

これがおもしろい!!!

撮影のためにあーちゃんが木の花に滞在していた時には知らなかった台湾の社会的背景やあーちゃんの夢が語られ、それが木の花に来てどのように変化していくのかが描かれており、メンバー一同今さらながらに「そうだったのか〜〜〜!!」と目からウロコ。改めて、あーちゃんと出会えてよかったな、と、噛み締めたのでした。

日常を撮影するスタッフたち
日常風景を撮影するスタッフたち

実は番組には描かれていませんが、滞在中に変化したのはあーちゃんだけではありませんでした。プロデューサーを始めとする4人の撮影スタッフも、当初は肉も魚も食べずタバコも吸わない木の花の生活を「絶対厳しいよね」と敬遠し、人と一緒にお風呂に入るという台湾にはない習慣に戸惑っていましたが、日に日に皆と打ち解けてゆき、最後にはお風呂の時間が楽しみになって風呂場で記念撮影までしていたほど(笑)。
そして当初は日本のお茶農家を訪ねることがメインだったはずの番組が、いざ出来上がってみると44分間のうち半分以上が木の花になっていました。
 
さあそれでは、その番組「農業心種子 〜 Seeds from the Heart」をどうぞご覧ください!!

*番組には中国語と英語の字幕が付いています。下記に、日本語の要約文を掲載します。【 】内に時間を表示していますのでご参照ください。

 
■    ■    ■
 
場面は、あーちゃんが日本に来る40日前の台湾のお茶農園から始まります。手作業での収穫。技術の必要性を語る地元の人々。

あーちゃんは18歳。園芸高校の3年生です。卒業後は、大学に進学せず田舎の祖父母のもとで農業をすることを選びました。「彼らのもとで農業を学びたい。その方が実践的な道だと思ったから」とあーちゃん。

台湾でのサツマイモ収穫
台湾でのサツマイモ収穫

祖父母の地元で、あーちゃんはさつま芋の収穫をします。
台湾の農業には、高齢化という現実があります。あーちゃんのおばあさんは66歳。都会では60歳で定年を迎えるのに、ここではおばあさんはまだまだ若い方。70、80歳でも働いている人たちがいます。「人を雇おうにも雇える人がいない。僕がいなければ祖父母は2人きりになる。」

おばあさんは、自分たちを手伝いにあーちゃんが帰ってくることを申し訳なく思っています。

あーちゃんのおばあさん
あーちゃんのおばあさん

「孫は、自分が望んでそうしているのだから申し訳なく思う必要はないと言うの。だから彼の好きなようにさせています。」けれどもおばあさんは本当は、あーちゃんが勉強を続けることを望んでいます。
しかし、あーちゃんは言います。「勉強は無意味だ。無意味な大学を出ても月収7万にしかならない。車も買えないのに、ましてや家が買える?それでどうやって子どもを育てる?」

地元の男性は言います。「今の若者は農業をしたがらないよ。お金にもならないし。若者はこんな暑いところよりも、エアコンの効いたところで働きたいんだよ。」
別の男性は言います。「あと5年もしたら、今働いているここの女性たちは、年をとって働けなくなるだろう。そして機械が取って代わるようになる。彼(あーちゃん)も最新の機械を買うべきだね。彼はいい子だよ。でもどんなに一生懸命働こうと、この田舎に縛り付けられることになるだろうね。」

あーちゃんは言います。
「自分たちの農業の文化を変えたいんだ。日本やヨーロッパでは、百姓は敬意を払われている。農業が価値ある仕事になっている。だから僕は、大学に行かずに若い百姓になりたい。僕の話を、最初はみんな冗談だと思ってた。そして馬鹿げていると言ったよ。」

「夢はスポーツカーを買うこと」とあーちゃん
「夢はスポーツカーを買うこと」とあーちゃん

「僕の目標は、4年間で330万円貯めること。大学に行くはずだった時間を、お金を稼ぐために使うんだ。みんなは大学に行くために、4年間で330万を使う。でも僕は、4年間で330万円を稼ぐ。つまり、4年後にみんなより660万円多く持ってスタートを切るんだ。
僕の夢は、スポーツカーを買うこと。男にはみんなスポーツカーが必要だよ。大きさや速さはどうでもいい。ただスポーツカーでありさえすればいいんだ。」

そして番組のオーディションに受かり、日本へ農業を学びに行くことになりました。
「航空券を手にした時、わお、本当に外国に行くんだ、と思った。すごく楽しみだよ。日本に行ったら、百姓がどんなふうに生計を立てているかを学びたい。農業をやる人が減っていることに対しての解決策があるのかも知りたい。」

日本に到着し、街を歩くあーちゃん。
「日本の街並みは、想像していた通り。雑誌や漫画で見ていたからね。」

日本では、伊豆の自然農法大学校に通う台湾人のカエイちゃんが、通訳として同行することになりました。
(実は木の花ファミリーを番組プロデューサーに紹介したのも、カエイちゃんでした。農業で一番大切なのは心、というカエイちゃんに、プロデューサーが「では日本で心を大切にしているところを教えてほしい」と頼み、木の花が紹介されたのでした。)
  

最新のお茶刈り機に大興奮!
最新のお茶刈り機に大興奮!

【7:00】
あーちゃんはまず、御前崎のお茶農園へ向かいます。
社長と挨拶を交わした後、さっそく最新式のお茶刈り機に試乗をさせてもらうあーちゃん。「台湾ではこんな機械見たことがない。素晴らしい!!」と大興奮。「おじいちゃんがなんと言おうと、日本人は素晴らしい。こんな機械があったら、この茶畑全部を一人でやれる。将来お茶を作ることになったら、絶対この機械を買うよ!」

その後、製茶工場を見学します。カエイちゃんに日本語を教えてもらい、従業員の女の子に「あなたはどのくらいここで働いていますか」と聞くあーちゃん。彼女が2週間と言うのを聞いててっきり2週間働いているのかと思ったら、カエイちゃんから「この作業は2週間続くって言ってるのよ」と聞いて「通じないな〜」と苦笑い。
工場内を見学しながら、最新式の設備に感心しきりのあーちゃん。「全てが自動的に動いてる。素晴らしい。不思議の国のアリスになった気分だよ。(スタッフに向かって)僕のこと笑ってるけど、初めて来た時には同じように思ったでしょ?」
工場全体に3人しか人がおらず、明後日は1人で稼働すると聞いて「台湾ではあり得ない」。異物が混入したらすぐに機械を止めるX線装置を見ながら「消費者に選ばれたかったら品質だけじゃなくて梱包も重要だ」と感心しっぱなしです。

お茶農園の社長は、一日50種類のお茶を試飲します。それを見ていて、奇妙な感覚をあーちゃんは覚えます。
「だって僕は台湾でたくさんさつま芋を植えているのに、一度もそれを食べたことがない。食べたことがないのに、どうやってそれを消費者に勧められる?それがいくらで売れるか、ということにしか関心がなかったんだ。だけど社長は、初めて会った時から最後まで、一度もそのお茶がいくらで売れるか、という話はしなかった。」

社長のスポーツカー
社長のスポーツカー

社長とカエイちゃんと飲み屋に出かけたあーちゃんは、社長のiphoneに写っているスポーツカーの写真を見せてもらいます。
「僕は男はみんなスポーツカーを持つべきだと思ってる。社長はすでに3つも持っていた。憧れるよ。僕の人生の目的をすでに達成してるんだもの」と言うあーちゃんに、社長が、私も若い時には買えなかったけれど、目標を持ってがんばった、あなたも頑張れば大丈夫、とエールを送ります。
  
【14:00】
そして舞台は、カエイちゃんの通う自然農法大学校へ移ります。

あーちゃんとカエイちゃん
あーちゃんとカエイちゃん

農薬や化学肥料を使わない百姓を育て、人々を健康にするという学校の理念を語るカエイちゃん。
あーちゃん「僕の学校では農薬は使わない。でも雑草は取り除く必要がある。雑草が全て取り除かれると、点数が上がる。取れば取るほど点が上がるんだ。」
カエイちゃん「変なの!」
あーちゃん「変だよ。生徒はテストのために生きてる。でもテストで良い点を取ったからって、ものごとを理解してるわけじゃない。たとえ満点でもね。」
カエイちゃん「テストをパスすることと理解することは違うね。」
あーちゃん「でも台湾では、テストで良い点を取ることが大事なんだ。それが全てになってる。」

カエイちゃんが語ります。
「私は台湾で文学を学んでいました。農業とは何の関係もありません。成績は良かったです。だけど、大学が人生の最終到達点のように思えてしまって、そこから先に何をしたらいいのかがわからなくなったんです。それで家に帰って、農業か何かをやろうと思いました。そして日本で、自然農法を学ぼうと思ったんです。そこに、人と自然が持続可能に生きられる何かがあると思ったから。」

自然農法大学校
自然農法大学校

自然農法大学校の若者たちと一緒に作業をしたあーちゃんが言います。
「台湾では他の学生を見ることがない。もし一緒に骨折って働ける仲間がいたら・・・さつま芋を一緒に運んだりしたら、きっと疲れない。僕は家で働くとすごく疲れる。おしゃべりしたり、心を分かち合ったりする同年代の仲間もいないから。」

カエイちゃん「生徒たちは週末には外出するの。」
あーちゃん「遊びに行くの?」
カエイちゃん「そう。みんなでカラオケに行ったりとかね。」

カエイちゃんは言います。
「 私は大学を2回落第しています。その頃は、とても混乱していました。鬱になっていたのではないかと思います。たくさん食べては吐くということをしていました。それ以外の鬱の症状も出ていました。その状態が1年ほど続きました。家から出ることもできず、他の人と向き合うこともできませんでした。」
「これから訪ねるのは木の花ファミリーです。私は以前、木の花についての記事を書きました。今も、時間がある時にはそこに行きます。大体月に1、2回かな。日本では、私の心のふるさとのような場所です。」
  
【19:45】
そして自然農法大学校から木の花ファミリーへ!

木の花ファミリーに到着
木の花ファミリーに到着

木の花ファミリーに到着し、なかのんがスーツケースの車輪を拭いています。
あーちゃん「今の感覚をまだどう表現したらいいのかわからないよ。」

到着して、初めての昼食。
あーちゃん「なるほど、みんなの準備ができるまで待つんだね。」
あすか(当時2歳)が「おいのりします!」と声を上げます。
 
【21:55】
田んぼ隊メンバーと一緒に、お茶畑での除草作業を始めます。御前崎で最新式の機械とは対照的な手作業での地道な作業に、あーちゃんは口数も少なです。

手作業での除草
手作業での除草

カエイちゃん「畑でカマキリを見つけると、私たちは喜びます。だってカマキリはたくさんの害虫を食べてくれる天敵だから。自然農法にはたくさんの流派があるけれど、一般的に、生態系を持続可能に保つことを旨としています。そして自然に作物との対話をします。例えば、虫を見付けたらつかまえるでしょう。でもそれがカマキリのような天敵だったら、感謝するんです。」
撮影スタッフ「台湾の君のさつま芋畑に、カマキリはいる?」
あーちゃん「いいや、いないよ。木の花の人は虫を見つけると喜ぶね。でも僕が畑でなめくじやバッタを見付けたら、自分の作物が食べられちゃうって思うだろうね。だけど木の花の人たちは、心配する代わりに写真を撮るんだよ。」

肥料まきをしながら。
あーちゃん「慣行農法無しには、世界の人口を食べさせることはできない。」
 

裸足で農薬をまく台湾の男性
裸足で農薬をまく台湾の男性

【23:12】
日本に来る10日前の台湾のあーちゃんの地元。男性が裸足で農薬をまいています。
あーちゃん「僕の地元の年寄りたちは長靴を履かない。裸足で畑に入るし、防護装置も着けずに農薬を撒いてる。
僕は、人々を惹きつける自然農法とはいったい何なのかを知りたい。彼らが人生をそれに捧げるのはなぜなのか。だって、僕にとっては自然農法は全然魅力的じゃないから。それが正直な想いだよ。」
 
【23:48】
茶畑での作業の後、地主のおばあちゃんの家で休憩しながら、あーちゃんがメンバーたちに質問をします。
あーちゃん「皆さんは全員、農業をやっている。世界にたくさんの仕事があるのに、どうして農業を選んだの?ただ興味があるから?それとも経験者だから?」

*まこっちゃんが、質問に日本語で答えます。
引きこもりだった自分がなぜ農業を選んだのかを、まこっちゃんの言葉で、どうぞお聞きください。

質問に答えるまこっちゃん
質問に答えるまこっちゃん

  
あーちゃんにじゃれつくゆりか
あーちゃんにじゃれつくゆりか

【26:08】
本宅でゆりか(5歳)に絡まれるあーちゃん。
撮影スタッフ「一緒に遊べば?」
あーちゃん「子どもは嫌いなんだよ。」
撮影スタッフ「じゃあ、やめてと言ったら?(ゆりかに向かって)こっちにおいで!頭をなでてやったら?」
あーちゃん「あぁ、もう耐えられない。」

【26:28】
木の花庵の廊下に座り込むあーちゃん。

廊下に座り込むあーちゃん
廊下に座り込むあーちゃん

あーちゃん「ここは美しいけど、僕にはいいところだとは思えない。この暮らしに馴染めない。僕は普段、寝たい時に寝て、疲れてなければ寝ない。シャワーを浴びるのは寝る前だけ。でもここでは毎日決まって午後6時に浴びなくちゃいけない。
ゲストが一人でシャワーできる所があればいいのに、と思ったよ。そうすればみんなと一緒に浴びなくて済むから。
僕は普段は気ままに生きてるんだ。だけどここでは、全てが決められていて、時間通りに動かなくちゃいけない。本当に馴染めないよ。行動が制限されて、最初は軟禁されたような気分だった。」
 
【28:00】
カトケンと一緒に、肥料作りを体験。
カエイちゃん「これは昨日お茶畑でまいたものよ。ボカシと言って、未完熟な分解のコンポストなの。」
あーちゃん「(荷物を運ぼうとして)まず、ウォームアップさせて。でないと持ち上げられないよ。(軽く準備体操をした後、コンテナを持ち上げてみて)あー、とても軽いんだね。」
「(くしゃみをして)すごく涙が出る作業だね。」

撹拌機を使った肥料作り
撹拌機を使った肥料作り

「自分で肥料を作るなんて、やったことがない。僕の地元では肥料は買うのが普通だよ。ほとんど全てが化学肥料だね。」
カエイちゃん「これは植物を搾った残りかすよ。すごくいいにおい。」
あーちゃん「 本当?嗅がせて。」
カエイちゃん「 うーん、いいにおい。」
あーちゃん 「地元に帰ったら何をしようかと考えてる。こういった機械(攪拌機)もないから、シャベルを使って土を返さなくちゃ。時間がかかるね。ちょっと考えてみるよ。やってみたいんだ。」
カエイちゃん「カトケンは新潟県の出身。新潟はコシヒカリの産地なの。小学生の時に、人生の意味を考え始めたと言っているわ。」
あーちゃん「小学生の時に?その年のわりに大人だったね。」
カエイちゃん「そう、どんなライフスタイルが最大の喜びをもたらすかを考えたのよ。みんなが真の幸福を感じられるライフスタイルを。」

*カトケンが、なぜ自分はこの生き方を選んだのかを語ります。

なぜこの生き方を選んだかを語るカトケン
インタビューに答える1年前のカトケン

〈実はこの数日後にカトケンは木の花を離れたのでした。映像の中のカトケンを見て、半年ぶりに帰ってきた現在のカトケンとあまりにも表情が違ってビックリ!〉

現在のカトケン
現在のカトケン

〈カトケンの変化については、木の花ファミリー通信今月号のメンバー紹介をどうぞ!〉
 
あーちゃん「僕らはとても似ていると思った。僕の母も祖母も、僕が大学に行かずに地元に戻ることに最初は反対したよ。だけどカトケンはこう言った。彼がこの暮らしで何かを掴んで、良い人生を送ることができるなら、両親もきっと理解するだろう、って。それを聞いて、勇気をもらった。だって彼はすでにそれを実現しているから。彼の両親はもう、反対しない。だから僕も地元に帰って、何があっても自分の信じることをやり続けたら、きっと母も祖母も、僕を支えてくれるようになるんじゃないかと思うんだ。」
 

コンサートで歌う子どもたち
コンサートで歌う子どもたち

【31:45】
ウェルカムコンサートにて『Welcome to 木の花ファミリー』を歌う木の花楽団。会場のメンバーたちも一緒に歌ったり、踊ったりして、そのようすをあーちゃんはカメラに収めます。

あーちゃん「ここの人たちが求めているのは、お金じゃない。10年、20年前はそうだったかもしれない。でも、今は違う。
自然農法とは、健康や、環境のことだ。それは、お金じゃできないことなんだよ。」

まこっちゃんの背中を流すあーちゃん
まこっちゃんの背中を流すあーちゃん

【33:00】
お風呂場でまこっちゃんの背中を流しながら。
あーちゃん「気持ちいい?」
まこっちゃん「Very Good!」
 
【33:40】
サツマイモ畑でひろみちゃんと一緒に収穫。
あーちゃん「ここの土は本当に親和力がある。とても良い土だ。見て、土に団粒性がある。僕の地元の土は、こうならない。ここの土は握れば固まる。」

ひろみちゃん
ひろみちゃん

ひろみ「(さつま芋を見せながら)Too big!」
撮影スタッフ「どういう意味?」
あーちゃん「Very big. すごく大きいってことだよ。彼女が何を言おうとしているのかを感じなくちゃ。そのためにはいくつかの単語さえわかればいい。英語と同じだよ。ほとんどの単語は助詞だから意味がない。自分が知っている日本語を使えばいいんだ。言語は語彙力が全てで、文法はそんなに重要じゃない。互いに理解し合えれば、それでいい。」

畑に寝転ぶあーちゃん

ひろみ「He likes talking.(あーちゃんは話をするのが好きね。) Do you like talking?(話すのが好き?)」
カエイちゃん「話をするのが好きかどうか、ひろみちゃんが聞いているよ。」
あーちゃん「うん、すごく良くしゃべるよ。すごいおしゃべりだよ。」
(ひろみ:笑う)

あーちゃん「最初の数日は、あまり話さなかった。でも、今日さつま芋の収穫をして地元を思い出したんだ。それでいろいろ想いが湧いてきてる。」
そのままあーちゃんは、サツマイモ畑に寝転びました。

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えいこばあちゃんとおこわ作り
えいこばあちゃんとおこわ作り

【35:50】
釜戸小屋で、えいこばあちゃんと一緒におこわを作ります。
あーちゃん「えいこばあちゃんはとてもよく気が付く人で、こちらがお腹をすかせていたらすぐにわかるんだ。」
「(味見しながら)しょっぱくも油っぽくもないよ。すごくいい匂い。野菜の香りだね。(日本語で)超おいしい!」

〈ここで「えいこばあちゃん70歳」という字幕が出ますが、実際は74歳です♪〉

あーちゃん 「えいこばあちゃんはあまり英語を話さない。だから、僕たちが会話をするのは難しい。彼女は素晴らしいよ。まるで僕のおばあちゃんみたい。彼女は調理器具もそのまま素手で扱えるんだ。他の人がフキンはどこかな、と探している間に、もう料理をテーブルに置いてるんだよ。」
 
【37:00】
林の中を歩きながら。
あーちゃん「僕が育った町には友達がいるけど、祖父母の町にはほとんど友達はいない。でも、僕が本当に我が家のように感じる唯一の場所は、祖父母の町。時々、僕は祖父母のことを気の毒に感じるんだ。二人とも田舎に孤独でいるから。彼らの子どもたちは、もはや田舎に住んでいない。」
〈台湾の祖父母と食事をしている映像が映し出されます〉
「子どもの頃から、祖母は僕を甘やかしてきた。彼女は僕の好きな食べ物を知っていて、僕が戻ったら、お気に入りの料理を全て作るだろう。もし僕がおいしくないと言ったら、その料理はもう二度と僕の前には出てこない。祖母は自分のためには作るかもしれないけど、僕には二度と出さないんだ。」

台湾のおばあさんと農作業
台湾のおばあさんと

撮影スタッフ「おばあさんについて感じることを、人に話すことはある?」
あーちゃん「ほとんどない。両親でさえ知らないよ。もしも祖母のことを話したら、両親は僕のことを偉そうだと思うだろうね。それは普段の僕と違うから。
もし、誰かが急に自分の感情を全て話し出したとしたら・・・そう、人はたぶん、それがその人の本心だとは思わないんじゃないかな。だから、僕は人に話さないことを選ぶんだ。」
  
【38:20】
滞在最終日の夜。ファミリーの大人全員が集まる大人ミーティングで、あーちゃんが台湾から持ってきたお茶を淹れてくれました。

台湾のお茶を淹れるあーちゃん
台湾のお茶を淹れるあーちゃん

あーちゃん「こんばんは。この日本への旅行のために、台湾でお茶について学んできました。そして、これは自分で作ったお茶です。
〈日本へ行く7日前の台湾のお茶工場の映像〉
あーちゃん「朝10時から始めて、翌朝4時近くまで終わりませんでした。これが客家(ハッカ)精神です。これは、主に客家地域で生産されているお茶です。日本人は緑茶を飲むので、ここの皆さんのためにお茶を持ってきました。台湾人がどのようなお茶を飲むのかが、わかると思います。」

写真を見ながら木の花メンバーたちがお茶について質問したり、試飲をします。
その後、あーちゃんがみんなに挨拶をします。

あーちゃん「僕は木の花で多くのことを学びました。最初は、自然農法についてだけ学ぶのだと思っていました。こんなにも多くのことを得られるとは思ってなかった。できたら、僕の祖母と両親を本当にここに連れてきたいです。日本にこんな生き方をしている人達がいるってことを、知ってもらえるように。」

*えいこばあちゃんが、あーちゃんに挨拶をします。

日本語であーちゃんに語りかけるえいこばあちゃん
日本語であーちゃんに語りかけるえいこばあちゃん

 
えいこばあちゃんの言葉をじっと聞いていたあーちゃんが言いました。
「えいこばあちゃんにハグしてもいいですか?僕のおばあさんを思い出すんです。」
 
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木の花楽団の曲『この世界をつくっているのは』が流れます。
 

カエイちゃん
「種は発芽する必要があります。農業では、種は独りでに発芽するわけではありません。水を必要とします。土を必要とします。酸素を必要とします。それから適切な天候が必要です。だからあなたを、ここに連れてきたのです。私がやっているのは、ただ種を蒔くこと。これは素晴らしい運命だと思います。」

あーちゃん
「僕は今、とても感動しています。日本語の歌詞はわからないけれど、美しい音楽と映像が、歌の魂と僕をつなぎ合わせてくれました。
僕は・・・この音楽を聴きながら、自分の心の中を感じました。そして、自分がこの人生で本当に求めているものは一体何なのか、ということと、向き合ったんです。」

 

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*おまけ
エンディング曲となった『この世界をつくっているのは』は、一人ひとりが心の中に想いの「種」を持っており、どのような花をこの世界に咲かせるのか、ということを歌っています。そしてこの番組のタイトルは、「Seeds from the Heart」―――― そう、「心の種」なのでした。