8月カタカムナ研究会レポート

今月もカタカムナ研究会が開催されました。
回を重ねるごとに深まっていくこの研究会はいったいどこへ向かうのか。毎度おなじみ、あわちゃんからのレポートをお届けします!
 
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今、時代は、とびきりのターニングポイントを迎えています。

近現代に人類が生きてきた価値観がひっくり返る
とてもダイナミックな時代がやってきています。

そんな中、カタカムナ講師の芳賀兄は今回の研究会で
「このままでは、やばい、地球がもたなくなる」
というようなことを何度も言っていました。

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今回のレポートは、特に盛り上がった研究会2日目の内容を中心に紹介していきます。色々な観点から話が出て、脳がグルングルンと揺さぶられるようなとてもエキサイティングな会となりました。今回のレポートもあちこち話が飛びますがご容赦ください^^;

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始めの挨拶は、みかちゃんの歌、いさどんの挨拶、そして「天との阿吽」という文章等が紹介されました。

(そのときの様子の動画です。芳賀兄はみかちゃんの歌声には倍音が含まれていると言っていました。)

「やっと出会えたね」

みかちゃんの歌の歌詞にはそんなフレーズがありますが、いさどんは挨拶の中で「先日映像で見た戦後70年特集をしているドキュメンタリーに出てきた沖縄の少年兵の話を例に、最近今まで隠されていた真実がどんどん明るみに出てきている、それも「真実との出会い」で、そこから次の時代をどうしていくか考えていく必要がある。そして、このような約束の元にある色々な出会いを大事にしていかなければいけない。」という話がでました。

「天との阿吽」は、いさどんから湧いてきた言葉で、書き起こしのリンクはこちらです。

映像中の「2015年のマヤの新年を迎えるにあたって」の書き起こしのリンクはこちらです。

はじめの挨拶の後、人類のためにも長生きをしていただかなくてはいけない芳賀兄に、木の花ファミリーからとても貴重なスズメバチ漬けのハチミツが贈呈され、芳賀兄は何度も頭を下げお礼を言っていました。

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始まりは、最近の中国経済減速の影響から世界中で株価が暴落しているニュースを取り上げ、表面的には「何かよくないこと」が起きているように見えても、この研究会や木の花ファミリーのような生き方をしているとそれはむしろ、闇の時代から光の時代に切り替わる「めったにないラッキーな時代に生かされている」とも言えるという話から始まりました。

(木の花ファミリーで時代の分析に使われる25800年周期説も研究会で初めて披露されました。)
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その後、カタカムナについての話になり、カタカムナという同一のルーツを用いていても、日本列島やマヤではそれぞれの生かし方が違う(日本は宇宙創造の原理を解き明かし、マヤでは宇宙全体が動いている周期を読み解いている)ことなどが話されました。

そして「想い」は「原子」の隙間を縫って世界・宇宙を駆け巡り、現代の西洋文明では解き明かすことが出来ない現象も起こすことができる、例えば天気にも人の「想い」が影響するし、火山活動やひいてはこの地球や太陽系の運行にも影響してくる、そんなことがこれから東洋文明が光を浴びてくる時代に当たり前に語られていく時代になっていくようです。

今回ゲスト参加をしたじゅんぞう君は、現在鍼灸師の学校に通っています。

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そんな彼に対して芳賀兄は、「針での治療は必要がない。治してやろう、というのは我欲である。信じる。ゆだねることが大事。」と言っていて、そこでいさどんも「あるべき姿をイメージして、歪んでいるものをはさんで正しい姿にする。でも、最終的には、人にやってもらうのではなく自らを健全にできるようにしなければいけない」と言っていました。

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再びカタカムナの歴史や単音解説に戻り「カタカムナ」と「カタカナ」の違いや、「イノチ」という言葉ができた過程、そして漢字の「宮」の読み解き方などが話されました。

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そこから、また今の時代の話になり、この転換点に「これからますます木の花の役割が出てくるね」と芳賀兄が話したところ、いさどんも最近中国からの訪問者が増えていると言い、そんな中、今回は中国の内モンゴル出身の青年が参加していました。

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彼は、冒頭のいさどんの挨拶を聞いているときにインスピレーションが湧き、以下のような「天の故郷」という詩が降りてきたため、その内容をみんなからの希望で披露することになりました。

 
ーー以下その詩ーー
 

「天の故郷」
 

僕はずっと思ってた

僕はずっと感じてた

紅葉が落ちる瞬間

その舞う姿と土との響き

 

神々が織る富士山の足元

素敵な人たちが集まり

清い川が流れ

自然に美しい霧が漂う

 

僕は六年の修行をへ

先祖の教えに従い

やっと辿り着いた

ここは天の故郷である

 

2015.8.25

木の花で

 
ーー以上ーー

 
これはいさどんが「天との阿吽」を読む前に彼に降りてきた詩であり、いさどんは「心が美しいからこういうものが生まれてくる」とコメントをしていましたが、彼の目はキラキラしていてとても爽やかな好青年でした。

その後、カタカムナの本「潜象道シリーズⅢ カタカムナ解読の軌跡」に入りました。

ここで芳賀兄は、戦後のカタカムナの解き明かしの歴史を解説し、これからは現代にあった芳賀兄独自のカタカムナ理論を展開していくことなどを語っていました。

そして、これからの教育や子供たちの話になると、木の花ファミリーで生まれ育ったひみちゃんの幻想的なブログも紹介されました。

その内容はこちらのブログ記事「木の花ファミリーで起きたこと~太陽の国のお話編~」をご覧ください。

そんなこんなで、話題が宇宙の端から端へ飛んだような場でしたが、終戦70年のこの月に開催した研究会にふさわしいとても重みのあるよい会となりました。

そしてカタカムナの話も単なる知識や教えだけではなく、実際に生活に落とすという木の花ファミリーでやるからこそ、意味があり大事だということも改めて痛感した2日間でした。

以下最後の締めくくり話の動画です。

 

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次回カタカムナ研究会は下記の日程で開催します!

9月 カタカムナ研究会

【日時】
集合:2015年9月14日(月)

11:05 JR身延線「西富士宮」駅 又は 10:51 富士急行「大石寺」バス停(送迎あり)
お車の方は11:30までに木の花ファミリーおひさまハウスひまわりへ直接お越し下さい
解散:2015年9月15日(火) 昼食後(送迎あり)

【定員】
15名

【参加費】
8,640円
(1泊2日、宿泊・お食事・送迎・保険料・税込み)

日帰り参加の場合:1日につき3,240円
(お食事別途)

*同性の方との相部屋をお願いする場合がございます。
*オプションにて、木の花ファミリーの施設見学やプレゼンテーションのご提供も可能です。
〈見学ツアー〉90〜120分
 お1人様540円
〈プレゼンテーション〉120分
 2,700円
 上記料金を参加される方の人数で割り、分担していただきます。(中学生以下無料)
 例)参加者2人の場合:1人あたり1,350円 / 3人の場合:1人あたり900円
 ただし、5人以上の場合は1人あたり一律540円となります。

【お申し込み】
下記サイトよりお申し込みください。
 → カタカムナ研究会へのお申し込み
 
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宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

2015年マヤ新年の日、地球に祈りのウェーブを巻き起こす式典の中で、いさどんは次のように語りました。

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今日2015年7月26日、マヤの新年・11MENの祭典に立ち合わせていただきました。そしてその最中に、ひとつの文字が浮かんできました。それは、「時(トキ)」という文字です。マヤ暦はおよそ20000年前から始まりました。その歴史をたどれば、今わたしたちはカタカムナを学んでいますが、そのカタカムナ以前に太平洋という地球上で一番大きな海にムー大陸があったそうです。そのムー大陸が消滅したとき、時(トキ)の文明を東に移し、マヤの文明にしたのです。そして、言魂の文明を西に移し、ユーラシア大陸の端に存在していたヤマトの国に移したのです。それから13000年の時を経て、一昨年、わたしたちはそれをカタカムナの学びとして出会いました。そして昨年から、メキシコの太陽マヤ族最高司祭の尊母ナー・キン氏との出会いにより、このヤマトの地で、マヤの新年の祭典が行われるようになったのです。

歴史を振り返ってみますと、2012年12月21日に25800年ぶりの銀河の冬至を迎えました。わたしたちの地球にも冬至はありますが、冬至とは光がもっとも少ない闇のピークのことです。わたしたちは太陽の生命エネルギーをもとにして、地球上で生命活動を行っています。そして、全ての生命が自分という個性をいただいて、時代を紡いでいるのです。その太陽の一螺旋である25800年ぶりの銀河の冬至が2012年12月21日に訪れ、この日を持ってマヤ暦は終わっています。それは、時(トキ)の文明を継承したマヤの人たちが、太古の昔にそういった宇宙の仕組みや太陽の構造を理解していたということです。

これまで、わたしたちは新たな時代を迎えるための心の準備をしてきました。一人ひとりが自らの個性的な心の歴史を知って、カルマを読み解き、そして新たな心とともに新たな時代を迎える準備をしてきたのです。それが木の花ファミリーの21年の歴史です。

そしてくしくも、新たな時代の扉を開けることになった4年前の東北の震災3.11を持って、わたしたちは地球暦に出会ったのです。地球暦に出会って、わたしたちは自分個人を生きているのではなく、星々の対話を受けて、宇宙の意志を一人ひとりの人生に表現していることがわかってきました。

こうした様々な出会いのもとに、今日2015年7月26日、わたしたちはこの富士山麓の地で地球一周の始まりとしてマヤの新年の祭典を迎えています。この祭典はヤマトの国・日本で始まり、そして24時間かけて地球を一周していくのです。

イメージしてください。宇宙を意識した人々の心が羽ばたくようにウェーブとなって、地球を一周するのです。つまり、地球は丸く、時代は途切れることなく永遠に紡がれながら、わたしたちはひとつの世界を生きているのです。

地球上にはまだまだたくさんの争いや様々な困難がありますが、これは人間以外のものが創ったものではありません。それは、人間が自我を自らのためだけに活かそうとして生きてきた結果なのです。それも、それほど長い期間のことではありません。時をさかのぼれば、およそ250年前のヨーロッパ産業革命以降のことでしょう。さらにもう少しさかのぼれば、800年、1600年くらい前のことでしょう。それ以前、人間は自然とともに生かされ、生命ネットワークの中の役割のひとつとして他の生命とともに繁栄していました。

今、この時を迎え、人間の中で自我が沸騰しています。しかし、これは悪いことなのでしょうか。

それは決してそうではありません。人間の可能性と高い能力を知るためには、思い切りその能力を表現する必要があったのです。そして現実にそれを表現したときに、その問題点も噴き出してきました。それが今の時代です。今、それをコントロールする時(トキ)が訪れ、そして自らのカルマを表現する言魂によってコントロールしていく時代になったのです。今、トキとトコロ、マヤとヤマトが出会って、この祭典につながったのです。

そのように考えますと、わたしたちは自分でわかっている範囲で生きているわけではないのです。星の対話によって時代が刻まれているのであり、それは宇宙の仕組みで生きているのです。その仕組みの中で、わたしたちは常に変化・変容・変態を繰り返しながら進化しているのです。

そういったことをイメージしながら、調和の世界を地球上に表現していきましょう。わたしたち人類は、非常に優れた能力と大きな影響力を持っています。人類が目覚めたら、次の時代にはきっと、この地球生命、さらに宇宙に大きな貢献をするような魂となって育っていく姿がイメージできます。

時代は21世紀に入り、ようやくそのような時代になったのです。2012年の銀河の冬至を迎え、新たな扉が開き、2013年・2014年・2015年と3年間その変化の準備期間をいただいて、2015年はその最後の年です。この新年が明けると、いよいよ新たな時の流れを世界中の人々が感じるようになり、人類も地球自身も新たな宇宙時代を迎えるのです。

それぞれの歩みがあるとしたならば、木の花ファミリーは世界に先駆けてそのことに気付き、目覚めたものとしてこの生活を通して表現するものなのです。これは今後の木の花ファミリーの生き方にますます反映され、そして宇宙を通し、地球ネットワークを通して、全世界に広がっていくものだと確信しています。今日のこの快晴は、天がそのような意志を示されていると感じながら、皆さんとともにその自覚を持って歩んでいきたいと思っています。

木の花の歩みが始まったのが21年前だとしたら、やっと今、時が追いついたのです。人は土星の30年のサイクルで生きていますが、最初の30年で自らが何者かを知ります。そして自らが何者かがわかったら、次の30年でそれを人生に表現するのです。そして、60年でその結果をいただき、その後旅立つための仕上げの準備をするのです。木の花ファミリーの20年から30年に向けての今後の10年間は、きっと新たな時代を紡いでいく大きな役割を果たしていくのでしょう。

そういった意味で、わたしたちは宇宙を生き、時を生き、時代を刻んでいるのです。その中のトコロという場にわたしたちの存在があるのです。ですから、心をしっかりと観て、宇宙・トキ・トコロを意識しながら生きていくことが、生命として、そして大きな役割をいただいている人間としての目的なのだと感じています。

それは、宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生を託されているのです。そして、人々は自我から解放され、この世界のために天の意志をいただいて生きていく時代に入ったのです。それは、価値ある素晴らしい人生です。自分のことは自らで責任を持ち、高い意識で歩んでいきましょう。そして、地球上にみろくの世を実現させましょう。皆さん、これからもよろしくお願いします。
 

一人ひとりにオリジナルな人生が託されている
一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

 

 


ミノナライ

日本には、「見習い」という言葉がある。
これはとても意味が深い言葉だ。

この言葉は、カタカムナで言う「ミノナライ」から来ている。
くり返し、くり返し、行を重ねて、細胞にしみこむまで
身につけていくことを言う。
その中から、正しい方向性をつかむ「直観」が磨かれていく。

熟練した職人についた弟子は
見習い期間のうちに、師匠の一挙手一投足を真剣に観察し、
師匠の技を学び取っていく。

日本には「一を聞いて十を知る」
という言葉がある。

それは
師匠に説明してもらって分かるのではなく
相手の心や、言わんとすることを読み取り
これからすることの気配を感じ取ったり
技をみて盗んでいくということ。

瞬間、瞬間が真剣勝負なのだ。

いさどんが畑に出ていた頃
畑作業の現場は、まさにこういう「ミノナライ」の日々だった。

いさどんは、
少なくともメンバーと一緒に仕事をするときには
多くの説明をしなかった。

いさどんの手元をするものは
いさどんが、これからしようとすることを
全神経を傾けて読み取る必要があるし
次に自分で出来るよう
真剣に学び取って、身につけていく必要がある。

その動きを真剣に見なければ
適切な行動を取ることは出来ない。

余りにも勘が鈍いものは
仕事拒否をされることもあった。
私も仕事拒否をされたことがある。

ある日のこと、畑でいさどんと作業をしているときに、
いさどんがして欲しいことが分からずに
「もうだめだ」と投げだそうとしたことがあった。

そのときにいさどんから
「そこでそうなるからダメなんだ」と言われ、
それもそうだと思い、気を取り直して作業を続けたということがある。

人は勝手に自分で限界を設定し
それを超えられないものにしているが
自ら設定した限界は、超えることが出来るのだ。

又こういうこともある。
いさどんのために配慮として取った行動に対して
後で「無駄なことだ」とか「嬉しくない」言われることがある。

ある日の畑で、私が取った行動は
不安をベースに考えた結果だったので、直感が働いておらず
的外れの行動になってしまったのだ。
そのためにぐるぐる回した思考も、取った行動も無駄なことだった。

「先を読む」「言われてからやるのでは価値がない。」
ということも、いさどんはよく言う。
自ら先を読むことが求められるのだが、
自分の思考にはまりこんだ状態では
相手の心や物事の流れを感じ取ることは出来ない。

心に曇りがある人間は、知らず知らず、日々的外れなことをしている。
その的外れを、作業の現場で教えられる日々だった。

今でも、いさどんと会話すると「何故そう思うのか?」と、
何気ない会話の中で問われ、答えられなくなることがある。
安易な思考と、安易な言葉遣い、そして安易な行動というように
物事はどんどん安易な方向へ流れていく。
そういう安易さをいさどんは見逃さない。

こんなふうに、心を細かく見られたらたまらない
と思う人もいるだろう。
世間だったら、人によっては、いさどんのことを「なんて横暴な人」
という判断を下す人もいるかもしれない。

けれども、安易な思考をし、言葉を発し、行動をとり続けてきた結果
人は、自分の人生を行き詰まらせる。
そして、そういった人がたくさんいることの延長に
地球上には山積みの問題が展開されている。
殆どの人が、それが自分たちの安易な思考と言葉と行動の結果とは思っていない。

もともと日本には
師匠に弟子入りしてそのそばにいて、聞いておぼえるのではなく
自ら読み取って身につけていくという鍛錬の方法がある。

ある雑誌の記事に、カナダ人の落語家「桂三輝」のことが載っていた。
彼は、桂三枝の創作落語を見てそれに惚れ、弟子入りしたという。

「三年の修行期間中、師匠の部屋やトイレを掃除しながら
朝から晩までべったりついて芸を盗みます。

落語の修行は非常に大事。人間が変わると思う。
師匠が言わなくても、「今コーヒーがのみたいのかな」と気付かないといけない。
「コーヒー入れて」という言葉を待っていたらアウトで、
言葉のないところを探さなくてはなりません。

そうして修行が終わって、師匠の空気を読めるようになったら、
落語をやるときにお客様の空気も読むことができるという考えかたなんです。」

この記事を読んだときに、
「いさどんのそばにいる人たちがしていることは、まさにこういうことだ。」
と思った。

「自分というものをわきに置いて、まず相手のために行動する。」
いさどんが、私たちにいつも言う言葉。

いさどんはそうやって、周りにいる人の心をつくっている。
細胞一つ一つに染み渡るように、
そしてエゴが削ぎ落とされるように
身をもって示し、良心に語り続け
根気強く私たちを導いてきた。

かつて私は、世界の平和を思って世界平和の祈りをしていた。
けれども、木の花へ来て、みんなで暮らしてみると、
実際の生活の中で、自分の事ばかり考えていることが徐々に見えていった。
こんなに自分優先で生きていたのかと思い知る日々だった。

自分優先で物事を進めようとすると必ず滞りが起こる。
自分をおいて他者の為に動く、それを働く(ハタラク)というが
こういったことを、実践するよう「ミノナライ」の手法で
全細胞に染み渡るよう、日々育まれていたのだ。

その先に何があるのかというと、
一人一人が直観で物事を受け取る様になると
議論したり、細かい段取りをしなくても
物事がスムーズに運んでいく世界が展開する。
それが木の花の合い言葉「阿吽」なのだ。

スポーツの世界を見ても
日本では「柔道」「剣道」というように「道」がつく
こうした「道」と名がつくものは、「練習」ではなく「稽古」を積むという。
6月のカタカムナ研究会で、はが兄がこのことについて語った。
稽古(ケイコ)とは、練習とは違い、一瞬一瞬が真剣勝負なのだという。

「ミチ」をカタカムナの短音で解くと
身(ミ)にカムミ(ミ)が持続(チ)すること。

カタカムナ人は、
「ヒ」から始まり、
「フ」で震え、陰陽「フタツ」に別れたものが、
「ミ」で満(ミ)つってエネルギーとして中身(ミ)が充満し
「ミ」から始まり「ミヨイムナヤコト」と発展していく経緯をミチと言った。
これを学んだ中国人は「ミチ」という言葉に
「道」という字を当てたのである。

また、「ケイコ」を短音の思念でひもとくと
相手の位置(イ)の気配(ケ)を心で感じ取るまで、
くり返し(コ)そして超えて(コ)ゆく事。

「ミノナライ」とはまさにそのことで
日々の一瞬一瞬が真剣勝負なのだ。
その積み重ねの中で、自分というものを超えていって
ついには、
神業を会得するところまで人は行くことが出来る。

いさどんのいただきます人生ブログ「疫病神も逃げていくヒビキ」には
次のようなことが書かれている。
 
   ◇ー◇ー◇ー◇ー◇

あなたの癖は、「自分なりに」ということ。
でも、その「自分なり」を超えないと、新たな自分は生まれてこない。

人というものは、
自分なり以上のものを求められると、苦痛に思うものなんだよ。

しかし、自分なりに生きてきた結果、
たとえばそれが良いことならそのまま進めばいいのだけど、
そこに何か問題事があるとしたならば、
それは自分なりに生きてきたからなんだよ。

ということは、
その「自分なり」を変えることが、次のステージに進むことになる。

地球は、
変化・変容・変態を繰り返しているのだから、
「自分なり」なんて、
そんな固定された状態はないんだよ。

しかし、
そういったことを客観的に捉えられていないから、
自分なりに、
自分にとって心地の良い状態を常に保とうとするんだよ。

    ◇ー◇ー◇ー◇ー◇
 
「自分なり」という言葉を人はよく使う。

「自分なりにやってみます」
「自分なりに頑張ります」

日々身に起こる「自分なり」に対する答えである現象が
多くの場合、問題となって発生し、人は悩み、苦しんでいる。

いさどんが生活の中で「ミノナライ」として私たちに伝え続けているのが
この独りよがりの「自分なり」を超える術なのだ。

カタカムナでは、「ミノナライ」の結果、心の波動量が上がっていく。
それが、天の心、つまり「カムミ」を感受できるよう、
直観を鍛錬するという道なのだ。

直観を鍛錬する方法として、
木の花では日々の生活の中で、
まず自分をおいてみんなのために「ハタラク」
というケイコを積んでいる。

先に神技を会得している師匠について
いずれは自らがその域に達するのが
かつての日本の職人の世界だった。

今は、そういった師匠について
ミノナライの体験を積むのではなく
誰もがインスタントに出来るように、
均一なマニュアルに沿って仕事をするという風潮がある。

マニュアル主義は、現場で起こる様々な出来事に
臨機応変に対応できないという現象を産んでいる。
それは、直観が働いていないということだ。
そんなことが、今、いろんな現場で起こっている。

医療の現場、教育の現場、様々な生産の現場 ・・・ 等々

「自分なり」というひとりよがりや
考えずに済む「マニュアル主義」を超えるには
一人一人が真剣に天に語りかけ
真剣にその場に向かうことが始まりだと思う。

その事をやり続ければ
それは細胞に染み渡っていく。
細胞に染み渡った学びは
いつか時が満ちて、その人の個性となって花開く。
そうして、必ずその場にふさわしい答えを出せるものになる。

だから、日常の一コマ一コマを宝石のように大切に、
自分のためではなく、周りのために生きる。

いさどんが、みんなに伝えてきた大切なことが
カタカムナの学びと共に
ああ、あの時のあれがそうだったのかと、
一つ一つ甦ってくるのです。
 
 
 


7月カタカムナ研究会レポート

今月も大盛り上がりのカタカムナ研究会
毎度おなじみオブザーバーのあわちゃんからのリポートをお届けします!
 
■    ■    ■
 
昨日今日と、カタカムナ研究会に参加させていただきました♪
お陰様で、とても楽しいワクワクした時間を過ごすことができました。

それにしてもカタカムナは深い。そして、ここ木の花ファミリーでの研究会には無限の可能性を感じて、これからどうなっていくのか更に楽しみになりました^^

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木の花ファミリーでは、先週末に「宇宙おじさんの人生講座2:人生地図を読む」という、宇宙規模の壮大なスケールから今の時代や個人の人生や性格を紐解く講座が開催され、その流れを汲むようにこの2日間のカタカムナ研究会も進み、話題も多岐に渡りました。
 
いさどんの開会の挨拶では、自分自身を知るツールとして木の花にある「カルマ読み」、数年前にやってきた「地球暦」、そして「カタカムナ」との出会いに大きな意味の流れがあること。また、木の花ではこのツール類を使い社会で病んでいる人達を健全にしている活動を行っている話も出てきて、単なる机上の空論で終わるのではなく「生活に落とす」ことの大切さが話されました。

研究会の中では現代社会の異常さへの投げかけやギリシャの現状や国立競技場等の問題、更に広い視点から見た時代の流れ、そして「カタカムナ」の奥深さについて話は広がっていきました。
 
2日目の今日は、カタカムナの「単音の思念」の紐解き方や、単音を組み合わせて出来る「図象文字」についても解説があり、以下はその話題について盛り上がった場面のワンシーンです。

(「閃き(ヒラメキ)という文字を読み解きながらカタカムナの深さを語っている一場面)

 
いや〜、ここからがとても面白かった。

「ヒラメキ」という言葉には4つの単音が含まれているけど、その単音の思念にはそれぞれに意味があるだけではなくて、その4つの単音を組み合わせると「図象符」というものになり、その図象符は「ヒラメキ」という元々の単音の組み合わせ以外にも、「カ」や「コ」や「ミ」等複数の単音も奥に秘められていることが読み取れ、そうすると「ヒラメキ」の奥に「カミ」があるということまで読むことができます。

(「ヒラメキ」の単音(音声符)と図象符)
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(「ヒラメキ」のそれ以外の単音(声音符)を書いた図)
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また、「図象符」についての説明がカタカムナ単音辞典に載っていたので紹介します。

「図象符にするということは、大円(ワ)の中に入れてみることであり、例えば「ヒ」を大円に入れてみるということは、「ヒ」が現象界に於いて、どういう状態になるかが示されているので、それを感受してみるわけである。ところが、実際に行ってみると、大円に入れるよりもサトリの図象(上写真の○に十字の図)に入れる方が、より明瞭になる」

とのことです。
 
ちなみに僕の名前(さだき)を図象符で見てみると以下のようになります。
(「だ」は濁点がありますが、カタカムナには濁点はないので濁点をとって「タ」でみます)

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な、なんと僕は、3つの単音を組み合わせても元の図象符のまま。普通は円の上に小丸があり、最大以下のように8つの小丸があるのですが、僕のは、一つも、ない^^;
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みかちゃんが僕の名前について芳賀兄(講師の先生)に質問してくれ、そこからカタカムナと地球暦との融合の話にもなったので、その時の動画も載せます。

 
ということで、地球暦からカタカムナまでないない尽くしな僕ですが、小丸がないからと言って生きることに困る必要は、ないのかな^^v
 
また、この単音の思念や図象符は「2次元」の平面ではなく「3次元」の立体で表現されるものなんですよね〜。

しかもカタカムナ人はこれを全部「直感」でぱっぱっぱっとやっていたのか。

いや〜、カタカムナ、面白いですね。

 

カタカムナがどれだけ凄いかってことを現代科学とも対比して話されていましたが、カタカムナ5首の始まり部分「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト」は、太陽系の惑星が自転・公転し、更に連携しあって螺旋を描きながら宇宙空間を進んでいることも解き明かしているそうです。いさどんもそれを受けて、恐るべしカタカムナということで、人間の直感は今の科学よりも進んでおりそれは人間の可能性を更に広げていくことだと言っていました。

そして古代カタカムナ人は無数の単音から物事を表す言葉を創出していったけど、今はその出来上がった言葉から逆に単音を解き明かしていっています。これを「順序」の逆の「逆序」というようで、このことで古代カタカムナ人に寄り添い当時の人達の思考や直感の仕組みを感じ取れるようにもなるとのことです。いさどん曰くそれは、古代の生活に戻るということではなく、その思考や感受性を兼ね備えた上で現代社会のテクノロジー等を使いこなすことで更に進んだ何かを表現していくことができるという話も出ていました。
 
その他にも、カタカムナで子供向けお遊びカードを作ろうとなったり、一つの図象符から5・7・5調の歌等も作れるという話が出たり、「クスリユビ(薬指)」や「ムス(蒸す)」や「アソ(阿蘇)」の説明があったり、更に今回は潜象道シリーズⅢ「カタカムナ解読の軌跡」が10ページ以上進み研究会もどんどんいい感じになってきました♪

 

さぁ、この実践の場がある木の花ファミリーでのカタカムナ研究会はどうなっていくのでしょう。何かよく分かりませんが、ワクワクしますね。

今回も研究会に参加させていただきありがとうございました。地球暦も真っ白、カタカムナも小丸なしってことで「オブザーバー」ならぬ「オフ」サーバーということで、今後ともよろしくお願いします♪

 

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次回カタカムナ研究会は下記の日程で開催します!

8月 カタカムナ研究会
 
【日時】
集合:2015年8月24日(月)

11:05 JR身延線「西富士宮」駅 又は 10:51 富士急行「大石寺」バス停(送迎あり)
お車の方は11:30までに木の花ファミリーおひさまハウスひまわりへ直接お越し下さい
解散:2015年8月25日(火) 昼食後(送迎あり)
 
【定員】
15名
 
【参加費】
8,640円
(1泊2日、宿泊・お食事・送迎・保険料・税込み)

日帰り参加の場合:1日につき3,240円
(お食事別途)

*同性の方との相部屋をお願いする場合がございます。
*オプションにて、木の花ファミリーの施設見学やプレゼンテーションのご提供も可能です。
〈見学ツアー〉90〜120分
 お1人様540円
〈プレゼンテーション〉120分
 2,700円
 上記料金を参加される方の人数で割り、分担していただきます。(中学生以下無料)
 例)参加者2人の場合:1人あたり1,350円 / 3人の場合:1人あたり900円
 ただし、5人以上の場合は1人あたり一律540円となります。
 
【お申し込み】
下記サイトよりお申し込みください。
 → カタカムナ研究会へのお申し込み
 
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6月カタカムナ研究会レポート

6月のカタカムナ研究会参加者のあわちゃんからのリポートです!

★研究会の様子を、あわちゃんがショートムービーにまとめてくれました。
みかちゃんの歌、いさどんとはがにいの話に続き、中盤にはポイントをまとめたスライドショーがあります。

 
■    ■    ■
 
さぁ、またカタカムナ研究会の日がやってきました。

研究会開始前に、木の花ファミリーから芳賀兄に服の誕生日プレゼント♪
まりちゃんがつくってくれたそうです。超素敵。

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今回は、人数も増えて、満員御礼!

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そして、まずは、いさどんの挨拶、その後、カタカムナ63首。

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初めに、いさどんからは、今日見た朝のニュースの話があった。女性の社会進出が進んでいる事、そして最近めだかカフェが流行っている事等。やはり最近も変わらず物金の損得勘定の価値観が蔓延しているけど、これからの時代を生きる若い人達は「損得勘定」ではなく、「どうあるべきか」で生きていくという話がされた。

そして、待ってました、我らが芳賀兄の出番。(芳賀兄は、先日目の手術をされたとのことです)

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今日は冒頭から、「心磨き」という言葉が芳賀兄の口から出てきた。これからの時代は、自らの感情等が直接的に揺らされ問いかけられる時代で、物金の拡大から縮小に向かっていく。その中で自給自足で畑作業をただやる、というだけではなく「心」がとても大事になってくるというようなことを言っていた。

その後、現在の社会問題や行き詰まりについて1時間程話した後、潜象道シリーズⅡを読み、「希望の光プロジェクト」のイベント(以後「きぼひか」)で見たメトロノームの映像を見て、それについて深めていった。

 
 
ここからは、基本的に所感ですが、今日の研究会のポイントは、一言で言うと「対抗発生」という感じだった。

潜象道シリーズは例のごとく半ページ進んだだけだったけど、「性」についての本質を記載している部分を読みとても深いなと思った。そしていさどんも、ここが分かりにくいけどとても大事だ、と言っていた。
 
ーー一応読んだ部分で大事だなというところを抜粋しますーー

宇野が相似象学会誌を通じて、マイナス・エントロピーの性、アマウツシ、フトマニのサトリ、カゴメ歌、等の解説を繰返し繰返し述べて、読者に、言外の意味を汲み取らせようとしているので、カンの良い読者なら、おぼろげながら推察しているであろうが、感受性の鍛錬を志すものにとっては、どうしても「性」の問題を直視して考えなければならない。
宇宙生命のヒビキへの共振を求める段階に於いては、従来の性に関する倫理が反って大きな妨げになって来るのである。従って、この身に染み付いた、性に関する既成観念から脱却する事が肝要になる。
そのためには、宇宙生成の原理を教えた「カタカムナのカムヒビキ」の解説など、高度な科学的立場から自分自身を納得させなければ、理屈で凝り固まった現代人が性に関する本質的な理解に達することは至難なことである。
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そして、その後、メトロノームの映像を見て芳賀兄がこれは「対抗発生だ」と言っていて、「おー」っと思った。

個人的には、この前の「きぼひか」で輪になって皆で語り合った場がそれだと、改めて感じた(コンサートで最後に輪になって歌っている時は最も顕著に感じる)。話は色々な方面の事を話しているのに、最後は、ある一本の柱・落としどころにいつも集約されていく。皆が何か一つの約束のもと振り子のように話し始め共振し、響いていく。そしてそこには何か不思議なエネルギーというかパワーを感じる。

(先日のイベントの様子)
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「アマウツシ」という言葉が出てきて、人が1対1、もしくは多数の中で発生する時の現象だと思うけど、そもそもこれから一人一人の目覚めの時代だとすると、やっぱり一人でもアマウツシできる(それを「カムウツシ」というのだろか)ことがとても大事なのだと思った。

結局全体の時代ということは、個の時代、最後は自ら湧き出るものならなければいつも柱をもらわなければいけないから、全体の目覚めにはならない。そう言った意味で、「カムウツシ」自体が柱を立てる事であり目覚める事なのだと思う。

 
 
この前の「きぼひか」でも話がでたけど、「常に瞬間を所有している」ということも話を聞きながら思い浮かんだ。そして、自ら目覚め柱を立てて生きる、人と交流することで(それはただすれ違うとういうことでも「アマウツシ」になると思う)さらにその柱が立っていく。そして、またアマウツシてしていく。それはこの瞬間瞬間の出来事であって、人と人のやりとりだけではなくて人の細胞内のやりとりも、この宇宙創造の仕組みも全て共通しているのではないかとも思う。それは瞬間瞬間が知意行の繰返しでもある。

細胞一つ一つにもアメノミナカヌシがいて常に内から湧き出てくるものがある。それが宇宙の仕組みと共鳴しあって何かが生まれる。そう考えると、人間同士も、自然も全て共通の存在で、更にその中の人間の細胞もこの宇宙全体も、全て同じ仕組みで出来上がっているんだと思い、意識が宇宙レベルに一気に拡大した後に、細胞レベルに一気に収縮し、そして全ては同じである、というような感覚になった。

全ては波であって、円であって、反復運動であって、拡大・収縮を繰り返している存在。

それは、宇宙であり、時代であり、自然であり、人間であり、動物であり、全てなのだと思う。

 
 
また、「イヤシロチ」とは、「エネルギーが充満しているところ」というわけではなく「エネルギーが整っているところ」とも言っていた。バランスが取れている。要は、リラックスしている状態。どれだけこの世界の仕組みに身を委ねる事ができているか。その時に、天から直感が降りてくる。芳賀兄の言う通り今までの受験勉強のようにカタカムナマニュアルを読んで、はい直感が来ました、なんてことはないのだと思う。

そして最後にいさどんが、これからの医療は、アメノミナカヌシの波動量を伝える事、と言っていたけど真に木の花ファミリーが、その場所になっていくのだろう。病気の人が訪れるだけで治ってしまう。それはなにか怪しい不可思議な事と捉える人が今は大方かもしれないけど、そんな世界はある。やっぱり個人的にはあの「きぼひか」のイベントでも特に何か感じるものがあって、今日一日の講義はとてもしっくりというか、左脳で理解することにもとても役立った一日だった。ここ木の花ファミリーの皆に柱がたって、日々の生活等全てが対抗発生となった時の場は、一体どうなっているのだろうか。それは今の想像を遥かに超える凄まじい場なのだろう。

また、芳賀兄が「高意識レベル共同体」と言っていたが、それは「地球」のことでもあると思うけど、思念としても、物理的にもこうやってネットで情報を流していく、ということは、やはり、ここに未だ訪れていない人や訪れる事ができない人たちにとってもとても大事な事だと思う。

 
 
そして、研究会終了後湧泉閣を出ると、妙に自然がくっきりはっきりと間近に見えて鳥の鳴き声が聞こえて話しかけられているような、話したいような感覚が湧いてきた。

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目をつむると、そこには無限の世界が広がっていて、いつも対話ができる。孤独なんてなりようがなくて、いつも全てと共にある、そんな感じがした。

明日のカタカムナ研究会どうなるかは分からないけど、とても楽しみ。

今日も有り難うございました♪