去る2月11日、1カ月間にわたり開催されていた
「EDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション) in 木の花ファミリー」が無事終了しました。
EDEは、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」から支援を受けている、
次世代の地球の暮らし方を学ぶプログラムです。
「実践者による実践地での学び」として開催されたEDEは、日本で初めてとなります。
受講生の皆さんは1カ月間ファミリーと生活を共にしながら、
18名の講師による多彩な講座を修了したのでした。
密度の濃いプログラムに「ゆっくり休む暇がない!」と悲鳴を上げながらも、
毎晩のように夜中まで語り合い、熱心に学び続けて大きく変化していった10人の受講生たち。
最終日前夜には彼らの主催する修了パーティーが開かれ、笑いと涙が入り混じる中、
受講生の最年長であるキタさんはこう胸を張りました。
「受講生みんなの、この表情を見てください。最初に来た時と全然違うでしょう。」
今日は、そのキタさんの日記を皆さんにご紹介したいと思います。
20年間にわたって長野県で有機農家を営み、
日本の有機農業の厳しい現実を身をもって体験されてきたというキタさん。
農業を改めて学び直したい、そして共に農業をやっていく仲間を見つけたい―
という思いから、今回のEDEに参加されたのでした。
この1カ月間、受講生の皆さんには、プログラムの一環として毎日日記をつけてもらっていました。
以下にご紹介するのは、2月10日、『持続可能な心の持ち方』と題された
EDEの最終講座の最中にキタさんが書かれたものです。
いさどんが語るファミリー創設当時のエピソードに受講生の多くが涙を流して聞き入る中、
キタさんは一心不乱にペンを走らせていました。
* * * *
最後の授業
「持続可能な心の持ち方」
と、最後の日記。
1ヶ月間のEDEプログラムを受講しての最後の感想です。
EDE立ち上げの技術的作法も勿論学んだことは多くありました。
でも、本当に分かったことは少しです。
分かったとはどういうことかといいますと、頭で分かっただけではなし、
それを体で消化し、そして自分の血肉にしてこそ「真に分かった」ということなのだと思います。
そういう意味では、自分は、学んだことの一割も「分かった」とは思っていません。一割以下でしょう。
言いたいことは、次のことです。
「キラキラする砂金」を拾いました。
ハードな技術的講義より、ソフトの部分で得たものがあります。
ソフトとは、「心」の部分です。
ここでは「心」のあり方、持ち方などを、ハードな部分の講義以上の時間をさき、講義してくれました。
人間は、最後は「心」で動きます。
「よく持てる者の苦しみ、持たざるものの苦しみ」が世でよく言われています。
「砂金」とは、その「心のあり方、持ち方、考え方」が、自分の中で変化してきたことです。
ここでの講義、又、日常生活、大人ミーティングなどを通して、それは一言でいうと
「自は他」「いただきもの」「真実、真理とは」「正直、素直・・・」などのことばでした。
明日でこことはしばらくお別れですが、ここを出たあと、ゆっくりとコツコツと時間をかけ、
先の言葉を反すうしながら、自分自身のあり方、そして生き方を見つめなおしていこうと思っています。
EDE受講者の多くが、異口同音でいっています。
エコビレッジをつくるのであれそこで暮すであれエコビレッジコミュニティ外で生きるであれ、
やはり「心の持ち方、あり方」がいかに大切かをここで学んだ ― と。
最後ですが、「キラキラする砂金」を拾ったことは、大きな収穫でした。
この日記は今から1時間後に提出しなければならないので、整理して書くことはむずかしいですので、
なぐり書きになりましたが、いさどんの講義中にもかかわらず走り書きしました。
今、いさどんは、これから本題に入るといっていますので傾聴しようと思います。
題は「持続可能な心の持ち方」です。
あと、日記に、第三者、他者の立場から自分を見て、それも記しなさい、とのことでしたが、
今日は第三者から見た目の報告はしません。
何か第三者になることが出来そうにありません。今回の日記内容から見てみると。
面白いと思ったことがあります、講義の中で。
最後は「流れに身を任せよう」、それも神様のお導きだ。
正直に素直に自を他に表現することが、いかにすばらしいか、いかに人間関係を円滑に出来るか、
も、ここ木の花の「ひまわり」の家で知りました。
明日ここを離れますが、是非再びここに来たいと考えています。
いさどんとの再度の面談もありますし。
さらに関心ある農業のこともありますし。
後日ここを再訪する時、今日より少しは成長(内面の変化)していれば良いと思います。
己読み、内観を少しの時間でもいいから続けたいと思います。
「持続可能な社会」「持続可能なうんぬん」など「持続可能」のことばが巷で今使われていますが、
自分は「持続可能な自分なりの高い精神性を持った生き方」を目指していきたいと思います。
いさどんの昔のとても変わった体験を、今聞いています。
正直に赤裸々に語ってくれるということは、他人の心を最高に打つものですね。
「話し方教室」でのいろいろな技法を使ったものよりもね。
正直であること、正直に言うことは、なんと素晴らしいことでしょうか。
これも自分が拾った「砂金」の一つです。
最後の一行「 」(与えられた宿題)
「流れに身を任せよう」←これはいいです。
以上、終わり。
追記。
私の好きなことばの一つ
「汝 自らを外に求むることなかれ、運命の星は その人の内にある」
― エマーソン(米国、心理学者、プラグマティズム道具説)
― 余禄 ―
今まで日記らしい日記は書けなかったのに、
ここに来て、最後の授業で、ここまで一気に書けたということは、
自分の中で何かのタガがはずれかかってきているようです。
EDEメンバーの誰かが言っていました。
「濃い人間関係」
「素直さのすばらしさ、尊さに気づかされた」
「愛の存在を知った」
「ここは安心感あるところ」
いさどん最後のことば。
「生かされている」ことを知るために「生きていきたい」。
― 2月10日のキタさんの日記より(一部抜粋) ―