39歳のHちゃんは3月末、初めて木の花ファミリーを訪れました。16歳から精神科に通い、元々あまり体力がなく、「このままでは人生を開けない」と感じたHちゃんは、ご両親や友人から「あなたは疲れたらすぐ休むから体力がつかないのよ。みんな疲れても働いているのよ」と言われてきたので、10数年前、体に鞭を打って働いていました。大学を卒業してからそれほど働いた経験がなかったHちゃんは、いさどんとの面談の中で「元気になって働けるようになりたいと思って参りました。家族的な雰囲気・団らんの中にいると元気になるみたいなので、こちらにお世話になりたいと思いました」と話し、早速ケア滞在をスタートさせたのです。
当初はお部屋とみんなが食事や会議のために集うホールを行き来するだけでもたいへんだったHちゃんでしたが、徐々にここでの生活にも慣れ、また毎日日記をつける中で自らの想いを自由に解放し、それに対していさどんが的確なコメントをつけていくことで、Hちゃんの心がどんどん健全になっていきました。もともと学習能力が高いHちゃんは、1週間毎に持たれるいさどんとの面談で伝えられることをしっかりと理解し、その内容を大人会議にてみんなの前で堂々と発表する姿からは、病的な印象が少しずつ消えていきました。
そんなHちゃんが「まぼろし」について書いた日記の個所を今回はご紹介します。
≪4月23日≫
「まぼろし」 どうして私は「まぼろし」に力を与えてしまったんだろう。このまぼろしは私の症状の正体。「不安」だ。今、6:10am。30分ほど前に目が覚め、ずっとその症状の正体と戦っている。これにひきずりこまれれば、また症状が出る感覚がするからだ。でも、これはまぼろしだ。そうだ、IKKOさん風に言ってみよう。まぼろし~~♡ マボロシ~~ 幻
ようこそ、おいでくださいました。症状の正体さん、マボロシさん、不安さん。やっと正体を現してくださいましたね。待ってましたよ。せっかくお会いできたのに、残念ですが、あなたはまぼろしです。消えてもらいましょう。さようなら。
~いさどんからのコメント~
だんだん変化・変態が進んで来ました。
≪5月3日≫
今朝、症状の正体=力が抜けていく感覚=不安が姿を現した。戦ってみたものの、この前のように勝てそうもなくて困っていた。そんな時、ちょうどサポーターのラヴちゃんが部屋に戻ってきた。
私「ラヴちゃ~ん、ちょうどよかったー!今、症状の正体、力が抜けていく感覚・不安が現れて、戦っているの。どうしよう?」
ラ「えっ、どういうこと?」
私「そうだよね。それだけ言ってもわからないよね。」
・・・どう説明していいかわからず黙り込む私。そして、心の中で、どう説明していいかわからないってことは、やはり“まぼろし”なんだな、と思った。そうすると少し、そのまぼろし・力が抜けていく感覚・不安が小さくなった。でも少し気を抜いたら、のまれそうで、気が抜けない状態で、また黙り続けていた。
ラ「でも、とりあえず、戦うんじゃなくて、それにひきずられたくないって自分でわかっていたら、ひきずられないことを選択すればいいし、もしできなかったら、まだそういうのが心の中にあるんだということを認識して、症状がまた出てきてもいいし、とりあえず戦うとかそういうのじゃなくてもいいんじゃないのかな。よくわからないけど。」
~いさどんからのコメント~
その状態はあなたの心の奥でその症状を求めているのです。だから、その症状を不必要な人になることです。
私「そうだね。」
ラ「おっ、姿を現したね、いらっしゃい!みたいな感じでもいいかもしれないし。」
私「そうだね。」
ラ「そういう時こそ、日記を読み返してみるとか、面談でいさどんにどういうことを言われた時に気づけたのかを思い出してみるとか。」
私「そうだね!」
~いさどんからのコメント~
その振り返り方はgoodです!
ラ「現象が現れる時って、いやだけどさ、大切なことを思い出すチャンスなんだよね。人ってわかったつもりでも何も問題が起こらないと忘れてたりするからさ。だから現象・問題が現れたら、大切なことをもう一回復習してもっと理解しようとすればいいんだよね。そういうふうに、大切なことにフォーカスして、ポジティブな方向にもっていけたら、もうその時は、実はその現象や問題はどうでもよくなってたりするんだ。」
~いさどんからのコメント~
ナイス、ラヴ!
私「なるほどー!・・・・ということでなんか動き出せるぞ!」
と言って立ち上がった。
ラ「それ、ほんとにまぼろしだよね。今、動けたんだから。でも、そのまぼろしがなんで心の中にあるかわかる?」
私「う~~ん」
ラ「わからなかったら、それ以上考えたってわからないから。わからないってことを認識していればいいよ。」
――
昼の会話
私「田楽祭の会場の宮ノ下まで自転車で行こうと思う。もし腰が痛くなったら一人で帰って来れるように。」
ラ「ん?一人?なんで?」
私「今だって、いろんな人を送迎するでしょ。それにみんな忙しいだろうし、田植え祭楽しんでるところ、私のために途中抜けさせちゃ悪いから。・・・これって、私の例の先取り不安?」
ラ「そうだね。考え方のクセが出ているよね。別に痛くなったら、言ってくれたら誰でも送るし、考えすぎ。自転車で行きたかったら、行ってもいいけど、とりあえず普通に行ってみたら。」
私「うん。」
結局、始めから終わりまで楽しんで、帰りは歩いて帰ってきた。腰がひどくなるということもなかった。
よくわからない症状の正体について、一つだけ確実に言えることがある。それは、ここに来る以前は、戦う余地もなく、既に脱力感と極度の疲労感がそこにあったということ。東京にちょっと帰っている間と今朝と2回、この症状の正体(という感覚)と真正面に出会ったけど、いずれも、朝目覚めたばかりの時で、前回ちょっと疲れたかなとか、生理の2日目だったり、体に少し負荷がかかった時だ。こういう時は、ここに来る以前だと、目覚めた瞬間に血の気がひいた感覚があり、起き上がることさえしんどいという現象が起きていた。戦う余地など毛頭なく、もう疲れに打ちのめされていた。そして、そんな時私はこう思うのだった。「あれー、昨日、あれくらいの活動なら大丈夫だと思ったのに。そんなすごく疲れたわけではなかったのに。ああ、もっと活動時間を減らさなきゃいけないな」と。
今は戦う余地(ラヴちゃんに戦うんじゃなくていいと言われたけど☺)があるのがうれしい。そして、今のところ、ひきずり込まれずに済んでいる。
~いさどんからのコメント~
病は気からです!
≪5月9日≫
「症状の正体 最終章」
症状の正体についていさどんが日記にこんなコメントを書いていた。「その症状があるのは自分が求めているからです。それが不必要な人になりましょう。」それを読んで私はちんぷんかんぷんだった。というか「求めてないし!」と思った。
でも自己観察を続けていた私は、いいことでも悪いことでも考えをふくらます時、脳内に快感物質のようなものが出ていると感じていた。私は一種の考えふくらまし中毒になっていると気がついていた。あの症状の正体=まぼろし、でもおそろしい感覚をともなうまぼろしは、その中毒症状の副産物なのではないかと推測した。それをいさどんやみんなの前で発表した。いさどんに「そういうことだ」と言われ、またみんなの前で発表したのがいい刺激となった。今、心を覗いてみると「もう二度とあのまぼろしは現れないだろう」と感じている。
いさどんは、まるで心の腕のいい整体師のようだ。しかもそのやり方は、硬くなり痛みを生じている場所をマッサージなどして治療するのではなく、実はそこに関節があって「動くようにできているんだよ」と指摘して、自分で治るやり方を教えてくれるのだ。
いさどん、ありがとう。あなたに出会っていなかったら、私の心は硬くて痛くて身動きとれないままでした。
~いさどんからのコメント~
そのような素直な心を保っていきましょう。