あっくんからの贈り物

10月22日、鬱病のケアのためにファミリーに滞在していたあっくんが、一ヶ月弱で病気を完治、無事にケアを「卒業」しました。持ち前の一本気と集中力で周囲の環境から積極的に学び、自分のバランスを立て直していったあっくんは、「主治医」を務めたいさどんをはじめ、ファミリーの誰もが認める優等生でした。

ケアの卒業祝いの場であっくんが語ってくれた回復への道のりは、同じ境遇にあるたくさんの人々に希望を与えてくれるものだと思います。多くの方々に読んでいただきたくて、あっくんの快諾のもとに掲載させていただきました。

(あっくん)

一ヶ月間、ありがとうございました。

ここに来る前に病院で「こういうところに行きます」と言ったら、主治医の先生からは「行くのはいいけど、怪しかったら逃げてこい」と言われたんですけど(笑)。でも、ここに来てみたら「ああ、治るかな」って直感して。

僕は入院したことはないんですけど、病院に行って診察を受けると5分もしないうちに終わって、薬を処方されるだけの8年間でした。だからやっぱり、病院の先生には心のうちを聞いてほしい、っていうのがすごくあって。

でも、ここは24時間カウンセリング病棟っていうか、常にそういう自分の不安な気持ちを伝えられる場所だな、っていうのをすごく感じて。それは鬱病の僕にとってはすごくありがたくて、とても安心して過ごすことができました。

ここに最初に来た頃は、大人ミーティングとかでけっこうみんなが・・・時には叱咤激励というか、人を想ってみんなで意見を交わす姿を見て、逆に頭がぐちゃぐちゃしちゃって、かえって鬱病が悪化するんじゃないか、とか(笑)。でも、ここにいるうちにだんだんそういうのにもなじんできて、少しずつだけど自分の意識レベルも上がってきて、僕ってこういう人間だったのか、とか、ああ、こういう見方もあるんだ、っていうことを学びました。

みなさんの話を聞いていると、ところどころにすごく自分に役立つところがいっぱいあって、気付かされたり、これもらっとこう、って思ったり。そうやって学んでいるうちに、自分も「ああ、素直でいるべきなんだ」っていうことに気付かされました。そうしているうちに、自然にみんなの話を受け入れられるようになって。そういうこともあって、すごく素直な気持ちになれて、そのおかげで病気も早く完治に向かったのかなって思います。

みなさんが畑なんかで仕事してるときの何気ない顔にも、そういうヒントが隠れてたりするんですよね。ふつうの表の世界というか外の世界だと世間話くらいしかしないんですけど、ここの人たちは常に心と向きあってるな、って。ほんとにこういう世界があるんだって、最初は驚いて、今は感心してるんですけど、そういう意識のレベルってほんとに高いなって思いました。みんなが常にそうやって他人のことを思っているっていうのはすごいな、って。それはふつうできないことだと思うので。こうやって今、コミュニティに五十何人いますけど、みんながそういう気持ちでいられるっていうのはすごいことだと思います。

今まで、僕ひとりが変わったくらいではこの世の中どうなるものでもない、という考えがけっこうあったんです。選挙なんかもちゃんと行っていたんですけど、僕の一票でどうにかなるという意識もなくて。だから、自分が変わったら周りも変わるなんてことは思ってなかったんですけど、ここの人たちを見ていると、それは違ってたな、って思いました。僕自身、こうやって病気がどんどん良くなって変わってきたときに、周りを見たら、皆、僕が良くなってくれることを祝福してくれて、母親やうちの嫁さんも喜んでくれて、あ、僕が変わればみんなが変わるんだ、ってすごく実感しました。それは、ほんとに大きな収穫だったと思います。

僕が一ヶ月間頑張って来られたのはほんとうにみなさんのおかげで、自分も、自分たちも頑張ったんだと思いますけど、みなさんに出会えてよかったです。これからも僕みたいな鬱病患者とか、心の疲れた人たちがここをいっぱい訪れると思うんですけど、ぜひ、今と変わらず、そういう人たちを暖かく迎えてやってください。どうぞよろしくお願いします。

(いさどん)

人の心配、ファミリーの心配までしてくれて(笑)。今までの卒業生でいちばんの優等生かな、と思います。

今の時代、世の中に対していいことをやろう、っていうことを考えてる人はいっぱいいます。そして、優れたことをいう人も、優れた考え方を持っている人もいます。世の中が混乱して問題事がいっぱいあるから、それを何とかしようという代替案を言う人もいっぱいいるんですね。

でも、その代替案の通りに生きてる人がいるのかというと、語る言葉通りに生きている人はまだまだ少ないです。大事なのは、やっぱり言った言葉の通りに生きること。優れたことを知らない人が行動しないのは、これは当たり前のことです。でも、優れたことを知っていて行動しないのは、同じ行動しないということでも、大きく違います。知っていて行動しないことは、自分にも、人に対しても愚かなことですし、罪になります。でも、それなら言わないで行動もしない方がいいのかと言ったら、それは違う。これほど世の中に問題があるということは、それは行動しなさい、というメッセージでもあるんですね。

僕は人を見て、この人は言ったことをそのまままっすぐにやる人、やらない人、変化球が得意な人、ねじれた球を投げるのが得意な人、と観察するわけです。そんな風にいろいろな人がいるけれども、あっくんはどちらかと言うと、直球タイプ。だから、直球でまっすぐ鬱病に向かって生きていった。そして、そこに気付いたときには、直球でそこから抜け出してきた。

僕はあっくんを人の言うことを聞かない頑固者と言ったけれども、あっくんには信じて賭けてみようっていう心もある。それが、この結果につながったな、って思います。頑固がいい方向に強く働いた。

こうしてケアの人がここを訪れて無事に卒業していくときに、いつも僕が思うことは、「ありがとう」ということ。僕にはその人たちを治そうという気持ちはぜんぜんありません。正直言って、何回、僕から声をかけただろう、って。実際、家族の人が来たら面接したり、滞在期間の途中で定期的に面接するといったことはあったけれども、こちらから声をかけたこともなくて、そういう意味では、ただ眺めてた。ほったらかしにはしていなくて、いつも、見ていました。そして、見ていて「これは心配だな」ということは、全然なかった。最初の頃の不安定さや、まだちょっとここのことが理解できてないな、っていうのは、これは予定通りのことだからそのままにしておいた。

それで、結果は、僕らがあっくんを治したんじゃない。誰も治してない。本人に、治る気持ちがあった。そういう素質があった。そして本人が努力して、治した。僕らは何をしたかっていうと、この場所を提供した。そして、自分たちの想いを伝えた。正直に。それだけだと思います。

世の中にそういった場所があるのか、そして、本当にその人のストレートな気持ちを伝え合う人たちがいるのか、っていうと、なかなかないですね。あっくんはここを「24時間カウンセリング病棟」って表現して、うまいこと言うなあって思ったけど(笑)、まったくその通りで、僕はそういったところがあるべきだとずっと思ってきたし、そして今、こうやってこの場所にいて、この場所を評価してくれる人がいて、なんかこちらが褒められてありがたかったな、って思います。

僕らはこうやって、ひとりひとりを送り出すことによって、ひとつひとつ、そのたびに勲章をもらいます。そして、その勲章をもらったことをやっぱり誇りに思って、この場所をもっと豊かな癒しの場所にしていかなきゃいけない、って思います。

昨日も、病気を治療する現場のことについてゲストの方と話をしてました。僕は、医療システムとか、医者の数とか、高度医療とか、そういうことが大事なのではないと思う。たとえば統合医療とか、代替療法とかいっても、それは治療なんだよね。もちろん、より自然に近くて、より理に適っている方がいいとは思うけれど、一番大事なのは、人を蘇生すること。その人の歪んだ心や、ねじれた心を正していって、蘇生すること。蘇生っていうのは、いのちがよみがえるっていうことです。蘇生に対して、破壊とか、腐敗とか、壊れていくっていうことが、人間の社会に、この地球上にいっぱいあります。医療の現場だって、本当に治してる現場なんだろうかっていったら、わざわざ壊して病気を増やしていくような、そしてもっと言えば、病気を待ち望んでいるような、病気があることや問題事があることによって栄えていくような社会がまだあります。

だからこそ、大事なのはそこにいるだけで人が蘇生される場所。癒されて、そしてその人が正されていく場所。そういう場所を作るべきです。そういう場所ができたら、人が壊れたのを直したり、対立や争いで人と人の関係が悪くなったりしたものを直したりするような、そういう作業がものすごく少なくて済むようになります。

いらないものをわざわざ作って、それを直すために産業をおこして、それで豊かな国なんだっていうことを今の時代はやっています。このことを、みんなまだなかなかわかっていません。政治はいらないものをわざわざ作って、それを直す産業を興して、そして豊かな国だって言ってるんです。政権は変わったけれど、みんなまだそのからくりをわかってない。だから、僕らはこの生き方を通じて、それを示していかなきゃいけない。

それは自分のためなんだろうか、って言ったら、自分のためでもあります。そういう考えで人生を送るのは素晴らしいことだと思うし、そうやって生き切れるのは素晴らしいことです。さらに素晴らしいのは、自分がそうやって生きる結果として、社会に見本が示せるということ。自分のためにすることが、本当に世の中のため、人のための見本になれるということです。世のため、人のために生きられるということです。

だからといって、すべての人をここに抱え込む訳じゃありません。こないだはたまちゃんが来て(編注:あっくんの叔母さんで、あっくんの滞在の少し前、家庭などからくる心の問題のリフレッシュのためにファミリーに一ヶ月間滞在しました)、ありがとうございました、こんなに気持ちが変わりました、って言って帰っていきました。それを自分の家族に見せて、そして、あっくんのことが気になってたから、私の甥っ子をぜひここで、って。

自分の周りにそういう人がいると、やっぱり家族はそれなりに心を痛めてる。あっくんもさっき奥さんや子供のことを言ってましたけど、周りのみんなも心を痛めてる。お母さんやお父さんもね。でも、自分が健康になることによって、身近な人たちをまず救って、そして、さらにその周りの人たちも救う。人は自分のために生きるものですけど、それじゃ当たり前だよね。人が本当に価値を持つようになるのは、人のためになること。人のために生きるようになること。そのときに、本当の意味で自分のためになるんです。

そういうふうに生きてもらいたい。それは、木の花のようなコミュニティとしての特別な生き方をみんなにしなさい、って言ってるわけじゃないんです。みんながこういう心を持って生きていけば、今までの血縁だけの家族で生きていてもいいと思う。それが、これからの人間の社会を作る上で大事な姿勢だと思います。大きなことじゃなくてもいいのです。

というわけで、いつも誰かの卒業のときには「ありがとう」って言います。それは、確かにここを通じて治っていってもらったし、そのきっかけを与えたのは僕らだったかもしれない。だけど、その人たちは治ることによって、僕らのやっていることを立証してくれた。そして、僕らはまた、それを世の中に広めていくことにもなる。それは僕らのためだけじゃなくて、世の中のためです。いつも世の中のためになることを望んでいる我々にとっては、それがいちばん大事だから、いつも、「ありがとう」って言います。

久しぶりにいい卒業式です。今日は本当にありがとうございました。

凜とした表情で語るあっくん
凜とした表情で語るあっくん
あっくんに「ありがとう」と語るいさどん
あっくんに「ありがとう」と語るいさどん

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