リョウタくんの卒業コンサートが行われた2日後の夜。今度はリョウくんの卒業コンサートが行われました。その日は台湾から20名のゲストも滞在されており、ウエルカムコンサートとリョウくんの卒業コンサートが合同で行われました。以下、自然療法プログラムコーディネーターのようこがまとめたリョウくんのケア物語と、卒業コンサートでシェアされたリョウくんのケア滞在記&いさどんからのメッセージをご紹介します。
「20歳のリョウくんのケア物語」
~星の流れに乗ってスイングバイ~
19歳のリョウくんがお母さんと一緒に初めて木の花ファミリーを訪れたのは、2017年7月1日のことでした。15歳のときに学校の人間関係で行き詰まったことをきっかけに高校を辞めてから体調を崩し、今後の人生について模索中のリョウくん。「精神的な疲れを和らげ、人とのつながりを感じたい」という思いから、いさどんとの面談の場がもたれました。その際、いさどんは次のように伝えました。
「あなたはまだ若いから、『僕は僕のままでいいのだ』と自己主張したい心があります。しかし、自分のやり方で生きていくと、今の延長が続くだけなのです。そこで打つ手がなくなると、人の力を借りようとする心が出てきます。昨日からケア滞在を始めた30歳のリョウタくんは、あなたととても良く似た心の性質をしているのですが、自分自身が今の状況を招いていることがわかってきたのです。19歳のあなたでも、冷静な心で自分の状態を改善していく必要があると思えば、あなたの症状は改善されます。病気は気が病むと書き、心の問題ですからね。結局、病気の種は自分の中から湧いてくるのですから、自分が病的な状態に誘導している性質を持っていることを受け入れたときに、奇跡が起きるのです。ここではいくらでも奇跡が起きます。奇跡が起きないとしたら、それは本人がそう思いたくなくて行動しないからです。行動すれば、必ず奇跡は起きます。あなたがあなた自身を治すのですからね。自分が問題の発信源だと気付けば、素直に勇気を持って自らを否定していくことが大切です。良いところはどんどん伸ばしていき、悪いところは堂々と否定していく――、結局、これは自己否定の道なのです。自分と正しく向き合うことができたら、人は変われます。学べば、すべては良いことにつながるのです。そして筋の通った正しい判断をしていけば、滞りは自ずと消えるのです。そうなれば、病気を治そうとしなくても、自ずと症状は消えていくのです。」
面談の最後にいさどんから、「あなたに現状を改善する意欲があれば、僕は惜しみなくサポートしたい気持ちはあるのですが、今のあなたからは自分流に行動したいという思いが強く感じられます。ですから、もう少し苦労して人の話を聞けるようになってからまた来たらいいですね。しかし、本来は自分を否定してでも、自分にとって大切な話は聞かないといけないのです。ひとつだけ言えることは、僕のほうがあなたのことをよく理解しています。ですから、ここの取り組みに懸ければ、奇跡は起きます。本来、それは当たり前のことなのですよ」と伝えられましたが、リョウくんは「今は人の話は聞けないですね」と答え、面談は終わりました。
ところが翌日になり、リョウくんは2泊で帰る予定を変更し、このままケア滞在をすることを決めたのです。「最初はいさどんのことを怖い人と思ったけれど、何でも見通されているので腹をくくってやる!」と言うリョウくんに対し、いさどんは以下のように伝えました。
「あなたは9月に20歳を迎えます。あなたは今、ちょうど良い節目を迎えています。ですから、このまま帰るよりも、せっかくの流れだからチャレンジしてみようと思ったのは、あなたの決断でもありますが、星の流れに乗るということでもあるのですよ。
あなたはもうじき20歳になるところであり、昨日からケア滞在を始めたリョウタくんは30歳です。30年というのは土星の周期です。太陽系の中でもっともエネルギーの強い星は土星と木星であり、土星は30年で太陽のまわりを1周し、木星は12年で太陽のまわりを1周します。そして、土星の30年の周期が2周しても、木星の12年の周期が5周しても60年になるのです。12×5、30×2のどちらも60になりますから、あなたが生まれたときの土星と木星の位置は60年後にまた同じ位置に戻るのです。面白いことに、木星と土星は約10年ごとに結び(惑星同士が太陽の片側で同一線上にあること)と開き(惑星同士が太陽をはさんで同一線上に並び対話すること)の関係を繰り返していきます。そうして下向きの三角形と上向きの三角形をつくり、60年で六芒星を完成させるのです。生まれてきたことが人生最大の節目で、その間に10年ごとの節目があるとしたならば、20歳のときにこういったことに取り組むということは、星周りからしたらとても良いタイミングなのです。
さらに言えば、あなたが20歳のタイミングで取り組まなければ、次の取り組みのタイミングは10年先になるということでもあるのですよ。それで自分流にあと10年生き、こりごりすれば、リョウタくんのように30歳のときにここにやってくることでしょう。彼は年を重ねた分だけ人格を改善することが難しくなっていますから、あなたは今、この取り組みを始めて良かったですね。」
そうして、まずは日記を書きながら自分を見つめていくことが課題として与えられ、1週間毎にいさどんとの面談の場が設けられました。滞在当初、いさどんは、「リョウくんはめげてしまって、この取り組みを途中で終了させてしまうのではないか」と思いながらリョウくんの様子を観ていましたが、「大勢の人たちの中にいるのが怖い」と言っていたリョウくんがここでの生活に少しずつ慣れていき、まずは1週間過ごすことができました。
2週目のテーマとしては、健康的に生きるための大原則として、自然と共に生きる規則正しい生活リズムを心がけていくことが与えられ、早速リョウくんは日中、農作業に参加することにチャレンジしてみました。規則正しい生活リズムが徐々に身についてきた4週目には、将来安定して自立するために、人に頼りにされるような存在になることが課題となりました。毎回的確な課題を与えてくれるいさどんに対し、リョウくんは「いさどんは今の僕にとって常に必要なことを伝えてくれています!」と嬉しそうに話していました。
そうしてケア滞在の開始から1ヶ月が経過した頃、感情の起伏が激しく不安定だった心が少しずつ前向きになっていき、自らの性質を理解し始めていったリョウくん。そこでいさどんからは、今後の生き方について考えていくことが次のテーマとして与えられました。「今現在、将来の目標はありますか?」と質問されたリョウくんは、「自分は不登校の経験をしたので、不登校の人をサポートしたい気持ちはあります」と答えましたが、それに対しいさどんは次のように伝えました。
「自分が不登校だったから不登校の人を支援したいというのは、本当に不登校の人を支援したい心なのか、それとも過去の自分に対して癒してあげたい心なのかというと、後者の場合が結構あるのです。なぜならそれは、過去に自分が辛かったからその心を埋めたいということが動機だからです。そして、そのような心は、自分をたくましく鍛えることによって消えるものです。それに今、不登校を支援するような立場の人を求めている場所はほとんどありません。ですから、もう少し現実的なことを考えたいですね。」
そうして日中は農作業に出て、人にあてにされるような動きができるように取り組もうとしながらも、自分の心と向き合うことにはなかなか取り組めなかったリョウくん。また、ここでのケア滞在を終了したら、あるNPO法人が運営している学校に行きたいという思いが湧いてきたりと興味があちこちに移り、ここでの取り組みに専念できないリョウくんがいました。
そんなリョウくんに対して6週間面談の冒頭ではいさどんから、「やる気がないのならやめてもいいですよ」と厳しく伝えられる場面がありました。この面談では、このプログラムは改善する意欲のある人に対して健康に生きていってもらうためのサポートを提供するものであること、リョウくんは今の状況に甘えて自分と向き合うことから逃げていること、向き合わないから生き辛い毎日を自ら創っていることが伝えられました。面談の中でいさどんからは、「この取り組みで最も重要なのは本人の改善する意欲です。あなた自身の価値を上げるためには今の姿勢を変えることが大切なのです」と繰り返し伝えられ、面談の最後にはリョウくんにやる気があることが確認されました。しかし、そこに至るまでにはリョウくんが自分の不甲斐なさに対して悔しがり、大きくため息をついたり、拳で自分を叩きながら涙を流す場面もありました。面談後、リョウくんは「いさどんに僕の甘えをビシッと指摘されて、ホッとした」ともらしていました。
その後のリョウくんの日記には、「作業に出ながら自分の心と向き合うことが少しできた」と書いてあったり、これまでの面談音源を聞きなおしながら、自分の心と向き合おうとする意欲が少しずつ観られるようになりました。
しかし、ケア滞在2ヶ月が過ぎた頃には、「不登校の集まりに参加したい」という思いがリョウくんの中に湧き、目の前の課題に集中できなかったり、この取り組みにおける足踏み状態が続いていたため、いさどんからは「同じ課題も続いているのでそろそろ次の段階へ行きたいですね。9月9日はあなたの20歳の誕生日です。それをひとつのケジメとし、リニューアルしてスタートしましょう」と伝えられました。
その後も、「自分を観るということがわからない。面談でいさどんの言っていることが理解できない。日記も何を書いていいかわからない」と途方にくれるリョウくんの姿があり、2ヶ月2週間面談の際には「もうケアはやめます」と発言することもありました。
そうした紆余曲折を経ながらも、「木造建築に関わりたい」という思いから、木の花の建築チームで作業体験をすることになったことをきっかけに、リョウくんの中で自らの特性を活かしたものに出会えたという感覚が芽生えてきたのです。そして、建築現場でまわりからアドバイスをもらいながら、一生懸命作業に参加しているリョウくんの姿が見られるようになり、安定した一日を過ごせるようになってきた時に――、ケア滞在3ヶ月をもって卒業することとなったのでした。
最終面談でいさどんからは、「引き続き、精神的・肉体的体力をつけていくことが大切ですね。あとは、自分自身が新たな領域に行くことの面白さに目覚めるといいのです」と伝えられ、卒業を迎えることとなりました。
新たな領域に行くことの面白さに目覚めるためには、まわりにいる皆の力を借りて、そして3ヶ月という取り組みの節目を迎えて、新たな自分に向かってスイングバイするということです。
「スイングバイ」とは、天体の重力を利用して宇宙探査機の軌道を変更する方法であり、さらに天体の公転運動を利用することで、宇宙探査機を加速させることもできるのです。20歳という人生の大いなる節目に人生の新たなスタート地点に立ったリョウくん。自分自身の囚われから飛び出し、広い世界へと自由に羽ばたいていくリョウくんのことを、これからも皆で応援しています!
「リョウくんのケア滞在記」
皆さん、今日は僕のためにお集まりいただき、誠にありがとうございます。3ヶ月のケアの卒業ということで、今からケアを振り返っていきます。
木の花に来る前は、人生に対して漠然と悲観していて、迷い苦しい時間を過ごしていて、生きている意識も薄らいでいる状況だった。何とか現状をどうにかするために自然の中で立て直すところを母に見つけてもらい、木の花という場所にやってきた。ケアを始める決断をする前の日にいさどんと面談をした。する前からある程度ズバズバ言われることは覚悟していたが、それ以上だった。その夜は、その面談の衝撃が強烈でふとんの上で震えて、言われたことを受け入れることへの葛藤が自分の中にあって、かなり気持ちが揺れていた。ケアを始めた時は、帰ってもどうにもならないからやるしかないという気持ちと、この木の花の新しい環境に対して恐怖と不安だらけで体もふらふらして顔も気持ちもうつむいているような状態で始まった。
ケアの初めの頃は、食堂でご飯を食べるのもすごく緊張して、人が大勢いる所に行くのが怖かった。感情の起伏が激しくて、ホールで寝そべってすごく泣いたり、たまに笑ったりを20、30分繰り返し、それがおさまるまでいたこともあった。
そして、面談を毎週受け、日記も毎日書いていた。最初は、いさどんを恐く思っていたが、面談を重ねるごとにやさしく丁寧に愛と思いやりを持って接してくれているのを感じていった。しかも、面談の内容も僕のことを正確に次々と言い当てていて、ここまで正確に見抜けることに驚き、こんな人はほとんどいないだろうなと思った。
しかし、8月のある日に体調不良になってから行動するのが億劫になって、4日近くも休んだことがあった。その時は休みすぎて行動よりも思考が先行して、やる前に判断していて、その週の面談で「やる気がないならやめてもいいよ」と言われ、喝を入れられたことはけっこうインパクトがあって、何十日かその時のショックが残っていた。意識がたたき起こされるような感じで面談中に泣いてしまい、自分は何のために生きているんだという言葉が思わず出てきた。僕の名前の「リョウ」はねじれている性質があるが、それの生かし方があることも分かった。
その面談の次の日は死んだ魚の目をしていたが、自分と向き合うことを涙目になりながらも少しずつしていった。その週は起きる時間も8時半だったのが、5時、6時になっていって、夜は疲れてすぐ寝れるし、良い生活リズムになっていった。死んだ魚の目をした日から何日かは深刻でしんどい気持ちがほとんどだったが、リョウ・リョウ・リョウ面談が面白く、笑って気持ちよく過ごしたことで、張り詰めていた気持ちが和らいだ。
それから、9月の初めにサポーターのしゅうくんが僕の様子や状況を見て、「今のままでいいの?」と投げかけてくれて、それで我に返った。
それから面談では、心のうそつきがあるってことをいさどんに指摘された。それで次の日に日記にできるだけ正直を意識して書いていて、ネガティブな自分が出てきて情けなくて泣いていた時、けいちゃんが部屋にやってきて、僕が「自分と深いところで向き合えていない」と言うと、「そうか。でも、日記も書いているし、面談の音源も聞いているじゃん。だから大丈夫だよ!」」と励ましてもらって、背中をビシッビシッとたたいて励ましてもらい、「お兄ちゃん、ビシッとやるのに逃げなくなったね」と言ってもらったり、けいちゃんの温かさに助けられた。
9月9日の僕の誕生日の時は、僕の為に料理を作ってもらってみんなで僕を祝ってくれたことにとても感動した。こんなに大勢の人に心を込めて祝ってもらうことが少なかったので、嬉し泣きをした。僕はそこで、正直に生きていくことを話した。
その後の面談では、僕の意識がケア中にもかかわらず、山に登ろうなんてそこから逸れているような姿勢ならやめたほうがいいよと言われて、一度は続けていくことを話したが、その後も今はケアでどこかに行く時期ではないのに、まだ山に登りたいと言っている自分にがっかりして、手間も迷惑もかけるから一回は「やめます」と言った。今思えば、手間も迷惑もかけているならなおさら立ち直らないと無駄になって、そっちのほうが大迷惑だと思う。その後、だいたい30、40分、母と話して、よく考えたらやめても先がない話にもかかわらず、やめることの理由を探したりしている情けない自分がいた。そして、母からの「帰っても部屋はないから」という一言と、本当にこのまま帰っても仕方がないし、2ヶ月間やってきたことが無駄になるし、実際やる気はあるのにへそを曲げて一時的な感情で挫折することはしたらいかん、と思い直して、やめる発言を撤回した。
ケアの目安の3ヶ月まで残り3週間だったのもあって、僕は卒業するにしても出来ないにしても、悔いの残らないようにやれるだけやろうという気持ちで日々を過ごした。体はしんどかったけど、毎日作業に出ていると徐々に自信になっている感覚があった。そして、今のままでは全然ダメだという意識も芽生えてきて、どうにかしようともがいていた。そして雨の日に落花生収穫に行くこともあった。
そして9月18日の朝、富士山に龍の形の雲がかかっているのが見えた。その日に転機が訪れた。面談の中で将来をどうするかを話していた時に、僕は木造建築に関わりたいと話した。そうしたらいさどんは粋なことに、ケアの僕を建築チームに混ぜてくれて、経験の場を与えてくれた。
その後は、建築チームとして仕事を割り振ってくれたことをありがたく思って取り組んでいる。最初の一週間はピリピリしてけっこう緊張もしていたが、二週間経った今は張り詰めるような緊張はなく、日々の経験を通して色々なことを学ばせてもらっている。建築チームではやりがいがあるし、貴重な時間を送れている。意識も心も前向きになってきている。長期滞在になってもこの調子でいきたいと思います。
最後に、サポーターのしゅうくんは、熱心に僕の事を見てくれていて、時には話を冷静に聞いてくれて、僕が自分の都合優先になっていた時には不調和になっていると教えてくれたこと、3ヶ月間ずっと見守り続けて真剣に僕のことを思ってくれていたことに感謝します。
そして、いさどんには聞き分けが悪くて、とても手こずらせたが、それでもいさどんが僕のためを思って熱心に丁寧に大事なことを伝え続けてくれたこと、建築チームにも入れてくれたこと、そして力強く応援してくれたこと、ありとあらゆることに感謝しています。
あとは、畑隊やメンバーの協力や配慮や日々の出会いのおかげで、卒業の2文字があると思っています。みなさん、愛や思いやりを持って接してくれて本当にありがとうございます。僕はこれからもケアでの経験を生かして建築チームで日々学んで、大人になっていきます。今日をもってケアを卒業します。改めて、今日のような場をいただき、ありがとうございました。
「いさどんからのメッセージ」
台湾からお越しの皆さん、今日は皆さんへのウエルカムコンサートでもあるのですが、今日のリョウくんのケアの卒業というのも木の花ファミリーの生活の一部です。ですから、ぜひ、皆さんもこの卒業の場を楽しんでください。
まず、少しだけ木の花ファミリーのあり方についてお話ししたいと思います。私たちは命として今、この地球上に生きています。地球上にはたくさんの命があります。その中で極めて能力が高く、大きな影響力を持つのが、私たち人間です。そして、すべての命がつながり合い互いを生かし合う仕組みの中に、私たち人間も生きているのです。
人間たちはとても豊かな社会を築き、不自由なことは便利にするため、高度なテクノロジーを発展させてきました。そうした中で人間は、自らの高い能力を自分のために使ってきました。自然界では、自然を無視し人間にとって都合の良い世界を展開させてきました。世界の国々の中ではよその国より自国を優先し、地域の中では他人より自分の家族を優先し、そして最終的には自分のために生きるのが人間の特徴なのです。
人間がまだ、これほど文明を発達させていなかった時には、自然から命をいただいて生きていました。実際に今現在、私たちが生きる上で最も大切な太陽の光、大地、水、空気、風といったものはすべていただいて生きています。そういった私たちが生きる上で大切なものに、私たちは一度もお金を払ったことがありませんね(みんな、笑)。そのような中、人間たちはたくさんのものをいただいて生かされていることを忘れてしまったのです。
台湾でも同じだと思うのですが、今、日本では若い人たちが働く意欲を失っています。引きこもっていたり、うつ病になったり、中には自殺する人もいます。そこで僕は、「これから国を支えていく若い人たちがそのような状態でいるのはなぜだろう?」と考えるのです。人間は生き物ですから、本能的に自分に合わないことは嫌だと思うようになっています。現代社会の中で長い間競争し、心がボロボロになっていった時、次世代の人たちは「もうこんなことは嫌だ!」と思うようになったのでしょう。ですから、若い世代の人たちの多くが社会に出たくないと思い、今の社会の価値観を否定するようになったのです。
人には誰でも、その人らしく生き生きと生きる生き方があります。そして、この木の花ファミリーにはどちらかというと、社会に行き詰まった人たちがたくさん訪れます。そのような人たちが「自分が生き生きと、皆のために役に立てる生き方は何だろう?」ということを考えるようになりました。競争して自分に近い者だけを優先し、自分だけが良い思いをするという生き方ではなく、皆で仲良く豊かに生きることができるのだという見本を創り始めたのです。そして、お金に頼らなくても、これほど愛ある世界を表現できるようになったのです。
今まで、世界中でこのような取り組みにたくさんの挑戦がなされてきましたが、一人ひとりのエゴがどうしても邪魔をして、それが持続するのは難しいことでした。これからは、競争し打ち勝って他者の犠牲の上に豊かになるのではなく、自然のようにつながって皆が豊かに生きる社会を創っていきましょう。それが、これからの社会の姿なのです。
一昨日、リョウタくんがケアプログラムを卒業しました。今日は、リョウくんがこのプログラムを卒業します。彼らは競争社会の中で頑張って勝ち抜こうと思いながら生きてきました。しかし、それをすると自分も傷つくのです。そうした中で彼らは木の花ファミリーと出会い、皆と力を合わせて豊かに生きる道を見つけました。今までの社会では彼らは行き詰まりを迎えたかもしれませんが、新しい時代を切り開くという意味では、彼らはこれから世の中をリードする人たちなのです。
自然は私たちに命を与えてくれ、そして豊かな人生を学ばせてくれます。それが私たちの価値となり、人生を終わっていくことができます。自然を犠牲にして人間だけが創る社会は、もはや終焉を迎える時代が来ています。
ここにおいでになるゲストの人たちは、なかなかこのような場に出会うことはできませんが、今日、皆さんはこの場に出会うことができました。皆さんはとてもラッキーだと思うのですが、いかがですか(皆、大拍手)?
木の花ファミリーに集う人々は、自分たちが豊かに暮らそうと思って生きているわけではありません。私たちがこの広大な宇宙の中で奇跡のような地球に生命として肉体を持って生まれてきたことの意味を学ぶために、生きているのです。そして、たくさんの経験をしながら、人としての尊い生き方を極めているのです。それぞれが住む国を素晴らしい国にし、素晴らしい地球にし、そして私たちはそのような価値あるものをこの世界にもたらすことのできる者なのです。これから世界中のいろいろなところで、人々はこのような生き方をするようになるでしょう。
今日は台湾の皆さんと出会いました。そしてリョウくんがケアプログラムを卒業しました。皆さん、ぜひ、私たちと共に良い世の中、良い地球創りをしていきましょう。