さっちゃんの「今度こそ乳がんが小さくなりました。(3mmだけどネ!)」

「はたして心が変わればガンは治るのか」人体実験中のさっちゃんより、久々のレポートです!

今年も“ガンに効くトマト”の種まきをするさっちゃん
今年も“病を癒やすトマト”の種まきをするさっちゃん

 
■     ■     ■
 
報告がかなり遅れましたが、4月21日にガンセンターに乳がんの3ヶ月検診に行って来ました。

エコー検査の後の診察で、「胸の腫瘍がやわらかくなってきているのは、どういう事でしょうか?」と先生に聞きました。そして私が、「ガン細胞が変化しているような感じがするんですが・・・」と言うと、先生は「すごい事がわかるんですね」と笑った。
私は「先生でもないのに、すみません」と笑い、看護師さんも笑った。
先生はそれからエコーの結果を見ながら、
「厚さが17mmから14mmに減ってきている。細胞の成分が脂肪に変わって中がスカスカになってきている。食事とアイロン治療の効果が出ているのではないか・・」と言った。
実は今は何もやっていませんが・・・(笑)

2013年の10月に右乳房上内側部乳癌と診断されてから1年半。
はじめは右乳を全部切除する予定だったのが、うそみたいに、ふつうにみんなとお風呂に入っている。
右胸さん、あの時、さよならしなくて良かったね♡
そして、いろんな気づきをありがとう♡

まだまだ自分の心の本当がわからず、上がったり下がったり、胸が痛くなったりの私だけれど、そんなおばかな自分も好きだナーと思えるようになってきた。
みんなと一緒だからね。

そして次回は、7月21日に受診します。
 

トマトの種まきを終え、同じくガンのきょうこちゃんと一緒に
同じくガンを通して日々たくさんの学びをいただいているきょうこちゃんと一緒に

 


残された人生を、あなたはどんな風に生きますか

昔からお年寄りが大好きで、現在は介護ヘルパーとして介護老人保健施設で働いているみっちゃん
きょうこちゃんがガンになったことをきっかけに、改めて死について語り合われる中、今の想いを綴りました。

IMG_5917縮小
 
■    ■    ■
 
定年後の人生、60代から、この先、死を迎えるまでどれだけの時間があるだろう。

私は、老人ホームで働いている。老人ホームで1日を過ごしているけれど、ここに暮らすお年寄りは、何もすることがない。早く、死にたい。そんなことをつぶやく毎日。
そんな日々の繰り返しをあと何回することになるのだろう。本来、年齢的にも人生の最終段階。人生をしめくくる大事な時を生きている人たちだ。中には、ここで最後を迎えると決めている人も少なくない。
今の一時の期間をみて、生かされないことがもったいないということではなく、人の一生として見たときに、今の日常の延長で終わっていっていいのかと思う。いきいきと生きることが、最後をしめくくるのに、悔いなくいけることにつながる。
最後の最後まで、自分は何ができるのか。

病気でも、何でも、自分に与えられた出来事は、学びの材料でしかない。
「なんで自分ばっかり、こんな目にあうのだろう。」そうではない。
自分の心の姿勢にふさわしくその結果をもらっただけのこと。それが自分の中で分かっていたら、暗くなることなんてない。全ては、善きことのためだから。
病気(疫病神)が住みつきたくなくなるような自分に変わればいい。それには、自分の心のメカニズムを知ること。病気になるにふさわしい自分を解き明かすこと。そうやって、自分を知って心を変えていけばいい。今まで病気をつくってきた自分の、その逆をやればいい。
病気の当事者、本人が解決できる。カギは、自分にある。(きょうこちゃんのブログがとっても分かりやすいです。)

木の花に来る前の私にとって、死とは、恐怖、苦痛、避けたい気持ち。
でも、生を受けた以上、当たり前に、誰にでも平等に、必ずやってくるもの。
死は、私たちが今生きてる3次元世界からの卒業。肉体を返すだけ。次のステージが待っている。
日々、人が生きることの目的は、学ぶことにある。心をきれいにして、後悔なく、死を迎えたい。
死は、今まで生きてきた生の結果だから。

これからの老人ホームも、そこに暮らすお年寄りたちが「死」の意味が理解できて、日々希望をもって生きられる場所であったらいいと思う。生きる意味が本当に分かったら、死の意味が分かって、やみくもに怖がることはなくなるはず。

自分の健康、自分の楽しみ、自分にとらわれるのではなく、人のため、世の中のために、自分を生かしてみませんか。そんな毎日の中では、喜びは、1人で喜ぶのではなく、みんなと分かち合えるものなのです。
「他者の喜びを自らの喜びとするくらし」
木の花では、そんな価値観で、毎日を生きています。

木の花のキッチンさんは、いつでも大忙しです。日々の100名近いファミリーの昼、夜のごはんづくりはもちろん、お弁当の注文も多く、お弁当屋さんでもあります。ごはんを食べて感動され、涙される方もいるくらいです。
美味しさだけでなく、そこに込められた心を感じられるのだと思います。

心をこめて作るお弁当
心をこめて作るお弁当

木の花の畑隊のつくるお野菜は、太陽の光はもちろん、生命の循環の中で育てられる、エネルギーあふれるものです。病気のお客様からも、木の花さんのお野菜なら食べれると言われるくらい求められています。地域の直売所に出荷しているだけでなく、全国発送もしています。これからは、苗の定植や草取りが続き、とっても忙しくなってきます。

宝石のようなとれたてのグリーンピース
宝石のようなとれたてのグリーンピース

お年寄りには、お年寄りにしかできない、知識や経験を生かした役割があると思います。
木の花のばぁすたちも、毎日、生き生きと、お掃除に、洗濯、お料理に子育て、畑などなどいろんなところで、その個性を生かしています。(ブログ を参考にしてね。)

いつも陽気なばぁずたち
いつも陽気なばぁずたち

年配の方も、体の不自由な方も、お元気な方も、一緒にこれから先の残された時間を、充実した価値ある人生にしていきませんか。
分りやすい特技がある方は、それはそれで生かされるけれど、何ができるか自分には全く思いつかないという方でも“人の役にたちたい” “みんなで仲良く働きたい”そんな気持ちがあれば大丈夫。
喜びや楽しみを、みんなで共有することが体験できますよ。

いさどんブログ、「いつか死を迎えるときに」を、ぜひ、ご覧になってみてくださいね。
 

みんながそれぞれの役割を果たす「恵みいただきます」
みんながそれぞれの役割を果たす「恵みいただきます」より

 

 


「明日死ぬかもしれない」〜 きょうこちゃんの発見

きょうこちゃんの心のシェア・第2弾。

木の花には「きょうこ現象」という言葉があります。何か失敗をしては反省するけどすぐに忘れてまた同じことを繰り返す。そんなきょうこちゃんが、ガンをいただいたことで変化し始めています。
一昨日は自然療法をテーマとした出張木の花塾に参加し、昨日はパートナーのこうちゃんと一緒にガンセンターへ行ってきたきょうこちゃん。ガンを切らないことについて家族の了承が得られているかをお医者さんから確認され、そのことのリスクを説明された上で改めて、手術はしない意向を病院に伝えました。
そしてその夜の大人ミーティングで、以下の文章をシェアしました。

出張木の花塾で、自身の想いを語るきょうこちゃん
出張木の花塾で、自身の想いを語るきょうこちゃん

 
■    ■    ■
 
昨日は「出張木の花塾」だった。
最後に私の事例がとりあげられた。改めて自分の状況を皆の前で発表したのだが、こうして公に意思を表明していくことで、さらに覚悟をさせてもらったと感じている。

昨日の出会いでよかったのが、判事を退職されたIさんと話せたことだった。Iさんは、「もう私も死が近いといつも思っている。だから、人と会うといつも、もうこれが最後かも知れないと思って会うのだ」と言っていた。ある意味、私も余命宣告されたわけではないが、体にガンという爆弾を抱えているのは事実で、いつ死がやってきてもおかしくない。
ひまわりに帰って、ミーティングが終わって、ホールを出るとき、これがみんなに会う最後かな・・なんて思うと、なんとも言えない感謝の気持ちが湧いてきて、泣きそうになってしまった。これは、何か感傷的になるとういことではなく、すごく良いことだと思った。

明日死ぬかもしれないと思って、ことに接すると、いつもと違ったものが見えてくる。
あるのが「当たり前」、そして次の瞬間も明日も「当たり前」にあるのだと思っていたものが、「今」「この時」にしか出会えないものであることをすごく感じることが出来た。考えてみれば当然で、時空を移動している私たちなのだから、二度と同じトキ、トコロはありえないのだが、そうは思えていなかったということ。ミーティングでもいつも話されていることだが、頭で理解していただけで、やっと「そういうことか」と実感できたのでした。
出張木の花塾に来てくれた方から「また会えますよね」と言われたことに対して、何も考えずに「また会いましょう」と返した私でしたが、そんないい加減なことを言ってはいけないと反省したのでした。
「明日、死ぬかも知れない」と思って生きることって、実はとても新鮮な日々を送る秘訣なのかもしれないなと、新しい発見だった。

今日から、苗チームで新しい試みを始めた。朝一番に中神のハウス全体を皆で一緒に見て回る事。苗全体の様子を、チームの皆が把握で来るようにすることで、情報の共有と、苗を見る目を養う事、私がいなくても全体がスムーズに回っていくようにするために思いついたので、まずは始めてみた。私がいないと分らない、という状態はある意味私が作って来たもので、「人を育てる」という視点も欠けていた。一人で抱えこむ癖から、情報が全体に行き渡らず、滞りを生む原因にもなっているのだから。

これも「明日、死ぬかもしれない」ということから出てきたことで、いろいろなことを手放していくことは、人の為になったり、全体の為になったりするはずなのだ。「あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ」と段取りばかり頭の中を巡っているのでは、直観など入り込む余地がないはず。
人一倍失敗したくない私は、人に任せるのがすごく苦手。その割には、大きく外して「きょうこ現象」をもらって、またまた反省・・・。矛盾だらけで、しかも当然起こるべくして起こる結果。

負のスパイラルを断ち切ろう。何か新しいことやってみよう。失敗するかもしれないけれど、いただいて次に行けばよい。
良い流れを作っていくぞ~!

 

■    ■    ■

 

追記:
きょうこちゃんが手術しないことを知った娘のきよ(小学4年生)は、それ以来たびたびきょうこちゃんに「手術しないの?死んじゃうの?」と聞いていたのですが、昨日の夕食時、とことこときょうこちゃんのところにやって来て、こう言ったそうです。
「そっか。こころ磨き、するんだね。」

 

============================================

出張木の花塾は、下記サイトにて動画を公開しています。
 → 出張木の花塾「人は変われる〜宇宙視点の自然療法」

*ファイルは全部で6つあります。
5月19日現在まだアップロード中ですが、2日以内に全動画をご覧いただけるようになります。

*次回出張木の花塾は、6月7日(日)、同じく船橋にて開催します。
単なる病気の話ではなく、人が生きることの本当の意味を探る、すべての人にとって大切なお話をします。どなたさまもどうぞお越しください。

 → お申し込みはこちら!
  event★konohana-family.org
  (★は@に置き換えてください)

============================================

 
 


ガンをいただいて 〜きょうこちゃんの心のシェア

16年前にメンバーになったきょうこちゃんは、育苗(野菜の苗を育てる)担当。いつも明るい笑顔で、別名「スマイリー・きょうこ」と呼ばれる彼女が育てる苗は、毎年バスでツアーを組んで買いに来てくれるお客様がいるほど、元気でいい苗なのです。

そんなきょうこちゃんが、先月、子宮頸ガンであることがわかりました。

子どもの頃から親や先生に褒められることが自分の存在価値であると思い、いい子を演じて自分の正直な思いを隠しているうちに、いつの間にか自分の正直が何であるかもわからなくなってしまった。その溜め込んできた思いが、自分のガンをつくった。そう捉えた彼女は、ある決意をしました。
以下、大人ミーティングできょうこちゃんがみんなにシェアした文章をご紹介します。

110504-111257
 
■    ■    ■
 
今までの私の人生の結果として、ガンをいただいた。

子宮頸癌で、2センチくらいの大きさだそうだ。子宮の入り口にできている。
5年前、妊娠したときにした検査で、ガンではないが、それに近い細胞があると診断された。
私の中では、まだ癌でないからと、真剣にそのことに向き合ってこなかった。
定期的に検診を受けてきたが、今年に入って精密検査をした方がよいといわれ、検査した結果、ガンだと分かった。

このことを通じて、私の正直な心と向き合うことをつきつけられた。
今まで、自分の正直と向き合ってこなかったので、最初は自分の気持ちさえも分からなかったし、気持ちを語ったところで上げ底だとコメントをもらったり・・本当の自分の気持ちは何なのか・・。

最初は、ガンを切ってしまえばよいと安易に考えていた。みかちゃんの例もあったからだ。みかちゃんは、非常に小さな段階で、円錐切除といって、少しの部分を切り取る手術でよかったのだ。でも、私の段階はもっと進んでいて、子宮とその周りの組織を全部摘出する必要があるというものだった。転移の可能性があるからだ。
切らない場合はなおさら、もっと転移の可能性が高くなる。膀胱や大腸、腎臓、リンパなどが隣接している。少し病状が進んだだけで、手術が有効でなくなる。つまり、手術が出来なくなるということも伝えられ、私には転移を恐れる心があった。
さっちゃんに「何で切りたいの」と聞かれた時、一度体をリセットしたらよいと思うからと答えた。その時、さっちゃんからは「きょうこちゃんは、すぐに忘れちゃうから、切って終わりになっちゃうのじゃないの」とも問いかけをもらった。
その問いかけを受けて、いろいろ考えてみて、やはり切らないでやっていこう、と心に決めたつもりで病院に行ったら、先生の話を聞くうちにグラグラと心が揺れて、不安や恐れに囚われる自分があり、やはり、手術する方向でいこうと決めた。
そのことをいさどんに伝えると、私なら当然そうなることぐらい分っていたと言われた。
私みたいな覚悟のない人間は、取ってしまえばいいのだと。

人は必ず死ぬ。・・・分っていたつもりで、全然分っていなかった。全然覚悟もできていなかった。すごく上げ底で、自分が見えていなかった。

その後、大人ミーティングで、死についての話題が何度かとりあげられた。人は死ぬ。全てのものは必ず死ぬ。死を恐れるなんて、バカな話だと。
けれど、このガンが与えられて、私は初めて死というものを意識した。今まで、意識しないで生きていたことに、やっと気が付いた。

今日、苗のお客さんから、野菜の栽培についての質問がメールで来ていた。「いつも上手に野菜ができないのだが、どのように肥料をやったらよいか」という質問。
私は昨年から取り組んでいる、「天然循環法」について簡単に説明した。
「天然循環法」とは、天と繋がって直感で感じ、作物と会話しながらやるもの。「ある世界(現象界)」の中だけの循環ではなく、「無い世界(潜象界)」から湧き出てくるエネルギーを含め全ての循環とともに行うものだ。
野菜ができない=肥料が必要、ではないこと。肥料がなければできないと思っていたが、天然循環法に切り替えてから、肥料無しでやってみたら、とてもいいものが出来たのだ。
そこから学んだことは、固定概念を捨てて、信じてそこに賭けきる心の大切さ。

天然循環法に取り組み始めたころ、疑いが全く無かったわけではなかった。もう駄目かな、大丈夫かなと黄色くなったキュウリに、畦で刈った青草を敷き続けた。それを信じてやるぞ、と気持ちを切り替えてやった結果、最初は苦しそうだったキュウリやナスが、ある瞬間、スイッチが切り替わった。あの見事なキュウリの葉の茂り方を見て、私はとても感動したことを思い出した。淡く美しい緑色のトンネル。左右バランスのとれた美しい葉の形。余分なものがなく、清楚な空気がそこにはあった。
ある年、ナスにアブラムシが大発生した。どうにも仕様が無かった。私たちは農薬など一切使わないので、そのままにしておいたら、いつのまにかテントウムシが大量に発生して、いつしかナスはきれいになっていたことも思い出した。

自然の中にお手本があった。もともとある力を信じて賭けきったとき、その答えが与えられる。不安や恐れから、手術を選ぶのではなく、自分の可能性にかけてみようと決めた。
どうせ死ぬのだから。
どうせ死ぬのなら、悔いの無い選択をする。不安や恐れの方ではなく、信じる方を選ぶ。

だからといって、ガンが小さくなったり、無くなってしまう保障はどこにもないが、もしガンが大きくなっていたら、まだ信じる心が足りなかったと、さらに前に行くだけだと思う。

全ては善への旅である。
ありがとうございます。

 

■    ■    ■
 
 
 

全ては善への旅である

 
どんなに真理を得ようと思っても、どんなに真理を生み出そうと思っても、それを受ける器がなければ真理は降りてこない。真理への道は無限にあるが、そこに行く意思がなければ意味がない。道を語ろうと思っても、聞く者がいなければ語れない。信じる者は救われる。求める者に道は開かれる。歩む者に目的は現れる。
世界に痛みの伴う秩序があるのは、まっすぐ立つことへの指針である。道があっても目的地のない道は無意味である。曖昧な道を歩んでは目的地には到達しない。

世界に秩序があるのは目的地に人をいざなう為にある。秩序に溺れて漂う為に秩序があるのではない。世界の秩序を感じなさい。それはあなたを目的に導く道である。秩序が観えない者は目的地に行くことができない。秩序は世界の法である。秩序は世界のすべてに喜びを与える。世界は秩序の海である。秩序の中にあって内から自我を発する者は、法に反する者である。

内なる自我に捉われず、外の秩序に従うこと。内なる自我を取り去ることで内なる鏡が磨かれて、外の秩序が映し出される時、外の秩序が内の秩序になる。自我を捨てることではない。それは、自我を描くこと。そして自我の鏡に外なる秩序を映しなさい。そうすれば自我は消え、内なる秩序は無限の秩序となる。
世界には秩序が蔓延している。道があることを知らぬ者に道はない。道を歩まぬ者に道はない。道を求めぬ者に道はない。道を待つ者に道はない。道を観る者に道は観える。道を歩む者に道は開かれる。道を歩む者に目的は観える。この世界には秩序がある。

この秩序が観えるか?すべてを繋ぐ秩序。織物のように紡がれ、無限に連鎖する。連鎖とは繋がり。目的はひとつ。すべてはひとつであること。ひとつであることは区別がないこと。その元には善意、愛、調和。その姿は真、善、美。世界を紡いでいるのは善意。愛に基づいた善意。美に基づいた善意。それが真理。
世界に善を見いだせない者は内に濁りがある者。世界に悪を見る者は内に悪を持つ。世界の実相は善意。世界のすべてに善を観なさい。出来事は世界の真理、善を見るための情報。すべてに善を観ぬ者は内に悪を持つもの。すべてに善を観なさい。世界のどこにでも善を観なさい。

世界に善を観ない者は内なる悪を持つもの。汚れを取り去り、美しくしなさい。それを鏡としなさい。そして真理、善を内に映しなさい。その者は世界を照らす者。内なるものも外なるものも善を創るもの。この世界に悪などありはしない。悪があるとするならば、それは善への道しるべ、善を顕す為にある。すべては善の為にある。善という美であり、真理である。すべてに善を観なさい。

計る心に悪が生まれ、計る心に善が生まれ、計る心にすべてが生まれ、計らなければすべてが消える。

愚か者に悪が生まれ、光への旅に善が生まれ、光への旅に喜びが生まれ、光への旅に愛が生まれ、光への旅に調和が生まれ、光ヘの旅に真理が生まれる。

見えぬ者は内なる鏡の汚れに気づき、自らの盲目に気づきなさい。

真理を観る目を育てなさい。真理を観ようと努力しなさい。そして信じなさい。世界が善意で創られていることに目覚めなさい。愚かしいと思えることのすべては善の為にある。

すべては善への旅である。すべては善への旅である。すべては善への旅である。
すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。すべては愛への旅である。
すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。すべては調和への旅である。

その心が世界を美しくするのです。有難いことです。有難いほどの真理の元に、この世界の秩序がある。それに気づいたならば、どうして世界に不足など生まれましょうか。ただ有難いと思って生きるのみ。有難いことに気づいたならば、有難い神秘が世界に紐解かれ、有難いが現れる。有難宇御在益。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

 

 

============================================
 
病気とは何か。生きるとは何か。

そんなことをテーマに、
5月17日(日)、出張木の花塾@船橋を開催します。

きょうこちゃんも参加して、自身の体験を語ります。

140729-083407
     皆さんのお越しをお待ちしています!

→詳細はこちら

============================================

 


16年間苦しんできたアトピーへ、ありがとう

19歳でアトピーを発症し、以来16年間その症状に苦しみ、ずっと引け目を感じて生きてきたというともくん。先日大人ミーティングで、これまで誰にも打ち明けられずに来た想いをシェアしました。(こちらの記事にてその内容をご紹介しています。)
16年間の体験を通し、自分のアトピーの原因は心にあるのではないかと感じて「僕に、心とは何かを教えてください」というともくんに、いさどんは「アトピーの症状を治す方法は伝えられないかもしれませんが、アトピーをもらって『ありがたいな』と思える心は伝えてあげられます」と答え、面談の場を持ちました。

面談後、「あまりにも言われることがひとつひとつ図星なので、頭の中が真っ白になりました」と言っていたともくんですが、この面談を経ての今の想いを、再び大人ミーティングでシェアしてくれました。
以下、その全文をご紹介します。
  
■     ■     ■
  
いさどんの面談を受けました。
家族のこと、家系のこと、自分の進む道標など、
多岐に渡る話を聞くことができました。
多くのことに気づかされました。

僕の両親は12年前に離婚しています。
「両親の離婚の理由はなんですか?」
いさどんから問われました。

僕はその問いに答えることができませんでした。
両親のことを何も知らなかったという事実に気づきました。
両親だけではありません。よく考えてみると、
兄弟のことも深くは理解していないのです。

最も身近な存在であるはずの家族、
そのことに関心がない。
僕は他者に対して無関心であることに気づかされました。
それはつまり、
「自分自身に対しても無関心である」ということだったのです。

僕は自分のことが、全く分かっていなかったのです。
僕にとっては驚愕の事実でした。
「目から鱗」とは、まさにこのような心境を意味しているのだと思います。

「君の心から、エネルギーや声は流れているはず」
いさどんは僕に言いました。

しかし僕は、それらを受け取ることはおろか、感じることすらできていませんでした。

当然です。僕の意識は、常に表面上の肌のことや外面に集中していたからです。

「健常な肌ではないからこそ、辛い苦しい状態だからこそ
感じられる気持ち、見える世界があるはずです。
それは、君にしか感知できません。君だから理解できる真実です。
君が感じたその世界や真実を発信してみてください。
それが君の役割なのかもしれません」

いさどんは、僕に方向性を示してくれました。

誰かを救うことができるのではないか。
社会を良い方向へと変えていくことができるのではないか。
いさどんとの面談を経て、こんな感情を抱くことができました。

19歳の時から悩み苦しんできた体験が、誰かを助けることができる。
僕だから感じることができる世界や真実がある。
僕が感じた思いや考えを発信することで、世の中を変えていくことができる。

このように考えた時、僕の中で意識の変革が起きました。

今まで味わってきた体験は
僕にとって大切な財産であり、宝物だったのかもしれないと・・・
それは神がくれた贈り物だったのかもしれないと・・・

僕は今まで、自分の内面を見つめることを怠ってきました。
自分らしく生きることができていませんでした。
魂の成長や向上を意識することなどありませんでした。
自分を好きになることができずに、下を向いて生きてきました。

これからは、自らの役割を果たしていきたいと考えています。
自分自身を見つめ直します。
体内の内なる声に耳を傾けます。
湧き上がってくるエネルギーを全身で感じます。

そのためにも、
意識のベクトルを外面ではなく内面に方向転換します。
心の奥にある、神の意思を感じていきたいと思っています。

いさどんとの面談は、僕に重要な気づきを与えてくれました。
全てのことに意味があったのです。
そう思うと、感謝の気持ちを抱くことができました。
心が楽になりました。

意識が変わることによって、
やるべきことがはっきりと見えてきた気がします。
僕だからこそできる役割を、
果たしていきたいと考えています。
楽しい人生を歩むことができそうです。
楽に生きていくことができそうです。

ありがとうございました。