ユース・ビジョン・サミットレポート by ぽうる

さてさて、お待たせ致しました!

 

先日のユース・ビジョン・サミットの立役者であるポールより、
サミットのレポートを頂きましたので、ここにご紹介したいと思います。
ポールはすでに、このサミットで出会ったけんたくんや大人たちと共に、
行動を起こし始めています。

 

おちゃめなポール

 

地球の未来を真剣に想う素晴らしい若者たちを、ぜひ応援してください!

 

以下は、ポールからのレポートです。

 

*    *    *    *

 

このたび木の花ファミリーの第4回「大人サミット」に向けて、
5月25日から1泊2日で”Youth Vision Summit”なる会を持たせていただきました。
当日は僕たちNextGEN JAPANのメンバーをはじめ、
僕も所属する中央大学緒方研究室の研究員や、青年起業家や農業のヘルパー等、
様々なバックグラウンドを持った人々が集まりました。
そんな方々と一緒に、「次の地球の在り方」についてじっくりと、熱い議論に花を咲かせました。

全体としては、和気あいあいとした雰囲気の中で、色々なアイデアを出来る限り深くまで掘り下げ、
自分たち若者世代の思考と行動の指針となり得るようなモデルを構築することができたと、
自負しています。
もちろんこれは机上の空論に止まらず、実際のプロジェクトとして、既に動き始めています。
(少しでも気になる方は、NextGEN JAPANのFACEBOOKグループ→http://www.facebook.com/groups/175772325877060/に参加申請をして、
ちょくちょくチェックしてみてください。今後、随時更新していきます!)

この濃密な2日間は以下の3部構成で、ディスカッションを進めていきました。

 

セッション1:「それぞれの原動力(問題意識)の共有」

セッション2:「これからのアプローチ方法と具体的な行動」

セッション3:「大人サミットへの提言のまとめ」

 

まずセッション1では、個々人のモチベーションの源泉となっているモノ・コトを考え、
共有することによって、社会との繋がりや集団としての価値創りのための
強固な土台を築きました。
それは個人の不満・不安
(Ex.みんなと同じでなければ…/お金を稼いで、使わなければ…等)を、
社会の価値観の解放
(Ex.自分の活動に独自の意味づけができる/コミュニティを感じることができる等)へ
向かわせるいう共通点がありました。
またこの価値観のシフトを通して、着実な意識変革のムーブメントを作り出すことが
できるのではないか、とも考えました。

そして一見、ユートピア的な着想のようにも思われる「誰もが優しくなれるコミュニティ」を
創発するために、「シェアの概念を拡める」という手法を選択することにしました。
その手法は今すぐにでも実践できるものであると同時に、
比較的容易に一体感を創り出せる手段であるとも考えたからです。

それまでEDE(Ecovillage Design Education)の中で
何故”glue=繋がり方”の部分があれ程までに重要視されるのか、
はっきりと理解していませんでした。
しかし僕達は議論の中で、最終的には「コミュニティは意識を共有していれば、
自然と発生する」という結論に至りました。
それは場の一体感が如実に物語っていたようにも思います。
同時にフランスのプラムビレッジのティク=ナット=ハン師の言葉
「次のブッタはコミュニティの形をして現れる」を、僭越ながらも実際に体感したようにも思いました。

 

次にセッション2ではセッション1の根本にある理念を、いかにして実現するかを考えました。
その中で僕達は「不完全な完全を受け容れる」というキーワードを設定しました。
これはつまり、完成形(1日目で言う一体感やOneness)をストイックに目指し続けるのではなく、
目指すプロセスの中に断続的な学びの場を得ることです。
言い換えると、ある種の「成功」だけが解ではなく、様々な解釈の余地を残した
「良い塩梅」の所にある答えも「アリ」なのではないか、という意味でもあります。

しかしこれは、言葉にするよりもずっと複雑で困難な課題だとも感じました。
その中でも僕達は「足るを知ること」や「地に根ざすこと」によって
こういったシステムを創り出すことに、一歩ずつ近づいていければ、と考えています。

また、経営とは仏教用語辞典によると、「真理を一生かけて求める」という意味だということを
起業家の住岡健太君が教えてくれました。
まさに私達これからの世代が、次の地球のためにしていかなければならないのは、
こういったコミュニティ=マネジメントの実践とその姿勢の表明ではないでしょうか。

 

最後のセッション3では大人サミットに向けて、どのようなビジョンを自分達が描いたかを、
しっかりと伝えるためにプレゼンテーションに纏めました。
(実際にはほとんどが、グループワークによって設計されたモデル図で表されていたため、
ここではセッション1~2では出ていないキーワードをを中心にまとめてみます。)

 

●「細分化の時代」から「統合の時代」へ
あらゆる科学や社会、そして志向の様式が近年までは、
バラバラに条件化したうえで分類する「細分化」の方向に流れていたことに対して、
これからの世界はそれらを融合・一般化することによって、
ある意味で普遍的なものとする「統合」の時代が訪れるという仮説。
具体的には、「所有の幸せ」から「共有の幸せ」へのパラダイムシフトを意味する。

 

●陰⇔陽
陰(思いの世界)と陽(現実の世界)のこと。
これらの位置関係を明確にし、問題が感情に端を発するものなのか、
現状による停滞・弊害が原因となっているのかを分析する。
それぞれの場合に応じて、慎重にアプローチの仕方を選択する。

 

●シェア
以上の仮説・理念を達成するための初歩的な方法。
個人の所有の欲求だけに基づくの動きを抑え、共有することによって、
数的成長が無くとも今まで以上の価値創造をし得る。

 

●モデル作り
シェアの実例を一つの現実のプロジェクトとして創ることによって、
それ以降の「ひな形」として活用する。
もちろん全ての時間・空間で同じように採用するのではなく、
その状況に応じた動きを採用する。

 

以上のような言葉を用いて自分達の行動や思考の指針として発表したのですが、
まだまだ限られた時間では伝え切れていないものが多く、
報告会に向けて良い課題を残す形になりました。
また宇宙や原子のアナロジーを用いたモデル説明は、
適切に表現しなければちんぷんかんぷんで、
科学の濫用にも繋がりかねないようにも感じたので、
しっかりと勉強していきたいです。
しかしながら、帰ってきて早速いくつかの報告の場をいただいているので、
様々な場所で発表を通して日々精進しながら、
洗練されたプレゼンテーションに仕上げようと目論んでいます。

6月の3~4週目に東京を中心に行っていくので、ご興味がある方は是非ともお越しください。
実際のプロジェクトに関しては、まだプレスリリースできるものが少ないのですが、
健太君の調和型社会に向けた生活圏創造プロジェクトが動き出しています。

また、農家のコミュニティ支援や木の花ふぁみりーのお手伝いプロジェクトも動き出しています。
何かしら繋がれる方、助けてくれる方、一緒に加わりたい方は、
気軽に僕(http://www.facebook.com/ochamail)まで連絡をください!

 

長々と失礼いたしました。

最後になりましたが、今回のサミットに関っていただいた全ての皆様に、
もう一度だけお礼を言わせてください。
まことにありがとうございました。

 

NextGEN Japan:共同理事
緒方研究室:補欠
このはなふぁみりー:お手伝いさん

ぽうる
こと
池見 優

 

 

大人たちに自己紹介をするポール

 

外側ほど所有・細分化、中心へ向かうほど共有・統合

 

 

 


けんたくんからのメール

今回のユース・ビジョン・サミット参加者の一人である、
けんたくんこと住岡健太くんから、ファミリーにメールが届きました。

 

住岡健太くん

 

けんたくんは、渋谷での傘のシェアリングシステム「シブカサ」の発起人であり、
現在はパワースポット居酒屋「魚串炙縁」(うおぐしあぶりえん)を経営しています。
そして今また、人と人とがつながる新しい形のネットワークを創り上げようとしています。
サミットの数日前に偶然木の花を訪れて開催を聞いたけんたくんは、
そのまま滞在を延長し、ユース・ビジョン・サミットと、ユース・大人合同サミットに
参加したのでした。

 

以下は、
ぎりぎりまでサミットに参加して
夜中に東京に帰り着いたけんたくんから届いたメールです。
とても気持ちのこもったメールに、ファミリー一同嬉しくなって、
ぜひ皆さんにもシェアしたくなりました。

 

■   ■   ■   ■

 

木の花ファミリーのみなさんへ

 

こんばんは。

旅を終え2週間ぶりに家に帰った住岡健太です

あっ健康の健に太いで
健太です(注1)

ワクワクした感情が今も続いています。
テンションがハイになる状態ではなく、魂がフツフツと喜んでいる感覚です。

少し長いですが、耳を傾けながら豆を数えて頂けると嬉しいです(注2)

僕は2週間、関西を旅していました
その最終地点が木の花ファミリーでした

始めに
淡路島で村を作ろうとしている人達とMTGをし

奈良県で
農家さんと村おこしについてMTGし

三重県では農業を研究している大学院生と語り合いました

語り合う中で見えてきたもの
それは「人」の重要性でした

仕組みや制度では村(コミュニティ)を作ることはできない

人や想いこそが永続可能な村を作る

それこそがこれからの時代に求められるものだ!

そう答えを出しやってきました

みなさんが微笑んでいる様子が目に浮かびます

そうです。
求めていた世界がココにはありました。

精神と物質のバランス
人生を探求する生き方
仲間をこえた家族の絆

江戸時代にやってきた外国人が日本人の精神性の高さに驚いたといいます

まさか僕が外国人と同じ経験をするとは思いませんでした

しかも同じ日本で!

僕がずっとずっと探していたものがありました

20代前半引きこもりで死にたい時もありました
ビジネスで人間不信になった時もありました

その中でも1番辛かったのは
誰かに相談をしようと携帯の
ア行から一件一件見ていき
最後まで誰にも相談が出来なかった時でした

悲しすぎて涙が溢れてきました
次から次にこぼれ落ちる涙

今まで何のために生きてきたんだろう
どんな人間関係を作ってきたんだろう

それから生き方を変えました

あれから5年

とうとう求めていた世界に出逢えたんです。

今までの経験、全てに感謝です

僕は、みなさんと同じビジョンを見ているんじゃないかと勝手に思っています

みなさんに出会えたことを僕は一生忘れません
むしろ忘れる前に会いにいきます!

今回、お話が出来なかった方もいますが、次回はお話が出来たらと思います

ユースビジョンサミットで語りあえたのも
お仕事をしてくれていたみなさんの存在があったからです

個別に名前をあげようと思ったのですが
みんなで1つなので

みんなに感謝です!!

そんな木の花ファミリーが大好きです。

僕は、周りから変人扱いです
それが嬉しいのですが笑

みなさんも変人だと思います。
(良い意味ですよ~)

僕は、未来のライフスタイルで生きてるだけだと思ってます。

共に調和した世界を創っていけたらと思います。

最後に提案なのですが
木の花ファミリーの土地にUFOが不時着できる場所を作ってはどうかと思います。

真っ先にやってくると思いますよ
豆1つ分の場所でいいので笑

いつの日かUFOに乗って行けたらいいな~と思ってます

長くなりましたが、
また木の花ファミリーというお家に帰ります。

本当にありがとうございました。
ただただ存在に感謝します

みなさんと今も幸せを共有しています
東京の夜空を見上げながら
住岡健太 2012、6、26

 

■   ■   ■   ■

注1
ファミリーでは名前からその人の心の形を観るため、
名前を漢字でどう書くのかをよく聞かれる。

注2
ファミリーでは、ゲストからのメールなどを全員でシェアする
「大人ミーティング」の最中に、販売用の豆の選別作業などを やっていることが多い。


跡取り息子の描く未来

2年前にメンバーになったまっちゃんは、福井県で代々続く旧家の出身です。
実家はお父さんが農事組合法人を率いるなど、地域でも大きな役割を果たし、
まっちゃんは長男として、跡を継ぐことを期待されて育ちました。
けれどもメンバーとしてここに移住したことで、
「実家に対する後ろめたさが常にあった」といいます。
そんなまっちゃんと実家との関係に、この春、大きな変化がありました。
福井での出版記念イベントの帰りにメンバー14名がまっちゃんの実家を訪れ、
ご両親と話し合ったことで、新たな展開が生まれたのです。

今回は、そんなまっちゃんの物語をご紹介します。

 

まっちゃんの故郷、福井市杉谷町の風景

 

細部まで見事な造りのまっちゃんの実家

 

左から、まっちゃんのお母さん、お父さん、まっちゃん

 

■  ■  ■

 

僕は福井県福井市の杉谷町というところで育ちました。

家の裏は山。前は視界いっぱいの田んぼ。
子どもの頃は、冬になると凍った田んぼの上を歩いて学校に行ったりしたなぁ。
川が好きで、高校生の時は、学校の帰りにいつも川を眺めてた。
だけどある時工事が始まってね。
その川がコンクリートで固められて、それまで泳いでいたカモもいなくなっちゃった。
その頃かな。「環境」について考えるようになったのは。

 

大学卒業後は、大阪で会社員をやりながら、
環境保護団体に入っていろんな活動をしたよ。
ビオトープを作ったり、クワイの産地を再現したり、
2年間一生懸命だった。
ところがある日、その活動の拠点がお金のために売られて、
あっさりと老人ホームに変わっちゃったの。
えーっ、こんなに簡単になくなっちゃうのーってびっくりした。
ちょうどその頃に部署替えがあって、僕は福井に戻ることになったんだ。

 

大阪で自分がやってたことって何だったんだろう、
って想いを抱えながら実家に戻った時に、
目の前にものすごく豊かな自然が広がっていることに初めて気付いたんだ。
それで思った。どこか遠くに行って環境保護を訴えるのではなく、
自分の足元を大切にすることなんだ、って。
だけど僕らは、あまりに知らなすぎる。そして簡単に道路を作る。
そこで、子どもたちと一緒に地元の自然を観察する活動を始めたんだ。
そして、この地元の良さを共に伝えていく仲間を集めようと思った。

 

仲間が欲しかったことには、もう一つ理由があったの。
僕は長男で、子どもの頃から跡取りとして育てられてた。
特に母親は、何をおいても家が大事という人。
でもね、正直、荷が重かった。
父親は地域のリーダー的存在で、何かと役割の大きいあの家を
僕一人で継いでいくのは、精神的にも経済的にも無理って思ってた。
ちょうどそんな時に木の花に出会ってね、
そうだ、福井でもエコビレッジを立ち上げよう!って思ったの。
みんなで一緒に福井の未来を考えて、
食や森林、エネルギーなどの問題に取り組んでいく中で
この家の環境も継いでいったらいいんじゃないか、って。
大好きな故郷の暮らしを、僕一人でつないでいくことはできなくても、
みんなと一緒ならやれる。
そうすれば両親の願いもかなう。
そこで仲間を集めて、「あまてるの里」という名前で活動を始めたんだ。
そして父親に、自分の想いを話した。
僕は、木の花ファミリーのようなものをここでつくりたいんだって。
でもね、父から返ってきたのは、「そんなことは無理」という返事だった。
やるなら他でやれ、って。

 

まっちゃんのお父さん

 

子どものころからずっと、父親とは腹を割って話せなかった。
父には人をまとめる力があって、社会的にはすごく尊敬していたけど、
何か話しても全部見透かされているようで、僕はいつも緊張してた。
その父に「無理だ」と言われて、
僕は自分の中のフィールドがなくなっちゃったような気がしたんだ。
「あまてるの里」も、いざ自分がみんなを引っ張る立場になってみたら
どうしていいかわからなかった。
それで、改めて木の花を訪れてみた。
そしてここでエコビレッジの教育プログラムを受講したりして
みんなと生活を共にしていくうちに、「やっぱりこの生き方が大切なんだ」と思い、
悩んだ末に、移住を決意したんだ。

 

家を出る時、父親からは、「二度と家の敷居をまたぐな」って言われた。
僕は、それは彼流のプレゼントだったと思ってる。そのくらいの覚悟で行け、と。
それで、「わかりました」と言って、家を出たんだ。実家との縁は捨てようと思った。
ところが、ここに来てみていさどんから「勘違いしてるよ」って言われたの。
「何者も、大切な人とのつながりをわざわざ絶つ必要はない。
もしも縁がなければ自然に切れるのだし、それはただ流れを頂くだけ。
あなたの家族は木の花の家族でもあるのだから、
血縁を自ら捨てるなんてことは誰も求めていないよ」って。
ああそうか、って思った。
本当は、父親一人で田植えはどうするんだろうって気になってたの。
それで、実家に電話したんだ。必要なら声をかけてよ、って。
その後、田植えの時期になると母親から電話が来るようになったんだ。
それ以来、年に数回、忙しい時だけ実家に手伝いに帰るという生活を続けてきた。
帰るたびに、母親からは戻ってきてほしいと泣かれた。
父親との会話は・・・記憶にないや。ほとんどなかったんだと思う。
親の願い通りにできなくて、自分の中に常にどこか後ろめたさがあったよ。

 

それが、この春に木の花のみんなと実家を訪ねたことで、大きく変わったんだ。

 

 

まっちゃんの実家前にて

 

客間での様子

 

イベントの帰りに、いさどん始め14人のメンバーと実家を訪ねて、両親と話したの。
両親が木の花のメンバーに会うのはほとんど初めてのこと。そこでいろんな話をした。
まず、父親に僕が木の花に移住したことをどう思うかを聞いてみると、
「跡を継いで欲しいとは思うが、息子の人生は息子の人生。強制できるものではない」と。
そして、今この地域全体の後継者問題に取り組んでいることを語りだしたんだ。
僕の家に限らずどの家も跡取りがいなくて、68歳の父親と同世代がやめたら終わり。
だけどこの農村を、国土を守っていきたいから、
父親は、みんなで協力してやっていこうと農事組合法人を立ち上げた。
そして非農家の人たちにも入ってもらい、町内全体で運営していこうとしてる。
より管理しやすいように田んぼの畔を取り払ったり、農協に掛け合ったりしながら、
将来的には6次産業化も目指しているんだって。
父親は、すごく生き生きと、本音で話してた。
僕は、そんな風に話す父親の姿を初めて見たんだ。
木の花のみんなも父の話に聞き入りながら、自分たちの体験も語って、
父の中にあるものをどんどん引き出している。
父は、自分の家のことだけじゃなくて、地域全体や、そのもっと先にある
この国のあり方についてまで考えてた。

 

一通り父親が話した後、母親にも、僕が木の花にいることをどう思うかを聞いてみた。
そうしたら、母親は
「我が家には魅力がないんだと思って、悲しくなりました」
と言って、泣いたんだ。
その時にいさどんが、そうではありませんよ、
まっちゃんを木の花に留めるつもりはありませんよ、と話し始めた。
僕自身、実家が嫌で木の花に行ったのではなく、
好きだから守っていきたい、でもどうしていいかわからない、と思って移住した。
いさどんは、その問題はみんなで考えるものだし、
木の花ファミリーはそれをサポートするためにあるんですよ、と。
僕も、その話を聞いて、力が抜けたよ。

 

僕の中にはずっと、実家や故郷の問題が重くのしかかってた。
だけどそれは僕一人で背負い込まなくていいんだってことがわかって、
すごく楽になったの。
それは両親も同じだと思う。
僕が家を継ぐ継がないということではなくて、日本全体のことをみんなで考えていく。
それは、木の花のメンバーにとっても、自分たちの役割を確認する場だったと思うんだ。
今どんなに父が法人を立ち上げて奮闘していても、結局は後継者問題は付きまとう。
その時に、僕たちはそれをサポートしていくことができるんだよ。

 

父がね、おもしろいことを言ったの。
その場にいたメンバーのひろっちが、
「これからは血縁を超えて協力し合っていく必要がある」と言ったら、
「地権者意識がなくなっていけば、それもあり得ますね」って。
これまで、父の口からそんな言葉を聞くことはなかった。
今ね、人がどんどん高齢化していって、誰も山に入れなくなって、
どこまでが自分の土地かわからなくなってるの。
父も正確には境を知らないと思う。
だから地権者意識も何も、結局みんなで管理せざるを得なくなるんだよ。
近い将来、きっとそうなる。血縁を超えて、みんなで協力し合う時代が来るんだよ。

 

最後にね、みかちゃんが『安里屋ユンタ』を歌ってくれたんだ。
歌詞の「沖縄」のところを「福井」に変えてね。
その時の、父と母の表情が、すごく穏やかになってた。

そうそう、帰る時にね、僕、父親と握手したの。「じゃあ」って言って。
そんなこと、生まれて初めてだったよ。

 

沖縄民謡の『安里屋ユンタ』を歌うみかちゃん(右から4人目)

 

 

ずっとね、志があったんだ。

みんなでこの生き方を学んで、たんぽぽの綿毛のように、
必要とされるところにどこへでも飛んでいって、それを伝えていく。
自分があの家に生まれたことにも、きっと意味があると思うんだ。

もしもいつか僕が帰る流れが来たら、木の花ファミリーの一人として帰って、
ここで学んだことを生かしていく。
そして、そこで学んだことをまた持ち帰ったり、そこからさらに広めたり、
そんなふうにこの生き方が広がっていったらいいなって、心から思ってる。

 

そのために、今、ここでとことん学んでいるんだよね。

 

まっちゃんとお母さん ― おばあちゃんと一緒に