木の花ファミリー通信2018年秋分号 〜 美しいとは

春分から地球がちょうど太陽を半周し、1年で再び光(昼)と闇(夜)が等分となる秋分の今日、「木の花ファミリー通信秋分号」が発行されました!
春分号から始まった「21世紀の死生観」シリーズ、第一部「死ぬってどういうこと?」第二部「ある世界とない世界」に続く第三部のテーマは、「美しいとは」。第一部・第二部では、人間が肉体を持って地上に生まれてくるのは魂を美しくするためであり、私たちは多重構造の宇宙の中を、輪廻転生をくり返しながら果てしない進化の旅を続けていることをお話ししましたが、ではそもそも「美しい」とはどういうことなのでしょう。第三部では、現代の人々が大きく捉え違いをしている「美しさ」についてひも解き、私たちがこの世界を生きる意味をさらに深めます。

 

未 知 な る 世 界 へ の 旅

私たちは、宇宙を生きています。

宇宙には無数の星々があります。星々はどれひとつとして、同じ場所に留まっているものはありません。地球が太陽の周りを周り、太陽は天の川銀河の中心を周り、天の川銀河もまたさらに大きな銀河群の中を周っているように、すべての星々が無限に連鎖しながらひとつの壮大な渦となり、果てしない宇宙の中を、常に未知なる場所へ向かって共に旅し続けているのです。

そこには、絶対なる秩序があります。その秩序とは、時の存在です。この世界に存在するものはすべて、時という決して止まらぬ乗り物に乗り、同じ方向へ向かって進んでいます。その流れに乗って地球も共に宇宙を巡っているからこそ、地上に毎日朝がきて、夜がきて、四季が生まれ、私たちの命が育まれていくのです。

地球には、実に870万種とも言われる多種多様な生命が存在しています。宇宙の星々が絶対なる秩序のもとにすべてつながっているように、地球の生命もまた、一つひとつが独自の役割を果たしながら見事に連鎖し、地球生態系というひとつらなりの命の世界を築いています。それは、とても美しい世界です。時の流れの中で、一つひとつの存在が命を与えられては生まれ、生き、死んでいくことをくり返しながら、全体が常に新しい生命力を得て、まるでひとつの生きもののように、留まることなく進化し続けるのです。

この絶え間ない流れの中でただひとつ、その流れに逆らおうとする存在がいます。それが、地球上に現れた人間です。他の生命は、時の流れゆくまま、自然の仕組みに沿って命を全うします。ところが自我を持った人間は、特定の状態を「維持したい」と願う心を持つようになりました。その心は流れの中に滞りを生み、様々な問題をもたらすようになりました。

しかし、誰も地球が周るのを止めることができないように、どんなに維持したいと思っても、この時の流れを止めることはできません。地球の歴史を振り返ってみれば、それは変化の連続でした。生命の発生から人類誕生に至るまで、それまでの在り方が根底から覆るような環境の大変化が幾度となく起こり、その度に生命は大量絶滅をくり返しながら、次の環境に適応する新たな種へと進化してきたのです。それは留まることのない未知なる世界への旅であり、その結果たどり着いたのが、現在の私たちです。

今、世界はこれまでの常識を覆す、様々な現象を起こし始めています。それは、時代が大きな転換期にあるということです。

そんな時代に、私たちは人間として、地球に降り立ちました。「人生は魂を美しくするためにある」としたら、美しくなるとは一体どういうことなのでしょう?

 


地球の生命進化の歴史については、木の花ファミリー通信vol.88「時代主義が始まった」をご覧ください。


 

こ の 世 界 は  し い

宇宙の本質は、つながること

私たち人間は一人ひとり違った個性を持ち、それぞれの人生を日々生きています。それは宇宙とは関係のないことのようですが、当然のことながら、宇宙の仕組みの中にあります。

私たちの生命の成り立ちを最も大きなスケールで表しているのは、天の川銀河です。天の川銀河の外にも宇宙は広がっていますが、それは天の川銀河の中を生きる私たちの感性では解釈し得ない別次元の世界ですから、ここでは天の川銀河を最大として、生命の構造をたどります。

銀河に散らばる無数の星々は、一つひとつどれもが個性的です。その無数の個性的な存在が、それぞれのサイクルを刻みながらひとつ残らず連携し、銀河というひとつの命を形成しています。その仕組みを凝縮し、より身近に現したのが太陽系であり、地球生態系であり、もっとも身近に現しているのが私たちの体です。

私たちの体は、数十兆個もの細胞から成る多彩で複雑な機能の集合体です。あなたの体を見てください。目、耳、鼻、口、腕、足、全身に張り巡らされた血管や神経、骨、筋肉、様々な働きの臓器から髪の毛や爪に至るまで、数え上げればきりがないほど多様な器官の一つひとつの中に、さらに複雑で緻密ないくつもの機能があり、それらがすべて連携し、奇跡のような調和のもとに、あなたというひとつの命を形成しています。もしもそれらが連携せず、バラバラに存在していたら、命はたちどころに成り立たなくなるでしょう。つまり、宇宙の本質はつながることにあるのです。つながるとは、善意によってしか成り立ちません。即ち、宇宙は善意によって創られているのです。

生命は美しい

その善意のつながりの中で、すべての存在は時という共通した乗り物に乗っています。

私たちの肉体は、母親の胎内で受精後、わずか1mmにも満たないほどの小さな生命から、魚類、両生類、爬虫類を経て哺乳類へと至る38億年の生命進化の歴史を胎内でたどり、280日でこの世に誕生します。そして日々、地・水・火・風・空という自然の五大要素の循環の中で、細胞レベルでの生死をくり返しながら、赤ん坊から子どもへ、そして大人へと成長していきます。年月とともに肌にはしわが刻まれ、髪は白くなり、やがて寿命を迎えれば、魂の抜けた肉体は原子レベルへ解体し、次の生命を構成する材料となります。死は、それまでの縁から解き放たれて、生態系の循環の中へと還っていく美しい瞬間です。

このように個々の存在は時の流れと共に変化し続け、その個々の集合体である全体もまた、新陳代謝をくり返しながら、常に新しく生まれ変わり続けています。この、淀みなく変化していく姿が、この世界の美しさです。

美しいとは、すべてが淀みなく流れ、未来へ向かって変化しながら、進化していくことです。それは、宇宙の姿そのものです。宇宙は常に未知なる場所へと進みながら、変化・変容・変態をくり返しています。それは宇宙が生命だからです。生命とは留まることなく変化し続けるものであり、私たちの体は、その仕組みをもっとも身近に現しながら、命とは何か、美しいとは何であるかを、教えてくれているのです。

一緒に新たな世界へ進もう

この美しい世界の中で、人間は極めて特殊な能力を与えられました。

すべてがつながり、循環していく仕組みの中で、自我を持った人間は「自分」というものを特別に意識するようになりました。そしてその高い能力を使い、世界の流れに沿って自らを変化させていくよりも、自分を保ち、世界の側を自らに都合のいいように変化させようと考えるようになったのです。その心は、すべてが変化し続ける流れの中に滞りを生み、様々な矛盾を発生させました。ウソ、かけ引き、争い、孤立。それはつながることが基本である宇宙の本質とは、対極にあるものです。

人は誰しも、美しい世界を求めています。ところが現代社会は、人間の都合を優先した、とても美しいとは言えない世界になってしまいました。美しく整備されて見える都市は、その陰で莫大な量のゴミを出し、美しく装った人々の奥には、争いや孤独、病気や犯罪など、自己中心の心が蔓延しています。流れに逆らい、力ずくで世界を思い通りにしようとすれば、たくさんのエネルギーが必要です。人々はもっともっととかき集め、傷付け、奪い合い、多くの無駄を発生させ、地球や、自分たちの命さえ蝕むようになりました。ところが、世界中がこれほどの問題ごとで溢れかえりながら、人々は問題のあることが当たり前になり、それを自らが創り出していることさえわからなくなってしまったのです。

多くの人は目に見える形を見て「美しい」と言います。しかし真の美しさとは、その奥の「心」にあります。どんなに形を美しく取り繕っても、奥にある心が汚れていれば、それは必ず問題となって自らに返ってきます。ところが自分が汚れているという認識がなければ、自らが出会った問題を他人や世の中のせいにするのです。それどころか、その問題をなかったことにしてしまうのです。

すべてが淀みなく変化していく流れがこの世界の美しさなら、汚れとは、その流れを滞らせ、宇宙の本質から外れる働きです。現代の人々はこれほどの問題を生み出しながら、その問題の元となる自らの心の汚れを見ることを避けてきました。しかし、宇宙の根本は善意です。体の成り立ちを無視して心が暴走し、暴飲暴食をすれば、体は病気になってそのことを教えてくれるように、人々の心が分離し、自分勝手に生きるようになれば、世界は大きな災害を起こして一人では生きられないことを教え、つながることを促します。つながるとは、命を紡ぐことです。

宇宙はいつでも、私たちがこの大いなる流れから外れ、世界に矛盾をもたらせば、再びその流れへと戻るように導いています。その流れに逆らい、同じ場所に留まろうとする限り、宇宙はあなたに問題ごとを与え続けるでしょう。なぜなら、宇宙はあなたを「一緒に新たな世界へ進もう」といざなっているからです。

奇跡のような世界の中で

人生を歩むとは、今のままの自分が歩み続けて未来に新しい景色を見るのではなく、瞬間瞬間新しい景色に出会うことで、自分自身が変化し、新しくなっていくことです。人は新しいものに出会うと、それまでの歩みをベースとしてその物事を見て、それが自らの理解を超えれば抵抗しようとします。今の自分を守り、自らの納得できる範囲内に世界を収めようとするのです。しかし、私たちがこの世界を生きるとは、本来そのような立場に立つものではありません。

地球は宇宙の中でもまれに見る、命あふれる星です。そこには、多種多様な生命を育んでくれる奇跡のような世界があります。地球は太陽の周りを周り、その地球の周りを月が周っています。月と太陽は、地球に対して絶妙なる位置で陰と陽の役割を果たしながら、この星の生命を育んでいます。太陽から届く光と熱は、大地、水、風、空気の循環を起こし、月の引力は海に満ち引きを起こして、水をかき混ぜます。地球を卵の大きさに例えると、わずか卵の殻ほどの厚さと言われる大気圏の中で生命たちは呼吸をし、その生命を、地球の磁場が有害な太陽風から守り、さらに太陽の磁場が有害な宇宙線から守っています。そして地球を含む太陽系の惑星たちが、太陽を中心として寸分の狂いもないサイクルを刻んでいるからこそ、地上にくり返し朝と夜が訪れ、四季が巡るのであり、その太陽系の関係は、銀河の無数の星々が創る調和のネットワークの中で成り立っています。どれかひとつでも狂えばたちまち生命は存在できなくなるほど絶妙なバランスの関係がいくつも連鎖して、初めて私たちの生きる世界が成り立っているのであり、そこに人間によって創られたものは何ひとつないのです。

現代の多くの人々は、自分の力でこの世界を生きていると思っています。しかし真実は、私たちの理解をはるかに超える壮大な宇宙の仕組みによって、生かされているのです。自分という小さな囚われを捨て、今この瞬間もあなたを生かし続けている宇宙の仕組みを理解した時、あなたの中に、美しい世界が蘇ってくるでしょう。その時に、宇宙の意思は、あなた自身の意思となるのです。

永遠に続く物語

宇宙は、事実に基づいてのみ、事が進むようになっています。人間が宇宙と一体となり、ウソやかけ引きのない純粋な意思を地上に表した時、ものごとは驚くほどスムーズに現象化していくようになります。他の生命が自然の仕組みのままに生を全うするのに対し、人間は自らが意思を持ち、宇宙と共にこの世界を創造していく能力を持ち合わせているのです。

人間の意識と宇宙が合一した時、そこには無限のフリーエネルギーの世界が表現されることでしょう。銀河の誕生から138億年間、星々は広大な宇宙を巡り続けながら、一度も燃料補給をしたことはありません。宇宙はもともと完全なるフリーエネルギーの世界であり、その仕組みに沿えば、とても少ないエネルギーで、すべてが無駄なく、美しく流れていくのです。それはとても穏やかで、心地のよい世界です。

そういったフリーエネルギーの世界で流れに逆らった結果、人々は争い、疲れ、傷付いてきました。しかし、私たちがどれほど抵抗しようと、宇宙は確実に進んでいます。自我を持った人間にとって、自分という存在はとても重要です。しかし宇宙から見れば、それは時代を表現するコマの一つにしか過ぎないのです。

人間の一人ひとりが地上でどのように生きようと、時代は確実に、意思を持って進んでいます。その時に、これまでの地球の歴史がそうであったように、その流れにそぐわない存在は淘汰されるだけなのです。そして時代は、それに代わる新たな生命を生み出します。こうして宇宙の物語は、永遠に続いていくのです。

宇宙の根本の心

自我を持った人間は、すべてが流れ移ろいゆくこの世界で、「自分」というものを特別に意識し、流れに滞りをもたらしました。それは、このように捉えることもできます。淀みなく流れているだけでは、それが何であるか本当にはわからない。流れに逆らい、滞りを体験することにより、その対比から、流れとは何であるかを知るのです。そして、滞りの原因となった囚われを手放し、淀みのない心で、宇宙の流れのままに生きたなら、人生はどんなに美しいことでしょう。

自我とは、言い換えれば個性です。人間は一人ひとりがオリジナルな個性を持っています。地球上に存在する多種多様な生命の中でも、たったひとつの種の中でこれほどの多様性に満ちた種は、他にないでしょう。人類は美しさに憧れ、過去には経典やモデルを作り、「これが正しい生き方だ」としてみんなが一律にそれに倣おうとしてきました。けれどもそれは、借り物の世界です。事実に基づいてのみ事が進んでいくのが宇宙の仕組みならば、真実は経典に書かれた借り物の世界ではなく、あなただけのオリジナルな歩みの中にあるのです。

美しいことにはもうひとつ、大切な要素があります。それは多様性です。複雑で多彩な機能が私たちの体を形成しているように、870万種もの生命が地球生態系を紡いでいるように、無数の星々が渦となり宇宙を旅しているように、多種多様な存在がつながり、それぞれの響きを響かせながらひとつの生きもののようになるからこそ、まるで交響曲のような、豊かで、ダイナミックな、美しい世界が表現されるのです。

世界は私たち人間に多様性を与え、時という共通の乗り物の上で、宇宙を表現することを託しました。さて、今世を生きる間に、私たちはこの真実に、どこまで辿り着くことができるでしょうか。自分は健全な人生を生きている、と思っているあなた自身の日々の営みが、今も地球を、そしてあなた自身を汚し続けています。その事実に気付き、もしも本当に美しい世界を願うなら、まずはあなたから始めてください。それは決して難しいことではなく、誰の中にも眠る、私たちがこの世界に生まれてきた本当の目的に向かうことです。その目的に向かい精一杯生ききった時、あなたは、あなたがこの世界にもたらしたものが何であるかを知ることでしょう。そしてそれが、肉体を離れ魂として本住の地へと還っていく、あなた自身の価値となるのです。

もしも私たちが目的を見失ったとしても、宇宙は常に様々な現象を起こし、私たちを目覚めへと導いています。これこそ、宇宙が私たちに示している意思 ────── その根本の心は、愛なのです。

 

ー 生命は留まることなく変化し続け、宇宙の物語は永遠に続いていく ー

 


 

 

ある日、富士山ろくの宇宙おじさん・ジイジのもとに、韓国から7人の子どもたちが遊びにやって来ました。子どもたちの中には、よくウソをつく子がいました。その子の親から「どうしてウソをついたらいけないのかを話してほしい」と言われたジイジは、韓国と日本の子どもたちへ向けて、こんなお話をしました。

どうぞ ウソをついてください

まず、みんなはウソをついてもいいと思いますか?それともいけないと思いますか?
ジイジはね、ウソをついてもいいと思います。だって、ウソをついたらどうなるかを経験するためには、ウソをつかないとわからないでしょう?

ウソというのは、本当のことと違うことを言うことです。本当のことは、ひとつしかありません。でもウソはたくさんあります。だから、ウソをつくと頭が良くなります。本当のことがわかると困るから、それを隠し続けるためにたくさん考えるのです。でもその考えは、悪い考えです。そして、悪い考えが頭の中にいっぱい増えると、悪い人になります。
子どもというのは、ウソをつくものです。だからウソをつきたい時には、どうぞついてください。ただし、その時にひとつ、大事なことがあります。それは、「自分は今ウソをついている」ということをわかっていることです。ウソは本当のことと違いますから、ウソをつくと必ず後で困ったことになります。その時に、自分がウソをついたことがわかっていれば「ああ、自分がウソをついたからこうなったんだ」と気付くことができます。そうするとそれは、ウソをつくのをやめよう、と思う機会になります。
自分がウソをついたことがわかっていないと、困ったことが起きた時に、自分に原因があるのではなく、人のせいだと思うようになります。これは本当に困った人です。子どもの時にウソをつくのは、ウソつきになるためではなく、ウソをつくとどうなるかを勉強するためです。でも自分がウソをついたことをわかっていなければ、ウソから勉強することができません。そしてウソをついていることに気付かないままウソをつく、本物のウソつきになります。ジイジはそういう大人にたくさん出会ってきました。大人は子どもに「ウソをつくな」と言いますね。でも実は、大人の方がもっとウソつきです。つまり、人間というのはウソつきなのです。

畑で作物を育てていると、いろんなものに出会います。まず一番に太陽、そして植物、動物、土、雨、風 ──── みんな正直です。もしも作物の出来が悪ければ、それは土のバランスが崩れていたり、気候が合わなかったりと、どこに原因があるのかを正直に教えてくれます。肥料をやりすぎれば、作物は病気になって、人間の間違いを教えてくれます。人間がいつも自然から学ぼうと思っていれば、自然は決してウソをつかずに、正直にいろいろなことを教えてくれるのです。だから自然の中にいると、感謝の気持ちが湧いてきて、とても心が穏やかになります。
ところがそこに人間が来ると、ウソが生まれます。人間たちは、何に対しても自分に都合のいいようにものを考えるからです。でもそれは本当のことと違いますから、必ず問題につながります。ということは、人間たちが生きていると問題が起きるということです。
人はウソをつく時に、それを言うことでいいことがあると思っています。だからウソをつくんでしょう?でもウソをつくと、必ず自分の思っていたこととは反対の、都合の悪いことが起きます。人生の途中では得をしたと思っても、必ず生きている間に、そのウソの分だけの困ったことを受け取らないと死んではいけないようになっています。そしてウソつきのままで人生を終わると、次にまた生まれてくる時には、ウソつきとして人生がスタートするのです。

ウソをつき続けると、心が悪い人になります。そうすると、人生を生きていてもいいことが起きないようになっています。そうやってこの世界は「ウソをつくのはよくないよ」ということを教えてくれているのです。
だから、子どものうちには勉強として、どうぞたくさんウソをついてください。そしてたくさん困ってください。どうして困ったのかといったら、自分がウソをついたからだということに気付いてください。そうしたら、きっとウソをつかない人になるでしょう。
そしてどうぞ、美しい人生を歩んでください。

以上、ジイジのウソつき講座でした♪

 


美しく生きるとは、生命のありのままの姿を表現すること。その生命は、性から始まります。21世紀の死生観・第四部(2018年冬至発行)では、私たち生命の源である性の真実を解き明かします!


美しい生き方についてさらに実践的に学びたい方は、毎年2月から3月に木の花ファミリーにて開催される「1ヶ月間の真学校」にご参加ください。→「1ヶ月間の真学校」専用ブログ

*1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在しながら、「自分」という囚われを外し、既存の価値観を超えて世界観を大きく広げ、様々な切り口から21世紀の人類の生き方を実践的に学ぶプログラムです。ただ今、2019年受講生を募集しています。詳しくはこちら

 

 

→ 21世紀の死生観第四部「性 ー すべてのはじまり」へ

 


木の花ファミリー通信2018年夏至号 〜 ある世界とない世界

シリーズでお届けしている「21世紀の死生観」、第一部『死ぬってどういうこと?』に続く第二部のテーマは、『ある世界とない世界』。
私たちは宇宙を生きています。しかしまだまだ、宇宙を生きているという認識を持っていません。第二部では、この宇宙の構造をひも解き、私たち生命に必ず訪れる死について深めます。


 

 

陰と陽

私たちは日々、目に見える世界を生きています。自分自身の体を始め、あらゆるものの姿かたちを目で捉えることによって、その存在を認識します。科学に代表される現代人の思考回路は、この「見える世界」だけをすべてと捉えています。目に見える現象が起きて初めてその存在を認識し、そこに問題を感じれば、また目に見える形で解決しようとするのです。
しかし目に見えるものの奥には必ず、目には見えない存在があります。心、思い、魂 ──── それらは目で見ることはできませんが、その見えないものが、表面に現れた見えるものの本質を成しています。形のある「見える世界」を陽とするなら、形のない「見えない世界」は陰です。この「見える世界」と「見えない世界」を合わせて、ある世界(現象界=現象の起きる世界)」と言います。目に見える私たちの体も、その奥にある目には見えない魂も、どちらも「ある世界」を形成しているのです。

 
宇宙は呼吸をしている

宇宙は対向発生と言い、常に相反する二つのものによって成り立っています。天があれば地があるように、男がいれば女がいるように、必ず対となる陰陽の存在があり、互いを成り立たせ合っています。では、「ある世界」を陽とするならば、必ずそれと対になる陰の存在があるはずです。それを「ない世界(潜象界=すべての現象の源の世界)」と言います。「ある」ことが前提となっている現代の私たちの思考で、この「ない」世界を捉えることはできません。それは、あるとかないという概念すら存在しない、響きだけの世界なのです。

〈図1: 発生と消滅を繰り返す宇宙の仕組み〉 

この世界(宇宙)はもともと、何も「ない世界」でした。ところがある時、「無」から「有」が発生しました。何もなかった世界に時空が生まれ、それがどんどん膨らんで多様性が広がり、現在のような現象世界となったのです。やがてその膨らみがピークに達すると、今度は徐々に収縮していき、いずれ無へと収束します。即ち、「ない世界」へ還るのです。
この発生から消滅までのプロセスを、宇宙は無限にくり返しています。それは宇宙の大いなる呼吸です。気の遠くなるような壮大なスケールで、宇宙は悠々と呼吸をし、すべての生命はその中を生きています。そして私たち自身の命もまた、宇宙と同じ仕組みによって成り立っているのです。

私たちのDNAの中に、宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が眠っています。そこに、これから人類が宇宙的進化を遂げる大いなるヒントが秘められているのです。

 


 
宇 宙 の の 物 語  

もしも私たちが、目に見える世界だけをこの世界のすべてと捉えたら、誕生は始まりであり、死は終わりであると思うことでしょう。しかし事実、この世界はそのような単純な仕組みにはなっていません。「見える世界」と「見えない世界」を合わせた「ある世界」、そしてそれらの源である「ない世界」が立体的に折り重なる多重構造の世界を、私たちは時の流れと共に、ある時は肉体を持ち、ある時は魂だけの存在として、そしてまたある時には宇宙の最極小微粒子へと姿を変えながら、永遠の旅を続けています。それは、大いなる宇宙の呼吸の中で紡がれていく、命の物語です。

 
ある魂の変遷を見てみよう

ある魂が、肉体を持ち、人間として地球に生まれました。そこは「見える世界」です。魂は、魂だけの状態では自分がどのようなものであるかを認識することはできませんが、ひとたび肉体を持って地球に降り立つと、様々な現象に出会います。そこでは、姿かたちや生まれる環境の設定から、日常の中で出会う出来事の一つひとつまでが自分自身にふさわしく起こり、魂はそれらの現象を通して、自身がどのようなものであるのかを知っていきます。人生とは、まるで鏡のように自身の姿を正確に映し出してくれる「見える世界」の中で自らを知り、その自らを進化させていくことなのです。

やがて人生のサイクルが終わりを迎えると、魂は肉体を離れます。これが死です。それまで魂によって束ねられていた肉体の構成物質は原子レベルに解体し、地球生態系の循環の中で次なるものの原料となっていきます。一方魂は、自らの精神レベルにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。そこは、「見えない世界」です。地上を生きている間にどれだけ成長したかによって、「見えない世界」の高次の位置に還るものもいれば、地獄のような低次の位置に陥るものもいます。そしてどれだけかの期間が過ぎると、また肉体を持って地上に降り立ち、「見える世界」で次の人生をスタートさせるのです。

過去から未来へと一方通行に向かう時の流れに沿い、魂は「見える」「見えない」「見える」「見えない」と二つの世界の中をらせんを描いて進みながら、輪廻転生をくり返します。それは例えるなら、食べ物が体の中に入るようなものです。食べ物は、目に見えます。それを私たちが食べ、体の中に入れば見えなくなります。しかしその見えなくなった食べ物は、エネルギーとして目に見える私たちの体を動かします。やがて体から排せつされれば、形を変えて再び目に見えるようになります。見えても見えなくても、それは確実に存在し続け、「ある世界」の中を循環しているのです。

〈図2: 魂の輪廻転生の仕組み〉
宇宙(図1)の中に、無数の魂(図2)が発生と消滅をくり返しながら存在している
魂が「ある世界」の中を循環している間も、命の源のエネルギーは常に「ある世界」と「ない世界」を循環し、新鮮な生命力を与え続けている。*詳しくは「21世紀の死生観・第一部」をご覧ください。

 
巨大な生命の中のひとつの軌跡

肉体を持った一つひとつの人生に寿命があるように、魂にもまた寿命があります。それは言わば、魂の賞味期限です。たくさんの人生を通して進化し、十分に学んだ魂は、賞味期限が来て寿命を迎えると、宇宙最極小微粒子となり、「ある世界」の源である「ない世界」へと還っていきます。宇宙最極小微粒子とは、原子よりも素粒子よりもはるかに微細な、現代の科学では感知することのできない宇宙の最小単位であり、この世界のあらゆる存在の原料となるものです。
宇宙の最小単位となって「ない世界」へ還ることで、その魂の物語は終焉を迎えます。しかし、宇宙が発生、消滅、また発生というプロセスを無限にくり返しているように、ある魂の物語の終焉は、次の物語の始まりでもあるのです。この終わりと始まりの重なる地点は時の流れの上のほんの一点でもあり、「ない世界」ですから永遠であるとも言えます。そして、それら一つひとつの魂の物語の軌跡が、宇宙という巨大な生命に刻まれていくのです。

           

 
「思い」は「重い」

では、魂はどのように進化の道をたどるのでしょう。
魂が進化できるのは、肉体を持って「見える世界」を生きる、人生の間だけです。しかしそこで目に見えるものばかりに囚われていると、地上に降りてきた真の目的に目覚めることはできません。一生懸命勉強をして優秀な成績を取り、社会的地位のある職に就いてたくさんお金を稼ぎ立派な家や車を買い、欲しいものは何でも手に入れて大満足の人生だと思ったとします。それが現代の多くの人間にとってのステータスです。ところがそれを霊的な目で観れば、自我が膨らんだだけなのです。
魂は、肉体を持って生きている間は肉体の重みによって地上につなぎとめられています。しかし肉体を離れれば質量を失い、何も地上に執着がなければスーッと上へ昇り、本住の地である異次元宇宙、即ち天へと還るのです。ところが、これは自分のもの、あれも自分のものと自我を膨らませてたくさんのものを抱えていると、その囚われの思いが重りとなり、肉体を離れても上へ上がることができません。極端になると輪廻もできなくなり、思いがどんどん重くなって地中のマグマまで堕ちていき、火に焼かれて宇宙の最極小微粒子へと解体され、存在そのものをリセットされる場合もあるのです。

 
あなたを裁くのはあなた自身

生きている間にどれだけ自分自身を磨いたか。人間として地上にいる間は様々なレベルの魂たちが一堂に会していますが、肉体を離れるとそれぞれにふさわしい異次元宇宙に分類され、異なるレベルの魂同士が交流することはありません。逆に言うと、地球はそれだけ多様性に富んだ場所だということです。
地上での学びを終え、ふさわしい位置へ還った魂たちは、前世での結果を元に次の人生のプログラムを組みます。例えば前世で戦争をしたとしたら、次の人生では相手の国に生まれることもあります。今自分が敵として憎み戦っている相手は、実は前世の自分の子孫だということもあり得るのです。
プログラムにはそれぞれに固有の寿命も組み込まれますが、地上に生まれる時にはその記憶の一切を消されます。なぜなら、先に答えを知ってしまっては時を越えて思考するようになり、生きる意味を悟る機会がなくなるからです。現象界を生きるとは、時と共に旅をしているということです。過去に囚われるでも未来を決めつけるでもなく、瞬間、瞬間の「今」を生き、その時々に出会う出来事を頂きながら、自らがどのような響きを発しているかを知り、変化していく。それが生きる意味です。
そして、たとえ過去の記憶が消されても、その履歴はすべて魂に刻まれています。肉体の解体と共に物理的DNAは消滅しますが、その瞬間、瞬間、自分が何をしたかということはすべて霊的DNAに刻まれ、その集積が今現在のあなたを創っているのです。生きている間にどれほど美しく着飾り、高い地位を得て世の中から評価されたとしても、死んで肉体から抜け出したとたん、あなたの魂の真の実態が明らかになります。その時にあなたを裁くのは、他でもない、あなた自身です。なぜならあなたは、あなたの人生に寄り添いすべてを確認してきた存在であり、だからこそごまかすことができないからです。そしてそこに汚れが刻まれていれば、来世のプログラムは、その汚れを反映してスタートするのです。

 
宇宙の総意に沿う、大樹の   

地上に生まれる時、魂は単独でプログラムを組むのではありません。魂たちは常に、この世界と協議をしています。
長い長い時の流れの中で、無数の魂たちが地上に降り立ち、その時代、その時代にふさわしい役割を果たしては旅立っていきました。魂たちは輪廻転生をくり返して自らの歩みを刻みながら、同時に世界の側から、時代を表現することを託されているのです。無数の魂たちの一つひとつに、後にも先にも二つとない、オリジナルな役割が託されています。魂たちは時代という巨大な生命の一部として、今この瞬間も、はるか昔からずっと続いてきた宇宙物語を紡ぎ続けているのです。
時の流れをさかのぼっていけば、宇宙の始まり(=終わり)に行きつきます。反対に、先へ進んでいけば宇宙の終わり(=始まり)に行きつきます。この、宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が、私たちの魂の霊的DNAの中に眠っているのです。
それを目覚めさせるのに、思考する必要はありません。ただ「自分」という囚われ、即ち自我を手放せば、その気付きは自ずと湧き出してくるのです。なぜなら私たちはもともと、宇宙の一部だからです。人間の体の細胞一つひとつに全身の情報がインプットされているように、私たちの魂にも全宇宙の情報が刻まれています。そして、私たちが自らの歩みを魂に刻んでいくことは、宇宙に刻んでいくことであり、私たちの魂が進化することは、宇宙そのものを進化させることなのです。
魂が進化した時、そこには美しい生命の花が咲くことでしょう。それは、ただ一輪の花ではありません。それは無数のつぼみを持つ、巨大な生命の大樹の花です。あなたがその中の一つであることを感じながら、あなただけのオリジナルな花を存分に咲かせ、他のたくさんの花々とネットワークした時、それは巨大で美しい、宇宙の総意に沿った満開の大樹となるでしょう。

 

 


 

死んだらまっすぐに

の方へ向かいなさい

今、地球上にはたくさんの問題が起きています。その原因は、人々の心の汚れにあります。輪廻を通して魂を磨くことを忘れ、汚れを積み重ねてきた結果、人間は様々な問題を地上にもたらすようになりました。そこで今回は皆さんへ、死ぬ時の心構えについてお伝えします。

 
地球のカルマ

魂は、肉体が死を迎えると昇天します。昇天とは、天に昇ることです。死を迎え、魂と肉体が離れると、肉体という質量がなくなり、魂は自ずと天へ昇っていきます。この時、汚れた魂はたくさんの執着を抱えており、それが重りとなって上へ昇ることができません。そして霧のように地上に漂うことになるのです。
それでも実際には肉体がありませんから、徐々に上へ上がっていきます。ところが上へ上がったとしても、執着の多い魂は物質世界に留まり続けることになり、天へ還れないまま大気圏の外側を漂い続けるのです。地球は物理的には青くて白い雲が漂う美しい星ですが、霊的に現在の地球を観ると、肉体を失いながらも三次元世界を離れられない魂たちに覆われ、灰色になっています。そしてその囚われた魂たちの響きが、地球に降りてくるのです。それが今の地球上の人間たちの目覚めを遅らせています。

では、私たちは死を迎えた時に、どうしたらいいのでしょう。

死を迎え肉体から抜け出した魂は、少し上からその肉体を見ます。そこで自らの命に執着があると、肉体を見続けることになります。つまり下を見ているということです。あるいは、あれが欲しい、これがしたい、と物や予定をたくさん抱えていても、そちらに気を取られて地上を見ることになります。現代は、あれもこれもと自我の欲望をふくらませ、魂を汚していくことが魅力的に思われている時代なのです。
けれども、自らが死んだことを悟ったら、まず上を見てください。すると必ず、光が見えます。そこがあなたの向かうべき方向です。その時に、残していくものについては一切考えず、ただ真っ直ぐに、光へ向かうのです。そうすれば必ず昇天します。そこではお葬式も、お坊さんのお経も必要がありません。囚われを捨て、ただ真っ直ぐに光へ向かう。それだけで本住の地へと還ることができるのです。
これは、地球を霊的に汚さないという意味でも、とても大切なことです。私たち人間は今、地球を目に見える形で汚染しているだけでなく、見えないところでも汚し続けています。そしてそれが、地球のカルマとなっていくのです。ですからどうぞ、このことをいつも心に留めていてください。なぜなら死は、誰もに必ず訪れるものであり、それは明日かもしれないのです。

 
暗闇の中のひとすじの

地球の周りを覆っているのは、人間たちの魂だけではありません。人間によって命を奪われた動物たちの魂もまた、灰色の霊的なもやとなり地球を覆っています。私たち人間が食べるための肉として、日々おびただしい数の動物たちが殺されています。殺される瞬間の動物たちの恐怖は、大変なものです。動物たちは悲鳴を上げ、恐怖の響きを響かせながら命を奪われ、その響きの入った肉を私たちは日々食べています。

自然界でライオンがシマウマを食べるのは、命の循環です。シマウマの命はライオンに受け継がれ、その魂は何の未練もなく昇天します。しかし人間が欲望のまま貪り食うために殺された動物たちの魂は、昇天できずに地球を覆い、今も恐怖の響きを響かせています。その響きは地上の霊的汚染に大きな影響をもたらし、現代は人間が目覚めることがとても難しい時代になりました。だからこそ、そのような迷える魂を出さない生き方を日々心がけていくことが大切です。その積み重ねの結果、いつか自らが死を迎えた時にも、地上に囚われることなく潔く旅立てるのです。

今の地球は、霊的には闇の時代です。人々はまだ、目を覚ましていません。しかしその中で、ほんの一握りでも目覚め始める人たちがいれば、それは暗闇の一筋の光となるのです。闇の中では、ほんの少しの光でも、とてもよく見えます。それはどこか遠くにいる人々にとっても、きっと道しるべとなるでしょう。

目覚めた人から、自分一人分この世界をきれいにする。その動きが広がり、地球がその美しいハーモニーに包まれたなら、世界はたちどころに美しくなり、地球も本来の輝きを取り戻すのです。

 

 

 


人生は、魂を美しくするためにある ──────
では、「美しい」とはどういうことなのでしょう? 21世紀の死生観・第三部(2018年秋分発行)では、生命の真の美しさとは何かをひも解きます!


 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、1ヶ月間の真学校ブログをご覧ください。→ 1ヶ月間の真学校ブログ『21世紀の死生観』

 *1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在しながら、「自分」という囚われを外し、既存の価値観を超えて世界観を大きく広げ、様々な切り口から21世紀の人類の生き方を実践的に学ぶプログラムです。ただ今、2019年受講生を募集しています。詳しくはちら

 

 


木の花ファミリー通信2018年春分号 〜 死ぬってどういうこと?

一年で、光(昼)と闇(夜)がちょうど等分となる春分の今日、木の花ファミリー通信最新号が発行されました。今号より、「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします。どうぞご覧ください!


 

21世紀の死生観 第一部

 
「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします

「21世紀の死生観」と言いますが、21世紀でなくとも、人は生き死にを繰り返しています。生まれて生きて死んで終わりではなく、悠久の時の中で、生まれて生きて死に、また生まれて生きて死ぬことをくり返しているのです。

ところが、現代の多くの人は死を恐怖に感じています。ある調査によると、日本人の半数以上が死を「怖い」と感じています。また別の調査では、20代から70代までの全世代を通じて、9割以上が死を「悲しい」と捉え、6割以上が「どことなく不安」と答えています。

*朝日新聞全国世論調査より

しかし、どんなに怖いと思っても、悲しいと思っても、確実に死はやって来ます。なぜなら明日が来るからです。「死にたくない」と思って今日一日を生きると、今日一日分、確実に死が近付いてくるのです。

 
時は生き物

この時の流れを止めたいと思っても、止めることはできません。それは、時が生き物だからです。時は、決して留まることなく変化変容し続ける宇宙の基盤であり、常に循環し続けています。私たちはこの時という生命の一部であり、それに乗って宇宙を旅し続けているのです。
この時という乗り物に乗らない存在に、この世界で出会うことはできません。すべてのものは固有のサイクルを持ち、時の上でそれぞれのサイクルを刻みながら、互いに連動し、ひとつらなりの壮大な生命を構成しているのです。
その大きな生命の中の一つのサイクルが終わりを迎えた時、私たちはそれを「死」と呼びます。命あるものは皆、必ず死を迎えます。けれども、私たちは死を恐れ、目を背け、死とは一体何であるかを曖昧にしたまま毎日を生きています。死が曖昧であるということは、生きることの意味もまた曖昧だということです。私たちが出会う問題ごとのすべては、私たちが生きていることから生まれます。私たちは生きることの意味を曖昧にしたまま、ずっとその問題を抱え続けているのです。

人はなぜ生まれ、なぜ生き、なぜ死ぬのか。死生観は人類の根源的なテーマです。一人ひとりにサイクルがあり、一人ひとりに存在する理由があります。その壮大なる生命の仕組みを理解した時、私たちは初めて、真に充実した人生を生き、喜びを持って死の向こうへと旅立てるのです。

 
シリーズでお届けする「21世紀の死生観」。
第一部は、この世界の命の仕組みをひも解きます!

 


 

肉体は循環の中で変化し続ける
それをつなぎとめるものが  

宇宙はすべて、陰陽から成り立っています。私たちの肉体を目に見える陽とすると、その奥には目に見えない陰の存在があります。それが魂です。

「陰陽」と言うように、この世界の元の仕組みは、まず最初に陰があり、そしてそれを元に陽が発生します。私たちの生命は、まず魂があり、その魂が宇宙に遍満する様々な物質を縁によって引き寄せ、肉体を形成します。この、魂と肉体がセットになった状態が「生きている」ということです。姿かたちや性質から、どのような家族を持ち、どのような場所に生まれるかまで、すべてその魂独自の縁によって紡がれていきます。そしてそれぞれの魂と肉体の縁は、独自のサイクルを持っています。これが寿命です。
寿命が来ると、魂は肉体を離れます。すると、それまで魂によってつなぎ止められていた肉体の構成要素は、その縁から解き放たれて、三次元生態系へと還る旅を始めます。そして、また次の生命を形成する材料となります。一方魂は、それぞれにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。

ふさわしい異次元宇宙とは、地獄から多次元構造の高次元宇宙まで幅広く存在します。その幅広い異次元宇宙の中で、様々な段階の魂がひとつの時間と空間のもとに一堂に会して存在しているのが、地球生命世界です。つまり、地球に生きるということは、多種多様な存在に同時に出会うことができる生態体験ツアーのようなものなのです。魂たちは、それぞれの段階のサイクルにふさわしい人生を生き、その人生にふさわしい死を迎え、宇宙へと還り、またふさわしい縁のもとに地上に降りて、新たなサイクルを刻んでいくのです。

 
命のリレー

何も増えず、何も減らない。ただ形を変えながら循環し、すべての存在が変化変容し続けているのが宇宙の実体です。この大いなる宇宙の循環の中で、私たちの肉体もまた、変化しながら生態系を巡っています。

地球生態系を構成する五大要素は、地水火風空です。人間は、地とも、水とも、火とも、風とも、空とも循環して生きています。地に育まれた作物を食べ、水を飲み、排せつしたものがまた次の生命を育む元となり、陽の光を取り込んではエネルギーに変え、そのエネルギーを放出し、風を受け、呼吸をし、吐き出された二酸化炭素もまた、植物の成長の糧となります。それは、常に他から自分へと生命が流れ、必要なものを取り込んでは、また形を変えて他へと受け継がれていく、命のリレーです。その流れはひとつではなく、幾重にも重なって連鎖しています。私たちはこの自然生態系の循環の中で、多種多様な存在から常に新鮮な命を与えられ、生かされながら、自らもまたその循環の一翼を担っています。逆に捉えると、この循環の中にいなければ私たちの生命は成り立たないのです。そしてこの循環を支えているのは、自らの存在が他を生かしていく「利他」の仕組みです。

この、絶えず変化変容し続ける肉体の様々な機能を束ね、ひとつの生命体として維持しているのが魂です。そして人間は、一瞬として同じ状態にはないこの生命体を、過去から未来まで継続して「自分」と認識するようになりました。そしてその自分という認識に囚われるようになりました。これが、自我です。

 
自我に囚われ
この世界の大きな仕組みを忘れた現代の人々

人間は、動物と大きな違いがあります。それは自我に目覚めることができるということです。動物にも自我はありますが、それは本能的なものであり、囚われるものではありません。ところが人間の自我は、自分というものの側に立ち、そこに執着するのです。
常に変化変容し続けるのが、私たちの生きる宇宙の実体です。しかし自我を持った人間は、宇宙の法のままに変化していくことよりも、自分というものを固定し、その状態を維持しようとするようになりました。枠の中に人が入ると「囚われ」という字になるように、まさに、自分という枠の中に自らを閉じ込めたのです。そして、この世界はすべてが連鎖し支え合うひとつらなりの命であり、自らもその一部であることを忘れてしまったのです。

この世界は、個々に独立したものが利他の仕組みによってつながる、命のネットワークです。私たち人間の魂は、一つひとつどれもがオリジナルな個性を持っています。そしてそれらがつながり、一つの集合体となることで、多様性あふれる豊かな世界を築いています。しかし個性とはまた、それ単独で見た時に「偏っている」ということでもあるのです。
偏ったものが、他と連携することを忘れ独りよがりに生きると、世界は必ずその偏りにふさわしい問題ごとを与え、行き詰まるようになっています。そして世界は、その行き詰まりを通して人間に自らの偏りを体験させ、つながることの大切さを学べるようにしているのです。ところが「自分」に意識が向けば向くほど、人間は自我が強くなり、この仕組みが見えなくなっていきました。目に見えるものだけの価値観に囚われ、全体が一つの集合体であることを忘れて個々の幸せを追い求め、その結果、多様であるからこそ互いに補い合い世界を豊かにするはずの個性が、多様であるがために対立し、世界に不調和を生むようになりました。そして世界にも、私たち自身にも、様々な問題をもたらすようになったのです。

 
あなたの奥に、永遠のあなたがいる

私たちは、生まれてすぐの赤ん坊の時から泣くことで意思表示をし、食べることや眠ることを求めます。それは生きるための本能的な行動ですが、ではそれが生きることの目的なのかというと、そうではありません。
この世界は、云わば生命の織物です。地水火風空の元に無数の生命たちが織り成す命の循環は、自然生態系(現象界)の広がりを表す、横糸です。そしてそこに、目には見えない縦の糸の働きがあります。それは、私たちすべての生命の源である、魂のふるさと(潜象界)との循環です。そこからやってくる命の源のエネルギー、即ち元の気(=元気)が、私たちに常に新鮮な生命力を与え続けてくれているのです。

この世界では、まず始めに陰があり、それを元に陽が発生します。この命の織物の、陰は縦糸、陽は横糸です。ところが現代の人々は目に見えるものばかりに囚われ、この縦糸の存在を忘れてしまいました。縦糸を見失った世界は秩序を失い、軸を失ったコマのように、ゆらゆらと不安定な状態であり続けることになってしまったのです。しかし、どんなにその存在を認識していなくとも、私たちは絶えずこの縦と横の循環の中で命を与えられ、生かされています。そして私たちがこの世界に生まれてくる真の目的は、肉体を持って現象界を生き、そこで出会う様々な現象を通して、目に見える肉体の奥にある、魂そのものを磨いていくことなのです。それが、私たちが生きていく上で根本的な軸となる役割を果たすのです。

私たちは絶えず呼吸をし、食べることや排せつすることをしなければ、生きることができません。生きるとは、肉体に縛られている状態であるとも言えます。水や土や空気に縛られているとも言えます。しかし本来、魂とは無限の存在なのです。
今あなたが「自分」だと思っているその姿の奥に、永遠の存在としてのあなたがいます。自分という囚われを外した時、そこには未だ出会わぬ、未知の世界が広がっています。人間には、無限の可能性が秘められているのです。

 

 


 

 
遥か昔、この世界は、光だけの世界でした。
光だけの中にいては、光は見えません。完全なる光そのものである神様は、退屈でした。「完全なる私は、完全であるがゆえに、私を知ることができない。」
そこで神様は、完全なるその体を分けられました。光とは何かを分かるために闇を創り、それを自身からもっとも遠いところへと投げたのです。そして、もとの光へと還っていく長い長い道を創られたのです。

 
地球という学校への入学

宇宙に漂う無数の魂たちは、どれもとてもユニークです。完全なるひとつから分かれてきたため、一つひとつは不完全で、偏っており、それぞれが他にはない個性を持っています。ところが魂たちは、魂のままでは自らの姿が見えないのです。「どうしたら自分のことがわかるだろう。」そこで、宇宙の総意によって、地球という星が創られました。魂たちはこぞって地球に降り立ち、それぞれの個性にぴったりの姿かたちや性質を持って、地球生態体験ツアーをスタートさせました。

地球では毎日、それはそれはたくさんのことが起こります。肉体を持った魂たちは、人生を通して様々な体験をし、その体験から自らがいったい何者であるかを知るようになりました。自分がどんな響きを発しているかによって、出会う出来事が変わっていくのです。「そうか、自分とはこういうものなのか。」

宇宙の時の流れは壮大で、変化もとてもゆっくりですが、ここ地球では、変化変容変態をくり返す仕組みの中で、次々と現象が起こります。そんな中、魂たちの歩みはそれぞれです。出会う出来事から次々と学び、どんどん進化していく者。目に見えるものに囚われて、地球に来た目的を忘れてしまい、何度も同じことをくり返す者。それは、地球という学校に入学したようなものでした。やがて、学びの期限が訪れると、魂たちは「死」という形で卒業を迎えます。そして、人生を通してどれだけ学んだかによって、それぞれの段階にふさわしい異次元宇宙へと還っていくのです。

魂たちにとって、地球は唯一、自分が何者であるかを知り、進化できる場所です。学びを終えた魂たちは地球学校の成績表と共に宇宙へ還り、またいくらかすると「よし、今度こそ!」と地球へ学びにやって来るのです。

 
宇宙全体が美しくなるために

この地球での魂たちの進化のようすを、宇宙の星々はとても興味深く観ています。肉体を持ち、人間として地球に降り立った魂が、自らを高め真理に目覚めると、星々が反応し、銀河の中心がザワザワと波打つのです。たった一つでも、優れた魂は、宇宙に対してそれほどの影響力を持っているのです。

今、地球上に人間として降り立った魂たちは、とても狭い世界観の中で生きています。自我に囚われ、生まれてきた目的を見失い、死ぬことへの恐怖を紛らわせるかのように、目の前の欲望を満たすことに一生懸命になっています。そして世界は問題ごとであふれかえるようになりました。

しかし時代は確実に、光の方向へと進んでいます。神様が自分からもっとも遠いところに闇を置かれてから、私たちは闇とは何であるかを体験し、何度も何度も生まれては死に、生まれては死ぬことをくり返しながら、もとの光の世界へと還っていく道を歩んでいるのです。

時代は21世紀を迎え、2000年から3000年への新たなサイクルに入りました。これは、地上を生きる人間たちが、生きることの真の意味を悟る時代を迎えたということです。それは今までの宗教のように、誰か一人の聖者が現れて教えを説き、救いを求める人々がその教えに群がることとは違います。一人ひとり誰もが、自分自身の中に眠っているものを目覚めさせる。そうすることによって、自らが尊きものとなり、生きる時代がやってきたのです。

私たち人間は、自我に囚われ世界に混乱をもたらす存在から、本当の人としての価値を地球上に表現し、すべての生命のために、この世界に正しい秩序をもたらす存在へと進化する時を迎えています。私たち一人ひとりの魂が美しくなることが、地球を、そして宇宙全体を美しくするのです。

そのためにはまず、「自分」という囚われを、外すことなのです。

 

 

 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、「1ヶ月間の真学校ブログ」をどうぞご覧ください。
 → 1ヶ月間の真学校ブログ『死生観~死と一体となって、生きる』

*1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、様々な切り口から21世紀の世界観を学ぶプログラムです。

 

 

21世紀の死生観第二部「ある世界とない世界」