「凶悪」と介護施設

先日、大人ミーティングにて、実際に起きた事件を元につくられた映画「凶悪」を観ました。
その後、介護老人保健施設で働くみっちゃんが、想いを綴りました。

大人ミーティング終了後、同じ施設で働くゆうこちゃんと翌日の打ち合わせをするみっちゃん
大人ミーティング終了後、同じ施設で働くゆうこちゃんと翌日の打ち合わせをするみっちゃん

 
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「凶悪」という映画を見た。

私は、今、老人ホームで働いている。日々の業務をしている中で、気にかかることが私の心に、湧いてくる。
例えば、お年寄りのオムツを変える時。ふと気が付くと、まるで、物を転がすように、自分の都合のいいように動かしている。目の前にしている人を、人として感じられていないのではないかと思うことがある。そこに、相手に対する心があるだろうか。
入浴をするために、洋服を脱がせるとき、こちらの都合で早く入れたいがために、相手の体を気遣うことなく、服をひっぱって、まるではぎとっているようにみえることがある。
お風呂場で、便がでてしまった人に対して、「何でこんなところでするの。駄目じゃないの」って、しかりつけるようにその言葉を発しているのを目にする。
トイレに行きたいという人に対して、「さっき行ったばかりでしょ。出ないよ」と決めつけて、連れていかない人がいる。

これは、私の日常の業務の中で垣間見る出来事の、ほんの一部。
どの場面でも共通して、人を人として感じられていないような気がする。
人の首を絞めて殺し、なたで体を切り刻み、焼却炉で焼く。まるで人を人と思わない、恐ろしい行為。今日見た映画に登場する人物たちの、それこそ目を覆いたくなるような犯罪の数々を起こす心に共通する 、凶悪の種を感じた。
多分、老人ホームに限らず、福祉の施設は、弱者が集まった場所であるだけに、一歩間違えれば虐待にもなりかねないケースが起こりやすい環境なのだと思う。湧いてくる思いに対して、それを選択するかしないかの違い。人間には、それだけの可能性があることを教えてもらった。
 
先日、新聞に「介護・保育士資格を統合」という記事が出ていた。
(下記のあわちゃんのブログも参考にしてね。)

*介護・保育士資格統合について書かれたあわちゃんブログ
 「木の花ファミリーでリアルに起こっていること」

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これは、厚生労働省が、少子高齢化と人口減の影響で人手不足が懸念されている福祉人材の確保に向けて、介護福祉士や保育士等の資格を一本化する動きだそうだ。そして、これから団塊の世代が全員75歳以上になる2025年以降を見据えて、介護施設と保育施設等を一つにまとめて運営できるようにすることも考えているらしい。
また、今後特に不足されると予測されている介護職を、場合によっては将来過剰となる保育士で補おうという思惑も背景にあるようだ。

これからの社会の新しい動きに対する希望と、その一方で、福祉の現場って本当は、資格なんてなくてもいいのになって思った。実際の介護の現場にいると、大事なのは、「その人の人としての質」「心の質」だと感じる。
いくら知識があっても、資格があっても、相手とのコミュニケーションが取れない人が本当に多い。
本来、当たり前に生まれるだろう、人に対する思いやりとかやさしさ、信頼がないケアをしている。心がない。
だからこそ、日々、どんなことでも、一つ一つのことを丁寧に行い、自分の心も緻密にみて、振り返り、心を磨いていくことが大事なんだ。そうやって、心の質を高めていくことができるから。

これから先、介護施設と保育施設が一緒になった施設が建てられていくとしたら、また、形ばかりが増えていくのかもしれない。今、介護施設がどんどん建っているように。
でも、もう、形はいらないと思う。
大事なのは、やっぱり、そこに暮らす人々。その人たちの生き方にある。どの世代も、そこに集う人々が生き生きと生かされる場所。
あらためて、木の花は、それが、表現されている場所だ。

 
 


ワケあり女さんからの「一年のお礼」

以前このブログにも登場した自然療法プログラム卒業生のHちゃん、別名“ワケあり女”さん。
木の花に来た当初は、自分の部屋から食堂まで歩くこともままならなかった彼女は、今や塾講師として職場でも頼りにされている存在です。
そんなワケあり女さんが、滞在1年を迎え、木の花のみんなへの手紙を大人ミーティングで読み上げてくれました。
 
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一年のお礼
 
私は去年の3月26日にここ木の花に来ました。この不思議の国に来てえぐいほどマジなやつらに囲まれ生活し一年がたちました。ここに来る前は近所の精神障害者向けのデイサービスにさえ行けない具合の悪さでした。私はここに到着した時、道中の疲れでつっぷし、しばらく動けませんでした。あの頃、状態が悪い時は字も書けなかったので日記も書けるか不安でした。そんな私が、今みなさんのサポートを受け、働いています。授業中二人の生徒を教えるのですが、片方では英語を教え、もう片方では数学を教えたりしています。ここに来る前は訪問担当の永山さんとの会話もままならなかった私がここにまで回復したのは、みなさんのおかげです。っていうか同時にふたつの教科を教えるなんて以前元気だった時もできたかどうかあやしいです。それから来たばかりの時はいさどんより500g体重が重く、大人ミーティングでみなさんの間を抜ける時、よく腹が誰かの後頭部にあたってしまっていました。なぜか特になかのんの後頭部をよくすっていました。今では、なかのんの後頭部に当たることもなくなり、このとおりのスレンダーボティを手に入れました。まだまだいろんなことに敏感な私ですが、実はここに来て不整脈と乳腺症と電磁波過敏症も治りました。本当にみなさんのおかげです。
 
ここまで回復できた要因は何と言ってもいさどんの的確な面談ですが、それだけではなくやはりこの場もたいへん大きいです。倒れても大丈夫という安心感を与えてくれるサポート体制と同時に、自分を生かしてくれるこの場があってこそ私のようなケアの人たちがスムーズに社会復帰できるのだと思います。実はこれはさらっと流せることじゃありません。病院に通う病人ではなくなったけど、社会復帰できるほどじゃない期間を見守られスムーズに成長させてもらえる環境というのは本当に得難いものだと思います!
 
それから、この前東京を歩いていて思ったことがありました。何度となく血の気がひく感じと共に足元がふらふらしながら歩いた場所を、私は安定感を持って歩いていました。そしてあの時はあんなに具合悪かったなーとセンチメンタルな気持ちで思い出すこともありませんでした。それは「全ては善きことのため」ということを教わっているからだと思います。新宿駅で奇声をあげて駅員に取り押さえられている人を見ても、テレビや街中で雨のように降る悪いニュースを目にしても心も体もふらふらしないのは、「全ては善きことのため」ということ学んでいるからであり、またそのことを信じ、その学びを実践している人たちに囲まれて生活しているからなんだと感じました。極度の疲労感という幻覚が治っただけではない、それ以上の安定感を、確かなものをここでいただいているのだと実感しました。
 
このすじの通った本来の人と人とが支えあい学びあって生活する場をつくってくださっているみなさんに心からお礼を言いたいです。日本語にありがとうという意味の言葉がたくさんあるならそれらを花束のように集めてみなさんに言いたいけど、ありがとうしか思い浮かびません。なのでただ腹のそこからありがとうと言いたいと思います!
 
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そう言ったかと思うと、突如自分の服をまくり上げ、みごと手に入れたスレンダーボディを披露して「ありがと〜〜」とハラ踊りを踊りながらみんなの間を練り歩きだしたワケあり女さん。
メンバー一同度肝を抜かれ、拍手喝采!!
 

このスレンダーボディを見よ!!
このスレンダーボディを見よ!!

 
もうなかのんの頭もすらない!!!
もうなかのんの頭もすらない!!!

 
ワケあり女さん、ありがとう♪
 

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ワケあり女さんが、なぜ自分は回復したのか、その軌跡を軽妙な語り口で克明に綴ったブログはこちら!
『ワケあり女 in 木の花ファミリー』

そして5月17日、木の花ではなぜ病院で「治らない」と言われた人々が治るのか、そのナゾを解き明かす出張木の花塾が千葉県の船橋にて開催されます!自然療法プログラム卒業生も参加します。現代医療の限界を突破するヒント、ここにあり。病気を持つ人も持たない人も、どうぞお越しください!
『出張木の花塾@船橋
  欝も統合失調症もプレゼント 〜 奇跡の自然療法プログラム〜』

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第一回カタカムナ研究会レポート

2015年4月より、木の花ファミリーでは
「カタカムナ勉強会」を改め

「カタカムナ研究会」を発足しました

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ー 古代の叡智を現代に生かし、生活に表現する ー
 
カタカムナとは

カタカムナは、今から約13000年前の上古代の日本で高度に発達したといわれる、言霊を元にした宇宙物理学のことです。
現代の最先端の物理化学とそれを元に発達した現代社会は、今あらゆる方面で行き詰まりを見せています。それは、私たちが生きているこの三次元物理世界の背後にあって、この世界を生み出す元になっている「潜象界」(多次元世界)があるという発想がないからです。
この世界を生み出す根源の世界の存在を忘れているので、視野が狭く、物事を思考する発想が物理性に重きを置いているので、世界が行き詰まるのは至極当たり前のことと言えます。ですから、この行き詰まりに行き当たったことは予定通りのことと言えるのです。

予定通りということは、この状態は約束されていたということであり、当然その先があるのです。
その先の時代へ人類は今、進もうとしています。このような流れの中で、13000年前の宇宙物理学が封印をほどかれて、今、私たちに呈示されています。

カタカムナでみる宇宙の仕組み
カタカムナでみる宇宙の仕組み

カタカムナでは潜象界のことを「カムの世界」、そして三次元物理世界(現象界)のことを「カタの世界」と言い、全ての命や物質は「カムの世界」から生まれて、質的に転換(ナ)した結果、命や物質が存在する「カタの世界」ができていくと示しています。その事を「カタ・カム・ナ」と言います。
この二つの世界は質的転換を伴いながら常に循環しており、その循環のことを「天然循環」と言います。

「カムの世界」は、意識レベルが低いと感受することが出来ない緻密で微細な世界です。上古代のカタカムナ人は、そういった世界があることを認識していました。そして、宇宙が発する響きの中から48音を聞き分け、なおかつ一音一音に深い意味が秘められていることを感受し体系化し、残してくれました。この48音が世界中の言語の元になっていると言われています。
その後、時代と共に人々の感受性は鈍っていき、カムの世界の存在を見失っていきました。そして、世界中の言語は歴史と共に分裂して発達し、変化していきましたが、日本の大和言葉ではカタカムナの時代から殆ど変化することなく純粋に48音が現代に引き継がれてきたのです。

大和のクニは「コトダマノサキアフクニ」といい、多くを語らなくても、以心伝心で想いが伝わる民の住むクニでした。人々の心は調和的であり、言葉は言霊であるということを熟知していたので、言挙げしない民、つまり議論しない民だったといいます。それは、言葉には人を殺す事が出来るほどの力があることを知っていたからなのです。

しかし、時代の流れと共に、人々の心は汚れてゆき「カムの響き」を感受出来なくなり、そんな状況と共に、カタカムナはレベルダウンし、封印されていきました。
現代人の感受性は鈍くて荒くなり、それはまるで目の粗いザルのようなものです。「カムの世界」という微細な世界は目の粗い網ではすくうことは出来ません。
「カムの世界」は三次元の理論や平面的思考では捉えられず、記憶するものでもありません。心や全身の細胞で感受するような微細な波動の世界なので、きめの粗い心や脳では感受出来ないのです。
現代の科学は、3次元の物理的物差しで測れるものしかその存在を認めません。ですから、直観や心で感受するカムの世界を認識することは出来ないのです。しかし、人は誰でもカムの世界から生まれてきているのですから、DNAには必ずその記憶は刻まれており、時が来れば封印された記憶がほどかれ理解出来るようになるものでもあります。
これからの時代はカタカムナ的世界観と、カムの世界という多次元世界を感受する能力が必要とされています。そのためには、一人一人の波動量を上げ、直感力を磨くための心磨きが必須となってくるのです。

カタカムナの八鏡文字
カタカムナの八鏡文字

カタカムナが世に出たのは、1949年楢崎皐月が兵庫県六甲山系の金鳥山で地質調査中に平十字という謎の人物に出会って、見る機会を得た古文書「カタカムナ」(八鏡文字)を、5年かけて読解したのが始まりです。しかしそれは一般人にはなかなか理解出来ない難解なものでした。
楢崎皐月に続き宇野多美恵、関川次郎そして芳賀俊一に引き継がれてきた「カタカムナ」が何故今私たち木の花ファミリーに出会ったのかを考察すると、知識として引き継がれてきたカタカムナがいよいよ生活に表現される時代になったからなのでしょう。
 
カタカムナ勉強会からカタカムナ研究会へ

3月30日、31日の2日間、春分が開けて新しい季節のサイクルが始まり、カタカムナ勉強会が木の花ファミリーの湧泉閣を会場として行われました。昨年一年間の勉強会を経て、いったん白紙に戻して新たに出直そうということになったカタカムナ勉強会を、教えを請うものの集まりとしてではなく、自ら探求してゆくものの集まりとして「カタカムナ研究会」を新たに発足し、活動していくことになりました。

一年の中で春分の日は特別な意味を持ちます。太陽と、地球が作りだすサイクルの中でも、最も意味深い節目の日が春分であり、太陽系を俯瞰してみることが出来る地球暦ではこの日が1年の始まりである「お正月」になります。そして、この日に木の花ファミリーは発足しました。
私たちは、星々が刻む悠久の時代の流れに乗って生き続けています。
カタカムナでは、宇宙の創生・発展・消滅を「ヒフミヨイムナヤコト」の数理で現しますが、その始まりは「ヒ」であり、「ヒ」を現すカタカムナの図象文字は、地球暦で見る春分の日の太陽と地球の配置図と同じなのです。

講師の芳賀俊一さん
講師の芳賀俊一さん

このように意味深い「春分」という大きな節目を過ぎて初めてのカタカムナ勉強会ということで、木の花ファミリーから講師の芳賀俊一氏(芳賀兄)にカタカムナ研究会発足という投げかけをしました。

いさどんは芳賀兄に以下のように伝えました。
「芳賀兄以外にカタカムナの勉強会をしている人をネット上で探しましたが、勉強会らしきものは殆どありません。カタカムナを純粋に研究し王道を行っているのは芳賀兄だということがわかりました。
今までの先人達が作って来たカタカムナの流れは、カタカムナを分析し資料として現してはくれましたけれども、カタカムナの本義を生きてきたわけではありません。そして、いよいよ時代が訪れ、カタカムナ的古代の叡智が進化したものとして生きる時代が来ているのです。そういうことからすると、今まで長年芳賀兄がカタカムナ勉強会として蓄積し伝えてきたものは、先人達が作り上げてきてくれたものなのですが、先人達がやってきたことすら途上なのです。カタカムナを知識的、御利益的に学ぶというだけでは、今までの勉強会と同じになってしまいます。
これからは、如何にカタカムナを生活に落とし生かしていくかが求められる時代が来ています。それが時代に貢献するということであり、木の花ファミリーはそれにふさわしい場であるからこそ、今この時にカタカムナと縁があったと考えています。今後カタカムナをより発展させていくために、勉強会という『与えられる場』ではなく、共にカタカムナを探求していく場という意味で、この会を『研究会』とすることを考えています。」

芳賀兄はそれに対して全く同感ですと語り、カタカムナ研究会が発足し、今回がその記念すべき第一回カタカムナ研究会となりました。参加者10名という小さな会でしたが、その意義は大きいと感じています。

第一回は、カタカムナの概論と、参加者との活発なやり取りの中で「魂のメカニズム」や「カムの世界の感受の方法」について深めるなど、脱線を交えながら有意義な会が進められました。
今後の会の進め方として、研究会に毎回同じ人が来るわけではないので、常にそのときそのとき出会った人達を感じて直観で進めていくとを確認しあいました。

また、最近木の花ファミリーメンバーになったばかりの12歳のかのこちゃんも会の初日に参加してくれました。

カタカムナを学ぶかのこちゃん
カタカムナを学ぶかのこちゃん

ファミリーメンバー最年少のかのこちゃんは、時代の申し子的な子です。彼女の意志はとてもはっきりしていて、小学校6年生の1学期で学校へ行くのを止めました。
その理由は「授業中ずっと椅子に座って先生が言うどうでも良いことを、ノートに写すという勉強が嫌だなと思った。これが自分の人生に本当に役に立つとは思えなかった。でも先生は、国の方針に従っているだけなので、先生は悪くないと思う。」と明快な意見を持っています。

かのこちゃんは、今までのような登校拒否とは違って、自分の人生の役に立つことを学びたいという意志がはっきりしているので、学校の勉強が合わないのです。今まで大人の解釈で子ども達に教育を進めてきたのですが、こうった子ども達に生まれて来た本当の意味に目覚めてもらうためには、きっと変な教育はしない方がいいのでしょう。そのために、こういった生き方や学びを提供する場を創ることが、これからの時代にカタカムナの探求の場としての役割があるのでしょう。

芳賀兄によると、最近30代のお母さんがカタカムナ勉強会に参加することが多くなっているそうです。お母さん達が何故勉強会に参加するのかというと、子どもが学校に行くのをいやがったり、親の価値観では解釈しきれない子どもをもち、その扱いに困っているというのです。その方向性を見つけるために、カタカムナの勉強会に来ているという現象が起きているそうです。そのようなお母さん達にも子ども達にも、本来の生き方を見つけてもらう場にするということ、本当に道を求める人たちの受け皿になるための勉強会をやるということを、芳賀兄は講義の中で語っていました。

いさどんから宇宙の話を聞く子ども達
いさどんから宇宙の話を聞く子ども達

子ども達は、大人より進化した魂であると言いますが、かのこちゃんの言葉は明快で力があります。
3月21日の木の花創立21周年の日、いさどんは宇宙の話をしました。その時、子ども達、特に小学校3、4年生の子達はいさどんの話に目を輝かせ、「うんうん」とうなずいたり、たくさんの質問をしながら、いさどんのそばに貼り付いて話を聞いていました。子ども達は、難しい所は解らなくても、魂で大切な事を感じているのです。子ども達を見ると未来は明るいと思えてきます。

時代は連綿と続いて今現在に至っています。新しく生まれてくる子ども達は常に大人より進化した時代を生きる未来の魂です。大人達が創っている社会の中で、時代が生んだ「進化した魂」である子ども達の個性をつぶさないよう大人達は自らのエゴの殻を超えて時代に合わせて、学んでいかなければならないのです。

私たちが生きている今は、過去の何万年・何億年の積み重ねの上にあり、星の運行(天盤の巡り)により、いよいよ一般大衆が真理に目覚めるサイクルが巡ってきているのです。そして、その奥にある大いなる意志を感じるマクロの視点と、日々の細かなことの中で己の心を緻密に振り返りながらこの世界の奥にある微細な世界を観じるミクロの視点、その二つを両輪とした学びはこれから真理を求める人には欠かせないものです。

古代のカタカムナ人は、群れで生きることで一人一人の個性的な直観を集結し、自然環境の厳しい時代を乗り切っていったといわれています。
現在、人々の価値観が多様になり、欲望の渦に巻き込まれて真実を見失っている現代は長い歴史の中でも時代の大きなターニングポイントです。人間の経済活動のために自然環境は悪化の一途をたどり、これから自然災害はさらに厳しくなります。社会情勢を見ても人の心は荒れ果て心の病が蔓延し、犯罪も増えています。民族紛争も絶えることがなく世界情勢も悪化している状況の中で、私たち人間が目指すべき事はまだまだ多くあります。
宇宙の星々の運行も、みんなでつながって生きて行く調和の時代が始まることを告げています。
そんな時代の流れの中、カタカムナの深い叡智をみんなで探求し深め、一人一人が直観を磨き、それを生活に落としてゆく事が大切です。集い語り合うところから、新たな時代の真実が生まれてくるのです。

カタカムナの学びは、知意行一体といって、宇宙の道理を知り(知)、意欲を持ち(意)、生活に表現する(行)ということを元にしています。それは木の花ファミリーが創立以来実践してきたことでもあります。この新たな時代に向けての大切な叡智の学びを、皆さんの参加と共に広めていきたいと思っています。
本物に出会い、人生を変え、この世界を探求したいと願う人々の元へ届くように、今後はカタカムナ研究会のレポートも発信していきますのでよろしくお願いします。
 
 


木の花の子どもたちが、老人ホームにやってきた!

介護ヘルパーとして介護老人保健施設で働くみっちゃんからのレポートです!

子供達をサポートするみっちゃん
みっちゃん

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木の花の子どもたち(新1年生から5年生まで13人)が、日曜の午後に、私の働く老人ホームにボランティアでやってきた。

私は働きながら、いつも思っていることがある。ここで暮らすお年寄りは、いつも暗くて、体の痛みに耐えるばかり。体が自由に動ける人でさえ、かごの中の鳥のような日常。そんな日々の中に、喜びや楽しみ、希望が感じられるような場を提供したい。どんなことができるのだろう。
そんな時に、ふっとわいてきたことだった。

木の花では、初めて訪問されるお客様には、Welcome コンサートをして、皆でお迎えする。
たとえ1人のお客様でも行い、心をお伝えする。その中でも、子どもたちが歌って、踊る、「みつばち小学校の歌」は、特にお客様の心を動かす。とってもかわいいのはもちろん、人見知りせず、初めてのお客様のひざの上に乗って、甘える姿が本当に微笑ましい。本人たちには、そんな意識はないのだろうけれど、自然に初めてのお客様の心を開く、大切な役割をしている。
 
*「みつばち小学校のうた」

 
老人ホームでは、子供たちの自己紹介から始まった。お年寄りの中には、「どこの小学校のクラスから来たの?」と聞く人もいたけれど、「みんな兄弟なんです!」と答えた。
この子たちは、みんな私の家族なんだよなって改めて思った。
そこには、血縁をこえて、とっても強い絆がある。

演奏する子供達
演奏する子どもたち

みつばち小学校の後も、鍵盤ハーモニカやリコーダーの演奏、お年寄りがいつも歌って体操している「富士山」をみんなで一緒にやったり、「茶摘み」の手遊びなどをした。
4年生の「みこ」は、何も言わなくても、お年寄りに向けて、お手紙を書いてきていて、みんなに読んでくれた。
その後は、3つの輪になって、お年寄りも子どもも一緒になっての玉入れゲーム。
子どもたちが、玉をお年寄りにひろってあげての共同作業。普段は、車いすから立ち上がるのもやっとの人まで、すくっと立って、子どもたちと一緒になって、玉入れを楽しんでいる。
最後には、同じチームのお年寄り一人一人と握手をして、触れ合うこともできた。

「子どもたちから、元気をいっぱいもらったよ。」
今までに見たこともない笑顔をたくさんみせてもらって、私もとっても驚いた。

お年寄りに手紙を書いてきたみこ
お年寄りに手紙を書いてきたみこ

近頃、家での夕食の時間では、子どもたちのお行儀が悪くて、注意することも多いのだけれど、ここでは、本当によくしつけされているねと褒めていただいた。子どもたちのエネルギーが、明るくて、楽しくて、幸せな場を作ってくれて、とっても生かされた。ありがとう。

普段は、お年寄りばかり50人で暮らしている生活の場。改めて、いろんな世代がともに暮らす生活が豊かだなと思う。でも、世の中は、これから老人が増えていくのだからといって、どんどん老人だけを集めて施設が建っていく。
不自然な気がしてならない。当たり前に子どものいる景色がいいな。

その時だけ楽しさを感じて終わってしまうボランティアではなく、これからつながっていくことが大事な気がしている。その日の夜の子どもミーティングで、老人ホームに行った感想をみんな報告してくれた。5年生のゆうゆは、「ここのお年寄りは、家族に会うこともできないし、体も不自由で、そんな苦しみや悲しみを知った」と話した。
木の花のお年寄りは、みんなとっても元気。でも、いろんなお年寄りがいることを知ったのだと思う。そうやって、お互いを知って、近くなっていく。

「今度は、折り紙をしに行かない?」と話したら、「いいよー。でも次もまた、玉入れやりたーい」とうれしそう。

これからも、つながっていこう。
 

最後にお菓子をもらったみんな。また行こうね♪
最後にお菓子をもらったみんな。また行こうね♪