東京・青山の国連大学で毎週末に開催されている「Farmer’s Market」に、ファミリーが初めて出店します!
新鮮なお野菜や卵、定番のお菓子や飲料など、自慢の品々を取り揃えて皆様をお待ちしております!ぜひ、ご来店ください!!
- 2010年7月31日(土)、8月1日(日)10:00~16:00
- 詳細はこちらでご覧ください。
東京・青山の国連大学で毎週末に開催されている「Farmer’s Market」に、ファミリーが初めて出店します!
新鮮なお野菜や卵、定番のお菓子や飲料など、自慢の品々を取り揃えて皆様をお待ちしております!ぜひ、ご来店ください!!
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7月9日の大人会議で、みかちゃんから「新曲が出ました!」という発表がありました。
「最近新しい歌が生まれないのは、木の花が同じステージにいるからだなと思っていました。
ここのステージが変わると、新しい歌が生まれる。
最近の木の花の流れから、そろそろ歌が生まれる予感はしていました」と語るみかちゃん。
みかちゃんがギターを弾きながら新曲を披露すると、
場はとてもあたたかく優しい一体感に包まれました。
「今までは各自が自分の道を一生懸命心を磨きながら進んできたけれど、
これからはみんながみんなを見守りながら、
共に手と手を取り合って進んでいくのだと思っています。
個人の枠を超えた全体という新たなステージにこの場が進んでいく。
そんなときに、今までにないあたたかい歌が生まれました」
下の再生ボタンをクリックすれば、録音をお聴きいただけます。
みなさんにも、このほんわかとした、あたたかくやわらかい優しさが伝わりますように。
「いのちの泉」
いのちの泉は 何のためにあるの?
いのちの泉は みんなのためにある
このいのちの泉を あなたは誰と飲みますか
ひとりで飲みますか みんなで飲みますか
尽きることのない この豊かな泉を
みんなで分かち合い 喜び讃え合おう
神がいのちを吹き返す 私たちの中で
いのちの道が開かれる 私たちの中で
私を包み込む 穏やかな光
私を貫いていく 力強い愛
みんながみんなを 見守りながら
みんなで愛し合う 世界が始まる
集い語り合え 想い愛し合え
みんなでひとつになれ
それこそが神の歓び 神の姿
この無限の愛の姿が 輪となって
この星の上に 広がりますように
この無限の愛の姿が 輪となって
この星の上に 広がりますように
あなたは私 私はあなた
あなたは私たち 私たちはあなた
田んぼ隊のこまねちです。こんにちは!
今回は趣向を変えて、「ドロオイムシは害虫ではなく益虫では?」という話を紹介します。
ある田んぼに大量発生しているドロオイムシを、棒ではたき落としている時にふと思ったイメージがありました。直観的に湧いたその世界はこんな感じです。
1 なんらかの原因で(例えば今年初めて借りた田んぼであったり、農作業時間の不足だったりで)、未分解のワラなどが水田にたくさんに残っている。
2 その未分解植物のおかげで、有害なガスが土中に発生する
3 それを稲が根で吸う
4 葉っぱに、良くはない成分が生成される
5 人間が食べる神聖な植物であるイネ、その果実であるコメの霊性や波動が下がってしまう
6 それを防ぐために、ドロオイムシ君たちは大量発生してくれて、葉っぱをかじってる
7 ドロオイ君は成虫となり、やがて土になる
8 イネは「汚染」されてない植物として、イネらしく生育していく
全くの仮説です。でもなんだかそんな気がした。そうだとしたら、ドロオイ君は益虫だ。僕は棒で容赦なく淡々と叩き落してるけど(笑、本当はそのままにしておくべきなのかなぁ? と感じました。
こういう心境は、イネ、水、風、おたまじゃくしやアメンボたちのいる田んぼといういのちの海に自分の意識が溶け込んでいたから生まれたのであって、自分の都合を優先していたり、作業性を優先してただひたすら叩き落しまくっていたなら生まれなかったでしょう。そういう意味では悪くないですが、真実を垣間見たのではなく、単なる自分の創作だったとしたらしょうがない(笑。それで、知性と感性を兼ね備えてるメンバーであり、自然農法センターで勤めているわたわたに意見を求めてみました。
以下、わたわたからのメールを要約します。
ドロオイムシの好みはなんなのかというような既存の情報はなかなかないですね。ということで自由にイメージしてみます。
わたわたが考えるところでは、水田は人間にとってはとても神聖な場所です。水田は人間が関わり続けることで維持されてきた生態系であり、人の意志が自然と溶け合っている場です。イネという植物はその場でのみ作物としての特性や霊性を発揮できるものだと思います。
しかし、その場がイネにとって生き生き育てる要素を欠いていたとすると、イネが中心にならないかもしれない。要素というのは例えば、ワラの戻し方や耕耘方法が悪かったなどの人為的な要因かもしれない。日当たりの悪い山際だからかもしれない。見た目は水田であっても、イネやそこに生息する動植物からみると、水田という場になりきれていないという場所だからかもしれない。そういう場ではイネも困惑し、ドロオイムシもその分が分からずにイネを食べているという構図になるかもしれません。
その結果、イネはうまく育たずに不健康な成分を溜め込んでしまうかもしれない。そのままの状況では、水田生態系としてのバランスを欠いているという見方もできると思うのです。
逆にイネの生育が旺盛な場所であれば、土壌環境の七難を乗り越えて育つようになります。そうなるとイネ自らが健康になり、水田生態系の成立を周囲に宣言する。するともう害虫はイネを食べなくなる。食べても大きくなれなくなる。
そう考えると、イネがイネではなく単なる水生植物となってドロオイムシに食べられているようなところでは、イネがイネになるために手を入れ、湿地を水田にしなければならないし、ドロオイムシを叩き落して場を整えていく必要もあるのでしょう。それはドロオイムシが憎くて行うのではなく、その生態系を神聖な場へ変えることと思われます。
こまねちの観点とは微妙に違うけど、結果、ドロオイムシは土になり、場の構成員となり、イネの霊性を高めるための役割を果たすことになるのだと思います。そのために容赦なく淡々と叩き落とす作業は今は人間として正しい関わりであろうし、本質的にはドロオイムシが大量発生する状況をもたらさないような、イネ刈りから田植えまでの準備期間の管理や畦管理などが重要なのだと思います。
という返事がきました。
真実が何であれ、主役は人間ではなくて、田んぼである。イネこそが主役であって、自分は脇役だという感覚がすっと身につきました。農作業の効率や安心安全さを求めつつ、さらに、見えないモノを見、聞こえない声を聞き、感じない仕組みを感じられる僕らへと精進してまいります♪ 農作業の奥深さには限りがない・・・毎日が喜びですね。
6月21日から10日間、農作業ヘルパーとしてファミリーに滞在していたうっちー。エコビレッジ国際会議での講演を聞き、「そんなところでぜひ暮らしてみたい」ということでファミリーを訪れました。今回のブログでは、滞在後、ファミリー宛てに送られてきたうっちーからのお礼のメールを紹介したいと思います。
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木の花での10日間、どうもありがとうございました。
自分では思いつかないような確かなものの存在を教えて頂いて、“そうだったのかあ。”という驚きと、わくわくするような喜びと、存在も現象も全てが善きことのためにあったなんて守られているような感謝の気持ちが入り交じる衝撃を受けました。また、みんなからの、”自分をつかって下さい”という心からくる言動に触れ、私はそんな風に思ったことなかった。。と心が震えました。
そんなみんなに触れ、強く変わりたいと思った私ですが、欲深くすっとばして結果を求めるが故に、今振り返ると、本末転倒な言動が多くありました。
ミーティングや日々の会話で“得よう”とばかり自我を優先して、善い場を一緒に創ろうという意識がなかったこと。畑の作業では、援農だからとどこかで思ってしまっていて、自分の出来ることに線を引いて、作業に集中してしまい、全体を観ようとしていなかったこと。せっかく一座建立のかなう場であったのに心が足りなかったな、と感じています。
普段、大切にしていると思っていることが行動に現れていないこと。みんなに教えてもらったことをとりあえず飲み込んだつもりでいるけど変われていないこと。真摯に受け止め落とせたかどうか、今の私にはわからないけれど、分かったふりはせず良い結果がついてくるよう、謙虚に一瞬一瞬丁寧に心を向け、神様と同じくある私の本当の心が私をつかいやすいように、心を磨いていきます。
木の花のみんなが導いてくれたこと、木の花のみんながいてくれること、心から感謝します。
ありがとうございます。