






こんにちは、みちよです。
報告会のお知らせが先になってしまいましたが、11月2日から6日間、エコビレッジの世界的なネットワーク組織である「Global Ecovillage Network(GEN)」のオセアニア・アジア支部(GENOA)の年次総会に出席するためにフィリピンに出張してきましたので、皆様にご報告します。
今年の総会には、バングラデシュ、タイ、カンボジア、スリランカ、フィリピン、オーストラリア、そして日本の7ヶ国から大使(代表)が出席、見学者も合わせて15人が会議に参加しました。私は現在、GENOAの日本大使と副代表を務めています。
フィリピンでの総会の開催は、今年で3回目。今回の会場は、GENOAの代表とフィリピン大使を務めるペネロペ・レイエスさんが立ち上げたばかりのエコビレッジ「Tuwa The Laughing Fish(「笑う魚」)でした。ビレッジはマニラから北に車で3時間ほどの農村地帯にあって、敷地内の電力はすべて14枚の太陽光パネルと水タンクの塔の上に付けられた風力発電機でまかなわれています。昨年の10月に訪れた際はまだ予定地だったため、池と井戸しかありませんでしたが、たった一年で5つの建物が立ち並んでいて、ペネロペさんとパートナーのジョン・ヴァーミューランさんの行動力に感心しました。建物はどれもフィリピンの伝統的な工法で建てられ、地元の竹や廃材を活用したものです。敷地にはバナナやココナツ、パイナップル、パパイヤなどの樹が植えられていて、日本では見たこともない品種のバナナを毎朝もいで食べるのがバナナ好きな私にとって大きな楽しみでした。
総会の1日目は、まず集まった各国の大使がこの一年の各国のエコビレッジの動向をプレゼンテーションしました。また、私と一緒に総会に参加した日本のGENOAメンバー2人も自分の関わる取り組みについてプレゼンテーションしました。
2日目、3日目は、GENOAの運営に関する実務的な会議となりました。わたしはGENOAの副代表として、各国の大使が運営に関する事柄を「自分ごと」としてとらえ、積極的に参加できるように配慮しながら、代表のペネロペと交代で議長を務めました。こうした心構えは、木の花の「大人ミーティング」に臨むときとまったく同じです。人がある同じ目的を持って集うときは、そこにいる人々の意識がその場を作り上げていくものです。海外の人々と話していても、それは変わらないことを改めて実感しました。
今回の年次総会を通してもっとも印象に残ったのは、バングラデシュ大使のゴメス氏の発表でした。彼がこの5年間、「持続可能な開発のためのバングラデシュ協会(BASD)」の理事として開発に関わっているある村は、2年前から貧困や環境問題の改善、災害の危機管理を目的としてエコビレッジへの転換をはじめ、それが功を奏して住民の暮らしも豊かになりつつあったそうです。しかし、村はこの夏の台風や大雨で浸水してしまい、人々は未だに路上で生活をしているといいます。もともと国土全体の海抜が低く、海面が1メートル上昇すると国土の17.5%が水没してしまうバングラデシュでのエコビレッジづくりは大変なことです。日本ではどこか他の世界のことのようにも思われがちな地球温暖化ですが、目の前にいる友人にとっては、すでに抜き差しならない現実なのです。
木の花ファミリーの暮らしは、二酸化炭素の排出量が日本の平均値の約半分であることが確認されています。代替エネルギーの利用や環境に配慮した建物といったハード面についてはまだまだ未整備なファミリーですが、それでもこれほど環境に優しい暮らしが実現しています。それは、私たちが生活に必要なものを皆で共有して暮らしているからです。エコビレッジというとハード面の工夫ばかりが注目されがちですが、分かち合う暮らしこそがもっとも環境に優しいのです。
そうした点も世の中にしっかりと伝えながら、アジア地区でエコビレッジの暮らし方を推進していくために、来年は様々なツアーや勉強会を企画していきます。ブログ等を通じて皆様にもお知らせしますので、ご興味をお持ちの方は、ぜひご参加ください。
アジアにおいても、エコビレッジの暮らしが次世代のモデルとなることを確信した年次総会でした。
みちよです。
先日、私が日本大使をつとめるエコビレッジの国際的な組織、Global Ecovillage Network (GEN)のアジア・オセアニア地区(GENOA)の総会に出席してきました。
総会はフィリピンで行われ、バングラデシュ、カンボジア、スリランカ、フィリピン、タイ、オーストラリアなど、各国の大使から取り組みの様子が報告されました。出張報告は、次号のニューズレターで予定しています。
その総会の報告会を、来る12月1日に東京・渋谷で開催します。アジアでの最新のエコビレッジの動向をお伝えする、貴重な場となります。ぜひ、ご参加ください!
グローバル・エコビレッジ・ネットワーク・オセアニア・アジア(GENOA)
2010年度年次総会』報告会
~ 地球も人もハッピーな暮らしに向けて ~
“サスティナブル”(持続可能)は今や時代の合い言葉。人間だけの幸せを追い求めた結果、地球環境に大きな負荷がかかり、
生態系全体の調和が乱れています。温暖化をはじめ、このままの暮らしを続けていけないことは、今や誰の目にも明らかになってきました。
そんな中、世界で始まっているのが「エコビレッジ」(人と地球が調和した循環型の暮らしの場)。地球環境への負荷を減らし、生態系と調和しつつ人間としての幸福度を高めていくような新しいコミュニティです。
そうしたエコビレッジづくりを世界で推進しているのが国際NGO「グローバル・エコビレッジ・ネットワーク」(GEN)。
そのオセアニア・アジア地区(GENOA)会議が、今年11月4日~6日にフィリピンのエコビレッジで開催されました。今年は、その会議に日本大使の古橋道代他、GENOAの日本メンバー4名が使節団として参加しました。
アジア及びオセアニア各地でいまどのような新たなコミュニティづくりの活動が進められているのか、今回はちょうど来日中のスペシャルゲストを迎えて、最新情報をみなさんにお伝えします。
■ とき
2010年12月1日(水) 18:30~20:45
■ ところ
環境パートナーシップオフィス(EPO)
(東京都渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山B2F )
http://www.geoc.jp/intro/access.html#epo
【最寄駅】
■ 参加費
一般1,500円
GENOA会員 1,000円
■お申し込み
こちらのフォームからお申し込みください。
《 申し込み〆切 : 11月30日(火) 》
*当日参加可
■主催・問い合わせ
グローバル・エコビレッジ・ネットワーク・オセアニア&アジア(GENOA)
日本大使 古橋道代
問い合わせ:genoa.japan@gmail.com
当日連絡先:090-2426-7287
■ 内容
今年で第5回目を迎えた「グローバル・エコビレッジ・ネットワークオセアニア・アジア(GENOA)年次総会」が、11月4日~6日に
フィリピンのラフィング・フィッシュ・エコビレッジにて開催されました。
バングラデシュ、カンボジア、スリランカ、フィリピン、タイ、オーストラリアなど各国のGEN大使から総会の初日に報告された各国の取り組みの様子の最新情報を、日本語版のダイジェストでお伝えします。
今回は、スペシャルゲストとして、「ラフィング・フィッシュ・エコビレッジ」を設計・建設した住人のジョン・ヴァーミュレンさんと、
日本からの使節団としてこの会議に参加され、ご自身も故郷の島根でエコビレッジ立ち上げの計画を進めておられる召古裕士さんをお迎えします。
■ 報告者プロフィール
古橋 道代(ふるはし みちよ)
グローバル・エコビレッジ・ネットワーク(GEN)理事・日本大使として、日本の取り組みを世界に、また世界の取りくみを日本に紹介している。またGENのオセアニアとアジア地区(GENOA)の副代表も務める。フィンドホーンにおいてエコビレッジ・トレーニングとエコビレッジ・デザイン・エデュケーション(EDE)指導者養成コース修了。2007年1月より木の花ファミリーのメンバーとしてコミュニティの生活を実践しながらエコビレッジ教育を担当。
■ エコビレッジとは?
ひとことで言うと、地球も人間も共に幸せに生きるためのコミュニティ。
安全で環境にやさしい農産物を自分たちでつくったり、太陽光や風力などの自然エネルギーを自給したり、排水処理やごみのリサイクルを進めたりといった環境負荷を下げる工夫のほか、こどもたちをみんなで育てたり、高齢者や障害者も暮しやすい工夫をしたり、文化やアートを大切にしたりと、人間としての幸せを高めていく場でもあります。いわば、すべての生命と幸せをわかちあう暮らしの共同体。
でも、エコビレッジにはまだはっきりこうだ!という定義があるわけではありません。生態系と調和しながら、人間性を高めていこうとする世界の人々が、それぞれの場で独自のコミュニティをつくりだしています。
■GENOAとは?
GENOA(グローバル・エコビレッジ・ネットワーク オセアニア&アジア)は、国際NGOグローバル・エコビレッジ・ネットワーク(GEN)のオセアニアとアジア地区の支部です。
エコビレッジの暮らしを創造するためのデザインと技術的な専門性、そして都市、郊外、農村地域において人々が威厳をもち、人と人、人と自然の間で調和をもち持続可能な暮らしに向かって共に住む環境を共有するために、ネットワークすることを目的としています。
これまでに、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、ネパール、フィリピン、バングラディッシュ、スリランカ、カンボジア、インドネシア、韓国、中国、日本が参加し、情報交換をし合いながら、この地域での動きを盛り上げていく活動をしています。
一緒にアジアのエコビレッジの活動を盛り上げていきませんか?メンバーとして積極的な参加をご希望の方は、下記までお問い合わせください。
genoa.japan@gmail.com
先日の大人会議では、前回の木の花ブログ「一生の覚悟の先には」をみんなとシェアしました。その時のみんなからのコメントをご紹介したいと思います。
ラブちゃん:
4人くらいの人と掲示されていたこのブログを読んでいるところに、ばーちゃんが「ただいまあ!」とちょうど帰ってきて、じわーっと幸せを感じました。ありがたいなと思いました!
きょうこちゃん:
今朝、ようこちゃんがこのブログを厨房で読んでくれた時も泣けてきたのだけれど、本当に見本のようなえいこばーちゃんのこういう歳の重ね方は素晴らしいなと思いました。
でこちゃん:
この間から同室になって色々と話を聞かせてもらい、すごい先輩がいて幸せです!何年経っても歳は追いつかないけれど(一同、笑)。
かずこちゃん:
覚悟のあるえいこばーちゃんは、心がまだ揺らいでいる人にとってはすごく学びになると思いました。私も聞きながら涙が出てきて感動しました。
みちよちゃん:
まず最初に、えいこばー大好き!あと、私は外で木の花の話をすることが多いのだけれど、こういうえいこばーの気持ちや歩みというのは、今、高齢化の色々な問題が起きている時に話をする中で、すごく良い事例になると思いました。
けいこちゃん:
覚悟というものがよくわからない私にとっては、すごく深い学びを与えてくれる人だと思っています。目標にしたいなと思いました。
ともちゃん(司会):
覚悟を決めた先に、こういう幸せな人生が開けるということだと思います。他に何かありますか?
のりちゃん:
私とえいこばーちゃんは長い間ルームメートだったので、一心同体という感じがしていて、えいこばーの幸せは私の幸せだし、私の幸せもみんなの幸せだし、みんなとのつながりを改めて感じて、ちょっとうるうるしています(笑)。
あきちゃん:
えいこばーは年に1回くらい親戚のところに行くことがあるのだけれど、その時にいつも思うのは、「えいこばー、早く帰ってこないかな?」ということです(笑)。今日も収穫チームでえいこばーの話をしていて、本当にこういう存在になりたいなと思っていました。
今回の出店イベントでも、えいこばーの仕事の多いこと、多いこと(一同、笑)!えいこばーの仕事を少なくしようという話もあったのだけれど、本当に沢山の役割があって、しかもそれを楽しんでやってくれるから素晴らしいなと思います。
ひとみちゃん:
私も一番最初にここに来た時に、あきちゃんがばーちゃんの話をしてくれたのを思い出しました。ばーちゃんのことをすごくあたたかい人だなと思って、そういう関係っていいなと思っていました。
いさどん:
えいこさんに質問なのですが、「えいこバー」というのは「あずきアイス」のことですか(一同、笑)?以上でした!
ともちゃん:
えいこばー、どうですか(笑)?
えいこばー:
おいしいよ(笑)!
ともちゃん:
他に何かありますか?
あいちゃん:
4時のおやつの時にようこちゃんがこのブログを読んでくれたのですが、あまりの歴史を思い出して、みんなでうるうるしていました。えいこばーちゃんが一度ここを出ようと思ったことがあったと書いてありましたが、その時はえいこばーちゃんもまりちゃんも本当に辛くて自分の山を越える時で、見ているこちらも胸が痛くなって一緒に学んでいた時期でした。
ばーちゃんとはよく草取りに行っていて、「ばーちゃんとあいちゃんは親子だね」と言われたことがありました。ちなみに親が私で、子はばーちゃんなのですが(笑)、それくらい精神的に近い存在です。だから、ばーちゃんが厨房にいないとさみしくて仕方がなくて、ブログにも書いてあったように1週間千葉のお孫さんのところに行っていた時は本当に悲しくて、悲しくて(泣)。。。
一時、えいこばーちゃんも体が辛くて、「これ以上無理なんじゃないか」と食当チームで話していたこともあったのですが、ひまわりに拠点が移ってから、ばーちゃんがまた生き生きと自分の仕事を進んでやってくれて、イベント準備にも大活躍で、これからも体を大事にして一緒にやっていこうね!
えいこばー:
ありがとう。
まこっちゃん:
えいこばーちゃんを見ていると、歳を重ねていって仮に体が動かなくなったとしても、みんなが喜んでえいこばーちゃんと一緒にいるだろうなと想像出来ました。そして、その理由は覚悟だったのだと思いました。みんなと共に生きるという覚悟が、みんなのえいこばーちゃんに対する気持ちにつながっているのだと思ったら、その下の僕らも覚悟をして生きるということが大事なのだと改めて思いました。
まっちゃん:
僕が厨房に行った時にえいこばーちゃんが本当に嬉しそうにこんにゃくを切っていたのを思い出しました。覚悟の決まった人の笑顔はこんなふうになるのだなと思いました。
ちなっぴ:
これはえいこばーちゃんから聞いた話なのですが、みこがえいこばーちゃんにこう言ったそうです。「えいこばーちゃんが作ってくれたこんにゃくを食べたら、甘くてすごくおいしかった!みこね、えいこばーちゃんが作ってくれたこんにゃくを食べたら涙が出ちゃった!」という話を聞いた時に、えいこばーちゃんは子どもたちからもこんなに愛されていて幸せだなと思いました。
わたわた:
わたわたは一日に三回くらい木の花のブログをチェックしていて(一同、笑)、今日もこのブログを読んでからここに来ました。この「覚悟」という話からちょっと前にここのテーマであった「信じる」ということを思い出しました。信じるということは何かの条件と引き換えに信じるということではなくて、信じるということは覚悟を決めるということなのだと僕の中で納得出来ました。覚悟を決めた先の話が出たことで、ひとつ手前の信じるということが腑に落ちました。
いさどん:
えいこさんは日本で生まれ差別の中で生きてきました。この間も大阪から来た御夫婦が在日三世の方で、三世の人たちでも差別の中で生きてきたとおっしゃっていました。そういった物語を私たち日本人はよく知りません。知っていても人のこととして知っているだけで、身を持って感じてきた人たちは紆余曲折ある物語を歩んできたのだろうと思うのです。そういった人たちの中でもえいこさんはここに出会ったのだから、とびきり面白い人生を生きてきたのだと思います。そして今、こんなふうに花開かせ、こういう形でここの役に立って、そして最後は溶けていく。あずきバーのように(一同、笑)。
みかちゃん:
今まで創立メンバーの色々な話を聞いてきたけれど、えいこばーちゃんの話ですごく印象に残っていたのは、ここに来る車の中でいさどんがずっとえいこばーちゃんの手を握っていたという話です。「大丈夫だからね」と、それこそえいこばーちゃんをここまでお嫁に連れてくるような感じだったという話を聞いたことがありました。そのことはここに書かれていないのだけれど。
いさどん:
恥ずかしいから(一同、笑)!
みかちゃん:
そういう色々な話があの物語にはあると思っています。目に見える物語も目に見えない物語も。えいこばーひとりでもこんなにドラマがあるのだから、地球のドラマはもっとすごいはず。
ともちゃん:
えいこばーちゃんは「ここにいて幸せ」と言っていましたが、私たちもえいこばーちゃんがいてくれてとても幸せです!みんなで覚悟を決めていきましょう。
「自分の癖を繰り返さないためには、まずは心の道を歩むという覚悟をつくることが大切」という話から、いさどんはえいこばーちゃんの話をしてくれました。
いさどん:
木の花メンバー最年長のえいこさん。そのえいこさんが52歳の時に旦那さんが57歳で亡くなり、未亡人になりました。「私はこのままいくと独居老人になる」と自分の将来に対してあまり良いイメージを持っていなかったのです。だからこそ世間一般の人と同じように考えて、「老けてはいけない」とカラオケに行ったり、家の近くでパートをやって知り合いの人と遊びに行ったりしていました。
僕は旦那さんが亡くなる前からえいこさんと知り合っていました。人が亡くなる時の心構えのようなものを話していたから、僕らは大事な関係でした。亡くなってからも、えいこさんの家の近くで畑を耕していたものだから、夕方まで畑にいるとご飯を作ってくれ、そこで一緒にご飯を食べて帰ってくるような日々を過ごしていました。
彼女の中に「自分が独居老人になる」というイメージがあったけれど、家族ではないけれど家族のような、もしくはそれ以上かもしれない人に出会った。自分が困った時に家族は明快な回答を出してくれるばかりではないけれど、僕は明快な回答を出すから深い信頼を持てる。逆に自分の家族というのは「困った」とは言うけれど、回答を出してくれるばかりではないから、そういう意味で僕は重宝されていました。
それで僕たちが富士山に移住することになった時に、えいこさんも考えたのだろう。「自分が独居老人になった時、息子は優秀で海外に行ったりしているからどこで定住するかわからない。そうすると、自分が動けなくなったら息子の世話になるのだろうか」と考えたら、「それではいけない」と思ったのだと思う。
今から17年前の5月の連休の時、春日井のつねちゃんのところにこちらにまだ来れない人たちが集結して暮らしていました。そして最後の便の人たちがこちらに移住してくる時、僕がこちらから迎えに行きました。春日井からこちらに来る車の中で僕はえいこさんの隣に座って、「旅立ちだね」と言いました。彼女としては独居老人なのか、それとも生まれ変わって新しい人生を始めるのかというふたつの選択肢の中で、後者の未知なる旅立ちを始めたのでした。
今でもそうだけれど、当時彼女はメンバーの中で一番年上でした。僕が車の中で「結婚して旦那に賭けた時よりも、厳しい道かもしれないよ」と言ったら、「わかっています。覚悟していますのでよろしくお願いします」と言いました。えいこさんはあの時に木の花と結婚したというか、ある意味では僕が心の支えになっていたから心では僕と結婚したようなものかもしれない。彼女にはすごい覚悟があった。女性だし、そんなに強い人ではないのだけれど、その時には本当に賭けきった。
だから、ここに来てからもエゴが出たり自分の癖を乗り越えるために辛いことが沢山ありました。しかし、大人会議の中で彼女自身の心を見ていく時に、年齢的には高いけれど、そこでは年齢は関係なく正すべきものは正されていかないといけない。初期の頃は今よりももっと単刀直入だったから、辛かっただろうと思う。
えいこさんにはまったく違うふたつの道があって、ひとつは彼女は在日の人だから年金はないけれど、それ以上の蓄えと優秀な子どもたちと共にある生活。だから、何もこんな冒険はする必要がない立場だった。なのに、わざわざ冒険の方を選んだということは、相当の決意があったということになる。それだから今まで乗り越えられてきたのだと思う。逆に、それだけの覚悟がないと彼女は挫折していただろうと思う。
この道を歩んでいく中で彼女にびしっと伝えたこともあったけれど、なぜそんなに強くない人がこの生活を続けられたのかといったら、覚悟をつくるということ。そして、覚悟をつくるために彼女がこんなことを大人会議で発言したことがありました。色々な設備を整えていく中で、「私の持ってきたお金を早く使ってください」と言いました。「何も急ぐことはないよ」と言ったら、「いや、落ち着かないのです。私はそれを全部なしにして、身のフリ場が他にないという状態にしたら落ち着きますから」と言うので、彼女のお金を優先して使っていきました。彼女は年金がある人ではないから、持ってきたお金が全部なくなればみんなに賭けるしか他に仕方がない。彼女にはそれくらいの覚悟が出来ていたのです。
そういう意味で、えいこさんは覚悟の見本のような人です。今でもしょっちゅう発言はしないけれど、本当に行き詰まっている人に彼女が発言すると説得力がある。ああいう年代の人でもそれだけのしっかりとした覚悟があるから、発言に重みがある。だから、日頃ぶれない。みんなの追い風になっていて、良いポジションをやってくれていると思っています。
僕が出会った頃、えいこさんの家に時々仕事で行くことがあったのですが、なにしろ彼女はいつも眉間に皺を寄せていて、「お金を貯めなきゃ、お金を貯めなきゃ」という顔をしていました。特に在日の人たちには社会的な保証がないから、お金が頼りだったのだと思います。そういう彼女が僕に出会ってこの道を歩むと決めた時に、一生の覚悟をしてここまで歩んできたという話です。
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この後、えいこばーちゃんにいさどんの話を伝えたら、涙ぐみながら次のようなことを教えてくれました。
えいこばーちゃん:
いさどんがここまで自分のことを深く見てくれていたのだと思うと泣けてきて。。。ここに来た当初、孫が病気になって千葉に1週間ほどいたことがあってね。その時に、あいちゃんやのりちゃんやみんながここから電話をかけてきてくれて、その時もみんなとの深い絆を感じてすごく泣けてきたのを思い出しました。
実は、1回だけここを出ようと思ったことがあった。私はまりちゃんという娘と一緒にここに来たのだけれど、ここに来てから数ヶ月が経った頃、いさどんのお世話係をしていたまりちゃんの心の修行を見ているのが辛くて辛くて、まりちゃんに「一緒にここを出よう」と言ったことがあるの。その時私はまだ「親」をやっていたからね。でも、その時にまりちゃんから「私はここでやっていく」と言われたので、その後はここを出ようと思ったことは一度もなかった。私はここにお嫁に来たのだから。
私は子どもの頃からまわりに気兼ねして生きてきたし、結婚してからも23年間お姑さんと一緒に暮らしていたから、昔は「一人で静かに暮らしたいな」と思っていた時期もあったの。だから、旦那が亡くなった時に息子から「おふくろ、一緒に暮らそうよ」と言われても、「60歳になるまでは私を自由にさせてね」と話していたくらい。
でも、いさどんと知り合って、みんなが富士山に移住するという話を聞いた時に、「私はまだ55歳なのだから、私みたいなものでもみんなのお役に立てるのであれば」と思って、みんなと移住することにしたの。息子は「おふくろは今まで沢山苦労をしてきて、初めてやりたいことを見つけたのだから、おふくろの好きなようにしたらいいよ」と言ってくれた。当時は、私が歳をとったら引き取って面倒を見るつもりでいたみたい。でも、3年ぐらい前に旦那のお墓をどうしたらいいのかと息子に相談した時に、「私は動けなくなっても何があってもここに骨を埋めるから、私のことはもう考えなくてもいいからね」と伝えて、お墓を処分してもらったの。そして、8月にみんなで富士山に登った時に山頂で旦那のお骨をまいてもらった。私は死んだら、富士山がすごく綺麗に見える田んぼに骨をまいてほしいと思っていたのだけれど、「あそこは人から借りている田んぼだからダメなんじゃない?」と言われたので、今はみんなにお任せしています(笑)!
今は毎日がありがたくて楽しくて、みんなと暮らせて、もう言葉がないくらい幸せ。この歳になってこんなに良いところに出会って、本当に幸せ。旦那が亡くなる前に、「かーちゃんは、子どもたちがいるから歳をとっても幸せに暮らせるよ」と言っていたのだけれど、旦那が命を賭けて私をここに引き寄せてくれたから(笑)、今の幸せな人生があるのだと思っている。旦那が亡くならなければ、私は今ここにいないのだから。だから、たまに富士山に向かって、「一夫さんありがとう!」と言っているのよ。本当に悪い嫁だとは思うのだけれど(笑)。
あと何年神様が私を生かしてくださるのかはわからないけれど、これからも一日一日を大切に暮らしたいと思っています。