戦後70年の地球談話 ~ 宇宙からのメッセージ

今日、世界中で8000万人とも言われる死者を出し、人々の心に大きな傷跡を残した第二次世界大戦の集結から70年の節目を迎え、安倍首相は戦後70年談話を発表しました。
この節目の日に、宇宙から全人類の皆さんへメッセージが届きました!

地球、宇宙、星

地球談話
~ 真の平和を地球にもたらすには 〜

2015年8月15日

 
真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。

それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。
しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。

この世界の真実は、全てが一つということです。全てのものと、自分自身との区別はない。そのように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるのです。

日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっています。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。

地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。
過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。

21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を2億2600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。
2012年12月21日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。

宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。
人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。
そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となります。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。

21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。
それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。

人類が、次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。
 
 
 
 


宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

2015年マヤ新年の日、地球に祈りのウェーブを巻き起こす式典の中で、いさどんは次のように語りました。

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今日2015年7月26日、マヤの新年・11MENの祭典に立ち合わせていただきました。そしてその最中に、ひとつの文字が浮かんできました。それは、「時(トキ)」という文字です。マヤ暦はおよそ20000年前から始まりました。その歴史をたどれば、今わたしたちはカタカムナを学んでいますが、そのカタカムナ以前に太平洋という地球上で一番大きな海にムー大陸があったそうです。そのムー大陸が消滅したとき、時(トキ)の文明を東に移し、マヤの文明にしたのです。そして、言魂の文明を西に移し、ユーラシア大陸の端に存在していたヤマトの国に移したのです。それから13000年の時を経て、一昨年、わたしたちはそれをカタカムナの学びとして出会いました。そして昨年から、メキシコの太陽マヤ族最高司祭の尊母ナー・キン氏との出会いにより、このヤマトの地で、マヤの新年の祭典が行われるようになったのです。

歴史を振り返ってみますと、2012年12月21日に25800年ぶりの銀河の冬至を迎えました。わたしたちの地球にも冬至はありますが、冬至とは光がもっとも少ない闇のピークのことです。わたしたちは太陽の生命エネルギーをもとにして、地球上で生命活動を行っています。そして、全ての生命が自分という個性をいただいて、時代を紡いでいるのです。その太陽の一螺旋である25800年ぶりの銀河の冬至が2012年12月21日に訪れ、この日を持ってマヤ暦は終わっています。それは、時(トキ)の文明を継承したマヤの人たちが、太古の昔にそういった宇宙の仕組みや太陽の構造を理解していたということです。

これまで、わたしたちは新たな時代を迎えるための心の準備をしてきました。一人ひとりが自らの個性的な心の歴史を知って、カルマを読み解き、そして新たな心とともに新たな時代を迎える準備をしてきたのです。それが木の花ファミリーの21年の歴史です。

そしてくしくも、新たな時代の扉を開けることになった4年前の東北の震災3.11を持って、わたしたちは地球暦に出会ったのです。地球暦に出会って、わたしたちは自分個人を生きているのではなく、星々の対話を受けて、宇宙の意志を一人ひとりの人生に表現していることがわかってきました。

こうした様々な出会いのもとに、今日2015年7月26日、わたしたちはこの富士山麓の地で地球一周の始まりとしてマヤの新年の祭典を迎えています。この祭典はヤマトの国・日本で始まり、そして24時間かけて地球を一周していくのです。

イメージしてください。宇宙を意識した人々の心が羽ばたくようにウェーブとなって、地球を一周するのです。つまり、地球は丸く、時代は途切れることなく永遠に紡がれながら、わたしたちはひとつの世界を生きているのです。

地球上にはまだまだたくさんの争いや様々な困難がありますが、これは人間以外のものが創ったものではありません。それは、人間が自我を自らのためだけに活かそうとして生きてきた結果なのです。それも、それほど長い期間のことではありません。時をさかのぼれば、およそ250年前のヨーロッパ産業革命以降のことでしょう。さらにもう少しさかのぼれば、800年、1600年くらい前のことでしょう。それ以前、人間は自然とともに生かされ、生命ネットワークの中の役割のひとつとして他の生命とともに繁栄していました。

今、この時を迎え、人間の中で自我が沸騰しています。しかし、これは悪いことなのでしょうか。

それは決してそうではありません。人間の可能性と高い能力を知るためには、思い切りその能力を表現する必要があったのです。そして現実にそれを表現したときに、その問題点も噴き出してきました。それが今の時代です。今、それをコントロールする時(トキ)が訪れ、そして自らのカルマを表現する言魂によってコントロールしていく時代になったのです。今、トキとトコロ、マヤとヤマトが出会って、この祭典につながったのです。

そのように考えますと、わたしたちは自分でわかっている範囲で生きているわけではないのです。星の対話によって時代が刻まれているのであり、それは宇宙の仕組みで生きているのです。その仕組みの中で、わたしたちは常に変化・変容・変態を繰り返しながら進化しているのです。

そういったことをイメージしながら、調和の世界を地球上に表現していきましょう。わたしたち人類は、非常に優れた能力と大きな影響力を持っています。人類が目覚めたら、次の時代にはきっと、この地球生命、さらに宇宙に大きな貢献をするような魂となって育っていく姿がイメージできます。

時代は21世紀に入り、ようやくそのような時代になったのです。2012年の銀河の冬至を迎え、新たな扉が開き、2013年・2014年・2015年と3年間その変化の準備期間をいただいて、2015年はその最後の年です。この新年が明けると、いよいよ新たな時の流れを世界中の人々が感じるようになり、人類も地球自身も新たな宇宙時代を迎えるのです。

それぞれの歩みがあるとしたならば、木の花ファミリーは世界に先駆けてそのことに気付き、目覚めたものとしてこの生活を通して表現するものなのです。これは今後の木の花ファミリーの生き方にますます反映され、そして宇宙を通し、地球ネットワークを通して、全世界に広がっていくものだと確信しています。今日のこの快晴は、天がそのような意志を示されていると感じながら、皆さんとともにその自覚を持って歩んでいきたいと思っています。

木の花の歩みが始まったのが21年前だとしたら、やっと今、時が追いついたのです。人は土星の30年のサイクルで生きていますが、最初の30年で自らが何者かを知ります。そして自らが何者かがわかったら、次の30年でそれを人生に表現するのです。そして、60年でその結果をいただき、その後旅立つための仕上げの準備をするのです。木の花ファミリーの20年から30年に向けての今後の10年間は、きっと新たな時代を紡いでいく大きな役割を果たしていくのでしょう。

そういった意味で、わたしたちは宇宙を生き、時を生き、時代を刻んでいるのです。その中のトコロという場にわたしたちの存在があるのです。ですから、心をしっかりと観て、宇宙・トキ・トコロを意識しながら生きていくことが、生命として、そして大きな役割をいただいている人間としての目的なのだと感じています。

それは、宇宙から一人ひとりにオリジナルな人生を託されているのです。そして、人々は自我から解放され、この世界のために天の意志をいただいて生きていく時代に入ったのです。それは、価値ある素晴らしい人生です。自分のことは自らで責任を持ち、高い意識で歩んでいきましょう。そして、地球上にみろくの世を実現させましょう。皆さん、これからもよろしくお願いします。
 

一人ひとりにオリジナルな人生が託されている
一人ひとりにオリジナルな人生が託されている

 

 


マヤ新年の式典を終えて 〜 太陽マヤ族からのメッセージ

2015年7月26日に、マヤの新年「11MEN」を迎える式典が、朝10時から木の花の聖地宮ノ下広場で開催されました。

これは昨年7月26日、木の花ファミリーにて、メキシコの太陽マヤ族の2014年の新年である「10OC」を祝う祭典を共に行うご縁をいただいたことから始まりました。太陽マヤ族最高司祭である尊母ナー・キン氏が「富士山は世界の中でも最も高い次元のために開かれたスペースであり、宇宙の中心とのコミュニケーションが図られる場」とのインスピレーションを得たことにより、ナー・キン氏を始めとする太陽マヤ族の方々が昨年、木の花ファミリーを訪れ、木の花の宮ノ下広場にて両国の伝統が融合した盛大な祭典が開催されたのでした。

2014年のマヤの祭典より
2014年のマヤの祭典より

同時に、木の花と富士山を挟んで反対側に位置する不二阿祖山太神宮、そしてこの祭典に賛同する日本各地の方々からも富士山へ向かって祈りが捧げられ、その祈りが大きな力となって、富士山をアンテナとして世界へ愛のエネルギーが発信されたのです。

尊母ナー・キン氏による今年の式典は、北イタリアのドロミティ山で行われました。木の花ファミリーも招かれましたが、わたしたちは精神的に共に祝うことにしたのです。そして昨年の祭典のエネルギーを引き継ぐものとして、地の土、そして空気(神)を代表する蜂蜜をお送りくださいということで、7月初旬にイギリスの会議に出張したみちよと同じくその会議に参加していたイタリアのコミュニティ「ダマヌール」のマカコさんを通して、宮ノ下広場の土と木の花ファミリーの蜂蜜が、ナー・キンさんに手渡されました。

そしてわたしたちは、世界中にいる友人たちに、この式典にエネルギー参加することで地球全体に祈りの波を起こそうと呼びかけました。そうすることで、この日一日中、地球は光のウェーブで包まれます。

日本を始め、オーストラリア、バヌアツ、中国、韓国、インド、ブータン、イスラエル、エストニア、イギリス、アイルランド、アメリカ、タイ、イタリアからの参加表明がありました。このエネルギーは確かにわたしたち、そして尊母ナー・キン氏を通して宇宙に伝わるでしょう。

この全世界的なマヤの新年の祭典へのエネルギー参加について、尊母ナー・キン氏のグループの方にお伝えしたところ、次のようなメッセージをいただきました。
 
★マヤ新年11MENを祝う祭典についての詳細はこちら
★昨年のマヤ新年のようすを、ブログ動画にて紹介しています。
 
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連絡をありがとう。第1日目の始めから、わたしたちは、皆さんが尊母ナーキン、そしてわたしたちと共にあることを感じていました。わたしたちは、富士山での素晴らしい日のことを良く話します。木の花ファミリーの愛はいつも私達の心の中にあり続けるでしょう。

わたしたちの旅はスイスのインターラーケンから始まりました。最初の式典は、アイガーという大きな山の向かいにあるメンヒ(ドイツ語で僧侶の意味)とユングフラウ(ドイツ語で処女・若い女性の意味)で行われました。

ダマヌールでは、尊母ナーキン、夫のアルベルトの同行した小グループが、称賛をもって迎え入れられました。そこで水晶の螺旋での瞑想を持つことを許可されました。この螺旋の中央に、木の花ファミリーからの土と蜂蜜を置きました。

次の場所はミラプリ(注:1978年にサイバー芸術家であり、音楽家、未来家のマイケル・モンテクロッサにより創立されたイタリアのコミュニティ)でした。ここではマザー、ミラ・アルファッサのエネルギーが基礎にあります。ここでも木の花の土と蜂蜜が、尊母ナーキンにより母なる大地にもたらされました。

とても大事な日、7月26日はドロミティにいました。それは、美しくあり続けていました。わたしたちは、すること全てに皆さんの存在をとても近くに感じました。11MENの黄金の鷲は今、母なる大地を満たしています。ドロミティでも、土と蜂蜜を捧げました。この日はとても強い日で、わたしたちの星を変容させるエネルギーに満ちており、宇宙において理にかなっています。

そして今は家に戻り、光のルールを伝えるための役割をしていきます。

地球における全ての愛と最善の全てを木の花ファミリーの皆様へ
 
アルムット・ヤッブ
翻訳:アイーシャ・コルテ(マヤ語でふくろうの意味)
アルムットの娘で、本当に、本当に、本当に木の花ファミリーに会いたいと思っています 🙂
 

ドロミティでの祭典より
ドロミティでの祭典より

高次元の意識、叡智を意味するイヌワシの前に立つ尊母ナー・キン氏
高次元の意識、叡智を意味するイヌワシの前に立つ尊母ナー・キン氏

 

(以下、英語原文)

Dear Michiyo,

I thank you very much for your mail. Starting at the first day we felt you were there along with us and Venerable Abuela Nah Kin. We talked a lot about this beautiful day at the Monte Fuji San. The love of the Konohana Family will always be in our hearts.
Our journey began in Switzerland in Interlaken. The first ceremony took place opposite the big mountains “Eiger”, “Mönch (which means monk in German”) and “Jungfrau” (meaning virgin).
In Damanhur we – Venerable Abuela Nah Kin, Maestro Alberto and the small group of people accompanying them – have been honored very much. And so we were accorded the honour of holding a meditation with the crystal spiral. In the center of this spiral now lie the soil and the honey of the Konohana Family.
The next place was Mirapuri. Here the energy of Mother Mira Alfassa is rooted. Here also soil and honey were given to Mother Earth by Venerable Abuela Nah Kin.
The big day, the 26th of July, was then in the Dolomits. It had been beautiful. We felt your presence very near, in everything we did. The golden Eagle-Energy of 11 Men now fulfills our Mother Earth. In the Dolomits lie soil and honey as well. It were strong days, full of energy, which transformed our planet, so that it’s sensible in the universum. Now we’re home again and called upon to pass on the light-codes.

With all love on earth and all the best to you and the Konohana Family,

Almut Ya’ab
Translation: Aisha Kulte [Mayan for “owl”] – (daughter from Almut, who really, really really wants to meet the community of Konohana 🙂

 

 


新たな時代を迎えるために 〜 GENタイ代表モンといさどんとの対話

今年6月、GEN(グローバル・エコビレッジ・ネットワーク)のタイ代表であるナルモン・パイブーンシッティクンさん(以下、モン)が木の花ファミリーを訪れました。

一つ前の記事「木の花ファミリーに滞在して 〜 批判やゴシップについて思うこと」にもあります通り、木の花ファミリーは事実を歪めた情報によって国内の一部のエコビレッジ関係者からバッシングを受け、中には歪んだ情報を英語にして発信しているインターネット上のサイトもあります。これらの批判を機に、木の花ファミリーでは創立の礎となった菩薩の里 ―――― 人々が心からつながり、助けあい、他者の喜びを自らの喜びとして生きる場 ―――― の精神に今一度立ち返り、GENの理事およびアジア・オセアニア地区代表を務めていたみちよちゃんが自主的に役職を退く等、物理的なエコビレッジ活動から距離を置くこととなりました。

しかし、創立から21年間ずっと続いている精神に、何ら変わるものはありません。
以下は、6月16日にモンといさどんとの間でなされた対話です。今という時代にこの星の上で私たちに与えられた役割を果たすため、これらの批判についての私たちの見解をお伝えすると共に、全ての方々にとって大切なメッセージとして、この対話をシェアさせていただきます。
 
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いさどん:
これまで、エコビレッジという概念に価値を置く人々がいました。こうした人々はこの概念に執着する傾向があります。本来、エコビレッジとは自然と調和し地球に優しい生き方をする人々の集いなのです。ですから、特定の人々が示す生き方のためにエコビレッジはあるのではなく、すべての人類が目覚め、目指すべき方向がエコビレッジのあり方なのでしょう。

今までエコビレッジは一部の人々の特別な暮らしということで認識されてきましたが、これからの時代は人類の歩みとしてこの概念を捉えていく必要があります。そういった意味で、エコビレッジ活動に関わる皆さんは門戸を広げる必要があるのです。自然界に豊かな生態系が存在するように、人々も多様な国家・文化・歴史を持ち、そうした違いを超えて共有していくことが求められています。今、時代は、イデオロギーの違いによる対立に終止符を打とうとしているのです。しかしながら、宗教の違いや貧富の差により、世界中の人々はまだ地球共同体という認識を持っていません。

例えば、ノーベル平和賞を受賞した少女がいますが、わたしは彼女の存在が世界に平和をもたらすとは思いません。彼女は対立構造の一方の側の人々に利用されているように観えます。それと同様に、ISの存在を悪とみなし、彼らを倒すだけで問題が解決するとは思えないのです。ですから、エコビレッジ活動に関わってきた人々は自らの視点を広げ、社会運動としてこの価値をつなげていくことが必要なのです。

モン:
日本においてエコビレッジのネットワークが切れた状況を考えますと、あなたがおっしゃることに全く共感します。しかし、そこからわたしたちは学ぶ必要があるのです。「わたしたち」というのは、日本だけではなく、タイや他国のネットワークも含めたわたしたち自身のことです。それと同時に、木の花ファミリーのようなコミュニティが批判によってエコビレッジのネットワークから外れたことに対し、わたしは戸惑いを感じ、何かしなければと考えています。

大きな視点から捉えると、タイや他の東南アジアの国々は物質的に貧しいだけでなく、精神性も貧しいという見解について話し合いたいと思っています。また、こうした国々の姿勢は良いものではないのです。あなたは姿勢の転換を重要視しています。そこで、どのような提案をわたしにしていただけますか?

いさどん:
物理的な貧しさから脱却するために、近年、ほとんどの人々はアメリカ主導型の豊かさの探求に追随してきました。しかし、本来人間は精神的な生きものであり、精神的に不安定な状態で物だけを与えられたら、色々な矛盾が発生するのは至極当然のことです。人々が物質的な豊かさを求めれば求めるほど、今の人間社会の構造では一部のところに物理的豊かさが集中するのです。

ですから、ひとりひとりが一方通行の価値観へ向かうのではなく、それぞれの個性を生かして、個性を尊重し合い、そしてネットワークの中で豊かさを追求する自立した状態が必要です。わたしたちは地球という一つの生命体に存在しているのですから、現時点での目的はワンネスを意識することであり、その目的を果たすためには皆が互いにつながり合うことが大切です。そのためにはわたしたちの世界観を広げる必要があります。それは、特定の価値観に囚われていては、可能ではありません。なぜなら、わたしたちが存在しているこの世界は、常に変化・変容を繰り返している世界だからです。さらに、平和や幸せ、豊かさについてどの意識レベルで捉えているかを見直す必要があります。そういった意味では、最初にお伝えしましたように、これまでエコビレッジを推進してきた人たちは、エコビレッジに対する自らの視点によって限定されているように観えるのです。

木の花ファミリー創立当初、わたしたちは「エコビレッジ」という言葉を全く知りませんでした。このコミュニティはわたしの霊的な体験とともに始まったのです。また、木の花ファミリーの歩みは地球に優しい生き方を追求していった結果でもあります。そして、エコビレッジを広げようとする人たちが木の花ファミリーのメンバーになって、わたしたちはエコビレッジとして知られるようになりました。今現在、木の花ファミリーはエコビレッジという枠から意図的に外れていますが、事実として、ここはエコビレッジとしてもっともふさわしいモデルであり、その最たるものが精神性なのです。

今なお一般社会は、富を追求することを優先しています。この流れは、地球上で最後の物理的進化のフロンティアであるアフリカ以外は、すべて行き詰まりを迎えることでしょう。そしてアフリカではこれから物質的な価値観が繁栄し、それがピークに達したときに、地球上での矛盾もピークに達するでしょう。その予感を感じられる今、時代の流れは明らかに切り替え時に来ているのです。

宇宙的視点からすると、250年前に起きた産業革命以降、冥王星は一周しました。ですから、戦略的に社会を変えていこうと志を持つことは時代の流れに乗っていることですし、それとコラボしていくことは大切なことです。しかし一方で、時代が変化していくときに戦略的になる必要はないのです。これからは物質的な豊かさを探求すればするほど、地球はすでに過剰な負担をかけられていますから、その行為に対して常に矛盾という形でわたしたちにその意志を伝えてくるでしょう。今、物質的な豊かさと霊的な豊かさのバランスが崩れていますので、物質的探求を続けてきたわたしたちが切り替わるしか選択肢はないのです。そこで、わたしたちがすべきことは、遺産として次の世代へつなぐビジョンを明確にすることです。

先程あなたから、木の花ファミリーに対する批判についての話がありました。今回の批判を受けるずっと以前から、わたしたちはエコビレッジ関連の組織に入り続けるべきなのかどうかについて考え、皆で話し合ってきました。なぜなら、国内でエコビレッジを推進する学びの場は多くもたれてきましたが、その多くはコミュニティを立ち上げることすら叶わなかったのです。そこではビジョンに現実味がなかったり、コミュニティを持続させるにふさわしい精神性に乏しかったり、またエコビレッジに対するイメージだけで関わってきたことが原因になっているのです。彼らの中には、ヨーロッパやアメリカのエコビレッジを訪問した際の体験やどこかで得た情報のみで、エコビレッジのイメージを創り上げる傾向があります。それに対して、わたしたちはエコビレッジという概念に倣ったわけではありませんが、地球に優しい生き方を模索してきた中で、コミュニティの変遷の現場を歩んできたのです。

すべてのものに過渡期があるように、ある段階でわたしたちは社会に適応できない人々の受け皿になっていました。そうした人たちは一般社会で自らを健全に保つことが出来ず、その多くは人間関係において不安定であり、希望を失って、新たな社会的価値観を求める傾向があり、このコミュニティに集ってきました。わたしたちにとってそれはまるで、リハビリプロジェクトのようなものでした。そのようなプロセスの中で、コミュニティを運営するために取られた学びと措置の善意を逆恨みする人たちがいました。しかし、その当時も今も、その人たちに対する愛と、社会を健全にしようとする情熱はわたしたちの中で不変なのです。

また、わたしたちの世界観と、彼らが求めている幸せや世界観にギャップがあることが発覚してきました。そういった過程で様々な人々が集いながらも、木の花ファミリーは一つのコミュニティとして運営され、維持していくことが求められたのです。そのような模索の中で、木の花ファミリーは精神性の高いコミュニティとして確立されましたが、その道が進むほど、その方向性から自然に外れていく人たちが出てきました。

古橋道代がGENやGENOA、Gaia Educationの役員をしているときに、そこでなされた議論の内容を聞き、エコビレッジ活動に関わる人々の世界観に失望するところがありました。そのような見解からすると、木の花ファミリーを離れた人たちとも、同じテーブルに着いて語り合えば、今回のような出来事が自分たちの未熟さから発生したことを彼らは真に理解するでしょう。

なぜそのように言えるのかというと、彼らがここを離れ、木の花ファミリーが批判を受けた後でも、事実、ここはたいへん安定した状態にあるからです。 あなたもここに滞在することにより、それを感じていることでしょう。しかし、ここを離れて行った人たちは自分たちを正当化したいがために、事実の多くを捻じ曲げ、架空の物語を創り上げ、わたしたちを批判し始めました。日本において木の花ファミリー以外に、エコビレッジらしいコミュニティは他にありません。さらに、ここは世界的にもたいへん貴重な場所だと思っています。

ところが、共同生活を一度も実践したことがないにも関わらず、エコビレッジのイメージを創っている人たちがいます。ある意味、そういった人たちにとって、木の花ファミリーが日本におけるエコビレッジの代表事例としてみなされていることは好ましいことではありませんでした。そうした人たちの釈然としない想いとここを離れた人たちの不満が合わさり、わたしたちをたいへん激しく批判するに至りました。しかし、今回の一連の出来事を通じ、木の花ファミリーメンバー間の絆は深まり、わたしたちの世界観はさらに広がりました。

事実、彼らが一生懸命取り組んでいることは、エコビレッジの事例としての木の花ファミリーをなくし、忌まわしい団体として貶めることなのです。エコビレッジの定義を広げ、その基準を超えようと考えているわたしたちからすると、このことは問題ではありません。ですから、エコビレッジを推進する人たちの言葉を借りれば、エコビレッジのネットワークとは多様な形で個性を尊重するということなのですから、「エコビレッジ」の定義や意図を考えると、木の花ファミリーのような確立されたコミュニティがそのネットワークから外れることは不自然なことです。

何よりも、21世紀に人類がどのように進んでいくべきかの回答がここにあります。産業革命以降250年間続いた物質至上主義の価値観が転換する時代が訪れているのです。右肩上がりの成長と引き換えに、人々は地球に負荷をかけ、豊かさを追求してきました。しかし、真実として、宇宙は拡大と収縮を繰り返しています。そして今まさに拡大が終わり、その真実を求めるためにそぎ落とし収縮する段階に入ってきています。必要なものと不必要なものを仕分けし、不必要なものをそぎ落としていく時代なのです。そうすると、これ以上物理的にも精神的にも不必要な負荷がかからなくなり、本当に必要なものだけが残るのです。これからは、物質的な発展はわたしたちの積極的な意志により縮小していくべきなのです。その代わりにわたしたちが拡大させる必要があるものは、精神性に基づく世界観です。世界観を広げていくことによって、人間としての新たな可能性を開花させ、愛や調和にあふれた世界を創ることが出来るのです。

木の花ファミリーのメンバーは精神性を最も大切にしながら、不要なものをそぎ落とし、日常生活の中で真実に目覚めようと努めています。もしあなたがただ自分自身の願いを叶えたいと想うなら、コミュニティで生活することは不可能でしょう。実際、特定の人々が共同体で暮らしているのではなく、わたしたち人類は皆、「地球共同体」に暮らしているのです。それは、人類の地球共同体どころか、地球生態系の共同体でもあります。さらにわたしたちの意識が広がっていけば、それは太陽系共同体であり、銀河共同体であり、大宇宙共同体でもあるのです。

ですから今、地球共同体を運営していくためには、人類は自らのエゴと直面することが不可欠です。そしていつか、わたしたちが宇宙的視点に立ったときに、どのように太陽系、銀河、宇宙を運営していくのかを考える時代が訪れるのです。人類が地球を一つの生命体だと気付き、そうした認識とともに生きていくことの歴史的転換点を今、わたしたちは迎えているのです。

批判によると、木の花ファミリーには問題のある性的行為や暴力があるとされています。それは、彼らの意識レベルで物事を見て、その人たちの感情が反応すると、それを事実として捉えることができます。しかし、すべての出来事には長い物語があり、それは継続しているプロセスの一部なのです。わたしたちを批判する人たちは、物事を部分的に切り取って、自らのフィルターを通して事実を歪めている傾向があります。しかも、そのような批判は、自らのエゴと向き合いきれず、精神性を高めることを断念した元メンバーが自分たちを正当化したいがために訴えたことのみを情報源としています。ですから、この状況を改善するためにわたしたちが次に何をすべきなのかという提案を一切しないのです。なぜなら、ただ批判することが彼らの目的だからです。それとは対照的に、木の花ファミリーにはこうした出来事すべてを経験した結果、より高いビジョンがあります。その現実化のために、今も粛々と日々の中でその探求が進められています。ですから、自分自身のエゴに向き合うことができなかった不調和なメンバーがここを離れていった結果、メンバー間の絆はより強くなり、ここはより精度が高くさらに開かれた場になりました。

あなたは今回それほど長い期間ではありませんが、ここに滞在するために訪れました。もしあなたがこのコミュニティのエネルギーを感じるならば、わたしたちが一切の秘密を持っていないことに気付くでしょう。もしあなたが1ヶ月でも1年でもここに暮らしたら、それはとても明解にわかることです。鋭い人であれば、ここを一目見ただけで今回のような批判が真実ではないことを瞬時に感じ取ることでしょう。

道代:
彼女はここに来てすぐに、木の花ファミリーは批判されているような出来事が起こる場ではないと気付いた、と今朝わたしが彼女と話していたときに言っていました。

モン:
ひとつ質問があります。わたしたちは何をすべきなのでしょうか。この状況をただ放っておけばいいのでしょうか。それとも改善するために、GENのような国際レベルで、またはGENOAのような地域レベルで、もしくはわたし個人のレベルなど異なるレベルで、何かわたしにできることはあるのでしょうか。

いさどん:
わたしたちの見解からすると、批判する人たちには明らかに事実を捻じ曲げフィクションを創り上げることによって、わたしたちの存在を否定しようとする意図があります。彼らはとても賢く、多大なるエネルギーを注ぎ、批判することに情熱的になっているので、そこに惑わされる人もいると思います。それは時代が新たな方向へ移行しようとするときに、抵抗する力のようなものだと捉えています。しかし、時代は確実に前にしか進みません。ですから、彼らがしてきたことは時代に逆行しているのですから、霊的には罪を犯していることになるのです。わたしはそのことに対して彼らを非難するつもりはありません。彼らの意識レベルからすると、批判することを大事だと思っており、そのことによって自分たちの価値を下げていることがわからないのです。

大切なことは、時代は新たな方向へ時を紡いでいく役割をわたしたちに与えていることに気付くことです。それは、天体の動き、人類の歴史、文明の周期といった様々な視点から、新たな時代に劇的な変化をもたらす大いなるターニングポイントを今、わたしたちが迎えていることが立証されてきているのです。変化を求める動きは、それに対する抵抗に常に出会うものです。もしわたしたちがその抵抗に対して何もしなければ、こうした変化を拒否していることにもなります。ですから、時代が変わることを感じ、その真意を理解できる者は、これを何とかしようとするのです。批判を支持するどころか、それを超えて新たに木の花ファミリーを支援する人たちが今、多く現れてきています。あなたの中にもそのような感受性があるから、それを感じられたのでしょう。不調和が批判する人たちの特徴なので、共通した敵がいれば団結し、一見調和しているように見えます。しかし、彼ら自身の中に人を批判して自らを正当化する種があるのですから、その調和を保ち続けることは不可能なのです。ですから、そうした自分自身の価値を下げていくような活動がいずれ消滅することは確かです。そして、それは時代が示してくれるのでしょう。

それでは、わたしたちが新たな時代に移行していくことを感じる人たちは、何をしたらいいのでしょうか。それは常に真実を語ることであり、わたしたちと同じ立場なのです。わたしたちは木の花ファミリーという存在を所有していません。新たな時代に向けての一つの雛形として、わたしたちはこのようなライフスタイルを実践してきました。ですから、人々が地球共同体に暮らしていることに目覚め、時代が新たなステージに移行すれば、わたしたちの目的は達成されるのです。そのような共通した目的を持っている人たちは、エコビレッジ活動に関わっている人も、そうでない人も、あなた自身も皆いずれ、その立場に立つべきだと思うのです。エコビレッジという枠が壊れ、広がる時が訪れています。わたしたちを批判する人たちはたいへん熱心なので、日本語だけではなく英語でも発信をしています。それは、わたしが伝えていることの問題提起をするチャンスでもあります。そのことにより、真実は何であるのか、そしてこれからの時代に何が求められるべきなのかが立証されるのだと考えています。

もしあなたがタイのことだけではなく、人類の未来をわたしたちと同じように考えているのだとしたら、それはあなたのための活動として、真実を伝えていくことが大切です。それは、この世界の仕組みに気付き、時代の流れを感じた人たちの使命なのです。

時代は、とてもダイナミックで、魅力的な時を刻んできました。そして、そういった価値観を支えるわたしたちの思考も、その確信のもとに歩んできたのです。しかし、全てのものは満つれば欠ける世の習いのごとく、過ぎたればそれを修正する段階に入るのです。ですから、わたしたちが今取るべき行動は、自らの根本的な振り返りと新たな時代を迎えるための自我のコントロールです。それは、今までの価値観とは全く逆さまのようなものにも捉えられますが、時代に心を向けて感じられれば、そのことの大切さは明解にわかるものです。そして、新たな時代を迎えようとするために出来事が矛盾を持ってそれを示し、人々は今、そのことに気付き始めているのです。わたしたちに出来ることは、そのネットワークの中に自らがいることを常に意識して生きることなのではないでしょうか。
 

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木の花ファミリーに滞在して 〜 批判やゴシップについて思うこと

今月自然療法プログラムを卒業し、先週末の夏祭りに遊びにやって来たみのるんは、木の花メンバー宛の手紙を読み上げると同時に、「一般の人たちにも伝えたい」と言って以下の文章をシェアしてくれました。

一昨年、ファミリーを離れた元メンバーが事実を歪めた情報をインターネット上に掲載したことを発端として、木の花ファミリーは事実を知らない人々から一部ネット上でバッシングを受けたり、週刊誌にゴシップ的に取り上げられるということがあり、ファミリーを問題視したりカルト団体と揶揄するようなサイトは現在も存在しています。私たちはこれらの批判に対し、それは事実ではないことや、真実が何であるかを包み隠さずにお伝えしてきましたが、収まることのないネット上の暴力に為す術はなく、ただ、これからの時代にとって大切だと信じる生き方を日々実践していこうと思っています。
みのるんはそれらのサイトを読み、湧き上がる想いを綴ってくれました。
 
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私は、木の花ファミリーが社会貢献の一環として実践している「自然療法プログラム」を受ける為、およそ1ヵ月半、木の花ファミリーに滞在させていただきました。

木の花ファミリーに来る前にブログや動画などを見て、木の花ファミリーとはどういったところなのか、興味や不安も入り混じったような気持ちで訪ねさせていただきました。ネット上には、さまざまな意見や感想もありますが、私が滞在中を通して感じたこと。

それは一言で言うなら、「とても、良かった!」ということ。

そして、「世の中が、木の花ファミリーが実践している精神性、生き方に追いつけていない」ということです。

「百聞は一見にしかず」というように、様々な人の意見も感想も、自分が実際に見て感じて初めて分かることが多くあります。残念ながら、人はゴシップや第三者の意見に惑わされやすい生き物かも知れません。

それ故に、私が感じた何より残念な事が、「自然療法プログラムを受けることで治る可能性のある人、持続可能な生き方を模索している人達が、心無い記事や意見によって、治る道や、新たな生き方を見つける道を阻まれている」ということです。

私が木の花ファミリーに支払った費用は1日3240円(宿泊費、食費、洗濯代などを含む)でした。私の場合は、更に事情があって、別風呂まで準備してもらいました。実経費を差し引けば木の花ファミリーにとっては、ボランティアそのものです。

恵みいただきますの料理
恵みいただきますの料理

木の花ファミリーでは月に一度の「恵みいただきます」というレストランが催されます。近隣、県外の方など一般の方が多く来られます。その料理の提供内容に比べ、頂く代金は、1000円(65歳以上と障がいをお持ちの方は500円)と安すぎなのです。

「自然療法プログラム」も「恵みいただきます」も金銭が目的ではありませんでした。私が感じたのは、メンバーと訪問者の心と心の交流、人として成長していくためだと感じました。

私は車で外出すること、散歩することも自由でした。もちろん病院や歯医者も自由に行きました。夜の大人会議はメンバーも含めて出欠席自由です。滞在中、強制される行動は一切ありませんでした。私は、毎回参加させていただき、発言させていただく機会もありました。

プログラムの内容は、私の場合、自由に日記を書く事と、週1回の面談、つまり人生を振り返り、今の自分の心を見つめる事でした。客観的に事実を捉え、自分自身の姿や癖を知ることでした。それによって、私は被害妄想がある事や、心の癖、物事を曲がった捉え方をしている自分の姿を知ることができました。

誰に強要されたことでもありませんが、見たくない自分や、見えない自分と向き合うことは、時に苦しいことです。しかし、自分という狭い枠を知ることや、癖を知ること、客観的に自分を観られるようになることで、心と身体が回復していく現実に驚かされました。

木の花ファミリーが何故「自然療法プログラム」や「恵みいただきます」、持続可能な自給自足的生活をしているのか。

金銭、注目、名誉、名声、権力が目的になりがちな現代社会にあって、少なくとも、生きようとしても、生き辛さを感じている人達に、崩壊しかかっている今日の経済社会に先行き不安になっている人達に、新たな道を見出したいと思って模索し続けている人達に、「こんな価値観や生き方がある」という、空論でない実際を示すためだと思いました。

「他者の喜びを自らの喜びとする生き方」「地球環境にとって持続可能な豊かな生活」を現実として実践している場所が、木の花ファミリーです。

私が、この滞在を通して伝えられることは、
「希望ある、持続可能な生き方がある」
「本物は自分の心と身体で感じられる」
「自然療法プログラムは、とても良かったよ」ということです。

同じ時代を生きる同じ人間として、少しでも、日本が、地球が良くなりますように。

この文章を読んで下さった一人一人の心の直観に届くことを願い、書きました。

 

自然療法プログラム卒業生たち(前列左から3人めがみのるん)
自然療法プログラム卒業生たちと一緒に(前列左から3人目がみのるん)