【木の花のたより 】酵素があるから生きている

おなかの中から元気になろう!

その5
酵 素

カフェ&ショップ ロータスランドのブルーベリー酵素ジュース

さてさて、1ヶ月ぶりのお便りです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
こんな時代だからこそ、お腹の中から元気になって本物の免疫力を高めよう!と始まったこのシリーズ、今回のテーマは酵素です。

酵素って なに?

詳しいことは知らずとも、多くの人が「酵素は体に良い」というイメージをお持ちなのではないでしょうか。

では酵素とは何かと申しますと、ズバリ、私たちの生命活動を維持する物質です。動物も植物も微生物も、すべての生命は体内で酵素を作り出しており、人間の体内には実に5000種もの酵素が存在すると言われます。そのひとつひとつがそれぞれに独自の役割を持ち、私たちの体内で起こる様々な化学反応をスムーズにする働きをしています。例えば食べたものを分解する、分解された養分を吸収する、有害なものを排出するといった消化や代謝機能の他、見る、聞く、味わう、歩く、話す、呼吸する、さらには笑う、泣く、怒るなどの感情表現や思考に至るまで、私たちの生命活動は、体内で起こる様々な化学反応によって成り立っており、そのすべてに酵素が関わっているのです。

つまり酵素とは、太陽や土や水や空気と同じように、私たちが生きるために無くてはならない存在なのです。

現代人は酵素が不足

人間が一生の間に作り出す酵素の量は、人それぞれに決まっていると言われ、私たちは体内で酵素を作る他にも、日々食べ物から酵素を取り込んでいます。
酵素は、あらゆる野菜や果物、そして味噌や醤油、納豆などの発酵食品に多く含まれています。食べ物から取り込まれた酵素は、体内の酵素に代わって、私たちの様々な生命活動を助けてくれるのです。
ところが現代を生きる人々は、化学物質の添加された加工食品やジャンクフード、アルコールや薬品などの過剰な摂取、そして自然の摂理から離れたストレスの多い生活などにより、酵素が不足するようになったと言われます。
酵素が不足すると、消化や代謝の機能が弱まり、免疫力が落ちて、病気にかかりやすくなります。また、冷え性やむくみ、頭痛、肩こり、便秘、倦怠感、不眠などの症状につながる他、イライラしたり精神的に不安定になることも。

どんなに「体にいい」食べ物を食べたとしても、その栄養素を体内でしっかり分解し、吸収できなければ意味がない。酵素不足はまさに万病の元と言えるのです。

酵素をつくろう!

さて、ここからは木の花ファミリーのお話です。

養蜂で活用している木の花菌と酵素

木の花のたより第3号にてご紹介した通り、木の花ファミリーでは創立後間もない頃から、微生物の働きを暮らしの中で活用することを大切にし、地元の植物を利用して「木の花菌」という独自の微生物群を培養してきました。
それはとても有効なものですが、木の花菌を仕込むには「種菌(EM菌)」が必要であり、それは現在も外部から購入しています。木の花ファミリーには世界中からゲストが訪れ、「ぜひ自分の国でも木の花菌を広めたい」と仕込み方を学んで帰る人も少なくないのですが、では実際に帰ってから種菌が手に入るかと言うと、なかなか難しい現実がありました。

そこで、「その土地にあるもので作ることのできる、有効なものはないだろうか?」と模索していた中で出会ったのが、酵素なのです。

大量に収穫できたレンコンを皮や節ごと漬け込んで作ったレンコン酵素

すべての植物は、酵素を持っています。しかし酵素は熱に弱く、42℃以上に加熱をすると壊れてしまいます。そこで植物を、1.1倍の分量の砂糖に漬け込むと、砂糖の浸透圧によって植物内の酵素を壊すことなく抽出できるのです。

この酵素液がすごいのは、普通なら使えないようなものでも、余すことなく活かせること。例えば夏の終わりには、秋冬の作付けに向けて畑を整理するため、シーズンを終えたトマトの木を片付けるのですが、この時に熟しきらない青いトマトの実がたくさん取れます。

そこでこの実にお砂糖を混ぜ ───

毎日かき混ぜていると、微生物の力で発酵が進み、やがてブクブクと泡が出てきます。

お砂糖は微生物のエサとなってエネルギーへ変換され、夏場なら1〜2週間、冬場なら2週間〜1ヶ月ほどで、酵素液が出来上がります。

そして液体を絞った後の固形物は、ボカシ(有機物を発酵させた肥料)にして畑の循環の中へと還し、また次の作物の栄養となっていくのです。

ボカシ

これならば、それぞれの土地にあるものを活かして、その土地ならではのものを作ることができる。
そこで数年前から木の花ファミリーでは、酵素液作りの探求が始まりました。以前から、酵素玄米や生食などを取り入れた酵素食は実践していたのですが、酵素液はうまく発酵すれば腐ることなく長期間保存でき、人間のみならず農業や養鶏、養蜂などにも活用できるのです。

現在は100種類以上の野菜や果物、穀物、野草などを使い、数十種類の酵素液を仕込んでいます。

ただ今熟成中の様々な酵素たち。絞ったものは冷蔵庫へ保管します。

この酵素液の仕込みを一手に引き受けているのが、メンバー歴21年目のきょうこちゃんです。

野菜苗作りのスペシャリスト、きょうこちゃん

大学卒業後、有機農法を学んでお百姓になる道を選んだきょうこちゃんは、メンバーになって以来、主に野菜の育苗を担当していました。きょうこちゃんが育てる苗はとてもしっかりした良い苗だと評判で、県外からわざわざ買いに来るお客さんもいるほどでした。

そんなきょうこちゃんですから、酵素仕込みも常に素材を観察し、作物ごとにそれぞれ異なる特徴を掴んで、より良いものができるよう工夫を重ねながら進めています。
「基本は素材1に対して砂糖が1.1だけど、素材によってはもっとお砂糖を減らした方が素材そのものの風味が生きてくるので、味を見ながら調節してるよ」ときょうこちゃん。
そして酵素液を絞るタイミングは、仕込んでから何日と決まっているわけではなく「今だ」と感じた時。中にはいくつもの酵素をミキサーにかけて混ぜ合わせ、2年越しで仕込んでいるものもあります。

2年越しで熟成中の酵素への櫂入れ(かき混ぜること)
熟成したやさしい香りがします

その他にも、個性的な酵素がいろいろあります。
例えば、昨年12月に行った新穀感謝祭と、今年の2月4日に行った立春正月祭のお供え物は ───

昨年12月の新穀感謝祭の祭壇

「新穀感謝・立春正月酵素」というなんともありがたい酵素に変身。

野菜だけでなくお米や豆類も入った「新穀感謝・立春正月酵素」

とにかく何でも活用できるのが、酵素仕込みのいいトコロ(^^)
多少形が不恰好だったりしても、すべての植物の中に健康の元が詰まっているのです。

健康とは、元気であること。元気とは「元の気」──── 即ち、自然そのものです。自然は、私たちをおなかの底から元気にしてくれる宝物に満ちています。
その豊かな恵みに感謝しながら、これからも作物や、酵素や、その他のたくさんのものを通して、皆さんに「元気」をお届けしていきますね!

(ともこ)

 

 


メンバー日記🗒

きょうこちゃんの巻


ファミリーメンバーたちが日々の暮らしを綴る「メンバー日記」始めました!

木の花ファミリーでは、メンバーたちは田んぼや畑、キッチン、建築、子育てなどなど、それぞれの個性に応じた役割を担っています。

上で紹介している役割は全体の一部。他にもいろーんな役割があるのです。そしてその全てが、自分よりも他者や全体を大切にする心 ─── 即ち「菩薩の里の精神性」でつながることにより、コミュニティの暮らしが成り立っています。

毎日の食事と大人ミーティング(毎晩大人メンバー全員が集まって開催するミーティング)の場ではメンバーたちは必ず顔を合わせますが、その他の1日の過ごし方は役割によって様々です。そこでこのメンバー日記では、メンバーたちがそれぞれの立場からファミリーの暮らしを紹介し、次のメンバーへと繋いでいきます!

トップバッターは、ハイ、先ほどご紹介しましたきょうこちゃんです。

きょうこちゃんは酵素仕込みの他、午前中は毎日カフェ&ショップ ロータスランドで、モーニングセットの調理を担当しています。他にもロータスランドの鯉や花のお世話をしたり、育苗の後継者を育てたり、木の花楽団でギターを弾いたりと、いろいろな役割をしています。

そんなきょうこちゃんが今から21年前にメンバーになった理由は、「木の花ファミリーに出会って初めて、“人が生まれてきた目的は心を綺麗にしていくこと” だと知り、この大切な生き方をしていこうと決めたから」。

「小学校3年生の時に広島原爆展を見に行った時から、人間はどうして戦争をするのか、どうして戦争が終わらないのかをずっとどこかで思っていました。また、現代の物質的に豊かになった社会が、そしてその中で生きている自分自身の暮らし自体が、自然を破壊していることを知り、自然に近い暮らしをしようと思い、有機農業を始めました。でも、どこか違う・・・と思っていたところ、木の花ファミリーと出会ったのです。」

どんなに良いと思われることをしても、心の中に対立や嘘の心があったら本当の平和は訪れない。自分一人分美しくなることが、この世界を美しくする。小さな頃からずっと探し求めていたものがこの生き方にある、と思ったきょうこちゃんは、メンバーになり、心磨きの道を歩むことを決意しました。

ところが2015年4月、きょうこちゃんは子宮頸ガンとの診断を受けます。そして翌年10月には意識不明の危篤状態に陥り、何度も生死の境をさまようこととなりました。

入院中のきょうこちゃん

心磨きの道を歩もうと決意してメンバーになったものの、「自分はいいものだとどこかで思う心があり、根本的に人間性を変えることができていなかった」と振り返るきょうこちゃん。
そうして心の中に嘘が積み重なり、それがガンを引き起こしたのだと気付いた時、きょうこちゃんに奇跡が起こりました。危篤状態から劇的な復活を遂げ、いつの間にかガンが消えて無くなっていたのです。

まさかの退院

今きょうこちゃんは、「ガンという病気をもらったことで、やっと自分の心にメスを入れることができた」と言います。

「何度も死にそうになりましたが、ファミリーみんなの応援もあり、今こうして生かされています。健全な心で生きることが、健全な世界を創ることを思いながら、日々を過ごしています。」

*きょうこちゃんの物語を、木の花劇団がお芝居にして紹介しています。芝居後には実際の闘病中の映像も流れます。どうぞご覧ください。
木の花劇団「いただきます物語2019」

そんなきょうこちゃんが、酵素液を仕込むための野草を摘みに、長野県大町市にある「木の花ファミリー大町ビレッジ」へ出かけました。以下、きょうこちゃんの日記をご紹介します!

木の花ファミリー大町ビレッジは、長野県の木崎湖畔にあります

大町ビレッジでの1日

早朝4時30分、日の出前に大町ビレッジメンバーと一緒にヨモギを摘みに出発。まだ朝露に濡れたヨモギがキラキラ光っています。

野草摘みは日の出前から始まります

お日様が出て光合成を始める前の、エネルギーをたっぷり蓄え生命力に満ちたヨモギを黒糖で漬け込み「天恵緑汁(てんけいりょくじゅう)」を作ります。

とてもエネルギーが高い大町の野草
天恵緑汁

「天恵緑汁」とは、植物や動物を健康に育てるための農業資材で、ヨモギと黒糖と天然微生物によって抽出される黒褐色の液体で、有用な菌が生きている植物活性剤(酵素液)です。土着微生物の採取方法のひとつでもあります。

これを野菜の苗を育てるときや畑の野菜に薄めて葉面散布します。ヨモギは薬効成分も高く、お灸のモグサの原料にもなっています。一面に生えている生命力のあるこのヨモギのエネルギーをいただく。まさに天の恵みの汁ですね。

こんなにたくさんのヨモギが採れました〜!

また、日中はたくさんの野草を採取し、野草酵素も仕込みました。
今年は44種類もの野草を採ることが出来ました。大町は野草の宝庫で、見渡す限りの野草!本当に宝物だらけ。






でも畑だと「雑草」とされているものもたくさんあります。

畑の作物という視点だけから見ると邪魔ものになってしまいますが、視点を変えると「宝物」なんです。

車で走っていても、歩いていても、あれも、これもと道端の草が今までと違った見え方をするのには自分でもびっくりです。

酵素作りの良いところは、捨てるものが一つもないこと。普通捨ててしまう皮や種も全部丸ごと漬け込みます。じつは皮こそ酵素がたくさん含まれているのです。

収穫した野草をまるごと刻んで ー
次々と桶に仕込んでいきます

そして普通は食事として食べないような、ビワの葉や桑の葉、その他たくさんの植物の酵素が、こうして酵素ジュースにすることにより摂取できるようになるというのは素晴らしいことだと改めて思います。

作業の合間にみんなでひと休み

こうして自然からの贈り物を採取し、砂糖に漬け込んで、毎日手でかき混ぜ、もともと植物がもっている酵素を抽出します。発酵が進むにつれ、色も香りも変化していき、酵素液が生きているのを感じます。
微生物たちはとても小さく微細な存在。だからこそ、それに接する自分は、いつも良い波動を持つ者であるように心掛けています。

全ての命は、他の命によって支えられ、生かされている。
この野草摘みに来ると、そのことを強く思い起こさせてくれます。

ガンで一度は死んだかもしれないのに、生かされている今。
酵素作りという役割をいただいて、まだまだ手探りであり、もっと進化させていく途上ではありますが、人も野菜も元気になるような酵素を作っていきますよ!!

(きょうこ)

自然の宝物に囲まれて

 



次回のメンバー日記は、ファミリー最年長のみんなのアイドル、えいこばあちゃんです。
きょうこちゃん曰く、「こんな年のとり方をしたいな」。


 

 

7月1日(水)より

ロータスランドのカフェ(店内飲食)部門を

営業再開します

蓮の花(ロータス)もいよいよ咲き始めました

お待たせしました!
新型コロナウィルスの影響等により、しばらくの間お休みを頂いておりましたロータスランドのカフェ部門を、7月1日よりいよいよ営業再開いたします。

再開に伴い、営業形態が以下の通り三部制となります(^v^)

🔹 モーニングタイム 8:00〜10:30(ラストオーダー)

🔹 ランチタイム 11:00〜14:00(ラストオーダー)

🔹 カフェタイム 14:00〜17:00(ラストオーダー)

従来は、11時以降は同じメニューをご用意しておりましたが、その時々の旬の食材を、より良いかたちで皆さんに楽しんでいただきたい!ということで、モーニングタイムにはモーニングメニュー、ランチタイムにはランチメニュー、カフェタイムにはカフェメニューと、それぞれ独自のメニューをご用意することとなりました。そして、試作に試作を重ねた新メニューも登場しますよ〜〜✨✨ どうぞお楽しみに!

きょうこちゃんが仕込んだ酵素は、ジュース、スカッシュ、豆乳ドリンクの3つの味でお楽しみいただけます
大好評の酵素シロップも引き続き販売します♪

📍 カフェ部門再開につき、7月1日以降はお弁当の販売はお休みとさせていただきます🙇‍♂️

📍 営業時間が従来の19時閉店から18時閉店へ変更となりますので、ご注意ください。

📍 定休日は毎週月曜日のままで変更はありません。

 

皆さまのお越しをお待ちしております

 

 


組織宗教の時代から一人ひとりが仏陀となる時代へ 〜 きたじゅんの気付き・第二弾

きたじゅんの心の気付き・第二弾!今年の5月3日、長年患ってきた眼精疲労が消え、新な道を歩み始めたきたじゅんが、改めて自身の半生を振り返りました。


組織宗教の時代から
一人ひとりが仏陀となる時代へ

創価学会の家に生まれる

僕は創価学会3世の家に生まれました。母方の祖母の頃から学会に入会しており両親も同じように入会し学会活動していました。創価学会は約800年前に日蓮大聖人が法華経の教えに基づいて開いた日蓮正宗を本家とした宗教団体です。物心つく前から学会の中で育てられたので、会合や祈りなど宗教的な活動に何の疑問も持たず自然と受け入れていました。祈りというのは日蓮大聖人の生命が現された御本尊(ごほんぞん)様に向かって「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」とただ唱えるだけです。御本尊様に向かって祈ることで日蓮大聖人の生命と一体になり自らの内にある仏性を引き出し、宿命を乗り越え幸福になれると聞いていました。

孤独な高校時代

初めて自ら祈ってみようと思ったのは高校生の時でした。当時は、中学時代に受けたいじめから人間不信になっており、友人を一人も作ることができず孤立していました。あまりにも孤独で時間を持て余していたので、それを逆手にとってある実験を思い付きました。それは学校で1日中一言も話さない日が何日続くか。結果、約40日続きましたが最後は挨拶されたときつい挨拶を返してしまい実験は終わってしまいました。もう少し記録を伸ばしたかったなと思う反面、それほど深い孤独な時間を過ごしてきました。自分の気持ちをずっと抑え続けてきたので、いつしか喜怒哀楽の感情がなくなりそのストレスで慢性的な腹痛に悩まされました。とても苦しくて将来に全く希望が持てない状況でしたが、そのとき僕の心を支えてくれたのが創価学会第三代会長の池田先生でした。池田先生が書いた高校生向けの本には仏法の生命観・死生観・宇宙観などが分かりやすく書かれており、人間の無限の可能性が説かれていました。そのおかげでどんなに絶望的な状況に置かれても、自らの命を粗末にするような行為は絶対にしてはいけないと思っていたことを覚えています。その後、僕は池田先生の創立した創価大学に入学し、自らの人間性を変えることを目標として高校生活を送りました。慢性的な腹痛のため試験で100%実力を発揮できないことに悩みましたが、真剣な努力と祈りで試験本番までに腹痛が治まり、無事創価大学に合格できました。これが初めて祈りが叶った体験でした。

人間関係に恵まれた大学時代

創価大学では、良き先輩・同期・後輩に恵まれ多くの友人ができました。周りの人はほぼ全員が創価学会員であり、学会活動は日常的に活発に行われていました。大学生になると祈りの他に、日蓮大聖人が弟子に対して書き残したお手紙「=御書(ごしょ)」を学ぶこと、友人に仏法を語り広める折伏(しゃくぶく)を行うなど仏法者として欠かせない活動に本格的に取り組み始めました。学会活動の目的は、一人ひとりが自身の宿命(カルマ)を乗り越えて幸福になり、その輪を社会全体に広げ世界平和を実現することです。それを理解した上で、僕は自他共の幸福を目指して真剣に活動に取り組んできました。でも、僕の本心はまず自分が救われたいという思いが強く、他者の幸福を願うということからはかけ離れていました。それでも、学生時代は池田先生の度重なる激励や多くの先輩たちのサポートによって大学院の進学や就職を勝ち取ることができました。自分の本当の実力が試されたのは社会に出てからでした。

社会からの脱落

就職後に、僕が創価学会との関係を見直すきっかけとなった出来事が起こりました。それは2011年2月から2012年2月までの1年間の期間に学会の中の人材育成大学校に入っていた時のことです。当時は、職場で人間関係がうまく築けずいつしか孤立するようになり、ストレスからよく体調を崩すようになっていました。ある時、あの孤立した高校時代と同じ状態に戻っていることに気付いた僕は自身の根深い宿命を感じました。このままではまた自分を駄目にしてしまうのではないかと危機感を覚えました。今こそ宿命を乗り越え根本的に自分を変えるときだと決意し学会活動に真剣に取り組みました。時間があれば出来る限り友人の幸せを祈り、休みの日には毎週のように友人に仏法を語りました。しかし、当時の僕は相変わらず自分が救われたいという思いが先行していることに気付いていなかったため、すべて失敗に終わり結果は散々でした。反対に、友人に思いは伝わらない、自身の願いも叶わない状態が続き頑張れば頑張るほど苦しくなっていきました。最後まであきらめず友人に仏法を語りましたが、結局結果を出すことができず、大学校の卒業式を迎えました。自分の生命を根本的に変えたいと思い、本気で学会活動に取り組んできたのに結果が出せなかった。そんな自分に対して情けなく悔しい思いが込み上げてきて、卒業式の間ずっと涙が止まりませんでした。どれくらい泣いたか覚えていませんが涙をすべて出し切った後、なぜかすっきりした気持ちになっていました。これだけ頑張って結果が出なかったのだから仕方がないという何か吹っ切れた気持ちになり、それ以降学会活動から遠ざかっていきました。その後、眼精疲労で休職に追い込まれ、それがきっかけで2015年2月に木の花ファミリーと出会いました。

木の花ファミリーとの出会い

木の花ファミリーでは今まで聞いたことのない話がたくさんありました。特に驚いたのは話のスケールの大きさと深さです。例えば、太陽の一螺旋の25800年というサイクルがあり、12900年ごとに精神的な光のピークと闇のピークを交互に迎えるという話です。そして、2012年12月21日に闇のピーク(銀河の冬至)を迎えたことで宗教の時代が終わり、これからは自らが自らを救い尊き者となる時代、それは一人ひとりがイエスとなり仏陀となる時代に入ったということが説明されていました。その他にも、時代の流れに沿って天体と人間の活動は常に連動して長い歴史を作ってきたことを知りました。しかし、当時は木の花で話されていることの方が、スケールが大きくて道理が通っていると感じても、創価学会への執着があり簡単には受け入れられませんでした。その執着というのは今までの池田先生に対する恩です。木の花で語られている道理を受け入れてこのまま創価学会を辞めることは池田先生を裏切ることになるのではないかと深く悩みました。その後、宗教のことを否定される度に早く木の花から出て行きたいと思いましたが、眼精疲労でまともに仕事ができない状態だったため、木の花に残る以外に僕の選択肢はありませんでした。

変化した宗教観

それから時間はかかりましたが、僕の宗教観は大きく変わりました。創価学会に対する執着がどのようにして無くなっていったのか。そのポイントは2つあります。
1つ目は、事実を客観的に観て受け入れたことです。学会活動に一生懸命に取り組んだのに完全に行き詰まったという事実。そして宇宙的スケールで銀河の冬至を迎え、宗教の時代が終わったという事実。これらの事実を冷静に受け入れることで学会のことを客観的な視点で観ることができるようになりました。
2つ目は、自らの想いを手放していったことです。自分の宗教に対する捉え方や疑問などを他の人に話し、相手の意見を取り入れることで新しい視点が入り自身の宗教観の狭さや偏りが認識できるようになりました。
今、僕は次のように理解しています。中国の天盤の巡りによると、約6400年前に青陽期という一国の王が民衆を支配する王の時代が始まった。そして、約3000年前に紅陽期という聖人の時代が始まり、お釈迦様やイエス・キリストなどの一人の聖人がその他大勢の民衆を救うという形で宗教が生まれた。それから正法→像法→末法と時代の経過と共に人々は正しい法を忘れ、一部の人間にとって都合の良いように解釈が歪められ様々な宗派に分かれていった。その後、1927年から白陽期という民衆が主役となる庶民の時代が始まった。しかし、未だに心が濁り深い迷いの中にいた人々は闇のピークに向かって2度の世界大戦を起こすなど最も愚かしい時代を経験してきた。2012年12月21日の闇のピーク(銀河の冬至)を迎え、末法が終わりを告げ宗教の役割が終わった。そして、いよいよ庶民の目覚めの時代が本格的に始まった。大まかですが、このように振り返るとその時代ごとにふさわしい人々の心があり、その必要性に応じて様々な教えが広まっていったことが分かります。その時代の流れの中で宗教はある一定の役割を果たしてきたのだと思います。

宗教の弊害

一方で、世の中の混沌とした現状を見ると、今までの宗教が世界にもたらしてきた弊害が見えてきました。それは主に3つあります。
1つ目は、自分が所属する宗教を唯一正しいと解釈していることです。皆が自分の所属している宗教が絶対正しいと主張し合えば、それは争いにつながります。実際に、過去から現在にかけて世界中で起きている戦争や争いごとの背景には必ずと言っていいほど宗教対立があります。自分が正しい側にいるという意識では客観的な視点で物事の本質を観ることはできません。
2つ目は、ご利益をうたって人々を集め組織化したことです。ご利益をうたうことで人々の欲望を刺激し、願いを叶えることで自我をより拡大させてきました。そのことが現状の世の中の混乱につながっていると感じます。
3つ目は、経典を持つことで宗教の精神性を固定してしまったことです。紙で教えを固定化し、経典を唯一の指針とすることはいつまでも古い時代の教えに執着し、その経典の精神性を超えることはありません。それは、みんなで同じ指針に従っていけば救われるという画一的な道を示しており、民衆一人ひとりがオリジナルに悟りを開き個性を存分に発揮していく道を奪ってきたといえます。宇宙は常に変化変容し続けており、その宇宙の法を説く法華経の精神性の表現も新しい時代にふさわしく変化していくことが本来の姿だと思います。

人生の本当の目的

このように自分の人生にとって縁の深かった宗教の本質が見えてくると、今まで出会ったすべての出来事の意味が見えてきました。いじめ、孤独、病気、宗教、社会からの脱落・・・様々な問題にぶつかり悩みながら人生の本当の目的を探し求め続けてきたこと。それは、小さな自我から解放され大いなる天の意志に寄り添って生きることに目覚めることであり、そのためにこの地球に肉体を持って生まれあらゆる経験を通して魂を磨きに来たのだと今は理解しています。また、その経験はすべて他者に生かすために自ら望んで学習してきたのだと実感しています。

5月3日を原点として歩む

2018年5月3日。この日は僕の人生にとって大きなターニングポイントとなりました。木の花ファミリーにとっては創設者のいさどんの誕生日であり、今年は生前葬から質的転換の7年を迎え「いさどん」から「ジイジ」へと生まれ変わった日でした。その日ジイジは、時代はいよいよ大質的転換を迎え、これからは今まで語ってきたことが本格的に現象化されていく段階に入ったということを話してくれました。また、創価学会の本家である日蓮正宗を開いた日蓮大聖人が一人立ったのは32歳であり、創価学会第三代会長の池田先生が会長として一人立ったのは32歳の5月3日でした。そして自身も32歳で迎えた5月3日。とても不思議な縁を感じつつ僕は心の中で次のように決意しました。

「5月3日を原点として自分も先人たちに続いて一人立つ時が来たんだ。それは日蓮正宗でも創価学会の後継でもなく、一人ひとりが仏陀となる時代の先駆けとしてまず自らが実践する。先人たちと現状の未熟な自分を比べると、とてもおこがましい話かもしれないが、この道を生涯歩み続ける意志と覚悟はある。それにふさわしい者として歩み続けよう」

このように決意してから約1ヶ月が過ぎました。時代は常に休むことなく先へ先へ進み、今という時はすぐ過去になり未知なる世界へと向かっていきます。5月3日の決意を常に新鮮なものとして心に留め、僕は今日も自我から湧いてくる想いを手放し、いつどんな時も天の意志を「いただきます」の精神で歩んでいきます。

 

 


病気が導いてくれた八番目の聖者への道 〜 きたじゅんの気付き

きたじゅんは、1年半前にメンバーになり、現在は長野県の大町ビレッジに滞在しています。日ごろ、あまりみんなの前で話すことのないきたじゅんが、ある日の大人ミーティングでこんなシェアをしました。以下、全文をご紹介します。

きたじゅん

病気が導いてくれた八番目の聖者への道

2013年5月、僕はカーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中に閉じ込もっていました。当時は、水力発電所の設計をしていましたが、長時間残業と人間関係のストレスから眼精疲労になり休職を余儀なくされてしまいました。今まで無理に無理を重ねてきたため、パソコンやテレビのようなデジタル機器から照明や太陽の光までまぶしく感じ、強い痛みを伴うため、日常生活を送ることが困難な状態になっていました。このときから僕は常に帽子とサングラスが手放せなくなり、出口の見えない長くて暗いトンネルの中にいるような日々が始まりました。その後、一度は職場復帰できたものの、2015年1月、再びパソコンを見ることができなくなり2度目の休職を余儀なくされ完全に行き詰まってしまったのです。

そんな中、出会ったのが木の花ファミリーでした。そこで参加した1ヶ月間の真学校で本当の自己を知り、自身の30年間の歩みを振り返りました。真学校では、自分の癖・性分が病気を作り出していること、そしてその癖・性分を手放すことで自ら発している病気の響きが変わり元の気が入ってくる、つまり健康体を取り戻すことができると学びました。しかし、それは頭だけの理解に留まり、実践を伴った本物の理解に至るまでには、さらに長い時間が必要でした。なぜなら、自身の根深いカルマをなかなか超えることができなかったからです。

僕のカルマの性質を挙げてみると、常に他人の評価が気になる、被害妄想が激しい、思い込みが強い、人の意見や出来事を素直に受け止めないなどネガティブな思考ばかりです。このネガティブを安定してやり続けるのが純一というカルマの特徴です。自分でも本当に面倒臭いなと思うし、これと向き合って変えていくのは大変な作業でした。例えば日々の作業の中で、体調を崩しているのに人の評価を気にして本音が言えず、つい無理をして頑張ってしまうことがよくありました。そしてまた体調が悪くなる。でも他人に自分の弱さを見せることができない。さらに苦しくなる。余計なプライドが邪魔をしてこの悪循環からずっと抜け出せずにいました。それでも、木の花のみんなのサポートのおかげで、曲がりなりにも1年間ヘルパーを続けることができました。体力に自信がついたのと木の花ファミリーの生き方がこれからの時代にとって本当に大切だと実感できるようになったため、2016年11月、正式にメンバーとなりました。

帽子とサングラスが手放せなかった頃

その後、2017年4月から4人で大町ビレッジでの生活が始まりました。一人ひとりが個性の花を開きみんなで調和した桃源郷の世界を大町でも目指そうと最初は意気込んでいたものの、また自身のカルマに飲まれていってしまいました。自分の未熟さや生活態度、不調和な空気など立て続けに指摘されるようになり、あまのじゃくで幼稚な僕の心は次第にみんなから遠ざかっていって、いつしか自力で抜け出せないほど深みにはまってしまいました。そんな中、人身事故という大きな出来事をもらい、ますます現実を受け入れられなくなって底の底まで心は落ちていきました。

「こんなに苦しむくらいなら、自分と向き合うことから今すぐ逃げ出してしまいたい」

自分でも愚かな選択だと分かっていながら、何度も逃げたい気持ちがわいてきました。ただ、その度に僕を木の花に引き止めてくれたのは眼精疲労でした。
今の目の状態で一般社会に戻ってもまともに働くことができないのは分かっていました。確かに苦しくて逃げ出したい気持ちはある。でも逃げ出せない現実がある。僕は何のために病気で行き詰まって木の花と出会い、今こうしてみんなと桃源郷を目指して日々真剣に過ごしているのか。何度も何度も自分に問いかけました。

「一度完全に行き詰まったのだから、自分のカルマと向き合わずここから逃げ出すのは生きることを放棄するのと同じだ。僕は必ずこのカルマを乗り越えて世のため人のために役立つ者に生まれ変わるんだ」

こうして自分の本当の気持ちを確認し、それを現実化するために行動し始めました。

女郎囃子を舞うきたじゅん(左)

その後、大町から富士宮に戻り転機が訪れました。2018年1月、木の花ファミリーにとって最も重要な「富士浅間木の花祭り」が開催されました。僕の役割は女郎囃子のおかめ役でした。今回、舞うこと自体が初めてで、さらに女役になりきってアドリブで舞うというのは自分にとってかなり苦手意識が強くハードルが高いと感じていました。人前で目立つことをしたり、笑わせるようなことをするのは自分の性に合ってないし、中途半端な舞をすれば余計恥ずかしい思いをすることは分かっていました。でも必ずみんなの役に立つ者に生まれ変わると決めたのだから、どうせやるなら思いっきり悔いなく舞おうと思いました。そして当日、自分を捨てて思いっきり舞ったところ、お客様もメンバーもみんな喜んでくれてとても楽しい場を作ることができました。僕自身はなぜか心の中がとてもすっきりした感覚があり、今まで感じたことのない感情が湧き上がってきました。

「みんなと時間・空間を共有し、心を一つにして何かを成し遂げるということが真の喜びであり本物の豊かさなんだ」

舞い終わった後、女郎囃子の仲間たちと一緒に

そう思うようになってから僕の心はどんどん広がっていき、自然と新しい視点が心の中に入ってくるようになりました。

このように、心が変化し始めてからもう一つ転機がありました。それはケア滞在や長期滞在の人たちと一緒に作業をしていたときのことです。普段から彼らの言動を観察していると、彼らの癖・性分が自分を自らの内に閉じ込め病気を引き寄せていることに気付きました。これは真学校で学んだ心と病気の仕組みを彼らが見せてくれているのだと思いました。そしてその視点を自分自身に当てはめてみました。すると、僕は長い間体調不良が続いていてその状態が一番落ち着くというおかしな状態になっていることに気付きました。そのことに気付いた時、自らの思いを手放していけば元の気が入ってきて健康体に戻れるのではないかと思いました。それは、回復をあきらめていた目も例外ではないかもしれないと思いました。

そして、2018年4月から2度目の大町ビレッジの生活が始まりました。僕は常にわいてくる自らの思いを徹底的に手放すよう心がけました。自分の限界は決めない、体調は予測しない、自らの思惑をすべて手放して結果を頂くことに努めました。すると、体に変化が現れ始め、サングラスではなく普通のメガネや裸眼で過ごす時間が徐々に増えていきました。あるときふと気付くと、自分のことはどうでもよくなっていて、それよりもみんなともっと時間を共有したい・空間を共有したい・心を共有したい。その想いがより一層強くなり、自分と他者の区別が無くなっていくのを実感するようになりました。

そうして迎えた5月3日。この日は木の花ファミリーにとって重要な節目の日でした。それは創設者のいさどんが生前葬から質的転換の7年を迎え、ジイジという新しい名前を天から頂き再スタートする日だったので、1日だけ大町から富士宮に戻りました。僕は「富士宮のみんなとしばらくの間また会えなくなるから、せめて今日だけはサングラスをやめて笑顔でみんなと過ごそう」と思い、できる限り普通のメガネで過ごすことにしました。すると、普通のメガネにしても特にまぶしさは感じませんでした。試しにサングラスをかけてみるととても暗く感じました。もしかしてと思ってサングラスと帽子を両方とってみるとなんともありませんでした。今日はたまたま調子が良いだけなのかなと不思議な気持ちになりつつ、そのまま「誕生祭」を迎えました。そして、ジイジとして初めて語る中で、最後にこのように話してくれました。

誕生祭でのジイジときたじゅん

「あなたの人生をどうするかはあなたの責任です。これからこの時代をみんなで共に役割として作っていく集いの場に私たちはいますが、魂の歩みはそれぞれ別々です。そこはシビアに、私はみんなを救おうなどとは思いません。それは初めて人間が救われるという解釈から自らの価値を高め自らを救済する。やっと自分が尊き者になる手段が自分の手の中にある。それが人生の勝利者です。今までは木の花という役割の場所を維持するのが目的でしたからみんなに寄り添ってきましたが、これからはしません。私はどんどん先に進みます。そのうち、後ろを見たら誰もいないかもしれません。それでもいいのです。その生き方が大事です。今日のジイジの誕生祭は私の誕生祭ではありません。あなたたち一人ひとりのビジョンが始まったのです」

ここまで聞いた時、これからは一人ひとりがイエスとなり仏陀として生きる時代になるという八番目の聖者の話を思い出し、次のような想いが湧き上がってきました。

「今日まで本当にいろんなことがあったけれど、僕はこの道に出会うために今この場所にいるんだ。本当に愚かな自分ではあったけれど、個人の意志に関係なくもっと大いなる意志が僕を八番目の聖者の道へ導いてくれたんだ。その案内役が病気だったんだな」

そう思ったとき、僕の両目から痛みがすっと消え去っていきました。

「疫病神さん、今までこんな自分に付き合ってくれてありがとう。
 そしてお役目ご苦労さま」

と心の中でつぶやき、そっと天へとお返ししました。

 

 

八番目の聖者への道のりは続く!

 

 


大町より3 ー あいちゃん編

大町ビレッジからのお便り3人目は、いつも温かくみんなを見守っている、あいちゃんです!

大町に遊びに来た1ヶ月間の真学校卒業生のたえちゃん(左)と、あいちゃん
大町に遊びに来た1ヶ月間の真学校卒業生のたえちゃん(左)と、あいちゃん

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あいこより

先日いさどんが大町にやって来た時に
感じたことを私に伝えてくれました。

「ここの人たちは真面目でよく働くけど、覇気がないね」と・・・。

その後、晃ちゃんにいさどんから伝えられたことを伝えると
落ち込んでいく晃ちゃんがいました。
どうして落ち込むのか、どう思っているのか、どう観えるのかを
改めて3人で話し合いました。
その時 晃ちゃんが自分に気づいたのです。
「今まで、僕はそういう人だった。晃一やってるね」と。

その出来事だけを観るのではなく
客観的に前から今までの自分をつなげて見た時
それぞれが観えてきました。

たとえば
こうちゃんは「出すのが怖い」「何か言われる」
みほちゃんは「前の自分より できてるでしょ」
あいこは「自分の感じたことを出してるけど、様子見してる時もあるね」

一つ一つ丁寧に3人で観ていくと
まだまだ超えていない自分たちが観えてきて面白い。

感じたこと 思ったことを
制限なく出していくと紡がれて先が観えてくる。

そう、緻密に観ていくことはすごく大事なこと。
日頃の瞬間瞬間を細かく観て、
日常の中で
「あれっ」「どういうこと?」という気持ちが生まれ
直感が湧く日々を生きているかどうかですね。
忙しかったり、よく働くのもいいけど
次の段階に行くには、自分が思っている以上の限界を超えること。

それは自分のためであり、人のためになって、世の中のためにつながっていく。
そこには互いに信頼と愛がないと人には伝わらないことを
晃ちゃんを通して実感したのです。

振り返ると大町に来て3年、
いろいろな人と向き合い、
自分のいたらなさ(愛が愛情であったこと)に出会ってきました。

足りないことで学びは尽きないけど
3人で話す場の空気は 愛 そのもの。
そのままの思いを素直に出し合い、受けあっていく。
反発や言い訳、落ち込みではなく、ただ素直に受け取っていく。
指摘する、される場ではなく
そこは「そうだね〜」「そうだね〜」という場だったのです。

4月に大町に来るときにいさどんから頼まれたことがあります。
それは
「ネガティブな空気を出さないでね」
ということでした。

ネガティブな空気は出していないし、
仕事は真面目にしていたけれど・・・

そんな自分たちを、「成長させよう」「変化させよう」という気持ちには乏しかったのです。

大町に来て半年が経とうとしていますが、
ようやく大町でも
いさどんからの「覇気がない」という投げかけをきっかけに
「一つ」になる過程を歩みだしたように感じたのです。

いさどんから伝えられた思いが響きとなって生かされていく。
そんな愛深きものになる。

実は宇宙の側や自然の側という自我を超越したところで生きていかないと 人間の本当の役割は果たせないですね。

一人一人自分を緻密に観て、その人らしく極めていく。
その個の花が開き全体が美しく調和する世界を作る。

知・意・行 をよく理解しそれを生活に表現していくのが
私たちの存在である。

道は一直線 日々真剣に生きることが自分にも他の生命にも
地球全体にとっても健全な世界を創っていくのですね。

 
あいこ♡

 

大町の物語は、つ・づ・く ♪
大町の物語は、つ・づ・く ♪

 


大町より2 ー こうちゃん編

大町からのお便り2人目は、畑のスペシャリスト・こうちゃんです 。

ジャガイモ収穫中のこうちゃん
ジャガイモ収穫中のこうちゃん(右)

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トマト

きれいな成長をしました。
10段目までついたかな。
すらっと細いわりによく実っている。
こういう生育、できるものなんですね。

このハウスでは初めてのトマト。
結構、有機物もあったので、基肥なし。
追肥は、米ぬかやボカシ肥を生育の様子を見て何度かした。
タイミングは、最初、第1果房の実がピンポン玉級の大きさになってから、後はついた花の数や茎の太さを見ながら、適時、適量を。
水は、地表が乾いてきたら、あまりたくさんではなく適量をやる。
地表が濡れるより、もうちょっとって感じかな。
仕立ては、主枝と第1果房直下のわき芽を伸ばす2本仕立て。

疫病などにもかからず生育できたことも大きな要因。
ここは信州の大町市、標高は800mと高い。
トマトの生まれ故郷は、南米のアンデス高原なので、雨の量が比較的少ない長野県の気候は合っている。
比べて、梅雨に雨の多い静岡では、病気にかかりやすく、土中水分も高いせいか、生育も暴れ気味で、コントロールがなかなかうまくできなかった。
水分や肥料っ気が多いと、茎が太くなり成長点も止まり着果も上手くいかない。つまり暴れちゃう。
反対に、肥料っ気が少ないとヒョロヒョロになっちゃう。

この標高の気候のせいか、害虫が少なく、雑草の勢いも静岡と比べて、おとなしいよう。
味についても、朝晩の気温差のため濃くて美味しい。

豊作のトマトを手にするあいちゃんと、富士宮から畑の応援に来たえいこばあちゃん
豊作のトマトを手にするあいちゃんと、富士宮から畑の応援に来たえいこばあちゃん

 
トマトの姿を見て、今回を振り返ってみる。

今年は、家の裏の畑で作ったため、必要を感じた時にちょくちょくお世話できたことが一番大きかったな。
心を掛ける度合いだね。

意図を持ってコントロールしながら、トマトに合わせ、すくすく育ってもらう。
一緒に表現を作っていくキャッチボールのような。
自分の中に、トマトの生育の一つのモデルがイメージできた。
単なる知識ではなく体感として。

理想のトマトの生育、今まで、そのイメージが描けなくて、どこにどう持っていったらよいか分からず、試行錯誤の繰り返しだった。
ようやく目指すイメージが見えた。体感した。
そこに持っていくために、今までの経験から培ってきたものが真に生かせる。
ファミリーの畑隊のみんなにも共有したくて。
僕一人の体験が、みんなの物になって、みんなでこれから生かせる。
こういう生活、豊かでしょ。

作物だけでなく、物事は目指すイメージが持てて初めて、それに向かった、的を射た一歩一歩が踏み出せるのではないか。

中玉トマト。先端までびっしりなった。 すごくうまい。
中玉トマト。先端までびっしりなった。すごくうまい。
10段目まで着果。ハウスから先端は飛び出ている。
10段目まで着果。ハウスから先端は飛び出ている。
茎が細い割にしっかり数がなった。
茎が細い割にしっかり数がなった。
4
上段でも3果程ついている。
地面に茶色く見えるのはボカシ肥を撒いてある。
地面に茶色く見えるのはボカシ肥を撒いてある。
ミニも鈴なり。 初めは暴れていたので4本仕立てで伸ばしていき、途中で落ち着いたので2本を止め、2本仕立てに戻した。
ミニも鈴なり。初めは暴れていたので4本仕立てで伸ばしていき、途中で落ち着いたので2本を止め、2本仕立てに戻した。
V字型2本仕立て。
V字型2本仕立て。

 
話は変わって。
先日、ファミリーのミーティングでいさどんがシェアしてくれた。
太陽を時間軸と捉えると、地球はその周りをらせん状に回りながら過去から現在、そして未来へと移動している。
つまり繋がっている。

早速、実践。繋げて考えてみた。
自分に起きた現象に、落ち込んだり、指摘されると思い恐れたり、それを避けようとして逆に相手を攻撃したり、認めたくないからもっと良い者だと思ったり。
それはみんな、そこだけを区切って見て、条件反射している。
過去から今まで繋げて振り返ってみると、「僕ってそういう人じゃん」て思えた。
構えずに、恐れもなく、客観的ってこういう風だなと。
こんなにも冷静に自分の足りなさを認められるって、とても省エネ。
心の癖としてはっきりイメージできる。
自分を守らなくていいってことはすごく楽。
今までどれだけエネルギーを浪費してきたことか。
これを自我って言うんだね。
こうやって見て行けば自分の癖を認識し超えていけそう。
もしかして心磨きってこういうことか。
てことは、今までやっているつもりだったけど、心磨きなんてしてなかったんだって、気づきました。

なんだってこの宇宙のものは、過去から現在、未来へと繋がっているのだから、一つ一つ繋げて見たらいいんじゃないか。
自分、一人一人、ファミリー、社会、国、人類、地球、太陽系、銀河、宇宙。
そして作物も。

そうすると客観的に観察ができ、次はこうして行こうってなって変化していく。
それはすごく省エネで、宇宙の流れに沿っているってことじゃないかな。