木の花ファミリー通信2018年春分号 〜 死ぬってどういうこと?

一年で、光(昼)と闇(夜)がちょうど等分となる春分の今日、木の花ファミリー通信最新号が発行されました。今号より、「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします。どうぞご覧ください!


 

21世紀の死生観 第一部

 
「21世紀の死生観」をシリーズでお届けします

「21世紀の死生観」と言いますが、21世紀でなくとも、人は生き死にを繰り返しています。生まれて生きて死んで終わりではなく、悠久の時の中で、生まれて生きて死に、また生まれて生きて死ぬことをくり返しているのです。

ところが、現代の多くの人は死を恐怖に感じています。ある調査によると、日本人の半数以上が死を「怖い」と感じています。また別の調査では、20代から70代までの全世代を通じて、9割以上が死を「悲しい」と捉え、6割以上が「どことなく不安」と答えています。

*朝日新聞全国世論調査より

しかし、どんなに怖いと思っても、悲しいと思っても、確実に死はやって来ます。なぜなら明日が来るからです。「死にたくない」と思って今日一日を生きると、今日一日分、確実に死が近付いてくるのです。

 
時は生き物

この時の流れを止めたいと思っても、止めることはできません。それは、時が生き物だからです。時は、決して留まることなく変化変容し続ける宇宙の基盤であり、常に循環し続けています。私たちはこの時という生命の一部であり、それに乗って宇宙を旅し続けているのです。
この時という乗り物に乗らない存在に、この世界で出会うことはできません。すべてのものは固有のサイクルを持ち、時の上でそれぞれのサイクルを刻みながら、互いに連動し、ひとつらなりの壮大な生命を構成しているのです。
その大きな生命の中の一つのサイクルが終わりを迎えた時、私たちはそれを「死」と呼びます。命あるものは皆、必ず死を迎えます。けれども、私たちは死を恐れ、目を背け、死とは一体何であるかを曖昧にしたまま毎日を生きています。死が曖昧であるということは、生きることの意味もまた曖昧だということです。私たちが出会う問題ごとのすべては、私たちが生きていることから生まれます。私たちは生きることの意味を曖昧にしたまま、ずっとその問題を抱え続けているのです。

人はなぜ生まれ、なぜ生き、なぜ死ぬのか。死生観は人類の根源的なテーマです。一人ひとりにサイクルがあり、一人ひとりに存在する理由があります。その壮大なる生命の仕組みを理解した時、私たちは初めて、真に充実した人生を生き、喜びを持って死の向こうへと旅立てるのです。

 
シリーズでお届けする「21世紀の死生観」。
第一部は、この世界の命の仕組みをひも解きます!

 


 

肉体は循環の中で変化し続ける
それをつなぎとめるものが  

宇宙はすべて、陰陽から成り立っています。私たちの肉体を目に見える陽とすると、その奥には目に見えない陰の存在があります。それが魂です。

「陰陽」と言うように、この世界の元の仕組みは、まず最初に陰があり、そしてそれを元に陽が発生します。私たちの生命は、まず魂があり、その魂が宇宙に遍満する様々な物質を縁によって引き寄せ、肉体を形成します。この、魂と肉体がセットになった状態が「生きている」ということです。姿かたちや性質から、どのような家族を持ち、どのような場所に生まれるかまで、すべてその魂独自の縁によって紡がれていきます。そしてそれぞれの魂と肉体の縁は、独自のサイクルを持っています。これが寿命です。
寿命が来ると、魂は肉体を離れます。すると、それまで魂によってつなぎ止められていた肉体の構成要素は、その縁から解き放たれて、三次元生態系へと還る旅を始めます。そして、また次の生命を形成する材料となります。一方魂は、それぞれにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。

ふさわしい異次元宇宙とは、地獄から多次元構造の高次元宇宙まで幅広く存在します。その幅広い異次元宇宙の中で、様々な段階の魂がひとつの時間と空間のもとに一堂に会して存在しているのが、地球生命世界です。つまり、地球に生きるということは、多種多様な存在に同時に出会うことができる生態体験ツアーのようなものなのです。魂たちは、それぞれの段階のサイクルにふさわしい人生を生き、その人生にふさわしい死を迎え、宇宙へと還り、またふさわしい縁のもとに地上に降りて、新たなサイクルを刻んでいくのです。

 
命のリレー

何も増えず、何も減らない。ただ形を変えながら循環し、すべての存在が変化変容し続けているのが宇宙の実体です。この大いなる宇宙の循環の中で、私たちの肉体もまた、変化しながら生態系を巡っています。

地球生態系を構成する五大要素は、地水火風空です。人間は、地とも、水とも、火とも、風とも、空とも循環して生きています。地に育まれた作物を食べ、水を飲み、排せつしたものがまた次の生命を育む元となり、陽の光を取り込んではエネルギーに変え、そのエネルギーを放出し、風を受け、呼吸をし、吐き出された二酸化炭素もまた、植物の成長の糧となります。それは、常に他から自分へと生命が流れ、必要なものを取り込んでは、また形を変えて他へと受け継がれていく、命のリレーです。その流れはひとつではなく、幾重にも重なって連鎖しています。私たちはこの自然生態系の循環の中で、多種多様な存在から常に新鮮な命を与えられ、生かされながら、自らもまたその循環の一翼を担っています。逆に捉えると、この循環の中にいなければ私たちの生命は成り立たないのです。そしてこの循環を支えているのは、自らの存在が他を生かしていく「利他」の仕組みです。

この、絶えず変化変容し続ける肉体の様々な機能を束ね、ひとつの生命体として維持しているのが魂です。そして人間は、一瞬として同じ状態にはないこの生命体を、過去から未来まで継続して「自分」と認識するようになりました。そしてその自分という認識に囚われるようになりました。これが、自我です。

 
自我に囚われ
この世界の大きな仕組みを忘れた現代の人々

人間は、動物と大きな違いがあります。それは自我に目覚めることができるということです。動物にも自我はありますが、それは本能的なものであり、囚われるものではありません。ところが人間の自我は、自分というものの側に立ち、そこに執着するのです。
常に変化変容し続けるのが、私たちの生きる宇宙の実体です。しかし自我を持った人間は、宇宙の法のままに変化していくことよりも、自分というものを固定し、その状態を維持しようとするようになりました。枠の中に人が入ると「囚われ」という字になるように、まさに、自分という枠の中に自らを閉じ込めたのです。そして、この世界はすべてが連鎖し支え合うひとつらなりの命であり、自らもその一部であることを忘れてしまったのです。

この世界は、個々に独立したものが利他の仕組みによってつながる、命のネットワークです。私たち人間の魂は、一つひとつどれもがオリジナルな個性を持っています。そしてそれらがつながり、一つの集合体となることで、多様性あふれる豊かな世界を築いています。しかし個性とはまた、それ単独で見た時に「偏っている」ということでもあるのです。
偏ったものが、他と連携することを忘れ独りよがりに生きると、世界は必ずその偏りにふさわしい問題ごとを与え、行き詰まるようになっています。そして世界は、その行き詰まりを通して人間に自らの偏りを体験させ、つながることの大切さを学べるようにしているのです。ところが「自分」に意識が向けば向くほど、人間は自我が強くなり、この仕組みが見えなくなっていきました。目に見えるものだけの価値観に囚われ、全体が一つの集合体であることを忘れて個々の幸せを追い求め、その結果、多様であるからこそ互いに補い合い世界を豊かにするはずの個性が、多様であるがために対立し、世界に不調和を生むようになりました。そして世界にも、私たち自身にも、様々な問題をもたらすようになったのです。

 
あなたの奥に、永遠のあなたがいる

私たちは、生まれてすぐの赤ん坊の時から泣くことで意思表示をし、食べることや眠ることを求めます。それは生きるための本能的な行動ですが、ではそれが生きることの目的なのかというと、そうではありません。
この世界は、云わば生命の織物です。地水火風空の元に無数の生命たちが織り成す命の循環は、自然生態系(現象界)の広がりを表す、横糸です。そしてそこに、目には見えない縦の糸の働きがあります。それは、私たちすべての生命の源である、魂のふるさと(潜象界)との循環です。そこからやってくる命の源のエネルギー、即ち元の気(=元気)が、私たちに常に新鮮な生命力を与え続けてくれているのです。

この世界では、まず始めに陰があり、それを元に陽が発生します。この命の織物の、陰は縦糸、陽は横糸です。ところが現代の人々は目に見えるものばかりに囚われ、この縦糸の存在を忘れてしまいました。縦糸を見失った世界は秩序を失い、軸を失ったコマのように、ゆらゆらと不安定な状態であり続けることになってしまったのです。しかし、どんなにその存在を認識していなくとも、私たちは絶えずこの縦と横の循環の中で命を与えられ、生かされています。そして私たちがこの世界に生まれてくる真の目的は、肉体を持って現象界を生き、そこで出会う様々な現象を通して、目に見える肉体の奥にある、魂そのものを磨いていくことなのです。それが、私たちが生きていく上で根本的な軸となる役割を果たすのです。

私たちは絶えず呼吸をし、食べることや排せつすることをしなければ、生きることができません。生きるとは、肉体に縛られている状態であるとも言えます。水や土や空気に縛られているとも言えます。しかし本来、魂とは無限の存在なのです。
今あなたが「自分」だと思っているその姿の奥に、永遠の存在としてのあなたがいます。自分という囚われを外した時、そこには未だ出会わぬ、未知の世界が広がっています。人間には、無限の可能性が秘められているのです。

 

 


 

 
遥か昔、この世界は、光だけの世界でした。
光だけの中にいては、光は見えません。完全なる光そのものである神様は、退屈でした。「完全なる私は、完全であるがゆえに、私を知ることができない。」
そこで神様は、完全なるその体を分けられました。光とは何かを分かるために闇を創り、それを自身からもっとも遠いところへと投げたのです。そして、もとの光へと還っていく長い長い道を創られたのです。

 
地球という学校への入学

宇宙に漂う無数の魂たちは、どれもとてもユニークです。完全なるひとつから分かれてきたため、一つひとつは不完全で、偏っており、それぞれが他にはない個性を持っています。ところが魂たちは、魂のままでは自らの姿が見えないのです。「どうしたら自分のことがわかるだろう。」そこで、宇宙の総意によって、地球という星が創られました。魂たちはこぞって地球に降り立ち、それぞれの個性にぴったりの姿かたちや性質を持って、地球生態体験ツアーをスタートさせました。

地球では毎日、それはそれはたくさんのことが起こります。肉体を持った魂たちは、人生を通して様々な体験をし、その体験から自らがいったい何者であるかを知るようになりました。自分がどんな響きを発しているかによって、出会う出来事が変わっていくのです。「そうか、自分とはこういうものなのか。」

宇宙の時の流れは壮大で、変化もとてもゆっくりですが、ここ地球では、変化変容変態をくり返す仕組みの中で、次々と現象が起こります。そんな中、魂たちの歩みはそれぞれです。出会う出来事から次々と学び、どんどん進化していく者。目に見えるものに囚われて、地球に来た目的を忘れてしまい、何度も同じことをくり返す者。それは、地球という学校に入学したようなものでした。やがて、学びの期限が訪れると、魂たちは「死」という形で卒業を迎えます。そして、人生を通してどれだけ学んだかによって、それぞれの段階にふさわしい異次元宇宙へと還っていくのです。

魂たちにとって、地球は唯一、自分が何者であるかを知り、進化できる場所です。学びを終えた魂たちは地球学校の成績表と共に宇宙へ還り、またいくらかすると「よし、今度こそ!」と地球へ学びにやって来るのです。

 
宇宙全体が美しくなるために

この地球での魂たちの進化のようすを、宇宙の星々はとても興味深く観ています。肉体を持ち、人間として地球に降り立った魂が、自らを高め真理に目覚めると、星々が反応し、銀河の中心がザワザワと波打つのです。たった一つでも、優れた魂は、宇宙に対してそれほどの影響力を持っているのです。

今、地球上に人間として降り立った魂たちは、とても狭い世界観の中で生きています。自我に囚われ、生まれてきた目的を見失い、死ぬことへの恐怖を紛らわせるかのように、目の前の欲望を満たすことに一生懸命になっています。そして世界は問題ごとであふれかえるようになりました。

しかし時代は確実に、光の方向へと進んでいます。神様が自分からもっとも遠いところに闇を置かれてから、私たちは闇とは何であるかを体験し、何度も何度も生まれては死に、生まれては死ぬことをくり返しながら、もとの光の世界へと還っていく道を歩んでいるのです。

時代は21世紀を迎え、2000年から3000年への新たなサイクルに入りました。これは、地上を生きる人間たちが、生きることの真の意味を悟る時代を迎えたということです。それは今までの宗教のように、誰か一人の聖者が現れて教えを説き、救いを求める人々がその教えに群がることとは違います。一人ひとり誰もが、自分自身の中に眠っているものを目覚めさせる。そうすることによって、自らが尊きものとなり、生きる時代がやってきたのです。

私たち人間は、自我に囚われ世界に混乱をもたらす存在から、本当の人としての価値を地球上に表現し、すべての生命のために、この世界に正しい秩序をもたらす存在へと進化する時を迎えています。私たち一人ひとりの魂が美しくなることが、地球を、そして宇宙全体を美しくするのです。

そのためにはまず、「自分」という囚われを、外すことなのです。

 

 

 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、「1ヶ月間の真学校ブログ」をどうぞご覧ください。
 → 1ヶ月間の真学校ブログ『死生観~死と一体となって、生きる』

*1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、様々な切り口から21世紀の世界観を学ぶプログラムです。

 

 

21世紀の死生観第二部「ある世界とない世界」

 


この研究は、新たな世界の扉を開けてくれた 〜 イスラエル人留学生・リリアの手紙

イスラエルからやって来て、京都の大学院で環境学を専攻しているリリア。昨年秋に農作業ヘルパーとして1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、今年1月から2月にかけては、大学院の卒業論文の研究のために滞在していました。そして昨夜、2ヶ月間の研究を終えて旅立つリリアのために「いってらっしゃいコンサート」が開かれました。
以下は、そのコンサートの場でリリアが読み上げた手紙です。日本語で書かれた手紙の全文をご紹介します。


お別れの挨拶

木の花ファミリーでのトータルして3ヶ月間の滞在に関して、伝えたいことがたくさんあります。

木の花ファミリーに来た当初の目的は、コミュニティについて研究することでした 。この研究は学問的なものです。ですから、それは学問のルールのもとにあり、大学の制度のもとにあります。この研究はコミュニティにおける具体的な詳細や個人的な物語を含みます。

この研究は学問的な用語で書かれます。つまり、それは事実、正確さ、数字と専門用語が大切だということです。もし私がこの挨拶を自分の言語であるヘブライ語で書くならば、誰も理解しないことでしょう。それが言語の重要さです。その理由のために、学問で理解できるような用語を使ってこの研究を書いています。学問的な人々にこの研究に対して敬意を払ってもらうためには、私はこの妥協を受け入れるしかありません。

卒業論文は白紙に書かれた黒い文字にしか過ぎません。さらに、研究者はこの研究のための単なる媒体にしか過ぎません。つまり、研究にとっては、誰が研究者であるかは重要ではないということです。研究は客観的である必要があります。しかし、私はリリアであり、主観的な存在です。それはとても難しいところです。

それにも関わらず、この研究は私が新たな世界に行くための扉を開けてくれました。人生が予期せぬ新たな方向へつながっていることは面白いことです。もし抵抗せず、道に来るものが何であれいただくのであれば、奇跡が起きる可能性はあります。皆さんと作業をし、語り、笑い、食事をし、インタビューをし、学び、聴き、体験する機会は、奇跡的なことでした。インタビューをしていた多くの機会において、私の目の前にいる人のことを美しいと感じていました。言葉やハグ、微笑むことを通して、何人かのメンバーとは私のこの感情を共有しました。すべてのメンバーとこの感情を共有しませんでしたが、皆さんはこうした私の気持ちを感じてくれていたと思っています。私はこれまで感謝の気持ちを表現してきたかどうかはわかりませんが、今この場で皆さんに感謝を伝えたいと思います。私にはたくさんの見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと、理解したこと、また理解しなかったことがありますが、そのすべてに感謝しています。この研究の重要さは存在していますが、3ヶ月間ここで学んだことはもっと大切なことです。

いさどんとの時間の最後に、何度か、私は「愚かであること、そして真実に向き合うよりも何も知らないことのほうがずっと簡単なことです」と伝えました。真実を探究することは疲れることであり、もどかしいことです。神社に鏡があることはその理由のひとつかもしれません。私たち自身を真に見つめることは全能の神様の存在よりもずっと恐ろしいことです。

木の花ファミリーの人々から多くのインスピレーションを受け取りました。妥協することなく真実を探究する勇気を高く評価しますし、それは私にエネルギーと意欲を与えてくれました。陽子のような物語を聞くことから、とても刺激を受けました。

木の花に来る前、私の目標は他者を理解することにより、他者とより良い関係を築くことでした。ですから、Eちゃん(木の花ファミリーにケア滞在をしていたゲスト)のことを上手く読めなかったことで私は自分自身に対してがっかりしました ──── それは、阿吽を実践することを何度も思い出させるものでした。それを忘れると、宇宙はそれを思い出させるものを送ってくれます。それは通るべきプロセスです。

明日、私はここから出て、もっと大きく、そしてもっと意義深い目標を持つことでしょう。それは、真実を明らかにするためです。真実はとらえどころのないものです。それは善悪や枠を超えたものであり、そして真実を掴むことは容易なことではありません。皆さんが自分の物語について語ったり、ミーティングで「シェア」を聞いたり、ブログや他の資料を読んだ時 ──── 、「自分自身について振り返ること」の大切さを認識しました。ここの子どもたちは生まれた時からそれを学んでいます。私が通ってきたすべてのことは、今いる所に私をいざないました。そこには意味が秘められているのです。

この研究を書くことによって、木の花ファミリーの種を蒔いていきます。これがこの研究の大事な部分です。

起きたこと、今起きていること、そしてこれから起きることすべてに対して、心の底から感謝します。

木の花ファミリーに2冊の本をプレゼントしたいと思います。本来、これらの本は子供向けの本ですが、その中にはたくさんの秘められた意味があります。これらの本は与えること、幸せ、広大な宇宙を旅することについて書かれていますので、きっと皆さんも興味があると思います。ぜひ読んでみてください。

最後になりましたが、もう一度皆さんに感謝の気持ちを述べて、この挨拶を締めくくりたいと思います。ありがとうございます。

 

今日の朝、リリアはみんなに見送られて旅立って行きました
いってらっしゃい!

 


世界のお金がみんなのお金になるように

コミュニティズ 2017年夏号
コミュニティズ

アメリカのコミュニティ向け専門誌「コミュニティズ」の2017年夏号に、木の花ファミリーの記事が掲載されました。
同誌の今号のテーマは、「共同文化における経済」。ファミリーの金庫番であるなかのんが、現代社会においてたぐいまれなる木の花ファミリーの経済の在り方を紹介しています。以下は日本語版の全文です。どうぞご覧ください!

なかのん
なかのん

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世界のお金がみんなのお金になるように

-みんなでお金を共有できる社会を目指して-

 
木の花ファミリーの暮らしを紹介

たっくん(5歳):なかのん、僕、これ(大袋のあられ)買いたい。

なかのん:それを買うにはお金が足りないね。たっくん、他のお菓子を買ってお金使っちゃったからね。

あやな(7歳):私のお金足してあげる。

なかのん:あやなは優しいね。

あやな:うん、みんなで食べたらいいもんね。

これは今年のお正月、子どもたちと交わした会話です。日本にはお年玉という習慣があり、お正月には大人から子どもたちに小遣いが渡されます。木の花ファミリーの子どもたちはそのお金を使って木の花ファミリーの商品を買っているのです。子どもたちは各自、自分の好きなお菓子を購入しますが、それをみんなで分け合っています。分け合うことでたくさんの種類のお菓子をみんなで楽しんでいるのです。それはとても微笑ましい光景です。通常、子どもたちはお金を使うことなくお菓子や必要なものを得られるのですが、このようにしてファミリーの子どもたちはお金を使うことを身近なところで体験しながら、共有することを学んでいます。

木の花ファミリーは、赤ちゃんからお年寄りまで血縁を超えた84名(2017年1月現在)のメンバーとゲストを合わせて100名近い人々が一つの大家族として暮らす農的共同体です。1994年、人と人とが支えあい、互いを活かしあう暮らしを志した20名の仲間が富士山麓に木の花農園を設立し、その後2007年4月に木の花ファミリーと改称しました。それは活動の幅が「農園」の枠を超えたからでもありますが、この世界のすべての存在を家族とする想いに基づくものです。

私たちは農薬や化学肥料を使わずに作物と対話しながら育てる天然循環法により高いレベルでの食糧自給を達成し、農産物の販売も行っています。加えて、農家レストラン及び農家民宿の経営、教育プログラムや心と身体のケアの提供、便利屋事業や古紙回収など幅広い活動を行っています。

多種多様な事業の中で、農業及び関連事業は農事組合法人木の花ファミリーが主体となって行われ、社会貢献事業はNPO法人ぐりーんぐらすが主体となって行われています。どちらの法人もファミリーメンバーが経営の主体となっていますが、メンバーは原則どちらの法人とも雇用契約を結びません。メンバーの大半は農事組合法人の組合員となりますが、法人の利潤は組合員であるファミリーメンバーに配当され、メンバーはそれぞれ個人事業主として確定申告を行います。これは私たちの精神をそのまま表しています。ファミリーメンバーは一人ひとり自らの意志でこの暮らしに参加し、みんなでこの暮らしを創り上げています。そこには上下関係や雇用関係はありません。みんなが自由であり、平等であり、独立した存在なのです。

一人ひとりが事業を通して得たお金から生活費を集めます。そこからメンバー全員の税や年金、医療費や子どもの教育費、光熱費や日常の消耗品まで、生活に関わるすべての費用を支出します。生活費の総額は年間約2,000万円、一人当たり年間25万円以下のお金で豊かな生活を実現しています。自給自足と共同生活により、少ないお金で豊かに暮らすことが出来るので、競争や無駄がなくなります。お金に縛られず低い環境負荷で安心して暮らし、平和な心を育むことが出来るのです。

木の花ファミリーでの僕の学び

そんな木の花ファミリーに僕は2008年7月に初めて訪問しました。僕は当時、公立中学校で事務職員をしていました。中学生と共に過ごす中で感じていたのは子どもの貧困の問題であり、教育費に携わる中で、その問題の解決に少しでも貢献したいと思っていました。

「教育費が足りないのではなく、教育費思想が足りない」

これは当時の僕が大切にしていた言葉です。子どもは未来を担う社会の宝です。それならば、親の財力の違いに関わらず公費により平等に育てられて然るべきです。ですが、実際の学校では私費(保護者のお金)が沢山使われています。その背後には教育は個人のためであり、だから受益者が負担するという発想があります。そして、そこに競争原理が働き格差が生まれ、子どもの貧困が社会問題となっているのです。

自然はすべての人間が暮らすのに充分な恵みを与えてくれています。ですが、人間の自我は強欲や不安などの心を生み出し、それが格差や対立などの問題となって現れます。そのような現実に対して有効な手立てがなく無力感を感じる毎日でした。そんな僕にとって木の花ファミリーとの出会いは衝撃的でした。そこではお金について何の心配もなく支え合って暮らしている人々がいたのです。そこに未来を感じ、僕は仕事を辞め2009年5月20日に木の花ファミリーに移住しました。

木の花ファミリーに移住したばかりの頃。僕に言い渡された役割は、なんと!金庫番でした。その理由は「顔が四角いから」・・・というのは冗談で今までの僕の経験を踏まえた決定ですが、来たばかりの人間に経理を任せる木の花ファミリーに懐の深さを感じました。

あれから8年。僕はお金を通して様々な経験をして来ました。

冒頭で紹介した子どもたちとの交流もお金を通した学びです。子どもたちはお年玉をもらうことでお金を手にし、それを使うことを楽しんでいます。ファミリーの子どもたちのバックグラウンドは様々です。コミュニティ外部に祖父母がいてお年玉を貰ってくる子どももいれば、そういう存在が一切いない子どももいます。コミュニティ外部でお年玉を貰ってくる子どもたちは、そうではない子どもたちよりも多くのお金を手にすることになります。その時、子どもたちの中にそのお金を自分で持っていたいという気持ちが芽生えることがあります。ですが、私たちは基本的にそのお金はみんなのお金として預かることにしています。前述の通り、私たちの暮らしに必要なものは生活費によって過不足なく満たされます。子どもたちの必要も当然満たされています。そのような中、限られた子だけが自分のお金を多く持つことは、優越感や不平等感などを生み出し、それらの心は不調和に繋がります。そのことを丁寧に説明すると子どもたちは納得し、お金を手放していくのです。その姿はとても気持ちが良いものです。

このことは些細なことに思えるかもしれませんが、お金が人間に与える誘惑が表現されています。何かがあった時に備えたいという不安な気持ち、人より優位に立ちたいという気持ち、その気持ちのままに行動し歯止めが利かなくなったのが現代の資本主義社会の姿です。経済は一人ひとりの心の表現なのです。

先に説明した木の花ファミリーの経済は、頭で考えたシステムを適応したのではなく、メンバーの心磨きの結果であり、すべてを共有していく姿勢の現れなのです。大切なのは自らの心、その未熟さに向き合い続けることです。

僕自身で言えば、安易に人の希望に応じてしまう傾向を持っています。その傾向は時に人の欲望を刺激し、コミュニティに害をもたらします。例えば、先の子どものケースでも子どもの希望をそのままきいてしまったら、子どもたちの中に不調和が広がっていきます。僕は今まで何度も判断ミスをして来ましたが、僕の判断ミスはその都度みんなが調整をしてくれました。みんなの調整に支えられながら、僕は自らの未熟を知り、成長してきました。それはとても有難い体験です。

共有する経済が生み出すもの

先に説明した通り、木の花ファミリーには農事組合法人やNPO法人が存在し、それらの法人は資産を持ちます。そして一人ひとりのメンバーは財産を所有しています。ですが、それらはみんなから信託されたものであり、どこにお金があってもみんなのために使われていきます。それが安心感に繋がっていくのですが、そのためにも常に適切な判断をし、みんなが納得していく必要があるのです。みんなが納得することでお金はみんなのものとなっていきますが、その時、必要なのが、一人ひとりが自分の立場を離れ、全体視点を持つことです。メンバーは常に心を磨き分かち合う心を育んでいます。

自給自足と共同生活を基盤とする木の花ファミリーの経済は自然の恵みをいただき、みんなで分かち合う経済です。そこから生まれる事業は天の恵みを世の中に広げるためにあります。そのことを古田偉佐美(木の花ファミリー創設者:通称いさどん)は以下のように表現しています。

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今の社会では、みんな収入を得るために必死に仕事をしています。お店ならば、お客を獲得するために一生懸命、商品開発や営業活動を行っています。お客の増減はお店にとっては死活問題なのです。ですが、木の花ファミリーの活動はそれとは違います。私たちは天の恵みである作物をいただき、それを基盤として生活を営んでいます。収益を得ることが死活問題とはなっていません。ですから、私たちの商売は一般とは違うものなのです。同じ基準で考えてはいけません。天の恵みによって暮らす私たちは、心に余裕やゆとりがあります。そして、その余裕を心磨きに向けることが天との約束です。商売もその延長にあります。天の恵みの恩恵を世の中に広げていく。それが私たちにとっての商売で、心を伝えること、幸せを循環させることがその本質にあるのです。

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木の花ファミリーでは月に一度、自然食レストラン「恵みいただきます」を開催しています(現在、施設の改修工事のため休業中)。毎月200名以上のお客様をお迎えし、「元気をもらった」「夢の世界にいるよう」などの声をいただいています。それは古田の言葉にある通り、利益を追求するのではなく、人の心のぬくもりを伝え、集うことの楽しさを味わっていただくことを大切にしていることからこそ生まれる感想なのだと思っています。だからこそ、さらに謙虚に日々心磨きを続ける必要があります。そして、2017年3月21日には異次元空間カフェ「ロータスランド」をオープンし、幸せをさらに広げていきます。

経済は人が「はたらく」ことによって生まれます。木の花ファミリーでは、「はたらく」を傍楽と表現しています。それは「はたらく」ことの本来の意味が「傍(はた・他者)を楽(らく)にする」ことにあり、自分を超えたネットワークの中で役割を果たすことだからです。それは生産活動がそのまま宗教、芸術、倫理を生きることを意味した未開社会の人々の暮らしにも表れています。

人々がそのように「はたらく」時、お金も常に他者のため、全体のために使われるようになります。それが木の花ファミリーの経済であり、これからの社会のモデルになると思っています。すべての人がみんなのため、全体のためのお金を使う時、お金はどこにあっても同じとなります。どこにあっても誰が持っていてもみんなのお金となるのです。

環境破壊や経済格差などお金によって生み出される問題が山積みとなっている今、みんなで力を合わせて生きることが求められています。世界のお金がみんなのお金になって、みんなが世界のためにお金を使うようになった時、お金を巡る争いやトラブルはなくなります。そして、みんなで助け合って豊かに暮らす社会が実現し、今ある問題は解決していくでしょう。そのために大切なのは心磨きであり、それは、経済を通して自分を知り、そして自分を育み、結果、心豊かな経済を生み出す道なのです。

 

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ジョセフィーヌの木の花ファミリー滞在記

今年3月に初めて木の花ファミリーを訪れた、オーストリア人女性のジョセフィーヌ。「木の花ファミリーを舞台にした短編映像を撮りたい」と、5月18日から6週間の予定で再びファミリーにやって来ました。6週間の滞在を通して、ジョセフィーヌは撮影した映像をリアルタイムで発信していきます。まずは「序章」として、3月に来訪した際の映像が公開されたのでみなさんにご紹介します!(映像は彼女自身が英語で解説をしていますが、以下に日本語訳を掲載します。)

さてさて、これからいったいどんな映像ができあがっていくのか。どうなるのかは誰も知らない、彼女自身もわからない、天任せのプロジェクトです。できあがったものから随時ご紹介してまいりますので、みなさま、どうぞお見逃しなく!

「個の花」を咲かせる

ジョセフィーヌの木の花ファミリー滞在記 〜 序章

Individual Flowers – Konohana Family Introduction

わたしの木の花ファミリーへの初めての訪問は、たったの3日半でした。その時間で、わたしは木の花ファミリーの暮らしの概要を捉えることができると考えていました。しかし、ここではあまりにも多くの体験すべきことがあることにすぐに気づき、今回は6週間の時間を取って戻ってくることにしました。今回お見せする映像は、わたしが3月に初めて訪問した時のものです。紹介文は木の花ファミリーの自らの言葉を引用しています。

「木の花」という名は富士山の主神「コノハナサクヤヒメノミコト」に由来しています。木の花ファミリーは、血縁を超えた87名のメンバーとゲストを合わせて100名近い人々が一つの大家族として暮らす農的共同体です。木の花メンバーは、人々が互いにつながり、助け合い、自然や生きとし生けるものと調和して暮らしています。メンバーの一人一人が自らと真剣に向き合うことで、自我を越え、その結果それぞれの個性が美しく花開いていきます。「コノハナ」の「コノ」は日本語で「個人の」、「ハナ」は「花」を意味します。

子ども:もっと大きな花を見に来て!

ここでの花は、桜(人の命の美しさ)、梅(健康の美しさ)、そして桃(桃源郷の美しさ)を表します。ですから、みんなが個人の花を咲かせれば、それが全体としての大きな大樹の花となるのです。それは、すべてのいのちがつらなり、さらに大きないのち ―― 地球という惑星を構成する自然生態系の姿そのものです。

多くの人々は今、大地の上に立ち、自らの意志によって生きていると捉えているかもしれませんが、皆さんが大地だと思っているその場所は、地球という奇跡の星なのです。地球は秒速30㎞という速度で移動しながら、もっと大きな星と星との関係の中で役割を果たしながら、存在しています。そしてそれはさらに大きな宇宙の仕組みの中にあります。同じ様に、わたしたちはわたしたちの思考をはるかに超えた大いなる仕組みの元に生かされているのです。その現実に気づかない限り、わたしたちは本当の自らに出会うことはできません。それは、わたしたちを存在させている内なる私たちの意志でもあるのです。つまり、わたしたちはわたしたちを取り囲んでいる宇宙の意志によって役割を与えられ、生かされている。そして、それは私たちの内にある意思と同じなのです。その視点を持たない限り、私たちは自らのことを知らないものだということになります。生きることは、自らを知るためにあります。そして自らを知ることは、この世界の仕組みを知ることなのです。

21世紀は人類がそのことに目覚める時代です。木の花ファミリーメンバーの一人一人も、目的は、新たな時代のひな型となり、時代と共に変化しながら、常に天の意志を地上に表すことにあるのです。全ての人々が自らの内に眠っている神聖に目覚め、善意・愛・調和のネットワークが地球全体に広がりますように。

この先の数週間、木の花ファミリーの日々の暮らしの映像をシェアしていきます。ここでシェアされるコミュニティを基礎としたエコロジカルな暮らしが、みなさんにとって有用で、元気づける情報になるものになることを願っています。

 

これからどんな映像ができあがっていくのかは、神のみぞ知る!
これからどんな映像ができあがっていくのかは、神のみぞ知る!

 

 


生まれてきてほんとよかった!~ にちわの日記から

日和(にちわ)は先月1月に18歳になったばかりの超元気な女の子。木の花ファミリーで生まれ育ち、みんなに元気をふりまく太陽のような存在です。中学卒業後、高校には行かずに日々おやつ作りや畑作業をして過ごしていましたが、3カ月前から外でアルバイトを始めました。
先日部屋の掃除をしていて、以前いさどんとしていた「交換日記」を見つけた日和は、久しぶりにいさどんに日記を書きました。


「バイト始めて約3カ月たちました。」

今日は久々の休みで、部屋の掃除をしました。
そしたら日記が出てきたので、書きたいなと思ったので書きます。
まず、バイトをしたいと思ったきっかけは、遊ぶお金と免許のお金が欲しかったから!!
友達に誘われていい機会だなと思ったから始めました。

いざ初日、地獄でしたww
緊張と敬語が使えなくて・・・。(「315円でござる」と言ってしまった💦)
1時間でもう「やめたい」と思いましたww
夜、家に帰って、ほんとうにむりだと思って、恥ずかしいけど、泣きました。
でも次の日、プライドかなにかわからないけど、やるしかない!!と思って、とりあえず1週間がんばってみようと思いました。
そしたら、もうあっとゆう間に3カ月ww
もうほんと毎日楽しくて楽しくて、こんなに楽しく働いて、お金もらって、貯金できて、ほんと幸せすぎて嬉しさで踊りたくなるくらいww

―いさどんのコメント― 
それはあなたの性格が良いからです。自信を持ってください。

毎日楽しいから、この生活ほんとやめられないww
最初は2万円くらい稼げばいいやなんてかんがえてたけど、今じゃ8~9万円も稼いでるよ♥♥
木の花1のお金持ちww
なんでこんなに一生懸命お金貯めてるかというと、別に夢があるわけじゃないけど、もし夢ができたときにぜったい役に立つから❗️
ほんとは、いさ(いさどん)にアイス、おかしいっぱい買ってあげたい💧💧でもその気持ちはがまん!!
自分が自立することが一番。自立して、いさにいっぱいアイス買うんだ

―いさどんのコメント― 
ありがと!ありがと!ニッチー!

でもねでもね、バイトはじめてお金の大切さもわかったよ!
それと頼りにされてすごいうれしいことも。

―いさどんのコメント― 
性格がいいからでしょう。

高校にいってない私は、学歴もないし、これからほんとどうしようかなって、ずっと自分なりにいろいろ考えたときには、すごいネガティブになったけど、でも見た目や学歴ないからこそ、がんばろって思って、率先てきにいっぱい教えてもらった。
そしたら高校いってるこよりも、しっかりしてるし、ほんと頼りになるよっていわれてうれしかった♪

―いさどんのコメント― 
ワオー!

がんばればなんでもできるし、学歴なんてかんけいないんだって思った。
ほんと毎日充実してて、朝8時から木の花で仕事、バイト5時~10時まで。
つかれて帰ってきて、お風呂に入ってねる。文字にしたら、それがなにが楽しいかわからないけど、毎日充実してて、ほんと生きてるって実感わくし、毎日いろんなお客さんきて人間観察ほんと楽しい。今頃だけど、生まれてきてほんとよかった。
こんなに毎日の充実をありがとう!!ってかんじ
つかれて、ねて、おきても、今日も1日がんばろって思ってぜんぜん嫌じゃない!!
毎日毎日どんどんいろんな考えでてきて、いろんなこと覚えて考えて、どんどん大人になっていく。
日和は木の花に生まれたときから、幸せになることなんてきまってるけど、それを実感してる!!

―いさどんのコメント― 
すばらしい人生をこれからも生きて下さい。

ある意味、高校いかなくってよかった。そして木の花に生まれてきてほんとよかった。
今の生活があるのも、ここに生まれてきて自由にさせてもらってるからだね。そのおかげで毎日イキイキさせてもらってる♪この幸せみんなに分けてあげたいww
ほんとバカだけど生きててよかったって思ってるww
つらいことも楽しいことも新しいことも ぜんぶいいね♪
学歴ないしバカだし勉強きらいだから、この先不安だって思ってたけど、なんにもしらないからこそ新しいことが楽しいこと、学べることだって思って今はまえむきな気持ち。
この先真っ暗って思ってたけど、真っ黄色に変更!!
光で溢れてる。
こんどごはんいこうね♥♥

―いさどんのコメント― 
ワオ―ッ!よろしくたのむ!

生きてるってことは毎日充実してて、つかれてぐっすりねむれることだね!!
日和、布団に入って2分でねれる♪

毎月お金貯めるのが楽しみ。やっと自分の生き方わかったww
そしていさの笑顔が大好き
なにごとにも挑戦。ちゃんと毎日、日和のパワフルなエネルギー人の役にたってるよ♪

まだまだこれから!!勉強ですな!
そして部屋もきれいで心もリセットスッキリ✨
明日からがんばります

―いさどんのコメント― 
すばらしい日和の人生です。

楽しい毎日に乾杯🍷🍷

そしてロータスランド オープン ワクワク♥♥
豆乳がんばって作るぞ♪

長くなりましたがこれで終わりですww 殴り書きしてしまったw
ちゃんと日和生かされてますよ(^^)v
うまれたかぎり生かされなくてわいけませんね♪
人生なるようになる。流れていけばいいね♪

―いさどんのコメント― 
いさどんも明るくすばらしい日和に出会えて最高にしあわせです。
この日記、木の花の子供ミーティング、大人ミーティングでシェアして下さい。
みんな、よろこぶよ。

 


 

そして夕食後の子供ミーティングと大人ミーティングで、日和の日記がシェアされました。

バイトで不在の日和に代わって日記を読み上げるきょうこちゃん
バイトで不在の日和に代わって日記を読み上げるきょうこちゃん

 

みんな、とても幸せな気持ちになりました。
ありがとう、日和。