木の花ファミリー通信2018年夏至号 〜 ある世界とない世界

シリーズでお届けしている「21世紀の死生観」、第一部『死ぬってどういうこと?』に続く第二部のテーマは、『ある世界とない世界』。
私たちは宇宙を生きています。しかしまだまだ、宇宙を生きているという認識を持っていません。第二部では、この宇宙の構造をひも解き、私たち生命に必ず訪れる死について深めます。


 

 

陰と陽

私たちは日々、目に見える世界を生きています。自分自身の体を始め、あらゆるものの姿かたちを目で捉えることによって、その存在を認識します。科学に代表される現代人の思考回路は、この「見える世界」だけをすべてと捉えています。目に見える現象が起きて初めてその存在を認識し、そこに問題を感じれば、また目に見える形で解決しようとするのです。
しかし目に見えるものの奥には必ず、目には見えない存在があります。心、思い、魂 ──── それらは目で見ることはできませんが、その見えないものが、表面に現れた見えるものの本質を成しています。形のある「見える世界」を陽とするなら、形のない「見えない世界」は陰です。この「見える世界」と「見えない世界」を合わせて、ある世界(現象界=現象の起きる世界)」と言います。目に見える私たちの体も、その奥にある目には見えない魂も、どちらも「ある世界」を形成しているのです。

 
宇宙は呼吸をしている

宇宙は対向発生と言い、常に相反する二つのものによって成り立っています。天があれば地があるように、男がいれば女がいるように、必ず対となる陰陽の存在があり、互いを成り立たせ合っています。では、「ある世界」を陽とするならば、必ずそれと対になる陰の存在があるはずです。それを「ない世界(潜象界=すべての現象の源の世界)」と言います。「ある」ことが前提となっている現代の私たちの思考で、この「ない」世界を捉えることはできません。それは、あるとかないという概念すら存在しない、響きだけの世界なのです。

〈図1: 発生と消滅を繰り返す宇宙の仕組み〉 

この世界(宇宙)はもともと、何も「ない世界」でした。ところがある時、「無」から「有」が発生しました。何もなかった世界に時空が生まれ、それがどんどん膨らんで多様性が広がり、現在のような現象世界となったのです。やがてその膨らみがピークに達すると、今度は徐々に収縮していき、いずれ無へと収束します。即ち、「ない世界」へ還るのです。
この発生から消滅までのプロセスを、宇宙は無限にくり返しています。それは宇宙の大いなる呼吸です。気の遠くなるような壮大なスケールで、宇宙は悠々と呼吸をし、すべての生命はその中を生きています。そして私たち自身の命もまた、宇宙と同じ仕組みによって成り立っているのです。

私たちのDNAの中に、宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が眠っています。そこに、これから人類が宇宙的進化を遂げる大いなるヒントが秘められているのです。

 


 
宇 宙 の の 物 語  

もしも私たちが、目に見える世界だけをこの世界のすべてと捉えたら、誕生は始まりであり、死は終わりであると思うことでしょう。しかし事実、この世界はそのような単純な仕組みにはなっていません。「見える世界」と「見えない世界」を合わせた「ある世界」、そしてそれらの源である「ない世界」が立体的に折り重なる多重構造の世界を、私たちは時の流れと共に、ある時は肉体を持ち、ある時は魂だけの存在として、そしてまたある時には宇宙の最極小微粒子へと姿を変えながら、永遠の旅を続けています。それは、大いなる宇宙の呼吸の中で紡がれていく、命の物語です。

 
ある魂の変遷を見てみよう

ある魂が、肉体を持ち、人間として地球に生まれました。そこは「見える世界」です。魂は、魂だけの状態では自分がどのようなものであるかを認識することはできませんが、ひとたび肉体を持って地球に降り立つと、様々な現象に出会います。そこでは、姿かたちや生まれる環境の設定から、日常の中で出会う出来事の一つひとつまでが自分自身にふさわしく起こり、魂はそれらの現象を通して、自身がどのようなものであるのかを知っていきます。人生とは、まるで鏡のように自身の姿を正確に映し出してくれる「見える世界」の中で自らを知り、その自らを進化させていくことなのです。

やがて人生のサイクルが終わりを迎えると、魂は肉体を離れます。これが死です。それまで魂によって束ねられていた肉体の構成物質は原子レベルに解体し、地球生態系の循環の中で次なるものの原料となっていきます。一方魂は、自らの精神レベルにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。そこは、「見えない世界」です。地上を生きている間にどれだけ成長したかによって、「見えない世界」の高次の位置に還るものもいれば、地獄のような低次の位置に陥るものもいます。そしてどれだけかの期間が過ぎると、また肉体を持って地上に降り立ち、「見える世界」で次の人生をスタートさせるのです。

過去から未来へと一方通行に向かう時の流れに沿い、魂は「見える」「見えない」「見える」「見えない」と二つの世界の中をらせんを描いて進みながら、輪廻転生をくり返します。それは例えるなら、食べ物が体の中に入るようなものです。食べ物は、目に見えます。それを私たちが食べ、体の中に入れば見えなくなります。しかしその見えなくなった食べ物は、エネルギーとして目に見える私たちの体を動かします。やがて体から排せつされれば、形を変えて再び目に見えるようになります。見えても見えなくても、それは確実に存在し続け、「ある世界」の中を循環しているのです。

〈図2: 魂の輪廻転生の仕組み〉
宇宙(図1)の中に、無数の魂(図2)が発生と消滅をくり返しながら存在している
魂が「ある世界」の中を循環している間も、命の源のエネルギーは常に「ある世界」と「ない世界」を循環し、新鮮な生命力を与え続けている。*詳しくは「21世紀の死生観・第一部」をご覧ください。

 
巨大な生命の中のひとつの軌跡

肉体を持った一つひとつの人生に寿命があるように、魂にもまた寿命があります。それは言わば、魂の賞味期限です。たくさんの人生を通して進化し、十分に学んだ魂は、賞味期限が来て寿命を迎えると、宇宙最極小微粒子となり、「ある世界」の源である「ない世界」へと還っていきます。宇宙最極小微粒子とは、原子よりも素粒子よりもはるかに微細な、現代の科学では感知することのできない宇宙の最小単位であり、この世界のあらゆる存在の原料となるものです。
宇宙の最小単位となって「ない世界」へ還ることで、その魂の物語は終焉を迎えます。しかし、宇宙が発生、消滅、また発生というプロセスを無限にくり返しているように、ある魂の物語の終焉は、次の物語の始まりでもあるのです。この終わりと始まりの重なる地点は時の流れの上のほんの一点でもあり、「ない世界」ですから永遠であるとも言えます。そして、それら一つひとつの魂の物語の軌跡が、宇宙という巨大な生命に刻まれていくのです。

           

 
「思い」は「重い」

では、魂はどのように進化の道をたどるのでしょう。
魂が進化できるのは、肉体を持って「見える世界」を生きる、人生の間だけです。しかしそこで目に見えるものばかりに囚われていると、地上に降りてきた真の目的に目覚めることはできません。一生懸命勉強をして優秀な成績を取り、社会的地位のある職に就いてたくさんお金を稼ぎ立派な家や車を買い、欲しいものは何でも手に入れて大満足の人生だと思ったとします。それが現代の多くの人間にとってのステータスです。ところがそれを霊的な目で観れば、自我が膨らんだだけなのです。
魂は、肉体を持って生きている間は肉体の重みによって地上につなぎとめられています。しかし肉体を離れれば質量を失い、何も地上に執着がなければスーッと上へ昇り、本住の地である異次元宇宙、即ち天へと還るのです。ところが、これは自分のもの、あれも自分のものと自我を膨らませてたくさんのものを抱えていると、その囚われの思いが重りとなり、肉体を離れても上へ上がることができません。極端になると輪廻もできなくなり、思いがどんどん重くなって地中のマグマまで堕ちていき、火に焼かれて宇宙の最極小微粒子へと解体され、存在そのものをリセットされる場合もあるのです。

 
あなたを裁くのはあなた自身

生きている間にどれだけ自分自身を磨いたか。人間として地上にいる間は様々なレベルの魂たちが一堂に会していますが、肉体を離れるとそれぞれにふさわしい異次元宇宙に分類され、異なるレベルの魂同士が交流することはありません。逆に言うと、地球はそれだけ多様性に富んだ場所だということです。
地上での学びを終え、ふさわしい位置へ還った魂たちは、前世での結果を元に次の人生のプログラムを組みます。例えば前世で戦争をしたとしたら、次の人生では相手の国に生まれることもあります。今自分が敵として憎み戦っている相手は、実は前世の自分の子孫だということもあり得るのです。
プログラムにはそれぞれに固有の寿命も組み込まれますが、地上に生まれる時にはその記憶の一切を消されます。なぜなら、先に答えを知ってしまっては時を越えて思考するようになり、生きる意味を悟る機会がなくなるからです。現象界を生きるとは、時と共に旅をしているということです。過去に囚われるでも未来を決めつけるでもなく、瞬間、瞬間の「今」を生き、その時々に出会う出来事を頂きながら、自らがどのような響きを発しているかを知り、変化していく。それが生きる意味です。
そして、たとえ過去の記憶が消されても、その履歴はすべて魂に刻まれています。肉体の解体と共に物理的DNAは消滅しますが、その瞬間、瞬間、自分が何をしたかということはすべて霊的DNAに刻まれ、その集積が今現在のあなたを創っているのです。生きている間にどれほど美しく着飾り、高い地位を得て世の中から評価されたとしても、死んで肉体から抜け出したとたん、あなたの魂の真の実態が明らかになります。その時にあなたを裁くのは、他でもない、あなた自身です。なぜならあなたは、あなたの人生に寄り添いすべてを確認してきた存在であり、だからこそごまかすことができないからです。そしてそこに汚れが刻まれていれば、来世のプログラムは、その汚れを反映してスタートするのです。

 
宇宙の総意に沿う、大樹の   

地上に生まれる時、魂は単独でプログラムを組むのではありません。魂たちは常に、この世界と協議をしています。
長い長い時の流れの中で、無数の魂たちが地上に降り立ち、その時代、その時代にふさわしい役割を果たしては旅立っていきました。魂たちは輪廻転生をくり返して自らの歩みを刻みながら、同時に世界の側から、時代を表現することを託されているのです。無数の魂たちの一つひとつに、後にも先にも二つとない、オリジナルな役割が託されています。魂たちは時代という巨大な生命の一部として、今この瞬間も、はるか昔からずっと続いてきた宇宙物語を紡ぎ続けているのです。
時の流れをさかのぼっていけば、宇宙の始まり(=終わり)に行きつきます。反対に、先へ進んでいけば宇宙の終わり(=始まり)に行きつきます。この、宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が、私たちの魂の霊的DNAの中に眠っているのです。
それを目覚めさせるのに、思考する必要はありません。ただ「自分」という囚われ、即ち自我を手放せば、その気付きは自ずと湧き出してくるのです。なぜなら私たちはもともと、宇宙の一部だからです。人間の体の細胞一つひとつに全身の情報がインプットされているように、私たちの魂にも全宇宙の情報が刻まれています。そして、私たちが自らの歩みを魂に刻んでいくことは、宇宙に刻んでいくことであり、私たちの魂が進化することは、宇宙そのものを進化させることなのです。
魂が進化した時、そこには美しい生命の花が咲くことでしょう。それは、ただ一輪の花ではありません。それは無数のつぼみを持つ、巨大な生命の大樹の花です。あなたがその中の一つであることを感じながら、あなただけのオリジナルな花を存分に咲かせ、他のたくさんの花々とネットワークした時、それは巨大で美しい、宇宙の総意に沿った満開の大樹となるでしょう。

 

 


 

死んだらまっすぐに

の方へ向かいなさい

今、地球上にはたくさんの問題が起きています。その原因は、人々の心の汚れにあります。輪廻を通して魂を磨くことを忘れ、汚れを積み重ねてきた結果、人間は様々な問題を地上にもたらすようになりました。そこで今回は皆さんへ、死ぬ時の心構えについてお伝えします。

 
地球のカルマ

魂は、肉体が死を迎えると昇天します。昇天とは、天に昇ることです。死を迎え、魂と肉体が離れると、肉体という質量がなくなり、魂は自ずと天へ昇っていきます。この時、汚れた魂はたくさんの執着を抱えており、それが重りとなって上へ昇ることができません。そして霧のように地上に漂うことになるのです。
それでも実際には肉体がありませんから、徐々に上へ上がっていきます。ところが上へ上がったとしても、執着の多い魂は物質世界に留まり続けることになり、天へ還れないまま大気圏の外側を漂い続けるのです。地球は物理的には青くて白い雲が漂う美しい星ですが、霊的に現在の地球を観ると、肉体を失いながらも三次元世界を離れられない魂たちに覆われ、灰色になっています。そしてその囚われた魂たちの響きが、地球に降りてくるのです。それが今の地球上の人間たちの目覚めを遅らせています。

では、私たちは死を迎えた時に、どうしたらいいのでしょう。

死を迎え肉体から抜け出した魂は、少し上からその肉体を見ます。そこで自らの命に執着があると、肉体を見続けることになります。つまり下を見ているということです。あるいは、あれが欲しい、これがしたい、と物や予定をたくさん抱えていても、そちらに気を取られて地上を見ることになります。現代は、あれもこれもと自我の欲望をふくらませ、魂を汚していくことが魅力的に思われている時代なのです。
けれども、自らが死んだことを悟ったら、まず上を見てください。すると必ず、光が見えます。そこがあなたの向かうべき方向です。その時に、残していくものについては一切考えず、ただ真っ直ぐに、光へ向かうのです。そうすれば必ず昇天します。そこではお葬式も、お坊さんのお経も必要がありません。囚われを捨て、ただ真っ直ぐに光へ向かう。それだけで本住の地へと還ることができるのです。
これは、地球を霊的に汚さないという意味でも、とても大切なことです。私たち人間は今、地球を目に見える形で汚染しているだけでなく、見えないところでも汚し続けています。そしてそれが、地球のカルマとなっていくのです。ですからどうぞ、このことをいつも心に留めていてください。なぜなら死は、誰もに必ず訪れるものであり、それは明日かもしれないのです。

 
暗闇の中のひとすじの

地球の周りを覆っているのは、人間たちの魂だけではありません。人間によって命を奪われた動物たちの魂もまた、灰色の霊的なもやとなり地球を覆っています。私たち人間が食べるための肉として、日々おびただしい数の動物たちが殺されています。殺される瞬間の動物たちの恐怖は、大変なものです。動物たちは悲鳴を上げ、恐怖の響きを響かせながら命を奪われ、その響きの入った肉を私たちは日々食べています。

自然界でライオンがシマウマを食べるのは、命の循環です。シマウマの命はライオンに受け継がれ、その魂は何の未練もなく昇天します。しかし人間が欲望のまま貪り食うために殺された動物たちの魂は、昇天できずに地球を覆い、今も恐怖の響きを響かせています。その響きは地上の霊的汚染に大きな影響をもたらし、現代は人間が目覚めることがとても難しい時代になりました。だからこそ、そのような迷える魂を出さない生き方を日々心がけていくことが大切です。その積み重ねの結果、いつか自らが死を迎えた時にも、地上に囚われることなく潔く旅立てるのです。

今の地球は、霊的には闇の時代です。人々はまだ、目を覚ましていません。しかしその中で、ほんの一握りでも目覚め始める人たちがいれば、それは暗闇の一筋の光となるのです。闇の中では、ほんの少しの光でも、とてもよく見えます。それはどこか遠くにいる人々にとっても、きっと道しるべとなるでしょう。

目覚めた人から、自分一人分この世界をきれいにする。その動きが広がり、地球がその美しいハーモニーに包まれたなら、世界はたちどころに美しくなり、地球も本来の輝きを取り戻すのです。

 

 

 


人生は、魂を美しくするためにある ──────
では、「美しい」とはどういうことなのでしょう? 21世紀の死生観・第三部(2018年秋分発行)では、生命の真の美しさとは何かをひも解きます!


 

21世紀の死生観についてさらに深く知りたい方は、1ヶ月間の真学校ブログをご覧ください。→ 1ヶ月間の真学校ブログ『21世紀の死生観』

 *1ヶ月間の真学校は、1ヶ月間木の花ファミリーに滞在しながら、「自分」という囚われを外し、既存の価値観を超えて世界観を大きく広げ、様々な切り口から21世紀の人類の生き方を実践的に学ぶプログラムです。ただ今、2019年受講生を募集しています。詳しくはちら

 

 


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