この秋、0歳のこうたろうくんを連れて木の花ファミリーのすぐ近所に引っ越してきたやすこちゃんとけーごくん夫妻。二人はこれまでもたびたびファミリーを訪れたり出張木の花塾を主催したりしていましたが、大事な生き方を実践していこう!ということで富士宮へやって来たのでした。
ここに来た当初のこうたろうくんは、まさに怪獣!アトピーをかきむしりながらひまわり中に響き渡る声でわんわんと泣き叫んでいましたが、ひとたび木の花に預けられて両親と離れると、すーっと穏かに。が、両親が帰って来る気配を察知するやいなや、再び怪獣化するのでした。
その様子をみていたいさどんは、やすこちゃん夫妻と面談をしました。そしてその夜の大人ミーティングで、やすこちゃんは自分が気付いたことを文章にまとめ、みんなにシェアしてくれました。
■ ■ ■ ■ ■ ■
今日からしっかりと、やっていく。
愛をもって。
愛って、自分のためとか、我とか欲とか情をなしにして、ただ本当に相手を思うこと。そういう行動をしていくこと。
たとえば子供がかまってほしくて泣いている、注目してほしくて泣いている、いわゆるわがまま泣きをしていたとする。
そこで「あ~はいはい」と抱っこしてあげる。
子供はそうすればかまってもらえると学ぶ。
抱っこでも泣き止まないこともある。おもちゃで気をそらせたりおせんべいあげたり、親は手を変え品を変え。
そこでも子供は学ぶ。泣けばこんな風にしてもらえるんだー
してほしい時は泣けばいいんだーー
わがまま泣きだから放っておこうとする。そのうち泣き止むだろうと様子を見ていると一向に泣き止む気配はなく、ますます強く泣く。そこで心配になって折れてごめんねと抱っこしてしまう。そうすると子供はそこでまた学び、次回はもっともっと強く泣く。
泣いているのがかわいそうだからと、常に相手にし、面倒を見ていると、どんどん子供は王さまになっていき、子供主体の家庭となっていく。
外に出掛けたとき、誰かと会っているとき、子供は母親に、意識を自分に向けてほしくてぐずったりする。状況がいつもと違うのですぐ抱っこしてもらえなかったり自分を優先されないと、いつもと違うのでさらに泣く。
いつもコテコテにお世話してる分、外でもいつものコテコテをしないと子供は大泣きする。
人見知り、寂しい泣き、かまって泣き
どんどん扱いにくい子になっていく。
これらはすべて、親が原因。親の柱のない子育ての被害者で、役割として全力であらわしてくれる。
泣くことだけじゃなくて、キィーと叫んだり、掻いたり、アトピーもそう。
表面上の状態を見てかわいそう、と思うのは大きな間違いで、その状態をやらせているのは自分だということ。本当に申し訳ないこと。
ではどうしたらいいか??
本当に必要なお世話をきっちりする。
そのために子供が本当に求めていることを見極める。
おむつなのかお腹すいたのか不快なことがあるのか眠いのか。
知識ばかり頭に詰め込むのではなく、よく見ることをしなければいけない。知識やいろんな情報は直観をにぶらせ、本当がわからなくなる。
また、泣いてるから取り合えずおっぱい、も、本当がわからなくなる。おっぱい依存にもなりやすい。
愛情ではなく、愛で。
情は余計なもので、「かわいそう」とは、自分の我。
子供が扱いにくいと感じたら自分をチェックする。欲や情でやってはいないかと。子供はいつでも親の鏡だから。
私の場合、こーたろがかゆいからかかせないようにいっぱい甘えさせたりおっぱいあげたり、寝かせたいから飲ませたり、自分本意でかわいがったり放置したり、考えると、こーたろのためじゃなくて自分のためにしてることがたっくさんあった。
それが本当に情けなくて、そんな適当なことしてきたから今こーたろが全力で教えるはめになってるんだなーって思ったら涙が止まらなかった
だからこれから本当に愛をもって、初めて真剣にこーたろのこと見て行動しよう、というところ。
■ ■ ■ ■ ■ ■
この文章を読み上げた後、やすこちゃんは言いました。
「今は、こういう気持ちでこうたろうと接しています。
こうたろうを預けて木の花で農作業ヘルパーをしながら、いろんな人と話しました。みんなが自分の子育ての体験を教えてくれて励みになったと同時に、今の状況を問題だと気付かなかったら、自分勝手な子育てを続けていたんだなと思うと、すごく恐ろしいことだと思いました。こうたろうが小さいうちにそれがわかって、本当にありがたかったです。
自分でやりたい、というこうたろうへの執着があることにも気付けました。
今は、ここに預けているとこうたろうも調子がいいし、自分も充実していて、お互いにとっていい時間を過ごせていると思います。」
けーごくんも、
「自分がこうたろうややすこちゃんを所有していることに気付いた。富士宮に引っ越してきたのは、自分と向き合って変化して、大事な生き方をしていくと決めたから。これからは大事なことを一番にして生活していきます。」
とコメント。
その後、いさどんは次のように語りました。
少し前の時代をつくっていた人たちは、物理的思考が強く、形に翻弄されて生きてきました。でも若い人たちは、もっと目に見えない世界を感じています。
今までの社会がやってきた、ものごとを形に現していくことは、目に見えるのでわかりやすいですね。自分の中の能力を駆使しなくても、問題ごとが明快にわかる。
ところが問題ごとというのは、目に見えて明快にわかるようになるずーっと以前から、その奥で確実に種を育てて来ていたのです。その段階を観ず、形に現れてからしかものごとを見ないので、結局捉え方が浅くなります。
こうたろうくんの話も、突然アトピーができたわけではありません。おぎゃあと生まれてお母さんが最初に抱っこしたその感覚や、おっぱいをあげた感覚、もっといえば妊娠中の生活やそのもっと以前から蓄積されてきた情報がすべてがインプットされて、それをもとに自分の役割を自覚して生まれて来ているのです。親はそこに至るまでの元の部分を観ずに、今現れている問題ごとだけを見て「何でこんな子になっちゃったんだろう」と言いますが、それはそれまでの自分の歩みの結果であり、プロセスなのです。
そうやって親が与える物理的環境と共に、もう一つ、時代的な環境というものがあります。
この世界に生まれた生命は、宇宙の星々や太陽と連動し、それらが表す壮大な時代の流れを地球上に表現しています。現在は宇宙的にも大きなターニングポイントにあり、新しい生命たちはとても大きな使命の元に地球に降りて来ているのです。そういった大きな視点から観れば、今目の前で子どもが表現していることの意味がわかるようになるでしょう。
今の時代に生きる僕たちは、鎌倉時代や江戸時代のことはわからないと言うかもしれませんが、実はわかるんですよ。だって、その時代の延長線上に今の生活があるわけですから、実体験としては知らなくても、今の生活を観れば過去のこともわかるのです。
昔の人はそのまっただ中にいて翻弄されていますから、ものが観えていませんでした。しかし現代を生きる我々は、そういった目を持つことができるのです。
ですから、やすこちゃんとこうたろうくんのことも、下手な子育て本よりもはるかに大事なことを語っています。そういう目線を持つことは本当に大事なことです。
家族を想うのは大切なことで、否定することではありません。当たり前の第一反応としてある感情だということです。けれどもその奥に何があるかということを観ないと、せっかくのその大切な第一反応が、周りに害をもたらすことになります。家族を大事にするのは大切なことで、いいつもりでやっているけれど、その結果どのような子どもが育っていくのか。どのような社会が出来上がっていくのか。
だから、もう一つの目線を育てなければいけないのです。
それが観えるようになることが目標です。
それが観えていくとどうなるかというと、人が集まれば集まるほど、豊かな世界ができるのです。