みのるん物語2 〜 善意のヒビキ

自然療法プログラムを受けてから、
1週間が経ったみのるん。

いさどんとの面談が行われ、
その中でいさどんはみのるんにこう伝えた。

「あなたの日記には、
辛いという内容が多いけれど、
それが、辛かったなあ、なつかしいなあ、
と言えるようになればいいわけだよね。

無理にそうしたらいけないけれど、
将来、そうなるのが目標だね。

物事は善意に捉えないと、
善意の出来事は現れてこない。

悪意に捉えていたら、
自分のやることがいつも苦痛を生むことにもなっていく。

だから、
常に善意に捉える努力をするということだね。」

そこで、
みのるんはいさどんにこう質問した。

「たとえば、
タバコを吸ったとしても、
これは自分のリラックスのためだ!と
捉えることが善意で捉えるということですか?

僕はタバコは吸いませんけど・・・」

そんなみのるんに、
いさどんは次のように語った。
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 

それはね、
自分のやっている行為を正当化するための口実になるだけで、
善意にはならないんだよね(笑)。

たとえば、
タバコを吸う行為というのは、
結果として自分に毒を入れるわけだよね。

毒を入れたら、
その結果、何らかの形で自分にその毒を入れた分だけの矛盾が
発生して、与えられるわけだよ。

そうすると、
当然のごとく、
悪い行いをしたら悪いことが起きる。

タバコをただ吸いたいからといって、
素直にそうしていたら、
それは中身を全く吟味せず、
自らの欲望を正当化する行為だから、
それは善意で行っているのではなく、
結果として苦痛が自分に跳ね返ってくるということだよ。

つまり、
善意に捉えるということは、
自分にとって有益に働くということを言っているんだよ。

たとえば、
悪いことをすれば、
それが発覚して、
罪を問われるとか。

これも、救済でしょう?

悪いことをして、
それが発覚しなければ、
ずっとやり続けることになって、
自分がそういった人になってしまうからね。

そうすると、
結果として苦痛が起きるということは、
自分からその行為を取ってくれるための出来事だと捉える。

つまり、
自分にとって有益なことにつながることを
常に考えていくことが大切なんだよ。
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 

いさどんの話を真剣に食い入るように聞いていたみのるんは、
そこでいさどんにこう質問した。

「僕のアトピーが発症したのは、
たとえば心の使い方や生活習慣を正してくれるということですよね?」

そして、
いさどんはこう続けた。
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 

そうなんだよ。

アトピーが発症したのは、
まず、あなたにアトピー体質という種があるということ。

それは、
遺伝的なものであったり、
後天的なものであったり。

それを現してくれているということで、
自らを見直す良いチャンスであると同時に、
今の状態になっているということは、
中からとてつもないエネルギーが噴き出しているということなんだよ!

ということは、
自分が生きているということなんだよ。

それは、
まだ生きていなさい、ということ。

それだけ、
パワーがあるのだから。

これが、
外へ排泄しなくなったら、
中に毒がたまるから、
もしかしたら死になさい、という可能性もある。

痛いということは、
いのちがある証だからね。

死を迎えるときになると、
痛みは消えていくものなんだよ。

だから、
火であぶられているときに、
いのちがまだ継続するときは熱いのだけれど、
これでいのちが終わる、というときには、
それほど熱さは感じずに死んでいくと言われる。

体は反応するからもがくけれど、
本人としては、
ああ、死ぬんだなあ、という感じになっていく。

だから、
あなたは生きなさい、ということだよ。

生きなさいということは、
その症状をもらって生きなさいということではなく、
種があるのだから、
それを改善して生きなさい、ということだよ。

あなたにはまだそれだけの強い生命力がありますよ、
という証だからね。

それなら、
健康になって生きましょう、という考え方だと、
善意だと思わない?

ひとりよがりと、
本当の善意は違うからね。

本当の善意は、
確実に自分のレベルをひとつずつ上げてくれるものなんだよ。
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 

面談の最後に、
みのるんはいさどんにこう問いかけた。

「いさどんを見ていると、
いつもにこにこしていて、
子供たちはいさどんにわーっと寄ってきて、
すごく幸せそうで・・・

それは、
経験がもたらすものなのでしょうか?」

そこで、
いさどんはこう答えた。
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 

面白いことはね、
あなたもじっくり観ていてほしいのだけれど、
僕という人間はとてもエネルギッシュで、
しかもそのエネルギッシュは単なるパワーだけではないから、
それが人の癒しにもなって、
生きがいにもなるんだよ。

だけど逆にね、
心の組み立て方が間違っている人にとっては、
くやしくってさ、
嫉妬の対象にもなるんだよ。

だから僕は、
結構逆恨みされたりするんだよ。

そこをよく観ないといけない。

つまり、
逆恨みされるということはどういうことかというと、
キリストが人間の罪を全て背負って死んでいったことと
同じなんだよ。

真実を生きるということは、
法に沿って生きること。

法というのは本来それを守るためにあるのだけど、
なぜ法があるのかというと、
守らないから法があるんだよ。

人々がほとんど守らないから法ができる。

そして、
守らないものにとっては、
法が敵なんだよ。

だから、
法に沿って生きる僕のような人間は、
逆恨みされることになる。

法に沿った道を歩むということは、
そういったことが起きるということでもあるんだよ。

それは法難と言ってね。

日蓮さんでもそうだったように、
いろいろな人が法難に遭っているんだよね。

そこで、
法難は何かと言うと、
「えらい目に遭ってたいへんだね!」ということではないんだよ。

それはね、
真実を生きるこころを育ててくれるのだから、
とてもありがたいことなんだよ♪

抵抗があればあるほど、
正しいことを生きる意識が強くなって、
真っ直ぐ歩める。

法があっても、
みんなが見向きもしなかったら、
何のための法なんだろう?ということになるよね(チーン♪)

そうしたら法は、
「僕のことを見てくれよ!」と言わないといけなくなるよ。

でもね、
そんなことはないんだよ。

法というのは、
必ず、みんなが求めるものだから。

そうすると、
法があるということは、
そこに沿わないといけないのに、
外れているものがいるから、
法があるんだよ。

そして、
法から外れているものは
逆恨みすることがあるんだよ。

そうやって人は、
自らの価値判断のできるところで
善悪を判断するから、
自分を超えて成長することができないんだよ。

そして、
そういった攻撃を受けることによって、
これは大事なことであり、
そのくらい人がわからない道だから、
この道を歩むこころを強くしてくれる。

だから、
法難の背景にも、
「善意」が隠れているんだよ。

そういった捉え方ができるんだよ♪
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 

初めて耳にする話に衝撃を受けながら、
でも同時に、
いさどんの語る内容には道理が通っていることを感じ、
少しずつこころが楽になっていくみのるん。

最後の最後に、
おそるおそるみのるんはいさどんにこう伝えた。

「わたしが懸念するのは、
過去の歴史から言えばキリストが殺されたりしていますし、
実際にいさどんのような方がいると迷惑な方がいると思うのです。

もしかしたらいさどんの言動をチェックしている人たちもいるかもしれませんので、
少し注意されたほうがいいのではないかと思うのですが・・・」

そして、
いさどんはそんなみのるんにこう語った。
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 

それはね、
いわばみのるん流のアレルギー反応的解釈だと思うのだけど、
そのことによって最悪のことを考えてみてください。

たとえば、
そのことによる最悪のシナリオは、
キリストが処刑されたこと。

でも、
あの処刑されたことによって、
後の人々はそれが彼の本当の価値なのだと
感じたと思うんだよ。

それはいのちを懸けて、
真実を語ったということだからね。

その境地にまで到達することが大切で、
死に方よりも、
生きた中身が何であったのか、
そしてどこの位置に意識が到達していたのか、
ということがその人の価値になるからね。

そして、
その評価は、
観る人によって全く変わるのだから。

それからね、
死ぬということは、
本当の解放・喜びなんだよ。

最悪が喜びであったら、
他のことは何でもいい話だよね。

それに、
みのるんは結果を所有しているから
そのような発想になるのだけど、
結果は行ってみないとわからないのだから、
自分で考えることではないんだよ。

これは、
時代が紡いでいくことであり、
天の意志であって、
宇宙物語なのだから。

しかも、
自らのカルマで死ぬのではなく、
自らに湧いてきたことをこんなふうに正直に伝えたことによって、
もしいのちを絶たれたら、
こんなに名誉なことはない。

向こうへ行ったら、
もう完全にスタンディングオベーションされるよ!

あのひどいところで筋を通すなんて!!ってね♪

僕は、
そういう仲間がいることを知っているんだよ。
 
 
 
 


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