新メンバー、かまちゃん

田んぼ隊のかまちゃんは、先月メンバーになったばかり。1年前に木の花と出会って以来数々のイベントに参加してきて、そのたびに「反省メール」と称するふり返りのメールで独特の“かまちゃん節”を披露し、EDE受講の際の自己紹介プレゼンでは史上初のスタンディングオベーションをゲット。そんなかまちゃんより、メンバーになって1ヶ月を経た「今」をお届けします!

かまちゃん
かまちゃん

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『昨年の7月2日に【木の花ファミリー】を初訪問し、一年後の7月1日に《仮メンバー宣言》をしました“かまちゃん”です。この一年間は、月に一度は「木の花…」に通い、殆どのイベントには参加し、農作業ヘルパー滞在やEDEも受講しました。そして今現在は引越していて“田んぼ隊”の一員として野良仕事に明け暮れています。恐らくこのイベントが最後になると思いますが、また皆様に会える様「木の花…」でお待ちして居ります。宜しくお願いします。』

これは、7月5日に開催された「出張木の花塾」昼食の際に自己紹介をした概要です。

でも実際は、一体どうだったか?『えーっと⁉えーっと⁉…』を10回位連呼して上手く話せず恥ずかしい思いをしました。
参加人数の都合上、一人30秒の制限を与えられたプレッシャーに負けてしまったのか。結構大きなスペースで話していると、とても静かだったから緊張して調子を外してしまったらしい。

週刊誌の話題を取り上げた前回のブログ(6月10日)の続きみたいな部分もあると思いますが、斬新奇抜なメンバーの生コメントに触発された私が目醒め、《メンバーへの道》のスタートラインを確かめる為に“いさどん”面談に踏み切った事で、この時期この場に及んでメンバー志願した経緯についてブログにしてみませんか?と折り返し“いさどん”から提案されましたので執筆して居ります。

5月の農作業ヘルパーから帰宅した時の率直な感想は『…駄目だこりゃ⁈』
相変わらず世間の風潮に盲目的な家族や、従順過ぎる職場等に於いて、変わり映えの可能性が全く感じられない、長年放置された無防備で閑散とした現実が目前にあり、そこから回避する唯一の方法が何時の間にか「木の花…」を意識し慕い続ける事で自分を慰めてきた事を改めて認識させられた。
ある意味これは、とても良質なマインドコントロールだったのだ。

週刊誌の件でコメントをされた皆様に、私自身でも気が点かなかったスイッチを入れて頂いたことが、あらゆる無実の幻想を退き、忘れていた課題に取り組む切っ掛けを提供して下さいました。もし、週刊誌への熱い反応が無かったとしたら、私は未だに放浪生活で慢心していただろう。

殆ど無一文に近い状態で相談した後、梅雨空の下で、至急の断捨離と身辺整理に追われて、ゴリ押しで「木の花…」入りしたのが丁度一年後だったのには、鳥肌が立ちそうだ⁉

まるで忘れた頃に天変地異に襲われて、必死に最低限の支度を済ませるようだ。
今迄の《ありえないこと》をしてきた流れから来ている事ではありますが、こんな訳の解らん余裕の無いスケジュールに仕立てたのは、他でもない自分自身なのだから仕方が無い。

あれがやりたい‼これがやりたい‼等の欲望や願望は一旦封印しなければ、絶えず千変万化し続ける「木の花…」の活動には参加出来ない。
たった2週間程度で、断捨離をし乍ら続々と発掘される長年に於いて蓄積された《思い出》を整理する作業は予想以上に難関でした。

そして、7月1日に富士宮市民になりました。

この目に見えない《時の流れ》に逆らえない自分とは一体何様なのだろうか⁉
ホンマに摩訶不思議です。

“自給自足”や”田舎暮らし”に関心があり、『ひとり農業』に憧れていたりと淡々と過ごしてきましたが、結局は全てが中途半端で何も形に出来ず、多種多様な情報に翻弄され続けいただけの毎日にウンザリしていた。

富士山の麓で【大家族】が自給自足の生活をしているとは何ぞや⁉から始まって、私自身は日々「木の花…」のメンバーとして認識されながら今日に至り、先ず「木の花…」って、どんな処だろう⁈と毎日思います。
それは色々とありますが、その思い当たる一つ一つのキーワードから考えても悩んでも、ハッキリとした答えは未だに出せない。

でも、あるといえば有ります。
唯一『お金の心配をしなくても、暮らしていけること』です。
私は農作業を主な仕事としていますから、起床してから”お金”を見ず触わる事もなく疲れて寝ている繰り返し。要するに、「木の花…」は『財布一つ』が経済の基本なので、財務担当者や物資を調達する時以外は外出する時に財布を持ち歩かない。長期滞在してみて、赤子から御年配の人達が、ひとつ屋根の下で美味しい食事をしている空間で和んでいると、帰る頃まで自然と無意識に”お金”の存在を忘れていた事に驚きます。
やっぱりコレって何か変ですよね⁉
でも私は、今時の若い世代や女性達から、これからは益々大ウケして社会的に見直される筈と目論んでいます。

その反面、お金の心配をしなくなると、何かポッカリと穴が空いた様な、無重力で不安定な感覚に襲われるスランプ期が訪れて、本格的に場慣れする迄は少々時間が掛かると思います。ですから、HPや批評を閲覧して、個々に想像や妄想を巧みに模索しているだけでは「木の花…」を知る事は到底無理であります。矢張り『百聞は一見に如かず』で、実際に体験し体感しなくては…

そして「木の花…」で生活をする時間の中で、何を思い考え悩んだりするのか?
この時の流れを感じながら“こころ”の動きを絶えず味わう事を《学び》の一環ともしているのです。

“こころ”は《ことば》に変換され、この肉体を通じて表現し合い、様々な人間模様を展開し続けている。
私の場合は、もう半生を終えている様なものですから、残された時間の過ごし方を意識し乍ら生活してみるのも一考かな?位な事は感じ始めています。

後悔しても始まらない。結果として”世渡り”が下手で、必要性を全く感じられない、無意味で無駄な苦労ばかりしてきた不器用さの御蔭で、歳相当の器量も身に付ける事が出来なかった為に、年下や女性達に軽視されやすい矮小な自分だったと査定できる。知らず知らずに蓄積していた癖が災いして、次第に受け答えも悪くなり、自らチャンスを逃して、よい運気に乗り遅れて、貧富の差を思い知らされて、自分の出児を呪っても何の解決にも成らない。

特に【性】について意識させられる場面では、腑が煮え繰り返る思いをした事もある。
果てしなく続くオアシスのない砂漠の光景で、【カタカムナ学】でいう処の《潜象界》の出入口で、まるで手招きしている蜃気楼の様なタイプの女性が多くて、語れる程の事は真っ新無いから、唯でさえも無口な性格なので話題に挙げる事も出来ず、その興味深い会話に入れなくて次第に陰鬱になり、その場に居られなくなる有様を客観的に〔意気地無し‼〕と誤解されてしまう。

『何故、この世で明日を迎えるのだろう…』あっという間に一日を終えてしまう。

何処から見ても私よりは恵まれていて見劣りしない筈なのに、「困ってます‼」と訴える様にやって来る”変わり者”は相変わらず後を耐えないが、こんなどうでもよいどう仕様もない人達が入れ替わり立ち代わり四六時中と身近に居られては困るのは私の方なんだけど、要するに惨めな〔共倒れ〕の結末を迎える事は予想が付くから、早く止めて呉れ。

余りに何も無さ過ぎて…人としての《欲望》に関する美味しい処は殆ど呉れてやった筈なのに、皆様には何の御不満があり、高齢化少子化は益々進み、どうして世は静かに治まらないのだろうか⁈こんな毎日で、「楽しい…気持ちいい…」を知れずして、一体何を語れるのだろう⁈

何の御縁で此処までやって来たのか。
“精神的在家出家者”と自負して、「木の花…」を最後の学び舎と意識してみると、深々と反省させられます。

そこで「木の花…」では、私の様に困り果てて疲弊している〔ケア対象〕に属する人達にも十分な配慮がされていて、出来る限りのサポートをして下さいます。
そして、“いさどん”が提供している稀有なアドバイスや、最近では【カタカムナ学】の勉強会を月一で設けたりと、様々なイベント等で一般の方々にも公開されているメソッドを通じて、メンバーの有無に関わらず《自分を知る》ことから相手を思いやり、絶えず循環されるコミニティーの《場創り》について絶えず意識し続ける事を、私の場合は“女性達”から考えさせられています。

夏季は、まだ涼しい早朝に仕事が捗ります。
これを逃すと、無事に炎天下の作業を乗り越えるのは少々難しいかな。
そして『梅干し』の按配で清々しい気分になり、何事も風通しがよくなる。

そういえば「木の花…」では『此処は、“人間リサイクルセンター”だから…』とも云っていますし、人の何十倍何百倍以上も頑張ってやって観せねば認められぬ私の事だから、この一生では上手く出来なくても、もし来世があるならば、細やかで静かに暮らせる一人前位の幸福があれば、それでイイのかなぁ⁉
時が淡々と過ぎてしまえば、必ず老いて、やがて死を迎えるのだから、別に余計な心配をする必要も無いのだが。

毎日、名もなきアリンコの様に熱心に野良仕事に明け暮れてアメノミナカヌシが天地を貫いて靴底が抜ける位に必死に求めて探さねば田舎の長男坊に嫁さんなんか来る訳がないだら‼

まだまだ書きたい事が沢山有りますが、早いものでもう一ヶ月は経ちまして『いい加減ブログ早よ出せや‼』とカエルの合唱が日々コダマしますから…

昨今の〔木の花バッシング〕がありながら、私の動向について大変珍しい存在と評価されていますが、兎に角、猫の手も借りたい位に忙しい毎日の只中で、私はこの見解を全く気にした事がありません。
撃沈した「主張木の花塾」に参加された方々には、何故かアンチな空気を漂らせていた人は居ませんでしたし。

「取り敢えず、もうこの位で宜しいでしょうか?」
  
【おほもと語録】
『金銀を余り大切に致すと、世はいつまでも治まらんから、艮の金神の天晴れ守護になりたら、天産自給(おつちからあがりたもの)、その国々のもので、生活(いける)様に致して天地へ御目にかける仕組が致してあるぞよ。』
『一本の草でも干して蓄えておけと申してあろうがな…』
  
140228-145019
 


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