今日は、ピートンの採種圃場を見に、農工大名誉教授の柳下先生が泊りがけで見にきてくれました。僕が所属している農の会の副会長でもあります。今年から、木の花でピートンというピーマンでもパプリカでもない品種を育てています。主に請け負っているのは、品種の維持と採種です。
柳下先生にピートンの栽培指導をしてもらってます。こちらは、ハウスでの採種
■■■ピートンの歴史を説明■■■
1950年代にロシアのルイセンコは接木で雑種ができると主張しました。しかし、当時の学説では花粉交配以外の方法で雑種はできないとされていました。そこで世界中で「遺伝学論争」が起こりました。そこで、当時、学生だった柳下先生は自然科学上のことは、実験で解決すべきだと考え、八つ房トウガラシとピーマンの接木雑種育成実験に取り組んだのです。接木した年にピートン状の変異果がえられ、その後、3年、5年と接木を反復していくと変異率が高くなりました。5代接木子孫を3代調べると合わせて8年かかりました。その後選抜を繰り返し、1978年モスクワの国際遺伝学会で「ピートン」1世としてデビューしたのです。こうして、接木変異の特徴が種子繁殖で子孫に遺伝することが証明されました。この過程で、大多数の学者が認めていない接木変異の実験なので疑問が投げかけられました。①ピーマンと交雑したのではないか②材料が不純だったのでは?③突然変異④数代できえるのではないか?などでした。これらのことも実験でこたえるのに30年かかりました。
異説の証明の事でもあり研究条件は悪く、学内の隅の瓦礫を掘り起こして作つけたり、笹薮を畑にし、入院して病院のテラスで苗作りをしたこともあったそうです。また、学内の牛に苗を食われてお家断絶のうきめにあったり、いろいろなことがあったそうです。接木法で果実の香りや色をよくする試みを古代ギリシア人が行っていました。接木でピートン1世ができたのは苦労も多かったが、古代ギリシア人のロマンを実現した思いだったと柳下先生はいいます。
ピートン1世の誕生は学問的に既成概念を変えただけでなく、他のとうがらしとの差別性が認められて農水省の登録品種として公に認められたのです。ピートン1世は、実が4~5cmと小さく辛いので大きくてからくない実にかえるプロジェクトを1983年にたちあげました。果肉の暑い品種と実のふと長い品種が、花粉交配されました。その結果、辛味を抜くのにてこずったそうですが、ほんのり甘く肉厚の太めの長い実のピーマンでもないピートン2世が誕生しました。実ははじめが黄緑色、それから太陽のエネルギーをいっぱいあびて赤い実となります。20年かかって2007年に農水省の登録品種になったそうです。
ピートン1世からピートン2世までに約50余年、理論的実証から実用品種の育成まで一貫した研究も非常に稀だそうです。
そんな歴史のつまった品種の採種を任せてもらえる喜びと責任を感じつつやっていきたいなと思っています。
実際の整枝を指導して貰ってます。
午後は、ピートンの歴史と栽培方法をレクチャーしてもらいました。
「花粉交配以外の方法で雑種はできない」
とばかり思っていたので、
「接木で雑種ができる」
ということをとても興味深く読ませていただきました。驚きました!
ピートンを収穫されたら見せてくださいね。たのしみにしています!