「いつもわらわせられることがいっぱいあってとてもおもしろかったです。」
(特に笑わせようとしているつもりはないのですが、みんなはクスッという感じで笑っていました)
「授業が少したのしく感じられるようになったのは、先生の明るい性格とおもしろいツッコミなのではないかと思います」
(私は普通に話しているのに、「ツッコミ」と言われていました)
「私が中学3年生で修学旅行で関西に行ったときは、先生に会えるように探します」
(もう、今は静岡県人なんですけど・・・)
「いつも大阪弁をしゃべっていて、とてもおもしろかったです。」
(大阪弁の日本語しかまだ話せないもので・・・)
「またどこかであえるといいなと思っています。僕はそれまでがんばって勉強しています。そのかわり先生もプロの教師になってください。先生はみんなを笑顔にするとてもよい先生です。この仕事をずっとやめないでください。約束です」
(たいへんありがたい言葉ですが、一応、27年間プロの教師として給料をいただいていました)
「算数では自分がだらけているとき、(先生は)注意をしましたが、自分はぜんぜんききません。すいませんでした。先生は楽しい先生なのでずぅーっといてほしいです。自分はやたらとめいわくをかけましたが1ヶ月間ありがとうございました」
(注意を聞き入れないといけないな、という気持ちがありながらも、本物の愛情がほしくて、なかなか素直になれない子でした)
—
まり姉です。
先月初めのブログにも書きましたが、10月の一ヶ月間、地元の小学校に非常勤講師として勤務しました。
勤務の最終日となった30日は、朝の恒例「5分間かけあし」のあとで全校生徒が集合、校長先生からご紹介いただいて、お別れのあいさつをしました。
「グラウンドから富士山の全貌が見える恵まれた環境を当たり前と思っているかもしれないけれど、遠方から来た私にとってはとても貴重なものです。いつか、ここから遠く離れる日があなたたちに来たら、そのときにありがたく感じられるのかもしれません」という話をしたあと、児童代表から花をもらい、全員が書いた手紙を各学年の代表からお礼の言葉と共に渡してもらいました。上記のコメントはその中の一部です。どのコメントも愛しくてかわいくて、読むたびについつい笑ってしまいます。
先生方からは「ニュータイプの先生」というありがたい言葉をかけていただき、「変わり者の私」を再認識できて、これまた大きな収穫となりました。こんな先生がいたらおもしろいな、という役割が果たせたことに満足しています。これを自己満足と感じる人もいるかもしれませんが、自分の個性を活かしたふさわしい役割を果たせたなあと振り返っています。
昔から私の理想の教師像、人間像は「こんな人に教えてもらいたい」「こんな人と話したい」というものでした。でも、これは今から考えると、まだ、自分の色で見た、作り上げた理想像だったように思います。
それが、ファミリーと関わるようになってからの数年間、また今年の4月にファミリーに加わってからの日々の中で「心磨き」を重ねることで、より客観的に自分を捉えて、全体とつながった一部として役割を果たせるようになりました。こうした意識の変化があったからこそ、子どもたちはそれぞれに私のことを感じてくれたのではないかと思っています。
「熱心」「働き者」と私を評価してくれる子どもたちもいましたが、私の方はただあるがままに、いただく気持ちを大切に淡々と過ごしていただけですから、ありがたいと思うばかりです。
ファミリーでの生活と学校ではどちらが学びが多いか、と尋ねられたことがありましたが、それぞれに大切な学びがある、というのが私の答えです。学校では地域の人たちに「心の種まき」をする役割が与えられたと感じていましたが、さあ、その種はどのように育っていくのでしょうか。
どんな状況にあっても、あくまでも謙虚に日々の出来事を大切に見つめ、感じ、学ぶことを真剣に、真摯に続けていく事で、自分も他の人も幸せにしていくことができます。そんなことを改めて確信した一ヶ月でした。やっぱり、神様ありがとうございます、しかありませんね。
それにしても私ってそんなにおもしろいのかなあ、大阪弁を使わなくてもおもしろいのかなあ、と、ふと考えてみる今日この頃です。