手放すということ

「ダメだなあ」今朝、開口一番のいさどんのことばです。

「何がダメなの?」と聞くと、「夢の中で怒ってた」と言います。

「昔はよく怒ってたんだよなあ」といさどん。

「今は日常生活の中で、大抵のことが起こっても、それを容認できていると思っているけれども、心の奥には、例えばこちらが理解できないことに対して、怒りの感情があるんだよな。夢の中では、それがリアルに起こるから、自分の中にそういった感情があるというのがよくわかる。ただ、そういった感情が湧いてきたときに、悲しくなったり自分はダメだと思うんじゃなくて、『ただ、あるんだなあ。』と」

とかく、人は心を磨く道の過程で、自分の中のいろいろな感情に出会ったとき、「こんな自分はダメだなあ」と思いがちですが、そうなる必要はないということをいさどんから感じます。また、ダメだからそれをどうにかしよう、と力が入る必要もないんだと。ただただ、「そういう自分があるんだなあ」と今の自分を受け入れ認めること。それが、手放すということなんだと。

昨日のブログを読んで、「そうか、手放すということが大切なんだ。ようし、どんどん自分の枠を手放していくぞ!」と思ったあなた。昨日のブログの話ではないですが、「手放そうとしないことが、手放すこと」につながるのです。そう思うと案外、「自分の枠を手放すこと」は、日頃つい頑張ってしまうあなたが思っている以上に、簡単で楽なことなのかもしれません。

それもそのはず。いつだって神様は、苦しんでいるあなたを見るのではなく、共に喜びを分かち合いたいと願っていらっしゃるのですから。


4 thoughts on “手放すということ”

  1. 木の花では『美しい心』という言葉をよく習いました。
    ようこちゃんは心が美しく、美しくあろうとし続ける心がまた美しい。

    バガボンド100回読んで気付いた事。

    武蔵は無双の強さを求めて剣を振るい続ける。

    『弱さを経ない強さはなく、そして強さと美しさは同じもの』とありました。

    『天が造りたもうたものは、美しくてもともと』とも。

    その自然の調和美になるために僕らは歩んでいるんだな、って思いました。

  2. 「こころがどんな段階であっても、
    美しくあろうとし続けるこころが美しく。

    美しく見せたい、と思うこころは
    果たして美しいだろうか。」

    これは、いさどんからいただいた言葉です。

    大ちゃん、いつだってこころはつながっているから、
    共に歩んでいこうね。

  3. 昨日のブログを読んで、枠をなくしていこうという枠にとらわれてしまうこともあるのではって思いました。そして、その枠がどこから来るのか、その枠はどんな時にどんな形で現れるのか、それを見つめていくことが大事なのかなって思ったしだいです。

  4. わたわた、その通り!なんです。
    だって、自然はいつだって、ただ在るだけですものね。

    明日、わたわたファミリーが帰ってくるのを、
    みんなで楽しみにしています!

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