サツマイモ畑から阿吽の世界を

昨日はサツマイモの一斉収穫!毎年恒例の一大イベントです。
無事に収穫を終えたその日の夜、大人ミーティングでようこちゃんは以下のシェアをしました。

ようこちゃん(右)とピッポ
ようこちゃん(右)とピッポ

昨日の夜、木の花ファミリーのラインに「明日は終日、サツマイモ収穫をやります。雨が降る前に、気温が下がる前に、一気に掘り上げていきたいと思います。全員参加でお願いします」という連絡が畑隊から流れた。それを知ったいさどんは、「よし!トラクターに乗るぞ!」と養蜂作業予定を急遽サツマイモ収穫に変更。いさどんに「トラクターに乗るのは何年ぶり?」と聞くと、「覚えがないな・・・5~6年ぶりかなあ?」と言っていた。そんないさどんに触発されて、5~6年ぶりに畑に出るわたしも一緒にサツマイモ収穫へ行くことにした。

そして今朝8時頃、いさどんとわたしがサツマイモ畑に到着したときには、すでに収穫作業が始まっていた。早速いさどんはトラクターに乗りこみ、なんだか楽しそう。そんないさどんを見て、皆の士気も上がる。わたしはサツマイモをどんどんコンテナに入れていく作業を担当したのだが、まず、「サツマイモさんの気持ちになろう」と思い、サツマイモさんがご機嫌な状態で扱えるよう心がけていた。サツマイモさんがご機嫌でいてくれると、こちらも嬉しくなってくる。

そうしてサツマイモと自分の気が合ってくると、今度は土と自分、土の中にある水分と自分、それから空気と自分、風と自分と、まわりのものと自分がどんどん一体化していったのが面白かった。今日は曇り空で太陽は見えなかったけれど、いつものように太陽が見てくれているのを感じた。富士山も雲の向こうに隠れてしまっていたけれど、いつものように見守ってくれているのを感じた。そして、太陽と富士山とも自分が一体化していき、すべてがただ存在するだけになった。

サツマイモも、土も、水も、空気も、風も、太陽も、富士山も、わたしたち人間もすべて「カ」という宇宙最極小微粒子でできている。同じ材料でできているのだから、すぐに一体になれる。

5メートルぐらい離れたところでいさどんがトラクターを動かしている。そのトラクターの音が何とも言えず心地良い。そこへ、元気いっぱいの保育園児たちがサツマイモ収穫にやってきた♪子どもたちの高い波動が畑へ広がり、思わず顔がにっこりする。

いさどんや子どもたち、そして自然から発せられている響きを感じたときに、3年前いさどんが愛についてこう話してくれたことを思い出した。「愛とは、相手にとって思いがけないことをすることなんだよ。」そのときにわたしは「その通りだ。だから、本当の愛とは高度なことなのだ」と思ったのを覚えている。

カタカムナで「愛」の意味を紐解くと、「高次の意識(ア)」の「位置(イ)」ということで、高次の意識レベルを有した者が提供するものが愛だ。だから、天と通じる心がないと、愛は与えられない。その人の自我を満たすことではなく、その人の魂が求めるもの、つまりその人が思う以上のものを与えることが愛なのだ。

植物も動物も人間も五大要素もすべて、「カ」という同じ材料でできているけれど、その中でわたしたち人間だけがこの世界の始まり(ヒ)から終わり(ト)までを悟り、統合した存在(ヒト)になれる。高次の意識にまで自らを高め、愛を与えるヒトになれる。面白いことに、カタカムナ文字を観ると、「ア」は「ヒ」と「ト」の合字になっている。

カタカムナ文字の「ヒ」
     カタカムナ文字の「ヒ」
カタカムナ文字の「ト」
     カタカムナ文字の「ト」
カタカムナ文字の「ア」
     カタカムナ文字の「ア」

つまり、現象界に人間として現れ出た「カ」が「ヒト」となると、「ア」という高次元の存在となり、「アイ」を表現する者となる。

そして、本当の愛(ア)を表現する者たちが集って、そのエネルギーが渦(ウ)となると、阿吽(アウン)の世界が展開されるのだろう。そこはもう言葉のいらない世界。ただ相手を想い合い、すべてが一体となっている世界。

サツマイモ畑で阿吽の世界が展開されたからなのか、午前10時前にはサツマイモ掘りが終了♪午前中に回収作業まですべてを終えることができた。0歳の赤ちゃんから77歳のえいこばあまで総勢50名が結集した今日のサツマイモ収穫。さすが、木の花人海作戦♪

今、世の中を観ると人間の欲望は際限なく膨らみ、わたしたち人類はまさに混乱の極みを迎えている。しかしそれも、わたしたちが「ヒト」へと目覚めるための追い風であり、気付けば混沌とした今の世界のどこにでも愛はあふれている。そして、わたしたちが「ヒト」として目覚めれば、人が集えば集うほど豊かな世界ができる。わたしは73億人皆と共に真の豊かさと喜びを分かち合いたい、といつも想っている。

このサツマイモ畑のある富士山麓から「愛」の響きが広がって、地球上に互いが互いを思いやる「阿吽」の世界が表現されますように。

久しぶりに畑へ行って、想像以上の心の収穫をいただきました。ありがとうございます。

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出発(たびだち)プロジェクト

木の花には、様々なプロジェクトがあります。2016年も、蓮池、ニーム、アンテナショップ、癒し処たんぽぽ、キッズプロジェクトなどなど新たなプロジェクトが立ち上がり、それぞれが着々と進行しています。

そして以前からあるもののひとつに、「出発(たびだち)プロジェクト」というものがあります。

人は誰でも、必ず死にます。死は次のステージへの旅立ちです。知らず知らず身に付けてきた生への囚われから抜け出し、視野を大きく広げて宇宙全体を観てみると、すべてが形を変えながら連綿とつながっていくこの世界の構造が観えてきます。
自らがどのように死を迎え、またどのように仲間たちを送り出すのか。そのことについて真剣に考えることを通して死生観を深め、命の仕組みを理解することで、今、この瞬間を本当に豊かに生きていく。それが「出発プロジェクト」です。

私たちは死生観について、くり返しくり返し語り合ってきました。そして先日の大人ミーティングで、改めて「出発式(たびだちしき)」をどのように行うかについてのアンケートを行い、一人ひとりがそれを自らの遺書として記入しました。
以下に、そのアンケート冒頭の文章をご紹介します!

*死生観についてさらに深めたい方は、いさどんブログ「21世紀のいのちの捉え方」をご覧ください。

 

この日の大人ミーティングでみかちゃんが描いた生命の仕組みの図
この日の大人ミーティングでみかちゃんが描いた生命の仕組みの図

 


 

出発(たびだち)アンケート

 
私たちは「死」を人生の終わりではなく、新たな旅の始まりととらえています。それは今世の最終章としての卒業式であり、送る側と送られる側が生死の壁を超えた共通の認識を持つセレモニーなのです。

そのため、いわゆる葬式を「出発式(たびだちしき)」と捉え、葬送の儀は「出発人(たびだちびと)」との出会いを通して人生を振り返り、人生の最終章を迎えた者を祝福し見送るものと考えています。

私たちが「生きている状態」とは、肉体と魂が一体となって生命世界において循環している状態です。それに対して、「死ぬ」ということは、肉体と魂が分かれ、肉体は生態系の構成要素として3次元宇宙の中に、魂はそれぞれに相応しい異次元宇宙に還っていくことです。

このように捉えると、肉体は死を境に消滅してしまうわけではありません。人間や動物、植物といった、ひとつの生命としての一時的な姿が終わるに過ぎないのです。常に変わり続けるもの、それが3次元生命の姿です。

これに対して、3次元生命を生命として束ねているものが魂・霊性です。私たちは魂と肉体の分離を死と呼びますが、それは終わりであると同時に始まりでもあるのです。死によって肉体は生命としての循環の仕組みから解き放たれ、原子の単位となってこの世界へ散らばっていきます。一方、魂は新たな次元において次の旅の準備を始めるのです。

「死生観」という表現は、死を生の側からの視点だけで捉えた言葉であると言えます。しかし、生死を超えた視点から死を捉えると、死生観というように、生の奥に生を支える魂の世界が連綿と続いていることになります。つまり私たちの本来の姿は魂、霊性であり、いわゆる「死後の世界」こそが本来の居場所であることになるのです。つまり、私たちは生死を繰り返すことによって学び、本来のあるべき立ち位置に目覚めていくのです。ですから死とは、その学びの大切な節目なのです。

しかし今の社会において、死生観という概念は一人一人違うものです。人それぞれが持っているその人の価値観によって、生きることも死ぬこともその受け取り方が違ってくるわけですから、人の数ほどあることが当然なのです。

そこでアンケートによって個々の意識を確認し、私たちの死生観に対する認識を共通のものとし、ファミリーとしての出発式の様式に反映させたいと思っています。

 


 

 


木の花ファミリー通信 Vol.87「薬も病院もいらなくなる医療革命」

木の花ファミリーでは、無料のニューズレター「木の花ファミリー通信」を発行しています。先月のテーマは「薬も病院もいらなくなる医療革命」。限りのある紙面ではご紹介しきれなかった全文を、ブログにて改めてご紹介いたします!

*PDF版はこちらからダウンロードできます。

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ようこそ  地 球  へ!

はてしなく広がる無限の宇宙。その中で、私たちの生きる地球は本当に、本当に小さな存在です。ところがこのちっぽけな星は、宇宙中の奇跡の中の奇跡の星です。人類が最先端の叡智を結集してどれだけ宇宙を探査してもなかなか生命は見つからないのに、ここはまるで 生命の海動物、植物、目には見えない微生物まで、ありとあらゆる生命が無限に連鎖し循環し、地球生態系という壮大な命の交響曲を奏でています。
さあそれでは、この生命ネットワークがどのように成り立っているのかをみてみましょう!

 
血液がすべてをつなぐ

私たち人間の体は、およそ60兆個もの細胞から成る複雑で多彩な機能の集合体です。その体の隅々までをつないでいるのが、血 液 です。最も細い所で直径1000分の1ミリ以下という目には見えないほどの微細さで、頭のてっぺんからつま先まで網の目のように広がる血管を全てつなげると、地球2周半分もの長さになると言います。それほど緻密に張り巡らされた血管を通って、血液は全身へくまなく供給され続けているのです。

その血液を全身へと送り出しているのが、あらゆる臓器の中心である心臓です。心臓は、その名の通り心の臓器。心が波立ち心臓がドクドクと高鳴れば、それは血液を通してたちまち全身へ伝わり、私たちの行動を左右します。血液が心を運ぶのです。偏った生活によって血液が汚れれば、その汚れもまた、たちまち全身へ行きわたります。偏った生活の元には偏った心があり、それが全身を汚染していくのです。汚れた血液は他の臓器に負担をかけ、問題を引き起こし、汚染によって血管が詰まれば、そこから先は血液が通ることができず腐っていくのです。

血液には、医療的検査によって検知される物理的な汚れと、数値では表すことのできない霊的な汚れがあります。そのどちらも、元になっているのは心です。美しい心で毎日を生き、血液も滞りなく全身を循環していれば、人は常に健康でいられるのです。

さて、視野をちょっと広げてみましょう。60兆の細胞が集まって一人の人間の生命を形成しているとしたら、その人間たちが集って創る社会もまた、ひとつの生命です。では、その社会という生命の血液は何でしょうか。社会の隅々までをつなぎ、循環していくもの ———— それは お 金 です。お金もまた、人の心を乗せて運びます。思いやりや感謝を運ぶこともできれば、不安や欲望を乗せて、流れを滞らせることもできるのです。今、お金は社会の隅々にまで行きわたらずに、特定の場所に留まる状態が起きており、その結果様々な問題が発生しています。お金という血液が全身を循環しないことで、社会そのものが病気になっているのです。

視野をさらに広げてみましょう。そういった人間社会や他の様々な生命によって構成される地球もまた、ひとつの生き物です。では地球の血液は何でしょうか。

それはです。水は全ての生命の源です。雨として地上に降りそそいだ水は大地を流れ、川となり、海へとそそいで世界中を巡り、空へ昇って雲となり、また雨となり、人間や他のあらゆる生物の体内をも通り抜けながら、この星を余すところなく循環しています。水が私たちの命をつないでくれているのです。
その水に今、マイクロプラスチックという人工の産物による汚染が広がっています。それは肉眼では見えないほど微細なために回収ができないままじわじわと広がり、地球に深刻な問題を引き起こし始めています。その、目には見えない汚染を浄化できるのは、同じように目には見えない霊的な力、即ち人間の心だけなのです。

それでは、さらに大きく視野を広げてみましょう。
地球を含む9つの惑星と太陽、そして無数の小天体から成る太陽系もまたひとつの生命だとしたら、
その全てをつないでいる太陽系の血液は何でしょうか?

 

太陽系の心臓 ─────   太 陽

全ての生命活動には心があります。体の中心にある心臓が心を全身へと送り出し、それが私たちの行動を創り、人生を創っていくように、太陽系もまた中心の太陽の心に沿って、全ての星々が動いています。
その太陽の心を全体へと届けているのが、太陽磁場です。

広大無辺の宇宙の中を、惑星たちはそれぞれに個性的な軌道を描きながら複雑に連携し合い、時を刻んで、太陽と共に進み続けています。その複雑な動きの中で、まるで約束されているかのように地球上に毎日朝が来て、夜が来て、春、夏、秋、冬と毎年同じように四季の巡りがもたらされるのは、磁場が太陽の心を運び、地球や他の星々を太陽系ネットワークというひとつの生命活動の中につないでくれているからです。

そして太陽は地球へ光を注ぎ、熱を与え、風を起こし、地球の血液である水を循環させ、命を育んでいます。太陽は太陽系の心臓であると同時に、地球の心臓でもあるのです。太陽系全体に指令を送り星々を連携させながら、地球の進むべき方向を示し、人々の心がそこから外れて滞りが生まれれば、太陽は自らの意志を地球に伝えるために天変地異を起こし、私たちに「その姿勢を改めなさい」とメッセージを送ってくれます。地球上に刻まれていく時代も、私たち人間の在り方も、全て太陽の導きの元にあるのです。

さて、太陽系がひとつの生命であるならば、この世界には太陽系をも細胞としてしまうほどさらに大きな、世界のありとあらゆるものを包含する壮大な生命があります。
そう、宇宙です。では、その宇宙の血液は何でしょうか。万物をつなぎ、循環させ、宇宙全体をひとつの生命として束ねているもの ──────

それは スピリット即ち宇宙の心です。

地球に生きる私たちも、その地球を導いてくれる太陽も、全ては宇宙の心の元にあり、その大いなるネットワークの中で生かされているのです。

              

人間、社会、地球、太陽系、そして宇宙と生命のスケールが広がっていく中で、大きくなればなるほど、その中を循環する血液は、目には見えない、霊的なものになっていきます。逆に小さく身近になるほど見えやすく、密度が濃い物理的なものになっていきます。この世界は、大きなものも小さなものも全て同じ仕組みで成り立つ相似形になっており、人間の体よりさらに小さな単位にも同じように血液の役割をしているものがありますが、体より小さくなれば、それはまた目には見えない霊的なものになっていきます。ということは、人間の体は心の状態を最も見やすく現す仕組みになっているということです。

 
治せば治すほど混乱する世界

血液は心の状態そのものであり、心次第で汚れもすれば、美しくもなります。心がきれいであれば、血液は全身を正常に流れ、体も健康で、良い人生を生きます。もしも血液が汚れて病気になれば、それは私たちの心の歪みを、病気が症状を通して教えてくれているということですから、そこから自分自身を振り返り、正していくチャンスでもあるのです。

ところが現代は医療技術が発達し、心とは関係のないところで、病気の症状だけが改善されるようになりました。ただ病気を治し、命を長らえることが医療の目的となり、人生の質を問わなくなったのです。心に原因があるのに心を正さず症状だけを収めれば、その心は必ず別の面で、人生に問題をもたらします。しかし、人々はただ「病気は悪いもの」「長生きはいいこと」と考え、病気を創り出した自身の心と向き合うことなく、どんどん医療に頼るようになりました。その結果、治せば治すほど混乱した世界が広がっていったのです。

それは、世界各地で止むことのないテロと同じ状態です。テロは社会が生み出したものであり、そういった社会を創っている私たち自身に原因がありますが、人々は根本に目を向けることなく、ただ表面的な症状を見てテロを悪とし、必死に抑え込もうとしています。しかし、根本的な原因を無視したままで症状だけを抑え込もうとすればするほど、その矛盾はさらに大きくなり、必ずどこかで再発して、決して収まることはないのです。

現在、日本の国民医療費(保険診療の対象となるもの)は年間総額40兆円にも上り、平均すると国民一人が一年間に31.4万円を医療に費やしていることになります。これはまさしく一大産業です。数字ばかりを追い求める現代社会では、医療産業もGDPとして計上され、そこで数値が上がれば「経済が活性化した」と喜ぶ人々もいます。しかし、それは本当に喜ぶべきことなのでしょうか。社会福祉の充実度をはかるのに医師や病床の数を比較し、多いほど福祉が充実した豊かな社会とされていますが、それほどの医療が必要とされる社会は、健全とはほど遠い状態にあるのです。

 
死ぬことの大切さ

本来、全てが連鎖し循環し、健康そのものであるのがこの世界です。その中で病気は、私たちの心が循環から外れていることを教え、それを正すことを通してこの世界の仕組みや命の意味を学ぶために起こるものであり、私たちがその仕組みを理解すれば、起こる必要がなくなるのです。

ところが、現代社会は常に病気や問題ごとがあり続けることを前提に営まれています。多くの医療の現場で、医師は検査データや知識を基に症状を抑えるための処置をくり返し、病気を根本から治すということをしません。それは、病気があり続けることで病院や製薬会社が利益を得る仕組みになっており、社会がそういった不要なもので成り立っているからです。では、そこに特定の悪者がいるのかというと、それは社会全体に原因があるのであり、その社会を創っている私たち一人ひとりの、命に対する姿勢に責任があるのです。

かつてこれほど高度な医療がなかった時代には、人々は日々命と向き合い、生命感を感じ、死期が迫れば覚悟を持って人生をお返ししました。生命感とは、意識が常に自らの属している生命ネットワークとコミュニケーションを取り、そのネットワークを司る中心の心を感じ取る直観が研ぎ澄まされた状態を言います。ところが現代の人々はただ長生きをしたい一心で医療に頼り、生命感を鈍らせ、生きる上で大切なものは何かを感じ取る直観力を失いました。そして命を失うことに恐怖を感じるようになりました。
しかし、どんなに死にたくないと思っても、人は必ず死ぬのです。それは誰にも平等に与えられた、揺るぎのない真実です。

生命感を研ぎ澄ませ、日々心と向き合って真剣に生きていれば、生きることそのものに大きな充実感を感じるようになります。そのような精神状態に至ると、いつでも命をお返しできる覚悟が自然と生まれ、充実した人生を送って天寿を全うし、達成感を持って旅立つことができます。現代医療は生かすことばかりを大切にしていますが、人生は死を迎えて完結するのですから、死ぬことの大切さがあるのです。

 
奇跡の中の奇跡

肉体を持って地球上に生まれた私たち人間は、目に見える物理的なものばかりを見て、病気になれば何とかその肉体を治そうとします。しかし人間の本質は肉体ではなく、霊性にあります。

人間の魂は、それぞれに固有のカルマ(=個性)を持っています。けれども肉体のない状態では、そこにどれほど歪みがあったとしても現象として現れないため、認識することができません。そこで私たちは、肉体という魂の器を与えられ、器が現す現象を通して自らの個性がどのようなものであるのかを知り、歪みがあれば正していくという道を与えられました。つまり、地球に生きるということは、変化できるということなのです。心を正すことを怠り、肉体だけを治したとしても、死んだ時にそれを持っていくことはできません。そして肉体のない状態では、どれほど心が歪んだままであっても正すことができず、魂も成長できないのです。

はてしない宇宙の中でたったひとつ、生命に満ちあふれた奇跡の星、地球。そこに肉体という形を持って生き、人生の中で出会う様々な現象を通してこの世界の仕組みを学び、魂を進化させていくことができる。それが地球という場所であり、私たちがこの星に生まれてきた目的なのです。

あなたの体をよく観てください。60兆個の細胞、地球2周半分の血管、そして未だ全機能の90%が眠っていると言われる脳 ─── それは人智でははかり知ることのできない神秘にあふれた、生命の最高傑作です。そしてそれは、単独では生きることができません。太陽、水、空気、大地、風。自分の力では何一つ生み出すことのできない天の恵みに育まれ、宇宙の星々や無数の生命が織りなすネットワークの中で命を循環させながら、私たちは今、ここに存在しているのです。それがどれほどの奇跡であることか。その奇跡の中で、70億人の人間一人ひとりがそれぞれに違った個性を与えられ、過去にも未来にも二人といない自分自身として生きていることは、奇跡の中の奇跡なのです。

その貴重な個性を与えられた人々が、互いにつながり、ひとつの生命ネットワークを築くことで、人類の可能性は無限に広がっていきます。一人ひとりがその意識に目覚めることで、つながればつながるほど豊かになっていく。それがこの世界の実相なのです。

 
21世紀の生命観

誰もが大いなる命のネットワークの中で生かされながら、他の人に代わることのできないオリジナルな役割を果たしています。ところが、人が自分のことばかりを考え、自らの立ち位置だけで物事を捉えるようになると、自分は自分の力で生きていると思い込み、他の多くの存在に支えられて生かされていることを忘れてしまうのです。そうすると、体はそのネットワークの中にありながら、意識がつながりから外れて循環しなくなり、滞りが生まれ問題が起きるようになります。その状態が、現代社会のいたるところで発生しているのです。

本来、自然界には自らの存在が他の生命に貢献しないということはあり得ません。植物は生きて成長すれば虫や動物の餌となり、その虫や動物もまた命を全うして土に還れば微生物の餌となり、次の生命の養分となっていくように、自らの生命活動が常に他の命を生かしながら無限に連鎖し、循環し続けているのが自然の姿です。

日本語に「働く」という言葉があります。「働く」という漢字は、「人」が「動く」と書きます。人が動くとは、生きているということです。そして「はたらく」とは、「傍(はた)=他者」を「楽(らく)」にする、即ち、他の生命に貢献することを意味します。つまり、生きているとは他の生命に貢献することそのものだということです。
その中で誰かが病気になれば、そこに滞りが生まれ、みんなのために「働く」ことができなくなります。自分が健康であることは、自分一人分の役割を果たして他を生かしていくという、全体への責任でもあるのです。現代は多くの人が個人のために健康を追い求めるという逆さまの姿勢をしていますが、この精妙なる命の仕組みを理解して生きることが、現代社会の滞りを突破する、21世紀の人類の生きる姿勢なのです。

 
太陽は教えてくれている

今、世界中で様々な問題が起きています。例えばどこか遠い国で起こるテロは、自分とは関係のないものだと思うでしょうか。地震や台風のような天変地異は、人間にはどうすることもできない自然の驚異だと思うでしょうか。

私たちの生きる地球は、太陽の導きの元にあります。太陽は常にその心を送り続け、人間がそこから外れれば、それにふさわしい現象を地球上に起こし、「気付きなさい」とメッセージを送っています。今世界で起きていることの現実を知り、自分のしていることがそこにどのような影響を及ぼしているのかということが観えた時に初めて、人は変化の道を歩み始めます。
病気もまた、私たちの中にある矛盾を現象として現してくれているのであり、症状だけを治す医療に頼っていては、その真の意味に気付くことはできません。だからこそ、生命感を研ぎ澄まし、一人ひとりが真実が何であるかを自ら観抜いていく。そういう時代が始まったのです。
これまでは物理的豊かさを追い求め、医療も経済も拡大していくことばかりが善しとされる時代でしたが、本当に必要なものだけを選んでいく、そぎ落としの時代に入ったのです。それは世の中が大きく歪んでいた分、いっときは痛みを伴うかもしれません。けれどもその先に、生きていることそのものに豊かさを感じられる世界があるのです。

この世界には、流れがあります。出来事の表面ではなく、その奥に心の目を向ける時、全ての出来事の背後を常に変わることなく流れ続ける、大きな流れがあることが観えてきます。自らの立ち位置を離れ、その流れに乗って生きると、不思議なほど色々なことが連鎖し、とんとん拍子に物事が進み、自力で何かを成し遂げようとしていた時には想像もできなかったような世界が現れるのです。その流れの中では、余分なものは自然とそぎ落とされ、人々の中に眠る無限の可能性が花開いて、様々な個性が響き合いつながり合い、美しく循環していくことでしょう。それは個人の満足をはるかに超える、ダイナミックな生命の喜びにあふれた世界なのです。

 
だから太陽は、私たちに心を送り続けています。

 
あなたたちが美しく健康であるように

互いを想いみんなでつながって生きるように

そして世界が豊かになるように

いつも私の方を向いていなさい  ──────────

 
そう呼びかけているのです。

 

 


 冥王星は、目には見えないほど小さな存在でありながら、太陽系の一番外側に位置し、独自の楕円軌道を描いて外宇宙の秩序を太陽系の内へと運んでくれます。つまり、宇宙のスピリットとの交流の星なのです。2006年、その大きさなどが惑星としての基準を満たしていないとされ、冥王星は準惑星に区分されるようになりましたが、本紙では、太陽系にとって大切な役割を果たす重要な星として、太陽系の他の8つの惑星と同等に捉えています。


 

治療法はあなた自身の中にある

人生は物語です。人はある日突然病気になるのではなく、必ずそこに至るまでの心の変遷を歩んできています。「気が病む」と書いて病気というように、病気の原因は体ではなく心(気)の滞りにあり、生命のバランスが崩れて心と体が響き合わない状態になった時に、最も弱い部分に病気が現れます。
畑の土と作物のバランスが崩れれば虫が現れて調整してくれるように、病気もまた、崩れたバランスを元に戻そうとする一種の自浄作用なのです。
もともと、全てが美しく循環し健康そのものであるのがこの世界です。そこに滞りが発生し病気になっていく過程を、逆にたどって元のところへ還れば、人はたちどころに健康になります。それが「元の気」、即ち「元気」です。

下の文字は、「医」という漢字の成り立ちを表しています。

もともと「医」という文字は、体を表す部分と心を表す部分の二つが合わさって成り立っていました。心の部分である「巫女」や「感謝」といった表現から、自分よりも大いなる存在に従い、そこから命(めい)を受け取って気を正していくという姿勢が医療にはあったことがわかります。しかし「医」という文字からは、この心を表す部分が最初に消えていきました。やがて東洋医学的な物理療法や栄養療法を表す部分も消え、外科療法を表す部分のみが現在の「医」の文字として残ったのです。

医療とは本来、体という小宇宙を構成する生命の仕組みをひも解き、そこに流れる気を読み取り、心身のバランスを取る仕事です。生命感を研ぎ澄ませ、複雑な生命の曼荼羅である体と対話することで、魂の目を目覚めさせていく。それはつまり、私たちを生かしているこの世界の大いなる流れに沿って生きるということです。

木の花ファミリーには、様々な病を持つ人が訪れます。そこでは、その人がそれまでにどのような人生を歩んできたのかを聞き出し、病気が発症するメカニズムをひも解いていきます。病気になるには意味があり、人がその意味に気付くと、病気の症状はそれ以上継続する必要がなくなります。そして気付いたことで全身に良い気が流れれば、その流れは細胞を修復し、自然と病気が治っていくのです。

それは誰かが誰かを治してあげる治療の場所ではなく、物事の道理を説き、病気になった人自身がこの世界の仕組みを理解して、元の気へと立ち還る場所です。
人間の中には、まだまだ自覚されていない未知なる能力が秘められています。それまでの自らの生き方が病気を創り出したのだとしたら、病気という負荷を与えられることは、それまでの自分の殻を破り新たな世界へと踏み出すチャンスでもあるのです。そのことに目覚めた時、あなたの中に眠る無限の可能性が花開き、命のスケールが広がって、より大きな世界を生きることになるのです。

病気の治療法は、自らの中にあります。なぜなら、その病気を創り出しているのは自分自身だからです。それは薬のように外から与えられるものではないので、副作用もありません。もともと私たちの中に、精妙な宇宙の法である命の法則があるのです。

そこに気付いた時、一人ひとりが生活の中で出会う出来事だけで学び、自分で自分を健康に導いて、薬も病院も必要のない世界が実現します。

それが21世紀の医療なのです。

 


 

さらに大きく世界観を広げたい方へ        

2017年2月19日(日)~3月18日(土)    
1ヶ月間の真学校 開催   

「医」「農」「食」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」  ─────
多彩な切り口の講座を通して世界をひも解き、あなた自身をひも解き、人生と現代社会の行き詰まりに突破口を開くダイナミックなプログラム!
1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、宇宙視点で日常を生きるとはどういうことかを実体験として学びます。

【会場】木の花ファミリー
【定員】15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】18~22万円
収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

1ヶ月間の真学校ブログ

 

■ 心身の病を克服したい方はこちらをご覧ください。

「自然療法プログラム」

■ 鍼灸・整体・リラクゼーション 〜 心と身体を、ふんわりもみほぐします。

「癒し処たんぽぽ」

 

 

あなたが変われば
世界が変わるよ

 

 


カトケンはカトケンの里芋を育てなさい

「今朝、僕はトイレでふと、『僕が正解じゃないぞ』と思いました。そしてそれをカトケンに伝えなければと思い、カトケンと話をしました。」
ある日の大人ミーティングで、いさどんはそんな話を始めました。

 
物語は、8月の暑さ真っ盛りの頃にさかのぼります。

8月9日、ファミリー恒例の川遊びに向かう道中で、いさどんは車を運転しながら道沿いに並ぶ里芋畑を観ていました。多くの畑で、本来青々しているはずの里芋の葉っぱが黄色くなり、元気がありません。
「水が足りていないんだ。」
今年は例年以上に暑い上に雨も少なく、里芋たちは水不足に喘いでいたのでした。

8月上旬の里芋畑。葉っぱが黄色くなっています。
8月上旬の里芋畑。葉っぱが黄色くなっています。

「うちの里芋は大丈夫かな。」
そう思ったいさどんは、ベテランのひろみちゃんに代わって今年から里芋を担当している、畑隊3年目のカトケンに声をかけました。すると、カトケンは1日に2時間だけ里芋畑に水を入れているけれど、畑全体に水が回っておらず、よその里芋畑と同じように葉っぱが茶色くなっていることがわかりました。いさどんは、それはいかん、と、カトケンにアドバイスをしました。

「里芋というのは、水耕栽培をしているところもあるくらい、水が好きなんだよ。だから絶対に水を切らしちゃいけない。それがわかっているから、うちは田んぼを里芋畑にして水を入れやすいようにしてあるんだし、1日中入れっぱなしにしていてもいいくらいだ。毎回2時間後に水を止めに行くなんてことをしていたら、作業の効率だって悪いだろう。」

そこで言われた通りに水を1日入れっぱなしにすることを続けていくと、みるみる里芋が変化していきました。
「今までと全然違う。葉っぱも潤って、生命力がみなぎっている感じ。水が入ったことで、里芋がそれまで使えていなかった光のエネルギーをフルに使えるようになったんだと思った。それに、2時間ごとに水を止めに行かなくてよくなっただけで、作業としてもすごく楽になった」とカトケン。
「今までキュウリとかナスのような夏野菜を育てていて、水を入れっぱなしにするなんて発想は全然なかった。だけど作物によって対応の仕方が全然違うんだね。夏野菜のやり方に囚われてたけど、固定概念を当てはめて決めつけるんじゃなくて、その作物が一番力を発揮できるようにはどうしたらいいか、人間が感じて、動いていくことが大事なんだと思った。」

それ以来、カトケンは里芋の育て方をいさどんに聞きに行くようになりました。

その時の心境を、カトケンは今、こう振り返ります。
「自分なりに、里芋のことを想っていさどんに聞きに行っていると思ってた。だけどよくよく振り返ってみると、やっぱりその奥には『失敗したくない』って心があった。」

そしてある朝、いさどんはふと思い立ち、カトケンを呼んで話をすることになったのでした。
その日の夜、いさどんは大人ミーティングでみんなに向かって、こう語りました。

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人間は一人ひとり、誰もが個性的です。

今日、僕はカトケンに話したいことがあって、湧泉閣に来てもらいました。この間、里芋の水入れの件でアドバイスをして以来、カトケンは僕に里芋の育て方を聞いてくるようになりました。何かと言ったら、カトケンは僕を里芋の権威だと思ってるんです。
だけどね、実は僕も自己流なんですよ。本も読まない。ただ実際に畑に立って、里芋と対話しながらやってきて、その結果ご機嫌な里芋に出会ってきたからそのようにやっているだけなんです。

カトケンはすごく熱心で、間違いをしたくない。だから里芋の権威であるいさどんに聞いてその通りにやれば、失敗して問われることもないだろう、ということで、僕に里芋のことを聞いてきました。それを観ていて、僕は「これはいけない」と思ったんです。
今朝、トイレでふと考えました。僕が正解じゃないぞ。それをカトケンに伝えなければいけない。水入れのことを教えたのは、カトケンは里芋の気持ちがわかっていないから、僕はただそのことを伝えたかった。そうしたらカトケンはまじめだから、僕を師匠にして、安住の地を地を見つけようとしました。だけどね、それで里芋を育てたら、カトケンがつくった里芋はどこにもないよ。それはただ、いさどんの幻がカトケンを通してつくっだだけです。カトケンはいさどんを正解にしているけれど、カトケンの正解は、カトケンがそれを極めていった結果得るものなんです。

僕はどこかで勉強したわけじゃないし、正解でもありません。仮にそれが今の段階での正解だったとしても、里芋と人間が付き合っていくことは、これからもどんどん進化していきます。お米だって昔から今のようにたくさんとれたわけじゃないでしょう?人間が進化して接すると、作物もそれを受けて自ら品種改良していくんですよ。
だから、今の段階で僕が観えていることは、カトケンに伝えます。だけどそれを受けて、今度はカトケン自身が里芋と対話していくんですよ。そこで気付きが生まれていったら、それはカトケンの里芋になる。
その時に初めて、そこに人に伝えていくだけの価値が生まれます。ただ人から聞いただけの情報ならば、何もカトケンに教えてもらわなくてもネットでもどこでも手に入るでしょう?それは、自分を生きたんじゃない。ただ受け売りの情報に従っているだけです。

僕は何がしたいのかというと、誰もが自分を生きて、その答えを常に受け取りながら次へと活かして、毎日を充実して過ごしていく場所を創りたいんです。
傍から聞くと、何を言っているのかよくわからないかもしれません。でもそこに真理があります。ものをよく観ろ。奥を読め。流れを感じろ。里芋のことなら里芋が教えてくれるから、里芋の声を聴いて、天の気を読んで、状態をよく観なさい。そうしたら、素人でも里芋にやさしいことがやれるから。
里芋にどれだけ水をやるかは、里芋と話ができて、初めて人間に智恵が湧きます。それが、生きることが充実するということです。そうやって生きていったら、死ぬ時に「いい人生だったな」と旅立てます。そしてここは、さらにその先の世界を目指しています。今の世の中の行き詰まりを突破する次の時代の解答を持って、それを生きられる場所なんです。

その目指していることが一人ひとりの中に完成したら、ここはとびっきり不可思議な場所になるでしょう。不可思議というのは、訪れる人が「あれ?ここはどこだろう?」というような、異次元の世界です。そういう場所をみんなで創りたい。
だけど「みんなで」というのが、みんなでワンパターンになって同じところに流れていくとしたら、それは間違いです。ワンパターンに流れていって間違っていった事例は、世間にいくらでもあるでしょう。

「みんなで」というのは、一律ではないんです。それは「ハーモニーを奏でる」ということです。一人ひとりがそれぞれに違った音を出し、それが調和して、全体が美しいハーモニーになる。それが宇宙の実相です。そこで個性をつぶしたら、何にもならない。
カトケンはカトケンにしかなれない。だから、カトケンはカトケンの里芋を育てなさい。

宇宙は常に変化変容し続けています。今の正解も、未来へ行ったら不正解です。進化するとは、今の正解を不正解にしていくことです。

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いさどんと話をしたカトケンは、自分の中に「失敗しちゃいけない」という心が根強くあったことに改めて気付いたと言います。

「長男として両親の圧力を感じながら育ってきて、いつも何か言われるんじゃないかとびくびくして、正解をやらなくちゃと思い、その心が自分にストッパーをかけてた。だけど、もっと自由に、思った通りに、自分らしさを表現していいんだよ ———— そう伝えられた。
もっと作物と対話して、自分らしい作物を育てていける。その方が楽しいし、いい作物ができる。それが本来自分が目指していたことだと思った。だから今、ここにいるんだよね。」

「頭では、言われた通りにやるのはおかしいよなってわかるんだけど、実際の自分は失敗しないようにって小さくなってた。だけどおもしろいのは、湧泉閣でいさどんの話を聞いている時に、そこにあまのくん(1歳)が来てね、いさどんがあまのくんをあやしたらあまのくんが泣いちゃって、それを見て周りにいたみんなが笑って、いさどんがまた冗談を言ってあまのくんをからかって、あきちゃんが笑いながら泣いているあまのくんを抱いて連れていったりするのを見ていたら、急に『あ、俺、根本的に間違ってたわ』て感じたんだ。それって理屈じゃない。
うまく表現できないけど、その場に流れる空気を感じた時に、ああしなきゃ、こうでなきゃいけない、という自分の中のコントローラーが、ボトンと落ちた。ああ、ここにいる人たちは自分とは違う世界を観てるんだ、こういう世界があるんだ、って。みんなが笑い合っていて、相手に対しても自分に対してもやさしい場所。この波動が大事なんだってことを、理屈じゃなくて感じたんだ。」

それ以来、自分なりに観察しながら畑に水を入れるようになったとカトケン。
「生命力がついてきたのか、一度枯れた葉っぱもよみがえってきた。里芋の葉っぱって、ハートの形してるでしょ。風が吹くと、それが揺れるんだよ。里芋がかわいく思えて、この畑にまた行きたいな、と思うんだ。」

9月上旬。葉っぱがよみがえってきています。
9月上旬。葉っぱがよみがえってきています。

「台風が来て里芋は大丈夫だろうかと何度も足を運んでたら、ある時、茎の間から見慣れないものが伸びてるのを見つけたんだ。何だこれ、と思って本で調べたら、里芋の花だった。めったに咲かないもので、咲くとニュースになる地方もあるくらい珍しいんだって。」

里芋の花。品種はセレベス。
里芋の花。品種はセレベス。
こちらはタケノコ芋という里芋の花。
こちらはタケノコ芋という里芋の花。

「えっ、こんな花があるんだ、って思った。今までナスとかキュウリみたいな花しか見たことがなかったけど、里芋は全然違う。感動したよ。作物によって全然違うんだ、それぞれにオリジナルな花があるんだ、って。
それを見た時に、一人ひとりの中にある花を咲かせていけばいいんだって思った。里芋でも咲くなら俺でも咲くだろう、と(笑)。こんなわけもわからずやっている管理人のもとで、よく咲いてくれました。よくひねくれなかった。本当に、里芋に感謝しています。」

 
湧泉閣での話の最後に、いさどんはカトケンに向かってこう言ったのだそうです。
「カトケンがもっと生き生きすることだよ。」

 

里芋とカトケンの物語は、続く!
里芋とカトケンの物語は、続く!

 

 


一人ひとりの心が変われば世界は変わる!〜雑誌「コミュニティズ」より

雑誌「コミュニティズ」
雑誌「コミュニティズ」

アメリカのコミュニティ向け専門誌である「コミュニティズ」という雑誌の2016年秋号に、ファミリーメンバーのようこちゃんの記事が掲載されました!
これは今年の春に「奉仕と活動」というテーマでの執筆依頼を受けて、自然療法プログラムのコーディネーターを務めるようこちゃんが寄稿したものです。以下に、その日本語版の全文をご紹介します。

ようこちゃん
ようこちゃん

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一人ひとりの心が変われば世界は変わる!

「ここは一体何なのだろう・・・これほど穏やかに人々が暮らしている姿を観たことがない。このような心で生きられたら、人生で他に何も望むものはないだろう。」当時29歳のわたしが日本の富士山麓にある木の花ファミリーを初めて訪問したとき、今までの人生で想像さえしなかった世界に出会いました。そして、「わたしの残りの人生でやるべきことを見つけた!それはここにいる人たちのように穏やかな心でいられるよう、皆が日々実践している心磨きをすることだ」と思い、それから4ヶ月後、木の花ファミリーに移住したのでした。その時わたしは30歳でした。

移住して間もない頃の木の花ファミリー
移住して間もない頃の木の花ファミリー

木の花ファミリーは、赤ちゃんからお年寄りまで血縁を超えた80名のメンバーとゲストを合わせて100名近い人々が一つの大家族として暮らす農的共同体です。創設者である古田偉佐美(通称いさどん)は1981年以降天からメッセージを受けるようになり、1992年、天の意志を地球全体に広めるよう天啓を与えられました。1994年、20名のメンバーが木の花農園を創立し、その後木の花ファミリーと改称しました。「木の花」という名は富士山の主神「コノハナサクヤヒメノミコト」に由来しています。それ以降、木の花メンバーは、人々がつながり、互いに助け合い、自然や生きとし生けるものと調和して暮らす菩薩の里を富士山麓に確立してきました。菩薩とは、他者の喜びを自らの喜びとし、世の為人の為に生きる存在です。

わたしが初めて木の花ファミリーを訪れたとき人々の心の中に観たものは、まさに「菩薩の精神」でした。そしてメンバーになった後、菩薩の精神を元に木の花ファミリーでは様々な社会貢献を行っていることを知りました。その一つとして、木の花ファミリーでは「自然療法プログラム」を提供しています。これは30数年に渡って10000件を越える人生相談に応じてきたいさどんをメインコーディネーターとして、うつ病や統合失調症などの精神疾患、薬物・アルコール・ニコチン等の依存症、そして不登校・引きこもりなどの問題行動や生活習慣病等を抱えている人たちがここに滞在しながら、薬に頼らず心身の健康を取り戻していくプログラムです。わたしは心磨きという未知の道を歩むためには、いさどんの元で学ぶことが最善だと閃き、いさどんと共に自然療法プログラムの担当になることを希望しました。また、今まで10年、20年に渡って改善しなかったうつ病がわずか1ヶ月で完治するようなケースを目の当たりにし、その秘密を紐解くことが新たな時代の社会創りや人々の目覚めのヒントになると強く感じました。そうしたわたしの熱意に触れたファミリーメンバーは、わたしが自然療法プログラムの担当になることを快く受け入れてくれました。このようにして、わたしの心磨きの道はスタートしたのです!

木の花ファミリーが創立されてから最初の10年間はコミュニティとしての土台づくりの期間であり、その後社会貢献の一環として自然療法プログラムが提供されるようになったのですが、当初は原則困っている人なら誰でも受け入れてきました。そうすると、中にはコミュニケーションが取れず暴力を振るう人や裸で施設外に飛び出していく人もいて、その結果わたしたちが警察から呼び出しを受けることもたびたびあり、それはそれはたいへんな時代でした。そこで、その人が改善されるタイミングが来ていないのにここで受け入れることには限界があると悟り、以降、面談で事前に本人の意志を確認し、改善の可能性のある人を受け入れるようになったのです。その結果、現在ではうつ病の人であれば、ほぼ100%改善されるようになりました。さらに、お医者さんからは一生治らないと言われた病を抱えた人でさえ、ここでは治るのです!

Yさんの物語

わたしは精神疾患を長年抱えてきた多くの人々とここで出会ってきましたが、その中でもYさんとの出会いはわたしの人生にとって最も衝撃的でした。2010年春、5年間患っていた統合失調症を改善するため初めてファミリーを訪れたYさん(当時28歳)は、彼女が病気になったためにうつ病になってしまった父親(当時61歳)と一緒にいさどんの面談を受けました。統合失調症の症状である幻覚・幻聴のみならず幻触まで現れ、コミュニケーションがスムーズに取れず、まるでロボットのようにぎこちなく手足を動かしている彼女を見たわたしは、「これほど重度の統合失調症の人にわたしは出会ったことがない。たとえ彼女がここに滞在したとしても、改善されることは難しいだろう」と思いました。ところが、彼女が改善される可能性を見出したいさどんは、病気をもたらした心の性質にしっかりと向き合い、それを改善していけば社会復帰できるでしょう、と彼女に伝えたのです!

その時のことを今、彼女はこう振り返ります。「初対面のいさどんにずばっと自分の本質を突かれたことが今でもとても印象に残っています。いさどんに『あなたは二重人格で嘘つきだね』と言われたことがその通りだったので、『この人は本物だ!この人を信じて取り組んでみよう』と思い、その年の秋に自然療法プログラムをスタートすることにしたのです。」

こうして自然療法プログラムをスタートし、みんなが善意で接しているのを感じたYさんからは徐々に緊張や不安が解消され、それと共に体の動きも自然な姿に戻っていきました。そうした姿を間近で観ることは、わたしにとって信じられないような想いと同時に大きな喜びでした。また、少しずつリラックスできるようになった彼女が滞在を開始して3日目には減薬を始め、滞在10日後には断薬し、薬がなくなっても症状が変わらないことを目の当たりにしたとき、ここには薬に代わる何かがあるのだとわたしは考えるようになりました。

今、Yさんはケア滞在の最初の2ヶ月をこう振り返ります。「毎晩の大人会議を含め生活の中でみんなが真剣に心を学ぶ姿勢から自分も学んでいくことができました。みんなと話す中でみんなが伝えてくれるベースにはその人を想う愛があることもわかりました。また、いさどんとの面談もとても効果がありました。1週間毎に行われる面談ではいさどんから課題が与えられるのですが、その結果を受けてまた次の面談で新たな課題が与えられていくのです。滞在1週間後から日記を書くことが課題として与えられたのですが、日々の中で自分を見つめ、自分が何を考え感じているのかについても、少しずつ気付けるようになっていきました。」

そして滞在がスタートしてから2ヶ月が経ったとき、Yさんがなぜ病気と呼ばれる現象をもらったのか、その事実に真正面から向き合う機会が訪れたのです!今、当時のことをYさんはこう振り返ります。「自意識の強いわたしには自分の非を認めたくないという自己防衛本能が働いていたのでしょう。だから、病気を引き起こした自らの心に向き合うために2ヶ月という準備期間が必要だったのです。滞在してから2ヶ月後、木の花ファミリーの思いやりにあふれた環境の中で自己防衛をしないでいられるようになり、自らの心を観る精度が高まった段階で、いさどんからわたしが二重人格になった経緯を次のように伝えられました。『あなたは幼い頃から母親や周囲に対して感情を抑圧する癖があり、就職してからは感情をさらに抑圧してきました。そして幻聴が始まった23歳の時に、今まで抑えていた感情が自らの手から離れて暴走し、コントロール出来なくなり、現実逃避の果てに別の人格(自分を罵倒する声)を作ってしまったのでしょう。』いさどんがそれを解明したのは、わたしの心の中にわたしが病気となる原因を作った種がある、とまさに気付き始めていたときでした。それまでのわたしなら自分の病気を両親や環境のせいにしていたので、いさどんの言っていることをそのまま受け入れることができなかったかもしれません。この面談を境に、自分ともう一人の人格を同一化する作業を第一に進めながら、自分が病気だというよりも、自分の心がそのような病的な状態をつくったのだと捉えるようになりました。それからは自意識が強い自分をよく知って、自己コントロールしていくことがもっとも大きなテーマとなりました。」

それ以降、Yさんの思考がどんどん秩序だったものとなり、彼女が書く日記や大人会議での発言も客観性を帯びた安定したものになっていきました。さらに、表情も明るく顔つきも健康になっていき、滞在3ヶ月半でYさんは見事自然療法プログラムを卒業したのです!

天からの贈り物を分かち合っていく

その後、彼女はここで長期滞在を続け、アルバイトをしながら、「かつてのわたしのような病を持つ人々を支援する仕事に就き、少しでも人の役に立ちたい」という想いから、精神保健福祉士になるための学校に通い始めました。その2年後、見事資格を取得したYさんは、2015年夏から精神保健福祉士として精神科病院に勤務するようになったのです。

現在、来院する患者さんの話を聞きながら忙しい毎日を送るYさんはこう語ります。「現代の医療は主に表面的に現れた症状に対処する対症療法であり、一般に心理カウンセリングなどもありますが、木の花ファミリーの自然療法プログラムほど心の精度の高いものにわたしは出会ったことがありません。そのため、精神科病院で出会う人の中には木の花ファミリーに来て自然療法プログラムを受けたらいいと思う人がたくさんいます。わたしはこのプログラムを受けて、自分を知り、コントロールする力を身につけさせていただいたことで、少し自信がつきました。このプログラムを受けた人たちを観ると、意欲を持って取り組んだ人達はどんどん変化し、元気になっていく姿がありました。わたし自身その姿に感動したことや、元気になった姿を見させていただいたことへの感謝が湧いてくることが何度もありました。ファミリーメンバーがこうした人々を受け入れ、人が変化していくことに寄り添い、共に歩み、回復することの喜びを共有することは素晴らしいと思いました。わたしだけではなく、ここではたくさんの人が病気の状態から脱し社会復帰していったことは、まさにここが真の癒しを提供する愛ある場である証拠です。ここはこれからの社会、また人類にとって貴重で重要なコミュニティです。」

6年前に木の花ファミリーに出会ったときは自分という狭い枠に囚われ、病的状態にまで至ってしまったYさんに今、他者の喜びを自らの喜びとする「菩薩の精神」が芽生えてきたのです。わたしが木の花ファミリーメンバーになってからもうじき9年になりますが、自然療法プログラムを担当することを通して、自分自身の成長のみならず他者のために貢献できるよう心磨きをすることは、まさにわたしの天命であったとますます実感しています。驚くべきほど短期間で人の変化を間近で見せてもらえるたいへん貴重な機会をいただき、うつ病や統合失調症などの精神疾患のみならずアトピーや糖尿病といったあらゆる心身の問題はすべて心が原因であるという真理に出会えたことは、この世界にあるすべての問題を解き明かす鍵を手に入れたも同然なのです!

日本語で「病気」は「気が病む」と書き、その原因は心(気)の滞りにあります。病気とは生命のバランスが崩れ、命と命が響き合わない状態です。それとは逆に、「健康」とは「元気」なことであり、元の気の通りに命と命が響き合いながら、連鎖し循環する姿です。木の花ファミリーの自然療法プログラムでは、20年以上もの間心の病を抱えていた人たちがわずか数ヶ月で回復するケースが多々あり、人はそれを「奇跡」と呼びます。しかしながら、なぜ病気に至ったのかを過去から現在に至るまで緻密に観ていき、病気を引き起こした心のあり方を改善する意欲さえあれば、誰でもその状態を克服することができるのです。それはこの世界の法則から捉えれば、「奇跡」なのではなく、至極「当たり前」のことです。真の意味で病気とは、本来の生命のあるべき姿から外れていることをわたしたちに知らせるメッセージであり、元の状態に戻そうとする自浄作用なのですから、ありがたいことでもあるのです。しかし、できれば健康なうちに命のありがたさに気付きたいものです。そのために、ファミリーメンバーは心磨きを最優先にして日々を生き、「菩薩」になるための道を歩んでいるのです。

わたしたちはYさんを治療したのではありません。彼女がなぜそのような状態になったのかを共に探っていっただけなのです。そして、彼女が自らの姿勢を振り返り、元の調和の心に還っていっただけなのです。わたしの生き方も木の花ファミリーの生活も、世界中にそうした調和のネットワークが広がっていくためにあります。ですから、すべての人々が健康になることはわたしたちの願いです。一人ひとりの健全な体と心が健全な世界を創っていきます。一人ひとりの心が変われば、世界は変わるのです。一人ひとりの心が元の調和の心に還っていけば、自ずと病気は消え、世界中のあらゆる問題事が自動的に解決し、平和が地球上に訪れるのです。

21世紀は人類がそのことに目覚める時代です。善意・愛・調和のネットワークが地球全体に広がることを願って、今日も日本の富士山麓にある心の湯治場では、皆さんのお越しを楽しみにお待ちしています。

 

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2016年9月、収穫祭にて