同じ時を生きる全ての魂へ〜散骨式~自然へ還るセレモニー【後編】

2024年1月のよく晴れた日、「散骨式~自然へ還るセレモニー」が行われました。

*この散骨式の意味については、同じ時を生きる全ての魂へ〜散骨式~自然へ還るセレモニー【前編】をご覧ください。

大晦日に粉骨された六柱のご遺骨が、参列者一人ひとりの手によって、自然の循環の中へ還されていきました。

生前の面識がある人もない人も、皆で少しずつご遺骨を受け取り、自然の中へお還しします

昨年親類が旅立ったメンバー達も、皆と一緒に散骨をしました。

お母さんの骨をまくのりちゃんとれいちゃん
きたじゅんはお祖母さんの骨を木の根元に還しました
お姉さんの骨をまきながら「姉も喜んでいると思います」とありりん

ありがたいことに、散骨式の日は毎年、澄み切った青空が広がるとても暖かい日となります。今年は特に風が強く、時には遺骨が風に乗って、空高く舞い上がっていきました。

みんなで「せ〜の!」で遺骨をまいたら、あっという間に風に運ばれていきました
風に手を振ってお見送り

小さな子ども達も、一緒に散骨します。

みんなが自然に笑顔になって、「私も早くこんなふうに見送られたい」という声も。

散骨後は、「太陽の導き」と「カタカムナ63首」の舞と歌が奉納されました。

六柱を代表として、同じ時に旅立ったたくさんの魂に思いを馳せながら、皆で共に見送る散骨式。最後に、ジイジは以下のように挨拶をしました。

毎年、ナイジェリアの研修生から贈られた民族衣装で散骨式に臨むジイジ

新しい時代への出発(たびだち)

今、皆さんに挨拶をしようとしましたら、急に風が強く吹いてきました。

今日は、空の青がとてもきれいですね。この散骨式に臨みながら、時代は変わった、ということを思っていました。時代の動きというのは、人間の歴史だけではなく、地球ができてから、もっとさかのぼれば、宇宙の始まりまで想いが飛んでいきます。そして、そこからずっと繋がって、今この場所があります。私たちが日々ものごとを考え、こういった世界を創って生きていることの結果として、この場所があるのです。
現代には、豊かそうに見えて、実際は幸せでない人がたくさんいます。お金がないとか、日常の中で悩み、生きることに行き詰まっている人々が多いのです。2024年の今年は、年が明けたら大地震があり、翌日には飛行機事故があり、昨日は九州の小倉で大きな火事がありました。それだけではなく、ウクライナやガザでは、今も毎日多くの人々が殺されています。人類が誕生してからこれまでの結果を見てみると、なぜ人間は、地球上の生命として生まれてきながら、こんなに悩まなければならないような世界を創ったのか、なぜそんな生き物になってしまったのだろうかと、私は疑問に思うことがあります。
どうですか?もしもこの世界から、パッと人間を取り除いたら、他に生活に困る生き物はいるでしょうか?鳥や猿や植物が、明日の暮らしのことで悩んではいないでしょう?みんな自然の仕組みの中に組み込まれ、その仕組みの中で植物は植物のように、動物は動物のように自らの位置を生きている結果、誰も明日の心配をしていません。未来の心配もしなければ、過去のことに悩むこともない。しかし、どうして人間は、こんなにも高度な世界を創り、まるで地球が人間のものであるかのように振舞いながら、実際の一人ひとりは毎日生きることに悩み、明日どころか今日食べるもののことすら心配するような世界を創っているのでしょう。

過ぎたるは及ばざるが如しと言いますが、何かが足りなさ過ぎる。そしてもう一つ。何かが多すぎる。何かをたくさん求めすぎている。自らが頂いていることへの感謝が足りなさ過ぎるのです。
それで、ふと思いました。この高度な生き物が、本当の意味でそれに相応しい高度な世界を達成するとしたら、どうしたら良いのか。たぶん、一人ひとりが与えられている「自分」という個性を、自分のものだけにするのではなく、みんなのために使うようになったら、きっと高度な完成された世界ができるのではないでしょうか。
人間以外の生命は、この大いなる自然の循環の中で、みんなそのように生きています。この芝生も、そこに生えている木も、落ち葉も、みんなそうです。この銀杏の落ち葉は、ついこの間までは見事な黄色で、銀杏の木を黄金色に彩っていました。それが落ちて、このように茶色くなって姿が変わっても、そのことに悩んでいないでしょう?「ああ、落ちちゃった」とは言わないでしょう?髪の毛も、「ああ、抜けちゃった」とは言わないでしょう?(みんな:笑)
葉が落ちた銀杏の木には、このままずっとそうなのかと言ったら、春になるとまた新しい葉が芽吹いてきます。それは、銀杏が自分の力で一生懸命やるのではありません。自然に委ね、その循環の中に、自らの立ち位置や、変化の姿も頂いているのです。そのような意識になって、人間がこの高度な能力を全体のために使い、それぞれの役割を果たす助け合いの世界ができたら、誰も、明日のことにも明後日のことにも、未来のことに悩む必要はなくなり、過去のことにくよくよすることもなくなるのです。

こういった心境で生きることは、とても難しいことのように思えます。実際、現代の人々には本当に難しいでしょう。テレビを見ると、いかにもこんな風になったらいいというように、いろいろな世界がこれでもかとばかりに迫ってきますが、その番組に出ている人が自分の普段の生活に戻ったら、テレビで見せていたのとは違う心をしているのです。テレビ番組は、そこで意図的に特定の世界を表現し、実際にある日常のいろいろなことを隠して放送されています。そしてそれを見る側は、ものを観る目がないと、世の中がみんなそういう風であると受け取るのです。だから、ぼーっと見ていると、騙されていることに気付かない。しかし実際には、テレビの向こうの人々にも、テレビのこちら側で見ている自分と同じように、毎日の暮らしがあるのです。

今日は1月の4日です。なかなか世の中に、縁ある人々がこのように賑やかに、亡くなった人を見送る場所はないでしょう。今日は風まで手伝ってくれて、ご遺骨を土の上にまくつもりだったのに、風が運んでくれて、空高く飛んでいったご遺骨もありました。(みんな:笑)
生きるということは、生き物にとって絶対のことです。そして約束通り、死ぬことになっています。ところが、人間だけが死ぬことを暗いことと捉え、それを避けたい、そこから逃げたいと思うのです。ですから、お葬式もお墓も暗いイメージです。しかし、この散骨式は明るくて、空は真っ青です。そして風が吹いて、もう未練も何も吹き飛ばしてくれたようです。とても良い日です。そんなふうに、人を見送ることができる。骨を自然に還すということは、最後の物理的要素を還すということです。最後のものをとうとう手放し、新たなスタートを切る出発(たびだち)です。

そういった軽い心になったら、自分に近いものだけに囚われなくても、みんなと本当に助け合って生きる、自然の大循環の仕組みのような世界が創れます。今、テレビの向こうにはテレビの向こうの世界があり、道沿いの家々の窓明かりの向こうにも、それぞれの家庭生活があります。それは1軒1軒の家の話ですが、そのたくさんの家が集まって創られている国では、良い国を創ろうと言っていろいろと策を練り、他の国と争ったり、争うための兵器をどのように作ろうかと画策しています。それは、平和で豊かな世界では不要なことです。
これは、とても素朴な話です。だから、それが最終的に人間が求めるべき世界であり、そのような時代が始まったということを今年に入って実感しています。それは、より高度に、より便利にということばかりを求め続けてきた人間にとっては、なかなか気付けないことですが、実は、自然と共に素朴に生きてきた生命としての延長に、そのような世界ができそうな気がしています。それを今僕は語っていますが、みんなはそれをイメージとしてわかるかな?これからの時代は、それをわかる人にならなければいけません。

おそらく、これは現代の人々にはわからないでしょう。しかし実際に、この自然の世界では、悩んでいるものはいないのです。
(ここで、さらに風が強く吹いてきて)風が、そうだと言っています。生命として生きる上で、余計な争いをして悩みを作って生きていくことは、もうやめましょう。それが可能だという見本を創らなければいけないと思っています。それには、みんなの協力が必要です。みんな、協力してくれますか?(拍手)
それが達成されたなら、人が生きる上でそんな素晴らしい場所を創れたなら、それが生きることの一番の目的であります。

現代では、このような散骨式は普通ではやりません。やらないからこそ、そのようなことをやれている価値観の下で生きていることを、誇りにしていきましょう。今までになかったことをやり、今までにいなかった人になり、これまでになかった生活をしていく。それが、新しい時代への出発(旅立ち)をする人々の姿勢だと思います。漠然としていますが、何かが観えてきました。誰もやらなかったことを、これからやっていく。そのためには、気持ちに縛りがあってはいけません。これから始まる新しい時代を楽しみに、軽い気持ちで、今はまだ気付かないたくさんの人々へのヒントとなる暮らしをしていきましょう。
みんな、よろしく!

 

セレモニーを終え、みんなの表情は最初よりもずっと晴れやかになっていました

 


同じ時を生きる全ての魂へ〜散骨式~自然へ還るセレモニー【前編】

木の花ファミリーでは、お墓を持たずに、旅立った魂の遺骨を自然の循環の中に還すということで、毎年大晦日に粉骨式を行い、年が明けると「散骨式~自然へ還るセレモニー」を開催しています。
この取り組みは2021年の暮れから始まり、今年で3回目を迎えました。粉骨式では、木の花ファミリーのメンバーのみならず、メンバーの家族や友人、また、縁あって寄せられた様々な方々のご遺骨を、心を込め、人の手で丁寧に砕いていきます。そうすることで、そこに刻まれてきた人生の軌跡もまた、小さな粒子となっていくのです。

旅立った魂に想いを馳せながら、丁寧に骨を砕きます

そして年が明けた散骨式では、生前に出会ったことのある方もない方も分け隔てることなく、参列者皆で自然の中にお還しし、魂の旅立ちを見送ります。それは、小さな子ども達からお年寄りまであらゆる世代の人々が、旅立った方々の生きた軌跡が生命のふるさとである自然の循環の中へ還っていくことを感じ、命とは何かを共に確認する、とても温かい時間です。

富士山麓の自然の中で、思い思いの場所に遺骨を還します

今年は、年明け早々に能登半島で大きな地震がありました。そして、ガザやウクライナを始め世界各地で終わりの見えない紛争が続き、多くの魂が不遇な死を迎えています。
そのような世界の現状を振り返り、散骨式前日に、ジイジは以下のように語りました。


骨を残すということは、形に執着する原因にもなります。形に執着せず、地球生命生態系の大循環の中に還すことで、物理性もまた大いなる流れの中へと還っていくのです。私たちはこの大循環の中で命を頂き、日々循環を繰り返すことで命をつないでいます。そして、最終的にその命を返上しリセットする段階において、肉体という魂の器を自然に還すことで、一切の形への執着を解きます。それは即ち、魂が宇宙の大循環へ還るという、人が存在することの最終目的に到達するルートを創るということです。遺骨を粉骨して撒くということは、その悟りへの第一段階であり、最も身近にできることです。

旅立つ魂がどこに還っていくのかは、それぞれの魂の修行の結果である精神の位置によって決まります。その一方で、形の世界を生きた証として、私たちはこれまで、形の世界にその痕跡を残してきました。しかし、お釈迦様の旅立ちには、墓もなく、戒名もありませんでした。
人間以外の生き物は、そもそも執着を持たないため、どのような死に方をしても美しいものです。しかし、人間の魂は複雑にできており、執着が多いため、器と魂の存在した痕跡をきれいにしていく必要があります。その後押しを、生き残ったものたちがするのです。その仕組みを知ったものたちが送ることによって、未熟であったものたちにも昇天する機会を与えるのです。

今年は、ご縁のあった六柱のご遺骨が集まりました。その中には、生前の姿を見たことはなく、接したことのない方々もいます。しかし、同じ時を生きたものとしてのご縁によって、そのご遺骨を粉骨、散骨させて頂くことになりました。
そして、視野を広げれば、同じ時を生きて、この物理的世界を卒業した魂は世界中にたくさんいます。そこには、直接出会ったことはなくとも、同じ時に旅立つというご縁があります。世の中がこのように混沌とした時代には、良い旅立ちをするものばかりではなく、不遇な旅立ち方をした魂もたくさんいるのです。
その魂の旅立ちの役割の意味を深く受け止め、現世を生きるものたちがより良い歩みに繋げていくことができたなら、その魂の旅立ちもまた、より善きことへ向かうための意味を表すものに変換されるのです。この物理的現象世界には様々な次元の旅立ちがありますが、その一つひとつを、より善きことへ向かう学びとして受け取っていくこと。現世を生きるものたちの心次第で、旅立ったものの歩みを無駄にしない。そのような自覚のもとに、この散骨式を執り行っています。

こういったことを宗教と見る人々がいますが、これは宗教ではありません。これは、粛々とした時空との付き合いである現象界の、最終段階でのお手伝いです。それを美しくしていくことは、原因と結果により成り立っているこの現象世界において、現在の結果をより良い原因として、次の結果をより良きものへとしていくための当然の行いであり、賢明な者にとっては当たり前のことなのです。そして、なぜそれが要るのかと言うと、人々が未だ悟れていないからです。
これから、まったく新しい人の意識の在り方を開拓していかなければなりません。そういった想いが、考えて出てくるのではなく、自らの中から湧き出してくる。その時に、「本当にそうだ」と思えることが湧き出してくる。これまで一般社会では受け入れられなかったことを理解できる人々が、たくさん現れてきます。なぜなら、私たちは今、そのような時代を迎えたからです。

今回ここでお送りするのは六柱ですが、その方々を代表として、同じ時を生き、旅立ったすべての魂に思いを馳せて送る。そのような自覚をもって、この散骨式に臨みましょう。

 

同じ時を生きる全ての魂へ〜散骨式~自然へ還るセレモニー【後編】

 


みんなでこの星を良い星にしていきましょう 〜 中国からのゲストとの座談会

2023年5月から6月にかけて、ある中国人のグループが木の花ファミリーを訪れました。
中国のコミュニティで共に活動している彼らは、人が心を磨いて真我に目覚めることを活動の基盤としており、「木の花ファミリーの世界観を学びたい」と、滞在中に繰り返しジイジと話し合う場が持たれました。
以下は、滞在最終日に行われた座談会の記録です。座談会には、自然療法プログラム卒業生のワンホーも通訳として参加しました。

 


 

Eさん:
昨夜の大人ミーティング(木の花ファミリーでは毎晩、大人メンバー全員が参加する「大人ミーティング」があります)で話し合われていたことにも関連しますが、人々が地球にとって良いことをするために、どうしたら心をひとつにすることが出来るのだろう、と思いました。どうしたら、同じ目的に向かって意思をひとつにすることが出来るのでしょう?

ジイジ:
それは、手法を考えても難しいですね。例えばアメリカ発祥の自己啓発セミナーのように、人の意識を高めるためのトレーニング方法というものが現代社会には色々とありますが、そういったものは、人々の「このようになりたい」という思惑をくすぐるようになっています。それは自らの欲を満たすためのものであり、欲を満たすことでさらに自我が増幅されますから、その延長線上でいくら「心をひとつにしよう」と思っても、結局そのようにはなりません。
あなた方はこういった考え方をよく理解できるだろうと思うのですが、人間の「ああしたい」「こうなりたい」という欲の心をくすぐるのではなく、もうひとつ別の視点からこの世界を観て、現代につながる地球上の歴史が、いったい何によって動かされているのかに気付くことだと思うのです。

例えば、人の中には、自らの自我を超越した精神状態を発揮できるスイッチがあります。
それは全ての人にありますが、そのスイッチを入れる段階というのは、人間の思惑によってあるのではなく、何ものかが推進する大いなる時代の物語のプロセスの中にある、と僕は観ています。そういったプロセスは、地球に起きる歴史が創る地球物語であり、それがあることの証として、今人類は、未来に向かってより良い社会を築いていくための方向性を見失っています。その状況は、より強く欲に翻弄される方向へシフトしています。それは何を意味しているのかと言うと、欲のままに進み続ける人類にはまだその方向は観えていませんが、その歴史を動かしている物語にとっては、諸刃の剣である人間の能力がもたらすネガティブな状況がピークを迎えることによって、未だ目覚めない多くの人間たちのスイッチを入れようとしているのです。
僕の年代(70代)の人たちが引き受けている役割と、その中でも僕が引き受けている役割は、その扉を開くための土台を築くことです。そして皆さんは、その土台の上で次の時代を担い、さらにその先の世代へ繋げていく役割です。つまり、年代によって物語が紡がれていくのであり、それは今この時代だけで完結するのではなく、過去から未来まですべて繋がって、地球の歴史として表現されていくのです。その中で今、僕たちの年代が役割としてすることと、あなた方が役割としてすること、そしてそのさらに先の世代が役割としてすることを、繋げて捉える視点が人類には必要です。過去から受け取り、それを未来へ繋ぐのだという意識の下に、今現在の位置を確認し、それを認識して生きるのです。

Iさん:
人間は、本当に自らの中にある真実に目覚めたら、自ずと全体とつながってくると思います。先ほどジイジがおっしゃったように、自らのスイッチを入れることが、その鍵となるでしょう。

ジイジ:
そのスイッチが、個人のためだけのスイッチなのか、或いは、本来の生命としての意識が伴っているのか。生命というのは、単独で完結していません。地球で言えば、地球生態系は多種多様な生命の連鎖によって成り立っており、その中のひとつの個体にスイッチが入るということは、全体の中のその部分にスイッチが入るということです。つまり、それは全体を運営するためのスイッチであって、単独のためのものではないのです。それは視野を広げれば、自分と地球、さらに広げると自分と宇宙との関係のスイッチとも言えます。
しかし現代の人々は、ほとんどが自我のスイッチを入れている状態です。ですから、自分と地球の関係どころか、個人個人ですら繋がらない状態になっています。簡単に言えば、宇宙にいながらにして宇宙の迷い人になっているとも言えます。そこで求められることは、視野を広げ、自らの視点のスケールを大きくしていくスイッチを入れることです。そうすると、現状の様々な矛盾が自動的に改善され、物理性だけの世界ではなく、それを超越した世界ができるはずなのです。

Iさん:
人々が繋がっていくための目覚めのスイッチを入れるには、たくさんのプロセスがあるということですか?

ジイジ:
それは、プロセスとは違うものです。例えば10段階の意識レベルがあるとして、その人の意識がどの段階にいるかによって、その人の霊的な位置が決まります。それを気軽に上の段階に引き上げられるかというと、そう簡単にはいきません。なぜなら、そこにいるということは、意味があってそこにいるからです。
そこから次の段階へ行こうとする者であれば、何かのきっかけを与えれば次のレベルへ行くことができます。しかし、その段階にいる必要がある者については、そこから引き揚げようといくら働きかけても、働きかけた成果は上がらないのです。誰に対しても引き上げればよいかというと、そうとは限りません。それを闇雲に引き上げようとすればエネルギーが無駄になる可能性もありますから、そこを見極めることが必要です。そこには、旬があるということです。
ただし、今の人間社会の状態を観ると、様々なことで悪化が進んでいます。それは、今のままの価値観で進むと世の中全体が壊れる方向に向かっているのですから、私たちは今こそ、その問題が解決されるための次の段階のことを考える必要があります。僕はそのように思っていますし、それは皆さんも同じだろうと思います。

Oさん:
どうやったらスイッチをいれることが出来るのですか?

ジイジ:
まず、自分にスイッチがあるということを認識する必要があります。まったく認識していなかったら、そこに自らの意識がアクセスすることはないわけですから、まずはそれがあるということを認識することから始まります。

Oさん:
木の花ファミリーのメンバーは皆、それを認識しているということですか?

ジイジ:
認識はしていますが、日々の最優先事項がどこを優先しているかは、個々の意識の段階によって異なります。皆さんは、人間が真我に目覚めることを最優先事項にしていますね。ただそこで、真我に依存してはダメなのです。
「真我」と「自我」は対向発生の関係ですから、常に互いに刺激し合っている状態でなければなりません。そこで自我だけが優先しているのが現代の人々の状態です。真我のスイッチが入るということは、それと対向発生している自我も引き上げられるということですから、真我のレベルが自我に反映され、その人の日常は真我のレベルになるのです。
木の花ファミリーのメンバーが、皆一律にその状態になっているかというと、歩みは人それぞれです。全体の歩みを形で表すと、細長い楕円形のような形で進んでいます。先端を行く者もいれば、後ろの方を付いて来る者もいて、その間が一番多く真ん中が膨らんでいる。後ろの者が遅れ過ぎて外れそうになればぐっと引っ張って全体の中に入れ、先端の者が行き過ぎればやはり戻って全体の中に入る。そのように、それぞれの歩みは違って楕円のようになりながら、全体がひとつのものとして進んでいる絵を浮かべてください。

Iさん:
今、中国に、目覚めようとする人々がたくさん現れてきています。自分は何者で、どこから来たのか、ということを問う段階にいる人々が出てきて、そういった人達はスイッチをオンにする段階にあると観ています。

ジイジ:
そのスイッチの入れ方が、ゲームであってはいけません。もっと物理的かつ現実的な意味で、自分はどこにいるのかを探求していく必要があります。瞑想のように非日常的な取り組みで目覚めたかのように感じるのは、ゲーム的手法になります。結局、その延長には、現実にある人格に変化をもたらすことは難しいでしょう。服装を変えたり、化粧をしたりして、変わったかのように見せているようなものです。

Iさん:
確かに、私が知っている人々の中にも、瞑想やヨガなどに傾倒する人たちがいます。歪んだ気付きを得て、それに傾倒し、日常にそれが何も活かされていないというケースもあります。同時に、その取り組みを日常の中で実践し、日々起きる出来事の背後を感じ取って、それを日常に活かそうとする人々もいます。

ジイジ:
それらの現代的事象、人々の意識をすべてトータルして、ひとつの物語だということです。木の花ファミリーも、メンバー一人ひとりの歩みは違いますが、その異なるもの同士が一緒になって動いている。つまり、全体がひとつの生き物のように動いているのです。
そのひとつの生き物の体の中で、それぞれに異なるポジションをみんなが認め合って、全体が進んでいく。それが、時代が表現していることです。その中のどれかを否定するということではなく、それぞれに相応しい位置があるのだから、そのすべての立ち位置を認める。そして視点をぐっと引いて全体を俯瞰して観た時に、それがひとつの生き物として生きていることがわかるのです。私たち人間一人ひとりも、それと同じ構造であることがわかりますか?
これは、言わば船です。前方の乗組員もいれば、後方の乗組員もいる。ポジションは様々ですが、全体は時代と共に進んでいるのです。

Eさん:
まず、ジイジがこうして船の土台を築いてくれたことに感謝します。
木の花ファミリーのメンバーは皆、ある一定の精神レベルに達していると思いますが、目覚めへの動きを加速化するにはどうしたら良いのかを知りたいです。

ジイジ:
加速化は、してはいけません。なぜなら、それは人間の手の内にはないからです。そして、それを思った時点で、自我は増幅します。我々人類は、この世界の時空を創っている宇宙と対向発生する存在であり、宇宙から頂く側にいます。そして主役は、我々の背後にいて、すべてを動かしている大いなる存在です。
この世界のすべては、善きことのためにあります。そこで、いかに自らの自我を挟まずに、宇宙が我々にもたらすものを常に頂いて生きていけるかどうかが、豊かな世界を表現するための鍵なのです。豊かな世界とは、自我の思惑で「ああしよう」「こうしよう」と目論んで築かれるものではなく、そういった思惑をすべて手放した「頂く精神」の上に表現されるものなのです。

Eさん:
加速化しようという意志はないのですが、思ったのは、人間の中には誰しも真我があり、真我はすべてがひとつであり、私たちは宇宙そのものであるということを知っているということです。ですから、「頂く精神」で宇宙の流れに沿っていくと、然るべき方向に自ずと進化していくのだろうと、話を聞いていて思いました。

ジイジ:
みなさん、素晴らしいですね。このような対話が出来る段階にいるのですから。この話し合いは、自分のためのものではないですね。

Iさん:
ジイジに感謝します。中国にも道教や仏教やキリスト教など様々な宗教がありますが、ジイジが話してくれたことは真理です。すべての人は、目に見える世界の奥にある真理に目覚める可能性を秘めており、私たちも、自分たちの中に真我に目覚めるスイッチがあることを自覚しています。それを認識することで、スイッチを入れることができる。
ジイジは、真理の種をこの世界に蒔いているようです。その種がこれから芽吹いていくのでしょう。

ワンホー:
僕もその種を受けた一人です。ジイジがここで種を蒔き、それを受けた文ちゃんが台湾でその種を蒔いて、僕はそれを受けてここに来ました。(みんな拍手!)

ジイジ:
人間は気が短いのだよね。人間の時間に対する感覚は、例えば1年でもとても長いものと感じるけれど、宇宙から言えばほんの一瞬です。だから、ちょっと視点を引いて、過去も現在も未来も含めて全体像を俯瞰できるようになるといいですね。
国境を意識して生きている生き物は、人間だけです。現実の世界では、人々がまだ自我の延長線上でどれほど対立していたとしても、スイッチが入った人々は、その先にある高い意識を目指す時代がやって来ました。これは個人の悟りではなく、地球レベルの悟りに至る道です。いずれこの精神は、何千年かの後に、人類を宇宙に貢献するものとして成長させるでしょう。
皆さんにお会いできてよかった。この出会いは、まだほんの始まりだけどね。

Iさん:
私たちも、人々が真我に気付くための取り組みをしていますが、私が木の花ファミリーで見たのは、人々が他者を思いやり、日常生活の中で自らを美しくすることに取り組んでいるということでした。中国でも、自分を磨くために様々な手法を行っている人々がいますが、やり方は様々でも目覚めの道に共通しているのは、心です。

ジイジ:
真我は、カルマに影響される心と多層構造になっています。そこで、未だ真我に目覚め切っていない人々にとっては、どちらが優勢になり影響を与えているかが重要になります。

ともこ:
心と真我は別のものなのですか?

ワンホー:
僕も同じ質問をしようと思っていました。

ジイジ:
真我というのは、人間を創る時の設計図のようなもので、それは光のペンで描かれています。その設計図に問題はありません。ところがその設計図に基づいて現象化する時には、様々な不具合が発生するものです。家を建てる時に、設計図は完璧でも、例えば予算が足りなくて何かを削ったり、建てる人の腕が悪かったり、手抜き工事があったりして、設計図通りではないものが出来上がったりするでしょう?もしも本当に設計図の通りに心があれば、物理性もとても美しくなるはずです。
心は、真我の設計図を基にして、その人の履歴によって創られるものです。その履歴とは、例えば前世やその前の人生をどう生きたかというように、今に至るまでに魂がどのような歩みをしてきたかということです。私たちを創っている無数の細胞にはDNAが配置されていますが、そこには宇宙の始まりから終わりまでのすべての情報が入っています。同じように、心の中にも、魂の成立からこれまでの履歴、そして未来への履歴が同じようにあるはずです。なぜなら、ここは宇宙だから。すべての行為は宇宙で発生しており、そのすべての履歴が私たちの中に刻まれているのです。
その過程の中の今の段階で成立しているのが、私たちの今の心です。それは、真我である設計図の意識レベルと対向発生しながら、自らの履歴から来るカルマにまみれています。その心が真我を意識し、真我に則った精神状態を心がけていればいいのですが、真我の存在を忘れてカルマの方を優先していると、現代人のような状態になるのです。
現代人は、非常に高度に発展した物理性が飛躍してしまい、アンバランスな状態になっています。テクノロジーが進化した分だけ、心がより真我を意識して精神性を高め、バランスを取ることができれば、この人間によって発展したテクノロジーは、人間だけでなく、他の生命や地球、宇宙にまで貢献するものになるのです。

Iさん:
完全に同意します。ありのままで存在することが、心を開くことに繋がります。そこには、正しいとか正しくないということはありません。ありのままに存在することは創造であり、輪廻やその履歴も、創造の現象なのです。そういったことに人類が気付くことが重要です。それそのものとして存在することができたなら、違いや葛藤、アンバランスさを意識して注目する必要もなくなるでしょう。そのようになったら素晴らしいです。

ジイジ:
そのためには、思考を回してはいけません。思考を回すと、そのものとして生きられないのです。思考を回したら、必ず自我がそこにカルマを反映させます。そうではなく、本来言葉とは、湧き出てくるものなのです。泉のように。
例えば瞑想をする時でも、多くの人は「もっと良くなりたい」というカルマ的な目的をもって瞑想するでしょう。それが問題なのです。その瞑想が、自らの思考回路のスイッチを切り、宇宙の受け皿となってそのメッセージのスピーカーとなるトレーニングであれば有効かもしれませんが、まぁ我々は生命ですから、そんな暇があるなら生きるための作業をした方が良いですね(笑)。自らが生きることが他の命を生かすことに繋がるのがこの世界の命の仕組みだとしたら、瞑想はある意味自己満足の世界ですから、何ら他の生命に貢献するものではありません。木の花ファミリーでは、作業そのものが瞑想です。それは無心でやるからです。

国が違うから仕方ありませんが、僕には少し不満があります。それは、なぜ我々はみんなで一緒に暮らしていないのだろう、ということです。でも今そう思ったら、上からメッセージが下りてきました。「同じ地球の上に暮らしているではないですか」と。同じ時間を生きて、一緒に宇宙を旅している。そうですね。だからこの場があるんですね。

Iさん:
みんながジイジのように、宇宙からのメッセージを受け取って生きられるようになったらいいですね。

ジイジ:
そういった世界は、木の花楽団の歌の中にも表現されています。

Iさん:
大切なのは、誰もが自分自身の中にその大いなる可能性を秘めていることに、気付くことです。ジイジは皆がその能力を開花させるのをサポートしてくれるのであり、誰もが宇宙に直接アクセスできる力を持っています。

ジイジ:
そうですね。私たちは、現代人として、そこに向かうプロセスにいるのです。皆さんは、僕の後を継ぐのではなく、この大いなる物語の中で、僕のポジションはここ、皆さんのポジションはここ、さらにその次の世代の人たちはここ、というように、それぞれの役割を果たしながら、全体がひとつの宇宙物語として繋がっているのですから、同じ船に乗っているのですね。あとはよろしくお願いします。

宇宙は生命です。時代も生命です。私たちも生命です。
常に変化しながら進化し続けていくのが生命であり、それがこの世界の実態です。ですから、今現在の状態を正しいものとして、そこに留まっていてはいけないのです。

(ワンホーに対して)僕は先ほどから、あなたが通訳をしているのを見ながら、知的な顔をしているなと思っていました。ここに来た時には病んでいたけれど、今は知的でいい男になりましたね。

ワンホー:
(日本語で)ちょっと。(みんな:笑)
ちょっとだけ知的になりました。

ジイジ:
ちょっとではなく、たくさんです。この会話も、すべて通訳であるあなたを経由しています。僕は彼らの表情から、こちらが話したことが彼らに伝わっていることを感じています。つまり、あなたはケーブルとしてのレベルがとても高くなっているということです。

ワンホー:
(日本語で)ありがとうございます。(みんな:笑)

ジイジ:
あなたの中にその素質があったからこうなったのであり、僕はそのきっかけをつくっただけです。その目覚めの旬が来ていたから、あなたはここへ来たのでしょう。その縁は、この世界によってもたらされたものです。「ありがとうございます」はそちらへ言うべきですね。

人間は、物事をすべて地上の考えだけで行おうとします。しかし、大切なのは、常に天に心を向け、天と繋がった上で地上の結論を出すことです。地上だけで結論を出せばそれは平面上の二元思考ですが、天と繋がることで三次元の立体思考になり、地上に柱が立つのです。柱が立たないまま人間の思考だけを回せば、思考は邪に流れ、どこへ行くかわかりません。天との繋がりを忘れ、人間の解釈だけで答えを出そうとするから、間違いが起きるのです。

我々は、この星を良い星にする役割を託されています。それは、誰もが本当に良い世界に生きていると実感できる場所です。

(皆が顔を見合わせ、笑顔で拍手しました。)

Iさん:
また会いましょう。宇宙の中で。

ジイジ:
我々が会いたいと思っていれば、天がその時を用意します。時代の扉は、既に開いています。

みんなで、この星を良い星にしていきましょう。

 

 

 


人生の大切な扉を開いた 〜 ワンホーの自然療法プログラム体験記

2023年6月、1人の香港人男性が自然療法プログラムを卒業しました。
彼の名前はワンホー。当初は3日間の滞在予定のゲストとしてファミリーを訪れた彼は、不思議な「宇宙の流れ」によって自然療法プログラム(通称ケア滞在)を受けることになり、1ヶ月半以上の滞在を経て、人生の新たな扉を開くこととなりました。

香港へ帰る日の朝、成田空港での搭乗直前に、ワンホーがファミリーに送ったメッセージには、以下のように書かれていました。
「この2ヶ月間は、経験においても、感情においても、信じられないほど豊かでした。まるで夢のようですが、夢ではありません。こんなにも美しい夢に出会えるなんて、僕はなんて幸運なんだろう?それが事実なのだから、その夢を広げ、夢は本当に現実になるんだということを、みんなに伝えていこう。」

そんなワンホーの体験記を、皆さんにご紹介します。
以下は、自然療法プログラムの卒業コンサートの場で共有された、ケアサポーター(ケア滞在者には、日常生活をサポートするサポーターが付きます)のけいごくんによるケア記録の抜粋と、ワンホー自身の振り返りです。

*この体験記は、「自分の体験がまた新しい誰かの気付きに繋がればいい」というワンホー本人の了承のもと、掲載をさせて頂きました。

卒業コンサートは、大きく変化したワンホーの心の旅を祝福する不思議なエネルギーに溢れていました

 


ワンホーのケアレポート

ケアサポーターより

 
【自然療法プログラムを受けるまでの経緯】

ワンホーが初めて木の花ファミリーを知ったのは、今から約7年前の2016年でした。台湾への旅行中にエコビレッジ会議に参加し、そこで、木の花ファミリーで「1ヶ月間の真学校」を受講した台湾人の文ちゃんが木の花ファミリーについてプレゼンしていたのを聞いたのです。その時に受けた木の花ファミリーの印象はとても強く、いつか自分も訪れてみたいと思ったそうです。

丁度同じころ、故郷の香港で、今彼が住むコミュニティの前身である、持続可能な暮らしの為に活動しているグループに出会いました。彼らは2018年から共に暮らすことを始め、ワンホーもコミュニティの一員としての生活をスタートさせたのでした。

ところが、実際にコミュニティとして共同生活を始めると、メンバー間で様々なトラブルが発生しました。中でもワンホーは、パートナーとの喧嘩も絶えず、自分の正しさを主張して他のメンバーからのアドバイスには耳を傾けないどころか反抗し、どんどん孤独になっていきました。激しい怒りを内面に持ちながら表面的には平静を装い、それでも自らの内に湧き起こるネガティブな感情をコントロールできずに、甘いものを過剰に摂取したり、死にたいと思うことまでありました。

完全に精神的に行き詰りを迎えていたワンホーは、その状態を見た他のメンバーから「休暇を取ってどこかに旅に出たらいい」と勧められましたが、自分が精神的に弱いことを認めたくなかったので「そんなもの必要ない!」と断りました。しかし、その後も苦しさは続き、何かを変化させなければいけないと思った彼は、2023年4月、ついに旅に出ることを決めました。その行き先として選んだのが、かつて「いつか行ってみたい」と思った木の花ファミリーでした。

ファミリーに到着したワンホーは、当初は数日間のゲスト滞在の予定でしたが、とても良く働いて畑や田んぼ作業の大きな助けになったので、すぐにヘルパー滞在に切り替わりました。そしてヘルパーとして2週間滞在している間に、香港での自分の問題をファミリーに共有し、ひょんなことからジイジにも相談することになった彼は、このままヘルパーとして滞在を続けて徐々に学んでいくのか、それとも自然療法プログラムを受けて集中的に自己改善に取り組むのかの選択肢を与えられました。そして一晩考えた彼は、自分の人生の行き詰まりを解決するために、プログラムを受けることに決めました。

ワンホーはファミリーに滞在し、自らの人生を変化させることを選びました

 

【第1週目】

初回面談では、プログラムの「主治医」であるジイジより、このプログラムの目的は、人格を変えることではなくそれを有効に使える術を身につけることであり、それによって自分が健康になることでコミュニティの仲間からも歓迎され、世の中が良くなることに寄与することである、と伝えられました。
また、名前や地球暦から、人格の分析が行われました。ワンホー(19/10二文字陰性、−9)は、思考のキャパシティが大きく受け身である為、自分の理屈を持っているが、それを内に秘めて行動には移さないタイプであること。様々な活動をしているが、それは社会や人の為にやっているというよりも、自分にとって居心地の良い優しい場所を求めていること等が伝えられました。
常に母性や愛を求めるような心があるが、本来、愛とはまず他者に与えること。それによ
って全体の運営に寄与し、結果として自分にとって居心地の良い場所ができるということ。そこはワンホーの課題の一つであることが伝えられました。

また、ワンホーからは、木の花ではファミリーの愛を感じて心が安定した状態でいられるが、香港に帰った後にこの状態を保つことができるだろうか、という先案じの心がシェアされ、それに対して主治医からは以下のようなコメントがありました。
「このプログラムは5月1日という節目の日に始まり、丁度タイミング良く、台湾から日本語の流暢なゲストが来て通訳もできるという、想像を超えた良い流れの中にあることを感じて、楽しみに思っています。結果はやってみないと分からないから、香港に帰った後のことは、その段階にきたら考えましょう。」

そして、過去のよくない思い出や、日々の心の動きを毎日の日記に書くことが、課題として与えられました。

田植えの作業の時に、自分にとって初めての作業でパニックになったこと。自分の植えた稲がちゃんと育たないのではないかと心配する気持ちが湧いてきたこと。キッチンでピザの仕込みをしている時に、他のキッチンスタッフの邪魔になっているのではないかと、思考がグルグルしたこと等を、ワンホーは日記に書きました。また、過去の学校での悪い思い出や、母親との良くない思い出についても振り返りました。

主治医からは以下のようなコメントをもらいました。
「人によってはポジティブに捉えるような出来事も、ネガティブで被害妄想的に受け取ってしまう傾向があります。それは自分の特徴であり、他の人も同じだと捉えてしまっては、改善に向かいません。僕が子供の頃に、自分を変える為にあえて苦手なことに取り組んで克服したように、苦手なことに挑戦し、自分を変えるチャンスと捉えると良いですよ。
(田植えの作業で、上手くやれるか心配でパニックになったということについて)初めての作業で上手くやれないのは当然で、上手くやれるようになる為のチャンスと捉えることができます。過去に出来なかったから今もできないと考える必要はありません。」
「アドバイスとしてはとても簡単なことで、余計なことを考えるのをやめましょうというだけです。いつかあなたがその無駄な思考エネルギーを使わなくなったら、それが自分を超えたということです。」

 

【第2週目】

第1週目を終えた「1週間面談」では、主治医より、ワンホーは思考キャパが大きいが、まだ思考の整理ができていないこと、優先事項から思考していくことで、大切でないことを思考することが無くなり、元々持っている思考キャパを活かすことができることが伝えられました。
ここに来る以前にコミュニティメンバーの意見を聞くことができず、対立が度々起きていたことについて、まずは自分が問題であるということを認め、性格を改めないと、コミュニティではうまくやれないので、ここでトレーニングする必要があるとも伝えられ、ワンホーは、「自分が間違っていたことに最近は気付いてきた。自分を治す意志があるので、トレーニングしていこうと思う」と話しました。
2週間目のテーマとして、「自分に足りないのはどういう所かを考え、理解する」ことがあげられました 。ところがその直後に、ワンホーは日記の中で「それを人に与える努力をする」と述べており、主治医から以下のように伝えられました。「これからの課題はまず、自分に足りないものは何かを考え、理解すること。それを人に与えられるようになるのはまだ先の話なのに、もうそれを目標にしているということは、実態以上に背伸びをしようとする傾向が現れています。そのように無理をするから、理想と実態の間にギャップが生まれ、矛盾が生じるのです。まずは今の段階でやるべきことを一つずつやっていき、その結果、最終的には人に与えられるようになることが、このプログラム終了時の目標です。」

ある日の日記には、母親から愛されていないと思うようになるきっかけとなった出来事が書かれていました。子どもの頃の家族旅行で、ワンホーは檻の中の猿に引っ張られ、両親に助けられましたが、その時に母親が何度も大声でワンホーを叱りました。本当は慰めて欲しかったというワンホーは、この出来事をきっかけに「自分は母に愛されていない」「父は好きだけど母は嫌い」という思いを持ったとのことでした。それに対し主治医は、以下のようにコメントしました。
「今だからこそ冷静に考えるべきなのは、誰かに叱られるということは、『自分は不当な扱いを受けた』ということと同時に、『そのような扱いをされるに相応しい自分であった』ということを、同等に観ていくことが必要だということです。自分に特化して物を考えるのではなく、自分が受けた印象と、相手の立場から見た視点、さらには、もっと広い視野から見た視点を、同等に捉えて物事を見ることが大切です。それによって、偏った感情はなくなっていきます。同じような出来事が繰り返されるとしたら、そこには必ず、共通したあなた自身の傾向があります。繰り返し起きることから学び、訓練をしていきましょう。」

別の日の日記には、中学生の時の初デートを母親に台無しにされた経験が書かれていました。ワンホーの中では、その出来事が、母親に対する怒りや恥ずかしかった記憶として残っていましたが、主治医からは、その件について以下のようなコメントがありました。
「僕があなたの立場だったら、まず母親に対しては、母親の立場を理解して対応します。それでも母親が理解を示さなければ、それは無視して、彼女との恋愛を進めていくことに希望を見出すでしょう。そして、その彼女との思い出は、今も良い思い出として僕の中に残っていることでしょう。そこに、母親に対する怒りは何も残りません。そのように、物事はその都度学んでポジティブに卒業していけば、人生全体が薔薇色でとても良いものになります。あなたは、なんてもったいないことをするのか。僕だったらもっといい思い出にしますよ。そして次の世代の人たちに話して聞かせてあげます。恋愛はこうやってするんだよ、と。」

このような主治医とのやり取りを通して、徐々に自分の思考の癖や客観的な見方を学び、両親に対する捉え方も修正されていったワンホーは、日々の作業でも余計な思考を廻すのではなく、どうしたら全体がスムーズに流れるかを意識して取り組むようになっていきました。

日々の作業を通して心を見つめるワンホー

 

【第3週目】

プログラム14日目。香港のコミュニティに自分がいないことで他のメンバーに負担がかかっているから、そろそろ帰らないといけない、という考えがワンホー湧いてきたタイミングで、「2週間面談」が行われました。主治医からは以下の様に話されました。
「香港のコミュニティで自分が必要とされているから早く帰るべきと思うという話があったが、話を聞くと、本当に帰る必要があるのか明快なやり取りがされていない事が分かり、それでは相手側の状況とあなたの話が違っている可能性があります。そのような通りの悪いコミュニケーションが問題事の原因にもなっていると言えます。」
「香港のコミュニティメンバーから、あなたは精神的に落ち着いてきたからそろそろ帰って来たらどうかと伝えられたようですが、本質的には、あなたはまだ変わってはいません。今は木の花の空気の中にいるから落ち着いた状態でいられるものの、本質が変わっていない状態で香港に帰ると、また元に戻ってしまうことが予想されます。最も効率的で良い方法は、あなたがしっかり変化した状態で帰ることです。そうすれば、コミュニティのメンバーやパートナーとの関係も、過去のトラウマも、そして日々起こる様々な出来事の解決にもつながります。」
「その為には、思考を廻すのではなく、直観力が必要です。そして古い自分を覚悟をもって切り捨てることによって、新しい自分に出会うことができます。それはあなたにとって苦手なことでもありますが、大切なのは、あなた自身がどうしたいかという意志なのです。」
同時に、自分のことを知ることは徐々にできてきたが、自分の執着(心のクセ)を手放すことがまだできていないこと、そして、しばしば母親に対するネガティブな思い出に本人が言及することから、その状態の自分をまだ卒業できていないことが伝えられました。そして「清水寺から飛び降りる」覚悟をもって、思い切って自分を壊していく(手放していく)ことが大事だという話があり、3週間目以降の課題として、より真剣に自分と向き合っていくことがあげられました。

次の日の日記でワンホーは、面談で伝えられた自分の性質を振り返り、自分の言葉で再分析しました。主治医からは以下のコメントがありました。「今日の日記からは、自分の正確な位置を素直に受け取り、表現しているということが感じられます。やはり物事は、『正直』『素直』『信じる』を実践することで、流れがよくなり、正しい捉え方ができるようになります。そういった素直なものを今日の日記から感じることができたということは、あなたが一歩前に進んだということかな、と思います。」

また、ワンホーは、ちょうど時を同じくして木の花ファミリーに滞在していた糖尿病のゲストと自分の父親を重ねて見ていることがあり、それについて主治医から以下のように伝えられました。
「それは父親への執着とも言えます。そのような心があると、正しくものを観ることができません。より広くて客観的な視点を身につける必要がありますが、精神的濁りを取り除いていくと、自然とその意識が湧いてきます。」
その後、ワンホーはその言葉を心に留めるように生活し、より客観的な考え方を自分に取り入れるよう日々意識をしていました。そして前向きに生活を送ることを続け、日記の内容からも、自分の振り返りと決意が力強く書かれるようになりました。3週間面談の前日に、主治医からは以下のようなコメントがありました。
「日記の内容に逞しさを感じます。あとは、それがどれほど定着しているかという確認が必要ですが、それは日々の生活の中に結果として表れていくものです。そのためには、ここに今しばらく居て学ぶも良し、香港に帰り、それがどれほど定着しているか確認するも良し。どうするかは、あなたの意思に任せます。考えてみてください。」

 

【第4週目】

5月22日の「3週間面談」にて、主治医より「最近、日記の精度が上がってきました。それが、日常に反映されていくことが重要です。また、他者からの評価よりも自分自身の心をいつも確認できることが大切です」と伝えられました。
本人より、6月2日にここを出発するというプランが出され、主治医からは「オッケー!5月1日という節目の日にこのプログラムが始まり、1か月間の区切りでそれを終えて新たなスタートを切るというのは、良い流れと言えます」と返事があり、5月いっぱいで自然療法プログラムを卒業し、香港に帰ることが決まりました。そして、「残りの滞在期間は、もう一度今まで学んだことを確認し、確かなものにして旅立ってください」と伝えられました。
ワンホーは、香港のコミュニティメンバー達にもプログラムの進捗状況を報告し続けていました。日に日に変化していくワンホーからの報告を受けて、香港のメンバー達にもまた変化があり、当初の悪化していた関係性に改善が見られ、ワンホーからは、今後も香港のメンバーを木の花に滞在させるなど、コミュニティ同士の交流を続けていきたい旨が話されました。主治医からは、社会を良くしようとする人たちは皆仲間であるという話があり、今後も交流を図っていくことが確認されました。そして「卒業&いってらっしゃいコンサート」を6月1日に行うことが決まりました。

様々な活動に積極的に参加

その後もワンホーは、畑、お茶刈り、パン作り、五平味噌作り、そして養蜂等、様々な作業に意欲的に取り組みました。かつては疲れやすかったそうですが、今は自分でも驚く程にエネルギーが湧いてくるようになったと言います。

ある日の日記には、同じ時期にヘルパーとしてここに滞在し兄弟のように仲良くなったTくんと、人間が生きることの意味を探究する重要なトピックについて長い時間二人で話したということが書かれており、主治医から以下のコメントをもらいました。
「今日の日記の中で語られていることは、本当は二人だけで語り合うにはもったいないことです。そういったことを、外に向けてオープンにして、人々や世の中の精神的発展につなげていくことが大切です。あなた方は、せっかくそのような段階に到達したのならば、それを世の中のために活かすことを最優先にして生きることを勧めます。気が合うがゆえに、二人の中だけで物事を完結させてしまう傾向があり、自分の中の満足に浸る傾向が、どちらにも見られるということです。そこを越えていく必要があります。」

次の日の日記でワンホーは、大切な話の内容を二人に留めるのではなく、社会の為に活かしていく意志があることを書き、主治医からは以下のコメントがありました。「日記の文面から、あなたの明解なる意志を感じます。精神にスイッチが入り、自分の中から湧き出す状態になって来たなと感じ取れます。」

その直後、早速、社会の為に活かす場面が訪れます。
木の花へ中国からの訪問者が相次いで訪れることになり、日本語と中国語の通訳を担当する予定だった台湾人のゲストが体調不良になったことで、急きょファミリーメンバーが日本語と英語、そしてワンホーが英語と中国語の通訳をするという、ダブル通訳の役割を担うこととなりました。

まず初めに5人の中国人グループが訪れ、木の花ファミリーの暮らしにとても共鳴していたので、より深い話をするためにジイジと座談会をすることになりました。しかしこのグループは、その暮らしの背後にある広い世界観を受け入れる準備がまだできていなかった様子で、話題が政治的な内容に触れた途端に不安を感じ始め、座談会を途中で切り上げることになりました。
その場に通訳として参加していたワンホーは、彼らの意識を開放的にすることは難しいと感じました。そして翌日、養蜂の作業でジイジと一緒になった際に、「新しい時代の課題の 1 つは、おそらく昨晩のようなゲストにどのように対処し、そういった人々をどうやって正しい道に導くかだろう」と語りました。ジイジからは「一番大切なのは、まずコミュニティの中で調和のとれた生活を送り、他の人の参考になる生き方の模範を示すこと。そうすれば、適切な人材やものが自然と引き寄せられてきます」という話がありました。
その日の大人ミーティングで、ジイジは以下のように語りました。「このプログラムを通して、ワンホーが目覚め始めています。明日もまた別の中国人グループがやって来ますが、そこには何か大きな流れがあることが感じられます。ワンホーと兄弟のようだったTくんも、再びここに戻って来て自然療法プログラムを受けることを決めましたが、それはワンホーの変化の過程を見てきたからです。ワンホーは、人がこのように変われるという良い見本になっています。」

自身の卒業コンサートでも、同席した中国人ゲストのために通訳をしました

翌日、新たな中国人グループが訪れ、ワンホーは再び通訳を担うことになりました。このグループはファミリーの世界観に強い関心と探究心を示し、ワンホーはジイジと彼らとの対談で非常に重要な話題を通訳することになりました。そんなワンホーの様子を見て、ジイジは言いました。「滞在の最後の仕上げとして、ワンホーの自覚が育てられている。」

こうして、ワンホーは丁度1か月という期間で、自然療法プログラムを卒業することになりました。人生の中で間違いなく最大のターニングポイントとなったこの滞在は、個人の改善という枠を超えて、これからの世の中の為に大切な1か月となりました。
これから、香港のコミュニティで、ここで学んだことを活かし、広く世の中の為に生きていく意志を持って、ワンホーは木の花ファミリーを旅立ちます。これからもこの心を広げる仲間として、コミュニティ同士で交流したり、共に歩んでいけることを心から楽しみにしています。
ワンホー、卒業おめでとうございます!

ケアレポートが共有された後、スタンディングオベーションが起こりました
「主治医」のジイジともハグ!

 


その後、ワンホーは以下の手紙を読み上げました。


 

卒業に寄せて

「この星の上で」という曲は、僕の過去から現在までの人生と、これから向かっていくべき道を示してくれています。

木の花ファミリーに来る以前の僕は、混乱と絶望と現実逃避でいっぱいで、常に愛を求め、自分の居場所を探し続けていました。ここへ来て、人生の大切な扉を開けた気がします。自分自身の無知、妄想、悩み、苦しみ、そしてトラウマの全てが、この旅に出る引き金となりました。その答えを求めて、僕はここへ辿り着いたのです。

当初は3日間の体験のつもりでした。ところが、不思議な宇宙の流れによって、最終的には1ヶ月半の滞在となりました。ここでこんなにもたくさんの愛と力を与えられるとは、思いもしませんでした。僕は、自分の思考パターンに問題があることを知っています。最初は、ここのメンバー達の迷惑になるのではないかと心配していました。せめて一生懸命働いて、少しでもみんなの役に立とうと思っていました。

興味深いのは、ここのメンバーが香港のメンバーよりも更に忙しいとは予想していなかったことです。ここの人達と比べると、自分は不十分だと感じます。同時に、ここの人達は親切で謙虚で、あらゆる面で僕を気遣ってくれました。僕はここで、自分の家族や友人からよりもさらに大きな温もりを感じました。ここで生まれる生命エネルギーが僕の壁を突き破り、今は、信じられないほど幸運だと感じています。

ジイジとの初めての面談で、ジイジは僕の性格と問題点をすぐに見抜き、僕自身に変わる意思があるかどうかの重要性について話してくれました。そして、たくさんの有益な助言をしてくれました。その後、ジイジは僕に、自然療法プログラムに参加するか、ヘルパーとして滞在しながら徐々に自分を発見して改善していくかの選択肢を与え、僕はどうするか決めるのに1日かかりました。僕は自分が、越えることができないたくさんのエゴの問題を抱え、強すぎる自尊心や被害妄想、自分を正しいと思う心があることを知っていました。そして客観的な視点が欠けていました。自分だけで取り組んでも改善は遅くなりそうなので、この時間を有効に使って自分を変えることを学びたいと思い、自然療法プログラムを受けることを決めました。

この1ヶ月間、僕は毎日日記を書き続け、ジイジがそれにコメントを返してくれました。毎日ジイジと会話しているような気持ちで、少しずつ自分が紐解かれていきました。

日が経つにつれて、変化しようという意志が大きくなっていきます。自分の持てる限りの能力を使って自己分析し、生まれ変わりたいと願うのです。みんなと共にいて、足並みを揃え、意識を合わせたい。そんな望みと意志の力は以前の自分にはなかったものであり、それが自分自身の強さになっていることに、少しずつ気付いていきました。

ここには、僕が学ぶべき側面がたくさんあります。自分自身や他のメンバー達の仕事の状態を観察したり、子どもミーティングや大人ミーティングに参加して様々なメンバーの体験を理解したりすることで、それが気付きになっていることがわかりました。ここを訪れるゲスト達との会話からも大切なメッセージを受け取り、そのタイミングはまさに「遅くもなく早くもない、然るべき時」でした。麗静とアテンとの出会い。与えることをためらわないというテーマを共有してくれたソニア。人類が論ずるに値する多くの話題をもたらしたタロウ。今この瞬間に焦点を当てるビンドゥー。それぞれに異なる中国人のゲスト達 ———— その全てに、僕が学ぶべきものがあります。

一方、時を同じくして、香港のメンバー達も日々変化し続けていることを、電話でのやりとりを通して感じました。自分の中の障害物(不要な思考)を手放していくことで、以前は感じることができなかった彼らから僕への愛や力に、徐々に気付き始めたのです。

僕はここで、全体に貢献することによってもたらされる力を、初めて感じました。それは、互いを信じ、支え合い、貢献し合う場であり、一体感と共通の意識に満ちています。そこでは、すべての行動に意味があると感じられます。

先へ進み、香港に戻ってからも、もう僕の進むべき道が曇ることはありません。ここにいるメンバーの一人ひとりに、自分たちがどれほど素晴らしく大きな影響力を持っているかを知ってもらいたいと、心から思っています。人と人とのつながりがどれほど温かいものになれるのか、魂がどれほど美しくなれるのかを教えてくれる、たくさんの瞬間がありました。僕は善意の力に目覚め、その響きを、皆さん全員にお還ししたい。その共鳴が、僕たちがひとつになることで生まれる力と融合して波紋のように広がり、より多くの生命に影響を与え続けることができますように。

無限なる私たちに、無限なる感謝を。

この振り返りを書きながら、僕は既に、たくさんの涙を流しました。

 

「人生の大切な扉を開いた」というワンホーの、新たな人生が始まります

 


「絶え間なく不幸」な人生から、愛することを学びたい ~ ビビアンの自然療法体験記

ビビアンは、カナダで企業会計士として働くコロンビア人女性です。ファミリーメンバーのゆうちゃんが8年前にカナダへ留学した時からの友人で、ゆうちゃんを通じて木の花ファミリーを知ったビビアンは、「絶え間なく不幸で、自分の中に怒りがある」という自らの人生を変えるために、木の花ファミリーへ自然療法プログラム(通称ケア滞在)を受けにやって来ました。
滞在予定は2ヶ月弱でしたが、1ヶ月でプログラムの卒業に至ったビビアン。以下、ケアサポーターとしてプログラムのサポートを担当したゆうちゃん(以下ゆうこ)がまとめた、ビビアンのケア滞在記をご紹介します。

 

ビビアンのケア滞在記

【出会い】
ビビアンの自然療法プログラムの振り返りを始める前に少し、私たちの出会いについて紹介します。
私は2014年1月にカナダのカルガリーに行き、語学学校でビビアンと友人になりました。ビビアンはその前年に旦那さんの転勤のため、カルガリーで暮らし始め、カナダに知り合いもおらず、旦那さんは仕事で忙しかったので、寂しく落ち込むことが多かったようです。

留学中のビビアン(左)とゆうこ(中央)

私達は違うクラスでしたが、同じ学校の共通の友人であるブラジル人の女性を通じて知り合いました。私達3人は同い年で、みな結婚しており、すぐに仲良くなりました。ビビアンは私と同じ職業だったので、私はとても親しみを感じており、何度か家に遊びに行きました。その後私はカナダの違う場所に旅に出るのですが、出発当日はバスターミナルまで、ビビアンと、ビビアンの旦那さんが車で送ってくれました。

ジイジと愛ちゃんと蓮池にて

昨年の8月、ビビアンから久しぶりに連絡がありました。その際に私は、ジイジと愛ちゃんと3人で蓮池で撮った写真を送り、私がコミュニティに住んでいること、離婚したが今は精神的な家族がいて幸せであることを伝えたところ、ビビアンからは、是非その蓮池を見たいということと、木の花ファミリーのホームページを見て、自然療法プログラムを受けたいというメッセージがありました。
コロナ禍のため、日本の国境はしばらく閉鎖されていましたが、4月に待ちに待った国境の閉鎖が解かれ、ビビアンはこちらに来る手続きを開始しました。日本に6月20日に到着し、2か月弱の木の花ファミリーでの滞在が始まりました。

【ケア滞在の目的】
ビビアンがケア滞在の目的として申込書に書いていたのは次の通りでした。

私は絶え間なく不幸で、一日の中で感情の起伏があります。私は、自分の家族や私自身を含む人生の中で、様々な経験をしました。そしていまだに悪い経験を持ち続けており、怒りが自分の中にあります。私は過去にあった不公平な経験やすべての悲しみに恨みを持っています。私は自分自身から離れて、受入れ、許し、そして誰を愛し助けるべきかを自身で選択することなく愛するということを学びたいです。
私はこの世界、私の夫、私の家族との関係、そしてもっと大事な自分自身との関係性を改善したいと思っています。

 

ケア前面談 6月21日

日本に到着し、木の花ファミリーへやって来たビビアンは、まずジイジと面談し、以下のことを伝えられました。
「あなたは自分の個性をうまく使えていません。あなたのことを詳しく知るために、出来るだけ毎日日記を書き、過去について振り返り、子供のころからの良いことと悪いことを両方、思い出深いものを書いてください。
時差ぼけ(時差15時間)があるので、まずはリラックスしてこの生活に慣れましょう。今後は一週間に一度面談を行う予定です。滞在中は、出来るだけ木の花ファミリーの文化に触れるようにしましょう。」

 

ケア初日 6月22日

  • 養蜂場にて
    ビビアンは木の花ファミリーに来る前には、小麦粉やとうもろこしなどを食べると消化が悪くお腹が張ってしまうので、食べることを避けていました。しかし、木の花ファミリーで自家栽培した無農薬の小麦粉を使ったお菓子やとうもろこしを食べても、まったくお腹が張らず、次の日になっても何も症状が現れずに美味しく食べられたとのこと。施設見学で養蜂場を訪れた際に、そのことをジイジに伝えると、ジイジは「それはあなたが新しい環境になって心が前向きになっているからです」と言いました。「農産物は、それを作っている人の心や響きがとても影響します。例えば、お金が目的になるとその響きが農産物に乗るので、私達は心を綺麗にすることを一番にしています。畑を耕す前に、心を耕すことをずっと伝えてきました。」
    ビビアンが「どうやったら心を綺麗にすることが出来るのですか?」と質問すると、ジイジは「まずは正直になり、良いことも悪いことも正直に表現して、結果を受け取ることです」と伝えました。
    「全てのものは、響きを持っています。例えばある人が部屋に入るとそこが明るくなったり、ある人が入ると暗くなったりするのも、その人が持つ響きなのです。ですから、良い響きを発する人になることが大事で、そのために正直であることが大切なのです。」
  • 夜の面談にて
    カタカムナ、冥王星の周期が示す世代、地球暦などの観点から、ジイジによるビビアンの人格の読み解きが行われました。
  • カタカムナ
    ビビアンという名前を、「ビビ」と「アン」という、性質が異なる2つのものに大きく分けます。「ビビ」という響きは、ネガティブに他者と比べたり、恐怖を感じやすい性質があります。2つ「ビ」が重なっているので、それは強調されます。そして同時に、「アン」という高次の意識が混在しています。そこで、ネガティブな考えを認識し、自己コントロールして、高次の響きの方へ意識を向けていく必要があります。その2つの性質の間にはギャップがあって、対立しているので、生きるのが辛くなるのです。
    自分からネガティブを発することで、物事に困ることになります。出会う人や出来事は、あなたが発しているものの鏡としての役割を果たしており、あなたの人間性を表現することに協力しているのです。あなたは、人生のプログラムとしては難しいものを持ってきています。しかし、もしそれを克服したら、それはやりがいがあるものになります。「ア」という音に意識を向けていきましょう。
  • 世代
    冥王星の周期が示す世代の特徴

    あなたはさそり座世代という、新しい価値をもたらそうとする世代です。古い価値観に囚われず自分らしく生きようとするのですが、そこで迷う世代でもあります。意思は強いが明快なビジョンが湧かず、自分らしく生きたいがどうやってよいか分からない世代です。あなたの現在の状態はそれが当てはまるので、宇宙からすると、順調に進んでいるということです。

  • 地球暦
    あなたが生まれた時の太陽系の惑星配置を観ると、水星と金星が関連して一緒に働いています。水星は直観の星、金星は愛やデリカシーの星です。これは、あなたは考えるよりも直観で好き嫌いを感じる人であることを示しています。あなたの地球暦の中で一番柱になるのは、木星と海王星の絡みです。あなたには、沢山の人と関わりたい、そして精神性を高めたいという目的があります。

以上のような読み解きの後、ジイジは「リラックスしてリニューアルしたあなたになることが観えるので、そのためにも、今までのことを日記に書いてください」とビビアンに伝えました。

 

1週間目 6月22日~28日

ゆうこと市内見学に出かけるビビアン

ファミリーでの滞在をスタートしたビビアンは、表面的には穏やかに振る舞っていても、心の中では周りの人々がどう思うかを気にかけ、周囲の状況に過剰に反応していました。日記には、このままの自分で良いのか、良くなるにはどうしたらよいのかと、たくさんジイジに質問をしていました。

〈日記より〉*赤字は、日記に対するジイジからのコメントです。
お気付きかどうかわかりませんが、私は過度に謝るところがあります。ご覧になりましたか?これで大丈夫でしょうか?私の食べ物のことさえも、あなた方は受け入れてくれます(食べられないものが多くあるビビアンのために特別なメニューを用意すること)が、時々、こんなことをあなた方にお願いしてはいけないのではないかと思うことがあります。私は世話をしてもらうだけの価値があるのでしょうか?

その様に自分の考え方で結論を出さず、まずは正直に自分の内にある想いを出してみて下さい。それで良い場合もあれば、その考えを改める必要があることもあります。そのようにして、人は新たな自分へと変化することが出来ます。


私はとても繊細な人で、他の人の行動や動きに簡単に影響されます。ですから、むしろ自分の欲求を隠して誰かの邪魔をしないようにします。


そのように隠していることによって、よりその状態を継続させることになっていますから、自分の考えの中に結論を閉じ込めないで、出していきましょう。この挑戦は、これからのあなたにとても大切なものとなります。


まずは自分自身の物事の捉え方、考え方をシンプルにする必要があります。つまり、自分自身について振り返ること。それは、あなた自身の捉え方、考え方にどんな特徴や癖があるのか、それを客観的に捉え、知ることです。そうでないと、あなたはいつもどんな問題に対しても、今までの考え方、捉え方で判断していくことになりますから、それでは同じような結論に至り、あなた自身の成長にはなりません。それは、あなたにとって難しい事かもしれませんが、あなたの人間性の枠を広げるためにも、避けてはいけないことです。
まず、今回の取り組みの目的は、あなたが今まで体験してきた色々なネガティブな出来事が、あなたを成長させるために重要なものであるという気づきを得ることです。そういった気づきがあなたに生まれ、今まであなたに起きてきたことに対して、感謝の心が湧き出してくるようであれば、症状は自ずと軽減され、そして消えていくことでしょう。要は、こういった症状はメンタル的な症状だという事です。私は、今までの取り組みの中で、このような事例には沢山出会っています。そこであなたの事例について特徴的なことは、あなたはこのハードルを超えることによって、大きな人生の転機を迎えるだろうということです。そういったことが、私に感じられるから、私もこの取り組みの結果が楽しみです。時間は少しかかりますが、大切なことですから、丁寧に進めていきましょう。

また、ウェルカムコンサートの開催と総合プレゼンテーションを受けたビビアンには、新たな気づきがありました。

日記より〉
昨日、木の花ファミリーのプレゼンテーションを受けました。コミュニティ自体の解説と、人間が生きるべきあらゆる分野(精神的、社会的、経済的など)においてコミュニティがどのように持続可能であるかということに加え、私が毎日目にする調和的な生活の中で人々が互いをどのように気遣い、それぞれの能力がどのように評価され、コミュニティがどれほど柔軟で互いを理解し合っているかということに驚き、感銘を受けました。

私もあなたとの出会いに、単なる縁があった短期間のものではなく、未来を見通してこれからの繋がりが始まることを感じています。


私のこのコミュニティへのつながりと価値観はゆうこが伝えてくれていたよりもさらに深くなり、私の奥深くにいる自分が、木の花ファミリーを探していたことがわかりました。

過去5年間の浮き沈みを振り返ると、直感が私をここに導いてくれたことがはっきりとわかります。どうしたら、物質性だけに焦点を当てノートパソコンの奴隷となる生活を生きられるのか。どうしたら、他者のことを気遣ったり振り返ったりする時間のない生活に専念できるのか。なぜこの世界は、私たちが人間として真に何者であるかを気にすることなく、職業人として機械のように貢献することで評価され、常に競争し続ける場所であるのか。
このコミュニティの価値観を見た今、私は、真の人間が存在すること、私たちは私たち自身になれるということを理解できます。

あなたのこの記述を読んで、あなたの今までの人生の出来事(どちらかというとネガティブなものをあなたにもたらしていた)があなたに目覚め(真実)を促していることが感じられます。おめでとう!


今、自分の過去を振り返り、私には癒しが必要な傷があり、それは人として成長するために必要なこととして私に起きたのだと認識し、過去の経験を振り返るほど、自分がなぜ今ここにいるのかをより理解できるようになりました。出来事がなぜ自分に起きたのかを振り返ることで、私はそこから学ぶ必要があることを見付け始めました。


私もそのことをあなたに気づいてもらうことが、あなたに提供するべきことだと考えていました。

ジイジからは、まずはどちらかというとネガティブな過去を振り返ろうというアドバイスがありました。

  • 6月28日 1週間面談 
    ビビアンは自身の過去のトラウマを日記に綴り、その内容が面談でシェアされました。それに対してのジイジのアドバイスは下記の通りです。
〈ジイジからのコメント〉
そういったことは誰に限らず、その出来事にどこかの時点で区切りをつけて、何らかの結論につなげることにより、超えられるものです。その何らかの結論は、実は何でもよいのです。あなたの心が、その過去の出来事をいつまで引きずっていくのかということに対して、けじめをつける時が来れば、今現在そのネガティブな経験が継続しているわけではないということと、そのことにより、あなた自身が汚れたわけではないということが、事実であることがわかります。

今までのようなあなたの過去に対する解釈が続く限り、あなたは一生、その精神性を維持していくことになります。賢明な判断をしてください。簡単に言えば、スケールの大きな人になることです。

また、面談の冒頭では「徳」の話がされました。徳がある人は物事の流れが良く、ルールを守らなくても大目に見てもらえたりする一方で、徳がない人はいくらきっちりやっても何かクレームがついたりして良い流れにならない、ということが伝えられ、徳を積むことの重要性が確認されました。
そして次の週からの目標として、「客観的な視点を持つ」「感情的にならない」「世界観を広げる」「道理が通った考え方をする」ということが提示されました。

〈面談翌日の日記より〉
私は、思考と昨夜の面談の後に思ったことで目が覚めました。

その思ったこととは、毎日私に起こることを認識し、意識することから、この旅を始めようということです。私の経験を引き起こすのは私自身であるならば、私は具体的に自分が何をしているのかを見たいです。
私は近ごろ、そのことに焦点を当てることを目指しており、判断せずに注意深く物事を読み取る方法を学ぶ必要があります。気を散らすと集中力が失われる可能性があるため、このプロセスには時間がかかるであろうことを私は知っています。このアプローチから始めることで、少しずつ変化を実現することが可能になると信じています。私はこのプロセスを急いで行いたいとは思いません。

昨日の面談で伝えましたが、客観的視点を持つこと、感情的にならないこと、世界観を広げること、物事の道理に沿った理に適った考え方、行動をすることを優先して心がけていくことをお勧めします。

この面談を受けて、第2週目からのビビアンは客観的に自分自身を見ることを始めました。

 

2週間目 6月29日~7月5日

ファミリーの農作業などにも徐々に参加し始めます

ある日の夕食時、ファミリーメンバーで名前に濁点を持つ潤三君、敬悟君と話をしていたビビアンは、濁点を持つ人々は、新しいものに直面したときや、誰かに自分の心を公開するときなどに恐怖心があるという共通点を発見しました。
同時に、潤三君が色々な役割(鶏の世話・醤油作り・ロータスランド・鍼灸など)が出来るのは、色々なことに興味を持つ濁点の特徴を良い方向に活かしているということも理解しました。

〈この日の日記へのジイジのコメント〉
同じような共通点を持つ人と出逢うことによって、よい出来事に出会うより、どちらかというと思考がネガティブな発想や行動に繋がることが発見できることがあります。それは逆に、その特徴をポジティブに活かしていくための知恵を得るチャンスでもあります。互いに慰め合うのではなく、励まし合い成長していくことに繋げると、良い人間関係に発展していきます。
  • 7月1日 ターニングポイント 日本語学校の件
    ビビアンがゆうこに、時間があるのでオンラインの日本語の教室を受けたいと話したところ、ゆうこから、木の花にいるならここに来ないとできないこと、例えばどこか興味があるところへ手伝いに行く等したらどうか、日本語を習うよりも、前回ジイジからも話があったように、ケア期間中なので心に向き合うことを最優先にしたらどうかということが伝えられました。
    午後になり、そのことを振り返ったビビアンは、自分の空気が悪かったと思ったので、それについて話したいとゆうこに申し出ました。ビビアンは当初、日本語を学びたいのに出来ないなんて不公平だと思っていたのですが、他の視点から観てみると、ゆうこに伝えられたことはその通りだと思い、日本語のレッスンを受けずに、日常の中で日本語を習えばいいと思った、と言いました。そして作業も、通訳がいないと出来ないと躊躇していたのですが、身振り手振りでなんとか自分で意思疎通をしていけばいいと思った、と話しました。
    ゆうこはジイジの話として、優先順位一番を一番にすること、そうすれば良い流れが生まれること、また、優先順位が低いものをやるのは欲であることを伝えました。するとビビアンはとてもスッキリした表情になり、爽やかにありがとう!と言いました。この件から、ビビアンの表情が明るくなっていきました。
〈日記より この件についての振り返り〉
これは私にとって重要な気付きを意味しました。今、私は過去に同じことをしてきたことがわかります。物理的な必要性と欲求が私の最優先事項であったために、自らの精神的な道と成長の重要性を無視しました。

過去にあったそういった事例(無意識に発生するあなたの癖)について、冷静に振り返ってみることは、あなた自身のこれからの成長にとても役立ちます。

この経験を生かして、自分のニーズや欲求を満たすことなく、日々の流れに沿って進んでいきたいと思います。たとえば、自分に集中できなくなるくらい作業で忙しくするということです。

「忙しくする」という事の意味を、常にチェックする必要があります。「忙しい」というのは、するべきことの優先順位を忘れ、複数のことを同時に抱え込む心のことです。そういった時こそ、冷静に、今一番必要なことは何かという優先順位をつけて、やるべきことを粛々とこなしていけば、「忙しい」というプレッシャーを感じずに突破できるものです。そうすることで結果的に流れも良くなります。沢山あることをいっぺんに抱え込んで考えると、確実に流れは悪くなります。

その2日後、お弁当を詰める作業を手伝ったビビアンは、その時のことを以下のように日記に綴りました。

〈日記より〉
今朝、お弁当を詰めていた時、私は自分に割り当てられた仕事に集中しました。その時、私は自分がそこに何も感情を入れていないことに気づきました。私はただ、私がするように頼まれたことをやり、何か他に手伝えそうなものを見付けた時には、それを手伝うことができました。私は、他の人は何を考えているのか、何か批判するだろうかと、自らに問いかけることをしませんでした。私は、結果を予測するのを止めることを学んでいます。

考えすぎたり、自分にはできないと感じることで、自分の心が自分自身を裏切ってしまいたくなる瞬間が何度かありましたが、そういう時には辛抱強く自分の思考をやり過ごし、やるべき作業に集中しました。この取り組みによって私の気分は良くなり、自身のエネルギーと意識をそこに注ぐことでスムーズに進むことを実感できました。

難しい言葉で表現することも、それから決まった仕組みの様に何かを解決していこうとすることも、自らの考えを先に結果に載せてしまうことになるので、結果すら所有することになります。その場合、まだ何も起きていないのに、何が起きるのかについて前もって悩まなければならないことにもなります。これは人間だけの特徴ですが、そういった感情や精神状態を持っている人間はスマートに生きることは出来ません。現代社会もそういった落とし穴にはまっている状態です。多くの人がそこから抜け出ることは、日常のものごとを少ないエネルギーで進め、感情も穏やかで豊かな日々を送ることに繋がります。

それは一人の為のことのようですが、そういった爽やかな日々を送る人々が増えれば、社会が良くなっていくことにつながります。私はそれをとても大切に思い、この活動をしていますが、あなたも自分一人分の日々を健康にすることにより、世の中をよくする運動に参加してください。今日の日記を読んで、この先が更に楽しみになりました。
  • 7月5日 2週間面談 
    ジイジより次の事が語られました。
    「あなたはこのプログラムの取り組みに熱心で、よい成果が出ていますので、人格を理解するという今回のプログラムの取り組みは4週間で終わり、その後は精神性を高めるようなプレゼンを行います。今日はちょうど折り返し地点です。今までは、自身が発していたネガティブを題材として学んできましたが、それを超えて、毎日の日記や人や出来事、ニュース、世情について、どのようにポジティブにそれを学んでいくかということに、これから取り組んでいきます。その後、プレゼンを通して世界観を広げ、大事なことを伝えられる人になります。
    その後カナダに帰って遠く離れても、それは遠くにいる意味があるということです。近くにいるには近くにいる意味があり、それはどちらも大事な役割なのです。」

 

3週間目 7月6日~12日 変化

カナダ土産のメイプルシロップで皆んなにスイーツを作りました

この週は活動的で、キッチンでスイーツや卵料理の試作を行ったり、ちらし寿司の盛り付けを手伝ったり、醤油のかい入れを体験したり、商品の出荷のお手伝いなどを行いました。日々色々なことに、ありがとう、という気持ちが湧き始めます。

  • 7月10日 ターニングポイント キッチン事件
    キッチンで、とうもろこしを洗う作業を手伝いましたが、洗うことしか指示されていなかったので、虫食いの部分が取り除かれていませんでした。作業の指示をした三保さんはバーズ体操をするためにいなくなり、ビビアンが一人でとうもろこしを洗っていました。みさちゃんが、そのことに対して無責任であると三保さんに伝えましたが、三保さんはまったく受け取らずにいたので、みさちゃんが頭にきてしまい、言い争いになりました。ビビアンは言葉が分からず、唯一分かったのは、自分の名前がその言い争いの中に出てくることでした。
    夕食時にビビアンはとても暗い顔をしていて、いつもよりトーンが落ちていました。ビビアンはゆうこに、今日の午後の出来事について時間があるときに話したい、と伝えました。
    翌日は養蜂隊と朝霧高原の養蜂場へ行き、ジイジと話したり、自然の中でリフレッシュして、すっかりキッチンでの出来事を忘れて楽しみました。その日の日記には、前日のキッチンでの出来事から自分の至らない点(わからないことをすぐに聞かない癖)を把握し、それを変えていく決意と出来事への感謝が書かれていました。サポーターのゆうこが大人ミーティングで一連の出来事をシェアし、そのことはビビアンにとても大きな学びになりました。起きた出来事をみんなで振り返り、次に活かしていく学びの場があることにビビアンは驚き、とても感銘を受けていました。
〈日記より〉
山に登り、頂上に到達しようとする過程で、私にとって最も重要なことの一つは、その歩みの一歩一歩が励ましであり、調和的で、他の人に刺激をもたらすものだということです。ここ(この山)での旅の間、私は日々の生活の中でのこれらの経験を通じて、あなた方みんなから気付きや事例を得ています。そしていつか私自身が、外にいる多くの人々の気付きになるであろうことを知っています。

素晴らしい!この大いなる喜びへの道は、より多くの人と共にあることにより、さらに喜びが深まり、そして私たちに真の豊かさをもたらすことでしょう。いつでもどこでも一緒にやっていきましょう。
  • 7月12日 3週間面談 
    ジイジからは、カタカムナの観点から以下のことが伝えられました。
    「物事が観える目(芽)が出始めています。それを明快にするためにこの旅があること、そしてその可能性を目覚めさせることが大事です。今までのあなたは、“ビビ”という濁りが強くネガティブな性質でしたが、自分自身の濁りを理解することで、“ビビ”は本来の音である“ヒヒ”となります。“ヒ”は始まりの音ですから、それは再スタートを意味します。」
    また、カタカムナの観点から“アイ”についての紐解きもありました。この世界のあらゆる現象は全て“アイ”から生まれており、今までの全ての良くない経験も、ここに繋がったことも、全てが神様の愛であるということを確認しました。
    第4週目の課題として、日記には全てを素直にそのまま書くが、捉え方をポジティブにするというテーマが与えられました。4週間が終わったら、日本語の勉強も解禁(日本語の勉強はカタカムナの理解にも繋がるので)とし、色々な精神的な世界を探求していくことも出来ると伝えられました。

 

4週間目 7月13日~19日 変容

皆んなと一緒に落花生を収穫

新型コロナウィルスの感染が拡大する中、ビビアンは片頭痛や喉の痛みなどがあったため、念のため簡易的に隔離されることになりました。この週はほとんど部屋で過ごすか一人で散歩に行き、片頭痛や頭痛が続きました。この期間はサポーターともあまり話すことがありませんでしたが、サポーターから見たビビアンの印象は良く、さなぎから蝶になる前のぐっと内に籠る期間のように感じられました。

〈日記より〉
おそらく、今日はあまり表現することがありません。私は、浮かんでくる思いに囚われることなく、ただそれを浮かび上がらせ、手放していくことで、何ら努力することなく心を静かに保とうとしています。
私は、穏やかで目覚めた状態であることを選び、何の期待もしません。今言えることは、この状態でいることは、私に平和とやすらぎをもたらすということです。鳥の歌声やコオロギの鳴き声、人々の笑い声や話し声、車の行き交う音が聞こえ、私は自分自身の体を感じ、呼吸によって上下するお腹や、キーボードに触れている指を感じることができます。私は、今現在の全てに集中しています。
今この瞬間を生きることは、人生がもたらす如何なる状況にも対処できる道具を、私に与えてくれました。そしてそれこそが、私の求めていたものです。
私は、自分が望む経験の中で生きることを選びました。それは、自分がどうなるかということを手放すことで、宇宙が私にもたらしてくれる愛、平和、幸せ、思いやり、健康に沿い、宇宙と繋がって生きることです。

その安定した精神状態にいつもいられるとは限りません。しかし、一度その世界に入ってしまえば、例えどんな状態が訪れようとも、またその安定した精神の場所に戻って来れます。だから、生きること(今を楽しむ)をエンジョイしてください。OK?

  • 7月19日 4週間面談 自然療法プログラム終了
    この最後の一週間の隔離は、自分の内に集中する一週間として良いタイミングでもたらされ、とても喜ばしいものだと思っている、ということがジイジから伝えられました。不要な考えがなく、今存在していることに集中できていることで、感じ方が以前と異なっています。プログラム終了後の残りの滞在期間は、精神的な学びをさらに深めるためのプレゼンを行うことになりました。
〈プログラム最終日の日記〉
今朝、私は起きて、ここで過ごした4週間のことを思い出していました。
私は、今の自分と日本に来た日のビビアンの違いについて見て取ることが出来ます。私は、日記を書くことを通じて、あなたが教えてくれたことをどのように学んできたかが分かります。私は今までに見たことのない異なる性格の自分自身を発見することが出来ています。そして、愛と共感する能力を捨てることなく、感情をコントロールするためのキャパシティがあります。それは人類、動物、自然、そして宇宙の全てに対するものです。

それは、あなたが今まで歩んできた、あなたにとってネガティブだったものも含めた歩みが、あなたにその目覚めを促していたのです。

私は、どんな苦労の背後にも、そこには学ぶ機会があるということを認識する力を磨くことに取り組んでいます。それは最終的に、私の過去からのすべての学びを受け入れ、許すことを選び、私を今現在のような人にするものでした。
さらに、ここでの私の経験は、幸せになるために物理的なものは必要ないということを認識して味わい、心から感謝することを可能にしました。ここでは誰も、競争したり、自分を良く見せようとしたりはしません。私は人間の本来の姿を見出し、一生懸命働くことやメンバー達の献身を通じて、自分もこのコミュニティの一部なのだということを感じています。あなた方みんなとの暮らしは、私に、正直であるとはどういうことなのかを見せてくれました。そして、自らの心を開くことが、常に私が私自身であることを許し、振り返り、変化し、宇宙からさらに多くの祝福を受けることを可能にするということを示してくれました。
私は、ここでの経験が、私に心を開く鍵を与えてくれたことを書き留めておきます。そして、ここで過ごした数週間に感謝しています。私は私が求めていた以上に多くの事をいただき、本当に感謝しています!
私は、今現在も変化し続けるビビアンです。私は、あなた方全員から受け取ったものによって、そしてもちろん、私の全存在を通して人生が私に与えてくれたすべての経験によって、より力強いものとなった私の旅を続けます。どうもありがとうございます。

そのように、天は地上に降ろした人間の魂に目覚めてほしいのだと思います。それは、天が人々と共に地上を創るビジョンを持っているからです。それは、すべての始まりからあったビジョンです。今、人類の歩みは、その道からして極めて途上の様ですが、あなたがこことの出会いで得た学び方を人々が会得すれば、今現在山のように、そして溢れるようにある地球規模の問題ごとは、いともたやすく解決されることでしょう。そのことに目覚めた人々は、夜明けが近いことを知っています。何はともあれ、あなたの今回の取り組みがとても良い答えを得たことを大変喜ばしいことと思います。ありがとうございます。感謝。

 

その後もビビアンは滞在を続け、世界観を広げるためのプレゼンテーションを受けながら、日々様々な経験をしました。

夏休み中の子ども達と一緒に、長野県の大町ビレッジにも行きました

そして8月1日、ビビアンの自然療法プログラム卒業コンサートが開かれました。

ビビアンの卒業コンサート
お祝いのデザートのプレゼント

コンサートでは、木の花楽団から歌のプレゼントがあり、ビビアンはみんなの前で以下の手紙を読み上げました。

卒業に寄せて

木の花ファミリーでの55日間の滞在を経て、私は新しい人になったと言えることを誇りに思います。過去の傷は癒され、私の人生は変化しました。私がここで過ごした時間は、気付きと愛は今までも、そしてこれからも、永遠に私のパートナーであるという新たな視点から世界を観ることを助ける、完全なる経験を意味しました。私はジイジからの賢明で本質的な導きを受け、それはメンバー一人ひとりからのサポートや気遣い、愛、そして寛大さによって、さらに力強いものとなりました。

毎日、あなた方一人一人から予期せぬサプライズがあり、それが私の日々を特別なものにしてくれました。一人一人からの英語での言葉がけや挨拶、ハグ、美味しくて栄養豊富な食べ物、とても珍しい酵素ジュース、キッチンの知恵、本や写真のシェア、畑での時間、私のために特別に作ってくれるロータスランドの食事、清潔な服、温かいお風呂、必要な時に与えられる自然の薬、会話、鍼治療、英語教室、正確で的確な通訳、笑顔、猫、ウェルカムコンサートの演奏、私が食べた一つひとつの果物、居心地の良い日本の伝統的な風呂、一人一人の気遣いや、あなた方の仕事に対する貢献から、私は多くのことを学びました。

多くの思い出がありますが、それを書くにはスペースや時間が足りません。それでもなお、私は木の花ファミリーのみなさんに、ここはまるで不思議の国で、世界にインスピレーションをもたらす場所であることを知ってもらいたいです。私が体験したように、全ての人に桃源郷に住む機会があることを願います。このファミリーは、私がこれまでの全人生の中で受け取ったよりもさらに多くの愛と思いやりを与えてくれました。そして私は、そのことに永遠に感謝します。

私のここでの時間は終わりを迎えますが、私の心の中には、私が愛し、そして永遠に忘れない100人のメンバーからなる新しい家族がいます。私の魂を輝かせ、そして私の日々を幸せにしてくれて、ありがとう!

ビビアンの魂の旅はこれからも続きます