100人でお財布ひとつの暮らし~心でつながる「経済革命」

2月10日から12日にかけて、2016年「1ヶ月間の真学校」卒業生のトーマスが主催者の一人となる国際会議 “ The 3 Harmonies of Humanity: Living Transpersonal ” がアルゼンチンにて開催されます。
会議のテーマは、精神性と農、教育、そして経済。木の花ファミリーの取り組みを紹介したいというトーマスからの依頼により、いさどんが会議に先立ち農と経済のプレゼンテーションを行いました。(プレゼンテーションは、英語とスペイン語に翻訳されます。)今日はそのうちの、経済のプレゼンテーションをご紹介します。

EUの分断やトランプ米大統領の就任など、世界中で保守的な傾向が強まり人々の心が分離していく中で、100人の人がすべてを分かち合いつながって生きる暮らしがどのような世界観に基づいているのかをどうぞご覧ください。小さくても、ここ富士宮でそんな暮らしが実現されているということは、世界中で実現可能だということです。

 

意識が変わればすべてが変わるシリーズ ~ 経済革命
天の恵みの恩恵を世に広げる天然循環する経済

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天然循環とは、農法だけを表しているのではありません。それは人間の生き方そのものを表しており、宇宙の原理です。私たちの社会は経済によって成り立っています。その経済が天然循環しているとはどういうことかを、これから見ていきましょう。

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「わたしたちの住んでいる地球は宇宙雲の中ではちりのように微細な存在ですが、そこには生態系で表現される多様な命が無限の連鎖で存在しています」

宇宙は巨大なものです。そこには無数の星々があり多様性に満ちていますが、その中で生命が存在しているのは、地球が唯一の星でしょう。現代の人々は、生命は地球に偶然発生したという考え方を持っていますが、地球に偶然発生するのなら他の星にも偶然発生してもよいはずです。しかしおそらく、今後人類がどれほど宇宙を探査したとしても、地球ほど生命に満ちあふれた星に出会うことはないでしょう。ということは、宇宙の総意によって特別にこの星に奇跡が表現されていると考えた方が、私たち人類が地球上でどのような生き方をすることが大切なのかを理解する助けとなるのではないかと考えます。

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「そんな地球を空から眺めていると、自然の中にできた異物『大都市』が見えます」

僕は昔、霊的に自分の体から抜け出し、宇宙空間に漂いながら月を背にして地球を眼下に眺めたことがあります。そこで目にした地球は、病んでいました。都市や焼き畑など、人間の行いの結果がまるで皮膚ガンのように地表を蝕んでいるのです。
スライドに写っているのは、東京の航空写真と、ニューヨークのマンハッタンです。地球を体とするなら、細胞が新陳代謝をせずに呼吸できていない部分です。ガン細胞が増殖しているかのようですね。
このような人間の活動は、歴史的にはそれほど古いものではありません。地球誕生からの46億年の歴史を1年に例えると、およそ250年前に起きたイギリス産業革命から現在までは、たったの2秒間なのです。産業革命以降、工業テクノロジーと資本主義は急速な発展を遂げました。その結果生み出された人工の世界が、今、地球上に何をもたらしているのかを、世界観を広げて客観的に観る必要があります。天然循環の天とは、宇宙のことです。つまり、宇宙視点で地球の現状や私たち人間の行いを観るということです。

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地球の病巣である大都市で行われているのが、経済活動です。

「ニュースを見ていると、何か社会的な大きな出来事が起こったときインタビューを受ける人々の口から出てくる言葉は、お金のことばかりです。」
個人であってもマスコミであっても、何か出来事が起こるとすぐに「これによる経済的損失は」という話になります。頭の中が常にお金を中心に回っているのです。

「『このことが経済にどう影響を与えるのか』『お金がないと将来が不安』・・・など、人々の関心のほとんどがお金に関することになっています。その奥にあるのは『お金がないと生きていけない』といった思い込みです。」
「お金がないと生きていけない」というのは、まさに思い込みですね。山奥へ行って札束を与えられたとしても、それで生きていけるかといったらお尻を拭くぐらいのことしかできないでしょう(笑)。もしくは火をつけて燃やせば、暖かくはなるかもしれないですね。
生きていく上でお金が必須のものになったのは、歴史的にはそれほど古いことではないのです。

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経済活動とは、「人間の社会生活において、生産者や国家が財やサービスを生産し消費者がそれらを消費するといった、金銭や物資の交換にまつわる活動のこと。」
専門家にとっては当たり前の話かもしれませんが、簡単に言うと、経済活動とは財産を生み出すものです。そしてサービスを提供し、循環していくものです。右上の図が表しているように、経済活動には、生産、流通、消費という循環があります。ただし、これは人工の世界だけの話です。自然にはこういった仕組みはありません。
リーマンショックが起きた時、世界の経済活動が停滞した結果、地球温暖化の進行が一時的に緩やかになったという報告があります。しかしすぐに経済活動は復活し、相変わらず温暖化は進んでいます。世界の国々は、地球温暖化のもたらすリスクについて懸念しながら、一方で経済発展を追い求め続けています。世界各国が集い温暖化対策について話し合っても、結局はどの国も自国の経済的利益を守ろうとして、温暖化対策はおざなりになっていくのです。それは人間が欲望をコントロールするのではなく、欲望にコントロールされているからです。

「私たちは、暮らしを支える『衣・食・住』に必要なもののほとんどを、金銭と引き換えに手に入れています。その奥に見えてくるのは・・・」
現代社会でお金を介さずに行えることは、本当に限られています。山へ行って山菜を採るくらいでしょうか。しかしそれにしても、先日も山梨から野草を摘みに来ていた人たちがいましたが、それを売ってお金にするために摘んでいるのです。それはもう自然の恵みをいただくということではなく、お金儲けの世界になっています。人間がお金に支配されているのです。
現代の衣食住は、商業活動に基づいています。そしてその奥に、工業や農業といった生産の現場があります。そのさらに奥には、地球の天然資源を食い尽くしていくという実態があります。

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衣食住の奥に、資源を食い尽くし、ゴミを発生させ、地球を汚染している人間の姿が観えてきます。
経済活動をなしにしようということではありません。しかし、地球の健全と人間の活動をどう両立させていくのか。そこにはもうひとつ必要な視点があります。それは、私たちは生態系の中にあるということです。この地球上に生きている生き物は、人間だけではありません。私たちは、他の様々な生命と共にあるのです。その視点が人間の経済活動に組み込まれた時、他の生命への配慮の心が、現在のような一方的な経済活動をコントロールする力になるのだろうと考えます。

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「世界には衣食住を貪り食うものと貧困にあえぐ者が同時に存在し、誰のものでもない地球資源の利権をめぐって戦い続ける者たちがいます」
貧困もテロも、元々は誰のものでもない資源を人間が奪い合ったことから発生しています。それによって戦争まで起こしているのです。これは経済活動の問題というよりも、人間の欲望の本質を見直さなければ解決しないということを、世界の現状が示していると言えます。そこまで意識を広げることなく、ただ景気が悪いからと言って経済を活性化させようとしたり、トランプ氏が世界の企業に要求していることに対してどう対処するのかと物理的な討議をしているようなレベルでは、今の世界の問題が解決することはないでしょう。

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「欲のままに生きる人間たちが経済活動とともに地球上にもたらした現実は破壊された環境とゴミの山」
日本は昔、ゴミを埋立地にして夢の島という所を作りました。その恐ろしいほどたくさんのゴミの中で、現代を象徴しているのが放射性廃棄物です。これは、どう処理をすればよいのかが決まっていません。フィンランドには今後10万年は持つと言われる処分場の建設が進んでいるそうですが、現代の技術では、放射性廃棄物は処理ができないのです。処理ができないものを、人間は一時的な貯蔵の処置をしながら、廃棄し続けています。
先進諸国では、物理的に目に見えやすい汚染というのは減りましたが、では陰で何が行われているのか。人類は地球にゴミを輩出しながら、それを見えないように処理しているのは事実です。そういったことを見逃してはいけません。本来経済活動とは、自然と調和しながら人々を幸せにし、社会を豊かに進化させていくものでなくてはなりません。では、「経済」の本来の意味を見てみましょう。

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「『経済』という語は中国の古典に登場する『経世済民』に発しこれを略したものといわれています。」
経世済民とは「世を治め民をたすける。民の苦しみを救うという意。英語の『Economy』の語訳として使われる今日の『経済』とは異なり 本来は、政治・統治・行政全般を指す言葉であった。」
簡単に言うと、まつりごとということです。世を健全に治め、民が健康で幸せに暮らすために経済がある。当たり前のことですね。

お金とは、社会を体に例えると、その中を循環している血液のようなものです。私たちの体を見てください。血液が体の末端までくまなく循環し、すべての細胞が活性化して常に新陳代謝している体は健康ですね。それは、地球の生態系が健全に循環する仕組みと同じです。私たちの体も、人間社会の経済も、地球生態系も、すべて同じ仕組みで成り立っています。ところが現代の人間社会は、お金、即ち血液が隅々まで循環せずに滞っている状態です。血液が循環しなければ体は病気になっていきます。本来、地球生態系が健全に循環しているのと同じように、社会全体にまんべんなくお金が循環していくのが経済のあるべき姿ですが、そこからすると現在の経済の在り様は、本来の姿から大きく外れています。

「現代の経済活動の実態からは、『経世済民』の意味を見出すことはできない。」
これはとても重要なことです。人々は「経済」の本来の意味を忘れているのです。

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「現代社会には『資本主義』と『共産主義』という、大きく二つの経済システムがあります。これらは本来は政治も含めた、理想の社会の表現であるはずですが、現代社会に様々な問題を生み出しています。科学する現代人は、あるモデルが出来ると一律同じでなければいけないと考え、それが人間の単一化を招き、多様性を欠いた社会をつくっています。」
資本主義も共産主義も、目標となる理想モデルがあり、そこを目指して人々が競争していくというピラミッド型の社会構造を作っています。

資本主義社会は、「私有財産を認め、自由な経済活動をすることが出来る社会。人間の欲を刺激し同じものをめざして競争させるため、優劣(貧富の差)ができる社会」ということです。もう一つ言えるのは、自然に配慮しないで人工の世界を優先するために、環境破壊が起きるということです。
共産主義社会は、「資本主義の矛盾を解消するために登場した仕組み」です。資本主義の方がずっと歴史が古いですね。資本主義社会が様々な矛盾を生み、それを解消しようとして登場したのが共産主義なのです。それは「私有財産を禁止し、平等な理想社会を目指したが、一律な平等を強制し、人を部品のように扱う社会になった」ということです。
多くの共産主義国はすでに崩壊しています。北朝鮮のような独裁国家や、中国のように共産主義といいながら実質は資本主義が横行している国があるだけで、実際に理想の共産世界を実現することなく終焉を迎えています。共産主義社会の中にも、元々、自然との調和という概念がありませんでした。
そして「資本主義も共産主義も、どちらも無個性な世界をつくる」のです。

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イスラム教は、利子を取ってはいけないと説いています。そこには利子を取らずにみんなで助け合う相互扶助の精神があります。イスラム教にはそういった優れた面があるのですが、今はキリスト教社会に対抗する悪のような存在だと捉えられているところがあります。

「利子で成り立つ資本主義社会では、借金をしたものは返済のために働き続けなければならない。『富めるものは富み、貧しきものはさらに貧しくなる』という弱肉強食の仕組みが、格差社会を生み出した。」
自然界は弱肉強食と言いますが、そうではありません。自然界とは命のバトンタッチであり、すべてが循環しているのです。その一部分だけを切り取って、例えばライオンがシマウマを食べることを人間の視点で見ると弱肉強食に見えるのですが、視野を広げて観れば、ライオンは数が増えすぎたシマウマを間引いて全体のバランスを保っているとも言えます。それはシマウマのためでもあるのです。
しかし、現代の人間社会には弱肉強食とも言えるような世界が存在しています。

「一般人の給料は安くなり、失業者は増え、若者の就職率は低迷し、多くの企業は倒産し自殺者の数は増え、人々の不安が広がり、社会は行き詰まりをみせている。」
これが現代の実態です。それを数字の上だけで改善しようとしているのが今の経済対策です。それをいくらやっても、そもそもなぜそうなるのかという根本原因は観えてきません。必要なのは、社会の在り方を根本から変え、見直すことです。

「政治家も国民も、経済の行き詰まりに対する解決策として、経済を成長させることしか考えられず、全ての思考がお金に縛られている。右肩上がりの思考。」
利子があるということは、経済が右肩上がりでなければ成り立ちません。それは常にプラスであることを求めている状態です。しかし、プラスマイナス0が宇宙の根本原理です。常にプラスを求め続ければ、宇宙的にも、地球の環境にも矛盾をもたらし、今世界はその限界を迎えています。アメリカ大統領のトランプ氏は、これまでアメリカが世界中に手を広げてきたやり方から方向転換し、これからは国内に集中して自国の利益を確保していくということを明言していますが、経済というのは相互の関係があって初めて成り立つものですから、自国のことだけを考えてうまくいくわけがありません。そういった意味でも、トランプ氏が大統領になったことは時代を後戻りしているかのように見えますが、実際に時代がその方向へ進むのではなく、このトランプ現象は、いよいよこれから世界が行き詰っていくことの前兆であると言えるのです。

「『お金がないと生きていけない』という刷り込みから、人々はお金に執着するようになり、将来に不安を抱えながらお金のために仕事をし、仕事に対する純粋な誇りは失われた。」
現代は、働くことがお金のためになっています。天然循環法の農業のプレゼンテーションで、命を天からいただくというお話をしました。私たちは自然の仕組みの中で命をいただいているのですが、農業の生産現場ですら、命を生産するのではなくお金のためにやっているという、歪んだ状態になっています。

「企業の生産活動の多くが、地球の資源を搾取しており、消費をあおってお金を儲けている。これ以上経済活動が活発になったら、地球は持たないという限界まで来ている。」
地球に限界が来る前に、人間社会は確実に崩壊するでしょう。今私たちが生きているのは、壮大な時代の流れの中の一篇にしかすぎません。地球は時代と共に人間を修正していくのです。今中国では、インターネットビジネスが恐ろしい勢いで成長しています。これは急速に発達してバブルを迎え、やがて崩壊する前兆だと言えるでしょう。そこに未来への希望は感じられません。

「欲のままに生きる多くの現代人は、経済活動が地球環境に多大な負荷をかけているという事実に鈍感である。」
なぜそうなのかというと、人々は人間の側から物事を捉え、その視点でしか思考しないからです。ですから今必要なことは、世界観を広げ、宇宙の側から地球を観ることです。

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これは格差社会の象徴とも言えます。

「世界中に数あるタックスヘイブン。その中の一つの法律事務所の機密文書が流出したことにより、世界の裏のお金の動きが見えてきた。文書には、企業のみならず、世界各国の名だたるリーダーが名を連ねている。」
今、世界中のマスコミ関係者がこれを暴こうとしています。ところがこれがとても難しいのです。様々な人々の名前が挙がっているのですが、実際にその人がやっているものもあれば、本人もあずかり知らぬところで名前だけが勝手に使われているものもあり、複雑で実態がどうなっているのかがなかなかわからないのです。
しかし、2012年12月21日の銀河の冬至を越えて世の中に光が差し始め、こういったことが明らかになり始めました。世界中でこれまで人々が行ってきた不正が、暴き出されようとしているのです。
世界の超富裕層がタックスヘイブンに持つ資産は21兆ドルを超えていると言いますが、あまりにも数字が大きすぎて、逆に人々はそのことに鈍感になっています。現代は、実体を伴った目に見える経済よりも、裏に隠れている悪意的な意識に基づく経済が大部分を占めているのです。

さて、これをどう解決すればよいのでしょう。あまりにもその実体が大きいからと諦めるのではなく、これは明らかに、人間一人ひとりの意識改革から始まるのです。今明るみになってきていることは全体からすればほんの一部ですが、暴かれ出したということは、そういった不正の動きが終末を迎えているということなのです。

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『モモ』や『はてしない物語』の作者であるドイツの児童文学者、ミヒャエル・エンデは、こう語ります。
「自然界のものはすべて腐っていくのに、なぜお金だけは永遠不滅で逆に価値が増えていくのか?」という問いに対して、「自然界のものは神が作ったものだが、お金は神ではなく人間が作り出したもの。人間の欲の心が、お金を貸して利子をつけて儲けようという仕組みを生み出した。借金で成り立つ経済システムの中で、人々は増えてゆく利子に追われ、経済活動をしている。」
現代人は、お金に追われるシステムの中で生きています。自然界のものは神が創ったと言うと無神論者は「怪しい話だ」と言いますが、神とは宗教が御利益的に崇める神ではなく、自然の法則であり、宇宙の物理的原理の実体です。そう捉えれば、現代の経済システムが自然を破壊し、矛盾を生み出すものだということが明快にわかります。

スライド14

利子とは不思議な仕組みです。ただお金を貸しているだけで、何もしなくてもお金が増えていくのですから。

「豊かなものをより豊かにし、貧しいものをより貧しくする仕組み~利子は格差が広がる社会をつくる。富裕層トップ8人の資産は、世界の最貧層36億人の合計と同じ」
スライドにある、2010年からの推移を見てください。だんだん格差が極端になっていっています。ひどい話です。

「利子は無限の経済成長を強いる」
経済が常に右肩上がりでなければ、利子は成り立たないということです。

「有限な地球環境をすり減らす。利子は時間と共に増え続けその分を稼がなければ、債務は増え続け、企業は破綻してしまう。しかし、企業が成長を続ければ、環境破壊が続いていく。」
つまり、こういった経済活動は、世界に矛盾を生み出す仕組みなのです。

「利子はみんなで払っている」ということは、「みんなでお金持ちを支えている」ということになります。私たちが購入する商品の価格には、企業が銀行に支払う利子の分の代金が上乗せされています。商品だけではなく、税金にも利子分が組み込まれています。日本の国債残高は現在1000兆円を超えています。そのツケが、国家予算を組む時に税金として国民に回ってくるのです。そうしてみんながお金に追われていくのです。
なお、2060年には日本の借金は8000兆円を超えると言われています。天文学的な数字ですね。

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Solar System 2.0 – djsadhu.com

「経済が時代のどんな流れの中で発生・発展してきたのかを見てみましょう。星と星の対話により時代は創られ、その時代の流れの中で、人類は発展してきました。いくつかの時のサイクルを見ながら、時代の流れの中でどのようにして経済が発展してきたのかを見ましょう。」

この視点を持つということは、今日の食べ物をどうするかとか、自分は1年間にどれだけお金を稼いだかとか、一生のうちにどれだけお金が必要になるかといった身近な世界も経済の中にはありますが、そのような小さなことではなく、遠い過去からずっと時代が紡がれてきた中で経済がどのような変遷をたどってきたのかを観るということです。その変遷を理解することで初めて、人間の性質によって経済の仕組みが歪められてきたことが観えてくるのです。

このスライドに描かれているらせんは、太陽の軌道を表しています。太陽は2億2600万年をかけて銀河を1周するのですが、それは単なる円運動ではなく、らせんを描きながら進んでいるのです。

ではここで、太陽のサイクルを見てみましょう!

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「太陽の一螺旋 25800年のサイクルが地球の歴史を創っている」
このことを理解しなければ、時代が地球上の出来事の源泉をリードしているということを理解することはできません。私たちは天体と共に時代を表現し、その意志のもとに生きているということがわかって初めて、個人の自我から離れ、時代を担っているという意識を持つことができるのです。

太陽は、2億2600万年かけて銀河を1周する間におよそ9000回のらせんを描き、らせんの1回転は25800年です。この図は、その太陽のらせん1回転のサイクルを表しています。太陽は進行方向に向かって反時計回りにらせんを描いていますので、この図も反時計回りに進んでいます。

現在私たちは、図の一番下にあたる「銀河の冬至」を越えたばかりのところにいます。地球が1年に1度冬至を迎えるように、太陽系もまた、1らせんごとに「銀河の冬至」を迎えるのですが、今から約4年前の2012年12月21日に、25800年ぶりの銀河の冬至があったのです。冬至とは、もっとも光の少ない闇のピークです。つまり、私たちは今、闇のピークを越えたばかりのところにいるということです。

今から半周前の12900年前には、「銀河の夏至」がありました。夏至とは光のピークです。この時代に、東アジアにカタカムナ文明という高度に発達した精神宇宙物理学が存在していたことが明らかになってきました。そこから銀河の冬至に向かって進むに従い、徐々に闇が増して、カタカムナ文明は衰退していきます。

そして夏至から4分の1周進んだ秋分のあたりで、現代に通じる物質文明が始まります。即ち、経済の始まりです。ここからを「有史」と言います。それはどういうことかと言うと、紙が発明され、文字で記すことが始まったということです。そこから人間は、ものごとを立体的にイメージするのではなく、紙の上で二元的に考えるようになりました。命を天からいただくという姿勢ではなく、自ら獲得していこうという損得二元勘定が生まれたのです。そしてものごとを直観で感じ取ることよりも、学習して知識を得ることが主となって、現在に至っています。

中国に「天盤の巡り」という言い伝えがあります。これは太陽のサイクルとも一致しています。物質文明の始まりである6450年前から3275年前までの太陽の8分の1周の期間を、天盤の巡りでは「青陽期」と言います。これは「王の時代」とも言われ、権力者が世を支配する時代でした。

その次の3275年前からの8分の1の期間を「紅陽期」と言います。これは「聖人の時代」と言って、宗教が世を支配する時代でした。銀河の冬至に向かって闇がいよいよ極まっていく中で、人々は聖人にすがって御利益を求め、どんどんものごとの本質がわからなくなっていく時代だったのです。そのような御利益的に人々を惹きつける宗教は、神の存在すら個人の損得の上に求めるようなものとなってしまいました。本来宗教とは、宇宙の本質を掴み取り、人間を高い意識に導くものでなくてはなりません。しかし、御利益的組織宗教は、時代に争いの種をまき散らした存在でもあったのです。そのような近代の宗教は、もう終わらなければなりません。

そして銀河の冬至の少し前(1927年)に「紅陽期」は終焉を迎え、「白陽期」が始まりました。これは「庶民の目覚めの時代」ということです。誰か特別な聖人に頼るのではなく、一人ひとり誰もが目覚めていく時代が始まったということです。銀河の冬至を越え、徐々に光が増していく中で、庶民一人ひとりが宇宙の法則や人間の本質に目覚め、自分たちは何者で、どう生きていくべきかを悟っていく。つまり、それまで聖人だけが有していた意識レベルに誰もが到達し、すべての人が仏陀として生きる時代が始まったということです。

光から闇のピークへと向かってきたこれまでの時代の人々は、経済を活性化し、物理的に豊かになることを追い求めてきました。しかしそれは、肉体を持って生きている間のほんの一瞬のことにしかすぎません。真の人間の価値とは精神性にあり、この世界の実体を悟って目覚めることにあります。それは生死を超えたものです。そしてその目覚めた状態でこの世界に貢献する役割を果たしていくことが、人間としての本来の価値ある生き方なのです。

これまでもそういったことは宗教の世界などで語られてきましたが、宗教はどれも皆組織を作り、信者からお金を吸い上げて、組織を大きくしてきただけでした。その時代が終わりを告げ、いよいよこれから一人ひとり誰もが仏陀として生きる時代が始まります。地上を生きる者が皆仏陀になるということは、天の法則が地上に表現されるということですから、人々がそのような意識に到達すれば、地上天国が実現するのです。

それでは、物質文明の始まりから現代までの、太陽の1らせんの4分の1を拡大して見てみましょう。

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太陽の1らせん25800年の4分の1を詳しく観ていくと、文明発祥と経済の発達が観えてきます。およそ6400年前に、世界最古の文明であるシュメール文明が発生しました。このシュメール人とはとても不思議な人たちで、現代に通用するような宇宙観を持っていました。

「世界最古の文明の発生 統治国家、高度な法体系、経済、科学、医学、建築、農業、文字の発明、天文学、数学、芸術の発達、宗教、暦の発明 = 現代文明の基礎が出来上がっていた ➡︎ 貨幣経済も始まっていた」
シュメール人は現代文明の基礎を築き、それを受けて様々な文明が発生していきました。シュメール人は宇宙から来たのではないかという説があるほど、突如として高度な文明を築きました。

この図は、円が連なっているように見えますが、実は東洋文明と西洋文明が交互に発展と衰退のサイクルをくり返し、800年ごとに入れ替わりながら共に進んでいる二重らせんを表しています。
およそ4000年前に、バビロニアで本格的な金融活動が始まりました。約3200年前にはバビロニア商人の流れを汲んだフェニキア商人が台頭し、それとほぼ時を同じくしてユダヤ教をはじめとする宗教の時代が始まります。そして国を持たないユダヤ人たちは、移動しながら商業や金融業を発達させていきました。現代の世界の経済はユダヤ人が握っていると言われるように、当時からユダヤの人々はそういった才に長けており、国家を持たなくともお金で世界を支配してきたのです。
その後、様々な宗教が成立し、現在に至っています。これは地球上の歴史の経緯ですが、宇宙的なターニングポイントである銀河の冬至とちょうど同じタイミングで、西洋文明と東洋文明の盛衰が入れ替わっています。そしてこの銀河の冬至を境に、私たちは光のピークへと向かっていく時代に入りました。光が増していくということは、ものがよく見えるようになっていくということです。これまでの闇の時代に積み上げられてきた矛盾が次々と明るみになり、それを改めていく時代が始まったのです。
改めていくためには、眠っていてはいけません。中国の天盤の巡りが示しているように、庶民一人ひとりが目覚めていく時代が始まったのです。

産業革命が起きたおよそ250年前は、この図で見ると現代のほんの少し前にすぎません。ところが産業革命から人類は劇的な変化を遂げました。人口が急激に増え、環境破壊が一気に進み、闇の時代の矛盾の仕上げが成されたのです。それは、矛盾を仕上げ、目覚めなさい、ということでもあるのです。

それではこの図をさらに拡大し、近年の800年を見てみましょう。

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文明は1600年ごとにらせん一つ分のサイクルを刻んでおり、800年はその半分です。この800年間は、西洋文明が開花期を迎えていました。それに対して東洋文明は準備期に入っていました。次の開花に向けて準備をする期間だったということです。

そして東西の文明が入れ替わる時には、必ずそれまでの価値観を壊すような世界的な大動乱が起きています。20世紀から21世紀へと切り替わり、東西文明の入れ替りの時を迎えている現代は、まさしく世界中で大動乱が起きています。世界的な動乱と同時に、個人の意識にも変革が起きています。そういった時代の壮大な流れを、個人個人が日々の生活の中で意識して生きることが、庶民の目覚めにつながっていくのです。

今、日本をはじめとする複数の国々で若い人たちが子どもを持とうとせず、様々な地域で少子高齢化が進んでいます。これまで経済は右肩上がりで成長してきましたが、これからは少子高齢化が進み、これまでのような形では成り立たないようになっていきます。ところが人間はこれまでの在り方に執着し、過去を復活させようとするのです。しかし、時代は常に先へ先へと進んでいるのですから、過去に留まろうとすれば必ずそこには矛盾が発生します。ですから、これまでのやり方では立ち行かなくなる時代が来たのだということを、悟らなければならないのです。

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「お金をたくさん持っている=価値ある人生ではない」
お金を持っている人が優秀であり、お金をたくさんかけて教育を受けて社会的に高い地位につくことがよいとされてきたのが、これまでの時代でした。今、韓国でも中国でも、教育を受ければお金を稼いで豊かになれるということで、人々は異常なほど教育に熱心になっています。ところが、いくら教育を受けても、役に立たないものは役に立たないのです。大切なのは、その人の本質に基づいて教育がなされることなのですが、今は欲望の上に教育が成り立っているのです。

「お金をたくさん得て社会的な成功者と呼ばれる人々が、必ずしも人間としての価値が高いというわけではない。努力して成功を勝ち取ったところで、それが他国の人々の苦しみや環境への多大なる負荷の上に成り立っているとしたならば、それを良い人生といえるだろうか。いずれ地上での役割を終え、全てをリセットして魂として旅立つ時、人としての価値が問われるのである。」
生きている間にどれほどお金を稼いでよい思いをしたとしても、いずれ生を終えて旅立つ時に、必ずその価値を問われます。こういった考え方を持つことが大切です。これはどちらかと言うと東洋的な考え方であり、これからの時代を生きる人類には必ず問われていくことです。

「物理的な豊かさや成功のみを追い求めなくても、人間はもっと豊かに暮らすことができる。それは生きることに不安のない状態であり、みんなで分かち合う生き方である。」

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「自然はバランスよくエネルギーを与える ~なぜ人類は、みんなで分かち合う暮らしが出来ないのか」
有史以前は、分かち合う暮らしをしていました。12900年前の銀河の夏至である光のピークの時代には、人々は群れで生き、互いの能力を活かしあいながら、助け合って暮らしていました。それが、自己の利益を優先するがために、今の人々にはできなくなっているのです。

「今まで分離と闘争の時代だった。本来自然は無駄なく、全ての生命に、そのものが必要としているエネルギーを与えてくれる。自然は生態系全体のバランスを取り、そのバランスの中でそれぞれの生命は役割分担を果たしながら、ふさわしいエネルギーを自然からもらい、連なって生きている。」

自然界は、ひとつらなりの命です。全体がひとつの命であり、一つひとつの存在が全体に抱かれています。自分の力で生きているのではなく、生かされているのがこの世界の仕組みです。ですから、新たな時代の経済は、「共有する経済」ということです。

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ここは、もっとも大切なポイントです。

「お金は社会をめぐる血液であり、純粋なエネルギー 与えられる量が多すぎず少なすぎず、それぞれに相応しく血液が巡り、常に流れていることが、健全な体(=社会)を作る。自然界がひとつの体であるように、社会もひとつの体として機能していけば、バランスの良い供給を可能にする経済システム=共有する経済が可能になる。現在の地球は人間社会も自然環境もアンバランスで病的な状態にある。」
その原因は、人類の意識にあるということです。

「人類の意識が高くなり、愛と善意に基づいたエネルギーを乗せてお金や物を循環させていけば、最終的には地球がひとつの経済システムとなり、調和する。」
私たちは、地球という同じ家に住み、同じ乗り物に乗って宇宙を旅している仲間なのです。それを生活を通して表現しているのが、木の花ファミリーの生き方です。

「コミュニティーのメンバーが調和的な精神を有することにより、全体が調和し、健全な循環を表現することになる。そこでは一人ひとりのエゴ的感情がなくなり、個人の利益を得ようとするのではなく、メンバーはコミュニティーが円滑に営まれるための役割を果たしていく。」
「コミュニティのメンバー」というのは、どこか特定の共同体に住んでいる人だけを指すのではありません。そもそも地球そのものがコミュニティなのですから、人類は皆、地球コミュニティのメンバーなのです。人類が調和的な精神を有することで、地球全体が健全に循環していくのです。それは経済成長一辺倒になってしまった今の時代からすると、画期的な大転換です。

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「本来の生きる目的は社会に貢献すること ~人が生きる目的は世界観を広げ、人間性を高めることによって、エゴに走らない優れた人間として人生を生き、コミュニティーや社会に貢献して、高い意識レベルに到達し、人生の終焉を迎えること。」
そういった高い意識レベルに到達すると、人々は「必要以上に獲得しようとしなくなる」のです。今の世界では、富が一部の場所に異常に偏っています。そのような状態を、私たちの体に例えると病気と言います。

「逆に獲得しようとして競争に負けたものは、敗北感や劣等感を持ち、社会の保護の元に暮らさなければならない。国によっては、貧困層どころか、スラム化したり、援助を頼りにした国家や生活が出来てしまう。」
援助によって生活が成り立っている場所では、人々は援助に依存して生活力を失い、人間本来の生命力が弱まっていくということが実際に起きています。

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「それでは木の花ファミリーの経済を見てみましょう」!

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「お財布はひとつ」と言うと、ゲストの人などから「そんなことは考えられない」と言われることがあります。「財産はすべて丸見え」と言うと、「やっぱり隠しておきたい」という反応を示す人もいます。しかし木の花ファミリーでは、こういったことが現実に成っているのです。

これは「みんなの富の山」です。日本語で富士山は「富の山」と書きますから、これは富士山です。みんなで富を集めて、みんなで使います。そんなにたくさんの富がなくても、みんなで使えば効率よく有効に使うことができます。もしもこの富の山を一人ひとりに分けてバラバラに使ったら、一人の持ち分は少なくなりますし、同じことをバラバラにやるわけですから無駄もたくさん発生するでしょう。しかし、それをみんなでやることによって、少ないお金でとても豊かな生活が実現するのです。

これは、これからの世界経済の見本となる経済システムです。それを「ビュッフェ経済」と名付けました。

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「コミュニティーはひとつの体・生活の中の役割分担・ユートピアを表現するファミリーの暮らし」
木の花ファミリーの暮らしの中には、「医」「芸術」「環境」「教育」「社会」「経済」「食」「農」という様々な分野があり、そのすべての中心にあるのが、天然循環をベースにした「菩薩の里」の精神性です。それは高い精神性を有した人々のネットワークによって営まれる世界です。

「精神性を柱として、各部門が有機的につながり運営される」
一人の働きは全体のためにあり、全体は一人ひとりの働きをつなげて循環しています。それは地球生態系と同じ仕組みです。そこに、お金のために働いている人はいません。

「傍(はた)楽(らく)精神」というのは、自らの損得を考えて労働するのではなく、「傍」、つまり他者を「楽」にするということであり、社会の循環を円滑にするための働きです。

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「社会と繋がり広がる事業」ということで、「恵みいただきます」という食事イベントを月に1度開催したり、「癒し処たんぽぽ」で整体やマッサージのサービスを提供したり、地域の便利屋をやったり、新しいプロジェクトとして「ロータスランド」というカフェ&ショップ(木の花ファミリーアンテナショップ)をオープンします。

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その他、心身の病を持つ人の回復をお手伝いする「自然療法プログラム」、個人の枠を超えて様々な人々が集い語り合う「大人サミット」、そして1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し心と宇宙の仕組みを学ぶ「1ヶ月間の真学校」などの活動も行っています。

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「天然循環法に基づいた調和の精神 コミュニティーは一つの生き物であり、全ての活動の母体です。その中では全ての個性が尊重されます。そして様々な個性がつながりあい、それぞれがふさわしい役割を果たしていけば コミュニティー全体が調和の流れの元に運営されていくのです。」
この構造は地球生態系と同じですね。さらに言えば、銀河、宇宙の構造と同じだということです。

「それぞれの生命が個性を発揮しながら地球生態系が調和を表現するように、人類それぞれが全体を担っているという自らの役割に目覚め、他者の喜びのために働けば、この世界は調和に満ちた世界になるのです。」

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「現代の『労働』と『ハタラク』の違い 現代の労働 金銭を得るためにするもの。現代人は便利さや欲の追求のために、多くのお金を必要とする。多くの産業は天然資源や、人々の過酷な労働、動物たちの犠牲の上に成り立っている。生活も、労働も苦痛の上に成り立っている。
働くという文字は『人が動く』と書きます。『人が動く』ということは自分の為に動くのではなく『他者の為に動き傍を楽にする』という、深い意味があります。」
「人が動く」とは生きるということです。生きるとは、生態系の循環を円滑にするためにあるということです。

「命あるものは全て、そのものの独特の働きがあり、その働きは生命ネットワークの中で個性的に生かされます。働く事は、命が生き生きとすることであり、喜びなのです。」
ですから、現在の労働のように苦痛の上に成り立つものではないということです。

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「『資本主義経済の時代』は時代が生み出した『たった2秒の物語』」
この2秒間のマインドコントロールを解くことが、今必要です。

「250年前に始まった産業革命以降、西洋社会で始まった工業化の波と人口の増加、ヨーロッパから入植して建国されたアメリカ合衆国から始まった資本主義経済が世界を動かしてきた。今時代は大きく舵を切ろうとし、人類は経済発展一辺倒の呪縛から目覚める時が来ている。しかし、現実には人類は未だに『資本主義経済』という強烈なマインドコントロールにかかっている。
地球の誕生から始まり、生命の誕生、人類の誕生、文明の発生と、歴史をつなげて物語としてみた時に、地球46億年の歴史を1年に例えると、その中でこの250年はたった2秒の出来事である。人類はその『2秒間の物語』のマインドコントロールにかかっている。
そのマインドコントロールは、今時代と共に終わる時が来ている。時代の切り替わり時を迎えているにもかかわらず、人々はこれからやってくる新たな発想に対して、今までの価値観でしか物事の本質を観ることが出来ず、次の時代が提示しているあり方が観えないのである。」
これまでの時代に優秀とされてきた人々は、特にそれが観えません。それは、人間が思考を回すことによって豊かさを得ようとしてきた人たちです。では、優秀でなかった人々が観えるのかと言ったら、やはり観えません(笑)。
観えるのは、何かが閃いた人です。「何かが変だ」と閃く人たちが、これから観えるようになっていきます。そういった人々は特に、新しい時代を生きる若い世代の人々の中に多く見られるようになってきています。

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「新しい時代の価値は『命の絆・真心』~ 社会が行き詰まりを迎えた今、多くの人が世界の動向に不安を抱えている。有識者は過去の歴史を顧みて、今世界が歴史的な大転換期を迎えていることを読み取っているが、その先にある次なる社会の在り方を語ることが出来るものはいない。
歴史をはるか遠く遡ってそれぞれの時代をつなげて見た時に、時代には流れがあり、そして意志があることが観えてくる。現在の世界的混乱を受けて、経済主体の物質主義文明に代わり、新たな精神文明が始まろうとしている。
そこで人類が大切にする価値は『いのちの絆』『真心』である。それらは、これから作るものではなく、宇宙の発生と共に、元々あったものである。」
それは宇宙の発生と共に元々あったものであり、今、人類はそれをよみがえらせる時に来ているのです。

今、時代は大きな切り替わりの時を迎えています。そのことを示す現象が、世界中のあらゆることに現れています。そこをひも解かなければ、現代の混乱の先は観えてきません。
そこで必要なのが、「時代主義」という捉え方です。これは資本主義や共産主義に代わる、21世紀の人類の新たな生き方です。資本主義も共産主義も、物質的な発展を求めるものでした。しかしこれからは精神的発展の時代であり、そのベースとして時代主義が必要とされてくることでしょう。

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「世界観を広げ、意識が変われば、経済や時代の捉え方も変わります。それは、全ての好循環の始まり。あなた一人の行動から始まります。」
12900年前の光のピークの時代は、まだ人類が闇を知る前の光の時代でした。そこから、光とは何であるのかという本当の意味を知るために、人類は闇を体験する必要がありました。私たちは今、闇の時代を経て、再び光に向かおうとしています。今、闇の真っただ中を歩む私たちは、そこに希望があることを、時代主義を通して知ることになるでしょう。

「あなたはこれからどのような行動をしますか。」

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「ご清聴ありがとうございました。」

 


 

分離と競争の社会から「分かち合い」の社会へ

2017年2月19日~3月18日
「1ヶ月間の真学校」開催!

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囚われを外したら

そこは宇宙だった

 
何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造糀仕込み&味噌作り/コンポストトイレの作り方/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/宇宙視点の死生観/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

→ 1ヶ月間の真学校ブログ

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本当にいい人生を生きるために ~あこちゃんといさどんの会話

最近、学校で友達から悪口を言われたり、先輩から嫌なことをされたりして悩んでいるというあこちゃんが、かねてより親しいいさどんのところへ相談にやってきました。以下、あこちゃんといさどんの会話をご紹介します!

――――――――

いさどん:
僕はね、あなたの味方だよ。

あこちゃん:
え???・・・あっ、「みかた」って「味方」ってことか。「見方」かと思っちゃった。

いさどん:
「目方」じゃないよ(笑)。味方だよ。どういう味方かというと、あなたが物事を正しく観て、いい人生を生きていくために協力しようと思ってる人だということ。
それでね、あなたの周りに起きていることを観ていくと、そこに共通点があるんだよ。友達との関係でトラブルがあったり、先輩に嫌なことをされたりするわけだけど、実際にそういった問題が起きなくても、そういった問題を引き起こすあなたの心の傾向というのは、常に日常の中に表れている。今あなたの周りに起きている問題は、どこに原因があると思う?

あこちゃん:
私がいい恰好しいで、人に媚びるから。

いさどん:
それは自分でわかってるの?人に言われたからそうなんだと決めているようでは、意味がないよ。自分でしっかりとその仕組みをつかめていないとダメだよ。

あこちゃん:
思いとしてはわかってるけど、まだちゃんと自分の心に刻み込まれてはいないと思う。

いさどん:
それじゃあ本当にわかってるとは言えないでしょう。あなたの周りに起きる出来事を不快に感じることがあるとしたら、その不快なことを並べてみると、どういったことが原因でそれが起きているのかが観えてくるんだよ。それぞれの出来事の相手はどういう立場なのかを考えてみると、その人その人によってバラバラだよね。だけど共通しているのは、そこにあなたがいるということ。それらの出来事のすべてにあなたが関わっている。
それは一見、「私の周りにはろくな人がいない」というようにも思いがちだけど、それは自分を観ないで、不愉快と思う相手のことばかりを気にしている人の考え方だよ。その構造は、わかる?

あこちゃん:
うん。

いさどん:
それらの出来事に共通して出会っているのは自分だよね。そうしたら、そこで自分を観ることが大事なんだよ。それを自分でやらないから、今僕が「あなたはこういう傾向があるからそういった出来事に出会うんだよ」ということを伝えているんだよ。
さっき僕が「どこに原因があると思う?」と聞いたら、あなたは「私がいい恰好しいだから」と答えたよね。でも僕はそのあなたの答え方を聞いて、怪しいな、と思うんだよ。なぜなら、言葉に曖昧さが漂っていて、人から言われたからそう答えているということが感じられるからさ。それもいつも正解の側にいて、評価されようと相手に媚びを売っているようなことだよ。わかった人のふりをしている。

あこちゃん:
・・・確かに。

いさどん:
僕は怪しいと感じるから、本当にそう思ってる?と聞くわけだ。親切だからね。だけど普通の人は、あなたが「わかりました」と言うと「ああ、この子はわかってるんだな」と思ってそれで終わりにするんだよ。
だけどね、人間というのは嘘つきでね。その嘘もとても上手で、ずっとそうやって生きていくうちに嘘が染みついてしまって、自分でも気が付かないまま嘘をついていたりするんだよ。むしろその方が多いかもしれない。それが「クセ」というやつさ。

あこちゃん:
ああ。

いさどん:
僕はあなたの味方で、あなたを応援している。「味方」というと、「あなたは何も問題がないから、そのままでいいんだよ」というような、よく人を心地よくさせることを狙った本に書かれているような表面的な味方もいるね。だけどそれでは本人にとって何の足しにもならない。問題も解決しないどころか、次の問題を引き起こす種を育てるような応援をしていることになる。
そこでいさどんは、「それではダメでしょう」と言うんだよ。「ダメでしょう」と言われると、自分の思い通りに生きていきたい人にとっては、自分を否定されたような気持ちになったり、叱られたように感じるだろうね。だけど、良くない自分を否定されることは大切なことでしょう?

1月28日に富士浅間木の花祭りをやるけれど、この祭りには鬼が出てくる。鬼は「悪いことをしてはいかんぞ」と怖~い顔をして怒ってるんだよ。「そんなことをしていたら、世の中どころかおまえ自身の人生にも良くないぞ」と、真っ赤な顔をしてみんなに伝えている。それを素直に受け取って、そうでした、自分のことばかり考えていました、これからは改めます、という心に人間がなると、鬼はニコニコと笑って、仏さまの顔になるんだよ。
だからね、物事はしっかりと正しく順を追って観ていくことが大切だよ。聞いてる?

あこちゃん:
うん。聞いてる。

いさどん:
それは耳では聞いているだろうけど、中身が入っているかということさ。ちゃんと理解して、体に染みこんでる?

あこちゃん:
(返事に詰まる。)

いさどん:
そうでないと、いくら良い話を聞いても活かせないよ。それではただ良い話を聞いただけのことになる。あなたにはクセがあってね、しっかり聞いていないのに、うん、うん、と頷いて、聞いたふりをしてやり過ごすことがあるね。それは相手からすると、表面的な人はともかく、なんだか聞いているように見えて実は私の話を聞いてないな、と感じられるものだよ。そして何かあの人は信用できないな、ということになる。
あなたは人から良く見られようとして、長い間表面的に取り繕ってきた。そのクセのまま人間関係をつくろうとしても、深い関係はできないよ。

あこちゃん:
確かに・・・。

いさどん:
相手が自分に何かを言ってくるには、理由がある。あなたは「相手にはストレスが溜まっているから」というように捉えても、そのストレスはあなた自身が原因になっていることもあるんだよ。相手に対して自分がストレスを与えているのだとしたら、そこは一番に改めなければいけない。
だけどそう言うと、あなたの傾向として、また相手に媚びを売り始めるんだよ。「私が悪かったからごめんね」と。だけど、その場合相手には相手の問題があるのに、そこで媚びを売るようでは自分のためにもならなければ、相手のためにもならないよ。

大切なのは、その出会いが良い関係で過ぎていくこと。出会いは縁だからいつまでも続くとは限らないし、縁が切れれば自然に消滅して、それが「いい関係だったね」という思い出として残っていくようにしたいね。勘違いしてはいけないのが、子どもの頃に仲がいいとそのままずっとその関係が続くかのように思いがちだけど、そうとは限らないということ。いさどんも高校の頃の友達とすごく仲が良くて、将来僕たちは結婚して家庭を持ってもこの関係はずっと続けようぜと話していた記憶があるけど、何のことはない、彼女ができたり、就職して家が遠くなったりしたら、もうそこではそれぞれが別の世界で生きていくんだよ。今じゃ価値観もまったく違うから、会うこともない。
今の友達との関係をずっと続けたいという思いを持つことはいいし、実際に関係を続けている人はいるけれど、そんなに多くはないね。成長するにつれて周囲との関わりというのは変わっていくもの。そして「楽しかったね」と思い出になっていくだけのことなんだけど、そこで後から「あの時いじめられて辛かったんだ」とトラウマになるような関係はできれば作らない方がいいね。
それには、「自分はいじめを受けた被害者で不幸だった」と捉えているようではダメなんだよ。いじめる側も、いじめて得したなんて思ってはいないはずさ。むしろいやな思い出になっているから、自分がいじめっ子だったということはなるべく人には話さないようになるね。自分はいい人だったと思いたいんだよ。聞いてる?

あこちゃん:
えっ・・・き、聞いてるよ。

いさどん:
あなた、自信がないんでしょう。

あこちゃん:
私も、自信を持って聞いているとは言えないけど・・・

いさどん:
相手の話を聞くよりも、頭の中で自分の思考を巡らせているからそういうふうになるんだよ。それが染みついている。だからあなたの言う「聞いている」というのは、相手の話を聞いているというよりも、その話を聞いて、自分に置き換えて思考を回していたり、どんな反応をしたらいいんだろう、とか、最終的にはどうしたら相手に気に入られるだろう、なんて、今僕が話している内容とは関係のないことを考えている傾向があるんだよ。
そういった自分の思考的クセを白紙にして、相手の話をじっくりと聞き、何を伝えられているのかを理解することが大切なんだよ。聞く能力というのは人それぞれだけど、そういった心のクセの奥には、正しく物事を受け取る力を誰もが個性的に持っているものなんだよ。それを使っているかというと、多くの人は使っていない。だから話が終わった後に、相手が何を言っていたのかをよく理解していないことがある。あなたの場合、話の最中も相手にどう思われるだろうかとビクビクしているところがあるものだから、話が終わった後に「この人はこういう考えだったのか、それなら今度からこうしてあげよう」と相手を理解するのではなく、「こう言われたから自分はどうしたらいいだろう」と結局自分のことばかり考えていることになり、いつも自分が中心になってしまう。それではいい人間関係はできないね。

あなたは周囲との関係でいろんな問題に出会っているよね。あなたを観ていると、その原因はあなた自身が引き寄せていることが観えてくる。あなたに問題があるから、同じように問題を引き起こす人が寄ってくるんだよ。そして皮肉なことに、その人と仲良くなる。それでやがてお互いに本性がわかると「あんなに仲が良かったのに何でそんなことを言うの」ということになったり、仲がいいはずなのに相手に何か言ってやりたいような気持ちになったりするんだよ。距離が近くなるということは縁があるということだけど、近いのに仲が悪いという関係ができて、それがひどくなると難しい人間関係を創り出し、それを解決しないで放っておくと、トラウマになる。縁が切れたら離れていって「あんなこともあったね」と終わっていけばいいのだけれど、「仲が良かったはずなのにあんなことになって辛かったな」といつまでも嫌な思い出として残ってトラウマになるんだよ。それは悪い思い出を作る生き方だね。
そういう種を自分自身の人生に播いて、そこにさらに自分のクセが嫌な出来事を足していく。そのことに気付かなければいつまでもそのままだから、いい人生は生きられないよ。自分の心のクセが、不快なものをふくらませていくんだよ。相手に対しても、自分に対してもね。

それを解決するためには、まず自分を振り返ること。そして相手のこともよく観察する。どうしてそうなったのかを分析して「ああ、そういうことだったのか」とわかったら、そこから自分を変えていかないと同じようなことがずっと起き続けるよ。生ごみを袋に入れてその辺に置いておいてごらん。いくら片付けたつもりになっても、中は腐っていくから。土に還すなり何なりと、正しい所に処理しなければいけないんだよ。

あなたは友達から、インターネットの情報を元にして事実ではないことを悪口として言われた。そこで自分の想いを手紙に書いたわけだけど、それを読んだ人によると、相手に訴えているのか自分が反省しているのか、最終的に何が言いたいのかよくわからない内容だったそうだね。それで自分の意思をはっきりと伝えなければいけないということを伝えられたら、今度は極端に自分の主張だけを並べた一方的な手紙を書いた。それでは相手との関係をさらに悪くするようなものでしょう。自分ではどう思うの?

あこちゃん:
書いた時は、正直な気持ちを書けたなって思ったけど・・・

いさどん:
正直というけど、あれはあなたが不愉快に感じている感情を箇条書きにして出しただけのことだよ。そこに気が付けないのが問題だ。僕はあなたが書き直したという手紙を見せられて、いったいこれを友達に渡してこれからどういう関係をつくろうとしているのかと思ったよ。それを読んで相手がしょげたところで、関係が壊れるだけでしょう?あんなふうに自分の意見だけを一方的に伝えても、相手が自分を改めることにはならないよ。そうかといって、いつものあなたのように相手にへつらっていては、相手は余計に調子に乗って、いじめてくる。どうしようもないよね。そこにあなたの人格が見事に表れているんだよ。

僕が初めてあなたに会った時にはとても大人びていて、周りの人たちは「とてもしっかりしているね、すごいね」と感心していた。だけど実はあなたはそういう自分を装っていただけで、それが長続きするわけがないのだけれど、あなたの親もそれを見抜けていなかった。だからあなたはいさどんに出会ってよかったと思うんだよ。周りの大人たちはみんなごまかされていたけれど、いさどんにはあなたの本当の姿が観えたわけだから。
それは、いさどんに感謝しなさいという話ではないんだよ。物事を冷静に、正しく観なさいということさ。今までのあなたはいい恰好しいで、嘘つきの心をしていた。だけどいくらいさどんが応援していると言っても、この先ずーっとあなたとくっついているわけにはいかないんだよ。最後には死んで別れるわけだしね。そうしたら、あなた自身が物事を冷静に正しく観る目を持つことが必要だ。

今、僕はあなたという人をずっと分析してきたけど、それについてどう思う?

あこちゃん:
どう思うか・・・なかなか言葉がすぐに出てこない。

いさどん:
出てこなくてもいいけれど、今伝えられたことがあなたの中で「本当にそうだな」と身に染みていなければ、意味がない。あなたは勉強はよくできるね。勉強ができるということは集中力があるということだけど、その中でも記憶力が優れているから勉強が得意という人がほとんどだ。今の勉強は記憶ができれば点数が上がるようになっているから。
だけど大切なのは、理解力だよ。一番いいのは記憶力も理解力も両方あることだけど、今の世の中では記憶力のある人が優秀だということになっている。そしてテストが終われば、もう忘れていいんだよ。つまり、身に付いていなくても優秀と評価される。それが今の学校の勉強だよ。
あなたは成績優秀だけれども、それもいいことなのかどうかわからない。なぜなら、今は多くの人が大学に行くけれど、大学に行ったからといっていい人生が歩めるわけではないからさ。みんな勉強して知識は増えても、自分のことがわかっていない。知識を得ることによって発揮できるものもあるから、それで世の中は成り立っているけれど、本当の意味で良い人生にはつながっていかない。自分のことが観えないまま問題ごとの種を播き続けて、それで問題に出会って「何でだろう」と悩んでいるんだよ。
大切なのは、自分としっかり向き合って、自分はどういう人であるのかを正しく理解して、その自分の個性を有効に活かしていくことさ。それを「心磨き」と言うんだよ。心を磨くことで、人は初めて本当に良い人生を生きられるようになるんだよ。

それで、もう一度聞くけれど、話を聞いていてどう思った?

あこちゃん:
確かに、私は勉強は一生懸命やってきたけれど、心を磨くことはしていなかった・・・(ここであこちゃんは涙を流す。)

いさどん:
ねぇ。ここでは心を磨くことを一番大切にしているけれど、世の中の人はそんなことは言わないよ。友達だって学校の先生だって言わないでしょう?だけど心を磨かなければ、勉強したことも本当の意味で役に立たないんだよ。だからいさどんは「心を磨きなさい」と言うんだよ。いさどんは世の中の人みんなの味方だからね。
今、そうやって涙が出てきたということは、理解できたということだね。僕が今こうしてあなたと話しているのは、あなたが話を聞きに来たからだよ。それはいいことだよ。物事を自分の中で収めずに聞きに来たおかげで、客観的な視点をもらって自分を振り返ることができるのだから。そこでちょっと足りないのは、聞きに来るのが遅いということ。もっと早く来れば、ややこしいことになる前に解決できるし、嫌な思いをすることもない。ちょっと問題の兆しが現れたところで、すぐに自分を振り返ればいいんだよ。そうやって身に付けていくんだ。
今回の友達とのトラブルが特別大きな問題ではないけれど、同じようなことがいくつか続いているのだから、それをつなげてひとつの物語として観たら、そこに同じような傾向が観えてくる。あなたは人生を通して、こういった一連の出来事に出会った。それを物語として捉えて勉強するには、とても良い機会だよ。

僕は誰もの味方だから、あなたの友達の味方でもある。あなたに悪口を言う友達のことを観てみると、けっこう頑固だから、しっかりと道理の通った話をしないと伝わらないね。
まず、あなたとの関係を大切にしたいと思っているけれど、私は最近不愉快に感じることがあるんだということを伝えること。あなたはインターネットの情報を元にして悪口を言っているけれど、それが真実かどうか確かめたのか。今の世の中は、表現の自由だと言って一方的な書き込みがネット上に蔓延し、被害を受けている人がたくさんいる。ネット上の情報を鵜呑みにして悪口を言うようなら、あなたもそれに加担していることになる。あなたのやっていることが人を悲しませているとしたら、それについてどう思うのか。私は不愉快な思いをしていて、それを改善せずにあなたと良い関係はつくれない。これまでの私の姿勢が今のあなたの態度を引き出したと思うから、これからはもっと明快に、本音であなたと付き合っていこうと思う ――― そういうふうに、筋を通して相手に伝えることだよ。

いさどんが言ったことをそのまま伝えなさいということではないよ。中身はあなたが自由に書けばいい。その時に、今いさどんが話したように物事をよく分析して、それから伝えてあげると、その子のためにもあなたのためにもいいことになるということさ。そして本当の意味で心が通じて、いい友達になれる。自分の意見だけを通して相手はどうでもいいのだということではなくて、いい関係をつくっていくことが大事でしょう?それができたら、あなたは本当の意味で賢い人になるよ。

これはいさどんの思惑ではなく、こういう出来事に出会った時に誰もが取るべき姿勢の話だよ。それが「正しい」ということであり、誰の側にも立たないということさ。自分の側にも相手の側にも立たず、みんなにとって良いことができるようになった時に、世の中のためになる人になれるよ。大人になって社会に出れば、社会貢献ができる。例えば先生になったら、子どもたちのためになる。誰もがそうやって生きられるんだよ。そしてそれが価値となって、自分のためにもなるんだよ。
あなたにはそういう人になってほしいと思うけれど、変な心のクセがついているね。それは生まれ持った心の性質ということもあるけれど、そうであったとしても、改めていくことはできるんだよ。改めれば、別の人になる。悪いところは改めて別人になって、良いところはそのまま活かしていけばいい。

あこちゃん:
(泣きながら)いい言葉が見つからないんだけど・・・

いさどん:
いい言葉が見つからなくても、言われたことはわかる?

あこちゃん:
うん。

いさどん:
それが大事だよ。わかるけど言葉にならない、ということは、学校のテストだったら0点だね。学校のテストは、答えが合っていれば点数が取れるようになっている。だけど大切なのは、たとえ言葉で説明できなくても「わかった!!」って本当に心から思うことなんだよ。僕はその方がずっと大切だと思うよ。

今の「わかった」という心で、友だちにも手紙を書くといいね。これからも、あなたが知恵が必要になった時には、力を貸すよ。だけどおせっかいは焼かないからね。はい、終わり。

(ここであこちゃんはいさどんに抱きついて、声をあげて泣きました。)

いさどん:
(涙を浮かべながら)こういうのを、いい関係というんだよ。

 

 


 

自分自身のことを深く知りたい方へ        

2017年2月19日(日)~3月18日(土)    
1ヶ月間の真学校 開催   

何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

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濃密なストーリーを歩んでいる

34歳のMさんが木の花ファミリーを初めて訪れたのは、2016年12月15日のことでした。10歳の頃、自律神経失調症と診断され、アダルトチルドレンやADHDの傾向があると感じていたMさんは、「人といると怖く息苦しくなる状態から、自然体でいるだけで大丈夫と腹の底から感じたい。幸せ・安心・安全・自由は自分がいつも作り出せると信じたい」と想い、いさどんの面談を受けました。面談の際、いさどんはMさんに次のように伝えました。

――

僕は今のあなたを観て、良かったと思うのです。つまり、家族にもしがらみがなく、お金もなく、執着するものもなく、今までの人生にも良いことがありませんでしたね。そうしたら、後はきっかけを掴んだら良いことだらけです。ですから、きっかけを掴む何ものかに出会えばいいのです。それが僕かもしれませんよ♪

あなたの今までの人生を振り返ってみると、人格的に欠落しているとは思えません。ただ、あなたは物事はよく観えて非常に繊細なのですが、少しネガティブに受け身で物事を観て、そのことに対して明快に解答を出して行動することがなかなかできない人なのです。ですから、人から観たら、何を考えているのかよくわからないということにもなります。だからといって、社会生活不適応ということではなく、人間関係を築くのが下手ということでもありません。そういった社会性はそれなりにあるのですが、あなたはまだ自分の生き方を見つけていませんね。ですからあなたは、「何のために生きているのだろう?」という感覚なのでしょう。

それは良いことだと思いませんか?僕は単に、これからすばらしい人生が待っているということを伝えているのではありません。それは、方向を変えて何かを見つけたら、今までのような低空飛行の人生ではない人生があるということです。そうすると、今までのようなどんよりと曇っている人生は、仕込みの期間だったことになるのです。

通常、ここでケア滞在をする人は重い人の場合薬を飲んでいるので、まず薬の量を減らしていきます。それから、病気を引き起こした原因である性格がありますよね。それを改善していき、薬がなくなったら卒業です。もうお医者さんに行かなくてもいい状態になれば卒業ですが、そこから次は、その人の人格がその病気を引き起こしたことを見つめていき、そこを自分でコントロールできるようになれば完全に改善プログラムは終了です。そうすると、今のあなたには病的状態がありませんので、その次の自分自身と向き合う段階にいます。ケアの最初の3分の2はもうクリアしている状況ですから、あなたの滞在は2週間ぐらいでいいと思います。素直に取り入れれば早いですよ。ただ、症状が軽いと危機感がないため逆に時間がかかる人もいるのです。あなたは人から提案されると受け入れるところがあるので、自分を前向きに活かしていけるといいですね。

――

いさどんの面談を受けた結果、Mさんはその日からケア滞在をスタートすることにしました。最初の1週間は日記を書くことを課題として与えられ、Mさんは「思い切り寝て、食っちゃ寝したい」ということで自由に過ごしながら、時々作業にも参加し、1週間が過ぎていきました。

1週間面談の際、いさどんとMさんは次のような会話をしました。

――

いさどん:
1週間が経ちましたがどうでしたか?

Mさん:
贅沢だなあということと、1週間が経ったなあと思っています(笑)。

いさどん:
僕が想像するところによると、あなたはいつも思考をぐるぐるまわして、どこかに緊張や不足感がある暮らしをしてきたので、思考の万年筋肉痛のようなところがあったと思うのです。「緊張しなくても過ごせる場所があったのだ」というイメージだと思うのですが、どうですか?

Mさん:
そうですね。ここは何も考えなくてもいい場所です。でも、それが逆に不安になるというか・・・

いさどん:
「こんなことでいいのだろうか?」と思うのですね。

Mさん:
そうです!「こんなにやさしくしてもらっていいのだろうか?」と・・・

いさどん:
それは悪い癖ですね。余計なことではないですか?とりあえず1週間は好きなように過ごしてみようということで、1週間が経ちました。ここが目指しているのは、その人がその人らしく、個性を最も活かした状態で生活することです。そうすると、実はストレスもたまらないので、休みもいらない世界なのです。そこにあるのは、お金のことや人間関係など余計なことを考えなくても暮らしていけることの安心感です。今あなたが言ったように、その安心感は贅沢のように思えますが、実は安心で楽な分だけ、その余ったエネルギーを自分を振り返るために使えば、意識の高い人になるのです。

先日、あなたはここのプレゼンテーションを聞きましたね。あれはどこかの話を持ってきたのではなく、長年ここが社会のモデルとしてどうあるべきかを模索し、それを実践してきた結果、蓄積されたものなのです。ですからそこには、ここの生活そのものが表現されています。生活の中にも宇宙観があるということなのですから、広い世界観を持てば誰でもここで体験したような人生を歩むことができます。

1週間前の面談では、あなたは2週間ぐらいで卒業できそうですねと伝えましたが、早く終わってもいいと思いますし、「贅沢だなあ」と言ってそこにぼーっと浸っていたら意外と長くかかることもあるのです。

Mさん:
自分はこの環境に甘んじてないかとか思ってしまうのです・・・

いさどん:
それはネガティブな発想ですね。「自分は怠けているのではないか」とあなたは自分を叱咤するのです。しかしそうではなく、「このような良い環境に乗って、自分を活かす方法はないだろうか」ともっと前向きな発想を持てたらいいですね。

それで、一体あなたは今まで何に対して生き辛さを感じていたのですか?

Mさん:
ネガティブな考えもそうですが、自分で自分を苦しめていたり、視野を狭くしたりしていました。

いさどん:
原因が自分であるということは気付き始めましたか?

Mさん:
はい。

いさどん:
今までも、どこかで原因は自分にあると気付きながら、どうしてもまわりに矛先を向けてきましたね。

Mさん:
はい。

いさどん:
それは余裕がなかったということです。今、せっかく贅沢をしているのであれば、贅沢な場所を活かして、自分のどのような癖がそういった思考をもたらしてきたのかを掴めるといいですね。その余裕の分だけ、自分を振り返ることに使いましょうという提案です。そして、それを掴めるようになったら卒業です。たとえば、今を贅沢だと感じるのであれば、贅沢という基準がどこにあるのかと考えると、今までの自分がどのような人生を歩んできたのかが観えてきますね。そこをもう一段階掘り下げていきましょう。

――

そして2週間目も引き続き日記を書くことが課題として与えられたMさん。ところが、熱が出て風邪を引いてしまい、自分を振り返る作業も進まぬまま、2週間面談の日がやってきました。さらに、滞在して2週間が経ったということで、Mさんは明日にはいったん家に帰り、荷物を引き上げてまた木の花に戻ってくることを考えていました。

その話を受けていさどんは、次のようにMさんに伝えました。
「最初の面談では2週間くらいを目途にケリをつけましょうという話をしました。ところが、これが流れなのか天の采配なのか、今回あなたが体調を崩したのも、あなたに心のたくましさがないことが原因していると考えられます。つまり、今まで晴れない人生を生きてきて、あなたの中にそういった自分とケリをつけることに対して躊躇しているところもあるのです。晴れてしまうことを精神的に恐れると、熱を出したり風邪を引きやすいものなのです。これは無意識でなることですが、あなたにはそういった傾向が見られると思うと、勇気を持って一線を越えなければ次の段階には行けません。今までの自分の感情や癖をすべて抜きにしていけばさっと行けるのですが、人はなかなかそういうわけにはいきません。しかし、どこかでそれはクリアしたいものだとは思うのです。ですから、だらだらと滞在するということではありませんが、スタンスを伸ばして再度挑戦ということで取り組んでみたらどうでしょうか?」

それを聞いたMさんは、「そうなんですか??わたしは風邪を引いてすっきりしたし、風邪を引いたのも自分の体が無意識に逃げようとしてそれが癖になっていると感じました。それに今までのぐるぐる思考も止まって、振り返りが少しできるようになったので、やったあ!と思っていたんです。それでもう、卒業する気満々だったんです!」と答えました。

そこでいさどんは、「それは残念ながら違うのですよ(笑)。それは環境がそうさせているのであって、まだあなたの実力ではないのです。それがあなたの実力になることが大切です。あなたはまだ何も取り組んでいませんよ(笑)。それに、自分の言葉に対してそれがどこから出てきているのか、しっかりと吟味する必要があるのです。僕の話は深層心理まで分析していて、そこを改善することが大事なのです。風邪を引いて寝込んだことは無駄なことでも悪いことでもありません。熱が出ることは知恵熱ということもありますし、内省するチャンスでもあるのです。しかし、本来リセットするのに熱を出したり風邪を引くのではなく、日々の中で冷静に自らを振り返りリセットしていくことが大切です。完全に自己コントロールができていなくても、自分自身を常にチェックできる状態になればいいのです。誰でも良い状態になろうと思って、自我が出るものなのです。それは自分にとって都合が良い状態にしようとするからです」と伝えると、Mさんは明日家に戻ることをやめ、引き続き滞在することを決めました。

そこからMさんは、いさどんからの提案通り、これまでの面談音源を聞いてみたり、作業中のいさどんのところに度々話に行っては自分自身を見つめようとしてきました。そんなMさんに一線を越えるきっかけをもたらしたのは、1月2日から4日まで木の花ファミリーの生活を体験するためにアメリカからやってきた20名の大学生たちでした。座談会やミーティングの場で真剣にいさどんに質問している彼らの姿を目の当たりにしたMさんは、「とてもわくわくして、今までで一番面白かったです!今までいさどんは普通のおじさんだと思っていたけれど、実はすごい人で、自分はすごいところに来たのだと初めて思いました!」とかなり大きな刺激を受けたようでした。1月3日のミーティングでいさどんに促され、自分の気付きを涙を流しながら皆に報告したMさんに対し、いさどんや他のメンバーももらい泣きしていました。

そして、彼らが木の花ファミリーを出発した1月4日の夜に3週間面談が行われました。いさどんから、「あなたは病気ではないのですから、どこかでこの滞在に区切りをつける必要がありますね。あなたはこれからどう生きていくのかを考えたほうがいいと思うのです」と伝えられたMさんは、「2月19日から始まる1ヶ月間の真学校に参加したいので、その前に一度福岡に戻ろうと思っています。荷物を整理して、それからここに戻ってきて真学校を受けた後は、東京で自立して暮らしたいです」と答えました。このようにして今後の見通しが立ったMさんに対し、いさどんはケアの卒業を伝えたのでした。また、Mさんが「いつも皆さんには与えてもらってばかりで・・・何か恩返しをしたいのです」と言うと、いさどんは「これからあなたが健全な人生を生きることがわたしたちに対する一番の恩返しです。あなた一人分だけ、世の中を健全にするのです。それが一番大切なことですからね」と伝え、Mさんは、「本当にそうですね!」と納得していました。

Mさんの心を見つめる旅はまだまだ始まったばかり。今、Mさんは「本当に濃密なストーリーを歩ませてもらっているのだと改めて気付きました」と語ります。MさんがMさんらしく生き生きと充実した人生をこれから花開かせることを皆で応援しています。1ヶ月間の真学校でまたお会いしましょう♪

 


 

囚われを外したら

そこは宇宙だった

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2017年2月19日~3月18日
「1ヶ月間の真学校」開催!

何か問題が起きた時「自分は悪くないのになぜこんな事が起きるのだろう」と思ったことはありませんか。
人は問題を見つけると、とかく自分の外に原因を探し、周りを変えようとします。ところが周りはどうにも変わることなく、問題だけが積み重なり、今や家庭の中から地球規模に至るまで、どこもかしこも問題だらけの、行き先の見えない世の中となりました。
しかしそれは視点を変えれば、大転換のチャンスでもあるのです。

1ヶ月間の真学校は、人生の問題のあるなしに関わらず、生きることの突破口を開く場です。そこに特定の正解はありません。一人ひとりが客観的に自己を捉える冷静な目を養い、視野を広げ、その人らしい人生を自ら切り開いていく力を身に付けます。

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【日程】
2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】
木の花ファミリー
【定員】
15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】
18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。
【内容】
「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多彩な切り口の講座を通して、受講生一人ひとりの心の性質や人生の使命、そして時代の流れを読み解きながら、この世界の真実を観抜く心の目が開かれるよう、いざないます。
講座例:人格を学ぶ講座(カルマ読みと地球暦)/コミュニティ創設講座/天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然災害と防災/持続可能な心の持ち方

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

→ 1ヶ月間の真学校ブログ

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「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~ きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語

去年の4月、子宮頸がんであることがわかったきょうこちゃん。その後がんが進行し、今年の10月26日、大量出血のため市立病院へ急遽入院することになりました。きょうこちゃんのパートナーのこうちゃんは、きょうこちゃんが入院中、病室で寝泊りしながらずっときょうこちゃんに付き添っていました。生死の境を何度もさまよいながら、入院してから48日後の12月12日、きょうこちゃんは市立病院を退院し、今後は沼津のがんセンターでの治療を視野に入れて体力の回復を図っています。以下は、きょうこちゃんの入院中、お見舞いに行ったときのいさどんとの会話をようこがまとめた「きょうこちゃん物語」です。

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10月26日。あっちゃんから連絡があり、お昼にいさどん、まりちゃん、ちなっぴと一緒に重篤状態のきょうこちゃんのところへ向かった。処置室にいたきょうこちゃんは「やりきっていないことがたくさんある」と言って涙を浮かべていた。でもいさどんに「あなたは正直なところ、自分でどう思うのか?」と聞かれたきょうこちゃんは「まだ死ぬ気はしない」と答え、いさどんは「そうだろう?それはあかんわ」と言った。また、きょうこちゃんは、「わたしの生き様を観て、皆のお手本になったらいいね。そういう役割をしていくね」とも言っていた。

その翌日の10月27日。いさどんとわたしは再びきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは、「わたしとしては、生きる方向に心を向けていくだけだなと思っている」と言い、いさどんは「それはそうだ。それにしても、わざわざ波が高いほうを選んだ」と伝えると、きょうこちゃんは「大分高いほうを選んだね。今は過去がどうだったかというよりも、ここまでいただいてきた道だから、ここから先をどう生きていくかだと思っている」と答えた。それに対しいさどんは、「あなたがいないところでいろいろ考えると、あまり希望が湧いてこないのだけど、あなたを観ると希望が湧く。本人が一番元気だ」と伝えた。また、「わたしたちは時代人です」の最新版メッセージを途中まで読んでいたきょうこちゃんは、「時代人・時代主義なんて、新しい言葉だね。これは世界初の言葉かもしれないね。今、わたしはこんなに狭い部屋にいるけど、そういう心で時代と共にあるのだと思っている」と言っていた。

その後、面会に来ていたきょうこちゃんの両親にいさどんは涙を流しながら次のように話した。
「彼女のことを思うと、前向きに考えられないのですが、そうかといって人に前向きに生きるように伝えてきた立場として、どのように言葉をかけたらいいのかと思うのです。意外と本人のほうが一番元気ですよ。まだ早いでしょう?と本人も言うのです。昨日、きよちゃん(きょうこちゃんの娘)と話したのですが、あの子はここのような環境で育ったこともあって、しっかりしている子です。『わたしはきょうこちゃんのことを思って、別に毎日泣いているわけではないけど、そういうことがあるかなと思うと、時々泣くこともある。でも小さい頃からね、生きるのは死ぬためにあるんじゃないのと思っていた。だから、死ぬことは嫌だけど、人はいつか死ぬことを知っているよ』と言うのです。『僕はきよが元気がなかったらいけないと思って、きよがどのように考えているのかなと思って呼んだんだよ』と伝えると、『大丈夫だよ』と言うのです。そのようにきよは育ったのだと思いました。きょうこちゃんには、『これから世界に向けてのプロジェクトがたくさんあるのだから、あなたもそれを一緒にやっていく仲間だよ。未来の答えはわからないのだから、精一杯やっていこう』と伝えました。まだ、触るとあたたかいですからね。未来はまだあるわけです。結論は出さずに付き合っていこうと思っています。木の花には外で緩和ケアの所長をしている看護師もいて、『やっぱり病院にいるのは変だと思う』という話をするものですから、今きょうこちゃんにも『もしあなたが望むのなら、木の花に戻って皆の顔を見ながら過ごすこともできるよ』と伝えたのですが、『それは先に考えるかもしれないけど、今はわたしはまだ先があることを考えているから』と言うのです。それで僕も、『そっちのほうがいいね』と伝えました。だから、本人が一番元気なのです。僕も、人を元気にさせるのが自分の役割なのに、ついつい望まないことを思ってしまうのです。」

いさどんの話を聞いていたきょうこちゃんのご両親は、「本人は意外と元気なもので、我々も安心しました。今日はひとまずこれで帰ろうと思っています」と話されていた。

そして10月30日の夕方。明日きょうこちゃんは沼津のがんセンターに移動になるかもしれないということで、いさどん・みかちゃん・ちなっぴと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いつも眠りから目覚めると、『まだ生きている』と思う。いつも死と隣り合わせなんだよね。いつもこういう気持ちで生きていられたらといいと思う」と言い、いさどんは「それを必死と言うんだよ。必死は必ず死ぬと書く」と伝えた。それに対しきょうこちゃんは「いさどんがインドへ行ったときのことを思い出しちゃった。いさどんがインドへ行く前に逆流性食道炎と胃潰瘍、十二指腸潰瘍になって、人生で初めてのステロイドも服薬したら結構顔もはれちゃって、でも『負けへんで!』という気概というか、いさどんの気合を思い出した。あれは気迫があったね。あの気迫をもって生きていくことだよね」と言った。

それからきょうこちゃんは、「この前は皆にも引き戻してもらったし、いさどんにも会いたいなと思っていたら、夢で会えた」と話し、いさどんは「この世界では愛が大事で、情が絡むと毒になる。しかし、旅立つ人を引き戻すには情が引き戻す。その執着が引き戻すんだよ。愛ではだめなんだよ。愛ではそのままを受け入れてしまうからね。だから、情が引き戻す。情が深い人ほど、引き戻す」と言い、わたしが「いさどんは情が深いからね(笑)」と言うと、いさどんは「愛と情を使い分けないといけないんだよ」と言い、みかちゃんは「すごいね!愛と愛情を使い分ける!」と言っていた。

きょうこちゃんはまた、「こんなにスリルにあふれる毎日を送れるなんて。昨日はさくやがつねちゃんたちと一緒に来てくれて、その後れいかから電話があって、それからせいたろうからも電話がかかってきてね。木の花で育った子どもたちはいい子たちだなと思った。家庭教師時代があったな、なつかしいなと思って、せいたろう物語があったなあと。それこそ、皆の力だね。」と言っていた。

その後、「花よ天まで」をみかちゃんが歌い、それを聞いたきょうこちゃんは「皆で桃源郷を創ろう!本当に役に立つ者に生まれ変わって生きる!今、歌を聞いていたら、皆で本当に桃源郷を創るんだ、と思って・・・生きるぞと思っても、わたしもどうなるのかなと思って、気持ちがつい弱気になったりもするけれど、皆と一緒にやるぞ。そうだ!」と泣きながら言い、わたしたちが来たときは顔色が黄色く、熱があったきょうこちゃんの顔色が変わってきて、熱も下がったようだった。そして、皆で笑いながらばか話をしているのを聞いていたきょうこちゃんは、「いつも笑いがあっていいねえ」と言っていた。

翌日の10月31日の朝、3年前にいさどんが夢の中で天に問われて、それに対して答えた文章のことを久しぶりに思い出した。「少しでも光のほうへ」という文章をきょうこちゃんと一緒に読みたいという想いが湧き、プリントアウトして持っていって、いさどん・きょうこちゃん・こうちゃんの前で読み上げた。

――

「闇からの卒業にあたって」

卒業式にあたって、自分の歩む道の方向性をつけるのに、どのような心構えをしたらいいでしょうか、という質問があったので答えます。まず、自分が歩む方向についてですが、自分が思う方向に進めばいいと思います。もし、思う方向が定まらなければ、自分に近い人が教えてくれる方向に進めばいいと思います。その自分が進む方向が決まったら、今度は、それがより健全で正しい道を選ぶことです。この世界にある物事はすべて、必ず善と悪に仕分けることができます。それを比べたときに、必ず片一方が少し劣っており、もう一方が少し優れているというように仕分けられます。それがあまりにも同じようでわからないときには、それを細かく捉えていって観れば、必ずそこでは優劣があるものです。そうしたら、ほんの少しでもいいから優れている方向へ進めばいいわけです。そして、選んでいった結果、最後に残ったところ、それが自分の進むべき道です。

これは「闇からの卒業」であり、「愚かからの卒業」であり、「神様へ進む道」です。

次に、この道を歩む縁をもらったものは、その道には道にふさわしい色々な困難があるものです。そして、それを歩む人には人にふさわしい迷いがあるものですが、この道を歩むものはまず、この道に縁があったことを歓びとして感じていくことが大切です。善いとか悪いとか、そういう判断をするのではなく、この道を歩めることを最大の歓びにすれば、どんなことがあっても、この道を歩むことから外れることはありません。そして、その選び方は、消去法でほんの少しでも光のほうへ、ほんの少しでも善意のほうへ、ほんの少しでも愛のほうへ、ほんの少しでも調和のほうへ、ほんの少しの違いがあってもより尊きほうへ道を歩めば、必ずその道は最後には人の行くべき最終到達地点につながっていることでしょう。

道は、人の目には観えないものですが、心の眼があるものには、その眼が愚かしいを避けて、正しいほうへ導いてくれるでしょう。心の眼を開けるためには、自らの内側にある本当の想いが天のほうへ眼を向けて、天のほうへ向かっていく。まっすぐに向かっていく道を意識したときに、眼はより良く観えるようになります。誰の中にもあるその眼は、全く揺るがないものであるのです。その眼が自らの中にあることを信じ、歩んでいけば、迷うことは全くなくなるのです。そして、過去に自らが迷ったことを思い出して、その迷いの愚かしさ、辛さを思えば、なおさらその真理への道を歩むエネルギーと追い風になってくれるはずです。

迷っているときは、あなたの我が自らをたったひとりにして、まわりのものから遠ざけてしまうものですが、真理への道は必ずまわりのものをしっかりと見出し、助け合い、調和し、歩むように眼を開いてくれます。それは、楽しく希望ある豊かなものになるでしょう。

――

この文章を聞いたきょうこちゃんは以下のように語った。

ようこちゃんたちが来るちょっと前に夢を見ていてね。そうしたらお釈迦様の手が上から現れてね。『さあ、立ちなさい』と言って、立たせてくれたの。顔は見えないのよ。『おまえはな、肉の眼は見えるかもしれないが、心の眼は盲目であったな』と言われて、『心の眼が見えるにはどうしたらいいのですか?』と聞いたときに眼が覚めたんだけど、すごいね。この話がすぐに出てくるとはね。ついさっきだよ。

昨日の(フェイスタイムで聞いていた)子どもミーティングでのいさどんの話もすごく良かったよ。うそつきは病気になるんだよって。わたしはうそつきだったな。本当にそうだったなって思うと、楽なんだよね。改めて楽になってさ。それにしても、ようこちゃんの文章はすごいタイミングだね。びっくりしちゃった。『どうしたらいいのですか?』と聞いて夢が終わっちゃったから、『ああ、続きが見たいなあ。もう一回見られないかなあ』と思っていた。それが現実となってすごいね。

そして、いさどんは次のように語った。

「僕の正直な気持ちは、早く行きたい。早く行きたいけど、率先して行くものでもない。物事の本質やことの成り行きがわかってしまうと、繰り返しの出来事に出会って毎日が退屈なんだよ。からくりがわかってしまうとね。やることがあればいなければいけないと思うけれど、生きることに囚われることはない。それこそ、長生きすることが良いことのように思われてきたけれど、世の中のものたちがそういうことをわかってしまえば、長生きすることだけが大切ということはなくなる。逆に、それならこの世界がむなしいわけではないから、別に長生きしてもいいわけだ。要はどちらでもいいんだよ。今は世の中がわずらわしいから、その矛盾のところと付き合っていることから早く離れたいと思う心もあり、そんなに早く行ってはいけないと思う心もあって、結局どうでもいいことになる。」

そこできょうこちゃんは「皆はわたしを見て、早く気が付いてほしい」と言い、いさどんは「そういう意味ではあなたがその学びを皆にもたらしてくれた。こんなことがなくても、皆が目覚めればいいのだけど、それは役割というものでもあるのかもしれない。でも、そこで気合が入りすぎてはいけない。気合が入りすぎると力が入りすぎるから、それはまた間違う。揺るぎのない自覚を持っていくだけだ」と伝えて、わたしたちは病院を後にした。

翌日の11月2日。白光のニコルやカタリナたちが来ていて昼にコンサートがあった。コンサートが終わり、ニコルたちと湧泉閣で話していたとき、いさどんから「今、僕たちは銀河のテーブルを真ん中に置いて、そこを囲んで銀河を眺めながら話をしているようだね。宇宙を旅する乗り物は「ユニバス」だ(チーン♪ みんな笑)!皆でいつか宇宙会議をしましょう」という話が出た。そこでジェニーが「そこには白光の五井先生や孟子たちもいるね」と言い、いさどんは「そうなのです!そのときにはトキを刻んでいる時代の枠を取り払いますから、トキを超えて高い魂が集まることになるのです」という話をしていた。

翌日の11月3日。朝、こうちゃんから電話があり、きょうこちゃんが結構出血しているということを聞き、いさどん、まりちゃん、みかちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、ひとみちゃん、まりねえ、あさちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。こうちゃんから電話があったとき、後ろできょうこちゃんが「ああ、ああ」とうめいている声が聞こえ、「まるでお産のようだ」とわたしが思っていたら、きょうこちゃんも、「出血すると、本当にお産のときのように子宮がぐわっと開いた感じになってね、思わず声を出しちゃうのよ。声を出すと楽なのよ」と言い、こうちゃんは「ああ、と言うんだよ。カタカムナでアは高次の響きだよね。人は苦しいときに、ああ、なんだと思ってすごいなあと思った。だいたい出血があると寒気と痛みが来るのだけど、その痛みはお産の痛みを10とすると6~7ぐらいなんだって」と言っていた。

それからきょうこちゃんは、「10月26日、29日、今日とあれから3回も大量出血をして、『もう1回大量出血したら』って言われていたけれど、まだ生きている。びっくりしたあ!もう3回だよ(笑)そのたびに覚悟はするけど、こうして生かしてもらっている」と言い、いさどんは「じゃあ、何回行けるか挑戦してみよう!どっちにいてもホームレスにはならへんぞ。居場所がある。今、ホームレスは病室のソファがベッド代わりのこうちゃんだと思ってさ(笑)」と言って、皆が笑った。

 病室にはいつも笑いがあった
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その後みかちゃんとちなっぴが「太陽の導き」を歌い、いさどんはこう語った。

「昨日ジュラシックワールドという映画を皆で観たけれど、DNAというのは何を刻んでいるのかというと、過去の経験を刻んでいる。経験の情報がすべて図書館のようにして刻まれている。
我々は大きな世界の中の小さなものだけど、大きなものは小さなものによって成り立っていて、小さなものは大きなものを支えている。小さなものにはここからここまでという枠があって、ロックがかかっている。そのロックをはずすと、実は宇宙の物質は消えることはないことが観えてくる。はじまりから今まで消えることなく、ただ変化しながらそのサイクルを経験しているだけだ。そのサイクルの経験をDNAがすべて記憶している。そうすると、ロックをはずしてやれば、我々の中にある物質的DNAと霊的DNAは解放される。自らの枠を超えて、自分自身のルーツでも巨大な宇宙原理でも、自らの中から湧き出てくるようになる。
だから、『太陽の導き』の歌の中に出てくる『あなたという小宇宙がもっと大きな大宇宙の中で』というのは、これはまったくの真理だ。自分という自我のロックをはずしてやれば、大きなところへ行って自分が消えたように観えてもいいんだよ。そして自分にそれが返ってきて、自分の小さな枠の中に戻してやれば、また元の自分がそこにいる。だから、自由自在だということ。微細な宇宙も巨大な宇宙も、実は探究は同じで、それは大きく拡大するか小さく拡大するかというだけのこと。タガがはずれると、そのような発想が湧いてきて、それが真実になっていく。
だから、我々は現象界で生死に縛られているようで、死ぬことを恐れたりするけれど、行ったり来たりしているだけなのだ。タガがはずれればどうってことはない。昨日もニコルたちと三次元の話をしていたけれど、心は異次元だった。そして、トキを超越していた。」

きょうこちゃんは「やっぱり皆と話すと、世界が大きくなって、宇宙にまで意識が飛ぶね。生きているとか死んでいるとか、そこにこだわる必要もないし、だけど希望を失わないということなんだけどさ。そういうところにこだわる必要はない。いつも皆と一緒なんだと思っている」と言い、いさどんは「それはお互いさまだよ。電話が来るとそれはいかんわと思うけれど、こうやって話していれば、やはりロックをはずすべきだと思う」と伝えた。

最後に、きょうこちゃんが放射線治療の二択についてどうしたらいいか、いさどんに尋ねると、いさどんは、「どっちでもいいんだよ。だいたい変だと思ったのは、これがいいと思っている医者の案があるのに、二つも選択肢を提示すること自体間違っている。それでこちらが伝えたことに対してクレームをつけるくらいなら、最初から一つだけを言えばいい。さっきの話をまとめていくと、何でもいいんだよ。行ったところが道だから。とても複雑そうに観えても、実は当たり前にこっちだな、こっちだなと進んでいくだけのこと。最初からその道だけを言われると強制されて難しそうに感じるけれど、今を観て、こっちだな、こっちだなと進んでいけば、どんなに不可思議な道でもちゃんと行けるものだ」と言い、きょうこちゃんは「昨日の判断状況と今朝の判断する状況が違うからね」と言うと、いさどんは「そういう意味でいったら、『まだ自分で選ぶか?』ということだ。」と言った。
こうちゃんも、「僕もそう思った。結局選んだものの反対、反対の現象がずっと来る。だから、選ぶこと自体がいただいていないと思って、もうやめようと思った」と言い、きょうこちゃんが「ここまで来ても、常にいただく心がやりきれてないね。まだ自分の我が勝っている」と言うと、いさどんは「選択肢がないのなら、もしくは選択肢を捨てなさいというプログラムなら、最初から選択肢なんか与えなければいいのに、と天に言うと、天は『そういうものはあそこにおるぞ。植物や動物は選択肢がない状態でおるぞ』と言われる。だから、天は人間だけに選択肢を与えたんだよ。なぜなら、その意志を共有したいからだ」と言った。それできょうこちゃんは「どこまでもいただく精神だね」と言い、わたしたちは病院を後にした。

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11月6日の朝9時過ぎ。3日ぶりにいさどん、みかちゃんと一緒にきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんは「いさどんが『人が変わると景色が変わってきた。きょうこちゃんからみほさんに担当が変わって、倉庫まわりが整理されてきた』と言っていた話をこうちゃんから聞いて、いろいろと振り返ることがある」と言うと、いさどんは「先にそういったことをすべて振り返って整理しておくと、もし向こうに行ってもやることがないから、来なくてもいいよ、ということになる(みんな、笑)。だいたい、ほとんどの人々はそういったことに気が付かずに向こうへ行って、向こうで振り返ることになるのだから。だから、生きている間に本当は振り返らないといけない」と言い、わたしは「それが心磨きだよね」と言った。
それからきょうこちゃんは、「昨日の夢にみかちゃんが出てきて、振り返りが足りないよねって言われたんだ。自分が過去にしてきたいろいろなことの映像が浮かんできたり、中神倉庫で作業をしている夢を見たりね。久しぶりに中神で作業をしちゃった。こうやって生きているうちにいろいろと振り返らないといけない。入院してからのこともそうだし、これ以前のこともそうだし、親に対しても生意気だったなって」と言い、いさどんが「それだけ振り返って復活したら、使い物になるぞ!僕はそれを楽しみにしている」と言うと、きょうこちゃんは「これだけのことがあったら多少使い物にならないとねえ」と言い、皆で笑った。それからいさどんは「今、世の中は面白くなってきたぞ!」と言い、それから30分くらい話をして病院を後にした。

しかしその後、午後2時前にこうちゃんから電話がかかってきて、きょうこちゃんの意識が遠のいているということを聞き、いさどんとわたしは再度病院へ向かった。わたしたちが到着したときはまだ意識が遠いところにいたきょうこちゃんだったが、意識が戻ってきたときに「皆、ありがとうね」と言い、「意識がある・・・ああ、自分はまだ生きているんだって。今度こそ行っちゃうのかなって・・・皆に出会えたことに、この生き方に出会えたことがありがたい。後悔は何もないし、ありがたいなあという想いだけ。皆に出会えて良かった。いろんなことに出会ってきたけれど、全部感謝だな。いろんな人に出会ってきたけれど、感謝だな。ありがたい」と言い、いさどんは「そういう気持ちになれるのが目標だからね。生きているということは、なんでもありがたい。不満を言っているうちは、まだ本当がわかっていない。また来てほしかったら、また緊急の状態になればすぐ来るから(笑)」と言い、皆で笑った。

翌日の11月7日。いさどんと楽団の皆と一緒にきょうこちゃんのところへ行った。午前中に輸血を行い、午後には初めての放射線治療を受けたきょうこちゃんは昨日とは打って変わり、生命力にあふれていた。いさどんは開口一番、「また会えたね。昨日は緊急事態にならないと来ないぞと言ったのに、今日は運転手として雇われてきた。日当なしで来たぞ(笑)」と言い、皆で笑った。みちよんが昨晩大人会議の冒頭に皆で輪になってカタカムナの63首を歌ったことを伝えると、きょうこちゃんは「いつもは結構しんどいのだけど、今日は珍しく一日落ち着いていた。夕方ゆみちゃんが来て、みかちゃんのメールを読んでくれてね。自分の中に奇跡を起こす力があることを信じることだね」と言った。

みかちゃんのメールには、昨晩のいさどんの言葉が書かれていた。「きょうこちゃんを復活させるのに奇跡があるとしたら、それは医者が『なぜ復活したのかわかりません』という奇跡だ。しかし、今の流れだと医者の力なんだよ。それは奇跡とは言わない。あれは医者が話している可能性と医者が話している奇跡の話だ。奇跡を見せないと、人間はその奇跡の方へ、天の方へ心を向けない。でも、今までそれをやってきたから間違いも起きた。昔はそういう奇跡があって、それを信じたものたちが天をあがめて、信者と化した。結局、根本的に人間の心を変えたわけではない。その見苦しい亡者の姿が再発して今ピークを迎えている。」そこでわたしは「その奇跡こそがカタカムナの現象化だものね。でも、それは奇跡というか道理であり、いのちの仕組みだから」と言い、いさどんは「それが神秘として隠されているんだよ。それをその通りだと思えば通っていくのだが、その通りを悪くしている思考回路がある」と言った。

そこからいさどんはチャイナブルーという中国のある社長のドキュメンタリーの話やフランスの人口学者の話、アメリカ大統領選、フィリピンのドゥテルテ大統領の話、パククネ大統領の話、福島原発の話など多岐に渡る話をして、「もう、世の中のどこを観ても世紀末だ。今、新たな世紀が始まり、新たな価値観が湧いてきている。人口学者のエマニュエル・トッドさんは現状を分析し近未来を予測して『価値観の大転換が必要です』と言っているが、どうしたら価値観が大転換できるのか、その回答はない。今までは分析する人はいなかったけれど、今、分析する人は現れるようになった。しかし、実際にどうしたらいいのだろう?というと、その回答はここにしかないんだよ。この間の『時代人』の話がその答えだ。(そしてきょうこちゃんに向かって)死んでいる場合じゃないぞ!(みんな、笑)」と言い、きょうこちゃんは「本当だねえ(笑)。復活しないとねえ。いろいろな意味で本当にここには回答がある。ここにしかない」と言った。さらにいさどんは、「死んでいる場合じゃないぞ!」と言い、きょうこちゃんは「本当に死ぬかと思ったわ(笑)」と言うと、いさどんは「昨日はだいぶ呪いの呪文を唱えたよ(笑)。行かせん、行かせん、おまえのいいようには行かせん♪」と言い、皆で笑った。
最後にいさどんが「今は世の中が混乱の極みだ。だから、死んでいる場合じゃないぞ!安定している時代ならば、まあ別にそう大して変わらないから、さよなら~って行ってもいいけど、これぐらい激動だったらちょっと眺めていたほうが面白いぞ」と言うと、きょうこちゃんは、「これからますます世の中が面白くなっていくね!今日は激動の世界を駆け巡ったわ。また元気になった!」と言い、わたしたちは病院を後にした。

その2日後の11月9日。夜中に大量出血があったということで、いさどん、みかちゃん、ちなっぴと一緒に午前中、病院へ向かった。実は昨日、「久しぶりに木の花ファミリーブログとして掲載されているきょうこちゃんの心のシェアを読んでみたい」と閃き、今日そのブログを2つプリントアウトして持っていった。そこには、「すべては善への旅である」も引用されていた。

病院へ着くと、いさどんは「今から勉強会をやるからね」と言い、まず、きょうこちゃんブログを読み上げた。その後いさどんは「短くても長くても充実していることが大事だ。あなたの人生は充実はしていたね」と言い、きょうこちゃんは「良い人生だったよ」と言うと、いさどんは「過去形にするな(笑)」と言って皆で笑った。きょうこちゃんは「今、わたしは医療の技術によって生かされているけれど、最終の最終地点では結局わたしの信じる力がすべてを左右するということを感じている。そこのみ」と言い、いさどんは「結論は出して出せないものだから。最終的には自らの寿命と出会うということと、その答えはいただくものだということ。それをいただく心になったときに、ふさわしく善意で物事が与えられていたことに気付く。企めば企むほど、裏が来るからね(笑)。想いは勝手にいくらでもまわるから」と言い、きょうこちゃんは「たとえいのちが短く終わっちゃったとしても、それでも善意だなと思う」と言った。

みかちゃんは「この前ね、ハワイのネイティブの人のマナカードを引いてみたの。とかく人間は白か黒かをはっきりさせたいものだけど、グレーというのが大切で、先を決めないで常に瞬間瞬間の白でもなく黒でもないところを感じていき、瞬間の波に乗っていくことの大切さというカードだったの。それはいつもいさどんが言っていることだと思った」と言うと、いさどんは「その立ち位置に立つからこそ、いただくことができる」と言い、わたしは「今回、奇跡って何だろう?と思ったときに、『奇跡』はその人の『軌跡』・その人の歩いた跡だから、奇跡をその人にとっての最高の境地だとするならば、奇跡とはそこに至るまでのその人の歩みにしかすぎないんだよね」と言い、いさどんは「それはDNAだからね。DNAは体験したことが記憶してある情報にしかすぎない。だから、自分がぶれなくてもいいんだよ。自分を観て、ぶれていたら、揺れている自分がいるなと思うだけだ。そしてそこをどうしていくかという歩みが一つの生きるエネルギー源になっていく。そのままでいいなら、皆あっさりと向こうに行っているはず。そこにもだえ、苦しみ、抵抗し、そこで何かを掴んで人は成長していく。世の中にはもだえ、苦しみ、抵抗しただけで終わり、学びが一切なく、転げ落ちていく者もいるから、いろいろだ。今日はもうひとつプロジェクトがあるけど、大丈夫か?」と言い、昨晩出発(たびだち)プロジェクトチームが仕上げた出発アンケートをきょうこちゃんにシェアした。

いさどんは、「我々がこの道を生きることにおいて、極めて重要なことの掘り起こしやそれを考えるきっかけをつくっているのは、あなただ。これも、あなたのような往生際の悪い者だからこそ、そうなれた。見本みたいな人がそうなったって、『あれは当たり前だよね』という話になるだけだ。それを超えるとき、人は見本になれる。それで、あなたもメンバーなのだから、こうやって語り合えるうちに出発アンケートを共有しておこうと思っているわけだ。まだ過去形にはなっていない(みんな、笑)。
こういったものがすべて共有できるようになると、奇跡の下地はできる。さっきのグレーの話ではないけれど、結論は出さなくてもいただく精神によって、我々が出したがる右か左というものではないものが出てくる可能性がそこにある。そこは無所有の境地。そこは何かの枠を取っ払って、死生観でいう生死を越えたところで観ないといけない。どこにも恐ろしいと思うことなしに、ただ現状を情報として観て、淡々とその流れに沿っていく」と言うと、きょうこちゃんは「つい結果を想像していろいろ考えちゃうけど、まっさらに、ただただいただくということを今は学ばせてもらっているなとすごく思う」と言った。
こうちゃんは「覚悟がないと、奇跡を起こそうという今までと同じ欲の延長になっちゃう。でも覚悟があって、いつでもいただきますという精神に至って初めて、奇跡を起こす側の立場になるのかなと昨日から思っていた。自分はどうかな?と思いながら」と言い、いさどんは「自分の想いを行動に移してみると、すべてつぶされていくでしょ(笑)。それでもう一回振り返ってみると、想っても仕方がなかったことがわかる」と言うと、こうちゃんは「輸血のことでも、輸血は1回だけだと言われて、僕としたら当然前回と同量くらい輸血するのだと思っていたら、前回の3分の1の500ccだけで、そこでひとつ外れたなと思ってさ。そうすると、自分の中に『あと1リットルくらい輸血してくれるだろうな』とか『なんでそんな話になったのだろうか』という想いが湧く。それで今日の夜中に500cc以上出血したものだから、どんどん手放していけということだと思った。自分では手放しているつもりでも、想いは湧いてくる。だから、一つ一つ現象が教えてくれている」と言い、わたしは「きょうこちゃんの魂が、きょうこちゃんが言葉では一時『すべてがありがたい』と言っても、『本当にあなたはすべてをありがたいと思っているのですか?』と問うてくれたのだと思った。だから昨日、『何かが違う』と伝えてきた。単に輸血して放射線治療を受けて、物理的に一時安定してそれでよかった、という浅いところではなく、魂の価値のことを教えてくれていた。ありがたいにしても、どんどん深みが増していく」と言った。
きょうこちゃんは「さらに自分の想いを本当になしにしていくというかね。いただいているつもりでも、まだいただいていなかったり、そういうことを日々学んでいると思う」と言い、こうちゃんは「本当に不思議だよな。だからといって、考えなくていいというわけではない」と言うと、いさどんは「それが生きているということだ。だから、生きているということは、あるものとコミュニケーションをとっているということ。この世界にはあるものというものがあるんだよ。秩序として、厳然たる不動のものがね」と言った。

さらにこうちゃんは「数日前から思っていたのは、どこまで行っても深くなる一方だから、どこまで行ったらということはとりあえず肉体を持っている限り、ない。感謝でもいただくでも、どんどん奥がある」と言うと、いさどんは「ということだ!わかったか(笑)。結論は何もわからん」と言い、わたしが「それがこの世界の実体だものね。人間にわかっちゃいけないんだよ」と言うと、こうちゃんは「生まれたときから死ぬときまでぜんぜんわからないことの連続だから」と言い、わたしが「生きているということはわからないことがわかるということ」と言うと、いさどんは「わかるを自分の側に置こうとするからいかんのだ。やはりいただいていく精神だ」と言った。
こうちゃんは「深いね。だって、探求してわかろうと思う想いがなかったら、ここには至らないしさ、けど・・・」と言うと、いさどんは「わかろうと思って、わかったら違うんだよ」と言い、もう言葉では表現できず、どうでもよくなる、という結論に至った。きょうこちゃんも「深いね!」と言い、いさどんは「生きていても死んでいてもいいんだよ。この間ここへ来たときは『死んでいる場合じゃないぞ!』と言ったけど、そんなことはどうでもいいんだよ」と言い、こうちゃんは「もしかしたら次の計画を先に練りだしているかもしれないし(笑)」と言い、いさどんは「『おまえ、こっちで手が足らんから早く来い!』と言われているかもしれない(笑)。それで行ってみたら、なんてことはない、こっちよりももっと親しい人たちがいたりしてな。『あっちに囚われている場合じゃなかった!これがわかっていたら早く来たかった!』ということになるかもしれない」と言い、皆で笑った。

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最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした♪

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その翌日の11月10日。朝、きょうこちゃんが大量出血し、意識が遠のきそうだという連絡がこうちゃんから入り、いさどん、みかちゃん、まりちゃん、ちなっぴ、ともちゃん、きよ、すまと一緒に病院へ向かった。病院へ到着すると、きょうこちゃんは「いろいろあるねえ」と言い、いさどんは「それにしても、もうこれ以上血液が減ってはいけないと言われているのにさ」と言うと、こうちゃんは「落ち着いているでしょ(みんな、笑)。今までになくすごく穏やか。血色も良いし(笑)」と言い、わたしは「血液がなくても生きていける境地になった。新種が木の花に現れた(笑)」と言うと、いさどんは「マイナスだったりしてな(笑)」と言い、皆で笑った。

きょうこちゃんは「夢の中であうんの会があってね。今、やじーが毎日そばを打ってくれるのだけど、『このそばは命を蘇らせる本当のそばですよ』って皆で泣きながら食べているの・・・今、わたしは生きているなって。元気になったんだって・・・そう思いきや、朝になったらドバーッと(笑)」と言い、こうちゃんは「本当に面白いよ(笑)。今までは子宮がぐちゃぐちゃしている感じがあったんだって。だけど、放射線のせいかそういう感覚がなくなったんだって。良い感じかなときょうこちゃんが言っていたら、その直後に出血(笑)!面白いね。本当にどこまで行っても、いただきますだ」と言い、きょうこちゃんも「もうびっくりしたよ!今までで一番出血の量が多いよ。でも、意識が切れないじゃんって(笑)」と言い、こうちゃんも「意識が行きそうだと言うからいさどんに電話したけど、1回も意識が飛ばないね(笑)」と言った。わたしが「きょうこちゃんの中でそばが生きているから(笑)」と言い、いさどんは「つなぎが良かった(チーン♪笑)」と言って、皆で笑った。

それからいさどんは「今、アメリカで起きていることは、皆、今までを基準にしてものを考えるだろう?まさか、『こういうふうになるとは』とか『もうこれ以上は』と言うけれど、行けば行くほど、その次の世界がある。結局、所有しているだけなんだよ。自分の枠の中で限定しているから、『これ以上行ったら考えられない』というものが皆あるんだよ。次から次へとある。ただそれに自分の思考が追いつかないだけ。だから、思考しないでいただいていく姿勢になれば、自由自在になれる。限定する自分に囚われがあると、『いやだ!』とか『考えられない!』となるけれど、どちらにしても考えられるわけがないんだよ(みんな、笑)」と言った。

きょうこちゃんは「この生をいただいている。本当に皆に出会えてよかった」と言い、いさどんが「昨日の話で、もしここで別れて向こうへ行ったら、『なんだ!こちらのほうが近かった!』という話は面白いと思ってね。『向こうも近いと思ったけど、なんだ、こっちのほうがもっと近い!』と僕は思うんだよ。なぜここへ来てこのような生き方をしているのかと思うと、そこに出会うわけがある。それで戻っていったら、戻っていったで、『向こうのわけはこちらに元があったんだ!なんだ、ばかばかしい。あっちのほうが大本だった』ということになる。すべてあちらで操作している」と言うと、こうちゃんは「向こうで操作するのも面白そうだし、こっちでアップダウンしながら操られているのも結構面白い(笑)」と言った。

それからいさどんは窓から富士山を見ながら、「窓の外の景色を見ると、昨日の景色も今日の景色も天気が違うから多少違うように見えるけど、同じように見えるだろう?あれをじっと観ていると、ドーッと何かが流れている。移り変わっている。移り変わっているということは、今この部屋の中では毎日いろいろな出来事があって一喜一憂するわけだ。そこで気持ちは一喜一憂しながら、『まだ生きていたよ』などと言っているけれど、この世界全体がドーッと動いている。自分が意識したところはダイナミックで過激なように見えるけれど、実はそこら中ダイナミックで過激で、すべて同じなんだよ」と言い、こうちゃんも「本当に流れているだけだな。流れがそこにあるだけだなって思っていた」と言い、きょうこちゃんは「世界は面白くなるねえ。フリーな立場でいれば本当に面白いね」と言った。

その後、看護師さんが何度か部屋に来たときにいさどんは「あの人たちが入ってきてさ、僕を見て、『トランプさんがなぜここにいるのだろう?』となぜ聞かないのか(笑)。ヘアスタイルが違うからか(笑)」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

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11月14日。いさどんとわたしは4日ぶりにきょうこちゃんのところへ行った。きょうこちゃんの顔を見るやいさどんは、「えらい良い色になったな!この世のものとも思えんような(笑)。悪くならないものだから、見に来なかったぞ(笑)。毎日来てほしかったら、毎日危篤状態になればいいんだよ(笑)」と言い、皆で笑った。

その後わたしは、「せっかく久しぶりにきょうこちゃんのところへ行くのだから、何かプレゼントを持っていきたい」と思ってプリントアウトしていった「胸突き八丁」の話をきょうこちゃんにシェアした。

――

 「胸突き八丁」

いさどん:
富士登山では九合目を超えたところに、胸突き八丁(約872m)が来る。胸突き八丁は九合目の上にあるんだよ。気持ち的にはもう一息どころか、二息いかないと、頂上へは行けない。「もう九割来たのだから」といって、もう行けたと思ったら、それで断念することになる。ダンネンでした(チーン♪)。そこを行き切るのは、心で行ける。そのときに、心で行ける見本となれるし、物理性が伴わなくても、人間は精神というもので究めることができる。これは人間以外のものには与えられていない。心で生き切るということは、植物や動物には与えられていない。他のものは心は関係ないのだから。

ともこ:
胸突き八丁を超えることは、今までと質が違う感じがする。

いさどん:
そう。富士登山でいう胸突き八丁というのは、物理的な辛さとの戦いだ。しかし、この胸突き八丁は目覚めるか、目覚めないか。真理を観るか、観ないかの差だから、だいぶ違う。

ともこ:
それまではわりとストイックな世界だったけれど、ある意味自分と向き合ってきた者がその延長線上だと、そこは登れないのだろうなと思う。

いさどん:
なぜかというと、それは「人智」だからだよ。胸突き八丁の向こうはすべてを捨ててしまって、すべてをお任せという境地。そういった精神状態になれば自分も何もありません、という心境だ。きょうこの言う、「わたしって囚われていた。いのちというものはもっと必死にならないといけない」ということだ。生きることに真剣になって、がむしゃらにあがくことが生きることの証だよ。だから、瞬間瞬間生きることは真剣だ。そのことに気が付くと、生命力が湧いてくる。胸突き八丁は、ただ生命力に任せて、ただ前に出る足に従って行く境地だ。

人には人智を超えた生命力に出会える可能性がある、と僕は考えている。

――

文章を聞き終えたいさどんは、「胸突き八丁の胸は胸板のことだからね。だから、心のことだ」と言い、きょうこちゃんは「人智を越えたところに湧き出してくる。富士山を登ると、本当にあとちょっとというその最後が苦しいんだよね。もう目の前に上が見えているのにさ。よく行ったもんだねえ」と言った。いさどんは「初めて登ったときは配分がわからなかったから、最後のところは死んでもいいから登ろうと思った。死んだら登れんというのに(みんな、笑)。ご来光登山だったから、上が渋滞して亡者のようになってしまった登山者たちが動けずにいて、その間を踏んでいくような感じだった。途中であいこさんとはぐれてしまい、必死になって上がったら、あいこさんは上にいた(みんな、笑)!あんなに必死になって来たのに(笑)。『ちょっと大変だったろう?』と言って迎えてあげようと思っていたら、あいこさんのほうが『来れたねえ』と言うんだよ。僕が120%の力を出しても、草取りではあいこさんに絶対負ける!」と言い、こうちゃんが「負けるよね(笑)。競争するのが馬鹿らしくなっちゃう」と言い、さらにいさどんが「まりこと蕎麦刈りしてみろ!腹が立ってくるに(笑)」と言い、皆で笑った。

それからいさどんは、「新しい宇宙の分析をしたから、それをフランス人の人口学者のエマニュエル・トッドとヨーロッパの最高頭脳と言われているジャック・アタリに送ってあげないといけないと思ってね。エマニュエル・トッドにはようこちゃんがすでにメールしたよ」と言い、わたしは「彼に時代人のメッセージを送りたいと思ってね。『日本であなたが特集されている番組を観て、あなたが気に入ると思いましたので、時代主義のメッセージを送ります。もっと知りたければ、ぜひ富士山麓の木の花ファミリーに来ていただき、前人未到のディスカッションを地球と全人類のために行いましょう♪』というメールを送った(笑)。本当に来たら、彼にプレゼンしてあげないとね」と言った。

また、いさどんは、「結構良い色になってきたな。血がないはずなのに(笑)」ときょうこちゃんに向かって言い、こうちゃんは「どこかでスイッチが入ったのか。何かが起きているのだろうか(笑)」と言い、きょうこちゃんが「これから先も本当わからないなと思って」と言うと、いさどんは「覚悟しすぎて損しただろう?」と言って、皆で笑った。さらにいさどんは「人間が想定できるうちは、奇跡ではない。人間がダメだと判断したところから奇跡が起きる」と言い、こうちゃんは「胸突き八丁の話と同じで、本当に一線があるんだなと思ったよ。手放すということはこういうことかなって」と言った。きょうこちゃんは「やろう、やろうとしているときはダメだけど、手放したときに何かが起こる」と言い、いさどんは「妥協しているうちはダメだ。こういうふうだから、今度はこうと妥協しているうちはね。妥協も何もなくなってしまわないといけない」と言った。

そしていさどんは、「また来るから。次は3年後(笑)!来てもらいたかったら、危篤になること(みんな、笑)!こうちゃんから連絡があってここに来るときには、これで終わりかと覚悟して来るのだから」と言い、こうちゃんは「帰るときは皆で笑っているもんな(笑)。もう7回くらいそういうことがあったよ」と言い、皆で笑って、わたしたちは病院を後にした。

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――

その後、きょうこちゃんの状態が安定してきたため、いさどんは一週間に一度きょうこちゃんのところへ行って雑談をしては、きょうこちゃんがよく笑い、11月28日に15回の放射線治療の最終日を迎え、12月12日の退院に至ったのでした。きょうこちゃんの退院にあたり、「こんな日が来るとは思えませんでした」とこうちゃんは言っていました。

 退院して、みんなと再会。
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 こうちゃんに付き添われ、2ヶ月ぶりに畑へ。
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木の花ファミリーに戻って2週間が経った今、きょうこちゃんは現在の想いを次のように語ります。

――

この48日間のことを思うと、ものすごく貴重な体験をさせてもらったと思います。生死を彷徨うような状態であったけれど、振り返れば面白い体験でした。もうあちらの世界に行ってしまうかも知れないというのに、病室にはいつも笑いがありました。生きていても、死んでも、どちらでもいい。もともと大本はあちらの世界にいたのだから。そんな、囚われのない心になれると、いつも笑っていられるのだと思うのです。

とにかく、どこまでいっても「いただく」ということを学ばせてもらいました。手放すことで、奇跡が起きることも見せてもらったのです。

自分の今までの心は間違っていたことにやっと気付き、自分の心の眼が見えていなかったことにも気づかされました。やっていきます、と宣言はたくさんしてきたけれど、本当のところは、自分の心を見ることから、逃げてばかりいました。けれど、間違っていた自分を認めてしまうと、すごく楽なのです。ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。当たり前のことだけれど、その当たり前が、自分が強いばっかりに、やれなかったのです。

血も入れ替わりました。通常私の体の大きさだと、約3200ccの血液が体にあるそうですが、今回2160ccも輸血したのにそれ以上の出血があったのです。体が緊急事態を察知して、普段とは違う方法で血を作ってくれたとしか思えません。放射線治療の副作用で、腸炎を起こして、10日間何も食べられず、胃も腸も空っぽになりました。下痢がひどく、オムツをし、液状のものから始めて、だんだんと柔らかい離乳食のようなものになり、徐々に普通に食べられるようになっていきました。そして、一カ月以上も寝ていると、歩くこともできないのです。まずは座ることから、次は立つこと、そして少しずつ歩けるようになりました。つまり、肉体的には死ななかったけれど、体は、まるで赤ちゃんからスタートして、一から始めているのです。

心も一からスタート。そんな気持ちでいます。

だから、今の私は、私であって、私でないもの。不思議な感覚です。もともと、自分が生きている要素なんてどこにもないのですが、頭で分かっていただけで、本当には分かっていませんでした。知れば知るほど、「分からない」ということが分かる。本当にこの世界は奥深い。

まだ、みんなには話していないけれど、放射線治療をするとき、汽車が走るような音がします。まるで、銀河鉄道に乗っているような感覚になるのです。そして、宇宙空間に、蓮の花の上に横たわる私の姿が見えるのです。最初は妄想かな、と思ったけれど、何度も何度もその映像は出てきて、出血で苦しいときも、熱が出てしんどい時も、うつらうつらと眠っているときも、やっぱりこの映像が出てくるのです。何か大きな存在が、私が生きるべく、体を癒し、いつも見守ってくれている・・・。けれど、それは、私に限らず、全てのものがそうやって生かされている存在なのです。

そう感じました。

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これから、次の治療が始まりますが、いつまで生きられるか、それこそ分かりません。だから、今、私がやれることを精一杯やっていこうと思っています。体はまだ思うように動かすことが出来ないけれど、私がやれること、私にしかできないことがあるはず。こんな私でも何か役に立ちたい。そんな風に思って日々過ごしています。

今は、ゆっくりと療養させてもらって、本当にありがたいです。神様の愛と、みんなの愛をいっぱい感じている毎日です。ありがとうございます。

そして、今日はクリスマス。イエス・キリスト様のお誕生日ですね。私たちはいつもいつも、神様からたくさんプレゼントを頂いているのだけれど、今回のことは本当に大きなプレゼントをいただきました。頂いてばっかりなのですが、私に何か出来るとしたら、「病気」は決して不幸なことではなく、「神様からのプレゼント」だということを多くの人に伝えられたらいいなと思っています。

そして、シリア、イエメンなど未だに内戦が続いています。破壊しつくされた町や栄養失調でやせ細った赤ちゃんの映像を見ると、本当に心が痛みます。彼らがこの日をどう過ごしているのか、想いを馳せてみるのです・・・。本当に世界が平和になる日が来るように祈るとともに、その暗闇の元が自分の中にもあることを見詰め続けていくことだと思っています。

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――

そして、きょうこちゃんをずっと見守ってきたいさどんは、次のように語りました。

――

「きょうこちゃんが市立病院に入院しているときは、『あなたの枠を取りなさい。いただきなさい』と伝えてきょうこちゃんはここまで来たのですが、きょうこちゃんがここに戻ってきたときには、『これから沼津のがんセンターに行く前に、健康な心になりなさい。そして体に残っている病気に対処しなさい』と伝えました。そうしたら、病気は格段に早く改善されることでしょう。

今はきょうこちゃんに会うたびに、『生きていたね』と改めて思うのです。何度か手放してきましたからね。そうすると、きょうこちゃんがただそこにいるだけで奇跡が起きていると思うのです。実は奇跡とは、当たり前のことなのです。奇跡が起きるのは、神秘が現れたのです。神秘とは、神の秘密です。それを秘密と捉えず、観えるようになってくれば、この世界は奇跡だらけなのです。そして、『奇跡』だらけで生きると、それがその人の生きた『軌跡』となるのです。

本当は、このような現象をもらわなくても、生きていることの意味を深く感じられたらいいのですが、人は滞りがない毎日を送っていると、日常に当たり前にあることがありがたく思えないものです。そう思えない人は当たり前にあることに対して意識しないので、想いが叶わないことに対して不満を言うようになります。きょうこちゃんからのメッセージにシリアやイエメンのことが書いてありましたが、昔のきょうこちゃんだったらそのようなことに想いを馳せることもなかったことでしょう。病気になることは歓迎することではありませんが、どこからでも学ぶ気になれば、良い体験になるのです。しかし、ならないほうがいいものはならないで学べることが一番良いですね。日々起きる出来事がわたしたち自身を教えてくれているのですから、いかに小さなことで気付けるか――、それが、日々どのような姿勢で生きているのかの証です。

しかし、小さな滞りで自らを振り返らなければ、出会う現象はどんどん大きくなっていきます。そして、最終的には命が懸かっている段階にまで至るのです。そこで、必死という境地に至るのですが、そのように必死になったときに、必ず死が訪れることを教えてもらうのです。わたしたちは必ず死ぬのです。ですから、丁寧に自らの心の在り様や出来事の意味を見つめ、常に理解する必死さがあれば、大きな現象をいただいて慌てなくてもいいのです。そして人に不満を言わなくてもいいのです。

最近きょうこちゃんの顔を観ると、顔つきには癌の相はなく、表情は健康体です。きょうこちゃんが癌になり、医者もダメだろうというところにまで行って、こうちゃんは7回もダメだとあきらめました。7というのは、カタカムナで質的転換を表しますから、良い数字ですね。体にはまだそれだけの現象の余韻が残っていますが、きょうこちゃんの心はもはや癌ではありません。昔は、きょうこちゃんの体は健康に見えましたが、心が癌をつくる響きを発していました。

木の花の自然療法プログラムを受けるために面談に来た人に、僕はこう伝えることがあります。『あなたは病気ではありません。あなたの心が病気を引き寄せる心をしているだけであって、実際は病気ではないのです。ですから、病気ではない心の姿勢を保っていけば、霊主体従といって健全な精神に健全な肉体が宿るのです。つまり、心が先にあって、それにならって現象が起きるのです。』そこで、そう思えるかどうかです。自分は運が悪いのだとか、自分は病気だから仕方がないのだと言っているようではダメですね。その心が自分の中に病気をつくり、病気を引き寄せるのですから。ある意味、病気になっている人はかわいそうでもあるのですが、冷静に客観的に観れば自業自得なのです。そこで、客観的に自分を観て、それを引き寄せた自分自身に気付けるかどうか。

きょうこちゃんは次のように書いています。

ものが見えるようになるには、まず見えていないことに気づかないと始まらない。バカだと気が付かないと、バカも治らない。 

そこで、何がバカだったのか。大切なことはそこなのです。人からそれを伝えられるときには、まだわからないものです。しかし、人と自分の区別がなくなると、人の言葉がそのまま自分の中に入ってきます。それが、我が小さくなるということです。そのようになってくると、人の言葉が直接入ってくるので、人からの目線が自らの目線となり、客観視点ができて、それを取り入れられるのです。そうすると、他者と共有し合う豊かな世界ができます。そしてそれが、イエス・キリストをはじめ、過去の聖人たちが説いてきた境地なのです。

あなたも別人になれますよ♪別人といっても、別の人になるわけではありません。あなたがあなたではなくなるということはないのですから。ただ、あなたを存分に活かすことはできます。その道は万人に与えられています。そのことに気付き歩み始めた人々は、人としての最高の喜びを知ることでしょう。そういったことを、わたしたちはこの世界からクリスマスプレゼントとして約束されているのです。

 
 12月24日 クリスマス会
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 木の花楽団に復帰し、新曲「花よ天まで」を弾くきょうこちゃん
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きょうこちゃんの物語は、続く!

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サツマイモ畑から阿吽の世界を

昨日はサツマイモの一斉収穫!毎年恒例の一大イベントです。
無事に収穫を終えたその日の夜、大人ミーティングでようこちゃんは以下のシェアをしました。

ようこちゃん(右)とピッポ
ようこちゃん(右)とピッポ

昨日の夜、木の花ファミリーのラインに「明日は終日、サツマイモ収穫をやります。雨が降る前に、気温が下がる前に、一気に掘り上げていきたいと思います。全員参加でお願いします」という連絡が畑隊から流れた。それを知ったいさどんは、「よし!トラクターに乗るぞ!」と養蜂作業予定を急遽サツマイモ収穫に変更。いさどんに「トラクターに乗るのは何年ぶり?」と聞くと、「覚えがないな・・・5~6年ぶりかなあ?」と言っていた。そんないさどんに触発されて、5~6年ぶりに畑に出るわたしも一緒にサツマイモ収穫へ行くことにした。

そして今朝8時頃、いさどんとわたしがサツマイモ畑に到着したときには、すでに収穫作業が始まっていた。早速いさどんはトラクターに乗りこみ、なんだか楽しそう。そんないさどんを見て、皆の士気も上がる。わたしはサツマイモをどんどんコンテナに入れていく作業を担当したのだが、まず、「サツマイモさんの気持ちになろう」と思い、サツマイモさんがご機嫌な状態で扱えるよう心がけていた。サツマイモさんがご機嫌でいてくれると、こちらも嬉しくなってくる。

そうしてサツマイモと自分の気が合ってくると、今度は土と自分、土の中にある水分と自分、それから空気と自分、風と自分と、まわりのものと自分がどんどん一体化していったのが面白かった。今日は曇り空で太陽は見えなかったけれど、いつものように太陽が見てくれているのを感じた。富士山も雲の向こうに隠れてしまっていたけれど、いつものように見守ってくれているのを感じた。そして、太陽と富士山とも自分が一体化していき、すべてがただ存在するだけになった。

サツマイモも、土も、水も、空気も、風も、太陽も、富士山も、わたしたち人間もすべて「カ」という宇宙最極小微粒子でできている。同じ材料でできているのだから、すぐに一体になれる。

5メートルぐらい離れたところでいさどんがトラクターを動かしている。そのトラクターの音が何とも言えず心地良い。そこへ、元気いっぱいの保育園児たちがサツマイモ収穫にやってきた♪子どもたちの高い波動が畑へ広がり、思わず顔がにっこりする。

いさどんや子どもたち、そして自然から発せられている響きを感じたときに、3年前いさどんが愛についてこう話してくれたことを思い出した。「愛とは、相手にとって思いがけないことをすることなんだよ。」そのときにわたしは「その通りだ。だから、本当の愛とは高度なことなのだ」と思ったのを覚えている。

カタカムナで「愛」の意味を紐解くと、「高次の意識(ア)」の「位置(イ)」ということで、高次の意識レベルを有した者が提供するものが愛だ。だから、天と通じる心がないと、愛は与えられない。その人の自我を満たすことではなく、その人の魂が求めるもの、つまりその人が思う以上のものを与えることが愛なのだ。

植物も動物も人間も五大要素もすべて、「カ」という同じ材料でできているけれど、その中でわたしたち人間だけがこの世界の始まり(ヒ)から終わり(ト)までを悟り、統合した存在(ヒト)になれる。高次の意識にまで自らを高め、愛を与えるヒトになれる。面白いことに、カタカムナ文字を観ると、「ア」は「ヒ」と「ト」の合字になっている。

カタカムナ文字の「ヒ」
     カタカムナ文字の「ヒ」
カタカムナ文字の「ト」
     カタカムナ文字の「ト」
カタカムナ文字の「ア」
     カタカムナ文字の「ア」

つまり、現象界に人間として現れ出た「カ」が「ヒト」となると、「ア」という高次元の存在となり、「アイ」を表現する者となる。

そして、本当の愛(ア)を表現する者たちが集って、そのエネルギーが渦(ウ)となると、阿吽(アウン)の世界が展開されるのだろう。そこはもう言葉のいらない世界。ただ相手を想い合い、すべてが一体となっている世界。

サツマイモ畑で阿吽の世界が展開されたからなのか、午前10時前にはサツマイモ掘りが終了♪午前中に回収作業まですべてを終えることができた。0歳の赤ちゃんから77歳のえいこばあまで総勢50名が結集した今日のサツマイモ収穫。さすが、木の花人海作戦♪

今、世の中を観ると人間の欲望は際限なく膨らみ、わたしたち人類はまさに混乱の極みを迎えている。しかしそれも、わたしたちが「ヒト」へと目覚めるための追い風であり、気付けば混沌とした今の世界のどこにでも愛はあふれている。そして、わたしたちが「ヒト」として目覚めれば、人が集えば集うほど豊かな世界ができる。わたしは73億人皆と共に真の豊かさと喜びを分かち合いたい、といつも想っている。

このサツマイモ畑のある富士山麓から「愛」の響きが広がって、地球上に互いが互いを思いやる「阿吽」の世界が表現されますように。

久しぶりに畑へ行って、想像以上の心の収穫をいただきました。ありがとうございます。

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