木の花の子どもたちが、老人ホームにやってきた!

介護ヘルパーとして介護老人保健施設で働くみっちゃんからのレポートです!

子供達をサポートするみっちゃん
みっちゃん

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木の花の子どもたち(新1年生から5年生まで13人)が、日曜の午後に、私の働く老人ホームにボランティアでやってきた。

私は働きながら、いつも思っていることがある。ここで暮らすお年寄りは、いつも暗くて、体の痛みに耐えるばかり。体が自由に動ける人でさえ、かごの中の鳥のような日常。そんな日々の中に、喜びや楽しみ、希望が感じられるような場を提供したい。どんなことができるのだろう。
そんな時に、ふっとわいてきたことだった。

木の花では、初めて訪問されるお客様には、Welcome コンサートをして、皆でお迎えする。
たとえ1人のお客様でも行い、心をお伝えする。その中でも、子どもたちが歌って、踊る、「みつばち小学校の歌」は、特にお客様の心を動かす。とってもかわいいのはもちろん、人見知りせず、初めてのお客様のひざの上に乗って、甘える姿が本当に微笑ましい。本人たちには、そんな意識はないのだろうけれど、自然に初めてのお客様の心を開く、大切な役割をしている。
 
*「みつばち小学校のうた」

 
老人ホームでは、子供たちの自己紹介から始まった。お年寄りの中には、「どこの小学校のクラスから来たの?」と聞く人もいたけれど、「みんな兄弟なんです!」と答えた。
この子たちは、みんな私の家族なんだよなって改めて思った。
そこには、血縁をこえて、とっても強い絆がある。

演奏する子供達
演奏する子どもたち

みつばち小学校の後も、鍵盤ハーモニカやリコーダーの演奏、お年寄りがいつも歌って体操している「富士山」をみんなで一緒にやったり、「茶摘み」の手遊びなどをした。
4年生の「みこ」は、何も言わなくても、お年寄りに向けて、お手紙を書いてきていて、みんなに読んでくれた。
その後は、3つの輪になって、お年寄りも子どもも一緒になっての玉入れゲーム。
子どもたちが、玉をお年寄りにひろってあげての共同作業。普段は、車いすから立ち上がるのもやっとの人まで、すくっと立って、子どもたちと一緒になって、玉入れを楽しんでいる。
最後には、同じチームのお年寄り一人一人と握手をして、触れ合うこともできた。

「子どもたちから、元気をいっぱいもらったよ。」
今までに見たこともない笑顔をたくさんみせてもらって、私もとっても驚いた。

お年寄りに手紙を書いてきたみこ
お年寄りに手紙を書いてきたみこ

近頃、家での夕食の時間では、子どもたちのお行儀が悪くて、注意することも多いのだけれど、ここでは、本当によくしつけされているねと褒めていただいた。子どもたちのエネルギーが、明るくて、楽しくて、幸せな場を作ってくれて、とっても生かされた。ありがとう。

普段は、お年寄りばかり50人で暮らしている生活の場。改めて、いろんな世代がともに暮らす生活が豊かだなと思う。でも、世の中は、これから老人が増えていくのだからといって、どんどん老人だけを集めて施設が建っていく。
不自然な気がしてならない。当たり前に子どものいる景色がいいな。

その時だけ楽しさを感じて終わってしまうボランティアではなく、これからつながっていくことが大事な気がしている。その日の夜の子どもミーティングで、老人ホームに行った感想をみんな報告してくれた。5年生のゆうゆは、「ここのお年寄りは、家族に会うこともできないし、体も不自由で、そんな苦しみや悲しみを知った」と話した。
木の花のお年寄りは、みんなとっても元気。でも、いろんなお年寄りがいることを知ったのだと思う。そうやって、お互いを知って、近くなっていく。

「今度は、折り紙をしに行かない?」と話したら、「いいよー。でも次もまた、玉入れやりたーい」とうれしそう。

これからも、つながっていこう。
 

最後にお菓子をもらったみんな。また行こうね♪
最後にお菓子をもらったみんな。また行こうね♪

 
 


蜘蛛の巣

ブログ初投稿の、キッチンスタッフのゆみです。今日は、私の体験をシェアしたいと思います。

先日木の花では、来年の新しいテーマがシェアされましたが、私はなかなか自分のネガティブな思考パターンが越えられないでいました。

昨日から今朝にかけて、自分の古い思考パターンが一気に噴き出してきて、今朝は頭痛でなかなか起きられませんでした。同室のまり姉に声を掛けられ、その時自分の中にあった心情をシェアしました。それは「皆に同調すると自分が消えてしまうような恐怖感がある」というものでした。
それに対してまり姉は、例え話をしてくれました。「蜘蛛の巣に引っ掛かったチョウチョは蜘蛛に食べられてなくなるけれど、それは蜘蛛の命として生き続ける。つまり、他のために活かされる、ということだよ」と。

それを聞いて私が思ったのは「え、消えてなくなるなんて嫌だなあ」というものでした。例え話がよく理解できない状態で、別宅に作業をしに向かいました。

あやな
あやな

すると到着した途端に、4歳のあやなが寄ってきて、「ゆみちゃん、今、蜘蛛がゴキブリを食べてるよ」と私に伝えにきたのです。自分の中に軽い衝撃が起こりました。(さっきの話と一緒だ、神様は見ておられたんだ。これは神様からのメッセージだ)と思い、あやなに手をひかれてその現場を見に行きました。
そして、感じたのは、例え話が理解できたわけではない、でも、そういうことなんだな、ということでした。そして、神様と共にある、という感覚が、スーっと自分の中に入ってきました。

今まで、自分が強く理屈っぽい私は、人の話を素直に聞くということをせず、それはどういうことか、などと自分流の解釈で納得しようとし、理解出来ないことは先延ばしにしてきました。けれども、分からないけれど信じる、という感覚が、始めて分かったのです。

その後、キッチンスタッフののりちゃんと話しました。私が「いつもこうやって神様からのメッセージがあるはずなのに、気が付かなかったんだ」と話したことに対してのりちゃんは、「ウッとすることを越えていくと、心がきれいになっていくでしょう。だから、ウッとすることを与えられた時も神様からのメッセージだし、嬉しい、という感情も神様から与えられたものだよ」と話してくれました。そして、かつてのりちゃんが神様からいただいた言葉を教えてくれました。「この世界に、神のメッセージは蜘蛛の巣のごとく張り巡らせておる」と。

これからもますます、神様と共に、皆とともに生きる喜びを味わっていきたいと思いました。
 

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どうして教えてくれたの?とあやなに聞いたら、「教えたかったから」だそうです

 
 


「けんちゃん、おつかれさま」

けんちゃんは、木の花ファミリーが創立して間もない頃から
ずっと家族同然に付き合ってきた大切な友人です。
家も近所で、よくご飯を食べに来たり、一緒に川や山へ出かけたり、
玄米コーヒーを焙煎するえいこばあちゃんが大変そうなのを見て
もっと楽にできるようにと焙煎機をプレゼントしてくれたのも
けんちゃんでした。

そのけんちゃんが、この春、64年の生涯に幕を閉じました。
一昨年白血病を発病して以来、入退院を繰り返していたけんちゃん。
亡くなる前日にはみんなでお見舞いに行って、
木の花楽団は枕もとで『おかえりなさい』という歌を歌いました。

 

けんちゃんが亡くなった日、子どもたちの住む「本宅」の庭の片すみに、
こんなお墓ができていました。

 

小学1、2年生の、ゆうゆ、みの、きよ、みこの4人が、
誰に言われるともなく、けんちゃんのお墓を作ったのでした。
お墓に向かって「ずっとずっとお祈りしたんだよ」と、みの。

 

その日の夜の「子どもミーティング」で、
4人はけんちゃんのお墓を作ったことをにこにこしながら報告してくれました。

「みんなでお墓に向かって『けんちゃーん!!』て言いました。」

 

 

翌日、お墓はさらににぎやかになっていました。

「どろのごはんのおかわりをあげたよ」と話す4人。

 

ごはんだけでなく、カエルも一緒にお墓の脇へ。

でも肝心のカエルは「逃げちゃった!」(笑)

おやつの時間には、みこは自分のおやつを
「パラパラ~ってお墓にかけてあげた」そうです。

 

さらにその後、お墓には手紙が添えられていました。

 

添えられていたお手紙

 

 

 

そんな子どもたちの姿を見たいさどんは、
「大人ミーティング」 の場でこう話しました。

「大人と子供に垣根がなく、けんちゃんのことをごく自然に想って、魂を送っている。
なんだか、現代のお葬式よりも魂がはるか天まで届くように感じました。
本当に美しい世界だな、と。」

 

 

できたばかりのお墓を見せてくれたみこ(左)ときよ
左から、みこ、みの、きよ
お墓の前で、はいポーズ!

 

 

けんちゃんも空から見てるかな?

 

 


その名は「焚空水」

先日、ラブちゃんと赤ちゃんが、助産院から無事帰って来ました。

赤ちゃんは、生後1週間とは思えないほど体も顔つきもしっかりしています。
初めての出産で戸惑いのあったラブちゃんも、今や子育ての大ベテランたちに囲まれて、
母子ともに元気に過ごしています。

今日は皆さんに、赤ちゃんの名前のお披露目です!

 

退院の日、助産院の先生と。

 

「焚空水」と書いて、「たくみ」と読みます。

このちょっと変わった名前の誕生には、こんなエピソードがありました。

 

これまでファミリーの子供たちは、大人が意図してその名を考えるのではなく、
誰かの中にメッセージのようにふっと名前が降りてくる、という形で
命名を受けていました。
名前はその人の心のかたちを表すものであり、人から付けられるものではなく、
本人がその名を選んで生まれてくる、と捉えられているからです。
生まれる数年前から予告のように名前が先に降りてくることもあれば、
生まれてすぐに降りてくるなど、タイミングは様々。
ところが今回は、生まれてからしばらくしても
誰の中にも一向に名前が降りてくる気配がありませんでした。
これをいさどんは、こちらから「たくらむ」必要がある、と捉えました。

 

いさどん:
「たくらむ」と言うと悪い言葉のように聞こえるかもしれないけれど、
大事な方向に物事を方向付ける、という意味では、健全に「たくらむ」ことは必要になる。
今年は“結びの年”。
結ばれる、ということで、待っていればいいという意味もあるけれど、
自分たちから結ぶ、つまり仕掛けていく、という意味もあり、
その時には、たくらむ ― 「たくむ」心が要る。
僕たちは、天と地の共同作業の中に生きている。
出来事を上からいただいて、そしてそれが成就するように、下から努力していく。
それは天と地がつながり、両方向からこの世界を創っていくということ。
今年は新しい本の出版や各地でのイベントなどがあり、積極的にこちらから打ち出して、
その輪が広がっていくように働きかけていく。
そういう意味で、「たくむ」のは大切なことだと思った。

 

いさどんのこの話を聞いて、
木の花楽団ボーカルのみかちゃんは次のように語りました。

 

みかちゃん:
かつて私が天から歌をいただくようになった時、
初めは、口をぱかっと開けて受け取る、という姿勢だった。
自分が意図してつくるのは違う気がして、そのことをある人に話したら、
「それは純粋でいいことのようだけれど、自分からこういう歌が創りたい、と
意図することも大切だよ」と言われたことを思い出した。
世のためにこんな歌があるといいな、ということをたくらんで、そのことを天に伝えて、
天と共同作業で創っていくのは、意思を持った大人がすること。
良いことを「たくむ」ことの大切さを、この話を聞いて思った。

 

こうして生まれた、「たくみ」という名前。

そしてそれにようこちゃんが、「焚空水」という漢字をあてました。

 

ようこちゃん:
昨日、みこ(6歳)が「赤ちゃんの名前は“空”だよ」と言っていたのを思い出して、
まず「空」を当てはめた。
そして「焚」が出てきたときに思ったの。「地水火風空」みたいだな、って。

 

苗字の山本と合わせて、ぴったり線対称の「山本焚空水」。

メンバーからは、
「澄みきった『空』と『水』の上に、『焚』のエネルギーが天に向かって立ちのぼるイメージ」
「火を焚くと風が起きる。まるで風林火山」
「山、木、林、火、空、水・・・・・地球じゃん!」
という声が上がりました。

 

画数から見ても、非常にバランスの良い焚空水くん。

「これから世の中が安定に向かうときに、こういうバランスの良い魂がきっと必要になる」
といさどん。

 

 

さて、焚空水くんはいったいどんな人に育ってゆくのでしょうか。
これからが楽しみです。

 

 

親ばか全開のまこっちゃんと、焚空水