日韓・地球会議 ~ いのち編

毎日どのような心で生きているのかが大切だね

7月26日から約1ヶ月間、木の花ファミリーに滞在中の韓国人のソミンちゃんは今、10歳です。今回、木の花ファミリーを訪れるのは初めてですが、お友達のシャンリン(10歳)、イエヨンちゃん(8歳)、そしてシャンリンのお母さんのリンリンと一緒に夏休みをここで過ごすことにしました。滞在中のある日、ソミンちゃんは思いがけずいさどんとお話しする機会が与えられ、早速ソミンちゃんはいさどんに質問を投げかけました。

ソミンちゃん(左)とイエヨンちゃん
ソミンちゃん(左)とイエヨンちゃん

ソミンちゃん:
いさどんに質問があります。神話というのは本当なの?

いさどん:
神話というのはね、昔からその国を支配する人たちが、自分たちが支配するのに都合の良いお話を作ってきたんだよ。

ソミンちゃん:
たとえばそれは、「わたしが神の子ども」という話とか?

いさどん:
そうだね~。しかしそれは、一人の人だけが神の子どもというよりも、人間は皆、神様の子どもということなんだよ。

ソミンちゃん:
それはなぜですか?

いさどん:
わたしたちは皆、いのちです。いのちは、「命(みこと)」と言って、それは神様のことなのです。それで、神様が人間の体をもらったときに、「命(みこと)」として地上に降りてきたのです。

ソミンちゃん:
神様が人間の体に入ったときに、人間になるよね。だから、神様は人間より自由なの。なぜなら、神様は体を持っていないから!

いさどん:
あなたは賢いね!だから、神様が人間の体の中に入ると、自分のことと他人のことを区別したり、ケンカしたりするでしょ?でも、神様のほうが体の中に入っていない分だけ、自由だね。あなたはとても賢いね!!なぜあなたはそういうことに興味があるのかな?

シャンリン:
6歳のときから本を読んでいるからじゃない?

いさどん:
それは本に書いてあったことなの?

ソミンちゃん:
本に書いてなかったことだよ。

いさどん:
そうだよね。今の話は本に書いていない、あなたが自分で思ったことだね。でも、あなたが言っていることは本当だよ。本に書いてあることは今までの本当だから、これから先へ行くと、「本当はこうだったね!」と本当が変わる可能性があるんだよ!

ソミンちゃん:
今日、いさどんとお話しすることをわたしが予測しなかったように、未来は予測できないものだからね♪

さっきいさどんが話していたように、人が区別をすることによって戦争が起きるけど、戦争をして得られることは何かあるのかな?わたしはないと思うよ。だって、他人の土地を得たとしても、失うものはもっとたくさんあるから。

いさどん:
それはとても良い考えだね。わがままで、自分のことしか考えない人は戦争をして、得をしたと思うかもしれない。だけどね、地球やすべてのいのちのことを考えたら、皆はひとつでしょ?そのひとつのいのちの中でケンカをするということは、たとえば体の右手と左手がケンカしているようなものだよ。だから、どちらが勝っても、どちらが負けても、それは自分のことだよね。だから、広い考え方を持つことが大切だよ。

ソミンちゃん:
戦争が起きたところは何もなくなってしまうね。

いさどん:
戦争は環境にとって最も悪いことで、一番自然を破壊する行いなんだよ。

ソミンちゃん:
科学技術がいくら発展したって、そうなってしまうんだね。

いさどん:
科学技術は戦争の道具を発明するために、発展したようなものだからね。これからは、戦争のために技術を開発していくことはやめるべきだ。

ソミンちゃん:
自然を破壊しないためには、どういう努力をすればいいの?

いさどん:
それは、皆がいつも自然を意識した生き方をするということだね。たとえば、普通の人が会社へ行って働いていると、自然は関係ない生き方だよね。皆、ご飯を食べるといっても、お米を生産するところにはまったく関わりのない生活をしているね。レストランへ行って食べることもある。そうやって、生活の中に自然と共にあることが少ないのが、今の多くの人たちの現状だね。

そこで、スーパーマーケットへ行って食べ物を買うときには自然を意識しないけど、自分で畑で作物をつくるときには、農薬のような毒を撒くかどうするか?そう考えると、自分が作物をつくるときには、自分の健康のことは考えるよね。そうやって、自然を意識するような生き方をすれば、自然に対して害のない生き方をしようと思うようになるものだね。野菜をつくるときに、「たくさんお金を儲けよう!」と考えると、農薬をかける人はいるけど、それを自分や他人が食べていのちにすると考えたら、毒は撒かない。

一番はね、人間は自分で生きているのではなく、この世界の中で生かされていることを知ることだよ。たとえば食べ物をつくるには太陽や土、雨などいろいろなものがいるでしょ。たとえば呼吸をするにも、空気がいるでしょ。ご飯を食べるのも、自分が食べたいから食べるのではなく、体がエネルギーを必要としていると発信するから、お腹が空くんだよ。それに、夜は眠らないといけないし、何もしなくても年はとっていくね。

だから、人間は自分で生きているのではなく、この世界の皆の中で生かされているんだよ。でも、多くの人たちは自分で生きていると思っているから、自然を大切にしない。

わたしたちが生きていると、トイレへ行ってうんちをしたり、おしっこをしたりするでしょ?食べることは皆、喜んでするけど、トイレへ行くことはないほうがいいじゃない?!

でもね、生きるとは、他のいのちをもらい、自分のエネルギーにして、そして余ったものは外へ出し、他のいのちに渡すという循環の中でつながっているんだよ。

今の人間は自分のことばかり考えるから、自然を大切にしないけど、自然と人間の仕組みを正しく理解したら、自分のために自然を大切にするようになる。

あなたたちがこれから大人になっていくと、そういったことを大切にする時代になる。木の花の人たちも、世の中の人たちより先にそういったことに気付き、それを大切にして生きているから、このような生活をしているんだよ。

ソミンちゃん:
いいですね!

いさどん:
あなたも将来、そういう生き方をしてね♪それにしても、あなたはすごいね。これは本で勉強したことではなく、あなたが心から想っていることだと僕にはわかる。あなたが大きくなったら、宇宙のことや人間の心のこと、それから人間が生まれてくる前の世界や生きている目的、そして死んでからの仕組みについてお話ししてあげるから、またおいでね。

ソミンちゃん:
わたしたちは死んだらどこへ行くの?

いさどん:
そうだね~、死んだらまず、あなたの体はこの世界へすべて還っていくね。毎日ご飯を食べるでしょ?そうすると、新しい自分が入ってくるね。そうやって新しい体をつくっていく。そして古くなったものは自然へ還っていく。だから循環といって、いつも自然と自分がぐるぐるまわり続けていく。その状態をつなげていくために、自分を束ねている魂というものがあって、今の自分を保っている。

人間には食べ物を食べ空気を吸ってできる体と、考え方や性格を表す心(魂)がある。体は見えるけど、心は見えないね。でも、たとえば好きなものを食べたり、好きな遊びをすると、心は表情という形を通して観えるんだよ。たとえば、性格が良いのも、人と仲良くしないで性格が悪いのも、心の表れで、それで毎日が楽しかったり、つまらなかったりするね。

それで、人は死ぬと、それまで毎日少しずつ変わっていた体が、今度はいっぺんに自然に還っていく。そうすると、心は形のないものだから、目に見えない心だけがそこに残るんだよ。もともと心というものは天から降りてきた。だから、自分が死んだのだとわかると、天に還っていく。でも、心は体のようにモノではないから、飛行機がなくても飛んでいけるよ(みんな、笑)♪

でもね、地上で生きている間に、「まだあれがしたい」「これがほしい」「まだ死にたくない」と言って十分に満たされて生きていないと、心だけになっても、地球のまわりで漂っていることもあるんだよ。そういう魂は天国へ行けないね。そして人によっては、天国どころか、地獄へ行く人もいる。地獄というのは、特別なところではないんだよ。生きている間に自分のことばかり考えて、不満や人と対立して生きている状態は、地獄に生きていることと同じだからね。

天国でも、神様のいるような高いレベルの天国もあれば、普通の人間が行くような天国もある。それはその人の心次第でどこへ行くかが決まる。それは、生きていた結果だよ。だから、毎日どのような心で生きているのかが大切だね。

 

 


ショックでもあり、ものすごく嬉しい 〜2秒間のマインドコントロールからの解放

「私は、見えない世界をなかなか信じられない人たちの代表です。今回大人サミットに参加した目的は、少しでも信じられるようになりたいからです。」

先月、木の花ファミリーでは第9回大人サミットが開催され、アメリカ、タイ、バヌアツ、インドネシア、中国内モンゴル自治区、そして日本の世界各国から様々な人々が集い、新しい時代の「クニ(地球)ツクリ」を語り合う場となりました。大人サミット専用ホームページにて、内容をご覧いただけます!)
その参加者の一人であるこうたんは、「木の花ファミリーがどんなことをしている団体なのかは良くわかりませんが、面白そうなので参加します」と初めてファミリーにやって来ました。「私は一応健康で、家庭も有り、基本的には幸福です。但し、本質的なところでいのちや宇宙の不思議に感銘したり、考え込んだりします。」そうプロフィールに書いていたこうたんが、3日間のサミットを通して感じたことをみんなにシェアしてくれました。

第9回大人サミットより
第9回大人サミットより

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自分は、今の社会の枠組みの中では「成功者」と呼ばれる方かもしれません。それは、いわゆる大学を優秀な成績で卒業して、企業に就職して、その中でがんばってがんばって何とか上の方に行って、もがいて今に至っている、というような社会の枠組みの中での成功者、という感覚です。

今日、話を聞いて、自分が懸命に努力していた価値観が、こんなにも浅はかというか、ほんのごく最近の価値観だということを知りました。地球の誕生から今までを1年に例えると、産業革命以降の250年間の価値観というのは、たった2秒間のできごとなのだと。

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それはショックでもあり、ものすごく嬉しい、という気持ちです。

今の私の仕事は製造商社で、例えば1本5トンもする鉄のかたまりを飛行機に乗せて何度も海外に送ったりします。エコ的な観点からすると、ものすごく矛盾がある世界です。表面的には、今の社会的に意義のある企業活動なのですが、いろいろ観ていくと、こんなことでいいのかなという気持ちはあります。それでも給料は出ますし、やることはあるので一応のことはやっているのですが、いろいろ悩むところもあって、還暦にも近付いているので、これからの人生をどう過ごそうかと今年の頭ぐらいに考えました。その時に描いた絵が、これです。

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こうたんが描いた絵

これは自分の一生です。たぶん80くらいで死ぬとして、今59歳ですから、人生をいくつかのステージに分けて考えてみました。それで、「やりたいこと」と「やらなければいけないこと」に、どういうふうに人生の中で時間を費やしてきたのかをざっくり色分けしてみました。そうすると、たぶん赤ちゃんで生まれた時にはやりたい放題だったような気もします。でも、だんだんやりたいことができなくなって、やらなければいけないことが増えていったのが、最初の受験の頃だったと思います。

僕はもともと真面目なものですから、学校で教えられたことについては非常に忠実に理解をしていたと思います。けれども、今の唯物的な考えが強くて、ずっとそれに対して違和感がありました。こうやって意識があって、目の前の風景が認識されていること自体がほとんど奇跡に近いことだと思いますが、そういうことを言うと「おまえ、頭は大丈夫か?」と言われるので、あまりそういうことを出さずに来ました。本でいろいろと読んだりはしていますが、結局そこのあたりの違和感がずっとあって、その先がよくわからず、自分のやっていることや意識というのはどういうふうになっているのだろう、という疑問がずっとありました。

インドのお坊さんは、ピークを過ぎると森に入って暮らすということを本で読んだことがあります。それで、今後どういう暮らしをしていくのかをかなり真面目に考えました。だぶん、だからこそ、ここにも来たのだと思います。

自身の想いを語るこうたん
自身の想いを語るこうたん

今までずっと、自分のことだけ考えて生きてきました。今もそうです。もちろん、家族や親族、友人は大切ですけど、自分が大切で、今後現役の一線を退いた後に、何らかの形で世のため人のために役に立ちたいという気持ちはあるのですが、たぶん今の自分がそういうことをやってもウソになると思います。無理すればできるかもしれませんが、続かないという気持ちがあります。その時にどうしたらいいのか。その答えはないです。

たぶん、「誰かのため」ということが、自分から切り離された誰かではなくて、誰かというのは実は自分なんだ、という感覚が持てれば、無理しないでできるだろうとは思います。そして、今の自分はそこから遥かな距離にいるのだと思います。

サミットでの語り合いの時間
それぞれの想いを語り合う

今回、おぼろげながらに自分が考えていたことがやっぱりそうだったのか、という印象はあります。自分としては、産業革命のもうちょっと手前の石油の発見が人間の生活を変えたぐらいの時間軸で考えていて、とてもじゃないけど、遥か彼方の何万年というサイクルの中で私たちが生きているとまでは考えたことがありませんでした。空間的なことに関しても、ああやって太陽がぐるぐるまわりながら、そういうビジョンで空間的なイメージを持ったことはなかったです。そういう意味では、自分がなんとなくこうではないかなと思っていたことが、時間軸と空間軸を合わせてさらに大きなスケールの中で、ダイナミックな理解が少し進んだかな、と思っています。

これから何をするのか。まだよくわかりませんが、なんとなく一歩近づいたかなという感覚は得ることができて、それはとりもなおさず、ここにいる人たちの姿を見たからだと思います。私にしてみると、ここはちょっと奇跡のような世界だなと思っています。こういう人たちが本当にいるのだ、というのは驚きでした。皆さんの存在自体が、私の不安を消してくれるひとつの証拠になっています。

早朝に富士山を見る ー 第9回大人サミットより

大人サミット中、一番感銘を受けたことは、昨晩の子ども会議です。一人の小さな男の子が、鉛筆を友達の額にさしてしまったことを皆の前で報告していました。

毎晩夕食後に行われる子ども会議
毎晩夕食後に行われる子ども会議

驚いたのは、たくさんの人たちが彼を叱ったことです。今の私の生きている近所で同じことをしたら、大変なトラブルになります。今の一般的な日本の家庭生活の中ではありえないことですから、私は他人の子どもを叱ることをしません。ただ、どちらが異常なのでしょうか。そう考えてみれば、問題は明らかです。

私が子どもの頃は、近所のおじさんやおばさんによく怒られていました。しかし、それはここでも可能なのです。それは、愛を持って育てていく意識があってのことだと思います。そして、そういった環境で育った子どもがどういう表現をするのかを見せてもらいました。(→「子どもたちが平和を絵にしたら」

ひみこが描いた『太陽の世界のたのしいくらし』
7歳のひみこが描いた『太陽の世界のたのしいくらし』

小さな子どもが描いた絵や詩の中にウソはありません。理屈の世界で理屈を納得させるのはなかなか難しくて、なおかつ大人にはさんざん騙されてきました。

私を羽交いじめにしている力が何かはわかりません。もしかしたら、教育がもたらした常識というものなのか、それとも私の自我が、はっと気付くと、私を羽交いじめにしているのかもしれません。それを何とか振り払いたいのですが、大人と理屈で話しても、自分の体を自分で持ち上げることができないようなもどかしさを感じます。

でも、子どもたちの詩や絵に出会ったら、何となくそんな説明も、もういらないと思ったのです。

 

第9回大人サミット参加者の皆さん
前列左から2人目がこうたん。次回は「家族を連れて来たい」とのこと。お待ちしてます!

 

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2016年2月14日〜3月12日
木の花塾「1ヶ月間の真学校」を開催します!

今まで知らずにいた本当の自分自身に出会い、私たちはなぜ地球に生きているのか、その真の意味を知る、かけがえのない1ヶ月間を過ごしてみませんか。それはきっと、あなたの人生を豊かにし、この世界を豊かにします。皆さまのご参加をお待ちしています!

【 日 程 】
2016年2月14日(日)〜3月12日(土)

【 会 場 】
木の花ファミリー

静岡県富士宮市猫沢238−1

【 対 象 】
■ 自分を変えたい人

■ 世界を変えたい人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ それまで知らずにいた本当の自分自身を知り、真に人生を謳歌したい人
■ この星に生きる人 すべて
☆ その他、2015年度受講生からは以下の人に薦めたいという声が上がっています。
■ 漠然とした不安がある人
■ 自分も他人も責め続けている人
■ 人を信頼したいという思いはあるが、できない人
■ 未知の世界があることを知りたい人
■ 出会った人 すべて
(詳細は受講生アンケートにてご覧頂けます。
 → 受講生アンケーヘ)

【 内 容 】
講座は「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐に渡りますが、全講座に共通して学ぶことは、物理的な現象の奥に流れる深い精神性です。それまでに考えたこともない新たな視点に出会うことで世界観を大きく広げ、今社会はどのような状況にあるのか、その中で自分は一体どういう存在であるのかを紐解いていきます。
〈 講座一例 〉
人格を学ぶ講座(カルマ読み・地球暦・カタカムナ)/天然循環法の畑作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/性と宇宙/自然再生と災害復興/持続可能な心の持ち方
*その他、誕生日会や季節の祭事、地域の食事会などのイベントも盛りだくさん!生活の様々な場面を通して、互いに助けあいながら宇宙の流れにそって生きる豊かなコミュニティの暮らしをリアルに体感できます。
*上記講座はあくまでも一例であり、プログラムは固定されていません。受講生との双方向の掛け合いにより、その時、その場で、もっともふさわしいものが提供されていく、誰にも予測不可能な世界に二つとないプログラムです。(→ 2015年度レポーをご覧下さい。)

【 主 催 】DSC00081
NPO法人ぐりーんぐらす

木の花ファミリーを母体として様々な社会貢献事業を行っているNPO法人です。

【 共 済 】
木の花ファミリー

詳細は、こちらをご覧ください!
「1ヶ月間の真学校@木の花ファミリー」

☆ご不明な点も、どうぞお気軽にお問い合わせください。
 電話 :0544-67-0485
 メール:info★npo-greengrass.org
 (★を@に置き換えてください。)

 

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子どもたちが平和を絵にしたら

少し前の話です。
夕食を食べながらニュースを観ていた7歳のゆうとうが、突然言いました。

「あぁん、あべちゃんなんかが大統領だからダメなんだよ~。」

ニュースに一瞬出てきた安倍総理大臣を見て、だから平和にならないんだよ、もしも平和にしたかったらまず自分の国をきれいにすればいいんだよ、と、ゆうとう。誰もゆうとうにそんな話をしていないのに、どうしてそう思ったのかを聞いてみると、「わかんないけど、ニュース見てたらなんかそう思った」のだそうです。
「あべちゃんは、他の国の大統領とかとばっかり仲良くしようとして、その国の人たちと仲良くしようとしてないの。だからダメなの。」

ゆうとう
ゆうとう

ゆうとうはわんぱくで、ケンカはするわ言うことは聞かないわご飯の間も走り回るわで大人からしょっちゅう怒られてます。食いしん坊で、テレビのグルメ番組にラーメンが出てくれば「うまそう!」「食べたい~!」と大騒ぎ。が、ステーキが出てきたり、魚が釣られる場面になると急に表情が曇ります。
「ああいうの、食べたがる人がいるからダメなんだよ。かわいそうだよ。」

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木の花では菜食をしていて、そこには深い意味がありますが、給食などで肉や魚を食べるかどうかはそれぞれの子どもたちに任されています。ゆうとうは菜食の理屈は知らないけれど、釣った魚を食べようとするテレビのリポーターに向かって、「お願い、お願い、そこで“まずい”って言って」と懇願していました。「だって、そこで“おいしい”って言ったら他の人も食べちゃうから。“まずい”って言ったら誰も食べようと思わないでしょ。」

そんなゆうとうが描いたのが、この絵。

The Peaceful Earth By Yuto Nagahara

タイトルは『平和な地球』
虹色のカブトムシや地球をきれいにするやさしいドラゴンがいて、みんなに「なかよくね」と言っているおじさんは、いさどんだそうです。

先日、ある映像作家の方より、木の花の子どもたちに平和をテーマにした絵を描いてほしいとの依頼があり、子どもたちが絵を描きました。上の絵は、その中の一つです。

これは、10歳のみこの絵。タイトルは『ひとつの心・ひとつの平和』
One Heart-One Peace By Mikoto Nishio

「ヘンになっちゃった~~」と照れながら絵を見せてくれたみこ。
「真ん中にいるのはね、いさどんだよ。」

こちらは11歳のみの。『地球に平和がおとずれるころには』
When Peace Comes on Earth By Minori Saga

地球が本当に平和になると、神様と人間が一緒に暮らせるんだそうです。

みこ と みの
みこ と みの

 
こちらは、11歳のゆうゆ。タイトルは『つながろう!』
Let’s Connect with Everyone! By Yuko Nagahara

四ツ葉のクローバーに向かって、みんなが手を伸ばしています。青い三角の手は、ペンギンです。^^

そして、10歳のきよ。『愛があふれた平和な地球』
The Peaceful Earth Full of Love By Kiyomi Kitao 2

きよらしい、のびのびした絵!

ゆうゆ と きよ
ゆうゆ と きよ

 
7歳のゆりかも描きました。『平和な世界のきれいな流れ』
The Beautiful Flow in the Peaceful World By Yurika Hosoya

ゆりか
ゆりか

同じく、7歳のひみこ。『太陽の世界のたのしいくらし』
The Happy Living in the Place of the Sun By Himiko Oki

真ん中にある木には、太陽の世界のお菓子の、きらきらの光が500パーセント入った虹色の金平糖がなるんだそうです。

ひみこは言います。

「ひとつずつの国を平和にしようとしても、平和にならないんだよ。
 みんながひとつの平和を作らないとならないんだよ。」

――― 『世界のみんなのいのちをひとつにしたら』より

ひみこ
ひみこ

 

次世代を担う魂たちが、着々と育っています。
地球の未来は明るい!!

 

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次世代を担う魂たち♪

 


やすこちゃんの子育て奮闘記

この秋、0歳のこうたろうくんを連れて木の花ファミリーのすぐ近所に引っ越してきたやすこちゃんとけーごくん夫妻。二人はこれまでもたびたびファミリーを訪れたり出張木の花塾を主催したりしていましたが、大事な生き方を実践していこう!ということで富士宮へやって来たのでした。

ここに来た当初のこうたろうくんは、まさに怪獣!アトピーをかきむしりながらひまわり中に響き渡る声でわんわんと泣き叫んでいましたが、ひとたび木の花に預けられて両親と離れると、すーっと穏かに。が、両親が帰って来る気配を察知するやいなや、再び怪獣化するのでした。

その様子をみていたいさどんは、やすこちゃん夫妻と面談をしました。そしてその夜の大人ミーティングで、やすこちゃんは自分が気付いたことを文章にまとめ、みんなにシェアしてくれました。

■   ■   ■   ■   ■   ■

今日からしっかりと、やっていく。

愛をもって。

愛って、自分のためとか、我とか欲とか情をなしにして、ただ本当に相手を思うこと。そういう行動をしていくこと。

たとえば子供がかまってほしくて泣いている、注目してほしくて泣いている、いわゆるわがまま泣きをしていたとする。
そこで「あ~はいはい」と抱っこしてあげる。
子供はそうすればかまってもらえると学ぶ。
抱っこでも泣き止まないこともある。おもちゃで気をそらせたりおせんべいあげたり、親は手を変え品を変え。

そこでも子供は学ぶ。泣けばこんな風にしてもらえるんだー
してほしい時は泣けばいいんだーー

わがまま泣きだから放っておこうとする。そのうち泣き止むだろうと様子を見ていると一向に泣き止む気配はなく、ますます強く泣く。そこで心配になって折れてごめんねと抱っこしてしまう。そうすると子供はそこでまた学び、次回はもっともっと強く泣く。

泣いているのがかわいそうだからと、常に相手にし、面倒を見ていると、どんどん子供は王さまになっていき、子供主体の家庭となっていく。

外に出掛けたとき、誰かと会っているとき、子供は母親に、意識を自分に向けてほしくてぐずったりする。状況がいつもと違うのですぐ抱っこしてもらえなかったり自分を優先されないと、いつもと違うのでさらに泣く。
いつもコテコテにお世話してる分、外でもいつものコテコテをしないと子供は大泣きする。
人見知り、寂しい泣き、かまって泣き
どんどん扱いにくい子になっていく。

これらはすべて、親が原因。親の柱のない子育ての被害者で、役割として全力であらわしてくれる。
泣くことだけじゃなくて、キィーと叫んだり、掻いたり、アトピーもそう。

表面上の状態を見てかわいそう、と思うのは大きな間違いで、その状態をやらせているのは自分だということ。本当に申し訳ないこと。

ではどうしたらいいか??

本当に必要なお世話をきっちりする。
そのために子供が本当に求めていることを見極める。
おむつなのかお腹すいたのか不快なことがあるのか眠いのか。

知識ばかり頭に詰め込むのではなく、よく見ることをしなければいけない。知識やいろんな情報は直観をにぶらせ、本当がわからなくなる。
また、泣いてるから取り合えずおっぱい、も、本当がわからなくなる。おっぱい依存にもなりやすい。

愛情ではなく、愛で。

情は余計なもので、「かわいそう」とは、自分の我。

子供が扱いにくいと感じたら自分をチェックする。欲や情でやってはいないかと。子供はいつでも親の鏡だから。

私の場合、こーたろがかゆいからかかせないようにいっぱい甘えさせたりおっぱいあげたり、寝かせたいから飲ませたり、自分本意でかわいがったり放置したり、考えると、こーたろのためじゃなくて自分のためにしてることがたっくさんあった。

それが本当に情けなくて、そんな適当なことしてきたから今こーたろが全力で教えるはめになってるんだなーって思ったら涙が止まらなかった

だからこれから本当に愛をもって、初めて真剣にこーたろのこと見て行動しよう、というところ。

■   ■   ■   ■   ■   ■

 
この文章を読み上げた後、やすこちゃんは言いました。

「今は、こういう気持ちでこうたろうと接しています。
こうたろうを預けて木の花で農作業ヘルパーをしながら、いろんな人と話しました。みんなが自分の子育ての体験を教えてくれて励みになったと同時に、今の状況を問題だと気付かなかったら、自分勝手な子育てを続けていたんだなと思うと、すごく恐ろしいことだと思いました。こうたろうが小さいうちにそれがわかって、本当にありがたかったです。
自分でやりたい、というこうたろうへの執着があることにも気付けました。
今は、ここに預けているとこうたろうも調子がいいし、自分も充実していて、お互いにとっていい時間を過ごせていると思います。」

けーごくんも、
「自分がこうたろうややすこちゃんを所有していることに気付いた。富士宮に引っ越してきたのは、自分と向き合って変化して、大事な生き方をしていくと決めたから。これからは大事なことを一番にして生活していきます。」
とコメント。

その後、いさどんは次のように語りました。

宇宙おじさん4
少し前の時代をつくっていた人たちは、物理的思考が強く、形に翻弄されて生きてきました。でも若い人たちは、もっと目に見えない世界を感じています。

今までの社会がやってきた、ものごとを形に現していくことは、目に見えるのでわかりやすいですね。自分の中の能力を駆使しなくても、問題ごとが明快にわかる。

ところが問題ごとというのは、目に見えて明快にわかるようになるずーっと以前から、その奥で確実に種を育てて来ていたのです。その段階を観ず、形に現れてからしかものごとを見ないので、結局捉え方が浅くなります。

こうたろうくんの話も、突然アトピーができたわけではありません。おぎゃあと生まれてお母さんが最初に抱っこしたその感覚や、おっぱいをあげた感覚、もっといえば妊娠中の生活やそのもっと以前から蓄積されてきた情報がすべてがインプットされて、それをもとに自分の役割を自覚して生まれて来ているのです。親はそこに至るまでの元の部分を観ずに、今現れている問題ごとだけを見て「何でこんな子になっちゃったんだろう」と言いますが、それはそれまでの自分の歩みの結果であり、プロセスなのです。

そうやって親が与える物理的環境と共に、もう一つ、時代的な環境というものがあります。

この世界に生まれた生命は、宇宙の星々や太陽と連動し、それらが表す壮大な時代の流れを地球上に表現しています。現在は宇宙的にも大きなターニングポイントにあり、新しい生命たちはとても大きな使命の元に地球に降りて来ているのです。そういった大きな視点から観れば、今目の前で子どもが表現していることの意味がわかるようになるでしょう。

今の時代に生きる僕たちは、鎌倉時代や江戸時代のことはわからないと言うかもしれませんが、実はわかるんですよ。だって、その時代の延長線上に今の生活があるわけですから、実体験としては知らなくても、今の生活を観れば過去のこともわかるのです。

昔の人はそのまっただ中にいて翻弄されていますから、ものが観えていませんでした。しかし現代を生きる我々は、そういった目を持つことができるのです。

ですから、やすこちゃんとこうたろうくんのことも、下手な子育て本よりもはるかに大事なことを語っています。そういう目線を持つことは本当に大事なことです。

家族を想うのは大切なことで、否定することではありません。当たり前の第一反応としてある感情だということです。けれどもその奥に何があるかということを観ないと、せっかくのその大切な第一反応が、周りに害をもたらすことになります。家族を大事にするのは大切なことで、いいつもりでやっているけれど、その結果どのような子どもが育っていくのか。どのような社会が出来上がっていくのか。

だから、もう一つの目線を育てなければいけないのです。
それが観えるようになることが目標です。

それが観えていくとどうなるかというと、人が集まれば集まるほど、豊かな世界ができるのです。

みんなのアイドル・こーたろくん。お役目ありがとう♪
 みんなのアイドル・こーたろくん。お役目ありがとう♪

 


第一回カタカムナ研究会レポート

2015年4月より、木の花ファミリーでは
「カタカムナ勉強会」を改め

「カタカムナ研究会」を発足しました

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ー 古代の叡智を現代に生かし、生活に表現する ー
 
カタカムナとは

カタカムナは、今から約13000年前の上古代の日本で高度に発達したといわれる、言霊を元にした宇宙物理学のことです。
現代の最先端の物理化学とそれを元に発達した現代社会は、今あらゆる方面で行き詰まりを見せています。それは、私たちが生きているこの三次元物理世界の背後にあって、この世界を生み出す元になっている「潜象界」(多次元世界)があるという発想がないからです。
この世界を生み出す根源の世界の存在を忘れているので、視野が狭く、物事を思考する発想が物理性に重きを置いているので、世界が行き詰まるのは至極当たり前のことと言えます。ですから、この行き詰まりに行き当たったことは予定通りのことと言えるのです。

予定通りということは、この状態は約束されていたということであり、当然その先があるのです。
その先の時代へ人類は今、進もうとしています。このような流れの中で、13000年前の宇宙物理学が封印をほどかれて、今、私たちに呈示されています。

カタカムナでみる宇宙の仕組み
カタカムナでみる宇宙の仕組み

カタカムナでは潜象界のことを「カムの世界」、そして三次元物理世界(現象界)のことを「カタの世界」と言い、全ての命や物質は「カムの世界」から生まれて、質的に転換(ナ)した結果、命や物質が存在する「カタの世界」ができていくと示しています。その事を「カタ・カム・ナ」と言います。
この二つの世界は質的転換を伴いながら常に循環しており、その循環のことを「天然循環」と言います。

「カムの世界」は、意識レベルが低いと感受することが出来ない緻密で微細な世界です。上古代のカタカムナ人は、そういった世界があることを認識していました。そして、宇宙が発する響きの中から48音を聞き分け、なおかつ一音一音に深い意味が秘められていることを感受し体系化し、残してくれました。この48音が世界中の言語の元になっていると言われています。
その後、時代と共に人々の感受性は鈍っていき、カムの世界の存在を見失っていきました。そして、世界中の言語は歴史と共に分裂して発達し、変化していきましたが、日本の大和言葉ではカタカムナの時代から殆ど変化することなく純粋に48音が現代に引き継がれてきたのです。

大和のクニは「コトダマノサキアフクニ」といい、多くを語らなくても、以心伝心で想いが伝わる民の住むクニでした。人々の心は調和的であり、言葉は言霊であるということを熟知していたので、言挙げしない民、つまり議論しない民だったといいます。それは、言葉には人を殺す事が出来るほどの力があることを知っていたからなのです。

しかし、時代の流れと共に、人々の心は汚れてゆき「カムの響き」を感受出来なくなり、そんな状況と共に、カタカムナはレベルダウンし、封印されていきました。
現代人の感受性は鈍くて荒くなり、それはまるで目の粗いザルのようなものです。「カムの世界」という微細な世界は目の粗い網ではすくうことは出来ません。
「カムの世界」は三次元の理論や平面的思考では捉えられず、記憶するものでもありません。心や全身の細胞で感受するような微細な波動の世界なので、きめの粗い心や脳では感受出来ないのです。
現代の科学は、3次元の物理的物差しで測れるものしかその存在を認めません。ですから、直観や心で感受するカムの世界を認識することは出来ないのです。しかし、人は誰でもカムの世界から生まれてきているのですから、DNAには必ずその記憶は刻まれており、時が来れば封印された記憶がほどかれ理解出来るようになるものでもあります。
これからの時代はカタカムナ的世界観と、カムの世界という多次元世界を感受する能力が必要とされています。そのためには、一人一人の波動量を上げ、直感力を磨くための心磨きが必須となってくるのです。

カタカムナの八鏡文字
カタカムナの八鏡文字

カタカムナが世に出たのは、1949年楢崎皐月が兵庫県六甲山系の金鳥山で地質調査中に平十字という謎の人物に出会って、見る機会を得た古文書「カタカムナ」(八鏡文字)を、5年かけて読解したのが始まりです。しかしそれは一般人にはなかなか理解出来ない難解なものでした。
楢崎皐月に続き宇野多美恵、関川次郎そして芳賀俊一に引き継がれてきた「カタカムナ」が何故今私たち木の花ファミリーに出会ったのかを考察すると、知識として引き継がれてきたカタカムナがいよいよ生活に表現される時代になったからなのでしょう。
 
カタカムナ勉強会からカタカムナ研究会へ

3月30日、31日の2日間、春分が開けて新しい季節のサイクルが始まり、カタカムナ勉強会が木の花ファミリーの湧泉閣を会場として行われました。昨年一年間の勉強会を経て、いったん白紙に戻して新たに出直そうということになったカタカムナ勉強会を、教えを請うものの集まりとしてではなく、自ら探求してゆくものの集まりとして「カタカムナ研究会」を新たに発足し、活動していくことになりました。

一年の中で春分の日は特別な意味を持ちます。太陽と、地球が作りだすサイクルの中でも、最も意味深い節目の日が春分であり、太陽系を俯瞰してみることが出来る地球暦ではこの日が1年の始まりである「お正月」になります。そして、この日に木の花ファミリーは発足しました。
私たちは、星々が刻む悠久の時代の流れに乗って生き続けています。
カタカムナでは、宇宙の創生・発展・消滅を「ヒフミヨイムナヤコト」の数理で現しますが、その始まりは「ヒ」であり、「ヒ」を現すカタカムナの図象文字は、地球暦で見る春分の日の太陽と地球の配置図と同じなのです。

講師の芳賀俊一さん
講師の芳賀俊一さん

このように意味深い「春分」という大きな節目を過ぎて初めてのカタカムナ勉強会ということで、木の花ファミリーから講師の芳賀俊一氏(芳賀兄)にカタカムナ研究会発足という投げかけをしました。

いさどんは芳賀兄に以下のように伝えました。
「芳賀兄以外にカタカムナの勉強会をしている人をネット上で探しましたが、勉強会らしきものは殆どありません。カタカムナを純粋に研究し王道を行っているのは芳賀兄だということがわかりました。
今までの先人達が作って来たカタカムナの流れは、カタカムナを分析し資料として現してはくれましたけれども、カタカムナの本義を生きてきたわけではありません。そして、いよいよ時代が訪れ、カタカムナ的古代の叡智が進化したものとして生きる時代が来ているのです。そういうことからすると、今まで長年芳賀兄がカタカムナ勉強会として蓄積し伝えてきたものは、先人達が作り上げてきてくれたものなのですが、先人達がやってきたことすら途上なのです。カタカムナを知識的、御利益的に学ぶというだけでは、今までの勉強会と同じになってしまいます。
これからは、如何にカタカムナを生活に落とし生かしていくかが求められる時代が来ています。それが時代に貢献するということであり、木の花ファミリーはそれにふさわしい場であるからこそ、今この時にカタカムナと縁があったと考えています。今後カタカムナをより発展させていくために、勉強会という『与えられる場』ではなく、共にカタカムナを探求していく場という意味で、この会を『研究会』とすることを考えています。」

芳賀兄はそれに対して全く同感ですと語り、カタカムナ研究会が発足し、今回がその記念すべき第一回カタカムナ研究会となりました。参加者10名という小さな会でしたが、その意義は大きいと感じています。

第一回は、カタカムナの概論と、参加者との活発なやり取りの中で「魂のメカニズム」や「カムの世界の感受の方法」について深めるなど、脱線を交えながら有意義な会が進められました。
今後の会の進め方として、研究会に毎回同じ人が来るわけではないので、常にそのときそのとき出会った人達を感じて直観で進めていくとを確認しあいました。

また、最近木の花ファミリーメンバーになったばかりの12歳のかのこちゃんも会の初日に参加してくれました。

カタカムナを学ぶかのこちゃん
カタカムナを学ぶかのこちゃん

ファミリーメンバー最年少のかのこちゃんは、時代の申し子的な子です。彼女の意志はとてもはっきりしていて、小学校6年生の1学期で学校へ行くのを止めました。
その理由は「授業中ずっと椅子に座って先生が言うどうでも良いことを、ノートに写すという勉強が嫌だなと思った。これが自分の人生に本当に役に立つとは思えなかった。でも先生は、国の方針に従っているだけなので、先生は悪くないと思う。」と明快な意見を持っています。

かのこちゃんは、今までのような登校拒否とは違って、自分の人生の役に立つことを学びたいという意志がはっきりしているので、学校の勉強が合わないのです。今まで大人の解釈で子ども達に教育を進めてきたのですが、こうった子ども達に生まれて来た本当の意味に目覚めてもらうためには、きっと変な教育はしない方がいいのでしょう。そのために、こういった生き方や学びを提供する場を創ることが、これからの時代にカタカムナの探求の場としての役割があるのでしょう。

芳賀兄によると、最近30代のお母さんがカタカムナ勉強会に参加することが多くなっているそうです。お母さん達が何故勉強会に参加するのかというと、子どもが学校に行くのをいやがったり、親の価値観では解釈しきれない子どもをもち、その扱いに困っているというのです。その方向性を見つけるために、カタカムナの勉強会に来ているという現象が起きているそうです。そのようなお母さん達にも子ども達にも、本来の生き方を見つけてもらう場にするということ、本当に道を求める人たちの受け皿になるための勉強会をやるということを、芳賀兄は講義の中で語っていました。

いさどんから宇宙の話を聞く子ども達
いさどんから宇宙の話を聞く子ども達

子ども達は、大人より進化した魂であると言いますが、かのこちゃんの言葉は明快で力があります。
3月21日の木の花創立21周年の日、いさどんは宇宙の話をしました。その時、子ども達、特に小学校3、4年生の子達はいさどんの話に目を輝かせ、「うんうん」とうなずいたり、たくさんの質問をしながら、いさどんのそばに貼り付いて話を聞いていました。子ども達は、難しい所は解らなくても、魂で大切な事を感じているのです。子ども達を見ると未来は明るいと思えてきます。

時代は連綿と続いて今現在に至っています。新しく生まれてくる子ども達は常に大人より進化した時代を生きる未来の魂です。大人達が創っている社会の中で、時代が生んだ「進化した魂」である子ども達の個性をつぶさないよう大人達は自らのエゴの殻を超えて時代に合わせて、学んでいかなければならないのです。

私たちが生きている今は、過去の何万年・何億年の積み重ねの上にあり、星の運行(天盤の巡り)により、いよいよ一般大衆が真理に目覚めるサイクルが巡ってきているのです。そして、その奥にある大いなる意志を感じるマクロの視点と、日々の細かなことの中で己の心を緻密に振り返りながらこの世界の奥にある微細な世界を観じるミクロの視点、その二つを両輪とした学びはこれから真理を求める人には欠かせないものです。

古代のカタカムナ人は、群れで生きることで一人一人の個性的な直観を集結し、自然環境の厳しい時代を乗り切っていったといわれています。
現在、人々の価値観が多様になり、欲望の渦に巻き込まれて真実を見失っている現代は長い歴史の中でも時代の大きなターニングポイントです。人間の経済活動のために自然環境は悪化の一途をたどり、これから自然災害はさらに厳しくなります。社会情勢を見ても人の心は荒れ果て心の病が蔓延し、犯罪も増えています。民族紛争も絶えることがなく世界情勢も悪化している状況の中で、私たち人間が目指すべき事はまだまだ多くあります。
宇宙の星々の運行も、みんなでつながって生きて行く調和の時代が始まることを告げています。
そんな時代の流れの中、カタカムナの深い叡智をみんなで探求し深め、一人一人が直観を磨き、それを生活に落としてゆく事が大切です。集い語り合うところから、新たな時代の真実が生まれてくるのです。

カタカムナの学びは、知意行一体といって、宇宙の道理を知り(知)、意欲を持ち(意)、生活に表現する(行)ということを元にしています。それは木の花ファミリーが創立以来実践してきたことでもあります。この新たな時代に向けての大切な叡智の学びを、皆さんの参加と共に広めていきたいと思っています。
本物に出会い、人生を変え、この世界を探求したいと願う人々の元へ届くように、今後はカタカムナ研究会のレポートも発信していきますのでよろしくお願いします。