マヤ新年の式典を終えて 〜 太陽マヤ族からのメッセージ

2015年7月26日に、マヤの新年「11MEN」を迎える式典が、朝10時から木の花の聖地宮ノ下広場で開催されました。

これは昨年7月26日、木の花ファミリーにて、メキシコの太陽マヤ族の2014年の新年である「10OC」を祝う祭典を共に行うご縁をいただいたことから始まりました。太陽マヤ族最高司祭である尊母ナー・キン氏が「富士山は世界の中でも最も高い次元のために開かれたスペースであり、宇宙の中心とのコミュニケーションが図られる場」とのインスピレーションを得たことにより、ナー・キン氏を始めとする太陽マヤ族の方々が昨年、木の花ファミリーを訪れ、木の花の宮ノ下広場にて両国の伝統が融合した盛大な祭典が開催されたのでした。

2014年のマヤの祭典より
2014年のマヤの祭典より

同時に、木の花と富士山を挟んで反対側に位置する不二阿祖山太神宮、そしてこの祭典に賛同する日本各地の方々からも富士山へ向かって祈りが捧げられ、その祈りが大きな力となって、富士山をアンテナとして世界へ愛のエネルギーが発信されたのです。

尊母ナー・キン氏による今年の式典は、北イタリアのドロミティ山で行われました。木の花ファミリーも招かれましたが、わたしたちは精神的に共に祝うことにしたのです。そして昨年の祭典のエネルギーを引き継ぐものとして、地の土、そして空気(神)を代表する蜂蜜をお送りくださいということで、7月初旬にイギリスの会議に出張したみちよと同じくその会議に参加していたイタリアのコミュニティ「ダマヌール」のマカコさんを通して、宮ノ下広場の土と木の花ファミリーの蜂蜜が、ナー・キンさんに手渡されました。

そしてわたしたちは、世界中にいる友人たちに、この式典にエネルギー参加することで地球全体に祈りの波を起こそうと呼びかけました。そうすることで、この日一日中、地球は光のウェーブで包まれます。

日本を始め、オーストラリア、バヌアツ、中国、韓国、インド、ブータン、イスラエル、エストニア、イギリス、アイルランド、アメリカ、タイ、イタリアからの参加表明がありました。このエネルギーは確かにわたしたち、そして尊母ナー・キン氏を通して宇宙に伝わるでしょう。

この全世界的なマヤの新年の祭典へのエネルギー参加について、尊母ナー・キン氏のグループの方にお伝えしたところ、次のようなメッセージをいただきました。
 
★マヤ新年11MENを祝う祭典についての詳細はこちら
★昨年のマヤ新年のようすを、ブログ動画にて紹介しています。
 
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連絡をありがとう。第1日目の始めから、わたしたちは、皆さんが尊母ナーキン、そしてわたしたちと共にあることを感じていました。わたしたちは、富士山での素晴らしい日のことを良く話します。木の花ファミリーの愛はいつも私達の心の中にあり続けるでしょう。

わたしたちの旅はスイスのインターラーケンから始まりました。最初の式典は、アイガーという大きな山の向かいにあるメンヒ(ドイツ語で僧侶の意味)とユングフラウ(ドイツ語で処女・若い女性の意味)で行われました。

ダマヌールでは、尊母ナーキン、夫のアルベルトの同行した小グループが、称賛をもって迎え入れられました。そこで水晶の螺旋での瞑想を持つことを許可されました。この螺旋の中央に、木の花ファミリーからの土と蜂蜜を置きました。

次の場所はミラプリ(注:1978年にサイバー芸術家であり、音楽家、未来家のマイケル・モンテクロッサにより創立されたイタリアのコミュニティ)でした。ここではマザー、ミラ・アルファッサのエネルギーが基礎にあります。ここでも木の花の土と蜂蜜が、尊母ナーキンにより母なる大地にもたらされました。

とても大事な日、7月26日はドロミティにいました。それは、美しくあり続けていました。わたしたちは、すること全てに皆さんの存在をとても近くに感じました。11MENの黄金の鷲は今、母なる大地を満たしています。ドロミティでも、土と蜂蜜を捧げました。この日はとても強い日で、わたしたちの星を変容させるエネルギーに満ちており、宇宙において理にかなっています。

そして今は家に戻り、光のルールを伝えるための役割をしていきます。

地球における全ての愛と最善の全てを木の花ファミリーの皆様へ
 
アルムット・ヤッブ
翻訳:アイーシャ・コルテ(マヤ語でふくろうの意味)
アルムットの娘で、本当に、本当に、本当に木の花ファミリーに会いたいと思っています 🙂
 

ドロミティでの祭典より
ドロミティでの祭典より

高次元の意識、叡智を意味するイヌワシの前に立つ尊母ナー・キン氏
高次元の意識、叡智を意味するイヌワシの前に立つ尊母ナー・キン氏

 

(以下、英語原文)

Dear Michiyo,

I thank you very much for your mail. Starting at the first day we felt you were there along with us and Venerable Abuela Nah Kin. We talked a lot about this beautiful day at the Monte Fuji San. The love of the Konohana Family will always be in our hearts.
Our journey began in Switzerland in Interlaken. The first ceremony took place opposite the big mountains “Eiger”, “Mönch (which means monk in German”) and “Jungfrau” (meaning virgin).
In Damanhur we – Venerable Abuela Nah Kin, Maestro Alberto and the small group of people accompanying them – have been honored very much. And so we were accorded the honour of holding a meditation with the crystal spiral. In the center of this spiral now lie the soil and the honey of the Konohana Family.
The next place was Mirapuri. Here the energy of Mother Mira Alfassa is rooted. Here also soil and honey were given to Mother Earth by Venerable Abuela Nah Kin.
The big day, the 26th of July, was then in the Dolomits. It had been beautiful. We felt your presence very near, in everything we did. The golden Eagle-Energy of 11 Men now fulfills our Mother Earth. In the Dolomits lie soil and honey as well. It were strong days, full of energy, which transformed our planet, so that it’s sensible in the universum. Now we’re home again and called upon to pass on the light-codes.

With all love on earth and all the best to you and the Konohana Family,

Almut Ya’ab
Translation: Aisha Kulte [Mayan for “owl”] – (daughter from Almut, who really, really really wants to meet the community of Konohana 🙂

 

 


新たな時代を迎えるために 〜 GENタイ代表モンといさどんとの対話

今年6月、GEN(グローバル・エコビレッジ・ネットワーク)のタイ代表であるナルモン・パイブーンシッティクンさん(以下、モン)が木の花ファミリーを訪れました。

一つ前の記事「木の花ファミリーに滞在して 〜 批判やゴシップについて思うこと」にもあります通り、木の花ファミリーは事実を歪めた情報によって国内の一部のエコビレッジ関係者からバッシングを受け、中には歪んだ情報を英語にして発信しているインターネット上のサイトもあります。これらの批判を機に、木の花ファミリーでは創立の礎となった菩薩の里 ―――― 人々が心からつながり、助けあい、他者の喜びを自らの喜びとして生きる場 ―――― の精神に今一度立ち返り、GENの理事およびアジア・オセアニア地区代表を務めていたみちよちゃんが自主的に役職を退く等、物理的なエコビレッジ活動から距離を置くこととなりました。

しかし、創立から21年間ずっと続いている精神に、何ら変わるものはありません。
以下は、6月16日にモンといさどんとの間でなされた対話です。今という時代にこの星の上で私たちに与えられた役割を果たすため、これらの批判についての私たちの見解をお伝えすると共に、全ての方々にとって大切なメッセージとして、この対話をシェアさせていただきます。
 
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いさどん:
これまで、エコビレッジという概念に価値を置く人々がいました。こうした人々はこの概念に執着する傾向があります。本来、エコビレッジとは自然と調和し地球に優しい生き方をする人々の集いなのです。ですから、特定の人々が示す生き方のためにエコビレッジはあるのではなく、すべての人類が目覚め、目指すべき方向がエコビレッジのあり方なのでしょう。

今までエコビレッジは一部の人々の特別な暮らしということで認識されてきましたが、これからの時代は人類の歩みとしてこの概念を捉えていく必要があります。そういった意味で、エコビレッジ活動に関わる皆さんは門戸を広げる必要があるのです。自然界に豊かな生態系が存在するように、人々も多様な国家・文化・歴史を持ち、そうした違いを超えて共有していくことが求められています。今、時代は、イデオロギーの違いによる対立に終止符を打とうとしているのです。しかしながら、宗教の違いや貧富の差により、世界中の人々はまだ地球共同体という認識を持っていません。

例えば、ノーベル平和賞を受賞した少女がいますが、わたしは彼女の存在が世界に平和をもたらすとは思いません。彼女は対立構造の一方の側の人々に利用されているように観えます。それと同様に、ISの存在を悪とみなし、彼らを倒すだけで問題が解決するとは思えないのです。ですから、エコビレッジ活動に関わってきた人々は自らの視点を広げ、社会運動としてこの価値をつなげていくことが必要なのです。

モン:
日本においてエコビレッジのネットワークが切れた状況を考えますと、あなたがおっしゃることに全く共感します。しかし、そこからわたしたちは学ぶ必要があるのです。「わたしたち」というのは、日本だけではなく、タイや他国のネットワークも含めたわたしたち自身のことです。それと同時に、木の花ファミリーのようなコミュニティが批判によってエコビレッジのネットワークから外れたことに対し、わたしは戸惑いを感じ、何かしなければと考えています。

大きな視点から捉えると、タイや他の東南アジアの国々は物質的に貧しいだけでなく、精神性も貧しいという見解について話し合いたいと思っています。また、こうした国々の姿勢は良いものではないのです。あなたは姿勢の転換を重要視しています。そこで、どのような提案をわたしにしていただけますか?

いさどん:
物理的な貧しさから脱却するために、近年、ほとんどの人々はアメリカ主導型の豊かさの探求に追随してきました。しかし、本来人間は精神的な生きものであり、精神的に不安定な状態で物だけを与えられたら、色々な矛盾が発生するのは至極当然のことです。人々が物質的な豊かさを求めれば求めるほど、今の人間社会の構造では一部のところに物理的豊かさが集中するのです。

ですから、ひとりひとりが一方通行の価値観へ向かうのではなく、それぞれの個性を生かして、個性を尊重し合い、そしてネットワークの中で豊かさを追求する自立した状態が必要です。わたしたちは地球という一つの生命体に存在しているのですから、現時点での目的はワンネスを意識することであり、その目的を果たすためには皆が互いにつながり合うことが大切です。そのためにはわたしたちの世界観を広げる必要があります。それは、特定の価値観に囚われていては、可能ではありません。なぜなら、わたしたちが存在しているこの世界は、常に変化・変容を繰り返している世界だからです。さらに、平和や幸せ、豊かさについてどの意識レベルで捉えているかを見直す必要があります。そういった意味では、最初にお伝えしましたように、これまでエコビレッジを推進してきた人たちは、エコビレッジに対する自らの視点によって限定されているように観えるのです。

木の花ファミリー創立当初、わたしたちは「エコビレッジ」という言葉を全く知りませんでした。このコミュニティはわたしの霊的な体験とともに始まったのです。また、木の花ファミリーの歩みは地球に優しい生き方を追求していった結果でもあります。そして、エコビレッジを広げようとする人たちが木の花ファミリーのメンバーになって、わたしたちはエコビレッジとして知られるようになりました。今現在、木の花ファミリーはエコビレッジという枠から意図的に外れていますが、事実として、ここはエコビレッジとしてもっともふさわしいモデルであり、その最たるものが精神性なのです。

今なお一般社会は、富を追求することを優先しています。この流れは、地球上で最後の物理的進化のフロンティアであるアフリカ以外は、すべて行き詰まりを迎えることでしょう。そしてアフリカではこれから物質的な価値観が繁栄し、それがピークに達したときに、地球上での矛盾もピークに達するでしょう。その予感を感じられる今、時代の流れは明らかに切り替え時に来ているのです。

宇宙的視点からすると、250年前に起きた産業革命以降、冥王星は一周しました。ですから、戦略的に社会を変えていこうと志を持つことは時代の流れに乗っていることですし、それとコラボしていくことは大切なことです。しかし一方で、時代が変化していくときに戦略的になる必要はないのです。これからは物質的な豊かさを探求すればするほど、地球はすでに過剰な負担をかけられていますから、その行為に対して常に矛盾という形でわたしたちにその意志を伝えてくるでしょう。今、物質的な豊かさと霊的な豊かさのバランスが崩れていますので、物質的探求を続けてきたわたしたちが切り替わるしか選択肢はないのです。そこで、わたしたちがすべきことは、遺産として次の世代へつなぐビジョンを明確にすることです。

先程あなたから、木の花ファミリーに対する批判についての話がありました。今回の批判を受けるずっと以前から、わたしたちはエコビレッジ関連の組織に入り続けるべきなのかどうかについて考え、皆で話し合ってきました。なぜなら、国内でエコビレッジを推進する学びの場は多くもたれてきましたが、その多くはコミュニティを立ち上げることすら叶わなかったのです。そこではビジョンに現実味がなかったり、コミュニティを持続させるにふさわしい精神性に乏しかったり、またエコビレッジに対するイメージだけで関わってきたことが原因になっているのです。彼らの中には、ヨーロッパやアメリカのエコビレッジを訪問した際の体験やどこかで得た情報のみで、エコビレッジのイメージを創り上げる傾向があります。それに対して、わたしたちはエコビレッジという概念に倣ったわけではありませんが、地球に優しい生き方を模索してきた中で、コミュニティの変遷の現場を歩んできたのです。

すべてのものに過渡期があるように、ある段階でわたしたちは社会に適応できない人々の受け皿になっていました。そうした人たちは一般社会で自らを健全に保つことが出来ず、その多くは人間関係において不安定であり、希望を失って、新たな社会的価値観を求める傾向があり、このコミュニティに集ってきました。わたしたちにとってそれはまるで、リハビリプロジェクトのようなものでした。そのようなプロセスの中で、コミュニティを運営するために取られた学びと措置の善意を逆恨みする人たちがいました。しかし、その当時も今も、その人たちに対する愛と、社会を健全にしようとする情熱はわたしたちの中で不変なのです。

また、わたしたちの世界観と、彼らが求めている幸せや世界観にギャップがあることが発覚してきました。そういった過程で様々な人々が集いながらも、木の花ファミリーは一つのコミュニティとして運営され、維持していくことが求められたのです。そのような模索の中で、木の花ファミリーは精神性の高いコミュニティとして確立されましたが、その道が進むほど、その方向性から自然に外れていく人たちが出てきました。

古橋道代がGENやGENOA、Gaia Educationの役員をしているときに、そこでなされた議論の内容を聞き、エコビレッジ活動に関わる人々の世界観に失望するところがありました。そのような見解からすると、木の花ファミリーを離れた人たちとも、同じテーブルに着いて語り合えば、今回のような出来事が自分たちの未熟さから発生したことを彼らは真に理解するでしょう。

なぜそのように言えるのかというと、彼らがここを離れ、木の花ファミリーが批判を受けた後でも、事実、ここはたいへん安定した状態にあるからです。 あなたもここに滞在することにより、それを感じていることでしょう。しかし、ここを離れて行った人たちは自分たちを正当化したいがために、事実の多くを捻じ曲げ、架空の物語を創り上げ、わたしたちを批判し始めました。日本において木の花ファミリー以外に、エコビレッジらしいコミュニティは他にありません。さらに、ここは世界的にもたいへん貴重な場所だと思っています。

ところが、共同生活を一度も実践したことがないにも関わらず、エコビレッジのイメージを創っている人たちがいます。ある意味、そういった人たちにとって、木の花ファミリーが日本におけるエコビレッジの代表事例としてみなされていることは好ましいことではありませんでした。そうした人たちの釈然としない想いとここを離れた人たちの不満が合わさり、わたしたちをたいへん激しく批判するに至りました。しかし、今回の一連の出来事を通じ、木の花ファミリーメンバー間の絆は深まり、わたしたちの世界観はさらに広がりました。

事実、彼らが一生懸命取り組んでいることは、エコビレッジの事例としての木の花ファミリーをなくし、忌まわしい団体として貶めることなのです。エコビレッジの定義を広げ、その基準を超えようと考えているわたしたちからすると、このことは問題ではありません。ですから、エコビレッジを推進する人たちの言葉を借りれば、エコビレッジのネットワークとは多様な形で個性を尊重するということなのですから、「エコビレッジ」の定義や意図を考えると、木の花ファミリーのような確立されたコミュニティがそのネットワークから外れることは不自然なことです。

何よりも、21世紀に人類がどのように進んでいくべきかの回答がここにあります。産業革命以降250年間続いた物質至上主義の価値観が転換する時代が訪れているのです。右肩上がりの成長と引き換えに、人々は地球に負荷をかけ、豊かさを追求してきました。しかし、真実として、宇宙は拡大と収縮を繰り返しています。そして今まさに拡大が終わり、その真実を求めるためにそぎ落とし収縮する段階に入ってきています。必要なものと不必要なものを仕分けし、不必要なものをそぎ落としていく時代なのです。そうすると、これ以上物理的にも精神的にも不必要な負荷がかからなくなり、本当に必要なものだけが残るのです。これからは、物質的な発展はわたしたちの積極的な意志により縮小していくべきなのです。その代わりにわたしたちが拡大させる必要があるものは、精神性に基づく世界観です。世界観を広げていくことによって、人間としての新たな可能性を開花させ、愛や調和にあふれた世界を創ることが出来るのです。

木の花ファミリーのメンバーは精神性を最も大切にしながら、不要なものをそぎ落とし、日常生活の中で真実に目覚めようと努めています。もしあなたがただ自分自身の願いを叶えたいと想うなら、コミュニティで生活することは不可能でしょう。実際、特定の人々が共同体で暮らしているのではなく、わたしたち人類は皆、「地球共同体」に暮らしているのです。それは、人類の地球共同体どころか、地球生態系の共同体でもあります。さらにわたしたちの意識が広がっていけば、それは太陽系共同体であり、銀河共同体であり、大宇宙共同体でもあるのです。

ですから今、地球共同体を運営していくためには、人類は自らのエゴと直面することが不可欠です。そしていつか、わたしたちが宇宙的視点に立ったときに、どのように太陽系、銀河、宇宙を運営していくのかを考える時代が訪れるのです。人類が地球を一つの生命体だと気付き、そうした認識とともに生きていくことの歴史的転換点を今、わたしたちは迎えているのです。

批判によると、木の花ファミリーには問題のある性的行為や暴力があるとされています。それは、彼らの意識レベルで物事を見て、その人たちの感情が反応すると、それを事実として捉えることができます。しかし、すべての出来事には長い物語があり、それは継続しているプロセスの一部なのです。わたしたちを批判する人たちは、物事を部分的に切り取って、自らのフィルターを通して事実を歪めている傾向があります。しかも、そのような批判は、自らのエゴと向き合いきれず、精神性を高めることを断念した元メンバーが自分たちを正当化したいがために訴えたことのみを情報源としています。ですから、この状況を改善するためにわたしたちが次に何をすべきなのかという提案を一切しないのです。なぜなら、ただ批判することが彼らの目的だからです。それとは対照的に、木の花ファミリーにはこうした出来事すべてを経験した結果、より高いビジョンがあります。その現実化のために、今も粛々と日々の中でその探求が進められています。ですから、自分自身のエゴに向き合うことができなかった不調和なメンバーがここを離れていった結果、メンバー間の絆はより強くなり、ここはより精度が高くさらに開かれた場になりました。

あなたは今回それほど長い期間ではありませんが、ここに滞在するために訪れました。もしあなたがこのコミュニティのエネルギーを感じるならば、わたしたちが一切の秘密を持っていないことに気付くでしょう。もしあなたが1ヶ月でも1年でもここに暮らしたら、それはとても明解にわかることです。鋭い人であれば、ここを一目見ただけで今回のような批判が真実ではないことを瞬時に感じ取ることでしょう。

道代:
彼女はここに来てすぐに、木の花ファミリーは批判されているような出来事が起こる場ではないと気付いた、と今朝わたしが彼女と話していたときに言っていました。

モン:
ひとつ質問があります。わたしたちは何をすべきなのでしょうか。この状況をただ放っておけばいいのでしょうか。それとも改善するために、GENのような国際レベルで、またはGENOAのような地域レベルで、もしくはわたし個人のレベルなど異なるレベルで、何かわたしにできることはあるのでしょうか。

いさどん:
わたしたちの見解からすると、批判する人たちには明らかに事実を捻じ曲げフィクションを創り上げることによって、わたしたちの存在を否定しようとする意図があります。彼らはとても賢く、多大なるエネルギーを注ぎ、批判することに情熱的になっているので、そこに惑わされる人もいると思います。それは時代が新たな方向へ移行しようとするときに、抵抗する力のようなものだと捉えています。しかし、時代は確実に前にしか進みません。ですから、彼らがしてきたことは時代に逆行しているのですから、霊的には罪を犯していることになるのです。わたしはそのことに対して彼らを非難するつもりはありません。彼らの意識レベルからすると、批判することを大事だと思っており、そのことによって自分たちの価値を下げていることがわからないのです。

大切なことは、時代は新たな方向へ時を紡いでいく役割をわたしたちに与えていることに気付くことです。それは、天体の動き、人類の歴史、文明の周期といった様々な視点から、新たな時代に劇的な変化をもたらす大いなるターニングポイントを今、わたしたちが迎えていることが立証されてきているのです。変化を求める動きは、それに対する抵抗に常に出会うものです。もしわたしたちがその抵抗に対して何もしなければ、こうした変化を拒否していることにもなります。ですから、時代が変わることを感じ、その真意を理解できる者は、これを何とかしようとするのです。批判を支持するどころか、それを超えて新たに木の花ファミリーを支援する人たちが今、多く現れてきています。あなたの中にもそのような感受性があるから、それを感じられたのでしょう。不調和が批判する人たちの特徴なので、共通した敵がいれば団結し、一見調和しているように見えます。しかし、彼ら自身の中に人を批判して自らを正当化する種があるのですから、その調和を保ち続けることは不可能なのです。ですから、そうした自分自身の価値を下げていくような活動がいずれ消滅することは確かです。そして、それは時代が示してくれるのでしょう。

それでは、わたしたちが新たな時代に移行していくことを感じる人たちは、何をしたらいいのでしょうか。それは常に真実を語ることであり、わたしたちと同じ立場なのです。わたしたちは木の花ファミリーという存在を所有していません。新たな時代に向けての一つの雛形として、わたしたちはこのようなライフスタイルを実践してきました。ですから、人々が地球共同体に暮らしていることに目覚め、時代が新たなステージに移行すれば、わたしたちの目的は達成されるのです。そのような共通した目的を持っている人たちは、エコビレッジ活動に関わっている人も、そうでない人も、あなた自身も皆いずれ、その立場に立つべきだと思うのです。エコビレッジという枠が壊れ、広がる時が訪れています。わたしたちを批判する人たちはたいへん熱心なので、日本語だけではなく英語でも発信をしています。それは、わたしが伝えていることの問題提起をするチャンスでもあります。そのことにより、真実は何であるのか、そしてこれからの時代に何が求められるべきなのかが立証されるのだと考えています。

もしあなたがタイのことだけではなく、人類の未来をわたしたちと同じように考えているのだとしたら、それはあなたのための活動として、真実を伝えていくことが大切です。それは、この世界の仕組みに気付き、時代の流れを感じた人たちの使命なのです。

時代は、とてもダイナミックで、魅力的な時を刻んできました。そして、そういった価値観を支えるわたしたちの思考も、その確信のもとに歩んできたのです。しかし、全てのものは満つれば欠ける世の習いのごとく、過ぎたればそれを修正する段階に入るのです。ですから、わたしたちが今取るべき行動は、自らの根本的な振り返りと新たな時代を迎えるための自我のコントロールです。それは、今までの価値観とは全く逆さまのようなものにも捉えられますが、時代に心を向けて感じられれば、そのことの大切さは明解にわかるものです。そして、新たな時代を迎えようとするために出来事が矛盾を持ってそれを示し、人々は今、そのことに気付き始めているのです。わたしたちに出来ることは、そのネットワークの中に自らがいることを常に意識して生きることなのではないでしょうか。
 

150726-114010
 
 
 
 


エコビレッジ・サミットへの寄付を募集しています!

世界的なエコビレッジのネットワーク組織であるグローバル・エコビレッジ・ネットワーク(GEN)は活動を始めて今年で20年になりました。そこで、更なる持続可能な暮らしを広めていくために、世界各国から社会に変化を起こすために活動している人々が、この7月にスコットランドのフィンドホーンに集まります。世界の多様な事例を共有し、学び合い、それを更に広く共有していくために100名ほどの献身的に活動をしているGENの関係者を招聘します。

世界各国から集うGENのメンバーたち
世界各国から集うGENのメンバーたち

そのために、現在みなさまからの寄付をお願いしています。目標額は$100,000 (約1200万円)です。5月10日現在、目標額の19%が集まっていますが、この集まりを行うのに十分ではありません。是非、みなさまからのご理解とご協力をお願い致します。(5月30日が受付締切りとなります。)

ご寄付をいただける方は、次のリンクよりお願い致します。
donate.ecovillage.org/gen20

ご寄付は、インターネット上(ペイパル)で簡単に行っていただくことができます。画面下欄の入力欄にお名前などを入力し、案内(英語)に従ってお進みください。
 
DSCF5288下記サイトにて、GEN+20の主な参加者のプロフィールをご覧いただけます。(英語)
http://gen.ecovillage.org/node/5316/

木の花ファミリーのメンバーであり、2002年より日本のエコビレッジ活動に献身的にかかわり、2009年~2014年までの5年間にわたり、GENの国際役員を務めてきたみちよちゃんも、これまでの功績により招聘されています。

以下、みちよちゃんからのメッセージです。

gen20-bio-michiyo_furuhashi_photo「アフリカのセネガルでは、エコビレッジ省ができ、政府のサポートも得ながら持続可能なコミュニティ作りに励んでいます。その背景には、GENの大きなバックアップがあります。
また、バングラディッシュでは、42の既存コミュニティをエコビレッジ化する取り組みがこの5年ほど行われています。GENそして、ガイア・エデュケーション(GENの姉妹組織)の人的、財政的サポートを得て、住民たちの意識、村の安全性の向上、そして自立した安全な食の生産や農作物の販売による経済的な安定などが得られるようになってきています。海抜の低い国なので、気候変動の影響も得やすいのですが、自然災害に対する対応などの取り組みもここでは行われています。
GENアフリカの役員を務める南アフリカ在住のルアは、母国コンゴが内戦で劣悪な状況に陥り、女性や子どもたちが悲惨な想いをしているのを目の当たりにしてきました。「既存の価値観ではなく、善に基づいた価値観をベースにした生き方があるはず」と模索していく中でGENに出会い、GENの支援の下、「命の川」という女性たちを勇気付けるプロジェクトを始めました。
こうした取り組みはどれも、個人で出来るものではなく、GENのネットーワークにおいて、状況報告や情報交換、そしてそこに関わる個々の熱意とつながり作りによって成し得たものなのです。
現在の地球の状況を鑑みたときに、悲壮感に打ちひしがれる代わりに、持続可能な明るい未来に意識を向け、仲間たちとともに実践し、歩んでいく。GENはそんな取り組みをしています。
今回の会議は、そんなGENの創立から20年間の歩みを振り返り、そしてこれからの持続可能で調和な世の中作りに向けて、人と人とがつながり、情報や想いが共有される場となります。
暗いニュースばかり続く昨今ですが、この明るい未来を見据えた取り組みに、どうぞみなさまからの応援をお願いします。」
 

また、この歴史的なイベントに参加を希望される方へ朗報です!
まだ席が残っていますので、興味をお持ちの方は、以下のリンク(英語)からお申し込みください。
www.findhorn.org/gen+20
 

ご不明な点などありましたら、下記までどうぞお気軽にご連絡ください。
連絡先:intl[at]konohana-family.org
    [at]を@に変えて送信してください。
 
 


東洋の叡智が花開く時代 〜 雑誌「世界建築」より

昨年末、中国の清華大学と「エコシティとグリーンビルディング(環境に配慮した建築)」編集局によって主催された日本視察ツアーにて、25名の専門家の方々が木の花ファミリーを訪れました。
最先端のデザインや技術を学ぶツアーの最終日に木の花へやって来たみなさんは、2日間の滞在を通して「どんなに立派な建築を建てることよりも、大切なのはそこに暮らす人々の“心”だということを知った」と語り、帰国後も感動のメールが寄せられたり、報告会の様子を教えてくれるなどの交流が生まれたのでした。

日本視察ツアー参加者の皆さんと
言葉の壁を超えて心がつながったウェルカムコンサートにて

*感動のウェルカムコンサートの動画を、こちらからご覧いただくことができます。

そんな中、中国、香港、台湾で発行される『World Architecture(世界建築)』という雑誌に木の花ファミリーについての記事を掲載したいとの依頼があり、ようこちゃんが英語で記事を執筆しました。
先方の事情により、雑誌には一部を省略した形での掲載となりましたが、以下にその全文の日本語訳をご紹介します!(英語と中国語はこちらのページをご覧ください。)
  
■     ■     ■
  
今から約10年前、ある中国人女性が日本の富士山麓にある木の花ファミリーを訪れ、興奮しながらこう言いました。「私は中学校で理想の共産主義について学びました。それ以来、私はそのような世界を夢見てきましたが、実際に出会うことはありませんでした。しかし今日、共産主義の中国から資本主義の日本を訪れ、資本主義の日本に存在するここ木の花ファミリーでとうとう理想の共産主義に出会ったのです!」

1981年以降、創設者・古田偉佐美はインスピレーションを受け、様々な社会問題について相談に乗るようになりました。ほとんどの人は自らの問題が解決されると離れていきました。しかし、私たちの心やこの世界の仕組みに興味を持ち始めた人々が集うようになり、心の勉強会が形成されました。そのうちの多くの人は創立メンバーとなりました。また、彼は人間の営みが美しい地球を傷つけてきたことから、自然や地球上のすべての生命と調和して暮らすことが重要だと気付いたのです。

1992年、世界の天教山である富士山の頂上にて、彼はインスピレーションを得ました。「あなたが天から学び会得したその心、日の本の国全体に説きなさい。」日の本の国とは日出ずる国・日本だけではなく、世界全体のことです。地球上のすべての生命は、一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。富士山をアンテナとしてこの一つの精神を世界全体に発信するために、1994年、20名のメンバーが木の花農園を創立し、その後木の花ファミリーと改称しました。「木の花」という名は富士山の主神「コノハナサクヤヒメノミコト」に由来しています。

コミュニティ発展のプロセスは決して簡単ではありませんでした。現代社会の人々は自らの意志のみで生き、自らの欲望を満たそうとし、それを幸せだと考えてきました。しかし、真の意味で、個人の幸せは家族の幸せ、国家の幸せ、人類の幸せ、そして地球の幸せと一致すべきなのです。また、現代の人々は自らの心を含めた所有物を共有する心構えができておらず、それは創立メンバーにも言えることでした。そうした状況を克服するためには、人間のエゴを超え、広い世界観を持つことが必要です。そのために創立以来木の花ファミリーが最も大切にしてきたことは心を磨くことです。宇宙を生きるとは、果てしない進化・成長・変化の道を歩むことです。メンバーのひとりひとりは日常生活の中で自らを観察し真剣に向き合うことで自我を超えようと努めてきました。

現在、私たちは血縁を超えた80名のメンバーとゲストを合わせた100名近い人々が一つの大家族としてつながり、互いに助け合う共有性の高いコミュニティを確立しました。私たちに蜜蜂の飼い方を教えてくれたある養蜂家はこう言いました。「木の花ファミリーの生活はまさに蜜蜂社会のようですね!」それは個が自己主張せず、一生に渡って全体のために存在する世界です。その後、マルクスは蜜蜂のコミュニティに興味を持っていたことを聞き、共産主義のもとになる原始共産主義の精神は蜜蜂の理想社会から来たのではないかと想いを馳せました。

地球上の生命が変化し進化し続けるように、木の花ファミリーは20年に渡って驚くほど変化し進化してきました。私たちのライフスタイルはもはや環境に優しく社会的に持続可能なだけではなく、従来のエコビレッジの概念を超えています。私たちは、前代未聞の私たちのライフスタイルに対して「天然循環法」というオリジナルの言葉を作りました。これは約13000年前に日本に存在していたカタカムナ文明の宇宙物理学がベースとなっています。カタカムナの80あるウタイは宇宙の発生・発展・消滅を48音の響きで表現しています。カタカムナ人の最大の特徴は、全ては響きでできていることを理解し、直観とともにコミュニティの中で暮らしていたことです。

天然循環法は、農・食・経済・社会関係・教育・子育て・環境・芸術・医療と私たちの日常生活におけるすべての分野に反映されています。木の花ファミリーは農的共同体であり、カタカムナ的視点から農という漢字を見てみると、欲望を満たしお金をもうけようとする人間の歪んだ想いによって元の生命力を曲げることを意味します。ですから、農は本来の自然の姿ではないのです。

天然循環法を発展させるまで、私たちは農薬や化学肥料を使わない有機農業を実践してきました。畑で鶏糞を用いるため鶏を飼い始め、堆肥の発酵・作物への葉面散布・家畜への餌や飲み水に用いるためEM(有用微生物群)をベースにしたオリジナルの木の花菌を培養し始めました。その結果、悪臭のない健全な環境を実現し、安全な作物を生産できるようになりました。しかし、低い生産量や病気予防の点で、この栽培方法は私たちの理想からはほど遠いものでした。その後、ある自然農法研究センターとのつながりや緑肥・炭素資材・ワカメ等の使用を通して、私たちの農法は着実に発展していったのです。信じられないかもしれませんが、現在私たちの食料自給率は1000%です!それは、私たちが実際に消費する10倍の量を生産しているということです。そして2013年、とうとう私たちはカタカムナとの運命の出会いを果たし、宇宙の仕組みの奥を理解するようになりました。

私たちは天然循環法を通して、潜象界からの元の宇宙の響きを畑(現象界)に響かせ、作物を育てることを通して宇宙の仕組みを学んでいます。その結果、生命力あふれる美しい作物をいただくことができるのです。私たちは畑のみならず、すべてのものが美しく生き生きと活性するよう、料理、味噌・醤油作り、掃除、子育て、養蜂や養鶏、オフィスでの仕事、コミュニティミーティングの前に意識合わせをするときなど、日常生活の至るところで元の宇宙の響きを響かせています。人々が日々の中で心を磨き、宇宙の仕組み―潜象界と現象界で成り立つ宇宙全体の中ですべてのものは螺旋を描き循環する仕組み―を理解して初めて、元の響きを感受する直観が人の意識の中に開花されます。カタカムナとの出会いを通して、私たちは心を磨くことがこの世界のすべてのベースであることに気付き、精神性を最優先にする私たちの生き方の重要性を確信しました。

中国人女性が木の花ファミリーで理想の共産主義に出会ったとき、私たちは彼女にこう伝えました。「私たちのコミュニティは共産主義の精神から確立されたものではありません。これは宇宙の星々の関係や地球生態系の姿・私たち人間の体の構造を日常生活の中に表現した世界なのです。そして、これこそが全人類が最終的に到達するすべての宗教やイデオロギーを超えた理想世界なのです。」

私たちは21世紀を迎え、地球規模で社会・環境・経済・心の面で多くの困難に直面しています。人間の求める幸せの結果、人間の営みは地球に何をもたらしてきたのでしょうか。地球上の問題を引き起こしてきたのは人の心です。どんなに高度なテクノロジーを発展させ、どんなに優れた建築物を建てたとしても、人の心次第でそれは有益にも有害にもなるのです。

私たちは宇宙を旅する地球という星の上に生きています。そして、私たちは一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。なによりも私たちは時代を共有して生きています。つまり、私たちは一つのいのちの兄弟であり、天然循環の中で地球という一つのいのちの一部を担っているのです。このように、私たちは人智をはるかに超えた大いなる宇宙の仕組みの元に生かされています。

これはホリスティックな視点である東洋の叡智であり、カタカムナ的世界観です。カタカムナ文明がアジアに渡ったとき、日本列島はまだアジア大陸とつながっていました。そして、カタカムナは中国を通ってインドへと渡り、インドで仏教として発展した後、中国で道教が加わり、そしてまた日本へ返ってきました。つまり、カタカムナと木の花ファミリーの共同体の精神は、すでに中国的共産主義の理想の中にあるのです。そのため、中国人女性は木の花ファミリーで理想の共産主義を感じ取ったのでしょう。

カタカムナは6000年間封印されていましたが、闇のピークである2012年12月21日の銀河の冬至とともに、今とうとうその封印が解かれました。それは時代が西洋の物質文明から東洋の精神文明へ移行したということです。「コノハナ」の「ハナ」は日本語で花を意味します。ここでの花は、桜(人の命の美しさ)、梅(健康の美しさ)、そして桃(桃源郷の美しさ)を表し、それらは日本・韓国・中国という国を代表する花でもあります。本来、私たちは兄弟の国なのです。ですから、私たちがまた一つにつながり、理想の東アジア圏を確立し、共に世界の見本となっていくことが大事なのです。日の本の国全体は、日本、中国、韓国、アジアから世界全体へと広がっていくのです。
21世紀は、東洋の叡智が世界で花開く時代です。

  
 


富士山の麓での75日間 〜 ファンちゃんの木の花ファミリー滞在記

先日このブログでも紹介した中国の美術教師ファンちゃんが書いたブログを、現在木の花ファミリーに滞在中のはすみちゃんが日本語に訳してくれました。

ファンちゃん
ファンちゃん

以下、ブログの全文をご紹介します。
中国語の原文、または英訳をご覧になりたい方は、下記のファンちゃんのサイトをご覧ください。
ファンちゃんのサイト
  
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富士山の麓での75日間
  
幸運なことに、成都芸術学校校長と学生たちとその父兄のみなさんから休暇の許可、そして木の花ファミリーからビザの支援を含むさまざまなサポートをいただいて、こんな長い期間木の花ファミリーのみなさんと一緒に生活することができた。

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これは私が出発する前に描いた絵。その時はこれからいったい何を体験し何を学ぶのかわからなかったけど、心の中にひとつだけわかっていたことがあった。それは、天がこのチャンスをくれたということ。そしてこのことはいろんな方々のサポートがあって初めて実現したんだから、それを忘れてはいけない、そのご好意を無にすることがあってはならない、初心を忘れずにこの75日間をちゃんと大切にしなきゃいけないと思った。

この日々の中で、私はたくさんの経験をした。そしてまた心の中に確かな変化が起きた。
私はこの過程をシェアすることで、読んでいるみなさんにヒントや啓発を提供できたらいいなと思う。感じたことや心の変化の過程をできるだけ思い出し描写して、私がどんな日々を体験したのかゆっくりみなさんにお伝えしたい。ひとつの同じストーリを見ても、ひとりひとり見るところや得るところは違うかもしれない。
 

富士山の麓ではたらく
富士山の麓ではたらく

 
今年の初め、私はネット上でひとりの友人と知り合った。その人を通して私は富士山の麓で暮らす木の花ファミリーを知ることになった。
当初知っていたのは、木の花ファミリーは自然と調和し共生するという理念の元、持続可能なライフスタイルで暮らしているコミュニティーで、100人近い人たちが生活も仕事も共にして、収入もその他の物も分け合っているということ。さらに彼らは自然な農法で自給自足していて、自然療法プログラムというもので心身の疾患に悩む人たちを助けているということだった。
(以下の文章を書いた方にたいへん感謝しています。彼女のおかげで木の花ファミリーについての最初の印象をもつことができました。)
http://www.newsmarket.com.tw/blog/21444/

それから木の花ファミリーのホームページを見てみると、「菩薩の里」という文字に目がとまった。この言葉はここに暮らす人たちの精神性を表現しているんだなと思った。ホームページを読んで木の花ファミリーの理念の様々な面に共感したし、さきほど書いた友人の提案もあって、私はここに行って実際の生活を体験してみることにした。
木の花ファミリーのメンバーの方々は日本語が話せない私たちを受け入れるという前例にないことをしてくださり、ビザを取得する際にもたいへん大きな助けをしてくださった。心から感謝している。そうして、ついに5月19日の午後、東京からバスに乗って木の花ファミリーに到着した。
 
 
新たにつながる/ Reconnection

到着した当日からヘルパーとしての仕事を始めた。配送センターに行ってきょうこちゃんが落花生を植えたりトマトの苗を移植したりするのを手伝った。私は自然とふれあうのが好きで、登山などのアウトドアに参加したこともあった。でも都市で育った私にとって、本当に種や苗や土とふれあったのはこれが初めてだった。
初めの頃は現実感みたいなものは持てなかった。手の中の落花生が土から芽を出し葉を広げていく様子が、実は想像できなかった。それはとても遠いことのような気がした。私はとても慎重に落花生の成長をさまたげないようにひやひやしながら作業をした。

それからもしばらくは心細かった。その時は種を土に埋めただけで他のことは何もしなかったので、「これでホントに芽が出るの?」って感じた。畑で落花生の苗の移植をしている時、この前私が撒いた種が芽を出し、今は10cmくらいの高さまでになってつやつやした葉を広げているとメンバーの人が知らせてくれた。それを聞いた時、心の中に急に喜びと、地に足がつくような落ち着いた感じが湧いてきた。大地と太陽につながったような気持ちになった。
 

最初の数日間に書いたノート
最初の数日間に書いたノート

 
それからこんなことがあった。ある日畑へにんにくを収穫に行く時、私は靴を持っていくのを忘れた。考えた末、靴下だけで作業することにした。
その日は暑く、土は少し湿っていて柔らかく、少し粘土質で、足を入れるととても気持ちがよかった。ふだんの生活を考えてみると、こんなふうに直接自分の足で大地を感じる機会はめったにない。土を踏みしめていると、土は厚く暖かかった。小さい頃はだしで遊んだ時以来、もうずいぶん長いことこんなふうに直接大地の暖かさと豊かさを感じたことはなかった。
それから夏に向けて気温がだんだん上がってくると、みんなもはだしになり始めた。ジャガイモを掘り出す時、みんなはだしで作業した。とてもウキウキして楽しかった。(みんな、大地の中からエネルギーを感じると言う。)
 
靴下でにんにくの収穫
靴下でにんにくの収穫

  
こうちゃんは畑隊で仕事をしている農業歴20年のメンバーだ。こうちゃんは「いつどんな作物を収穫するべきか知ることができる」と言う。木の花のメンバーはいつもよく植物の成長や状況を観察していて、「この中にたくさんの情報が隠れている」と言う。経験ある農民は敏感にこれらの情報を感じとり、そして植物の状態に呼応して成長がさらに良くなるための適切な処置をできるそうだ。

こうちゃんは私にこう教えてくれた。
「植物たちと一緒に作業をする時、どんな技術を使うかはそんなに重要じゃない。いちばん大切なのは、一緒に成長するという信念なんだよ。」
農作物たちは、こうちゃんにとって子どものようなものだ。毎日彼らのことを想い、顔を見て、彼らのためになすべきことをする。こうちゃんは木の花ファミリーの中で、仕事を愛する人として有名だ。あだ名は「ぼろ雑巾」。つまり、テーブルを拭くあれのように疲れるまで仕事をするという意味。。^ ^。
 
こうちゃんはどうやって植物たちから見えない情報を受け取るんだろう。植物たちとの密接な関係をどうやって築いたんだろう。
私は小さい頃から聞きなれたことわざを思い出した。「天地人。天と地の間に人は立ち、大地に足を下ろし、頭は天空へ向く。」(*易の言葉。同じように植物も大地に根をはり、空へ向かって伸びる。こうして大地のエネルギーと天のエネルギーが流動する。天は陽で、地は陰。陰と陽の交わりである。人も同じ。)
これは世界の本来の運行方式だ。もちろん小さい頃から土から野菜や果物や穀類が生えることは知っていた。でもそれは私にとっては教科書の上から、他人の言葉や文字を通して私の大脳を経て吸収した「概念」だった。そう、私の脳はこの概念を知っていた。でも私の心や手足や体はいったいそれがどういうことなのか知っているわけではなかった。体が知る方法は、実際に一回一回見て触れて、ある程度の時間共に過ごすことによって感覚の経験を積み重ねていくものだ。
  

草取りについてのノート
草取りについてのノート

  
私は突然気づいてしまった。この長い人生の中でひとつの大切なつながりが断たれていたことを。自分が食べている食べ物がどんなふうにだんだんと成長するのかを知らなかった。大自然の偉大な創造がどのように現れてくるのかを知らなかった。このプロセスに参加したことがなかった。
現代人はスーパーや市場に行って、野菜や果物を買い、直接結果を得ることができる。このプロセスの中で、人が大地と日の光と雨露の一日一日の変化を感じる機会はない。そしてこの変化によって農作物たちの状態が変化することや、彼らが成長していくのにさまざまな困難を克服しなければならないことを、知ることはない。

直接買いものをするこのプロセスの中には、食べ物と金銭の関係しかない。人々の心が天地と農作物の関係につながることはない。だからありがたいと思ったりもったいないと思ったりする、食べ物を大切にする心を持ちにくい。
木の花ファミリーでは食事の前と後に感謝とお祈りをする。とても敬虔な時間だ。ある日畑に入り、ゴマのための除草をしたことがあった。その時ゴマはまだ低くて雑草もわりと多くて、しかも雑草はゴマに似ていた。慎重に見極めなければいけなかった。左側を見たら右、右側を見たらまた左と見ていたら、まもなく腰が痛くなった。それから私はいろんなふうに姿勢を変えつつあまり疲れないように気をつけた。心のなかで「楽じゃないな」と思った。その日のお昼ごはん、お茶碗の中の食べ物を見て、この背後にある数々の仕事と困難に思いが至り本当にありがたいと思った。

植物が大地に根を下ろさなかったら枯れてしまうのと同じように、大都市の人々は自然とのつながりを失い、程度はさまざまだけど心のバランスを失っている。人というのは、心地よい謳い文句やイメージで作られたいい雰囲気に心を奪われるもので、実際にやるべきことをおろそかにして、そこに酔いしれたりする。この心地よい物事も、植物と同じで大きくなる。このプロセスの背後には往々にしてたくさんの努力と苦労がある。都市の人々はたくさんの華やかな情報に囲まれ、仕事で疲労した感覚と心を絶えず刺激されている。つかの間に心を満たした後、さらに多くの欲望をかきたてられる。これら全てが大自然の豊かさと健康から人々を遠ざけていく。
 

ある日、茄子の苗の間引きの仕事をした。その時は30~40cmくらいで茎も細かった。二週間ほど経った頃、その畑の前を通りかかって、驚いた。茄子はもう人の半分くらいの高さにまで成長し、茎も太く強そうになっていた。植物の成長がこんなに早いなんて思ってもみなかった!私は自然の力に深く感動してしまった。どんなに驚いたかみんなに言いたいくらいだった。
驚いたと同時に喜びが湧きあがってきた。まるで自然の力が私にも移ってきて、素朴だけど力強い信念が注入されたみたいだった。いちばん純粋で直接的な生命力。天と地とつながった安心感。日に日に彼らが大きくなっていくのを見て、心の奥底から真実のポジティブなエネルギーを体感した。彼らはあんなに真剣に大きくなる努力をする。ひまわりが太陽の方を向くように純粋に、他のことは考えずに、投げ出さずに。

植物と一緒に仕事をしている時、彼らからたくさん教わった。「朴実」(朴は素朴の朴。実は真実の実。)植物と比べて人間はどんなに頭がいいだろう。思考することができ、発明し、たくさんの物を作り出せる。このため人間はよく自分の思考を過信する。その思考でたくさんの問題を解決できると思い込む。けれども実際は、現在の地球の各種の汚染、気候変動、各国間の資源の奪い合いという状況がある。人間が設計し製造したさまざま事物は、自然の創造物と比べるとかなり粗雑だ。

では、人間とその社会は、どうして自然のように美しく調和していないのだろうか。
カトケンは植物と一緒に仕事をしていると、彼らがとてもかわいく見えると言った。食事の時、彼は一本のとうもろこしのしわを指差して、これは美しい線だと言った。私はとうもろこしの角度を変えて見た。他の角度から見ても美しい。
私は以前子供たちに絵を教える時、とうもろこしをよく観察したのを思い出した。とうもろこしの列は少しずれがあって、それが大きい粒や小さい粒など形の違うものを生んでいた。もしも現代社会の人間がとうもろこしを作るなら、まず一粒作ってそれからその一粒の複製を作っていき、一本のとうもろこしを作るだろう。そしてどうしてこうやって作るの、とたずねれば「こうやると早いだろ。時間を節約できる。だからもっとたくさんのとうもろこしができる。」と答えるだろう。でも、もしとうもろこし君本人にたずねれば・・・彼は一言も話さず、ただ黙ってもくもくと自然の方法で成長を続けるだろう。だから美しい。
  

農作業中に見つけた花と実
農作業中に見つけた花と実

  
ある日きゅうりを収穫する際、よく観察してみたら、表面に白いものが生えている。包装している時、まゆちゃんが教えてくれた。「小さいトゲがあるからね。さわらないように気をつけてね。トゲを取らないでいたほうが新鮮さが保たれるんだよ。」
またある日、かずこちゃんとくわっちが冬瓜を見に連れていって教えてくれた。「冬瓜は小さい頃は若緑色で大きくなると表面に白いうぶ毛が生えるんだよ。」私は突然、どうして冬瓜と呼ぶのかがわかった。その白いうぶ毛はまるで雪のようだからだ。冬の趣だ。
時々植物たちに感動させられる。人が気づかないような細かいところにも、植物たちはベストを尽くし、真剣に成長する。誰に見せるわけでもなく、ただ純粋に成長する。

きょうこちゃんはこう言ったことがある。「人間はエゴがある。でも植物にはそれがない。彼らは素朴で、自分の天性に忠実。」
植物は思考しない。分析も計算もしない。彼らが自然の法則に従って成長することで、天と地のエネルギーが流動する。ひとつひとつの細胞が周りのわずかな環境の変化をも繊細に感じ取り、変化に呼応した適切な調整と選択をする。人間のような頭脳も欲もなく、純朴な成長の信念があるだけだ。いつどんな時もあやふやなところはなく、まじめに取り組む。本当に知恵のある者はまぬけに見える。(*老子の言葉)こういうことだけになれた時はじめて、天地の道に沿って、天地の優美さとハーモニーを現すことができるのだろう。
 

無私無境界/ No boundary, no ego

木の花ではお昼ごはんも晩ごはんも、ホールに集まってみんなで食べる。このホールではコンサートも開かれるし、誕生日会も開かれるし、大人や子供の会議も行われる。それから時々近所の人たちを招いて食事会も開かれる。ここはみんながいちばん長く時間を共有する場所だ。私がまだ木の花に着いたばかりの頃、みんなは私の顔を見ると“ Are you O.K.? ”と聞いてきた。はじめの頃はなんて答えたらいいかわからなくて、狼狽してただ頷きながら「大丈夫」と答えるだけだった。
私は小さい頃からずっと、あまり知らない人の前に出ると、恥ずかしくなってしまう。両親との交流も多くなかった。小さい頃から自分だけで生きてきた感覚がある。ほとんどひとりで事をなし、ひとりで問題を解決してきた。自分から人に話かけることは多くなく、人に何かお願いするなんてもってのほか、それは迷惑をかけることだと思っていた。

こんな私は木の花ファミリーに到着した第一日目、やってしまった。作業が終わってまことの家に帰ってお風呂に入った。そこは2階建ての住宅で、家庭の普通の浴室だった。私は地元の成都でひとりでシャワーを浴びるのに慣れていたので、浴室に入ると特に考えずに鍵をかけた。しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえた。作業を終えた人たちがお風呂に入るのにノックしたのだ。彼女たちはどうして私が鍵をかけたのかわからなかった。私はその時正直驚いた。一緒にはいらなきゃだめ~!? 。。。>——<。。。 みんなが私の以前の生活習慣を理解してくれたし、私もだんだんと新しい生活に慣れていった。それからお風呂が終わって、また私はひとつの問題に出合った。まことの家からひまわりに帰って、晩ごはんを食べなきゃいけない。どうやって帰ればいいんだろう?みかちゃんはコンピューターの前で仕事をしていた。私はその日着いたばかりで、彼女もひまわりで食事をしなければいけないとは知らなかった。この時人に迷惑をかけたくないという考えが頭をもたげた。 「帰ればいいだけでしょ、来た道はだいたい覚えている。」そこで私は歩いて帰った。帰り道まゆちゃんに出会った。彼女は私をすぐ車に乗せて、別のメンバーの車に乗り換えさせ、私をひまわりまで送りとどけた。その日食事が終わって、みかちゃんとまゆちゃんは私をおしゃべりに誘った。それでわかったのは、みかちゃんは私がお風呂に入り終わったら一緒にひまわりに帰ってくるつもりだったのだ。私が姿を消したので、みかちゃんはとても心配したそうだ。 その時、とても申しわけなく思った。ひとりの生活に慣れてしまって、みかちゃんが心配してくれるなんて思いもよらなかった。私は自分の育った環境とそれによってできた行動の習慣を説明し「すみません」と何回か謝った。まゆちゃんとみかちゃんはわかってくれた。その時から私はもうひとつのつながりが断たれていたことに気がついた。それは人とのつながり。 以前から友達は少ないわけではなかった。人間関係も悪くなかった。時々友達に相談されてアドバイスを求められた。私も喜んで相談にのった。でも自分から人に相談するということはほとんどなく、いつもひとりで問題に向かい、問題が起きても誰かに頼ろうという考えは起きなかった。でもこの件で、気にかけてもらっているという暖かさを感じると共に、心の奥の閉じられた殻がゆるみ始めた。それから私は、少しずつ変化していった。最初の変化はルームメイトのはすみちゃんから始まった。   [caption id="attachment_12018" align="alignnone" width="480"]小さな椅子の上に置かれた、温かい木 小さな椅子の上に置かれた、温かい木[/caption]
 
彼女が私の部屋に移ってきた時、私が描いた木の絵がとても暖かい感じがする、とても好きだから毎日見たいと言った。そこで私たちはそれをベッドの間の小さな椅子の上に置いた。こんな風に感じるのは彼女の心も暖かいからだと思う。
いつからだったか、私たちはほとんど毎晩寝る前におしゃべりをするようになった。おしゃべりの内容はだいたいみんなのちょっとしたうわさ話で、例えば犬のマコちゃんの目がご主人のやじおさんの目にそっくり、などなど。彼女がみんなと話した面白い話も教えてくれた。
彼女はユーモアがあり、私たちはよく冗談を言っては大笑いした。もちろんたまには宇宙の真理について語った。=。=。。。

だんだんと自分から話すことが多くなっていった。時々とても遅い時間にミーティングが終わって部屋に帰ると、はすみちゃんはベッドに横たわり微動だにしないのに、私の「ただいま」の声を聞くと、「お、超人帰ってきたか」と声をかけてくれた。私たちはしばらくおしゃべりをした。彼女はわからない中国語に出会うと、まじめに辞書を取り出して調べた。

ある時期ある事のために、大きなストレスがかかっていたことがあった。はすみちゃんは心配してこっそりみちよちゃんにメモを渡した。みちよちゃんは「誠実、信頼、そして正直に交流することがとても大切。みんながお互いにサポートし合うことが大事なの。どんな問題でもひとりでかかえこまないで。問題が起きたらみんなで解決するのよ。」と言った。
それから間もなくしてミーティグの時みんなの前で自分の心の声を正直に言うことになった。おそらくここの雰囲気が、承認と暖かさを感じさせてくれたせいだろう、もう長いことそんなことはしたことなかったのに、安心して心を打ち明けることができた。

木の花では自分の心を正直にシェアすることはたいへん重要で、ひとりひとりが遠まわしではなく、できるだけそのまま打ち明ける。今日の大多数の社会環境において、このことは想像しがたいだろう。人々は常にいいことだけを言って悪いことはふせておき、仮面をかぶって生活している。
ここのみんなが自分を見せることができるのは、承認と信頼とお互い助け合う雰囲気があるからだと思う。メンバーはよく言う。「誰にもいいところとそうでないところがあるのだから、自分と他人の不完全なところを認め、一緒に問題を克服していく努力をすること。それでよりよく変わっていくことがいちばん大事なんだ。」
 

毎朝、木の花案の玄関に陽の光が差し込む
毎朝、木の花案の玄関に陽の光が差し込む

 
これらのことを経て、ここの人たちがどんなに親密かを体験し、私はだんだんやっと本当に木の花ファミリーに来た感じがした。
朝から晩まで、私はほとんどみんなと過ごした。朝起きたらさっさっと身支度をしてちょっと朝食を食べ、それから一日の作業を始める。仕事の合間、10時と2時にお茶の時間がある。みんな一緒にお茶を飲みながらおしゃべりをするのが好きだ。午後4時のお茶の時間には、おいしいおやつも出る。だいたいはのりちゃんとにちわが作っている。
おしゃべりをしている時、内容は基本的に私はわからないけど、でもみんなの雰囲気を感じるのが好きだった。私の興味ありそうな表情を見ると、まゆちゃん、きょうこちゃん、こうちゃん、くわっち、みんなが訳してくれた。あきちゃんは英語を話さないけど、ジェスチャーと日本語の漢字を交えて「もっとみんなと交流して、思っていることを出して」と一所懸命伝えてくれた。彼女が収穫したとうもろこしを見て「おいしそう~」というたび、本当に思っていることを表現しているなと感じた。

それから大部分の時間は、かずこちゃんやくわっちと、スイカやトマトや空心菜を収穫した。その頃には少し簡単な日本語なら言えるようになっていた。おやつの時、私たちは日本語と英語とジャスチャーを混ぜてたくさんの話をした。くわっちと以前の恋愛の話になって、その経験から成長することを学んだこと、マチュピチュに興味があることを話したりした。彼女は以前マチュピチュに行ったことがあって、そこに住んだことがあるような、かつてそこの人間だったことがあるような感覚を覚えたそうだ。その日おしゃべりを終えた私たちは、自然にハグしあった。本当に心と心が親密になれた感じがした。
 

お茶の時間のおしゃべり
お茶の時間のおしゃべり

 
午後は6時頃まで仕事をして、まことの家に帰ってお風呂に入る。お風呂の時、ゆうこちゃんはよく私に話しかけてくれた。「今日は何したの?」ときいてくれたり、自分のことを話してくれたりした。例えば外の病院での仕事はここの仕事より疲れるとか、今日は晩ごはんにいろんな手作りパンが出るから楽しみだ、などなど。
彼女は楽器が好きで、自分でつくった陶器の笛を見せてくれた。私が興味をもつと、ネットで資料を調べてプリントアウトしてくれた。あと、ひまわりにご飯を食べに帰る道すがら、「歌ってあげるね」と言って故郷の歌を歌ってくれた。私は静かに耳を傾けた。車の窓から夕方の風が吹き込み、外では田んぼにきれいに並んだ稲穂が静かに揺れ過ぎて行った。この時はとても静かな安らかな時間だった。
それからかっちゃんは、私を一緒に車に乗せてくれる時、簡単な日本語の単語で話してくれて、辛抱強く「これは近道」「雨が降りました」「今雨が降っています」と教えてくれた。

ひまわりで食事をする時、みんな食べながらおしゃべりをするのが好きで、子供たちが先に食べ終わると、子供たちは集まって今日何があったかを大人たちに聞かせてくれる。大人たちも座って聴き、子供たちの話に答える。時には意見やアドバイスを与える。私があまり日本語がわからないので、みちよちゃんがよく隣に座って通訳してくれた。子供たちは自分で描いた絵や積み木でつくった作品を見せてくれた。たまに直接的に感情を表現するので、あんまりおもしろくてみんなでおなかを抱えて笑ったりした。
木の花ファミリーではみんなで子供を育てる。ひとりの男性がひとりの子供に歯磨きを手伝ってあげていても、ひとりの女性がひとりの子供の口にご飯をはこんであげていても、必ずしも父親と母親であるとは限らない。メンバーは、子供は父親と母親が「所有する」ものではなく、共同体全体のものだと考え、みんなが同じように愛し、心をかける。
 

左:「恵みいただきます」で昭和の衣装を着る 右:木の花の子供が描いてくれた、私の絵
左:ランチイベント「恵みいただきます」で昭和の衣装を着る
右:木の花の子供が描いてくれた、私の絵

 
晩ごはんの後少し休憩して、だいたい9時ごろに大人たちはまた一緒に集まり、豆や落花生や種を選別しながら、次の日の仕事のスケジュールやコミュニティーの各種事務などいろいろな議題について話し合う。
話し合う上で最も大事にされるのは、心の交流だ。ふだんの作業中に起きた問題を議題として取り上げたり、世界の自然環境とエネルギー問題について語り合ったり、木の花ファミリーの友達がメールで心の相談をしたり、農業の種の選別の問題や、その日の作業中に起きた小さな事など、事の大小を問わず、また、個人の事だからと隠すこともなく、話される。小さい出来事にも背景が反映されている。隠すことはしない。恋愛であってもみんなに知らせる。みんな、気にかけているから。

来て間もない頃、毎日疲れてしまって、ミーティングの時眠くてしょうがなかった。私が日本語がわからないから、みちよちゃん、ともちゃん、ようこちゃんが進んで私のところに来て「通訳必要ですか?」と聞いてくれた。時々疲れて集中して聴く力がないので、「その必要はないです」と言った。
みちよちゃんとそのことを話す機会があった。「集中力がある時は、みなさんに通訳をお願いします」と伝えた。その時彼女が言った言葉が心を打った。「ぜひそうしてくだい。短い滞在なのですから、何かを体験し学ぶのに全ての瞬間が貴重です。」

私の心を打ったのは、こんなふうに人のために尽くす精神、細部にまで細心の気づかいをする態度だ。実は彼女は毎日さまざまなことに気をつかわなければならない。夜になったら疲れているはずなのに、でも多くの人にどうやったらもっと良い生活になるか理解してもらうために、彼女は私がひとつひとつの体験からできるだけ多くのことを感じ取れるよう配慮してくれた。また、彼女はカタカムナのノートを貸してくれた。一行一行丁寧に説明してくれた。この過程で私たちはスピリットやエネルギーについてのたくさんのことを話した。それは本当に楽しい時間だった。
 

まだ木の花ファミリーに来て間もない頃、ひとりで自分の心を整理するため静かに座っていたいことがあった。・・・なんで毎晩ミーティングをしなきゃいけないほど、そんなにたくさんの事があるの?二日に一回じゃだめなのかな?みんな早くお部屋に帰って寝たほうがいいよ・・・と思っていた。
私はこのことについていさどんにたずねた。彼は「人はある状態に達すると疲れを感じないんだよ」と言った。頭ではわかっても心ではわからなかった。

木の花ファミリーに来て一カ月経った頃、晩御飯を食べて部屋に帰ると私ははすみちゃんに「今日は疲れちゃったからミーティング出るのやめておこうかな」と言っていた。でもそう言いながら、9時頃になるとホールまで下りて行った。みんなが何を話しているのか知りたかったから。
でもたくさんの情報を消化し吸収するほどの十分なエネルギーはなく、みちよちゃんに通訳をたのまないで豆やゴマの選別をしたり、落花生の殻を剥いたりしていた。そしてスクリーンに映し出される文字を見ながら、キーワードとなりそうな言葉を結びつけて、だいたいの意味を推測した。たまにみんなの表情が厳しくなることがあって、そんな時は次の日何が話し合われたのかみんなにたずねた。
それからまた半月が経った頃、自分がそんなに疲れを感じなくなってきていると気がついた。時々自分からみちよちゃんたちに通訳を頼んだ。

そしてその数カ月起きたことを思い出し、どうしてだんだんそんなに疲れなくなったんだろうと考えてみた。思い出すのは、どれも小さなことばかり。
毎朝なかのんが車で私たちを配送センターまで送ってくれた。だいたいオーディオつきの車だったので、彼は音楽をかけてくれた。早朝の日の光と音楽が一緒にゆっくりと流れていった。いつも新しい一日がこんなふうに始まった。
私はよくきょうこちゃんと一緒に仕事をした。毎回作業工程を説明する時、彼女は「私たちと一緒に」と言った。「一緒に落花生の種を蒔きます」「一緒に土を作ります」「一緒に花に日よけをかけます」こんなふうにきょうこちゃんが言うことが、私につながりとお互いサポートし合うことを感じさせてくれた。

えりちゃんは毎晩、晩ごはんを早く食べ終わるとすぐキッチンに行って、皿洗いを始めた。私はある時、皿洗い機のふたをそっと上げる彼女の自然に流れるような一連のしぐさを見かけた。私はこの時の彼女の流れるようなエネルギーが好きで、となりに行って一緒に皿洗いをした。何か特に話すわけじゃないけど、彼女の楽しい雰囲気を感じられた。
よく一緒に仕事をしたのはあと、みほちゃんだ。彼女も口数はあまり多くない人だけど、仕事の時の雰囲気はとても良くて、一緒にミントの葉を摘んでお茶にするため干したり、土をポットに入れたりした。それからりゅうしろうも口数が少ない人だった。話す言葉は簡潔で、仕事の時は静かに作業に没頭した。
としちゃんは午後になるとよく畑を手伝いに行き、一緒に玉ねぎを収穫した。彼女はとても力が強い。彼女は畑で仕事するのが好きだと言った。私も好き。植物と一緒にいるのが好きだ。

お風呂に入りおわってひまわりに向かっている時、よくひろみちゃんがその時間まで仕事をしていて、やっと片づけをしているのを見かけた。彼女はバナナが大好きだ。また、ひざにまだ癒えない故障をかかえている。
ある日ひまわりに帰る時、車が満員になってしまい、ひとりどうしても車の後ろに寝て乗らなければならなくなった。ひろみちゃんはわざわざふだん通らない道を通った。そこは竹が生い茂る場所で、車の後ろで寝ている人が観賞できる景色だった。
でこちゃんはパン作りを担っている。私たちはパンが大好きで、ある時キッチンでパン作りの本を見かけた時、でこちゃんは私にどんなパンが好きか聞いてくれた。お別れのお料理を作ってくれた時、アンパンマンのほっぺの小さいパンにも特別にあんこを入れてくれた。

収穫隊のみっちーはよく遅くまで仕事をしていた。たくさんの細かい事の割り振りをし、記録していた。私が彼女に何をしたらいいかたずねると、毎回輝くような笑顔ですぐに答えてくれた。ある時疲労がたまって、みっちーは体調をくずしてしまった。次の日彼女と出会った時、私は腕を広げて彼女を抱きしめた。その時初めて彼女が私の想像よりずっと痩せていることに気がついた。
あやちゃんは、ある日大富士への配送に一緒に連れていってくれた。帰ってきてレインコートを脱いだ時、私はうっかり一粒の真珠のネックレスをひっかけて切ってしまった。次の日彼女は自分のをひとつくれた。でも穴が小さくてネックレスに入れることができなくて残念だった。

毎朝、ひとみちゃんとみほさんとまり姉ちゃんが車で子供たちを保育園まで送る。途中配送センターでしばし停車し、仕事中の大人たちが子供たちに声をかけ、手をふって見送る。ひとみちゃんはある時私に浴衣を着せてくれた。私はその時初めて日本の伝統衣装を着た。忘れられない美しい思い出が出来た。

マヤの祭典の時は首が日焼けして痛くなった。ゆうこちゃんはアロエを持ってきて塗ってくれた。カトケンは首にタオルを巻くと首を保護できるよと教えてくれた。まっちゃんはビザの申請の書類を用意するのに骨を折ってくれた。
富士山に登る当日の早朝の空はとっても透き通っていた。富士山のシルエットがくっきり見えた。となりにひとつ明るく光る星が見え、まっちゃんはあれは金星だと教えてくれた。金星を見ることができてラッキーだった。
ちなっぴーは富士山を登っている間、カタカムナを歌ってくれた。私も歌うように誘ってくれて、一緒に一回一回自然に聞かせるように歌った。
 

みんなといっしょに、富士登山
みんなといっしょに、富士登山

 
木の花ファミリーのメンバーのみんなの毎日の仕事は、とても忙しいと思う。私は、みんなにおいしいご飯を食べさせたいって思った。時々中国料理のレシピを探して、はすみちゃんと一緒に日本語に訳して、のんちゃんとゆみちゃんに見せた。私も好きな日本料理があって、出発する数日前、キッチンに呼ばれて作り方を教えてもらった。
やすえどんは、創立当時どんなふうに木の花ファミリーに加わったのか話してくれた。古い方の家にもう十数年住んでいて、たくさんの思い出があるそうだ。みちよちゃんが見学ツアーの時にその古いおうちを見せに連れていってくれたことがあった。その時その場所を見て親しみを感じた。マヤの祭典が終わった後、何人かが古いおうちでご飯を食べなければいけないことがあって、私はそこで食事をしてみたかったので手を挙げて申し出た。

その日は、みほさんがご飯を用意してくれた。私はトマトを切るのを手伝った。ひまわりで食事をする時とちがって、みんなでたたみの上にテーブルを囲んで座って、ひとつのお皿から分け合って食べた。小さい頃家族が食卓を囲んで座って食べたことを思い出した。
茶の間は大きくなく、たたみの上には修繕した後があり、周囲の壁には富士山に登った時毎回撮った写真やいくつかの絵がかけられてあり、この世を去ったふたりのご老人の写真もあった。もっとよく感じてみると、木の床やドアの枠、窓のところどころに二十年という時間の中で人が残した痕跡や、あたたかいあじわいがあった。

思い浮かぶのはこのような小さなこと。真実の生活はひとつひとつのこと、いっときいっときに現れるものだ。
このように私と木の花ファミリーのみんなとが共に過ごしたいっときいっときが、人と人、人と自然がどうやって愛と心づかいでお互いに命を育み合うかを体験させてくれた。
木の花ファミリーの人たちは、自然の中の植物と同じように、人を感動させる。彼ら自身は多くを必要とせず、しかし多くのものを与える。できるだけ地球環境に負担をかけないように生活すると同時に、多くの美しいものを生みだす。素朴で真実ですじが通っていて、お互いに助け合い、みんなの心と心がつながって、大地に根をはっている。あの数カ月の中で、私はだんだんとこのコミュニティーに溶け込んでいった。まるで川に溶け込んで一緒に流れていく一滴の水のように。

私はみんなのことを気にかけるようになった。みんなが疲れているのを見ると、お願いだから眠ってくださいと言いたくなったし、みんなの楽しそうな表情を見ると、私もうれしくてあたたかい気持ちになった。コンサートの時はみんなと一緒に「にわとり小学校」に合わせて踊ったし、完全に歌詞を覚えたわけじゃなかったけどみんなと手をつなぎ「この星の上で」を歌った。
ある時あっちゃんとおしゃべりしていると「木の花にいていちばん楽しい時はいつ?」ときかれた。「みんなと手をつないで輪になって『この星の上で』を歌っている時です」と答えた。私が木の花を離れる前夜、台湾から来たウー・チュアンウエンがギターで「この星の上で」を弾いた。彼は「ここでいちばん学びになったのは他人のために尽くす喜びです」と言った。彼がギターを弾いた時、みんなも一緒に歌った。この時私の前に座っていたみきちゃんは私の手をとってくれた。私たちは一緒に音楽に合わせてゆれながら歌った。彼女が手を伸ばしたその瞬間、私の心の中に暖かいエネルギーの流れが入ってきたのをはっきり感じた。
 

はすみちゃんが私のために書いてくれた「この星の上で」の歌詞
はすみちゃんが私のために書いてくれた「この星の上で」の歌詞

 
私は一行法師が先立った奥さんについて話した言葉を思い出した。
「彼女は今でもある状態で私の心の中に存在します。その状態というのはこのようなものです。まずあなたの心の中を見てください。あなたの心の奥深くにある生命の河に入り、そして浸ってください。その河があなたに流れ入り、そして生かし支えてくれているのを感じてください。愛はずっとそこにあります。」
ケア滞在をしていたみきおくんが卒業する時、涙を流しながらみんなにお礼を言っていた。いさどんの目も赤くなっていた。それはとても感動的な場面だった。
 

ひとりの人間、ひとつの植物、一匹の動物、みんなひとつひとつの支流だ。小さい支流が集まってひとつの大きな流れになる。一層一層絶え間なく集まって宇宙の海を織りなす。もしもいくつかの境界線に執着しなくなったら、もうちょっと承認し合い融合しあったら、そして理解し支え合い一緒に流れることができたら、たくさんの美しいことが自然と現れるだろう。
ともちゃんとおしゃべりした時のことを思い出す。私たちは写真について、感動させる瞬間について話し合った。インスピレーションは追求している時に降りてくるものじゃない、目的や執着がなく純粋な心の状態でインスピレーションが降りてくる準備が整った時、それは自然とやって来る。
  
 
「最も深い真理は最もシンプルで、最も高い事柄は他人からは愚かに見える。
 最も豊かなことは何もないように見えて、実は無限の潜在性がある。」

(*老子の『道徳経』から)
 
 
 
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木の花のみんなからもらった寄せ書き
木の花のみんなからもらった寄せ書き

 

ありがとう:)
 
 
 
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*ファンちゃんが木の花での滞在をまとめたスライドショー
  「 In Konohana Family 」