カトケンはカトケンの里芋を育てなさい

「今朝、僕はトイレでふと、『僕が正解じゃないぞ』と思いました。そしてそれをカトケンに伝えなければと思い、カトケンと話をしました。」
ある日の大人ミーティングで、いさどんはそんな話を始めました。

 
物語は、8月の暑さ真っ盛りの頃にさかのぼります。

8月9日、ファミリー恒例の川遊びに向かう道中で、いさどんは車を運転しながら道沿いに並ぶ里芋畑を観ていました。多くの畑で、本来青々しているはずの里芋の葉っぱが黄色くなり、元気がありません。
「水が足りていないんだ。」
今年は例年以上に暑い上に雨も少なく、里芋たちは水不足に喘いでいたのでした。

8月上旬の里芋畑。葉っぱが黄色くなっています。
8月上旬の里芋畑。葉っぱが黄色くなっています。

「うちの里芋は大丈夫かな。」
そう思ったいさどんは、ベテランのひろみちゃんに代わって今年から里芋を担当している、畑隊3年目のカトケンに声をかけました。すると、カトケンは1日に2時間だけ里芋畑に水を入れているけれど、畑全体に水が回っておらず、よその里芋畑と同じように葉っぱが茶色くなっていることがわかりました。いさどんは、それはいかん、と、カトケンにアドバイスをしました。

「里芋というのは、水耕栽培をしているところもあるくらい、水が好きなんだよ。だから絶対に水を切らしちゃいけない。それがわかっているから、うちは田んぼを里芋畑にして水を入れやすいようにしてあるんだし、1日中入れっぱなしにしていてもいいくらいだ。毎回2時間後に水を止めに行くなんてことをしていたら、作業の効率だって悪いだろう。」

そこで言われた通りに水を1日入れっぱなしにすることを続けていくと、みるみる里芋が変化していきました。
「今までと全然違う。葉っぱも潤って、生命力がみなぎっている感じ。水が入ったことで、里芋がそれまで使えていなかった光のエネルギーをフルに使えるようになったんだと思った。それに、2時間ごとに水を止めに行かなくてよくなっただけで、作業としてもすごく楽になった」とカトケン。
「今までキュウリとかナスのような夏野菜を育てていて、水を入れっぱなしにするなんて発想は全然なかった。だけど作物によって対応の仕方が全然違うんだね。夏野菜のやり方に囚われてたけど、固定概念を当てはめて決めつけるんじゃなくて、その作物が一番力を発揮できるようにはどうしたらいいか、人間が感じて、動いていくことが大事なんだと思った。」

それ以来、カトケンは里芋の育て方をいさどんに聞きに行くようになりました。

その時の心境を、カトケンは今、こう振り返ります。
「自分なりに、里芋のことを想っていさどんに聞きに行っていると思ってた。だけどよくよく振り返ってみると、やっぱりその奥には『失敗したくない』って心があった。」

そしてある朝、いさどんはふと思い立ち、カトケンを呼んで話をすることになったのでした。
その日の夜、いさどんは大人ミーティングでみんなに向かって、こう語りました。

– – – – – – – – – – – – –

人間は一人ひとり、誰もが個性的です。

今日、僕はカトケンに話したいことがあって、湧泉閣に来てもらいました。この間、里芋の水入れの件でアドバイスをして以来、カトケンは僕に里芋の育て方を聞いてくるようになりました。何かと言ったら、カトケンは僕を里芋の権威だと思ってるんです。
だけどね、実は僕も自己流なんですよ。本も読まない。ただ実際に畑に立って、里芋と対話しながらやってきて、その結果ご機嫌な里芋に出会ってきたからそのようにやっているだけなんです。

カトケンはすごく熱心で、間違いをしたくない。だから里芋の権威であるいさどんに聞いてその通りにやれば、失敗して問われることもないだろう、ということで、僕に里芋のことを聞いてきました。それを観ていて、僕は「これはいけない」と思ったんです。
今朝、トイレでふと考えました。僕が正解じゃないぞ。それをカトケンに伝えなければいけない。水入れのことを教えたのは、カトケンは里芋の気持ちがわかっていないから、僕はただそのことを伝えたかった。そうしたらカトケンはまじめだから、僕を師匠にして、安住の地を地を見つけようとしました。だけどね、それで里芋を育てたら、カトケンがつくった里芋はどこにもないよ。それはただ、いさどんの幻がカトケンを通してつくっだだけです。カトケンはいさどんを正解にしているけれど、カトケンの正解は、カトケンがそれを極めていった結果得るものなんです。

僕はどこかで勉強したわけじゃないし、正解でもありません。仮にそれが今の段階での正解だったとしても、里芋と人間が付き合っていくことは、これからもどんどん進化していきます。お米だって昔から今のようにたくさんとれたわけじゃないでしょう?人間が進化して接すると、作物もそれを受けて自ら品種改良していくんですよ。
だから、今の段階で僕が観えていることは、カトケンに伝えます。だけどそれを受けて、今度はカトケン自身が里芋と対話していくんですよ。そこで気付きが生まれていったら、それはカトケンの里芋になる。
その時に初めて、そこに人に伝えていくだけの価値が生まれます。ただ人から聞いただけの情報ならば、何もカトケンに教えてもらわなくてもネットでもどこでも手に入るでしょう?それは、自分を生きたんじゃない。ただ受け売りの情報に従っているだけです。

僕は何がしたいのかというと、誰もが自分を生きて、その答えを常に受け取りながら次へと活かして、毎日を充実して過ごしていく場所を創りたいんです。
傍から聞くと、何を言っているのかよくわからないかもしれません。でもそこに真理があります。ものをよく観ろ。奥を読め。流れを感じろ。里芋のことなら里芋が教えてくれるから、里芋の声を聴いて、天の気を読んで、状態をよく観なさい。そうしたら、素人でも里芋にやさしいことがやれるから。
里芋にどれだけ水をやるかは、里芋と話ができて、初めて人間に智恵が湧きます。それが、生きることが充実するということです。そうやって生きていったら、死ぬ時に「いい人生だったな」と旅立てます。そしてここは、さらにその先の世界を目指しています。今の世の中の行き詰まりを突破する次の時代の解答を持って、それを生きられる場所なんです。

その目指していることが一人ひとりの中に完成したら、ここはとびっきり不可思議な場所になるでしょう。不可思議というのは、訪れる人が「あれ?ここはどこだろう?」というような、異次元の世界です。そういう場所をみんなで創りたい。
だけど「みんなで」というのが、みんなでワンパターンになって同じところに流れていくとしたら、それは間違いです。ワンパターンに流れていって間違っていった事例は、世間にいくらでもあるでしょう。

「みんなで」というのは、一律ではないんです。それは「ハーモニーを奏でる」ということです。一人ひとりがそれぞれに違った音を出し、それが調和して、全体が美しいハーモニーになる。それが宇宙の実相です。そこで個性をつぶしたら、何にもならない。
カトケンはカトケンにしかなれない。だから、カトケンはカトケンの里芋を育てなさい。

宇宙は常に変化変容し続けています。今の正解も、未来へ行ったら不正解です。進化するとは、今の正解を不正解にしていくことです。

– – – – – – – – – – – – –

 
いさどんと話をしたカトケンは、自分の中に「失敗しちゃいけない」という心が根強くあったことに改めて気付いたと言います。

「長男として両親の圧力を感じながら育ってきて、いつも何か言われるんじゃないかとびくびくして、正解をやらなくちゃと思い、その心が自分にストッパーをかけてた。だけど、もっと自由に、思った通りに、自分らしさを表現していいんだよ ———— そう伝えられた。
もっと作物と対話して、自分らしい作物を育てていける。その方が楽しいし、いい作物ができる。それが本来自分が目指していたことだと思った。だから今、ここにいるんだよね。」

「頭では、言われた通りにやるのはおかしいよなってわかるんだけど、実際の自分は失敗しないようにって小さくなってた。だけどおもしろいのは、湧泉閣でいさどんの話を聞いている時に、そこにあまのくん(1歳)が来てね、いさどんがあまのくんをあやしたらあまのくんが泣いちゃって、それを見て周りにいたみんなが笑って、いさどんがまた冗談を言ってあまのくんをからかって、あきちゃんが笑いながら泣いているあまのくんを抱いて連れていったりするのを見ていたら、急に『あ、俺、根本的に間違ってたわ』て感じたんだ。それって理屈じゃない。
うまく表現できないけど、その場に流れる空気を感じた時に、ああしなきゃ、こうでなきゃいけない、という自分の中のコントローラーが、ボトンと落ちた。ああ、ここにいる人たちは自分とは違う世界を観てるんだ、こういう世界があるんだ、って。みんなが笑い合っていて、相手に対しても自分に対してもやさしい場所。この波動が大事なんだってことを、理屈じゃなくて感じたんだ。」

それ以来、自分なりに観察しながら畑に水を入れるようになったとカトケン。
「生命力がついてきたのか、一度枯れた葉っぱもよみがえってきた。里芋の葉っぱって、ハートの形してるでしょ。風が吹くと、それが揺れるんだよ。里芋がかわいく思えて、この畑にまた行きたいな、と思うんだ。」

9月上旬。葉っぱがよみがえってきています。
9月上旬。葉っぱがよみがえってきています。

「台風が来て里芋は大丈夫だろうかと何度も足を運んでたら、ある時、茎の間から見慣れないものが伸びてるのを見つけたんだ。何だこれ、と思って本で調べたら、里芋の花だった。めったに咲かないもので、咲くとニュースになる地方もあるくらい珍しいんだって。」

里芋の花。品種はセレベス。
里芋の花。品種はセレベス。
こちらはタケノコ芋という里芋の花。
こちらはタケノコ芋という里芋の花。

「えっ、こんな花があるんだ、って思った。今までナスとかキュウリみたいな花しか見たことがなかったけど、里芋は全然違う。感動したよ。作物によって全然違うんだ、それぞれにオリジナルな花があるんだ、って。
それを見た時に、一人ひとりの中にある花を咲かせていけばいいんだって思った。里芋でも咲くなら俺でも咲くだろう、と(笑)。こんなわけもわからずやっている管理人のもとで、よく咲いてくれました。よくひねくれなかった。本当に、里芋に感謝しています。」

 
湧泉閣での話の最後に、いさどんはカトケンに向かってこう言ったのだそうです。
「カトケンがもっと生き生きすることだよ。」

 

里芋とカトケンの物語は、続く!
里芋とカトケンの物語は、続く!

 

 


続々・大町ビレッジからの風 〜 どんどんどんと越えていく

大町ビレッジからの風・第三便。
離れているのに、不思議と心の学びはリンクしている大町です。

■    ■    ■

ジャガイモの伏せ込みが4/24、4/25に大町でありました。
大町の気候は北海道と似ているためジャガイモがよく育つ、ということで今年は作付けを大幅に増やして作付け面積が約8畝、種類も5品種あります。
種芋切りからカトケンが段取りをし、この日を迎えました。

カトケンがシンシアという品種の種芋を取りに行ったとき、以下のことを伝えられました。

シンシア   「あなたのこと嫌いなの」
カトケン   「・・・ショック」

倉庫で種芋を乾かしておいた時に、ネズミに何個かかじられ、食べられてしまっていたのです。

『嫌い』と伝えられたことをすぐにみんなに伝えず、一人で思い悩むカトケン。
原因は何なのか?また、嫌いって言われるのではないかと思い込んでいました。だから、シンシアを避ける気持ちがあったのです。
けれど、シンシアの近くを通ったときに「私を大事にしてね」と優しい響きで伝えてくれました。作物は相手の心が変化したときに、必要以上に追求しません。なんて、シンプルで気持ちがいいのだろう。
この出来事を愛ちゃんに話すと、自分の中の感情が整理されていき、出来事の本質が見えてきました。ジャガイモさんは自分の遺伝子を次に繋げたい。しかし、その大切な種芋がネズミにかじられたら、ジャガイモさんからしたら生かされない出来事だよね。作物は生かしてあげることが大切。少しくらいなら、かじられても大丈夫と思っていたけれど、…このことを通して、カトケンは物事の捉え方が自分目線であったことに気づかされました。

次の日。種芋を軽トラの荷台から畑まで運んでいたときのことです。シンシアが優しく言葉をかけてくれたそうです。

シンシア   「シンシ(紳士)アな〜」
カトケン   「…。」

…そういえば、無意識にみんなのために動いていたなぁ。この感覚が良かったのかな!?

カトケン   「シンシアが僕のこと紳士だって(笑)」
愛ちゃん   「フフっ(笑)!」

美穂ちゃんは、ちょうどの数でメークィーンを定植でき「ぴったり賞!」と喜んで報告してくれました。そして、次の品種のシンシアを植え始めました。

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その頃、カトケンは種芋の入れてあったトレーに、敷いてある新聞の文字が目に入ってきました。
そこには「見本となれる光であれ」と太字で書かれてあり、それを見て、よし、僕がその役割なのだと根拠はないけど実感。だけど「どんなふうに?」と思い、軽トラを見ると…なんと!植え終わったと思っていたはずのメークィーンが、まだ残っていたではありませんか…。
まさかのパターン。いきなり気持ちが下がり、谷底へ転げ落ちるような勢いでした。いつも、ここで思考が鈍る。見本となる光であろう!と思った矢先なのに…。昨日から軽トラに積みっぱなしか…?想いが足りなかったことに尽きる…。天然循環法とは言葉だけにしか過ぎなかった…。あ、今…自分のことしか考えていない。これではいつもと同じだ。この出来事を生かそう。メークィーンはピッタリ賞なのだから、本来、植える予定だった圃場に試験的に植えよう。よし、みんなに提案しよう。

カトケン   「軽トラにメークィーンがまだ残っていたから、
        元々植える予定だった圃場に試験的に植えてみない?」
愛ちゃん   「うん、それで比較してみようか。
        もし、むこうの方が良かったら来年はむこうに植えたらいいのじゃない?」
美穂ちゃん  「私も、むこうに植えてってことだと思う」

間違えと思われる出来事があっても、次に生かす方法を自然と考えることができるのだと知りました。こういう前向きな気持ちと、次に生かそうとする姿勢が、新聞に書いてあった『見本となれる光であれ』という意味か?今まで、なかなかできなかった事だけど、どんなときでも、光を向いていくのが大事ということだね。

シンシア   「しっかり、シン(シ)ア♪」
カトケン   「(笑)…(とは、言ってもらうものの、心は少しガタガタしている)」

ここで気持ちを切り替えて、次に生かすと良かったのですが、長い時間ガタガタしているカトケンがいました。その結果、ジャガイモの植え穴を開ける場所に、短い距離ですが、種芋を置いてしまいます…。

カトケン   「あ、しまった…」
シンシア   「現象を持ってシンシア(真実)とする!」
カトケン   「…(そのとおり。…ズレていました。)」

ジャガイモさんは、失敗する、反省ということではなく、失敗も生かしていくこと。自分の感情をコントロールして、新たな可能性を切り開いて実践することを教えてくれました。
間違いと思われる出来事からも学んでいこう。出来事をみんなで共有することで、新しい発想が自然と湧いてくる。今の僕には、ピッと感じたことをためらわずに発することが流れを作っていくのだと思いました。

ジャガイモの伏せ込みが無事に終わって後片付け。カトケンは、忘れ物はないか、落ち度はないか確認しています。
よし、大丈夫!と思って車に乗って帰ろうとしてバックしたところ、早速、自分で差しておいた目印の竹の棒を回収し忘れており「カコン!」と軽トラの左の荷台の角に当ててしまいました。
「ん?なんだ、なんだ、この音は?」
その音に反応して、バックしながらドアを開けて後ろを見たところ、地面に差さっている竹の棒が、自動的に近づいてくるように見え、ヒュっと右手に収まりました。楽にキャッチでき、そのまま引き抜いて、荷台に投げ込みました。忘れていたけど回収できた♪
…しかし、よく考えたら車に竹の棒を当ててしまったな。…ショック。気持ちが落ちかけたその時です。僕の心にいさどんがスッと現れて言葉をかけてくれました。

いさどん   「(眼を見開き強い口調で)竹が当たったタケだぞ!!竹が当たったタケだぞ!!」

と、気持ちが前向きになるまで、何回も繰り返し伝えてくれました。

カトケン   「…分かりました、分かりました。その通りです(嬉笑)
        もう、分かりましたので…」
いさどん   「いいさ、どんどん行け〜。いいさ、どんどん行け〜」
カトケン   「オッケー!」

距離は離れていても、心に宿る存在が支えとなってくれています。カトケンという魂を単体でみると力不足だけれど、欠落している部分を他の魂に補ってもらうと心のバランスが保ちやすくなる。その結果、自分ではどうすることもできなかったことが、どんどんどんと越えていける。小さな自分から大いなる自分へ。

いろいろな出来事があったけれど「これで、良い芋ん!(いいもん!)」ということで、良い芋が育つように、日々をみんなでenjoyすることが大切なのだと思いました。
芽出たし、芽出たし♪(めでたし、めでたし♪)

芽
大町の愛ちゃん、美穂ちゃん、カトケンより
富士宮のみんなへ、いつもありがとう♪

バッチグー
バッチグー!
(左:いさどんの親指に似ている種芋がバッチグーとのこと)

 

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〈後日談〉

先週、富士宮からあきちゃん、えいこばあちゃん、じゅんじいの3人が、よもぎを摘みに大町へ行ってきました。
帰ってきたあきちゃん曰く「とにかく流れがよかった」。あいちゃん、カトケン、みほちゃんの3人がそれぞれに互いを想いながら自分の役割を果たしていて、必要な時に必要な人がすっと現れ、本当に気持ちよく作業することができたそうです。

あきちゃんが「収穫しながら涙が出そうになった」と話す大町のよもぎ
あたりいっぱいに広がる大町のよもぎ。
そのエネルギーに、「収穫しながら涙が出そうになった」とあきちゃん。
 
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「よもぎは悟りの植物なんだよ。
 人間が採っても採っても『よぉもぎとるなぁ』っておだやかにみてるんだ」とカトケン。
 
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収穫したよもぎをみんなで処理。
「今まで何度も大町に来ていて今回が一番働いたけど、全然疲れなかった」とえいこばあちゃん。
 
こうして大町から届いたエネルギーいっぱいのよもぎは、早速よもぎもちとなり、昨日の「恵みいただきます」にてお客様のもとへと渡って行きました。

まだまだあるよ。^^
 
 
 
*いさどんブログ「とんとんとんと越えていく」もどうぞご覧ください♪

 
 


続・大町ビレッジからの風 〜 天のシナリオは予定通り

大町ビレッジでは、何かが変化し始めています。
前回に続き、大町からの心のシェアをお届けします。
 
■    ■    ■
 
昨日の大人ミーティングに美穂とカトケンの文章を送ろうとしていましたが、
美穂とカトケンと愛ちゃんのずれによって文章は送られませんでした。

美穂はカトケンが送ってくれるものと思い、
カトケンは美穂が送ってくれるものと思い、
愛ちゃんは美穂がいつものように送ると思っていました。

皆、それぞれ思い込み、文章を送ったかを確認しなかったのです。

3人は、ずれを頂いて、どういうことかと振り返りました。

美穂
「3人がばらばらになってた、というところだよね」

愛ちゃん
「昨日のMTGで文章が読まれてほしいと思っていたけど、それも自分の思いが強かったということ。朝、横になっていた時に、客観背後ということばが浮かんだの。どうしてこうなったのかを天の目線から見ることだと思うのよ」

カトケン
「ずれにも、ずらされる、ずれがあると思うんだよね」

美穂
「ずらされる、ずれ?」

カトケン
「天がその時ではないですよ、ということでずらしてくるということ。昨日のミーティングで文章が読まれたとして、その場で下向きな人が前向きにはなるかもしれない。だけど、それだと自分たちの現状に気づくことが、しっかりとできなかったと思うんだ。」

愛ちゃん
「人間の思いからするとずれだけど、天からするとずれではないのね。ずれることで、さらに学びが深まったことを思うと、これがよかったということだね」

美穂
「そうか、ずれも、天がどんな意志でこのことを起こされたのかを探っていくと学びが深まっていく。そうすると、ずれをいただくことで、天と思いが通じる。そして、旬に出会うんだね」

愛ちゃん
「昨日までの文章だと、浅い内容だったね」

美穂
「そうだね。昨日の私が書いた文章だと、思いが通じ合うのは作物と人間、人間と人間、といった一対一の関係だったね。でも、それだと足りないんだ。思いが通じ合うというのは、そこに天が必ず関わることだね。例えば作物と天と人間。人間と天と人間。昨日のは足りなかったよ。天が足りなかったんだ」

愛ちゃん
「天が、共にあるということで、昨日のずれを起こされたのね」

ずれや問題ごとは人間からみた目線。

天の目線から見るとずれはなく、全て予定通り。

そうすると、

全て「いただきます」「ありがとうございます」に、つきます。

大町 美穂ちゃん カトケン 愛ちゃん♪

 

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下記が昨日送る予定だった美穂の文章です。
美穂の文章の後にカトケンの文章があります。
カトケンの文章は昨日の文章を書き直したものです。
 

木崎湖の見える畑で苗の定植をするみほちゃん
木崎湖の見える畑でトマト苗の定植をする美穂ちゃん

 
〜 思いが通じ合うこと(美穂)〜

愛ちゃんは富士宮にいるときはキッチン担当。創立当時は田んぼ隊でした。
畑のことは「そんなにわかっていない」と言います。

そんな愛ちゃんは去年、大町で一年を経験しました。
そのことを生かそうと今年を過ごしています。

芍薬の除草をしていた時の話です。

芍薬の除草をしていると、なんだか気持ちが良くなってきます。
休憩なしで、ずーっと除草をしていたい気持ちです。

そのことについて3人で話をしました。

愛ちゃん
「今回、除草に入るタイミングは遅いかな〜と思っていたの。だけど入ってみると、今が一番の時だなって思ったのよ。というのも、除草に入る前までは、よもぎの根っこをとるのに芍薬の根っこを傷つけてしまうんじゃないかと思っていたの。だけど早いタイミングだと、よもぎが大きくなっていないし、どれか分からなかったわね。今回のタイミングだとね、小さい出てきたばかりの草も除草できるし、よもぎの根っこもす〜っとぬけてきて、芍薬の根っこを傷つけないし。なんだかね、除草というか、芍薬を撫でているみたい」

カトケン
「芍薬がヤッホーという感じで、心地好さそうだった」

美穂
「そうか。タイミングだね」

愛ちゃん
「去年はね、よもぎが大きくなってしまったの。だから芍薬も蒸れてしまうし、よもぎの根っこを引き抜くのも大変だったのよ。だから、今年はね、去年のことを生かそうと思って、ずっと心にとめておいたの」

美穂
「心にとめておく・・・」

愛ちゃん
「そう、心にとめておく。何でも心にとめておくと、思いが通じ合って一番良い時に出会えるの」

美穂
「そうか、思いが通じ合っているから、こんなに気持ちの良い除草なんだね。芍薬も今よ!って思っていて、私たちも今だ!と思っている。そういう思いがつながっているから気持ちが良いんだ」

カトケン
「想いが循環していくんだね」

心にとめておくこと
そうすると思いが通じ合っていく
そして、旬に出会う

作物と対話していくときの、誰でもできる第一歩だと思うのです。

愛ちゃんは農業の知識や経験が少ないからこそ、いつもそのことを一番に置いています。
 
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このことはとても大事なこと。
作物とのことだけでなく、どんなことにも共通する、とても大事なこと。

愛ちゃんはこう話していました。
「料理にも旬があるのよ。例えば寒い日にね、『外から帰ってくる人は寒いだろうな。あったかいうどんを食べてもらおう』と思って用意しておくと、『今日はあったかいうどんが食べたかったんだ〜』という人がいるの。その人が食べたい時に食べたいものを食べることは旬よね。それも思いが通じ合ったからだと思うの」

どんなことにも旬があります。
いさどんから話が湧いてきたときに、聞きたいという想いがまわりにないと話は止まってしまいます。それは旬を逃したということ。

神様からの気づきもそう。
受ける側が気づきを行動にうつさないと、思いは通じ合わず、旬を逃す。

心にとめておくこと
そうすると思いが通じ合っていく
そして、旬に出会う

とても大事なことを芍薬から教えてもらいました。
 

芍薬の出荷準備をする美穂ちゃんと愛ちゃん
芍薬の出荷準備をする美穂ちゃんと愛ちゃん

 
朝、イチゴの畑に行くことを考えながら太陽を見ていたら、
不意に頭の中にことばが響きました。

『そなたを透明に戻すぞ』

美穂 ・・・・・・?

自分の思考から湧いてきたものなのか?
意味もよくわからないし・・・
といろいろ考えてしまいました。

ということで、気にはなっていたものの、1日たって愛ちゃんとカトケンに話をしました。

愛ちゃん・カトケン
「そのことばは自分の思考からは出てこないでしょ。だから天の意志だよね」

すべてのものは、もとをたどると透明になる。

色は混ぜていくと、黒色になります。
だけど光は混ぜていくと、透明になるのです。

私たちも、光のように、混ざり合って、透明になっていく。
 

雪の下から復活したイチゴ
雪の下から復活したイチゴ

 
愛ちゃんの身体に変化があります。
背中に風が通ったように冷たくなったり、
火傷をしたように熱くなるのです。

それと最近、天照様を思うとあまののことが浮かぶそうです。
 
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カトケンは次の世代の人たちが今までの仕組みにとらわれず、新しい世の中を創っていくということをよく話します。

あまのがもうすぐ降りてきます。

私たちは次のステージに移っていくようです。

ことばの意味は、進んでいけばきっと分かる。

それでは、また。

大町 美穂

 

〜 新しい時代をつくるための受け皿として(カトケン)〜

時代が進むにつれてたくさんの人たちが、木の花ファミリーを訪れるようになると思います。それは木の花がこれからの社会のあり方の見本となっていくからです。

これから訪問者の中に、純粋な響きを発する若い世代が、顔を見せにくるのではないでしょうか。そんな思いが湧いてきます。そして、木の花にはもうすぐ、そういった魂が降りてきますね。

その響きは振動数が高く細やかなため、受信するセンサーがしっかりしていないと、スルーしてしまいます。それは、鉱物や水晶のように純度の高い響き。その子たちの、いつも相手を想う気持ちが天に届けられ、相手の脳に潜象界からのエネルギーが降り注いで充満し、過去のネガティブな記憶がクリーニングされていく。人間の脳の奥まで届く微細さがあり、それは光の粒子というか非常に細かいクリスタルのようなもので、どんなにこびりついた記憶でも洗い流すことが出来ます。それによって、さらに潜象界からのエネルギーが入っていく流れができて好循環します。
相手を過去の記憶の再生による呪縛から解き放つことで、この世界の真実を見せることのできる子もいます。この能力も人間が持つ可能性のうちの一つだと思います。

今まで通りの国が定める方向性では、物理的な豊かさを求め続けた結果として、確実に行き詰まっていくでしょう。だから、これからの時代は精神的な部分で目覚めていくことが必要です。そして、そこには新しい世代の感受性の豊かな子たちが、共に関わることによって、大きな仕事を成し得るのだと思っています。それは、これからの人類のあり方、天とのつながりを表現する上でとても大切なことです。

しかし、残念ながら、こういう子たちは非常に繊細な部分もあるので、これまでの価値基準で作ってきた従来の枠組みに当てはめようとすると、能力を出せなくなり、気力を失います。一般的にはニートや引きこもり、あるいは問題児としてレッテルを貼られる子もいます。しかし、それは誤った解釈なのかもしれません。そして、誤った解釈の中では、そういう子はなかなか育ちません。育っても、無理に自分を表現せざるをえない(演じないといけない)ので、ロスエネルギーが非常に大きいです。また、そういう子は意識の高いところでも低いところでもどちらの方向でも向かうことができます。ただ、大人側に学びを提供するために、低い意識の中で役割をして、大人たちに伝える子もいます。木の花で言うと須佐乃王のように。だから、そのような役割をしないで済むためにも、大人側の意識の向けどころが高いのか、低いのか仕分けできる客観性が必要ですね。(もちろん自分も含めてですが)大人たちの姿勢が変われば、そういった子供たちはすぐに本線に戻ってきます。そして、何よりもその子たちが、生き生きと過ごし、その子が神様から与えられたオリジナルの可能性を引き出せるような人材や場を整えていくことが、これからも大切です。
そして、僕たちの役割としては目に見えない世界を感受し、表現していくことで、次の世代の子たちが声を発しやすい場を提供することだと思っています。
表現する中で、それはカトケンワールドじゃないかと言われることもあると思います。その時は、その時に振り返り、学んでいきます。ただ、これからの時代を作っていく感受性の豊かな子たちが、埋もれていく姿は見たくないです。
自分自身もたくさんの人に引き上げてもらってきました。だから、他人事とは思えないのです。

地に埋もれていくのか、それとも地から現れるのかで大きな差です。
僕自身、埋もれている時代が長くありました。振り返れば今でも忘れない。(昨年秋に)メンバーを辞める当日の稲刈り最終日に、まさかの出来事が起きました。
「あれ、刈っておいて」と言われました。ただ、それだけだったのに…僕から出た感情は「求められたことに対して答えなきゃ、答えないといけない」というもの。幼少期の母親との関係性が27歳になっても消えないでいました。稲を刈り取るコンバインがバックしてくるのが分かっていましたが「…しなきゃ」という思いで、パッと飛び出してしまった…。「あっ、いけない…なんで、おれ、ここにいるんだ」自分の頭の中と心がバランスを崩し、意味が分からなくなり動けなくなった。バックしてきたコンバインに接触。…また、やってしまった…大人ミーティングでシェアしないといけない…。もう、やだ。…限界。…自分自身がコントロールできない恐怖。不安。焦り。絶望。

あれから、月日が流れ、メンバーを離れ戻って来てから、一年が経とうとしています。多くの人たちとの出会いや、数々の経験の中で自分自身を知ってゆく旅をしている最中。フラッシュバックするよりも早く、正常な思考が回るよう、いさどんに自分の心の構造を分析してもらった音源を百回以上繰り返し聴き続け、頭に焼き付けてきた。
そして、冷静になったときに分かったことは、僕にプレッシャーをかけてきた親は、僕の修行の相手。そして、自分そのもの。親は僕自身の姿を常に教え続けてくれていただけなのです。その仕組みに気づいた時、不思議と感謝の気持ちが湧き上がってきた。「いつも教え続けていてくれてありがとう」といった感じ。僕の心が変化すると、母親の笑顔と無色透明の存在のウィンクが頭に浮かび、「よしよし、やっと分かったようだね」といった雰囲気でどこかへ消えて行きました。
分からないことが分かった時、それは最高の喜びなのだと実感。これだから、心の探求は面白いね♪

現在では大町という大自然(光、水、空気、土、風)といった肉体を持つ前の自分自身と対話しながら、日々を充実して過ごしています。こんなとぼけた僕ですが、善き理解者にも恵まれて、共に歩めるラッキボーイカトケンがいます。神様から頂いた人生に感謝。
 
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大町のカトケンより。

 


大町ビレッジからの風

信州信濃の木の花ファミリー大町ビレッジには、ただ今あいちゃん、カトケン、みほちゃんの3人が住んでいます。毎晩の大人ミーティングにもスカイプを通して参加している3人からの、ある日の心のシェアをご紹介します。

大町ビレッジより 木崎湖をのぞむ
大町ビレッジより 木崎湖をのぞむ

 
■    ■    ■
 
〜 カトケン編 〜
 
今日の朝、大町の番犬サイとカトケンが散歩をしていました。そして、カミスワ神社の横を通りかかったその時です。

神社   「寄っていきんしゃい」
カトケン 「…これから定植したネギを見てくる予定があるのになぁ…(まあ、少しならいいか)」

その声の言う通り、普通に階段を登り始めました。そしたら、

神社    「もう、一回、戻りんしゃい」
カトケン  「…なぜ?まあ、そう言うなら戻ろうか…」

そして、言われるがまま戻りました。ふっと、最初の1段目を見てみると、地面と1段目との高さの差がほとんどありませんでした(緑色をしていてわかりにくい)。
きっと、最初の一歩目(一段目)が大事ってメッセージだな。一歩目は以外と意識していない。確かに無意識のうちに歩んでいた。

神社    「大いなる意志を感じんしゃい」

足元を見るとそこには、大きな石が敷き詰めてあり、石と石の間にはピンク色の花びらが散りばめられていました。ただ、それだけの光景なのに、なんだか愛おしく美しく感じられました。一歩一歩を大切にすると、今まで見落としていたものが、丁寧に見つめられて心が素直に喜ぶ。

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神社    「光の方を向いてすすみんしゃい(御神殿に朝なのに蛍光灯がついて光っていた)」

カトケンは最初の一歩目を確認し斜め45度上を見つめて、御神殿まで上がっていきました。
 
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神社    「神がいる、神がいる、神がいる、神がいる、神がいる…」
カトケン  「え?確かこの神社は、神様ご不在ではなかったかな?
       そんな噂を聞いたことがあったけど…」

御神殿の奥を覗くと、大きな丸い鏡があり、自分の顔が見えました。
サングラスをかけている、どことなく弱そうなカトケンがそこに映し出され
…なるほど!自分が神ってことか。
鏡、「カガミ」、真ん中の「ガ」を取ったら「神」! 大人ミーティングでも、そんなことを話されていたし、きっとそうだ!
そして、「神がいる」という言葉が聞こえた時にだけ、「…シャイ」という語尾が取れた。ということは、自分の心の中にある「我」と「シャイ(恥ずかしがりや)」を取ればシャイニングカトケンとなれるはず!

大いなる何者かのメッセージを受け取り、生きることで、今まで見逃していた美しい景色がそこに広がっていて、この世界の素晴らしさに気づける♪

これだから、この歩みは面白いね♪

読んでくれたみなさん。こんな文章でごめんなシャイ。

カトケン
カトケン

 
〜 美穂ちゃん編 〜
 
今日の朝、3人で話す時間がありました。

私は朝起きた時から頭が痛く、肩もはっていました。

愛ちゃんは富士宮から大町の帰路にあったことについて昨晩から思っていたことを話し、カトケンは彩の散歩中に上諏訪神社であったこと、富士宮で感じていたことを話していました。

私は頭が痛いため、話に入っていく集中力がなく二人の話を聞いているばかりでした。そして、話の途中からどこからか香りがしてくるのです。木のような、ハーブのような香りです。壁にドライセージが飾ってあるので、これの香り?と思いましたが、その香りは新鮮なハーブにたった今触ったような香りなので違うな・・・?と思っていました。
その後も濃く甘い花のような香りがしてきたりして、これは一体なんなんだ?と思い、二人に「香りがするんだ」ということを伝えました。
愛ちゃんは「さっきから美穂ちゃんがなんだか変な空気だなと思っていたけど、そういうことだったの。昔、神様の話をしている時に香りがしてきたことがあったけど、その時のことを思い出したよ」と話していました。
そのあとも香りは続き、どうも愛ちゃんが話すと濃く甘い花のような香りがして、カトケンが話すと木とハーブが混じったさわやかな香りがしていました。

香りは通常の香りを感じる部分ではなく、いままで使っていなかったところで感じているという感覚でした。

・・・・・・・・・ということがあったのです。
 
このことがどういうことかは意味は分かりません。
ただ、私にあったことやカトケンにあったことは、何か芽が出てきたような感じがしたのです。
(カトケンは以前から作物と話していますが)

木の花にこういう芽がでてきていて、それを日のもとにさらさないと!
という想いが強く湧いたのでみんなにシェアしました。

大町だけのものにしておくと、なんだかせっかく出てきた芽が草に埋もれてしまいそうな感じがしたのです。

私にとって、意味がよくわからない出来事を、想いが湧いたからシェアするというのはしないことなので、みんなコメントしづらい?とかいろいろ考えそうになりましたが、想いのままにシェアしました。

みほちゃん
みほちゃん

 
愛ちゃんは二人に起こったことをこんな風に話していました。

「いさどんの歩んできた道を、カトケンはカトケンらしく美穂ちゃんは美穂ちゃんらしく歩んでいる。
いさどん一人だとあやしい集団ということになってしまうけど、こういうことを二人、三人と経験して、それを表現していくと追い風になっておもしろいんじゃない? 」

場所は離れていても大町も木の花という身体の一部。
これからも良い風を吹かせていきますね。
 
大町 美穂ちゃん カトケン 愛ちゃん より
 

左からあいちゃん、カトケン、みほちゃん
左からあいちゃん、カトケン、みほちゃん

 
 


続・大町ビレッジのカトケンより

ただ今大町ビレッジ滞在中のカトケンの、ある日の心のシェアです。

カトケン
カトケン

■    ■    ■    ■
 
大町隊のカトケンです。

今日、岐阜大納言という小豆をみんなで収穫していた時のことをシェアします。

僕が小豆を収穫していて、収穫カゴがいっぱいになったので、土手に紙袋を敷き、小豆を拡げようとしたその時、

「私を流さないでね」

というやさしい声が聞こえました。小豆を置こうとした場所には、土手の近くに水路があり、そこにあまり意識がいっていなかったせいか、小豆が教えてくれました。

この声から発せられる響きは、とても美しく清らかで、僕のすぐ作業的になりやすい心とは対照的なものでした。その後も、小豆から「私を大事にしてね」「私を信じて」「大丈夫だから」「私はここにいる」と次々と優しい響きが聴こえてきました。その響きを感じていると、その響きが心の深い部分にまで染み渡っていくことが分かります。僕には、すぐ不安になったり、正解探しする癖があるけれど、その癖を含めて愛されている感覚でした。これが正しい、これが悪い、これが美しい、これが汚いとかそういった二元論ではなく、僕のあるがままを見続けてくれている愛の深さ。そのとき、自分のあるがままの心を認められ、心を知っていくプロセスの面白さ。喜びに気付いたときの開放感。今ある苦しみも、喜びに出会うための苦しさと捉えることができる持続性。

木の花を出る前は、何か言われたり、怒られたりすることで自分自身がコントロールできなくなることが恐怖だった。だけど、今は、それが自分自身の精神性を鍛えてくれていると想うと、心の筋肉トレーニングをしてくれていると解釈できるから楽しくなる。

草花や石ころ、川の流れ、さわやかな風から発せられる響きのように、人間という肉体を持つ者からも、そういう響きを発せられるようになりたいという想い。その想いの実現の為に大町にいると思うと、僕の周りにふさわしくメンバーが配置され、たくさんの学びがちりばめられていると感じています。それは、人智ではとうてい真似することのできない秩序が瞬間瞬間、展開されていています。全ての人の幸せ(誰もが平等に学べる喜び)を願う視点。この視点に立つために、数えきれない程の学びをしているんだなと思うと、最近になって、全て大丈夫なんだって思う。
 
今年の5月9日。木の花ファミリーに戻るために乗ったバスの中で天に問いました。

カト
「なぜ、僕が木の花へ戻るのですか?(もっと心の逞しい人を送れば良いじゃないですか・・・)」


「面白いだろ」

カト
「(たった、それだけで・・・面白いこと、面白くないことなんてどうでもいいでしょ・・・)」


「・・・」

 
僕が木の花ファミリーにカムバックして半年が経とうとしています。このやりとりの意味がようやく分かってきました。僕から観える天の意向は完璧な人よりも、どっちかっていうと僕のようなできが悪く、あんまり信仰心がなく、人の言うこと聞かない、自分勝手で、光を見ようとしない。歩もうともしない。ぐずぐず言っていって、恐がりで、だけど、なぜかちょっぴりハンサム(笑)そんないい子じゃない人間が光に向かって歩み続けることが大事なんだって。僕とは違って真っすぐ行く人もいる。それはその人の歩みとして、一人一人歩み方や個性があるから、いろんなダンス、ステップをふむ。それを見ていると「面白い」って想うよ。その人の役割だからね。だから僕は僕ができる役割をすればいいと思っています。

大町では自分の心の特徴を知って、相手の心の特徴も知って、お互いが生かし合えるよう、思ったことを伝え合いながら日々を過ごしています。大町からみんなが生かされていくことを願っていますよ♪
 

大町ビレッジメンバー:左からカトケン、あいちゃん、くにさん
大町ビレッジメンバー:左からカトケン、あいちゃん、くにさん

 
■    ■    ■    ■
 

おまけ:
カトケンが大納言小豆を土手に置いた時、あいちゃんはそれを見ていて「危ないな」と思ったのだそうです。小豆のことを想ったらすぐに場所を変えるようにカトケンに伝えた方がいいな、でもこのまま何も言わずに小豆が水路に落ちて、カトケンがそこから自分で学んでいく方がいいのかもしれない・・・・そんなふうにあいちゃんが伝えるか伝えまいかを迷っていたら、カトケンは小豆の声を聞き、小豆が落ちないように意識してやさしく拡げたのだそうです。
あいちゃん曰く、「以前は気が付いたことはすぐ伝えるようにしていたけれど、今はカトケンという人を研究中です。」

収穫された岐阜大納言。とても美人です。
収穫された岐阜大納言。とても美人です。