一昨年の10月に乳ガンであることがわかって以来、「心でガンは治るのか」人体実験中のさっちゃんからのレポートです!
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私が乳ガンになってからしばらくしてからのことだったと思う。
その頃同室だった民ちゃんが、自分も以前乳ガンだったという話をしてくれた。(民ちゃんのガンは小さく、治療で完治した。)そして自分の夫に対する卑屈な想いがガンを作ったとわかってから、もう私はガンにならないだろうと確信したと言った。いつか私も自分がガンになった理由がわかるといいナ・・・と思っていた。
最近の私の悩みは、(だいたい、全ての出来事を学びとして“いただく”心を大事にしている木の花で、悩みがあること自体、自分の我が強いということなのだが・・・)胸が痛くなったり、息が上がって足がふらついて思うように体が動かない、起きていることが辛いということでした。そんな時は休んだらと言われ、休むけれど、そんな自分を情けなく思い、孤独になってまたみんなの所に戻ると、好きにしたらと言われる。ガンセンターの先生は、胸が苦しくなったり、体力がなくなるのは、ガンの末期ならありえるが、今の私の状態ではそうならないと言った。だから、「こんなはずではない」という想いが湧いてくる。
今月末に開催される木の花祭りの練習で踊っている時や、大人ミーティングで宇宙意識になった時、何かに夢中になった時に胸の痛みがうそみたいになくなる時がある。この間、ミーティング前の木の花祭りの練習中に洗濯物を干すのをできるだけ終わらせようと頑張っていたら、胸が苦しくなり、体が思うように動かなくなった。またか~と思いながらもボチボチ干していると、みさちゃんが「踊ってきたら?」と言ってくれた。頑固な私だから、素直になろうと言われた通りに参加した。練習が終わって息を切らせながら、みさちゃんに「踊っていたら、気分がスッキリして胸が痛くなくなったヨ。天とつながるんだね♡」と言ったら、「洗濯してても何をしてても、天とつながることはできるんだヨ♡」と言われた。そうなんだねと言いながらも、胸が痛かった。
日々のミーティングでは、「ここは自分を捨てて他者のためにはたらく者達の場所」と話し合う。よく「自分の事ばかり考えてるね」と言われる私としては胸が痛い。そんな汚れた自分だから、ただ一生懸命はたらこうとやってきた。
それが、体が動かない。面倒くさいという心が湧く。
「これじゃあいかん!」と苦しみながらやっていると、ラブちゃんに、「さっちゃんのありえへん事は働かない事じゃない?」と言われる。(注:「ありえへん事」とは、自分の枠を超えるために日頃の自分にとってあり得ないことをやってみよう、という意味。)
素直に言うことを聞こうと休むけれど、それじゃあ私はここにいらないんじゃあないかと思えてきて辛くなる。
「さっちゃんは頑固だね。人の言う事を悪くとる。性格悪いねー」と言われ、へこむ。ラブちゃんはそんな事を言いながらも、お前もそうだという声が聞こえてくる、と笑った。さっちゃんにはさっちゃんの役割があるんだヨとも言ってくれた。
今朝起きた時、「そうか、私はガンだったんだ!」と気付いた。道理でみんな無理しないで休んだら?と言うはずだ。それを他の人はどうだから・・・と言って受け入れようとしない。まさしく私は頑固だった。
同じ事をあきらめずに伝え続けてくれて、ラブちゃん、みんな、ごめんね。そしてありがとう。
でも私のガンは、今、増殖が抑えられている。通常では、ありえへん状態。体の中で何かが起きている。悪い細胞と(悪い細胞と書いてガンさん、スミマセン(^^ゞ)良い細胞が体の中で戦っているのか?そちらに力が使われていると思えば、休む事も大事だね。
昨日から私はインフルエンザ疑惑で寝込んでいる。確かにインフルエンザのあすか(4歳)と一緒に休んだ時に、菌をもらったのかもしれない。微熱も吐き気も頭痛もあった。だけど私はインフルエンザにならないと思う。病気は気が病むと書く。今の私は気が病んでいない。ある人は「魔」というのはあちこちにあって、それを自分が取るか取らないかだけだと言った。そしていい「気」を自分が選べば良い。
昨日から絶食して(気持ち悪くて食べられなかっただけだけど)休養して体内のエネルギーがインフルエンザ退治に全力を尽くせるように環境を整えている。ガンも一緒だと思った。
食べ過ぎちゃ、いかん!!
本当に自分がガンになった理由が理解できた時、私の右胸のガンさんは、きっと役目を終えて潜象界(目に見える現象世界の奥にある、全ての源となる世界)にお帰りになられるだろう。
「ここは誰もが安心して暮らせる菩薩の里である。」
追伸:明日はガンセンターの3カ月検診の日です。
結果は神のみぞ知る、だね。(笑)