続・さっちゃんからのレポートです。
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今日はガンセンターの定期検診の日。
3カ月前、予約日を決めた後に、1月20日は確か何か大事な日だったような気がして、ひまわりに帰ってからあっちゃんに聞いたら、何の日でもないよ、大丈夫だよと言われ、ホッとした。
そして昨日になり、日和の誕生日だったじゃん!と気付いた。
日和は自宅出産で産まれた子。そして出産の立会いメンバーに、何故か私も含まれていた。
16年前、その頃の私は出産経験は2回あったものの、赤ちゃんを産む時はたらいにお湯がいるんじゃないか、テレビでそんな場面を観たナ・・・という知識ぐらいしかなかった(今もたいして変わらないけど)。
日和はニュルッと出てきた。
大寒だというのにとても暖かい日だった。
今日もニュースで、大寒なのに暖かい日なので各地で雪解けに注意してくださいと言っていた。いつも冷たくて乾いたのかどうかわからない洗濯物があたたかくて、うれしかった。
そんな事を思いつつ、いつもの不器用さで、出かける1時間前になってから借りるつもりのIフォンが使用中なのに気付き、お昼御飯に集まっている人達に「誰かIフォン貸してください」とお願いし、みさちゃんが使う予定だったIフォンを貸してもらい、あわちゃんに食事中に使い方を聞き、ようやく出発したが、Iフォンのナビがしゃべってくれず、すぐに画面が消えてしまい、途中で路肩に止まって設定しなおしてもダメで、「高速代節約のため国道で行こう!」計画を中止し、いつも通り高速を使って早めに病院に着いた。
そしたら、予約時間のエコーの前に採血検査もあったので、あわてず、余裕を持ててちょうど良かった。ドキドキしたけど、これが流れというものかな。無理しなくていいんだね。
ちなみに帰ってからくにさんに設定ボタンを1こ押してもらったらIフォンはしゃべり始めたのでした。
採血室に入るとゴミ箱にきれいな薄手のゴム手袋がたくさん捨ててあった。うちで作業に使っているゴム手袋より立派なやつで、私の採血をした看護師さんのゴム手袋もはずされて、そこに入った。当たり前だけど針も1回1回捨てちゃうんだよナー。(使いまわしはもっと困るけど。)
いつも目にしていた光景だけど、うちではゴム手袋、穴が開いてボロボロになるまで使うナ・・・まりちゃんは、使い捨てのマスクの鼻の部分の針金を外して可愛い手作りマスクを作ろうとしてくれている。
エコー室に入り、ベッドに横になってから採血で使った絆創膏を技師さんに「捨ててください」とお願いしたら快く捨ててくれたけれど、技師さんはもう一度手を洗い直して、ペーパータオルで手をふいた。後で自分で捨てればよかったのにとても申し訳ない事をした、と思った。技師さんの手間はもちろんだけど、使わなくてもいいペーパータオルを使わせてしまった。この病院のためだけに年間何本の木が切られているんだろう・・・なんて思ったらキリがない。
検査はとても丁寧で、途中2度技師さんが画像の確認に席を外して、全部で1時間くらい、そこにお乳はないんじゃないかと思う所まで左右のお乳、お乳の間、わきの下、首と細部にわたり慎重に調べてくれた。そんな長い時間をかけてもきっとエコーの診療報酬は変わらないだろうに、有難い事だと思った。
検査が終わると分厚く折った高級そうな漂白していない茶色いペーパータオルを2束左右の胸に当ててくれ、その上ホットおしぼりまでいただき、胸に付いたゼリーをふかせていただいた。おしぼりのビニール袋とペーパータオルが分別のゴミ箱につまっていた。
高級な対応に、ありがと♡ありがと♡と心の中で唱えて診察室で久しぶりに先生に会った時も、ありがとうございますの気持ちだった。
「採血結果、腫瘍マーカーも異常なしでいいですね。腫瘍は横幅だとめちゃくちゃ大きいですが、厚さは1㎜大きくなったかどうか・・・なんでいいでしょう。」
「感じはどうですか?」と訊かれ、「やわらかくなった気がします」と言ったら、「そうでしょうね」「また変わりあったらモゴモゴモゴ」「受付、行ってね」と言われ、診察室を出ました。
3か月後の次回の予約をとるために座ったソファーのガラス越しの中庭がきれいに手入れしてあって『ご苦労様です』の気持ちになった。
先生に横で計るとめちゃくちゃ大きいと言われた私のガンさんですが、今も右胸の左側に鎮座されていまして、以前は硬くて当たると痛い思うくらい存在を主張されていた感じでしたが、今はチーズがとけたようなベタッとした感じで、あなたは私、私はあなた的に変化されております。
先生、めちゃくちゃ大きいなんて、使う言葉をまちがっちゃったんではなかろうか・・・
検診を終えて、患者さん1人が出すゴミの量は相当なものだと思った。
母は、週3回透析をしていたけれど、1回の透析に出るゴミの量は超すごかった。母よ、早く亡くなってくれてありがとね♡
と、思うと、病院に通う事もどうかな~と思うけど、ブログのネタなくなっちゃうしね・・・
待合室のテレビの画面の中では、魚をさばいていた。
木の花に来て、肉、魚を食べなくなっただけでも、この世の浄化にかなりの貢献をしているのではないか・・・と思った。私が暮らしていた清水は、しらすや桜エビがおいしくて、この1口でいくつの魂をたべているのかと思いながら、おいしくいただいていた。肉、魚なしでおいしい食事ができるなんて思えなかった。(今でも一人じゃできない。)
木の花では「石鹸を使わない生活」を目指しているが、この間お風呂で6歳のなおの頭を石鹸で洗おうとしたら(子どもは時々石鹸を使います)、「お魚さん、死んじゃってもいいの?」と目を大きく見開いて私に訴えたので、石鹸を使うのをやめた。いつも大人の言う事を聞かない問題児のなおが、立派なお方に思えた。
夕方に木の花へ帰って来て、日和はいなかったけれど、Iフォンで日和にハッピーバースディを歌った。
「おめでとう」とみんなで言ってから、まゆちゃんが日和に何か一言どうぞと言うと、日和は「ありがと」と言った。じゃあ二言と言うと「ありがと、ありがと」と茶化してから、「もっと人を大事にしていきたいです」と言った。恐るべしっ16歳!!
日和は勉強ができなくて、嫌いで、中卒で木の花に就職したが、毎日100人分近いおやつをケロッと作る。基本、うるさくてふざけているけれど、やる事はやる。やらない事はやらない。はっきりしていて気持ちいい。時々おやつも分けてくれる♡そして必ず「あげないヨ」と言ってから、くれる。
根暗な私は秘かに日和を目指したいと思っている。日和は日蓮大聖人様の生まれ変わりと言われたが、神様もおもしろい日蓮大聖人を連れて来たものだ。
日和は言う。「日和の前に生きていた人に感謝してるよ。そのお蔭で楽に生きられる。誰かが自転車で転んだという話を聞くと、自分はそれを学んで転ばない事ができる。」
人のふり見て自分も転び、忘れた頃にまた転ぶ私にとっては羨ましい限りだけど、そんな自分でも、「ま、面白いからいっか!」と日和を見ていると思える。
日和は「いつ死んでも悔いないヨ」と言う。
ちなみに、先日出産したやすこちゃんの赤ちゃんは、日和と同じ誕生日。どんな魂なんだろう。
30時間のお産のあと、やすこちゃんは「楽しかった」とコメントした。お産のたびにもう子どもはいらないと思った私にとっては、「ありえへん」。
なんと素晴らしい魂達がゴロゴロ転がっているんだろう。そういう魂が次々に生まれてくる。輝かしい未来が待っている気がします。戦争で大型ゴミ出して、人殺ししている場合じゃないヨ。
自然療法プログラム、もとい、天然療法プログラムが、世界に広がって、病院のいらない世界になることを願いつつ、次回は4月21日に受診予約をしてきました。ありがとうございます。
―追伸―
昨日ラブちゃんがビワ灸したら?とおっしゃるので、「そうだね」と実は私としては、めんどくさいとウッとしながら答えました。
なので、ガンは心だから・・・といっていた私でしたが、ビワの葉を患部に当てて、その上からアイロンを当てる温熱療法をさせていただこうと思っております。
ちなみにラブちゃんはこのブログの下書きを暖炉の前で読みながら、この紙(下書き)燃しちゃったら、さっちゃん泣くかな・・・?とうれしそうに笑っておりました。
そんな事しなくても私はすぐ泣くよ。
それでも笑っていられる私になったら、世界が変わるかな?